■地元のヒトが知らない美術館
シンガポールに新しく美術館が開設されたと聞いて、6月18日、現地を訪問しました。ネットではこの美術館はフォートカニングセンターを改装して造られたと書かれていました。たぶん、フォートカニング公園の中にあるのでしょう。ところが、ホテルのスタッフに聞いても誰も知りません。本当にオープンしたのかどうか不安になってきました。
オーチャード通りを歩いていると、たまたま、歩道橋の傍に美術館が5月30日にオープンしたことを示す垂れ幕がかかっているのが目に入りました。
反対側にも図案の異なる垂れ幕がかかっていました。これだけ人通りの多いところに掛けられているのですから、オープンしたことは確実でしょう。これを見て、ひとまず、安心しました。とはいえ、地図を見ても、どのようにして行けばいいのかわかりません。フォートカニングが広すぎるのです。ただ、シンガポール国立博物館やプラナカン博物館に近いことがわかりましたから、そこのスタッフに聞けば、きっと行き方を教えてもらえるでしょう。
翌日、プラナカン博物館を見学した後、スタッフに「シンガポールに新しくできた美術館の場所を教えてほしい」というと、彼はきょとんとし、ナショナル・ギャラリーならまだオープンしていないといいます。それではなく、フォートカニングに新しい美術館が5月にオープンしたはずだというと、ようやく、「ああ、フランスの美術館ね」といい、行き方を教えてくれました。私はネットで見て、シンガポールに新しく美術館ができたという認識をしていたのですが、シンガポール人の彼にはどうやら新しくできたのはフランスの美術館であって、シンガポールの美術館ではないという認識だったようです。
とりあえず、教えられた道を行くと、途中で道が二つに分岐し、どちらかを選ばないといけません。そこで、通りかかった地元のヒトに聞くと、そんな美術館はこの辺にないといいます。そして、国立博物館に行く道を教えようとしたので、地図を見せて、フォートカニング公園に行く道を教えてもらうことにしました。
■フォートカニングにひっそりと佇む美術館
傾斜のある道をしばらく歩いていくと、木々の遥か向こうに建物が見えてきました。その手前に緑の空間が広く開けています。白いテントのようなボックスがいくつも設えられており、イベントの準備が始まっているようにも見えますが、人影はありません。建物に近づいていくと、オーチャード通りで見たのと同じ図案の垂れ幕がかかっているのが見えました。
ようやく美術館にたどり着いたと思ったのですが、階段を上って目の前のドアを開けようとしても、いっこうに開きません。見渡してみると、周囲にヒト一人いないことに気づきました。どうやらこれは美術館の裏側のようです。表に回ってみると、案の定、美術館のエントランスらしく、人影もありました。
美術館は地下1階、地上2階の建物でした。地下1階にはショップがあり、地上1階に≪Heritage Gallery≫と≪The Collections Gallery≫、地上2階に≪The Features Gallery≫があります。性質の異なる3つのギャラリーで構成されていました。
こちら →http://www.pinacotheque.com.sg/
平日だったからか、それともオープンしたばかりだったからか、来館者はあまりいません。探し当てるのに苦労しただけに、なんとなく拍子抜けした気分になりました。
帰りは正面からスロープを下って行くことにしました。ここは第2次大戦時、イギリス軍の施設として使われていたといいます。そのことを思い起こさせるように、カノン砲など当時の遺物が道の脇にいくつか展示されていました。
美術館を出て、緑のスロープを下って行くと、長い階段に辿り着きます。そこに佇むと、遠くに特徴のあるビルが見えます。マリーナベイサンズです。この美術館がどれほど高いところに位置しているかがわかるでしょう。
見晴らしがとてもよく、シンガポールの街を一望できますし、海までも見通すことができます。第2次世界大戦時にはイギリスの軍事施設であったことを改めて思い起こさせられます。地上からは攻め込まれにくく、敵の様子を監視できる天然の要塞でした。
これだけの地形ですから、この地域を支配しようとする者は誰しも、ここを拠点にしようとしたでしょう。かつては「禁じられた丘」と呼ばれ、1300年代にはマレーの君主が暮らしていたといわれています。園内にはその痕跡を示す壁画が残されていました。
ピナコテーク・ド・パリがシンガポールへの進出先として選んだ地は、これまでシンガポールの要塞として機能してきた場所でした。
■La Pinacothèque de Parisの分館
ピナコテーク・ド・パリは2007年6月にマドレーヌ広場に開設された美術館です。歴史が浅いにもかかわらず、分野を問わないさまざまな企画展で多くの美術鑑賞者の関心を集めているといわれています。
こちら →http://www.pinacotheque.com/
そのピナコテーク・ド・パリがアジアにはじめて分館を開設したのがシンガポールでした。シンガポールが今後、現代美術のアジアのハブになると見込んでのことでしょう。
こちら →http://www.pinacotheque.com.sg/
たしかにシンガポール政府は2000年以降、着々とそのための布石を打ってきました。美術・芸術関連の予算を拡大して定期的に国際イベントを開催するだけではなく、美術品取引のための優遇措置も行っています。美術、芸術に関するヒト、モノ、情報、資本が世界中から集まってくるような環境整備を行ってきているのです。
はたして思惑通りにシンガポールは美術、芸術分野でアジアのハブになれるのでしょうか。
今回、シンガポールの美術館や博物館をいくつか訪問した限りでは、むしろ東南アジアの美術、芸術に見るべきものがあるように思いました。東京で見る日本の美術、芸術とはまた違った文化の味わいがあり、引き付けられたのです。ですから、シンガポールはアジアの美術、芸術分野のハブというよりは、当面、東南アジアのハブとして機能していくようになるでしょう。
そのようなスタンスこそがシンガポールにとってもっとも可能性の高い将来像なのかもしれません。はじめてだったということもあるでしょうが、私もピナコテーク・ド・パリ、シンガポールを訪問し、もっとも見たいと思ったのが、西洋のコレクションではなく、地元の歴史的遺産のコレクションである≪Heritage Gallery≫でした。
■多様性の源泉
実際、≪Heritage Gallery≫にはこれまで見たこともないような遺物が多数、展示されていました。シンガポールが多様な文化、文明の合流点であることがわかります。当然のことながら、展示されていた歴史遺産にはその年代ごとの多様な痕跡が残されていました。新石器時代の石像、ヒンドゥ仏教時代、スーフィーイスラム教時代、そして、中国のプラナカンの時代の遺物といった具合です。
こちら →http://www.pinacotheque.com.sg/heritagegallery.html
ページの下の方にスクロールすると、展示品がいくつか紹介されています。
どれも初めて見るものばかりで興味深かったのですが、私が引き付けられたのはプラナカンの遺物です。プラナカンとは欧米に植民地化されていた東南アジア、特にマレーシアに15世紀以降、何世紀にもわたって移住してきた中国系移民を指すようです。
交易が盛んになってくると、港を中心に中国人コミュニティができ、彼らがもたらした中国文化がマレー文化と融合していきます。とくに注目すべきは宝飾品です。プラナカンによってマレーシアにもたらされました。
こちら →
ショーケースのガラスに「EXIT」という緑色の文字が反射して逆さまに映ってしまっていますが、これは無視してください。
展示されていたプラナカンの宝飾品にはいずれもきわめて手の込んだ細工が施されており、美しく優雅な趣があって、驚かされました。中国の洗練された王朝文化の片鱗が富裕なプラナカンを通して、このような形で残されていたのです。
≪Heritage Gallery≫では、新石器時代からプラナカン時代に至る地元の歴史遺産が展示されていました。それぞれの遺物にはそれぞれの時代の価値観、美意識が如実に反映されています。さまざまな展示品を見ていると、改めて、シンガポールが多様な文化の堆積の下に、都市国家を作り上げてきたことを知らされた気がします。
シンガポールは多様な文化を受け継ぎ、今日の繁栄を手にしました。しかも、現在、大きな発展が予測されている東南アジアの只中に位置しています。今後、どのような形で周辺国と調和しながら、東南アジアの美術、芸術のハブとして機能していくのか、見守っていきたいと思います。(2015/6/26 香取淳子)