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18日

ロメロ・ブリット展:コマーシャリズム、陽気、楽観的世界観

■ロメロ・ブリット展
 7月1日、西武ギャラリー(西武池袋本店別館2F)で開催中(2016年6月22日-7月4日)のロメロ・ブリット(ROMEO BRITT)展に行ってきました。展示作品は、この展覧会のための新作に加え、原画、立体作品、海外有名人のポートレートなど約110点でした。

こちら →https://www.sogo-seibu.jp/pdf/seibu/010/20160622_romero-britto.pdf

 2016年夏、ブラジルのリオデジャネイロで南米発の夏季オリンピックが開催されます。今回のロメロ・ブリット展はそれにちなんだ企画でした。彼はブラジルを代表するポップアーティストで、2016年夏季ブラジルオリンピックでも、グローバルアンバサダーを務めています。

こちら →
http://www.britto.com/downloads/newsandevents/pressreleases/Romero_Britto_Named_Ambassador_to_2016_Olympic_Games_in_Rio.pdf

 この展覧会に行くまで、私はロメロ・ブリットのことを知りませんでした。招待券をもらったので、ネットで調べてみると、彼は1963年にブラジルのレシフェで生まれたポップアーティストで、現在、53歳です。西武デパートに出かけたついでに立ち寄ってみたのですが、世界的に著名なポップアーティストのようで、彼の作品はブラジル国内にとどまらず、世界100カ国以上の美術館、ギャラリーで展示されているようです。

こちら →http://www.britto.com/front/biography

 会場に入った途端に、陽気で楽しく、遊び心に富んだ独特の世界に引き込まれてしまいます。どの作品も、子どもはもちろん、大人でさえ、浮き浮きとさせられてしまう活力に満ち溢れているのです。おそらく、そのせいでしょう、ロメロ・ブリットは、アウディ、ベントレー、コカ・コーラ、ディズニー、エヴィアンなど、さまざまな有名ブランド企業と提携しています。

 たとえば、ディズニーのミッキーマウスも、ブリットの手にかかれば、次のようになります。

こちら →ミッキーマウス
(MICKEY’S NEW DAY, 2013、図をクリックすると拡大します)

 空にはハートマークが飛び交い、地面には文字のような、子どものいたずら描きのようにも見えるものが描かれています。ミッキーマウスとミニーマウスの背景に、ブリットならではの遊び心が加えられていることがわかります。こうして、ちょっとしたアイデアを加えるだけで、見慣れたディズニーのキャラクターが新鮮に見えてきます。

 これはほんの一例ですが、これを見ていると、さまざまなブランド企業がロメロ・ブリットと提携したがるのもわかるような気がします。既存のキャラクターやロゴに、ロメロ・ブリット風味を加えるだけで、企業のブランドイメージを刷新し、甦らせることができているのですから・・・。

 ロメロ・ブリットもまた、これらの提携事業によって、ポップなセンスにさらに磨きをかけ、現代社会での吸引力を増しています。グローバル社会に有効なブランド戦略を通して、両者にwin-win関係が築かれているように思えました。

■マティス風、ピカソ風の作品
 近年の作品には予想を超えて興味深いものがいくつかありました。ある時期のマティスやピカソの作品に影響されたと思われる作品です。ご紹介していくことにしましょう。

 たとえば、会場の入口近くに展示されていたのが、『Le Monde』(1016×648㎜、2014)です。

こちら →IMG_2328

 顔から首、そして、肩から下にかけて、真ん中で二つに分割され、色分けして描かれています。目と乳房は色も形態も異なって描かれ、アンバランスで不安定な雰囲気が醸し出されています。さらに、首から肩にかけての右半分、左の乳房を新聞の切り抜きで構成されており、斬新な現代性が感じられます。

 この作品のルーツを辿れば、マティスに行きつくのかもしれません。顔を真ん中で二つに分割し、左右で色分けしたところなど、マティス(1869-1954年)の作品、『マティス夫人(緑の筋のある肖像』(1905年)に似たところがあります。

 大胆に単純化し、平面的に構成し、色彩を強調したところは、マティスのさらに後年の作品、『PORTRAIT OF LYNDA DELEGTORSKAYA』(1947年)によく似ています。

こちら →tr
(http://www.henri-matisse.net/paintings/eh.htmlより)
(図をクリックすると拡大します)

 ピカソ(1881-1973年)には、さらによく似た作品があります。シュールレアリズムの時期に描かれた作品で、『本を持つ女性』(1932年制作)です。

こちら →woman-with-book-1932
(http://www.wikiart.org/en/pablo-picasso/woman-with-book-1932より)
(図をクリックすると拡大します)

 単純化され、図案化された顔や胸の描き方、鮮やかで洗練された色彩の配置など、この作品にも、最近のブリットの作品に通じるものがあります。ポップアーテイストのロメロ・ブリットはおそらく、シュールレアリズム期のマティスやピカソの影響を受けていたのでしょう。

■コラージュの力
 入口近くに展示されていた三点の女性像はいずれも新聞の切り抜きを多用したコラージュ作品です。その中で、モチーフを単純化し、歪曲化し、平面的に構成した画面の中で色彩の力を際立たせることによって、都会的で洗練された美しさが感じられる作品もあります。

 たとえば、『Marilete』(1016×597,2015)です。

こちら →IMG_2329
(図をクリックすると拡大します)

 髪の毛の部分はすべて新聞の切り抜きで構成されており、とくに向かって右半分の顔下から首にかけては新聞の写真です。顔と首は真ん中で二つに分割され、右半分が白、左半分が灰色で着色されています。目も菱形である点で左右、共通しているのですが、虹彩部分の色は左右で逆になっています。

 興味深いのは首の部分で、荒いタッチがまるで子どものいたずら描きのようです。紫色の背景の下からはみ出すように、新聞の文字が見えています。そのような背景処理の中に野性味が感じられる一方、この女性の物憂い表情からは、都会的で、知的な印象を受けます。この絵は現代社会の不確実性、非現実性、非身体性が巧みに描出されており、展示作品の中でもっとも心惹かれた作品でした。

 次のような作品もあります。

こちら →IMG_2330
(Pernambucan, 1016×648, 2014)
(図をクリックすると拡大します)

 この作品では顔の右半分に新聞の切り抜きが使われ、その上部は写真で構成されています。よく見ると、首から胸、右上腕部など肌が見えているところは新聞の切り抜きが透けて見えます。新聞の切り抜きの占める割合が画面全体から減っているのに反し、三角や台形など、直線で構成された図形が多用されています。しかも、補色関係にある原色が相互に引き立つように配置されているので、ポップな印象が強化されています。

 極端に単純化したモチーフに文字や図形を配置し、多様で多元的な世界を生み出しています。このような表現から、ブリットがきわめて繊細で洗練されたセンスの持ち主だということがわかります。だからこそ、複雑で人工的な現代社会を的確に掬い上げ、優しく浮き彫りにしていくことができたのでしょう。

■フリーダ・カーロのポートレート作品
 たまにはポップアートを見るのも悪くはないと軽い気持ちで、書店に出かけたついでに会場を訪れたのですが、さらに興味深い発見がありました。

 マリリン・モンローやエリザベス女王など有名人のポートレート作品が展示されているコーナーに、メキシコの女流画家フリーダ・カーロを描いた作品があったのです。ブリットが描いたフリーダ・カーロは、私が彼女に対して抱いていたイメージとはまったく異なるものでした。

 フリーダ・カーロについてご存じない方のために、簡単に説明しておきましょう。

 ドイツ人の父とメキシコ人の母との間に生まれたフリーダ・カーロ(1907-1954年)は、子どものころに患った急性灰白髄炎のせいで、足の成長が止まり、以後、やせ細ってしまったそうです。さらに、18歳のとき、バス事故に遭遇し、その後も後遺症で悩まされ続けたといいます。絵に目覚めたのはそのころで、以後、彼女は画家としての道を歩むようになります。

こちら →フリーダ・カーロ
(Wikipediaより)

 見栄えのしない体躯を隠すためか、フリーダ・カーロはメキシコの民族衣装を着ることが多かったといわれています。事故の後遺症に悩まされ続け、さらに、当時のメキシコ社会の政治状況にも翻弄されながら、フリーダ・カーロは力強く生きてきました。メキシコの現代絵画を代表する画家であり、インディヘニスモの画家としても知られています。

 苛酷な運命に立ち向かい、強く生きてきたフリーダ・カーロに、多くの女性たちは気持ちを通わせ、深く共感したのでしょう、彼女の一生を描いた映画、『フリーダ』が2002年にアメリカで制作されました。日本でも2003年に公開されています。

こちら →http://frida.asmik-ace.co.jp/about_frida.html

 国境を越えて多くの女性を捉えて離さない魅力が、フリーダ・カーロの生き方にはあるのでしょう。2004年、死後50年を経て、写真家・石内都氏は彼女の遺品の撮影を依頼されました。映画監督・小谷忠典氏は3週間にわたる撮影過程を密着取材し、ドキュメンタリー映画に仕上げました。

こちら →http://legacy-frida.info/

 フリーダ・カーロの遺品の背後に、メキシコの風土や伝統、生活文化などが見えてきます。まさに写真という記録媒体を通して、日本の土着文化にも通じる記憶が甦ってきます。

 さて、フリーダ・カーロには数多くの自画像が残されていますが、ロメロ・ブリットが参考にしたのは、頭に花束を載せた、この作品ではないかと思います。

こちら →フリーダ・カーロ自画像
(Wikipediaより。図をクリックすると拡大します)

 着飾ってはいますが、現代の美的基準からはほど遠く、お世辞にも美しいとはいえません。口の下にはひげがあり、眉も濃く太く、横眼で投げかける視線はとても強く、ちょっと恐いほどです。この風貌だけで、自立を求めて奮闘してきた女性だということがわかりますし、いかにも無骨で、意固地で、不器用で、しかも、激情の持ち主のようにも見えました。

 彼女は民族衣装を好んで着用していたといわれていますが、それも納得できるような気がします。ただ、この絵をしばらく見ているといつしか、花や木々の香りがし、鳥のささやきが聞こえ、風のそよぎが感じられるようになります。不思議なことに、描かれたフリーダ・カーロさえ、とても美しく感じられるようになってくるのです。大地に根を下ろし、連綿と受け継がれてきた土着文化の美しさは時間をかけないとわからないものなのかもしれません。

 どういうわけかフリーダ・カーロは、花や動物に囲まれた自画像をたくさん描いています。生涯にわたって200点を超える作品を残しているといわれていますが、その大半が自画像だったといいます。そして、自画像として彼女自身が捉えた姿はいずれも、この絵のように無骨で力強く、現代社会のいわゆる「愛される」女性像とはほど遠いものでした。

 ところが、ロメオ・ブリットがフリーダ・カーロを描くと、次のように変貌します。

こちら →IMG_2331
(図をクリックすると拡大します)

 なんと無邪気で可愛く、愛らしいのでしょう。もちろん、太い眉、黒い大きな目などの特徴はしっかりと描かれています。ですから、この絵がフリーダ・カーロのポートレートだということはすぐにわかるのですが、一目でわかる特徴を備えていながら、このポートレートのフリーダ・カーロはまるで別人に見えます。

■ロメロ・ブリットの陽気な楽観的世界
 自画像に見られた荒々しい野性味は消失し、幼い愛らしさだけが際立っているのです。二つの作品を見比べてみて、同じモチーフを扱いながら、作者の文化的基盤の違いが色濃く反映されていると思いました。

 フリーダ・カーロの自画像から見えてくるのが、生まれ育った土地や生活文化にこだわる土着文化の世界だとすれば、ロメロ・ブリットが描いたポートレート作品から見えてくるのは、国境を越えて、老若男女、誰にも幅広く受け入れられるグローバル文化の世界といえます。その幅広い流通を可能にするのが、敷居の低さであり、あらゆるものを肯定しようとする楽観的世界といえるかもしれません。

 フリーダ・カーロの自画像とブリットのポートレート作品を見比べてみると、ロメオ・ブリットの物事の捉え方、気持ちのありようがわかってくるような気がします。ロメオ・ブリットの作品はヒトを快くさせる楽観性と柔軟性に満ち溢れているのです。おそらく、この点にブリットが数多くの有名ブランド企業から提携話が持ち込まれている要因があるのでしょう。会場でさまざまな作品を見ていくうちに、グローバルに展開されるコマーシャリズムには、ロメロ・ブリットの作品のように、陽気で他愛なく、楽観的な世界観が不可欠なのだという気がしてきました。(2016/7/18 香取淳子)