ヒト、メディア、社会を考える

2017年

公開シンポジウム「デジタル社会における楽しい働き方」にみる、未来社会の光と影

■「デジタル社会における楽しい働き方」公開シンポジウム
 2017年4月27日(木)、公開シンポジウム「デジタル社会における楽しい働き方」が開催されました。主催はデジタルハリウッド会社とfreee株式会社、共催が情報通信政策フォーラム、そして、会場はデジタルハリウッド大学駿河台ホールでした。

 このシンポジウムの開催主旨は、デジタル社会で「楽しく・自由に」働ける社会環境を実現するには、どのような環境整備や人材育成が求められているのか、政治家、起業家、大学教員による議論を通して浮き彫りにしていくというものです。

こちら →http://kokucheese.com/event/index/462194/

 第1部の基調講演では、起業家の佐々木大輔氏(freee代表取締役)と杉山知之氏(デジタルハリウッド大学・大学院学長)によって、「楽しく・自由」な働き方の実例が紹介されました。

■freeeの場合
 佐々木氏の経営するfreee株式会社は、全自動のクラウド会計ソフトを提供する会社です。2012年7月に設立されたまだ若い企業ですが、3年連続で、Great Place to Work®が実施した「働きがいのある会社」(従業員100-999人)部門で上位にランクされています。

 Great Place to Work®は1991年にアメリカで設立された意識調査機関で、「働きがい」という観点から企業を調査し、ランク付けます。日本では2005年に活動が開始され、その活動はいまや世界50か国以上にも及ぶほどの起業評価機関です。当然のことながら、ここでのランキングは優良企業か否かの一つの目安となります。

こちら →https://hatarakigai.info/about/history.html

 そのGreat Place to Work®日本版で、㈱freeeは上位にランクされているのです。

こちら →https://hatarakigai.info/ranking/japan/
(従業員100‐999の項目をクリックしてください。)

 2017年度は3位でした。2015年度は5位、2016年度は4位だったそうですから、年々ランクアップしていることになります。この数字を見る限り、㈱freeeでは「楽しい」働き方が実践されているといっていいでしょう。本シンポジウムで紹介されるのにふさわしい企業だといえます。

 佐々木氏はまず、日本の中小企業の労働生産性はきわめて低く、諸外国と比較しても劣位にあること、非ルーティン作業に関わる時間がわずか27.5%しかないこと、等々の問題点を挙げました。それを打開するには、バックオフィスのプロセス全体を効率化し、創造的な活動にフォーカスできるようにする必要があると指摘します。

 バックオフィスの業務をデジタル技術によって簡素化できれば、本来の業務あるいは創造的な業務に、より多くの時間を割くことができるというわけです。さらに、バックオフィスだけではなく、全業務をクラウド化すれば、生産性の効率をより高めることができるといいます。このような発想によって生み出されたのが、全自動のクラウド会計ソフトfreeeです。

 個人事業主やフリーランサーのバックオフィス業務を支援するソフトといえるでしょう。

■デジタルハリウッドの場合
 杉山氏が学長を務めるデジタルハリウッドは、デジタルコンテンツの人材育成スクール、大学、大学院を運営する教育機関です。1993年に設立されて以来、23年間に9万人の卒業生を出しているといいます。2013年からは次世代主婦、ママデザイナー1万人育成プロジェクトを立ち上げ、子育て期の女性たちに学びと活躍の場を提供しています。

 会場では米子のケースが紹介されました。

こちら →http://www.cread.jp/studioyonago.html

 2012年12月1日に設立された米子スタジオが有能な人材を多数、輩出し、米子コンテンツ工場を立ち上げるまでに成長しているといいます。協力企業であるCREADの適切な支援を得られたことも一因でしょうが、なによりも意欲のある女性たちに学びと活躍の場を提供することができたからでしょう。

こちら →http://school.dhw.co.jp/school/yonago/ycf.html

 彼女たちは子育てをしながら、自宅でオンライン講座で学び、スクールでは学友と切磋琢磨し合い、コンテンツ制作の技術力を高めていきました。卒業後は、自宅でウェブ制作やフリーペーパーの作成などの仕事を請け負い、収入を得ています。

 学びから就労までの流れがスムーズに組み立てられており、家庭に埋もれていた人材を労働市場に引き出すことができています。彼女たちの仕事のおかげで、これまでホームページを立ち上げたくてもできなかった地元の事業者が、ネットで事業を展開できるようになったのです。

 デジタルハリウッド米子スタジオで学んだ彼女たちが、その人的ネットワークを基盤に、米子コンテンツ工場という組織を立ち上げました。そして、米子だからできることは何か、田舎の強みは何か、という観点からアイデアを練り上げ、コンテンツ制作に励んでいるそうです。デジタル技術によって彼女たちは、地域に根差し、地域のための仕事をすることができるようになったのです。

 杉山氏の基調講演では、「女性の活躍推進」という側面でのデジタル技術の効用の一端が示されており、やはり、本シンポジウムにふさわしい内容でした。

■デジタル社会での学びと仕事
 第2部は衆議院議員・IT戦略特命委員会事務局次長の小林史明氏が加わり、情報通信政策フォーラム理事長の山田肇氏の司会で、パネルディスカッションが行われました。

 まず、政治家の小林氏は起業家の佐々木氏に対し、デジタル社会での働き方の成功モデルがまだ築けていないが、㈱freeeではどのような人材評価を行っているのかと質問しました。

 これについて佐々木氏は、人材評価は一般的にわかりやすくするほど弊害が出てくるとし、組織カルチャーにどれほど貢献できるか、というのが一つの指標だといいます。さらに、定量的評価ではなく、定性的評価に時間をかけているともいいます。優秀な人材でチームを作らなければ、組織は発展しません。経営者としては、他と熾烈な競争をしてでも優秀な人材を獲得していく覚悟が必要なのでしょう。

 次に、政治家の小林氏は教育者の杉山氏に対し、教育面ではどのような課題があるのか尋ねました。これについて杉山氏は、高校までの日本の教育は実社会とはかなりズレていると指摘し、デジタルハリウッドでは、新入生にはまず、技術を教え、その後、教養や文化を教えていくという順で指導しているといいます。

 入学するとすぐ専門科目に入り、年次が進むと、教養科目を取り込んでいくというカリキュラムなのだそうです。通常の大学教育とは異なり、コンテンツ制作のための技術指導から始め、次いで、コンテンツの内容を深める教養や文化を学んでいくというのです。

■デジタル社会の実現を阻む要因、促す要因
 司会の山田氏から、MOOCは素晴らしいオンライン講座だが、作成した資料の著作権処理のため、大きなコストがかかるという問題点を指摘されました。調べてみると、たしかにテキスト作成に相当、コストがかかっていることがわかります(p.8を参照)。

こちら → 
http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/chosakuken/hoki/h27_02/pdf/shiryo7.pdf

 これでは担当者の負担がきつく、頼まれたとしても引き受けたくないでしょう。教育の現場では、他人の著作物の一部をコピーして学生に配布したり、パワーポイントで引用したりして授業を行うことが多々あります。それは教室で使用する限り、著作権の適用除外になるからですが、オンラインの場合、その適応除外の対象になっていないようなのです。ですから、上記のように多大な時間をかけて使用する写真などの権利処理を行わなければならなくなっているのでしょう。

 これは明らかに政治家が対処すべき課題でしょう。私は、教育利用なら、オンラインでも認めるべきだと思いますが、デジタル化されればコンテンツが広範囲に拡散してしまいかねず、権利者の権利を大幅に侵害してしまう可能性があります。そう考えると、現時点で解決策を見つけるのは容易なことではないことがわかります。

 これに関連し佐々木氏は、起業する場合も、申請手続きに23種の文書が必要だという問題点を指摘しました。そのような煩雑な業務が起業のハードルを高くしているというのです。これも政治家が対処すべき課題でしょう。

 これについて政治家の小林氏は、マイナンバー制度が普及すれば、すぐに解決するといいます。マイナンバー制の下で、簡単に本人認証ができれば、申請手続きも簡単に処理できるからだというのです。つまり、印鑑と対面原則の商慣行を、マイナンバー制度の普及によって打破することができれば、起業のハードルも低くなるというのです。ところが、実際にはまだ普及しておらず、起業手続きに限らず、さまざまな申請業務が煩雑さから解放されていません。

 パネラーの方々のお話しを聞いていると、その原因は、本人認証の方法が旧態依然としているからだと思えてきました。旧体制や旧慣行がデジタル社会への移行を阻み、起業意欲を喪失させているのだとすれば、より適切な制度に変更していく必要があるでしょう。IT関連のさまざまな現場を経験してきた小林氏は、マイナンバー制度が普及しなければ、デジタル社会には移行できないといいます。

 4月20日、法人税や所得税の申告の電子化が義務付けられ、2019年から実施されることが決まりました。今後、マイナンバー制とセットで、さまざまな申告業務の電子化が義務付けられるようになるでしょう。デジタル社会に向けた制度整備が推進され始めたようです。

■生産年齢人口の減少と働き方改革
 2010年には8000万人以上であった生産年齢人口(15~64歳の人口)が、2030年には6700万人ほどになると推計されています。いまから、わずか13年後のことです。

こちら →
(図をクリックすると拡大します。)

 このように生産年齢人口は減少するのに、高齢人口は増えていきますから、2030年には1.8人で高齢者1人を扶養しなければならなくなります。このまま手をこまねいていては、やがて日本社会が成り立たなくなる可能性も考えられるでしょう。そこで、ちょっと調べてみました。すると、いまから4年前の2013年、厚生労働省が以下のような労働市場分析レポートを出しているのがわかりました。

こちら →
http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyou/roudou_report/dl/20130628_03.pdf

 すでに4年前、労働生産性を高める必要性が説かれていたのです。人口動態から未来社会は比較的正確に予測できます。ですから、対策も立てやすく、想定される課題に対処することができるのです。今後、日本は、急速に生産年齢人口が減少する一方で、高齢人口が増えていきます。そのような社会状況を踏まえ、厚生労働省は労働政策を練り上げていたことがわかったのです。

 2017年3月28日、政府は「働き方改革」の実行計画を発表しました。9項目挙げられており、その詳細は以下のように設定されています。

こちら →http://www.kantei.go.jp/jp/headline/pdf/20170328/02.pdf

 網羅的な印象がありますが、労働市場の活性化という面で重要なのは、5項目「柔軟な働き方」と6項目「女性・若者の機会拡充、氷河期世代の支援」でしょう。生産年齢人口の減少時代を迎え、重要になるのは、労働生産性の向上と労働市場の活性化だからです。

 ところが、不思議なことに、この「働き方改革」の実行計画では、労働生産性の向上についての取り組みが希薄で、4年前に比べ、トーンダウンしたように見えます。

 今回のシンポジウムで報告され、議論されたように、生産年齢人口が減少するようになれば、今後さらに、デジタル技術を使って生産性を高める一方、性別や年齢を問わず、能力を発揮できる就労環境の整備を図ることが重要になってくると思います。

 さて、中小企業白書(2014年版)によれば、60歳以上がもっとも多く、32.4%を占めていました。

こちら →
(図をクリックすると拡大します。)

 このグラフからは、老いてなおアクティブに活動する高齢者像が目に浮かんできます。実感とはやや異なりますが、このデータが事実だとすれば、未来をそんなに悲観することもないでしょう。そんな気持ちにさせられるグラフでした。「働き方改革」の6項目「65歳以降の継続雇用や定年延長へ助成拡充」に関連していますが、「起業」ですから、こちらはもっとアクティブです。

 実際、㈱freeeが提供するソフトを使えば、高齢者でも、フリーランスや個人事業主として起業しやすくなるでしょう。そう簡単にチャレンジできるものではないと思っていた起業家さえ、高齢人口が増えると高齢者の割合が増えるのかと、私は感心してこのグラフを見ていました。

 ところが、ネットで「日本で企業した人の32.4%は60歳以上!?」というタイトルの記事を見つけたので、読んでみました。すると、中小企業白書(2014年版)にはこれに関連して別のグラフも載っていると指摘されていました。「起業希望者」(自分で起業したいと思っている人)の年齢構成のグラフです。

 そこで、「起業希望者」の年齢構成をみると、先ほどのグラフとはやや趣きが異なります。60歳以上は15.5%なのです。そして、こちらのグラフでは30代、40代が多いのです。日常的な感覚としてはこのグラフの方が自然で、納得がいきます。二つのグラフを並べてみると、以下のようになります。

こちら →
(https://seniorguide.jp/article/1002109.htmlより。図をクリックすると拡大します。)

 この記事では、二つのグラフの、60歳以上のカテゴリーの数字の差異について、以下の2つの解釈が可能だと考察されています。

1.シニア層は自己資金が潤沢で経験が豊富だから、起業までたどり着ける確率が高い。年を追うごとに、起業をサポートする環境が整っているので、シニア起業の割合が増えている。

2.シニア層は再就職が難しいので、仕方なく起業する人が多い。年を追うごとに、再就職への壁が高くなっているので、自営業となる人の割合は増えている。
(以上。https://seniorguide.jp/article/1002109.htmlより。)

 この二つの解釈のうちいずれか一つではなく、おそらく、二つともが妥当な解釈なのでしょう。私は、仕方なく起業する高齢者が増えているという解釈の方に、現実味が感じられます。年金だけでは暮らしていけず、かといって雇用の場も限られている、仕方なく起業するというタイプです。

■未来社会の光と影
 基調講演で紹介されたように、デジタルハリウッドが提供するオンライン講座を利用すれば、地方にいても家庭にいてもデジタルコンテンツの制作技能を習得することができ、収入を得ることができるようになることがわかりました。

 労働市場の活性化という観点からは、子育て期の女性だけではなく、高齢者もオンライン講座の対象にすればいいかもしれません。学びの機会が生まれれば、高齢者も身につけたコンテンツ制作技能を駆使して仕事をし、freeeなどのソフトを使って起業することが可能になります。そうすれば、地方にいても、家庭にいながらにして仕事をし、収入を得ることができるばかりか、地域社会に役立っているといういきがいをも得られます。

 このシンポジウムで紹介された二つの事例はいずれも、デジタル技術によってもたらされる未来社会の光の部分だといえます。だとすれば、未来社会の影の部分にも目を向けておかなければならないでしょう。

 たとえば、小林氏は、働き方改革の中で残業規制が今、話題を呼んでいるが、これはルールを決めることで生産性を上げることが目的だといいます。2050年には生産年齢人口が4000万人になり、今より4割減になるので、柔軟な働き方ができるようにならないと社会がもたないと指摘しました。

 確かに、「働き方改革」5項目の「柔軟な働き方」では、「テレワークを拡大、兼業・副業を推進」することが目指されています。有能な人材がその能力を多方面で使っていかないと、人材不足で社会が回っていかないということなのでしょう。

 佐々木氏も、副業しているヒトが増えている、今後は副業に寛容な社会にならざるをえないと指摘し、自動会計ソフトfreeeもそのために開発したといいます。

 さらに、杉山氏は、MITに在籍したころ、教授陣は4日がフルタイムでそれ以外は自由だったので、副業もできるし、新たな研究もできる、そこから自由な発想を得て、さらに研究に活かせることもできたといいます。この制度の下では、雇用者側は研究者を安く雇用できるし、研究者側は自由な時間を手にし、他から稼ぐことができるし、新たな研究経験を積むことができる、双方にメリットがあったと指摘します。

 以上、3人のパネラーの方々のお話を総合すると、労働の拘束時間を減らし、柔軟な働き方ができるよう制度整備すれば、有能な人材の能力を有効活用ができるし、雇用者、被雇用者ともにメリットがあるというものでした。

 これは一見、未来社会の光の部分に見えますが、実は、研究者であれ、企業人であれ、柔軟な働き方ができるのは、学界あるいは産業界、あるいは教育界、等々で求められる能力の保持者に限られています。

 そして、山田氏は、日本の労働人口の約49%が技術的には、人工知能やロボットで代替可能だと指摘します。

こちら →
(https://www.nri.com/~/media/PDF/jp/news/2015/151202_1.pdfより。図をクリックすると拡大します。)

 創造的な領域、あるいは、コミュニケーション領域では人工知能に代替するのは難しいといわれています。ところが、データの分析、秩序的、体系的操作が求められる仕事は、人工知能に代替できる可能性が高いというのです。

 山田氏のお話からは、労働生産性の向上を求めれば、AIやロボットに業務を代替させざるをえず、現在の約半分の労働人口が職を奪われることになります。創造的な領域、あるいはコミュニケーション領域で秀でた能力を保持するヒト以外は、AIやロボットが行う業務の補助的作業しか残されていないでしょう。デジタル技術がもたらす影の部分です。

 生産年齢人口が減少する未来社会では、さまざまな領域でデジタル技術に依存せざるをえなくなるのは事実です。デジタル技術はさまざまな不可能を可能にしてくれますし、能力の秀でたヒトにとってはさらなる活躍の舞台が待っています。

 ところが、秀でた能力を持ち合わせない普通のヒトにとって、どのような仕事が残されているのでしょうか。そもそも、食べていけるだけの収入を得られる職業に就けるのでしょうか。

 生産年齢人口の減少、介護を必要とする高齢者の増大といった社会状況はもうすぐそばまでやってきています。ですから、デジタル技術を活用することによって、対処していかなければならないのはわかっているのですが、同時に。デジタル技術によって生じるであろう社会的な歪みをどう是正していくかも視野に入れ、デジタル社会の実現に向けた制度整備を行っていく必要があるのではないかと思いました。(2017/5/1 香取淳子)

ソウル国立現代美術館で見た、Yoo Youngkuk氏の作品

■Yoo Youngkuk氏の「生誕100年記念展」
 昨年末、用事があって、ソウルに出かけました。ついでに美術館に立ち寄ってみようと思い、ネットで検索すると、ソウルの国立現代美術館で、Yoo Youngkuk氏の生誕100年記念展が開催されていました。開催期間は2016年11月4日から2017年3月1日までです。

 ずいぶん長い開催期間ですが、Yoo Youngkuk氏の作品をまとめて見ることができる貴重な機会かもしれません。Youngkuk氏のことを知っていたわけではありませんが、たまたまその時、展覧会が開催されていたので、訪れてみたのです。

 当時、ソウルは反朴デモが激しく、光化門広場にはデモ隊のテントが多数、並び、朴大統領、サムソン副会長、KIA会長らの像が攻撃の的になっていました。曇天の下、栄誉をきわめたヒトたちの末路が哀れでした。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。)

 いま、韓国の政治状況はさらに混沌とし、朝鮮半島全体が不穏な状況に陥っています。日々、報道されるニュースを見ていると、昨年末のソウルの状況を思い出し、ヒトの世の移り変わりの激しさに無常を感じてしまいます。

 あれからだいぶん時間が経ってしまいました。ようやくいま、Yoo Youngkuk氏の生誕100年記念展を振り返ってみる時間の余裕ができました。当時を思い起こしながら、作品紹介をしていきたいと思います。

 さて、ソウル国立現代美術館はなかなか風情のある建物でした。それもそのはず、この美術館は1938年に韓国で初めて建築された石造りの建物・徳寿宮石造殿の中にありました。徳寿宮に入り、石造殿に向かって庭園を歩いていると、知らず知らずのうちに、都心の喧騒から離れ、静かで落ち着いた気持ちになっていきます。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。) 

 会場に入ると、案内リーフレットがハングル表記でしたので、残念ながら、言葉から作品理解の手がかりを得ることができませんでした。しかも、具象画ではなく抽象画です。それこそ、何の手がかりもなく、色彩と形、質感といった非言語的要素と直に向き合うことになりました。

 もっとも、それだけに、Youngkuk氏の作品の本質を鑑賞することができたといえるかもしれません。これまで抽象画はこれまでよくわからなかったのですが、ある時期のYoungkuk氏の作品には強く心に訴えかけるものがあったのです。

 実は、Youngkuk氏が抽象画家だということも知らないまま、たまたまその時期開催されていたので、展覧会に出かけたのでした。帰国してからネットで検索すると、日本語でこの展覧会が紹介されていることがわかりました。

 私が見た展覧会のタイトルは「絶対と自由」であること、「Yoo Youngkuk」は漢字で「劉永国」と表記されることをこのサイトで知りました。

こちら →
https://www.mmca.go.kr/jpn/exhibitions/exhibitionsDetail.do?menuId=1010000000&exhId=201611090000504

■Youngkuk氏と日本の抽象画家
 1916年に韓国で生まれたYoungkuk氏は1935年、東京の文化学院に入学して絵画を学んだそうです。その後、1938年には第2回自由美術家協会展で協会賞を受賞し、その会友になったといいます。いずれも上記のサイトで知りました。

 さらに、ここではYoungkuk氏が長谷川三郎氏や村井正誠氏などとともに、当時、抽象絵画の領域でリーダー的存在であったと記されています。長谷川三郎氏といえば、現代抽象絵画の先駆者といわれている画家です。そして、村井正誠氏もまた抽象絵画の草分けの一人とされています。はたして、そのようなことがあるのでしょうか。Youngkuk氏は当時、まだ22歳ごろです。

 そこで、興味半分に、長谷川三郎氏や村井正誠氏の側からYoungkuk氏について調べてみました。その結果、両画家のいずれのプロフィール記事にもYoungkuk氏について記載されていませんでした。ただ、Youngkuk氏との関連を示す事柄がまったくなかったということもできません。ひょっとしたら、関連はあったかもしれないと推測できる程度の事実は多少、記されていました。

 たとえば、長谷川三郎氏については、村井正誠氏らとともに1937年、自由美術家協会を結成したこと、抽象主義絵画の発展に尽力したことがわかりました。

こちら →http://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8921.html

 また、村井正誠氏については、長谷川氏とともに自由美術家協会の結成に参加したこと、1938年に文化学院の講師になったことなどがわかりました。

こちら →http://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28143.html

 いずれもYoungkuk氏のことは書かれていませんが、これらの情報をつなぎ合わせると、当時、文化学院で学んでいたYoungkuk氏と、そこで教えていた村井氏との接点はあったと考えられます。つまり、Youngkuk氏は文化学院で村井氏に学び、抽象画の世界に親しんでいったのでしょう。

 一方、長谷川氏は欧米で3年間、絵画を学んで帰国した後、積極的な創作活動を展開していました。村井氏もまたフランスで4年間学んだ後、日本で新しい時代の美術活動を展開していました。両氏とも欧米の新しい絵画動向に触れ、さまざまな刺激を受けて作品を発表していたのです。両者が意気投合し、新しい芸術活動を展開していくとき、村井氏が学生であったYoungkuk氏を伴っていた可能性が考えられます。

 彼らが当時、何歳であったかというと、Youngkuk氏が受賞した1938年、村井氏は33歳、長谷川氏は32歳、そして、Youngkuk氏は22歳でした。ですから、年齢の面からみても、彼が当時、日本で抽象画のリーダー的存在であったとは考えられません。師としての村井氏や長谷川氏に従って、彼らが展開する新しい芸術活動に参画していたという程度のことでしょう。ですから、先ほどのサイトの記事は明らかに、Youngkuk氏の箔付けのための誇大表現といえます。

 ただ、実際にYoungkuk氏の作品を見てみると、どれも素晴らしいものばかりでした。とてもピュアで、時代を経ても色あせない、モダンな美しさに満ちていました。とくに、色彩の取り合わせが巧みで、強く印象付けられました。

■第2コーナーで見た印象深い作品
 会場では作品が年代別に、4つのコーナーに分けて展示されていました。おかげで、Youngkuk氏の創作活動の変遷過程をつぶさに追うことができました。山をモチーフにした作品が多かったのですが、その捉え方、描き方の変容から、Youngkuk氏の創作活動の推移を見ることができました。

 私がもっとも惹きつけられたのは、第2コーナーに展示されていた作品です。ここでは1960年から1964年に制作された作品が展示されていました。

 たとえば、1960年に制作された「山」という作品があります。

こちら →
(油彩、136×211㎝、1960年、図をクリックすると、拡大します。)

 抽象的な画面構成でありながら、木々のリアルな実在が感じられます。さまざまな種類の木々、岩石、草木、生態系としての山が色鮮やかに描かれています。遠景には白い木々、中景にはカーブを描くように散らされた鮮やかな赤、そして、近景に配置されたのが、左下の緑と、右下の茶です。それらの色が暗い画面の中で、快い緊張関係を保ちながら、配置されています。その緊張関係がシャープで、とても都会的で、洗練された絵柄になっています。

 同じ時期に描かれた、やはり、「山」というタイトルの作品があります。

こちら →
(油彩、キャンバス、136×194㎝、1961年、図をクリックすると拡大します。)

 この作品は、上の絵と同様の発想で描かれています。ところが、こちらは白の部分が多く、画面のほぼ半分を占めています。その結果、同じ「山」でも表情がやや異なってきます。白い木々を支えている白い基層部分が大きく描かれているせいか、上の「山」よりも、さらに山肌に近づいている印象があります。

 この作品もやはり、抽象的な画面構成でありながら、山の息吹すら感じられるリアリティがあります。さらに、この作品は、洗練された印象を損なわないまま、どっしりとした山の土臭さ、力強さを感じさせます。不思議なことに、この絵には、洗練と土着という相反する要素が混在しているのです。

 それにしても、なぜ、私はこの絵に相反する要素があると思ってしまったのでしょうか。ひょっとしたら、それは、この画面で大きな比重を占める白の使い方が繊細で、微妙なリズムがあり、それが岩山の鼓動すら感じさせてくれているからかもしれません。繊細さと無骨さが感じられるからこそ、そのような相反性を察知してしまったのでしょう。とても魅力的な作品です。

 さて、同じ第2コーナーに「作品」というタイトルの絵があります。

こちら→
(油彩、キャンバス、130×194㎝、1964年、図をクリックすると、拡大します。)

 会場で見たとき、鮮やかな赤が印象的でした。よく見ると、赤の補色である緑が効果的に使われています。赤い半球のようなもの(りんご?)の横には緑の葉が散るように描かれ、画面に流れを作っています。

 そして、赤の半球の上にも暗い緑の葉のようなものが配され、上方には明るい緑色の帯が太く横一線に描かれています。緑がかった暗い画面の中で、半分のリンゴが逆さまになっている形状の赤が、いっそう際立っています。

 この作品にも、色彩の取り合わせの妙味があって、惹きつけられます。赤と緑、オレンジといった具合に、使われている色数が少なく、それだけに、それらの色をきめ細かく使いわけながら、画面構成、モチーフの配置を考えられたのでしょう。色彩を制限する中で究極の美しさが追求されていることがわかります。

 このコーナーの作品にはいずれも華やかさがあって、強く印象付けられます。

■いまなお新鮮なYoungkuk氏の世界
 思えば、この展覧会はYoungkuk氏の生誕100年を記念して開催されたものでした。それなのに、どの作品をみても決して古びていません。いまなお新鮮な輝きを放っているのが、不思議でした。

 たとえば、第1コーナーで展示されていた作品に、「山」というタイトルの絵があります。

こちら →
(油彩、100×81㎝、1957年、図をクリックすると、拡大します。)

 緑と青、黒を基調にした画面に、太い黒の線で一筆画きのような、シンプルな形状がいくつも描かれています。山を構成する木々、草木、岩石などが表現されているのでしょう。シンプルで平面的な構成の中にモダンなテイストが感じられます。下方には、さり気なく、明るい緑の上にオレンジの線が描かれており、アクセントとして効いています。

 第3コーナーにも、やはり、「山」というタイトルの作品が展示されていました。

こちら →
(油彩、135×135㎝、1968年、図をクリックすると、拡大します。)

 この作品では、線によって形状を表現するのではなく、三角の組み合わせで「山」が表現されています。線を使わず色彩で形状が表現されていますから、境界線の色遣いが重要になってきます。その観点からこの絵を見ていくと、左側の三角の境界線が水色で描かれ、その先は紫のグラデーションで塗られています。まるで、夜空の下での山並みが目の前に浮かんでくるようです。

 一方、その同じ三角の左側の境界線は緑色のやや太く描かれています。ですから、夜空とはいえ、もう明け方に近いのでしょう、うっすらと木々の色が浮き上がってきているようです。

 Youngkuk氏の作品はいずれもこのように、抽象画といいながら、このように見る者の想像力を刺激し、リアルな実在を感じさせるところに妙味があるのではないかと思いました。この作品もまた、平面的な構成でありながら、奥行きを感じさせ、快いリズムを感じさせてくれます。

 私はこれまで抽象画はあまり見たことがなかったのですが、今回、ソウルではじめて、Youngkuk氏の作品を見て、抽象画ならではの永遠性、洗練されたモダンを感じました。私が好きなのは第2コーナーに展示されていた諸作品ですが、この時期の作品にはどれも、洗練された華やかさがあります。

 なぜなのでしょうか。

 そこで、手がかりを得るため、Youngkuk氏の展覧会を案内するサイト(前掲)から、彼の来歴を見ると、この時期、Youngkuk氏は韓国で現代美術を志向する若手の画家たちから尊敬されていたようです。だから、半ば、求められるように、彼は、若手を牽引し、抽象と前衛を標榜した運動を積極的に展開していたのでしょう。

 そのような事実を知ると、あの時期の作品に感じられる溢れるような才気とエネルギーは、Youngkuk氏が未来を思考する若い人々に囲まれ、現代美術の理論と実践を追求していたからではないかと思えてきました。

 第2コーナーに展示されている諸作品には、独りで創作している際には生まれるはずのない、他人を意識した煌めきのようなものがあったのです。私はそこに惹かれたのでした。

 その後、彼はグループ活動をやめ、一人で籠って、創作活動に専念するようになります。当然のことながら、作品の雰囲気も変化していきます。第3コーナー、第4コーナーの作品には、第2コーナーのような煌めきは見られませんでした。もちろん、第1コーナーの作品にもありません。

 こうしてみてくると、単独で行っているはずの創作活動にも、実は他人の影響が及んでいるということを思わないわけにいきません。このこともまた、Youngkuk氏の展覧会を見て得ることができた発見の一つといえるでしょう。(2017/4/17 香取淳子)

東京アニメアワード2017:「日本のアニメーション教育を多様化することを考える」に参加し、考えてみた。

■「日本のアニメーション教育を多様化することを考える」
 2017年3月12日、「東京アニメアワード2017」の一環として、池袋の産業生活プラザ8Fで、国際交流パネル3「日本のアニメーション教育を多様化することを考える」が開催されました。

 このパネルは第1部として、各国のアニメ教育関係者から、実践されている教育内容とその特質などについて報告、次いで、第2部として、制作会社やアニメーターとして活躍されている方々から、体験を踏まえ、教育内容について報告、という構成でした。

 登壇者は、ダビデ・ベンベヌチ(Davide Benvenuti:シンガポール南洋工科大学アートデザインメディア校准教授)氏、、トム・シート(Tom Sito:アメリカ南カリフォルニア大学アニメーション学科教授)氏、、ニザム・ラザック(Nizam Razak:マレーシアのアニメ会社アニモンスタ・スタジオズCEO)氏、、ハン・リーン・ショー(HAN Liane Cho:アニメーター/絵コンテ作家)氏、、ロニー・オーレン(Rony Oren:イスラエルのエルサレム ベツァルエル美術 デザイン学校教授)氏、そして、日本からは東京芸術大学教授の岡本美津子氏と同大学教授の布山タルト氏でした。

こちら →http://animefestival.jp/screen/list/2017panel3/

 今回、報告されたアニメーション教育については今後、日本が参考にしなければならないところも多いでしょう。そこで、報告内容に沿って、別途、関連資料を渉猟し、それらを含めてご紹介しながら、見ていくことにしたいと思います。

 それでは、アメリカ、イスラエル、シンガポール、日本の順で見ていくことにしましょう。

■各国のアニメーション教育

アメリカ

 トム・シート氏は40年以上、ディズニーやドリームワークスなどでアニメ制作に携わり、『リトル・マーメイド』『ライオンキング』『シュレック』などの作品を手掛けてこられました。アニメーションに関する本も4,5冊出版されています。

こちら →https://www.amazon.co.jp/Tom-Sito/e/B001JS9O9U/ref=sr_ntt_srch_lnk_2?qid=1489820556&sr=8-2

 40年前、シート氏がアニメ制作を始めたころ、アニメーション教育を行う学校はせいぜい2,3校だったそうです。ところがいま、アニメーション教育を行う大学や専門学校が大幅に増えています。デジタルメディア業界からの要求に応じていくうちに、そうなったようです。ところが、教育内容はそれぞれ多種多様、実践に役立つ教育をしているところもあれば、芸術に傾いた教育をしているところもあるといいます。

 そんな中、シート氏が在籍されている南カリフォルニア大学(USC)は、全米屈指のアニメーション教育を行う大学として認知されているといいます。

こちら →http://anim.usc.edu/

 USCの場合、アニメを教えるクラスはすでに1930年代半ばにはあったそうですが、専攻としてアニメ学科が創設されたのは、1990年でした。現在のカリキュラムは以下のようになっています。

こちら →http://anim.usc.edu/about/curriculum/

 上記のカリキュラムの下で教育を受けた学生は、2Dか3D、またはVRの作品を1本制作することが課せられています。理論と実践の両方を学び、最終的に自身で作品を制作することが課せられるのです。

 アニメ学科の教員はトム・シート氏をはじめ、教員それぞれが多士済々のメンバーで構成されています。とくにトム・シート氏は1998年、アニメ雑誌でアニメ界でもっとも重要な100人のうちの一人に選ばれています。豊富な制作実践に裏付けられ、クリエーターとして高く評価されているのです。

 そのような来歴のトム・シート氏を専攻長にもつUSCのアニメ学科は、学生ばかりでなく教員もまた相互にクリエイティブな刺激を与え合っているのでしょう。創造的な活動を展開していくには、最適の環境だといえます。教員の面からいえば、アニメーション制作を行うための教育環境としてとても恵まれていると思います。

 環境といえば、USCの設備環境もまた充実しています。たとえば、著名な俳優のジョージ・ルーカスはUSCに巨額の寄付をし、制作設備の整った建物を建築しました。個人としては過去最高の寄付金額だったそうです。この建物はその後、建て替えられ、今は諸設備が新しく整備され、進展する技術に対応できるようになっています。

こちら →https://en.wikipedia.org/wiki/USC_School_of_Cinematic_Arts

 一方、USCは研究大学でもありますから、実験的な映像制作を行い、さまざまな表現の可能性を追求しています。学生は講義を受けるだけでなく、様々なワークショップに参加することもできます。理論と実践の両面から、多様な刺激を受け、それらを参考にしながら、学生たちは制作設備の整った環境の中で、自身の作品を制作していくのです。こうしてみてくると、USCがアニメーション教育についてはアメリカ屈指の大学だといわれるだけのことはあると思わざるをえません。

 ところで、シート氏はハリウッドのゴールデンエイジに活躍したアニメーターの弟子だったそうです。シート氏の恩師は、ニューヨークの消防士の息子だったシート氏を快く受け入れ、懇切丁寧に、そして、厳しく教えてくれたといいます。シート氏はそのことを深く感謝していました。

 さらに、シート氏はその恩師から、「私たちが教えたように、後の世代を教育してほしい」といわれたそうです。ですから、シート氏はいま、彼から授かったものを、彼がしてくれたように、学生たちに教えているといいます。教える者と教えられる者とが信頼しあう関係を築き上げてこそ、実効性のあるいい教育ができるのでしょう。とても示唆深いエピソードでした。

イスラエル
 
 オレン氏はこれまでの42年間、アニメーターとして制作に携わる一方、37年間、イスラエルでのアニメーション教育に携わってきました。彼の来歴を辿れば、1980年から2002年まで、イスラエルのさまざまな学校で教え、2000年から2008年までは、イスラエルのベツァルエル美術デザイン学校でアニメーション学部長を務め、現在は同校の教授です。このような経歴を見ても、彼がイスラエルのアニメーション教育の先駆者であり、制作と教育の両面を率いてきたことがわかります。

 さて、彼がアニメーターになったころ、イスラエルにはアニメーターが5人しかおらず、制作したアニメを放送するテレビ局も一つしかなかったといいます。制作者はもちろんのこと、アニメを放送するテレビ局も圧倒的に少なかったのです。もっとも、テレビ局が一つしかなく、寡占状態だったおかげで、放送された作品はイスラエルのすべてのヒトに見てもらえました。そのことはアニメ業界の進展にとって大きなメリットだったといえるでしょう。

 それにしても、ネットがなかった時代に、わずか5人で一からアニメ業界を立ち上げていくのが、いかに大変なことだったか。オレン氏たちの往時の苦労がしのばれます。イスラエルでアニメ業界を立ち上げるため、彼ら5人はまず、世界中のアニメフェスティバルに赴き、さまざまなアニメーションを見てきたといいます。そして、それらの見聞を踏まえ、1970年代にアニメーション教育を始めました。当時、初心者コースと上級コースしかなく、専門学科はありませんでした。

 そして、2000年になってようやく、大学に学部生用のフルコースの教育課程が創設されました。このときもオレン氏たちは、海外のさまざまな大学を参考にし、カリキュラムを作成したといいます。そうしていくうちに、イスラエルでもケーブルテレビが増え、アニメ需要も高まってきました。

 もちろん、当時はまだテレビアニメ、商業アニメの制作が中心でした。とはいえ、コンテンツへの需要が高まってきたことは業界にとって、またとない好状況が訪れたといえます。その後、イスラエルではいわゆるアニメ革命が起き、その勢いが17年間、継続しているといいます。

 イスラエルで現在、完全なアニメーション教育のプログラムを提供しているのは、オラン氏が在籍するこのベツァルエル美術デザイン学校だけだそうです。ですから、アニメーションを学ぶために同校に、毎年46名もの学生が入学してくるようになったのです。現在、学生数は170名だといいます。

こちら →https://web.archive.org/web/20071022092403/http://bezalel.ac.il:80/en/

 イスラエルは人口800万人ほどの小さな国です。そのことを考えれば、この学生数が相対的にどれほど多いものであるかがわかろうというものです。この数字から、イスラエルでは多くの若者がアニメーション制作の担い手になる夢を抱いていることが読み取れます。

 そして、オレン氏たちが創り上げてきたアニメーション教育の成果も徐々に現れてきているようです。たとえば、イスラエルでは今年、劇場アニメ映画が5本制作されましたが、制作者のほとんどがオレン氏の大学の卒業生だそうです。同校では以下のようなカリキュラムの下、アニメーション教育が行われています。

こちら →http://www.bezalel.ac.il/en/academics/
 
オレン氏はクレイアニメーションの専門家です。

こちら →http://ronyoren.com/about/rony-oren/

 国境を越えて、クレイアニメーションのワークショップも実践されているようです。下記は2016年にクロアチアでワークショップが行われたときの様子が報告されたものです。

こちら →http://ronysclayground.com/gallery/ronys-croatian-tour-2016/
 
 一連の報告を聞いていると、国境を越えて活躍するアニメーション制作者が教育の現場に立っていること自体、学生にとってはすばらしい教育の実践になるのだと思えてきました。 

シンガポール
 
 ダビデ・ベンベヌチ氏は現在、シンガポール南洋工科大学准教授です。イタリア出身のアニメーターで、25年間、アニメ制作の仕事をしてきました。その制作実績を買われ、南洋工科大学で教鞭を取るようになりました。シンガポールでのアニメ需要に応じ、制作者からアニメ教育に身を転じたのです。

こちら →http://research.ntu.edu.sg/expertise/academicprofile/Pages/StaffProfile.aspx?ST_EMAILID=DBENVENUTI

 ベンベヌチ氏は、日本の古い世代には懐かしい、『カリメロ』の制作にも携わってこられたそうです。『カリメロ』は、日本では東映アニメーションが制作し、1974年10月から1975年9月にかけて日本テレビ系で放送された作品です。

こちら →http://www.toei-anim.co.jp/lineup/tv/karimero/

 可愛くてユニークなキャラクター、カリメロを私はいまでもすぐに思い出せます。当時、日本の子どもたちの間で大きな人気を博していました。

 さて、ベンベヌチ氏はイタリアを出てから、ディズニーやドリームワークス、さらにはオーストラリアでも仕事をしてきたといいます。2D、3D、TVアニメ、さらにはビデオゲームまで、アニメーションに関連するさまざまな領域で仕事をしてきました。このような幅広いアニメ制作の実践歴が目に留まったのでしょう。

 9年前、南洋工科大学アニメ・デザイン・メディア校の非常勤講師となり、4年半前に常勤の准教授になりました。南洋工科大学アニメ・デザイン・メディア校(ADM)は、2005年にシンガポール政府の支援の下、設立されました。設立に際しては、シンガポール政府が最新設備を備えた施設を提供してくれたそうです。この領域が今後、新たな産業としても期待されているからでしょう。

こちら →http://www.adm.ntu.edu.sg/Pages/index.aspx

 ADMは、学部から大学院修士課程、博士課程までも備えており、アニメーション教育については完全なプログラムが提供されています。たとえば、学部生のカリキュラムは以下のようになっています。

こちら →http://www.adm.ntu.edu.sg/Programmes/Undergraduate/Pages/Home.aspx

 さらに、学部間の協力で、学際的な研究ができるような配慮もなされています。幅広くアニメーション教育ができるように教育システムが設計されているのです。

 シンガポールの場合、アニメを教える教員もアニメ業界人もほとんどが外国からやってきたそうです。能力を買われて引き抜かれてきたヒトたちなのでしょう。それだけに、ADMの教員は優秀なヒトが多いとブヌベヌチ氏はいいます。

 たとえば、この大学の准教授 Ina Conradi Chavezは、2017年2月にロサンゼルスで開催された映像フェスタ・アニメ部門で受賞しました。

こちら →
(http://www.studentfilmmakers.com/3d-filmmaking-alive-and-well-at-sda-2017/より)

 このように最先端のクリエーターが教員なのです。ADMは海外からの優秀な教員を揃えているばかりか、シンガポール政府が提供した最新設備を備えた施設があります。そのような教育環境の下、学生たちはアニメの理論と実践を学び、自主制作に励んでいるのです。すばらしいクリエーターが排出されるのも当然といえるでしょう。

 ADM学では3年前からアニメコースを二つに分けました。一つはアニメを学ぶコース、そして、もう一つは特殊効果を学ぶコースです。後者は学生の進路を考え、設定されたコースだといいます。卒業した学生たちがシンガポールで就職できるようにするには、アニメ制作会社をターゲットにしたコースばかりではなく、CMや映像一般、ゲーム会社などをターゲットにした特殊効果コースが必要だと判断されたからでしょう。

日本

 アニメ大国といわれながら、日本ではアニメ専攻を持つ大学は10校もありません。ですから、アニメを大学で系統的に学ぶ機会は少なく、学生が独自にアニメを学んでいるケースが圧倒的に多いのです。

 東京芸術大学の岡本美津子氏は、日本の大学でアニメ専攻を創るのはとても難しいといいます。実際、東京芸術大学では2008年に大学院としてアニメ専攻が創設されましたが、アニメ専攻の学部はいまもありません。

 さて、東京芸術大学大学院では現在、1学年16名で、総勢、32名が学んでいます。

こちら →
http://www.geidai.ac.jp/wp-content/uploads/2013/07/www.geidai.ac_.jp_film_pdf_anim_pamphlet.pdf

 高度な表現能力を持ったリーダーを要請するのが目的だとされており、①「才能発見型教育」によるリーダーの育成、②「つくる」を主体とした現場主義の教育環境の創造、③革新的なアニメーション表現を創造、④「総合的なネットワーク」の形成、等々が掲げられています。

こちら →http://www.geidai.ac.jp/department/gs_fnm/animation

 以上のような目的を達成するために、以下のようなカリキュラムが設定されています。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。)

 これを見ると、グループ制作や講評、あるいは、外部から招聘したベテランクリエーターの下で制作実践を行うといったところに力点が置かれているのがわかります。従来、日本の大学教育は現場とは乖離していると指摘されてきましたが、その難点が克服されたカリキュラムになっています。学生たちは1年次で1作品、2年次で1作品、制作することになっており、創造的な実践が求められているようです。

 岡本氏は、東京芸術大学では多様性を持たせるような教育をしているといいます。そして、多様性がいかに重要かということの一例を紹介してくださいました。それは、芸大で、国際合同講評会を行った際、ロボットを扱った作品が日本人からは評価されていなかったのに、海外の専門家からは好評を得たというエピソードです。このような経験からいっそう、海外からの多様な視点を教育に取り入れることの必要性を岡本氏は感じられたようです。 

 それでは実際に、学生たちはどのような作品を制作しているのでしょうか。第7期修了生の作品の予告編がありますので、ご紹介しましょう。

こちら →http://animation.geidai.ac.jp/07yell/

 まさに多種多様、さまざまなテイストの作品のオンパレードです。ここで見られる制作の萌芽が今後、いかに大きく花開いていくか、創造者の道を歩み始めた学生たちは、日々、研鑽に努め、学び続ける意思が必要でしょう。
 岡本氏はさらに、芸大では日中韓で学生の共同制作を行っているといいます。たとえば、2016年度は以下のような作品が制作され、展示されました。

こちら →http://animation.geidai.ac.jp/jcksaf/
 
 以上、アメリカ、イスラエル、シンガポール、日本と、各国のアニメーション教育についての報告をみてきました。いずれも、さまざまな取り組みでアニメーション教育を行っていることがよくわかりました。もちろん、その背景には、国の体制、アニメーションに関する歴史、産業界との関連、等々が大きく関わっていることは確かでしょう。

 ただ、アニメーション教育には、どの国にも共通の課題もあるはずです。それは、制作を担う人材を育成していく上でぶつかる課題でもあるでしょうしクリエイティブな領域には不可避の課題でもあるでしょう。すなわち、アニメ制作をこなせる人材を育成するのか、新たなアニメを開拓できる人材を育成するのか、という問題です。

■大衆性vs.実験性
 司会者の竹内氏は、各登壇者の発表を受けた後、シンガポールのADMの学生たちの作品は産業界に近いが、芸大の学生たちの作品はアートに近いと短評されました。学生が制作した作品からそのような評価をされたのですが、ここには深い意味が込められているように思いました。

 つまり、この短評には、アニメーション教育にはシンガポールのADMのように卒業してすぐ産業界で働けるような教育をするのか、あるいは、芸大のように先端性、あるいは実験性を追求する教育を行うのか、という問題が含まれているという気がしたのです。ですから、竹内氏からは、大学を卒業した若者が将来、アニメ業界で生きていくには、どのような教育が不可欠なのか、という基本的な問題を提起されたといえるでしょう。

 アニメーションを専攻した学生が卒業後、その業界で生きていくには、受けた教育と産業界のニーズが合致している方がスムーズです。ところが、日本の教育ではたして、そのようなことが可能なのか、という問いかけでした。

 学生たちの制作した作品から、その教育内容が見えてきます。それを踏まえての発言だっただけに、教育界は重く受け止める必要があったかもしれません。つまり、アニメーション教育とアニメ業界との間で、もっと連携を強め、実際に役立つ人材を育成していく必要があるという指摘にはもっと耳を傾ける必要があるのではないかという気がしました。

 これに関連して、芸大の布山氏は具体的に、2012年からアニメーション・ブート・キャンプがスタートされているといわれました。これは教育界と産業界との共同のプロジェクトで、どのような人材を育成していくかを考え、その目的に沿って実践していくためのプログラムなのだそうです。いってみれば、教育界と産業界をブリッジするためのプラットフォームです。

こちら →https://animationbootcamp.info/

 ここでは集まった学生たちがチームを組み、彼らに対しアニメ制作のプロが教えるという仕組みで、3泊4日で、泊まり込みで学ぶというスタイルです。たとえば、アニメーションにおける演技という課題があるとすれば、3人一組でチームをつくり、その課題に取り組みます。このようなブートキャンプを経験すれば、下記のことを習得できるようプログラムが設計されているようです。

1.自己開発、自己発展できる人材の育成(テクニックではなく、考え方を教える):その結果、2Dでも3Dでも適応できる。
2.身体感覚、観察の重視。:その結果、パターンをコピーするのではなく、自分の身体感覚を起点に感じ、考えられる。
3.他者に伝わる表現力を目指す。

 以上のことを学生たちはワークショップを通して学び、自身の制作に結び付けていくといいます。このような布山氏の報告を聞くと、私が思っていた以上に、実践的な教育活動が展開されているようでした。

■アニメーション教育の今後を考える。
 布山氏が報告されたAnimation Boot Campについて興味深く思いましたので、ちょっと調べてみたところ、ディズニーなども行っていました。

こちら →http://www.waltdisney.com/sites/default/files/WDFM_SummerCamps_2014.pdf

 そして、その結果、制作されたのが以下の映像です。

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=cDWURsNlwcE

 これ以外にも、さまざまな取り組みがあるようです。たとえば、アニメキャラクターについてのブートキャンプもあります。

こちら →http://www.schoolofmotion.com/products/character-animation-bootcamp/

 このようにして、ブートキャンプについてのサイトをいくつか見ていくうちに、日々、進化する技術や技法とセットで表現されるアニメーションの教育には、この種の実践体験が欠かせないのかもしれないと思うようになりました。

 さて、各国のアニメ教育者の報告を聞いていて、アニメーション教育にはきわめて多様な側面があるからこそ、さまざまな取り組みを実践していく必要があるのだということをあらためて感じました。クレイアニメ、長編アニメ、短編アニメ、2D、3D、あるいはテレビアニメ、といった具合に、アニメーションのジャンルによって、企画立案から、実践のための教育内容に至るまで異なってくるでしょう。 

 しかも、制作に必要な技術は日々、進化しています。ですから、布山氏がブートキャンプで実践されているという3項目は、どのタイプのアニメーションにも通用する基本的な学習課題として必要不可欠なのではないかと思いました。

 今回のパネルで登壇された方々はそれぞれ、アメリカ、イスラエル、シンガポール、日本でアニメーション教育のトップ校の教育者たちでした。それぞれの大学の学生たちは人的にも設備的にも最高の環境下で学び、実際にすばらしい作品を制作していました。こうしてみてくると、充実した設備の下、制作実績も豊富な教員の下で学ぶというのが理想なのでしょう。

 一方、日々進化する技術にどのように対応していくか、という課題も残っています。これについては、技術の習得に邁進するだけではなく、ヒトとしての感性を大切にしながら、他人に受け入れられる表現を目指す努力も怠らないようにする必要を感じました。日本が今後、アニメ大国にふさわしい教育を行っていくには、実績を積み上げながら、地道に実践を続けていくしかないのかもしれません。(2017/4/13 香取淳子)

篠原愛「サンクチュアリ」展に見るセクシュアリティ

■篠原愛「サンクチュアリ」展の開催
 ギャラリーモモ両国で、篠原愛「サンクチュアリ」展が開催されました。期間は2017年3月11日から4月8日までです。

 実は、個展開催の案内ハガキを受け取ったときから、ぜひ、実物を見てみたいと思っていました。ハガキに掲載された作品が妙に気になっていたのです。ぜひとも見たいと思っていながら、なかなか時間の都合をつけられず、ようやく訪れることができたのが、終了日の前日、4月7日でした。

 気になっていた絵は、画廊に入ってすぐ左の壁面に展示されていました。実物を見ると、あらためて、この絵の得体の知れなさに戸惑います。ハガキと違って実物はサイズが大きいだけに、ことさら、異空間に迷い込んだような、不安な気持ちにさせられてしまうのです。

 会場で展示されていた作品にはどれも、私がこれまで見たことのない、独特の光景が描出されていました。描写力が抜きんでて巧みで、強い訴求力があります。それなのに、なぜか、素直に作品世界に入っていくことができない・・・、もどかしさを感じてしまいます。

 いったい、なぜなのか。まずは作品を見ていくことにしましょう。

■月魚
 ハガキに掲載されていた作品のタイトルは、「月魚」です。

こちら →
(油彩、綿布、パネル、50.0×72.7㎝、2016年。クリックすると、図が拡大されます。)

 この絵でまず目につくのは、白い大きな魚と横顔を見せた少女の裸体です。それらのモチーフを包み込むように、蓮の葉と花が配置されています。無数の蓮の葉が穴の開いた状態で、画面の下方一帯を覆い尽くし、画面の左右には、鮮やかなピンク色の蓮の花が大小取り混ぜ5輪、描かれています。

 モチーフの取り合わせがなんとも奇妙です。さらにいえば、モチーフの取り合わせが奇妙なら、それらを捉える構図もまた奇妙です。作者はこのモチーフと構図に、どのようなメッセージを込めようとしていたのでしょうか。

 それでは、このモチーフと構図にフォーカスし、見てみることにしましょう。

こちら →
(クリックすると、図が拡大されます。)
 
 大きな魚の腹部の辺りに、少女の横顔が見えます。両手を直角に曲げ、頭部を守る防御の姿勢を取っています。一方の手は魚のヒレを掴み、まるで大きな魚に抵抗しているかのようです。そして、もう一方の手の指先は赤く染まっています。抗ったときに噴き出た血液なのでしょう。少女の頭上には、魚の引きちぎれたヒレが垂れており、その一部もまた赤くなっています。

 さらに、この魚は大きく口を開け、近くを泳いでいる小さな魚にいまにも食いつこうとしています。よく見ると、小さな魚の腹部からは血が流れ落ちていますし、骨だけになった部分もあります。すでに食いちぎられた後なのでしょう。深海魚のように獰猛な、この魚の表情が不気味です。

 再度、この絵の全体画面に戻ってみると、大きな魚は引きちぎられたヒレで、少女の頭を抑えつけています。そのまま視線を移動させていくと、裸体の少女が魚と溶け合っているのがわかります。少女は背後から抱きかかえられるような姿勢で、魚と合体しているのです。
 
 少女の肌は透き通るように白く、ピンクがかった美しい色が純心と無垢を表しているようです。ところが、その肌に、腕といわず、腿といわず、脛といわず、無残にも魚の鱗が生えてきています。それだけではありません。一方の足先からはすでに尾ヒレが出ています。魚に襲われた少女が少しずつ、魚の一部になり始めているのがわかります。

 少女は諦めきったような、悲しげな表情で、一点を見つめています。まるでレイプされた後の放心状態のようにも見えます。私が案内ハガキで見て、この絵に気になるものを感じたのはおそらく、この点でしょう。篠原氏は、卓越した精緻なタッチで、アブノーマルなセクシュアリティを描いていたのです。

■サンクチュアリ
 さて、この個展のタイトルは「サンクチュアリ」ですが、同名の作品が広い壁面に展示されていました。

こちら →
(油彩、綿布、パネル、97×260.6㎝、2016年。クリックすると、図が拡大されます。)

 こちらもまた異様な光景です。3人の少女が木に身を寄せ、腰を下ろしています。彼女たちを取り囲むように、白いウミヘビが枝に巻き付き、とぐろを巻いています。いまにも少女に襲いかかろうとしているウミヘビもいます。

 中央部分に焦点を当てて見ることにしましょう。

こちら →
(クリックすると、図が拡大されます。)

 3人のうち中央に位置する少女は、白いヘビの胴体や頭部に埋もれ、ほとんど顔しか見えません。その少女を、獰猛な表情のウミヘビが羽交い絞めにしてるようにみえます。さらに、少女の頭上からは別のウミヘビが襲い掛かろうとしています。いずれも口周辺に生えたヒゲは硬くて鋭利、そして、背ビレは先が尖っており、襲撃のための武器のようにも見えます。このようなウミヘビからは、当然のことながら、凶暴なイメージを抱かざるをえません。

 ところが、そのようなウミヘビに囲まれていながら、3人の少女の誰一人として、その表情に恐怖心は見られません。もちろん、悲壮感もありません。もっとも危険な位置にいる少女でさえ、むしろ、あどけない表情を見せています。ですから、少女と獰猛なウミヘビとが不思議なほど和気あいあいと、親交を温めているように見えるのです。

 描かれた光景が喚起するイメージと、メインモチーフの表情とがリンクしていないのです。おそらくその点に、私は違和感を覚えたのでしょう。そこで、この絵を読み解くカギは何かと思いを巡らせているうち、ふと、記憶の底から、「白蛇伝」が浮かび上がってきました。

 ひょっとしたら、この絵は「白蛇伝」をベースにして描かれたものではないでしょうか。そう思って、あらためてこの絵を見ると、大きな白いヘビが自由に泳ぎ回っています。その傍らで、少女たちは安心しきった表情で、のんびりと大きな木にもたれかかったり、腰かけたりしています。そして、足元にはピンクの花が満開です。

 このように別の視点で見てくると、次第に、この絵は「白蛇伝」をベースにしたものだと思えてきました。そうだとすれば、少女は白いヘビの化身なのです。そして、おそらく、この画面で描かれた光景は、ヘビの化身(少女)が好きな男性(ヒト)の命をよみがえらせるため、命の花を届けようとして嵐に巻き込まれ、海に落ちてしまったときのシーンなのでしょう。

「白蛇伝」は中国の民間説話で、1958年には東映動画がアニメ映画として製作しました。現在、DVDで見ることができます。

 少女と白いウミヘビ、そして、満開のピンクの花というモチーフは一見、取り合わせに違和感があるように見えますが、これが中国の民間説話を踏まえて制作されたとするなら、納得できます。ただ、その場合もなぜ、3人の少女が描かれているのかを説明することはできません。

 もちろん、3人の少女を描いたのは、ただ単純に、絵の構造上、必要だっただけなのかもしれません。ヘビを描くためには横長の構図が必要で、それには少女を3人、描かなければ絵としての強度が保てなかったのでしょう。

 この絵と中国の民間説話と関連づけて解釈すれば、愛のためなら、どんな犠牲もいとわないというメッセージが込められているといえます。これは、時空を超えてヒトが共有できる一つのセクシュアリティです。

■森の中
 一連の展示作品の中で、もっとも危なげがないと思ったのが、「森の中」という作品でした。

こちら →
(油彩、綿布、パネル、91×116.7㎝、2016年。クリックすると、図が拡大されます。)

 この絵もやはり、違和感を完全にぬぐいきることはできませんが、異形の要素がこれまで見てきた作品よりは少なく、一般的な観客からは受け入れられやすいでしょう。とはいえ、この絵にも篠原氏はさり気なく、気になる仕掛けを施しています。

 それは、魚の体から立ち上る白い液体のようなものです。そこだけが混じりけのない白で描かれているので、いっそう目立ちます。そのために、この絵もまた、安易な解釈が妨げられ、依然として気になる箇所は残りますが、絵としてはむしろ、メルヘンの世界のようなやわらぎがあります。

 それでは、この絵のメインモチーフにフォーカスしてみましょう。

こちら →
(クリックすると、図が拡大されます。)

 魚の剥製のようなものをマントのように羽織ったヒト、背を向けていますが、おそらく男性なのでしょう。少女のごく近くに顔を寄せ、互いに目を見つめあっています。ですから、少年と少女が巨大な木々の根元に潜み、愛を交わしているように見えます。

 一見、違和感のある、魚の剥製のマントは、着用している男性の属する部族の表象なのかもしれません。だとすれば、この絵はトーテミズムを踏まえて、制作されているといえます。この絵にさほど違和感を持たなかったのは、トーテミズムについては多少、馴染みがあるからでしょう。

 もっとも、よく見ると、少女の表情にはちょっとした違和感を覚えます。近寄る少年(?)に対し、少女は目を見張り、やや驚いたような表情を見せているのです。この表情の持つ意味を重視すれば、二人の姿勢から受け取った印象と至近距離で見た少女の表情が与える印象とは明らかな乖離があるといえます。

 ひょっとしたら、この絵はトーテミズムの禁を犯そうとしているシーンを描いたものなのかもしれません。だとすれば、この絵もまた、時空を超えたセクシュアリティのタブーに踏み込んだものといえます。

■篠原愛「サンクチュアリ」展にみるセクシュアリティ 
 今回、展示作品の中から、「月魚」、「サンクチュアリ」「森の中」を紹介してきました。「月魚」では、少女と魚との一体化、「サンクチュアリ」では、ヘビの化身としての少女、そして、「森の中」ではトーテムとしての魚と少女の愛(?)が描かれています。

 展示作品はみな2016年に制作されたものでしたが、会場の奥にただ一つ、2009年から2011年にかけて制作された作品が展示されていました。

こちら →
(油彩、キャンバス、162×130㎝、2009-2011年。クリックすると、図が拡大されます。)

 タイトルは「女のコは何でできている?」という作品です。これを見ると、篠原氏の緻密な画法はずいぶん以前から確立されていたこと、女性の在り方についてしっかりとした問題意識を持たれていたこと、などがわかります。

 その延長線上で、今回、展示された一連の作品が生み出されたのでしょう。以前の作品と比べると、今回の作品は、人類史の文脈に比重を置いて、セクシュアリティを描こうとされているように思いました。

 そういえば、「月魚」を紹介する際、 書き忘れていたことがあります。それは、穴の開いた蓮の葉と華麗に開いた蓮の花についての解釈です。これらは一見、たいした意味があるわけでもない背景に過ぎないように思えますが、実はこの絵を考える際、看過できないモチーフとして挙げておく必要があるでしょう。

 「月魚」では、穴の開いた無数の蓮の葉と、華麗に花開いた蓮の花がサブモチーフとして描かれています。背景もそれにふさわしく、黒い濁った褐色の泥水です。蓮の花は泥の中で育つといわれますから、これらのサブモチーフと背景はリンクしています。

 そこで、この絵のメインモチーフ(大きな魚と少女)を振り返ってみると、大きな魚は少女を襲い、そして、小さな魚も食い殺しています。殺生を繰り返し、生きてきたのです。罪深い穢れた存在だといっていいでしょう。その大きな魚と小さな魚、そして、少女を包み込むものが、背景としての濁った泥水であり、穴の開いた蓮の葉、美しく花開いた蓮の花でした。ここに宗教性が感じられます。

 この絵を見ていると、セクシュアリティは暴力行為と結び付いたものである一方、生の根源であり、宗教的源泉でもあることが示唆されているように思います。

 「サンクチュアリ」展では、今回取り上げなかった作品を含め、いずれの作品にも、現代社会ではアブノーマルと位置付けられるセクシュアリティが含まれていました。そのせいか、見ていて、どこかしら違和感があり、それが契機となって、絵に含まれている意味を読み解きたいという衝動に駆られてしまいました。

 考えてみれば、そもそも「サンクチュアリ」(Sanctuary)という言葉自体、アブノーマル、あるいは反社会的行為と無縁ではありません。そういう点で、とても刺激的で、興味深い個展でした。(2017/4/12 香取淳子)

水墨画が切り拓く世界:人物・動物、そして、抽象

 前回に引き続き、第49回全日本水墨画秀作展で印象に残った作品のうち、「人物・動物」、そして、「抽象」領域の作品をご紹介していくことにしましょう。

■人物・動物
 人物や動物は水墨画の題材として決して意表を突くものではないのですが、その描き方や力点の置き方などがこれまでの水墨画のイメージを大きく覆す作品がいくつかありました。ご紹介しましょう。

・樋口鳳香氏の「みなそこのつき」

こちら →
(図をクリックすると拡大します。)

 この作品を見たとき、構図といい、モチーフといい、洋画や日本画で見かける作品だと思いました。ただ、水墨画だからこそ表現できたのではないかと思ったのが、モチーフとしての髪の毛です。そして、この髪の毛こそ、この絵を際立たせる重要な役割を果たしていると思いました。

 一見すると、モチーフの刺激的なポーズの女性に目が向いてしまうのですが、よく見ていると、髪の毛に強く印象付けられていきます。肩といい、足といい、女性の身体をさり気なく覆うように、長い髪の毛が巻き付いています。その巻き付き方が柔らかくしなやかで、しかも、しっとりしているのです。

 まるで生きているかのように、髪の毛の細部に至る微妙なニュアンスを捉えて描かれています。だからこそ、この絵に洋画でも日本画でも見られない独特の風情を与えているのでしょう。水墨画ならではの特質が活かされています。そして、このような髪の毛の描き方が、この絵に妖艶さを添えることになっています。この作品は芸術文化賞を受賞しています。

・八木良訓氏の「JAZZギター」

こちら →
(図をクリックすると拡大します。)

 一見、油彩画かと思うほど強いトーンで、ギターを弾く男性が描かれています。うつむき加減に、そして、ひたむきに、ひたすらギターを弾き続ける決して若くはない男。その姿からは孤独感が醸し出されています。

 求道的に何かを追い求めようとすれば、他を寄せ付けない強い意志が必要です。当然のことながら、孤独にならざるをえず、その孤独と引き換えに、極みに達しようとしている求道的な精神性をこの絵から感じてしまうのです。それはおそらく、この絵が水墨画で描かれているからでしょうし、その構図のせいでもあるのでしょう。

 この絵をよく見てみると、ギターやそれを奏でる手は大きく描かれているのに、それに比べ顔は比較的小さく、目を閉じた表情からは感情をうかがい知ることはできません。ですから、見る者の視線はいったん、顔に向けられるのですが、やがて、大きな手やギターに向かっていきます。

 このような構図は、見る者の視線をそのように誘導するためのものではないかという気がするのです。この絵は一見、荒々しく描かれているように見えるのですが、実は緻密に計算して構成された作品だと思いました。この絵は全日本水墨画秀作展準大賞を受賞しています。

・奥山雄渓氏の「羅漢像」

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 水墨画にふさわしい題材だとおもいました。この作品のタイトルは、「羅漢像(語り合い)」です。羅漢とは、仏教でいわれている、尊敬や施しを受けるのにふさわしい聖者なのだそうです。そのような羅漢が二体、正面を向いて向き合っている構図で、描かれています。

 タイトルによれば、この二体は何かを語らっているのでしょう。その表情は穏やかですが暗くも見えます。背後の空は黒い雲で覆われていますから、ひょっとしたら、暗い世相を語らい、そして、平穏を祈っているのかもしれません。

 暗雲垂れこめた空の下、二体の羅漢が向き合っている、そこからは不思議な静謐感が漂ってきます。この作品は長寿功労賞を受賞しています。

・有田美和氏の「エナジー」

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 洋画でも日本画でもふさわしい題材です。それを水墨画ならではの特性を活かし、エネルギッシュに飛び跳ねる馬の様子が端的に捉えられています。この絵を一目見た途端、惹きつけられてしまいました。タイトル通り、強力な「エナジー」が発散されていたのです。

 振り向いた馬の荒々しい顔、大きくなびくたてがみ、隆々と盛り上がった臀部の筋肉、跳ね上がる尻尾、そして、蹴り上げた足元から立ち上る土煙・・・。いずれも、馬の荒々しい動きを表現するのに不可欠の要素です。必要な要素だけに絞り込んでモチーフを描いているからこそ、この強さが表現できているのかもしれません。

 さらに、馬の身体の右部分は画面からはみ出してしまっていますし、足すらその先は描かれていません。このような省略と、足元や尻尾の先に飛び散る土、あるいは土煙、そして、馬が振り向いた先の左部分に余白を設定したあたり、秀逸だと思いました。

 この絵は、省略と余白で見る者に想像を促す水墨画ならではの特質がうまく活かされていると思いました。この作品は、上野の森美術館賞を受賞しています。
 
■抽象
 抽象的な作品をいくつか目にしました。それぞれを見ていくうちに、水墨画と抽象画は意外に類似点があるのかもしれないと思いはじめました。色彩を制限し、墨の濃淡と明暗だけでモチーフを描き、作品世界を構築すること自体、抽象化過程を踏まなければならないからです。

 印象深い作品を紹介していきましょう。

・筒井照子氏の「楽ー17」

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 抽象画はどのように理解すればいいのか、よくわかりません。ただ、会場でこの作品を見たとき、とても印象付けられました。

 「大」の字のように見える黒い大きなものの下に、押さえつけられるようにして、白いチーズケーキのようにも見えるものが存在しています。「大」の字のように見えるものの上には、小さくて白い玉のようなものが散り、白とグレーの得たいの知れない形状のものも散らばっています。そして、「大」の字に見えるものとケーキに見えるものの間には、グレーの帯状のものが挟まっています。

 さまざまな形状のものが白黒濃淡で描き分けられ、配置されています。それぞれに立体感があり、それらの配置の仕方には奥行きが感じられます。全体として一つの世界が築き上げられているように見えるのですが、そこには不思議な調和があります。

 「大」の字に見えるものが画面を覆っており、白黒の濃淡をつけて、描かれていますが、先端部分はそれぞれ、形状が異なっています。よく見ると、この絵の中の、角ばったもの、細長いもの、先端は曲げたり、柔らかいトーンで描かれていることがわかります。そのせいか、全体に快い安定感があるのです。それが見る者に居心地の良さを感じさせるのかもしれません。この作品は、京橋エイジェンシー賞を受賞しています。

・古谷睦美氏の「縁Ⅰ」

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 水墨画らしい作品です。文字のように見えるものを、年輪のように見えるもので、左上方と右下方から挟み、その周辺には適度な余白が設けられています。とても安定した構図です。

 字のように見える黒い図形はすべて曲線で描かれ、黒の濃淡で勢いと流れが表現されています。先が細くなった、ひげのように見える曲線が、跳ねるような動きを見せていますので、自由奔放な活力が感じられます。

 字のように見える図形は強い黒の強弱で描かれているのに対し、左右上下の両端に配置された年輪のように見えるものはグレーで描かれ、しかも、ところどころ、切れたり、薄くなったりしています。その強弱の加減がバランスよく、絵に快い安定感を与えています。上品で美しく、見ていて快くなる作品です。この作品は、西日本新聞社賞を受賞しています。

・中井浩子氏の「遊16」

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 この作品を近くで見たとき、最初はそれほどいいとは思いませんでした。ところが、離れと、気になります。そこで引き返し、近づいて見、また離れて見る、ということを繰り返しました。この作品にはそこから離れがたい、不思議な世界が描出されているのです。

 白黒のうねるような曲線が複雑に絡み、まるで見る者を深い奥底に引きずり込もうとしているかのようです。曲線の周辺には小さな白い玉のようなものが散り、曲線で構成された絵に微妙な揺らぎを与えています。

 この作品で表現された深い奥行きと微妙な揺らぎには、別世界への誘いが感じられます。魅力的な作品です。この作品は特選に選ばれています。

・村川ひろ子氏の「宙」

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 水墨画らしい作品です。安定した構図で、作品全体から柔らかさと優しさが感じられます。

 大きな渦巻状の図形の上に、流れるような数本の線が描かれ、その延長線上にはみ出したような黒い点が上方に伸びる曲線の上に置かれています。そして、この渦巻状の図形とは独立して、黒い中心を持つ円が左下方に描かれています。考え抜かれた構図で美しく、調和がとれています。この作品は、ギャラリー秀作賞を受賞しています。

■水墨画が切り拓く多彩な世界
 今回、はじめてこの展覧会に参加しました。水墨画だけの展覧会はこれがはじめてです。水墨画についてはこれまで風景を墨で描く芸術だという認識しかありませんでした。ところが、今回、この展覧会に参加して、水墨画が切り拓く世界が多様で多彩、しかも、融通無碍、きわめて奥深い表現芸術だということに気づかされました。

 水墨画ではモチーフを表現するための色彩が制限され、空間も制限されています。今回の出品作品はF20号とF30号に限られていました。制限された中で表現活動を行うには、無駄を取り除き、エッセンスに目を向けなければなりません。そこには自ずと抽象化作用が生まれ、作品の精度を高めます。

 人物や動物、抽象の領域の作品は洋画や日本画とも競合します。とはいえ、今回、この水墨画秀作展に参加して、水墨画が切り拓く領域に大きな可能性があると感じました。(2017/3/12 香取淳子)

第49回全日本水墨画秀作展:水墨画が切り拓く多彩な世界(風景、生活シーン)

■第49回全日本水墨画秀作展の開催
 2017年3月8日から19日まで国立新美術館で、全国水墨画美術協会主催の第49回全日本水墨画秀作展が開催されています。

 実は2月にアジア創造美術展で水墨画を目にしてから、少し興味を抱き始めていました。ですから、3月9日、他の展覧会を見に行ったついでに見かけた際、こちらの展覧会にも足を向けてみることにしたのです。水墨画だけを扱った展覧会に行くのは今回が初めてです。

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 上記パンフレットに取り上げられた作品をご覧ください。とても水墨画とは思えないものです。これを見てもわかるように、出品作品の中には私にとって意外な題材が多々見受けられました。素通りできず、思わず立ち止まってしばらく見入ってしまった作品もあります。これまで私が水墨画に対して抱いていた固定観念がすっかり吹き飛ばされてしまったような展覧会でした。

 全国から寄せられた秀作218点のうち、私の印象に残った作品は16点でした。題材別に分けると、「風景」が6点、「生活シーン」が2点、「人物・動物」が4点、「抽象」が4点です。それでは、この分類に沿って、今回は「風景」と「生活シーン」に絞って、作品を簡単にご紹介していくことにしましょう。

 なお、作品を撮影する際、上部に会場の照明が映り込んでしまった作品があります。上部に見える格子のようなものは作品の一部ではないということをご了承いただければと思います。

■風景
 会場をざっと見渡して、風景を扱った作品が多いように思いました。白黒の濃淡でモチーフを表現する水墨画にふさわしい題材だからでしょうか。

・河原紫水氏の「恵水」
 会場に入ってすぐに目についたのが、河原紫水氏の「恵水」でした。

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 私が水墨画に抱いているイメージ通りの作品です。そう思って見ていると、作品全体からさまざまな水の動きが感じれらます。滝から流れ落ちる水の勢い、その周辺に立ち上る水煙、滝つぼから静かに流れていく穏やかな水流、・・・。画面からは水音すら聞こえてきそうです。滝を巡る水の諸相がとても繊細に、卓越した技法でとらえられています。この作品は環境大臣賞を受賞しています。

・林爽望氏の「雪の山里」

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 この作品も私が水墨画に抱いているイメージ通りの作品です。雪に埋もれた山里の風景です。山の麓に位置しているのでしょう、遠景を見ると、さらに深く雪に覆われています。木々は白く、辺り一帯が雪にけぶっています。この村里の一切が、雪に封じ込められているようです。

 木々や家々の屋根には降り積もった雪が厚く、丸みを帯びて描かれています。そのせいか、雪の柔らかさ、ずっしりとした重さ、そして、あらゆる物音を吸収してしまう静けささえ感じられます。

 そんな中、曲がりくねった道をヒトが歩いてきます。その道路には二本の轍があり、そこだけ雪が解けています。ヒトはその轍に沿って歩いているのです。風景とそこで生活するヒトを巧みに捉えた一コマです。この作品は文部科学大臣賞を受賞しています。

・手塚五峰氏の「幽懐」

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 この作品は、水墨画でよく見かけそうで、実はそうでもない、不思議な味わいがあります。風景を題材にしていますが、実はリアルな風景ではなく、作者が表現しようとする世界に必要な要素だけを取り込み、構成しているように見えます。

 「幽懐」というタイトルの意味がよくわかりませんでした。そこでもう一度、絵を眺めてみると、洞窟のような岩肌で囲まれた奥に木々の葉が茂り、さらにその奥から岩を伝って水が流れてきます。奥深く、美しい世界が広がっているようです。まさに、「幽」が表現されていました。そして、「懐」。この題材はおそらく、作者が深く心に秘めている原風景とでもいえるものなのでしょう。この作品は衆議院議長賞を受賞しています。

・大橋祥子氏の「蓮灯籠」

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 この作品は私にはとうてい水墨画には見えませんでした。どちらかといえば洋画、あるいは日本画の趣があります。手前から奥にかけて無数の蓮の葉が浮かび、その合間に蓮の花がところどころに描かれています。蓮池なのでしょうか。この画面構成だけでも迫力があるのに、遠景にはごく薄く、ほとんど判別しにくいほどの濃さでトラックやヒトのようなものが描かれています。
 
 そのせいか、手前や中ほどに描かれている無数の点の集まりが霊魂の表象のようにも見えます。そういえば、この作品のタイトルは「蓮灯籠」でした。見ているうちに、絵の奥に深い世界が広がっていそうで、引き付けられていきました。この作品は優秀賞を受賞しています。

・川北渓柳氏の「巨木の森」

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 題材は風景ですが、この作品は洋画でも日本画でも見かけそうです。とはいえ、作品全体に漂うしっとり感は水墨画でしか表現できないものでしょう。また、巨木の背景はぼかして描かれています。こんなところにも、水墨画の特徴がみられるといえるかもしれません。

 巨木の幹や枝、葉がきめ細かく描かれており、ひっそりとした森のたたずまいが見えてきそうです。さらに、巨木の幹に差し込む光の処理が丁寧で、独特のリアリティがあります。絵全体がしっとりとした感触に包まれており、深い情緒と余韻が感じられます。この作品は、水墨画年鑑賞を受賞しています。

・嶋田安那氏の「異国の黄昏」

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 水墨画でありながら、洋画の印象を受けました。墨の濃淡と明暗、線と面で描かれているので、ジャンルとしては水墨画なのでしょうが、描かれている素材、構成、タッチなど、洋画の雰囲気があります。

 手前右下を濃く黒く、左中を薄く白く描かれているので、黄昏の中で小舟で乗り出す黒い人影が強く印象づけられます。墨の濃淡だけで、色彩豊かなはずの異国の風景を描いているところにこの作品の面白さがあります。さまざまな色彩が感じられるだけでなく、匂いすら感じられる作品でした。この作品は優秀賞を受賞しています。

■生活シーン
 生活シーンを捉えた作品のいくつかに目が引かれました。日常生活の一コマなど、とても水墨画の題材になるとは思えません。それなのに、墨の濃淡だけで巧みに描き、一つの世界を創り出すことに成功しています。目に留まった作品をご紹
介しましょう。

・柯擁雅氏の「遊べや遊べ」

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 会場を入ってすぐ、意表を突かれたのが、この作品です。典型的な水墨画のイメージとはかけ離れています。

 女の子が猫を抱き、途方に暮れています。その足元では別の猫が不安そうに女の子を見上げています。いつでも、どこでも、誰もが見かけそうなシーンです。むしろ洋画か日本画で見かけそうな題材ですし、女の子の表情にはアニメキャラクターを彷彿させる要素もあります。

 モチーフとその描き方が水墨画のイメージとは大幅に異なっているのですが、墨の濃淡と明暗だけで見事に描き切っています。その種の差異によってもたらされた異化作用の結果、この作品に絶妙な存在感がもたらされています。この作品は玉雲賞を受賞しています。

・小川応㐂氏の「休日」

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 デッサン、あるいは、水彩画で見かけそうな題材の作品です。それを敢えて水墨画で表現したところに、この作品のユニークさがあります。

 雨の中を肩を寄せ合い、バスを待つ若い男女の後ろ姿が、ちょっと引いて捉えられています。道路は濡れ、バスもまた濡れています。土砂降りの雨ではなく、かといって小雨というわけでもなさそうな雨の風情が、的確に捉えられています。

 水墨画ならではの筆運びによっているのでしょうか。雨に濡れた面の捉え方が抜群なのです。だからこそ、せっかくの休日なのに・・・、と恨めしく思っているに違いない若い男女の気持ちまでもが見事に表現されているように思えます。水墨画だからこそ、表現することができた生活の一コマです。

 この絵では、「雨」という全体をカバーする要素と「休日」というタイトル、そして、肩を寄せ合いバスを待つ男女というモチーフ、それぞれが相互に深く関連しあっています。ですから、絵全体からしっとりとした風情が漂ってくるのでしょう。見る者に感情移入を誘う作品でした。この作品は内閣総理大臣賞を受賞しています。

■水墨画が切り拓く多彩な世界
 今回、はじめてこの展覧会に参加しました。水墨画だけの展覧会はこれがはじめてです。水墨画についてはこれまで風景を墨で描く芸術だという認識しかありませんでした。ところが、今回、この展覧会に参加して、水墨画が切り拓く世界が多様で多彩、しかも、融通無碍、きわめて奥深い表現芸術だということに気づかされました。

 水墨画ではモチーフを表現するための色彩が制限され、空間も制限されています。今回の出品作品はF20号とF30号に限られていました。制限された中で表現活動を行うには、無駄を取り除き、エッセンスに目を向けなければなりません。そこには自ずと抽象化作用が生まれ、作品の精度を高めます。

 今回、この水墨画秀作展に参加して、水墨画が切り拓く領域に大きな可能性があると感じました。(2017/3/11 香取淳子)

「文研フォーラム2017:米ラジオ・オンデマンド時代の到来か?」から見えてくるもの

■文研フォーラム2017の開催
 2017年3月1日から3日まで、千代田放送会館2Fホールで「文研フォーラム2017」が開催されました。

こちら →https://www.nhk.or.jp/bunken/forum/2017/pdf/bunken_forum_2017.pdf

 時間の都合で、私が参加したのは、3月2日の午前に開催されたセクションB、Cだけでしたが、タイムリーな内容で興味深く、引き込まれて聞いているうちにあっという間に2時間が過ぎてしまいました。

 ここでは、報告内容に関連する資料を渉猟し、それらを読み解きながら、メディア界の今後を考えてみたいと思います。

■米ラジオ・オンデマンド時代の到来か?
 セクションBでは、NHK上級研究員の柴田厚氏が、「米ラジオ・オンデマンド時代の到来か?」と題し30分間、報告されました。好きな時にコンテンツを楽しめる「ポッドキャスト」がいま、アメリカでは注目を集めているそうです。

 ポッドキャストとは、「携帯端末などに音声データファイルを保存して聞く放送番組・配信コンテンツ」で、ダウンロードして聞くことができますから、聞く際、通信環境は不要です。音楽等の著作権が厳しい日本ではまだストリーミングが中心ですが、アメリカではコンテンツをダウンロードして聞くことが増えてきているようです。

 柴田氏によると、ポッドキャストを牽引したのはNPR(National Public Radio)だそうです。このNPRを中心にスピーチを展開されました。

 帰宅してさっそくNPRのサイトを開いてみると、さまざまなニュースが取り上げられていることがわかりますが、上位項目はやはりトランプ大統領でした。

こちら →http://www.npr.org/

■ポットキャストの利用者
 Pew Research Centerの調べによると、ポッドキャスト利用者数は年々、増えており、過去一か月に聞いたことのある人は21%、これまでに聞いたことのある人は36%に上っています。

こちら →http://www.journalism.org/2016/06/15/podcasting-fact-sheet/

 上記の記事に掲載されたグラフを見ると、いずれも利用者数が右肩上がりで増えていることがわかります。このぶんではおそらく、今後もこのような伸び率で利用者数が推移していくのでしょう。

 ネットで関連データを調べてみると、10年前の2006年8月、インターネット利用者のうち12%がポッドキャストを利用していました。同年2-4月期の調査では7%だったそうですから、急速に伸びていることがわかります。この段階ですでにポッドキャストに潜在需要が高かったことが示唆されています。

 利用者の内訳を性別でみると、男性利用者が15%なのに対し、女性利用者はわずか8%でした。利用者数だけではなく、この期間の伸び率も、8月調査では2-4月期調査に比べ、女性(3%)よりも男性(6%)の方がはるかに高くなっていたのです。

こちら →
(http://www.pewinternet.org/2006/11/22/podcast-downloading/より。図をクリックすると拡大します。)

 一方、年齢でいえば、18-29歳(14%)、30-49歳(12%)、50-64歳(12%)の若壮年層が高く、65歳以上の高齢者はわずか4%でした。さらに学歴でいえば、高卒が9%なのに対し、短大以上が13%と、こちらも開きがあります。

 このように基本的属性から利用者の分布を見ていくと、典型的な普及初期のパターンが示されています。2006年8月時点では、このポッドキャストが普及の初期段階だったことがわかります。もう一歩でその領域に近づきつつあったとはいえ、まだ、クリティカル・マスに達していなかったのです。

■NPRの戦略
 柴田氏は、NPRがポッドキャスト普及の牽引役を果たしたといいます。たとえば、NPRが2014年に配信したコンテンツが、1999年に起こった殺人事件の調査報道でした。このコンテンツを約1時間、12回にわたってシリーズで配信したところ、iTunesで500万ダウンロードされるほど人気を得たというのです。

 そして、柴田氏は、NPRのチーフ・デジタル・オフィサー(chief digital officer)、トーマス・ヘルム氏のインタビュー映像を紹介してくれました。

 彼は2014年に配信開始したシリーズが突破口になったと指摘しています。そして、「このシリーズの成功は、語りの力と、次が待ち遠しくなるような物語の連続性を取り入れたこと」だといいます。「語りの力」はラジオが本来持っていた音声メディアならではのメリットであり、そこに「次が待ち遠しくなるような物語」をシリーズ化することによって、利用者を次々と取り込んでいくことができたというのです。

 聞いていて、なかなかの戦略家だと思いました。そこで、ネットで調べてみると、実はこのトーマス・ヘルム(Thomas Hjelm)氏、2016年4月にNPRに雇用されています。NPR傘下のニューヨーク公共ラジオ(New York Public Radio:NYPR)から引き抜かれ、与えられた役職が、チーフ・デジタル・オフィサーの役職だったのです。

こちら →http://current.org/2016/03/npr-hires-wnycs-thomas-hjelm-as-chief-digital-officer/#

 NPRのCEOは、「我々はデジタル領域で指導力を発揮することができ、公共ラジオ局での経験のある人物を求めていた」といいます。その両方の要件を満たす人物がヘルム氏だったというわけです。

■チーフ・デジタル・オフィサーとは?
 NPRではデジタル戦略を深め、推進していくために、このチーフ・デジタル・オフィサーの役割を的確に果たせる人物を必要としていました。そこで、ヘルム氏のニューヨーク公共ラジオ在職時の肩書を見ると、executive vice president(副社長)であり、chief digital officer(チーフ・デジタル・オフィサー)でした。ですから、ヘルム氏はその手腕をかわれ、NPRに移動することになったことがわかります。

 チーフ・デジタル・オフィサーはまだ日本では聞きなれない役職名ですが、アメリカではどの領域でもチーフ・デジタル・オフィサーとして、この役割を果たす人材が求められています。ICTの進化により急速に社会変容が起きているいま、幅広いデジタル戦略を統括し、組織を横断する変革を推進できる人材、すなわち、チーフ・デジタル・オフィサーが企業経営には不可欠になっているのです。米国ではすでにCDOという略称が通用するようにもなっているようです。

こちら →http://www.strategyand.pwc.com/media/file/The-2015-chief-digital-officer-study-JP.pdf

 メディアデバイスもまた急速に進化しています。それを考えると、デジタル戦略として企業がカバーすべき領域がもはやウェブサイトだけではなくなってきているといえるでしょう。モバイル、ソーシャル、ロケーションベースの参加を促すもの、といった要素への対応が不可欠になってきているのです。スマホにはGPSが組み込まれていますから、このロケーションベースへの参加(local based engagement)を促すものという新たな要素が重要になってきています。モバイルメディアにGPSが装備されることによって、ヒトはさらに深く、メディアに拘束されるようになっているのです。

■スマホの普及、ポッドキャストの拡大
 実際、スマホの普及とこのポッドキャストの拡大はパラレルで進展しています。Edison Researchによると、2014年時点ですでに、オンラインラジオを聞くヒトの73%がスマホからでした。パソコン(61%)を大きく引き離しているのです。2015年データは入手できませんでしたが、2016年を経て、2017年のいま、そのような状況はさらに加速しているでしょう。

こちら →http://www.journalism.org/2016/06/15/audio-fact-sheet/

 日本でもいま電車で見かけるヒトのほとんどがスマホを操作しています。いつの間にか、情報や娯楽を得る手段がスマホに移行してしまったようです。ですから、このようなデバイス変容に対応した組織変革が メディア企業にとって喫緊の課題になっているのは明らかです。
 
 実際、NPRが2014年に配信開始したNPR Oneのホームページを見ると、スマホを使って説明されています。これを見ても、いまや、ヒトが情報や娯楽を得る主要なデバイスがスマホになっていることが一目瞭然です。モバイルデバイスといえば、ノートパソコンやタブレットではなく、スマホを指すようになってしまったのです。

 NPR Oneのアプリをスマホにインストールすると、様々なコンテンツが利用できるようになります。いつでも、どこでも、欲しいコンテンツを手にすることができるのです。

こちら →http://www.npr.org/about/products/npr-one/

 さて、ポッドキャストを開拓しようとしているメディア企業はなにもNPRばかりではありません。たとえば、ニューヨークタイムズは、2016年8月、The Run-Upを立ち上げました。

こちら →https://www.nytimes.com/podcasts/run-up?_r=0

 週1回、30分から60分のコンテンツを配信しており、開始時点ではもっぱら大統領選をウォッチングする内容でした。

 柴田氏は、トランプ氏が大統領に選ばれてからはThe Dailyを立ち上げ、月曜から金曜まで約20分、新政権をウォッチングする内容のコンテンツを配信しているといいます。

こちら →
https://www.nytimes.com/interactive/2017/01/30/podcasts/michael-barbaro-the-daily.html

■米国のポッドキャスト拡大から見えてくるもの
 柴田氏の報告を聞いていると、さまざまなメディア企業がポッドキャスト領域に進出しようとしているように見えます。メディア企業にとってはこれもまた市場開拓の一つなのでしょう。とくにアメリカの場合、国土が広く、いつでもどこでも良好な通信環境にいられるわけではありません。ですから、ダウンロードによるコンテンツ受容という、ポッドキャスト形式には一定の需要があることは確かです。

 一方、利用者の側からいえば、ヒトは誰しも1日24時間しか持ち時間がありません。メディアコンテンツにばかり接しているわけにもいかないというのも事実なのです。ですから、情報や娯楽を提供するメディアが増えれば増えるだけ、利用者の選択が大きな価値を持つようになります。メディアよりも利用者側が優位に立つことになるのです。

 利用者はどのようなデバイスで、どのようなコンテンツを得ようとしているのか。メディア企業はそれに対応したメディア戦略を取らざるをえません。

 柴田氏が報告されたように、ニューヨークタイムズは大統領選の終盤、ポッドキャストの「The Run-Up」を立ち上げました。そして、トランプ大統領が選ばれてからは、引き続き新政権をウォッチする「The Daily」を配信開始しています。大統領関連のコンテンツが多いですが、それは、いまのところ、トランプ氏を追っている限り、ヒトがついてくるからなのです。

 爆弾発言を繰り返すトランプ氏はメディア企業にとって格好のターゲットです。騒いでくれればくれるほど、利用者は増え、利用者が増えれば、メディア企業としての収益も期待できるというわけです。

 柴田氏が指摘されたアメリカのポッドキャストの課題のうち、興味深かったのが、「収益に結び付けることの難しさ」です。

 ネットワーク回線につながっていなくても、ダウンロードしさえすれば、いつでも、どこでもコンテンツを享受できるというのが、ポッドキャストのセールスポイントです。実際、500万ダウンロードされたコンテンツもあります。

 とはいえ、いつまでヒトを引き付けるコンテンツを提供し続けることができるのか、はたして、それが収益につながるのか、メディア企業としてはそういうことを考えざるをえません。とりあえず、いまはトランプ大統領でもっているのかもしれませんが、一通りのニュースはすでに地上波や衛星、新聞、ネット、等々で得ることができます。今後は、ポッドキャストならではの特性を活かしたコンテンツを探し出す必要があるでしょう。 

 柴田氏の「米ラジオ・オンデマンド時代の到来か?」という報告を聞き終えて、あらためて、メディアが提供するコンテンツがヒトを視野狭窄に陥れつつあるのではないかと危惧せざるをえなくなりました。メディア企業としては、もっぱら、どれだけ多くのヒトに選択してもらい、しかも、継続して利用してもらえるか、ということを考え、戦略的にコンテンツを制作し、配信します。メディア企業としては当然のことです。

 ところが、そのようなコンテンツの制作・配信の仕組みの下では、やがて、ヒトの興味関心を引くコンテンツばかりが横行するようになるでしょう。実際、そうなっているといってもいい状況です。あらためて、メディアのヒトの世界観、価値観への影響が危惧されるのです。

 柴田氏の報告に触発されて、ポッドキャスト関連の資料を渉猟するうち、メディア界は今後、社会一般と同様、ますます、GPS機能を備えたスマホ対応を迫られるようになることがわかりました。やがて、ヒトはスマホを通して、メディアコンテンツを得、さまざまな生活行動を行うようになるでしょう。そうなれば、ヒトは知らず知らずのうちに、スマホに装備された仕組みの影響を受けるようになるのは必至です。

 スマホに内包された諸機能は、いったい、ヒトの考え方や感じ方にどのような影響を与えるようになるのでしょうか。「いつでも、どこでも」というキャッチフレーズの背後に見え隠れする即時性、利便性、効率性といったものに、やがてヒトの思考や感性が麻痺させられてしまいはしないかと心配になってきました。(2017/3/8 香取淳子)

アジア創造美術展2017:画材や技法を活かした多様性の魅力

■アジア創造美術展2017
 アジア創造美術展がいま、国立新美術館で開催されています。主催者は亜細亜太平洋水墨画会で、開催期間は2017年1月25日から2月6日までです。2月2日、たまたま用事があって六本木を訪れた際、立ち寄ってみました。

こちら →
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 私は今回はじめて、この展覧会に参加しました。会場をざっと見渡してみただけで、これまで訪れたことのある展覧会に比べ、独創性の高い作品が多いような気がしました。まず、キャンバスサイズに工夫の跡が見られます。連作あり、段差をつけたキャンバスの組み合わせあり、極小サイズ、極横長サイズ、極縦長サイズあり、といった具合です。いずれもモチーフや作品内容に合わせ、効果的に選択された表現空間です。

 実をいえば、私は昨今の展覧会には少々、食傷気味でした。それこそウドの大木といった印象しかない大きな作品ばかりを目にすることが多かったせいかもしれません。似たような画風が多いのも気になっていました。創意工夫の跡があまり感じられなかったのです。

 おそらく、そのせいでしょう、この展覧会ではことさら、出品者たちのきめ細かな工夫の跡に好ましさを覚えました。見慣れた規格サイズでは得られない繊細な表現空間が創り出されており、新鮮な驚きを感じさせられたのです。

 それでは、この会場で印象に残った作品をいくつか紹介していくことにしましょう。

■油彩画
 会場でもっとも印象的だったのが、矢吹威斗氏の「創の炉火」です。数多い展示作品の中で、思わず目を奪われ、立ち止まってしまいました。ショッキングな絵でした。

こちら →
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 焼けた鉄棒を両手でしっかりと握りしめた男が、火の塊のように熱くなっていると思われるその先を、自身の首に突きつけている異様な光景です。興味深いことに、その顔は苦痛に歪んでいるわけではありません。目を見開いて何かを凝視していますが、口元にはかすかな笑みさえ浮かんでいるように見えます。

 首に突きつけられた鉄棒の先の中心部分は黄色く、その周辺は赤黒く、首から遠ざかるにつれ、鉄棒本来の黒褐色に着色されていますから、相当、この鉄棒は相当熱くなっているはずです。

 ですから、見る者は条件反射的に、描かれた顔の表情から苦痛を読み取ろうとしてしまうのですが、男の顔に苦痛の痕跡は見られず、むしろ恍惚感、あるいは、何かを悟ったような満足感とでもいえるような表情が浮かんでいます。見る者の予想を裏切るギャップがあるのです。

 さらに見ていくと、大きなごつい手がしっかりとこの鉄棒を握りしめている部分に関心が移ります。男の両手からは強い意志が感じられます。よほど強靭な意志がなければ、このような自虐的な行為はできないと、この部分を注目して見る者は思います。

 そして、もう一度、離れてこの絵全体を見てから、タイトルを見たとき、ようやく、モチーフを部分的に見たときに感じた矛盾が解消され、納得できるような気がしてくるのです。

 この絵のタイトルは「創の炉火」です。おそらく、創造に伴う「火」を指しているのでしょう。そして、タイトルから推察される観点からこの作品を見てみると、創造過程での苦しみ、そして、創造した暁の喜びが一枚の絵に見事に表現されていることがわかります。

 一枚の絵の中で見る者の気持ちを何段階かに分けて刺激し、最終的に納得させてしまう・・・、まるで見る者の気持ちの推移を意識したかのような構成が巧みだと思いました。

 3枚のキャンバスを段差をつけてつなぎ合わせ、この迫力のある画面が構成されています。右から、顔面と焼けた鉄棒を突きつけられた首、鉄棒を握りしめる右手と左手の一部、そして、左手と鉄棒、といった順で、同じサイズのキャンバスが均等に段差をつけてつなぎ合わされています。

 この3枚のキャンバスをつなぐ共通のモチーフが鉄棒です。熱い鉄棒で横から串刺しにする格好で、手や首、顔といった身体部位が描かれています。ですから、この鉄棒は、表現者が表現行為に至る熱いエネルギーを示唆しているように思えます。

 一方、この絵の背景は暗く、顔、首、鉄棒の一部だけに明るい色が塗られています。ここだけスポットライトを浴びているようにも見えるのですが、このような色遣いに作者の創作態度を垣間見ることができるといえるかもしれません。つまり、どのようなものであれ、ドラマティックなモノ、あるいは行為こそ、表現するに値する、という態度です。

 それは、この絵の構成の面からもいえるかもしれません。クローズアップでモチーフを取り上げ、3枚のキャンバスに分けて描き、段差をつけて展示できるよう、ドラマティックな構成が考えられています。

 この構成を見ていて、ふと、漫画の構成を連想してしまいました。ちなみにこの作品は奨励賞を受賞しています。

■漫画の原画
 この展覧会では上條淳士氏の漫画の原画が展示されていました。第14回目で初めての試みだそうです。

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 小さくてちょっとわかりづらいかもしれませんが、クローズアップを多用し、ドラマティックな箇所を強調して表現するという点で、漫画には絵を超えた表現技法が開発されているのかもしれません。

 私が驚いたのは、「時間」と名付けられた原画です。背景部分の木々や路面の描き方のリアルさに引き込まれ、思わず、立ち尽くして見てしまいました。通常、漫画といえばここまで克明に背景を描かないのではないかと思っていたので、いっそう、その表現力に驚いてしまったのです。

 メインのモチーフよりも背景の方がはるかに面積が大きいということにも、興味をそそられました。なぜ、このような構成にしたのでしょうか。改めて、この原画をよく見てみると、この背景のおかげで、2次元で表現された世界なのに、3次元空間のもつ厚みが感じられるのです。

 さらに、白黒だけで表現された世界なのに、この原画には空気や風、音、木々のざわめきや葉の匂いまで感じられます。もちろん、色を感じ、気温すら感じられます。そして、タイトルにある「時間」も・・・。

 木々の葉を描く白黒のコントラストの強さからいえば、おそらく、早い午後なのでしょう。強い日差しからは初夏に向かう季節のようにも見えます。そこに一人の若い男がうつむき加減で歩いてきます。いったい、何を想っているのでしょうか。

 たった一枚の原画なのに、つい感情移入を誘われてしまいます。それはおそらく、このように背景がきめ細かく描かれているので、主人公の所作から奥行きや深みが感じられるからでしょう。表現世界の微妙さが感じられます。 

■水墨画
 普段、水墨画を見ることがあまりなかったせいか、会場で水墨画の作品を目にしたとき、どういうわけか、懐かしい気持ちになってしまいました。花にしろ、風景にしろ、モチーフの捉え方にとても日本的な感性が感じられたのです。

 そのような中、意外な作品を見つけました。小林東雲氏の「Jeanne d’Arc 」です。

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 モチーフは戦場のジャンヌダルクです。ジャンヌダルクといえば、15世紀、神の啓示を受けてフランス軍に従軍し、めざましい活躍をしてフランスに勝利を導いたにもかかわらず、異端審問にかけられ、19歳で火刑に処された悲劇の女性です。

 そのジャンヌダルクが目を伏せ、死者の前で跪いています。背後には多数の兵士が描かれ、勝利を収めたとはいえ、素直には喜べない気持ちが表されています。そのような情景を浮き彫りにするかのように、右上方から陽光が差し込み、ジャンヌダルクの軍装の白が際立っています。

 剣、鎧、肩当てにはジャンヌダルクの紋章が描かれ、金色で着色されています。白黒で表現された静寂の中で、まるでジャンヌダルクの功績を際立たせるかのように、そこだけ金色が施されています。大勢の兵を従え、剣をついて跪くジャンヌダルク。その悲劇性とフランスを救うために身を投げ出した

 日本の題材ではないのに、しっくりと水墨画の世界に収まっています。ちなみにこの作品は「招待出品」として展示されていました。この作品を見て、水墨画でここまで表現できるのかという思いがしました。

 たまたま同時期、パナソニック汐留ミュージアムで、「マティスとルオー展」が開催されており、ルオーの「ジャンヌダルク」を目にする機会がありました。

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(http://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/17/170114/pdf/leaf.pdfより。図をクリックすると拡大します。)

 小林氏の作品には静謐感と聖性が感じられるのに対し、ルオーの作品にはそのような奥行きが感じられません。それはおそらく、小林氏が戦場の一場面を描きながら、ジャンヌダルクの聖なる側面まで掘り下げようとしているのに対し、ルオーはジャンヌダルクの戦士としての側面を描くのに終始しているからでしょう。

 もちろん、油彩画と水墨画、ジャンヌダルクを取り上げた情景、さらには、モチーフに対する作家の感性、等々が異なっていることも影響しているでしょう。とはいえ、これが同じモチーフを描いた作品だとはとても思えませんでした。あらためて、画材、技法、様式が描かれる内容を規制してしまうのだということを感じさせられました。

■書
 会場ではさまざまな書が展示されていました。これまで私は書を鑑賞することはほとんどなかったのですが、流れに沿って次々と鑑賞していくうちに、書が拓く世界の奥深さを知らされたような気がしてきました。書は見る者に内省を促し、思索を巡らす楽しみを与えてくれることがわかります。

 考えてみれば、私は書を、意味を伝達する記号としての文字としてしか捉えていませんでした。ところが、今回、この展覧会でさまざまな書を見て、書が切り拓く表現世界の豊かさに気づかされたのです。

 会場に入ってすぐ左手に展示されていたのが、濱崎美智子氏の作品でした。

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 なんと書かれているのかよくわかりませんが、巨大で、威風堂々とした筆さばきには圧倒されてしまいます。紙の上に墨汁をほとばしらせた筆の勢いがなんとも力強いのです。白黒で表現されただけの世界に、多様な色彩とほとばしるエネルギーを感じさせられました。

 この種の勢いは書でなければ表現できないのではないでしょうか。見る者に迸る勢いや流れを感じさせる力は、紙と墨汁という画材だからこそ生み出せたのではないかと思いました。

 ちなみに、この作品は外務大臣賞を受賞しています。

■文化の融合と共生
 「アジア創造美術展」では、絵画、書、彫刻、インスタレーション、工芸、写真、漫画の原画など多種多様な作品が展示されていました。画材も多様、描かれる内容もさまざまでした。中国の切り絵、フェルトのような布を使った作品、カザフスタンの馬の絵など、多様なジャンルの作品が展示されており、とても刺激的でした。

 ジャンルが多様なら、制作様式も多様、もちろん、出品者も多様でした。アジアからの伝統を踏まえた作品があれば、海外の子どもたちの素朴な作品もあります。さまざまなテイストの作品が混然一体となって、創造性豊かな展示空間が演出されていました。なんともいえない不思議な居心地の良さが感じられる空間でした。そのような空間の中にしばらく佇んでいると、ことさらに、多様性こそが創造性の源なのだと思えてきます。

 おそらく、そのせいでしょう、会場全体から”創造”のエネルギーが発散されているように思えたのです。いったい、アジア創造美術展とはどういう趣旨で開催されている展覧会なのでしょうか。興味を覚え、帰宅してすぐ、ネットで調べてみました。

 すると、主催者の亜細亜太平洋水墨画会会長の溝口墨道氏が、「日本とアジアの美術家が集い、文化の融合と共生に資することを目的に」、アジア創造美術展を開催すると述べられていることがわかりました。

こちら →http://www.catv296.ne.jp/~creativeart/C6_1.htm#1

 溝口氏は、東アジアに特徴的な水墨画が明治以降の西欧化により、衰退していったと指摘し、「日本とアジアの美術家が集い、文化の融合と共生」を説かれています。

■境界を越え、育まれてきた日本の美
 私たちはいま、生活の中で日本の美を楽しむゆとりを失ってしまったように見えます。 洋風の生活空間の中では、書を楽しみ、茶を味わい、陶磁器を愛でるといった伝統的な日本の生活文化を享受しがたくなっていることは確かです。

 もちろん、その気さえあれば、リビングでもキッチンでも日本的な美を添えることはできます。ところが、それすらもしなくなっているのが現状だとすれば、日本の生活文化を支えてきた美意識そのものが衰退している可能性があります。

 水墨画はこれまで茶道、華道、陶磁器等、日本の生活文化全般に影響を及ぼしてきました。その水墨画が衰退していったことの結果として、現在の生活文化から日本の美が失われつつあるのだとすれば、まずは、水墨画を楽しむ機会を増やしていくことが必要なのかもしれません。

 今回の展覧会で、私は小林氏の水墨画に出会いました。白黒で表現された世界にわずか金色を加えただけで表現の力がぐんと強くなっていました。モチーフや表現方法の面で、水墨画が切り拓ける世界はまだまだ広いという気がしました。境界を越えれば、さらに豊かな表現世界を築くことができるのではないかと思います。

 さまざまな面でグローバル化が行き詰りつつある現在、表現領域でもいずれ、日本美への回帰が求められるようになってくるかもしれません。実際、さまざまな展覧会に行くと、日本画の領域で最近、多様で多彩な表現が目立っています。そのことを思えば、これまで営々と培われてきた日本の生活美意識を土台に、さまざまな表現活動が志向されてもいいのではないでしょうか。(2017/2/28 香取淳子)

岩佐又兵衛の源氏絵にみる”通俗性”のパワー

■岩佐又兵衛と源氏絵展
 出光美術館でいま、「岩佐又兵衛と源氏絵」展が開催されています。開館50周年を記念して企画されたもので、開催期間は2017年1月8日から2月5日までです。チラシには「<古典>への挑戦」というサブタイトルが書かれていましたが、見終えてみると、なるほど見事にこの展覧会のコンセプトが集約されていると思いました。

 こちら →http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkan/exhibition/present/

 これまで源氏絵を見ることはあまりなかったので興味深く、1月26日、出かけてみました。ちょっと早すぎたかと思いながら美術館に着いてみると、10時前だというのに開館を待ちかねるように、多くの中高年女性が美術館入口に並んでいました。10時30分からスタッフによる作品解説が予定されていたせいでしょうか。それとも、大和絵への関心がいま、高まってきているからなのでしょうか、予想外の人群れにちょっと驚いてしまいました。

 解説員は岩佐又兵衛展はいずれ、2時間待ち、3時間待ちの人気が出るようになるのでは、と予測されました。というのも、岩佐又兵衛は、辻惟雄氏の『奇想の系譜』(美術出版社、1970年)で取り上げられた6人の画家のうちの一人だからと説明されました。辻氏によって紹介された画家たちはいずれもその後、日本美術史の大スターになっていったといいます。

 歌川国芳はすでに著名人ですし、伊藤若冲、曽我蕭白なども近年、大きな話題を集めるようになっています。そういえば、生誕300年を記念して2016年に開催された若冲展は長時間待ちの人気を博し、ニュースになったことを思い出します。現代の社会文化状況下では、「奇想」というキーワードでくくられた画家たちの作品が注目を集めやすくなっているのかもしれません。彼らの作品にはおそらく、現代人の心に強く訴えかける何かがあるのでしょう。

 さて、岩佐又兵衛展は2016年7月から8月にかけて福井県立美術館で開催され、引き続き、今回、出光美術館で開催されています。福井県立美術展では図録は完売、増刷が決定されたほど活況を呈したようです。

こちら →http://info.pref.fukui.lg.jp/bunka/bijutukan/tokusetsu/h28_matabe/outline.html

 福井県立美術展でのサブタイトルは「この夏、謎の天才絵師、福井に帰る」です。郷土愛を刺激し、岩佐又兵衛への興味関心をかきたてる絶妙なキャッチコピーです。解説文には、岩佐又兵衛が「浮世又兵衛」の異名を持ち、鋭い観察眼と超絶テクニックで人物画にすぐれた作品を残したと書かれています。この文面からは岩佐又兵衛が「浮世絵師」的な要素の強い画家だったことが推察されます。

 カタログによると、岩佐又兵衛(1578-1650)は、「戦国武将の荒木村重の子として生まれながら、村重の謀反により、文芸や絵によって生計を立てることを余儀なくされた」そうです。そのような経歴の又兵衛はどのような源氏絵を残したのでしょうか。

 会場では、岩佐又兵衛による源氏絵および同時期の関連作品が37点、第1章から第6章に分けて展示されていました。それ以外に織部などの工芸品が13点展示されており、桃山時代から江戸時代にかけての絵や工芸品を鑑賞できる構成になっていました。展示作品のリストをご紹介しましょう。

こちら →http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkan/exhibition/present/pdf/list.pdf

 
■賢木の巻、野々宮図
 展覧会のチラシやカタログの表紙で使われていたのが、又兵衛の「源氏物語野々宮図」です。
 
 解説によれば、これは元来、福井の商家・金屋家に伝わる貼屏風のうちの一つの図でした。水墨を主体に濃淡で表現した作品で、古くは鎌倉時代にさかのぼる技法が使われています。この技法は通常、小さな絵を描く際に使われていたそうですが、岩佐又兵衛はこの技法を使って、大きな画面に光源氏とお付きの者を描きました。上図に見るように、131×55㎝の細長い絵です。

 源氏物語10帖の「賢木の巻」から題材を得た作品で、晩秋のころ、光源氏がかつての恋人、六条御息所を嵯峨野の野宮に訪ね、「榊」のように変わらない恋慕の情を伝えようとしたところが描かれています。解説によると、源氏物語の賢木の巻を絵画化する際、必ず取り上げられるほど有名なシーンだそうです。

 そこで、調べてみると、狩野探幽(1602-1674年)がこのシーンを取り上げ、絵にしていました。

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 風にたなびく秋草など屋外の様子はもちろん、源氏と六畳御息所のいる屋内の様子が逐一、丁寧に描かれています。よく見かける源氏絵の構図です。満遍なく描かれているので、状況はよくわかるのですが、いまひとつ迫力に欠けます。いってみれば、ロングで捉えたエスタブリッシュメントショットですから、全体状況を説明するには適切ですが、見る者を引き付ける迫力には欠けます。

 一方、又兵衛の場合、肝心の六畳御息所を描かず、源氏とお付きの者だけを大きく描いています。しかも、屋外で二人とも一方向を向いて、呆然と佇んでいますから、見る者の想像力を強く刺激します。

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 興味深いのは、又兵衛がこのシーンを描くとき、その背景に鳥居を設定し、しめ縄にぶら下げられた紙垂(しで)が大きく風になびいている様子を描いていることです。「賢木(さかき)の巻」だからこそ、敢えて、鳥居を描き、「榊(さかき)」を類推させる紙垂を描いたのでしょうか。榊は常緑樹の総称とされています。ですから、常に変わらない気持ちを託すには格好のモチーフかもしれません。又兵衛は他の絵師は描かなかったこれらのモチーフを取り上げ、六畳御息所と別れざるをえない源氏の愛惜の情、そして、無事と平安を祈る気持ちを託したのでしょうか。

 よく見ると、源氏やお付きの者の口元にはかすかに紅がさされています。晩秋のころ、すでに寒さが身にしみる季節です。そういうときに屋外で佇み、別れを惜しむ切ない感情がひしひしと伝わってくるような気がします。

 源氏物語の同じ場面を描いた探幽の作品と比較すると、又兵衛の作品の特徴がよくわかります。狩野派、土佐派など当時の正統的な源氏絵の画風は俯瞰して描くか、ロングショットで捉えた構図で描かれています。ですから、どうしても説明的になってしまい、見る者を画面に引き込み、感情移入させる力に欠けます。

 ところが、又兵衛の場合、ヒトの顔を大きく、その所作、装束を丁寧に描いています。しかも、描く対象に肉薄して、最も効果的な場面を切り取り、モチーフを選択しています。いってみれば、感情や情感を表現しやすい構図で、モチーフを構成しているのです。ですから、時代を経ても、描かれた世界が生き生きと見る者に伝わり、強く気持ちを引き込むことができるのでしょう。

■大きな顔、長い顔
 会場で一連の作品を見ていて気付いたことがあります。又兵衛が描く人物はいずれも顔が大きく、長いのです。先ほど、ご紹介した源氏の顔もそうですが、在原業平の顔もそうでした。

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 こちらは彩色されており、顔の表情がはっきりとわかります。豪華な衣装をまとい、気品のある立ち姿が眩いばかりです。在原の業平といえば、百人一首でよく見ている歌人ですが、これまでは座っている姿ばかりでした。今回、又兵衛の絵によってはじめて立ち姿を見ましたが、貴族的な優雅さや気品がとても印象的でした。立ち姿だからこそ描けたのかもしれません。

 もう一つ、印象的だったのが、桐壺貨狄造船図屏風の左隻で描かれた馬を引く下郎たちの顔です。

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 暴れる馬を落ち着かせようと戸惑う男たちの表情がそれぞれ個性豊かに描かれており、引き込まれます。やはり顔が大きく、そのせいか、驚き、戸惑い、うろたえ、恐怖といった感情がよく伝わってきます。この絵を見たとき、どういうわけか、又兵衛は海外の絵を見て、刺激を受けたのではないかという気がしました。それほど、私がこれまで目にしてきた日本画で描かれる日本人の顔とは異なっていたのです。

 業平や源氏の顔が細長く、白く、そして、目も口も小さく描かれているのに対し、これらの男たちは顔は大きく、褐色で、目も口も大きく描かれています。ひょっとしたら、このような描き方の中に、又兵衛は身分の違いを表していたのかもしれません。喜怒哀楽が表に出ないのが貴族の顔だとするなら、庶民の顔には喜怒哀楽が露骨に顔に出てしまうという描き分けです。

 とはいえ、この男たちの顔には生き生きとした人間らしさがあり、引き込まれて見てしまいました。暴れる馬を巡る男たちの表情を個性豊かに描き分けることによって、このときの状況がリアルに伝わってきます。それぞれの顔をクローズアップすることによって、状況を生き生きと描出したのです。そこに、現代に通じるリアリティが感じられました。
 
■花宴
 第1章は土佐光信や光吉など、源氏絵の本流による作品が展示されていました。岩佐又兵衛と同時期に活躍した画家たちの作品で、源氏絵の正統派といえるものです。岩佐又兵衛の源氏絵を把握するには、この正統派の作品と比較すると、本質が見えてくるかもしれません。

 なによりも私が驚いたのは、参考作品として展示されていた岩佐又兵衛の「源氏物語花宴図」です。

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 なんと女性が男性の背後に手をまわしているではありませんか。この絵はいったい、どういう状況を描いたものなのでしょうか。とてもになります。そこで、「花宴」を調べてみました。

 源氏物語第8帖「花宴」では、源氏が花見の宴の後、たまたま朧月夜と関係を持ちます。たった一回の関係ですが、お互いに忘れられず、そのまま1か月が過ぎ、ふたたび、花の宴が開かれました。女性の積極的な姿勢を見ると、この絵はその際の源氏と朧月夜を描いたものだと思われます。

 ところが、同じ「花宴」を題材にしても、土佐光吉は以下のように描いています。

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 男性と女性は距離を置いて配置され、後ろ向きにロングショットで描かれているため、男性も女性も顔の表情は見えません。この絵でわかるのは、雅な御殿の中で男性が女性を見送る恰好で配置されており、立ち去ろうとする女性が扇をもっているということだけです。ところが、これだけの情報でも、この絵がはじめて源氏と朧月夜が関係を持った後、別れるシーンだということがわかります。

 「花宴」では源氏と朧月夜がはじめて関係を持った後、再び会うため、扇を交換しました。ですから、女性が扇を持っていることから、初めての出会いの後、別れるシーンだということがわかります。ロングショットで描かれている絵のように、あまりに婉曲的すぎて、この絵からは源氏や朧月夜の感情は伝わってきません。

 もう一つ、興味深い作品が展示されていました。岩佐勝友が描いた「花宴」です。

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 こちらは源氏と朧月夜が顔を寄せ合い、抱き合っているシーンが描かれています。表情もはっきり描かれています。安心しきって顔を寄せている女性の表情を見ると、これはおそらく、再会したときのシーンを描いたものでしょう。

 さて、3種の「花宴」を見てきました。光吉が描いた絵は「扇」というモチーフがキーになると思いました。源氏物語第8帖を読んでいなければ、この絵を読み解けないからです。光吉に代表される正統派の絵師たちは絵の中に様々な記号を入れ込み、描かれた世界に抽象的な広がりを持たせたのでしょう。形式があり、俯瞰して対象を捉えるという姿勢で描かれた絵は文字が表現する世界とそんなに変わりはありません。読み手の想像力を刺激することに価値を置いているのです。

 一方、又兵衛が描いた絵は「女性が顔を見せている」「女性が男性の背中に手をまわしている」という要素がキーになると思いました。この要素から、この男女の関係で積極的なのは女性であるということ、源氏との一夜の関係だけで朧月夜が夢中になってしまっているという情感が表現されています。クローズアップに近い捉え方でモチーフを描いていますから、見る者が感情移入できる要素が濃厚です。

 そして、勝友の絵は「男女が顔を寄せ合い、抱き合っている」という要素がキーになると思いました。ロングショットで描かれているので、説明的ですが、それを補うかのように、人目を引き付ける要素を加えています。とはいえ、これもどこかの要素が強調されているわけではないので、情感を刺激されるところまではいきません。もっとも、当時はこのような構図だけで大変刺激的だったとは思いますが、絵として魅力的かといえば、又兵衛の構図、モチーフの設定の仕方の方がはるかに魅力的です。 
 
■雅と野卑
 正統派の作品と比較しながら、又兵衛の作品を見てくると、両者の差異が明確になります。正統派の作品が見る者との一定の距離を保つことによって、源氏絵の雅な世界を表現したとするなら、又兵衛はその距離を縮めることによって、源氏絵の中に野卑な世界を見出し、それを表現することによって結果として、見る者の気持ちに強く訴えかけることができたといえるでしょう。

 又兵衛は人物の顔を長く、大きく描き、表情をきめ細かく描くことができるようにしました。顔の表情や所作から、ヒトの感情やその場の情景をリアルに表現することができたといえるでしょう。当時、源氏絵としては異端だったのでしょうが、源氏物語という古典で描かれた出来事を生き生きと甦らせたという点で、又兵衛の画期的な才能を見たような気がしました。この展覧会に「古典への挑戦」というサブタイトルがつけられている理由がよきわかります。

 もっとも、又兵衛の後継者とみられる岩佐勝友の絵に私はそれほど斬新さを感じませんでした。なぜなのでしょうか。再び「花宴」を見ると、説明的という点で、土佐光吉の絵も岩佐勝友の絵も同じようなものなのです。

 見る者との間に距離をなくし、感情移入を強く誘うようなモチーフの選択、構図、描き方を追求していた又兵衛こそ、まさに「奇想」の持ち主であり、挑戦的なクリエーターだったといわざるをえません。

 岩佐又兵衛の作品を見て、”通俗性”のパワーを強く感じました。通俗性の中にヒトの生活があり、日々の息吹があり、生命が宿っているから、見る者の気持ちに訴えかけることができるのではないかと考えさせられました。(2017/1/31 香取淳子)