ヒト、メディア、社会を考える

絵画

ゴッホ展:短い線を単位とした筆触分割法の魅力

■12月下旬の上野界隈
 お天気がよく、風もなかったので、久しぶりに上野に出かけてみました。JR上野駅を出て、公園に入ってすぐ右手には、国立西洋美術館があります。そこではいま、「北斎とジャポニズム」が開催されています。開催期間は2017年10月21日から2018年1月28日までですが、12月14日時点ですでに来場者が20万人を超えたそうです。

 実際、チケット売り場には大勢のヒトが並んでいましたから、人気抜群の展覧会だということがわかります。そうはいっても、展覧会のタイトルからは、作品を鑑賞するというより、企画者側の解釈を見せつけられるだけではないかという気がしてきます。そこで、ここはスルーすることにしました。

 そして、たどり着いたのが、東京都美術館です。ここでは「ゴッホ展」が開催されていました。ゴッホの作品は写真でしか見たことがありません。迷うことなく、この展覧会を見ることにしましたが、ふと、掲示されているポスターに「花魁」の絵が採用されているのが気になりました。

 ひょっとしたら、西洋美術館と似たような企画ではないかと思い、改めてタイトルを見ると、副題として「めぐりゆく日本の夢」と書かれています。どうやら、こちらもジャポニズムと関連づけて、企画された展覧会のようです。とはいえ、「ゴッホ展」と名付けられているからには、ゴッホの作品を中心に構成されているはずです。そう思って、東京都美術館に入場することにしました。

 入口に置いてあったチラシを見ると、表にゴッホの「花魁」、裏には絵筆を持ったゴッホの自画像が掲載されています。

こちら →http://www.tobikan.jp/media/pdf/2017/goghandjapan_flier2.pdf

 ゴッホが絵を構想し、制作していく過程で、日本の浮世絵がいかに影響を及ぼしたのか、それが端的に表現されているチラシでした。おそらく、これが、この展覧会のコンセプトなのでしょう。

 展覧会は、第1章「パリ 浮世絵との出会い」から、第5章「日本人のファン・ゴッホ巡礼」で構成されており、全体で181点の作品が展示されていました。そのうち、ゴッホの作品はわずか39点で、著名な作品はほとんどありません。私が知っている作品としては、「自画像」、「種まく人」、「寝室」ぐらいでした。ゴッホのように有名な画家になると、作品の借り受けも相当難しくなるのでしょうか。そんなことが気になりました。

 所蔵先の内訳を見ると、ファン・ゴッホ美術館所蔵が14点、クレラー=ミュラー美術館所蔵が9点、個人所蔵が6点、プーシキン美術館が2点、デ・ブール財団(アムステルダム)所蔵が2点でした。ファン・ゴッホ美術館からの提供が多いと思いましたが、それもそのはず、カタログを読むと、この企画はファン・ゴッホ美術館との共同プロジェクトによって実現したものでした。

■国際共同企画:ゴッホ展
 カタログの冒頭には、ファン・ゴッホ美術館・館長のアクセル・ルーガー氏のメッセージが紹介されていました。

***
 ファン・ゴッホを真に魅了したのは、浮世絵ならではの澄んだ明るい色彩と、自然に対する生き生きとした洞察力でした。こうしたものを、ファン・ゴッホはアルルの地で、自らの芸術と、自らがおかれる環境に求めました。ただそれは、単なる美術史や文化史的な説明を超えて解釈しなければなりません。
鬱に苦しんでいたファン・ゴッホは浮世絵の明るい性質を自身の作品に取り入れることで、心身の回復を図り、己よりも「はるかに幸福で、ずっと快活な」存在を夢想することができました」
*** (『Van Gogh & Japan』p.8より)

 ゴッホの魂がいかに日本の浮世絵によって救われたのか、その作品世界に浮世絵がいかに影響を及ぼしたのか、興味津々です。

 カタログによると、ゴッホは1886年2月末、パリにやってきました。その後、2年間のパリ滞在期間中、大きな影響を受けたのが、印象派と日本の浮世絵でした。印象派からは明るい色調を学び、浮世絵からは平板な色面の構成を学んだようです。この二つの要素がゴッホの絵を読み解く大きなカギになるといっていいでしょう。

 まず、チラシに掲載されていた「画家としての自画像」から、見ていくことにしましょう。

こちら →
(Self-portrait as Painter, 油彩、カンヴァス、65×50㎝、1888年。カタログより。図をクリックすると拡大します)

 これは、ゴッホがアルルに旅立つ直前に描かれた作品です。ゴッホはパリ時代に自画像を28点も制作していたそうですから、ここでの最後の自画像といっていいでしょう。この作品からは、ゴッホが印象派の影響を受けていたことが一目でわかります。

 自画像として描かれた顔には生気がなく、暗い表情であるにもかかわらず、この絵からは精神の躍動が感じられます。興味深いことに、創作者だけが持つ精神の煌きといえるものが明るい色調の中で表現されていたのです。

 そんな印象を受けてしまったのは、ひょっとしたら、筆触分割法による色彩の効果のせいなのでしょうか。

■筆触分割法
 この作品で気になったのは、点ではなく、短い線が色彩の単位になっていることでした。この作品では、点描ではなく、面でもなく、独立した色彩を帯びた短い線で、モチーフの各面が構成されています。短い線を単位として絵を構成する基本原理が適用されており、ゴッホならではの独自世界が築き上げられています。どこから見ても、ゴッホの作品だとわかる画風です。

 完成作品を見ただけでは、ゴッホの特徴的な画風を支える基本原理がよくわからないのですが、今回の展覧会では、下書きのような作品が展示されていましたから、制作原理を把握することができます。たとえば、アルルに移ってからの作品で、「麦畑と太陽」というのがあります。

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(黒チョーク、葦ペン、黒インク・白の不透明水彩、紙、47.5×56.6㎝、1889年。カタログより。図をクリックすると拡大します)

 これを見ると、太陽の光、雲のたなびき、遠景の山並み、木々のそよぎ、草のうねりなど、すべてのモチーフが短い線で描かれています。色彩を載せる前の段階で、ゴッホが短い線を単位として絵を構成していたことがわかります。

 この絵を見ていると、点ではなく、面でもなく、短い線に色を載せるからこそ、表現できる独自の世界があることに気づきます。短い線だからこそ表現できる方向性であり、動きであり、可動空間です。ゴッホの作品にしか見られない要素です。このことからは、ゴッホは印象派あるいは新印象派から筆触分割法を学び、それを独特の感性で組み立て直していたことがわかります。

 この時期、人物画もまたこのような技法で描かれており、平面的な表情には独特の雰囲気が醸し出されています。「アルルの女」(ジヌー婦人)という作品です。

こちら →
(油彩、カンヴァス、61×50㎝、1890年、カタログより。図をクリックすると拡大します)

 ゴッホは短い線を軸にした独特の筆触分割法を用いることによって、モチーフの何気ない仕草と表情に奥行きを生み出し、この女性(ジヌー婦人)の内面を見事に表現しています。平板に描かれているところに日本の影響が感じられますが、その一方で、淡々として穏やかな日常への哀惜が感じられます。

■色彩の持つ印象効果
 日本の影響を感じさせられる作品をいくつも目にしていくうちに、第4章「自然の中へ、遠ざかる日本の夢」で、気になって立ち止まってしまった作品がありました。「下草とキヅタのある木の幹」です。

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(油彩、カンヴァス、73×92.3㎝、1889年。カタログより。図をクリックすると、拡大します)

 この作品も、短い線をベースとした筆触分割法で描かれていますが、これまでの作品とは違って、どういうわけか、日本の影響が感じられないのです。モチーフの構成からは遠近法が感じられますし、明暗の表現技法からは光に意識が向けられていることがわかります。そのせいでしょうか、モチーフの木や草が太陽の光によって生命活動を営んでいることが立体的に示されているのです。これまでの平板な作品とは明らかに異なっています。

 光と影のバランスが絶妙で、リアリティ豊かな世界が表現されており、つい、引き込まれてしまいます。ここでは距離と光に焦点を当てて、モチーフが構成されています。そのせいか、遠近感、立体感が明確になっています。平板な浮世絵の世界から脱し、立体感のある西洋画の世界に復帰したかのように見えるのです。

 その1年後に制作された「草むらの中の幹」では、さらに、大胆な色彩表現が試みられています。

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(油彩、カンヴァス、72.5×91.5㎝、1890年。カタログより。図をクリックすると、拡大します)

 この作品では、モチーフの色彩を写実的に再現するのではなく、イメージで色彩を選択し、組み合わせて表現されています。おそらく、そのせいでしょう。これまで通りの筆触分割法でありながら、木の幹の表情が輝いてみえます。木の根元に生える小さな花、その先に広がる無数の野生の花々、自然界にはない異色の華やぎが画面一体に生み出されているのです。

 不思議な作品です。構成単位に載せられる色彩が、この作品では、明度、彩度の高いものを中心に選ばれています。ですから、画面の隅々まで太陽の光が射し込み、その光の下で生命が生き生きと躍動している様子が伝わってきます。その結果、この作品には、生きることへの賛歌とでもいえるものが横溢している印象が残るのです。

■ゴッホ作品の独自性
 写真でしか見たことはありませんが、私は、ゴッホの作品の中では、「星月夜」(1889年)、「糸杉と星の見える道」(1890年)、「オーヴェールの教会」(1890年)といった作品が好きでした。今回の展覧会ではそのどれもが展示されていませんでしたが、これらの作品に共通する要素を会場で見受けることができたように思います。

 それは、短い線を使った筆触分割法による色面構成であり、画面構成でした。完成作品を見ただけではわかりませんでしたが、会場で下絵のような作品「麦畑と太陽」を見て、気づいたことでした。

 たとえば、「星月夜」(1889年)には不安感が漂っています。

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(油彩、カンヴァス、73.7×92.1㎝、1889年。Google Arts & Cultureより。図をクリックすると拡大します)

 そして、「オーヴェールの教会」(1890年)にも不安感を感じ取ることができます。

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(油彩、カンヴァス、74×94㎝、1890年。Google Arts & Cultureより。図をクリックすると拡大します)

 ヒトの気持ちを根源から揺さぶる力がこれらの作品にはあります。いずれもほぼ同時期に制作されており、その技法上の共通項が、短い線による筆触分割法でした。今回の展覧会は、ゴッホ自身の作品が少なく、物足りない思いがしましたが、これまで見る機会のなかった下絵のような作品も展示されていたので、作品の制作過程に思いを巡らすことができました。

 その結果、ゴッホの作品の独自性が何によってもたらされているのか、その一端を垣間見ることができたような気がします。そして、なぜ、私がこれらの作品に引き込まれていたのかも理解することができたように思います。改めて、描かれる作品世界はモチーフと制作意図、そして技法とが密接に関連し合っており、全体としての印象を形成するのだということがわかりました。(2017/12/29 香取淳子)

絹谷幸二展:越境する表現者の輝き

■「絹谷幸二 色彩とイメージの旅」展の開催
 書店でたまたま手にした雑誌で、「絹谷幸二 色彩とイメージの旅」展が開催されていることを知りました。読むと、なにやらとても面白そうな展覧会です。絹谷氏についてはこれまで名前を聞いたことはありますが、作品を見たことはありません。ざっと記事を読み、興味をかき立てられました。

 記事の中には絹谷氏の顔写真も掲載されていました。眼光が鋭く、岡本太郎を彷彿させる強烈なエネルギーを感じさせられました。その一方で、どこか人懐こく、好奇心旺盛ないたずらっ子のような雰囲気もあります。本質を見通す眼力だけではなく、そこはかとなく稚気を感じさせる風貌だったのです。絹谷氏はひょっとしたら、途方もなくスケールの大きな画家なのかもしれません。

 展覧会に行ってみようかな・・・と、気持ちが揺らぎました。とはいえ、会場は京都国立近代美術館です。気軽に足を運べる場所でもありません。そう思うとたちまち興味は薄れ、そのまま、展覧会のことは忘れていました。

 しばらくして、再び、絹谷幸二展の案内を見る機会がありました。今度はチラシです。そこには、荒々しく躍動的な仏像の絵、多彩な色遣いが印象的な女性の肖像、不思議な造形物などが掲載されていました。どれも意表を突かれるような作品でした。まさに自由奔放、稚気横溢、融通無碍の世界です。ほとばしるような創作のエネルギーを感じました。

 そう感じた途端、私の気持ちが固まりました。遠くても、京都まで行ってみようと思ったのです。チラシで見た絵や造形物はいずれも異彩を放っていました。その源泉はいったい何なのか、この目で実際に見て、確かめてみたいという気持ちが強くなったのです。

 新幹線の京都駅を降り、市バスに乗って岡崎公園・平安神宮・美術館前で下車すると、ちょうど目の前が京都国立近代美術館でした。平安神宮の朱色の鳥居の左手に見える建物が、美術館です。

こちら →
(図をクリックすると拡大します)

 この写真は、京都駅行のバス停から撮影したものです。ここで絹谷幸二展が開催されているのです。閑静な一角にある美術館は、朱色の鳥居を前にしているせいか、まるで異空間への入口のように見えました。過去と現代、日本とグローバル世界、そして、リアルとバーチャル、さまざまに対立しながら共存する世界が私を待っていました。

■オープン・ザ・ボックス・オブ・パンドラ
 建物の中に入ると、すぐ目の前に見えてきたのが、巨大なオブジェ、「オープン・ザ・ボックス・オブ・パンドラ」です。あまりにも巨大で、これがチラシに掲載されていたあの不思議な造形物だとはすぐにはわかりませんでした。展覧会の受付の近くの階段下に、聳え立つように展示されていました。

こちら →
(ミクスト・メディア、スチロフォーム、400×185.0×185.0㎝、1990年制作。図をクリックすると、拡大します)

 この写真は正面から撮影したので、立体だということがよくわかりませんが、実は直方体のオブジェです。その右上方には、展覧会の案内表示が見えますから、今回の絹谷幸二展に向けた前奏として用意されたのでしょう。タイトルを見ると、「オープン・ザ・ボックス・オブ・パンドラ」です。まるで入場者に向かって、「パンドラの箱を開けよ(Open the box of Pandora)」と煽っているかのようでした。

 「パンドラの箱」はよく知られている寓話です。
パンドラの箱を開けると、さまざまな災厄が出てきましたが、最後に出てきたのが希望でした。ですから、どんなことがあっても絶望しないで生きることができるというメッセージがこの寓話に込められています。

 ギリシャ神話に基づくこの寓話を思い返してみると、絹谷氏がこの作品にこのタイトルを付けたことの意図が見えてくるような気がしました。行動する前に結果を読んでしまい、何もできなくなってしまっているヒトが増えています。その結果、いつごろからか、現代社会には閉塞感が充満するようになっています。絹谷氏がこのタイトルになんらかのメッセージをこめていることは確かでしょう。

 恐れることなくパンドラの箱を開けて、まずは現実を直視しなさい。たとえ何が起ころうと、最後には希望が残されているので、思い切りよく現実社会に飛び込んでいきなさい・・・。

 そんなメッセージが込められているように私には思えました。色彩豊かに、稚気と野性味あふれる世界を描き出したこの作品は、そのような日本の現状への警告のようにも思えます。まさに、何が出てくるかわからない展覧会「色彩とイメージの旅」への誘いにふさわしいオブジェでした。

〇多彩で多様なモチーフ
 もう一度、オブジェを見てみましょう。今度は立体であることがわかる図を用意しました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 鮮やかな色彩に、複雑で多様なモチーフ、そして、溢れ出るようなイメージの洪水です。まず目につくのが、正面の顔と横顔が合成されたヒトです。画面に占める割合が大きいせいか、異様な風貌がことさらに印象深く、度肝を抜かれます。

 両目からは涙が流れ落ちており、悲しそうな表情が気になります。黄色で描かれた鼻筋はすっきりとしたラインが際立っており、誇り高さが感じられます。その際立つ黄色が、中ほど左に描かれた「Yes」の文字色に呼応しており、見る者の視線はごく自然に、その方向に誘導されていきます。

 大きな「Yes」の文字の横、右斜め方向に、やはり黄色で「or」の文字、そして、その隣りには、色を変え、ひっそりと隠れるように、「no」の文字が描かれています。絵画の中にアルファベット文字が描かれているのです。このような絵は見たことがありません。意表を突かれる思いがしました。

 「Yes」が大きく目立つ黄色で描かれ、「no」が小さく目立たない色で描かれていることから、このアルファベット文字列の中では、「Yes」に力点が置かれていることがわかります。ものごとを肯定的に捉えることの重要性が示唆されているのでしょうか。

 さて、アルファベット文字の下には、蓮の葉のようなものの上に立って、銃を構える兵士が描かれています。兵士の顔や身体は板目のはっきりした木片で構成されていますから、おもちゃのように見えます。

 ひょっとしたら、このモチーフは、上方で描かれている涙を流しているヒトに関連しているのかもしれません。つまり、ひとたび戦闘行為があれば、近親者が亡くなる場合もあれば、傷つく場合もあります。そうなれば、家族や友人、知人が悲嘆にくれることは必至です。涙なしには過ごせなくなります。おもちゃのような兵士が「原因」であるとするなら、涙を流しているヒトは「結果」なのでしょう。

 さらに、二つのモチーフの位置関係を見ると、涙を流しているヒトが上方で大きく描かれていますから、絹谷氏が悲嘆の方に力点を置いていることがわかります。ここに、アンチ戦闘、あるいは、対立への拒否的感情が表現されているといえるでしょう。

〇モチーフに埋め込まれたメッセージ
 二つのモチーフの関連をこのように解釈したとき、「Yes or no」の文字の意味が理解できるような気がしました。「Yes or no」はおそらく、「yes」あるいは「no」の選択肢しか用意されない二項対立の思考法を示すものでしょう。つまり、西洋の思考方法を示唆するものと考えられます。そして、このような思考法は、論理的思考法の基盤になるものではあっても、ヒトから寛容さを奪い、挙句の果ては、戦闘を引き起こしかねないという懸念が表現されているように思えます。

 正面から撮影した写真ではわからなかったのですが、この写真を見ると、左上から突き出た赤い図形のようなものが、太陽光線の一部だということがわかります。左上から隣の面にかけて、上部に真っ赤な太陽とその光線が描かれているのです。まるでヒトの営みをすべて見通しているといわんばかりに配置されています。

こちら →
(部分的に撮影。図をクリックすると、拡大します)

 それでは、正面からの写真と、左面を含めた写真とを見比べながら、この作品の含意を見ていくことにしましょう。正面からの写真では、ヒトはともすれば戦い、傷つき、そして、嘆き悲しむといったような局面が描かれています。いってみれば、二項対立の思考法の問題点が示唆されています。

 そして、左面を含めた写真では、上方に真っ赤な太陽が大きく描かれています。ここでは、ヒトの営みすべてに太陽が暖かく射し込み、光とエネルギーを降り注いでいるというメッセージが込められているように思えます。

 つまり、複数面で構成されたこのオブジェは、総体として、ヒトが生きていく過程でどんな災難に遭遇したとしても、最後には太陽の恵みが残されているという含意を読むことができます。このように読み解くと、改めて、この作品が絹谷氏の捉えた「パンドラの箱」だということがわかります。

〇基本モチーフと制作姿勢
 このオブジェからは、平面を使って立体的な世界を創り出そうとする絹谷氏の制作姿勢が透けて見えます。先ほども述べましたように、正面で描かれたモチーフは左面で描かれたモチーフと関連しています。面をまたいでモチーフを関連づけることによって、絹谷氏は様々な事象が相互に影響しあい、関連しあう複雑な現実社会の一端を見事に表現していました。

 現実社会はさまざまな境界によって、仕切られているように見えます。ところが実際は、境界を越え、あるいは境界を跨って、ヒトやモノはつながり合い、関係しあっています。一見、無関係に見える事象すら時空を超え、有機的に相関しています。森羅万象、皆つながりあって生きており、地球という空間の中で存在しているのです。

 絹谷氏はおそらく、そのようなことをこの直方体のオブジェによって表現したかったのではないでしょうか。

 文字であれ、多面体の肖像であれ、異質で多様なモチーフが同じ画面で相互に関連し合いながら、多彩な色遣いで表現されていました。それだけでは表現しきれなかったのでしょう、絹谷氏は平面を組み合わせ、立体を創り出しました。表現空間そのものを新たに生み出し、交差させながら、複雑につながりあう社会を描き出しました。絹谷氏が自在に越境する精神の持ち主だということが、この作品によって例証されたといえます。

 展覧会を見終え、改めてこのオブジェを見たとき、この直方体には絹谷氏がこれまで制作してきた作品の基本モチーフがいくつも見出されることがわかりました。それだけではなく、制作姿勢あるいは絹谷氏の世界観そのものの本質が、この作品に込められているような気がしました。

 この作品が制作されたのが1990年、絹谷氏が47歳の時です。まさに人生折り返しの時点の作品でした。これまでの集大成ともいえます。とてもシンボリックな作品でした。

 入口のところで、時間を取り過ぎました。それでは、会場に入っていくことにしましょう。

 第1章は「蒼の時代」と銘打たれ、1966年から1971年までの作品が展示されていました。絹谷氏が23歳から28歳までの作品6点です。

■「蒼の間隙」と「窓」
 「蒼の時代」と銘打たれたコーナーでは、「自画像」、「蒼の間隙」、「諧音の詐術」、「蒼の風跡」、「蒼の隔絶」、「窓」の6点が展示されていました。惹きつけられたのが、「蒼の間隙」と「窓」です。

〇「蒼の間隙」 
 まず、「蒼の間隙」から見ていくことにしましょう。

こちら →
(文化庁広報誌より。油彩、カンヴァス、130.3×162.1㎝、1966年。図をクリックすると、拡大します)

 見た瞬間、とても斬新でモダンな印象を受けました。1966年、絹谷氏が23歳の時の作品です。いまから50年も前に描かれた作品とは思えないほど、新鮮でした。このコーナーには同時期の似たような色調やモチーフの作品がいくつか展示されていましたが、どういうわけか、私はこの作品にもっとも強く印象づけられました。

 そこで、「蒼の間隙」、「諧音の詐術」、「蒼の風跡」、「蒼の隔絶」を見比べてみました。色調からいえば、4つの作品の中で「蒼の間隙」がもっとも黄色の面積が少なく、しかも、蒼色が濃淡さまざまに、暖色系や白系の色とのバランスよく使われていました。おそらく、そのせいでしょう。4作品ともモチーフは裸婦でしたが、もっとも素直に絵の中に入っていけたのがこの作品でした。

 「蒼の間隙」を見ていると、色調が美しく、画面からは洗練され上品なエロティシズムが立ち上っています。所々に、黄色や青、茶色で半具象の線描きがされており、空間に微妙な奥行きと多層性が与えられています。足元にはハイヒールが転がり、かすかにドラマティックな仕掛けも施されていました。考え抜かれた空間構成と、メインモチーフとサブモチーフの関連づけが巧みで、作品世界に深く引き込まれました。

 これら4作品は、「蒼の間隙」(1966年)、「諧音の詐術」(1966年)、「蒼の風跡」(1969年)、「蒼の隔絶」(1969年)の順で展示されていました。これが制作順なのだとすれば、一連の作品の中では、「蒼の間隙」がもっとも初期の作品だということになります。

 そのことが私には興味深く思えました。早い段階で絹谷氏が完成度の高い作品を制作していたことになるからです。4作品の中ではもっとも素直に作品世界に入っていけたように、この作品には色彩といい、構図といい、奥行きの創出といい、自然で和やかな調和がありました。

 その後の3作品を見ていると、この作品で完成した殻を打ち破ろうとするかのように、次々と新しい試みが加えられていることがわかります。絵の中に新しい要素を見る度、現状に安住しない絹谷氏の果敢な創作精神を見る思いがしました。

 たとえば、「蒼の間隙」と同年に制作された「諧音の詐術」を見ると、黒の線が多用され、都会的で退廃的な雰囲気がよく表現されていました。ところが、私にはそれ以上の何かが足りませんでした。描かれている世界を突き抜けて、見る者の気持ちに響いてくるものが欠けていたのです。

 その後、1969年に制作されたのが「蒼の風跡」、「蒼の隔絶」です。この2作品からは明らかに、「蒼の間隙」の完成度を打ち破ろうとする絹谷氏の意志が感じられます。いずれも黄色と青が多く使われており、都会的で透明感のある独特の雰囲気が醸し出されていました。色遣いが魅力的で、さまざまなモチーフが混在した空間には、快い深さと広がりが感じられました。

 しかも、両作品とも、やや高い位置にモチーフの中心が設定されています。そのせいか、全体に不安定で浮遊感があり、そこはかとなく無常観も漂っています。ただ、メインモチーフの強調部分が写実的に描かれていたので、私には納得のいかないものが残りました。わかりやすいのですが、通俗的に見えたのです。「蒼の間隙」に比べると、この二つの作品はたしかに刺激的で魅力的ではありますが、昇華しきれていないところが私は気になりました。

 それにしても、不思議です。

 「蒼の間隙」は23歳のときの作品です。それがなぜ、半具象という手法を使ったのか。なぜ、これほどまでに現実世界を濾過することができているのか。まるで雑念を払うように、すっきりと無駄なものを省き、作品として昇華することができているのはいったい、なぜなのか。

 そこで、図録の解説を読んでみました。絹谷氏の経歴を知って、なんとなくわかったような気がしてきました。絹谷氏はすでに小中学校の頃から油絵を描き始めていたそうです。市展や県展で入選するほどの画才がありました。絵画で自身の内面を自在に表現する力量はすでに子どものころから持ち合わせていたのです。

 卓越した色遣い、妙味のある構図、洒脱な構成、どれをとっても、一定のキャリアを経なければ得られないものですが、それらをすでに身につけた上で、絹谷氏は東京芸術大学に入学したのでした。

 「蒼の間隙」は卒業制作ですが、これは大橋賞を受賞しています。

〇「窓」
 さて、このコーナーで魅力を感じたもう一つの作品が、「窓(ラ・フィネストラ)」です。

こちら →
(カタログを撮影。アフレスコ、ストラッポ、麻布、50.5×50.0㎝、1971年。図をクリックすると、拡大します)

 見れば見るほど、奇妙な裸婦像です。画面の中央、青い縁取りの椅子に裸婦が足を組んで座っているのですが、裸婦の腿や脚部はまるで臀部かと見まがうほど丸くて太く、足先は極端に細く描かれています。

 顔や上半身は、圧倒的に大きく描かれた下半身に埋もれて、どこにあるのか判然としません。よく見ると、すでに顔や胸、肩、腕は溶け出していて、形がなくなっています。脂肪なのか何なのか、肉体の一部が白い液状のものになって椅子から滴り落ち、床下に流れ出しています。ドアに向かって流れ出しているのもあれば、壁に向かって流れているのもあります。どろどろとした液状のものが、板目のついた床の上を這いまわるように汚しています。

 再び、裸婦を見ると、巨大な腿や腰が強調されていますが、そのラインは必ずしも身体の曲線を際立たせようというものではありません。むしろ、どこかおぼつかなく、頼りなさそうなラインです。やがては上半身と同じように溶けだしていくのでしょう。溶解寸前の脆さがありました。

 よく考えると、不気味な絵です。ところが、「蒼の間隙」で感じた爽やかさがこの作品にもありました。現実の猥雑さが取り除かれていたからでしょうか、あるいは、どこか現実を突き抜けたものがあったからでしょうか。一種の爽快感が感じられたのです。それが奇妙な魅力を放っていました。

■「蒼の間隙」から「窓」への軌跡
 「窓」は、絹谷氏が「蒼の間隙」以来、裸婦を通して追求してきた造形美の到達点のように私には思えました。以前の作品に比べ、抽象化の度合いが高められているだけではなく、牧歌的でユーモラスな雰囲気が加味された上で、苛酷な現実が表現されています。絹谷氏のヒトや社会を凝視する力がいっそう深くなり、想念の象徴化が巧みになっていると思いました。

 この作品で興味深いのは、メインモチーフを真ん中に、壁、ドア、天井、窓によって室内が閉じられていることです。閉じられた空間でありながら、窓は開け放たれており、そこに、外部とのつながりを感じさせる‘抜け’が用意されています。境界を超える自由が残されているのです。

 一方、裸婦の身体から流れ出る液状のものが、椅子を伝って流れ落ち、床を覆い、ドアや壁際にまで滲み出しています。この不定形のものは、直線で構成された空間の息苦しさに耐えかね溶解し始めたヒトのうめきの化身のようにも見えます。空間に拘束される肉体はカタチを崩して滅び、空間を飛翔できる精神は開け放たれた窓から越境できるということなのでしょうか。

 さて、この絵を見るとき、視線は必然的に、メインモチーフの裸婦に向かいます。ところが、この裸婦と思えるモチーフには顔もなければ、上半身もありません。しかも、腿や腰の曲線にエロティシズムの片鱗すらありません。絹谷氏はどうやら裸婦を描きながらも、エロティシズムではなく、ヒトの肉体の脆さ、儚さを訴求しているように思えます。

 もっとも、この絵に悲壮感はなく、どこかユーモラスな温かさが感じられます。直線で囲まれた空間の中に、不定形のモノや、裸婦の腿や腰のおぼつかない曲線が強く印象づけられるからでしょう。さらにいえば、画面全体にザラザラとした砂の感触があって、それが全体に調和しており、描かれている内容の苛酷さを緩和しているのかもしれません。

 図録によると、この作品はアフレスコで制作されたものをストラッポで麻布に添付されたものでした。技法の面でもそれ以前の作品とは大幅に異なっていたのです。この作品にはまだ後年の鮮やかな色彩は見られませんが、モチーフの扱い方に固定観念を崩す大胆さが見受けられます。その後の飛躍を暗示するような作品です。

 こうしてみてくると、「蒼の間隙」から「窓」に至る一連の作品からは、絹谷氏の表現の軌跡ばかりか、思考の軌跡をも読み取ることができるといえるでしょう。いずれの作品にも固定を排除するための揺らぎと動きが埋め込まれ、他者を受け入れる大らかさと曖昧さがありました。初期作品に共通して見受けられたので、これは絹谷氏の本質といえるものなのかもしれません。

 絹谷氏は東京藝術大学絵画科油画専攻を1966年に卒業した後、大学院では壁画を専攻し、アフレスコを研究していました。アフレスコの講義のために1970年に来日したブルーノ・サエッティとの出会いを契機に1971年、イタリアに留学します。イタリアで絹谷氏は何を学び、何を獲得してきたのでしょうか。

 京都国立近代美術館にやってきて、入口に展示されていた巨大なオブジェと初期作品を見ただけで、絹谷氏の自在に越境する精神の輝きに圧倒されてしまいました。次回、その後の作品を追いながら、表現者としての軌跡を辿っていきたいと思います。(2017/9/20 香取淳子)

藤島武二展:「婦人と朝顔」に見るアンニュイ

■「生誕150年記念 藤島武二展」の開催
 練馬区立美術館でいま、藤島武二展が開催されています。生誕150周年を記念して企画された展覧会で、開催期間は2017年7月23日から9月18日までです。私はたまたま図書館でチラシを見て、この展覧会の開催を知りました。

 手に取って文面を読むと、「藤島は日本近代洋画の牽引者として近年とみに高い評価を受けています」と書かれています。私は藤島武二について、名前を聞いたことがあるという程度の認識しか持ち合わせていませんでした。もちろん、どんな作品があるのか、まったく知りません。ですから、暑い夏の日のひととき、藤島武二の作品を見て、「日本近代洋画」の一端を知るのも悪くないなという気持ちになりました。

 チラシには関連イベントとして、高階秀爾氏による「藤島武二とイタリアの魅力」や、島田紀夫氏による「藤島芸術の装飾性」という講演会についての情報も記載されていました。残念ながら、それらの申し込み締切日はすでに過ぎていました。

こちら →https://www.neribun.or.jp/week_new/detail.cgi?id=201702191487440330

 なかなか時間の都合がつかず、8月24日、ようやく藤島武二展に出かけることができました。練馬美術館の前まで来ると、大きな木の下にポスターが掲示されていましたが、それはチラシの画像を拡大したものでした。

 見れば見るほど、物憂げな表情の女性像です。この絵を見上げてしばらく佇んでいると、まるで明治時代にタイムスリップしたかのように、気持ちまで静寂の中に包まれていきました。こんもりとした木の枝葉の下に看板が掲示されていたせいでしょうか、そのまま、ロマンティックなノスタルジーの世界に浸ってしまいそうでした。

 会場に入ると、藤島武二の作品、約160点が展示されていました。その内訳は、修業時代(1890年ごろ)から晩年(1943年)までの絵画作品、それ以外に、雑誌の表紙絵や他の画家の関連作品などです。全作品が網羅されていたわけではありませんが、藤島武二の生涯にわたる作品が展示されていました。生誕150周年記念展ということだからでしょう。藤島武二を知り、日本の近代洋画を把握するには絶好の機会でした。

 そこで今回は、印象に残った作品を取り上げ、制作の背景なども探りながら、揺籃期の洋画の生成過程について考えてみたいと思います。

■「池畔納涼」
 修行時代の作品で印象に残ったのが、「池畔納涼」です。1898年に制作された油彩画で、東京芸術大学に所蔵されています。

こちら →
(カンヴァス、油彩、152.0×194.4㎝、1898年。図をクリックすると拡大します)

 油彩画ですが、水彩画のような印象が残ります。淡い色調と軽やかな筆のタッチのせいでしょうか、一服の涼風を感じさせます。夏の日の一シーンが二人の若い女性の姿を通して、生き生きと描かれています。藤島武二、31歳の時の作品です。

 池の畔で女性が二人、何やら語らっている様子が描かれています。立っている女性はやや小首をかしげて本のページに見入っており、ベンチに座っている女性はそれを見上げています。一方は髪を肩まで垂らし、他方は髪を結いあげています。ヘアスタイルの違いで年齢の差を表そうとしているのでしょうか。

 二人とも横顔しか見せておらず、表情はわかりません。ヘアスタイルは異なっていますが、似たような面長の顔つきです。平板に描かれた目鼻から、何かを読み取ることはむずかしそうです。

 遠景は池の端を望み、中景に池、そして、やや広めの前景に、二人の女性を配した構図です。遠近法の下で事物の大きさが決められ、配置されているのがわかります。そのせいか、異なるモチーフを多数、入れ込んでいながら、この絵には安定感があります。

 さらに見ていくと、淡い色調の中にも光と影、明と暗がはっきりと描き分けられていることに気づきます。そのせいか、風景に溶け込んだ二人の女性の佇まいがくっきりと浮き彫りにされていることがわかります。

 よく見ると、立っている女性の着物の背や帯、首筋、そして、座っている女性の着物の前身ごろから肩にかけての部分が、それ以外の部分よりもやや明るく描かれています。陽射しの方向に沿って、陰影と明暗がしっかりと描き分けられているのです。ですから、それらの上に夕陽が落ちているのがわかります。目を転じると、木の幹や風にそよぐ葉もまた、同じ側が明るく描かれています。ここでも沈む夕陽の光線がしっかりと描出されています。

■「パッと見」と「じっくり見」
 こうして離れて見ていると、二人の女性の佇まいの様子はとてもよく捉えられているように思えます。ところが、近づいて見てみると、細部の描き方が粗く雑なので、さっと描き流したという印象をぬぐいさることができません。まだ完成していないラフ・スケッチのような印象が残ってしまうのです。ラフに仕上げた水彩画のようで、油絵ならではの奥行きをこの作品から感じ取ることはできませんでした。

 パッと見たとき、私はこの作品をとてもいいと思いました。ところが、しばらく見ているうちに細部の粗さが気になってきました。細部の描き方が粗いので、説得力に欠けるのです。ふと、「神は細部に宿る」という言葉を思い出しました。

 細部の粗さが気になってくると、この絵がなぜ、夕陽の光線の描き方が適切で、遠景、中景、近景のバランスが良く、遠近の取り方が正確なのか、不思議に思えてきました。細部の粗さと釣り合っていないのです。絵の構成や構図の正確さに比べ、絵の具による表現の粗雑さに違和感を覚えてしまいました。

 私がこの絵をパッと見ていいと思ったのは、おそらく、この絵に遠近法、明暗法、陰影法など西洋画の基本技法が取り入れられていたからでしょう。構造体として作品が成立していたからこそ、遠目に見て、瞬間的にいいと思ったのです。ということは、絵の具の使い方、筆のタッチなど、描き方が多少、雑でも、絵の構造を支える技法がしっかりとしていれば、見栄えのする作品になるということになります。

 マクロ的に見る「パッと見」とミクロ的に見る「じっくり見」、共に良いと思えてはじめて、良い作品だといえるのでしょうが、優先されるのは、「パッと見」です。「パッと見」が良ければ、まず、良いと思えてしまうということを今回、実感しました。そして、その「パッと見」の良さを支えているのが、構図であり、構成であり、色調だということも理解することができました。

 さて、この作品を何度も見ているうちに、どこかで見たことのある作品だという気がしてきました。

■黒田清輝「湖畔」
 静かに記憶をたどっていくと、黒田清輝の「湖畔」(1897年制作)に思い至りました。有名な作品なので、誰でも一度は見たことがあるでしょう。会場に展示されていませんでしたが、ネットで探してみました。

 黒田の「湖畔」では、女性の表情が情感豊かに捉えられており、それがこの絵の訴求ポイントになっています。

こちら →
(黒田清輝、69.0×84.7㎝、1897年制作。黒田美術館所蔵。図をクリックすると、拡大します)

 優雅な佇まいで、女性は静かに湖面を見つめています。いったい、何を想っているのでしょうか。この絵を見ていると、つい、描かれた女性の心理にまで踏み込んでいきたくなります。カンヴァスの上に絵の具で描かれた二次元の世界でしかないのに、この絵には、見る者の想像力や感情を大きく刺激する訴求力がありました。

 女性の背景に、湖面や遥か彼方に山々が描かれていますが、それらはあくまでもこの女性を引き立てる役目を担っているに過ぎません。つい、そう思ってしまうほど、この女性の表情と背景に描かれた風景はマッチしていました。

 女性は粋に浴衣を着こなし、凛として涼しげな横顔を見せています。湖面も大きく広がる空も、まるでこの水色の浴衣と一体化してしまったかのように、女性を引き立てています。襟元をやや大きく開け、リラックスして腰をおろしている姿からは、孤高を楽しむ余裕が感じられます。物憂げで、見る者の視線すら拒絶するような女性の表情が印象的で、惹かれます。そこに、他人を寄せ付けない毅然とした精神が感じられるからでしょう。

 黒田の「湖畔」にはこのように、見る者の気持ちをかきたてるものが充満しています。

 そして、藤島の「池畔納涼」を見て、私はこの黒田の「湖畔」を連想してしまいました。その背景には、二つの作品に何らかの類似性を感じたからだと思います。それはいったい、何なのでしょうか。二つの作品を比べてみることにしましょう。

■藤島「池畔納涼」vs 黒田「湖畔」
 まず、浴衣を着て団扇を持った女性をモチーフに、池あるいは湖を背景に、淡い色調で、全体を水彩画のようにさっとまとめているところ、二つの作品はとてもよく似ています。私が、両作品が類似していると思ったのは、単純に、モチーフと全体の色調、構成と構図がよく似ていたからでした。

 先ほども書きましたが、黒田清輝の「湖畔」が1897年に制作されているのに対し、藤島武二の「池畔納涼」は1898年に制作されています。「湖畔」と「池畔納涼」、二つの作品はタイトルまでもよく似ています。まるで、一年前に描かれた黒田の「湖畔」を参考にして藤田が「池畔納涼」を描いたといわんばかりです。「池畔納涼」は明らかに黒田の「湖畔」の影響を受けていると私には思えました。

 ただ、藤田の作品が二人の女性を描き、彼女たちの仕草からその関係を伝えているのに対し、黒田の作品は一人の女性の表情を丁寧に捉え、その心理にまで肉薄しているところが大きく異なります。

 黒田の作品を見ていると、思わず、描かれた女性の境遇や心理を想像してしまいます。髪を結いあげ、襟元を広げて浴衣を着崩しているこの女性はおそらく、既婚者なのでしょう。憂いを含んだ表情が印象的です。ところが、よく見ると、大人びた風情の中に、あどけなさ、あるいは、愛くるしさとでもいえるような表情が垣間見えます。

 そのアンバランスが見る者の感情や想像力を限りなく刺激するのかもしれません。絵としての強さがあるとでもいえばいいのでしょうか。この女性がこの時、なぜ、一人で小舟に座っているのか、なぜ、湖畔にいるのか、等々。見る者に作品の中に深く入っていこうとする気持ちをかき立てるのです。

 一方、藤田の作品からは、夏の日の夕方、二人の女性が語らう情景そのものが強く印象づけられます。それぞれの女性の心理ではなく両者の関係、その場の空気、風、虫の音などが想起されます。見る者はどこかで見たことのある風景を追想し、つかの間、自身の生活を振り返りますが、描かれた女性の心理にまで立ち入ろうという気持ちにはなれません。

 こうして見てくると、色調や構図、筆のタッチからくる印象は似通っていても、メインモチーフの描かれ方の違いによって、観客を引き込む力に差異がみられることがわかります。ひょっとしたら、メインモチーフの細部が丁寧に描かれているかどうかの違いだといえるかもしれません。

■藤島「池畔納涼」は黒田「湖畔」に影響されたのか?
 二人の作品の類似性が気になったので、経歴をざっと調べてみました。すると、二人とも鹿児島の藩士の子弟でした。この作品を描いた時点ではおそらく、藤島武二と黒田清輝には評価し評価されるという相互関係があったのでしょう。そう思って、さらに調べてみると、興味深いことがわかりました。鹿児島から17歳の時に状況して川端玉章や山本芳翠らの画塾で学び、その後は三重県の中学校教員をしていた藤島を、東京美術学校の西洋画科の助教授に推薦したのが黒田清輝だったのです。1896年のことでした。

こちら →http://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8660.html

 もちろん、藤島はそれまでに明治美術会会員となって画才を認められており、何度か受賞もしていました。そして、1896年に白馬会が創設されるとその会員になり、毎年、作品を出品していました。

 興味深いことに、藤島はこの白馬会の第2回展覧会に「池畔納涼」を出品し、第3回展覧会には「池畔」を出品しています。ひょっとしたら、「池畔納涼」では描ききれなかったものを「池畔」で描こうとしたのかと思いました。そこで、ネットで探してみたのですが、この「池畔」という作品を見つけることはできませんでした。ですから、作品を比較して確認することはできないのですが、このことからは、藤島が「池畔納涼」に満足していなかったことが示唆されているといえるでしょう。

 再び、会場に戻ってみましょう。

 会場で、「飛躍」というコーナーに展示されていた作品を見たとき、藤島武二が「池畔納涼」で描ききれなかったものがあるとすれば、それは何かが、突然、わかったような気がしました。

 作品のタイトルは、「婦人と朝顔」です。チラシに掲載され、ポスターにも使われていたあの絵です。この絵を見たとき、私は、黒田の「湖畔」にはあって、藤島の「池畔納涼」にはなかったものが、ここに凝縮して表現されていると思いました。

■「婦人と朝顔」にみるアンニュイ
 この絵をチラシで初めて見た時、不思議な情感が漂っているのに驚いたことを思い出します。明治時代に描かれた作品であるにもかかわらず、現代にも通用する情感が表現されているのに惹きつけられたのです。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 先ほども書きましたが、タイトルは「婦人と朝顔」(油彩、1904年)、藤島が37歳の時に制作されました。この絵をパッと見たとき、この女性の所在無げな目の表情に強く引き付けられました。生きていくことに必死だったに違いない明治時代に、このような表情の女性を目にした意外性に新鮮な驚きを覚えました。この女性にはいわゆるアンニュイな雰囲気が漂っていたのです。

 絵を見てみましょう。

 咲き乱れる朝顔を背景に、やや首をかしげた若い女性が、憂いを含んだ目で見下ろしています。思い詰めているようであり、ただ、ぼんやりしているだけのようにも見えます。黒目がちの大きな目に何かを訴えかけるような強さはなく、むしろ、虚ろな表情が印象的です。そのせいか、正面から顔を描いた絵でありながら、見る者には正視されることからくる圧迫感がありません。

 女性の頼りなげで虚ろな表情からは、けだるさと物憂さが感じられます。そこに、必死で生きる姿勢とは相反する雰囲気がにじみ出ているのです。しかも、この女性は肩を露わにし、衣服を着崩しています。それでも、決してだらしなく見えませんし、ふしだらな感じもありません。理知的な顔立ちのせいでしょうか、それとも、画面全体がいわゆるアンニュイな雰囲気に覆われているからでしょうか。

 いずれにせよ、画家が仰角で捉えたこの女性像を通して、蒸し暑い夏の日の倦怠感がみごとに伝わってきます。一見どこでも見かけそうな生活の一シーンを描きながら、単なる写生にとどまらず、女性の生活状態や心情までも焙り出されています。この作品からは、画家・藤島武二の都会的で繊細な感性を感じずにはいられません。

 「池畔納涼」では、黒田の「湖畔」を超えることはできませんでしたが、この「婦人と朝顔」ではそれに匹敵するぐらいの情感が巧みに描かれていました。文化が爛熟している時にしか現れない、アンニュイな雰囲気が表現されていたのです。

 もっとも、画面をよく見ると、描き方がやはり雑でした。朝顔の花にしても葉にしても、女性の髪の毛にしても衣服にしても、勢いに任せてさっと描いたような印象があります。いってみれば、スケッチです。ですから、顔面の表情はとてもよく捉えられているのですが、背景を含めた周辺の描き方が雑なので、「池畔納涼」で感じた物足りなさを私はふたたび、感じてしまいました。

■近代化とアンニュイ
 そうはいっても、「婦人と朝顔」にはアンニュイな雰囲気が漂っていて、表現の粗さを超えた魅力が醸し出されていました。明治時代の日本では想像できないような世紀末の退廃美が表現されていたのです。フランス語を習い、西洋画を学んでいたとはいえ、まだ留学もしていない時に、藤島がこのような作品を仕上げたことに私は驚きました。

 不思議なことに、世紀末ヨーロッパならではの感性がこの作品にほのかに見受けられるのです。遥か彼方の東洋の島国にいて、なぜ、そのようなことが可能だったのか、近代的な美に対する藤島の感度の鋭さに感心しないわけにはいきません。

 そこで、明治初期の西洋画に関する資料を読んでみると、黒田清輝の「湖畔」に似た構図の作品がありました。幕末に南画を学び、その後、幕府開成所で絵図調出役を拝命した島霞谷という人物の作品で、「バラと扇子を持つ女性像」というタイトルの油彩画です。これは1867~1870年に制作されました。

こちら →
(島霞谷、カンヴァスに油彩、54.5 ×40.0㎝。http://shizubi.jp/exhibition/131102_04.phpより。図をクリックすると、拡大します)

 調べると、島霞谷は幕末から明治初期に近代洋画を手掛けた画家たちの初期メンバーの一人でした。この作品では、広がる青空を背景に、遠景で風景を描き、手前に扇子を持つ女性の姿が描かれています。この女性の表情を見ていると、黒田の「湖畔」の女性の表情、それから、藤島の「婦人と朝顔」の女性の表情とイメージが重なってきます。

 いずれも描かれた女性の顔に、詩情を感じさせる物憂さがみられ、そこはかとなくアンニュイな雰囲気が漂っています。制作年からいえば、島霞谷の作品(1867~1870年)、黒田清輝の作品(1897年)、藤島武二(1904年)という順になります。明治時代に洋画を手掛ける画家はそう多くはなかったはずですから、自分が制作する以前の作品はきっと見ていたことでしょう。何らかの影響は受けていると思います。

 さて、藤島武二は、「婦人と朝顔」を制作した翌年、1905年に文部省から派遣され、フランス、イタリアに4年間、留学することになります。ところが、留学中も帰国後も、「婦人と朝顔」のようなアンニュイな雰囲気が漂う作品は見られませんでした。

 強いて言えば、1904年に制作された「夢想」にやや近い印象があります。「婦人と朝顔」と同様、無造作に、やや肩が露わになった衣服を着ているところが共通していますが、こちらは目を閉じており、肉付きのいい顔立ちのせいか、退廃美とまではいかず、アンニュイな雰囲気も見受けられません。これも留学前の作品です。

 こうして見てくると、「婦人と朝顔」のアンニュイな雰囲気はきわだっていたといえるでしょう。それこそ19世紀末のヨーロッパで見受けられたデカダンスであり、アンニュイといえるものが表現されていたのです。しかも、直にヨーロッパ文化に触れることなく制作された作品でした。ところが、再びその種の絵が描かれることはありませんでしたから、これは藤島の本質を示す作品ではなく、一時的なものだったのかもしれません。

 そこで、年譜と照合すると、藤島が「婦人と朝顔」を描いた1904年ごろはちょうど、与謝野鉄幹・晶子の雑誌の装丁や挿絵を手掛けていた時期でした。表紙絵や挿絵も会場には展示されていましたが、中には、ミュシャを想起させるような作品もありました。ですから、藤島は絵画ばかりではなく、装飾や文学などを通して、世紀末ヨーロッパのデカダンスとの接触があり、アンニュイな雰囲気の作品を制作することができたのではないかという気がします。

 明治時代、日本の洋画の揺籃期に画家たちは、絵画だけではなく、装飾や文学、演劇など、さまざまなヨーロッパ文化の影響を受けていたことが、藤島の「婦人と朝顔」を通して推察されます。

 今回は、「婦人と朝顔」にこだわりすぎて、藤島作品のほんの一部をご紹介できただけですが、とても興味深い展覧会でした。(2017/8/27 香取淳子)

アルチンボルドと同時代を生きた画家たち:その作品を見る。

■アルチンボルド展の開催
 現在、国立西洋美術館では「アルチンボルド展」が開催されています。そのせいか、このところ、図書館に出かけても、駅の地下道を歩いていても、アルチンボルドのポスターを見かけることが多く、私も気にはなっていました。そこで、昨日、久しぶりに国立西洋美術館に行ってきました。

 もともと、奇抜な絵柄には人目を引き寄せる効果があります。それが何枚も並べられると、一種のオブジェとして、街の景観にも作用します。例えば、新宿駅の地下道にはこのようにアルチンボルド展のポスターが壁面に飾りつけられていました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 このポスターに使われている画像は、連作「四季」の中の「春」です。マドリードの王立サン・フェルナンド美術アカデミー美術館が所蔵する作品で、1563年に制作されました。ですから、作品そのものは古いのですが、この絵柄にはいまなお、人目を引き、ヒトを立ち止まらせるだけの力があります。モチーフの奇抜さ、あるいは、描画手法の斬新さのせいでしょうか、ポスターからは現代社会でも通用する強い訴求力が放たれており、雑踏の中で際立っていました。

 このような目立つ力がヒトを刺激し、行動を喚起します。アルチンボルドの作品には広告手法の王道が仕組まれているといっていいのかもしれません。ちらっと見かけただけで、ヒトの注意を喚起し、興味を持たせ、やがて是非とも見たいという気持ちにさせ、ついには行動に向かわせるといった、一連の心的作用を呼び起こす力が見受けられるのです。商業主義とは無縁の時代に制作されたにもかかわらず、ヒトの気持ちに強く働きかける要素が含まれていることに、私はなによりもまず驚きました。

こちら →http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/pdf/2017arcimboldo.pdf

 上のチラシを見るだけでも、アルチンボルドの作品にはどれも奇想天外なアイデアに満ち溢れていることがわかります。私も、作品から湧きたつ発想のユニークさに惹かれました。しかも、表現方法が斬新で、知的な諧謔性に溢れ、視覚を刺激する色の組み合わせも多彩です。

 ヒトの人生を四季になぞらえて制作された「春、夏、秋、冬」といった一連の作品、さらには、ギリシャ哲学の四代元素になぞらえた「火、水、大気、大地」といった一連の作品、いずれも自然のメカニズムとヒトとを関連づけて作品化されています。それらに共通しているのは、さまざまな要素を組み立てて像を創り上げている力量のすばらしさです。

 まだ、聖書に基づくホリスティックな世界観しか持てなかった時代に、アルチンボルドの作品には、還元主義的な思考法をうかがうことができるのです。そのことが私には驚きでした。

 たとえば、「火(Fuoco)」という作品があります。

こちら →
(http://www.attention-a-la-peinture.com/tableaux-grands-peintres/arcimboldo/giuseppe-arcimboldo-le-feu!1!4!275!3311より。図をクリックすると、拡大します)

 これは1566年に制作された作品ですが、火にまつわるさまざまなモノを要素にして、像が組み立てられています。髪の毛は燃え立つ炎で表現され、口元には薪、首筋は蝋燭を立てる燭台があてがわれ、さらには火縄銃のようなものまで、この造形に組み込まれています。火はヒトの生活に必要な燃料であり、灯明であり、ときには、攻撃のための武器としても活用されることが示唆されています。

 この図を見ていると、ヒトが火を見て連想する多様なイメージが次々と思い浮かんできます。それはおそらく、この絵がバラバラなモノを寄せ集めて像を組み立てられているからでしょう。だからこそ、さまざまなモノの寄せ集めにすぎない像に、多様で複雑な現代社会にフィットするテイストが加えられただけではなく、完成した像を読み解く面白さが加えられたのです。改めて、コラージュ技法の持つ力を認識させられました。

 コラージュ技法にはパズルのような知的遊戯性があります。多様な要素を違和感なく一つの像にまとめあげるために、画家には知的な胆力が求められます。その結果、完成した作品には単なる絵画を超えた力が付与されるのではないかと思いました。

■国立西洋美術館の常設展
 国立西洋美術館には、松方コレクションがあり、所蔵作品は常設展で公開されています。私は知らなかったのですが、西洋美術館はこの松方コレクションを保存、展示するために1959年に設立されたものだそうです。川崎重工初代社長の松方幸次郎氏は第一次大戦中にロンドンに滞在していたおり、ヨーロッパの美術品を買い始めました。その後、何度も渡欧し、膨大な数の美術品を収集しました。当時の日本の若い画家たちに西洋美術を見せたかったからだといいます。

 ところが、第2次大戦時にそれらはフランス政府の管理下に置かれ、1951年のサンフランシスコ平和条約によってフランスの国有財産になってしまいます。その後、フランス政府は、日仏友好のためにそれらを「松方コレクション」として日本に寄贈返還することに決めました。その際、必要になったのが、コレクションを収蔵保管し、公開するための施設でした。コルビジェの設計した国立西洋美術館はそのコレクションを受け入れ、保存し、公開するために設立されたものでした。

こちら →https://www.nmwa.go.jp/jp/about/matsukata.html

 今回、国立西洋美術館で企画展に取り上げられたアルチンボルド(1526-1593)は、16世紀に活躍したイタリア・ミラノ生まれの画家です。それなのに彼の作品には、21世紀の画家だといっても通じるような、時空を超えた発想の自由さに満ち溢れています。

 バラバラな素材をコラージュするという表現手法には、極端なまでに分業化が進み、複雑化する一方でフラットになっていく現代社会を表現するには格好の技法なのかもしれません。

 それにしても、16世紀に生きたアルチンボルドがなぜそのような感覚を持ち合わせていたのか、私には不思議でなりませんでした。同時代を生きた画家たちが残した作品を比較すれば、多少は見えてくるものがあるかもしれません。まずは、アルチンボルドと同時代を生きた画家たちは果たしてどのような作品を描いていたのか、探ってみたいと思います。

 本館2Fの常設展「14世紀~16世紀」のコーナーで、彼らの作品の一部が展示されていました。ざっと見る限り、西洋画と一目でわかる没個性的な作品でした。彼らが時代を背負って生き、時代の制約の中で作品を残したことがわかります。同時代に個性を満開させたアルチンボルドとどこが違うのでしょうか。印象に残った作品をピックアップして、見ていくことにしましょう。

■「城の見える風景」(バルトロメオ・モンターニャ)
 このコーナーで最初に目についたのが、「城の見える風景」でした。円形の板に、高低差のある地形の風景が全面的に描かれているのが特徴です。

こちら →
(油彩、板(円形)、139.7×139.7㎝、図をクリックすると拡大します)

 解説によれば、イタリアの画家、バルトロメオ・モンターニャの作品で、15世紀から16世紀初頭に制作されたといわれています。ヴェネツィアで絵を学んだそうですが、彼がいつ、どこでいつ生まれたのか、正確なことはわかっていません。

 この絵をよく見ると、前方右手に奇岩を配し、画面の中ほどで人々の住む村をのぞみ、遠方に城を配した構図になっていることがわかります。いわゆる前景。中景、遠景の3層構造になっており、バランスがよく安定感があります。画面の中ほどに人物が小さく描かれていますが、当時としては珍しく、風景がメインモチーフとして描かれています。

 ちなみにイタリア、ギリシャ、スペインなどには奇岩が多いようです。次のような風景を見つけました。これはギリシャ北西部のメテオラにある奇岩ですが、この絵に描かれている地形とよく似ています。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 モンターニャは実際に目にした光景を描いたのかもしれません。さて、この作品は建物やヒト、木々や岩、道などが同系の色で描かれています。そのせいか全般に、落ち着いた印象があります。しかも、明暗を意識し、影になった部分が丁寧に描き込まれているので、立体感と遠近感が過不足なく表現できています。その結果、どんなに小さなものでも、その形状や位置づけをはっきりと認識することができるようになっています。確実な描写力で、構造的に組み立てられた作品だと思いました。

 この絵を見ると、視線はまず、前景右手の奇岩から、中景の道に向きます。前景の平坦地よりもさらに白っぽい黄土色で描かれているせいでしょうか、ごく自然に視線が移動します。次いで、右上の山から下ってきて左の町の方に向かう広場のようになっている辺りに目が留まります。ここは画面の真ん中やや左寄りですから、観客にとってはもっとも見やすい位置です。

 そこに、槍を持った二人の従者が馬を引いている様子が描かれています。引かれた馬には、毅然として姿勢を伸ばした白い服を着た男性が跨っています。その左手には、3人の女性がこの3人を迎えるかのように描かれています。この絵のもっともドラマティックな部分です。

 ひょっとしたら、この部分に向けて、観客が視線誘導されてくるよう、画家はこの絵の構成を考えていたのかもしれません。

 この絵をもう一度、見てみましょう。全般に落ち着いた色調の中で、比較的明るい色が使われているのは、道あるいは広場です。前景にある奇岩の手前も明るいですが、中景の山頂から下ってくる道筋、そこから広場を経て町に至る道はそれよりもっと明るく描かれています。しかも、明るさに微妙な諧調が施されているせいで、より明るい色調の方に順次、ごく自然に観客の視線は誘導されていきます。

 奇岩のある山の中腹、高低差のある複雑な地形が、同系色の色調で描かれています。ですからさまざまなモチーフが描かれながらも統一感があります。それらのモチーフは明暗を手がかりに明確に区別して描かれ、観客の視線を広場まで誘導します。そして、その広場の先には到着したばかりのヒトを待ち受けているかのように、大きな建物が描かれています。馬上の男性は出迎えた人々とともにこの大きな建物に入っていくのでしょう。そこでいったい何が起きるのか・・・、想像力がかきたてられます。

 建物の背後は一段と暗い色調で描かれており、ひっそりと静まり返っている様子が示されます。木々が連なりの中を通り、丘を登っていくと、ひときわ高いところに聳え立つように、城が描かれています。その背後は山々と雲がたなびく空が描かれています。これが遠景になります。着地点とその上に広がる空が描かれているせいで、安定感のある構図になっています。

 地と天、ヒトと自然、そして、統治の構造を示唆する城、それらを違和感なく収めた壮大な風景画です。空間構成といい、光の巧みにあしらった描写力といい、素晴らしい画力の持ち主です。この絵を描いたモンターニャに興味を覚えてしまいました。帰宅して、ネットで検索してみましたが、ここで見たようなモチーフの作品はありません。彼は聖母子を主題とする祭壇画は数多く描いていますが、風景画はこの作品しか見当たりませんでした。

こちら →https://en.wikipedia.org/wiki/Bartolomeo_Montagna

 この時代はまだ風景画を描くことが画家には求められていなかったのかもしれません。ただ、彼は風景には関心があったようで、聖母子を主題とした作品の中には背景に風景を使ったものがあります。

 1483年に制作された、「The Virgin and Child with a Saint」という作品です。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 女性の右側に巨大な奇岩、左側には、村に至る道と建物、河のようなものが描かれています。右側の奇岩の背後に建物が少し見えたり、建物の背後に海のようなもの、島のようなものが見えたりしますが、その空間構成は不自然です。メインモチーフの人物と背景としての風景がうまくかみ合っていないのです。背景として風景を使うなら、空に浮かぶ雲と場所を想像させる奇岩ぐらいでよかったのではという気がしました。

 この絵では、風景が未消化のまま取り上げられています。風景を描くフォーマットが定まっていないのです。あらためて、当時、風景をモチーフとして選ぶことは珍しかったのではないかと思いました。まして、風景を全面に出した作品は珍しかったのでしょう、そのような当時の状況を考え合わせると、ことさらに、「城の見える風景」の存在価値が感じられます。

■三連祭壇画「キリスト磔刑」(ヨース・ファン・クレーフェ)
 次に目を引いたのが、三連祭壇画の「キリストの磔刑」でした。三面鏡のように左右に扉がついた額縁です。シンガポールの美術館でこのような三連祭壇画や装置の凝った祭壇画を見たことはありますが、日本で、このような額縁に入った絵を見るのははじめてでした。

こちら →
(図をクリックすると拡大します)

 この作品は、オランダの画家、ヨース・ファン・クレーフェが16世紀前半に制作したといわれています。中央部分には、キリストの磔刑とその下で嘆き悲しむ人々が描かれており、左翼部に男性、右翼部に女性が描かれています。男女はいずれも手を組み合わせて膝まづき、祈っている姿が描かれています。説明によると、左右の翼部に描かれているのは、この祭壇画の寄進者夫妻なのだそうです。

 中央部には背景として風景が描かれています。手前に奇岩が見える山腹、左手に城壁らしいもの、右手にも巨大な奇岩が見えます。そして、遠景左手には城、右手には長く連なる山々といった風景です。説明によると、これはフランドル絵画特有の風景なのだそうです。

 Wikipediaで初期フランドル派を調べてみると、「風景画は独自の発展を遂げており、単独で描かれることもあったが、16世紀初頭までは肖像画や宗教画の背景の一部として小さく描かれることの方が多かった」と書かれています。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E6%9C%9F%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E6%B4%BEより)

 クレーフェが描いた作品は宗教画が多かったそうですが、その中に、上記で書かれているような初期フランドル派の特徴を備えたものがありました。いわゆる聖母子像をテーマとしたもので、「処女と子ども」というタイトルの作品です。

こちら →
(https://en.wikipedia.org/wiki/Joos_van_Cleveより。1535年制作。図をクリックすると、拡大します)

 クレーフェは宗教画の中でもとくに、「聖家族」や「処女と子ども」といったタイトルの作品を多数、描いていたそうです。英語版Wikipediaに掲載されていたのが、この作品です。子細に見てみると、最前面に描かれているのが、錦織の布で作られた枕です。この枕の上に赤ん坊(子ども)を座らせる格好になっているのですが、子どもの描き方に比べ、枕の描き方は驚くほど精緻です。

 これは初期フランドル派の特徴の一つなのでしょうか。

 一方、この女性は宝石のような輝かしい赤の布を羽織っています。その赤色と赤ん坊(子ども)に飲ませている赤ワインの色が同じです。このように同じ赤色をあしらっているのは、赤ん坊(子ども、実はキリスト)の未来の苦難、血、聖体の象徴としているからだそうです。

こちら →https://en.wikipedia.org/wiki/Joos_van_Cleve

 このように絵に寓意性を含めるのも、初期フランドル派の特徴の一つだそうです。そして、この絵の背景には風景が描かれています。女性の背後に大きな柱が見えますから、おそらくこの聖母子は柱廊(ロジア)にいるのでしょう。そのロジアの背後に山並みの広がる風景が描かれています。寓意を込めるだけではなく、精緻な筆致で描いた背景を添えることによって、宗教画にリアルな説得力を持たせようとしているように思えました。

■アブラハムとイサクのいる森林風景(ヤン・ブリューゲル(父))
 最後に目についてのが、「アブラハムとイサクのいる森林風景」という作品です。絵に込められた物語に風景の持つ効果を潜ませ、静か説得力を持たせることに成功した作品だといえるでしょう。

 この絵は1599年に制作されました。画家を輩出したブリューゲル家は子どもや孫に同じ名前を付けているので、間違えやすいのですが、この絵の作者は、ちょうど、いま、「バベルの塔」展覧会が開催されているピーテル・ブリューゲルの息子のヤン・ブリューゲル(父)です。その息子もヤン・ブリューゲルなので、区別するため、こちらはヤン・ブリューゲル(父)と表記されています。

こちら →
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 巨大な木々の生い茂る森の中を、数人のヒトが歩いている様子が描かれています。解説によると、ロバに乗った高齢者がアブラハムで、その手前で薪を抱えて歩く若者がイサクなのだそうです。神から息子のイサクを捧げるよう命令されたアブラハムが、イサクとともにモリアに行く旅の途中の光景だと説明されています。

 聖書の中の有名な物語ですから、これまで多くの画家たちがこれを題材に絵を描いてきました。多くの画家たちは、この物語の核心部分、すなわち、アブラハムがイサクを殺そうとする瞬間、天使が現れ、ストップがかけられるというシーンを描いてきました。

 ところが、ヤン・ブリューゲルは、森林の中を歩いていくアブラハム一行を描いています。聖書の物語を絵画化する際、ドラマティックなシーンを敢えて避けたのです。彼は日常の一シーンを使って、その悲劇性を表現しようとしました。つまり、老いたアブラハムをロバに乗せ、自分は燃料の薪を拾い集めながら、先頭を歩いている健気なイサクの姿を巨大な木々の生い茂る森林とともに描いたのです。

 この光景から浮き彫りにされるのは、イサクの孝心であり、老いた父を思いやる優しい心遣いです。ですから、そのイサクを殺すよう命じられたアブラハムの悲劇性がいっそう強まります。

 英語版Wikipediaでみると、ヤン・ブリューゲル(父)は、花や花飾りをモチーフにした静物画を数多く描いており、独自の境地を切り開いていたことがわかります。おそらく優しい心根のヒトだったのでしょう。

こちら →https://en.wikipedia.org/wiki/Jan_Brueghel_the_Elder

 風景については父のピーター・ブリューゲルが遠ざかるにつれ道が狭くなっていくという描き方で距離を表現しました。ところが、息子のヤン・ブリューゲルはそれをさらに発展させて、前景、中景、遠景という観点から構造的に距離を表現する方法を確立させました。

 父と同様に、村の風景、人々の逸話、着飾った農民の振る舞いなども描き続けました。ヤン・ブリューゲル(父)の風景描写には強い物語性があり、精緻な描写力でのちの風景画家に大きな影響を与えたといわれています。

 そのヤン・ブリューゲル(父)が新たに生み出したのが、「エデンの園」というサブジャンルの絵画です。これは風景画と動物画の組み合わせで構成する作品で、ヤン。ブリューゲルの才能をいかんなく発揮できるジャンルでした。たとえば、次のような作品があります。

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 この作品のタイトルは「The Garden of Eden with the Fall of Man」です。一連の「エデンの園」一つですが、これは1613年に制作された作品です。画面全体から、精緻な筆致と多彩な色遣いが湧きたつようで、圧倒されます。木々が生い茂り、その枝には実がなり、花が咲いています。その周辺には、大型動物や小動物、鳥やヘビ、さまざまな動物が自由に行きかい、一緒に平和に暮らしている様子が描かれています。

 奥の方に小さく人間の男女が描かれています。おそらくアダムとイブなのでしょう。ヒトもまた生物の一つとして自然界の中で捉えられています。ブリューゲルの自然観、人間観、世界観がここの凝縮されているといえます。

■アルチンボルドと同時代を生きた画家たち
 常設展の「14世紀から16世紀」のコーナーで展示されていた作品は、聖書を主題にした作品が多く、いわゆる西洋画というイメージにふさわしいものばかりでした。モチーフにしても描き方にしても、うっかりすると、古色蒼然としたという表現に集約されてしまいそうな作品でした。

 ところが、立ち止まってよく見てみると、諸作品からは彼らが生きた時代が色濃く浮き上がってきます。絵の背後から、時代や社会に拘束されて、表現活動を展開せざるをえなかった画家たちの置かれた状況が浮き彫りにされていたのです。画家たちは個性よりも、慣習や当時の社会状況に従って、モチーフを選択し、描いていたことがわかってきました。

 今回、取り上げた画家たちは、前代から受け継いだ技法で、要請されたモチーフを描き続けました。そうしながらも、彼らは密やかに、描きたいと思ったモチーフや表現技法を少しずつ取り込んでいきます。一見、没個性的に見える絵画の中に、その種の試みを垣間見ることができたとき、私は彼らになんともいえない愛おしさを感じてしまいます。

 歴代の皇帝に愛されたアルチンボルドは天賦の才能を思う存分、発揮することができました。ですから、その作品からは豊かな感性と知性、諧謔性、斬新性が強烈に匂い立ってきます。21世紀のいまなお、ヒトを引き付けて離さない魅力があります。

 それに比べ、常設展の「14世紀から16世紀」のコーナーで展示されていた画家たちには、時代を超えて跳躍する奇才は見られませんでした。むしろ、時代や社会状況の制約を受け入れ、愚直に生きた姿勢が伝わってきます。彼らが生きた時代が忠実に記録されていましたし、中には、当時の表現世界を一歩、前進させる力を持ったものもありました。時代を超えられなかったがゆえに手にした成果といえるかもしれません。

 今回、国立西洋美術館で開催されている「アルチンボルド展」は、常設展の「14世紀から16世紀」で展示されている作品と対比して鑑賞すると、より深い味わいを得られるかもしれません。(2017/7/20 香取淳子)

ソウル国立現代美術館で見た、Yoo Youngkuk氏の作品

■Yoo Youngkuk氏の「生誕100年記念展」
 昨年末、用事があって、ソウルに出かけました。ついでに美術館に立ち寄ってみようと思い、ネットで検索すると、ソウルの国立現代美術館で、Yoo Youngkuk氏の生誕100年記念展が開催されていました。開催期間は2016年11月4日から2017年3月1日までです。

 ずいぶん長い開催期間ですが、Yoo Youngkuk氏の作品をまとめて見ることができる貴重な機会かもしれません。Youngkuk氏のことを知っていたわけではありませんが、たまたまその時、展覧会が開催されていたので、訪れてみたのです。

 当時、ソウルは反朴デモが激しく、光化門広場にはデモ隊のテントが多数、並び、朴大統領、サムソン副会長、KIA会長らの像が攻撃の的になっていました。曇天の下、栄誉をきわめたヒトたちの末路が哀れでした。

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 いま、韓国の政治状況はさらに混沌とし、朝鮮半島全体が不穏な状況に陥っています。日々、報道されるニュースを見ていると、昨年末のソウルの状況を思い出し、ヒトの世の移り変わりの激しさに無常を感じてしまいます。

 あれからだいぶん時間が経ってしまいました。ようやくいま、Yoo Youngkuk氏の生誕100年記念展を振り返ってみる時間の余裕ができました。当時を思い起こしながら、作品紹介をしていきたいと思います。

 さて、ソウル国立現代美術館はなかなか風情のある建物でした。それもそのはず、この美術館は1938年に韓国で初めて建築された石造りの建物・徳寿宮石造殿の中にありました。徳寿宮に入り、石造殿に向かって庭園を歩いていると、知らず知らずのうちに、都心の喧騒から離れ、静かで落ち着いた気持ちになっていきます。

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 会場に入ると、案内リーフレットがハングル表記でしたので、残念ながら、言葉から作品理解の手がかりを得ることができませんでした。しかも、具象画ではなく抽象画です。それこそ、何の手がかりもなく、色彩と形、質感といった非言語的要素と直に向き合うことになりました。

 もっとも、それだけに、Youngkuk氏の作品の本質を鑑賞することができたといえるかもしれません。これまで抽象画はこれまでよくわからなかったのですが、ある時期のYoungkuk氏の作品には強く心に訴えかけるものがあったのです。

 実は、Youngkuk氏が抽象画家だということも知らないまま、たまたまその時期開催されていたので、展覧会に出かけたのでした。帰国してからネットで検索すると、日本語でこの展覧会が紹介されていることがわかりました。

 私が見た展覧会のタイトルは「絶対と自由」であること、「Yoo Youngkuk」は漢字で「劉永国」と表記されることをこのサイトで知りました。

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https://www.mmca.go.kr/jpn/exhibitions/exhibitionsDetail.do?menuId=1010000000&exhId=201611090000504

■Youngkuk氏と日本の抽象画家
 1916年に韓国で生まれたYoungkuk氏は1935年、東京の文化学院に入学して絵画を学んだそうです。その後、1938年には第2回自由美術家協会展で協会賞を受賞し、その会友になったといいます。いずれも上記のサイトで知りました。

 さらに、ここではYoungkuk氏が長谷川三郎氏や村井正誠氏などとともに、当時、抽象絵画の領域でリーダー的存在であったと記されています。長谷川三郎氏といえば、現代抽象絵画の先駆者といわれている画家です。そして、村井正誠氏もまた抽象絵画の草分けの一人とされています。はたして、そのようなことがあるのでしょうか。Youngkuk氏は当時、まだ22歳ごろです。

 そこで、興味半分に、長谷川三郎氏や村井正誠氏の側からYoungkuk氏について調べてみました。その結果、両画家のいずれのプロフィール記事にもYoungkuk氏について記載されていませんでした。ただ、Youngkuk氏との関連を示す事柄がまったくなかったということもできません。ひょっとしたら、関連はあったかもしれないと推測できる程度の事実は多少、記されていました。

 たとえば、長谷川三郎氏については、村井正誠氏らとともに1937年、自由美術家協会を結成したこと、抽象主義絵画の発展に尽力したことがわかりました。

こちら →http://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8921.html

 また、村井正誠氏については、長谷川氏とともに自由美術家協会の結成に参加したこと、1938年に文化学院の講師になったことなどがわかりました。

こちら →http://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28143.html

 いずれもYoungkuk氏のことは書かれていませんが、これらの情報をつなぎ合わせると、当時、文化学院で学んでいたYoungkuk氏と、そこで教えていた村井氏との接点はあったと考えられます。つまり、Youngkuk氏は文化学院で村井氏に学び、抽象画の世界に親しんでいったのでしょう。

 一方、長谷川氏は欧米で3年間、絵画を学んで帰国した後、積極的な創作活動を展開していました。村井氏もまたフランスで4年間学んだ後、日本で新しい時代の美術活動を展開していました。両氏とも欧米の新しい絵画動向に触れ、さまざまな刺激を受けて作品を発表していたのです。両者が意気投合し、新しい芸術活動を展開していくとき、村井氏が学生であったYoungkuk氏を伴っていた可能性が考えられます。

 彼らが当時、何歳であったかというと、Youngkuk氏が受賞した1938年、村井氏は33歳、長谷川氏は32歳、そして、Youngkuk氏は22歳でした。ですから、年齢の面からみても、彼が当時、日本で抽象画のリーダー的存在であったとは考えられません。師としての村井氏や長谷川氏に従って、彼らが展開する新しい芸術活動に参画していたという程度のことでしょう。ですから、先ほどのサイトの記事は明らかに、Youngkuk氏の箔付けのための誇大表現といえます。

 ただ、実際にYoungkuk氏の作品を見てみると、どれも素晴らしいものばかりでした。とてもピュアで、時代を経ても色あせない、モダンな美しさに満ちていました。とくに、色彩の取り合わせが巧みで、強く印象付けられました。

■第2コーナーで見た印象深い作品
 会場では作品が年代別に、4つのコーナーに分けて展示されていました。おかげで、Youngkuk氏の創作活動の変遷過程をつぶさに追うことができました。山をモチーフにした作品が多かったのですが、その捉え方、描き方の変容から、Youngkuk氏の創作活動の推移を見ることができました。

 私がもっとも惹きつけられたのは、第2コーナーに展示されていた作品です。ここでは1960年から1964年に制作された作品が展示されていました。

 たとえば、1960年に制作された「山」という作品があります。

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(油彩、136×211㎝、1960年、図をクリックすると、拡大します。)

 抽象的な画面構成でありながら、木々のリアルな実在が感じられます。さまざまな種類の木々、岩石、草木、生態系としての山が色鮮やかに描かれています。遠景には白い木々、中景にはカーブを描くように散らされた鮮やかな赤、そして、近景に配置されたのが、左下の緑と、右下の茶です。それらの色が暗い画面の中で、快い緊張関係を保ちながら、配置されています。その緊張関係がシャープで、とても都会的で、洗練された絵柄になっています。

 同じ時期に描かれた、やはり、「山」というタイトルの作品があります。

こちら →
(油彩、キャンバス、136×194㎝、1961年、図をクリックすると拡大します。)

 この作品は、上の絵と同様の発想で描かれています。ところが、こちらは白の部分が多く、画面のほぼ半分を占めています。その結果、同じ「山」でも表情がやや異なってきます。白い木々を支えている白い基層部分が大きく描かれているせいか、上の「山」よりも、さらに山肌に近づいている印象があります。

 この作品もやはり、抽象的な画面構成でありながら、山の息吹すら感じられるリアリティがあります。さらに、この作品は、洗練された印象を損なわないまま、どっしりとした山の土臭さ、力強さを感じさせます。不思議なことに、この絵には、洗練と土着という相反する要素が混在しているのです。

 それにしても、なぜ、私はこの絵に相反する要素があると思ってしまったのでしょうか。ひょっとしたら、それは、この画面で大きな比重を占める白の使い方が繊細で、微妙なリズムがあり、それが岩山の鼓動すら感じさせてくれているからかもしれません。繊細さと無骨さが感じられるからこそ、そのような相反性を察知してしまったのでしょう。とても魅力的な作品です。

 さて、同じ第2コーナーに「作品」というタイトルの絵があります。

こちら→
(油彩、キャンバス、130×194㎝、1964年、図をクリックすると、拡大します。)

 会場で見たとき、鮮やかな赤が印象的でした。よく見ると、赤の補色である緑が効果的に使われています。赤い半球のようなもの(りんご?)の横には緑の葉が散るように描かれ、画面に流れを作っています。

 そして、赤の半球の上にも暗い緑の葉のようなものが配され、上方には明るい緑色の帯が太く横一線に描かれています。緑がかった暗い画面の中で、半分のリンゴが逆さまになっている形状の赤が、いっそう際立っています。

 この作品にも、色彩の取り合わせの妙味があって、惹きつけられます。赤と緑、オレンジといった具合に、使われている色数が少なく、それだけに、それらの色をきめ細かく使いわけながら、画面構成、モチーフの配置を考えられたのでしょう。色彩を制限する中で究極の美しさが追求されていることがわかります。

 このコーナーの作品にはいずれも華やかさがあって、強く印象付けられます。

■いまなお新鮮なYoungkuk氏の世界
 思えば、この展覧会はYoungkuk氏の生誕100年を記念して開催されたものでした。それなのに、どの作品をみても決して古びていません。いまなお新鮮な輝きを放っているのが、不思議でした。

 たとえば、第1コーナーで展示されていた作品に、「山」というタイトルの絵があります。

こちら →
(油彩、100×81㎝、1957年、図をクリックすると、拡大します。)

 緑と青、黒を基調にした画面に、太い黒の線で一筆画きのような、シンプルな形状がいくつも描かれています。山を構成する木々、草木、岩石などが表現されているのでしょう。シンプルで平面的な構成の中にモダンなテイストが感じられます。下方には、さり気なく、明るい緑の上にオレンジの線が描かれており、アクセントとして効いています。

 第3コーナーにも、やはり、「山」というタイトルの作品が展示されていました。

こちら →
(油彩、135×135㎝、1968年、図をクリックすると、拡大します。)

 この作品では、線によって形状を表現するのではなく、三角の組み合わせで「山」が表現されています。線を使わず色彩で形状が表現されていますから、境界線の色遣いが重要になってきます。その観点からこの絵を見ていくと、左側の三角の境界線が水色で描かれ、その先は紫のグラデーションで塗られています。まるで、夜空の下での山並みが目の前に浮かんでくるようです。

 一方、その同じ三角の左側の境界線は緑色のやや太く描かれています。ですから、夜空とはいえ、もう明け方に近いのでしょう、うっすらと木々の色が浮き上がってきているようです。

 Youngkuk氏の作品はいずれもこのように、抽象画といいながら、このように見る者の想像力を刺激し、リアルな実在を感じさせるところに妙味があるのではないかと思いました。この作品もまた、平面的な構成でありながら、奥行きを感じさせ、快いリズムを感じさせてくれます。

 私はこれまで抽象画はあまり見たことがなかったのですが、今回、ソウルではじめて、Youngkuk氏の作品を見て、抽象画ならではの永遠性、洗練されたモダンを感じました。私が好きなのは第2コーナーに展示されていた諸作品ですが、この時期の作品にはどれも、洗練された華やかさがあります。

 なぜなのでしょうか。

 そこで、手がかりを得るため、Youngkuk氏の展覧会を案内するサイト(前掲)から、彼の来歴を見ると、この時期、Youngkuk氏は韓国で現代美術を志向する若手の画家たちから尊敬されていたようです。だから、半ば、求められるように、彼は、若手を牽引し、抽象と前衛を標榜した運動を積極的に展開していたのでしょう。

 そのような事実を知ると、あの時期の作品に感じられる溢れるような才気とエネルギーは、Youngkuk氏が未来を思考する若い人々に囲まれ、現代美術の理論と実践を追求していたからではないかと思えてきました。

 第2コーナーに展示されている諸作品には、独りで創作している際には生まれるはずのない、他人を意識した煌めきのようなものがあったのです。私はそこに惹かれたのでした。

 その後、彼はグループ活動をやめ、一人で籠って、創作活動に専念するようになります。当然のことながら、作品の雰囲気も変化していきます。第3コーナー、第4コーナーの作品には、第2コーナーのような煌めきは見られませんでした。もちろん、第1コーナーの作品にもありません。

 こうしてみてくると、単独で行っているはずの創作活動にも、実は他人の影響が及んでいるということを思わないわけにいきません。このこともまた、Youngkuk氏の展覧会を見て得ることができた発見の一つといえるでしょう。(2017/4/17 香取淳子)

篠原愛「サンクチュアリ」展に見るセクシュアリティ

■篠原愛「サンクチュアリ」展の開催
 ギャラリーモモ両国で、篠原愛「サンクチュアリ」展が開催されました。期間は2017年3月11日から4月8日までです。

 実は、個展開催の案内ハガキを受け取ったときから、ぜひ、実物を見てみたいと思っていました。ハガキに掲載された作品が妙に気になっていたのです。ぜひとも見たいと思っていながら、なかなか時間の都合をつけられず、ようやく訪れることができたのが、終了日の前日、4月7日でした。

 気になっていた絵は、画廊に入ってすぐ左の壁面に展示されていました。実物を見ると、あらためて、この絵の得体の知れなさに戸惑います。ハガキと違って実物はサイズが大きいだけに、ことさら、異空間に迷い込んだような、不安な気持ちにさせられてしまうのです。

 会場で展示されていた作品にはどれも、私がこれまで見たことのない、独特の光景が描出されていました。描写力が抜きんでて巧みで、強い訴求力があります。それなのに、なぜか、素直に作品世界に入っていくことができない・・・、もどかしさを感じてしまいます。

 いったい、なぜなのか。まずは作品を見ていくことにしましょう。

■月魚
 ハガキに掲載されていた作品のタイトルは、「月魚」です。

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(油彩、綿布、パネル、50.0×72.7㎝、2016年。クリックすると、図が拡大されます。)

 この絵でまず目につくのは、白い大きな魚と横顔を見せた少女の裸体です。それらのモチーフを包み込むように、蓮の葉と花が配置されています。無数の蓮の葉が穴の開いた状態で、画面の下方一帯を覆い尽くし、画面の左右には、鮮やかなピンク色の蓮の花が大小取り混ぜ5輪、描かれています。

 モチーフの取り合わせがなんとも奇妙です。さらにいえば、モチーフの取り合わせが奇妙なら、それらを捉える構図もまた奇妙です。作者はこのモチーフと構図に、どのようなメッセージを込めようとしていたのでしょうか。

 それでは、このモチーフと構図にフォーカスし、見てみることにしましょう。

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(クリックすると、図が拡大されます。)
 
 大きな魚の腹部の辺りに、少女の横顔が見えます。両手を直角に曲げ、頭部を守る防御の姿勢を取っています。一方の手は魚のヒレを掴み、まるで大きな魚に抵抗しているかのようです。そして、もう一方の手の指先は赤く染まっています。抗ったときに噴き出た血液なのでしょう。少女の頭上には、魚の引きちぎれたヒレが垂れており、その一部もまた赤くなっています。

 さらに、この魚は大きく口を開け、近くを泳いでいる小さな魚にいまにも食いつこうとしています。よく見ると、小さな魚の腹部からは血が流れ落ちていますし、骨だけになった部分もあります。すでに食いちぎられた後なのでしょう。深海魚のように獰猛な、この魚の表情が不気味です。

 再度、この絵の全体画面に戻ってみると、大きな魚は引きちぎられたヒレで、少女の頭を抑えつけています。そのまま視線を移動させていくと、裸体の少女が魚と溶け合っているのがわかります。少女は背後から抱きかかえられるような姿勢で、魚と合体しているのです。
 
 少女の肌は透き通るように白く、ピンクがかった美しい色が純心と無垢を表しているようです。ところが、その肌に、腕といわず、腿といわず、脛といわず、無残にも魚の鱗が生えてきています。それだけではありません。一方の足先からはすでに尾ヒレが出ています。魚に襲われた少女が少しずつ、魚の一部になり始めているのがわかります。

 少女は諦めきったような、悲しげな表情で、一点を見つめています。まるでレイプされた後の放心状態のようにも見えます。私が案内ハガキで見て、この絵に気になるものを感じたのはおそらく、この点でしょう。篠原氏は、卓越した精緻なタッチで、アブノーマルなセクシュアリティを描いていたのです。

■サンクチュアリ
 さて、この個展のタイトルは「サンクチュアリ」ですが、同名の作品が広い壁面に展示されていました。

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(油彩、綿布、パネル、97×260.6㎝、2016年。クリックすると、図が拡大されます。)

 こちらもまた異様な光景です。3人の少女が木に身を寄せ、腰を下ろしています。彼女たちを取り囲むように、白いウミヘビが枝に巻き付き、とぐろを巻いています。いまにも少女に襲いかかろうとしているウミヘビもいます。

 中央部分に焦点を当てて見ることにしましょう。

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 3人のうち中央に位置する少女は、白いヘビの胴体や頭部に埋もれ、ほとんど顔しか見えません。その少女を、獰猛な表情のウミヘビが羽交い絞めにしてるようにみえます。さらに、少女の頭上からは別のウミヘビが襲い掛かろうとしています。いずれも口周辺に生えたヒゲは硬くて鋭利、そして、背ビレは先が尖っており、襲撃のための武器のようにも見えます。このようなウミヘビからは、当然のことながら、凶暴なイメージを抱かざるをえません。

 ところが、そのようなウミヘビに囲まれていながら、3人の少女の誰一人として、その表情に恐怖心は見られません。もちろん、悲壮感もありません。もっとも危険な位置にいる少女でさえ、むしろ、あどけない表情を見せています。ですから、少女と獰猛なウミヘビとが不思議なほど和気あいあいと、親交を温めているように見えるのです。

 描かれた光景が喚起するイメージと、メインモチーフの表情とがリンクしていないのです。おそらくその点に、私は違和感を覚えたのでしょう。そこで、この絵を読み解くカギは何かと思いを巡らせているうち、ふと、記憶の底から、「白蛇伝」が浮かび上がってきました。

 ひょっとしたら、この絵は「白蛇伝」をベースにして描かれたものではないでしょうか。そう思って、あらためてこの絵を見ると、大きな白いヘビが自由に泳ぎ回っています。その傍らで、少女たちは安心しきった表情で、のんびりと大きな木にもたれかかったり、腰かけたりしています。そして、足元にはピンクの花が満開です。

 このように別の視点で見てくると、次第に、この絵は「白蛇伝」をベースにしたものだと思えてきました。そうだとすれば、少女は白いヘビの化身なのです。そして、おそらく、この画面で描かれた光景は、ヘビの化身(少女)が好きな男性(ヒト)の命をよみがえらせるため、命の花を届けようとして嵐に巻き込まれ、海に落ちてしまったときのシーンなのでしょう。

「白蛇伝」は中国の民間説話で、1958年には東映動画がアニメ映画として製作しました。現在、DVDで見ることができます。

 少女と白いウミヘビ、そして、満開のピンクの花というモチーフは一見、取り合わせに違和感があるように見えますが、これが中国の民間説話を踏まえて制作されたとするなら、納得できます。ただ、その場合もなぜ、3人の少女が描かれているのかを説明することはできません。

 もちろん、3人の少女を描いたのは、ただ単純に、絵の構造上、必要だっただけなのかもしれません。ヘビを描くためには横長の構図が必要で、それには少女を3人、描かなければ絵としての強度が保てなかったのでしょう。

 この絵と中国の民間説話と関連づけて解釈すれば、愛のためなら、どんな犠牲もいとわないというメッセージが込められているといえます。これは、時空を超えてヒトが共有できる一つのセクシュアリティです。

■森の中
 一連の展示作品の中で、もっとも危なげがないと思ったのが、「森の中」という作品でした。

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(油彩、綿布、パネル、91×116.7㎝、2016年。クリックすると、図が拡大されます。)

 この絵もやはり、違和感を完全にぬぐいきることはできませんが、異形の要素がこれまで見てきた作品よりは少なく、一般的な観客からは受け入れられやすいでしょう。とはいえ、この絵にも篠原氏はさり気なく、気になる仕掛けを施しています。

 それは、魚の体から立ち上る白い液体のようなものです。そこだけが混じりけのない白で描かれているので、いっそう目立ちます。そのために、この絵もまた、安易な解釈が妨げられ、依然として気になる箇所は残りますが、絵としてはむしろ、メルヘンの世界のようなやわらぎがあります。

 それでは、この絵のメインモチーフにフォーカスしてみましょう。

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 魚の剥製のようなものをマントのように羽織ったヒト、背を向けていますが、おそらく男性なのでしょう。少女のごく近くに顔を寄せ、互いに目を見つめあっています。ですから、少年と少女が巨大な木々の根元に潜み、愛を交わしているように見えます。

 一見、違和感のある、魚の剥製のマントは、着用している男性の属する部族の表象なのかもしれません。だとすれば、この絵はトーテミズムを踏まえて、制作されているといえます。この絵にさほど違和感を持たなかったのは、トーテミズムについては多少、馴染みがあるからでしょう。

 もっとも、よく見ると、少女の表情にはちょっとした違和感を覚えます。近寄る少年(?)に対し、少女は目を見張り、やや驚いたような表情を見せているのです。この表情の持つ意味を重視すれば、二人の姿勢から受け取った印象と至近距離で見た少女の表情が与える印象とは明らかな乖離があるといえます。

 ひょっとしたら、この絵はトーテミズムの禁を犯そうとしているシーンを描いたものなのかもしれません。だとすれば、この絵もまた、時空を超えたセクシュアリティのタブーに踏み込んだものといえます。

■篠原愛「サンクチュアリ」展にみるセクシュアリティ 
 今回、展示作品の中から、「月魚」、「サンクチュアリ」「森の中」を紹介してきました。「月魚」では、少女と魚との一体化、「サンクチュアリ」では、ヘビの化身としての少女、そして、「森の中」ではトーテムとしての魚と少女の愛(?)が描かれています。

 展示作品はみな2016年に制作されたものでしたが、会場の奥にただ一つ、2009年から2011年にかけて制作された作品が展示されていました。

こちら →
(油彩、キャンバス、162×130㎝、2009-2011年。クリックすると、図が拡大されます。)

 タイトルは「女のコは何でできている?」という作品です。これを見ると、篠原氏の緻密な画法はずいぶん以前から確立されていたこと、女性の在り方についてしっかりとした問題意識を持たれていたこと、などがわかります。

 その延長線上で、今回、展示された一連の作品が生み出されたのでしょう。以前の作品と比べると、今回の作品は、人類史の文脈に比重を置いて、セクシュアリティを描こうとされているように思いました。

 そういえば、「月魚」を紹介する際、 書き忘れていたことがあります。それは、穴の開いた蓮の葉と華麗に開いた蓮の花についての解釈です。これらは一見、たいした意味があるわけでもない背景に過ぎないように思えますが、実はこの絵を考える際、看過できないモチーフとして挙げておく必要があるでしょう。

 「月魚」では、穴の開いた無数の蓮の葉と、華麗に花開いた蓮の花がサブモチーフとして描かれています。背景もそれにふさわしく、黒い濁った褐色の泥水です。蓮の花は泥の中で育つといわれますから、これらのサブモチーフと背景はリンクしています。

 そこで、この絵のメインモチーフ(大きな魚と少女)を振り返ってみると、大きな魚は少女を襲い、そして、小さな魚も食い殺しています。殺生を繰り返し、生きてきたのです。罪深い穢れた存在だといっていいでしょう。その大きな魚と小さな魚、そして、少女を包み込むものが、背景としての濁った泥水であり、穴の開いた蓮の葉、美しく花開いた蓮の花でした。ここに宗教性が感じられます。

 この絵を見ていると、セクシュアリティは暴力行為と結び付いたものである一方、生の根源であり、宗教的源泉でもあることが示唆されているように思います。

 「サンクチュアリ」展では、今回取り上げなかった作品を含め、いずれの作品にも、現代社会ではアブノーマルと位置付けられるセクシュアリティが含まれていました。そのせいか、見ていて、どこかしら違和感があり、それが契機となって、絵に含まれている意味を読み解きたいという衝動に駆られてしまいました。

 考えてみれば、そもそも「サンクチュアリ」(Sanctuary)という言葉自体、アブノーマル、あるいは反社会的行為と無縁ではありません。そういう点で、とても刺激的で、興味深い個展でした。(2017/4/12 香取淳子)

水墨画が切り拓く世界:人物・動物、そして、抽象

 前回に引き続き、第49回全日本水墨画秀作展で印象に残った作品のうち、「人物・動物」、そして、「抽象」領域の作品をご紹介していくことにしましょう。

■人物・動物
 人物や動物は水墨画の題材として決して意表を突くものではないのですが、その描き方や力点の置き方などがこれまでの水墨画のイメージを大きく覆す作品がいくつかありました。ご紹介しましょう。

・樋口鳳香氏の「みなそこのつき」

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 この作品を見たとき、構図といい、モチーフといい、洋画や日本画で見かける作品だと思いました。ただ、水墨画だからこそ表現できたのではないかと思ったのが、モチーフとしての髪の毛です。そして、この髪の毛こそ、この絵を際立たせる重要な役割を果たしていると思いました。

 一見すると、モチーフの刺激的なポーズの女性に目が向いてしまうのですが、よく見ていると、髪の毛に強く印象付けられていきます。肩といい、足といい、女性の身体をさり気なく覆うように、長い髪の毛が巻き付いています。その巻き付き方が柔らかくしなやかで、しかも、しっとりしているのです。

 まるで生きているかのように、髪の毛の細部に至る微妙なニュアンスを捉えて描かれています。だからこそ、この絵に洋画でも日本画でも見られない独特の風情を与えているのでしょう。水墨画ならではの特質が活かされています。そして、このような髪の毛の描き方が、この絵に妖艶さを添えることになっています。この作品は芸術文化賞を受賞しています。

・八木良訓氏の「JAZZギター」

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 一見、油彩画かと思うほど強いトーンで、ギターを弾く男性が描かれています。うつむき加減に、そして、ひたむきに、ひたすらギターを弾き続ける決して若くはない男。その姿からは孤独感が醸し出されています。

 求道的に何かを追い求めようとすれば、他を寄せ付けない強い意志が必要です。当然のことながら、孤独にならざるをえず、その孤独と引き換えに、極みに達しようとしている求道的な精神性をこの絵から感じてしまうのです。それはおそらく、この絵が水墨画で描かれているからでしょうし、その構図のせいでもあるのでしょう。

 この絵をよく見てみると、ギターやそれを奏でる手は大きく描かれているのに、それに比べ顔は比較的小さく、目を閉じた表情からは感情をうかがい知ることはできません。ですから、見る者の視線はいったん、顔に向けられるのですが、やがて、大きな手やギターに向かっていきます。

 このような構図は、見る者の視線をそのように誘導するためのものではないかという気がするのです。この絵は一見、荒々しく描かれているように見えるのですが、実は緻密に計算して構成された作品だと思いました。この絵は全日本水墨画秀作展準大賞を受賞しています。

・奥山雄渓氏の「羅漢像」

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 水墨画にふさわしい題材だとおもいました。この作品のタイトルは、「羅漢像(語り合い)」です。羅漢とは、仏教でいわれている、尊敬や施しを受けるのにふさわしい聖者なのだそうです。そのような羅漢が二体、正面を向いて向き合っている構図で、描かれています。

 タイトルによれば、この二体は何かを語らっているのでしょう。その表情は穏やかですが暗くも見えます。背後の空は黒い雲で覆われていますから、ひょっとしたら、暗い世相を語らい、そして、平穏を祈っているのかもしれません。

 暗雲垂れこめた空の下、二体の羅漢が向き合っている、そこからは不思議な静謐感が漂ってきます。この作品は長寿功労賞を受賞しています。

・有田美和氏の「エナジー」

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 洋画でも日本画でもふさわしい題材です。それを水墨画ならではの特性を活かし、エネルギッシュに飛び跳ねる馬の様子が端的に捉えられています。この絵を一目見た途端、惹きつけられてしまいました。タイトル通り、強力な「エナジー」が発散されていたのです。

 振り向いた馬の荒々しい顔、大きくなびくたてがみ、隆々と盛り上がった臀部の筋肉、跳ね上がる尻尾、そして、蹴り上げた足元から立ち上る土煙・・・。いずれも、馬の荒々しい動きを表現するのに不可欠の要素です。必要な要素だけに絞り込んでモチーフを描いているからこそ、この強さが表現できているのかもしれません。

 さらに、馬の身体の右部分は画面からはみ出してしまっていますし、足すらその先は描かれていません。このような省略と、足元や尻尾の先に飛び散る土、あるいは土煙、そして、馬が振り向いた先の左部分に余白を設定したあたり、秀逸だと思いました。

 この絵は、省略と余白で見る者に想像を促す水墨画ならではの特質がうまく活かされていると思いました。この作品は、上野の森美術館賞を受賞しています。
 
■抽象
 抽象的な作品をいくつか目にしました。それぞれを見ていくうちに、水墨画と抽象画は意外に類似点があるのかもしれないと思いはじめました。色彩を制限し、墨の濃淡と明暗だけでモチーフを描き、作品世界を構築すること自体、抽象化過程を踏まなければならないからです。

 印象深い作品を紹介していきましょう。

・筒井照子氏の「楽ー17」

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 抽象画はどのように理解すればいいのか、よくわかりません。ただ、会場でこの作品を見たとき、とても印象付けられました。

 「大」の字のように見える黒い大きなものの下に、押さえつけられるようにして、白いチーズケーキのようにも見えるものが存在しています。「大」の字のように見えるものの上には、小さくて白い玉のようなものが散り、白とグレーの得たいの知れない形状のものも散らばっています。そして、「大」の字に見えるものとケーキに見えるものの間には、グレーの帯状のものが挟まっています。

 さまざまな形状のものが白黒濃淡で描き分けられ、配置されています。それぞれに立体感があり、それらの配置の仕方には奥行きが感じられます。全体として一つの世界が築き上げられているように見えるのですが、そこには不思議な調和があります。

 「大」の字に見えるものが画面を覆っており、白黒の濃淡をつけて、描かれていますが、先端部分はそれぞれ、形状が異なっています。よく見ると、この絵の中の、角ばったもの、細長いもの、先端は曲げたり、柔らかいトーンで描かれていることがわかります。そのせいか、全体に快い安定感があるのです。それが見る者に居心地の良さを感じさせるのかもしれません。この作品は、京橋エイジェンシー賞を受賞しています。

・古谷睦美氏の「縁Ⅰ」

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 水墨画らしい作品です。文字のように見えるものを、年輪のように見えるもので、左上方と右下方から挟み、その周辺には適度な余白が設けられています。とても安定した構図です。

 字のように見える黒い図形はすべて曲線で描かれ、黒の濃淡で勢いと流れが表現されています。先が細くなった、ひげのように見える曲線が、跳ねるような動きを見せていますので、自由奔放な活力が感じられます。

 字のように見える図形は強い黒の強弱で描かれているのに対し、左右上下の両端に配置された年輪のように見えるものはグレーで描かれ、しかも、ところどころ、切れたり、薄くなったりしています。その強弱の加減がバランスよく、絵に快い安定感を与えています。上品で美しく、見ていて快くなる作品です。この作品は、西日本新聞社賞を受賞しています。

・中井浩子氏の「遊16」

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 この作品を近くで見たとき、最初はそれほどいいとは思いませんでした。ところが、離れと、気になります。そこで引き返し、近づいて見、また離れて見る、ということを繰り返しました。この作品にはそこから離れがたい、不思議な世界が描出されているのです。

 白黒のうねるような曲線が複雑に絡み、まるで見る者を深い奥底に引きずり込もうとしているかのようです。曲線の周辺には小さな白い玉のようなものが散り、曲線で構成された絵に微妙な揺らぎを与えています。

 この作品で表現された深い奥行きと微妙な揺らぎには、別世界への誘いが感じられます。魅力的な作品です。この作品は特選に選ばれています。

・村川ひろ子氏の「宙」

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 水墨画らしい作品です。安定した構図で、作品全体から柔らかさと優しさが感じられます。

 大きな渦巻状の図形の上に、流れるような数本の線が描かれ、その延長線上にはみ出したような黒い点が上方に伸びる曲線の上に置かれています。そして、この渦巻状の図形とは独立して、黒い中心を持つ円が左下方に描かれています。考え抜かれた構図で美しく、調和がとれています。この作品は、ギャラリー秀作賞を受賞しています。

■水墨画が切り拓く多彩な世界
 今回、はじめてこの展覧会に参加しました。水墨画だけの展覧会はこれがはじめてです。水墨画についてはこれまで風景を墨で描く芸術だという認識しかありませんでした。ところが、今回、この展覧会に参加して、水墨画が切り拓く世界が多様で多彩、しかも、融通無碍、きわめて奥深い表現芸術だということに気づかされました。

 水墨画ではモチーフを表現するための色彩が制限され、空間も制限されています。今回の出品作品はF20号とF30号に限られていました。制限された中で表現活動を行うには、無駄を取り除き、エッセンスに目を向けなければなりません。そこには自ずと抽象化作用が生まれ、作品の精度を高めます。

 人物や動物、抽象の領域の作品は洋画や日本画とも競合します。とはいえ、今回、この水墨画秀作展に参加して、水墨画が切り拓く領域に大きな可能性があると感じました。(2017/3/12 香取淳子)

第49回全日本水墨画秀作展:水墨画が切り拓く多彩な世界(風景、生活シーン)

■第49回全日本水墨画秀作展の開催
 2017年3月8日から19日まで国立新美術館で、全国水墨画美術協会主催の第49回全日本水墨画秀作展が開催されています。

 実は2月にアジア創造美術展で水墨画を目にしてから、少し興味を抱き始めていました。ですから、3月9日、他の展覧会を見に行ったついでに見かけた際、こちらの展覧会にも足を向けてみることにしたのです。水墨画だけを扱った展覧会に行くのは今回が初めてです。

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 上記パンフレットに取り上げられた作品をご覧ください。とても水墨画とは思えないものです。これを見てもわかるように、出品作品の中には私にとって意外な題材が多々見受けられました。素通りできず、思わず立ち止まってしばらく見入ってしまった作品もあります。これまで私が水墨画に対して抱いていた固定観念がすっかり吹き飛ばされてしまったような展覧会でした。

 全国から寄せられた秀作218点のうち、私の印象に残った作品は16点でした。題材別に分けると、「風景」が6点、「生活シーン」が2点、「人物・動物」が4点、「抽象」が4点です。それでは、この分類に沿って、今回は「風景」と「生活シーン」に絞って、作品を簡単にご紹介していくことにしましょう。

 なお、作品を撮影する際、上部に会場の照明が映り込んでしまった作品があります。上部に見える格子のようなものは作品の一部ではないということをご了承いただければと思います。

■風景
 会場をざっと見渡して、風景を扱った作品が多いように思いました。白黒の濃淡でモチーフを表現する水墨画にふさわしい題材だからでしょうか。

・河原紫水氏の「恵水」
 会場に入ってすぐに目についたのが、河原紫水氏の「恵水」でした。

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 私が水墨画に抱いているイメージ通りの作品です。そう思って見ていると、作品全体からさまざまな水の動きが感じれらます。滝から流れ落ちる水の勢い、その周辺に立ち上る水煙、滝つぼから静かに流れていく穏やかな水流、・・・。画面からは水音すら聞こえてきそうです。滝を巡る水の諸相がとても繊細に、卓越した技法でとらえられています。この作品は環境大臣賞を受賞しています。

・林爽望氏の「雪の山里」

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 この作品も私が水墨画に抱いているイメージ通りの作品です。雪に埋もれた山里の風景です。山の麓に位置しているのでしょう、遠景を見ると、さらに深く雪に覆われています。木々は白く、辺り一帯が雪にけぶっています。この村里の一切が、雪に封じ込められているようです。

 木々や家々の屋根には降り積もった雪が厚く、丸みを帯びて描かれています。そのせいか、雪の柔らかさ、ずっしりとした重さ、そして、あらゆる物音を吸収してしまう静けささえ感じられます。

 そんな中、曲がりくねった道をヒトが歩いてきます。その道路には二本の轍があり、そこだけ雪が解けています。ヒトはその轍に沿って歩いているのです。風景とそこで生活するヒトを巧みに捉えた一コマです。この作品は文部科学大臣賞を受賞しています。

・手塚五峰氏の「幽懐」

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 この作品は、水墨画でよく見かけそうで、実はそうでもない、不思議な味わいがあります。風景を題材にしていますが、実はリアルな風景ではなく、作者が表現しようとする世界に必要な要素だけを取り込み、構成しているように見えます。

 「幽懐」というタイトルの意味がよくわかりませんでした。そこでもう一度、絵を眺めてみると、洞窟のような岩肌で囲まれた奥に木々の葉が茂り、さらにその奥から岩を伝って水が流れてきます。奥深く、美しい世界が広がっているようです。まさに、「幽」が表現されていました。そして、「懐」。この題材はおそらく、作者が深く心に秘めている原風景とでもいえるものなのでしょう。この作品は衆議院議長賞を受賞しています。

・大橋祥子氏の「蓮灯籠」

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 この作品は私にはとうてい水墨画には見えませんでした。どちらかといえば洋画、あるいは日本画の趣があります。手前から奥にかけて無数の蓮の葉が浮かび、その合間に蓮の花がところどころに描かれています。蓮池なのでしょうか。この画面構成だけでも迫力があるのに、遠景にはごく薄く、ほとんど判別しにくいほどの濃さでトラックやヒトのようなものが描かれています。
 
 そのせいか、手前や中ほどに描かれている無数の点の集まりが霊魂の表象のようにも見えます。そういえば、この作品のタイトルは「蓮灯籠」でした。見ているうちに、絵の奥に深い世界が広がっていそうで、引き付けられていきました。この作品は優秀賞を受賞しています。

・川北渓柳氏の「巨木の森」

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 題材は風景ですが、この作品は洋画でも日本画でも見かけそうです。とはいえ、作品全体に漂うしっとり感は水墨画でしか表現できないものでしょう。また、巨木の背景はぼかして描かれています。こんなところにも、水墨画の特徴がみられるといえるかもしれません。

 巨木の幹や枝、葉がきめ細かく描かれており、ひっそりとした森のたたずまいが見えてきそうです。さらに、巨木の幹に差し込む光の処理が丁寧で、独特のリアリティがあります。絵全体がしっとりとした感触に包まれており、深い情緒と余韻が感じられます。この作品は、水墨画年鑑賞を受賞しています。

・嶋田安那氏の「異国の黄昏」

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 水墨画でありながら、洋画の印象を受けました。墨の濃淡と明暗、線と面で描かれているので、ジャンルとしては水墨画なのでしょうが、描かれている素材、構成、タッチなど、洋画の雰囲気があります。

 手前右下を濃く黒く、左中を薄く白く描かれているので、黄昏の中で小舟で乗り出す黒い人影が強く印象づけられます。墨の濃淡だけで、色彩豊かなはずの異国の風景を描いているところにこの作品の面白さがあります。さまざまな色彩が感じられるだけでなく、匂いすら感じられる作品でした。この作品は優秀賞を受賞しています。

■生活シーン
 生活シーンを捉えた作品のいくつかに目が引かれました。日常生活の一コマなど、とても水墨画の題材になるとは思えません。それなのに、墨の濃淡だけで巧みに描き、一つの世界を創り出すことに成功しています。目に留まった作品をご紹
介しましょう。

・柯擁雅氏の「遊べや遊べ」

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 会場を入ってすぐ、意表を突かれたのが、この作品です。典型的な水墨画のイメージとはかけ離れています。

 女の子が猫を抱き、途方に暮れています。その足元では別の猫が不安そうに女の子を見上げています。いつでも、どこでも、誰もが見かけそうなシーンです。むしろ洋画か日本画で見かけそうな題材ですし、女の子の表情にはアニメキャラクターを彷彿させる要素もあります。

 モチーフとその描き方が水墨画のイメージとは大幅に異なっているのですが、墨の濃淡と明暗だけで見事に描き切っています。その種の差異によってもたらされた異化作用の結果、この作品に絶妙な存在感がもたらされています。この作品は玉雲賞を受賞しています。

・小川応㐂氏の「休日」

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 デッサン、あるいは、水彩画で見かけそうな題材の作品です。それを敢えて水墨画で表現したところに、この作品のユニークさがあります。

 雨の中を肩を寄せ合い、バスを待つ若い男女の後ろ姿が、ちょっと引いて捉えられています。道路は濡れ、バスもまた濡れています。土砂降りの雨ではなく、かといって小雨というわけでもなさそうな雨の風情が、的確に捉えられています。

 水墨画ならではの筆運びによっているのでしょうか。雨に濡れた面の捉え方が抜群なのです。だからこそ、せっかくの休日なのに・・・、と恨めしく思っているに違いない若い男女の気持ちまでもが見事に表現されているように思えます。水墨画だからこそ、表現することができた生活の一コマです。

 この絵では、「雨」という全体をカバーする要素と「休日」というタイトル、そして、肩を寄せ合いバスを待つ男女というモチーフ、それぞれが相互に深く関連しあっています。ですから、絵全体からしっとりとした風情が漂ってくるのでしょう。見る者に感情移入を誘う作品でした。この作品は内閣総理大臣賞を受賞しています。

■水墨画が切り拓く多彩な世界
 今回、はじめてこの展覧会に参加しました。水墨画だけの展覧会はこれがはじめてです。水墨画についてはこれまで風景を墨で描く芸術だという認識しかありませんでした。ところが、今回、この展覧会に参加して、水墨画が切り拓く世界が多様で多彩、しかも、融通無碍、きわめて奥深い表現芸術だということに気づかされました。

 水墨画ではモチーフを表現するための色彩が制限され、空間も制限されています。今回の出品作品はF20号とF30号に限られていました。制限された中で表現活動を行うには、無駄を取り除き、エッセンスに目を向けなければなりません。そこには自ずと抽象化作用が生まれ、作品の精度を高めます。

 今回、この水墨画秀作展に参加して、水墨画が切り拓く領域に大きな可能性があると感じました。(2017/3/11 香取淳子)

アジア創造美術展2017:画材や技法を活かした多様性の魅力

■アジア創造美術展2017
 アジア創造美術展がいま、国立新美術館で開催されています。主催者は亜細亜太平洋水墨画会で、開催期間は2017年1月25日から2月6日までです。2月2日、たまたま用事があって六本木を訪れた際、立ち寄ってみました。

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 私は今回はじめて、この展覧会に参加しました。会場をざっと見渡してみただけで、これまで訪れたことのある展覧会に比べ、独創性の高い作品が多いような気がしました。まず、キャンバスサイズに工夫の跡が見られます。連作あり、段差をつけたキャンバスの組み合わせあり、極小サイズ、極横長サイズ、極縦長サイズあり、といった具合です。いずれもモチーフや作品内容に合わせ、効果的に選択された表現空間です。

 実をいえば、私は昨今の展覧会には少々、食傷気味でした。それこそウドの大木といった印象しかない大きな作品ばかりを目にすることが多かったせいかもしれません。似たような画風が多いのも気になっていました。創意工夫の跡があまり感じられなかったのです。

 おそらく、そのせいでしょう、この展覧会ではことさら、出品者たちのきめ細かな工夫の跡に好ましさを覚えました。見慣れた規格サイズでは得られない繊細な表現空間が創り出されており、新鮮な驚きを感じさせられたのです。

 それでは、この会場で印象に残った作品をいくつか紹介していくことにしましょう。

■油彩画
 会場でもっとも印象的だったのが、矢吹威斗氏の「創の炉火」です。数多い展示作品の中で、思わず目を奪われ、立ち止まってしまいました。ショッキングな絵でした。

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 焼けた鉄棒を両手でしっかりと握りしめた男が、火の塊のように熱くなっていると思われるその先を、自身の首に突きつけている異様な光景です。興味深いことに、その顔は苦痛に歪んでいるわけではありません。目を見開いて何かを凝視していますが、口元にはかすかな笑みさえ浮かんでいるように見えます。

 首に突きつけられた鉄棒の先の中心部分は黄色く、その周辺は赤黒く、首から遠ざかるにつれ、鉄棒本来の黒褐色に着色されていますから、相当、この鉄棒は相当熱くなっているはずです。

 ですから、見る者は条件反射的に、描かれた顔の表情から苦痛を読み取ろうとしてしまうのですが、男の顔に苦痛の痕跡は見られず、むしろ恍惚感、あるいは、何かを悟ったような満足感とでもいえるような表情が浮かんでいます。見る者の予想を裏切るギャップがあるのです。

 さらに見ていくと、大きなごつい手がしっかりとこの鉄棒を握りしめている部分に関心が移ります。男の両手からは強い意志が感じられます。よほど強靭な意志がなければ、このような自虐的な行為はできないと、この部分を注目して見る者は思います。

 そして、もう一度、離れてこの絵全体を見てから、タイトルを見たとき、ようやく、モチーフを部分的に見たときに感じた矛盾が解消され、納得できるような気がしてくるのです。

 この絵のタイトルは「創の炉火」です。おそらく、創造に伴う「火」を指しているのでしょう。そして、タイトルから推察される観点からこの作品を見てみると、創造過程での苦しみ、そして、創造した暁の喜びが一枚の絵に見事に表現されていることがわかります。

 一枚の絵の中で見る者の気持ちを何段階かに分けて刺激し、最終的に納得させてしまう・・・、まるで見る者の気持ちの推移を意識したかのような構成が巧みだと思いました。

 3枚のキャンバスを段差をつけてつなぎ合わせ、この迫力のある画面が構成されています。右から、顔面と焼けた鉄棒を突きつけられた首、鉄棒を握りしめる右手と左手の一部、そして、左手と鉄棒、といった順で、同じサイズのキャンバスが均等に段差をつけてつなぎ合わされています。

 この3枚のキャンバスをつなぐ共通のモチーフが鉄棒です。熱い鉄棒で横から串刺しにする格好で、手や首、顔といった身体部位が描かれています。ですから、この鉄棒は、表現者が表現行為に至る熱いエネルギーを示唆しているように思えます。

 一方、この絵の背景は暗く、顔、首、鉄棒の一部だけに明るい色が塗られています。ここだけスポットライトを浴びているようにも見えるのですが、このような色遣いに作者の創作態度を垣間見ることができるといえるかもしれません。つまり、どのようなものであれ、ドラマティックなモノ、あるいは行為こそ、表現するに値する、という態度です。

 それは、この絵の構成の面からもいえるかもしれません。クローズアップでモチーフを取り上げ、3枚のキャンバスに分けて描き、段差をつけて展示できるよう、ドラマティックな構成が考えられています。

 この構成を見ていて、ふと、漫画の構成を連想してしまいました。ちなみにこの作品は奨励賞を受賞しています。

■漫画の原画
 この展覧会では上條淳士氏の漫画の原画が展示されていました。第14回目で初めての試みだそうです。

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 小さくてちょっとわかりづらいかもしれませんが、クローズアップを多用し、ドラマティックな箇所を強調して表現するという点で、漫画には絵を超えた表現技法が開発されているのかもしれません。

 私が驚いたのは、「時間」と名付けられた原画です。背景部分の木々や路面の描き方のリアルさに引き込まれ、思わず、立ち尽くして見てしまいました。通常、漫画といえばここまで克明に背景を描かないのではないかと思っていたので、いっそう、その表現力に驚いてしまったのです。

 メインのモチーフよりも背景の方がはるかに面積が大きいということにも、興味をそそられました。なぜ、このような構成にしたのでしょうか。改めて、この原画をよく見てみると、この背景のおかげで、2次元で表現された世界なのに、3次元空間のもつ厚みが感じられるのです。

 さらに、白黒だけで表現された世界なのに、この原画には空気や風、音、木々のざわめきや葉の匂いまで感じられます。もちろん、色を感じ、気温すら感じられます。そして、タイトルにある「時間」も・・・。

 木々の葉を描く白黒のコントラストの強さからいえば、おそらく、早い午後なのでしょう。強い日差しからは初夏に向かう季節のようにも見えます。そこに一人の若い男がうつむき加減で歩いてきます。いったい、何を想っているのでしょうか。

 たった一枚の原画なのに、つい感情移入を誘われてしまいます。それはおそらく、このように背景がきめ細かく描かれているので、主人公の所作から奥行きや深みが感じられるからでしょう。表現世界の微妙さが感じられます。 

■水墨画
 普段、水墨画を見ることがあまりなかったせいか、会場で水墨画の作品を目にしたとき、どういうわけか、懐かしい気持ちになってしまいました。花にしろ、風景にしろ、モチーフの捉え方にとても日本的な感性が感じられたのです。

 そのような中、意外な作品を見つけました。小林東雲氏の「Jeanne d’Arc 」です。

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 モチーフは戦場のジャンヌダルクです。ジャンヌダルクといえば、15世紀、神の啓示を受けてフランス軍に従軍し、めざましい活躍をしてフランスに勝利を導いたにもかかわらず、異端審問にかけられ、19歳で火刑に処された悲劇の女性です。

 そのジャンヌダルクが目を伏せ、死者の前で跪いています。背後には多数の兵士が描かれ、勝利を収めたとはいえ、素直には喜べない気持ちが表されています。そのような情景を浮き彫りにするかのように、右上方から陽光が差し込み、ジャンヌダルクの軍装の白が際立っています。

 剣、鎧、肩当てにはジャンヌダルクの紋章が描かれ、金色で着色されています。白黒で表現された静寂の中で、まるでジャンヌダルクの功績を際立たせるかのように、そこだけ金色が施されています。大勢の兵を従え、剣をついて跪くジャンヌダルク。その悲劇性とフランスを救うために身を投げ出した

 日本の題材ではないのに、しっくりと水墨画の世界に収まっています。ちなみにこの作品は「招待出品」として展示されていました。この作品を見て、水墨画でここまで表現できるのかという思いがしました。

 たまたま同時期、パナソニック汐留ミュージアムで、「マティスとルオー展」が開催されており、ルオーの「ジャンヌダルク」を目にする機会がありました。

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(http://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/17/170114/pdf/leaf.pdfより。図をクリックすると拡大します。)

 小林氏の作品には静謐感と聖性が感じられるのに対し、ルオーの作品にはそのような奥行きが感じられません。それはおそらく、小林氏が戦場の一場面を描きながら、ジャンヌダルクの聖なる側面まで掘り下げようとしているのに対し、ルオーはジャンヌダルクの戦士としての側面を描くのに終始しているからでしょう。

 もちろん、油彩画と水墨画、ジャンヌダルクを取り上げた情景、さらには、モチーフに対する作家の感性、等々が異なっていることも影響しているでしょう。とはいえ、これが同じモチーフを描いた作品だとはとても思えませんでした。あらためて、画材、技法、様式が描かれる内容を規制してしまうのだということを感じさせられました。

■書
 会場ではさまざまな書が展示されていました。これまで私は書を鑑賞することはほとんどなかったのですが、流れに沿って次々と鑑賞していくうちに、書が拓く世界の奥深さを知らされたような気がしてきました。書は見る者に内省を促し、思索を巡らす楽しみを与えてくれることがわかります。

 考えてみれば、私は書を、意味を伝達する記号としての文字としてしか捉えていませんでした。ところが、今回、この展覧会でさまざまな書を見て、書が切り拓く表現世界の豊かさに気づかされたのです。

 会場に入ってすぐ左手に展示されていたのが、濱崎美智子氏の作品でした。

こちら →
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 なんと書かれているのかよくわかりませんが、巨大で、威風堂々とした筆さばきには圧倒されてしまいます。紙の上に墨汁をほとばしらせた筆の勢いがなんとも力強いのです。白黒で表現されただけの世界に、多様な色彩とほとばしるエネルギーを感じさせられました。

 この種の勢いは書でなければ表現できないのではないでしょうか。見る者に迸る勢いや流れを感じさせる力は、紙と墨汁という画材だからこそ生み出せたのではないかと思いました。

 ちなみに、この作品は外務大臣賞を受賞しています。

■文化の融合と共生
 「アジア創造美術展」では、絵画、書、彫刻、インスタレーション、工芸、写真、漫画の原画など多種多様な作品が展示されていました。画材も多様、描かれる内容もさまざまでした。中国の切り絵、フェルトのような布を使った作品、カザフスタンの馬の絵など、多様なジャンルの作品が展示されており、とても刺激的でした。

 ジャンルが多様なら、制作様式も多様、もちろん、出品者も多様でした。アジアからの伝統を踏まえた作品があれば、海外の子どもたちの素朴な作品もあります。さまざまなテイストの作品が混然一体となって、創造性豊かな展示空間が演出されていました。なんともいえない不思議な居心地の良さが感じられる空間でした。そのような空間の中にしばらく佇んでいると、ことさらに、多様性こそが創造性の源なのだと思えてきます。

 おそらく、そのせいでしょう、会場全体から”創造”のエネルギーが発散されているように思えたのです。いったい、アジア創造美術展とはどういう趣旨で開催されている展覧会なのでしょうか。興味を覚え、帰宅してすぐ、ネットで調べてみました。

 すると、主催者の亜細亜太平洋水墨画会会長の溝口墨道氏が、「日本とアジアの美術家が集い、文化の融合と共生に資することを目的に」、アジア創造美術展を開催すると述べられていることがわかりました。

こちら →http://www.catv296.ne.jp/~creativeart/C6_1.htm#1

 溝口氏は、東アジアに特徴的な水墨画が明治以降の西欧化により、衰退していったと指摘し、「日本とアジアの美術家が集い、文化の融合と共生」を説かれています。

■境界を越え、育まれてきた日本の美
 私たちはいま、生活の中で日本の美を楽しむゆとりを失ってしまったように見えます。 洋風の生活空間の中では、書を楽しみ、茶を味わい、陶磁器を愛でるといった伝統的な日本の生活文化を享受しがたくなっていることは確かです。

 もちろん、その気さえあれば、リビングでもキッチンでも日本的な美を添えることはできます。ところが、それすらもしなくなっているのが現状だとすれば、日本の生活文化を支えてきた美意識そのものが衰退している可能性があります。

 水墨画はこれまで茶道、華道、陶磁器等、日本の生活文化全般に影響を及ぼしてきました。その水墨画が衰退していったことの結果として、現在の生活文化から日本の美が失われつつあるのだとすれば、まずは、水墨画を楽しむ機会を増やしていくことが必要なのかもしれません。

 今回の展覧会で、私は小林氏の水墨画に出会いました。白黒で表現された世界にわずか金色を加えただけで表現の力がぐんと強くなっていました。モチーフや表現方法の面で、水墨画が切り拓ける世界はまだまだ広いという気がしました。境界を越えれば、さらに豊かな表現世界を築くことができるのではないかと思います。

 さまざまな面でグローバル化が行き詰りつつある現在、表現領域でもいずれ、日本美への回帰が求められるようになってくるかもしれません。実際、さまざまな展覧会に行くと、日本画の領域で最近、多様で多彩な表現が目立っています。そのことを思えば、これまで営々と培われてきた日本の生活美意識を土台に、さまざまな表現活動が志向されてもいいのではないでしょうか。(2017/2/28 香取淳子)

岩佐又兵衛の源氏絵にみる”通俗性”のパワー

■岩佐又兵衛と源氏絵展
 出光美術館でいま、「岩佐又兵衛と源氏絵」展が開催されています。開館50周年を記念して企画されたもので、開催期間は2017年1月8日から2月5日までです。チラシには「<古典>への挑戦」というサブタイトルが書かれていましたが、見終えてみると、なるほど見事にこの展覧会のコンセプトが集約されていると思いました。

 こちら →http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkan/exhibition/present/

 これまで源氏絵を見ることはあまりなかったので興味深く、1月26日、出かけてみました。ちょっと早すぎたかと思いながら美術館に着いてみると、10時前だというのに開館を待ちかねるように、多くの中高年女性が美術館入口に並んでいました。10時30分からスタッフによる作品解説が予定されていたせいでしょうか。それとも、大和絵への関心がいま、高まってきているからなのでしょうか、予想外の人群れにちょっと驚いてしまいました。

 解説員は岩佐又兵衛展はいずれ、2時間待ち、3時間待ちの人気が出るようになるのでは、と予測されました。というのも、岩佐又兵衛は、辻惟雄氏の『奇想の系譜』(美術出版社、1970年)で取り上げられた6人の画家のうちの一人だからと説明されました。辻氏によって紹介された画家たちはいずれもその後、日本美術史の大スターになっていったといいます。

 歌川国芳はすでに著名人ですし、伊藤若冲、曽我蕭白なども近年、大きな話題を集めるようになっています。そういえば、生誕300年を記念して2016年に開催された若冲展は長時間待ちの人気を博し、ニュースになったことを思い出します。現代の社会文化状況下では、「奇想」というキーワードでくくられた画家たちの作品が注目を集めやすくなっているのかもしれません。彼らの作品にはおそらく、現代人の心に強く訴えかける何かがあるのでしょう。

 さて、岩佐又兵衛展は2016年7月から8月にかけて福井県立美術館で開催され、引き続き、今回、出光美術館で開催されています。福井県立美術展では図録は完売、増刷が決定されたほど活況を呈したようです。

こちら →http://info.pref.fukui.lg.jp/bunka/bijutukan/tokusetsu/h28_matabe/outline.html

 福井県立美術展でのサブタイトルは「この夏、謎の天才絵師、福井に帰る」です。郷土愛を刺激し、岩佐又兵衛への興味関心をかきたてる絶妙なキャッチコピーです。解説文には、岩佐又兵衛が「浮世又兵衛」の異名を持ち、鋭い観察眼と超絶テクニックで人物画にすぐれた作品を残したと書かれています。この文面からは岩佐又兵衛が「浮世絵師」的な要素の強い画家だったことが推察されます。

 カタログによると、岩佐又兵衛(1578-1650)は、「戦国武将の荒木村重の子として生まれながら、村重の謀反により、文芸や絵によって生計を立てることを余儀なくされた」そうです。そのような経歴の又兵衛はどのような源氏絵を残したのでしょうか。

 会場では、岩佐又兵衛による源氏絵および同時期の関連作品が37点、第1章から第6章に分けて展示されていました。それ以外に織部などの工芸品が13点展示されており、桃山時代から江戸時代にかけての絵や工芸品を鑑賞できる構成になっていました。展示作品のリストをご紹介しましょう。

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■賢木の巻、野々宮図
 展覧会のチラシやカタログの表紙で使われていたのが、又兵衛の「源氏物語野々宮図」です。
 
 解説によれば、これは元来、福井の商家・金屋家に伝わる貼屏風のうちの一つの図でした。水墨を主体に濃淡で表現した作品で、古くは鎌倉時代にさかのぼる技法が使われています。この技法は通常、小さな絵を描く際に使われていたそうですが、岩佐又兵衛はこの技法を使って、大きな画面に光源氏とお付きの者を描きました。上図に見るように、131×55㎝の細長い絵です。

 源氏物語10帖の「賢木の巻」から題材を得た作品で、晩秋のころ、光源氏がかつての恋人、六条御息所を嵯峨野の野宮に訪ね、「榊」のように変わらない恋慕の情を伝えようとしたところが描かれています。解説によると、源氏物語の賢木の巻を絵画化する際、必ず取り上げられるほど有名なシーンだそうです。

 そこで、調べてみると、狩野探幽(1602-1674年)がこのシーンを取り上げ、絵にしていました。

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 風にたなびく秋草など屋外の様子はもちろん、源氏と六畳御息所のいる屋内の様子が逐一、丁寧に描かれています。よく見かける源氏絵の構図です。満遍なく描かれているので、状況はよくわかるのですが、いまひとつ迫力に欠けます。いってみれば、ロングで捉えたエスタブリッシュメントショットですから、全体状況を説明するには適切ですが、見る者を引き付ける迫力には欠けます。

 一方、又兵衛の場合、肝心の六畳御息所を描かず、源氏とお付きの者だけを大きく描いています。しかも、屋外で二人とも一方向を向いて、呆然と佇んでいますから、見る者の想像力を強く刺激します。

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 興味深いのは、又兵衛がこのシーンを描くとき、その背景に鳥居を設定し、しめ縄にぶら下げられた紙垂(しで)が大きく風になびいている様子を描いていることです。「賢木(さかき)の巻」だからこそ、敢えて、鳥居を描き、「榊(さかき)」を類推させる紙垂を描いたのでしょうか。榊は常緑樹の総称とされています。ですから、常に変わらない気持ちを託すには格好のモチーフかもしれません。又兵衛は他の絵師は描かなかったこれらのモチーフを取り上げ、六畳御息所と別れざるをえない源氏の愛惜の情、そして、無事と平安を祈る気持ちを託したのでしょうか。

 よく見ると、源氏やお付きの者の口元にはかすかに紅がさされています。晩秋のころ、すでに寒さが身にしみる季節です。そういうときに屋外で佇み、別れを惜しむ切ない感情がひしひしと伝わってくるような気がします。

 源氏物語の同じ場面を描いた探幽の作品と比較すると、又兵衛の作品の特徴がよくわかります。狩野派、土佐派など当時の正統的な源氏絵の画風は俯瞰して描くか、ロングショットで捉えた構図で描かれています。ですから、どうしても説明的になってしまい、見る者を画面に引き込み、感情移入させる力に欠けます。

 ところが、又兵衛の場合、ヒトの顔を大きく、その所作、装束を丁寧に描いています。しかも、描く対象に肉薄して、最も効果的な場面を切り取り、モチーフを選択しています。いってみれば、感情や情感を表現しやすい構図で、モチーフを構成しているのです。ですから、時代を経ても、描かれた世界が生き生きと見る者に伝わり、強く気持ちを引き込むことができるのでしょう。

■大きな顔、長い顔
 会場で一連の作品を見ていて気付いたことがあります。又兵衛が描く人物はいずれも顔が大きく、長いのです。先ほど、ご紹介した源氏の顔もそうですが、在原業平の顔もそうでした。

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 こちらは彩色されており、顔の表情がはっきりとわかります。豪華な衣装をまとい、気品のある立ち姿が眩いばかりです。在原の業平といえば、百人一首でよく見ている歌人ですが、これまでは座っている姿ばかりでした。今回、又兵衛の絵によってはじめて立ち姿を見ましたが、貴族的な優雅さや気品がとても印象的でした。立ち姿だからこそ描けたのかもしれません。

 もう一つ、印象的だったのが、桐壺貨狄造船図屏風の左隻で描かれた馬を引く下郎たちの顔です。

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 暴れる馬を落ち着かせようと戸惑う男たちの表情がそれぞれ個性豊かに描かれており、引き込まれます。やはり顔が大きく、そのせいか、驚き、戸惑い、うろたえ、恐怖といった感情がよく伝わってきます。この絵を見たとき、どういうわけか、又兵衛は海外の絵を見て、刺激を受けたのではないかという気がしました。それほど、私がこれまで目にしてきた日本画で描かれる日本人の顔とは異なっていたのです。

 業平や源氏の顔が細長く、白く、そして、目も口も小さく描かれているのに対し、これらの男たちは顔は大きく、褐色で、目も口も大きく描かれています。ひょっとしたら、このような描き方の中に、又兵衛は身分の違いを表していたのかもしれません。喜怒哀楽が表に出ないのが貴族の顔だとするなら、庶民の顔には喜怒哀楽が露骨に顔に出てしまうという描き分けです。

 とはいえ、この男たちの顔には生き生きとした人間らしさがあり、引き込まれて見てしまいました。暴れる馬を巡る男たちの表情を個性豊かに描き分けることによって、このときの状況がリアルに伝わってきます。それぞれの顔をクローズアップすることによって、状況を生き生きと描出したのです。そこに、現代に通じるリアリティが感じられました。
 
■花宴
 第1章は土佐光信や光吉など、源氏絵の本流による作品が展示されていました。岩佐又兵衛と同時期に活躍した画家たちの作品で、源氏絵の正統派といえるものです。岩佐又兵衛の源氏絵を把握するには、この正統派の作品と比較すると、本質が見えてくるかもしれません。

 なによりも私が驚いたのは、参考作品として展示されていた岩佐又兵衛の「源氏物語花宴図」です。

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 なんと女性が男性の背後に手をまわしているではありませんか。この絵はいったい、どういう状況を描いたものなのでしょうか。とてもになります。そこで、「花宴」を調べてみました。

 源氏物語第8帖「花宴」では、源氏が花見の宴の後、たまたま朧月夜と関係を持ちます。たった一回の関係ですが、お互いに忘れられず、そのまま1か月が過ぎ、ふたたび、花の宴が開かれました。女性の積極的な姿勢を見ると、この絵はその際の源氏と朧月夜を描いたものだと思われます。

 ところが、同じ「花宴」を題材にしても、土佐光吉は以下のように描いています。

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 男性と女性は距離を置いて配置され、後ろ向きにロングショットで描かれているため、男性も女性も顔の表情は見えません。この絵でわかるのは、雅な御殿の中で男性が女性を見送る恰好で配置されており、立ち去ろうとする女性が扇をもっているということだけです。ところが、これだけの情報でも、この絵がはじめて源氏と朧月夜が関係を持った後、別れるシーンだということがわかります。

 「花宴」では源氏と朧月夜がはじめて関係を持った後、再び会うため、扇を交換しました。ですから、女性が扇を持っていることから、初めての出会いの後、別れるシーンだということがわかります。ロングショットで描かれている絵のように、あまりに婉曲的すぎて、この絵からは源氏や朧月夜の感情は伝わってきません。

 もう一つ、興味深い作品が展示されていました。岩佐勝友が描いた「花宴」です。

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 こちらは源氏と朧月夜が顔を寄せ合い、抱き合っているシーンが描かれています。表情もはっきり描かれています。安心しきって顔を寄せている女性の表情を見ると、これはおそらく、再会したときのシーンを描いたものでしょう。

 さて、3種の「花宴」を見てきました。光吉が描いた絵は「扇」というモチーフがキーになると思いました。源氏物語第8帖を読んでいなければ、この絵を読み解けないからです。光吉に代表される正統派の絵師たちは絵の中に様々な記号を入れ込み、描かれた世界に抽象的な広がりを持たせたのでしょう。形式があり、俯瞰して対象を捉えるという姿勢で描かれた絵は文字が表現する世界とそんなに変わりはありません。読み手の想像力を刺激することに価値を置いているのです。

 一方、又兵衛が描いた絵は「女性が顔を見せている」「女性が男性の背中に手をまわしている」という要素がキーになると思いました。この要素から、この男女の関係で積極的なのは女性であるということ、源氏との一夜の関係だけで朧月夜が夢中になってしまっているという情感が表現されています。クローズアップに近い捉え方でモチーフを描いていますから、見る者が感情移入できる要素が濃厚です。

 そして、勝友の絵は「男女が顔を寄せ合い、抱き合っている」という要素がキーになると思いました。ロングショットで描かれているので、説明的ですが、それを補うかのように、人目を引き付ける要素を加えています。とはいえ、これもどこかの要素が強調されているわけではないので、情感を刺激されるところまではいきません。もっとも、当時はこのような構図だけで大変刺激的だったとは思いますが、絵として魅力的かといえば、又兵衛の構図、モチーフの設定の仕方の方がはるかに魅力的です。 
 
■雅と野卑
 正統派の作品と比較しながら、又兵衛の作品を見てくると、両者の差異が明確になります。正統派の作品が見る者との一定の距離を保つことによって、源氏絵の雅な世界を表現したとするなら、又兵衛はその距離を縮めることによって、源氏絵の中に野卑な世界を見出し、それを表現することによって結果として、見る者の気持ちに強く訴えかけることができたといえるでしょう。

 又兵衛は人物の顔を長く、大きく描き、表情をきめ細かく描くことができるようにしました。顔の表情や所作から、ヒトの感情やその場の情景をリアルに表現することができたといえるでしょう。当時、源氏絵としては異端だったのでしょうが、源氏物語という古典で描かれた出来事を生き生きと甦らせたという点で、又兵衛の画期的な才能を見たような気がしました。この展覧会に「古典への挑戦」というサブタイトルがつけられている理由がよきわかります。

 もっとも、又兵衛の後継者とみられる岩佐勝友の絵に私はそれほど斬新さを感じませんでした。なぜなのでしょうか。再び「花宴」を見ると、説明的という点で、土佐光吉の絵も岩佐勝友の絵も同じようなものなのです。

 見る者との間に距離をなくし、感情移入を強く誘うようなモチーフの選択、構図、描き方を追求していた又兵衛こそ、まさに「奇想」の持ち主であり、挑戦的なクリエーターだったといわざるをえません。

 岩佐又兵衛の作品を見て、”通俗性”のパワーを強く感じました。通俗性の中にヒトの生活があり、日々の息吹があり、生命が宿っているから、見る者の気持ちに訴えかけることができるのではないかと考えさせられました。(2017/1/31 香取淳子)