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30日

金山農民画に見る、レトロでポップな感覚

■「金山農民画」展の開催

 日中友好美術館で、「金山農民」展が開催されました。開催期間は2019年6月6日から26日、開館時間は10:00~17:00です。6月13日付の日経新聞でこの展覧会の開催を知り、是非とも行ってみたいと思っていたのですが、なんとか都合をつけられたのが6月25日、終了日の前日でした。

 ビルに入ると、すぐ左手に会場が見えました。「中国のレトロ&ポップ」の文字が印象的です。

展覧会

 会場入り口の設えは黄色をベースカラーとし、タイトル通り、「レトロ&ポップ」な絵柄の作品が掲示されていました。なんともいえない懐かしさを覚えたことを思い出します。

 中国の美術に「農民画」というジャンルがあることを知ったのは、6月13日付け日経新聞の「農民の、農民による絵画」というタイトルの記事でした。筆者の陸学英氏によると、金山というのは上海市金山区のことで、「中国三大農民画の郷」といわれているといいます。

 チラシの説明文を読むと、金山農民画は、もともと絵を描くのが好きだった農民たちが余暇時間に描いたのが始まりだとされているようです。会場にはその金山の農民画70点が展示されていました。農民画と聞いて、てっきり、農村風景を写実的に描いた作品だと思い込んでいたのですが、実際はカラフルで装飾的な作品が多く、それぞれ不思議な味わいがありました。

展示作品はどれも農民の生活風景を描いたものですが、便宜上、モチーフの捉え方に沿って、いくつかに分類し、ご紹介していくことにしましょう。

なお、ショーケースの中に展示されていた作品は写真を撮影しにくかったので、壁に展示されていたもののみ取り上げることにします。結果として、建物を描いた作品は取り上げることができなかったこと、また、取り上げた作品の中には照明が反射して写り込んでいるものがあること、等々についてはご了承いただければと思います。

■近景で捉えたモチーフ

 まずは近景でモチーフを捉えた作品から、ご紹介しましょう。

●薬草を採る娘

 会場に入ってすぐ右側の壁に展示されていたのが、「薬草を採る娘」でした。

薬草を採る娘

 画面中央に娘が、正面を向き、手を組み、やや緊張した面持ちでこちらを見つめています。背景には色とりどりの花々、蝶々などの動植物がぎっしりと描かれています。タイトルから推察すれば、これらは薬草の花なのでしょう。画面の左下には花々に埋もれるようにザルが描かれていますし、少女は黒いエプロンをつけています。

 その働きぶりが表彰されたのでしょうか、日焼け防止用の帽子を被り、胸には大きな花のついたリボンをつけています。薬草摘みの作業が評価され、このようにカラフルで美しく描かれているのです。

 この作品からは、農村では労働に応じて表彰されていたことがわかります。三つ編みにした髪に花を飾り唇に紅を挿し、やや緊張した面持ちには晴れがましさとともに恥じらいも見受けられます。まるでハレの日に記念撮影をしているかのような絵柄でした。農村の少女の初々しさが好ましく思えます。

●花と鶏

 まるで西洋画でよく見かける肖像画のように、鶏が横向きで描かれています。鶏が主人公として扱われており、背後に木に咲いた花々が描かれています。これまでに見たことのない絵柄です。

花と鶏

 深い緑色の地を背景に、鶏が中央に描かれ、その周囲に色とりどりの花をつけた小枝が描かれています。鶏の足は奇妙な楕円形のものの上に置かれています。足元は不安定ですが、身体部分は逆三角形のラインで描かれており、安定感があります。

 それにしても、奇抜な絵柄です。普段は地面を徘徊している鶏がどういうわけか、花を咲かせた木の中央に描かれています。木を支える土台であるはずの土が、いくつかの楕円形に分かれて描かれています。下草なのでしょうか、そこには小さな草花が描かれています。鶏がいかに農村の生活にとって大切な存在なのかが、わかるようなモチーフの取り扱いです。鶏も花も枝も装飾的に描かれています。これもまた農村の一光景なのでしょう。

 この作品を見ていると、色とりどりの花は幸せの象徴として捉えられていたのではないかという気がしてきました。

●旬の野菜

 会場の中ほどの壁に展示されていたのが、この作品です。あまりにも装飾的でポップな感覚の画面構成に驚いてしまいました。タイトルは、「旬の野菜」です。

旬の野菜

 色とりどりの野菜が画面いっぱいに隙間なく、描かれています。それぞれの野菜は大きさや色彩を考慮してバランスよく並べられており、とても美しく、つい、見入ってしまいます。

 農村の生活で豊かさをもたらせてくれるのは、野菜であり、その色合いや形状は彼らにとって、まさに美そのものなのでしょう。一つ一つがまるで人格をもっているかのように、丁寧に、個性豊かに、そしてシンプルに描かれていました。

 さまざまな野菜が一枚の画面に収められたこの作品はまるで、農村に住む人々は誰しも、が喜びも悲しみも共有して暮らしていることを象徴しているようにも見えます。さまざまな野菜画面一面に描き切ることによって、農村の価値と、その依って立つ基盤を描くことができたといえます。すばらしい象徴性があると思いました。

■中景で捉えた生態

 それでは、中景で捉えた農村の生態を描いた作品をご紹介しましょう。

●アシの池

 アシの池で遊ぶ5羽の白鳥が描かれています。タイトルは「アシの池」です。

アシの池

 白鳥はアシの生える池を好むようですから、この作品はそのような白鳥の生態を捉えて描かれたものなのでしょう。アシの葉にしても、水草にしても、シンプルな画像を多数、描くことによって、アシの池の様子が端的に表現されています。

 実際は、まるで図案のようなシンプルな画像をコラージュすることによって、一つの作品世界が創り上げられています。使われている色数も少なく、白鳥の白さが印象的です。記号的な要素の強い作品だと思いました。

●雪蓮花図

 展示作品の中では地味な色合いの作品で、印象に残ったのが、「雪蓮花図」でした。


雪蓮花図

 色数が少ないのに、どこかしら華やぎがあり、その一方で、落ち着いた色調で静かな中にも豊かさが感じられる作品でした。華やかさを感じさせられたのはおそらく、蓮の花が大きく明るく描かれていたからでしょうし、豊かさを感じさせられたのは、蓮池の様子が賑やかに描かれていたからでしょう。

 たしかに、蓮の花が咲き乱れているかと思えば、蓮の実がいくつもできており、トンボが飛んでいるかと思えば、蓮の葉の下の水面に、小さな魚が泳いでいます。植物も動物も共に、蓮池の中で調和して生きています。そのことが豊かさを感じさせるゆえんでもあるのでしょう。

 地球上で生きるものは一切合切、このように調和して生きていくのが道理だと訴えかけているようにも見えます。

 考えてみれば、蓮の花が咲く一方で、大きな蓮の実が成っているのは妙な話です。花が枯れてから実がなるのが通常ですから・・・。奇妙といえば、蓮の花は7月から8月にかけて咲くといわれているのに、トンボが飛んでいます。つまり、この絵の中に様々な季節の蓮池の様子が取り込まれているといっていいでしょう。蓮の生態を一覧できるように描かれた作品だといえるのかもしれません。

■遠景で捉えた群像

 それでは、遠景でモチーフを捉えた作品をご紹介しましょう。

●村はずれの魚市場

 村人が作業する光景を描いた作品があります。「村はずれの魚市場」というタイトルの作品です。


村はずれの魚市場

 種類ごとに分類された魚が入った水桶が、画面中央にいくつも置かれ、その間を縫うように、人々が働いています。ホースを持って水を桶に補充するヒト、水桶から魚を取り出しているヒト、会計をしているヒト、等々。画面上方には買い物客が傘を差し、手にかごをぶら下げて並んでいます。子連れのヒトもいれば、女性同士、単身で訪れたヒトもいます。

 右側のテーブルには、重さを量る吊り秤とソロバンが置かれています。魚の重さを量り、値段を計算するためでしょう。そして、会計を終えたヒトは魚をかごに入れたり、手で持ったりして帰っていきます。その手前にあるのは調理台なのでしょう、処理された魚の骨が見えます。

 この一枚の絵から、村の人々が魚を購入する様子がつぶさにわかります。タイトルからすると、どうやらこの魚市場は村はずれに設置されているようです。おそらく、辺り一帯が魚の臭いで充満しているからでしょう。

●納涼

 暑い夏の夕べ、村人が憩うひと時を描いた作品もあります。「納涼」というタイトルの作品です。

納涼

 中央に描かれているのが、家の前に椅子を出し、親子が団扇を片手に涼んでいる姿です。テーブルの上にはスイカとラジカセが置かれています。涼みながら、音楽を聴き、スイカを食べているのでしょう。腹帯だけの子どもがスイカを口に含んでいます。和やかな親子団欒のひととき、家族の後ろを犬が動き回り、周辺はひまわりが大きく花を咲かせています。

 一方、右側の家族は夫婦二人だけで夕涼みをしています。小テーブルにはポットが置かれていますから、お茶を飲んでいるのでしょう。二人とも団扇を手にしています。家々の周囲は実をつけた木々が立ち並び、豊穣がもたらす幸せが描かれています。

 画面真ん中には石の階段のようなものが置かれ、その左下に小さな船が一艘、停泊しています。水上には水連のような花が咲き、どういうわけか、その水連に接するように、画面右側にはかぼちゃがたくさんぶら下がっている棚があります。ありえない設定ですが、別段、違和感はありません。リアリティには欠けていますが、むしろ、農村生活で必要なアイテムが重視されて、描かれているように思えます。

●上海の祝日

 農村のヒトもたまには都会に出かけることもあるのでしょう。上海のにぎやかさを描いた作品があります。タイトルは、「上海の祝日」です。

上海の祝日

 サーチライトがさまざまな方向からカラフルな色を投げかけ、夜空を輝かせています。高層ビルが林立し、その下には新幹線が走り、龍踊を楽しむ人々の群れが描かれているかと思えば、バスが走り、車が走り、人々が歩いている姿が描かれています。さまざまなものが混在する上海の喧騒が、カラフルでイラストのような画像で表現されています。

 目にしたものをすべて一枚の絵に収めているのですが、そこには上海という都市のもつ多様性、先進性、そして、伝統と近代の混在が一目で分かる様に描かれています。真ん中に白い新幹線を配置することによって、カラーバランスが図られ、絵の混雑さが緩和されています。

■俯瞰で捉えた群像

 一連の作品の中で私が興味を覚えたのは、俯瞰で捉えられた群像の姿です。

●カニ獲り

 上海カニで有名なカニ獲りの様子を描いた作品です。タイトルは絵柄そのままの、「カニ獲り」です。

カニ獲り

 河川の何ヵ所かが、波打つような曲線を組み込んで設置された垣根で囲われています。その中に浮かぶ一艘の船には男が一人、櫓をこいでいます。船には大きな籠が置かれ、それ以外の道具は見当たりません。カニは生け捕りにしているのでしょう、籠の口は小さく、中ほどが大きく膨らむ形になっています。捕獲した蟹を逃がさないような構造になっていることがわかります。

 無数の水草の周辺をカニが動き回り、所々、ピンクの花も咲いています。カニの形や大きさが一様なら、水草も花も一様でした。図案化された絵柄が印象的です。

●春雨を干す

 春雨を干す作業が俯瞰画像の中で見事に捉えられています。作品タイトルは、「春雨を干す」です。

春雨を干す

 春雨を干す作業がカラフルに、そして、シンプルに描かれています。干された春雨を吊るすラインが斜め平行にどこまでも延々とつながっており、圧倒される景観が創り出されています。

 黒地を背景に、白く垂れ下がる春雨のラインが、画面の基調を作っています。その狭間で働く色とりどりの衣装を着けた女性たちの姿は、鑑賞者に視覚的な快さを感じさせます。カラーバランスの効果といえるでしょう。

 その一方で、画面を斜めに切り取るいくつもの平行線(春雨を吊り下げた竿のライン)が、静かな作業の中に整然とした動きを生み出しています。生と動、地の黒と春雨の白に対し、働く女性たちのカラフルな装い、色彩の対比が活かされ、シンプルでありながら、動きがあり、リズムも感じられる画面構成になっていました。

●ザリガニ養殖

 「ザリガニ養殖」というタイトルの作品があります。ザリガニを養殖するなど、考えてみたこともなかったので、このタイトルを見て、驚きました。

ザリガニ養殖

 調べて見ると、アメリカザリガニ産業はいま、中国で急成長中の新産業なのだそうです。中国水産学会(2017年)の報告によると、2016年度の総生産量は89.91万トンにも及び、中国はいまや、世界最大のアメリカザリガニの生産国になっているようです。

https://www.sankeibiz.jp/macro/news/180501/mcb1805010500001-n1.htm より)

 それにしても、この作品の構図とモチーフには牧歌的で、しかも、多様な情報が詰め込まれた面白さがあります。

 居宅を中心に、道路や地面を青色で三方向に延びるように描き、そのラインで区切られた三つのゾーンは、地を黄緑色で塗り潰し、川に見立てています。黄緑色の地のゾーンにはザリガニが無数に描かれ、その合間に何種類かの水草も描かれています。

 右側のゾーンには、船から餌を投げる男性が描かれ、居宅から下に伸びる道路では女性が餌を撒いています。居宅を中心に周囲がザリガニの生産拠点になっているのでしょう。家族総出で餌やりをしている光景が描かれています。

 中心部の居宅付近では、トラックが横付けになり、その右には収穫したザリガニを詰めた袋が数個描かれています。収穫したザリガニをこれから出荷するのでしょうか。この一枚の俯瞰図の中に、生産から収穫、そして出荷までの一連の作業が収められていることがわかります。

 家の背後に林のようなものが描かれる一方、家の手前には花を咲かせた大きな木が描かれています。これらは豊穣のシンボルとして描かれているのでしょうか。

●田植えに忙しい五月

 まるで地図のようだと思って近づいて見ると、「田植えに忙しい五月」というタイトルの作品でした。


田植えに忙しい五月

 道路や地面はオーカー色で描かれ、空が黄緑、田は青やモスグリーン、イエローグリーン黄色、黄緑とさまざまな色が使われています。モチーフを識別するため、カラーバランスを考えながら、着色されていることがわかります。

 区切られた田では、それぞれ別々の農作業が行われています。たとえば、左上の田では、数名が横並びになって苗床から、苗の束を作っています。畔道には苗を運ぶ女性が描かれています。その真下の田では、女性が数名、横並びになって苗を植え付けています。そして、その後ろには苗が束ねられて置かれています。

 すでに苗が整然と植えられた田がある一方で、牛を使って男性が土を耕している田もあります。その真下の田では、男性が殺虫剤のようなものを撒いていますし、右上の田では男性が肥料のようなものを撒いています。手前の道路には鍬を担いだり、肥料のようなものを運んだりしている人々が描かれています。

 興味深いことに、画面右下に水車が描かれています。近くの水溜まりから動力で水を汲み上げ、水田に放出している様子が描かれています。水田耕作に欠かせない水がこのように補給されているのです。

 さらに、画面上方を見ると、家々が立ち並び、その背後に、農村の人々を守っているかのように、木々が高くそびえているのが見えます。のどかで平和な農村の田植えの風景が、カラフルにシンボリックに表現されることで、過酷な農作業も実は楽しい側面があるのだと教えてくれているような気がします。

 こうしてみると、農村の田植え時の作業全般が、一枚の絵に見事に描かれていることがわかります。

■日常生活の一コマにドラマを見る

 室内の光景もまた、面白い観点から捉えられていました。二点ほどご紹介しましょう。

●「端午節」

 端午の節句のための粽作りをしている女性の立ち姿が描かれています。「端午節」というタイトルの作品です。


端午節

 テーブルの上に大きな籠が置かれ、その中に出来上がったばかりの粽が次々と詰められています。その右側には粽を包むための笹の葉、そして粽の中に入れる餡が大きな鉢に盛られています。テーブルの下を見ると、大きな酒甕が置かれています。これも端午の節句を祝うために用意されているのでしょう。

 女性は一心不乱に粽を作っていますが、ふと、テーブルの下に目を向けると、脚部に猫が手をかけテーブルの上の餡を狙っています。日常の何気ない光景がユーモラスに捉えられています。

●「逃げ場がない」

 日常生活の中に、ちょっとしたドラマの片鱗がうかがえる作品がありました。タイトルは「逃げ場がない」です。


逃げ場がない

 「逃げ場がない」というタイトルを見て、どういうことかと思い、絵をよく見ると、豪華な料理がセットされたテーブルの下で、鼠が二匹の猫に挟み込まれ、絶体絶命の状況に置かれています。

 左の猫はいまにも鼠の尻尾を捕まえようとしていますし、右の猫は正面から鼠に手をかけようとしています。まさに危機一髪ですが、鼠はおそらく、テーブルの上の豪華な料理をすこしばかり失敬したのでしょう、猫はそれを見逃さず、鼠を前と後ろから挟み撃ちし、根鼠を苦境に追い込んでいます。

 まさに「逃げ場がない」状況です。ドラマティックなシーンが日常生活の一コマの中にあることを教えてくれる作品です。

■投げ網、张美玲vs姚喜平

 「投げ網」というタイトルの作品が二点ありましたので、ご紹介しましょう。

●姚喜平氏の「投げ網」

 全般に色調の暗いのが、姚喜平氏の「投げ網」でした。

投げ網

 上方に一艘の船が描かれ、女性が漕ぎ、男性がそこから網を投げ、魚を捕獲しています。網の中には大きな魚が三匹、入っています。右下や真下にも同様の船が描かれていますが、こちらは網をなげたばかりで円を描いた状況で描かれています。

 陸ではバケツのようなものを持っている女性や子ども、男性の姿が描かれています。家族なのでしょうか、待ちわびている様子がうかがえます。画面の隅は水になびく海草がぎっしりと描かれ、画面の密度を高めています。

 この作品には投げ網漁に関わる人々が過不足なく描かれていますし、色彩のバランス、モチーフの配置なども的確で、状況説明に終わらないものが表現されていました。

●张美玲氏の「投げ網」

 暗い色調の中で投げ網につけられた赤いブイと船をこぐ男性が持つ櫓の赤が画面に彩りを添えています。

投げ網

 画面の中で赤いブイをつけた三つの投げ網がこの作品の中心に位置づけられています。その周辺は遠目に見ると、淡いブルーで色取られ、外周が暗い色調で構成されているように見えます。

 近づいて見ると、黒く見えたのは海草ですべて、一様に垂直に立ち、右から左方向への波に流されているからでした。魚は同じような大きさのものが、投げ網の周辺を回遊しており、そのせいか、そこで渦巻いているように見えます。

 三つの投げ網は三角形状に位置付けられ、それぞれ、黄色の綱で船に結び付けられています。右上の船には二人の男性が乗っており、一人は網を投げ、一人は櫓を漕いでいます。

 右下と真下の船は網を投げる男性が見えるだけです。

 海草が多数、垂直に描かれているせいか、画面が硬直して見えます。その硬直性を緩和させるために、漁網のブイの赤さを強調して描いたのかもしれません。モチーフの配置や色彩バランスにやや密度が欠けるかなという印象を持ちました。

■概念の絵画化

 展示作品全般にシンボリックな描き方がされていると思いましたが、その中でもとくに印象に残ったのが、「母の愛」という作品でした。概念の絵画化が図られているような気がします。

●母の愛

 それにしても、不思議な印象の残る作品でした。「母の愛」というタイトルがつけられていますが、絵柄からはその意味がわかりません。

母の愛

 真ん中に円状の網が描かれ、その中にカエルが多数泳いでいます。円の周縁に、東西南北の方向に4人の女性が配置され、その手前にそれぞれ、オタマジャクシが円を作っています。この絵柄がどういう意味を持つのか、考えてみてもわかりませんでした。

 タイトルを見ると、「母の愛」ですから、カエルがオタマジャクシを守ろうとしている光景なのでしょうか。そう思ってこの作品を見ると、カエルは女性の手元に近づき、噛みつこうとしているものも見られます。まるで、背後のオタマジャクシを庇おうとしているかのように、攻撃的になっています。

 この作品は完全に図案化されています。

 4人の女性が囲い込む網の外は、画面の四隅を結ぶ対角線上の、網の外縁にある部分から四隅まで、それぞれ四本の木の幹が描かれています。四隅を頂点に枝が垂れ下がり、葉が茂っている様子が描かれています。

 幹の焦げ茶色、葉の緑、そしてカエルとオタマジャクシが入ったオフホワイトの水中、ブルーの網、4人の女性の青い服に赤いエプロン、オーカー色の帽子、色の取り合わせの見事なばかりか、それぞれが背景色の黒に調和しています。図案の妙味と卓越したカラーバランスが相俟って、見事な作品になっていました。

 ここでも自然の中のヒトと小動物の関わり合いが描かれています。牧歌的であり、生命の原初的な姿が表現されていました。とてもシンボリックで、色のバランスもよく、図案としても美しいと思いました。

■プリミティブな表現の持つ訴求力

 金山農民画展の展示作品の中から17点ご紹介してきました。いずれもカラフルで大胆な構図、いくつもの視点を取り込んだ斬新な画面が魅力的でした。この展覧会のサブタイトル通り、「レトロ&ポップ」な感覚に満ち溢れた作品を見ていると、どこか懐かしく、そして、心弾むような気持ちになっていくのを感じました。気持ちが解放されていくのがわかるからでしょう。

 レトロな感覚が呼び覚まされたのは、描かれたモチーフのせいかもしれませんし、平坦な描き方のせいかもしれません。もはや目にすることができないような農村の光景だからこそ、懐かしい感情が湧き上がってきたのだと思います。そして、過ぎ去った日々への愛惜の情が喚起され、生きること、生きていくことの原初的な姿に想いを馳せるたからでしょう。

 一見、幼く見える描き方には、プリミティブな訴求力を感じました。画家たちが日常生活の中で見聞きしたことを、素直に受け止め、そのまま表現したからこそ、国境を越え、鑑賞者の気持ちに訴えかける力を持ちえたのだと思いました。

 たとえば、最後にご紹介した「母の愛」という作品の場合、カエルとオタマジャクシの入った網の水槽のようなものは、真上からの視点で描かれています。ところが、その周囲に座る4人の女性の姿は、真上からでも、真横からでも、どんな方向からでも捉えられません。四方に描かれた木も同様です。

 おそらく、ここで描かれたモチーフはすべて、立体であるにもかかわらず、平面で描かれているからこそ、さまざまな視点を一枚の絵の中に混在させても、モチーフは違和感なく調和し、存在することができているのでしょう。

 一連の作品を見ているうちに、このような描き方の中に、私たちがすでに失ってしまった何か大切なものが含まれているのではないかという気がしてならなくなりました。紙であれ、キャンバスであれ、描くという行為は、三次元のものを二次元の世界に置き換えることですが、その際、私たちは三次元の姿をどうすれば、二次元の世界で表現できるのかということを追求してきました。

 ところが、この展覧会に出品された作品はいずれも、三次元のものを二次元のままで表現されており、そこに斬新さが見受けられたのです。ひょっとしたら、二次元のまま表現しても、観客に違和感を抱かせないためのルールがあるのかもしれません。いずれにしても、この展覧会に出品された諸作品を見て、プリミティブな表現の持つ訴求力について考えてみたいという気持ちになりました。(2019/6/30 香取淳子)