ヒト、メディア、社会を考える

2018年

グローバル化時代、道化師ショコラが今、私たちに語りかけるもの。

■武蔵大學セミナー

 2018年12月19日、武蔵大学で「19世紀末フランスのサーカス世界と越境芸術家たち」というタイトルのセミナーが行われました。「19世紀末フランスのサーカス世界」という文言に引かれ、参加することにしました。講師は人文学部専任講師の舘葉月氏です。

 19世紀末フランスといえば、つい、パリを舞台に華々しく展開された絵画、舞台芸術、文学、音楽、ファッション等に焦点が当てられがちですが、このセミナーでは「フランスのサーカス世界」が取り上げられます。意外な組み合わせが面白く、関心をかき立てられました。果たしてどのようなお話が聞けるのか、興味津々、出かけてみました。

■記憶に残るサーカス

 サーカスは子どもの頃、一度見に行ったことがあるだけです。楽しかったというより、怖かったという印象の方が強かったせいでしょうか。あるいは、底知れない空間に引き込まれてしまいそうな危うさを感じたからでしょうか。不思議な魅力を覚えながらも、私は再び、親にサーカスに行きたいとは言いませんでした。

 記憶に残っているのは、ショーが始まると、次々と登場してくる異様な風体の出演者たちであり、いつ落ちるかとハラハラドキドキしながら見ていた空中ブランコや綱渡りです。どれも子どもの日常生活にはないものばかりでした。高所でブランコをしたり、綱渡りをしたりするなど、子どもの私にしてみれば、想像もできないことでした。

 そして、大人たちが拍手喝采するアクロバットも、子どもの私にしてみればとうていヒトができることとは思えず、むしろ不気味な印象を抱いていました。というのも、当時、子どもたちの間では、サーカスのヒトたちは毎日、お酢をたくさん飲んで体を柔らかくし、厳しい稽古をさせられているから、あんなことができるのだという噂が広まっていたからでした。

 そればかりではありません。当時、私は一人で外に出かけるとき、母親から、「寄り道をしないで帰ってこないと、人攫いに連れていかれて、サーカスに売られてしまうわよ」などと脅されていました。家庭と学校しか知らない私にとって、サーカスは明らかに危険に満ちた異様な世界だったのです。慣れ親しんだ平穏な日常生活とは対極にある異質の空間でした。

■F・フェリーニ監督の「道化師」

 大人になってからF・フェリーニ監督の「道化師」(1970年)をDVDで観ました。映画公開時には観ることができず、後にDVDで観たのですが、ドキュメンタリータッチの映画ですが、フェリーニならではの独特の祝祭空間はしっかりと描出されていました。

 冒頭に続く以下のシーンを見たとき、突如、子どもの頃、サーカスに抱いていた感情を思い出しました。

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=-pBSBBbWkSU

 イタリアでも母親は同じようなセリフで子どもを脅しているのだと思い、おかしくなってしまったものです。この映像では冒頭のシーンはカットされていますが、私がとても切ない気持ちになってしまうのは、ロングショットで捉えられた冒頭のシーンです。

 冒頭、子どもの頃のフェリーニが夜、物音で目を覚まし、窓から外を眺めます。暗闇に浮かぶ小さな後ろ姿がいかにも頼りなげです。不安感を抱きながらも好奇心に駆られているのでしょう、窓に顔をつけてじっと外を眺めています。暗闇から聞こえてくるのは、サーカス一座がテントを張っている物音だけでした。

 この冒頭のシーンは、フェリーニにとってはおそらく、原風景とでもいえる光景だったのでしょう。サーカスの記憶はさまざまな道化師たちの記憶と結びついています。道化師たちは非合理な存在だからこそ、理性では理解できないものを炙り出して見せてくれるのでしょう。彼らが披露するパフォーマンスを含め、サーカスの空間はフェリーニがヒトを本質的に理解するためには不可欠な装置だったのかもしれません。

 当時、サーカスではさまざまな異形の者たちが、道化師として観客に笑いを提供していました。小人であれ、巨漢であれ、黒人であれ、彼らは身体的特徴がもたらす悲劇を直視し、道化師として独特の化粧をし、喜劇に転化していたのです。ですから、道化師が生み出す笑いは、観客が意識的であれ、無意識的であれ、心に潜ませている差別的な感情に応えるものでした。

 フェリーニはそのような道化師たちを限りなく慈しみ、愛おしんできました。当時、異形の者たちは道化師として可視化され、れっきとした社会の一員として存在していたのです。ところが、近代化の進行に伴い、いつの間にか、彼らは人前から姿を消してしまいました。病院か施設に隔離されてしまったのでしょうか、社会に居場所がなくなってしまったのです。そのような社会状況について後年、フェリーニが悲しみの混じった複雑な気持ちを吐露していたことを思い出します。

■19世紀末、観客が求める笑いの変質

 舘氏はパワーポイントを使って、当時のポスターや絵画を紹介しながら、19世紀末フランスで活躍した黒人道化師ショコラの栄枯盛衰をフランス社会の変化に関連付けて語ってくれました。とりわけ興味深く思ったのは、19世紀末、フランスでは笑いが変質していったということでした。

 18世紀から19世紀にかけてパリでは常設サーカスの建物が次々と建築されたといいます。そのうち、現在も残っているのが、シルク・リベール(Cirque d’hiver)です。

 当時、幅広い階層の人々にとって、娯楽の中心はサーカスでした。ポスターや絵画にサーカスをモチーフにした作品が多々見られることからもそのことがわかります。サーカスの道化師として才能を発揮したのが、ショコラでした。もちろん、本名ではありません。チョコレートのように濃い褐色の皮膚にちなんでつけられた名前でした。実際はキューバからの移民でしたが、アフリカからの移民として黒人を売り物にした芸を披露していました。

 やがて、白人の芸人とコンビを組み、物珍しさと高い身体能力に支えられたパフォーマンスが観客から喝采を浴び、一躍娯楽界の寵児となりました。セミナー会場では、道化師ショコラをモデルにしたと思われるポスターも紹介されました。

 上図 (http://www.allposters.co.jp/より引用 ) は、ロートレックがカフェでダンスを披露するショコラの姿を描いたものです。脹脛といい、臀部といい、筋肉の張り具合がしっかりと捉えられており、卓越した運動能力の持ち主であることが示されていました。この姿態を見ただけで、身体能力の優れたショコラが魅力的なパフォーマンスを披露し、娯楽界の寵児であったことがわかります。

 ところが、19世紀末になると、観客の意識に変化が生じ、求める笑いの質にも変化が見られるようになったと舘氏はいいます。つまり、観客の差別的な感情に訴求する笑いが求められなくなっていったのです。これについて舘氏は、異形の者を笑いの対象にしてきたことに対する観客の贖罪の気持ちであり、そのような念を抱かせる対象そのものを忘れてしまいたいという気持ちではなかったかと指摘するのです。

 折しも、パリでは映画の撮影・上映技術を開発していたリュミエール兄弟が1895年12月28日、「工場の出口」という作品を有料公開しました。動く映像を初めて目にした人々は驚きました。日頃見なれた光景にすぎなくても、動画として映し出されることに新鮮味を覚え、興奮したのです。

 映画という新しい娯楽が普及するのに伴い、次第にサーカスの人気が衰えていきます。

 道化師が生み出す笑いは基本的に、観客の差別的な感情に訴求するものでした。ところが、近代化を経て、観客の意識が変化していくと、その種の笑いはやがて顧みられなくなっていきました。当時、ロンドンに次いで、いち早く産業化、都市化を経たパリの街は、近代化にふさわしく大改造されました。そのようなパリの街に住む観客には、これまでサーカスの道化師が生み出してきた笑いは次第に受け入れられなくなっていったのです。

 興味深いことに、リュミエール兄弟はショコラとフティットのコンビを撮影していました。黒人と白人のコンビは映画の題材として価値が高いと判断したのでしょう。当時の貴重な映像がありましたので、ご紹介しておきましょう。

こちら →https://youtu.be/XjHZ_z23BZY

 最初に映画が上映されて2,3年後、リュミエール兄弟は客をつなぎとめる必要に迫られるようになっていました。移り気な観客たちは、ただ動くだけの映像に関心を失い始めていたのです。映画を続けるため、リュミエール兄弟は、人々の興味を引くようなものであれば何でも題材にし、一種のドキュメンタリー映画を制作するようになっていました。著名であった黒人と白人のコンビ(ショコラ&フティットのコンビ)は稼げる題材だったのです。

 19世紀末に映画が登場して以来、パリでは娯楽の様相が一変しました。観客は機械を媒介とした娯楽に新しい感覚を刺激され、楽しみを覚えるようになり始めていました。一方、産業化、都市化が進行していたフランスでは、観客のヒトに対する意識が変わり、求める笑いの質にも大幅な変化が起きていたのです。

 サーカスは衰退し、道化師の笑いを求める人々も減少していきました。ショコラはヌーヴォー・シルクを解雇され、コンビも解消せざるをえなくなりました。その後、病気の子どものためにセラピー道化師の活動をはじめたりもしましたが、1917年、巡業中のボルドーで亡くなり、やがて、すっかり忘れ去られてしまいました。

■映画「ショコラ」

 フランスでは近年、道化師ショコラの再発見、再評価の動きがあり、2016年にはショコラをモデルにした映画「ショコラ」が公開されました。舘氏は、この映画はフランスで200万人も動員し、大ヒットしたといいます。いったい、どんな映画だったのか、ネットで見てみました。

 2016年に公開されたフランス映画「ショコラ~君がいて、僕がいる~」は、先ほどご紹介した黒人ショコラとコンビを組んだ白人フティットをモデルにした映画です。ショコラを演じるのが「最強のふたり」で好評を博したオマール・シー、フティットを演じるのがチャップリンの孫ジェームス・ティエレ、そして、監督は俳優出身のロシュディ・ゼムです。

映画チラシ

 映画は、子どもたちが丘を駆け下りてサーカスのテントが張られるのを見に行こうとしているシーンから始まります。このシーンを収めた映像をネットで探してみたのですが、フルバージョンの映像はスペイン語吹き替え版しか見つかりませんでした。とりあえず、冒頭だけをみていただくことにしましょう。

こちら→https://www.youtube.com/watch?v=xDq-pEP5efg

 この冒頭シーンは、フェリーニの「道化師」の冒頭シーンとイメージが重なります。子どもたちの好奇心を刺激するものがサーカスにはあることが示されています。未知の世界であり、日常とは異なる異質な空間が子どもたちの好奇心を誘うのでしょうか。オープニングに子どもを登場させることによって、映画の中で語られる世界に時間と空間の広がりを与えています。

 それでは、この映画は何を物語っているのでしょうか。監督と主演二人に対するインタビュー、そして、概略を紹介した予告映像がありましたので、ご紹介しましょう。

こちら →https://eiga.com/movie/84870/video

 この映像の最初から1分47秒までが、メーキングを含めた監督と主演者へのインタビュー映像です。

 まず、ロシュディ・ゼム監督は「100年も前に有色人種の芸人が歩んだ人生を知って、感動したと同時に悲しくなった」と映画製作の動機を語ります。そして、ショコラ役のオマール・シーは「この映画によって無名だった彼が知られるようになる。彼はアーティストだったと伝えたい」といいます。フティット役のジェームス・ティエレは「白人と黒人のコントラストにすべてがある。二つの極に電流が走る」といい、対極にある二人がコンビを組むことによって得られた芸の上の成果を語ります。

 2分4秒以降は、この作品を要領よくまとめた予告映像になります。

 二人が出会い、コンビを組むようになるプロセスを描いたシークエンスでは、個性豊かな二人の性格がそのやり取りの中で自然に表現されています。白人&黒人コンビの道化師として彼らは評判を呼ぶようになり、やがて、パリに招聘され、成功を収めます。「ふたりなら無敵」と思い込むほど順調だったのに、ある日、ショコラは逮捕され、虐待され、黒人移民であるがゆえの悲哀を味わい、次第に身を持ち崩していきます。そんなショコラをフティットは我慢強く支えていく・・・、といった展開で、メリハリの効いたストーリーです。

 この作品は友情をメインテーマに、黒人に対する社会の差別意識、コンビ仲間の心中に潜在する差別意識と嫉妬心などがエピソードに絡めて巧みに描かれています。友情の背後にある複雑な心理状況が二人を取り巻く環境と関連づけて浮き彫りにされているので、とても説得力のある映画になっていました。

■道化師ショコラのアイデンティティ

 武蔵大学で開催されたセミナーに参加し、そこで紹介された映画「ショコラ」をネットで観ました。予想以上に面白く、身につまされるものがありました。120年も前の出来事なのに、グローバル化時代に生きる私たちに語りかけるものがあったのです。

 スペイン領キューバで生まれたショコラは生年もはっきりしません。植民地で生まれたことの悲哀です。本国スペインに奴隷として売られ、家内使用人や農場で働いていました。やがて、過酷な労働に耐えかねて逃亡し、フランスのサーカス一座にアシスタントとして雇われます。ここでは、国の力が弱い場合、その国で生まれても他国で生きていかざるをえず、出生国に紐づけられたアイデンティティを獲得することが難しいことが示されています。

 それでは、ショコラはアイデンティティの基盤をどこに見つけたのでしょうか。

 フランスのサーカス一座に雇われたショコラは、アフリカから来た黒人道化師として働くようになります。客寄せのために出自を偽り、アフリカの人食い人種としての仮面を付けざるをえなかったのです。

 そんなある日、白人芸人のフティットから誘われ、黒人&白人道化師としてコンビを組むようになります。コンビの新規性とショコラの芸が評価され、人気が高まっていきます。パリの大サーカスに招聘され、活動の舞台をパリに移します。ショコラはようやくアイデンティティの基盤を見つけることができました。

 芸を磨いたショコラは上流階級の人々からも招かれるようになり、著名になっていきます。著名になれば、もちろん、大金も入ってきます。実際は、黒人ショコラが白人フティットに蹴飛ばされ、平手打ちされることで笑いを取っていたのですが、ギャラの3分の2は白人のフティットが受け取るという非合理を受け入れざるを得ませんでした。

 芸を磨くことによって評価され、芸人としてアイデンティティを獲得できたとはいえ、身体に刻印された人種的特徴から逃れることはできず、社会的扱いもそれに応じたものでした。ショコラが自暴自棄になったのも当然のことだといえるでしょう。

 ショコラは努力を重ね、芸をきわめた結果、人気を得、大金を得たのですが、社会的な評価を覆すことはできませんでした。ショコラの社会的な劣位は芸人として大成功を収めても解決するものではなかったのです。

■ショコラが今、私たちに語りかけるもの。

 道化師ショコラが生きた時代、人種的特徴あるいは身体的特徴が人々の社会的地位を決定づけてきました。ショコラは芸人として評価されながら、ポジティブなアイデンティティを獲得することもできないまま、人生を終えました。出生国を離れ、国境を越えて生きざるをえなかったからでしょう。出生国へのロイヤリティを失い、居住国でアイデンティティを獲得できることもできなかったことの悲哀を感じてしまいました。

 グローバル化時代の今、国境を超えることがきわめて容易になっています。迫害を受けたわけでもないのに、より高い賃金を求めて国を捨てる人々も増えています。移動先の国では人権に基づき、一定の労働条件、生活条件が保証されていますから、出生国へのロイヤリティは希薄になっているのが現状だといえるでしょう。

 19世紀末の社会とは違って、現在、さまざまな偏見は是正されてきています。実際にコミュニケーションを持つことによって、偏見は容易に崩れることは事実です。実際、私はメルボルンからの帰途、機上で隣り合わせた黒人女性の才気あふれゴージャスな雰囲気に圧倒された経験があります。ニューヨークに住み、仕事の関係でメルボルンから成田経由でマドリッドに行くということでした。シンガポールで出会ったベトナム人女性画家も洗練されていて思慮深く、驚いたことがあります。有色人種に対する偏見は、直接的なコミュニケーションが増えるにつれ、解消に向かうかもしれません。

 ただ、移民となると、また状況は大きく異なります。ショコラの人生を思うとき、ローカル・アイデンティティを築くことなく、出生国を離れ、文化の異なる居住地で、果たしてポジティブなアイデンティティを築き上げることができるのか、といった疑念が消えないのです。

 芸を磨き、観客の期待に応えてきたおかげで、いっとき、ショコラは富と名声を得ました。ところが、フランスでは依然として、社会的地位は低いままでした。自暴自棄になってしまったのは、アイデンティティクライシスに陥っていたからではなかったかと思うのです。

 ショコラは出生国、居住国でも文化に根差したローカル・アイデンティティを築くことができませんでした。ですから、差別的環境から抜け出せないことがわかったとき、動揺してしまったのでしょう。拠って立つべき文化を持たないまま生きざるをえなかったものの苦悩がしのばれます。 

 2018年12月21日、日経新聞で「入管法改正、人手不足解消に期待」というタイトルの記事を読みました。

こちら →https://www.nikkei.com/article/DGKKZO39204570Q8A221C1L41000/

 「ショコラ」を観た後で、このニュースを知ったので、ちょっと気になりました。ショコラが生きた時代と現代とは違うということは承知の上で、人手が足りないからといって外国人労働者を受け入れてしまって、果たして、大丈夫なのか?という思いに駆られてしまったのです。

 ショコラの人生を映画で見ているうちに、ヒトは固有の文化を基盤にローカル・アイデンティティを獲得し、それでようやく、グローバルな状況に耐えられるようになるのではないかと思うようになったからでした。(2018/12/30 香取淳子)

「蝦蟇仙人図」にみる曽我蕭白vs横山崋山

■横山崋山展の開催
「横山崋山展」が東京ステーションギャラリーで、2018年9月22日から11月11日まで開催されていました。開催期間中、私はとても忙しく、行けそうになかったのですが、たまたま手にしたチラシに掲載された祇園祭りの絵柄がおもしろく、気になっていました。最終日の午後、なんとか時間を作り、行ってきたのですが、実際に絵の前に立つと、絵柄から浮彫にされた崋山の構想力が斬新で、惹き込まれてしまいました。無理して出かけた甲斐があったと思った次第です。

 会場には関連する絵師の作品数点を含め、120点ほどの作品が展示されていました。展示リストは以下の通りです。

こちら →http://www.ejrcf.or.jp/gallery/pdf/201809_kazan.pdf

 つい渡辺崋山と間違えてしまいそうになるのですが、展覧会のタイトルをよく見ると、横山崋山でした。私には聞き覚えのない名前です。チラシの説明を見ると、崋山は「江戸時代後期に京都で活躍した人気絵師」で、「曽我蕭白に傾倒し、岸駒に入門した後、呉春に私淑して絵の幅を広げ、多くの流派の画法を身につけました。そして、諸画派に属さず、画壇の潮流に左右されない、自由な画風と筆遣いで人気を博しました」と書かれています。

 そういえば、会場の展示も「蕭白を学ぶー崋山の出発点―」から始まっていました。よほど影響を与えられたのでしょう。

 展覧会は、第1の「蕭白を学ぶー崋山の出発点―」から、第2「人物―ユーモラスな表現―」、第3「花鳥―多彩なアニマルランドー」、第4「風俗―人々の共感―」、第5「描かれた祇園祭―《祇園祭礼図巻》の世界―」、第6「山水―崋山と旅する名所―」等々のコーナーで構成されていました。

 それでは、作品を見ていくことにしましょう。

■「蝦蟇仙人図」に見る蕭白vs崋山
 会場に入るとすぐ目につくところに展示されていたのが、曽我蕭白の「蝦蟇仙人図」です。先ほど説明しましたように、崋山が傾倒していたといわれる絵師の作品です。蝦蟇仙人という奇妙なタイトルが付いています。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。図録より)

 Wikipediaによると、蝦蟇仙人とは中国の仙人で、青蛙神を従えて妖術を使うとされているそうです。そういえば、この絵の下方に蛙が描かれています。これがその青蛙神なのでしょうか、大きな口を食いしばり、まるで睨みつけるように目を見開いて、仙人を見上げています。白い大きく膨らんだお腹が印象的です。よく見ると、両手を広げて上に向け、片足立ちで立っています。

 一方、仙人はといえば、まるで呪文を唱えてでもいるかのように、口を大きく開けて蛙を見つめ、押さえつけるような仕草で手を広げて下方に向けています。ひょっとしたら、蛙に対しなんらかの妖術を施そうとしているシーンなのかもしれません。

 この作品と並んで展示されていたのが、崋山の「蝦蟇仙人図」です。蛙といい、仙人といい、背景といい、同じ題材を描いたものであることは明らかです。おそらく、蕭白の作品を参考に、崋山が同じモチーフを描いたのでしょう。

 帰宅してから二人の生没年を調べてみると、横山崋山は1781あるいは84年の生まれで1837年に没していますし、一方、曽我蕭白は1730年の生まれで1781年に没しています。二人の生没年を見比べると、ちょうど崋山が生まれた頃、蕭白は亡くなっています。ですから、崋山は直接、蕭白に教えを請うたわけではなく、作品を通して私淑したということになるのでしょう。

 同じモチーフ、同じようなシチュエーションを同じ構図で扱いながら、二つの作品は微妙に異なっています。たとえば、崋山の作品は背景が単純化されているせいか、仙人と蛙の姿勢がよくわかります。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。図録より)

 仙人は桃を持った右手を後ろに回し、左手を蛙の頭上に大きくかざしています。右足は折り曲げて左脹脛に引っ掛け、しかも左踵をやや上げていますから、きわめて不安定な姿勢です。そして、顔面はといえば、俯き加減に黒目を上に寄せ、いかにも念力を放っているかのような異様な形相です。蕭白の描いた仙人にはこれほどの迫力はありません。

■モチーフと背景にみる、蕭白vs崋山
 蕭白が描く仙人は、両脚はしっかりと大地につけており、安定感があります。腕の挙げ方、背中から肩、腕にかけての筋肉の付き方、背骨の盛り上がり具合やわき腹の凹み具合など、人体構造を踏まえて描かれており、不自然さはどこにもありません。奇妙な姿勢を取る仙人の身体に沿って揺れる衣の描き方も柔らかく、リアリティが感じられます。

 仙人の顔はと言えば、目は比較的小さく、口は異様に大きく開けているとはいえ、ヒトに近い人相です。腕を上げ、うつむき加減に蛙を見下ろしているポーズで描かれていますが、身体の傾き加減、両脚の位置、そして、衣の揺れ具合のバランスが絶妙です。

 背後に目を向けると、仙人のポーズは頭上の木の枝の傾き、岩肌の傾斜とも呼応しており、画面に右から左への流れが生み出されています。風を感じることができますし、一種のリズムも感じられます。こうしてみてくると、蕭白は墨の濃淡やかすれ、滲みを巧みに使って、架空の世界をリアリティ豊かに描き出していることがわかります。

 一方、崋山の描いた仙人は、背中から腕にかけての筋肉の付き方、背骨やわき腹の骨、衣からはみ出た右腕の描き方がやや不自然です。おそらく、人体構造を意識せずに描かれたのでしょう。しかも、顔と上半身が大きく、全般に身体のバランスがよくありません。不安定なのです。それだけに、仙人の片足立ちの奇妙なポーズが強く印象づけられます。

 背景の山も、白黒の濃淡でエッジが強く描かれているのが印象に残ります。エッジが強すぎるせいか、画面上にモチーフと連動した動きは見られません。背景は極力、単純化され、モチーフを際立たせるためだけに墨の濃淡や強弱が使われているように思えます。こうしてみてくると、崋山の場合、画面にアクセントをつけるために墨の濃淡を使い、架空の世界をよりドラマティックに描き出す効果を狙っていることがわかります。

■サブモチーフの描き方にみる物語性
 これまで見てきたように、蕭白の絵と崋山の絵は同じモチーフを取り上げながら、微妙に異なっていました。大きく異なっていたのが、サブモチーフである蛙の描き方です。片足立ちをし、手を大きく広げて仙人に向けるポーズはとてもよく似ているのですが、顔とその姿が大幅に異なっているのです。

 たとえば、蕭白の絵の場合、蛙は片足立ちで、仙人の手に対抗するように両手を広げています。蛙のお腹は白く大きく膨らみ、傷ひとつありません。口は大きく曲げていますが、目はしっかりと仙人を見上げています。奇妙なポーズであることは確かですが、異様なところはどこにもありません。

 仙人もまた、口こそ大きく開けていますが、目に怒りが見られるわけでもなく、むしろ、微かに優しさが感じられます。手にした大きな桃の実を蛙に差し出そうとしているように見えなくもありません。奇妙なポーズ以外に違和感を感じさせるものはありませんから、これは仙人と蛙が交わす儀式のようなものなのかもしれないと思えてきます。

 一方、崋山の作品では、蛙のお腹に何か所も傷跡が見られ、くすんだ色をして痩せこけているように見えます。目は充血しているように見え、片足立ちしている姿もか細く不安定です。描かれた蛙の姿形がとても悲惨なのです。しかも、仙人の形相が凄まじいので、蛙の悲劇性が強調されています。仙人と蛙がまるで加害者と被害者のように見えてしまうのです。そして、視線をずらすと、蛙の悲惨さを補うかのように、仙人は後ろ手に桃の実と花を持っているのに気づきます。果たして、可哀そうな蛙にこれが見えているのかどうか。

 興味深いことに、仙人が後ろ手に持っている桃の実も花もほんのりと着色されていて、生気が感じられます。淡い色調から桃の実や花の香しさや美味しさ、柔らかな触感が伝わってきます。

 ちなみに中国ではかつて、桃は単なる果物ではなく、病魔や厄災を寄せ付けない力を持つとされていたそうです。そうだとすれば、仙人が後ろ手にした桃は蛙の傷を癒すためのものなのかもしれません。

 蛙の姿を見てその悲惨さに同情していた観客は、次に桃の実と花を見て、救護・治療を連想し、気持ちの安らぎを覚えます。危機感から安心感へと気持ちが転換していく過程がこの絵柄の中に生み出されているのです。一枚の絵が何段階にも観客の感情を揺るがしていくのです。これでは観客がこの作品世界に深くコミットしてしまうのも当然のことでしょう。

 サブモチーフである蛙と桃について、このような解釈が成り立つとすれば、淡く着色された桃の実と花はこの絵で語られるストーリーの着地点だといえるでしょう。ハッピーエンドの展開です。こうしてみてくると、崋山の卓越したストーリー構想力と表現力に感嘆しないわけにはいきません。蕭白に比べれば一見、稚拙に見える崋山の絵の方が、実は物語性に富み、訴求力の強い作品だったといえます。

■画面構成に込められた物語性
 このように見て来ると、崋山は蕭白の作品からモチーフを借りて似たような絵柄を作りながらも、そこにドラマティックな仕掛けをいくつか施していることがわかります。

 まず、背景を奥行きの感じられる山岳風景にし、蛙と仙人が、誰も容易に登ってこられないような高山のわずかに開けた場所に登場させたことが、ポイントとして挙げられるでしょう。空や地面には何も描かれていませんから、観客は蛙と仙人の所作を明瞭に捉えることができます。メインモチーフとサブモチーフをくっきりと浮き彫りにする構図です。

 背景で描かれた幾重にも連なる山々がこの作品の「序」であるとするなら、蛙と仙人の関わりの部分が「破」であり、仙人が後ろ手に隠し持っている桃の花と実が「急」に相当するのでしょう。崋山は一枚の絵の中に「序」「破」「急」で展開される三部構成のストーリーを持ち込んだのです。おかげで時間の広がりと空間の奥行が生み出され、この作品世界の豊かさが醸成されました。

 崋山の作品は、蕭白の作品を参考にしながら、モチーフの背後にあるストーリーを感じさせる絵柄、部分的な着色、余白の効果的な使い方、等々の工夫がなされています。その結果、一枚の絵の中にさまざまな時間や空間を感じられる印象深い作品に仕上がっています。

■顔輝の「蝦蟇鉄拐図」vs曽我蕭白の「蝦蟇・鉄拐仙人図」
 これまでご紹介してきたのは、曽我蕭白と横山崋山による「蝦蟇仙人図」ですが、Wikipediaによると、宋代に活躍した顔輝が描いた「蝦蟇鉄拐図」の影響で、蝦蟇仙人は鉄拐仙人と対の形で描かれることが多かったそうです。崋山のように蝦蟇仙人だけを取り出して描くのではなく、鉄拐仙人とセットで描かれてきたようなのです。

 そこで、元の絵を探してみると、両者を描いた顔輝の作品、「蝦蟇鉄拐図」を見つけることができました。14世紀の作品とされています。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。京都国立博物館蔵)

 左側に蝦蟇仙人、右側に鉄拐仙人が描かれています。両者とも岩に腰を下ろし、旅の途中なのでしょうか、頭陀袋のようなものを携えています。描き方に奇をてらったところはどこにもなく、どちらかといえば写実的で、仙人というより普通のヒトの通常の所作のように見えます。

 曽我蕭白は、この顔輝の「蝦蟇鉄拐図」に想を得て、「蝦蟇・鉄拐仙人図」を描いています。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。Wikipediaより)

 「蝦蟇・鉄拐仙人図」というタイトルの作品ですが、見てすぐわかるように、顔輝の「蝦蟇鉄拐図」とは印象がまったく異なります。右は先ほどからご紹介してきた蝦蟇仙人図ですが、左が鉄拐仙人図です。顔輝の「蝦蟇鉄拐図」とは左右が逆になっています。

 蕭白の描いた鉄拐は杖をつき、立ったままぷっと鼻と頬を膨らませ、ぶ厚い唇からふっと息を吐きだしています。その吐き出した吐息の中に、微かにヒトの形をしたものが描かれています。

 改めて顔輝の描いた鉄拐を見ると、岩に腰を下ろし、鉄の杖を胸元に抱え、衰弱したようすでした。説明文には「魂を噴出した所で元の体は脱け殻となってすでに死色を帯び、硬直しはじめている」と書かれていました。

 そうすると、蕭白が描いた吐息の中に見える微かなヒトの形は、鉄拐が死に際に吹き出したといわれる魂なのでしょうか。落ち窪んだ眼は虚空を眺め、心なしか、精神が無になっているようにも見えます。前面に頑丈な鉄の杖が強い筆致で描かれていますから、中国の故事通り、鉄拐の足が不自由だったことも示されています。

 ところが、蕭白の絵は、鉄の杖によりかかりながらも、足のつま先を上に向けてしっかりと大地を踏みつけています。これはエネルギーを感じさせるポーズです。顔面の頬の膨らみ具合といい、大地をしっかり踏み込んだ足元といい、とても死に体には見えません。ただ、よく見ると、顔面は所々、土気色になっているようにも見えます。

 これはおそらく、身体エネルギーを使い果たし、死に際に差し掛かった鉄拐が、最後のエネルギーを振り絞って、自身の精神を身体から解き放ったことが示されているのでしょう。滑稽なイメージで描かれた絵柄に、死に対する深淵な観念が浮き彫りにされています。顔輝の描いたオリジナルではわからなかったメッセージが、蕭白の絵からはしっかりと伝わってくるような気がします。

 こうしてみてくると、蕭白がオリジナルを相当デフォルメして描きながら、その本質を的確に捉えていたことがわかります。桃(蝦蟇仙人)や杖(鉄拐仙人)といったキーアイテムを押さえ、それらのメッセージを構成する要素を画面の目立つ位置に配置しています。しかも、メインモチーフは戯画的にデフォルメされて描かれていますから、顔輝の「蝦蟇鉄拐図」に込められたメッセージがいっそう強く印象づけられるというわけです。

 その蕭白の絵をさらに単純化し、カリカチュアしたのが崋山の作品でした。

■崋山のエスプリの効いたセンスの良さ
 「蝦蟇仙人図」をめぐり、蕭白と崋山、蕭白と顔輝の作品を比較しながら、ご紹介してきました。これまで見てきたように、オリジナルをデフォルメして理解しやすいように描き替えたのが蕭白だったとするなら、その蕭白の画風を模倣しながら、さらにメッセージ性を強めたのが崋山だったといえるかもしれません。

 蕭白がオリジナルの絵柄を再解釈して自身の作品として構築したとすれば、崋山はそこに物語性を加えることによって、絵柄に含まれるメッセージを強化したといえるでしょう。物事の本質を見つめ、それをしっかりと表現する能力がなければ、とてもこのような芸当はできるものではありません。

 このように考えてくると、改めて、チラシに書かれた文言が思い浮かびます。チラシには「崋山は作品の画題に合わせて自由自在に筆を操り、幅広い画域を誇りました」と書かれていました。

 今回、ご紹介した「蝦蟇仙人図」のような画題についても、崋山はどのように表現すれば見る者の気持ちに届くのか、より効果的にメッセージが伝わるのか、といったようなことを考え抜いたのでしょう。だからこそ、蕭白の作品にはなかった蛙のお腹の傷跡、桃の実や花の着色といった工夫を崋山は練り上げ、取り入れたのだという気がします。見る者の視線を誘導する仕掛けを作ったのです。

 さて、この時期、忙しかった私が時間を作ってわざわざ最終日に出かけたのは、チラシに掲載された祇園祭りの絵柄が面白かったからでした。どのような絵なのか見て見たくて展覧会場を訪れたのですが、残念ながら今回、ご紹介することができませんでした。会場に入って最初に見た絵(蝦蟇仙人図)に引っ掛かってしまったからでした。知的な刺激を受け、この作品にこだわってしまった結果、他の作品を紹介しきれませんでした。

 会場では、エスプリの効いたセンスのよさが光る作品にいくつも出会いました。いずれも崋山の柔軟な発想、そして確かな表現力に支えられたものでした。いつか機会があれば、ご紹介したいと思います。(2018/11/22 香取淳子)

溝口墨道&赫舎里暁文展:民族文化を踏まえ、新たな表現の時空への誘い

■「溝口墨道・赫舎里暁文夫婦 日・満興亜絵画展」の開催
 銀座6丁目の創英ギャラリーで今、「溝口墨道・赫舎里暁文夫婦 日・満興亜絵画展」が開催されています。開催期間は2018年11月1日から6日まで、開催時間は10:30~18:30(土曜、日曜は17:00まで)です。案内メールをいただいたので、開催初日の11月1日、訪れてみました。

 ディム銀座8Fにある会場には、溝口墨道氏の作品20点と赫舎里暁文氏の作品18点が展示されていました。ざっと見て、溝口氏の作品は水墨画をベースに生み出された独特の画風が印象的でしたし、暁文氏の作品は満洲文字を組み込んだ情緒豊かな作品が心に残りました。

 まず、暁文氏の作品から、印象に残った作品について、ご紹介していくことにしましょう。ここでご紹介する作品は、私が会場で作家の許可を得て撮影したものですが、照明が写り込み、作品の素晴らしさを損ねてしまっているものもありますことをご了承くださいますように。

■満洲の魂と日本の風情
 暁文氏は満洲で生まれ育ち、溝口氏と結婚して日本に来られました。展示作品を一覧すると、満洲文化に根付いた作品と日本文化を踏まえた作品とがあり、それらは題材別にカテゴライズされるように思えました。そこで、似たような題材の作品を二点、あるいは、三点取り上げ、類別してご紹介していくことにしましょう。

〇「心のサマン」(2014年)と「満洲之夢」(2013年)
 満洲の魂とでもいえるような心情がしなやかに作品化されていたのが、「心のサマン」と「満洲之夢」というタイトルの作品でした。どちらも画面に満洲文字が描き込まれており、それが画面に奥行きを与え、微妙な陰影を醸し出していました。そのせいでしょうか、心の奥深いところで画面に引き付けられ、気持ちが揺さぶられました。

 たとえば、「心のサマン」を見てみましょう。私がもっとも惹かれた作品です。

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 真ん中に壺に入れられた蓮の葉が描かれ、その周囲には無数のヒトといわず、動物といわず、この世のさまざまなものが判然としない形態で描かれています。中には仏像のように見えるものがあったので、暁文氏に尋ねると、仏像ではなくヒトだといいます。満洲文化には仏像はなく、満洲人はあらゆるものに神が宿り、至る所に神がいると考えるのだそうです。

 それを聞いて、再び作品を見ると、蓮の葉を取り巻くように描かれた無数のヒトや動物、モノ、文字のひとつひとつに、尊い命が宿っているように思えてきます。実際、それらのいくつかには部分的に金が使われ、光り輝いて見えます。精霊が宿っているのでしょうか。光に照らされた部分が神々しく見えます。ちなみに背後に描かれている数多くの文字は満洲文字で、祈りの言葉が書かれているそうです。

 そういえば、「心の中のサマン」というのがこの作品のタイトルでした。サマン(薩満)は英語でいえばシャーマンですから、作者の心の中のシャーマンが、記憶の底に眠る満洲のヒトやモノ、土地、文化を呼び起こそうとしているのでしょう。作者の思いがひしひしと伝わってきて、観客の心を強く打ちます。

 同じように植物をメインの題材にし、祈る心を表現したのが「満洲之夢」です。

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 画面中央に大きな花が二つ、上下で描かれています。この花の名前を知りたくて暁文氏に尋ねたのですが、私が「サボン」と聞き間違えてしまったせいで、帰宅してからネットで調べてみても、描かれた花の形状と合うものは見つかりませんでした。ただ、「夜、綺麗に咲く」と言われたことを思い出し、それを手掛かりに検索してみると、この花がサボテンの花だということがわかりました。満洲蘭ともいうそうです。

 作品に戻ってみましょう。

 海のように深い暗緑色に所々、濃い紫色を交えた背景に、白いサボテンの花が二つ、周囲から浮き上がって見えます。夜花開くという妖艶な美しさが際立っていましたが、根が失われているかのように勢いがなく、うなだれているようにも見えました。満洲蘭といえば満洲の国章でもあります。ひょっとしたら、暁文氏は、この花に満洲文化の現状を重ね合わせて描いたのかもしれません。

 中央の二つの花を取り巻くようにして、短い満洲文字がいくつも、垂直に書かれています。暁文氏に尋ねると、どれも祈りの言葉なのだそうです。そうだとすれば、いまにも消えかかりそうなサボテンの花(満洲文化)の蘇生を願い、祈る気持ちを表現しようとしたのでしょうか。

 一目で満洲文化由来だとわかる作品もありました。

〇「奉霊図」(1990年)と「満州人の太鼓踊」(1990年)
 切り絵風にデザインされた作品として興味深く思ったのが、「奉霊図」と「満州人の太鼓踊」でした。残念ながら、この二つの作品の来歴についてはうっかり暁文氏に聞きそびれてしまいました。感じたことを中心に綴っていくことにしましょう。

 まず、「奉霊図」から見ていくことにしましょう。

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 暁文氏に尋ねることができませんでしたので、この作品にどのような意味が込められているのかはわかりません。ただ、切り絵風にデザインされていますし、満洲文字が周囲に散りばめられていますから、この作品にもきっと、祈りの気持ちが込められているのでしょう。

 中国の伝統的な民間芸術といわれるのが切り絵です。その切り絵風にデザインされ、構成されたモチーフは装飾的で、工芸品の絵柄のようにも見えます。色彩に注目すると、真ん中の模様部分が白く明るく、左右、下方に黄色が散っています。そのせいか、この部分が膨らんで見え、まるで心臓のように、周囲に血液を送っているように見えます。所々、明るい黄色で着色された部分は血流に見えなくもありません。そのように見てくると、満洲文化はまだ生きていることが表現されているように思えてきます。

 そういえば、この作品のタイトルは「奉霊図」でした。「奉霊」という言葉には祖霊を祀る気持ちが込められています。そのことを考え合わせると、この作品には、消えかかっている満洲文化がまだ生き長らえており、いつかはきっと再生させるという暁文氏の思いが投影されているように見えます。

 さて、具体的に満洲の民族文化が描かれているのが、「満州人の太鼓踊」でした。

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 満洲人の民間芸能が描かれています。切り絵の手法で描かれているせいか、装飾的な美しさ、色彩のバランスの良さが印象的です。二人の女性が笑顔をこちらに向けて、小さな太鼓を叩きながら、踊っています。その背後の画面にはさり気なく、さまざまな満洲文字が書き込まれています。「奉霊図」とは違って、漢字も書かれているのが興味深く思えました。中国が実は多民族社会で、かつて満州族が支配した時期もあったことに気づかされます。

〇「故郷の山茶花」(2005年)と「雪つばき」(2017年)
 細密に描かれた工筆画として印象深かったのが、「故郷の山茶花」と「雪つばき」でした。いずれも、精密な描写の中に花弁と葉の嫋やかな優雅さが表現されています。

 優雅さと上品さが際立っていて印象的だったのが、「故郷の山茶花」でした。

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 左下から右上にかけての対角線上に、山茶花の花弁、葉、枝が伸びやかに描かれています。上に伸びる葉は画面を突き抜けるように描かれ、勢いの良さが表現されています。その一方で、左下には小さく伸びた枝に小さな葉と蕾がしっかりと描かれ、安定感が示されています。画面の対角線上に絶妙なバランスで花、葉、枝が配置され、山茶花の華やぎが感じられます。

 この絵を見たとき、私はまず、この構図に引かれました。山茶花の美しさがさまざまな局面から余すところなく捉えられていると思ったからでした。さらに、微妙なグラデーションで表現された花弁の色調、葉の形状とその表裏に刻まれた陰影、花芯の雄しべ、雌しべの繊細で細かな表情、それぞれの表現が精密で、嫋やかな風情が醸し出されており、引き込まれました。

 よく見ると、モチーフの背景には、色調を抑えた山茶花の花がいくつも描かれています。淡い色調で描かれた花々が背景の中に持ち込まれることによって、モチーフの山茶花が浮き上がって見えます。さり気なく、複層的にモチーフを強調する効果がもたらされているのです。そのせいか、画面全体から、余韻のある美しさとしっとりとした味わいを感じさせられました。

 日本的情緒が感じられたのが、「雪つばき」でした。

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 雪の重みで垂れ下がった葉や小枝に、雪がなおも降り続いています。冬の日、誰もがいつかは目にしたことのある光景です。そぼ降る雪の描き方が丁寧で、まるで目の前で雪が降っているような錯覚すら覚えます。ちらつく雪片の影でひっそりと花開いた椿の花が、なんと鮮やかで、華やかなことでしょう。日本の冬の日の光景が詩情を込めて捉えられています。

〇「秋韵二」(2017年)、「秋韵五」(2017年)、「秋韵四」(2018年)
 日本の自然を捉え、季節の叙情が見事に表現されているのが、「秋韵」シリーズの作品です。「秋韵」がどういう意味がよくわからなかったので百科で調べてみると、「秋韵犹秋声」と説明されていました。そこで、中国語の辞書でこの文章の意味を調べると、「秋の自然界の音声を指す。たとえば、風の音、落ち葉の音、虫の声」となります。結局、「秋韵」は風雅な秋の音色全般を指す言葉なのでしょう。

 まず、「秋韵二」から見ていくことにしましょう。

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 紅葉したもみじの葉が画面いっぱいに描かれており、その左側の背後には太陽が淡い色調で描かれています。その対極にある右側は幅広く、やや暗い色調で覆われているので、ぼんやりとした太陽が印象づけられます。

 何枚も重なりあった紅葉したもみじの葉陰から、遠慮がちに姿を現している太陽がいかにも秋らしい、静かな奥ゆかしさを感じさせます。微妙な濃淡を創り、色調を変え、形状を変え、それぞれの葉を描き分けることによって、何枚ものもみじの葉がささやいているようにも見えます。まるで秋の日に奏でられたシンフォニーのようです。

 「秋韵五」では木に登る猫が描かれています。

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 この作品は工筆画法で描かれており、猫の毛並み、枝、そして、画面からはみ出してしまうほどの太い幹の描き方が秀逸です。左側には一部紅葉した葉をつけた枝が、垂れ下がっているせいか、風にそよいでいるような動きが感じられます。右側からも同じような葉と小枝が姿をのぞかせています。とてもバランスのいい構成で、植物と動物、静と動の組み合わせの妙が感じられます。

 尻尾を立て、下を見下ろす猫の表情、姿態はまるで生きているようです。揺れ動いているように見える垂れ下がった小枝と伸びた葉、そして、下を見下ろしている猫が「動」を表現しているとするなら、猫が乗っている中ぐらいの太さの枝と、右側の太い枝は「静」を表しています。中ぐらいの枝も太い幹も細部まで描き込まれてはいません。静と動、そして、疎と密のバランスよく、画面に安定感があります。動物と植物が共に生き生きと表現されており、秋の日の光景が詩情豊かに捉えられています。

 「秋韵四」でも、猫が描かれています。

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 先ほどご紹介した作品と同じように、猫を克明に描きながらも、こちらはやや抽象的な作風です。興味深いことに暁文氏は、紅葉したもみじは葉だけをあしらい、猫もまた本体だけを取り上げ、描いています。モチーフはリアルに描きながら、そのリアリティを支える背景は描いていないのです。

 とはいえ、もみじを見つめる猫の表情のなんと可愛いことでしょう。この作品はモチーフをリアルに描きながらも、リアリティを生み出す要素を切り離したために、現実感が希薄です。その結果、もみじの葉をまるでお手玉のようにして遊ぶ猫の可愛らしさを引き出すことに成功しています。この作品には、背景的要素を切り離して描く日本画の特徴がみられるといっていいのかもしれません。

 ここでは取り上げませんでしたが、「秋韵一」「秋韵三」は、紅葉したもみじの木を前面に大きく打ち出した構図の作品でした。一連の「秋韵」シリーズでは、もみじの木、紅葉したもみじの木と太陽、あるいは、もみじの葉と猫、などが題材として扱われ、日本の秋の光景がやさしく、詩情豊かに表現されていました。

 こうしてみてくると、暁文氏はまず、さまざまな題材の中に、満洲人が積み上げてきた精神の歴史、心の遍歴を表現しようとしていることがわかります。その一方で、季節との関わりの中で日本の光景を取り上げ、自然を愛しんできた日本人の心情をしっとりと謳いあげます。

 満洲人であれ、日本人であれ、心の奥底でつながりあえるベースとなる自然、その自然の背後にある精霊、あるいは、それら一切合切を包み込む時空、その種の目に見えない世界が表現されているようでした。心の奥深いところで気持ちが揺すぶられるような思いがします。

 一方、溝口墨道氏の作品は、中国で見かけたさまざまな光景を墨人画の技法で描かれていました。

■中国百態シリーズ
 中国百態シリーズとして展示されていた墨人画のうち、印象に残った作品をご紹介していくことにしましょう。一連の作品には作品にまつわる文章がそれぞれ別途、絵の下に掲示されていました。

〇「上海航路の客船で、海が荒れたら日本人と中国人が二通りの様子になった」
 まず、「上海航路の客船で、海が荒れたら日本人と中国人が二通りの様子になった」というタイトルの作品を見てみましょう。

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 この作品では二十数年前、墨道氏が上海航路の客船で遭遇した出来事が描かれています。まず、この絵の下に掲示された説明文には以下のように書かれていました。

****
 ある時私は中国の研修生とおもわれる大勢の若い女性の団体と日本行きの船で一緒になった。彼女らは恥じえての日本行きで興奮気味でにぎやかに船のあちこちで話す風景が見られ、存在感では日本人を圧倒していた。
 翌日になると海が少し荒れ歩く時も右に左に揺られながら壁を伝うような有様だった。彼女らの様子を見て驚いた。全員が横になりまるでこの世の終わりかのように呻きながら船酔いで苦しんでいる。一方日本人はと言うと笑いながら「揺れますね」などと挨拶し食事もしている。
****   (該当箇所を引用)

 このような説明を読んでから改めて作品を見ると、なるほどそういうことかと思わせられます。

 画面中ほどの右側には、壁を伝い、ガニ股になってバランスを取りながら歩いている二人の人物が描かれています。同じライン上の左側には、仰向けになったり、横向きになったり、膝を抱えて座り込んでいる女性たちの姿が描かれています。荒れる上海航路の船上で見かけた中国人女性たちの反応がさまざまに捉えられているのです。

 絵は一般的には写真と同様、時間と場所を特定した出来事しか表現できません。ですから、画面で描かれた時空以外の情報を、説明文から得ることによって、解釈に厚みと深みが出てきます。

 たとえば、説明文では「彼女らは初めての日本行で興奮気味に賑やかに船のあちこちで話す風景が見られ、存在感では(同乗した)日本人を圧倒していた」と書かれています。海が荒れる以前、若い中国女性の一団がいかに元気よく賑やかだったか、この文面から容易に想像することができます。

 ところが、いったん海が荒れると一転して、絵で表現されたような有様になってしまいます。それが墨画で端的に表現されています。墨道氏はこれについて、「この時日本人には遺伝的に海洋民族の祖先を持っており、中国の内陸部から来た彼女らの祖先は海に出たことがないからその遺伝がないのだと直感した」と結論づけています。

 墨道氏がかつて目にした光景が墨人画で表現され、それに説明文が加えられることによって、時間空間の広がりが生み出されました。その結果、抽象化された一枚の絵から日中文化論を引き出すことができているといえます。

 そういえば、東北大震災の際、日本にいた中国人は恐怖におののき我先に逃げ出したという報道を読んだことがあります。一方、日本人は大震災、それに継いで大津波にも襲われながら、秩序を乱すことなく平然と救援を待っていたという報道を思い出しました。

 墨道氏が経験したことと同様、危機に際した日本人の行動は日本文化の一環として捉えることができるのかもしれません。

〇「大学生が大学の外の人々を下に見る」
 さて、「大学生が大学の外の人々を下に見る」というタイトルの絵も興味深い作品でした。

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 まず、絵の下に掲示された説明文を読んでみましょう。

****
 中国は、科挙に受かった筆を武器とする文人官僚が国を運営してきたので、刀を差した武士が国を運営してきた日本とは、社会が全く違う。現在でも画家・書家の社会的地位は、日本のそれとは比較にならないほど高い。(中略)
私が留学した芸大は、専攻分野では全国トップで千倍以上の倍率を勝ち抜いて入ったから、私から見れば普通の若い画学生に見えた彼らは正真正銘のエリートだった。
 そんな彼らの一人が、ある日校門の外を忙しく行き来する庶民を見ながら私に「彼らはずうっとああなんだよな」と少し笑いながら言った。私は少年のような彼が、悪気なく、一般大衆を一まとめにして自己とは違った階層とすることに少し驚いた。
****  (該当箇所を引用)

 説明を読んでから、上の作品を改めて見ると、状況がよくわかります。
画面の遠景には、開いた校門前を荷車を引く者、人力車をこぐ者、荷物を持ち俯き加減に歩く者など、いわゆる生活に追われた庶民が歩いています。生きるために労働力を提供せざるを得ない人々でしょう。そして、近景では、校門前を行き来する人々を見て何やら話し合う二人の人物が描かれています。

 画面を三等分し、上からほぼ三分の一のラインに小さく、コマネズミのように働かないと生きていけない人々を描き、そして近景にはエリート層の大学生を配置し、社会を構成する二つの階級を描き分けています。校門を一つの境界として、社会には二つの階層が存在していることを示唆しているのです。そして、支配する者の側に立つ学生の言葉として、「彼らはずっとああなんだよな」という言葉を添えています。つまり、支配層、被支配層に二分化された社会構造は今後も続くことが示唆されているのです。

 墨道氏は「日本では大学の外にいる人を別の階層と感じる学生はいないと思う。支配者と非支配者が厳然と分かれる体制の根は深くなかなか変わらないだろう」と記しています。

 中国の階層化された社会構造はかつての科挙制度の遺産でもあり、今後もなくなることはないのかもしれません。校門の外が大勢なの対し、内側はたった二人です。この作品は、少数の優秀な人々が大多数の無知な人々を支配する社会構造を可視化したといっていいでしょう。

 この作品を見て私は、中国の知識人がよく「读书人」と言ったり、「书面语」あるいは「口语」と言ったりするのを思い出しました。科挙制度の痕跡なのでしょうか、読書階級(知識人)とそうではない人々をはっきりと二分し、使用言語についても微妙な線引きがあることを思い出したのです。

〇「公平」を唱えるのはダメ人間
 そういえば、「「公平」を唱えるのはダメ人間」というタイトルの作品がありました。

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 まず、説明文を読んでみましょう。

****
 留学時代、住宅地に住んでいたが、近くの卵屋には沢山の卵が積まれていた。
 日本のように生産日、消費期限が管理されていないので、どの様に売っていたのであろうか。
 私は通りすがりの一見には古いものを高く、地域住民には普通のものを定価で、近所の常連客には新鮮なものを安く、友人家族には新鮮なものを無料で、というようにしているのではないかと見ていた。
**** (該当箇所を引用)

 この説明文を読んでから、改めてこの絵を見ると、卵がいっぱい詰まった箱を両側に置いて、男が首をかしげた様子が気になります。同じ商品なら誰に対しても同じ値段で売るのなら悩むこともないのでしょうが、卵の新鮮度という変数、そして、買い手との関係性という変数を考え合わせた上で、値段を設定するのはどれほど大変なことでしょう。男は首をかしげ悩んでいるように見えますが、それも無理はありません。買い手にはすべて定価で売る場合より、損をする可能性もあるのでは・・・、とも思ってしまいます。

 墨道氏はこれについて、「中国では「平等・公平」に慣れた我々日本人には理解しがたい状況が日々進行している。全てが個人の交渉力、情報力、財力、地位、友人の多さ等で流動的に決まっていく。(中略)「何々すべき」「こうあるべき」などは最も用をなさないのが中国社会である」と結論づけています。

 これを読んで、私はふと、かつて読んだ『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(マックス・ヴェーバー)を思い出しました。簡単にいうと、プロテスタンティズムが生み出した勤勉の精神や合理主義は、近代的、合理的な資本主義の精神に適合し、近代資本主義を誕生させたというのです。

 このような見方を敷衍すれば、なぜアジアで日本だけが近代資本主義を発達させることができたかということの説明がつきます。近代化以前に節約、勤勉を重視する生活価値観が育まれ、一部合理的精神も芽生えていた日本社会は、近代的資本主義が必要とする精神をすでに持ち合わせていたということになるからです。

 一方でこの見方は、利にさとく、商売上手に見える中国でなぜ近代資本主義が発達しなかったのかという疑問への回答にもなります。誰に対しても同じ値段で同じ品質のものを販売することのない中国社会では、信頼をベースとする経済活動が成立しないからです。

 以上、展示されていた作品のうち、ご紹介できたのはわずか3作品ですが、いずれも墨道氏が留学時代に日常生活で経験した光景を描いたものでした。ちょっとした生活の断片にも中国文化の一端がしっかりと捉えられており、興味深いものがありました。

■墨人画
 墨道氏は2004年にこの墨人画法を開発したといいます。1990年に水墨画を極めるために中国に留学した墨道氏は、本科生から大学院まで中国美術学院で学び、研究しました。帰国してさらに水墨画を極めた結果、開発したのが今回、展示されていた墨人画です。水墨画の歴史、技法を踏まえ、独自の世界を創り上げるために開発したのが、この墨人画技法だったのです。

 墨道氏は水墨画の真髄は美学にあるといいます。それは構図の妙であり、下描きをせず一気に描くという瞬発力によって生み出されます。たしかに墨道氏の手掛けた墨人画は構図の妙が際立っていました。モチーフに何を選び、どのようなサイズで、どの位置に配置するか、あらかじめ頭の中で練り上げられていたからでしょう。

 たとえば、先ほどご紹介した「大学生が大学の外の人々を下に見る」の場合、遠景に小さく校門とその前を行きかう人々(労働者)、そして、近景には二人の人物の立ち姿(大学生)がやや大きく描かれていました。いってみれば遠近法によって、あちら側とこちら側が明確に区別されているといえるでしょう。

 大きな白い余白の中に、モチーフだけが影絵のように黒く描かれています。それも濃淡のない黒のベタ塗りですから、ヒトやモノの形状は明確になります。荷車を引く者、人力車をこぐ者、荷物を抱えて運ぶ者、それぞれの労働の形態が端的に表現されています。一方、手前の二人はズボンのポケットに手を入れて立ち、校門辺りを指さしながら、余裕のある姿勢を見せています。いずれも黒一色で描かれ、余分な情報が削ぎ取られているせいか、モチーフの所作、振舞いがダイレクトに伝わってきます。一見して、余裕なく働く人々と知識階級に属する人々との差異が明らかで、メッセージ性の強い画面構成になっているのです。

 興味深いことに、背景には何も描かれず、モチーフに付随するはずの影すらありません。ところが、観客は大きな余白に地面を感じ、空を感じ、空気を感じ、話し声すら感じて、描かれたモチーフの実在を感じ取ります。さらに見続けていると、やがて、それら一切が消失し、モチーフが放つエッセンスだけが残っていきます。大きな余白と黒一色で描かれたモチーフがもたらす効果でしょうか。

 墨道氏は『墨人画』という小冊子の中で、以下のように書いています。

****
 東洋絵画では、西欧絵画で単なる「描き残し」とされる「余白」が重視され、絵の重要な構成要部として積極的に扱われてきた。「余白」とは主題を際立たせる為とか、画家の稚拙さのための失敗ということでは決してなく、何かが描かれている部分と同等で、知覚・知識では捉えられないものを正しい方法(何も手を加えず心でしっかりと感じる)で絵の構成要素とする行為なのである。そこでは絵の具の厚みや遠近法に依らない二次元、三次元以上の高次元の豊富な内容が存在している。
****

 これを読んで、私が最近、ぼんやりと感じていたことが明確になってきたような気がしました。絵画の世界ではリアルに見えるための技法がこれまで積み重ねられてきましたが、カメラが登場して以来、写実的に描くことに意味が感じられなくなりました。どのようなフィルターを通してモチーフを表現するかにエネルギーが注がれてきましたが、それもまた意味をなさなくなりつつあります。

 墨道氏の墨人画を見ていて、何か新しい表現の地平が切り拓かれているような気がしたのは、おそらく、余白、すなわち、無の中にこそ存在するものに目を向ける試みが新鮮に感じられたからかもしれません。
 
■民族文化を踏まえ、新たな表現の時空への誘い
 暁文氏の展示作品は、これまでご紹介してきたように、満洲文化、満洲民族文化に属するもの、日本文化を感じさせるものに類別されるでしょう。満洲で生まれ育ち、結婚を機に日本で暮らし始めた来歴が諸作品にそのまま反映されていたといえます。満洲人の精神、満洲を具体的に表象する文化、そして、日本文化が自然との関わりの中で奏でる情緒、それぞれが卓越した技法の下、見事に作品化されており、感心しました。

 一方、墨道氏の展示作品は、中国で学んだ水墨画を発展させて独自の画法である墨人画を開発し、中国の日常生活で垣間見えた光景の数々を捉えたものでした。抽象化され、洗練された技法だからこそ表現できる中国文化の一端が見事に捉えられていました。情報が氾濫する現代社会だからこそ、黒一色と余白で構成される墨人画の魅力が引き立つように思います。

 今回、溝口墨道氏と暁文氏ご夫妻の展覧会に参加させていただき、絵画が表現できる世界の広がりを感じさせられました。満洲、中国、日本の文化を踏まえ、新たな表現の時空に誘われているような気になりました。お二人の今後のご活躍を期待したいと思います。(2018/11/4 香取淳子)

次世代医療イノベーション@Hitachi Social Innovation Forum 2018に参加し、考えてみた。

■次世代医療イノベーション
 2018年10月18日と19日、東京国際フォーラムで「Hitachi Social Innovation Forum 2018」が開催されました。さまざまな社会イノベーションにちなんだ特別講演、特別対談、ビジネスセッション、セミナーなどが開催される一方、展示会場では日立が推進する7ジャンルのイノベーションが紹介されていました。

 たとえば、「デジタルとデータが牽引するヘルスケア・イノベーション」の展示コーナーでは、参加者が群がるようにしてスタッフからの説明を聞いていました。

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 展示コーナーを見てから、会場ホールに向かいましたが、途中、階下で参加者たちが展示コーナーを歩き回っているのが見えました。展示会場では興味深い社会イノベーションがいくつも紹介されており、それだけで未来社会の一端を窺い知ることができるような気になります。

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 私は、19日の午後(13:30 ~15:00)開催されるビジネスセッション「データが拓く次世代医療イノベーション」を聞きたくて、このフォーラムに参加しました。

 というのも私は日頃、iPhoneを身につけていますが、それだけで、歩数、距離数、登った階段数、睡眠時間などがわかります。歩数計を持ち歩かず、自分でなんらかの作業をすることもなく、ただ身につけているだけで、それだけのことがわかるのです。ですから、ヘルスのアプリを見て、歩数が少ないときはもっと歩こうという気になります。数字の力は大きく、いつの間にか、一定量の歩数になるまで歩く習慣ができてしまいました。運動が苦手の私にとってはiPhoneが一種の健康管理の役割を果たしてくれているといってもいいでしょう。このような経験がありましたから、このビジネスセッションの「データが拓く次世代イノベーション」というタイトルに引かれたのです。

 このセッションの登壇者は、(株)インテグリティ・ヘルスケア代表取締役・医療法人団鉄祐会理事長の武藤真祐氏、順天堂大学医学部放射線診断教室準教授の隈丸加奈子氏、日立製作所ヘルスケアビジネスユニットCEOの渡部眞也氏、そして、モデレーターは日経BP総研メディカルラボ所長の藤井省吾氏でした。

こちら →
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 知らないことも多かったので、調べながら、ご紹介していくことにしましょう。

 モデレーターの藤井氏は、2018年は医療が大きく変化する年になるだろうと指摘します。というのも、診療報酬が改訂されたり、「次世代医療基盤法」が施行されたりしたからでした。まず、2018年4月1日に診療報酬が改訂され、オンライン診療報酬が新設されました。

こちら →
https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10801000-Iseikyoku-Soumuka/0000201789.pdf

 そして、2018年5月11日には「次世代医療基盤法」が施行され、取り扱い業者を規定した上で、匿名化した情報を医療ビッグデータとして扱えるようになりました。

こちら →
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kenkouiryou/jisedai_kiban/pdf/h3005_sankou.pdf

 医療でのICT利活用に関する制度が立て続けに整備されたのです。もちろん、施行後の状況を見てガイドラインは毎年改訂されるようですが、この状況を見ると、確かに、2018年は医療変革のエポックメーキングの年になるといっていいのかもしれません。

 それでは、このような現状について、登壇者たちはどのように捉えているのでしょうか。

■ICTとの関わり
 早期にオンライン診療を手掛け、現在、オンライン診療プラットフォーム事業者インテグリティ・ヘルスケア会長でもある武藤氏は、これからの医療システムは、①患者の行動変容を主眼とした治療、②日常生活への早期介入、重症化予防、③患者が参画する医療、といった具合に変化していくといいます。

武藤真祐氏
 武藤氏は、疾病構造の変化に伴い、今後は、患者個人にフォーカスした医療が必要になってくるという立場です。ICTを活用すれば、問診、モニタリング、食事の記録、一元化されたビュー、予約・ビデオチャット、お知らせ機能を介した患者とのコミュニケーション、等々を通して個別対応が可能になり、より的確な疾病管理ができるようになるといいます。つまり、「かかりつけ医」の機能をICTで強化するわけですが、これを1年前に福岡市で実証を開始した結果、実際に治療につなげることができ、予防と治療をつなげる効果も得られたそうです。

隈丸加奈子氏
 隈丸氏は、日本は諸外国に比べ、画像検査は進んでいるが、まだ問題点は数多くあるといいます。たとえば、人口当りの検査機関の多さは世界一なのに、放射線科医は少ないのが現状で、最低でもこの2.09倍は必要なのだそうです。さらに、日本では検査はポジティブに捉えられやすく、ネガティブな側面は見逃されがちになっている。そのせいか、無駄な検査や過剰な検査が多く、身体に悪影響を及ぼしかねない上に、医療費増加の原因になっていると指摘します。

 その解決策として隈丸氏は、画像検査の領域ではAIが進んでいるので、National data baseを構築し、医療者の患者情報へのアクセスを強化することができれば、検査の重複を避け適切で有効な検査ができるようになると提案します。これを推進するには、有効な検査を行った医療者には高い報酬を支払うようにする必要があるといい、AIを介した深い診断には期待がもてると述べます。

渡部眞也氏
 渡部氏は、これからは健康寿命延伸が大きな課題になるとし、データが医療イノベーションを牽引するようになるといいます。たとえば、がんゲノムの場合、がんセンターを中心にデータを収集し、それらのがんゲノムデータを利活用すれば、個別化医療も可能になると指摘します。また、シーケンスコストの下落がゲノム解析をしやすくしたといい、いずれの場合もデータが大きな役割を果たしていることを指摘します。データは医療の安全性向上、診断や検査法の開発、治療薬の開発などさまざまな領域で貢献するようになりますが、使用に際しては、個人情報をどのように匿名化するかが重要だと指摘します。これについてはOpt-in、Opt-outを基準に取り組むようになるだろうといいます。

 さらに、AIロボットは現在、脳ドックにおいてベテラン医師と同等の結果を出しているとし、いかに質のいいデータでdeep-learningにつなげていくかが大切だといいます。ところが、メーカーは学会のデータを使うことはできないので質のデータの利用ができない、データはもっとオープンにし、利活用しやすいようにしてもらいたいといいます。そして、人口500万人のデンマークでは個人データが紐づけされて収集されており、その利活用を通して成果を上げているが、人口1億2000万人の日本でどのように実装していくかが課題だと指摘します。

■課題は何か
 オンライン診療を手掛けてきた武藤氏は、今年新設されたオンライン診療の保険点数が対面診療よりも低く、しかも制約が課せられているので、なかなか導入が進まないといいます。現場でどう使えばわからない、あるいは、誤診への懸念などから厳しい制約が課せられたのだと思われるが、ガイドラインは毎年改訂されるし、ニーズはあるので、オンライン診療は今後、広がっていくと展望します。そして、社会的ニーズの高いオンライン診療を今後、推進していくには、リアルな医療とサイバー医療とのマッチングについて社会実験をし、適切で有効な組み合わせを考えていくのが、今後の課題だといいます。

 渡部氏は、リアルな医療データは利活用によって新しい資源になるが、現実にはいろんな課題があるといいます。まず、データ収集における課題、現段階では匿名で対処しようとしているがまだ議論が必要だといいます。一方、医療現場ではデータが共有されていないことが多く、今後はデータを利活用することのメリットを提示し、現場とメーカーとの距離を縮めていく必要があるといいます。

 隈丸氏は、データ共有化の問題にはシステムの問題、ヒトとヒトとの問題があるとした上で、ビッグデータ前のデータ化の課題については、システムの改善によって解決できるのではないかと指摘します。

■医療イノベーションは健康寿命の延伸に寄与できるのか
 武藤氏は、オンライン診療は予防から治療まで対応できるとし、とくに、ビッグデータを分析すると一定の確率で疾病がどのように発症するかということを確認することができるので、患者に対して説得力のある治療方法を提示できるし、個別にアドバイスできるので適切な予防や治療ができるといいます。

 隈丸氏は、AIによる画像診断には、①検査の診断精度の向上に寄与、②画像診断をベースとした早期診断が可能、③現在は特化型AIだが、多機能型AIを開発できれば、さらに有効な診断が可能、等々のメリットがあることを指摘し、AIが果たす役割に期待できるといいます。

 渡部氏は今後、健康増進、予防、治療などに総合的に対応していく必要があるとし、地域包括ケアの重要性を指摘します。その基盤になるのが情報の共有なので、家庭でも健康づくりができるといいます。たとえば、バイタルセンサーを通して生活の中から情報が得られる仕組み、それをセンターに送信して処置がフィードバックされれば、住居が健康をつくるツールとして考えることもできます。各所から収集されたビッグデータにはヘルスキュレーターを置いて、新しい発見があれば、その都度、公開していくのが望ましく、医療ビッグデータは国民の共通財産として取り組む必要があるといいます。

 最後に、登壇者3人から医療イノベーションについてのコメントが述べられました。

 武藤氏は「既存の医学が病院の外に開放されつつあり、患者の望むケアが可能になる時代になりつつある」とし、隈丸氏は「適切な検査利用のためのデータ利活用を推進し、企業やさまざまなプレイヤーとデータを共有し、よりよい出口戦略をめざす」とし、渡部氏は「データにはステークホルダーが多いが、議論しながら実装していくこと、現場の課題を踏まえスタートすることが必要」と述べられました。

 登壇者はそれぞれ最先端で、オンライン診療、AIを活用した検査、ビッグデータを活用した包括ケアに取り組んでおられました。それだけに指摘されたポイントはなるほどと合点がいくものばかりでした。

■社会ニーズと行政
 総務省は「Society5.0に向けた戦略分野」として「健康寿命の延伸」をトップに掲げ、以下のような医療ICT政策を起案しています。

こちら →http://www.soumu.go.jp/main_content/000518773.pdf

 今回のセッションは、「技術革新を活用し、健康管理と病気・介護予防、自立支援に軸足を置いた 新しい健康・医療・介護システムの構築」を目指して実践する方々を登壇者に迎えて展開されました。医療機関、大学、メーカーの立場からそれぞれ、現状を踏まえた論点が提供されたのがよかったと思います。登壇者のお話をうかがいながら、「産学官民が一体となって健康維持・増進の取組」の一端が見えてきたような気がしました。

 ところが、10月20日の日経新聞で、「オンライン診療導入1%どまり」という見出しの記事を目にしました。4月に保険適用が始まったのに、半年を経た現在、オンライン診療の導入が進んでいないという内容の記事でした。医療機関全体の1%ほどしかオンライン診療の届け出を提出していないというのです。

 記事では、保険適用になったのに導入が進まない理由として、厚生労働省がオンライン診療の対象者として糖尿病などの慢性疾患に限定し、オンライン診療にすれば便利になると思われる病気の患者を対象から外したからだとしています。

 オンラインで保険診療が可能になる病気と、保険適用にはならないが、オンライン診療が有効だとされている病気は、以下の通りです。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。日経新聞2018年10月20日付)

 2015年8月以来、事実上認められてきた病気のオンライン診療も、2018年4月のオンライン診療の保険適用新設に際して扱いが区別され、上記のような慢性疾患だけに限定されました。対象外となった疾患の患者はがっかりしていると記事には書かれています。それだけではありません。オンライン診療でも最初の診療は対面診療が義務付けられ、対象は原則として約30分以内に通院できる患者に限定されました。オンライン診療は対面診療の補完的な位置づけでしかないことが明らかになったのです。しかも、診療報酬は対面よりも安価です。これでは医療機関の意欲を削ぐのも当然でしょう。

 保険適用を新設し、オンライン診療に向けて制度整備をしたはずなのに、施行後半年を経て、すでに取り組んでいた医療機関でもオンライン診療を取りやめるケースが増えてきているそうです。運用ルールが細かく指定され、手軽に受診できることが利点のはずのオンライン診療がニーズのある人に利用してもらえないという矛盾が出てきているのです。

 シードプランニングによる市場予測では、今後2025年までに急速に伸びるのが保険適用のオンライン診療と自由診療のオンライン診療だと予測されています。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。
https://www.seedplanning.co.jp/press/2018/2018072501.htmlより)

 2025年には団塊の世代が後期高齢者になり、高齢人口が増えるとともに、医療費も増大します。

こちら →
https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/kaigo_koureisha/chiiki-houkatsu/dl/link1-1.pdf

 2025年といえば後わずか7年後、いまのままの医療体制で対応しきれるのでしょうか。この図を見ていると、シードプランニングが予測しているように、保険診療であれ、自由診療であれ、今後、オンラインが急増するのは当然だという気がしてきました。AIを活用した予防、治療をはじめ、医療現場のニーズに対応したさまざまなイノベーションが立ち上がってくる必要があるでしょう。

 行政はむしろ医療イノベーションを積極的に後押しする覚悟で臨む必要があるのでしょうが、今年4月、5月に行政によって制度整備された枠組みはそれとは逆に水を差すようなものでした。先ほどご紹介した日経新聞の記事によれば、オンライン診療を取り止めたケースもみられるといいます。

 私は日頃、スマホで健康管理ができるのを有難く思っています。それで、今回のセッションに参加したのですが、登壇者のお話を聞いて、産官学でさまざまな医療イノベーションが実践されていることを知り、頼もしく思いました。帰宅し、いろいろ調べた結果、人口構成の面でも技術革新の面でも現在、大きな変革期を迎えていることがわかりました。さまざまなデータを見ているうちに、高齢人口の増大がもたらす社会的デメリットは、きっと技術革新によって解消できるはずだと思うようになりました。

 高齢先進国日本がどのように高齢化のもたらす課題に対応していくか、その模索の過程で発見したさまざまな知見はそのまま世界のモデルになっていくでしょう。すでに大勢のヒトが医療イノベーションに取り組んでおられると思いますが、社会的課題の解決が今度の大きなビジネスにもなることを思えば、AIの活用、ICTの活用等による斬新なアイデアの芽を摘まないように、適切な制度整備をしていく必要があるのではないかという気がしました。(2018/10/22 香取淳子)

「ルーベンス展」に見る、生、老、死

■ルーベンス展の開催
 国立西洋美術館でいま、ルーベンス展が開催されています。開催期間は2018年10月16日から2019年1月20日までですが、友達に誘われ、10月18日に行ってきました。会場には第1から第7までのコーナーが設けられ、ベルギー生まれのルーベンスがいかにイタリアの美術作品から着想を得たのか、あるいは影響を与えたのか、といった観点から展覧会が構成されていました。

こちら →http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2018rubens.html

 ルーベンス(Peter Paul Rubens、1577-1640)は、ベルギーのアントウェルペンという町で工房を持ち、制作活動をしていましたが、若いころ数年間イタリアに滞在し、古代彫刻やルネッサンス期の美術、カラバッジョらの美術の影響を受けて、自身の表現技法を確立したといわれています。ですから、この会場にはルーベンスの作品や古代美術、イタリアの画家たちの作品など、計70点が展示されていましたが、必ずしも年代順に展示されていたわけではありません。

 さて、「ルーベンスの世界」と題された第1コーナーでは、「クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像」(1615-16年)、「眠るふたりの子供」(1612-13年)といった見覚えのある作品が展示されていました。どちらも国立西洋美術館の常設展で見たように記憶していたのですが、どういうわけか、「クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像」の方はリヒテンシュタイン侯爵家のコレクションになっていました。

■子供の顔
 常設展ではじめて、この「眠るふたりの子供」を見たとき、そのあどけなさに引き込まれ、しばらく見入ってしまったことを思い出します。今回、改めて見て、子供の情景が的確に捉えられ、その本質が完璧なまでに表現されていることに感心しました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。国立西洋美術館蔵)

 赤味のある頬からは温かな体温が感じられますし、半開きの口からは微かな寝息すら聞こえてきそうです。無心に眠る二人の子供たちの表情はいずれも、誰もがいつか、どこかで見たことがあるような子供の寝姿です。この作品には、子供だからこそ放つことができる生の豊かな一側面が捉えられているといえます。

 子供がふとした瞬間に見せる微妙な表情を見事に捉えているのが、「クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像」です。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。リヒテンシュタイン侯爵家蔵)

 赤味のある頬と柔らかくきめ細かな肌からは、生き生きとした子供の生命力が感じられます。正面を見据えた目、きりっと結んだ口元が印象的です。聡明で、明朗快活な子供なのでしょう。いまにも画面から話しかけてきそうです。

 第一コーナー「ルーベンスの世界」で取り上げられていた作品は7点、そのうち5点がルーベンスの作品で、3点が子供を描いた作品でした。上記2点と「幼児イエスと洗礼者聖ヨハネ」(1625-28年)です。いずれも子供の生き生きとした表情が余すところなく捉えられ、輝くような色彩で表現されているのが共通しています。

 生命の輝きが豊かな色彩、動きのある構図で描かれており、生を讃える情感が溢れています。ルーベンスが描いた多数の作品の中でもとくにこれらの作品は、「バロックの誕生」にふさわしいといえるでしょう。

■高齢者の顔
 第2コーナーで印象に残ったのが、「老人の頭部」(1609年頃)です。63.5×50.2㎝の比較的小さな作品だとはいえ、有名人でもない一般の高齢者の横顔を題材としています。それが珍しく、印象に残りました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。エルミタージュ美術館蔵)

 精密に高齢者の横顔が描かれています。髭と頭髪に覆われていますが、目の周辺の描き方から、顔面の物憂げな表情を容易に想像することができます。

 おそらく同じ人物なのでしょう、正面を向いた「髭をはやした男の頭部」(1609年頃)というタイトルの作品も展示されていました。こちらも髭や髪の毛が丁寧に描かれており、正面を向いた男は横顔から予想された通り、哀感が漂っていました。取り立ててドラマティックなわけではないのですが、顔面の表情を克明に描くことによってその内面が深く描出されており、心打たれます。

 このコーナーでは「毛皮を着た若い女性」(1629-30年頃)など女性を描いた作品も展示されていましたが、生き生きとした躍動感は感じられませんでした。丁寧に描かれてはいるのですが、類型的な描き方に終始しているように思えたのです。

 圧倒的な存在感を感じさせられたのが、「セネカの死」(1615-1616年)でした。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。プラド美術館蔵)

 調べてみると、ネロから自殺を強要されたセネカはドクニンジンを飲んでも死にきれず、終には、静脈を切り、血を流れやすくするために湯を張った盥に身を沈めたといわれています。この作品は、今まさに身を沈めようとしているシーンを描いたものです。天を見上げる視線や半開きになった口元には、死に際の苦悩が表現されている一方、死に臨んでも哲学者らしく冷静沈着に振舞おうとするセネカの精神力が見事に描かれています。

 目の表情、口元、皺、肌のたるみ具合など、年齢を重ね、知性を醸成してきた顔が精緻に描かれています。さらに、身体は筋肉隆々の頑健さが強調して描かれており、強靭な生命力が宿っていることが示されています。それにもかかわらず、暴君ネロによって無残にもその生命が終わらせられようとしているのです。セネカの無念さがひしひしと伝わってきます。

 会場でルーベンスの作品を次々と見ていくうちに、脇役ですら高齢者の顔が表情豊かに捉えられていることに気づきます。

 たとえば、「エリクトニオスを発見するケクロプスの娘たち」(1615-1616年)という作品があります。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。リヒテンシュタイン侯爵家蔵)

 この作品で私が強く印象付けられたのが、老婆の顔です。若く美しい裸身の女性たちの中にいて、一人だけ暗い色調の衣服をまとい、顔を正面に向けています。裸体で描かれた娘たちや子供は輝くような肌色で描かれ、弾けるような若さが表現されています。一見、華やかなのですが、女性や子供はどちらかといえば類型的に描かれ、ポーズも固まっています。

 ところが、背後からぬっと顔を出すようにして描かれたこの老婆は奇妙な存在感を放っています。若くもなければ美しくもない、歯牙にもかけられない存在のように見えるのに、この作品でもっとも存在感を感じるのがこの老婆でした。それはおそらく、この顔がリアルに表情豊かに描かれているからでしょう。老婆の表情からは先ほどご紹介した、死に臨んだセネカのような崇高な知性すら感じさせられました。

■キリスト哀悼
 第3コーナーには「英雄としての聖人たち」とタイトルが付けられており、関連する諸作品が展示されていました。その中で印象に残ったのが、「キリスト哀悼」(1601-02年)という作品でした。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。ボルゲーゼ美術館蔵)

 会場でこの作品を見たとき、よくある宗教画だという印象しかありませんでした。人体の骨格の描き方はリアリティに欠け、キリストの周りを取り巻く人々の表情もバラバラでぎこちなく、統一感がありません。ですから、さっと見ただけでスルーしたのですが、次に、同じタイトルの作品(1612年頃)を見た瞬間、強い衝撃を受けました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。リヒテンシュタイン侯爵家蔵)

 まず視線を引き付けられるのが、血の気を失ったキリストの顔色です。そのまま視線を下方にずらすと、足もまた同じように青味がかった色で表現されています。息絶えて血が通わなくなって、少しずつ身体が変化し、すでに硬直し始めているのでしょうか。ただ、上半身にはまだやや赤味が残っています。おそらく、死後それほど時間が経っていないときの状況なのでしょう。人体を生物学的に理解し、構造学的な視点も取り込みながら描かれているせいか、ぞっとするほどのリアリティがありました。

 次に気になったのが、キリストの頭部を抱きかかえるようにして、右手で額に刺さった棘のようなものを抜き、左手で片方の目を閉じさせようとしているマリアの姿です。キリストと同じように土気色の肌をしていますが、こちらの肌色には深い悲しみが表現されています。キリストを見つめる視線、そして、軽く閉じられた口元からは慈しみの情が溢れており、見る者の気持ちを打ちます。
 
 キリストの身体は画面の対角線上に置かれ、上部と右上半分に悲しみに浸る人々が配置されています。頭部周辺にはマリアと使徒、周辺には信徒といった具合にレイアウトされており、それぞれのキリストとの関係性が示されています。

 キリストの身体に寄り添う人々の輪の外側に、一人の若い女性が泣きはらした顔を天に向けています。半開きの口、茫然とした表情をのぞかせています。あまりにも強い悲しみで、彼女は一時、感情を失っているようにも見えます。キリストの傍らにいて、気丈にもキリストの苦しみを取り除こうとしているマリアの姿とは対比的に描かれています。

 キリストが昇天しようとしているとき、取り巻く人々はそれぞれ独特の姿勢で、その死に際に向き合い、深い悲しみを表現しています。各人各様の祈りのスタイルが丁寧に描き分けられており、キリストの死を巡る哀悼の刻が見事に表現されています。人々の感情が凝縮された濃密な時間が、リアリティ豊かに画面から伝わってきます。

■ローマの慈愛(キモンとペロ)
 第7コーナーで展示されていた衝撃的な作品があります。「ローマの慈愛(キモンとペロ)」(1610-12年)です。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。エルミタージュ美術館蔵)

 まず題材とその構図に驚いてしまいました。見た瞬間、エロティックなピンナップに見えてしまったからでした。これまで美術館でこのような絵柄は見たことがないと思いながらも、よく見てみると、若い女性の顔は慈愛に溢れ、老いた男性は瀕死の状態で判断力も失っているようでした。これではとてもピンナップとはいえません。

 そうはいっても気になったので、帰宅してから調べてみました。すると、この作品は歴史家ワレリウス・マキシムの著『忘れざる行為の9冊の書とローマ人の言葉』に書かれた物語に基づいて描かれ、父親に対する娘の献身的な愛が象徴的に表現されているといわれているようでした。

こちら →http://mementmori-art.com/archives/24650902.html
 
 上記の記事には、同じ物語を題材に描かれた15の作品が紹介されていますが、諸作品の中ではルーベンスのこの作品がもっとも美しく、説得力が感じられます。

 心配そうな表情で父親を見守る娘の表情がなんともいえず穏やかで、まるで母親が子供を包み込むような深い愛情がひしひしと伝わってきます。一方、衰弱しきった父親はすでに判断力を失っているのか、虚ろな目をして乳首に口を寄せています。娘と父親という立場がこの場面では救おうとする者と救われようとする者とに逆転しているのです。

 この作品からは、死線を彷徨っているときはもはや娘でも父親でもなく、ヒトとしての根源的な愛が表出してくるのだということが示されています。一見、エロティックに見える絵柄から、家族愛を超えた深い愛がほのかに見えて、実に感動的でした。

■ルーベンスの作品に見る、生、老い、死
 会場で70点ほどのルーベンスの作品を鑑賞しましたが、私が強く印象付けられたのは、上記でご紹介した諸作品でした。無心のあどけなさでヒトを魅了する子供の顔。老いが刻印されながらも知性が滲み出ている高齢者の顔。そして、愛する者、尊敬する者の死を前にした人々の顔。いずれも単なる顔付きや態度が描かれているだけではなく、その背後に潜む気持ちや精神のありようまでもが表現されており、気持ちを揺さぶられました。

 会場には、『人間観相学について』という書物なども展示されており、ルーベンスがヒトを観相学の観点から捉えていたこともわかりました。顔や人体を的確に描くには、骨相学、観相学の知識が必要なのでしょう。ルーベンスを展覧会で見るのは今回が初めてでしたが、ヒトを身心の観点から捉えようとしている姿勢が明確で、とても考えさせられました。時代を超えて生き続ける画家の作品には、ヒトに対する理解が深いのだということが実感されました。(2018/10/19 香取淳子)

イノベーション・ジャパン2018:大学発のさまざまなモビリティ・イノベーション

■「イノベーション・ジャパン2018」の開催
 2018年8月30日~31日、東京ビッグサイト西1ホールで、「イノベーション・ジャパン2018」が開催されました。国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)が主催するフェアで、大学の研究成果を、企業、行政、大学、研究機関等に向けて披露する見本市です。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 今回は、大学等から生み出された400シーズが展示されるとともに、大学が組織として取り組む58大型の研究成果の展示およびプレゼンテーションが行われました。イベントのサブタイトルは「大学見本市&ビジネスマッチング」でしたが、まさにその名の通り、会場は大学の研究成果を社会に還元するためのビジネスマッチングの場になっていました。

 しかも、研究成果は、分野別に一覧できるように展示されていましたから、会場を訪れた見学者は効率よく、関心のあるプレゼンテーションやブースを見て回ることができたと思います。JSTによると、会場には事業担当者が常駐し、企業向けの各種支援事業制度を紹介したり、相談に応じたりしているということでした。

 実際、このフェアを通し、これまで出展者の約4割が企業との共同研究の実施に結び付けたといいます。JSTが企画した大学と企業とのマッチングの場はそれなりの成果をあげているようです。

 2017年度の実績を見ると、来場の目的は、「新技術の情報収集」が76.4%、「共同研究開発の探索」が28.2%、「新製品の情報収集」が23.6%でした。

こちら →https://www.ij2018.jp/about.html

 未来社会を牽引する技術は一体どのようなものなのか、気になっていましたから、私も、「新技術の情報収集」を目的に会場を訪れました。会場を一巡すれば、「未来の産業創造」を企図した研究が果たしてどのようなものなのか、わかってくるかもしれません。

 会場では、58の大学が組織として取り組む大型研究のプレゼンテーションが行われる一方、その具体的な内容の紹介が58のブースで行われていました。さらに、国内の157の大学が行った400件に上る研究成果が、11分野に分けて展示されていました。会場をざっと回ってみて、私が関心を抱いたのはモビリティ・イノベーション領域の研究でした。

 ここではモビリティ・イノベーションに関する研究を3件、見学した順にご紹介していくことにしましょう。

・モビリティ イノベーションの社会応用(筑波大学、高原勇教授)
https://www.sanrenhonbu.tsukuba.ac.jp/innovationjapan2018/

・高齢者・障碍者向けパーソナルモビリティの開発(香川大学、井藤隆志教授)
https://www.ij2018.jp/exhibitor/jss20180458.html

・路面電車網から構築するICT統合型インフラSTING(長崎県立大学、森田均教授)
https://www.ij2018.jp/exhibitor/jss20180100.html

■モビリティ・イノベーションの社会応用(筑波大学、)
 8月30日10時30分から、プレゼンテーションコーナーで開始された筑波大学の研究発表を聞きました。プレゼンテーションを担当されたのは、未来社会工学開発研究センター長の高原勇氏でした。

 私はまったく知らなかったのですが、筑波大学とトヨタ自動車株式会社が大学内に「未来社会工学開発研究センター」を設立したことが2017年4月6日、発表されていました。

こちら →https://newsroom.toyota.co.jp/jp/detail/16307271

 そのセンター長が 髙原勇氏で、筑波大学の特命教授であり、トヨタ自動車未来開拓室担当部長でもあります。

こちら →
https://www.sanrenhonbu.tsukuba.ac.jp/wp/wp-content/uploads/2017/11/e988e797803ff8ade91f2490d690a0ed.pdf

 未来社会工学開発研究センターのミッションは、「地域社会の社会基盤づくりに向け、次世代自動車交通技術サービスを構築する」ことだと書かれています。

 概念図を見ると、地方自治体の協力を得て実証研究を行い、国や他研究所の支援を受けて研究事業を行い、トヨタなどの企業群からは技術、資金、人材を得て、長期的、協調領域の研究を行うというものです。研究対象は、サービスとしてのモビリティ(Mobility as a Service=MaaS)ですから、今回の研究「モビリティ・イノベーションの社会応用」は、そのミッションの一環として行われたことがわかります。

 プレゼンテーションの中でもっとも興味深かったのが、ビデオで紹介されたIoT車両情報の持つ多大な機能と効用です。走行中の自動車からは車内外のさまざまなデータが得られます。それらがインターネットに繋がれば、それ以外の情報と関連付けることができ、それに基づいて分析すれば、さまざまな判断を行うことができます。

 ビデオでは一台の走行車の機能を見ただけですが、これが複数台となると、より精度の高い道路情報、気候情報など、さまざまな周辺情報を把握することができます。それらのデータを分析してフィードバックできるようになれば、道路の渋滞を解消し、事故をゼロにすることもできるでしょうし、より安全で快適な運転が可能になるでしょう。

 さらに、高原氏は、このようなモビリティ・イノベーションを社会に応用していけば、道路の渋滞や交通事故の発生といった社会問題を解決できるばかりか、効率のいいヒトの移動、モノの移動が可能になるといいます。

 IoT車両情報によって、ヒトやモノの移動がより適切に、より短縮して行えるようになれば、経済的なロスを省くことができるばかりか、やがてはe-commerceも可能になるといいます。そして、トヨタが提言している「e-Palette Concept」について説明してくれました。

 「e-Palette Concept」とは、トヨタが開発した次世代電気自動車です。移動、物流、物販など多目的に活用できるモビリティサービス専用車として製作されたといいます。高原氏は、これを使えば地域サービスをモバイルで提供することができ、オンデマンドを超えるサービスの提供も可能だといいます。普及すれば、移動型フリーマーケットも可能になりますから、店舗販売とe-commerceとの境界が曖昧になるだろうともいいます。

 聞いていて、私はとても興味深く思いました。未来のモビリティの一端を覘いたような気がしたのですが、なにぶんプレゼンテーションの時間が短く、会場では十分に理解することができませんでした。そこで、帰宅してから調べてみると、「e-Palette Concept」の基本性能を紹介する映像を見つけることができました。2分ほどの映像をご紹介しましょう。

こちら →https://youtu.be/ymI0aMCo11k

 ここではライド・シェアリングとロジスティックの例が紹介されています。

 まず、ライド・シェアリングの例を見ると、「e-Palette Concept」が低床なので、杖をついた高齢者が難なく乗車している様子、そして、車椅子に乗った障碍者がスムーズに車内に入っていく様子などがわかります。また、停留所に着けば、大きな荷物は勝手に下車し、目的地に向かい、停留所からは待っていた荷物が勝手に車内に乗り込んでいきます。さらに、少年が停留所まで乗ってきたスケーターのようなものは、役目を終えると勝手に戻っていきます。車が自動走行しているのです。

 いずれのシーンも、「e-Palette Concept」が普及すれば、老若男女を問わず、障碍者であるか健常者であるかを問わず、ヒトやモノがなんの支障もなく、移動できることがよくわかります。しかも、このサービスは24時間オンデマンドで提供されるのです。一連の映像を見ていると、効率よく、コストパフォーマンスよく、人々がモビリティ生活を楽しめるようになることが示されています。

 次に、ロジスティックの例を見ると、配送センターでは、積載量に合わせたサイズの車種が選択され、荷物を積み込んだ「e-Palette Concept」が自動的に目的地に向かっている様子が示されています。渋滞を避けて道路を選び、到着時間が予測できた段階で目的地に到着時刻を連絡しますから、受け渡しがスムーズです。停留所で荷物を受け取る場合は顔認証で、自動的に受け取り手を確認します。無駄が省かれ、最小の労力で最大の効果が得られるようになっています。

 この映像を見ていると、まるで「e-Palette Concept」が的確な判断力を持ったヒトのように見えてきますが、実際は、現場で刻々と収集したデータを、グローバル通信プラットフォームを介して分析し、それぞれの用途に応じて自動的に判断が下された結果にすぎないのです。

 「e-Palette Concept」の仕組みは以下のように説明されています。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。TOYOTA Global Newsroomより)

 車両に搭載されたDCM(Data Communication Module)が種々の情報を収集し、グローバル通信プラットフォームを介して、データセンターに蓄積されます。それらのデータは関連情報と絡めて分析され、サービスの目的に応じて判断が下されます。それが端末にフィードバックされて職務が遂行されるという仕組みです。この仕組みを使えば、高原氏がいうように、やがては「e-Palette Concept」を使ったe-commerceも実現するようになるでしょう。

 「モビリティ・イノベーションの社会応用」は、最先端の技術を社会に還元するための大型研究プロジェクトでした。産学連携で社会的課題を解決するためのプロジェクトだともいえるでしょう。ブース(小間番号U-07)には大勢のヒトが立ち寄り、研究スタッフから具体的な説明を受けていました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

■高齢者・障碍者向けパーソナルモビリティの開発(香川大学)
 次に立ち寄ったのが、「高齢者・障碍者向けパーソナルモビリティの開発」の展示ブースです。「超スマート社会」の展示コーナーを歩いていると、奇妙な形の車が目に止まりました。街中で時折、高齢者が乗っているのを見かける電動車椅子とは一風異なっています。どんな目的で使うのか、気になったので、このブース(小間番号S-11)に立ち寄ってみました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 香川大学創造工学部造形・メディアデザインコース教授の井藤隆志氏が、株式会社キュリオと共同で開発した電動車椅子でした。すでに実用化されていて、SCOO(スクー)という商品名が付いています。歩行な困難な高齢者や障碍者が気軽に利用できる電動車椅子として開発されたものだといいます。

ハンドル部分の白、台座部分の白以外はすべて黒で色構成されており、どことなくオシャレな感じがしました。実際に触ってみると、角面がすべて滑らかで感触がよく、見た目がいいだけではなく、使い心地もよさそうでした。井藤氏はこの製品の開発に際し、プロダクトデザインを担当したということでした。

こちら →

 SCOOの特徴の一つは前部分がないことで、これには乗り降りしやすいメリットがあると井藤氏はいいます。ただ、街中で見かける電動車椅子とは形状が大きく異なっていたので、私はふと、高齢者や障碍者が安心して乗れるだろうかと思いました。前面を安定させるハンドル部分がないので不安定ではないかと思ったのです。

 尋ねてみると、操作するのにある程度、練習は必要だが、決して不安定ではないと井藤氏はいいます。

 帰宅してから調べてみると、SCOOを運転する様子を説明した映像を見つけることができました。1分47秒の映像です。

こちら →https://youtu.be/z5QFCuXvGCo
 
 この映像を見ると、女性は確かに不安げもなく乗りこなしています。前部分がないだけに乗り降りも楽そうです。ただ、右の小さなグリップに操作部分が搭載されているだけで、よく見かける電動車椅子のような前を覆うハンドル部分がないので、両手を使えません。4輪車だから安定感があるとはいえ、不安定ではないかという思いが消えませんでした。

 もっとも、慣れてしまえば、何の問題もないのかもしれません。井藤隆志氏によると、左ハンドルの製品もあれば、これまで通りの前面ハンドルの製品もあるということでした。利用者の状況によって選択できるよう、ハンドル部分の仕様が異なる製品が用意されていました。

 実際、乗り降りしやすいというSCOOの特性が好まれ、宮崎県では90歳の方が利用されているようです。ただ、段差の大きな道路などでは操作しづらく、安定性に欠ける可能性もあるそうですが、バリアフリー環境の中で使用するなら安心だということでした。病院や美術館などで利用されているそうです。

 さて、SCOOのもう一つの特徴は、折り畳みができることです。折り畳みができますから、車などに乗せて運び、長距離を移動できるメリットがあります。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 短距離部分はSCOOを自分で操縦し、長距離部分はSCOOを折り畳んで、電車やバス、車、場合によっては飛行機に持ち込み、さまざまな場所に移動することができます。こうしてみると、高齢者や障碍者の移動範囲がさらに広がるのは確かですが、果たして、高齢者や障碍者がこれを自分で持ち運びできるのでしょうか。

 尋ねてみると、重さは28㎏だといいます。この重さでは高齢者や障碍者が自分で折り畳み、持ち運ぶことはできないでしょう。やはり、家族か介助者がサポートする必要があるようです。

 SCOOは従来の電動車椅子とは異なるデザインの製品でした。これまでの電動車椅子よりもはるかに目立ちます。高齢者や障碍者がちょっとオシャレな気分で、気軽に移動するには恰好の製品といえるのかもしれません。

 おそらく、高齢者人口が増え、電動車椅子の需要が高まっているのでしょう。需要が高まると、利用者はより多くの機能を求めるだけではなく、デザインにも目を向けるようになります。デザインの斬新さといい、折り畳み式の仕様といい、この製品の二つの特徴からは、電動車椅子への需要が新しい段階に入りつつあることが示唆されているように思えました。

■路面電車網から構築するICT統合型インフラSTING(長崎県立大学)
 「超スマート社会」コーナーのブース(小間番号S-13)で展示されていたのが、「路面電車網から構築するICT統合型インフラSTING」でした。長崎県立大学国際社会学部の森田均教授が、長崎電気軌道株式会社、協和機電工業株式会社の協力を得て行った研究です。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 森田氏は、この研究は、<低床車両運行情報提供サービス「ドコネ」>を踏まえ、構想したといいます。「ドコネ」とは、低床車両の運行情報を提供することによって、利用者が低床車を利用しやすくなるように開発されたナビゲーションシステムを指します。

 高齢者や障碍者が乗りやすくなるよう、長崎軌道株式会社は2004年3月、3車体連結構造の超低床路面電車を導入しました。2003年に製造された3000形3001です。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。Wikipediaより)

 導入以来、低床車は安定して運行され、高齢者や障碍者の利用も次第に増えてきていったといいます。高齢者や障碍者にとって低床車の運行はとても有難いサービスでした。ところが、いつ来るのか、わからなければ、せっかくのサービスも快適に利用することができません。そこで、開発されたナビゲーションシステムが、「ドコネ」です。

こちら →http://www.otter.jp/naga-den/top.html

 「ドコネ」は、利用者の携帯電話やスマートフォン等で、電停周辺のバリア情報や全ての低床車の運行状況をリアルタイムに把握できるサービスです。携帯電話やスマホを見れば、運行状況を把握することができるのですから、高齢者や障碍者が待ち望んだサービスでした。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。)

 上の図を見れば、利用者は、低床車がいま、どこを走行しているのかがわかります。青、赤、緑で表示されている車両マークが、長崎市内を走行する3系統の路面電車です。10:58時点で走行しているのが、緑系2両、青系1両、赤系2両(蛍茶屋付近の車両はこの地図では見えませんが)です。

 低床車両の位置情報は10秒間隔で更新されているそうですから、利用者は、いつ来るかわからない電車の到着を待つ苛立ちから解放されます。森田氏は、「ドコネ」は低床車利用者の利便性をおおいに高めただけではなく、熊本大震災の際には、支援活動にも役立ったといいます。

 熊本大震災の後、長崎軌道は期間限定で、くまもんのステッカーを貼った車両を走らせ、募金箱を置いて支援金を募ったそうです。「がんばれ!!熊本号」の車両がいまどこを走っているか、ドコネをチェックすればすぐにわかりますから、大勢の長崎人が支援金を寄せることができたといいます。

 ヒトを運ぶ路面電車が実は、情報を運ぶ通信ネットワークとしても使えることに着目して開発したのが、上記のナビゲーションシステムでした。それはバリアフリー情報の表示、観光情報の表示、さらには期間限定で、「熊本号」の位置情報の表示などにも応用されました。高齢者や障碍者ばかりでなく、市民や旅行者、そして、地域社会に大きく貢献したのです。

 今後は、それらの実績を踏まえ、斜面地の多い長崎でさらに市民の移動を容易にするため、路面電車の電停を乗り合いタクシーの結節点にする試みを展開すると森田氏はいいます。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 上の図で、赤字で書かれた部分が交通ネットワークとしての路面電車の利用(Transport)、青字で書かれた部分が情報ネットワークとしての路面電車の利用(Information Network)、そして、黒字で書かれた部分がエネルギーネットワークとしての路面電車の利用(Grid)です。

 森田氏は今後、路面電車を基盤に、上記の内容を統合した、「STING: integrated Service of Transport, Information Network & Grid」構想を展開していきたいといいます。

 興味深いのは、「ドコネ」以来の構想に、エネルギーネットワークとしての路面電車の利用が加わったことです。これまでは、ヒトの移動手段である路面電車に、通信ネットワークとの連携で利用者の利便性を図ってきましたが、今後は、エネルギーネットワークとしての路面電車の側面に着目し、災害時等の電力供給に役立てようというのです。当初は給電機能を中心に整備を進め、順次、発電・蓄電機能を備えた電力ネットワークを構築していくと森田氏はいいます。

 ところで、長崎軌道の軌間は1435mmです。新幹線と同じ標準規格ですから、長崎新幹線がフル規格で運行されるようになれば、時刻表の空き時間に路面電車を走らせることもできるようになるのではないかと森田氏は大きな夢を語ります。

■社会的課題の解決に向けたモビリティ・イノベーション
 「イノベーション・ジャパン2018」に参加し、モビリティ・イノベーション領域を中心に研究の成果発表3件をみてきました。対象とする領域は異なっていましたが、それぞれ、社会的課題の解決に向けて、真摯に取り組まれていたのが印象的でした。

 高原勇氏の研究は、企業と大学が共同で、自動運転、電動化、シェアリング等のモビリティ・イノベーションの社会実装に向けて取り組むものでした。興味深かったのは、トヨタが発表した電気自動車「e-Palette Concept」が提供できる諸機能でした。会場では映像で紹介されたので、モビリティ・イノベーションによる具体的な将来像の一端を見ることができ、イメージが鮮明になりました。

 井藤隆志氏の研究では、折り畳める電動椅子が開発され、実用化されていました。会場で展示されていた実物を見て、デザインがとても洗練されていたのが印象的でした。従来の電動車椅子とは違って、これを使えば、高齢者・障碍者がちょっとオシャレな気持ちで移動できるようになるのではないかと思いました。利用者の気持ちに沿った研究であることに意義を感じました。

 森田均氏の研究では、路面電車の特性を活かして、研究を構想されているところに独創性を感じました。交通ネットワークとしての利用にとどまっていた路面電車に、通信ネットワークの機能を融合してナビゲーションシステムを構築し、今後は、エネルギーネットワークとしての機能を利用し、災害時等の給電に活用していこうというのです。意表を突いた着想がとても興味深く思えました。

 そういえば、ナビゲーションシステムを構築する際、長崎電気軌道の全車両、上下線全停留所に設置されたBLEビーコン(Bluetoothを使った情報収集・発信装置)は市販のものでした。森田氏の研究を見て改めて、研究には、固定観念を持たず、自由にはばたける想像力がなによりも欠かせないことを思い知らされました。

■Society5.0とイノベーション
 今回、「イノベーション・ジャパン2018」に参加し、さまざまなブースでイノベーションの現状を聞きました。もっとも興味深かったのは、「中国のイノベーションがすごい。日本は追いつく立場になっている」という見解でした。中国では、欧米に留学し、最先端技術や知識、研究態度を身につけた若手研究者が次々と帰国し、切磋琢磨しながら研究レベルをあげ、イノベーションを生み出しているというのです。

 それを聞いて、ふと、『Wedge』(2018年2月号)の特集を思い出しました。ずいぶん前の雑誌ですが、「中国「創造大国」への野望」というスペシャル・レポートが気になって、手元に置いていたのです。

 読み返してみて、気になったのは、清華大学には「x-lab(Tsinghua x-lab=清華x-空間)」という、教育機能とインキュベーション機能を併せ持つプラットフォームがあるという箇所でした。調べてみると、確かに清華大学ではx-lab が2013年に設立されており、今年5周年を迎えていました。

こちら →http://www.x-lab.tsinghua.edu.cn/about.html#xlabjj

 これを見ると、日本の研究者から「中国のイノベーションはすごい」といわれるだけあって、研究開発のための環境がすでに5年も前から整備されていたことがわかります。

 李克強首相は、2014年に「大衆創業、万衆創新」(大衆による企業、万人によるイノベーション)という方針を打ち出しました。以来、中央政府や地方政府は基金を設立してベンチャーに投資し、優秀な人材がイノベーションに取り組めるようにしてきたようです。その一方で、「衆創空間」(Social Innovation Platform)の開設を奨励してきました。その結果、2016年度報告によると、全国に3155ものイノベーション・プラットフォームがあり、あらゆるイノベーション領域で激闘が繰り広げられているといいます。

 こうしてみてくると、筑波大学が産学連携プラットフォームを創設した理由がよくわかります。いまや、大学、企業、研究機関が連携して取り組まなければ、充実した資金、人材、技術、情報などが得られず、大型の研究プロジェクトを進めることができなくなっているのでしょう。

 産学連携の流れは以下のようになっています。

こちら →https://sme-univ-coop.jp/flow

 平成27年に4件のプロジェクトでスタートした大型研究が、平成30年度は20件にまで増えているといいます。さきほどご紹介した未来工学開発研究センター・高原勇氏の「モビリティ・イノベーションの社会応用」もその一つです。大型研究の場合、国内外を問わず、分野横断的に、幅広く英知を結集して取り組まなければ成果を得られない状況になっていることが示唆されています。

 一方、井藤隆志氏の研究では、既存のデバイスにデザインを工夫することによって、新たな使用法を可能にしていましたし、森田均氏の研究では、既存の交通ネットワークに情報ネットワークを融合してナビゲーションシステムを構築していました。両者とも既存のデバイスやシステムに新たな価値を加え、イノベーションを創出していたのです。

 Society5.0といわれるAI時代の到来を迎えたいま、研究開発も新たな状況を迎えているのかもしれません。大型研究に対しては産学官の連携で取り組まなければならないでしょうし、少人数で対応できる研究の場合、アイデアがなによりも重要になってくるでしょう。今回、大学発のさまざまなイノベーションを見る機会を得て、研究規模の大小を問わず、想像力豊かな発想こそが、イノベーションの源泉になるのだという気がしました。(2018/9/3 香取淳子)

中国の若手表現者にみるクリエイティビティの高さ

■「アートネクストジェネレーション在日本中国遊学者作品展」の開催
 2018年8月14日から24日、中国文化センターで「アートネクストジェネレーション在日本中国遊学者作品展」が開催されました。中国の若者たちは日本で何を学び、どのような表現活動を展開しているのでしょうか。ちょっとした興味を覚え、8月16日、会場を覘いてみました。

 会場には、さまざまなジャンル、さまざまなモチーフの個性豊かな作品が展示されていました。それぞれが斬新で、バラエティに富んだ表現力の豊さに驚いてしまいました。とりわけ以下の3つの作品が私にとっては印象深く、さまざまな点で刺激を受けました。

・「主人がいない時Ⅰ」(キャンバス、油絵顔料、查雯婷、2017年制作)、
・「ライオンナニーの旅」(手描きアニメーション、端木俊箐、2018年制作)、
・「阿頼耶識漫遊記」(キャンバス、漆喰、鉱物顔料、張源之、2017年制作)

 幸いなことに、8月16日、私が興味深く思った作品の作家、お二人にお話しを聞くことができました。ところが、もう一つ、気になった作品の作家はこの日、不在でした。そこで、8月22日に再度、会場を訪れ、作家にお話しを伺うことができました。
 
 今回は、印象に残った3点について、お話しを聞いた順にご紹介していくことにしましょう。

■主人がいない時Ⅰ
 会場に入ってすぐ、目に飛び込んできたのが、「主人がいない時Ⅰ」というタイトルの作品でした。現在、日本女子美術大学大学院修士課程に在学中の查雯婷さんが制作したものです。入口から遠く離れたコーナーに展示されていましたが、見た瞬間、強く引き付けられてしまうほど印象的な作品でした。

 まず、この作品から鑑賞することにしましょう。

こちら →
(1620×1300㎝、油彩、水彩、2017年制作。図をクリックすると、拡大します)

 巨大な猫が段差のある二つの本箱を、前両足と後両足で踏みつけ、平然とした面持ちでこちらを見ています。まるで自分がこの空間の主人公だといわんばかりの表情で、鋭い視線をこちらに向けています。射すくめるようなその目つきには恫喝するような威圧感すらあります。画面のほぼ3分の1を、この猫が占めており、強烈な存在感を放っています。

 一方、猫の周辺には、その存在の強さを緩和させるかのように、淡く柔らかなペールピンク系の背景色が施されています。その上に、四角いテーブルや本、ハートマークのついた円形テーブル、植木鉢がそれぞれバラバラに、どういうわけか、逆さまになって宙に浮かぶような恰好で描かれています。しかも、それぞれがとても小さいのです。どうやらモチーフによって大きさにウェイト付けがされているようです。

 それでは、モチーフの大きさの面からこの構図を見てみることにしましょう。

 猫の巨大さに比べて二つの本箱はやや小さく、背景に散らばった本やテーブルなどは極端に小さく描かれています。大きなモチーフを画面の中心に置き、中程度のモチーフを画面の下方に置くことによって安定感を確保し、小さなモチーフをさまざまな方向に散らすことによって、画面に奥行きと広がりを生み出していることがわかります。大中小のモチーフの配置を工夫することによって、安定感を確保し、奥行きと自由な広がりを演出しているのです。

 モチーフと構図との関係をさらに見てみることにしましょう。

 大きなモチーフ(猫)は斜めのライン、中程度のモチーフ(本箱)は垂直のラインでレイアウトされています。斜めのラインはやや不安定ですが、背中のなだらかな横ラインと湾曲して立っている尻尾の斜め縦ラインと呼応し、画面に柔らかな境界を創り出しています。ラインはいずれも引力に従っていますので、見ていて違和感はありません。

 ところが、背景に散らばった小さなモチーフはいずれも、重力が効かない空間で浮遊しているように描かれています。引力に従わないモチーフが猫の背中から尻尾のライン辺りで浮遊しているのです。一つの空間にさり気なくラインを設け、相反する価値観、あるいは世界観を表現しているように見えます。

 こうしてみてくると、いかにも若者らしいモチーフや構図に見えていたものが、実は、緻密に計算された上で考案されたモチーフであり構図だという気がしてきます。モチーフの大きさと配置によって空間を自在に創り出したばかりか、重力の効かない異空間をも創り出しているのです。この刺激的な構図に、融通無碍な遊び心と深い知性が感じられました。

 さて、遠くから見ていると、わからなかったのですが、近づいて見ると、猫の顔が逆になっていることに気づきます。口が上にあり、両耳がいずれも頬の辺りから出ているのです。それなのに、初めてみたとき、なぜ違和感を覚えなかったのでしょうか。

クローズアップした猫の顔を見てみましょう。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 確かに、顔部分だけ逆さまになっています。赤い小さな口に繋げるように、黄色の小さな鼻が描かれており、両耳も頬に見えるところから出ています。

 ところが、逆さまに描かれた顔を見ても、どういうわけか、大した違和感はありません。いかにも猫の目らしい、インパクトの強さに比べれば、逆さになった赤い口やオレンジ色の鼻など、それほど印象に残るものではありません。むしろ、この猫が特別な存在であることを示す装飾品でしかないというようにも思えてしまうほどです。

 なぜ、そう思えるのか、不思議に思って、会場で撮影した写真を、帰宅してからひっくり返して眺めてみました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 猫の目がまるでパンダのように垂れて見えます。獰猛さは欠片もなく、これでは、ただのんびりとこちらを眺めているにすぎません。確かに、両耳や口や鼻は正常な位置に収まっており、その点はまったく違和感はありません。ところが、この顔つきではインパクトに欠け、猫に見えなくなってしまいます。こうしてみてきて、はじめて、作者にとって猫の顔を逆さにすることが必然だったことがわかります。

 もう一度、この顔を逆さにすると、途端に、目尻が上がって吊り目になり、猫がモノを凝視しているときの鋭い目つきになります。吊り目で描かれた眼光は鋭く、猛禽類の獰猛さが現れます。

 私が初めてこの作品を見て、強く印象づけられたのは、ひょっとしたら、この目のせいだったのかもしれません。そして、猫の顔が逆さになっていることに気づかなかったのも、おそらく、この猫の目がヒトの心を射抜くような強さで描かれていたからでしょう。逆さまになっていることから来る違和感を消し去るほどの威力があったのです。

 それでは、目の部分をクローズアップして見てみましょう。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 強い光を放ち、吸い込まれてしまいそうな深い目をしています。まさに猫の目です。この目の強さを引き立てるように、周りの毛が一本一本、微妙に色を使い分けながら、丁寧に描かれています。目が圧倒的な威圧感を発しているのに反し、周囲の毛には優しく柔らく、快い温もりさえ感じられます。

 よく見ると、目の表現が毛の表現と微妙に異なっています。毛があくまでも柔らかく、滑らかに描かれているのに対し、目はまるでガラスの球体のように硬質の輝きを放ち、底知れない深淵さを感じさせます。猫の顔の中に二つの相反する要素が描かれているのです。

 なぜ、そう見えるのか不思議に思い、作家の查雯婷さんに尋ねてみました。すると、猫の全身は水彩で描き、猫の目とそれ以外のモチーフは油彩で描いたといいます。いわれてみると、この作品の説明に「油彩、水彩」と書かれていました。查雯婷さんはモチーフによって技法を変え、画面に適切な強弱をつけていたのです。

 どういうわけか、この絵の前に立つと、私は思わず深読みをしてみたくなるような誘惑に駆られます。それはおそらく、この作品にはさまざまな謎が仕組まれているからでしょう。推理小説を読むのにも似た面白さがあります。

 それにしても、なぜ、このような作品を制作しようと思ったのでしょうか。再び、查雯婷さんに尋ねてみました。

 すると、「動物がヒトの世界を見れば、どのような社会に見えるだろうか」という発想で、この作品を制作したといいます。そして、「猫が好きなので、猫を主人公にした」そうです。それが、上半分の画面で描かれたモチーフがすべて逆さまになっている理由だといいます。

 そういわれて改めて画面を見ると、逆さまになっているのは四角いテーブル、ハートマークのついた円形テーブル、「美術史」と書かれた本、読みかけの本、植木鉢などです。ヒトにとって大切なものでも猫にとってはなんの価値もないということを示しているのでしょう。

 猫が好きだから主人公にしたと查雯婷さんはいいます。ですから、猫に託して自身を表現しているとも考えられます。そうだとすれば、この絵の解釈がこれまでとは異なってきます。

 たとえば、猫が踏み台にしている二つの本箱には重厚な本が並べられています。それらの本はこれまでヒトが育んできた学識の象徴のようにも見えます。だとすれば、この部分は、過去の英知を踏まえ、現在を着実に生きていることをシンボリックに表現したものと考えられます。

 一方、猫は前脚を本箱の端ギリギリのところに置き、後ろ脚はどういうわけか片方をあげています。巨体を支えるには不自然な姿勢です。前脚はもう少しで落ちそうな不安感を与え、後ろ脚はもう少しで倒れそうな不安感を与えます。鋭い視線をこちらに向けていますが、その姿勢は不安定です。

 そう見て来ると、小さく描かれたモチーフが空中に浮遊し、すべて逆さまになっていることの理由もわからないわけではありません。画面の上半分は、未来の不安感が表現されているといえるでしょう。AI主導で展開していく未来社会は、これまでの価値観、世界観が顛倒してしまう可能性があります。

 こうしてみてくると、この作品を深読みしたくなる誘惑に駆られた理由がわかってきました。身近な材料をモチーフにしながら、ヒトの認識に挑戦し、未来への問いかけがさり気なくこの作品には含まれていたからでした。

 「主人がいない時Ⅰ」というのがこの作品のタイトルですが、「Ⅰ」という数字から想像できるように、查雯婷さんは今後も継続して、このシリーズを制作していくといいます。

■ライオンナニーの旅
 会場には映像装置が置かれ、アニメーションが映し出されていました。ちらっと見ただけで、その独特の画風にとても斬新な印象を受けました。今年、東京芸術大学大学院修士課程アニメーション専攻を修了した端木俊箐さんの作品です。

こちら →
(手描きアニメーション、2018年制作。図をクリックすると、拡大します)

 セリフも字幕も入らない7分ほどの手描きアニメーションでしたが、効果音とオリジナル音響で、作品の雰囲気はほぼ理解できたような気がします。なによりも素晴らしいのは、淡い色彩で綴られる画面でした。もちろん、映像だけではわからないところもありましたので、端木俊箐さんに尋ねながら、「ライオンナニーの旅」をご紹介することにしましょう。

 タイトル画面に描かれたキャラクターが、主人公のライオンナニーです。タイトル文字であれ、キャラクターの造形であれ、柔らかく、不揃いで、手描きアニメーションならではの身体性が感じられます。

 ライオンナニーは黄色を主に、柔らかく、省略した粗い線で造形されています。そして、背景は群青色の濃淡で描かれています。そのせいか、キャラクターの幼さと優しさ、おぼつかなさと不安感が表現されています。

 果たしてライオンナニーは作家の分身でしょうか。気になったので、端木俊箐さんに尋ねてみました。思った通り、「自分になぞらえて主人公を設定した」といい、「髪の毛が多いのがライオンみたいだから・・」と付け加えました。

 来日以来、端木俊箐さんは電車に乗るたびにスケッチをしていたそうです。車内で見かける人々を観察して、その場でスケッチしていたのです。それが蓄積し、一冊の本になるほどの分量になっていました。この作品のベースにはこの膨大なスケッチがあります。

 端木俊箐さんは、電車内で見かけたヒトや光景をスケッチしたものを整理し、その中から気に入ったものを選んでアニメーションの素材にしたといいます。時間をかけて描いてきたスケッチが材料になっているのですから、一コマ一コマが絵画作品の趣があるのも当然かもしれません。

 たとえば、ナニーが電車に乗っているときのシーンを見てみましょう。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 満員電車の中で圧し潰されそうになっている様子が、独特のタッチで表現されています。混みあう電車内の情景を敢えてリアルに描かず、社内の人々を太くジグザグの折れ曲がった線だけで表現しています。この抽象化の効果が斬新で、主人公ナニーの心細さが見事に浮き彫りにされています。

 ナニーは黄色、そして、その周辺の人々は青系統の色の線で表現されています。乗客を青系統の色にすることによって、混みあう電車内の人々の冷たさが暗黙裡に表現されています。混みあった車内で、他人を構う余裕がなくなってしまえば、もはや血の通うヒトではなく、ただの棒でしかないのかもしれません。

 しかも、黄色と青は補色関係にありますから、ナニーの姿がいっそう際立ちます。この色遣いといい、余白を残した画面構成といい、柔らかく、繊細な感性に驚きました。それほど多くのアニメーションを見てきたわけではありませんが、これまでこのような画風のアニメーションを見たことがありません。

 一方、画面は絶えず、電車の効果音に合わせ、揺れ動いています。その度に、両脚を閉じ、両手を揃え、うなだれた姿勢のナニーも動きます。自分の意志ではなく、周りの動きによって動かされていることがわかります。補色の効果ばかりではなく、このような動きの表現によって、ナニーの痛み、心細さ、不安感などがとてもよく示されています。

 この作品の制作意図として、端木俊箐さんは、無邪気な子どもがさまざまな人々を見て世界を知り、成長していく様子を表現したといいます。

 冒頭から、車内で見かけた人々の姿態がさまざまに描かれたシーンが3分間ほど続きます。おそらく、これが、「さまざまな人々を見て世界を知る」ためのシークエンスなのでしょう。そして、3分59秒で場面が転換します。

 真っ暗なトンネルを抜けた後、停車した駅で、馬が乗車してくるのです。

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(図をクリックすると、拡大します)

 まつ毛の長い馬で、とても優しそうです。馬の背後には、山々が淡い黄色やオレンジ、薄いオレンジで彩られているのが見えます。その色調のせいか、馬の穏やかな温かさが際立って印象づけられます。

 ナニーと馬はたちまち意気投合し、ともに語らい、車窓から走り去る風景を眺めて、楽しいひと時を過ごします。

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(図をクリックすると、拡大します)

 これまで通りナニーは黄色で表現され、一方、ナニーが気持ちを通い合わせた馬は青色で表現されています。着色部分は少ないですが、補色関係にある色が使われているので、二人の様子がくっきりと浮き上がって見えます。

 電車内で二人はさまざまなことを語り合い、心を弾ませながら充実した時を過ごします。

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(図をクリックすると、拡大します)

 車窓から見ると、風景が流れて見えるように、外から車内の二人を見ると、このように流れるように見えるのでしょう。黄色の太目の色帯が切れ切れになって横に流れていきます。豊かな発想力に裏付けられた表現です。

 やがて、馬が下車する駅に到着しました。馬はナニーも一緒に降りようと手を引っ張りますが、ナニーが下車する駅ではないので、ナニーは振り切って車内に留まります。電車のドアは自動的に開き、馬が下りていくと、まるで何事もなかったかのように、自動的にドアを閉じます。このシーンでは、個々人の感情にはお構いなく、世の中のシステムは動いているということが示されています。

 ナニーは再び、一人になって電車に揺られています。ナニーの下車する駅はまだです。

 ふと車窓から外をみると、名残惜しそうな表情でナニーを見つめる馬の姿がありました。先ほどまで楽しく語らっていたあの馬が、いつの間にかユニコーンになっています。

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(図をクリックすると、拡大します)

 ナニーが見つめる中、ユニコーンは空高く、舞い上がっていきます。やがて、いまにも月に届きそうなほど遠くに行ってしまいました。もはや会うことも叶わない、永遠の別れが訪れたのです。

 ナニーは一人残されましたが、まだ下車する駅には到着していません。どれほど仲良くしていても、目的地が違えば、下車する駅も異なります。いつまでも一緒にいるわけにいかないことを馬との別離を通して、ナニーは学んだのです。

 そして、エンディングロールが流れます。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 そこには、以下のような文が日本語、中国語、英語で表示されています。

「私達は人生で一番暗い時に出会い 
 限られた時間の中で別れる
 惑星が回り続けて
 交わった軌道も平行に戻った
 世界の隅に隠れたあの物語は
 私 君 星と月が知っている」

 ここで書かれていることが、この作品を制作する動機付けになったのでしょう。端木俊箐さんは実際、親友と二人で来日し、一緒に芸大に入ったといいます。しばらくは共に学び、共に旅行し、充実した時を過ごしていましたが、ほどなく、二人は別れることになりました。お互いの進路の違いのためでした。

 端木さんにとって、この経験はよほど深く心に残ったのでしょう、大切なヒトとの別離は時を経て、創作のエネルギーに転化されました。端木さんは、ナニーに自身をなぞらえ、馬に友人を仮託し、このアニメーションを制作したのです。

■阿頼耶識漫遊記
 入口近くに展示されていた作品です。描かれている内容はよくわからなかったのですが、画面全体から何か深いものが発散されており、気になりました。東京芸術大学大学院修士課程絵画科壁画第二研究室を2017年に終了した張源之さんの作品です。

こちら →
(900×1300㎝、漆喰、鉱物顔料、2017年制作。図をクリックすると、拡大します)

 この絵の前に立てば、いつまでも立っていたくなるような吸引力があります。それが一体、何なのか、どういうところに私は引き付けられているのか、よくわからないまま、この絵の前に立つと、古い記憶が次々と蘇ってくるような不思議な感覚に陥ります。本源的な何かに向き合っているような気持ちになってしまうのです。

 一体どういうヒトがこの絵を描いたのか、気になって仕方がなく、再び、会場を訪れました。

 8月22日、ようやく作家の張源之さんにお話しを聞くことができました。なぜ、私はこの絵に深いところで引き付けられているのか、質問をしながら、それを解明していくことができればと思います。

 まず、なぜ、角を生やした馬を取り上げたのか、尋ねてみました。すると、張源之さんは、これは「馬ではなく、牛」だといいます。インド仏教で聖なる動物とされている白い牛を表現したというのです。そう言われて、改めて首から肩にかけての骨格と肉の盛り上がり方を見ると、なるほど牛に見えます。

 それにしてもなぜ、画面の半分ほども占める面積でこの牛を描いたのでしょうか。そして、白い牛の真正面に描かれている、炎に包まれたヒトのようなものは一体、何なのでしょうか。

 再び、張源之さんに尋ねてみました。すると、「白い牛は知恵のシンボル」で、その前にあるのは、「私の曼陀羅」だというのです。

「私の曼陀羅」といわれた部分を拡大してみましょう。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 拡大して見ると、ヒトらしい像を中心に、下方には鳥の頭部のようなものがいくつも層をなして渦巻き状に左に流れ、上部から右は形を成さないまま白っぽい気体のようになって、牛の顔から角にかけて流れています。

 さらに、ちょっと引いて距離を置き、この部分を見てみました。すると、ヒトを渦の中心に、左方向で旋回する大きな渦巻きのように見えてきます。渦巻きの表面は裏が透けるように、淡い色調の絵具が置かれています。そのせいか、ヒトの精神作用が気体のようなものになって空中を飛び、牛の周囲に放散されているように見えます。

 ところが、気体のようなものを全身に浴びても、牛は穏やかな表情を変えることなく、目を静かに閉じています。その表情にはまるで瞑想にふける僧侶のような落ち着きがあり、静かな安定感が感じられます。ひょっとしたら、この光景が私の気持ちを深いところでしっかりと引き寄せたのかもしれません。

 それにしても、なぜ張源之さんはこの絵を描いたのでしょうか、気になって、尋ねてみました。

 日本に来て芸大で学び始めた頃、古美術見学旅行に参加し、奈良や京都で多くの壁画を見たそうです。描かれた天女の中に姿勢や色遣いが敦煌や西安の古墳壁画に似ているものを見つけ、張源之さんは日本との深いつながりを感じたといいます。この時の感動を表現したのがこの作品で、修士課程の修了制作だそうです。

 そういえば、この作品のタイトルは「阿頼耶識」でした。アラヤシキと読むのだそうですが、意味はまったくわかりません。張源之さんに聞くと、「仏教の言葉で、人類の共通の意識を指す」のだといい、さらに、「ユングの集合無意識のようなもの」だと説明してくれました。

 曼荼羅と聞いた時、なんとなくユングを思い浮かべましたが、張源之さんの説明を聞いて、私がこの絵に惹かれた理由がわかったような気がしました。おそらく、張源之さんが表現した精神世界に、時代を超え、居場所を超え、文化を超えて通じ合える何かがあったのでしょう。だからこそ、私の精神世界がそれに呼応したのです。それこそユングのいう集合無意識のように、深いところでつながっていたからこそ、この絵を見た瞬間、私は引き寄せられたのだという気がしました。

 さて、画面の右側にはさまざまな造形物が見えます。馬に乗っているヒト、建物の一部、花や木、犬、そして、僧侶のようなヒト、いずれも判然と描かれてはいませんが、それだけに、一体これは何なのだろうと不思議な気持ちにさせられます。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 気になったので、張源之さんに聞いてみました。すると、これらは張源之さんの夢、あるいは、これまでに出会ったヒトやモノだというのです。建物の一部に見えるものは寺院だといいます。子どものころから仏教のお寺に通っていたそうで、その時の思い出が寺院の一角や僧侶の姿に仮託して描かれていたのです。いずれもはっきりとわかるように描かれていなかったのは、それらがリアルな実体ではなく、記憶、あるいは想念の世界の存在だからでしょう。

 この部分を少し引いて見ると、それらは白い牛の身体に埋め込まれるように配置されていることがわかります。知恵のシンボルとされる白い馬の胴体部分に、記憶や想念の手がかりとなる具象の断片が、モチーフとして埋め込まれていたのです。

 見ることができず、意識することもできない世界が、この作品では余すところなく表現されていました。言ってみれば、ユングのいう集合無意識のようなものがこの絵に反映され、含蓄の深い絵が描出されていたのです。この作品を見た瞬間、何か気持ちの深いところで引き付けられ、離れがたい思いがしたのはそのせいでしょう。とても興味深い作品でした。

 さて、この作品は壁画の技法が採られています。下地は漆喰で、その上は鉱物顔料である顔彩が使われています。イタリアのフレスコ画の技法と違って接着剤としての膠が必要だと張源之さんはいいます。フレスコは生乾きの漆喰を薄く壁に塗り、それが乾かないうちに水で溶いた顔料で描いていく技法です。張さんの場合、漆喰に膠と使って顔料を定着させていきます。長い歴史を持つ壁画の画法を使って作品を仕上げたのです。

 その質感には圧倒的な迫力がありました。精神世界の深さを表現することができたのは、壁画の技法で制作したからかもしれません。古い技法だからこそ表現できた世界だともいえるでしょう。

 もちろん、描かれた内容もヒトの心の奥深く、形を成さないまま存在している精神の核ともいえるものを引き出していました。科学技術が進歩しても、いまだに解明しきれないのが精神の領域です。その未開拓の領域を張さんは、仏教徒という経験を活かして可視化しました。作品を見る限り、成功していると思います。

■中国アートネクストジェネレーションの台頭
 中国文化センターで開催された留学生たちの作品展を覗いてみて、そのクリエイティビティの高さに驚いてしまいました。今回は会場でお話しを聞くことのできた三人の作家の作品だけを取り上げましたが、他にも素晴らしい作品が多く展示されていました。

 私は日本の美大生の卒展や修了展などにも何度か行ったことがありますが、最近は似たような作品を目にすることが多く、失望していました。それだけに、今回、留学生の諸作品を見て、なかなか着想できないような斬新なテーマ、卓越した技法の諸作品を見て圧倒される思いがしました。

 なぜ中国の若手表現者たちは高いクリエイティビティを発揮できているのでしょうか。

・查雯婷さん(「主人がいない時Ⅰ」)
 たとえば、查雯婷さんは身近なモチーフをユニークな発想で作品化していました。素材の扱い方といい、形態上の処理といい、独特のフィルターが効いていて、画面全体に若々しいポップな感覚がみなぎっていました。

 中国の大学での専攻を聞くと、アニメーションでした。なぜ、専攻を変えたのかと聞くと、「自由に表現したかったから」といいます。手描きアニメーションならまだしも3Dアニメーションになると、他人の協力が必要で、グループ作業なので制作に時間がかかるし、自由に制作できない不自由さがあるからだと説明してくれました。

 子どもの頃から日本のアニメが大好きで、「名探偵コナン」や「ワンピース」、「進撃の巨人」などをよく見ていたといいます。それを聞いて、查雯婷さんの作品に現代的で、鋭角的なセンスを感じたのは、そのせいかもしれないと思いました。メリハリの効いた訴求力があったのです。

 作品の背後にはストーリーがあり、モチーフには、観客が違和感を覚える謎がいくつか仕組まれていました。言ってみれば、観客を引き込むフックがいくつかあったのです。その結果、この絵を見ると、ヒトは思わずその解明に向かいたくなるという複雑な仕掛けがあったのです。

 若者らしいモチーフの選択や色遣いなどを見ると、一見、取っつき易く、気軽に鑑賞できる作品のように見えます。ところが、実に複雑で、多元的、複層的な世界が表現されていました。とても知性的な作品だと思います。

・端木俊箐さん(「ライオンナニーの旅」)
 一方、端木俊箐さんは油絵を志しながらも、大学ではアニメーションを専攻することになったといいます。アニメーションの制作技術は中国の大学で学び、日本に来てからはもっぱら作品制作を続けているということでした。やはり日本のアニメが大好きで、とくにスタジオジブリやスタジオ4℃などの作品に興味があるといいます。細田守の長編アニメ「サマーウォーズ」も中国ではよく見ていたそうです。

 そう聞くと、私がこの作品に惹かれた理由もわかってくるような気がします。全編を通して、独特の画風で紡がれていましたが、おそらく、そこに、ジブリ系アニメの痕跡を感じたのでしょう。表現方法はまったく異なるのですが、画面から垣間見える本質に共通性が見受けられたのです。

 画面に映し出された一カット、一カットの絵が優しく、穏やかで、繊細でした。ストーリーよりも何よりも私はこの絵に惹かれました。ヒトの心に沿うようなきめ細やかな感性がありました。絵が好きで、描くことがなによりも大好きだったという端木俊箐さんの特性が、この作品に色濃く反映されていました。

・張源之さん(「阿頼耶識漫遊記」)
 蘭州市出身の張源之さんにとって、子どもの頃から敦煌の壁画は身近な存在でした。壁画は人類の歴史とともに誕生し、現在に至るまで生き続けている、古いけれど、とても斬新な芸術だと張源之さんはいいます。中国の大学では中国絵画、壁画を学びました。中国絵画を通して、筆の扱いや輪郭線の処理などを習得し、卒業後は敦煌現代石窟芸術センターで芸術設計ディレクターとして働いていました。

 張源之さんは12歳ごろから仏教に関心を抱くようになり、種々の本を読んで理解を深めていくうちに、敦煌壁画にも興味を持つようになったそうです。壁画にはヒトを感動させる深い精神世界があるといいます。

 今回の作品にはそれが見事に反映されていました。現代社会は自分ひとり良ければいい、お金があればいいという風潮が蔓延していますが、お金よりも精神が大切で、ヒトは皆、繋がって生きており、皆が幸せになってはじめて自分も幸せになれると張源之さんはいいます。大乗仏教の考え方ですが、作品にもその信念がしっかりと描き込まれていたように思います。

 お話しを聞いてみると、三者三様、それぞれ体験に裏打ちされた信念がありました。その信念が作品のオリジナリティを生み出し、画面から独特の訴求力が発散されていました。

 ここでご紹介した3人の作家に共通するのが、技術力の確かさと内発的なテーマの発掘でした。直接、お話しを聞いたからこそわかったことですが、それぞれ、自身の経験を踏まえ、それを拠り所としてコンセプトを創り出していました。

 自分が思い悩み、苦しんだ経験を深く掘り下げたからこそ、作品のコンセプトも明瞭になったのでしょう。表層にとどまらず、深層に至る深みを作品に反映させることができていました。よく考え抜かれたからこそ、説得力のある作品になったのでしょうし、見る者を感動させる力を持ちえたのだと思います。

 この展覧会に参加して、改めて、いい作品とは何かということを考えさせられました。手っ取り早く観客を虜にするには、それなりの技法があるのでしょう。ところが、今回、印象に残った三作品はその種のものではありませんでした。心血注いだ痕跡が画面の随所に見受けられ、それが見る者の気持ちを揺り動かしていたのです。もちろん、技術力も素晴らしく、日々の鍛錬と表現のための工夫を怠らない姿勢が印象的でした。

 今回、三者三様のクリエイティビティの高さに圧倒されましたが、それは、自身の経験を深く掘り下げるだけではなく、歴史を知り、文化を深く把握することによって、もたらされたものなのかもしれません。それには、自身を省察するだけではなく、先人の知識や経験を踏まえ、考えを深められる知性が必要なのでしょう。(2018/8/26 香取淳子)

カルロ・ドルチの「悲しみの聖母」を観る。

■松方コレクション
 2018年6月30日、日経新聞朝刊の文化欄を読み、松方コレクションの総目録が7月に刊行されることを知りました。松方コレクションとは、実業家の松方幸次郎が大正初期から昭和初期にかけて、イギリス、フランス、ドイツで収集した美術品のコレクションを指します。

こちら →https://www.nmwa.go.jp/jp/about/matsukata.html

 松方幸次郎は1916年から約10年間、ヨーロッパを訪れるたびに画廊を訪れ、約1万点に及ぶ美術品を買い集めました。人脈を駆使し、お金と手間暇かけて蒐集に励んだのは、近代化に向けて舵を切って間もない日本に美術館を建設し、若い画家たちに本物の西洋美術を見せたいという思いからでした。

 残念なことに、その後、関東大震災、世界恐慌、第二次大戦といった大きな社会混乱が続きました。美術館建設が叶わかったのはもちろんのこと、せっかくのコレクションも、その期間に多くが散逸してしまいました。火災で焼失したもの、混乱のさ中に消失したもの、あるいは、他国に没収されたものもありました。

 松方幸次郎の高邁な志と努力が無に帰そうとしていたのです。

 ところが、1959年、第2次大戦中にフランスに没収されていたコレクションが、フランス政府から日本に寄贈返還されることになりました。そのコレクションを収蔵するために設立されたのが、国立西洋美術館です。戦後14年を経、日本が目覚ましい復興を遂げ始めていた頃でした。

 西洋美術館は、設立以来、散逸したコレクションの情報収集を進めて買い戻しに努め、2014年以降は総目録の刊行に向けて調査してきました。その結果、コレクションの発見が相次ぎ、これまで定本とされてきた「松下コレクション西洋美術総目録」(1990年、神戸市立博物館刊)に収録された作品に、新たに約1000作品が追加されることになりました。

 6月30日に私が新聞で目にしたニュースでは、7月中旬に刊行される第1巻(絵画)には1207点、そして、年末に刊行される予定の第2巻(彫刻、素描)には約1800点が収録されるということでした。関係者の長年の努力が実り、ようやく松方コレクションの全容が解明されようとしているのです。

 記事を読み終えた途端に、松方幸次郎が20世紀初、日本の若手画家たちのために選んだ作品はどのようなものだったのか、気になってきました。数多くのコレクションの中には、時代を超え、今なお輝いている作品があるかもしれません。

 そのような作品に出会うことができれば、油絵の魅力の真髄に迫ることもできるでしょう。とくに、絵画が一般大衆へのメッセージ伝達手段として重視されていた時代、どのような描き方が取り入れられていたのか、さらには、説得効果を高めるために、どのような工夫がされていたのか、といったようなことを把握できればいいなと思いました。

 7月に入って、ようやく空き時間をみつけ、西洋美術館を訪れてきました。
 
■悲しみの聖母
 松方コレクションが展示されている常設展は、国立西洋美術館の本館2階にあります。しばらく作品を見ていて、ほどなく、見学に来ていた中学生たちが絵の前に群がり、口々に「きれい!」といっているのに気づきました。近づいて見ると、「悲しみの聖母」というタイトルの作品でした。17世紀の作品が展示されている壁面の片隅で、小ぶりの作品ながら、そこだけ輝くように異彩を放っていました。

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(図をクリックすると、拡大します。国立西洋美術館)

 まず、明暗のコントラストの強い画面構成が、印象に残ります。暗闇の中から静かに浮かび上がってくるように見えるのが、青いマントをまとった聖母の横顔です。視線を下方にずらすと、今度は、そっと組み合わせた手に目が留まります。そして、やや引いてみると、頭上には、鮮やかな青いマントの背後で鈍い金色の後光が射しているのに気づきます。

 明暗のコントラストを巧みに使い、顔と手の、色白で柔らかくきめ細かな肌が強調されていることがわかります。

 その一方で、輝くような肌はマントの青を強調しています。そして、鮮やかに描かれたマントの青が、聖母の若さと敬虔さを際立たせています。暗闇で静かに祈りを奉げる聖母の姿がなんと清らかに見えることでしょう。まるで何か得体の知れない強い力に誘導されてでもいるかのように、気持ちがぐいぐいと画面に引き寄せられていきます。

 そういえば、橙色を含んだ柔らかな肌色と、隣接して配されたマントの青はほぼ補色関係にあります。聖母の顔の色とマントの色は相互に強く引き立て合っているといえるでしょう。

 こうしてみてくると、明暗によって観客の視線を誘導するだけではなく、補色関係にある色を配置することによってモチーフが際立って見えるように構成されていることがわかります。明暗の効果と補色の効果を巧みに組み合わせることによって、画面の中で聖母の顔と手が焦点化され、観客の情感を強く刺激しているのです。

 この絵を見たとき、観客はまず明暗のコントラストの強さに目を引かれ、次いで、色彩のコントラストに関心を高めていくうちに、やがて、気持ちが強く画面に引き込まれていきます。このような一連の心理的プロセスが、明暗と色彩のコントラストを使って、巧みに創り出されていました。

 いったいどのような画家が描いたのか、気になって解説を見ると、この作品は1655年ごろ、イタリアのカルロ・ドルチによって制作されたと書かれていました。17世紀のフレンツェで活躍した宗教画家ですが、祭壇画など大画面の構図は得意ではなく、小画面の聖母像や聖女、聖人像を描く画家として人気があったそうです。

 この解説を読んで、なるほどと納得がいきました。絵から受けた印象はそのまま、カルロ・ドルチの画家としての来歴と重なります。これまで書いてきたように、「悲しみの聖母」には強い訴求力があります。ですから、彼が描く聖母像が当時、大変人気があったことも素直に理解できます。

 この作品はなぜ、それほど強烈な訴求力を持ちえたのでしょうか。

■モチーフの相互作用
 それでは、上半身に目を向けてみましょう。

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(図をクリックすると、拡大します)

 まず、視線が捉えられるのは、横顔、そして、組み合わされた手、そして最後に、頭上に配された後光です。メインモチーフが①聖母の横顔だとすれば、それに劣らないほど強いメッセージを放っているのが、②組み合わされた手です。そして、観客の意識されない情感に働きかける役割を果たしているのが、③聖母の頭上に描かれた鈍く輝く後光です。

 それらの間でどのような相互作用が生まれ、画面全体を方向付けているのでしょうか。メインモチーフといえる横顔から見ていくことにしましょう。

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(図をクリックすると、拡大します)

 うつむき加減の横顔には深い悲しみがたたえられています。目を閉じ、祈りに没頭する姿勢には他を寄せ付けない厳しさが感じられます。神への祈りに専心しているのでしょうか、声をかけることすら阻まれそうです。

 この横顔を明暗の観点からみると、通った鼻筋と頬の一部と鼻下の一部がもっとも明るく、額、顎の一部がそれに次ぎます。頬の一部にはほんのりと赤味が射し、唇のしっとりとした赤味を引き立てています。一連の明るさの中では比較的暗く、明るさと暗さの段階の調節役を担っているのが、眉間と瞼の一部です。

 一見すると、この絵は顔が強く印象付けられるように構成されていますが、よくみると、顔の造作がはっきりとわかるのはダイヤモンドの形に収まる範囲でしかありません。顔の約半分は影になっているのです。いってみれば、情報が明示されない部分です。ですから、影部分を大きく設定することによって、観客の想像力の働く余地を高くしているといえるのかもしれません。

 さて、顔の大きさに引き換え、比較的大きく描かれているのがマントです。そのマントの影部分と顔の影部分とが一体化して描かれています。ここでも情報がはっきりと示されない部分が大きく設定されています。その結果、悲しみに奥行きが与えられているだけではなく、聖母の存在自体に深みが生み出されているように思えます。

 さらに、マントのなだらかな曲線が要所、要所、鮮やかな青で彩られています。そのせいか、布の端に柔らかい動きが生み出され、隣接した聖母の肌にも生気が感じられます。静謐感の漂うこの作品に、生きていることの証のように、優しく、柔らかい動きが生み出されていることに気づきます。この絵の訴求力の源泉はこのあたりにあるのかもしれません。

 次に、組み合わされた手をクローズアップしてみましょう。

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(クリックすると、拡大します)

 マントの下から除いているのが組み合わされた両手です。顔と同じぐらい大きな面積で描かれているので、とても存在感があります。柔らかな感触の手や桜色の爪は、横顔の肌色と呼応し、聖母の健康な若さが見事に表現されています。

 カルロ・ドルチは、この両手を横顔と同じぐらいの面積で、しかも、年齢まで推し量れそうなほど丁寧に皮膚の状態を描いています。とても存在感があります。組み合わされた両手は、祈る行為を描くためのモチーフとして欠かせないのでしょう。

■モチーフに組み込まれた文化的記号
 悲しみに沈む横顔と組み合わされた両手を、順に見ていくと、聖母の深い悲しみに同情し、やがて、神への祈りに共感する、・・・、といった一連の心理プロセスが観客の側に生まれます。ですから、観客が絵を見て勝手に描いたストーリーに沿って、さまざまな感情がごく自然に喚起され、生起されていくように思えます。

 こうして見て来ると、何気ない身体の一部のように見える両手の存在が、メッセージを強化するうえできわめて重要な役割をはたしていることがわかります。いってみれば、文化的記号として観客の意識に作用しているのです。

 最後に聖母の頭上に描かれた後光を見てみましょう。

 後光はさり気なく薄く描かれています。ですから、ともすれば意識下に追いやられてしまいがちなのですが、よく見れば、聖母のまとったマントの頭上で、金色の鈍い光が薄い弧状になっていることに気づきます。しかも、明らかに聖母の頭上にだけ鈍い光が放たれています。

 現代社会の観客はおそらく、ほとんど誰も、これを見ていても後光だとは認識していないでしょう。ただの背景の一部でしかありません。ところが、聖母を表現しようとすれば、組み合わされた両手と同じぐらい、後光は重要な要素なのです。

 これまで見てきたように、これらの三つのモチーフ(目を閉じた聖母の横顔、組み合わされた両手、後光)はそれぞれ、神に向かって祈りを奉げる文化的記号として作用していることがわかりました。ですから、この作品がなぜ、強い訴求力を持っているのかを考えた場合、まず、複数のモチーフの相互作用による効果が考えられます。

 さらに、この絵のモチーフと構図には、誰もが目にする日常生活の一シーンのようなさりげなさがあります。つまり、観客を無意識のうちに説得するための文化的記号が、日常生活の延長上に仕組まれているのです。

 しかも、色彩を象徴的な色に絞り込み、影部分を多く設定した画面構成です。余分な情報は影部分に落とし込んで極力排除され、ノイズの発生が回避されています。だからこそ、この絵が明確なメッセージを持ち、強い訴求力で観客に迫ってくるのでしょう。時代を超え、社会体制を超え、ヒトの感情に直接訴えかけてくる強さの源泉は、モチーフと画法、画面構成にあるといえます。

■親指の聖母
 そういえば、数多くの聖母像を描いたカルロ・ドルチには、この作品に酷似した、「親指の聖母」という作品があります。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。東京国立博物館)

 現在、東京国立博物館に所蔵されておりますが、かつては長崎奉行所に所蔵されていました。宣教のため日本にやってきたシドッチ神父が、イタリアから携行してきた聖母像です。こちらは1678年の制作だとされています。

 「悲しみの聖母」と見比べてみると、構図、モチーフのポーズはほぼ同じです。ところが、興味深いことに、この作品に組み合わされた両手は描かれていません。親指だけがマントから少し見えているだけです。

 1655年ごろ描かれたとされる「悲しみの聖母」には描かれていた両手が、1678年に描かれた「親指の聖母」にはなく、その代わりに親指の爪先部分だけが描かれているのです。この23年間で画家カルロ・ドルチにどのような認識の変化が起きていたのでしょうか。

 手と指だけに着目すると、「悲しみの聖母」(1655年ごろ)が、手を合わせて祈るという行為に力点を置いているとすれば、親指だけを見せた「親指の聖母」(1678年)は、むしろ悲しみに力点を置いているように見えます。

 そこで、二つの絵を見比べてみると、「親指の聖母」では、マントの下から上部の頭髪やマントの裏生地が見えます。それも、やや明るい赤味がかった紫色で、滑らかな布の触感がきめ細かく描かれています。マントの布地も「悲しみの聖母」よりも影に落としこまれる部分が少なく、微妙な色彩の変化が比較的現実に即して描かれています。

 省略が少ないという点では、「悲しみの聖母」に比べ、23年後の「親指の聖母」の方がより世俗的になったといえます。その一方で、頭髪や衣服が写実的に描かれており、聖母の悲しみが観客に同一視されやすい状況で提示されているともいえます。

 先ほどもいいましたが、「親指の聖母」は、組み合わせた両手を描き、「祈る」行為まで見せずに、その一歩手前の「悲しみ」を表現する段階で留められています。ですから、観客が聖母の悲しみを共有することに力点が置かれているように見えます。

 おそらく、その方が見る者の感情を喚起しやすいからでしょう。悲しみの感情を共有する状態に置かれれば、宣教師の介入の余地が高くなります。悲しみから祈りへの道筋を説得しやすくもなるでしょう。描かれた内容からいえば、布教にはこの作品の方がふさわしいと判断された可能性があります。

 さて、似たようなモチーフの作品と比較することによって、「悲しみの聖母」が、実はきわめて抽象的な作品なのだと気づかされました。明暗のコントラストを強め、余分な情報をそぎ落としてさまざまなノイズを排除し、メッセージが明確に伝わる工夫がされていました。

 「親指の聖母」と見比べてみなければ、「悲しみの聖母」が持つ特性に気づきませんでした。時代を超え、社会体制を超えて観客を魅了する普遍性が、「悲しみの聖母」には備わっていることがわかります。

 改めて、アップで写真に収めた「悲しみの聖母」を見ていると、不意に、永遠の微笑といわれるレオナルド・ダビンチの「モナリザ」が脳裏を掠めました。

■スフマート技法の効果
 横顔(「悲しみの聖母」)と正面を向いた顔(「モナリザ」)とでは比較にならないのですが、どういうわけかこの二つの作品に似たものを感じたのです。念のため、「モナリザ」の顔部分に焦点を当てた図を見てみましょう。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。Wikipediaより)

 「モナリザ」は謎の微笑をたたえているともいわれてきました。それは口元や目元などに輪郭線を使わないで描く手法を採用しているかでしょう。ダビンチなど16世紀の画家が創始したとされるスフマート技法が使われているのです。

 スフマートとは、色彩の透明な層を何度も上塗りしていくことによって、絵に深みやボリュームを与える技法です。

 とくに有名なのが、この「モナリザ」です。口元や目元に輪郭線が使われず、この技法で描かれています。笑みを表現するための重要な部位がいずれも、ぼかし表現で処理されているのです。その結果、「モナリザ」は「謎の微笑」といわれたり、「永遠の微笑」といわれたりしながら、これまでずっと観客の気持ちを引き付けてきました。

 スフマート技法が使われているのは、もちろん、目元や口元だけではありません。

 柔らかで、滑らかな肌。眉毛さえ、まるで肌に溶け込んでしまったかのように、瞼から続く皮膚の盛り上がりとして表現されています。顔と頭髪との境目も同様、輪郭線はなく、影部分として処理されています。その影部分は頬から生え際にかけて、グラデーションで色が微妙に変化し、頭髪へとつながっています。いずれもスフマート技法が使われています。

 Wikipediaによれば、ダビンチが「モナリザ」を描いたのが、1503年から1506年です。存命中から画家として著名だったダビンチの「モナリザ」のことを、17世紀の宗教画家カルロ・ドルチは当然、知っていたでしょう。同じフィレンツェで活躍した画家です。カルロ・ドルチもまた、このスフマート技法を駆使して「悲しみの聖母」を描いたのでしょう。

 「モナリザ」の場合ほど、微妙なグラデーションが施されているわけではありませんが、輪郭線が曖昧だからこそ、肌の柔らかさや奥行きが感じられました。いわゆる肖像画よりはるかに表情が豊かで、奥行きがあり、リアリティが感じられたのです。スフマート技法ならではの効果といえます。

■観客は絵の何を見ているのか
 カルロ・ドルチは17世紀フレンツェで活躍した宗教画家でした。「悲しみの聖母」では、宗教画家が手掛けた作品らしく、祈りの持つ、敬虔さ、荘厳さ、信仰の強さ、他人を寄せ付けない峻厳さなどがみごとに表現されていました。描かれたモチーフが相互に関係しあって絵のメッセージを明確にし、強化する役割を果たしていたからでしょう。

 この作品には、明暗のコントラストを強調した画面構成といい、補色効果を考慮したモチーフへの配色といい、明らかに観客を引き込むための仕掛けが感じられました。観客がこの作品を見た瞬間、その視線を誘導し、釘付けにし、やがては感銘を覚えるような工夫が施されていたのです。

 さらに、「モナリザ」との類似性から、気づいたこともあります。それは、スフマート技法が持つ観客の無意識に与える効果です。輪郭線を引かずにモチーフを捉える代わりに、グラデーションを効かせて、影部分に新たな意味を付与していました。それが、観客の心に残影を残し、感情を強く喚起する力になっていくのでしょう。

 スフマート技法は、上から何度も薄い透明色の絵具を塗り重ねることによって、画面に奥行きを生み出し、微妙な風合いを創り出します。いってみれば、曖昧で、解釈しきれない要素を画面に持ち込むのです。

 「悲しみの聖母」では大きな割合を占める影部分がそれに相当するでしょう。曖昧で、解釈しきれないからこそ、観客の意識下にいつまでも奇妙な感覚が残ります。ひょっとしたら、それが時代を経ても、色褪せることのない新鮮さ、あるいは普遍性につながっているのかもしれません。この作品を観て、油絵の魅力の一端に触れたような気がしました。(2018/7/19 香取淳子)

「身野友之油絵展」に見る日本の詩情

■第11回「身野友之油絵展」の開催
 6月23日、東武デパートに出かけたついでに6F美術画廊を訪れてみると、「身野友之油絵展」が開催されていました。期間は6月21日から27日(最終日は16:30で閉場)までです。

 展覧会を頻繁に訪れ始めたのが、せいぜいここ3年ほどのことなので、残念ながら、私はこの画家のことは知りませんでした。ですから、まったくの興味半分で、ふらっと会場に入ってみたのです。

 会場には30点ほどの作品が展示されていました。どの作品も一見、何気ない風景が描かれているのですが、見ているうちに、どういうわけか、気持ちが締め付けられる思いがしてきます。いつもなら、さっと通り過ぎてしまうような画風なのですが、つい、作品ごと丁寧に見入ってしまいました。

 いったい、なぜ、そのような気持ちに捉われてしまったのでしょうか。考えてみたいと思います。

■「湖畔の道」
最初に作品を見たときの印象は地味で、なんの変哲もなく、さっと通り過ぎてしまいそうになりました。ところが、次の作品に移ろうとすると、どこか引っ掛かりを感じてしまい、引き返し、しげしげと見入ってしまった作品がいくつかありました。

 たとえば、「湖畔の道」という作品があります。これは、東武デパートのチラシに掲載されていた作品ですが、やはり気になるものがあって、しばらく足を止めてしまいました。

こちら →
(油彩、727×500㎝、画像をクリックすると、拡大します)

 どこかで見かけたことがあるような風景が描かれています。エッジの効いた風景ではなく、どちらかといえば、ありふれた光景を捉えた風景画です。ところが、見ているうちに、なぜか、切ない気持ちに襲われてしまいます。

 これは、遠景、中景、近景で構成されている風景画です。遠景に幾重にも連なる山々、中景にひっそりと肩を寄せ合うようにして建つ家々、そして、近景に低い石垣を左手に道路が描かれています。近景で描かれた道路の右側は草も生えておらず、荒れ地のようになっています。その荒れ地のようになっているところに、地を這うように雑草が生え、ピンクの小花をつけています。

 左側の石垣は延々と続いて近景と中景をつなぎ、観客の視線をはるか遠くの家並みに誘導していきます。よく見ると、石垣の内側に、ほとんど隠れてしまいそうになるほどわずか、屋根の一端が見えます。

 石垣の長さからは、敷地の広さが推測されます。かつては富豪の家だったのかもしれません。そう思えば、湖畔につづく手前の荒れ地は大勢のヒトが行き来した痕跡のようにも見えてきます。

■アングルの効果
 こうしてみてくると、一見、何気ない風景のように見えるこの作品に、見過ごすことのできない何かを感じてしまった理由がわかったような気がしてきます。この風景を、このアングルから捉えることによって、この集落の歴史、いってみれば栄枯盛衰の過程が見事に表現されているのです。一枚の絵でありながら、この集落の過去、現在、そして、未来までを想像させる力を持った作品でした。

 この作品を見て、胸が締め付けられるような気持ちになってしまったのはおそらく、観客の気持ちを深いところで刺激する訴求力を、この絵が持っていたからでしょう。その訴求力の源泉として大きく作用しているのが、先ほどもいいましたように、なんといっても、風景の切り取り方です。

 この絵は、盛りを過ぎた陽射しの下、ヒト気のない集落を含む風景が切り取られ、描かれています。試みに、この作品を要素に分解して見てみると、モチーフの取り込み方、配置の仕方、色調などが一体となって、この風景になんともいえない興趣を添えていることがわかります。

 改めて、この絵を見てみると、家並みまでの道のりが長く設定されていることに気づきます。通常、大人が立ってこの風景を見たとき、おそらく、このようには見えないでしょう。視点が低く設定されているのです。いってみれば、子どもの視点です。

 だからこそ、集落につながる道が必要以上に長く見え、水辺に至る草地のなだらかさが際立って見えます。さらには、手前で群生するピンクの小花に目が留まるのも、子どもの視点で捉えられた光景だからだといえるでしょう。このような低い視点の設定が、この風景に独特の味わいを醸し出しているのは明らかです。

■近景・中景・遠景、相互の統一感
 さて、この作品はラフに見ると、大きく3つの台形で構成されています。手前の道路と三角形の湖面が一つ目の台形とするなら、中ほどの家並みとその背後の山々が二つ目の台形、そして、大きく広がる青空が三つ目の台形です。それぞれに関連する色調が部分的に取り込まれ、全体が調和するよう工夫されています。

 たとえば、道路の右側にはわずかに湖面が見え、深い群青色が基調の湖面に静かな小波が立っています。その背後には幾重にもつながる山々が描かれ、後ろの山は湖面の群青色をさらに深くした色で表現されています。それら地上の一切合切を、大きく包み込むように描かれた青空には、要所要所に浅い群青色が配され、深さが感じられます。空と山と湖がこうして色調面で連続性を持たせられ、絵全体の統一感が生み出されています。

 山際には雲がうっすらと浮かび、どこまでも広がる青空の下、集落を包み込むようにして連なる山並みに、どっしりとした安定感が感じられます。この作品では、悠然とした営みをつづける山々にひっそりと寄り添って生きてきたヒトの暮らしが、見事に浮き彫りにされています。

 誰もが、いつか、どこかで、見たことのある風景です。この風景の中にはヒトと自然とのかかわり、連綿と続いてきた両者の営みが的確に表現されています。いってみれば、ヒトと自然が調和して営みを繰り返してきた歴史が刻まれているのです。だからこそ、観客の心を奥深いところで捉えて離さないのでしょう。

 ひょっとしたら、これが、身野友之氏の作品のエッセンスといえるものなのかもしれません。風景の捉え方の中に、深い人間観察の力が隠されているのです。だからでしょうか、どこでも見かける風景でありながら、観客の心を捉えて離さない強さがあるのです。

 それにしても、単なる風景画から、いったい、なぜ、そのように感じてしまうのでしょうか。似たような作品を取り上げ、身野友之氏の作品の魅力について考えてみることにしましょう。

■「夏の午後」
 改めて展示作品を見渡してみると、どれも風景を捉える構図が際立っていることに気づきます。といっても、決して鋭角的な際立ち方ではありません。観客を静かに作品世界に誘い込む力が際立っているのです。

 たとえば、「夏の午後」という作品があります。

こちら →
(油彩、410×273㎝、画像をクリックすると、拡大します)

 この作品もまた、田舎に行けばどこでも見かける風景のように見えます。道幅を大きく取り、左手に建物の塀、畑地を置いて、茅葺の家、瓦屋根の家と続き、道の先にはなだらかな山が見えます。

 遠景の山が低く見えますから、描かれている集落はきっと高度の高いところにあるのでしょう。右手には草むらの一端が見え、小道をはさんで瓦屋根の家が見えます。こちらは道路側にややせり出しており、その先の道は建物でふさがれて見えません。

 夏の陽射しが家々、草むら、木々を強く照らし出しています。屋根瓦と庇、木々や草むらに落ちる白い光で、強烈な夏の暑さと静寂が感じられます。夏の日の午後、暑い陽射しが照り付ける農村の一角が見事に捉えられています。

 この作品をラフに見ると、なんの変哲もない道路を中心に、建物が種々、配置されています。集落の一端が捉えられているのですが、ヒトの気配はありません。強い陽射しと、ここに住むヒトが代々、住んできたであろう様式の建物が描かれているだけです。ところが、この一枚の絵の背後に、この地に暮らす人々の過去、現在、そして未来の生活の営みが見えてきます。

 おそらくそのせいでしょう、見ているうちに、記憶の底に眠る情感が掘り起こされ、気持ちが強く揺さぶられるような錯覚に陥ってしまいます。何気ない風景でありながら、観客の心を鷲づかみにする強さが作品に潜んでいるのです。

■見慣れたはずの風景に潜む詩情
 最近、公募展などを見ても、油彩画で素晴らしいと思える作品に出会える機会が少なく、限界を感じていました。日本人には油彩画は向いていないのではないかとさえ思うようになっていたのです。とくに、日本人が日本の素材を表現するには適切ではないのでは・・・、という気がしてなりませんでした。

 ところが、たまたま身野友之氏の作品を見て、油彩画の可能性を感じさせられました。今回、二つの作品しか取り上げられませんでしたが、いずれも日本の素材を見事に油彩画で表現し、日本の詩情を心ゆくまで、豊かに奏でています。そのような作品を見たからこそ、油彩画の可能性を感じることができたのです。

 日本の詩情を奏でるとはどういうことかと問われても、即答はできませんが、「湖畔の道」あるいは「夏の午後」を見たとき、心の奥底から突き上げてきた、あの感情を生み出すものとでもいえばいいでしょうか。

 ヒトと自然が一体となって溶け込み、一つの風景を創り上げたとき、その風景には自ずと、過去、現在、未来にいたる時間軸が組み込まれていきます。身野友之氏がモチーフとして風景を取り上げると、ヒトの世の移り変わりもまた、その画面に深く反映されていきます。その結果、絵の具で表現されたモチーフの背後に潜む歴史が詩情を生み、観客の心を打つようになるのでしょう。

 日本的詩情を喚起するには、もちろん、身野友之氏の優れた写実力が欠かせません。彼の作品を目にしたとき、どこかで見たことのある風景だと思ってしまうのは、おそらく、この卓越した写実力のせいでしょう。ところが、よく見ると、単なる写生ではなく、身野氏ならではの風景の捉え方、切り取り方があって、独特の画面が創出されているのです。

 だからこそ、観客は作品の前で、どこか引っ掛かりを覚え、言葉にならない感情が湧きたってくるのでしょう。心の奥底に潜んでいた何かが揺り動かされたような気持ちとでもいえばいいのでしょうか、見ているうちに、居ても立っても居られないような気分になってしまうのです。

 興味深いことに、ありふれた風景画のように見えながら、どの作品も妙に観客を引き込む力がありました。詩情と表現しうるものが画面から滲み出ているのです。会場で目にした一連の作品はいずれも時代を超えることができると思いました。(2018/06/30 香取淳子)

大学入試に「情報科目」導入、学びの現場はどうなるか。

■「第9回教育ITソリューションEXPO、第1回学校施設・サービス展」の開催
 2018年5月16日から18日まで、東京ビッグサイトの西ホールで、「第9回教育ITソリューションEXPO、第1回学校施設・サービス展」が開催されました。

 激変する社会状況の中で、未来の教育はどうあるべきか。喫緊の課題を巡って、教育業界、関連機器業界の人々が集い、交流する場が設けられたのです。会場では次世代の教育に向けた機器やサービスが種々、展示されており、それらについて説明を聞くこともできれば、体験することもできます。貴重な機会だと思いました。

 私は事前に、主催者からVIP招待状を送付されていました。案内リーフレットにざっと目を通し、教育を巡る最新動向を知るには、絶好のチャンスだと思いました。そこで、興味のあるセミナーに申し込みをし、16日の午後と17日の午後、セミナーと展示会に参加しました。

 16日昼頃、ゆりかもめの国際展示場正門前で下車すると、人々は続々とビッグサイトに向かっていきます。

こちら →
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 会場に入ると、すでに受け付け前には参加者が多数、並んでいました。受付を済ませると、カテゴリー別の入場バッジを首からぶら下げます。そのバッジは所属あるいは関心領域に従って色別されており、名刺を入れられるようになっていました。

 参加者が首からぶら下げた入場バッジは、小中高、大学、事務局、各種学校、塾・予備校、自治体、教材・教育コンテンツ、ICT機器といった具合に、色別にカテゴライズされた所属や関心領域が表示されていますから、おおよその目的が一目で判別できます。

こちら →
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 展示会場に入ると、どのブースもヒトでひしめき合っていました。確かに、いま、教育現場はどこも悩みを抱えています。子どもの人口減少に加え、教育内容の向上、未来社会に適応した人材育成、等々。さまざまな課題へのソリューションが求められています。

 人材育成という点では、学校だけではなく、さまざまな組織でも同様の悩みが発生しています。いまや、あらゆる領域で、AI主導で激変する社会に適合した、人材育成に努めなければならなくなっているのです。

 人手が足りず、資金も足りない中、AIを活用したシステムを導入していかざるをえなくなっているせいでしょうか、どのブースも、ニーズに適したICT機器、あるいは、AIを組み込んだサービスを探し求めるヒトで溢れかえっていました。

 展示会場には、学校やその他の組織が抱える課題を解決するための、さまざまなICT機器やAIを組み込んだサービスが展示されていました。主催者によれば、教育関連企業の約700社が出展したといいます。

■学びNEXTゾーン
 私が興味を覚えたのは、「学びNEXT」とネーミングされたゾーンでした。そこで見聞きしたいくつかのサービスをご紹介しましょう。

〇アーティック社
このゾーンに入ってすぐ、アーテック(ArTec)という会社のブースで、ワークショップが行われているのを目にしました。

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 参加者たちはパソコンを前に、ブロック仕様の部品を使って、プログラミング演習をしていました。おそらく小学校の先生たちなのでしょう。

こちら →
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 講師の指示に従って、参加者たちはブロック仕様の部品を動かし、わからなくなれば随時、講師に質問をしていました。それぞれ真剣な面持ちで取り組んでいたのがとても印象的でした。

 そういえば、2020年には小学校課程でプログラミング教育が導入されます。先生たちも新たに学んだり、学び直していく必要に迫られているのでしょう。

 調べてみると、アーティックは2018年、ロボットプログラミングの推進によって、経済産業省から「ものづくり日本大賞特別賞」人材育成部門で受賞していました。

こちら →http://www.monodzukuri.meti.go.jp/backnumber/07/03_05_01.html

 若年層へのロボット教育へのハードルを下げ、小学校低学年から取り組める教材を開発したことが評価され、受賞したのです。

 すでに2万人もの生徒がこのロボットプログラミングを体験しており、来年も採用したいとする教師は98%、そして、生徒の授業への満足度は100%だったそうです。この結果からは、教師からも、生徒からも満足度の高い教育支援サービスだといえます。

こちら →http://www.artec-kk.co.jp/artecrobo/edu/
 
 ブロック型のプログラミングロボットなので、短時間で自由に組み立てられるだけではなく、子どもたちの独創性を活かせるところが、このサービスの利点といえます。しかも、アーティック社は、段階に応じた指導カリキュラムを開発し、プログラミング教室を開校しています。

 経産省は、こうした一連の業務をプログラミング教育の推進に寄与すると判断したのでしょう。「第4次産業革命を牽引する次世代人材の育成に貢献」として、アーティック社を高く評価しています。

 次に話を聞いたのが、ジンジャー・アップ社でした。

〇ジンジャー・アップ社
 このブースの前で目にした、「学びの未来の可視化」というキャッチコピーが気になって、立ち寄ってみたのが、ジンジャー・アップ社でした。「学びの可視化」とは一体、どういうことなのでしょうか。

 担当者に聞くと、「これまでのシステムとは違って、学習過程の履歴を蓄積できるので、どこで躓いたのかがわかる」、それが「学びの可視化」だということでした。

 ジンジャー社が提供する「学びの可視化」によって、学習者がこれまでの学習過程のどこで躓いたのかが具体的にわかるようになります。そうなれば、より適切に学習内容を改善することができますから、結果の向上につなげることができるというのです。すでに、いくつかの大学や官公庁、企業などで採用実績があるといいます。

こちら →http://www.gingerapp.co.jp/case/
 
 担当者から説明を聞いているときはよくわからなかったのですが、帰宅して調べてみると、ジンジャー社が提供しているサービスは、米国ADL(Advanced Distributed Learning)社が2013年4月に公開した新規格(xAPI=Experience API)に基づき、同社が開発した独自のシステムによって、運用されています。

 具体的にいえば、ジンジャー・アップ社はxAPI に基づき、LRS(Learning Record Store)を開発しました。xAPIというのは、これまでのeラーニングの世界標準規格(SCORM)の次世代規格です。新規格xAPIに基づいて、新たにジンジャー・アップ社が開発したのが、LRS(Learning Record Store)でした。

 LRSはさまざまなデバイスに対応しており、結果だけではなく学習履歴を詳細に記録することができます。トレーニングのトラッキングが可能なばかりではなく、複数のLSM間で履歴データの移行ができます。しかも、最新のwebテクノロジーが利用できるようになりますから、さまざまな教育関連の履歴を取得し、分析することができます。担当者は、データの関連づけによる新たな分析にも対応できるといいます。

こちら →https://xapi.co.jp/xapi-lrs/

 これまでの世界標準規格であるSCORMに基づくeラーニングでは、パソコンを使ってeラーニング教材の履歴管理をするぐらいのことしかできませんでした。ところが、xAPIに基づくLRSでは、さまざまなデバイスに対応していますし、複数のLRS間のデータ移行ができるようになりますから、さらにきめ細かなサービスを展開できるようになると担当者はいいます。

 こうしてみてくると、このシステムは、単に学校現場での利用に限らず、官公庁、企業での利用も可能だということがわかります。同社は、LRSを組入れたさまざまなサービスを展開しようとしていますが、導入実績が増えれば、データの蓄積もできます。分析の精度が上がりますから、さらに多様な展開も可能になるでしょう。場合によっては、人材不足が深刻になりつつある日本に必須の次世代サービスになるかもしれません。

 さて、お馴染みのペッパーを見つけ、思わず足を止めてしまったのが、ソフトバンクグループのブースでした。

〇ソフトバンク
 人型ロボット、ペッパーによるプログラミング教育を提唱しているのが、ソフトバンクでした。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 ペッパーを使って、子どもたちに親しまれやすく、わかりやすく、プログラミング教育を行っていこうというのがこのブースの謳い文句でした。小中学校282校へ2000台、3年間にわたって貸出し、9.1万人が受講予定だといいます。ソフトバンクは社会貢献事業の一つとしてこのプログラムを推進しています。

こちら →https://www.softbank.jp/robot/education/social/social02/

 ペッパーは身長121㎝、ちょうど小学校低学年の子どもの背丈です。子どもたちにとっては親しみやすく、話しかければ、応えてくれます。対面でコミュニケーションができる人型ロボットだからこそ提供できる機能を、ソフトバンクは強調しています。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 人型ロボットを操る面白さ、思いついたことは何でもペッパーを使ってやってみる気軽さ、そのような属性と機能は、子どもたちから主体的で積極的な学びを引き出してくれるかもしれません。しかも、このサービスでは、あらゆる科目に適合した教育内容を提供できるといいますから、どんな嗜好性を持った子どもにも対応できそうです。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 文科省はプログラミング教育を通して、対話的な学び、主体的な学び、深い学びを習得させようとしています。それら一連の学習過程を、このサービスではペッパーを通して実践できると担当者はいうのです。教科横断的なカリキュラムも提示されていました。

 もちろん、ペッパーをどのように授業に組み込んでいくか、具体的に示した教師用指導書も作成されています。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 この教師用指導書は、World Robot Summitジュニア競技委員であり、相模女子大学小学部副校長の川原田康文氏が監修しています。

こちら →https://www.softbank.jp/robot/education/social/curriculum/

 川原田氏は、人型ロボットのペッパーを使ったプログラミング教育では、子どもたちが対面でコミュニケーションをしているつもりで授業に臨むことができるといいます。おそらく、そのことが利点になっているのでしょう。実際にペッパーを使ってプログラミング教育をしている中学校では、「授業が楽しい」と回答した生徒が87%にも上ったそうです。

 今回、展示会場に来てみて、改めて、2020年から小学校で始まるプログラミング教育に向けて、さまざまな取り組みが考えられ、実践されていることがわかりました。

 それでは、その背景となる社会的課題とは一体、何なのでしょうか。同時開催されたセミナーの一端をご紹介することにしましょう。

■セミナー
 関連セミナーに私は、16日午後に二つ、17日午後に一つ参加しました。いずれも会議棟7階で行われました。順にご紹介していきましょう。

〇「人工知能で教育はどう変わるのか?」
 5月16日13:00~14:00まで、国立情報学研究所コンテンツ科学研究系の山田誠二教授による、「人工知能で教育はどう変わるのか? ~教育xAIの現状と今後の展望~」というタイトルの講演が行われました。

 山田氏はAIについて全般的なお話をされましたが、私が興味を抱いたのは、最初にスクリーンに映し出された図でした。会場では文字が小さく、よく見えませんでしたので、帰宅してから、「2017年 日本のハイプサイクル」という言葉を手掛かりに調べてみたところ、会場で見たのと同じ図を見つけることができました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。https://gartner.co.jp/press/html/pr20171003-01.htmlより)

 会場でこの図を見ただけでは、なんのことかわかりませんでしたが、ネットで調べてみたようやく理解することができました。ハイプサイクルとは、市場に新しく登場した技術が成長し、成熟し、衰退、あるいは市場に定着するまでの過程を、横軸に「時間経過」、縦軸に「市場からの期待」を置いて各種デジタル・テクノロジーを図示したものでした。

 そもそも、ガートナーのハイプサイクルは、企業があるテクノロジーを採用するか否かを判断する際の参考指標として開発されたものだといいます。

 かつてガートナーは、2012年には「モバイル」「ソーシャル」「クラウド」「インフォーメーション(アナリティクス)」の4つを緊密でかつ複合的に連携することが、デジタル・ビジネスの推進力になると指摘してきました。時を経てみれば、実際、その通りになっていますから、ガートナーの将来予測についてはある程度信頼してもいいのでしょう。

 さて、上図のハイプサイクルから今後のデジタル・テクノロジーを予測すると、いま騒がれているブロックチェーンや人工知能は5年から10年で成熟期に入っていきます。そして、ビッグデータは10年以上先には幻滅期に入るとされていますから、その後はあまり騒がれずに定着に向かっていくのでしょう。

 山田氏は、いまはデジタル・テクノロジーの端境期にあるといわれましたが、この図をみると、たしかにそうなのだということがわかります。

 さらに調べてみると、ガートナーは2018年3月27日、「2020年までに企業の75%はI&Oのスキル・ギャップにより目に見える形でビジネスの破壊的変化を経験する」という見解を発表していました。(https://www.gartner.com/newsroom/id/3869879

 最新のデジタル・テクノロジーに基づくI&O(Infrastructure Operations)を採用しなければ、大多数の企業がビジネス・チャンスを失ってしまうというわけです。当然のことながら、今後はビジネスの態様も変容していかざるをえず、AIに取って代わられる職域もでてくるでしょう。

 オックスフォード大学の准教授マイケル・A・オズボーン氏らは2014年、今後、現在の職業の約半分が消滅してしまうという内容の論文を発表して、大きな反響を呼びました。ところが、ガートナーは最近、最新のインフラを導入し運用していかなければ、企業の75%は大きなダメージを受けるという報告を発表したのです。

 さて、山田氏の講演でもっとも興味を喚起させられたのが、ハイプサイクルというデジタル・テクノロジーの捉え方でした。各デジタル・テクノロジーには固有のライフサイクルがあるのだとすれば、事業体はそれを見極めて導入する姿勢が必要になってくるのでしょう。

 もう一つ、興味深かったのが、人間にとって簡単なことがAIには難しく、AIには常識的な社会性を持たせることが難しいと述べられたことでした。AIの導入に際しては、ヒトが行う認識と機械が行う認識とは異なるということに留意し、対処しなければならないことがわかりました。

 最後に、ITS(Intelligent Tutoring Systems)については、研究レベルではまだこれからだということでした。今後の可能性としては、学生モデルを導入し、学習者より少しレベルの高いAIを導入し、「一緒に勉強したら、楽しいな」という学習者のポジティブな感情を喚起しながら進めるのがいいといわれました。

 今後は、ヒトにできること、できないこと、AIにできること、できないこと、この見極めが大切になってくるのでしょう。
 
 次に行政からの見解をご紹介しましょう。

〇「情報活用能力におけるプログラミング教育」
 5月16日15:00~16:00まで、文科省 生涯学習制作局 情報教育課 情報教育振興室 室長の安彦広斉氏による「情報活用能力におけるプログラミング教育」というタイトルの講演が行われました。

 ここではまず、平成28年12月の中教審答申で決定された教科書改訂の背景について、説明されました。

 2011年に小学校に入学した子どもにとって、将来、現在の職業の65%が存在しない、あるいは、今後10年から20年で半数近くの仕事が自動化される、さらには、2045年には人工知能が人類を超えるシンギュラリティに達する、そういった未来予測に基づけば、自ずと教育内容を変えていかなければならない、という理由からでした。

 安彦氏は、第4次産業革命といわれる今、IT人材の需要が高まっているにもかかわらず、質量ともに足りないといいます。特にデータサイエンティストが足りないのが深刻で、Society5.0に向けた人材育成を推進していくことが喫緊の課題になっていると指摘します。つまり、2020年から小学校で導入されるプログラミング教育は必須なのです。

 いま、世界的に教育改革が推進されています。知識や情報を活用する能力、テクノロジーを活用する能力、言語・シンボル・テキストを活用する能力、等々が重要になってきているからでしょう。

 AIやICT主導で激変する社会環境に適応していこうとすれば、情報教育の質の向上を目指さざるをえず、情報活用能力の育成、教科指導におけるICT活用、校務の情報化、といった教育現場全体の改革が必要になっているのです。

 安彦氏によれば、学習指導要領に「情報活用能力」が規定されたのは今回が初めてだそうですし、小学校の指導要領に「プログラミング」が盛り込まれたにも初めてだそうです。初めて尽くしの中で、小学校では文字入力などの基本的操作を習得し、プログラミング的思考を育成していくことを目的とし、情報基礎力を養っていこうとしています。

 安彦氏はさらに、小学校で導入されるプログラミング教育については、どの教科で、どのような取り組みをしていくか、先生たちの不安をなくす必要があるといいます。そのため、文科省等は下記のサイトを設け、プログラミング教育の狙いと位置づけについて説明するとともに、さまざまな事例を紹介しています。

こちら →https://miraino-manabi.jp/

 最後に、教育現場からの見解をご紹介することにしましょう。

〇「灘校が実践する、個々の能力を引き出す教育 ~アクティブラーニングってなんだろう~」
 5月17日13:00~14:00まで、灘中学校・高等学校校長の和田孫博氏による「灘校が実践する、個々の能力を引き出す教育 ~アクティブラーニングってなんだろう~」というタイトルの講演が行われました。

 和田氏は、ITネイティブの時代には、スマホ、タブレットを使いこなし、ロボットやAIを駆使できる人材が必要だといいます。

 それには、①課題にいち早く気づくこと、これには好奇心、発想力が大切、②普遍的知識や技能を習得し活用すること、これには初等・中等教育が大切、③皆で力を合わせて課題に対処すること、これには協働性が大切、④解決法を編み出すこと、これには応用力、粘り強さが大切、といった具合に、AI時代に必要とされる課題と対応能力、そして、それらを涵養する時期や精神について述べられたのが印象的でした。

 いずれも納得できるものでしたが、とくに、初等・中等教育では、「普遍的知識や技能を習得し活用すること」を課題として挙げられたのが興味深く思えました。和田氏は言葉を継いで、専門化細分化された特殊な知識や技能は汎用性が少ないといい、ITネイティブの時代だからこそ、初等、中等教育が大切だと述べられたのです。

 言われてみれば確かに、専門化細分化されすぎた知識や技能は汎用性が少ないといえるかもしれません。次々と新しい技術が開発されては消えていく現状をみていると、多様な展開を期待できる確かな基礎力こそ重要なのだという気がしてきます。

 さて、AIが進化すると、さらにグローバル化が進みますが、そうなると、異文化コミュニケーション力が大切になってきます。それには他国の社会や文化はもちろんのこと、自国の社会や文化に対する認識を深めていかなければなりません。その基本となるのが、中等教育での教養です。

 こうしてみてくると、和田氏が指摘するように、ともすれば高等教育への通過点として捉えられがちな初等・中等教育の充実を図ることこそ、ITネイティブの時代には重要なことなのかもしれません。

 そして、灘校での事例を紹介してくださいました。その中で印象に残っているのが、中勘助の自伝的小説『銀の匙』を題材にした教育法です。ある教員はこの小説を教材に、生徒たちに3年かけて、言葉を調べさせ、文化や生活を徹底的に調べさせ、学習を自発的に深化させていきました。具体的にいえば、「銀の匙研究ノート」を使って、生徒たちに予習を促し、その積み重ねとして、アクティブに学習に取り組む姿勢を養うことができたのです。教員が編み出した独自の教育法でした。

 このようなユニークな指導ができるのは、灘校が教員の自由や独自性を尊重し、教材や指導法一切が自由だからでしょう。誰もが模倣できるものではありませんが、ITネイティブの時代だからこそ必要な教育法なのかもしれないと思いました。

■大学入試に「情報科目」導入、学びの現場はどうなるか。
 2018年5月18日、政府が大学入試にプログラミングなどの情報科目を導入する検討に入ったと新聞で報じられました(産経新聞)

こちら →https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180518-00000070-san-bus_all

 17日に開催された未来投資会議で、安倍首相は「人工知能、ビッグデータなどIT技術、情報処理の素養はこれからの時代の”読み書きそろばん”だ」と述べたというのです。

 これまでみてきたように、2020年から小学校課程にプログラミング教育が導入されることはすでに決まっています。

 ですから、この記事の力点は、高等教育での情報教育の必要性に置かれており、それには、大学入試に「情報科目」を導入するのが一番だということにあります。すでに米中など、世界の主要諸国では情報教育の高度化に取り組んでいます。この流れに出遅れては、AI主導で進むSociety5.0に取り残されてしまうという危機感から示された見解だとみるべきでしょう。

 いずれにしても小学校でのプログラミング教育の導入は決定されていますので、今後はいかに現場で混乱なくスムーズに展開できるか、生徒が着実に習得できるか、工夫していく必要があるでしょう。

 今回、私は3つのセミナーに参加しましたが、立場の違う演者の3人とも、冒頭で、AIやICTの進化による社会変化に触れられました。未来社会についての認識が共通だったのです。

 たしかに、今後20年~30年後の日本を概観すると、少子高齢化によって減少した労働人口を補うために、外国人、AI、ロボットに依存するようになっているでしょう。そして、そのころ世界は、人工知能が人類の頭脳を超えるシンギュラリティ(技術的特異点)に達しているに違いありません。

 これまでは2045年といわれていましたが、最近は16年も早まり2029年にはシンギュラリティに達しているといわれています。

こちら →http://tocana.jp/2017/03/post_12665_entry.html

 グーグル者の技術ディレクターでもある未来学者のレイ・カーツワイル(Ray Kurzweil)氏は、「機械のおかげで我々はより賢くなる」とし、「2030年には思考を司る大脳新皮質をクラウドネットワークに接続するつもり」だといっています。シンギュラリティを迎えた暁には機械を人間の脳に取り込むことによって「超人」が誕生するというのです。

 いずれにしても、情報技術は進化し続け、社会が今後さらに、ドラスティックな変容を迫られるのは必至でしょう。これまで繰り返しいってきたように、やがて、これまでのヒトの仕事の半数が無くなり、ビジネスの様態も大幅に変化してしまうのです。そうなれば、どのような人材が必要なのか、どのような教育体制を取るべきなのか、といったことが喫緊の課題になってきます。あらゆる人々がこの問題に目を向け、考えを巡らせていく必要があるでしょう。

 展示会場を訪れてみて、AI、あるいはICTを活用したさまざまなサービスが考案されているのを知りました。今回、ご紹介したのは3つの事業者のサービスでしたが、いずれもAIやICTを高度に活用した技術が使われていました。気になるのは、AIにはヒトが持っているものが欠けている、ということです。今後はおそらく、両者の欠けた領域を補い合った新技術が出てくるでしょう。

 展示会のブースで、丁寧に説明してくれた人々には、切磋琢磨して情報技術を高めていこうとする気概が感じられました。知識と技能を武器に戦っている人々が開発した新しいデジタル・テクノロジーやサービスを目にすることができ、とても刺激的で興味深い展示会でした。(2018/5/20 香取淳子)