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03日

第12回中国全国美術展:中国リアリズムの煌めき

■「百花繚乱 中国リアリズムの煌めき」展の開催
 2016年2月25日、日中友好会館美術館で「百花繚乱 中国リアリズムの煌めき」展(2016年2月25日から4月10日)のオープニングセレモニーが開催されました。中国の全国美術展の一部を日本で鑑賞できる絶好の機会です。開催を楽しみにしていた私は定刻より早く会場に出向きましたが、すでに大勢の方々が談笑しながらフロアで開会を待っておられました。

日中の主催者および来賓の方々が挨拶された後、テープカットが行われました。

こちら →IMG_2565

 「百花繚乱 中国リアリズムの煌めき」展は、日本側主催者が第12回「全国美術展」で展示されていた576作品の中から厳選した76作品が展示されています。中国画、油彩画、水彩画・パステル画、版画、漆画、アニメーションなど、幅広いジャンルの美術作品が展示されています。どの作品もすばらしく、現代中国美術の表現力の高さ、多様さの一端をうかがい知ることができます。直近5年間の中国の現代美術の動向を知るまたとないチャンスといえるでしょう。

こちら →http://www.jcfc.or.jp/blog/archives/7421

 中国では5年に一度、政府主催による「全国美術展」が開催されます。2014年12月15日に開催された第12回全国技術展では、中国全土から2万点余りの作品が応募されました。その中から4391点の入選作品が選ばれ、さらに、その中から受賞作品、優秀作品、受賞ノミネート作品576点が、北京の中国美術館で展示されました。そして、その576作品の中から金賞7点、銀賞18点、銅賞49点、優秀賞86点が選ばれました。「全国美術展」はまさに現代中国を代表する美術作品の展覧会なのです。

こちら →http://12qgmz.artron.net/index.html?hcs=1&clg=2

 中国各地での巡回展の終了後、世界各地でこの展覧会の巡回がおこなわれています。日本では日本人主催者側が選んだ76作品で構成された展覧会がすでに2015年、奈良県立美術館、身延町なかとみ現代工芸美術館、長崎県美術館などで開催されています。日中友好会館美術館での開催は日本では4回目に当たり、本展終了後は福岡アジア美術館で開催されます。

 会場では、日本での展覧会のための作品選定に関わった3人の方々が作品を紹介されました。説明順に、中国画、油彩画、アニメーションの諸作品を見ていくことにしましょう。

■中国画に見るリアリズム
 森園敦氏(長崎県美術館)は中国画の代表作として、「団らんー家族愛」を取り上げられました。この作品は本展の最初に展示され、カタログの表紙にも使われていましたが、中国美術館でもトップに飾られていたそうです。陳治氏と武欣氏のご夫婦が制作された作品で、中国画部門で金賞を受賞しました。

こちら →団らん
(172×200㎝、シルクに顔料、墨、2014年)

 たしかにこの絵には強烈な存在感があります。決して派手ではないのですが、大きな画面から発散される温もりのようなものが観客の気持ちを吸い寄せていくのです。私は中国画を見るのは今回が初めてなのですが、この絵の繊細で優しい色遣いに気持ちがしっくり馴染みます。どこか日本画に通じるものがあるような気がしました。

 森園氏は、中国画には長い歴史があり、宮廷画家が手がけた花鳥風月をモチーフとした作品の系統と、文人による自然をモチーフにした作品の系統があったといいます。とくに、文人は絵の中に“意”を盛り込むことを重視し、制作していたそうです。

 文人は絵を見るヒトになんらかのメッセージを伝えることに意義を見出していたのでしょうか。それとも、写実的に再現するだけでは済まない表現衝動が文人にはあったのでしょうか。いずれにせよ、中国の文人画家たちが具象からなんらかの意味を抽出しようとしていたことに私は興味をおぼえました。具象から抽象に進み、やがて記号化されていった漢字の成り立ちを連想させられたからです。

 この絵は帰省した息子家族と老夫婦の再会を喜び合う光景をモチーフにしています。誰もが経験する日常生活の一コマですが、そのなんでもない日常の中に現代中国の世相が繊細に捉えられており、心を打ちます。リアリズムの手法によって、現代社会の深層が的確に表現されていることに感心しました。この絵については次回、再度取り上げ、掘り下げてみたいと思います。

 中国画部門で他に印象に残ったのは、「光陰の物語」です。

こちら →光陰の物語
(220×185㎝、顔料、紙、2014年)

 これは黄洪涛氏の作品で、中国画部門で銀賞を受賞しました。赤煉瓦の建物を背景に雪の積もった路面電車が詩情豊かに描かれています。淡い色調で表現された都会の風景と雪景色が調和し、美しい光景が描出されています。

 今回初めて、中国画を見たのですが、日本画とも重なる繊細で豊かな表現に感嘆しました。紙あるいはシルクという支持体に顔料あるいは墨で表現された世界には間接表現の奥ゆかしさがあり、惹かれます。

■油彩画に見るリアリズム
 南城守氏(奈良県立美術館)は油彩画部門の代表作として、「広東っ子の日常」を取り上げられました。李智華氏が制作された作品で、油彩画部門で銀賞を受賞しました。

こちら →広東っ子の日常
(176×200㎝、キャンバスに油彩、2014年)

 南城氏は、展示作品選定のため中国美術館を訪れた際、この作品が第一室で際立った存在感を放っていたといいます。日常の一コマを描いた作品ですが、その中に詩が感じられるというのです。

 この絵で描かれているのは、香港でも北京でも上海でも中国のどこでも、日常的に見かけるような光景です。休憩してたばこを吸っていたおじさんのこちらを見据える鋭い目が印象的です。

 そのおじさんの鋭い目につられ、その後ろを見ると、ショーケースがあり、所狭しと、焼き上げられた食肉がぶら下げられています。赤い椅子に座ったおじさんは、照明の下で鮮やかに輝く食肉へと観客の視線を誘導するための導入モチーフにすぎないようです。

 一方、右側の絵の中年女性は客足の途絶えたひととき、一息ついてリラックスしているようです。照明の後ろで顔は暗く、手前に並べられた食肉に目がいきます。こちらもヒトは背景として扱われています。

 ヒトが主人公かと思ってこの絵を見ていくと、光の当て方、色の使い方、画面全体に占めるボリュームなどから、実は食肉が主人公だということがわかります。たとえば、左側の絵は手前を暗く、右側の絵は手前を明るく、画面が構成されています。しかも、光が強く照射され、鮮やかに色彩が塗りこまれているのはいずれもヒトではなく、食肉なのです。

 南城氏はこの絵を見ていると、食欲が出てくるといいます。たしかに、この絵からは食肉のおいしそうな匂いすら感じられます。

 ところが、この絵をよく見ると、それほど細密にディテールが描かれているわけではありません。それでも圧倒的なリアリティが感じられますし、店番をするおじさんや中年女性の心象風景まで感じられます。それこそ緻密に考え抜かれた構図と明暗の付け方、タッチの鋭さのせいでしょう。油絵具の特性を活かした李智華氏の技法が秀逸です。リアリズムの極致といえるでしょう。

■独自性のあるアニメーション
 最後に、五十嵐理奈氏(福岡アジア美術館)はアニメーション部門で紹介したい作品として、「窓からの景色」を挙げられました。于上氏が制作した受賞ノミネート作品です。紙を切って造形し、一コマずつ動かして動画として仕上げた作品です。

こちら →IMG_1889
(5分12秒、アニメーション、2014年)

 上の写真は会場で放映されていた映像をカメラに収めたものです。次のようなカットもあります。

こちら →IMG_1890

中国のサイトではもう少したくさんの画像を見ることができます。

こちら →http://12qgmz.artron.net/index/exhibit_detail.html?id=52689&Cityid=585

 五十嵐氏が中国美術館で作品選定にあたった際、日本アニメと似たような作品、中国細密画に基づいた作品、墨絵風の作品が数多く展示されていたそうです。それだけに、紙を切り張りして制作したこの作品には独自性があって、惹かれたといいます。

 私はこの作品を見て、クレイアニメに似たような手法で制作されていることに興味を覚えました。クレイアニメと同様、着色しない白黒の紙という素材がすでに作品世界を作り上げているのです。テーマを視聴者に伝えるための表現の工夫が随所に見受けられます。

 このような作品が制作されるようになっていることを知り、驚きました。

 私は2011年から12年にかけて北京と河北省で大学生に対する意識調査を実施したことがあります。中国アニメは面白くないというのが学生たちのほぼ一致した見解でした。

 そこで、2013年、北京でアニメ制作者やアニメ会社の担当者に取材しました。彼らが一様に口にしていたのは、独自性のあるアニメーションを制作するのは難しいということでした。ある程度の視聴者数、観客数を見込める作品の制作を目指そうとすれば、オリジナリティはなかなか出せないというのです。

 今回の作品は短編でもあり、白黒の紙制作でもありますから、独自性はあっても商業化には向かないでしょう。ただ、アニメ制作に関し、このようなさまざまな試みが展開されているのはとても重要なことだと思います。制作者の裾野が広がることによって、切磋琢磨しあう機会が増えれば、より魅力的な作品が制作されるようになるでしょうから・・・。

■中国リアリズムの煌き
 学芸員の方々が紹介した作品を中心に、「百花繚乱 中国リアリズムの煌めき」展を概観してきました。会場にはさまざまな作品が展示されています。次々と見ていくうちに、私たち観客が絵に求めるものは、何なのかと思い始めました。

 絵の前に佇んでしばらく見入ってしまう作品があります。別に上手なわけでもなく、モチーフが斬新なわけでもない・・・、なぜだかわからないのに、妙に立ち去りがたい思いにさせられる作品です。

 ちょっと考えてみました。

 その絵の前を立ち去りがたくしているものは、おそらく、作品に込められたメッセージの力なのでしょう。観客との対話を引き出す力といっていいのかもしれません。見る者の目ではなく、気持ちに訴えかけてくる力です。

 私たち観客は、支持体の表層で表現されたリアリティではなく、作家の創作過程からにじみ出る内面のリアリティを見たいのです。どれほど深く現実を省察しているか、どれほど繊細に現実を観察しているか、そして、どれほど深層に近づきえているのかといったことが気になります。だからこそ、少しでもそうした要素を感じ取ることができれば、その絵と対話を始めたくなるのだと思います。

 今回の展示作品はそのような気持ちにさせられる作品が数多くありました。まさにこの展覧会のタイトルのように「百花繚乱」です。その状況が生み出されていることに、中国美術の可能性が感じられました。

今回、紹介できなかった作品で素晴らしいものがいくつもあります。次回、取り上げていきたいと思います。(2016/3/3 香取淳子)