ヒト、メディア、社会を考える

20日

アルチンボルドと同時代を生きた画家たち:その作品を見る。

■アルチンボルド展の開催
 現在、国立西洋美術館では「アルチンボルド展」が開催されています。そのせいか、このところ、図書館に出かけても、駅の地下道を歩いていても、アルチンボルドのポスターを見かけることが多く、私も気にはなっていました。そこで、昨日、久しぶりに国立西洋美術館に行ってきました。

 もともと、奇抜な絵柄には人目を引き寄せる効果があります。それが何枚も並べられると、一種のオブジェとして、街の景観にも作用します。例えば、新宿駅の地下道にはこのようにアルチンボルド展のポスターが壁面に飾りつけられていました。

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 このポスターに使われている画像は、連作「四季」の中の「春」です。マドリードの王立サン・フェルナンド美術アカデミー美術館が所蔵する作品で、1563年に制作されました。ですから、作品そのものは古いのですが、この絵柄にはいまなお、人目を引き、ヒトを立ち止まらせるだけの力があります。モチーフの奇抜さ、あるいは、描画手法の斬新さのせいでしょうか、ポスターからは現代社会でも通用する強い訴求力が放たれており、雑踏の中で際立っていました。

 このような目立つ力がヒトを刺激し、行動を喚起します。アルチンボルドの作品には広告手法の王道が仕組まれているといっていいのかもしれません。ちらっと見かけただけで、ヒトの注意を喚起し、興味を持たせ、やがて是非とも見たいという気持ちにさせ、ついには行動に向かわせるといった、一連の心的作用を呼び起こす力が見受けられるのです。商業主義とは無縁の時代に制作されたにもかかわらず、ヒトの気持ちに強く働きかける要素が含まれていることに、私はなによりもまず驚きました。

こちら →http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/pdf/2017arcimboldo.pdf

 上のチラシを見るだけでも、アルチンボルドの作品にはどれも奇想天外なアイデアに満ち溢れていることがわかります。私も、作品から湧きたつ発想のユニークさに惹かれました。しかも、表現方法が斬新で、知的な諧謔性に溢れ、視覚を刺激する色の組み合わせも多彩です。

 ヒトの人生を四季になぞらえて制作された「春、夏、秋、冬」といった一連の作品、さらには、ギリシャ哲学の四代元素になぞらえた「火、水、大気、大地」といった一連の作品、いずれも自然のメカニズムとヒトとを関連づけて作品化されています。それらに共通しているのは、さまざまな要素を組み立てて像を創り上げている力量のすばらしさです。

 まだ、聖書に基づくホリスティックな世界観しか持てなかった時代に、アルチンボルドの作品には、還元主義的な思考法をうかがうことができるのです。そのことが私には驚きでした。

 たとえば、「火(Fuoco)」という作品があります。

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(http://www.attention-a-la-peinture.com/tableaux-grands-peintres/arcimboldo/giuseppe-arcimboldo-le-feu!1!4!275!3311より。図をクリックすると、拡大します)

 これは1566年に制作された作品ですが、火にまつわるさまざまなモノを要素にして、像が組み立てられています。髪の毛は燃え立つ炎で表現され、口元には薪、首筋は蝋燭を立てる燭台があてがわれ、さらには火縄銃のようなものまで、この造形に組み込まれています。火はヒトの生活に必要な燃料であり、灯明であり、ときには、攻撃のための武器としても活用されることが示唆されています。

 この図を見ていると、ヒトが火を見て連想する多様なイメージが次々と思い浮かんできます。それはおそらく、この絵がバラバラなモノを寄せ集めて像を組み立てられているからでしょう。だからこそ、さまざまなモノの寄せ集めにすぎない像に、多様で複雑な現代社会にフィットするテイストが加えられただけではなく、完成した像を読み解く面白さが加えられたのです。改めて、コラージュ技法の持つ力を認識させられました。

 コラージュ技法にはパズルのような知的遊戯性があります。多様な要素を違和感なく一つの像にまとめあげるために、画家には知的な胆力が求められます。その結果、完成した作品には単なる絵画を超えた力が付与されるのではないかと思いました。

■国立西洋美術館の常設展
 国立西洋美術館には、松方コレクションがあり、所蔵作品は常設展で公開されています。私は知らなかったのですが、西洋美術館はこの松方コレクションを保存、展示するために1959年に設立されたものだそうです。川崎重工初代社長の松方幸次郎氏は第一次大戦中にロンドンに滞在していたおり、ヨーロッパの美術品を買い始めました。その後、何度も渡欧し、膨大な数の美術品を収集しました。当時の日本の若い画家たちに西洋美術を見せたかったからだといいます。

 ところが、第2次大戦時にそれらはフランス政府の管理下に置かれ、1951年のサンフランシスコ平和条約によってフランスの国有財産になってしまいます。その後、フランス政府は、日仏友好のためにそれらを「松方コレクション」として日本に寄贈返還することに決めました。その際、必要になったのが、コレクションを収蔵保管し、公開するための施設でした。コルビジェの設計した国立西洋美術館はそのコレクションを受け入れ、保存し、公開するために設立されたものでした。

こちら →https://www.nmwa.go.jp/jp/about/matsukata.html

 今回、国立西洋美術館で企画展に取り上げられたアルチンボルド(1526-1593)は、16世紀に活躍したイタリア・ミラノ生まれの画家です。それなのに彼の作品には、21世紀の画家だといっても通じるような、時空を超えた発想の自由さに満ち溢れています。

 バラバラな素材をコラージュするという表現手法には、極端なまでに分業化が進み、複雑化する一方でフラットになっていく現代社会を表現するには格好の技法なのかもしれません。

 それにしても、16世紀に生きたアルチンボルドがなぜそのような感覚を持ち合わせていたのか、私には不思議でなりませんでした。同時代を生きた画家たちが残した作品を比較すれば、多少は見えてくるものがあるかもしれません。まずは、アルチンボルドと同時代を生きた画家たちは果たしてどのような作品を描いていたのか、探ってみたいと思います。

 本館2Fの常設展「14世紀~16世紀」のコーナーで、彼らの作品の一部が展示されていました。ざっと見る限り、西洋画と一目でわかる没個性的な作品でした。彼らが時代を背負って生き、時代の制約の中で作品を残したことがわかります。同時代に個性を満開させたアルチンボルドとどこが違うのでしょうか。印象に残った作品をピックアップして、見ていくことにしましょう。

■「城の見える風景」(バルトロメオ・モンターニャ)
 このコーナーで最初に目についたのが、「城の見える風景」でした。円形の板に、高低差のある地形の風景が全面的に描かれているのが特徴です。

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(油彩、板(円形)、139.7×139.7㎝、図をクリックすると拡大します)

 解説によれば、イタリアの画家、バルトロメオ・モンターニャの作品で、15世紀から16世紀初頭に制作されたといわれています。ヴェネツィアで絵を学んだそうですが、彼がいつ、どこでいつ生まれたのか、正確なことはわかっていません。

 この絵をよく見ると、前方右手に奇岩を配し、画面の中ほどで人々の住む村をのぞみ、遠方に城を配した構図になっていることがわかります。いわゆる前景。中景、遠景の3層構造になっており、バランスがよく安定感があります。画面の中ほどに人物が小さく描かれていますが、当時としては珍しく、風景がメインモチーフとして描かれています。

 ちなみにイタリア、ギリシャ、スペインなどには奇岩が多いようです。次のような風景を見つけました。これはギリシャ北西部のメテオラにある奇岩ですが、この絵に描かれている地形とよく似ています。

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 モンターニャは実際に目にした光景を描いたのかもしれません。さて、この作品は建物やヒト、木々や岩、道などが同系の色で描かれています。そのせいか全般に、落ち着いた印象があります。しかも、明暗を意識し、影になった部分が丁寧に描き込まれているので、立体感と遠近感が過不足なく表現できています。その結果、どんなに小さなものでも、その形状や位置づけをはっきりと認識することができるようになっています。確実な描写力で、構造的に組み立てられた作品だと思いました。

 この絵を見ると、視線はまず、前景右手の奇岩から、中景の道に向きます。前景の平坦地よりもさらに白っぽい黄土色で描かれているせいでしょうか、ごく自然に視線が移動します。次いで、右上の山から下ってきて左の町の方に向かう広場のようになっている辺りに目が留まります。ここは画面の真ん中やや左寄りですから、観客にとってはもっとも見やすい位置です。

 そこに、槍を持った二人の従者が馬を引いている様子が描かれています。引かれた馬には、毅然として姿勢を伸ばした白い服を着た男性が跨っています。その左手には、3人の女性がこの3人を迎えるかのように描かれています。この絵のもっともドラマティックな部分です。

 ひょっとしたら、この部分に向けて、観客が視線誘導されてくるよう、画家はこの絵の構成を考えていたのかもしれません。

 この絵をもう一度、見てみましょう。全般に落ち着いた色調の中で、比較的明るい色が使われているのは、道あるいは広場です。前景にある奇岩の手前も明るいですが、中景の山頂から下ってくる道筋、そこから広場を経て町に至る道はそれよりもっと明るく描かれています。しかも、明るさに微妙な諧調が施されているせいで、より明るい色調の方に順次、ごく自然に観客の視線は誘導されていきます。

 奇岩のある山の中腹、高低差のある複雑な地形が、同系色の色調で描かれています。ですからさまざまなモチーフが描かれながらも統一感があります。それらのモチーフは明暗を手がかりに明確に区別して描かれ、観客の視線を広場まで誘導します。そして、その広場の先には到着したばかりのヒトを待ち受けているかのように、大きな建物が描かれています。馬上の男性は出迎えた人々とともにこの大きな建物に入っていくのでしょう。そこでいったい何が起きるのか・・・、想像力がかきたてられます。

 建物の背後は一段と暗い色調で描かれており、ひっそりと静まり返っている様子が示されます。木々が連なりの中を通り、丘を登っていくと、ひときわ高いところに聳え立つように、城が描かれています。その背後は山々と雲がたなびく空が描かれています。これが遠景になります。着地点とその上に広がる空が描かれているせいで、安定感のある構図になっています。

 地と天、ヒトと自然、そして、統治の構造を示唆する城、それらを違和感なく収めた壮大な風景画です。空間構成といい、光の巧みにあしらった描写力といい、素晴らしい画力の持ち主です。この絵を描いたモンターニャに興味を覚えてしまいました。帰宅して、ネットで検索してみましたが、ここで見たようなモチーフの作品はありません。彼は聖母子を主題とする祭壇画は数多く描いていますが、風景画はこの作品しか見当たりませんでした。

こちら →https://en.wikipedia.org/wiki/Bartolomeo_Montagna

 この時代はまだ風景画を描くことが画家には求められていなかったのかもしれません。ただ、彼は風景には関心があったようで、聖母子を主題とした作品の中には背景に風景を使ったものがあります。

 1483年に制作された、「The Virgin and Child with a Saint」という作品です。

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 女性の右側に巨大な奇岩、左側には、村に至る道と建物、河のようなものが描かれています。右側の奇岩の背後に建物が少し見えたり、建物の背後に海のようなもの、島のようなものが見えたりしますが、その空間構成は不自然です。メインモチーフの人物と背景としての風景がうまくかみ合っていないのです。背景として風景を使うなら、空に浮かぶ雲と場所を想像させる奇岩ぐらいでよかったのではという気がしました。

 この絵では、風景が未消化のまま取り上げられています。風景を描くフォーマットが定まっていないのです。あらためて、当時、風景をモチーフとして選ぶことは珍しかったのではないかと思いました。まして、風景を全面に出した作品は珍しかったのでしょう、そのような当時の状況を考え合わせると、ことさらに、「城の見える風景」の存在価値が感じられます。

■三連祭壇画「キリスト磔刑」(ヨース・ファン・クレーフェ)
 次に目を引いたのが、三連祭壇画の「キリストの磔刑」でした。三面鏡のように左右に扉がついた額縁です。シンガポールの美術館でこのような三連祭壇画や装置の凝った祭壇画を見たことはありますが、日本で、このような額縁に入った絵を見るのははじめてでした。

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 この作品は、オランダの画家、ヨース・ファン・クレーフェが16世紀前半に制作したといわれています。中央部分には、キリストの磔刑とその下で嘆き悲しむ人々が描かれており、左翼部に男性、右翼部に女性が描かれています。男女はいずれも手を組み合わせて膝まづき、祈っている姿が描かれています。説明によると、左右の翼部に描かれているのは、この祭壇画の寄進者夫妻なのだそうです。

 中央部には背景として風景が描かれています。手前に奇岩が見える山腹、左手に城壁らしいもの、右手にも巨大な奇岩が見えます。そして、遠景左手には城、右手には長く連なる山々といった風景です。説明によると、これはフランドル絵画特有の風景なのだそうです。

 Wikipediaで初期フランドル派を調べてみると、「風景画は独自の発展を遂げており、単独で描かれることもあったが、16世紀初頭までは肖像画や宗教画の背景の一部として小さく描かれることの方が多かった」と書かれています。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E6%9C%9F%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E6%B4%BEより)

 クレーフェが描いた作品は宗教画が多かったそうですが、その中に、上記で書かれているような初期フランドル派の特徴を備えたものがありました。いわゆる聖母子像をテーマとしたもので、「処女と子ども」というタイトルの作品です。

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(https://en.wikipedia.org/wiki/Joos_van_Cleveより。1535年制作。図をクリックすると、拡大します)

 クレーフェは宗教画の中でもとくに、「聖家族」や「処女と子ども」といったタイトルの作品を多数、描いていたそうです。英語版Wikipediaに掲載されていたのが、この作品です。子細に見てみると、最前面に描かれているのが、錦織の布で作られた枕です。この枕の上に赤ん坊(子ども)を座らせる格好になっているのですが、子どもの描き方に比べ、枕の描き方は驚くほど精緻です。

 これは初期フランドル派の特徴の一つなのでしょうか。

 一方、この女性は宝石のような輝かしい赤の布を羽織っています。その赤色と赤ん坊(子ども)に飲ませている赤ワインの色が同じです。このように同じ赤色をあしらっているのは、赤ん坊(子ども、実はキリスト)の未来の苦難、血、聖体の象徴としているからだそうです。

こちら →https://en.wikipedia.org/wiki/Joos_van_Cleve

 このように絵に寓意性を含めるのも、初期フランドル派の特徴の一つだそうです。そして、この絵の背景には風景が描かれています。女性の背後に大きな柱が見えますから、おそらくこの聖母子は柱廊(ロジア)にいるのでしょう。そのロジアの背後に山並みの広がる風景が描かれています。寓意を込めるだけではなく、精緻な筆致で描いた背景を添えることによって、宗教画にリアルな説得力を持たせようとしているように思えました。

■アブラハムとイサクのいる森林風景(ヤン・ブリューゲル(父))
 最後に目についてのが、「アブラハムとイサクのいる森林風景」という作品です。絵に込められた物語に風景の持つ効果を潜ませ、静か説得力を持たせることに成功した作品だといえるでしょう。

 この絵は1599年に制作されました。画家を輩出したブリューゲル家は子どもや孫に同じ名前を付けているので、間違えやすいのですが、この絵の作者は、ちょうど、いま、「バベルの塔」展覧会が開催されているピーテル・ブリューゲルの息子のヤン・ブリューゲル(父)です。その息子もヤン・ブリューゲルなので、区別するため、こちらはヤン・ブリューゲル(父)と表記されています。

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 巨大な木々の生い茂る森の中を、数人のヒトが歩いている様子が描かれています。解説によると、ロバに乗った高齢者がアブラハムで、その手前で薪を抱えて歩く若者がイサクなのだそうです。神から息子のイサクを捧げるよう命令されたアブラハムが、イサクとともにモリアに行く旅の途中の光景だと説明されています。

 聖書の中の有名な物語ですから、これまで多くの画家たちがこれを題材に絵を描いてきました。多くの画家たちは、この物語の核心部分、すなわち、アブラハムがイサクを殺そうとする瞬間、天使が現れ、ストップがかけられるというシーンを描いてきました。

 ところが、ヤン・ブリューゲルは、森林の中を歩いていくアブラハム一行を描いています。聖書の物語を絵画化する際、ドラマティックなシーンを敢えて避けたのです。彼は日常の一シーンを使って、その悲劇性を表現しようとしました。つまり、老いたアブラハムをロバに乗せ、自分は燃料の薪を拾い集めながら、先頭を歩いている健気なイサクの姿を巨大な木々の生い茂る森林とともに描いたのです。

 この光景から浮き彫りにされるのは、イサクの孝心であり、老いた父を思いやる優しい心遣いです。ですから、そのイサクを殺すよう命じられたアブラハムの悲劇性がいっそう強まります。

 英語版Wikipediaでみると、ヤン・ブリューゲル(父)は、花や花飾りをモチーフにした静物画を数多く描いており、独自の境地を切り開いていたことがわかります。おそらく優しい心根のヒトだったのでしょう。

こちら →https://en.wikipedia.org/wiki/Jan_Brueghel_the_Elder

 風景については父のピーター・ブリューゲルが遠ざかるにつれ道が狭くなっていくという描き方で距離を表現しました。ところが、息子のヤン・ブリューゲルはそれをさらに発展させて、前景、中景、遠景という観点から構造的に距離を表現する方法を確立させました。

 父と同様に、村の風景、人々の逸話、着飾った農民の振る舞いなども描き続けました。ヤン・ブリューゲル(父)の風景描写には強い物語性があり、精緻な描写力でのちの風景画家に大きな影響を与えたといわれています。

 そのヤン・ブリューゲル(父)が新たに生み出したのが、「エデンの園」というサブジャンルの絵画です。これは風景画と動物画の組み合わせで構成する作品で、ヤン。ブリューゲルの才能をいかんなく発揮できるジャンルでした。たとえば、次のような作品があります。

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 この作品のタイトルは「The Garden of Eden with the Fall of Man」です。一連の「エデンの園」一つですが、これは1613年に制作された作品です。画面全体から、精緻な筆致と多彩な色遣いが湧きたつようで、圧倒されます。木々が生い茂り、その枝には実がなり、花が咲いています。その周辺には、大型動物や小動物、鳥やヘビ、さまざまな動物が自由に行きかい、一緒に平和に暮らしている様子が描かれています。

 奥の方に小さく人間の男女が描かれています。おそらくアダムとイブなのでしょう。ヒトもまた生物の一つとして自然界の中で捉えられています。ブリューゲルの自然観、人間観、世界観がここの凝縮されているといえます。

■アルチンボルドと同時代を生きた画家たち
 常設展の「14世紀から16世紀」のコーナーで展示されていた作品は、聖書を主題にした作品が多く、いわゆる西洋画というイメージにふさわしいものばかりでした。モチーフにしても描き方にしても、うっかりすると、古色蒼然としたという表現に集約されてしまいそうな作品でした。

 ところが、立ち止まってよく見てみると、諸作品からは彼らが生きた時代が色濃く浮き上がってきます。絵の背後から、時代や社会に拘束されて、表現活動を展開せざるをえなかった画家たちの置かれた状況が浮き彫りにされていたのです。画家たちは個性よりも、慣習や当時の社会状況に従って、モチーフを選択し、描いていたことがわかってきました。

 今回、取り上げた画家たちは、前代から受け継いだ技法で、要請されたモチーフを描き続けました。そうしながらも、彼らは密やかに、描きたいと思ったモチーフや表現技法を少しずつ取り込んでいきます。一見、没個性的に見える絵画の中に、その種の試みを垣間見ることができたとき、私は彼らになんともいえない愛おしさを感じてしまいます。

 歴代の皇帝に愛されたアルチンボルドは天賦の才能を思う存分、発揮することができました。ですから、その作品からは豊かな感性と知性、諧謔性、斬新性が強烈に匂い立ってきます。21世紀のいまなお、ヒトを引き付けて離さない魅力があります。

 それに比べ、常設展の「14世紀から16世紀」のコーナーで展示されていた画家たちには、時代を超えて跳躍する奇才は見られませんでした。むしろ、時代や社会状況の制約を受け入れ、愚直に生きた姿勢が伝わってきます。彼らが生きた時代が忠実に記録されていましたし、中には、当時の表現世界を一歩、前進させる力を持ったものもありました。時代を超えられなかったがゆえに手にした成果といえるかもしれません。

 今回、国立西洋美術館で開催されている「アルチンボルド展」は、常設展の「14世紀から16世紀」で展示されている作品と対比して鑑賞すると、より深い味わいを得られるかもしれません。(2017/7/20 香取淳子)