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第49回全日本水墨画秀作展:水墨画が切り拓く多彩な世界(風景、生活シーン)

第49回全日本水墨画秀作展:水墨画が切り拓く多彩な世界(風景、生活シーン)

■第49回全日本水墨画秀作展の開催
 2017年3月8日から19日まで国立新美術館で、全国水墨画美術協会主催の第49回全日本水墨画秀作展が開催されています。

 実は2月にアジア創造美術展で水墨画を目にしてから、少し興味を抱き始めていました。ですから、3月9日、他の展覧会を見に行ったついでに見かけた際、こちらの展覧会にも足を向けてみることにしたのです。水墨画だけを扱った展覧会に行くのは今回が初めてです。

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 上記パンフレットに取り上げられた作品をご覧ください。とても水墨画とは思えないものです。これを見てもわかるように、出品作品の中には私にとって意外な題材が多々見受けられました。素通りできず、思わず立ち止まってしばらく見入ってしまった作品もあります。これまで私が水墨画に対して抱いていた固定観念がすっかり吹き飛ばされてしまったような展覧会でした。

 全国から寄せられた秀作218点のうち、私の印象に残った作品は16点でした。題材別に分けると、「風景」が6点、「生活シーン」が2点、「人物・動物」が4点、「抽象」が4点です。それでは、この分類に沿って、今回は「風景」と「生活シーン」に絞って、作品を簡単にご紹介していくことにしましょう。

 なお、作品を撮影する際、上部に会場の照明が映り込んでしまった作品があります。上部に見える格子のようなものは作品の一部ではないということをご了承いただければと思います。

■風景
 会場をざっと見渡して、風景を扱った作品が多いように思いました。白黒の濃淡でモチーフを表現する水墨画にふさわしい題材だからでしょうか。

・河原紫水氏の「恵水」
 会場に入ってすぐに目についたのが、河原紫水氏の「恵水」でした。

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 私が水墨画に抱いているイメージ通りの作品です。そう思って見ていると、作品全体からさまざまな水の動きが感じれらます。滝から流れ落ちる水の勢い、その周辺に立ち上る水煙、滝つぼから静かに流れていく穏やかな水流、・・・。画面からは水音すら聞こえてきそうです。滝を巡る水の諸相がとても繊細に、卓越した技法でとらえられています。この作品は環境大臣賞を受賞しています。

・林爽望氏の「雪の山里」

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 この作品も私が水墨画に抱いているイメージ通りの作品です。雪に埋もれた山里の風景です。山の麓に位置しているのでしょう、遠景を見ると、さらに深く雪に覆われています。木々は白く、辺り一帯が雪にけぶっています。この村里の一切が、雪に封じ込められているようです。

 木々や家々の屋根には降り積もった雪が厚く、丸みを帯びて描かれています。そのせいか、雪の柔らかさ、ずっしりとした重さ、そして、あらゆる物音を吸収してしまう静けささえ感じられます。

 そんな中、曲がりくねった道をヒトが歩いてきます。その道路には二本の轍があり、そこだけ雪が解けています。ヒトはその轍に沿って歩いているのです。風景とそこで生活するヒトを巧みに捉えた一コマです。この作品は文部科学大臣賞を受賞しています。

・手塚五峰氏の「幽懐」

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 この作品は、水墨画でよく見かけそうで、実はそうでもない、不思議な味わいがあります。風景を題材にしていますが、実はリアルな風景ではなく、作者が表現しようとする世界に必要な要素だけを取り込み、構成しているように見えます。

 「幽懐」というタイトルの意味がよくわかりませんでした。そこでもう一度、絵を眺めてみると、洞窟のような岩肌で囲まれた奥に木々の葉が茂り、さらにその奥から岩を伝って水が流れてきます。奥深く、美しい世界が広がっているようです。まさに、「幽」が表現されていました。そして、「懐」。この題材はおそらく、作者が深く心に秘めている原風景とでもいえるものなのでしょう。この作品は衆議院議長賞を受賞しています。

・大橋祥子氏の「蓮灯籠」

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 この作品は私にはとうてい水墨画には見えませんでした。どちらかといえば洋画、あるいは日本画の趣があります。手前から奥にかけて無数の蓮の葉が浮かび、その合間に蓮の花がところどころに描かれています。蓮池なのでしょうか。この画面構成だけでも迫力があるのに、遠景にはごく薄く、ほとんど判別しにくいほどの濃さでトラックやヒトのようなものが描かれています。
 
 そのせいか、手前や中ほどに描かれている無数の点の集まりが霊魂の表象のようにも見えます。そういえば、この作品のタイトルは「蓮灯籠」でした。見ているうちに、絵の奥に深い世界が広がっていそうで、引き付けられていきました。この作品は優秀賞を受賞しています。

・川北渓柳氏の「巨木の森」

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 題材は風景ですが、この作品は洋画でも日本画でも見かけそうです。とはいえ、作品全体に漂うしっとり感は水墨画でしか表現できないものでしょう。また、巨木の背景はぼかして描かれています。こんなところにも、水墨画の特徴がみられるといえるかもしれません。

 巨木の幹や枝、葉がきめ細かく描かれており、ひっそりとした森のたたずまいが見えてきそうです。さらに、巨木の幹に差し込む光の処理が丁寧で、独特のリアリティがあります。絵全体がしっとりとした感触に包まれており、深い情緒と余韻が感じられます。この作品は、水墨画年鑑賞を受賞しています。

・嶋田安那氏の「異国の黄昏」

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 水墨画でありながら、洋画の印象を受けました。墨の濃淡と明暗、線と面で描かれているので、ジャンルとしては水墨画なのでしょうが、描かれている素材、構成、タッチなど、洋画の雰囲気があります。

 手前右下を濃く黒く、左中を薄く白く描かれているので、黄昏の中で小舟で乗り出す黒い人影が強く印象づけられます。墨の濃淡だけで、色彩豊かなはずの異国の風景を描いているところにこの作品の面白さがあります。さまざまな色彩が感じられるだけでなく、匂いすら感じられる作品でした。この作品は優秀賞を受賞しています。

■生活シーン
 生活シーンを捉えた作品のいくつかに目が引かれました。日常生活の一コマなど、とても水墨画の題材になるとは思えません。それなのに、墨の濃淡だけで巧みに描き、一つの世界を創り出すことに成功しています。目に留まった作品をご紹
介しましょう。

・柯擁雅氏の「遊べや遊べ」

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 会場を入ってすぐ、意表を突かれたのが、この作品です。典型的な水墨画のイメージとはかけ離れています。

 女の子が猫を抱き、途方に暮れています。その足元では別の猫が不安そうに女の子を見上げています。いつでも、どこでも、誰もが見かけそうなシーンです。むしろ洋画か日本画で見かけそうな題材ですし、女の子の表情にはアニメキャラクターを彷彿させる要素もあります。

 モチーフとその描き方が水墨画のイメージとは大幅に異なっているのですが、墨の濃淡と明暗だけで見事に描き切っています。その種の差異によってもたらされた異化作用の結果、この作品に絶妙な存在感がもたらされています。この作品は玉雲賞を受賞しています。

・小川応㐂氏の「休日」

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 デッサン、あるいは、水彩画で見かけそうな題材の作品です。それを敢えて水墨画で表現したところに、この作品のユニークさがあります。

 雨の中を肩を寄せ合い、バスを待つ若い男女の後ろ姿が、ちょっと引いて捉えられています。道路は濡れ、バスもまた濡れています。土砂降りの雨ではなく、かといって小雨というわけでもなさそうな雨の風情が、的確に捉えられています。

 水墨画ならではの筆運びによっているのでしょうか。雨に濡れた面の捉え方が抜群なのです。だからこそ、せっかくの休日なのに・・・、と恨めしく思っているに違いない若い男女の気持ちまでもが見事に表現されているように思えます。水墨画だからこそ、表現することができた生活の一コマです。

 この絵では、「雨」という全体をカバーする要素と「休日」というタイトル、そして、肩を寄せ合いバスを待つ男女というモチーフ、それぞれが相互に深く関連しあっています。ですから、絵全体からしっとりとした風情が漂ってくるのでしょう。見る者に感情移入を誘う作品でした。この作品は内閣総理大臣賞を受賞しています。

■水墨画が切り拓く多彩な世界
 今回、はじめてこの展覧会に参加しました。水墨画だけの展覧会はこれがはじめてです。水墨画についてはこれまで風景を墨で描く芸術だという認識しかありませんでした。ところが、今回、この展覧会に参加して、水墨画が切り拓く世界が多様で多彩、しかも、融通無碍、きわめて奥深い表現芸術だということに気づかされました。

 水墨画ではモチーフを表現するための色彩が制限され、空間も制限されています。今回の出品作品はF20号とF30号に限られていました。制限された中で表現活動を行うには、無駄を取り除き、エッセンスに目を向けなければなりません。そこには自ずと抽象化作用が生まれ、作品の精度を高めます。

 今回、この水墨画秀作展に参加して、水墨画が切り拓く領域に大きな可能性があると感じました。(2017/3/11 香取淳子)

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