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09日

「小山田二郎展」: 死のイメージと生の不安

■生誕100年を迎えた小山田二郎
画家・小山田二郎(1914~1991)の生誕100年を記念し、府中市美術館で展覧会が開催されています。期間は2014年11月8日から2015年2月22日までの約4か月間、出品は油彩と水彩作品を合わせて168点、という壮大な展覧会です。

作品は第1章(前衛からの出発)、第2章(人間に棲む悪魔)、第3章(多磨霊園で生まれた幻想)、第4章(繭の中の小宇宙)と章立てて展示されています。画家・小山田二郎がいかに生きたか、いかに創造したか、章を追って作品を見ていくとそのプロセスが浮き彫りになっていくという仕掛けです。

彼は1960年に府中市紅葉丘に自宅兼アトリエを新築し、ここを拠点に制作にまい進しました。第3章がその時期に相当します。府中市美術館がこれだけ大掛かりな展覧会を開催した理由がわかります。小山田二郎は府中市にゆかりのある画家だったのです。

こちら →
https://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/kikakuten/kikakuitiran/oyamadajiro.html

彼のアトリエは多磨霊園まで徒歩数分の場所にあり、一日の大半をこの霊園で過ごすことが多かったといいます。タイトルから直接、そのことを推察させる作品としては、「納骨堂略図」(1964年)、「昇天」(1965年)、「オルガンのような墓」(1966年)などがあります。いずれも燃えるような赤が使われていて、炎を連想させます。これらの死をイメージさせる作品にはメラメラと燃え立つような炎の赤が使われているのです。火葬を彷彿させる赤です。

興味深いことに、「火」(1970年頃)という作品にはこの赤は使われていません。むしろ、青紫色で炎が描かれています。リンが燃えるときの色なのでしょうか。とすると、この「火」もまた死をイメージさせることになります。この時期の彼はおそらく、死者を想い、死を考え、そして聖者をしのんでいたのかもしれません。

■「昔の聖者」と磔刑
1956年に制作された「昔の聖者」という作品があります。

こちら →昔の聖者

鳥のような手足を持つ人物が椅子に腰かけているのですが、両手は釘を指し込まれて紐で天井に固定され、両足も釘で床に固定されています。この絵には「昔の聖者」というタイトルが付けられていますから、おそらく、はりつけになったキリストを表現しているのでしょう。ところが、この人物はギョロついた目にこけた頬、髭は伸び放題といった風体で、脛も足指も細く、鳥のように曲がっています。

「聖者」といいながら、この人物に威厳はいささかも見られず、慈愛の片鱗も見られないのです。もちろん、情感も感じ取れず、見る者の共感を拒否するかのようです。ですから、「聖者」というよりはむしろ、残虐な仕打ちを受け、ひたすらもだえ苦しむ罪人のようにも見えます。

「聖者」とはいえ、この人物に他者に救いの手を伸べる余裕はあるのでしょうか。ひょっとしたら、小山田二郎は聖者をこのように描くことによって、聖者の無残な姿を見せることこそが他者には救いになると考えていたのでしょうか。

小山田二郎はこの頃、何枚も磔刑図を描いています。

たとえば、こちら →
https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcSF9ywFziqu899oWqNdAxsod1IGBxyERX_jWXpx0155cNksCs8p6g

これは1959年に制作された「はりつけ」です。腕、胸部、腹部とも膨らみがあり、身体は人間らしい曲線で捉えられています。胸は厚く、上半身が大きく描かれており、頑強な身体を思わせる構図です。ところが、その全身には大小無数の穴やひっかき傷、血痕を思わせる黒い痕が描きこまれています。しかも、大きく描かれた上半身と腹部に比べ、顔は極端に小さいのです。ですから、身体に受けた無数の傷痕、血痕だけが強く印象に残ります。

ところが、前年の1958年に制作された「はりつけ」はこれと似たような構図ですが、顔を肩にめり込むほどに横に倒したポーズで描かれています。手は細く、身体は直線でかたどられ、三角形に収斂されています。このようにして身体性を希薄にして傷痕や血痕なども強く描かれていないので、逆に横向きの顔が印象に残ります。この顔でもっとも心象に残るのは眼ですが、その眼は大きくくりぬかれただけで虚ろです。ですから、この絵では心神の傷が表現されているように見えます。いずれも、「はりつけ」というタイトルでありながら十字架は描かれていません。

さらに遡ると、1956年頃に制作された「ハリツケ」は十字架を中心に構成されています。この絵では十字架の上のキリストは直線と三角形、楕円形で模られて、記号的な処理がされています。さらに、背後にいくつもの十字架が配されていますから、受難者はキリストだけではないということがこの絵から示唆されているといえるでしょう。

「昔の聖者」から始まる一連の絵を見ていると、焦点が少しずつ変化しており、その変化のプロセスはそのまま小山田二郎の心の軌跡になっているようです。

たとえば、「昔の聖者」では釘打たれた両手と両足が天井と床に固定されており、身体的な痛みだけではなく、心身ともに束縛されることの苦しみが全面に表現されています。

ところが、「ハリツケ」(1956年頃)では十字架が全面に打ち出され、その背後に複数の十字架が描かれています。ですから、受難者はキリストだけではないというメッセージを小山田二郎はこの絵に込めようとしたとも考えられます。つまり、誰もが受難者になりうるのだというメッセージです。

そして、1958年の「はりつけ」では心神の苦悩が描き出され、1959年の「はりつけ」では身体の苦痛が全面に打ち出されています。その後、1960年頃に制作された「聖骸布」では、白布に包まれたキリストの顔が大きく描かれています。この絵は小山田二郎らしいタッチで描かれているのですが、極端なデフォルメもされておらず、どこか穏やかに見えます。さまざまな心理的な葛藤を経て彼はついにキリストの聖性に辿りついたのかもしれません。

この作品はどことなくトリノの聖骸布にも似ています。ひょっとしたら、この絵の参考にしたのかもしれません。

トリノの聖骸布はこちら →
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/70/Shroud_positive_negative_compare.jpg/300px-Shroud_positive_negative_compare.jpg

■「手」を見たときの衝撃
キリストに関する一連の作品の発端は1950年代後期に制作された「手」かもしれません。この絵を見たとき、あまりにもリアルに苦痛と苦悩が表現されているので衝撃を受けました。

こちら →手

必死で何かを掴もうとするが、果たせない・・・、そのような状況下での左腕と左手が描かれています。腕も手もひどい苦痛で歪んでいるかのように見えます。この絵からは断末魔の叫びが聞こえそうです。思わず感情移入し、描かれた苦痛と苦悩を自分に置き換えてしまいました。ショックでした。リアルな表現だからこそ持ち得た訴求力だといえます。

腕の内側には無数の小さな穴があり、親指の付け根から噴き出すように流れだした血は、腕を伝っていく筋も落ちています。よく見ると、手のひらには大きな穴があけられていて、その周辺の肉が盛り上がっています。磔のときに打ち付けられた釘の痕なのでしょう。正視に耐えない苦痛を感じてしまいます。ただ、この大きな穴を「眼」とみる解釈もあるようです。

神山亮子氏はカタログの中で、この手の穴について、次のように解説しています。
「掌の上の穴が眼であると解すれば、人物像、それも小山田の自画像と捉えることができるだろう。ただ、人であれ異形の生き物であれ、顔にあたる部分に描かれた眼と、身体の一部である掌に描かれた眼は、意味が異なってくる」とし、「顔の中の眼は鏡がなければ直接、自分を見ることはできない。だが、手についた眼なら自分を見ることができる」と、その違いを説明しています。手にある眼なら、小山田の自画像と捉えることができるというのです。

たしかによく見ると、この穴は「眼」のようにも見えます。これが「眼」であるとするなら、この手によって苦痛にもがく自分を見ることもできるでしょう。もちろん、顔にある眼によって傷つけられた手を見ることもできる・・・、つまり、見ることは見られていることでもあり、そこには常に不安がつきまとっているという認識です。神山氏は小山田二郎の「自画像についてのノート」を引用しながら、「この作品は、そのような複雑な関係性を、掌に穿った眼によってきわめてストレートに示した、自画像であるともいえよう」と解釈しています。

手の穴を「眼」と見なすことで、小山田二郎の心性をより深く理解できるのかもしれません。対象を凝視するからこそ、その対象から逆に凝視されるという感覚をもたざるをえなかった小山田二郎が不安感にさいなまれていたとするなら、この絵は彼の心性を如実に表現しているといえるのでしょう。

小山田二郎の絵はどれも一見、不可解ですが、その場をすぐには立ち去り難い魅力があります。それは、彼が死のイメージや存在することへの不安感をモチーフにすることが多かったからではないでしょうか。しかも彼はそのモチーフを徹底的に追い詰め、究極の姿を晒す格好で描いています。だからこそ彼が描く絵は時を経てもなお、強い訴求力を持ち得ているのかもしれません。(2015/2/9 香取淳子)