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藤島武二展:「婦人と朝顔」に見るアンニュイ

藤島武二展:「婦人と朝顔」に見るアンニュイ

■「生誕150年記念 藤島武二展」の開催
 練馬区立美術館でいま、藤島武二展が開催されています。生誕150周年を記念して企画された展覧会で、開催期間は2017年7月23日から9月18日までです。私はたまたま図書館でチラシを見て、この展覧会の開催を知りました。

 手に取って文面を読むと、「藤島は日本近代洋画の牽引者として近年とみに高い評価を受けています」と書かれています。私は藤島武二について、名前を聞いたことがあるという程度の認識しか持ち合わせていませんでした。もちろん、どんな作品があるのか、まったく知りません。ですから、暑い夏の日のひととき、藤島武二の作品を見て、「日本近代洋画」の一端を知るのも悪くないなという気持ちになりました。

 チラシには関連イベントとして、高階秀爾氏による「藤島武二とイタリアの魅力」や、島田紀夫氏による「藤島芸術の装飾性」という講演会についての情報も記載されていました。残念ながら、それらの申し込み締切日はすでに過ぎていました。

こちら →https://www.neribun.or.jp/week_new/detail.cgi?id=201702191487440330

 なかなか時間の都合がつかず、8月24日、ようやく藤島武二展に出かけることができました。練馬美術館の前まで来ると、大きな木の下にポスターが掲示されていましたが、それはチラシの画像を拡大したものでした。

 見れば見るほど、物憂げな表情の女性像です。この絵を見上げてしばらく佇んでいると、まるで明治時代にタイムスリップしたかのように、気持ちまで静寂の中に包まれていきました。こんもりとした木の枝葉の下に看板が掲示されていたせいでしょうか、そのまま、ロマンティックなノスタルジーの世界に浸ってしまいそうでした。

 会場に入ると、藤島武二の作品、約160点が展示されていました。その内訳は、修業時代(1890年ごろ)から晩年(1943年)までの絵画作品、それ以外に、雑誌の表紙絵や他の画家の関連作品などです。全作品が網羅されていたわけではありませんが、藤島武二の生涯にわたる作品が展示されていました。生誕150周年記念展ということだからでしょう。藤島武二を知り、日本の近代洋画を把握するには絶好の機会でした。

 そこで今回は、印象に残った作品を取り上げ、制作の背景なども探りながら、揺籃期の洋画の生成過程について考えてみたいと思います。

■「池畔納涼」
 修行時代の作品で印象に残ったのが、「池畔納涼」です。1898年に制作された油彩画で、東京芸術大学に所蔵されています。

こちら →
(カンヴァス、油彩、152.0×194.4㎝、1898年。図をクリックすると拡大します)

 油彩画ですが、水彩画のような印象が残ります。淡い色調と軽やかな筆のタッチのせいでしょうか、一服の涼風を感じさせます。夏の日の一シーンが二人の若い女性の姿を通して、生き生きと描かれています。藤島武二、31歳の時の作品です。

 池の畔で女性が二人、何やら語らっている様子が描かれています。立っている女性はやや小首をかしげて本のページに見入っており、ベンチに座っている女性はそれを見上げています。一方は髪を肩まで垂らし、他方は髪を結いあげています。ヘアスタイルの違いで年齢の差を表そうとしているのでしょうか。

 二人とも横顔しか見せておらず、表情はわかりません。ヘアスタイルは異なっていますが、似たような面長の顔つきです。平板に描かれた目鼻から、何かを読み取ることはむずかしそうです。

 遠景は池の端を望み、中景に池、そして、やや広めの前景に、二人の女性を配した構図です。遠近法の下で事物の大きさが決められ、配置されているのがわかります。そのせいか、異なるモチーフを多数、入れ込んでいながら、この絵には安定感があります。

 さらに見ていくと、淡い色調の中にも光と影、明と暗がはっきりと描き分けられていることに気づきます。そのせいか、風景に溶け込んだ二人の女性の佇まいがくっきりと浮き彫りにされていることがわかります。

 よく見ると、立っている女性の着物の背や帯、首筋、そして、座っている女性の着物の前身ごろから肩にかけての部分が、それ以外の部分よりもやや明るく描かれています。陽射しの方向に沿って、陰影と明暗がしっかりと描き分けられているのです。ですから、それらの上に夕陽が落ちているのがわかります。目を転じると、木の幹や風にそよぐ葉もまた、同じ側が明るく描かれています。ここでも沈む夕陽の光線がしっかりと描出されています。

■「パッと見」と「じっくり見」
 こうして離れて見ていると、二人の女性の佇まいの様子はとてもよく捉えられているように思えます。ところが、近づいて見てみると、細部の描き方が粗く雑なので、さっと描き流したという印象をぬぐいさることができません。まだ完成していないラフ・スケッチのような印象が残ってしまうのです。ラフに仕上げた水彩画のようで、油絵ならではの奥行きをこの作品から感じ取ることはできませんでした。

 パッと見たとき、私はこの作品をとてもいいと思いました。ところが、しばらく見ているうちに細部の粗さが気になってきました。細部の描き方が粗いので、説得力に欠けるのです。ふと、「神は細部に宿る」という言葉を思い出しました。

 細部の粗さが気になってくると、この絵がなぜ、夕陽の光線の描き方が適切で、遠景、中景、近景のバランスが良く、遠近の取り方が正確なのか、不思議に思えてきました。細部の粗さと釣り合っていないのです。絵の構成や構図の正確さに比べ、絵の具による表現の粗雑さに違和感を覚えてしまいました。

 私がこの絵をパッと見ていいと思ったのは、おそらく、この絵に遠近法、明暗法、陰影法など西洋画の基本技法が取り入れられていたからでしょう。構造体として作品が成立していたからこそ、遠目に見て、瞬間的にいいと思ったのです。ということは、絵の具の使い方、筆のタッチなど、描き方が多少、雑でも、絵の構造を支える技法がしっかりとしていれば、見栄えのする作品になるということになります。

 マクロ的に見る「パッと見」とミクロ的に見る「じっくり見」、共に良いと思えてはじめて、良い作品だといえるのでしょうが、優先されるのは、「パッと見」です。「パッと見」が良ければ、まず、良いと思えてしまうということを今回、実感しました。そして、その「パッと見」の良さを支えているのが、構図であり、構成であり、色調だということも理解することができました。

 さて、この作品を何度も見ているうちに、どこかで見たことのある作品だという気がしてきました。

■黒田清輝「湖畔」
 静かに記憶をたどっていくと、黒田清輝の「湖畔」(1897年制作)に思い至りました。有名な作品なので、誰でも一度は見たことがあるでしょう。会場に展示されていませんでしたが、ネットで探してみました。

 黒田の「湖畔」では、女性の表情が情感豊かに捉えられており、それがこの絵の訴求ポイントになっています。

こちら →
(黒田清輝、69.0×84.7㎝、1897年制作。黒田美術館所蔵。図をクリックすると、拡大します)

 優雅な佇まいで、女性は静かに湖面を見つめています。いったい、何を想っているのでしょうか。この絵を見ていると、つい、描かれた女性の心理にまで踏み込んでいきたくなります。カンヴァスの上に絵の具で描かれた二次元の世界でしかないのに、この絵には、見る者の想像力や感情を大きく刺激する訴求力がありました。

 女性の背景に、湖面や遥か彼方に山々が描かれていますが、それらはあくまでもこの女性を引き立てる役目を担っているに過ぎません。つい、そう思ってしまうほど、この女性の表情と背景に描かれた風景はマッチしていました。

 女性は粋に浴衣を着こなし、凛として涼しげな横顔を見せています。湖面も大きく広がる空も、まるでこの水色の浴衣と一体化してしまったかのように、女性を引き立てています。襟元をやや大きく開け、リラックスして腰をおろしている姿からは、孤高を楽しむ余裕が感じられます。物憂げで、見る者の視線すら拒絶するような女性の表情が印象的で、惹かれます。そこに、他人を寄せ付けない毅然とした精神が感じられるからでしょう。

 黒田の「湖畔」にはこのように、見る者の気持ちをかきたてるものが充満しています。

 そして、藤島の「池畔納涼」を見て、私はこの黒田の「湖畔」を連想してしまいました。その背景には、二つの作品に何らかの類似性を感じたからだと思います。それはいったい、何なのでしょうか。二つの作品を比べてみることにしましょう。

■藤島「池畔納涼」vs 黒田「湖畔」
 まず、浴衣を着て団扇を持った女性をモチーフに、池あるいは湖を背景に、淡い色調で、全体を水彩画のようにさっとまとめているところ、二つの作品はとてもよく似ています。私が、両作品が類似していると思ったのは、単純に、モチーフと全体の色調、構成と構図がよく似ていたからでした。

 先ほども書きましたが、黒田清輝の「湖畔」が1897年に制作されているのに対し、藤島武二の「池畔納涼」は1898年に制作されています。「湖畔」と「池畔納涼」、二つの作品はタイトルまでもよく似ています。まるで、一年前に描かれた黒田の「湖畔」を参考にして藤田が「池畔納涼」を描いたといわんばかりです。「池畔納涼」は明らかに黒田の「湖畔」の影響を受けていると私には思えました。

 ただ、藤田の作品が二人の女性を描き、彼女たちの仕草からその関係を伝えているのに対し、黒田の作品は一人の女性の表情を丁寧に捉え、その心理にまで肉薄しているところが大きく異なります。

 黒田の作品を見ていると、思わず、描かれた女性の境遇や心理を想像してしまいます。髪を結いあげ、襟元を広げて浴衣を着崩しているこの女性はおそらく、既婚者なのでしょう。憂いを含んだ表情が印象的です。ところが、よく見ると、大人びた風情の中に、あどけなさ、あるいは、愛くるしさとでもいえるような表情が垣間見えます。

 そのアンバランスが見る者の感情や想像力を限りなく刺激するのかもしれません。絵としての強さがあるとでもいえばいいのでしょうか。この女性がこの時、なぜ、一人で小舟に座っているのか、なぜ、湖畔にいるのか、等々。見る者に作品の中に深く入っていこうとする気持ちをかき立てるのです。

 一方、藤田の作品からは、夏の日の夕方、二人の女性が語らう情景そのものが強く印象づけられます。それぞれの女性の心理ではなく両者の関係、その場の空気、風、虫の音などが想起されます。見る者はどこかで見たことのある風景を追想し、つかの間、自身の生活を振り返りますが、描かれた女性の心理にまで立ち入ろうという気持ちにはなれません。

 こうして見てくると、色調や構図、筆のタッチからくる印象は似通っていても、メインモチーフの描かれ方の違いによって、観客を引き込む力に差異がみられることがわかります。ひょっとしたら、メインモチーフの細部が丁寧に描かれているかどうかの違いだといえるかもしれません。

■藤島「池畔納涼」は黒田「湖畔」に影響されたのか?
 二人の作品の類似性が気になったので、経歴をざっと調べてみました。すると、二人とも鹿児島の藩士の子弟でした。この作品を描いた時点ではおそらく、藤島武二と黒田清輝には評価し評価されるという相互関係があったのでしょう。そう思って、さらに調べてみると、興味深いことがわかりました。鹿児島から17歳の時に状況して川端玉章や山本芳翠らの画塾で学び、その後は三重県の中学校教員をしていた藤島を、東京美術学校の西洋画科の助教授に推薦したのが黒田清輝だったのです。1896年のことでした。

こちら →http://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8660.html

 もちろん、藤島はそれまでに明治美術会会員となって画才を認められており、何度か受賞もしていました。そして、1896年に白馬会が創設されるとその会員になり、毎年、作品を出品していました。

 興味深いことに、藤島はこの白馬会の第2回展覧会に「池畔納涼」を出品し、第3回展覧会には「池畔」を出品しています。ひょっとしたら、「池畔納涼」では描ききれなかったものを「池畔」で描こうとしたのかと思いました。そこで、ネットで探してみたのですが、この「池畔」という作品を見つけることはできませんでした。ですから、作品を比較して確認することはできないのですが、このことからは、藤島が「池畔納涼」に満足していなかったことが示唆されているといえるでしょう。

 再び、会場に戻ってみましょう。

 会場で、「飛躍」というコーナーに展示されていた作品を見たとき、藤島武二が「池畔納涼」で描ききれなかったものがあるとすれば、それは何かが、突然、わかったような気がしました。

 作品のタイトルは、「婦人と朝顔」です。チラシに掲載され、ポスターにも使われていたあの絵です。この絵を見たとき、私は、黒田の「湖畔」にはあって、藤島の「池畔納涼」にはなかったものが、ここに凝縮して表現されていると思いました。

■「婦人と朝顔」にみるアンニュイ
 この絵をチラシで初めて見た時、不思議な情感が漂っているのに驚いたことを思い出します。明治時代に描かれた作品であるにもかかわらず、現代にも通用する情感が表現されているのに惹きつけられたのです。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 先ほども書きましたが、タイトルは「婦人と朝顔」(油彩、1904年)、藤島が37歳の時に制作されました。この絵をパッと見たとき、この女性の所在無げな目の表情に強く引き付けられました。生きていくことに必死だったに違いない明治時代に、このような表情の女性を目にした意外性に新鮮な驚きを覚えました。この女性にはいわゆるアンニュイな雰囲気が漂っていたのです。

 絵を見てみましょう。

 咲き乱れる朝顔を背景に、やや首をかしげた若い女性が、憂いを含んだ目で見下ろしています。思い詰めているようであり、ただ、ぼんやりしているだけのようにも見えます。黒目がちの大きな目に何かを訴えかけるような強さはなく、むしろ、虚ろな表情が印象的です。そのせいか、正面から顔を描いた絵でありながら、見る者には正視されることからくる圧迫感がありません。

 女性の頼りなげで虚ろな表情からは、けだるさと物憂さが感じられます。そこに、必死で生きる姿勢とは相反する雰囲気がにじみ出ているのです。しかも、この女性は肩を露わにし、衣服を着崩しています。それでも、決してだらしなく見えませんし、ふしだらな感じもありません。理知的な顔立ちのせいでしょうか、それとも、画面全体がいわゆるアンニュイな雰囲気に覆われているからでしょうか。

 いずれにせよ、画家が仰角で捉えたこの女性像を通して、蒸し暑い夏の日の倦怠感がみごとに伝わってきます。一見どこでも見かけそうな生活の一シーンを描きながら、単なる写生にとどまらず、女性の生活状態や心情までも焙り出されています。この作品からは、画家・藤島武二の都会的で繊細な感性を感じずにはいられません。

 「池畔納涼」では、黒田の「湖畔」を超えることはできませんでしたが、この「婦人と朝顔」ではそれに匹敵するぐらいの情感が巧みに描かれていました。文化が爛熟している時にしか現れない、アンニュイな雰囲気が表現されていたのです。

 もっとも、画面をよく見ると、描き方がやはり雑でした。朝顔の花にしても葉にしても、女性の髪の毛にしても衣服にしても、勢いに任せてさっと描いたような印象があります。いってみれば、スケッチです。ですから、顔面の表情はとてもよく捉えられているのですが、背景を含めた周辺の描き方が雑なので、「池畔納涼」で感じた物足りなさを私はふたたび、感じてしまいました。

■近代化とアンニュイ
 そうはいっても、「婦人と朝顔」にはアンニュイな雰囲気が漂っていて、表現の粗さを超えた魅力が醸し出されていました。明治時代の日本では想像できないような世紀末の退廃美が表現されていたのです。フランス語を習い、西洋画を学んでいたとはいえ、まだ留学もしていない時に、藤島がこのような作品を仕上げたことに私は驚きました。

 不思議なことに、世紀末ヨーロッパならではの感性がこの作品にほのかに見受けられるのです。遥か彼方の東洋の島国にいて、なぜ、そのようなことが可能だったのか、近代的な美に対する藤島の感度の鋭さに感心しないわけにはいきません。

 そこで、明治初期の西洋画に関する資料を読んでみると、黒田清輝の「湖畔」に似た構図の作品がありました。幕末に南画を学び、その後、幕府開成所で絵図調出役を拝命した島霞谷という人物の作品で、「バラと扇子を持つ女性像」というタイトルの油彩画です。これは1867~1870年に制作されました。

こちら →
(島霞谷、カンヴァスに油彩、54.5 ×40.0㎝。http://shizubi.jp/exhibition/131102_04.phpより。図をクリックすると、拡大します)

 調べると、島霞谷は幕末から明治初期に近代洋画を手掛けた画家たちの初期メンバーの一人でした。この作品では、広がる青空を背景に、遠景で風景を描き、手前に扇子を持つ女性の姿が描かれています。この女性の表情を見ていると、黒田の「湖畔」の女性の表情、それから、藤島の「婦人と朝顔」の女性の表情とイメージが重なってきます。

 いずれも描かれた女性の顔に、詩情を感じさせる物憂さがみられ、そこはかとなくアンニュイな雰囲気が漂っています。制作年からいえば、島霞谷の作品(1867~1870年)、黒田清輝の作品(1897年)、藤島武二(1904年)という順になります。明治時代に洋画を手掛ける画家はそう多くはなかったはずですから、自分が制作する以前の作品はきっと見ていたことでしょう。何らかの影響は受けていると思います。

 さて、藤島武二は、「婦人と朝顔」を制作した翌年、1905年に文部省から派遣され、フランス、イタリアに4年間、留学することになります。ところが、留学中も帰国後も、「婦人と朝顔」のようなアンニュイな雰囲気が漂う作品は見られませんでした。

 強いて言えば、1904年に制作された「夢想」にやや近い印象があります。「婦人と朝顔」と同様、無造作に、やや肩が露わになった衣服を着ているところが共通していますが、こちらは目を閉じており、肉付きのいい顔立ちのせいか、退廃美とまではいかず、アンニュイな雰囲気も見受けられません。これも留学前の作品です。

 こうして見てくると、「婦人と朝顔」のアンニュイな雰囲気はきわだっていたといえるでしょう。それこそ19世紀末のヨーロッパで見受けられたデカダンスであり、アンニュイといえるものが表現されていたのです。しかも、直にヨーロッパ文化に触れることなく制作された作品でした。ところが、再びその種の絵が描かれることはありませんでしたから、これは藤島の本質を示す作品ではなく、一時的なものだったのかもしれません。

 そこで、年譜と照合すると、藤島が「婦人と朝顔」を描いた1904年ごろはちょうど、与謝野鉄幹・晶子の雑誌の装丁や挿絵を手掛けていた時期でした。表紙絵や挿絵も会場には展示されていましたが、中には、ミュシャを想起させるような作品もありました。ですから、藤島は絵画ばかりではなく、装飾や文学などを通して、世紀末ヨーロッパのデカダンスとの接触があり、アンニュイな雰囲気の作品を制作することができたのではないかという気がします。

 明治時代、日本の洋画の揺籃期に画家たちは、絵画だけではなく、装飾や文学、演劇など、さまざまなヨーロッパ文化の影響を受けていたことが、藤島の「婦人と朝顔」を通して推察されます。

 今回は、「婦人と朝顔」にこだわりすぎて、藤島作品のほんの一部をご紹介できただけですが、とても興味深い展覧会でした。(2017/8/27 香取淳子)

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