ヒト、メディア、社会を考える

2014年

Google:空港詳細図の流失

Google:空港詳細図の流失

■インドアグーグルマップの流失

4月11日、あっと驚くようなことがありました。朝、パソコンを開くと、空港詳細図が流失したというニュースが載っていたのです。びっくりしました。慌ててニュース項目をクリックし、本文を読むと、なんと中部国際空港と新千歳空港の「インドアグーグルマップ」が誰でも見られる状態になっていたというのです。「インドアグーグルマップ」とは設計図をはじめ、詳細な空港の内部地図のことです。一般のヒトが知ることのできない、乗客が通らない職員専用の通路、保安区域などが載っています。

■パース空港での経験

私は10年ほど前、オーストラリアのメルボルンからパース行の国内線に乗り、パースから成田行の国際線に向かうスケジュールを組んで旅行したことがありました。乗り継ぎ時間は1時間半ほどありましたから、間に合うと思ってそのようなスケジュールを組んだのです。ところが、メルボルンで搭乗機がエンジントラブルを起こし、出発が1時間ほど遅れました。しかも、搭乗機は途中で何度か乱気流に巻き込まれました。当然、通常以上に飛行時間がかかっています。これでは到着が遅れ、乗り継ぎできなくなるのではないかと、非常に心配し、何人かのスタッフに尋ねました。すると、「大丈夫!」{大丈夫!」とどのスタッフもいかにもオーストラリア人らしくおおらかに笑いながら答えるのです。

ようやく到着したのですが、予定より1時間20分も遅れています。機内で「大丈夫」と請け合ったスタッフに再度、大丈夫か尋ねると、「大丈夫!」とやはりにこやかに答えたのですが、今度は時計を見て、気になったらしく、別のスタッフに私を預けました。そのスタッフは私を引き連れて「staff only」と書かれた扉を開け、また、次の「staff only」の扉を開けて、外に出て、空港専用車に乗せてくれて、国際空港に移動したのです。パースの国内線から国際線に行くにはかなり距離があります。そして、国際線に着くと、また、次々と「staff only」の箇所を通過し、私一人のために税関がいてくれて出国審査をし、荷物の検査をし、ようやく、成田行きの飛行機に乗り込むことができた経験があります。

搭乗機のタラップまで付き添ってくれたインド人らしい風貌のスタッフは、空港専用車で搭乗機まで乗せていってくれたのですが、別れ際に「Happy Christmas!」といってくれました。ちょうど12月24日、クリスマスでした。そのときの暖かい笑顔が今でも心に焼き付いています。

成田行のJAL国際便の乗客は「日本人女性が遅れて搭乗するため、40分遅れて出発します」と機内アナウンスによって伝えられていたそうです。隣の乗客から知らされました。

■空港での位置情報

カンタス航空のスタッフが機転を利かせてそのような処置をしれくれなかったら、私は予定していた搭乗機には乗れなかったでしょう。おそらく、そのとき私は最短コースで、国内線から国際線へと移動したのだと思います。「staff only」の箇所を何度も何度も通過していったのですが、誰にも出会うことはありませんでした。通常の乗客なら経験できないことでした。私はそのとき、飛行場には利用客の安全を支えるために見えない部分がたくさん存在することに気付いたのです。

今回、流失した「インドアグーグルマップ」にはその種の情報が詳細に記されていました。安全を確保するため、もっとも厳しく管理しなければならないはずの情報がいとも簡単に誰もがインターネットを通して見られる状態になっていたのです。驚きました。

まだソ連といわれていたころのモスクワに行ったことがあります。空港の撮影は禁止されていました。モスクワだけではなく、ハバロフスクもそうでした。一般客の写真撮影すら禁止されるのですから、空港地図はどこでも機密情報扱いのはずです。

なぜ、このようなことが起こったのかについて、読売新聞は、グーグル日本法人の社員らはグーグルグループを利用していたが、公開設定のまま、情報のやり取りをしていたため、空港側が提供した設計図などがネット上で誰もが見られるようになっていたと解説しています。

■グーグルへの不信

グーグルは利便性の高い情報サービスを提供していますので、ともすれば、利用しがちですが、実は安全面ではそれほど信頼できないのかもしれません。たとえば、Gメールは検索機能がついており、大変便利で、重宝していますが、情報の漏えいは覚悟して使わないといけないのかもしれません。便利さの代償として安全性に問題があるとすれば、メールも使い分ける必要がでてくるでしょう。便利さを掲げて世界を制覇しているGoogleですが、今回の件を知って、その利用については改めて考える必要があると思いました。(2014/4/11 香取淳子)

 

iPadと「アプリゼミ」

iPadと「アプリゼミ」

■タブレットを活用した授業

タブレットを活用した授業を進める小中学校が増えてきているといいます。

毎日新聞電子版(4月1日付)は、多摩市立愛和小学校(旧東愛宕小学校)では新1年生に、通信教育アプリの「小学1年生講座」を授業外学習ICT化の一貫として導入すると報じています。そして、松田校長の話として以下のような話を伝えています。

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アプリゼミに取り組んでいる時間に1年生の教室に入ると「先生、見て!」とあちらこちらから声がかかります。アプリゼミは結果がすぐ可視化されるので、自身の頑張りや結果を認めて欲しいのだと思います。すごいね! と返答すれば、満面の笑みが返ってきて、そしてすぐさま次の課題に真剣に取り組み始めます。さらに子どもたちは学習結果を競いながらもお互いをリスペクトする関係性を構築することにもつながっており、驚いています。

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■iPadで引き出す子どもたちの積極性

iPadを使うと、子どもたちは授業に積極的に参加するようになり、主体的な行動を取るようになるばかりか、子ども同士が互いに競い合いながらも尊重しあうという関係を築きあえるようになると、愛和小学校の校長はその効果を報告しています。

iPadの機能からいえば、おそらくその通りなのでしょう。iPadには2,3歳の幼児さえ関心を抱くことを私は経験しています。i-phoneほど小さくなく、画面を触るだけで操作できる情報端末だからでしょう。まだ文字も数字もわからない年齢の子どもの情報欲求、探究欲求を喚起するのです。

実際、私がiPadを持っているのを見つけると、幼児はすぐさま近寄ってきて、触ろうとします。自由に触らせておくと、教えもしないのに、自分で画面をいじりながら、タップすれば画面移動できることを見つけてしまいます。直観的に操作できるというiPadの特性がその年齢の子どもをも引き付けてしまうのでしょう。だから、自分で実際にさまざまに操作することができますし、その過程で使い方をマスターしてしまうのでしょう。そうだとすると、小学校1年生という低学年でiPadを導入した授業があってもいいのではないかと思います。

■愛和小学校の事例

実は、この小学校では2013年10月から、児童1人に対し1台のiPadを貸与し、授業で活用していました。そして、2014年2月13日にはiPadを使った「授業外学習」を報道陣に公開しております。ですから、iPadを使った学習については6カ月ほどの試行期間を経ていることになります。さらに、2014年3月下旬に小学校1年生向けコンテンツの評価テストを行った上で、4月から本格的に導入しているのです。

2014年2月13日に公開した授業外学習では、通信教育アプリ「アプリゼミ」の国語と算数を取り入れ、授業を行いました。「アプリゼミ」というのは、DeNA(プラットフォーム事業とソーシャルゲーム事業を展開している会社)が開発した児童向け学習アプリです。教育とエンターテイメントを融合させ、子どもが楽しみながら自発的に学習に取り組めることをコンセプトに教材を開発したそうです。

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上記は「アプリゼミ」に収録されているコンテンツです。文字や数字、物事の関係性、物事の仕組み、等々を子どもたちが楽しみながら学ぶことができる内容になっています。まさにテレビ番組『セサミストリート』のタブレット用アプリ版といえるものです。

■『セサミストリート』の場合

『セサミストリート』は、ジョンソン政権の時代に開発された就学前の児童を対象にした教育プログラムです。

当時、アメリカでは少年非行が社会問題化していました。いくつもの研究が行われた結果、学校教育になじめなかった子どもたちが非行に走りやすく、その後も犯罪を繰り返すようになるということがわかってきたのです。つまり、子どものときに学校教育についていけず、その後、適切な高等教育を受けられないと、正規の職業に就くことができず、貧困に陥りやすくなります。その結果、犯罪に手を染めるようになりがちだという非行発生のメカニズムがわかったのです。

さらに調べると、非行に走った子どもはすでに小学校段階で学校教育に馴染めなくなっていることもわかってきました。つまり、小学校に入学する段階ですでに家庭環境の違いから学習能力に格差が生じていたのです。そこで、1964年、ジョンソン政権の時代に、「ヘッドスタートプログラム」が政府支援の下で開始されました。どうすれば、あらゆる家庭の子どもたちが「ヘッドスタート」(頭を並べて、いっせいに)学校教育に入っていけるのか。課題解決につながる実践的な研究が求められました。非行、貧困という社会問題を解決するために、さまざまな領域の研究者が関わり、大がかりなプロジェクトが展開されました。

その成果の一つが『セサミストリート』です。どの家庭にもあるテレビを使って就学前教育を行い、家庭環境の差なく、スムーズに子どもたちを学校教育に馴染めるようにするために開発された番組です。ですから、番組を見ていれば、子どもたちが文字、数字、物事の関係、仕組み、等々を自然に、確実に習得できるように制作されています。子どもたちが飽きないように、それぞれのシーンは短く、リズミカルに構成され、人形やアニメーション、自分たちと似たような年齢の子どもたちを使ってわかりやすく伝わるように工夫されています。

■子どもの自発性、主体性を中心にした教育

1980年代初に幼児とテレビの研究をしていた私は、この番組の開発に関わったハーバード大学のジェラルド・レッサー教授と久留米大学で開催された小児科学会のシンポジウムでご一緒したことがあります。子どもたちが自発的に学ぼうとする意欲を喚起するには、子どもたちが面白いと感じる内容と表現様式にしなければならないという、教育の受容者の側に立った視点が印象的でした。

就学前、あるいは就学時点で、確実に基礎学力を身につけさせようとする点で、幼児や小学生向けの「アプリゼミ」はこの『セサミストリート』に似ているように思えます。また、自発的に取り組めるよう、子どもの関心をよび、興味を持続できるような方法で情報を提供し、教育効果を高めようとしている点でも、共通していると思います。

このようなiPadを導入した授業への取り組みについて、松田校長は、「iPadを利用することで、基礎学力の向上を図るとともに、共同学習をする力やプレゼンテーション力を伸ばせる」と述べています。(『ITメディア』2014/02/14)

■タブレットによる授業方法の多様化

前回、このメディア日誌ので取り上げたように、子どものiPad使用については懸念する人々も存在します。ですが、今回取り上げたように、積極的に学習の場に取り入れようとする動きもあります。

さまざまなメディアが日常生活の中にあふれている現在、従来型の授業では子どもたちが満足しなくなっているのではないか、という思いから、子どもが自発的に取り組める授業が週に一つぐらいあってもいいのではないかと私は考えています。今後、さらに複雑になっていく社会を生きるようになる子どもたちこそ、多様な物差し、多様な人々との出会い、多様な学びの場を経験することが大切なのではないかと私は思っています。(2014/4/11 香取淳子)

 

子どものiPad使用は是か非か。

子どものiPad使用は是か非か。

■子どものiPad禁止は正しい選択か

ニュースウィーク日本語版(2014年4月8日)で興味深い記事を読みました。「子供のiPad禁止は正しい選択か」という刺激的なタイトルの記事です。小児科作業療法士が書いた「12歳以下の子供に携帯機器を禁止すべき10の理由」という記事が論争を引き起こしているという内容ですが、これがフェイスブックで39万4000回以上シェアされ、「いいね!」も120万に上るほど反響を呼んだそうなのです。しかも、それに対する批判の声も多数に上っているといいます。アメリカでちょっとした論争を引き起こしているようです。

日本語版の記事には肝心の「禁止すべき10の理由」が書かれていなかったので、ネットで該当記事を探してみました。すると、「10の理由」として著者が掲げていたのは以下のものでした。

1.脳の早すぎる成長、2.発達遅滞、3.病的な肥満、4.睡眠不足、5.精神疾患、6.攻撃性、7.デジタル認知症、8.依存症、9.放射線被ばく、等々のリスクをあげ、最後に、10.機器使用を支持できない、と結論づけています。子どもに携帯情報端末を与えると、上記のような弊害が起こると警告しているのです。

詳細はこちら。 http://www.huffingtonpost.com/cris-rowan/10-reasons-why-handheld-devices-should-be-banned_b_4899218.html?view=print&comm_ref=false

原文のタイトルは以下のものです。

「10 Reasons Why Handheld Devices Should Be Banned for Children Under the Age of 12」(12歳以下の子どもに携帯情報端末を禁止すべき10の理由)としているように、明確に禁止すべき対象年齢を打ち出しています。そして、彼女は以下に示すグラフのように、子どもにはICT利用のガイドラインを提示すべきだとしています。

 

これを見ると、どういうわけか、テレビも禁止対象の機器に入れられていますが、こちらは他の機器に比べ比較的、制限が緩やかです。そうはいっても、2歳までの子どもにはテレビは見せない、3-5歳児で1日1時間、6-12歳で1日2時間、13-18歳で1日2時間、といった具合ですから、かなり厳しい内容です。日本の実態を考えると、このガイドラインは非現実だといわざるをえません。

ですから、ニューズウィーク日本語版の記事では、以下のように結論づけているのでしょう。

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携帯機器の使用時間を制限しなくてもいい、というわけではない。度を超したテクノロジーの利用は有害になり得る。しかし、子供には携帯機器をすべて禁止すべきだとする研究結果はほとんどない。iPadでドクター・スースの絵本『みどりのたまごとハム』を時々読み聞かせたり、雨の土曜日に『セサミストリート』を見せたって、後ろめたく思うことはない。

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■子どものメディア利用に対する不安

たしかに、絵本や児童書なら、ためらいもなく、子どもに与えますが、テレビをはじめ電子機器にはややためらいがあります。制限しなくてもいいのか、どのぐらいならいいのか、といった基準が私たちにはわかりません。ですから、このような記事を見かけると、すぐに飛びついてしまうのですが、読んだからといって問題が解決するわけではなく、逆に不安が募ってしまったりします。

子どもに及ぼすメディアの影響が確定されないまま、次々と新しいメディアが登場してきます。不安に思いながらも、ついつい子どもが夢中になってしまうのを見逃してしまっているのが現状ではないでしょうか。

■iPadで遊ぶ子どもたち

昨年8月、北京に滞在していたとき、屋台でおでんを売っている親の傍らで、4歳ぐらいの女の子が段ボールの上に寝そべってiPadで遊んでいたのを見たことがあります。親が買って与えたのでしょう、そのギャップに驚きました。ちなみに、iPadでは知育用のアプリが数多く開発されています。

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たとえば、上記のようなアプリは子どもが言葉を学習するのに役立ちます。シチュエーションを説明する文字が下の方に書かれており、キャラクターをクリックすると、そのキャラクターのセリフが表れ、同時に音声が出ます。以前なら考えられなかったようなデバイスです。それを子どもがいつでも自由に好きなだけ使うことができるのです。

■wifi環境下での教育機会

ですから、wifi環境が整備されてくると、この種の情報機器は教育の機会均等の大きく寄与する可能性があります。先進諸国では子どもの影響を憂え、使用制限する方向に傾くかもしれませんが、途上国ではこの種の機器はむしろ貴重な教育機会として重宝されるようになるでしょう。

子どもの情報機器の利用への懸念は古くて新しい課題です。かつてはテレビが問題視され、いまは携帯情報機器の利用が心配されるようになりました。メディアははたして子どもの成長にどのような影響を及ぼすのか、横断的な研究だけでは影響のプロセスがわかりませんから、縦断的な研究と合わせて実施する必要があるでしょう。(2014/4/10 香取淳子)

 

メディアは真相に迫れるのか?:小保方氏会見中継を見て

メディアは真相に迫れるのか?:小保方氏会見中継を見て

■マスメディアは真相に迫れるか?

4月9日午後1時から始まった小保方氏の記者会見を見ました。会見が開かれた大阪のホテルには300人の記者が集まったそうです。

現場からの中継で記者会見を見たのですが、地上波民放テレビの場合、すぐにCMが入るだけではなく、まだ会見が続いているのに中途半端に編集された映像を見せられたり、スタジオでのコメントを聞かせられたりします。ですから、途中で、CSに切り替えました。おかげで、落ち着いて中継を見ることができました。

テレビを初め、マスメディアははたして真相に迫れるのか、というのが、中継を見終えての率直な感想です。

■記者の質問力

中継すべてを見ていたわけではありませんが、まず、記者の質問内容に問題があるように思いました。たとえば、質問の趣旨が明快でない、自身の意見を開陳するだけ、わかりきっていることを尋ねる、意味のない質問をする、明らかに勉強不足、等々の質問が気になりました。せっかく開催された記者会見なのに、こんな質問が続くようでは時間がもったいないと感じたほどでした。専門性の高い案件だとはいえ、真相に迫るためにも、会見に赴いた記者はすくなくとも問題の本質を把握し、質問力を高めておかなければならなかったのではないでしょうか。

大勢の記者に取り囲まれ、最初は不安そうに見えた小保方氏ですが、本質に迫らない質問が続いたので、次第に心に余裕が生まれたのでしょう、やがて、質問を待ち構えるような姿勢になっていきました。無表情に淡々と、そして、誠実に質問に答えようとする姿勢には好感が持てました。会見内容は、会見されるヒトと質問する記者との知的な力関係に影響されるものだということを改めて思い知らされた気がします。

もちろん、核心に触れる質問もありました。ある記者が「論文を撤回する意思はあるか」と尋ねたのです。すると、小保方氏はきっぱりと、「論文の撤回はしません」と答えました。その理由として「論文を撤回すると、結論が間違っているということになり、それを世界に公表することになりますから」と明言しました。ここに彼女のスタンスがはっきりと見えます。

さらに、調査結果に対し不服申し立てをしてことに関し、調査委員会に対し納得させるだけの証拠は出せるのかという質問をした記者もいました。それについては今回は調査が不十分であるということについての不服申し立てだと回答し、小保方氏はその質問をうまく回避していました。

■「誠実さ」を印象づける

テレビ画面で見る小保方氏は当初、非常にはかなげで、脆いように見えていましたが、記者からの質問に対する答え方を見ていると、しっかりと質問内容を受け止め、的確に言葉を選び、言語明晰に切り返していました。時に涙ぐむこともありましたが、随所で自分は研究者として未熟で、不勉強、不注意によって今回の事態に至ったことを詫びていました。しかも、Natureに2本を論文を載せるのは自分の能力をはるかに超えていたと率直に語ります。まるで会場の記者たちの機先をそぐかのように、あっけないほど率直に誤りを認め、関係者に迷惑をかけたと謝っていたのです。誠実だという印象を受けたのはそのせいだったのかもしれません。

■儚さの背後に見えるしたたかさ

ところが、調査委員会によって「不正」とされたことにははっきりとノーといい、とても承認できるものではないと意思表示しました。非常にしっかりとしたヒトだし、的確に状況判断ができる頭のいいヒトだという印象を受けました。大勢の記者を前にして、冷静に次々と質問を処理していっただけではなく、自分の主張を明確に表明したのですから・・・。はかなげで頼りなさそうに見えていただけに、「STAP細胞はあります」と語調を強めたとき、「200回以上作製しました」といいきったときは驚きました。

それでは、この記者会見で、小保方氏への疑惑を払拭できたのかといえば、そうではないといわざるをえませんでした。というのも、これまでさまざまにいわれてきた疑惑が解明されたわけではなかったからです。たとえば、以下のような情報があります。

詳細はこちら。 http://stapcells.blogspot.jp/

■SNS経由で噴出した疑義

そもそも、Nature論文への疑惑は、SNS経由で噴出してきました。日本だけではなく、世界中の専門家が論文の不具合な部分に気づき、疑義を唱え始めたのです。画像の使い回し、他人の論文の剽窃、等々の疑惑が次々と出てきました。それらを払拭するには納得できるだけの証拠を示さなければなりません。ですが、この記者会見ではそれが示されませんでしたし、その可能性もあるとはいえませんでした。

今日の会見で小保方氏側の事情、見解が多少、わかりました。ですから、小保方氏にとってこの会見はプラスに働いたように思います。一連の質問に答える姿からは誠実な研究者という印象が残りましたし、よどみなく的確に言葉を選びながら答える姿からは頭脳明晰だという印象も受けました。ただ、そのような印象を受けてしまうのも、テレビという視聴覚媒体によってこの会見を見たからでしょう。見た目や話し声、話し方といった視聴覚媒体になじむ情報が優先的に受容された結果、内容よりも誠実さという印象が強く残った可能性が考えられます。

■理研の説明責任

この件のように専門性の高い領域の不正は、専門家しかその是非を判断することはできません。専門家の果たす役割がきわめて重要なのです。ただ、今回の会見内容は詳細にテープ起こしされるでしょうから、小保方氏の発言の真偽は今後、ひとつずつ検証されていくことでしょう。そして、真相に少しは近づけるしかないのかもしれません。それにしても不可解なのが、理研の対応です。

Nature論文を実際に執筆したのではないかといわれ、今回の研究を実質的に誘導したとされる笹井氏はなぜ公の場に姿を現さないのでしょうか。小保方氏の記者会見によっても、結局、真相に迫ることはできませんでした。これ以上何かがわかるという可能性も考えられません。ですから、この会見によって、この件に幕が引かれるのではなく、理研側が一連の騒動の真相に迫るためのスタートラインに立たされることになったように思います。理研は今後、納得できるだけの説明責任を果たさなければならなくなったのではないでしょうか。(2014/4/9 香取淳子)

 

英エコノミスト誌が伝える安倍「成長戦略」としての女性活用

英エコノミスト誌が伝える安倍「成長戦略」としての女性活用

■中国人女性からの質問

昨日、メールをチェックしていて、見慣れない名前のヒトからのメールを見つけました。開けてみると、昨年、北京で取材をした中国人女性からのメールでした。主な内容は、日本では女性の社会的価値が低いの?という質問でした。なぜ、突然、このようなメールが来るのか不思議でしたが、その後、たまたま、英エコノミスト誌(2014年3月29日号)を読む機会があり、パラパラとページをめくっていて、これだ、と納得しました。「日本人女性と仕事」と題した記事があったのです。

そのリードの部分がまさにメールで書かれた質問に合致する内容だったのです。記事タイトルの下には、東京発として、太字で「日本の職場では女性の地位が低く、ここ何十年も改善されてこなかったが、安倍首相はそのような状況を変えたいと思っている・・・・」と書かれていました。

■安倍首相の「成長戦略」

たしかに安倍首相はダボス会議でも成長戦略の一つとして女性の活用を掲げ、その実行を高らかに宣言しました。首相官邸のホームページにも「女性が輝く日本へ」というタイトルのページが設定されています。女性が働きやすい環境づくりを推進するだけではなく、リーダーとして女性の登用を奨励することも考えられているようです。そして、それらの目的を確実に達成するための課題も具体的に書かれています。ですから、今度こそは本気で政策課題として取り組まれていくと思います。少子高齢化による弊害を乗り越え、日本経済を持続的に成長させていくには、女性を労働市場で積極的に活用していくことがなによりも大切だからです。

詳細はこちら。http://www.kantei.go.jp/jp/headline/women2013.html

ただ、そうするにはいくつかの阻害要因が日本社会にはあります。その一つとして挙げられるのが、日本社会に広く蔓延している企業文化です。

■家事参加率の低い日本人男性

英エコノミスト誌はそれに関連して、記事の中で次のような図を使っています。「workplace uncoupling」と名付けられた下図は、OECDが作成したもので、先進諸国における女性の労働市場への参加率(茶色)、家事・育児など報酬のない労働への男性の参加率(青色)が示されています。これを見ると、スウェーデンは女性の労働市場への参加率は高く、男性の報酬のない労働への参加率も高いことがわかります。つまり、女性が社会進出できることの背景に、家事・育児労働への男性の協力が大きいことが示されています。

このグラフで際立っているのが、日本男性の報酬のない労働への参加率の低さです。先進国の中では低いフランスと比べてもその半分以下です。日本女性の労働市場への参加率は他国に比べ、それほど変わりませんが、男性が極端に低いのです。つまり、この図からは、日本の場合、男性がほとんど家事・育児に参加しないため、女性に負担がかかっているということが示されているのです。

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保育園の待機児童を減らす政策はこの課題に対応するものなのでしょう。

■職場待遇への不満高い日本人女性

英エコノミスト誌はさらに、興味深い研究成果を紹介しています。大学を卒業した女性が職場を止めた理由を日米で比較すると、米国の場合、育児や介護のためと辞めるケースが多くみられたのですが、日本の場合、仕事に不満があった、あるいは、将来性のない仕事に嫌気がさしたといった理由で辞めるケースが多くみられたというのです。これは、日本人なら日常的に仄聞することでもありますが、あらためて、日本女性は職場で責任のある仕事を与えられることが少なく、リーダーになることも少ないという現実が浮き彫りにされたといえそうです。

このような現実への対応策として、女性リーダーの登用という政策が掲げられたのでしょう。私たちもまた、性別、年齢別のカテゴリーではなく、個人として責任のある仕事をしていかなければならないと思います。(2014/4/9 香取淳子)

 

 

 

SNSの影響?: ヒトから悲しみの感情が失われている?

SNSの影響?: ヒトから悲しみの感情が失われている?

■失われつつある悲しみの感情

今日(4月3日)、『WIRED』日本語版(4月1日付)で興味深い記事を読みました。米デトロイト大学の人工知能研究者アッティカブラウン教授が自身のブログで唱えているという大胆な仮説です。興味深いので紹介しておきましょう。

「通常、悲しみの感情は、進化的に古い脳である大脳辺縁系の扁桃体と呼ばれる領域で生み出されるということが、これまでの研究から明らかになっているのですが、これらの被験者のなかには、悲しいという感情を本人が想起しているにもかかわらず、まったくこの部位が活性化しないという人がいるのです。代わりに、どちらかというと性的な昂りに近い分野が活性化されるのです」

このような興味深い発見をしたブラウン教授は、数年間にわたって、感情と脳の関係性を数多くの被験者を対象に実験してきた人工知能の研究者です。数千人に及ぶ被験者のなかで、とくに悲しみを司どる部位に機能不全がみられる者が一定数いたというのです。彼はその原因として、以下のようにSNSの影響を想定しています。

 「本来、悲しみの感情は、社会的倫理観、すなわち自分や他者の行動に対する正義感、罪悪感といったより複雑な感情を形づくるベースとなっています。近年、ソーシャルネットワークでの活動において、人は、本当の自分ではなく、さまざまな自分に擬態してコミュニケーションをおこなっています。それが脳に与える影響は、わたしたちが想像している以上に大きいと言えるのかもしれません。こうした環境に慣れてしまうことで脳が感情の捏造を繰り返し、そのことで、本来の感情野が退化しはじめているということがおこっているのかもしれません。自分をよく見せようという意識が、感情の捏造に留まらず、モラルやマナーの低下を引き起こすのではないか、とわたしは危惧しています」

■SNSの影響か?

ブラウン教授はこのようにSNSの影響で脳が感情の捏造を繰り返すようになっているのではないかと考えているのです。まだ、発見段階の知見でしかなく、検証されているわけではないのですが、実に興味深い指摘です。

詳細はこちら。http://wired.jp/2014/04/01/aprilfool-2014/

新しいメディアが次々と登場し、私たちは日常的にさまざまなメディアを利用して暮らしています。便利だからこそ、使い続けているのですが、その結果、脳の思考回路が変化し、感情面にもなんらかの変化が生じているのかもしれません。喜怒哀楽の感情はヒトに普遍的なものだと思っていましたが、そこに影響が及んでいるとしたら・・・、一考の価値がありそうです。

私はSNSをしていませんが、このところ、悲しんだという記憶がありません。ですから、ヒトから悲しみの感情が失われつつあるというブラウン教授の指摘には納得するところがあるのです。

■感情とバイオリンの音色

悲しみを表現していた演歌は廃れ、歌謡曲もほとんど聞かれなくなってしまいました。メロディよりもリズムが優先された音楽ばかりが蔓延っていますが、それでは感情を添わせ、リラックスさせることは難しい・・・。微妙な感情の起伏を味わい、深く内省することができるメディア・コンテンツへの需要が少なくなっているのでしょうか。私も最近はリズム優先の曲しか聞かなくなってしまいました。

私はかつて「ツィゴイネルワイゼン」などのサラサーテのバイオリン曲が大好きだったときがありました。とくにSPレコードで(78rpm record)聞くのが味わい深くて、素晴らしかったです。このこだわりは亡き父の影響ですが、SPレコードで聞くからこそ、もの悲しさが増幅され、説明できない深い悲しみに浸ることができて、心揺さぶられたからです。

葉加瀬太郎20周年コンサートでの「ツィゴイネルワイゼン」はこちら。https://www.youtube.com/watch?v=DKRE59DWsxw

バイオリンという楽器は、言葉では説明できない微妙で奥行のある悲しみの感情を巧みに表現することができます。ですから、かつては聞いているだけで感動したものです。ところが、今はそうではない。そのような曲を聴きたいという欲求が起こらないのです。それが何に起因するのかわかりませんが、現代の生活の場からはどうやら、悲しみを受容し、追憶し、浸る、あるいは悲しみを契機に内省するという場がなくなりつつあるのかもしれません。(2014/4/3 香取淳子)

記事のバラ売りサービスで進む雑誌の電子化

記事のバラ売りサービスで進む雑誌の電子化

■記事のバラ売りサービス

今朝(28日)、凸版印刷が26日、雑誌記事のバラ売りサービスを開始したという記事を読みました。凸版印刷によりますと、Androidスマートフォン向けに「中吊りアプリ」を開発し、26日からそのサービスを開始したそうです。利用者はアプリ内の中吊り広告をめくりながら、興味のある雑誌記事があると、それを記事単位で購入できるというサービスです。

そういえば、私は電車の中で中吊りをよく見ています。面白そうだと思っても手元にないので、読むことができません。電車から降りると忘れてしまい、帰りの電車で再び中吊りを目にして読みたかったのに残念・・・、ということをよく経験します。「中吊りアプリ」はそのような需要にマッチしたサービスといえます。

■中吊りアプリ

ただ、現在、このアプリはAndroid4.1以降の機種にしか対応しておらず、i-phoneには対応していないのだそうです。とはいえ、Google playから無料でダウンロードすることができ、ダウンロードした記事は内容によって異なりますが、一件50円~だといいます。いつでも気になる記事を読めるサービスとして画期的なものになるでしょう。

主な掲載コンテンツは以下の通りです。

光文社「FLASH」、主婦と生活社「週刊女性」、扶桑社「週刊SPA!」、東洋経済新報社「週刊東洋経済」、毎日新聞社「サンデー毎日」「週刊エコノミスト」、日本スポーツ企画出版社「週刊サッカーダイジェスト」、ハースト婦人画報社「MEN’S CLUB」
など12社14誌(2014年3月現在)

詳細はこちら。http://www.toppan.co.jp/news/2014/03/newsrelease140326_1.html

凸版印刷は以下のような写真を提供して、このアプリの仕組みを説明しています。

『中吊りアプリ』の画面イメージ

 

■大型i-phone発売予想

一方、日経新聞電子版は今日(3月28日)、アップルが9月、現行機種より大きいサイズの4.7インチと5.5インチの新i-phoneを発売すると報じています。液晶パネルはシャープやLGなどが供給するそうですが、スクリーンの大型化に伴い、解像度もあげるようです。

詳細はこちら。http://www.nikkei.com/article/DGXNASDZ270IO_X20C14A3MM8000/?dg=1

 

雑誌記事のバラ売りアプリのニュース、そして、i-phoneの大型化というニュース、これらの情報に接すると、いよいよ雑誌の電子化が進み始めたという気がしてしまいます。それを証明するようなニュースもあります。

■いつでも、どこでも「読める」サービス

たとえば、日経新聞(3月26日付)は、文教堂ではファッション雑誌『DRESS』が昨年12月以降、売上を急増させていると伝えています。記事はその理由を文教堂が開発したアプリにあると分析しています。文教堂が店で雑誌を買うと同じ内容の電子書籍が無料で読めるというサービスを提供したところ、飛躍的に売り上げが伸びたというのです。家では紙媒体、外出先ではスマホで読むという新たな読書のスタイルを読者に提供したからでしょう。いつでも、どこでも「読める」サービスが人々の潜在需要を掘り起こしたといえます。

インプレスビジネスメディアは、今後、電子書籍・雑誌の販売額は急激に伸びると予測しています。読書という行為までもネットと関連づけられるようになりつつあるのが現状といえましょう。どうやら私たちは「いつでも、どこでも」ネットにつながれることになりそうです。(2014/3/29 香取淳子)

 

 

 

「レイルウェイ 運命の旅路」:戦争による心の傷を癒すことはできるか?

「レイルウェイ 運命の旅路」:戦争による心の傷を癒すことはできるか?

■レイルウェイ 運命の旅路

3月27日(金)、「レイルウェイ 運命の旅路」の試写を有楽町の角川シネマ有楽町で見ました。日本軍の捕虜になった英国人元兵士の実話に基づく映画だと知って、思わず身構える気持ちになってしまいました。日本軍を扱った典型的な戦争映画のように、捕虜や現地人に残忍な行為を行う日本兵の拷問シーンなど繰り返し見せつけられるのではないかと思ったからです。

ですが、この作品はちょっと違っていました。たしかに、捕虜に対する過酷な扱いや残虐な拷問シーンもたびたび登場するのですが、戦争で負った心の傷はどうすれば治癒できるのかといった点に焦点を当てて物語が構成されています。ですから、残虐なシーンを見ると、今回もまた、いたたまれない気持ちになってしまったのですが、映画を見終えると、なんだかほっとして救われた思いがしたのです。それはおそらく、戦争で心の傷を負ったのは残虐行為の被害者(英国人元通信兵)だけではなく、加害者(日本人元憲兵・通訳)もそうなのだという視点で作品が展開されていたからでしょう。

■泰緬鉄道建設

第2次大戦時、日本軍の捕虜になった英国軍通信兵エリック・ローマクスは泰緬鉄道の建設に駆り出され、残虐非道な扱いを受けた結果、心に大きな傷を負います。その傷はいつまでも癒えず、結婚して幸せを掴んだのも束の間、しばらくすると再び、そのPTSDに苦しみ続けます。一方、加害者であった日本人元憲兵・通訳の永瀬隆もまた自分の犯した罪に苦しみ、戦後、泰緬鉄道のあるタイへの巡礼を続けています。このように戦争は加害者にも被害者にも苦しみしか与えないことをこの作品は原作(実話)に基づいて描き出します。

圧巻だったのは、長年、復讐を望みながらも、主人公(被害者)が実際に加害者に対面すると、復讐では解決にならないこと、心が癒されるわけではないことを悟るシーンでしょう。この作品は戦争によるPTSDを扱っているだけに、全般に重苦しい雰囲気が漂っています。ときには息苦しくなってしまうほどですが、主人公の妻パトリシアを演じたニコール・キッドマンの美しさが画面に華やぎを添えてくれます。二人の出会いのシーンはまるで恋愛映画の始まりのようで、わくわくします。ちょっと紹介しておきましょう。

■出会い

主人公エリック・ローマクスはある日、列車の中で美しい女性パトリシアと相席になります。二人はふとしたことで会話を交わすようになりますが、そこで、エリックは鉄道に絡む博学ぶりを発揮してしまいます。彼が根っからの鉄道愛好家なのだということがこのシーンでさりげなく示されています。子どものように無邪気に勢い込んで話すエリックを見つめるパトリシアの表情が優しく、とても慈悲的でした。これも彼女が元看護婦で夫の心の傷の回復に精魂傾けていく後段の展開を暗示しています。他愛もない会話のシーンですが、エリックやパトリシアの人物像、心の交流が見事に表現されています。やがて二人は結婚に至ります。そして、物語は現在と過去を行き来しながら展開されます。

レイルウェイ 運命の旅路

この映画は4月19日に全国で公開されますので、内容の紹介はこのぐらいにしておきましょう。

■上映後のティーチ・イン

映画の上映後、原作者の妻であるパトリシア・ローマスクさん、監督のジョナサン・テプリツキー氏、プロデューサー・脚本担当のアンディ・パターン氏、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏の4人が司会者を交え、映画について語り合いました。印象深かったのは、パトリシアさんが、長年復讐心を抱いていた夫が実際に加害者のナガセにあったとき、夫の目に映ったナガセが自分と同じように老いさらばえた老人だったと語ったことでした。時がヒトの見かけを変え、ヒトの心に大きく作用することがわかります。

また、この映画の製作動機を聞かれたテプリツキー監督が、原作がもつ人間性に惹かれたからだと答えたことも印象的でした。実際、この作品は見事なまでに人間性に焦点を当てて製作されています。

■戦時における人間性

主人公(被害者)は戦争時の残虐非道な扱いによって心に傷を負い、長い年月をかけてもその傷は癒されませんでした。主人公はついに過去を直視し、向き合うことを決意します。そして、被害の現場で加害者と対面し、当時の苦しみを再体験をすることになります。ところが、被害者は逆の立場になっても当時の加害者と同じ行動をとることはできません。復讐心に満ち溢れていたはずなのに、行為としての復讐を実行できなかったのです。それこそ「人間性」が、被害者が復讐的行為をすることを止めたのでしょう。それを見た当時の加害者は深く反省します。そこにも「人間性」が介在します。

そして、後段で、原作に登場する駒井光男大尉の息子・駒井修氏が登場し、再会時のエピソードを披露しました。パトリシアさんは、彼があまりにもその父親に似ているので夫はショックを受けていたと語ります。

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戦後すでに68年を経ていますが、日本軍がアジア各地で行った蛮行、残虐行為がアジア各地に博物館、記念館として残されております。その種の博物館や記念館を訪れるたびに、いたたまれない気持ちになってしまっていました。この映画を見て、改めて戦争には勝利者はいないのだということを感じさせられます。戦争は被害者はもちろん、加害者にも多大な心の傷を負わせてしまうのです。

■なぜ豪英合作なのか?

映画を視聴し、その後のティーチ・インにも参加したのですが、どうしてもわからなかったことがあります。それは、英国人元通信兵の物語がなぜ、オーストラリア人監督によって製作されたのか、ということでした。コリン・ファース(エリック・ローマクス役)は英国人ですが、ニコール・キッドマン(パトリシア役)はオーストラリア人です。タイトルバックにも Screen Queensland や Screen Australia の文字が入っており、オーストラリアが力を入れていることがわかります。

そこで、調べてみました。その結果、劣悪な環境下で泰緬鉄道の建設に従事させられ、死亡したのは、連合軍捕虜である英国人6648人やオーストラリア人2710人、そして具体的な数は把握されていないのですが、数多くのアジア人だったそうです。約8万人がこの鉄道建設で命を落としたといわれています。

調べてみてようやくわかりました。なぜ、この映画がオーストラリア人監督によって起案されたのか、なぜ豪英合作なのか、なぜ主人公が英国人、サブ主人公がオーストラリア人なのか。ちなみにこの映画の一般公開は、オーストラリアが2013年12月26日、イギリスが2014年1月10日、そして、日本が2014年4月19日です。人間性に焦点を当てて戦争を取り上げたこの作品が、関係国だけではなく、他の多くの国の人々によって鑑賞され、戦争について議論され、語り継がれることを期待します。(2014/03/27 香取淳子)

 

 

 

すでに、クラウドコンピューティングの時代?

すでに、クラウドコンピューティングの時代?

■XPを使い続ける企業

今朝(3月26日)、興味深いニュースを見つけました。大阪信用金庫が3月上旬、大阪や兵庫の取引のある会社1277社に対して調査を行ったところ、いまだにXP を使用している会社が46%、そのうち、このままXPを使い続けるとした会社が53.5%にも及んでいることが判明したというのです。おそらくそれらの企業では新しく設備投資をするだけの財政的な余裕がないのでしょう。すでにWindows8になっているというのに、まだXPを使い続けざるをえないというのです。

詳細はこちら。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140325-00000094-zdn_n-sci

■クラウドコンピューティングの恩恵をうける豪中小企業

一方、オーストラリアのACMA(The Australian Communications and Media Authority) は3月25日の短報で、オーストラリアでは中小企業がクラウドコンピューティングの恩恵を受けていることを明らかにしています。2013年6月期に実施したクラウドコンピューティング市場に関する調査結果に基づいた報告です。

私もよくわからないまま、パソコン、i-phone、i-padにクラウドをインストールしています。そして、写真だけはどのメディアでも共有できるようにしていますが、実は使い方もよく知りません。いったい、クラウドコンピューティングとは何でしょうか。Wikipediaを見ると、クラウドコンピューティングについて次のように説明しています。

*「クラウド」は「雲」の意味でコンピューターネットワークを表す。従来より「コンピュータシステムのイメージ図」ではネットワークを雲 の図で表す場合が多く、それが由来となっている。

Wikipediaではこのように説明し、クラウドコンピューティングのイメージ図として下記の図をあげています。

■クラウドコンピューティングのサービス内容

これをみると、クラウドコンピューティングで提供されるサービスは大きく分けて3種類あることがわかります。上から順にApplication、Platform、Infrastructure です。図をみると、クラウドコンピューティングがこれらのサービスを「雲」の外にあるパソコン、スマートフォン、タブレットなどを使って利用することができる仕組みであることがよくわかります。

ACMAは、2014年3月25日の報告で、オーストラリアではクラウドコンピューティングが実際に軌道に乗り始め、デジタル経済の中で重要な役割を果たしつつあると述べています。2013年6月期の調査によって、オーストラリアでは18歳以上の1400万人(全人口の80%に相当)が積極的にクラウドコンピューティングを活用していることが明らかになったというのです。これは年初比11%増に当たるといいます。また、44%の中小企業(90万社)がこの一年間、積極的にクラウドコンピューティングを活用していたと報告しています。

一般にもっとも多く利用されているのが、webメールで、前年比16%増の70%でした(下図)。そして、このwebメールこそが中小企業でもっとも多く利用されているサービスだというのです。それ以外に多く利用されているのは、ソーシャルネットワーク(62%)、オンライン上の写真保存(47%)、オンラインで文書を作成したり、共有する(40%)、オンラインでビデオを保存(12%)、オンラインでデータのバックアップ(9%)、オンライン上にファイルを格納(8%)、等々でした。

 

 

詳細はこちら。http://www.acma.gov.au/theACMA/engage-blogs/engage-blogs/researchacma/Cloud-computing-whats-all-the-fluff-about

利用者のもっとも大きな懸念はセキュリティ(52%)だそうです。中小企業が積極的にクラウドコンピューティングを活用することのメリットは、サービスに簡単に便利にアクセスできるという点で、これは36%を占めます。

一方、デメリットとしては、彼らの仕事内容に適していないというもので、これは48%を占めていました。ただ、人材、財政基盤とも大企業に比べて脆弱な中小企業にとって、クラウドが役立つ日も近いのではないかという気がします。

■中小企業にとっての利用価値

たとえば、ブランドデザイン委員会副委員長 上島 茂明氏はすでにクラウドは中小企業にとって利用価値があると指摘しています。そのメリットとして、①導入コストが安い、②導入スピードが速い、③モバイルコンピューティングとの親和性が高い、④企業の継続性対策として有効、等々をあげています。(http://www.itc-chubu.jp/directors/2012/07/post-8.html

もちろん、クラウドを活用するには、メリットだけではなくさまざまなリスクがあり、デメリットもあることに留意しなければならないでしょう。それでも、ITによって業務形態が大幅に変化している現状を見れば、導入しないことのデメリットの方が大きいのではないかと思ったりします。意思決定にスピードが要求され、次々と新しいITツールが開発されている時代です。クラウドでITインフラを安価に構築できるのなら、それに越したことはないでしょう。

それにしても、今日は興味深い一日でした。XPを使い続けざるをえない企業がまだ多数あることを知った反面、オーストラリアではクラウドコンピューティングをデジタル経済の中心的な役割を担いつつあるということも知りました。ITによる社会変革がまだまだ継続しているのです。となれば、いつでも、どこでも使えるという機能、データ保存、共有といった機能をもつクラウドは今後、さらに進展していくような気がします。安全性が確保されていけば、それこそ中小企業や個人事業者にとってきわめて有用なメディアになっていくでしょう(2014/03/26 香取淳子)

 

 

 

東京アニメフェスティバル2014が開催された、COREDO室町

■東京アニメフェスティバル2014が開催された、COREDO室町

3月22日(21:30~22:30)、山村浩二作品集上映会に参加しました。会場は3月20日にオープンしたばかりのTOHOシネマズ日本橋です。TOHOシネマズ日本橋はCOREDO室町2の3Fにあります。土曜日だったせいか、3Fのシネマに行く途中の飲食店はカップルや家族連れ、女性のグループであふれかえっていました。

新しい施設とリニューアルされた店舗は「日本を賑わす日本橋」というコンセプトで設計されたのだそうです。そういわれてみれば、夜も9時近いというのに、その界隈だけは賑わっていました。飲んで食べ、おしゃべりをし、映画を見るという娯楽のための界隈です。まだオープンしたばかりなので、この勢いがどこまで続くかわかりませんが、賑わいの中心にあるのは、9つの最新スクリーンを備えたこのTOHOシネマズ日本橋なのかもしれません。

■ 江戸時代の日本橋界隈
大暖簾
上の写真は江戸時代、賑わいを見せていた日本橋界隈です。モノの交流に伴って、ヒトが交流を深めていたことが示唆されています。
かつての界隈は地上で横空間の中で広がっていましたが、今、界隈はビルの中で縦空間の広がりの中で創り出されています。横移動ではなく、上下移動の中でモノ、ヒト、情報と出会っていくのです。
■現在の日本橋界隈
コレド室町2
上の写真は新装オープンしたCOREDE室町2です。TOHOシネマズ日本橋は、このCOREDE室町2のF3にあります。このビルはBF1、F1、F2とも、物販、飲食店で占められています。飲食、買い物を楽しんでから、情報コンテンツに向かっていく流れが創り出されています。それぞれのフロアがヒトで込み合い、賑わいを見せていました。飲食、情報コンテンツを媒介にヒトが交流を深める時代になっていることがわかります。
■ヒトを集める食

さて、ヒトは誰か他のヒトと心を通い合わせたくて、共に飲み、食事をし、会話をします。それでも、なかなか心が満たされることはありません。それだけではせいぜい他のヒトと快いひとときを共に過ごせたにすぎないからです。そこで、ヒトは感動を求めて映画館に足を運びます。映画であれば、ヒトは少なくとも、ジャンル別に分類された「感動」ぐらいは即席に受け取ることができるからです。このような現代人の欲求に合わせ、セット化されて「賑わい」は作り出されます。そして、COREDO室町界隈はそのような一角でした。

やがて、飲食、音楽、「感動的」な大衆向け映画だけでは心が満たされなくなるヒトが出てくるはずです。そうなったとき、山村浩二作品にみられるような短編アニメーションのもつ異化作用の力が必要とされるようになるでしょう。「感動」や「同化」に頼らずに作品世界に引き込む力を持っているからです。

COREDO室町はグルメ情報や映画上映情報を発信してヒトを集め、楽しませています。そこで楽しみ、感動したヒトが生の情報を生み出し、そこから発信しているという点ではCOREDO室町界隈もまたメディアなのだといえます。(2014/03/24 香取淳子)

山村浩二作品についてのブログは こちら