ヒト、メディア、社会を考える

2023年

ゴダールを偲ぶ ③:『気狂いピエロ』、ランボー、ジョイス、創作の到達地点

 前回からのシーンに引き続き、見ていくことにしましょう。

■マリアンヌとの逃避行

 パーティから抜け出したフェルディナンは、マリアンヌを送り届け、そのまま、アパートに泊まってしまいます。一夜を共にした翌朝、フェルディナンは隣室で、首にハサミを突き刺されて血を流した男が、ベッドに倒れているのを発見します。

 死体を見て驚く間もなく、フランクがアパートにやって来たので、仕方なく、彼を殴って倒し、二人は盗んだ車で逃亡します。

 フェルディナンはただ、現実から逃避したかっただけでした。ところが、わけもわからないまま、犯罪に巻き込まれてしまったのです。逃げるしか道はなく、そして、犯罪を重ねるしか、逃げ切ることはできませんでした。

 お金のない二人は、給油しても支払わずに逃げ、カフェに入ってはでっち上げの物語を語って小銭を稼ぎ、南へ南へと逃亡を続けます。

 警察の目を欺き、首尾よく逃げおおすには、自分たちの痕跡を消す必要がありました。

 郊外を走っている途中、二人はたまたま、大木にぶつかって自損事故で壊れた車を見つけました。近づいてみると、男女二人が死んでいました。かなり悲惨な事故です。

 二人にとっては、ちょうどおあつらえ向きの事故でした。

 フェルディナンとマリアンヌは事故状況を確認すると、その場に車を停め、ナンバープレートを外して燃やしてしまいます。事故で死んだように装い、自分たちの痕跡を消すためでした。

 黒煙が立ち昇る中、二人は歩いて逃亡を続けます。平原を歩き、川を渡り、やがて、森の中に入っていきます。マリアンヌはぬいぐるみを持ち、フェルディナンはピエ・ニクレのコミック本を持ち歩いています。

 二人とも言葉もなく疲れ切っている様子です。いつまでも歩き続けることはできないでしょう。そう思っていたら、次に、二人がガソリンスタンドで腰を下ろしているシーンになりました。

 疲れた二人はここで、目ぼしい獲物がやって来るのを待ち構えているのです。逃亡を続けるには車が必要でした。

 マリアンヌは道路に目を向け、獲物をチェックしているのに、フェルディナンはひたすら、コミック本を読み続けています。

(※『気狂いピエロ』、2017年、KADOKAWAより)

■ピエ・ニクレ(Les Pieds nickelés )

 フェルディナンが読んでいるコミック本のタイトルは、ピエ・ニクレ(Les Pieds nickelés )で、このフランス語を直訳すると、ニッケルメッキの足ということになります。調べてみると、この「ピエ・ニクレ」は、フランス19世紀末の俗語では、「勤労意欲が長続きしない連中」という意味になるそうです。

 「ピエ・ニクレ」は、ルイ・フルトン(Louis Forton、1879- 1934)が創作したコミックで、雑誌L’Épatantに連載されていました。鼻の尖ったクロキニョル、片目に眼帯を掛けたフィロシャール、あごひげのリブルダングの三人組を軸に展開されるピカレスクです。とても人気にあるコミックで、1934年にフルトンが亡くなると、別の漫画家が引き継ぎ、描き続けたそうです(※ https://note.com/lemmui/n/n4a5836edb54c)。

 ユーモアたっぷりのピカレスクは、時代を越え、世代を越えて、人々の気持ちのはけ口として求められ、楽しまれてきたのでしょう。

 掲載誌も同様でした。雑誌L’Épatantは1939年に廃刊になりましたが、その後も別の出版社に引き継がれ、このコミックは1908年から2015年まで続いたそうです。(※ https://fr.wikipedia.org/wiki/Les_Pieds_nickel%C3%A9s

 さて、ちょっと横道に逸れてしまいました。さっそく、先ほどのシーンに戻りましょう。

 歩き疲れた二人は、車を盗むため、ガソリンスタンドでチャンスを狙っていました。ところが、チャンスが訪れても、フェルディナンはこのコミックから目を外しません。マリアンヌは「ピエロ、フォードよ」といい、「早くして、一人でやるわよ」と犯行を促しますが、「読んでから」と受け流し、動こうとしないのです。

 そういえば、逃避行が始まって以来、フェルディナンはこのコミック本を持ち歩いていました。平穏な日常生活から突如、追われる立場になった彼には欠かせなかったのかもしれません。

 このピカレスク・コミックは、ちょっとした悪事を働くための指南書のようでした。ブルジョワの生活から一転して犯罪者になってしまったフェルディナンにとっては不可欠でした。それまでの自分とは別の自分に気持ちを切り替えるために手放せなかったのでしょう。

 再び、チャンスが訪れました。今度は、デラックスなオープンカーがガソリンスタントに乗り付けたのです。

 恰好の獲物を見つけた彼らは、そっと給油スタンドに近づきます。運転していた男が給油をスタッフに依頼し、助手席にいた女性を伴ってカフェに向かうと、その隙に、マリアンヌは車に乗り込みます。

 一方、フェルディナンは給油が終わるのを待って、車に乗り込みます。マリアンヌが持ち主の上着から抜き取ったお金でスタッフに支払い、そのまま乗り逃げします。

 画面には、「何世紀もが嵐のごとく、消え去った」と字幕が表示されます。

 嵐のような激動の日々が過ぎ、フェルディナンは次第に追い詰められていきます。絶望的な気持ちを表すかのようなセリフでした。

■死の匂い

 助手席でマリアンヌが新聞を読み、二人の犯罪が報道されているのを知ります。フェルディナンに、奥さんが警官に「狂ったとしか思えません」と答えていたことを告げると、「女は捨てられると、すぐ悪く言う」とフェルディナンはつぶやきます。

 そして、「なぜか、死の匂いを感じ始めてる」と言葉を継ぎます。

 「後悔してるんでしょ」とマリアンヌ。

 それには答えず、フェルディナンは「風景や木に死を感じる」といい、「女どもの顔や車にも」とつぶやき続けます。

(※ 前掲)

 現実から逃避しようとして、マリアンヌに関わったフェルディナンは、新聞報道で突如、現実に引き戻されます。妻の言葉を聞いて、自分が置かれた状況を知り、絶望的な気分に襲われたのかもしれません。目にした風景や木、女性や子ども、車などの外界に、自身の気持ちを投影し、救いようのない思いに囚われていました。

 ところが、マリアンヌは至って現実的に、自分たちの置かれた状況を認識しています。「一文無しで、どうするのよ」とフェルディナンを責め、「イタリアまでは無理」と不安感を顕わにします。マリアンヌとしては一刻も早く、フランス国外に出て、安心感を得たいのです。

 それに対し、「行けるところまで、行く」と、フェルディナンは素っ気なく答えます。

 「そこで何をするの?」とマリアンヌは尋ね、すぐに、「兄が見つかれば、お金をもらえるわ」、「そうすれば、ステキなホテルに泊まって、遊びましょ」と、彼女なりの解決策を口にします。

 ところが、運転席のフェルディナンはそれには答えません。マリアンヌの言葉を耳にしながらも、何か別の事を考えているようです。

 突如、後ろを振り返って、マリアンヌを嘲るように、「頭の中は遊びだけ」と言います。

(※ 前掲)

 訝しく思ったマリアンヌが、「誰に言ったの?」と尋ねると、「観客さ」とフェルディナンは思い入れたっぷりに答えます。

 マリアンヌは後ろを振り返って見ますが、もちろん、誰もいません。

 「頭も狂ったのね」とマリアンヌ。気持ちの通じないフェルディナンに愛想が尽き果てたようです。「私は二度と恋なんてしないわ」とつぶやきます。

 このシーンでは、二人の価値観、人生観の隔たりが明らかにされます。

■アンガージュマン(engagement)

 興味深いのは、ゴダールがこのシーンで、観客を映画の展開に巻き込もうとしていたことでした。これまでは、ただ画面を観るだけだった観客を、ここで一気に、物語の展開に巻き込もうとしていたのです。

 初めてこの映画を観た時、私はこのシーンをとても斬新だと思いました。というのも、ここにゴダールらしさを感じさせられたからでした。実存主義哲学の一端を見たような気がしたのです。

 当時、フランス思想界が識者の間で注目を集めていました。サルトル(Jean-Paul Sartre, 1905 – 1980)はその中心人物の一人でした。

 そのサルトルが提唱していたのが、「engagement」という概念です。「参加」と訳されますが、当時はもっぱら、政治的意味合いで使われていました。個人と社会とのかかわりが省察され、人間存在についての意義が論じられていました。

 当時、サルトルを聞きかじっていた私は、社会的状況への参加を「engagement」と捉えていました。ところが、このシーンを見て、映画と観客の間に、「engagement」を組み込もうとするゴダールの意図を感じさせられたのです。

 驚いたことに、ストーリーが進行する画面の中から、主人公が、画面の外側にいる観客に向かって、呼び掛けたのです。これは、一方的に流れる映画の展開に、いっとき、掉さすものであり、観客の意識を喚起するものでもありました。

 それが当時の私の目には、とても斬新に思えたのです。

 このシーンを見た時、私は、サルトルの「engagement」の概念を、この映画に持ち込もうとしているゴダールの試みに刺激されました。

 観客にストーリーへの参加を促すことこそ、まさに、映画における「engagement」といえるものでしょう。このシーンは、ゴダールが作品と観客との間に、積極的な関わり合いを持ち込んだ仕掛けのように私には思えました。

 そして、映画の存在意義を「engagement」の概念を介在させて見出そうとしているところに、当時のフランス思想界の影響を感じたのです。

 ゴダールの知的嗅覚がいかに鋭いか、いかに思想の流行に敏感か、いかに強く、既存の映画セオリーから離れようとしていたかを感じざるをえませんでした。

 さて、このシーンでは、享楽志向でリアリストのマリアンヌと、内省的でロマンティストのフェルディナンが対比されています。

 何もこのシーンに限りません。ストーリーが展開するにつれ、一事が万事、二人の感性や価値観、人生観の大きな隔たりが際立つようになっていきます。

 初めは、マリアンヌの外見や肉体に惹かれたフェルディナンでした。ところが、共に過ごす時間が長くと、徐々に、内面の隔たりの大きさが認識されていくようになったのです。

 お金もなく、破天荒な逃避行を続けていく過程で、二人の感性、価値観、人生観、世界観の違いがことさらに際立っていきました。

 決定的になったのが、海辺での原始的な生活でした。

■辿り着いた海

 郊外を通り過ぎると、二人が乗った車はどんどん人里を離れていきます。

 フェルディナンは、終に何かを悟ったかのように、「10分前は死を嗅いだが、今は逆」とつぶやきます。

 海が見えてきたのです。

 「見てごらん、海だ、波だ、空だ」と、晴れやかな顔つきを見せています。

(※ 前掲)

 マリアンヌは甘えるように、フェルディナンにもたれかかっていますが、その表情はなんともいえず暗く、複雑です。

 一方、フェルディナンは感極まったように、つぶやき続けます。

 「人生は悲しくとも美しい」、

 「突然、自由を感じ、思いのままにできる」

 フェルディナンはどうやら、居場所を見つけたようです。

 ところが、マリアンヌは、フェルディナンの心の底からのつぶやきを聞いても、ただ、「狂ってる」というだけです。

 フェルディナンは、「行きつくとこまで、一直線に走るだけ」というなり、突如、ハンドルを切って、海にジャンプします。

(※ 前掲)

 「地獄の季節」という字幕が画面に被ります。

■地獄の季節

 『地獄の季節』(” Une saison en enfer”)は、フランスの詩人ランボー(Arthur Rimbaud, 1854-1891)の詩集のタイトルです。ランボーがポール・ヴェルレーヌ(Paul Marie Verlaine, 1884-1896)とともにロンドン、ブリュッセルに滞在していた期間(1873年4月から8月)に執筆されました。9編の散文詩から構成されています(※ Wikipedia 地獄の季節)。

 それにしても、なぜ、このシーンに「地獄の季節」という字幕が挿入されたのでしょうか。

 先ほどご紹介した解説によると、『地獄の季節』は、「異端」あるいは「黒人」から構想された詩集でした。つまり、社会に受け入れられず、馴染めず、周縁に置き去りにされた人々の観点から着想された詩集だったのです。

 このことからは、ゴダールは、アウトサイダーとしてのフェルディナンに自身を重ね合わせ、その心情を表現しようとしていた可能性が考えられます。

 アウトサイダーは、周囲からアブノーマルと思われ、「狂っている」の一言で片づけられがちです。非現実的なことを言うと、決まって、そのようにレッテル貼りをされ、非難されるのですが、フェルディナンもまた、逃避行の中で、マリアンヌから何度も「狂っている」と揶揄されていました。

 「狂っている」というのが、どうやら、この映画のキーワードの一つだといえそうです。

 それでは、ランボーの詩集『地獄の季節』と「狂っている」とが果たして、どのように関連しているのでしょうか。

 試みに『ランボー全詩集』(Arthur Rimbaud、鈴木創士訳、河出文庫、2009年)から、「地獄の季節」を拾って読んでみました。

 「地獄の季節」の9編の中には、「狂気」に関連すると思われる詩が2編ありました。「錯乱 I – 狂気の処女、地獄の夫 (Délires I – Vierge folle. L’époux infernal)」と、「錯乱 Ⅱ -言葉の錬金術(Délires II – Alchimie du verbe)」です。

 このうち「錯乱 Ⅱ -言葉の錬金術」にフェルディナンの心情を表していると思われる散文詩がありました。

 「ずっと前から、俺はあり得べきすべての風景を手に入れることができると自信満々で、現代の絵画と詩の名声など取るに足りないものだと思っていた。(中略)まずは習作だった。俺は沈黙や夜々を書き、俺は言い表せないものを書き留めていた。俺は眩暈を定着させたのだった」(※ 『ランボー全詩集』、前掲、p.47-48.)

 念のため、ピックアップした箇所の原文を添えておきましょう。

 「Depuis longtemps je me vantais de posséder tous les paysages possibles, et trouvais dérisoires les célébrités de la peinture et de la poésie moderne.(中略)

 Ce fut d’abord une étude. J’écrivais des silences, des nuits, je notais l’inexprimable. Je fixais des vertiges.」

 ランボーは、可能性のある風景はすべて手に入れることが出来ると思い込んでおり、現代の絵画や詩で有名なものは大したことはないと思っていたようです。そして、なによりも重要なのは、まず習作することだといい、沈黙や夜など、言葉で表現しきれないものを書き留めることによって、その高揚感を固定させたというのです。

 このような解釈が合っているのかどうかわかりません。ただ、ランボーが現代の絵画や詩に見るべきものがないと思い、沈黙や夜など、言葉で表現しきれないものを書き留めていくことによって、眩暈にも似た高揚感を定着させることができたといっているところに、フェルディナンとの類似性を感じさせられました。

 そして、フェルディナンは、海を見つけるのです。

 「ついに、おお、幸福よ、おお、理性よ、俺は黒っぽい紺青を空から引っ剥がした、そして、生のままの光の黄金の火花となって、俺は生きた。喜びのあまり、俺はとんでもなくおどけて気違いじみた表現をとっていた」(※ 前掲、p.56.)

 海を見つけたフェルディナンは、喜び勇んで、車ごと波間に突っ込んでしまいます。まさにランボーの詩のように、「喜びのあまり、とんでもなくおどけて気違いじみた」行動をとってしまったのです。

 まさに、先ほどご紹介した、海に車ごとジャンプするシーンです。

■原始的な生活

 車ごと海にジャンプした後、二人は浜辺で夜を過ごします。

(※ 前掲)

 「月がよく見えるね」とフェルディナンがいうと、マリアンヌは「私には一人の男が見えるわ」と答えます。このシーンでも、ロマンティストのフェルディナンと、リアリストのマリアンヌの違いが浮き彫りにされています。

 二人の間に束の間、訪れた幸せのひと時でした。

 島で原始的な生活が始まると、やがて、マリアンヌは退屈し始めます。「私に何ができるの」、「私は何をすればいいの」と海辺を歩きながら、繰り返します。人のいない生活、自然だけを相手に暮らす生活に耐えられないのです。

 一方、フェルディナンは日記をつけはじめ、原始的な生活の中で得た着想をノートに記していきます。

 「もう何も聞こえない、私は上昇する」、「私は幸福を見た、目の前で」、

 「超自然的な激情で!」、「涙が流れ、しびれるほどに幸福で」、「鼓動は高鳴る」、といった具合に、フェルディナンは、次々と歓喜の心情をつぶやき、ノートに書きつけていきます。

(※ 前掲)

 所在なく浜辺を歩き続けるマリアンは、フェルディナンに近づくと、途端に、大きく声を張り上げます。

 「静かに! 執筆中だ」と、フェルディナンは声を荒げます。

■創作の到達地点

 海辺で原始的な生活をしながら、フェルディナンは本を読み、思いついたことをノートに書き綴っていきます。

 「小説の構想を得たぞ」、「もう、人の生活は書かず」、

 「人生そのものを、ただ、人生だけを書くつもりだ」とつぶやきます。

 それが、フェルディナンが見つけた創作の到達地点でした。

 そして、フェルディナンは観客に向かって、「人々の間には空間と」、「音と色彩がある」といいます。

(※ 前掲)

 いかにも年季の入った高齢者の口ぶりで、フェルディナンは語っています。

 ゴダールによれば、この時のフェルディナンの口ぶりは、俳優であり監督であったミシェル・シモン(Michel Simon, 1897-1975)の声色を真似たものだそうです(※ 前掲、『ゴダール全評論・全発言Ⅰ』、p.607-608.)。

 そういわれてみると、高齢のミシェル・シモンの声色だったからこそ、その人生と見識の重みが、この短いフレーズに込められていたのかもしれません。

 特徴のある声色がこのセリフに、人生そのものがもたらす情感を添えていたのです。

 このシーンでフェルディナンは、「人の人生」ではなく、「人生そのもの」を書くのだといい、さらに、「人々の間には空間と、音と色彩」があるという認識を示しています。

 つまり、人が生きてきた来歴を描くのではなく、人と人との間にあるもの、それも、音や色彩を含めた経験そのものを書くといっているのですが、このセリフを、老いたミシェル・シモンの声色で語らせることによって、ゴダールが抱いている世界観と、究極的で包括的な概念を表現することができていました。

 ゴダールは、言語では言い表せないようなものまでも言語で捉えようとしていました。人と人との間にある空間や音、色彩など、言語化できず曖昧模糊としたものを、言語で包括的に把握しようとしていたのです。そのために、このシーン前後のセリフは敢えて脱文脈化しようとしていたような気がします。

 その一方で、彼はノートに、「自然と向き合う人間」、「言語の描写力」と書きつけていました。創作は言葉によるものでなければならないという思いも強かったのでしょう。

 こうしてみてくると、日々、向き合っている自然、あるいは外界を言葉によって認識し、言葉によって描写し、表現していくというのが、フェルディナンの創作の到達地点であり、また、ゴダールにとっての創作の到達地点でもあったといえます。

 ゴダールは映画製作について、次のように語っています。

 「書くということがすでに、映画をつくるということだった。というのも、書くことと撮ることの間には、量的な違いはあっても、質的な違いがあるわけじゃないからだ。(中略)ぼくにとっては、自分を表現する方法のすべてが互いに密接に結びついているわけだ。すべてがひとかたまりをなしているわけだ。そして問題は、自分に適した側からそのかたまりととりくむすべを知るということなんだ」(※ Jean-Luc Godard、奥村昭夫訳、『ゴダール全評論・全発言Ⅰ』p.490.、筑摩書房、1998年)

 これは、初期の映画4本が製作された後、ゴダールがインタビューされた時に、答えたものです。

 ここでゴダールは、「書くことがすでに映画をつくること」といい、「自分を表現する方法すべて互いに密接に結びついている」といっています。このようなゴダールの考えを知ると、画面の中でフェルディナンが言おうとしていたことの意味がわかるような気がしました。

 それでは、引き続き、フェルディナンのつぶやきを聞いてみることにしましょう。

■キュビズムとの親和性

 創作の到達地点に達したと思ったからか、フェルディナンはさらにつぶやき続け、「そこへ到達するのだ」、「ジョイスが試みたがー」、「我々はもっとよくなるはずなんだ」と語ります。

 「ジョイスが試みたがー」というセリフを聞いて、ゴダールがこのシーンで何を言おうとしていたのかがわかるような気がしました。

 ジョイス(James Augustine Aloysius Joyce、1882-1941)といえば、アイルランド出身の詩人であり、小説家です。『ユリシーズ』(Ulysses, 1922)、『フィネガンズ・ウェイク』(Finnegans Wake, 1939)といった代表作があります。

 バージニア・ウルフなどとともに、ジョイスはモダニズムの作家として知られています。

 そのジョイスが「試みた」ことを、ゴダールは、「我々ならもっとよくなるはず」とフェルディナンに語らせているのです。つまり、言葉の紡ぎ手であるジョイスは文学の領域で実験的方法を試みたが、それは、映画製作者である「我々」なら、もっとうまくできるはずだというのです。

 ジョイスが試みた手法とは一体、どういうものなのでしょうか。

 木ノ内敏久氏は、ジョイスの作品はキュビズムと共通性があるとし、次のような共通点を挙げています。

 すなわち、①時空の概念の変容、②断片・素材の寄せ集めから統一的なイメージをつくるコラージュ、③過去の芸術様式の取入れ、です。

 これらの共通性に基づき、「外の空間は遠近法に基づいた単なる幾何学的媒体ではなくなり、自己認識や経験という内なる精神の働きとつながって、時間と空間の関係が新しく組み直される。現実世界が知的操作により再構成される過程が双方に認められるのである」と総括しています(※ 木ノ内敏久、「ジェイムズ・ジョイスと美学」『ソシオサイエンス』Vol.15. pp.77-92. 2009年3月)。

 つまり、外界は単なる客体ではなく、主体との精神的なつながりの下、知的操作が加えられ、再構成されるという認識でした。これが、モダニズムといわれる潮流の一側面です。

 モダニズムは20世紀前半に終焉を迎えたリアリズムの後に発生した芸術活動ですが、キュビズムの絵画であれ、ジョイスが試みた文学であれ、創作に際しては、認識の多様性あるいは意識の流れが重視されていました。

 『気狂いピエロ』が製作された60年代半ば、ゴダールはそのモダニズムを踏まえ、さらなる表現を模索していました。

■脱文脈の構造

 モダニズムを経たゴダールが、伝統的な語りの方法を採ることはありませんでした。映像と音声で線的な構造の下、物語を紡いでいくという手法は、もはや商業映画でしか見られなくなっていたのです。

 『気狂いピエロ』の後半で、ゴダールは、主人公フェルディナンが日記をつけるという設定にしていました。フェルディナンが内省的な思いを日記に記すとともに、つぶやくという語りの形式です。

 内省的なものであれ、抽象的なものであれ、彼の言葉には人を引き付ける力がありました。そのつぶやきによって、観客は彼の内面を読み、意識の流れを追い、シーンの断片から透けて見えるゴダールの世界観、人生観を把握することができたのです。

 ゴダールはまさに、語りの脱文脈化を図っていたといえるでしょう。

 脈絡のないストーリー展開、意表を突く人物の登場などにも、脱文脈化の意図が見受けられます。もちろん、背景にも、脱文脈化された小道具が使われていました。

 たとえば、後に、マリアンヌが小人をハサミで殺すことを暗示したシーンでは、背後の壁にキュビズムの画家・ピカソの絵が飾られていたのです。

(※ 前掲)

 観客は、小人とマリアンヌがどういう関係なのか、ストーリー展開のなかで小人がどういう役割を占めているのか、皆目、わからないまま、画面を見ています。否応なく画面に参加させられているわけですが、この脈絡のなさが作品に奇妙な厚みをもたらしていました。

 ゴダールはこのように、後半から一気に脱文脈化を進めています。多方向に断片化し、ディテールだけが印象に残る仕掛けの中で、線的構造の下では捉えられない現実を表現したいたのです。

 フェルディナンが発した数々の言葉には、ゴダールの思いが色濃く反映されていました。そこには、当時のフランス思想界、西洋芸術の動向、文学の潮流などが、断片的に散りばめられており、まるでゴダールがフェルディナンに憑依しているかのようでした。

 ゴダールは次のように語っています。

 「プロデューサーたちに言わせれば、ゴダールに映画を撮らせると、ジョイスだとか形而上学だとか絵画だとか、自分の好きなことを語ろうとする、でもその映画にはいつも商業的側面が含まれることになるはず」(※ 前掲、『ゴダール全評論・全発言Ⅰ』、p.508.)

 『気狂いピエロ』はフランスとイタリアの合作映画で、制作費は50万ドルかかっていました。日本円に換算すると、当時は1ドルが360円でしたから、約1億8千万円もかかっていたのです。ところが、制作費を回収しきれず、ゴダールにいわせれば、「経済的には失敗作」でした(※ 『ゴダール映画史』、前掲、p.331.)。

 脱文脈化を追求しすぎた結果といえるのかもしれません。

■ヌーヴェルヴァーグとして評価

 『気狂いピエロ』はフランスとイタリアの合作映画でした。それだけに、もしベルモンドが主演しなければ、製作許可すら取れなかった可能性もありました。ベルモンドはゴダールの前作『勝手にしやがれ』に出演し、一躍、有名スターになっていました。

 『勝手にしやがれ』は、ゴダールが1959年に、ベルモンド(Jean-Paul Belmondo, 1933-2021)とジーン・セバーグ(Jean Seberg, 1938-1979)を起用して製作した作品です。これがヌーヴェルヴァーグの代表作として大ヒットしていました。それに伴い、個性的な俳優ベルモンドがスポットライトを浴びていたのです。

 それまでゴダールが製作した作品の中で、『勝手にしやがれ』ほど、商業的価値が高いものはありませんでした。この映画の商業的成功とベルモンドの起用は、イタリア側プロデューサーを説得するには十分な材料でした。

 ところが、『気狂いピエロ』で、ゴダールはさらに独自色を強めました。シナリオがあっても無いのも同然で、その場で即興的に演出することが多かったのです。すべては撮影の段階で創り出されるというのがゴダールの映画製作のやり方でしたが、それがさらに徹底されたのです。

 俳優が対応しきれないのも無理はありません。

 実際、出演を快諾したベルモンドでさえ、『気狂いピエロ』の撮影中に、「これは映画じゃない」とゴダールにいったことがあったそうです。さらに、この映画のイタリア側のプロデューサーも、「これは映画じゃない」といい、イタリアでは公開しなかったといいます(※『ゴダール映画史』、前掲、pp.330-331.)。

 ちなみに、ベルモンドはその後、ゴダールが出演依頼をしても承諾していません。それほど、『気狂いピエロ』に出演したことを後悔していたのかもしれません。当時、これは映画の概念から外れた映画だったのです。

 もっとも、一部の批評家あるいは識者からはその斬新性が評価されていました。1965年には、先行上映したヴェネツィア映画祭で新進批評家賞、そして、英国映画協会賞を受賞し、ヴェネツィア国際映画祭では金獅子賞にノミネートされました。その翌年の1966年、カイエ・デュ・シネマ最優秀作品賞受賞を受賞しています(※ https://www.imdb.com/name/nm0000419/awards)。

 この作品でゴダールは経済的には失敗したかもしれませんが、ヌーヴェルヴァーグの映画監督として世界に名を馳せたのです。

 ゴダールは次のように語っています。

 「ぼくらには金のかかる映画はつくることができない。テレビにかかわることもできない。だから、ぼくは、自分が今いる場所について、労働について、家族について語りながら、金のかかる映画とかテレビとかに少しも劣らないほどおもしろい映画をつくろうと努めている。ぼくは自分がよく知らない場所については語ろうとしない。あるいは語る場合は、その場所に、ぼくが今いる場所を通過させることにしている」(※ 『ゴダール全評論・全発言Ⅱ』、前掲、p.170.)

 ゴダールのいうように、製作費をかけられないという制約が、ヌーヴェルヴァーグを生み出したのでしょう。即興演出、同時録音、ロケを中心とした撮影といったゴダール独特の手法は、確かに製作費節減になりました。だからといって作品の質が落ちたかといえばそうではなく、作品に瑞々しさや生々しさを添える効果が見られました。

 『気狂いピエロ』は当時、世界の知識層の話題を集め、今に至るまで語り継がれてきました。

 今回、改めてDVDでこの作品を観ましたが、当時、感じた斬新さに少しも陰りがなかったことが驚きでした。半世紀上も前に製作された作品ですが、脱文脈し、画面に観客を参加させようとする仕掛けが興味深く、古臭さを感じさせられることはありませんでした。

 むしろゴダールが採った映画製作の手法は、デジタル化によって線的構造が無効になりつつある現代社会との親和性が高いように思えました(2023/2/18 香取淳子)。

ゴダールを偲ぶ ②:『気狂いピエロ』、アウトサイダー、愛、逃避行

 ■ 原作

 『気狂いピエロ』は、ライオネル・ホワイト(Lionel White,1905-19859)の小説『Obsession』(1962年)を原作に、1965年5月24日から7月17日までの8週間で撮影されました。

 当時、私はこの映画に原作があったとは思いもしませんでしたが、今回、新潮文庫から『気狂いピエロ』というタイトルで訳書が出版されていることを知りました。2022年4月に出版されたばかりの本です。

 山田宏一氏は、次のような解説文を寄せています。

 「ニューヨーク郊外に暮らす38歳のシナリオライター、コンラッド。妻との仲は冷え切り、職も失い、鬱々とした生活を送っていた。ある夜、ベビーシッターの若い娘アリーを自宅へ送ったところ酔った勢いで一夜を共にしてしまい、目覚めると、隣室には見知らぬ男の死体が。どうやら男はアリーの元愛人らしい。かくして、暴力と裏切りと欲望にみちた二人の逃亡劇が幕を開けることに――。運命の女に翻弄され転落していく男の妄執を描いた犯罪ノワールの傑作。ゴダール映画永遠の名作の原作とされる幻の小説がついに本邦初紹介となる」

 私はストーリーを全く覚えていませんでしたが、今回、DVDを観ても、劇画的なストーリー展開にそれほど興味をおぼえませんでした。前回もいいましたように、私がこの映画で覚えているのは、冒頭のシーン、パーティのシーン、そして、ラストシーンだけなのです。

 これらのシーンには、意表を突かれるものがあったからこそ、しっかり覚えていたのでしょうし、感動したからこそ、心に深く刻み込まれていたのでしょう。

 今回、DVDを見返して見て、改めて、『気狂いピエロ』に夢中になっていたのは、ストーリーではなく、ゴダールが創り出したデティールそのものだったことがわかりました。

 前回、冒頭のシーンをご紹介しましたので、今回はパーティのシーン前後をご紹介していきましょう。

 このシーンでは、主人公の置かれた状況、そして、物語が展開するきっかけとなる女性との出会いが描かれています。

 原作では、「妻との仲は冷え切り、職も失い、鬱々とした生活を送っていた。ある夜、ベビーシッターの若い娘アリーを自宅へ送ったところ酔った勢いで一夜を共にしてしまい・・・」となっています。

 映画のストーリー設定は、ほぼ原作に倣っているといえるでしょう。

■ パーティ会場

 それでは、パーティに出かける前のシーンから、見ていきましょう。

●女学生との出会い

 この夜、妻の実家でパーティが開催される予定でした。それに出席しなければならないので、妻は夫を急がせていたのです。

 ところが、男は「僕は行かない」、「子供たちといる」といい出します。

 すると、妻は「フランクが連れて来る姪が、子守りをすることになっているの」といい、男の気を引くように、「女学生ですって」と付け加えます。

 男は「姪だって? どうせコールガールさ」と悪態をつきながらも、子守りを引き受けた姪に関心を示します。妻の思惑通り、男はどうやら、パーティに行く気になったようです。

 妻がその様子を見て、「パパが石油会社の社長を紹介するって」というと、夫は「クビにしたテレビ局を訴えるぞ」と虚勢を張ってみせます。

 妻は、「訴えてもいいけど、負けるだけよ」とさり気なく受け流し、「仕事を紹介されたが、おとなしく受けて」と説きます。

 ここまでのシーンで、男がテレビ局をクビになったこと、妻の実家が裕福で、今夜開催されるパーティでは男の就職先が用意されていること、男は、この妻の夫であり、父である立場にうんざりしていること、などが明らかにされていきます。

 やがて、フランク夫妻がやって来て、姪を紹介されると、妻は子供部屋に案内しながら、「用が出来たら、電話して」と告げています。廊下ですれ違った夫に妻は、「フランクの姪よ」と紹介し、そのまま子供部屋に入っていきます。

(※『気狂いピエロ』、2017年、KADOKAWAより)

 姪と男は見つめ合い、やがて、手を握り合います。

 男の名前はフェルディナン、姪の名前はマリアンヌです。二人は、雇い主の夫と子守りとして出会います。出会った瞬間に惹かれ合ったことがわかる場面です。

 フェルディナンは上着を着ながら、フランクに向かって、「愚かな頭に響く交響曲第5番」と言葉をかけます。まるで運命の出会いだと言っているようなものでした。そして、ベートーベンの交響曲第5番「運命」の有名な一節が流れます。

 当時、この選曲が通俗的だと思いましたが、今回、DVDを見ても同じような印象を抱きました。それまでは画面の一つ、一つに気持ちが引き込まれていたのですが、このシーンで、トーンダウンしたのです。

 さて、ここでは、主要な人物が登場し、主人公を取り巻く状況、社会状況、物語が起こるきっかけ、等々が明らかにされ、今後の展開が暗示されます。

 次に、画面は夜景になって、「妻の両親エスプレッソ邸でのパーティへ」の文字が表示され、いよいよストーリーが動き始めます。

 パーティ会場に進む前に、ちょっと触れておきたい場面があります。

 フェルディナンがまだマリアンヌに出会う前のシーンです。

●消費文化

 夫婦の部屋で、出かける準備をしている妻に向かって、バスローブ姿のフェルディナンがいきなり、「下着をつけないのか」と尋ねるシーンがありました。妻は手に下着のようなものを持っています。

 妻はすぐさま、「新製品のガードル“スキャンダル”よ」といい、広告が掲載された雑誌を見せます。

(※ 前掲)

 ヒップラインを補正する機能のあるガードルが、画面に大きく、映し出されます。

(※ 前掲)

 その画面に、「かつてはギリシャ」、「そして、ルネサンス文明、今やケツ文明の時代だ」という男のナレーションが被ります。

 当時、この場面を見て、私はとても面白いと思いましたが、今回も同じでした。これは、横行する消費文化に対するフェルディナンの反発を示しているだけではなく、ゴダールの思いでもあったのでしょう。

 映画が製作された1960年代半ばあたりから、技術進化に伴い、消費文化が加速度的に浸透していきました。

 このシーンは、浸透する消費文化への批判であり、通俗への嫌悪でした。これが、次のパーティ・シーンへの誘導にもなっているのです。

 それでは、パーティ会場に進みましょう。

●パーティ会場

 夜景に被って、「アルファロメオは、1キロ34秒で走れる」とテロップが表示されます。アルファロメオの宣伝文句ですが、観客はそれを眼にした後、パーティ・シーンに移行します。

 会場の画面全体を覆う赤い色調が斬新でした。

 フェルディナンがパーティ会場に入っていくと、壁を背にして立っている男が、椅子に座っている二人の女性に向かって、うんちくを垂れています。

(※ 前掲)

 「ディスク・ブレーキ、安定感のある走行性」、「比類のない乗り心地」、そして、「確実で速く」、「加速もよく安定している」と続けます。男が延々と話し続けているのは、アルファロメオの宣伝文句でした。

 立っている男が話し終えると、今度は、座っている女性が「若さを保つならー」、「石鹸にオーデコロン、香水もね」、「汗臭さを防ぐなら、“ブランティル”を」、「あれなら一日中、爽快」・・・、と、これまた、身に着ける商品の宣伝文句を語っています。

 男性も女性も、まるでそれしか話題がないかのように、パーティ会場で聞かれるのは、商品の宣伝文句のオンパレードでした。

 冒頭シーンで展開されていた饒舌で、シニカルで、ペダンティックな言葉の群れではなく、常套的で、浅く、表層的で、キャッチ―な言葉の羅列だったのです。それは、活字文化から視聴覚文化への移行を示すものであり、現代文化を象徴するものでもありました。

 そして、この冒頭シーンとパーティ・シーンの言葉の対比の中に、主人公フェルディナンの居場所のなさ、疎外感が巧に表現されていました。

 馴染めないまま、会場をさまよう中、フェルディナンは、なんとか、話し合える人物に出会うことができました。

●サミュエル・フラー監督

 うんざりしていたフェルディナンが目を止めたのが、壁にもたれて、所在なさそうにしているサングラスをかけた男性でした。この場面では、それまで画面を覆っていた赤のカバーははずれ、現実色になります。

(※ 前掲)

 フェルディナンがフランス語で話しかけてみても、通じません。近くの女性が通訳をしてくれて、ようやく、この男性がアメリカ人映画監督のサミュエル・フラーだということがわかりました。撮影のためにパリに来ているというのです。

 サミュエル・フラー(Samuel Fuller、1912 – 1997)は、アメリカの映画監督で、アメリカではB級映画監督と見なされていたようです。ところが、フランスなどでは高く評価され、後に米国本土でも再評価されたといわれています(※ Wikipedia)

 裏社会での取材経験や戦争体験、さらには米国南部での人種差別への取材経験を通し、サミュエル・フラーならではの人間観、世界観が培われたのでしょう。彼の映画は独特のエキセントリックな作風だとされています。

 そのサミュエル・フラー監督が、この場面に登場しているのです。

 彼が『悪の華』を撮っているというと、フェルディナンはすぐさま、「ボードレールはいい」と応じます。

 このやり取りの中に、ゴダールもまた、ボードレールを好んでいることがわかります。

 そういえば、『悪の華』も『気狂いピエロ』も、人間のダークサイドや疎外感、孤独などに焦点を当てて作品化されているところに、共通性があるように思えます。

 それでは、サミュエル・フラー監督はどうでしょうか。

 サミュエル・フラーがこの映画に出演した頃、どのような作品を製作していたかを調べると、該当するのは、『裸のキッス』(The Naked Kiss, 1964年10月29日公開、米国)ぐらいでした。

 この作品は、ネオ・ノワール(フィルム・ノワールの復活版)であり、メロドラマだと分類されています(※ https://en.wikipedia.org/wiki/Neo-noir)。

 暴力、アクション、恋愛のジャンルに位置づけられている作品なのです。

 果たして、どのような作品なのでしょうか。探して見ると、Youtubeにありましたので、ご紹介しましょう。

こちら → https://youtu.be/qGV90a3YHiI

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 確かに、ノワール系の作品です。

 ゴダールは当時、ライオネル・ホワイトの小説『Obsession』を原作に、『気狂いピエロ』を製作していましたから、フラー監督は誰よりも話したい相手だったにちがいありません。

 それを反映するかのように、画面では、フェルディナンが勢い込んで、「いつも映画とは何かを知りたかった」と尋ねています。

 すると、監督は、「映画とは戦場のようなものだ」といい、さらに、「愛」、「暴力」と続け、「つまりは感動だ」と答えています。

 サミュエル・フラー監督ならではの回答です。暴力、非情なアクションがあってこそ、愛が輝き、感動があるというのです。

 『気狂いピエロ』の原作もノワール・フィクションと分類されていました。ゴダールはパーティのシーンでサミュエル・フラー監督を登場させることによって、その後のストーリー展開の伏線を張っていたのかもしれません。

 主人公のフェルディナンは、冒頭のシーン、パーティのシーンでは、インテリの印象でした。ところが、その後の展開では、まるで『俺たちに明日はない』(Bonnie and Clyde, 1967年制作、米国)のような破天荒なロードムービーの主人公に変貌してしまうのです。

 なんらかの伏線を張っておく必要があったでしょう。

 そういえば、『気狂いピエロ』は編集後、しばらく、検閲機関との間でいざこざが続いたようです。というのも、原作の『Obsession』がNoir fictionと位置付けられており、検閲の対象になっていたからでした。

 題名を『気狂いピエロ』に変え、セリフを二か所削除することによって、なんとか上映が認められましたが、当時はまだ18歳未満の入場は禁止されていました(※ Alain Bergala著、奥村昭夫訳『60年代ゴダール』、pp.490-491. 原著2006年、翻訳版2012年、筑摩書房)。

 それでは、再び、パーティのシーンに戻りましょう。

●募る疎外感

 フェルディナンはフラー監督の返答を聞いて、納得したようにその場を去り、再び、会場内をあちこち歩きまわります。

 妻が男とキスしているのを横目で見ながら、そのまま通り過ぎると、画面は再びブルーで覆われ、人々の会話はコマーシャリズムに彩られたものになります。

 ようやくフランクを見つけると、「疲れた」といって、フェルディナンは座り込んでしまいます。

 そして、口を突いて出た言葉が次のようなものでした。

 「見るための目はある」、「聞くための耳も」、「話すための口も」といい、ところが、「全部がバラバラで統一を欠いている気がする」、「一つであるべきなのに」「いくつかに分かれている」といいだします。

 これらのシーンは青で覆われています。

(※ 前掲)

 フェルディナンは周囲に溶け込めず、アウェー感は限度に達しています。このパーティ会場では、統合した自分を維持することができなくなってしまっているのです。どうしていいかわからず、フェルディナンはひたすら、しゃべり続けています。

 聞いていた女性がとうとう、「しゃべりすぎよ、あんたの話は疲れる」といい出すと、フランクもそれに同意して「しゃべりすぎだ」といい、フェルディナンを見ます。

 身近な人からも突き放されてしまいます。

 フェルディナンは「孤独な男はそうなる」と反応し、「家で待っている」と疲れ切ったように、伝えます。

 身の置き所のなくなったフェルディナンにとって、この場から抜け出すしか自分を維持する方法はありませんでした。「孤独」という言葉で逃げ道を作りながら、「家で待っている」とフランクを安心させます。かろうじで社交性を忘れずに、パーティ会場を去ろうとするのです。

 なんの疑いもなく、フランクは素直に車の鍵を渡します。

 この場面は後のシーンの伏線になっています。

■ 現実からの逃避行

●マリアンヌとの再会

 家に帰ると、子供たちを寝かしつけたマリアンヌが、廊下の椅子に座って、うたた寝をしていました。

 ここにも孤独な人がいたのです。

 パーティから抜け出してきたことを訝しがられると、フェルディナンは、「そんな日もある、バカばかり会うと」と答えます。ようやく自分を理解してもらえる人に会った安堵感が、顔からこぼれています。

(※ 前掲)

 夜も遅いので、フェルディナンはマリアンヌを車で送っていくことにします。

 運転席と助手席で交わす二人の姿が映し出され、意外なことが次々と明らかになっていきます。

  「再会なんて、不思議」とマリアンヌがいうと、「ああ、4年ぶりだな」とフェルディナンが応じますが、すぐさま、「違うわ、5年半よ。あれは10月だったから」とすぐに否定されてしまいます。

 このシーンで、フェルディナンは妻と結婚する前に、マリアンヌと付き合っていたことがわかります。

 「結婚したの?」と聞かれ、「金持ちのイタリア女だ。面白い女じゃない」とフェルディナンが答えると、「離婚すれば?」とマリアンヌがけしかけます。

 ごく簡単に妻を説明し、妻との関係も明らかにします。それに乗じて、マリアンヌが思い切った提案をします。

 「そう望んだが、ひどく不精で」といい、「”望む”の中に”人生“がある」とフェルディナンははぐらかすように、自分の生活信条に切り替えて、答えます。

 このシーンで、マリアンヌと知り合った頃、フェルディナンはスペイン語の先生、その後はテレビ局で勤務し、今は無職の状態だということがわかってきます。これは先ほどの妻との会話内容とも呼応しており、フェルディナンが望むようにしか生きていけない人物だということが示されています。

 一方、マリアンヌは自分のことは多く語りません。「フランクとは長いのか?」と聞かれると、「なんとなく・・・、偶然から」と曖昧に答えるだけです。

 フェルディナンが「相変わらず謎めく女」というと、「自分のことを話したくないだけ」といって、気を逸らせるように、ラジオを付けます。

●数値化の進行

 ラジオから「米軍の戦死者は数多いが、ベトコン側にも115名の死者が出た」というニュースが流れてきます。それに対し、マリアンヌは鋭く反応します。

 南北対立が続いていたベトナムで、1964年8月2日、アメリカがトンキン湾事件を起こし、参戦しました。その結果、全面戦争に突入してしまったのです。以後、1975年にアメリカ軍が撤退するまで、北ベトナムと南ベトナムの間で米ソ代理戦争が続きました。

 映画が制作された1965年はその初期段階でしたが、戦況は日々、世界中に報告されていました。戦争被害を聞いても人々は何もすることはできず、ただ、死傷した人々を悼み、悲しむだけでした。

 そのニュースにマリアンヌは鋭く反応したのです。

 マリアンヌは、「無名だなんて、恐ろしい」、「115名のゲリラだけじゃ、何も分からない」、「一人ひとりが人間なのに、誰だかわからない」と怒ります。

 「妻や子供がいたのか」、「芝居より映画が好きなのか」、「何も分からない、戦死者115名というだけ」とつぶやき、無名の人間は数として報道されるだけで、一人の人格を持つ人間として伝えられないことに不満を漏らしています。

 おそらく、ゴダールの思いでもあるのでしょう。

 一人の人間として生きてきた歴史があるのに、ニュースでは死者も、ただ数としてカウントされるだけです。尊厳もなく、ただ無機的に扱われることへの怒りが、マリアンヌの口を通して伝えられます。

 ニュース報道への怒りは、すべてが数値化されてマッピングされる現代社会への反発でもあったといえるでしょう。

●人の尊厳はどこに?

 人はそれぞれ、さまざまな思いを抱き、さまざまに考えを巡らせながら、日々、生きています。そのことを無視し、戦禍の犠牲者すら、単なる数としてカウントされ、報じられることに、マリアンヌは憤っているのです。

 フェルディナンに何を聞かれても曖昧に答え、自分を顕わにしようとしなかったマリアンヌが初めて、素をさらけ出した瞬間でした。

 勢いづいたマリアンヌは、更に続けます。

 そのような報道姿勢は、写真についてもいえることだとし、男が写っている下に添えられたキャプションに言及します。

 「“卑怯者”とか、“粋な男”・・・」、「でも、それが撮られた瞬間」、「彼が何者で、何を考えていたか」、「妻のことか、愛人のことか」、「過去、未来、バスケの試合?」、「誰もわからない」と、日頃、気になっていることを漏らします。

 人を具体的に捉え、伝達できるはずの写真ですら、キャプションとしてステレオタイプなレッテルを貼られ、類別して処理されてしまうことへの不快感が示されています。

 一瞬を切り取って見せる写真も、ニュース報道と同様、対象の内面や来歴に触れることなく、伝えられます。テレビであれラジオであれ、新聞であれ雑誌であれ、マスコミでは全般に、物事が表層的に捉えられ、伝達されます。そのことがやがて、人間性の喪失につながることを懸念しているのでしょう。

 どのような人にも、これまで生きてきた過去があり、いま生きている現在があり、これから生きる未来があります。そのようなことに考えが及んでいないことへの不満は、まさに、数値化され、効率を優先させる現代社会への不満でもあります。

 自分について多くを語らなかったマリアンヌの性格、生活信条などが、このシーンで透けて見えます。

 おそらく、マリアンヌにも、当時のゴダールが投影されているのでしょう。

 「人生も物語のように」、「明晰で論理的で整然としていればいいのに」とマリアンヌはつぶやきます。

(※ 前掲)

 まるでゴダールが乗り移ったかのようです。

■ 映画は、アウトサイダーの居場所か?

 ゴダールは、『ゴダール全評論・全発言Ⅱ』(Jean-Luc Godard、奥村昭夫訳、筑摩書房、1998年)の中で、次のように語っています。

 「映画は人生なんだ。そしてぼくがしたいのは、映画を生きるのとおなじように人生を生きるということなんだ。映画づくりの中でぼくが最も楽しい思いをするのはどういうときかと言えば(中略)、なにかをつくり出していると感じられるときや資金を調達する時だ。映画をつくるという行為が、人生のなかでより臆病ではないやり方でふるまうことを可能にしてくれるときだ」(※ 前掲。p.225.)

 ここでは、ゴダールが映画製作に、自身を確認し、拡張する機能を託していることが示されています。

 「でも、違うのよ」とマリアンヌは言葉を継ぎます。

 実際はそうではなかったということを、ゴダールはいいたかったのでしょうか。

 フェルディナンが、「いや、思う以上にずっと似てる」と返答すると、マリアンヌはどういうわけか、「違うわ、ピエロ」といいます。

(※ 前掲)

 ここで初めて、タイトルの中の「ピエロ」という言葉が出てきます。

 当時、映画のタイトルが、なぜ「気狂いピエロ」なのかわかりませんでした。今回、DVDを見た時も、このシーンでなぜ、マリアンヌが突然、「ピエロ」といったのか、わかりませんでした。

 ところが、しばらく考えてみて、マリアンヌがこの場面で、フェルディナンを「ピエロ」と呼んだことで、「気狂いピエロ」(Pierrot Le Fou)の意味がわかってきたような気がしてきました。

 「気狂いピエロ」とは、おそらく、マリアンヌに無我夢中のお馬鹿なフェルディナンというほどの意味なのでしょう。

 この時、画面の中では、フェルディナンが、「僕は、フェルディナンだ」と言い返しています。ところが、マリアンヌの気持ちの中で、フェルディナンは、自分にぞっこんの「気狂いピエロ」でしかありませんでした。

 というのも、しばらく互いの気持ちを確認しあうような会話が続いた後、やがてフェルディナンはマリアンヌに向かって、「君は美しい、僕のお人形」というようになるからです。愛情の力学の下、二人の関係は、ここで明らかに、支配vs被支配の関係に陥ったのです。

 物語はその後、マリアンヌ主導で展開していくことになります。

 アウトサイダーとしての居場所を見つけるために、二人は現実から逃避し、あてどのない旅に出るのです。

 ゴダールは、『ゴダール映画史(全)』(Jean-Luc Godard、奥村昭夫訳、筑摩書房、2012年)の中で、次のように述べています。

 「私はいつも二つの国(フランスとスイス)の間で生きてきました。(中略)その結果、(中略)辺境というものに関心を持ち、むしろ辺境に自分の位置をとるようになりました。『気狂いピエロ』は私にとって、ひとつの時代の終わりではなく、ひとつの時代の真の始まりだったのです」(前掲。p.299.)

 先ほどご紹介しましたように、ゴダールは「映画は人生だ」といい、最も楽しいのは、「映画をつくるという行為が、人生の中でより臆病ではないやり方でふるまうことを可能にしてくれるときだ」と述べています。

 これらを総合すると、ゴダールは、自分を拡張した人物を登場人物に設定し、彼等の中に自分を投影しながら映画を製作し、自身の人生を試行していたのではないかという気がしてきます。

 そもそも、ゴダールはフランスとスイスを行き来しながら生活し、いつしか、アウトサイダーとしてアイデンティティを確立するようになっていました。そのようなアイデンティティ確立のきっかけになったのが、映画『気狂いピエロ』だったことは注目に値するでしょう。

 今回、ご紹介したいくつかのシーンには、そのようなゴダールの心情が随所で、吐露されていたように思います。(2023/1/30 香取淳子)