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曽我蕭白と横山崋山

「蝦蟇仙人図」にみる曽我蕭白vs横山崋山

■横山崋山展の開催
「横山崋山展」が東京ステーションギャラリーで、2018年9月22日から11月11日まで開催されていました。開催期間中、私はとても忙しく、行けそうになかったのですが、たまたま手にしたチラシに掲載された祇園祭りの絵柄がおもしろく、気になっていました。最終日の午後、なんとか時間を作り、行ってきたのですが、実際に絵の前に立つと、絵柄から浮彫にされた崋山の構想力が斬新で、惹き込まれてしまいました。無理して出かけた甲斐があったと思った次第です。

 会場には関連する絵師の作品数点を含め、120点ほどの作品が展示されていました。展示リストは以下の通りです。

こちら →http://www.ejrcf.or.jp/gallery/pdf/201809_kazan.pdf

 つい渡辺崋山と間違えてしまいそうになるのですが、展覧会のタイトルをよく見ると、横山崋山でした。私には聞き覚えのない名前です。チラシの説明を見ると、崋山は「江戸時代後期に京都で活躍した人気絵師」で、「曽我蕭白に傾倒し、岸駒に入門した後、呉春に私淑して絵の幅を広げ、多くの流派の画法を身につけました。そして、諸画派に属さず、画壇の潮流に左右されない、自由な画風と筆遣いで人気を博しました」と書かれています。

 そういえば、会場の展示も「蕭白を学ぶー崋山の出発点―」から始まっていました。よほど影響を与えられたのでしょう。

 展覧会は、第1の「蕭白を学ぶー崋山の出発点―」から、第2「人物―ユーモラスな表現―」、第3「花鳥―多彩なアニマルランドー」、第4「風俗―人々の共感―」、第5「描かれた祇園祭―《祇園祭礼図巻》の世界―」、第6「山水―崋山と旅する名所―」等々のコーナーで構成されていました。

 それでは、作品を見ていくことにしましょう。

■「蝦蟇仙人図」に見る蕭白vs崋山
 会場に入るとすぐ目につくところに展示されていたのが、曽我蕭白の「蝦蟇仙人図」です。先ほど説明しましたように、崋山が傾倒していたといわれる絵師の作品です。蝦蟇仙人という奇妙なタイトルが付いています。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。図録より)

 Wikipediaによると、蝦蟇仙人とは中国の仙人で、青蛙神を従えて妖術を使うとされているそうです。そういえば、この絵の下方に蛙が描かれています。これがその青蛙神なのでしょうか、大きな口を食いしばり、まるで睨みつけるように目を見開いて、仙人を見上げています。白い大きく膨らんだお腹が印象的です。よく見ると、両手を広げて上に向け、片足立ちで立っています。

 一方、仙人はといえば、まるで呪文を唱えてでもいるかのように、口を大きく開けて蛙を見つめ、押さえつけるような仕草で手を広げて下方に向けています。ひょっとしたら、蛙に対しなんらかの妖術を施そうとしているシーンなのかもしれません。

 この作品と並んで展示されていたのが、崋山の「蝦蟇仙人図」です。蛙といい、仙人といい、背景といい、同じ題材を描いたものであることは明らかです。おそらく、蕭白の作品を参考に、崋山が同じモチーフを描いたのでしょう。

 帰宅してから二人の生没年を調べてみると、横山崋山は1781あるいは84年の生まれで1837年に没していますし、一方、曽我蕭白は1730年の生まれで1781年に没しています。二人の生没年を見比べると、ちょうど崋山が生まれた頃、蕭白は亡くなっています。ですから、崋山は直接、蕭白に教えを請うたわけではなく、作品を通して私淑したということになるのでしょう。

 同じモチーフ、同じようなシチュエーションを同じ構図で扱いながら、二つの作品は微妙に異なっています。たとえば、崋山の作品は背景が単純化されているせいか、仙人と蛙の姿勢がよくわかります。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。図録より)

 仙人は桃を持った右手を後ろに回し、左手を蛙の頭上に大きくかざしています。右足は折り曲げて左脹脛に引っ掛け、しかも左踵をやや上げていますから、きわめて不安定な姿勢です。そして、顔面はといえば、俯き加減に黒目を上に寄せ、いかにも念力を放っているかのような異様な形相です。蕭白の描いた仙人にはこれほどの迫力はありません。

■モチーフと背景にみる、蕭白vs崋山
 蕭白が描く仙人は、両脚はしっかりと大地につけており、安定感があります。腕の挙げ方、背中から肩、腕にかけての筋肉の付き方、背骨の盛り上がり具合やわき腹の凹み具合など、人体構造を踏まえて描かれており、不自然さはどこにもありません。奇妙な姿勢を取る仙人の身体に沿って揺れる衣の描き方も柔らかく、リアリティが感じられます。

 仙人の顔はと言えば、目は比較的小さく、口は異様に大きく開けているとはいえ、ヒトに近い人相です。腕を上げ、うつむき加減に蛙を見下ろしているポーズで描かれていますが、身体の傾き加減、両脚の位置、そして、衣の揺れ具合のバランスが絶妙です。

 背後に目を向けると、仙人のポーズは頭上の木の枝の傾き、岩肌の傾斜とも呼応しており、画面に右から左への流れが生み出されています。風を感じることができますし、一種のリズムも感じられます。こうしてみてくると、蕭白は墨の濃淡やかすれ、滲みを巧みに使って、架空の世界をリアリティ豊かに描き出していることがわかります。

 一方、崋山の描いた仙人は、背中から腕にかけての筋肉の付き方、背骨やわき腹の骨、衣からはみ出た右腕の描き方がやや不自然です。おそらく、人体構造を意識せずに描かれたのでしょう。しかも、顔と上半身が大きく、全般に身体のバランスがよくありません。不安定なのです。それだけに、仙人の片足立ちの奇妙なポーズが強く印象づけられます。

 背景の山も、白黒の濃淡でエッジが強く描かれているのが印象に残ります。エッジが強すぎるせいか、画面上にモチーフと連動した動きは見られません。背景は極力、単純化され、モチーフを際立たせるためだけに墨の濃淡や強弱が使われているように思えます。こうしてみてくると、崋山の場合、画面にアクセントをつけるために墨の濃淡を使い、架空の世界をよりドラマティックに描き出す効果を狙っていることがわかります。

■サブモチーフの描き方にみる物語性
 これまで見てきたように、蕭白の絵と崋山の絵は同じモチーフを取り上げながら、微妙に異なっていました。大きく異なっていたのが、サブモチーフである蛙の描き方です。片足立ちをし、手を大きく広げて仙人に向けるポーズはとてもよく似ているのですが、顔とその姿が大幅に異なっているのです。

 たとえば、蕭白の絵の場合、蛙は片足立ちで、仙人の手に対抗するように両手を広げています。蛙のお腹は白く大きく膨らみ、傷ひとつありません。口は大きく曲げていますが、目はしっかりと仙人を見上げています。奇妙なポーズであることは確かですが、異様なところはどこにもありません。

 仙人もまた、口こそ大きく開けていますが、目に怒りが見られるわけでもなく、むしろ、微かに優しさが感じられます。手にした大きな桃の実を蛙に差し出そうとしているように見えなくもありません。奇妙なポーズ以外に違和感を感じさせるものはありませんから、これは仙人と蛙が交わす儀式のようなものなのかもしれないと思えてきます。

 一方、崋山の作品では、蛙のお腹に何か所も傷跡が見られ、くすんだ色をして痩せこけているように見えます。目は充血しているように見え、片足立ちしている姿もか細く不安定です。描かれた蛙の姿形がとても悲惨なのです。しかも、仙人の形相が凄まじいので、蛙の悲劇性が強調されています。仙人と蛙がまるで加害者と被害者のように見えてしまうのです。そして、視線をずらすと、蛙の悲惨さを補うかのように、仙人は後ろ手に桃の実と花を持っているのに気づきます。果たして、可哀そうな蛙にこれが見えているのかどうか。

 興味深いことに、仙人が後ろ手に持っている桃の実も花もほんのりと着色されていて、生気が感じられます。淡い色調から桃の実や花の香しさや美味しさ、柔らかな触感が伝わってきます。

 ちなみに中国ではかつて、桃は単なる果物ではなく、病魔や厄災を寄せ付けない力を持つとされていたそうです。そうだとすれば、仙人が後ろ手にした桃は蛙の傷を癒すためのものなのかもしれません。

 蛙の姿を見てその悲惨さに同情していた観客は、次に桃の実と花を見て、救護・治療を連想し、気持ちの安らぎを覚えます。危機感から安心感へと気持ちが転換していく過程がこの絵柄の中に生み出されているのです。一枚の絵が何段階にも観客の感情を揺るがしていくのです。これでは観客がこの作品世界に深くコミットしてしまうのも当然のことでしょう。

 サブモチーフである蛙と桃について、このような解釈が成り立つとすれば、淡く着色された桃の実と花はこの絵で語られるストーリーの着地点だといえるでしょう。ハッピーエンドの展開です。こうしてみてくると、崋山の卓越したストーリー構想力と表現力に感嘆しないわけにはいきません。蕭白に比べれば一見、稚拙に見える崋山の絵の方が、実は物語性に富み、訴求力の強い作品だったといえます。

■画面構成に込められた物語性
 このように見て来ると、崋山は蕭白の作品からモチーフを借りて似たような絵柄を作りながらも、そこにドラマティックな仕掛けをいくつか施していることがわかります。

 まず、背景を奥行きの感じられる山岳風景にし、蛙と仙人が、誰も容易に登ってこられないような高山のわずかに開けた場所に登場させたことが、ポイントとして挙げられるでしょう。空や地面には何も描かれていませんから、観客は蛙と仙人の所作を明瞭に捉えることができます。メインモチーフとサブモチーフをくっきりと浮き彫りにする構図です。

 背景で描かれた幾重にも連なる山々がこの作品の「序」であるとするなら、蛙と仙人の関わりの部分が「破」であり、仙人が後ろ手に隠し持っている桃の花と実が「急」に相当するのでしょう。崋山は一枚の絵の中に「序」「破」「急」で展開される三部構成のストーリーを持ち込んだのです。おかげで時間の広がりと空間の奥行が生み出され、この作品世界の豊かさが醸成されました。

 崋山の作品は、蕭白の作品を参考にしながら、モチーフの背後にあるストーリーを感じさせる絵柄、部分的な着色、余白の効果的な使い方、等々の工夫がなされています。その結果、一枚の絵の中にさまざまな時間や空間を感じられる印象深い作品に仕上がっています。

■顔輝の「蝦蟇鉄拐図」vs曽我蕭白の「蝦蟇・鉄拐仙人図」
 これまでご紹介してきたのは、曽我蕭白と横山崋山による「蝦蟇仙人図」ですが、Wikipediaによると、宋代に活躍した顔輝が描いた「蝦蟇鉄拐図」の影響で、蝦蟇仙人は鉄拐仙人と対の形で描かれることが多かったそうです。崋山のように蝦蟇仙人だけを取り出して描くのではなく、鉄拐仙人とセットで描かれてきたようなのです。

 そこで、元の絵を探してみると、両者を描いた顔輝の作品、「蝦蟇鉄拐図」を見つけることができました。14世紀の作品とされています。

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(図をクリックすると、拡大します。京都国立博物館蔵)

 左側に蝦蟇仙人、右側に鉄拐仙人が描かれています。両者とも岩に腰を下ろし、旅の途中なのでしょうか、頭陀袋のようなものを携えています。描き方に奇をてらったところはどこにもなく、どちらかといえば写実的で、仙人というより普通のヒトの通常の所作のように見えます。

 曽我蕭白は、この顔輝の「蝦蟇鉄拐図」に想を得て、「蝦蟇・鉄拐仙人図」を描いています。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。Wikipediaより)

 「蝦蟇・鉄拐仙人図」というタイトルの作品ですが、見てすぐわかるように、顔輝の「蝦蟇鉄拐図」とは印象がまったく異なります。右は先ほどからご紹介してきた蝦蟇仙人図ですが、左が鉄拐仙人図です。顔輝の「蝦蟇鉄拐図」とは左右が逆になっています。

 蕭白の描いた鉄拐は杖をつき、立ったままぷっと鼻と頬を膨らませ、ぶ厚い唇からふっと息を吐きだしています。その吐き出した吐息の中に、微かにヒトの形をしたものが描かれています。

 改めて顔輝の描いた鉄拐を見ると、岩に腰を下ろし、鉄の杖を胸元に抱え、衰弱したようすでした。説明文には「魂を噴出した所で元の体は脱け殻となってすでに死色を帯び、硬直しはじめている」と書かれていました。

 そうすると、蕭白が描いた吐息の中に見える微かなヒトの形は、鉄拐が死に際に吹き出したといわれる魂なのでしょうか。落ち窪んだ眼は虚空を眺め、心なしか、精神が無になっているようにも見えます。前面に頑丈な鉄の杖が強い筆致で描かれていますから、中国の故事通り、鉄拐の足が不自由だったことも示されています。

 ところが、蕭白の絵は、鉄の杖によりかかりながらも、足のつま先を上に向けてしっかりと大地を踏みつけています。これはエネルギーを感じさせるポーズです。顔面の頬の膨らみ具合といい、大地をしっかり踏み込んだ足元といい、とても死に体には見えません。ただ、よく見ると、顔面は所々、土気色になっているようにも見えます。

 これはおそらく、身体エネルギーを使い果たし、死に際に差し掛かった鉄拐が、最後のエネルギーを振り絞って、自身の精神を身体から解き放ったことが示されているのでしょう。滑稽なイメージで描かれた絵柄に、死に対する深淵な観念が浮き彫りにされています。顔輝の描いたオリジナルではわからなかったメッセージが、蕭白の絵からはしっかりと伝わってくるような気がします。

 こうしてみてくると、蕭白がオリジナルを相当デフォルメして描きながら、その本質を的確に捉えていたことがわかります。桃(蝦蟇仙人)や杖(鉄拐仙人)といったキーアイテムを押さえ、それらのメッセージを構成する要素を画面の目立つ位置に配置しています。しかも、メインモチーフは戯画的にデフォルメされて描かれていますから、顔輝の「蝦蟇鉄拐図」に込められたメッセージがいっそう強く印象づけられるというわけです。

 その蕭白の絵をさらに単純化し、カリカチュアしたのが崋山の作品でした。

■崋山のエスプリの効いたセンスの良さ
 「蝦蟇仙人図」をめぐり、蕭白と崋山、蕭白と顔輝の作品を比較しながら、ご紹介してきました。これまで見てきたように、オリジナルをデフォルメして理解しやすいように描き替えたのが蕭白だったとするなら、その蕭白の画風を模倣しながら、さらにメッセージ性を強めたのが崋山だったといえるかもしれません。

 蕭白がオリジナルの絵柄を再解釈して自身の作品として構築したとすれば、崋山はそこに物語性を加えることによって、絵柄に含まれるメッセージを強化したといえるでしょう。物事の本質を見つめ、それをしっかりと表現する能力がなければ、とてもこのような芸当はできるものではありません。

 このように考えてくると、改めて、チラシに書かれた文言が思い浮かびます。チラシには「崋山は作品の画題に合わせて自由自在に筆を操り、幅広い画域を誇りました」と書かれていました。

 今回、ご紹介した「蝦蟇仙人図」のような画題についても、崋山はどのように表現すれば見る者の気持ちに届くのか、より効果的にメッセージが伝わるのか、といったようなことを考え抜いたのでしょう。だからこそ、蕭白の作品にはなかった蛙のお腹の傷跡、桃の実や花の着色といった工夫を崋山は練り上げ、取り入れたのだという気がします。見る者の視線を誘導する仕掛けを作ったのです。

 さて、この時期、忙しかった私が時間を作ってわざわざ最終日に出かけたのは、チラシに掲載された祇園祭りの絵柄が面白かったからでした。どのような絵なのか見て見たくて展覧会場を訪れたのですが、残念ながら今回、ご紹介することができませんでした。会場に入って最初に見た絵(蝦蟇仙人図)に引っ掛かってしまったからでした。知的な刺激を受け、この作品にこだわってしまった結果、他の作品を紹介しきれませんでした。

 会場では、エスプリの効いたセンスのよさが光る作品にいくつも出会いました。いずれも崋山の柔軟な発想、そして確かな表現力に支えられたものでした。いつか機会があれば、ご紹介したいと思います。(2018/11/22 香取淳子)