ヒト、メディア、社会を考える

絵画

いわき市立美術館で見た、Roberto MATTAの作品

■「不思議な動物たち」展
 2016年10月30日、ふたたび、いわきを訪問する機会がありました。前回、心に残る作品に出会えたことを思い出し、さっそく、市立美術館に立ち寄ってみました。今回、鑑賞したのは、常設展の小企画「不思議な動物たち」(開催期間は2016年9月27日~12月28日)です。いわき市立美術館では所蔵作品を前期2回、後期2回に分けて展示していますが、私が訪れたとき、この小企画では内外の画家の作品43点が展示されていました。その中でもっとも惹きつけられたのが、Roberto MATTAの作品でした。

 大きさといい、存在感といい、会場でひときわ目立っていたのが、この作品だったのです。画面いっぱいに不思議な空間が生み出されており、見た瞬間に引き付けられました。いったい、誰の作品なのでしょうか・・・。気になって、絵の周囲を見ると、横に、「ロベルト・マッタ制作」と作者名が表示されていました。

 ロベルト、マッタ・・・? 私がこれまでに聞いたこともなかった画家でした。もちろん、このような画風は見たこともありません。とはいえ、色彩の処理が繊細で、色調に暖かな伸びやかさがあり、とても魅力のある絵です。私は一目でこの作品に心を動かされ、しばらく見入っていました。作品のタイトルは、「ハート・プレイヤー」、1945年に制作された油彩画で、サイズは194.5×252.0㎝、です。

■「ハート・プレイヤー」にみる”ヤマアラシのジレンマ”
 会場では写真撮影が禁止されていましたので、残念ながら、ここでこの作品をお見せすることはできません。なんとか紹介できないものかと思い、ネットで探してみたところ、該当作品は見つかりましたが、カラーではありませんでした。

こちら →%e3%83%8f%e3%83%bc%e3%83%88%e3%83%bb%e3%83%97%e3%83%ac%e3%82%a4%e3%83%a4%e3%83%bc
(https://jp.pinterest.com/beluconb/roberto-matta/より。クリックすると図が拡大します)
 
 会場で私がこの作品に惹きつけられたのは、画面全体を方向づけていた色調でした。それなのに、カラーの写真を入手できず、残念でなりませんが、逆に言えば、白黒だからこそ、この絵の構造がよく見えるという利点があります。たとえば、どのようなモチーフがどのように配置されているのか、それがどのような効果をもたらしているのか、といったようなことを見ていくには白黒写真はうってつけなのかもしれません。

 さて、この絵で気になるモチーフは対角線上に配置された二人の人物です。まず、観客側に顔を向けている方の人物は、白い肌や胸のふくらみから当然、女性かと思ってしまうのですが、身体に目を向けると、必ずしもそうとはいえません。よく見ると、両性具有者のようです。一方、観客側に背中を向けている方は色が浅黒く、そして、頭部の形状を考え合わせると、どうやら男性のようです。

 いずれも顔面や頭部は奇妙な物体で構成されており、ヒトというには難があります。とはいえ、これらのモチーフを見ると、誰しもヒトが描かれていると思ってしまうでしょう。というのも、これら二つのモチーフの身体は明らかにヒトの形状をしており、腕と手の表現にはヒトでしかありえない意思の反映が見られるからです。

 ヒトと認識するもっとも重要な部分(顔面や頭部)にヒトとしての要素がなかったとしても、それ以外の部分でヒトと印象付ける要素があれば、総じてヒトだと認識してしまう、曖昧な情報でも柔軟に処理できるのが人間の脳が下す判断の的確さで、なかなか機械化できない領域ですが、それが、ここに示されています。

 このように曖昧な情報でも総合的に的確な判断を下すのが人間の脳だとすれば、マッタの絵の異様な形状のモチーフはひょっとしたら、そのような反応を確認するための仕掛けだったのかもしれません。そのように思いをめぐらしていくと、さらにこの絵に興味が湧いてきます。

 さて、明確なメッセージを放っていると思われるのが、両者の腕と手の表現です。

 二人の人物が向かい合って描かれているのですが、まるで相手をこれ以上近づかせまいとしているかのように、両腕を伸ばし、両手をストップの仕草で描いています。とても強い表現ですが、両者の手が接しているわけではありません。よく見ると、二人の間には矩形の棚のようなものが置かれています。それも床から天井まで、この棚が完全に二人を遮断しているのです。まるで直接のコミュニケーションを阻害する装置のようです。

 あらためて二人の人物を見ると、白い肌の人物は頭上と両肩、両脇に武具のようなものを装着しており、浅黒い肌の人物は背中や肩にボルトのようなもの、臀部にナイフ、頭部に刀にも見えるものを装着しています。両者とも武具をまとって対峙しているのです。

 両者の間を隔てる棚には正方形、長方形、丸味を帯びた三角形の白や黒の図形が浮遊するように描かれています。ですから、これらの図形は一種のシグナルで、両者の間になんらかのコミュニケーションがあり、情報が交わされていることが示唆されています。ところが、そのような交流がありながらも、両者は一定の距離を隔てて対峙しているという構図に、この絵の真髄があるような気がします。

 次に、両者の背後を見ると、白い肌の人物の背後には足元から頭上まで電波のような同心円がいくつも描かれており、背後を守るバリアのように見えます。一方、浅黒い肌の人物の背後には曲線がいくつも不規則な形状で描かれています。これもバリアといえなくはありません。

 こうしてみてくると、両者は背後をバリアで保護し、向かい合った前面も棚を介在させることで一定の距離を保つよう配置されていますから、水平方向が厳重に保護されていることがわかります。一方、足は床下の穴のようなものに固定されており、頭上は頭部に装着した武具のようなもので守られていますから、垂直方向も守られているといっていいのかもしれません。

 そういえば、この作品のタイトルは「ハート・プレイヤー」でした。ですから、画面に描かれた白い肌の人物を浅黒い肌の人物は、気持ち(heart)をやり取りするプレイヤー(player)といったところなのでしょうか。この絵を詳しく見ていくと、両プレイヤーの周囲には厳重なバリアが張り巡らされています。ですから、私はつい、”ヤマアラシのジレンマ”を思い出してしまいました。

 ”ヤマアラシのジレンマ”とは心理学用語で、距離の観点から見たヒトとヒトの関係の在り方を示すものです。つまり、ヒトとヒトは近づきすぎると往々にして痛い思いをすることになりますが、かといって離れてしまうと、寂しくてたまらない・・・という傾向がみられます。ですから、一般に、ヒトとヒトとの関係は一定の距離を保っておくのがいいというような意味あいで使われています。

 さて、この作品は1945年に制作されています。1945年といえば、第2次世界大戦の最末期です。そのような時期に、社会に目を向けるのではなくヒトの内面に目を向け、このような作品を手掛けたRoberto MATTAとはいったい、どのような人物だったのでしょうか。

■Roberto MATTAとは
 Wikipediaによると、1911年、マッタはチリのサンティアゴで生まれ、建築を学びました。コルビジェの下で働くため、1933年にパリに旅立ちましたが、そこで、ルネ・マグリットやダリ、アンドレ・ブルトンなどと出会ってその影響を受け、シュールレアリスムの画家としてスタートを切り、活動を続けていたようです。1938年ごろからは戦火を避けてアメリカに移住し、第2次大戦中はアメリカで絵を描いて過ごしました。1948年以後、フランスに定住しましたが、戦局がひどい時期はアメリカに滞在していたのです。

 それを知ってようやく、戦時下にありながら、マッタが内面に目を向けた作品を手掛け続けてこられた理由がわかりました。彼自身の意思の強さもあったでしょうが、なによりも、戦争という大きな環境の変化に屈することなく、マッタが自身の興味関心を追求できる環境を選ぶことができたからでした。

 私は知らなかったのですが、1995年、マッタは高松宮殿下記念世界文化賞を受賞したそうです。

こちら →http://www.praemiumimperiale.org/ja/component/k2/matta

 このホームページのプロフィールには「人の心の意識下にあるもの、目には見えないものを幻想的、SF的に、ダイナミックに表現する、そのスタイルを自ら「心理学的形態学」あるいは「インスケープ(心象風景)」と名付けている。その画面からは一種混沌としたエネルギーの横溢が伝わってくる」と記されています。マッタが長年にわたって、ヒトの内面世界を追求し、表現活動を積み重ねてきたことが評価されているのです。

■「Space and the Ego」
 なんとしても、「ハート・プレイヤー」をカラーでお見せしたいと思い、再度、ネットで探してみました。それでも、見つかりません。そこで、とりあえず、色調の似た作風の作品を探してみました。先述したように、この作品をいわき市立美術館で見たとき、まず、その色彩や色調、画風に引き付けられたからです。

 なんとか、似たような色調、画風の作品を見つけることができました。

こちら →1945-x-space-and-the-ego
(http://poulwebb.blogspot.jp/2011/07/matta-surrealist.htmlより。クリックすると図が拡大します)

 写真のキャプションには「1945×Space and the Ego」と書かれています。モチーフとしては、線画で描いたようなさまざまな姿態の人体を画面のあちこちにレイアウトし、やはり線画で描いた得体の知れない構造物を随所に配しています。人体の頭部に相当する部分にナメクジ、貝、得体のしれないものが組み込まれています。奇妙ですが、どこか気になってしかたがない・・・、だからこそ、立ち止まって見入ってしまうのですが、不思議に爽快感が感じられます。それはおそらく、絵全体の色彩のバランス、統一感のある色調のおかげで、それらのモチーフに奇妙な調和が醸し出されているからでしょう。

 いわき市立美術館で見た「ハート・プレイヤー」と比べると、人物の捉え方、描き方が似ています。さらに、随所に黒で記号のような四角形を配し、また、随所に線で描き込みをしている点、そして、なにより、全体の色調に類似性を感じさせられます。

 赤、白、黒、水色、黄色、グレーなどがバランスよく配合され、画面で調和的世界を創り出している点も共通していました。そのせいでしょう、個別のモチーフはそれぞれ奇妙奇天烈、理解不能ながら、全体としてそれらが絡み合い、一つに世界を現出しているのです。ヒトの内面を覗いてみれば、ひょっとしたら、このような世界が展開されているのかもしれません。個々のモチーフが個々の体験だとすれば、それらがヒトの内面で相互作用を起こし、別の次元のものになっていく様子が表現されているようにも見えます。

■内面世界に向かう絵画の先駆け?
 20世紀初頭、科学の発達に比例するように、ヒトの内面世界に表現者の関心が向き始めました。シュールレアリスムの動きもその一環として始まったのでしょうし、マッタが内面世界にこだわって作品を制作し続けたのも、おそらく、その流れと無縁ではないでしょう。そういえば、フロイトが『リビドー理論』や『自我とエス』というような書物を刊行したのが1923年でした。マッタは1933年にパリに出かけ、コルビジェの事務所で働いたといわれていますから、当然、深層心理に関するフロイトの著作は目にしていたでしょう。

 ちなみに、先ほど紹介した作品のタイトルは「Space and the Ego」です。「空間と自我」というタイトルですから、フロイトの影響を受けていることがわかります。そして、この作品は1945年に制作されていますから、「ハート・プレイヤー」と同時期の作品なのです。いずれも、ヒトとしての存在を支える空間と自我に焦点を当てた作品といえます。

 こうしてみてくると、産業化の進行がフロイトの精神分析に活躍の場を与えたのと同様、ヒトの内面に焦点を当てて作品を制作してきたマッタの作品世界に、21世紀のいま、多くのヒトが共感を示すのではないかという気がします。

 私自身、今回、いわき市立美術館ではじめてマッタの作品に出会ったのですが、とても衝撃を受けました。単純化されたモチーフの扱いからはさまざまなことを考えさせられますし、色彩のバランスや全体を覆う色調からは気持ちがリフレッシュされ、爽快感が感じられます。マッタの作品を見ていると、右脳、左脳がともに刺激され、見るものの気持ちがそのまま、ふっと異次元に誘われていくような躍動感が感じられるのです。

 ヒトの内面を観察して外部化し、それを見つめ、さらなる高みに仕上げていくのが、マッタの制作姿勢だとするなら、21世紀のいま、その作品世界はさらに輝きを増すでしょう。人工知能と共存しなければならなくなりつつある現在、マッタの作品は新たな光を浴び、多くのヒトの気持ちを捉え、慰めを与えるようになるのではないかと思いました。今回もまた、いわき市立美術館で素晴らしい出会いがありました。(2016/11/30 香取淳子)

筑波大学芸術系研究者チーム、孔子像を彩色復元する。

■画期的な研究成果の公開
 2016年8月27日(13:00~15:30)、茗渓会の公開講座、「嘉納治五郎と孔子祭典―湯島聖堂本尊孔子像の彩色復元資料を中心にー」が開催されました。会場は茗渓会館5階の会議室で、同じフロアのラウンジには、この公開講座を含む期間(8月22日から28日)、復元された彩色孔子像、関連資料や映像、模写作品などが展示されていました。

こちら →img_2515
(図をクリックすると拡大します)

 この講座は、第1部「嘉納治五郎と明治の徳教」と第2部「湯島聖堂「孔子像」復元チームが語る、草創期の彩色像の再現」で構成されており、第1部がこの講座全体を俯瞰する見取り図だとするなら、第2部は彩色孔子像の復元に至る具体的なエピソードの紹介という組み立てです。

 第1部の美術史の立場からの孔子像研究から、第2部の精緻な考証を踏まえた孔子像の彫塑、彩色、模写、3DCG表現などに至る流れもスムーズで、孔子像の彩色復元の意義や復元のプロセスが、無理なく理解できる展開になっていました。専門的な内容でしたが、孔子像を巡る考証や制作のプロセスが、パワーポイントで適宜、画像を織り込みながら、説明されたのでわかりやすく、よく理解できたような気がします。

 今回の公開講座は、科学研究費による研究の成果発表の一部として行われました。科学研究費基盤研究(A)東アジア文化の基層としての受講の視覚イメージに関する研究」(研究代表者:守屋正彦、2014年4月-2018年3月)の中間発表といっていいでしょう。筑波大学芸術系儒教美術教員チームによる壮大な研究成果の一端がこの日、一般に披露されたのです。

 当日、配布されたリーフレットには発表内容の要点が記されています。

こちら →http://www.tsukuba.ac.jp/wp-content/uploads/160822_28.pdf

 発表内容について私はこれまでまったく知らず、興味を抱いたこともなかったのですが、考証や復元のプロセスがとても精緻に、論理的に展開されていたので、聞いているうちにいつしか、良質のミステリーの謎解きにも似た面白さに捉われてしまいました。引き込まれて聞いているうちに、あっという間に所定の時間が経っていました。

 それでは第1部から順に、発表内容をご紹介していくことにしましょう。

■嘉納治五郎と明治の徳教
 第1部は、「嘉納治五郎と明治の徳教」-高等師範学校長が復活させた孔子祭について」という内容で、本研究の代表者である筑波大学教授(美術史)の守屋正彦氏が発表されました。

 興味深かったのは、明治維新以降、行われなくなっていた孔子祭典が開催されるに至ったプロセスです。はじめての孔子祭典は、明治40年(1907年)、孔子祭典会によって開催されました。

 守屋氏によると、孔子祭典会は明治39年に結成され、40年1月16日、互選によって、当時、東京高等師範学校の校長だった嘉納治五郎が委員長に就任したそうです。そして、同年4月、維新後はじめての孔子祭典が行われ、以後、大正8年の第13回まで、孔子祭典会主催によって開催されています。

こちら →http://www.seido.or.jp/cl02/detail-6.html

 孔子祭典会の母体になったのが、明治13年(1880年)に設立された斯文学会でした。守屋氏はこの斯文学会について、「ヨーロッパを視察した岩倉具視は帰国後、孔子学に基づいた道徳教育の在り方を推進」し、それに呼応するように、政、財、官、学界から有志が集い、東アジア文化に共有する孔子学を学ぶ場として設立されたと説明されました。孔子の教えに倣い、道徳教育を行おうとする動きがすでに明治10年代、形を整えつつあったようです。

 当時、全国津々浦々に開化思想が広がり、社会情勢は混乱していました。維新後10年を経て、盲目的に西欧の思想や文化、技術を摂取するだけではなく、漢学に依拠した規範再考の動きが各地で生まれていたようです。欧米に対抗するための諸改革が一段落すると、為政者たちは社会秩序のための根本理念が必要だと思いはじめたのでしょう。欧化主義をとりながらも、儒教を踏まえた生活規範を広げる必要があると思うヒトが増えてきていたのです。

 第1回孔子祭典には多数の指導的立場のヒトが参加しました。写真は、祝賀の言葉に聞き入る人々を背後から写したものです。

こちら →%e7%ac%ac1%e5%9b%9e%e5%ad%94%e5%ad%90%e7%a5%ad%e5%85%b8
(講座案内リーフレットより。図をクリックすると拡大します)

 礼装に身を固めた男性たちが幾重にも並び、頭を垂れて聞いている姿が印象的です。後方には配布された祝文らしいものを読んでいるヒトもいます。この写真からは新しい社会の根幹に孔子学を据えようとする人々の熱気が感じられます。

■学校教育の発祥の地
 第1回祭典委員長に就任したのは、独自の柔道を創り、明治15年(1882年)に講道館を設立した嘉納治五郎でした。彼は東洋で初の国際オリンピック委員を務め、日本のスポーツ界におおいに貢献したことで知られていますが、実は、25年余に及ぶ東京高等師範学校の校長でもありました。

 興味をかき立てられ、ちょっと調べてみました。すると、明治35年10月21日、宏文学院での講演で、「徳育については孔子の道を用いるのがいいであろう」と述べていることがわかりました(陈瑋芬、「「斯分学会」の形成と展開」、1995年)。嘉納治五郎が道徳教育は孔子学に基づくのがいいと考えていたことがわかります。

 守屋氏はまた、明治4年(1871年)に翻訳書『西国立志編』を刊行した中村正直を紹介されました。『西国立志編』はイギリス人サミュエル・スマイルズの著書(”Self Help”, 1859)の翻訳です。この本は明治の終わりまでに100万部以上を売り上げたといわれていますから、当時、意欲に燃えた若者や知識人たちに相当、影響を与えていたと思われます。翻訳者である中村正直は儒学にも造詣が深く、東京女子高等師範学校の校長でもありました。

 私にとって興味深いのは、嘉納治五郎と中村正直が校長を務めていた東京高等師範学校と東京高等女子師範学校が当初、隣り合わせに設置されていたということです。

こちら →img_2506
(展示写真より。図をクリックすると拡大します)

 古い写真なので画像がはっきりしませんが、左が東京女子高等師範学校で、右が東京高等師範学校です。現在は東京医科歯科大学のある場所に当時、両校がありました。元はといえば、徳川五代将軍綱吉が儒学の振興を図るために聖堂を設置した場所でした。その後、1797年に幕府直轄学校として昌平坂学問所が開設され、明治4年にこれが廃止されると、今度は1872年に東京師範学校、そして、1874年には東京女子師範学校が設置されました。ラウンジに展示されていたこの写真からは、この地がまさに学校教育発祥の地であったということがわかります。

こちら →http://www.seido.or.jp/yushima.html

 東京高等師範学校はその後、学制改革により、東京教育大学を経て、現在は筑波大学になっています。一方、東京女子高等師範学校は同様に学制改革により、お茶の水女子大学となりました。この写真を見ていると、学生の頃、母校がかつて東京医科歯科大学の場所にあったと聞かされたことを思い出し、懐かしくなりました。

■孔子像の焼失
 第1部では守屋氏の発表によって、孔子祭典の開催に至る経緯がよくわかりました。明治40年に 維新後はじめて孔子祭典が挙行された背景には、近代化の圧力に対抗するかのように儒学再興の機運があったことが印象的です。西欧の文化や思想を摂取する一方、日本の国のカタチを模索していた為政者、識者たちはそのシンボルとして孔子に熱い思いを抱いていたのです。

 孔子学に基づいた道徳教育の在り方を推進しようとする人々によって、維新後はじめて孔子祭典は開催されました。その後も継続して、大正8年までは孔子祭典会主催で開催されていました。ところが、大正9年以降、斯文学会を母体として組織改革された斯文会主催で開催されるようになり、現在に至っているようです。

こちら →http://www.seido.or.jp/cl02/detail-6.html

 祭典ですから、当然、礼拝の対象が必要です。孔子祭典では、「湯島聖堂大成殿本尊孔子像」がその象徴でした。ところが、1923年9月、関東大震災が発生した際、湯島聖堂が罹災し、孔子像や孔子の高弟である四配像も焼失してしまいました。

 その後、湯島聖堂は昭和10年(1935年)に再建されました。ところが、シンボルである孔子像は不在のまま、相当、時間が経ちました。2007年にようやく本尊として、湯島聖堂大成殿に奉納されのが、柴田良貴氏(筑波大学教授)制作の孔子像でした。このブロンズ像は筑波大学芸術系研究者チームによる復元研究の成果です。

こちら →worship_cut02
(http://www.seido.or.jp/worship.htmlより。図をクリックすると拡大します)
 
■孔子像復元研究の経緯と成果
 第2部は2007年に奉納された孔子像に基づき、孔子像の彩色復元に携わった方々が発表されました。

 まず、筑波大学教授の柴田良貴氏(彫塑)が、研究の経緯と成果について説明されました。2007年に奉納された孔子像(ブロンズ像)の復元までに、康音作(木像)、新海竹太郎(ブロンズ像)など、さまざまな図像や画像を参考にしながら、石膏原型を制作することから着手されたそうです。

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(2016年3月31日発行、復元研究成果報告論文集より。図をクリックすると拡大します)

 上の写真は柴田氏が何度も石膏像の修正を行っているところです。気の遠くなるような作業を繰り返し、石膏原型が完成しました。石膏はもろいので、中間的素材でしかありません。そこで、最終的には火に強く、半永久的に保存できるブロンズ鋳造をし、孔子像の復元にこぎつけました。それが2007年に湯島聖堂大成殿に奉納された孔子像です。

 興味深いのは、柴田氏が復元像には、「復元を行う作家の造形感覚が加味される」という認識を持たれていることでした。繰り返し石膏像の推敲をされる姿を写真で見ていると、たしかに、復元を行う作家の造形感覚こそが制作された像に命を吹き込むのだと思えてきます。復元は決して単なるコピーではないのです。

 柴田氏はさらに、今回の彩色復元像のために、ブロンズ像ではない素材について研究したと説明されました。それは、ブロンズ像には色をつけることができないからですが、彩色が有効な素材として何がふさわしいか、自身の専門と照らし合わせて検討を重ねた結果、奈良時代によく使われていた乾漆像での復元に決めたということです。

 私たちがよく知っている阿修羅像など、唐招提寺に保存されている像の多くはこの乾漆像だそうです。今では使われていない技法を掘り起こし、孔子像の彩色復元を完成させたこのチームの果敢な挑戦には頭が下がります。

■彩色復元
 柴田氏の制作された乾漆像に彩色されたのが、筑波大学准教授の程塚敏明氏(日本画)でした。今では使われていない乾漆像に彩色するため、さまざまな調査や実験をされたようです。

 たとえば、彩色材料についての実験をご紹介しましょう。立体像に彩色する際、問題になるのは、顔料を塗布しても剥落してしまう可能性があることです。どのような材料をどのように使用すれば、剥落を防ぐことができるか、それが、さしあたっての大きな課題でした。そこで、程塚氏は彩色実験をされています。

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(2016年3月31日発行、復元研究成果報告論文集より。図をクリックすると拡大します)

 湾曲した乾漆地に岩絵の具を1回塗布したもの、水干絵の具(泥絵の具)を1回塗布したものを比べると、湾曲した面にも効果的に塗布できるのは水干絵の具だという結果が得られました。それを踏まえ、水干絵の具を使用することにしたといいます。

 もちろん、曲面や垂直面で顔料を定着させるにはどうすればいいか、窪んだ箇所にたまる顔料をどう処理すればいいか、湾曲した面での文様の扱いをどうすればいいか、課題は山積していました。

 素材の工夫、塗り方の工夫など、様々な労苦を重ね、ようやく乾漆像への彩色復元が完成しました。

こちら →images
(2016年3月31日発行、復元研究成果報告論文集より。図をクリックすると拡大します)

 興味深いのは、程塚氏が孔子像の彩色作業について、「筆者の色彩的感性に加え、彫刻、日本美術史、デザインによる横断的な考察により、孔子像の視覚イメージが構築されていった」と説明されたことでした。

 かつては存在していたが、いまは存在しない孔子像をどのような材料で制作し、どのような顔料で彩色するか、隣接領域の研究者たちのチームワークの良さから得られた集合知の結果、最適解が得られたのでしょう。チームワークのいい共同研究ならではの成果をここに見ることができると思いました。

■孔子座像の3DCG
 立体像への彩色復元には、3DCGによる映像もおおいに参考になったようです。程塚氏は乾漆像に彩色する際、様々な角度からの立体像を参考にしたといわれましたが、その3DCGを制作したのが筑波大学准教授の木村浩氏(コンピュータグラフィックス)でした。

 ラウンジに展示されていたのは、「湯島聖堂大成殿内部空間」を3DCGで再現した映像でした。たとえば、次のようなカットがあります。

こちら →img_2508
(展示映像より。図をクリックすると拡大します)

 ここでは赤い柱に赤い梁、そして、赤い碁盤目の天井が表現されています。赤い梁と天井との間の空間に、賢人図像の扁額が掛けられています。高い位置にあって通常、下からはよく見えないのですが、このように3DCGで表現されるとよくわかります。大成殿の内部が3DCGで再現されることによって、扁額の図像がヒトの目にどのように見えていたのか、想像しやすくなっています。

 孔子座像についても3DCGで表現されており、様々な角度から立体図を確認できます。ですから、背面、側面など、正面から描かれた平面図ではよく認識できない部分を3DCGの映像で確認することで、孔子像をよりリアルに表現することができたのだと思いました。

 木村氏は柱の間隔、高さ、それぞれの位置など、空間を表現できる諸データを資料に基づき収集し、再現したといわれました。二次元で表現された画像を三次元空間に置き換えることによって、聖なる空間についてのイメージが膨らみます。

 大成殿内部の映像を見ていると、聖像は、聖なる空間の高い位置、あるいはよく認識できない位置に置かれてはじめて、聖性を帯びて存在しうるのかもしれないと思えてきました。

■英一蝶筆「孔子像」の模写
 英一蝶筆「孔子像」(斯文会所蔵)の模写を手がけたのが、筑波大学教授の藤田志朗氏(日本画)でした。日本画材を模写することにより、当時の彩色の手法や筆致、使用した色材などについて把握するのが目的だったようです。

 藤田氏は、英一蝶の「孔子像」は衣裳の文様が精緻で、その線描に抑揚があり、芸術性が高いという認識を示されました。

こちら →img_2504
(展示作品より。図をクリックすると拡大します)

 たしかに、模写された図を見ていると、衣の襞、さらには絹の重みを感じさせる筆の精緻さ、滑らかな流れがよくわかります。孔子の立体像を制作する際、このような平面図がおおいに参考になったことが推察されます。

 ラウンジに展示されていた孔子座像を仔細に見ると、見事な衣装の質感、文様の精緻さ、色彩の繊細さに驚かされます。

こちら →img_2510
(展示作品の一部を撮影。図をクリックすると拡大します)

 乾漆像への彩色で、これだけの文様や質感の表現が可能になったのです。乾漆像への彩色を担当した程塚氏の尽力はもちろん、ここには、孔子像の模写を通して得られた画材や彩色手法、筆致などの効果も見ることができます。あらためて、この研究チームの集合知の素晴らしさを感じさせられました。

■研究者チームの英知が結集した研究
 それにしても、なんと意欲的で、壮大で、意義深い研究なのでしょう。隣接領域の芸術系研究者たちが10年の歳月をかけ、関東大震災(1923年)の際、消失してしまった孔子像の彩色復元を実現させてしまったのです。

 本研究「東アジア文化の基層としての儒教イメージに関する研究」(平成26~30年度)は、「美術資料による江戸前期湯島聖堂の研究」(平成15~16年度)、「江戸前期儒教絵画と彫刻の復元研究」(平成17~19年度)、「礼拝空間における儒教美術の総合的研究」(平成21~25年度)、「東アジアに展開した儒教文化の視覚イメージに関する復元研究」(平成23~27年度)を踏まえ、展開されています。

 筑波大学芸術系研究者チームは上記の研究の結果、毎回、文化資産ともいえる成果物を出されており、日本画、日本文化、アジア文化などに多大な貢献をされています。一連の発表を聞き終えて、専門分野の異なる研究者が協力し合って成果を出していくことの素晴らしさを感じました。そして、知の集積の場である大学が持つ巨大な潜在力を見た思いがしました。(2016/9/12 香取淳子)

いわき市立美術館で見た、心に残る作品

■常設展で見た辰野登恵子氏の作品
 いわき市に出かけたのは今回が初めてですが、街なかを散策中に、洒落た建物を見つけました。8月21日の午後、じりじりと照り付ける日差しを受けて、その建物はまぶしく輝いていました。近づいてみると、いわき市立美術館でした。誘われるように美術館に入っていくと、平成28年度常設展前期Ⅱとして、「美術館へようこそー絵画のすがた」と「常磐炭鉱~スケッチブックの記憶~」が開催されていました。

「美術館へようこそー絵画のすがた」のコーナーでは、内外の画家、彫刻家の作品24点が展示されていました。いずれもいわき市立美術館所蔵の作品で、いわゆる現代美術に分類されるものでした。

こちら →160329132537_0
(http://www.city.iwaki.lg.jp/www/contents/1001000005276/index.htmlより)

 このコーナーで私がもっとも惹きつけられたのは、上の写真には写っていませんが、辰野登恵子氏の『UNTITLED 95-8』です。深みのある鮮やかな赤で着色された巨大な図形がなんともいえない存在感で、観客に迫ってきます。奇妙な図形は、ヒトとヒトが対峙しているようにも見え、器具の一部のようでもあり、単なる記号のようにも見えます。

 何が描かれているのか、描かれていることにどのような意味があるのか、よくわかりません。絵を見たときヒトが条件反射的に求めてしまう意味が、この絵からは解読できなかったのです。ところが、この絵からは、ヒトの気持ちをゆさぶるような迫力と、生命に直結したようなエネルギーを感じさせられました。だからこそ、意味はわからないながらも、私はこの絵に惹きつけられてしまったのでしょう。

 会場では撮影できませんでしたので、ここでその絵をお見せすることはできません。後で、インターネットで検索してみると、似たような作品を見つけることができました。この作品の後に描かれたと思われる作品です。

こちら →UNTITLED 95-9
(http://xn--zck9awe6d.jp.net/wp-content/uploads/2014/09/561.jpg より。図をクリックすると拡大します)

 一見しただけでは展示作品かと思ってしまうほど、よく似ています。ですが、よく見ると、メインモチーフの形状や色遣い、背景の形状や色遣いが微妙に異なっています。辰野氏はおそらく、展示作品(UNTITLED 95-8)のどこかに満足できずに、その直後、この『UNTITLED 95-9』を制作したのでしょう。背景の模様の色遣いが展示作品よりも多様になっていますし、メインモチーフの色遣いがフラットになっています。

 私はどちらかといえば、展示作品(UNTITLED 95-8)の方が好きです。メインモチーフの色遣いに深みがあり、陰影の付け方に濃淡があって、この奇妙な図形の存在感が強調されていたからです。背景の模様の色遣いがコントロールされていることも、メインモチーフを引き立たせる効果がありました。

 具体的に何を表現しているのか、解釈は観客に委ねられています。それだけに、モチーフの形状や色彩だけでなく、背景の形状や色彩も大きな意味を持ってきます。『UNTITLED 95-8』の場合、背景の色遣いが『UNTITLED 95-9』よりも制限されているので、この模様が青い海に浮かぶいくつかの島のように見えます。地球を俯瞰するような構図を背景に、存在感のあるメインモチーフが配置されているといっていいかもしれません。

 ですから、マクロ的にもミクロ的にもヒトと地球とのかかわりが示唆されているように見えますし、ヒトとヒト、ヒトと社会が捉えられているようにも見えます。多様な意味を引き出せそうな作品なのです。私はしばらくこの絵の前で佇んでいました。それだけ、この作品には根源的な迫力があり、このコーナーではとても目立っていました。

■いわき市と常磐炭田
 1Fの展示コーナーに入ってすぐ左手に、もう一つの常設展、「常磐炭鉱~スケッチブックの記憶~」が開催されていました。このコーナーでは炭坑をテーマに制作された作品37点が展示されており、異彩を放っていました。いわき市に関係する美術家12名が制作したもので、いずれも同館所蔵の作品です。

 鉛筆画、コンテ画、水彩画、油彩画、リトグラフ、さらにはセメントによる塑像など、技法も異なれば材質も異なる多様な作品群です。炭坑をモチーフにした37点が集中して展示されているこのコーナーには、地元の美術館ならではの郷土愛が感じられました。

 私はあまりよく知らなかったのですが、福島県いわき市はかつて殖産産業であった炭鉱で栄えていたようです。いわき駅の観光案内所でもらった何枚かのチラシに、「いわき市石炭・化石館 ほるる」がありました。ここでは、いわき市が産炭地として栄えた当時の資料と、市内で発掘された動植物の化石等が展示されています。JR湯本駅から徒歩10分のところにあります。

こちら →http://www.sekitankasekikan.or.jp/about/about.html

 そういえば、子どものころ、社会科の授業で常磐炭田について学んだような気がします。言葉だけ記憶していた常磐炭田が、いわき市を含むこの地域一帯を経済的に支え、繁栄に寄与していた時期があったのです。

 展示作品は、炭坑やそこで働くヒト、炭坑を取り巻く町、などをモチーフにさまざまな観点から制作されていました。そのせいでしょうか、描き方の巧拙にかかわらず、どの作品にもヒトを立ち止まって見入らせる力がありました。生活に根差したリアリティが画材を通して立ち上ってきていたからでしょう。

 このコーナーの展示作品からは、何が描かれているのか、作品を通して作家が何を伝えようとしているのかが直に使わってきました。そして、程度の差はあれ、どの作品からも、生活実態を踏まえた生命力のようなものが滲み出ていました。ヒトと社会のありようを示唆する作品もありました。

■中谷泰氏の作品
 このコーナーでまず、印象に残ったのが、中谷泰氏の作品でした。『炭坑町』(油彩、100×91㎝、1958年)という作品です。

こちら →炭坑町
(https://www.hakkoudo.com/ninki-sakka/%E4%B8%AD%E8%B0%B7%E6%B3%B0/より。図をクリックすると拡大します)

 左上方に描かれた茶色のボタ山に対比するように、2本の煙突を挟んで、右上方に緑の残る鉱山が描かれています。その下には人々の暮らす家々が描かれており、鉱山とそこで働く人々の生活が示唆される構図です。

 煙突からはもくもくと黒い煙があがり、空も黒ずんで見えます。この絵の中でヒトの姿は描かれていませんが、煤煙の空の下で暮らす人々の悲惨な生活が容易に想像できます。ここでの生活は大気汚染など気にしていられないほど苛酷なものだったのかもしれません。

 右上方に描かれた山は左側のボタ山よりも手前にやや小さく、緑色で描かれています。かつてはこのような緑の木々に覆われていた山が石炭の発掘が繰り返され、やがて、左のボタ山のように茶色になってしまうということが示されているような気がします。観客にしてみれば、ここに緑の山が描かれていることで、ほっとした気持ちになります。

 ネットで調べると、この作品にとてもよく似た『炭坑』(油彩、1956年)があることに気づきました。

こちら →

5.0.2 JP

5.0.2 JP


(http://search.artmuseums.go.jp/gazou.php?id=5166&edaban=1より。図をクリックすると拡大します)

 この作品では、『炭坑町』には描かれていなかったヒト(手ぬぐいを頭に巻いた女性)が描かれています。しかも、右上方の山が緑色ではなく茶色で、そこには山頂に続く道も描かれています。ですから、この絵では、右上方の山もボタ山なのです。二つの大きなボタ山の下で、煤煙に包まれて働く人々の暮らしがこの絵のモチーフになっています。全体が黒っぽい茶色で覆われているので、この絵からは救いようのない辛さが感じられます。

 『炭坑』の制作年が1956年、『炭坑町』の制作年は1958年です。つまり、中谷氏は『炭坑』に満足しきれなくて、その後、『炭坑町』を制作したのだと思われます。

 同じモチーフを扱いながら、この二つの作品には描き方が異なっており、そこに中谷氏のモチーフに対する気持ちの変遷を見ることができます。『炭坑』が炭坑で働く人々の暮らしを見たまま描くことによって、この絵に批判を込めたのだとすれば、『炭坑町』の方は、直接的な批判色を薄め、あるべき姿を提示することによって間接的に批判をしているといえます。

 右のボタ山を敢えて緑色にし、ヒトの姿を消すことによって、婉曲的な批判に変容しているのです。ですから、同じモチーフを扱いながら、『炭坑町』の方が深みのある作品になっており、観客に訴える力も増していると思います。

 中谷氏がモチーフにしたのではないかと思われる風景写真をネットで見つけました。

こちら →top-img
(http://tankouisan.jp/より。図をクリックすると拡大します)

 この写真を見ると、中谷氏が最初は見たままのボタ山の光景を描き、その後、修正を加えたのだということがわかります。そうすることによって、絵としての陰影を刻み、画面に深みを増すことができているように思いました。

 さて、一連の作品の中で、私がもっとも惹かれたのは、中谷泰氏の『春雪』(油彩、91×100㎝、1960年)という作品です。

こちら →春雪
(http://machinaka.cocolog-nifty.com/blog/cat44385196/より。図をクリックすると拡大します)

 まず、絵として美しいと思いました。白の占める面積が大きいからでしょうか、墨絵のような美しさがあります。ここには煤煙はなく、ボタ山もそのふもとの家々も雪で覆われています。そのせいか、この絵には清らかささえ感じられます。良いも悪いもすべて雪によって包み込まれているからでしょう、諦念にも似た静けさと調和の下で黙々と働くヒトの暮らしが透けて見え、限りない愛おしさを感じさせられました。

■現実の超克と生きる力
 思いもかけず立ち寄ったいわき市立美術館で、辰野登恵子氏と中谷泰氏の作品に出会いました。辰野氏の作品からは、俯瞰の構図を背景にしたモチーフに巨大な生命力を見ました。そこには観客を捉えて離さない、モチーフの色彩と形状、それを支える背景の色彩と形状から生み出される迫力がありました。

 中谷泰氏の作品からは、社会批判の形にさまざま様相があることを教えられました。『炭坑』では直接的に、『炭坑町』では間接的に社会批判につながる表現がなされていました。両作品ともボタ山をメインにした光景から、大気汚染に晒され、苛酷な労働を強いられる炭坑の町のヒトの生活が浮き彫りにされています。ですから、見ていると、自然に社会批判の意識が立ち上ってくるのです。

 ところが、『春雪』ではその種の社会批判を超えた、ヒトと人生、あるいは、ヒトと自然といったようなものが見えてきます。雪で覆われたボタ山の光景が、目の前の現実を俯瞰する構図で捉えられているからでしょう。

 こうして見てくると、辰野登恵子氏の作品からも中谷泰氏の作品からも、現実の超克とその暁に得られる生きる力というものが見えてくるような気がします。たまたま訪れたいわき市で思いもよらず、素晴らしい作品に出合いました。(2016/8/24 香取淳子)

第17回日本・フランス現代美術世界展で見たLOILIER Hervé氏 の作品

■第17回日本・フランス現代美術世界展の開催
 JIAS日本国際美術家協会主催の「第17回日本・フランス現代美術世界展」(会期は2016年8月3日から8月14日)が、国立新美術館3A展示室で開催されています。8月9日、たまたま六本木に行く用事があったので、立ち寄ってみました。

 会場では油彩、水彩、アクリル、写真などさまざまなジャンルの作品(海外作品81点、国内作品300点余)が展示されていました。ここでは、油彩画として印象に残った作品を紹介することにしましょう。

■ LOILIER Hervé氏 の『タージ・マハルの夕べ』
 海外作品の展示コーナーでまず目についたのが、LOILIER Hervé氏 の『タージ・マハルの夕べ』です。モチーフを捉えた力強い構図、洗練された色遣い、自由奔放なようでいて実は非常に繊細なタッチ、思わず引き込まれて見てしまいました。

 この作品を仮にAとしましょう。

こちら →A
(80×80㎝、キャンバス、油彩、クリックすると図が拡大します)

 この作品(A)には、絵画ならではの魅力、さらにいえば、油彩画ならではの魅力が満ち溢れていました。キャンバスに油彩という表現方法だからこそ持ちうる最大限の魅力が引き出されていたのです。立ち止まって見ているうちに、なぜかマクルーハンの「メディアはメッセージだ」という箴言が思い出されてきました。

 マクルーハンといえばテクノロジーとヒトや社会との関わりを省察し、世界に一躍、名を馳せたメディア学者です。絵画とはなんのゆかりもありません。それなのになぜ、この絵を見て、そのような箴言が思い浮かんだのか、不思議です。しばらく思いを巡らせてみることにしましょう。

 この絵を見るとたしかに、キャンバスと油絵具という媒体(メディア)によって、色彩の深みと層の厚さに支えられた優雅さが表現されていました。だからこそ、私は油彩画の本質につながる何かをこの作品から感じさせられたのでしょう。ですから、モチーフとこの作品との関係を丁寧に辿ってみると、ひょっとしたら、油彩画の本質の一端を浮き彫りにできる可能性も期待できます。

 ネットで調べてみると、H. LOILIER氏はタージ・マハルをモチーフにいくつか作品を手掛けているようです。写真とそれらの作品、そして、今回の展覧会で見た『タージ・マハルの夕べ』を比較検討してみると、何か見えてくるものがあるかもしれません。

 ちなみに、フランスのWikipédiaを見ると、LOILIER Hervé氏は1948年生まれのフランス人で、2012年までエコール・ポリテクニークの視覚芸術科で教えていたようです。

■写真で見るタージ・マハル
 まず、タージ・マハルという、この作品のモチーフを写真で見てみたいと思います。

こちら →133345536582791 (1)
(https://plus.google.com/+IndiatourinautTajmahal/postsより。クリックすると図が拡大します)

 被写体をレンズで機械的に捉えると、このようになります。確かに荘厳で美しく、大理石で建造された建物の持つ迫力が伝わってきます。現地に赴いてこの建物を見ると、実際、このように見えるのでしょう。前庭、水面を含めると、左右上下対称の幾何学的なレイアウトが見事です。

 旅行会社のチラシなどでよく見かけるタージ・マハルは、インド・イスラム文化の代表的な建造物で、世界遺産にも登録されています。いまでは誰もが知っている有名な観光地になっていますが、実は墓所です。ムガル帝国の第5代皇帝が1631年に死去した妃を偲び、贅をつくし、22年もの歳月をかけて、1653年に完成したのがこの霊廟なのです。

 霊廟とはいいながら、白亜の宮殿のようにも見える華麗さに驚きますが、この建物が、愛する妃を偲んで建設されたと聞けば、納得できます。ですから、絵のモチーフとしてタージ・マハルを描く場合、第5代皇帝の妃への深い愛、妃の優雅さ、華麗さなどが表現されていなければなりません。建物の荘厳さを描くだけではなく、優雅、華麗といった要素を描き込むことが不可欠なのです。

 ところが、被写体を機械的に写し出すだけの写真で、優雅、華麗といった要素を表現するのは容易なことではありません。H. LOILIER 氏もさまざまな試行錯誤を経て、この作品に到達したのでしょう。それが証拠に、この作品以前に描かれたいくつかのタージ・マハルの絵には、表現に苦労し、変更を重ねた痕跡が残されているのです。

■LOILIER Hervé氏 の“Taj Mahal”
 H. LOILIER氏には“Taj Mahal”(キャンバスに油彩、60×60㎝)と題された作品があります。

 この作品を仮にBとしましょう。

 こちら →B
(http://www.galerie-saint-martin.com/artiste.php?id_artiste=74&PHPSESSID=af5aa6fe174890a1ec5d3416b416a424より。クリックすると図が拡大します)

 この作品の制作年はわかりませんが、『タージ・マハルの夕べ』(A)とは明らかにモチーフのレイアウトが異なります。

 写真を見るとよくわかるのですが、タージ・マハルでは基壇の上に立つ墓廟の四隅に4つの尖塔があります。Wikipediaによれば、これらの尖塔は、「皇妃に使える4人の侍女」に譬えられるとされています。墓廟が皇妃だとすれば、尖塔は侍女だというのです。

 ところが、この作品では尖塔が真ん中と左端に描かれており、この尖塔によって画面が分割されています。ですから、強く印象づけられるのは墓廟ではなく、この2本の尖塔なのです。

 そして、尖塔と墓廟は、水平線を挟んで上下対称の構図になっています。地上部分と水面部分の割合がほぼ同じなのです。地上部分は前方に尖塔が描かれ、墓廟は後方に描かれています。そして、墓廟の上の丸屋根はやや小さく描かれていますから、墓廟よりも尖塔の方が強く印象づけられます。

 一方、水面部分は逆さに映ったモチーフがラフに描かれており、墓廟よりも尖塔の方がその形態がはっきりした描き方になっています。ですから、ここでも尖塔の方が際立って見えます。

 時刻はやはり夕刻なのでしょう、残照の輝きが空にも水面にも広がっています。青を基調とした色遣いで建物が描かれているせいか、暮色の光景の方が強く印象付けられます。逆に、タージ・マハルの荘厳さ、優雅さ、華麗さが希薄になっています。

 こうして見てくると、同じモチーフを扱いながら、『タージ・マハルの夕べ』の方がはるかに優雅で美しくタージ・マハルが捉えられ、思わず引き込まれてしまう魅力が醸し出されていることがわかります。

■LOILIER Hervé氏 の“TAJ MAHAL AU LEVANT”
 H. LOILIER氏にはこれ以外にもまだタージ・マハルを扱った作品があります。“TAJ MAHAL AU LEVANT”(キャンバスに油彩、92×73㎝)という作品です。

 この作品を仮にCとしましょう。

こちら →C
(http://www.galerie-saint-martin.com/artiste.php?id_artiste=74&PHPSESSID=af5aa6fe174890a1ec5d3416b416a424より。クリックすると図が拡大します)

 これも制作年はわかりませんが、モチーフのレイアウトは『タージ・マハルの夕べ』により近づいています。墓廟に尖塔が2本というモチーフに変わりはありませんが、そのレイアウトが“Taj Mahal”(B)とは異なっています。

 墓廟を左半分に収め、尖塔を小さくし、墓廟の丸屋根が大きく描かれています。そして、水面ははっきりとは描かず、地上の建物に力点を置いて描かれています。このような描き方によって、Bよりも墓廟が強調された構図になっています。

 画面全体は黄色を基調とした色遣いで、ラフスケッチのようにも見えますが、青を基調とした“Taj Mahal”よりも、優雅さが生み出されています。おおざっぱな筆のタッチによって、柔らかさ、優美さが表現されているのです。

■LOILIER Hervé氏 の“Taj Mahal”
さらに、次のような作品もあります。これは制作年も作品サイズもわかりません。署名も入っていませんから、ひょっとしたら、下描き段階のものなのかもしれません。

 この作品を仮にDとしましょう。

こちら →D
(http://www.lechorepublicain.fr/eure-et-loir/actualite/pays/le-perche/2013/05/18/vente-de-tableaux-modernes-et-de-bijoux-cet-apres-midi_1554934.htmlより。クリックすると図が拡大します)

 この作品も、モチーフは墓廟と2本の尖塔です。先ほどの“TAJ MAHAL AU LEVANT”(C)に極めて近い構図です。ただ、この作品にはまだ水面が明らかに認識できる形で描かれており、曖昧ではありますが、2本の尖塔が水面に写り込んでいるのがわかります。

 しかも、尖塔が手前にはっきりと描かれていますから、かなり目立ちます。おそらく、作品Dは、“Taj Mahal”(B)の後に描かれ、Dが描かれた後、“TAJ MAHAL AU LEVANT”(C)が描かれたのでしょう。『タージ・マハルの夕べ』(A)に近いものがあるとはいえ、構図の面からいえば、まだ墓廟に力点が置かれていないところに絵としての弱さがあります。

 このように写真とタージ・マハルを扱った作品A、B、C、Dを比較してみてくると、H. LOILIER氏がさまざまに試行錯誤しながら、『タージ・マハルの夕べ』(A)に至ったことがわかります。制作年がわからないので、はっきりしないのですが、おそらく、B →D →C → Aという順で描かれたのでしょう。この試行錯誤の過程では、①構図、②色彩、③水面の扱い、という側面を中心に、H. LOILIER氏がその都度、変更し、修正を加え、完成度を高めていったことがわかります。

■構図の変遷過程
 一連の作品の主なモチーフはタージ・マハルの墓廟と2本の尖塔です。作品Bは右寄りに墓廟を配し、2本の尖塔によって画面が半分に切り取られる構図です。ですから、尖塔がとても強く印象づけられます。しかも、水平線で地上と水面に分けられ、水面に写り込んだ尖塔がはっきりと描かれているので、画面全体がこの2本の尖塔によって断絶させられている印象です。

 作品Dではこの構図が変更されています。墓廟は左寄りに配され、2本の尖塔は左右に不均等に配されています。しかも、地上と水面の割合は均等ではなく、水面部分が3分の1に抑えられています。このような修正によって、墓廟が強調され、丸屋根が印象づけられるようになります。優雅さ、華麗さを表現できる部分が強く押し出されるようになっています。

 作品Cでは作品Dの構図を引き継ぎながら、左水平線の位置をやや高く、2本の尖塔の高さを墓廟の高さよりも低く、変更しています。さらに水面部分を曖昧に描くことによって、水面に映り込むはずの尖塔の存在感を弱めています。ですから、墓廟がより強く印象づけられるようになりました。

 作品Aでは、作品Cの構図を踏まえ、右遠景にあった尖塔を削除し、変わりに丸屋根の建物を配しています。このような変更のおかげで、優雅さ、優美さが生み出されました。墓廟の丸屋根も大きく修正され、柔らかさが強調された構図になっています。

 さらに、仰角で捉えた構図には威厳が感じられます。これまでの作品では水面として扱われていた画面の半分ほどを、曖昧な形態のまま建物の前景として配置し、見るヒトに仰ぎの姿勢を取らせています。そして、丸屋根部分が大きく描かれています。仰ぎの構図で、しかも、天上に近い丸屋根が大きく描かれているせいか、霊性が強調されているように思えます。

 構図の変遷過程を見ていくと、H. LOILIER氏が優雅、華麗、優美といった方向でモチーフの形態とレイアウトを変更し、修正を加え、さらに、墓廟、とくに丸屋根部分を仰角で捉える構図にすることによって霊性、威厳、荘厳といった要素を付加していったことがわかります。

■色彩の変遷過程
 作品Bは青を基調とした色遣いで建物が着色されており、総大理石の建造物ならではの堅牢で荘厳な印象が醸し出されていました。墓廟と2本の尖塔の配置、水面に映し出されたそれらの影、左右、上下対称に描かれた構図が格調の高さ、威厳を表しています。夕日に暮れなずむタージ・マハルの姿としても美しく、それなりに調和の取れた作品であることは確かです。

 ただ、優雅、華麗、優美といった要素は表現されていません。タージ・マハルを建造した第5代皇帝がもっとも表現したかったであろうものが描き切れていないのです。

 作品Dは、青味が薄められ、黄色部分がより多く、明るく変更されています。その結果、華やかさ、柔らかさ、優しさといった要素が浮き出ています。尖塔はより明るくされ、水面に映る影も曖昧にされており、存在感が弱められています。

 作品Cは、手前の尖塔の位置をやや右に移動し、丸屋根を損なわないようレイアウトされています。墓廟や尖塔は黄色を中心とした暖色系で覆われ、より優雅、華麗、優美といった要素が強調されています。

 そして、作品Aは作品Cの色構成を踏まえたうえで、茶、オレンジで墓廟や尖塔の稜線が着色されています。おかげで、女性らしい柔らかさと優雅さ、華麗さが演出されています。その一方で、丸屋根や墓廟の入口、窓など、影になる部分に濃い青が配色されています。影部分の濃淡の付け方に深みがあり、味わい深い夕刻の陰影が見事に捉えられています。

■水面の扱い
 作品Bでは、水面に映る墓廟や尖塔の影がしっかりと描かれています。約半分の割合で配置されているからでしょうか、それぞれのモチーフが左右上下対称に描かれているようにも見えます。ところが、作品Dになると、水面の割合が減少し、それに伴い、映じた部分も少なくなっているので、見るヒトの視線は地上の建物に向きます。そして、作品Cは、水面部分の割合は増えているのですが、水面部分が曖昧に処理されているので、観客は地上の建物を仰ぎ見る姿勢となり、自然に建物の威厳が醸し出されています。

 作品Aは、水面に建物の影はいっさい描かず、寒色系、暖色系を微妙に使い分けながら、夕陽の差し込む水面の深い濃淡を描いています。空も同様、右上方を濃いグレーでシャープな濃淡をつけながら色付けしています。そのおかげで、地上も空も水面も乱反射する夕陽の光が的確に捉えられています。夕刻のタージ・マハルを深く、美しく描く効果が生み出されているのです。

■油彩画『タージ・マハルの夕べ』
 会場で見た『タージ・マハルの夕べ』(A)には、第5代皇帝の妃への思いが見事に表現されているように思えました。これまで見てきたように、H. LOILIER氏が試行錯誤を重ね、構図、色彩、水面の扱いなどに微妙な変更を加えていったからでしょう。

 写真と比較してみると、この建物がもつ気高さと崇高さは深い青と白を基調とした色遣いによって表現されていることがわかります。影になる部分に深青系の色をあしらい、建物の稜線には暖色系の色を使っています。そのせいか、この建物には毅然とした崇高さに加え、優雅な美しさが感じられます。色彩の重ね方、荒いタッチなどに油絵ならではの表現技法が反映されているといえるでしょう。

 右遠方の丸屋根の背後には燃えるような黄色を配し、その上方には陽が落ち今まさに暮れようとする暗い色調で描かれています。夕べのタージ・マハルに思いを重ねるヒトの心にぴったりと沿うように、空も水面も建物も、多様な色相を描き分けています。いずれも写真では表現できないものです。H. LOILIER氏のフィルターを通して捉えられた独自のものだということがわかります。

 それはおそらく、H. LOILIER氏がさまざまな色を思いのままにキャンバスに載せ、それぞれの個性を際立たせながらも調和を生み出し、タージ・マハルの優美さを引き出していたからでしょう。そのような芸当は水彩画ではなく、アクリル画でもなく、もちろん、写真でもなく、油彩画だからこそ可能だったのではないかと思います。

 油彩画の本質の一端を垣間見ようとして、タージ・マハルをモチーフとしたH. LOILIER氏の作品を見てきました。多様な色彩の重ね塗り、ラフな筆致による微妙な陰影づけ、補色関係にある色彩の配置による奥行き感の演出など、油絵でしかできない表現によって現実を超えた世界を生み出せることがわかりました。まさに、キャンバスに油絵具という媒体(メディア)によってしか表現できない世界です。

 マクルーハンはテクノロジーとヒトとの関係、社会との関係を省察してきましたが、媒体(メディア)の役割についてはこの絵にも適用できるものだと思いました。(2016/8/17 香取淳子)

ロメロ・ブリット展:コマーシャリズム、陽気、楽観的世界観

■ロメロ・ブリット展
 7月1日、西武ギャラリー(西武池袋本店別館2F)で開催中(2016年6月22日-7月4日)のロメロ・ブリット(ROMEO BRITT)展に行ってきました。展示作品は、この展覧会のための新作に加え、原画、立体作品、海外有名人のポートレートなど約110点でした。

こちら →https://www.sogo-seibu.jp/pdf/seibu/010/20160622_romero-britto.pdf

 2016年夏、ブラジルのリオデジャネイロで南米発の夏季オリンピックが開催されます。今回のロメロ・ブリット展はそれにちなんだ企画でした。彼はブラジルを代表するポップアーティストで、2016年夏季ブラジルオリンピックでも、グローバルアンバサダーを務めています。

こちら →
http://www.britto.com/downloads/newsandevents/pressreleases/Romero_Britto_Named_Ambassador_to_2016_Olympic_Games_in_Rio.pdf

 この展覧会に行くまで、私はロメロ・ブリットのことを知りませんでした。招待券をもらったので、ネットで調べてみると、彼は1963年にブラジルのレシフェで生まれたポップアーティストで、現在、53歳です。西武デパートに出かけたついでに立ち寄ってみたのですが、世界的に著名なポップアーティストのようで、彼の作品はブラジル国内にとどまらず、世界100カ国以上の美術館、ギャラリーで展示されているようです。

こちら →http://www.britto.com/front/biography

 会場に入った途端に、陽気で楽しく、遊び心に富んだ独特の世界に引き込まれてしまいます。どの作品も、子どもはもちろん、大人でさえ、浮き浮きとさせられてしまう活力に満ち溢れているのです。おそらく、そのせいでしょう、ロメロ・ブリットは、アウディ、ベントレー、コカ・コーラ、ディズニー、エヴィアンなど、さまざまな有名ブランド企業と提携しています。

 たとえば、ディズニーのミッキーマウスも、ブリットの手にかかれば、次のようになります。

こちら →ミッキーマウス
(MICKEY’S NEW DAY, 2013、図をクリックすると拡大します)

 空にはハートマークが飛び交い、地面には文字のような、子どものいたずら描きのようにも見えるものが描かれています。ミッキーマウスとミニーマウスの背景に、ブリットならではの遊び心が加えられていることがわかります。こうして、ちょっとしたアイデアを加えるだけで、見慣れたディズニーのキャラクターが新鮮に見えてきます。

 これはほんの一例ですが、これを見ていると、さまざまなブランド企業がロメロ・ブリットと提携したがるのもわかるような気がします。既存のキャラクターやロゴに、ロメロ・ブリット風味を加えるだけで、企業のブランドイメージを刷新し、甦らせることができているのですから・・・。

 ロメロ・ブリットもまた、これらの提携事業によって、ポップなセンスにさらに磨きをかけ、現代社会での吸引力を増しています。グローバル社会に有効なブランド戦略を通して、両者にwin-win関係が築かれているように思えました。

■マティス風、ピカソ風の作品
 近年の作品には予想を超えて興味深いものがいくつかありました。ある時期のマティスやピカソの作品に影響されたと思われる作品です。ご紹介していくことにしましょう。

 たとえば、会場の入口近くに展示されていたのが、『Le Monde』(1016×648㎜、2014)です。

こちら →IMG_2328

 顔から首、そして、肩から下にかけて、真ん中で二つに分割され、色分けして描かれています。目と乳房は色も形態も異なって描かれ、アンバランスで不安定な雰囲気が醸し出されています。さらに、首から肩にかけての右半分、左の乳房を新聞の切り抜きで構成されており、斬新な現代性が感じられます。

 この作品のルーツを辿れば、マティスに行きつくのかもしれません。顔を真ん中で二つに分割し、左右で色分けしたところなど、マティス(1869-1954年)の作品、『マティス夫人(緑の筋のある肖像』(1905年)に似たところがあります。

 大胆に単純化し、平面的に構成し、色彩を強調したところは、マティスのさらに後年の作品、『PORTRAIT OF LYNDA DELEGTORSKAYA』(1947年)によく似ています。

こちら →tr
(http://www.henri-matisse.net/paintings/eh.htmlより)
(図をクリックすると拡大します)

 ピカソ(1881-1973年)には、さらによく似た作品があります。シュールレアリズムの時期に描かれた作品で、『本を持つ女性』(1932年制作)です。

こちら →woman-with-book-1932
(http://www.wikiart.org/en/pablo-picasso/woman-with-book-1932より)
(図をクリックすると拡大します)

 単純化され、図案化された顔や胸の描き方、鮮やかで洗練された色彩の配置など、この作品にも、最近のブリットの作品に通じるものがあります。ポップアーテイストのロメロ・ブリットはおそらく、シュールレアリズム期のマティスやピカソの影響を受けていたのでしょう。

■コラージュの力
 入口近くに展示されていた三点の女性像はいずれも新聞の切り抜きを多用したコラージュ作品です。その中で、モチーフを単純化し、歪曲化し、平面的に構成した画面の中で色彩の力を際立たせることによって、都会的で洗練された美しさが感じられる作品もあります。

 たとえば、『Marilete』(1016×597,2015)です。

こちら →IMG_2329
(図をクリックすると拡大します)

 髪の毛の部分はすべて新聞の切り抜きで構成されており、とくに向かって右半分の顔下から首にかけては新聞の写真です。顔と首は真ん中で二つに分割され、右半分が白、左半分が灰色で着色されています。目も菱形である点で左右、共通しているのですが、虹彩部分の色は左右で逆になっています。

 興味深いのは首の部分で、荒いタッチがまるで子どものいたずら描きのようです。紫色の背景の下からはみ出すように、新聞の文字が見えています。そのような背景処理の中に野性味が感じられる一方、この女性の物憂い表情からは、都会的で、知的な印象を受けます。この絵は現代社会の不確実性、非現実性、非身体性が巧みに描出されており、展示作品の中でもっとも心惹かれた作品でした。

 次のような作品もあります。

こちら →IMG_2330
(Pernambucan, 1016×648, 2014)
(図をクリックすると拡大します)

 この作品では顔の右半分に新聞の切り抜きが使われ、その上部は写真で構成されています。よく見ると、首から胸、右上腕部など肌が見えているところは新聞の切り抜きが透けて見えます。新聞の切り抜きの占める割合が画面全体から減っているのに反し、三角や台形など、直線で構成された図形が多用されています。しかも、補色関係にある原色が相互に引き立つように配置されているので、ポップな印象が強化されています。

 極端に単純化したモチーフに文字や図形を配置し、多様で多元的な世界を生み出しています。このような表現から、ブリットがきわめて繊細で洗練されたセンスの持ち主だということがわかります。だからこそ、複雑で人工的な現代社会を的確に掬い上げ、優しく浮き彫りにしていくことができたのでしょう。

■フリーダ・カーロのポートレート作品
 たまにはポップアートを見るのも悪くはないと軽い気持ちで、書店に出かけたついでに会場を訪れたのですが、さらに興味深い発見がありました。

 マリリン・モンローやエリザベス女王など有名人のポートレート作品が展示されているコーナーに、メキシコの女流画家フリーダ・カーロを描いた作品があったのです。ブリットが描いたフリーダ・カーロは、私が彼女に対して抱いていたイメージとはまったく異なるものでした。

 フリーダ・カーロについてご存じない方のために、簡単に説明しておきましょう。

 ドイツ人の父とメキシコ人の母との間に生まれたフリーダ・カーロ(1907-1954年)は、子どものころに患った急性灰白髄炎のせいで、足の成長が止まり、以後、やせ細ってしまったそうです。さらに、18歳のとき、バス事故に遭遇し、その後も後遺症で悩まされ続けたといいます。絵に目覚めたのはそのころで、以後、彼女は画家としての道を歩むようになります。

こちら →フリーダ・カーロ
(Wikipediaより)

 見栄えのしない体躯を隠すためか、フリーダ・カーロはメキシコの民族衣装を着ることが多かったといわれています。事故の後遺症に悩まされ続け、さらに、当時のメキシコ社会の政治状況にも翻弄されながら、フリーダ・カーロは力強く生きてきました。メキシコの現代絵画を代表する画家であり、インディヘニスモの画家としても知られています。

 苛酷な運命に立ち向かい、強く生きてきたフリーダ・カーロに、多くの女性たちは気持ちを通わせ、深く共感したのでしょう、彼女の一生を描いた映画、『フリーダ』が2002年にアメリカで制作されました。日本でも2003年に公開されています。

こちら →http://frida.asmik-ace.co.jp/about_frida.html

 国境を越えて多くの女性を捉えて離さない魅力が、フリーダ・カーロの生き方にはあるのでしょう。2004年、死後50年を経て、写真家・石内都氏は彼女の遺品の撮影を依頼されました。映画監督・小谷忠典氏は3週間にわたる撮影過程を密着取材し、ドキュメンタリー映画に仕上げました。

こちら →http://legacy-frida.info/

 フリーダ・カーロの遺品の背後に、メキシコの風土や伝統、生活文化などが見えてきます。まさに写真という記録媒体を通して、日本の土着文化にも通じる記憶が甦ってきます。

 さて、フリーダ・カーロには数多くの自画像が残されていますが、ロメロ・ブリットが参考にしたのは、頭に花束を載せた、この作品ではないかと思います。

こちら →フリーダ・カーロ自画像
(Wikipediaより。図をクリックすると拡大します)

 着飾ってはいますが、現代の美的基準からはほど遠く、お世辞にも美しいとはいえません。口の下にはひげがあり、眉も濃く太く、横眼で投げかける視線はとても強く、ちょっと恐いほどです。この風貌だけで、自立を求めて奮闘してきた女性だということがわかりますし、いかにも無骨で、意固地で、不器用で、しかも、激情の持ち主のようにも見えました。

 彼女は民族衣装を好んで着用していたといわれていますが、それも納得できるような気がします。ただ、この絵をしばらく見ているといつしか、花や木々の香りがし、鳥のささやきが聞こえ、風のそよぎが感じられるようになります。不思議なことに、描かれたフリーダ・カーロさえ、とても美しく感じられるようになってくるのです。大地に根を下ろし、連綿と受け継がれてきた土着文化の美しさは時間をかけないとわからないものなのかもしれません。

 どういうわけかフリーダ・カーロは、花や動物に囲まれた自画像をたくさん描いています。生涯にわたって200点を超える作品を残しているといわれていますが、その大半が自画像だったといいます。そして、自画像として彼女自身が捉えた姿はいずれも、この絵のように無骨で力強く、現代社会のいわゆる「愛される」女性像とはほど遠いものでした。

 ところが、ロメオ・ブリットがフリーダ・カーロを描くと、次のように変貌します。

こちら →IMG_2331
(図をクリックすると拡大します)

 なんと無邪気で可愛く、愛らしいのでしょう。もちろん、太い眉、黒い大きな目などの特徴はしっかりと描かれています。ですから、この絵がフリーダ・カーロのポートレートだということはすぐにわかるのですが、一目でわかる特徴を備えていながら、このポートレートのフリーダ・カーロはまるで別人に見えます。

■ロメロ・ブリットの陽気な楽観的世界
 自画像に見られた荒々しい野性味は消失し、幼い愛らしさだけが際立っているのです。二つの作品を見比べてみて、同じモチーフを扱いながら、作者の文化的基盤の違いが色濃く反映されていると思いました。

 フリーダ・カーロの自画像から見えてくるのが、生まれ育った土地や生活文化にこだわる土着文化の世界だとすれば、ロメロ・ブリットが描いたポートレート作品から見えてくるのは、国境を越えて、老若男女、誰にも幅広く受け入れられるグローバル文化の世界といえます。その幅広い流通を可能にするのが、敷居の低さであり、あらゆるものを肯定しようとする楽観的世界といえるかもしれません。

 フリーダ・カーロの自画像とブリットのポートレート作品を見比べてみると、ロメオ・ブリットの物事の捉え方、気持ちのありようがわかってくるような気がします。ロメオ・ブリットの作品はヒトを快くさせる楽観性と柔軟性に満ち溢れているのです。おそらく、この点にブリットが数多くの有名ブランド企業から提携話が持ち込まれている要因があるのでしょう。会場でさまざまな作品を見ていくうちに、グローバルに展開されるコマーシャリズムには、ロメロ・ブリットの作品のように、陽気で他愛なく、楽観的な世界観が不可欠なのだという気がしてきました。(2016/7/18 香取淳子)

森聡展:「ありふれたもの」「なにげないもの」に潜む煌きを求めて

■森聡展
 2016年6月18日、森聡展(2016年6月14日~19日、GALLERY KINGYOで開催)に行ってきました。

こちら →http://www.gallerykingyo.com/

 土曜日の夕刻、わざわざ出かけたのは、たまたま手にした案内ハガキの絵に惹かれ、ぜひとも本物を見てみたいと思ったからでした。

こちら →IMG_3019
(little landscape・flower、麻紙、岩絵の具、2013年、画像をクリックすると拡大されます)

 陰影のある黄土色の花々の中に、赤みがかった褐色の花が一枝、配置されています。一見、孤立したように見えるその花の葉が、花瓶の色調とみごとに調和しており、活けられた花と花瓶との一体化が図られています。

 さらに、背景色がとても印象的でした。上方は黄色を含んだ暖かみのある水色ベースの色で覆われ、下方に向かうにつれ、赤系統の色が滲み出し、流れるように、縦方向で幾筋も加えられています。

 私が惹きつけられたのはこの背景色であり、花と花瓶の色彩と形状でした。そこには洗練された調和があり、都会的な美しさが感じられます。見に来てよかったと思いました。この絵は展覧会への案内役をみごとに果たしたのです。

■『ある夜』
 画廊に入ってすぐ正面に展示されていたのが、『ある夜』(2273×1818㎜、綿布、岩絵の具、2014年)です。

こちら →160616-14
(画像をクリックすると拡大されます)

 この絵を見たとき、まず、その色相に目が引きつけられました。補色関係にあるといってもいい色と色が、まるでぶつかり合うように、大胆に使われていたのです。もちろん、モチーフに固有の色とは異なっています。おそらくそのせいでしょう、ひっそりとしたモチーフの佇まいとは逆に色彩からは、自由、奔放、荒々しさが印象づけられました。

 一方、モチーフの形状やタッチからは、夕刻の風景が想起させられました。どの町角でも見受けられる、寂しさと哀しさ、時には愛おしさまでも入り混じった、あの一種独特の光景です。活動的な昼が終わりを告げ、静寂に包まれた夜を迎えようとする夕刻ならではの寂寥感です。『夕焼け小焼け』の歌を聴くたびに感じてしまうペーソスが、この絵全体に漂っているように思えました。

 ちょっと引き下がってこの絵をみると、黄色系をベースにした色調の空に、青い色調の和風建築物が映えているのがわかります。黄色系と青色系の色がぶつかりあって、互いに引き立て合っているからでしょうか、蔵のような建物が不思議な存在感を放っています。

 この建物は一見、蔵のように見えるのですが、よく見ると、左側に呼鈴のようなものがついています。また、正面を見ると、瓦があるので日本の建物に見えますが、高いところの円窓とその下の半円形の窓は異国の雰囲気を漂わせています。

 さらにいえば、壁は漆喰の土壁ではなく、レンガで作られています。日本のモチーフのように見えて、実は、そうではない。どこにでもありそうでいて、実は、どこにもない。そのような不在のリアリティのようなものがこの作品から醸し出されているのです。

 ちょうど在廊されていた森氏に尋ねてみました。

 蔵だと思い込んでいた建物が、実は、森氏のご自宅近くにある教会だったことがわかりました。身近なもので、しかも、さまざまな思いを仮託できるモチーフとして、この教会を選ばれたそうです。そして、呼鈴のように見えたものは教会の鐘でした。

 この絵を最初に見たとき、私は黄色系と青色系のぶつかり合いに強く印象づけられました。イタリア留学時に卒業作品として制作されたものだったということを知って、ようやく、この絵から受けた不思議な感覚の謎が解けたような気がしました。

■イタリア留学
 森氏は2012年から2015年にかけての2年半、イタリアのフィレンツェ国立美術学院大学院絵画学科に留学していました。大学院修了のための作品として手掛けたのがこの作品です。綿布に日本画の材料である岩絵の具、現地のフレスコ画の顔料を使い、3か月かけて仕上げたといいます。

 そもそも森氏は美大で日本画を学んでいました。卒業後は羽子板の絵付けなど、日本画に関連する仕事をしていたといいます。そして、伝統的な日本画ではなく、現代ならではの日本画を目指して、イタリアに留学しました。ですから、フィレンツェで卒業制作を手がけた際、フレスコ画の画材と日本画の画材を使ったのは当然のことなのです。

 森氏はいいます。
「フィレンチェは遠近法が生み出された町です。遠近法で描いた壁画が今もまだ残っていますよ」

 Wikipediaで調べてみると、たしかに、1400年初、建築家のブルネレスキがフィレンツェの建築物の輪郭を写し取ることによって、幾何学的な方法で遠近法を実証することに成功したとされています。その後、フィレンツェでは遠近法を利用した芸術が急速に開花したようです。

 たとえば、フィレンツェのサンタ・マリア・デルフィオーレ大聖堂の『最後の審判』がそうです。

こちら →

Dome, Florence, Italy

Dome, Florence, Italy


(Wikipediaより、画像をクリックすると拡大されます)

 大聖堂の天蓋を見上げると、遠近法を使うことによって見事な三次元空間が描出されていることがわかります。

 フィレンツェに留学した森氏は、伝統的な西洋画を現地で見たいだけ見ることができたといいます。多くの西洋画を見ることによって、画家としてこれから進むべき方向性を探ることができたようです。

■イタリアで得たもの
 伝統的な日本画を超えた作品を目指し、敢えて西洋画の本場フィレンツェに学びにきた森氏は、そこでいったい、何を得たのでしょうか。

 森氏はいいます。

 「画力を鍛錬するには伝統を模倣するのも必要ですが、それだけで満足することはできません。現代の絵画なら、現代的要素を持ち込む必要があります」

 そして、自分の作品を創り出そうとすれば、自分なりの視点、画法を持たなければならないことをフィレンツェで再確認したというのです。

 イタリアの美術界を見渡すと、伝統に圧倒されて、若いヒトが新しい作品を出しにくい状況だと森氏はいいます。それでも現地の若い芸術家たちはオリジナルな表現を求めて模索し、さまざまな実験を試行していました。そのような若い芸術家たちと交流する中で、森氏もまた、創作に臨む姿勢を再考させられていったようです。

 なぜ、このモチーフでなければならないのか、この表現でなければならないのか、そして、この構図でなければならないのか・・・、等々。制作姿勢をしっかりとしておかなければならないと思うようになったと森氏はいいます。描くという行為の背後にある観念的、思想的基盤を堅固なものにしておくことの重要性に気づかされたのでしょう。

 留学生は中国人が多く、フランス人、リトアニア人、イラン人などもいたそうです。彼らが描く絵を見ると、ヨーロッパは文化の基本が共通しているせいか、国が違ってもヨーロッパ人はどこか似たような作品を制作していたといいます。ところが、文化の基本が異なるイラン人などは、同じモチーフを描いてもオリジナルカラーが作品ににじみ出ていたと森氏は振り返ります。

 日本を離れ、数多くの西洋画を見、さまざまな海外のアーティストと交流して初めて、画家としての文化的基盤の重要性に森氏は思い至ったのでしょう。イタリア留学後、絵に変化が生じています。

 試みに、2013年に制作された作品を見てみることにしましょう。

こちら →http://www.satoshi-mori.com/works2013.html

 2013年の作品は、モチーフが木になりますが、いずれもシルエットとして描かれています。前半は鮮やかな色彩で彩色されていますが、後半はその色彩すら消し去ろうとする気配がみえます。

 たとえば、2013年後半の作品、”view trees”は色彩の要素が除かれ、ベージュと白、黒で表現された作品になっています。その後の”white shade”になると、さらに黒が取り除かれ、白とベージュで表現されています。これは、いったん描いた作品の上から白を塗り、色彩を消すことによって、下からシルエットが浮き彫りになって見える作品です。

こちら →160617-a
(画像をクリックすると拡大されます)

 このように、2013年の絵の変遷過程を見ていくと、森氏がイタリアで何を学び、どのような影響を受けたのかを推察することができます。

 モチーフとして「樹」(ありふれたもの)を選び、まるで日本文化を象徴するかのようにシルエット表現を取り入れ、色合いにイタリア文化を反映させています。これらは、日本文化とイタリア文化のハイブリッド作品であり、普遍化を目指した作品ともいえるでしょう。

 この時期、シンプルな表現に向かっていることから、森氏が描くことの本質、絵画の本質に迫ろうと苦闘していたことがわかります。一連の作品は、本質を見極めようとする意欲の反映であり、イタリアに行ってはじめて掴み得た創作の極みともいえます。

■ゲーム、デザイン、水彩画を経て日本画へ
 森氏がめざすのは伝統的な日本画ではなく、西洋画の影響を受け、その骨法を踏まえたうえで表現される日本画です。ハイブリッドな日本画をめざそうとしているからこそ、森氏は、西洋画の本場ヨーロッパに行って学ぶ必要があると一念発起したのでしょう。

 それでは、なぜ、日本画を軸にして、普遍的でハイブリッドな作品を志向するようになったのでしょうか。森氏に尋ねてみました。

 森氏は子どものころからの美術への関わりを語ってくれました。

 子どものころはゲーム好きだったので、グラフィックデザイナーになりたいと思い、美術系予備校では最初、デザイン科に属していたそうです。ところが、その隣に日本画科があり、そこでたまたま見かけたアメリカ人画家 Winslow Homerの作品に惹きつけられ、美大は日本画を志望したといいます。

 美大に入ってからは日本画の画材や顔料に興味を覚え、制作にのめりこんでいたようです。日本画は薄塗りができるし厚塗りもできる、おまけに箔もつけられるので表現の幅が広いのです。岩絵の具は重ね塗りの変化を楽しめますし、色の空気感を醸し出すことができます。さらに、色の滲みで多様な表現をすることができます。だから、好きだと森氏はいいます。

 しかも、日本画は、油絵ほど明暗や遠近、空間表現が厳密ではありません。そのような点も、森氏には馴染みがよかったようです。

■小さなランドスケープ
 そういえば、この展覧会のタイトルは「小さなランドスケープ」です。メインの展示作品も2016年に制作された、いくつかの「little landscape」でした。いくつか印象に残った作品を見ていくことにしましょう。

 たとえば、こんな作品があります。

こちら →160616-7
(画像をクリックすると拡大されます)

 見上げるような巨木が画面いっぱいに描かれています。葉と幹、そして、幹を覆う別の植物などがきめ細かく描かれており、森の生態系が凝縮されて表現されているかのようです。森氏に尋ねると、実際に山に出かけてスケッチをし、その場の空気感を大切にしながら、描いていくのだそうです。

 こんな作品もあります。

こちら →IMG_3017
(画像をクリックすると拡大されます)

 下の白いのは切り株だそうです。二本の大きな樹の下に、ひっそりと佇むような恰好で白い切り株を配置した構図が面白いと思いました。成長と衰退とが比喩的に表現されているように思えたからです。

 さらに、こんな作品もあります。

こちら →160617-1
(画像をクリックすると拡大されます)

 紅葉した樹なのでしょうか、抑えた色合いでありながら、燃えるような印象を与える黄色系の色彩とその描き方に惹かれます。

 一連の「little landscape」を見ていると、森氏は同じようなモチーフを取り上げ、色彩を抑えたなかで繰り返し、木の表現を追求しているように思えます。まるで求道者のような制作活動の中から、森氏はやがて何らかの境地に到達していくことでしょう。こうしてみていくと、今回の個展に際し、森氏が書かれていることがよく理解できるような気がします。

***
 絵に描かれた形象が何であるのか、というより、描かれた形象によってどのように絵画が成り立つのか、というところに興味があります。
 最近は、いくつかの身近な、ありふれた風景を対象にして描いています。同じような対象を反復することによって、ありふれた眺めの中に、ありふれてはいない、そのときにしか立ち現れないものを画面に定着できるように意識しています。(森 聡)
***
(http://www.gallerykingyo.com/index.htmlより)
 
■「ありふれたもの」「なにがないもの」に潜む煌き
 森氏の作品歴を見ると、2010年から2011年にかけてはペンギンをモチーフとした作品が多くみられます。

こちら →http://www.satoshi-mori.com/works2010-2011.html

 引き続き、2012年前半にかけてもペンギンがモチーフとして取り上げられていますが、後半には『ありふれたこと』『なにげないこと』といったタイトルの作品が手がけられるようになります。

こちら →http://www.satoshi-mori.com/works2012.html

 これはちょうどイタリア留学の時期に相当します。この時期がおそらく森氏にとっての転機だったのでしょう。これ以後、「ありふれたもの」、「なにげないもの」の中に潜む存在の本質、あるいは存在の意義、あるいは存在の煌き、といったようなものへの関心が芽生えていったような気がします。

 そういえば、大好きだったゲームも平面から3Dに移行した途端に興味を失い、やはり平面がいいと思うようになったと森氏が言っていたことを思い出します。比較の対象を得たことで評価基準が生まれたからでしょう。

 これを敷衍すれば、帰国後の創作活動を経て、森氏は描くことの本質につながるなにかをすでに見出しているかもしれません。実際、今回の個展で帰国後の一連の作品を見ると、その傾向はさらに深化されています。おそらく、そう遠くない将来、森氏はなんらかの発見をし、新たな境地を切り拓いていくことでしょう。

 「ありふれたもの」「なにげないもの」に潜む煌きを求めて、模索しておられる若手画家・森聡氏の今後に期待したいと思います。(2016/6/21 香取淳子)

第34回上野の森美術館大賞展:現代社会を切り取る視角

■上野の森美術館大賞
 報告が遅くなってしまいました。

 2016年5月5日、第34回上野の森美術館大賞展(4月27日~5月8日)に行ってきました。祝日だったので上野公園は家族連れでにぎわっていましたが、この展覧会は会期も終わりに近づいていたせいか、それほど混み合っておらず、ゆっくりと作品を鑑賞することができました。

こちら →IMG_2228

 今回、全国から712名、1011点の作品が応募されたそうです。その中からまず、164点が入選作品として選ばれ、次いで、一次賞候補が29点、賞候補が13点、最終的に受賞したのが5点でした。8名の審査員による厳正な審査の結果です。

 日本の美術界を担う可能性のある作家として受賞したのは、大賞1名、優秀賞4名の計5名、いずれも23歳から33歳までの若手画家でした。

 大賞が井上舞氏の『メカ盆栽~流れるカタチ~』(日本画)、優秀賞で彫刻の森美術館賞が菅澤薫氏の『赤い蜘蛛の巣』(油彩)、優秀賞でフジテレビ賞が粂原愛氏の『反芻する情景』(日本画)、優秀賞でニッポン放送賞が成田淑恵氏の『Voice』(油彩、アクリル)、優秀賞で産経新聞社賞が櫻井あすみ氏の『fragments』(日本画)でした。プロフィールを見ると、1983年から1993年生まれですから、21世紀に入ってから創作活動を始めた画家たちです。

 上野の森美術館の館長は、本展カタログの冒頭で、「“明日をひらく絵画”を掲げてきた本展にふさわしい、とりわけ若い作家の5点が入賞作品に選ばれました」と書いています。

 公募要項を見ると、「日本画・油絵・水彩画・アクリル画・版画などの素材の違いや、具象・ 抽象にかかわらず、既成の美術団体の枠を越え、21 世紀にふさわしい清新ではつらつとした絵画作品を公募します」と記されています。

こちら →http://www.ueno-mori.org/exhibitions/main/taisho/boshuyoko.pdf

 最終審査では、この展覧会の「明日をひらく」という主旨の下、「21世紀にふさわしい清新ではつらつとした絵画作品」という観点が重視されたのでしょう。たしかに、どの受賞作品にも激動する21世紀社会の片鱗が描出されており、見応えがありました。

■『メカ盆栽~流れるカタチ~』
 受賞作品の中でもっとも印象に残ったのは、大賞を受賞した井上舞氏の作品、『メカ盆栽~流れるカタチ~』でした。

こちら →0x640_taishoartworks_11_0
(162.1×136.4㎝、日本画)

 受賞した5作品は隣り合って展示されていたのですが、私はこの作品にもっとも心惹かれました。一枚の絵の中に21世紀日本の諸相が的確に捉えられ、その特徴が見事に表現されていると思ったからです。モチーフの取り上げ方、構図、色彩の配置など、いたるところに熟慮の跡がうかがえます。一目見て美しく、しかも、観客を考えこませる奥深さがあるのです。感動してしまいました。

 モチーフはマツの木の盆栽です。枝ぶりや幹の肌、植木鉢からはみ出しそうになった根の形状から、このマツが古木であることがわかります。幹の肌の一部は枯れて白くなり、裂け目がいくつも入っています。しかも、それが下方に長く垂れ下がり、その先の方まで白くなっていますから、このマツの木が相当長い年月、生きながらえてきたこともわかります。

 枝の重みでマツの木は折れ曲がり、下方に長く、複雑に湾曲しながら伸びています。白い枝は下に垂れるにつれ、細くなっていき、着地した後、再び、上方に伸びようとしています。この個所はとくにしなやかで、したたかな生命力を感じさせられます。

 細い枝先には小さな松葉がついています。ところどころ緑の松葉が配されているせいか、長く垂れ下がった白い枝はまるで険しい山肌を流れ落ちていく水のようにも見えます。枯れた枝の白さは画面に奥行きを与えるだけではなく、水の流れを感じさせるリアルな動きを生み出しているのです。山水画では水そのものが生命の根源とされています。ですから、水の流れを思わせるこのマツの盆栽の色彩や形状からは、風雅な山水画さえ連想されます。

 さて、植木鉢の中で異彩を放っているのが、マツの木の根元です。大きく膨らみ、植木鉢からはみ出しそうになっています。よく見ると、枯れたマツの白い枝に絡まるようにして金属製の導管、あるいはゴム管のようなものが見えます。大きく裂けた根元に入り込んで、まるで枯れた白い枝を支えるかのように配されています。パッと見ただけでは気にならなかったのですが、よく見ていくと、この金属製の導管が気になってきます。

■機材や工具との調和
 手掛かりを求めてカタログを見ると、井上舞氏はこの絵について、次のように記しています。

*****
私は、もともとエンジンやモーターなどの機械、工場を見るのが好きで、この作品のタイトル「メカ盆栽」は大学1回生の頃の総合基礎実技という共通課題で作った立体作品をきっかけに、「平面で描いてみたいな」という思いから生まれました。
*****
(第34回上野の森美術館大賞展カタログ、p.10より)

 井上氏が「エンジンやモーターなどの機械を見るのが好き」だと知って、なるほどと合点しました。金属製の導管や工具の部品のようなものがとてもリアルに描かれているのに、絵として違和感があるわけではなく、ごく自然に盆栽のモチーフに溶け込んでいるのです。導管や工具のカタチや色彩に詳しくなければ、これほどまでに盆栽に調和させることはできなかったでしょう。自然と人工物が一体化し、21世紀ならではのモノのカタチが創り出されているのです。おかげでこの作品に深みがでたように思います。

 一方、植木鉢を置いたスタンドは、脚部こそはっきりと描かれていますが、台座部分はあいまいに処理されています。そのせいでこの作品は、日本の国旗のように見える植木鉢の赤い丸の模様、横に広がる緑色の松葉、さらには、自在な曲線を描く白い枝ぶりといった要素がひときわ目立つ構成になっています。つまり、マツの葉姿、枝ぶり、鉢、それぞれをたっぷり鑑賞できる構成になっているのです。なにより、枯れた白い枝によって強調されたさまざまな曲線がこの絵に生き生きとした動きを添えていることに私は惹かれました。

 マツの盆栽といえば、日本文化の象徴の一つであり、また、高齢者文化の一つといえるでしょう。それをメインのモチーフにしながら、井上氏はさり気なく、枯れた白い枝のほぼすべてに金属製の導管や工具を絡ませています。ですから、この盆栽が、金属製の導管や工具に支えられてようやく、その生命を維持しているように見えますし、高齢化が進む一方で、機械的処理に依存せざるをえなくなった21世紀の日本社会を象徴しているようにも見えます。

■流動化
 先ほど述べましたように、この作品では、植木鉢を載せたスタンドの台座部分とその周辺をぼかして描かれています。その結果、盆栽はしっかりと観客の目に印象づけることができますが、植木鉢は宙に浮いて見えます。そのことによって、この盆栽自体がまるで居場所を失って漂流しているように見えます。カタチが流れているのです。そういえば、この作品のタイトルは、『メカ盆栽~流れるカタチ~』でした。

「流れる」という概念もまた、グローバル化の進行に伴い、漂流しはじめた日本文化を象徴しているといえます。デジタル技術によってグローバル化が加速され、ヒト、モノ、情報の流動化が進んでいます。まるでこの絵のように、すべてがその存在基盤を失いつつあります。このような現代社会の様相を考えると、『メカ盆栽~流れるカタチ~』の現代的価値がよくわかります。

 盆栽をモチーフに、高齢化し、機械的処理の浸透した21世紀の日本社会を見事に浮き彫りにする一方で、「流れる」要素を取り込んだ構図から、流動化し、漂流しはじめた現代社会を端的に切り取っています。観客からさまざまな思いを引き出す力を持った作品だと思いました。

 その他の受賞作品もどれもレベルが高く、見応えがありました。いずれも現代社会に仕組まれた歪みが端的に捉えられ、訴求力のある絵画作品として仕上げられているところに特徴があると思いました。

■『栗の眼差し』
 入選作品の中にも見るべき作品がいくつもありました。とくに印象づけられたのが、近藤オリガ氏の『栗の眼差し』です。

 この作品を見ると、まず、濃密な画面に惹きつけられてしまいます。描かれたモチーフの意味よりも、キャンバスの上に油絵具で表現された絵画空間そのものに引き込まれてしまうのです。描き方自体が異彩を放っていたからでしょう。画面全体からなんともいえない清らかな静けさが漂ってくるのが印象的です。

こちら →IMG_2252
(162×130㎝、油彩。カタログをうまく撮影できませんでした。実際はもっと透明感のある色彩で、とても迫力があります)

 モチーフは、栗のトゲの部分と割った殻の中に入れ込まれた目玉です。モチーフそれぞれは誰もが知っているものですが、なんとも奇妙な取り合わせです。とはいえ、別に違和感はなく、見ているうちにいつの間にか、日常の空間を超え、はるか遠くに誘い寄せられていくような気持になっていくのが不思議です。

 なぜ、このモチーフが選ばれたのかわかりませんし、画面にどのような意味が込められているのもわかりません。この絵の意味もわからないのに、なぜか引き込まれてしまうのです。

 まず、精緻な筆遣いと深い色調がきわだっています。まるで超高感度カメラのように精巧にモチーフを写し出しているように見えながらも、実は、ヒトの目を通してしか見えない形や色、トーンが創り出されているのです。密度が高く、独特の美しさを湛えた絵画空間が生み出されています。よく見ると、必ずしもリアルではないのですが、フィクショナルなリアリティがあります。おそらく、それが、観客の気持ちを捉える要素の一つなのでしょう。

 たとえば、トゲの描き方を見てみましょう。左側のトゲはまるで毛皮のような密度と柔らかさがあります。ところが、下方のトゲにはしっかりとした強さとしなやかさが添えられています。支えるだけの強度が必要だからでしょうか、一つ一つが大きく、力強く描かれているのです。そして、右側のトゲは逆光の中でその存在感が弱められながらも、トゲ本来の堅さと鋭さが表現されています。トゲの描き方ひとつとってみても、このように、場所ごとに、トゲの色、質感、明るさ、彩度などが微妙に異なって描き込まれているのです。しかも、それぞれが接している背景の色味と見事に調和しており、フィクショナルなリアリティが生み出されています。

■フィクショナルなリアリティ
 それにしても、なぜ、栗のトゲと眼玉がモチーフなのでしょうか。カタログを見ても、説明文は載せられていませんでした。勝手な推測をするしかありません。まず、栗を考えてみることにしましょう。

 そもそも栗の実は、無数のトゲで覆われた堅い殻の中に入っており、何重にも保護され、外部から守られています。

こちら →Kuri02
(Wikipedia より)

 栗の実は一つの殻の中にだいたい2~3個入っているといわれています。まるで家族のように、身を寄せ合って、一つの殻の中に入っているのです。ちなみに、栗は、「純潔」の象徴とされているようです。

こちら →http://www.catholictradition.org/Saints/signs4.htm

 無数のトゲで覆われた堅い殻の中に、実は大切にしまいこまれています。このような状態では誰からも傷つけられることはありません。厳重な保護下に置かれているからこそ、「純潔」の象徴とされているのでしょう。

 上の写真で実際の栗のトゲを見てから、この作品を見ると、この栗のトゲがいかに現実とは異なって描かれているかがわかるでしょう。ところが、高感度カメラで捉えたかのようなリアリティがあります。現実とは異なっているのに、栗のトゲがいかにも細密に描かれているように見えるのです。それはおそらく、この作品にフィクショナルなリアリティがあるからでしょう。そして、リアルに見えて、実はリアルではないからこそ、二つとない美しさが表現されるのかもしれません。近藤オリガ氏の手にかかれば、なんの変哲もない栗のトゲがこのように優雅でしなやかな美しさを見せるようになることがわかります。

■モチーフとしての「眼差し」
 さて、この作品では密集したトゲで覆われた殻の中に、栗の実ではなく、グリーンの目玉が入っています。トゲで覆われた栗の殻の中にどういうわけか、大きな目玉が描かれているのです。こちらは吸い込まれるようなグリーンの色合いで、透明感があります。思慮深さを思わせる、透明感のある奥深さです。

 目は直接、外部に接していますから、身体部位の中では弱く、繊細な器官の一つです。しかも、「見る」という重要な役割を担っていますから、厳重に保護されなければならないのは確かです。ですから、この目玉が、トゲで覆われた堅い殻の中に入れられているのに違和感はないのですが、なぜ、この取り合わせでモチーフが選ばれたのでしょうか。近藤オリガ氏はこのモチーフを描くことによって、何を語ろうとしたのでしょうか。

 タイトルしか読み解く手がかりはありませんが、そのタイトルは、『栗の眼差し』です。これは「gaze of chestnut」なのでしょうか、それとも、「eyes of chestnut」なのでしょうか。「chestnut eyes」なら、文字通り、栗色の目のことですが、この作品の目は濃いグリーンです。とすれば、この絵のモチーフはやはり、「gaze of chestnut」なのでしょう。堅い栗のトゲと殻で守られた「濃いグリーンの目」が何かを見ている・・・、その何かを見ている「眼差し」に意味があるのかもしれません。

 そこで、「green eyes」が何を意味しているのか、調べてみると、「green-eyed monster」という語から派生して、この語には「嫉妬の目」という意味があるようです。とすれば、この作品の栗のトゲは外部から目を守るというより、むき出しになっているグリーンの目(嫉妬の感情)を外部に見せないように防いでいるということになるのでしょうか。

 ひょっとしたら、この作品にそのような象徴的な意味は込められていないのかもしれません。Wikipediaによると、グリーンの目を持つヒトは、「南ヨーロッパや東欧や中東、中央アジアにも多少見られるが大半は北ヨーロッパに集中している」そうです。だとすれば、東欧出身の近藤オリガ氏にとって「グリーンの目」は見慣れた目なのでしょう。いずれにしても、この絵を見ていると想像力がさまざまに刺激されます。

■現代社会を切り取る視角
 第34回上野の森美術館大賞展では、見応えのある作品が数多くみられました。その中で私がもっとも心惹かれたのは、大賞の『メカ盆栽~流れるカタチ~』と入賞作品の『栗の眼差し』でした。いずれもとても印象深い作品です。

 絵画には、観客がその意味を読み解くことができるように思える作品もあれば、そうではない作品もあります。今回、たまたま、その両極端の作品二つを取り上げることになりました。井上舞氏の作品は、過去、現在を踏まえ、未来を見通す力に溢れた作品でした。21世紀の現代社会を切り取る視角が明確に示されていたからこそ、そう思えたのでしょう。

 一方、近藤オリガ氏の作品は、手掛かりが少なく、その意味を読み解くことができませんでした。そのせいか、どこか気になるものが残ります。絵を見て感動すれば、なぜ感動したのか、観客はその理由を求め、半ば条件反射的に作品を読み解こうとします。

 観客は、絵画を納得できる恰好で読み解くことができ、個々の解釈の体系に収めることができてようやく安心するのでしょう。絵を見たときに感動し、作品の意味が理解できてはじめて、観客は満足するといっていいのかもしれません。

 もっとも、理解できるモチーフを使いながら、その意味がわからない作品もまた、21世紀の現代社会の深層から生み出されたものだといっていいのかもしれません。21世紀の現代社会の中では、大量の情報が氾濫しています。ともすれば、モノや事柄はステレオタイプ的な意味が付与されがちですし、思考のプロセスも簡略化されがちです。

 その結果、人々の理解の幅が狭まり、多様性が失われがちになっています。それだけに今後ますます、ステレオタイプ的な解釈が許されず、複雑な思考回路を経て制作された絵画を鑑賞することの重要性が増していくのかもしれません。(2016/5/22 香取淳子)

境界に挑む:花澤洋太氏の作品、武田司氏の作品

■「新鋭美術家2016」ギャラリートーク
 私が都美術館を訪れた2月28日、花澤洋太氏と武田司氏のギャラリートークが行われていました。作家による作品解説を聞く機会など、滅多にあるものではありません。もちろん、私は参加しました。

 翌週、他の3人の方のギャラリートークがあったのですが、残念ながら、私は参加できませんでした。ですから、ここでは、花澤洋太氏、武田司氏の作品を取り上げてみたいと思います。お二人のトークを思い起こしながら、創作の極意を探ってみることにしましょう。

■花澤洋太氏の作品
 花澤氏は「もり」というタイトルの三作品を出品されていました。一目見て、その迫力に圧倒されてしまいました。巨大で、しかも重厚感が強烈なのです。たとえば、最初に展示されていた作品、「もり 2015」を見てみましょう。この絵がどれほど大きいか、立っている花澤氏と見比べてみれば、一目瞭然です。

こちら →花澤絵

 この絵を見ていると、絵画の訴求力が、キャンバスに描かれた内容だけではなく、絵の具やキャンバスといった画材とセットで生み出されていることに、気づかされます。

 私たちは普段、絵を見るとき、何が描かれているのか、どのように描かれているのか、その絵にどういう意味が込められているのか、・・・、といったようなことを把握しようとします。半ば条件反射的に、そのような反応をしてしまうのですが、それはおそらく、私たちが何事に対しても意味を求めてしまう性癖を持っているからでしょう。

 ところが、ごくまれに、絵を見た瞬間、感動してしまうといった場合があります。描かれている内容を理解し、意味を把握する前に心が揺さぶられてしまうのです。なによりもまず、絵の総合的な力によって、観客の五感が刺激され、心が揺さぶられるのでしょう。意識下に働きかける非言語的な力の強さです。

 花澤氏の作品にはその種の訴求力があったのです。きっと、平面キャンバスに描かれた絵画にはない何かがあるはずです。

■曲面に描く

 あらためて、「もり 2015」を正面から見てみました。

こちら →もり2015
(300×300、油彩、コラージュ、レリーフ状パネル、2015年)
(巨大すぎて、私のカメラには収めきれず、画像はyoutubeから引用。)

 暖色系の絵の具を使い、森を象徴的に表現した作品です。ところが、通常の作品とは迫力がまるで違うのです。そこで、絵に近づいてみると、浮き上がったところとそうでないところがあって、画面が平らではないことがわかりました。

こちら →波打つ画面

 絵の下の方を見ると、波打っているのがわかります。平面ではなく、曲面の支持体を使っているのです。支持体のうねりが画面にさまざまな曲面を作り出し、絵の具の表情を豊かなものにしていました。曲面なので、場所ごとに光の当たり方が異なりますから、反射光や影も異なり、絵の具がそれだけ多様な表情をみせるのです。

 しかも、横から見ると、絵の具の量がすごいのに驚かされます。キャンバスの上に厚く盛り上がっています。

こちら →絵の具

 花澤氏は20年ほど、このような手法で、作品タイトル「もり」を制作しているといいます。そういえば、今回、展示された作品もタイトルはすべて、「もり」でした。そして、描画手法もこれまで通り、木製の支持体の上にべニアを貼り、そのうえにさまざまなものを貼り、最終的に布地を貼って、油絵具を載せていくというものです。

 お話しを聞いていると、どうやら花澤氏は、フレスコ画を書いていた時期があったようです。フレスコ画と聞いても、私はよくわからなかったので、調べてみました。花澤氏がいわれたのはおそらく、フレスコレリーフといわれる技法ではないかと思います。

 この技法では、パネルを作り、その上に発砲スチロールなどで盛り上げて整形し、最後にキャンバスを貼ります。そこに漆喰ではなく、絵の具を載せていくのです。この技法であれば、さまざまなイリュージョンを投影できると花澤氏はいいます。レリーフの上の光の当たり方で、絵の具が盛られた画面の表情がさまざまに変化するからでしょう。

■「抵抗感」をテーマに
 花澤氏は、絵画を通して表現したいのは、「抵抗感」だといいます。レリーフ状のキャンバスに油絵の具を載せていけば、物理的抵抗感を表現しやすいだけではなく、ヒトとの関係で生じた溝やわだかまりなど、心理的抵抗感も表現しやすいというのです。 

 先ほど書きましたように、ここ20年来、花澤氏は一貫して「もり」というタイトルで制作をしてきました。森は木々の集合体ですが、ヒトの集合体ともみなすことができます。油絵の具と曲面のある支持体を使うことによって、そのような個と集合体との関係を、森というモチーフの中に「抵抗感」を盛り込みながら、表現できると考えておられるようです。

 油絵の具は色によってそれぞれ乾くスピード、透明感、積層が異なっており、描かれた画面はまるで一つの社会のようだと花澤氏はいいます。油絵の具には時間とともに色褪せていくものもあれば、透明感が出てくるものもあります。油絵の具で表現されたものには色彩の明度、彩度の差異による多様性だけではなく、その種の多様性もあるので、ヒトになぞらえることができるといいます。抽象的な表現によって抵抗感を描き出そうとする花澤氏にとって、油絵の具は恰好の画材なのでしょう。

 しかも、油絵の具には強い匂いがあります。色によって視覚を刺激するだけではなく、匂いによってヒトの嗅覚を刺激するのです。そして、キャンバスを触れば、絵の具の塗りこみ具合によって手触りが異なりますから、触覚も刺激されるのです。油絵の具そのものが、見ているヒトの諸感覚器官に「抵抗感」を与え、インスパイアします。

■平面作家の立体へのこだわり
 花澤氏は、曲面に油絵の具を使って描くという行為を通して、人智を超えた表現効果を得ました。個々の作家が計算しつくし、技術の限りを尽くしても得られない効果を、このような描画方法によって得ているのです。ふと洞窟壁画を思い出しました。

 洞窟の壁面を利用してバイソンの図が描かれているのを、テレビで見たことがあります。先史時代のヒトは、洞窟壁の曲面からバイソンの背中や尻を想起したのでしょう、顔料を適所に置くだけでみごとにリアルなバイソンを造形したのです。自然の形状から動物の形を引き出し、顔料を載せて意味ある像を創り出した表現力に驚いたことを思い出します。

 まだ言葉を創り出していなかったころから、ヒトはすでにモノを対象化し、象形化する力、あるいは概念化する力を持ち合わせていたことがわかります。ヒトに組み込まれた英知のすばらしさを思わずにはいられませんでした。

 花澤氏の作品を見ていて、ふいに、この動物壁画が思い出されたのです。洞窟壁の中に潜む姿を見出して引き出し、質感を持つ絵の具を載せて形にしていますから、絵画といいながら、実はモノとしての存在感も強烈なのです。
 
 メッセージとして伝わってくるのは描かれた内容ですが、その背後で、重みや厚みを持って存在するモチーフのリアリティが感じられます。花澤氏の作品の場合、見る角度や距離を変えると、絵が違って見えてきます。

 常にしなやかな視点を持っていたいと、花澤氏はいいます。そういう思いがあるからでしょう、ワークショップを開催し、さまざまなヒトとの出会いの場を作り出しています。絵を制作するという行為は自己との対話の結果、生み出されるものですが、それ以外に、ヒトを通して見えてくるものもあります。花澤氏はその両方が大切だという考えに基づいて、創作とワークショップの開催を通したヒトとの交流を進めています。

■武田司氏の作品
 ギャラリートークでご本人にお目にかかるまで、私は武田司氏をてっきり男性だと思っていました。お名前から、なんの疑問もなくそう思っていたのです。ところが、実際は白いスーツを着こなしたステキな女性でした。

こちら →画家
(最新作「目覚めの刻」(90×140㎝、錆漆レリーフ、螺鈿、卵殻螺鈿、蒔絵、2014年)の前で撮影)

 「新鋭美術家」として工芸作家が選ばれるのは武田氏がはじめてなのだそうです。それを意識されていたのでしょうか、武田氏はまず、「工芸が美術として評価されたことが嬉しい」と喜びの言葉を口にされました。

 お父様が漆作家なので、幼いころは絵を描いている父の部屋が遊び場だったようです。日常的に美術の世界に触れ、憧れていながら、作家になるつもりはなかったそうです。創作に悩んでいるときの父の姿を知っているだけに、とても憧れだけでは美術の世界に入っていけないと思っていたと武田氏はいいます。

 ところが、どうしても美術家の魅力には逆らえなかったようで、結局、武田氏はいま、工芸作家として、父と同じ道を進まれています。もっとも、子どものころから創作の苦悩を見てきたせいか、武田氏の場合、絵画性の強い作風で、とても惹きつけられます。

 たとえば、「穣」という作品があります。一見すると、工芸作品ではよく見かける図案のように見えますが、どこか違います。明暗の付け方が絵画的で、奥行きがあり、ストーリーが感じられます。

こちら →穣
(150×105㎝、錆漆レリーフ、螺鈿、蒔絵、2005年)

 錆絵レリーフといわれるもので、モチーフに立体的な表現を取り込みながら、造形しています。通常、漆といえば、鏡面を想像してしまいますが、武田氏は塗って盛り上げ、削ぐという方法で作品を制作しています。

■錆上げレリーフ
 「積」という作品があります。セーターを着た女性が横になっています。ざっくりしたタートルネックの網目が盛り上がっています。触ってみると、指先に滑らかなレリーフの感触が残ります。

 錆上げは半乾きの状態でカッティングすることで制作しますが、この作品の場合、奥から順に盛り上げていくために、タイミングを見ながら、制作していったそうです。精緻な作業によってリアリティが高められています。絵画的なモチーフを斬新な構図で表現されているので、つい漆作品だということを忘れてしまいそうになります。

こちら →積
(150×105㎝、錆漆レリーフ、螺鈿、蒔絵、2001年)

 一般の漆作品では見たこともないようなモチーフです。女性が目を閉じて横たわり、その下を紅葉した葉が散っています。背景色は晩秋を思わせます。高齢期の女性と晩秋が巧みな構図の下で描かれており、人生を深く、そして、しみじみと感じさせられます。

 武田氏は作品を制作するとき、同じサイズで絵を描いておき、それを隣に置いて、見ながら制作するのだそうです。それを聞いて納得しました。モチーフの選び方、形状、構図、どれをとってもとても絵画的なのです。漆を使って錆絵の技法で、絵画的なコンテンツを載せていくという制作方法です。これが武田氏独自の美術世界を創り出しているように思えます。

■鬼シリーズ
 会場で面白いと思ったのが、鬼をモチーフにした一連の作品です。先ほど紹介した「穣」も暗い部分に鬼の顔や身体部位がレリーフで表現されています。背景に鬼を配置することによって、この作品に文化史的な深みが滲み出ています。

 鬼が主人公として扱われている作品もあります。「散華」です。

こちら →散華
(150×105㎝、錆漆レリーフ、螺鈿、蒔絵、2007年)

 二匹の鬼が争っているようにみえる構図が面白くて、私はこの絵に注目しました。対角線上の上方に襲う側、下方に迎え撃つ側が配置されており、それぞれ赤と緑という反対色の帯を付けています。帯の色彩、形状、配置によって、画面に生き生きとした動きが与えられています。左上方と右下方には雲がシンボリックに表現され、鬼の下には星屑のように金粉がちりばめられています。天空での出来事を故事として見せる配慮がうかがえます。

 二匹の鬼はそれぞれ、両手に散華を持ち、その周辺には小さな散華が散っています。散華とは仏を供養するため、ハスの花をかたどった紙をまき散らすことをいうのだそうです。鬼の表情と姿態がどこかユーモラスで、仏の供養のための行事が身近に感じられます。

 私が面白いと思ったのが、「空」です。

こちら →空
(150×105㎝、錆絵レリーフ、螺鈿、蒔絵、2006年)

 この作品には3匹の鬼が登場しますが、顔を見せているのは2匹です。一匹は井戸に映る青空を眺め、もう一匹は格闘中なのでしょうか、すごい形相をして天空をにらみつけています。とはいえ、2匹ともどことなく愛嬌があり、なんともいえない可愛さがあるのです。

 鬼が足で踏みつけているのは屋根瓦だそうです。使わない屋根瓦が土に埋め込まれているのです。そういえば、鬼瓦という言葉があるぐらい、鬼は守り神として、これまで日本人の日常生活に組み込まれてきました。ヒトには姿を見せず、そっと見守ってくれる貴重な存在なのですが、現在、私たちはそんなことを考える余裕もない生活をしています。そもそも鬼の居場所が現代社会からなくなってしまっています。

 2匹の鬼のいる位相が異なっており、鬼の姿態を通して表現されてるものも異なっています。ところが、いずれも鬼がヒトの日常の生活空間の中に潜み、天上を見、下界を見てヒトを見持ってくれているのです。この作品で面白いと思ったモチーフは、土に埋め込まれた屋根瓦と青空を映し出した井戸です。

 鬼というモチーフを設定したことで、鬼シリーズ作品に深みと文化的な味わいを出すことができたと思います。

■女性をモチーフに
 鬼を絡め、女性をモチーフにした「現ー長谷雄草子より」という作品があります。

こちら →現
(150×105㎝、錆漆レリーフ、螺鈿、蒔絵、2009年)

 平安初期の絵巻物「長谷雄草紙」から着想した作品です。

 wikipediaを見ると、以下のように説明されています。少し長いですが、作品を把握するため、引用しましょう。
********
 双六の名手でもある長谷雄のもとに、ある夕暮れに妙な男が現れて双六の勝負を申し込んだ。長谷雄は怪しみながらも、勝負を受けて立った。勝負の場として長谷雄が連れて来られたのは平安京の朱雀門であり、男は何の足がかりもなく門をするすると昇り、昇れずにいた長谷雄を担ぎ上げて楼上に昇った。この男こそ、朱雀門の鬼が化けた姿であった。

 長谷雄は勝負に全財産を賭け、鬼は絶世の美女を賭けると言った。双六は長谷雄が勝ち続けた。勝負に敗れた鬼は後日、美しい女性を連れて長谷雄のもとを訪れ、百日間この女に触れてはならないと言い残し、女を置いて去って行った。
 長谷雄は最初は言いつけを守っていたものの、80日が過ぎる頃には我慢できなくなり、ついにその女を抱いた。たちまち女の体は、水と化して流れ去ってしまった。その女は、鬼が数々の人間の死体から良いところばかりを集めて作り上げたものであり、百日経てば本当の人間になるはずだった。
 さらにその3か月後、長谷雄の乗る牛車のもとにあの鬼が現れ、長谷雄の不誠実を責めて襲い掛かった。長谷雄が北野天神を一心に念じると、天から「そこを去れ」との声があり、鬼は消えるように去って行ったという。
********* 以上、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E9%9B%84%E8%8D%89%E7%B4%99より。

 「現ー長谷雄草子より」のモチーフは、この物語に登場する水となって流されてしまった美女でした。百体の死体から鬼が作り上げたという絶世の美女です。左下方に流されていく女性を糸のようなもので操っているのは鬼の手足です。モノトーンの中で表現された水の流れ、揺蕩う長い髪の毛に包まれた女性、しっかりと筋肉のついた鬼の手足、いずれも繊細でしかも鮮やかに描かれています。

 武田氏は、美女が斜めに流れ落ちてくるこの絵の構図を、ヒトが生まれ出てくるときをイメージしたといいます。たしかに、この絵を一目見た瞬間、退廃的な美しさを感じさせられます。ところが、しばらく見ていると、生命の真髄、生きること、存在することの意義を深く考えさせられていきます。表層から深層へと観客の意識を誘導する深さがあるのです。

 女性をモチーフにした武田氏の作品はいずれもとても美しく、流れるように繊細な線が印象的です。

 たとえば、最初に紹介した武田氏の写っている後ろに展示されている「目覚めの刻」は、セミの羽化になぞらえ、子どもが女性になっていく微妙な時期が巧みに表現されています。

 画面両サイドの暗い部分は土の中なのでしょう、植物の根や微生物のようなものがいくつも描かれています。そして、中央の明るい部分はおそらく地上なのでしょう、木の枝に絡まるように、薄いセミの羽をまとってまどろむ少女が描かれています。セミが土から出てきて羽化するように、少女は初潮を迎えました。

 いつでも生命を宿すことができるようになったのですが、まだ子どものように深い眠りの中にいます。やがて目覚めれば、大人になっていくにつれ、さまざまな危険に遭遇していくのでしょう。束の間の安らぎとでもいえばいいのでしょうか、少女の寝顔はとても安らかです。

 武田氏の作品は16点、展示されていました。ここでは一部を紹介しただけですが、表層の美しさに加え、描かれている内容の深さに感動してしまいます。現実の捉え方がとても深く、そして繊細なのです。

■表現の境界に挑む
 「新鋭美術家2016」に選ばれた方々はいずれも表現の境界に挑んでおらるように見受けられました。とくに花澤氏は平面作品に敢えて曲面の支持体を使って表現することで、従来の表現技法だけでは得られない表現の地平を切り拓いていました。

 一方、武田氏は工芸作品に絵画的手法を取り込むことによって、独特の世界を創り出していました。工芸作品の繊細で完成度の高い美しさと、絵画作品ならではの奥行きの深さを生み出していたのです。

 武田氏は、工芸品は美しく作らなければならないというセオリーがあるといいます。ですから、ゴールをしっかりと決めて作業を進めざるをえないのですが、そうすると、途中でこうしようと思っても、それができないのです。自由な発想をコントロールせざるをえなくなります。ですから、最初にアイデアをしっかりと練り込み、完成形を予測しながら制作していくことになります。

 ところが、絵画は積み重ねで世界を作っていきますから、最初の案はいつでも変えることができます。描き始めてからも、試行錯誤が許されるのです。とくに油絵の場合、上から絵の具を塗ってしまえば、別の絵にしてしまうこともできるぐらいですから、自由度はきわめて高いといえるでしょう。

 花澤氏、武田氏、両者とも表現の境界に挑むことによって、新たな表現の地平を切り拓いていました。お二人のギャラリートークを聞いていて、異なる美術領域で制作活動を展開していながら、共通点があることに気づきました。

 それは曲面に対する繊細さです。花澤氏は平面ではなく、敢えて曲面を細工した支持体に描いていましたし、武田氏はレリーフの厚みにミリ単位でこだわっていました。光の反射、影のでき方など微妙に異なるからでしょう。

 今回、ご紹介したお二人はまさに新鋭美術家の名にふさわしい画力と挑戦力を持ち合わせた作家です。今後、グローバルな表現舞台でもおおいに羽ばたかれることでしょう。日本の若手画家が切り拓いた画法がどれほど新しい世界を見せてくれるのか、期待しています。(2016/3/24 香取淳子)

新鋭美術家2016:圧倒される表現力

■「新鋭美術家2016」展の開催
 「都美セレクション 新鋭美術家2016」展(2016年2月19日ー3月15日)が、東京都美術館ギャラリーCで開催されています。

 新鋭美術家展とは、東京都美術館が、27の公募団体から選りすぐった作家を紹介する「公募団体ベストセレクション美術」展の出品作家の中から今後、活躍が期待される50歳以下の作家をさらに選別し、新鋭美術家としてそれぞれ個展形式で紹介する展覧会です。「公募団体ベストセレクション2015」展は以下のような公募団体からの出品がありました。

こちら →http://www.tobikan.jp/media/pdf/20150313_bestselection2015a.pdf

 「新鋭美術家」展は、2012年に都美術館を大規模改修後、公募団体の活性化を目的に毎回、開催されるようになったそうです。今年は第4回目に当たります。先述した「公募団体ベストセレクション2015」展から、花澤洋太(独立美術協会、洋画)、森美樹(日展、日本画)、西村大喜(国画会、彫刻)武田司(日展、工芸)、戸田麻子(二紀会、洋画)の5人の作家が選ばれ、新作を含めた作品が個展形式で展示されています。

こちら →http://www.tobikan.jp/media/pdf/20151225_newwave.pdf

■圧倒される表現力
 2月28日、「新鋭美術家2016」展に行ってみました。まず、花澤洋太氏の作品に驚きました。巨大な曲面を支持体にモチーフが描かれているのです。写真で見るのと違って、圧倒的な迫力があります。

こちら →https://youtu.be/DmC1YJj5_rY
(http://www.museum.or.jp/modules/topics/?action=view&id=778 より)

 その隣りのコーナーに展示されていたのが、森美樹氏の作品です。一連の作品を見ていると、心の奥底に埋もれていた感覚が次第に蘇ってくるような気がします。子どものころ持っていたはずの感覚です。

こちら →https://youtu.be/BQE1vmO4F1M
(http://www.museum.or.jp/modules/topics/?action=view&id=778 より)

 春、木々が芽吹き、花を咲かせ始めます。それを見て喜んだのも束の間、やがて枯れていくのを悲しむ・・・、身の周りで起こるそのような生命現象を、ただひらすらに受入れ、そして、少しずつ、そこからさまざまなことを学んでいった子どものころが思い出されてくるのです。

 モチーフといい、色彩といい、構図といい、森羅万象に対する切ないほどの愛おしさが画面から伝わってきます。静かで深く、観客に訴えかけてくる表現力が素晴らしいと思いました。

 壁面と反対側に展示されていたのが、西村大喜氏の作品です。どの作品にも温かさが感じられ、見ていると触ってみたくなり、気持ちが和んでいきます。

こちら →https://youtu.be/pzkjUoSCx8M
(http://www.museum.or.jp/modules/topics/?action=view&id=778 より)

 写真を見ているだけではわからないかもしれませんが、これはすべて石です。そっと撫でてみると、その形状にふさわしい柔らかさと温もりが感じられます。不思議なことに、一連の作品を見ていくうちに、気持ちが優しくなっていくような気がするのです。微妙な曲線によって作り上げられた調和の世界に居心地の良さが感じられるからでしょうか。硬い石で作り出されたいくつもの球面が、観客の心の底からそっと優しい気持ちを引き出してくれそうです。

 受付を挟んで反対側のコーナーに展示されていたのが武田司氏の作品です。工芸作家として今回、はじめて新鋭美術家に選ばれたのだそうです。どの作品も緻密な仕上がりの中に遊びがあり、豊かな着想力を感じることができます。

こちら →https://youtu.be/6Ww9vNinAtA
(http://www.museum.or.jp/modules/topics/?action=view&id=778 より)

 絵画のようなモチーフ、構図ですが、よく見ると、繊細な技巧で制作された漆工芸です。どの画面にも動きが感じられ、モチーフを超えた奥行きと柔らかさが感じられます。よく見ると、浮彫になっていて、女性や鬼の身体の曲線が巧みに表現されています。

 漆や螺鈿などを使って微妙な細部が表現されているだけではなく、それらを統合した全体像がまた素晴らしいのです。時間をかけて構想し、なんども練り直して制作されているからでしょう。表現力のすばらしさに驚きました。

 その隣のコーナーに展示されていたのが、戸田麻子氏の作品です。作品を一目、見て、衝撃を受けました。そして、戸田氏がまだ20代の女性だと知って、さらに驚きました。一連の作品には深い苦悩と、存在への問いかけが描かれていたのです。

こちら →https://youtu.be/1lBCLtcZsO8
(http://www.museum.or.jp/modules/topics/?action=view&id=778 より)

 衝撃を受けたのが、ニワトリの磔刑図です。意表を突くモチーフですが、羽根の白さ、トサカと内臓の赤によって、ニワトリの苦痛が直接的に表現されています。背景も暗い色調で描かれていますから、その苦痛がとてもリアルに伝わってきます。

 見ているうちに、気持ちが痛み、次第に内省的になっていきます。画面上で表現された苦痛が観客の心に投影され、苦悩を引き出すからですからでしょうか。戸田氏の構想力、構成力、そして、表現力に感嘆しました。

■2016年度の新鋭美術家
 2015年度の新鋭美術家展も素晴らしかったですが、今回はそれ以上に野心的な試みが見受けられ、今後がおおいに期待されます。公募展から推薦され出品された作品の中から5人の作家が選ばれるという仕組みの成果でしょうか。あるいは、年齢条件のせいでしょうか。
 
 若手作家としながらも、ここでは50歳以下に年齢が設定されています。その点もよかったのではないかと思いました。若すぎると、その時点で才気が感じられても、将来はまだわかりません。多くの画家は試行錯誤しながら、30代、40代になってようやく画家としての境地を切り開き、安定化させていくのだろうと思います。ですから、「今後活躍が期待される50歳以下」という条件は若すぎなくていいと思いました。

 今回、選ばれた5人の画家のうち、花澤洋太氏は49歳、森美樹氏は48歳、武田司氏は46歳です。もし、「40歳以下」という条件なら、このような圧倒的な画力を見せる画家が選に洩れてしまいます。幅広く年齢設定をしているおかげで、20歳の才気あふれる新人から、技術を蓄え、圧倒的な表現力をもつ中堅までの画家を対象にすることができました。見応えのある展覧会でした。

こちら →images
(西村氏の作品を手前に、左に花澤氏の作品、右に森氏の作品が展示されています)

 花澤氏、武田氏のギャラリートークに参加しましたので、両氏の作品については、あらためて、ご報告したいと思います。(2016/3/11 香取淳子)

第12回中国全国美術展:中国リアリズムの煌めき

■「百花繚乱 中国リアリズムの煌めき」展の開催
 2016年2月25日、日中友好会館美術館で「百花繚乱 中国リアリズムの煌めき」展(2016年2月25日から4月10日)のオープニングセレモニーが開催されました。中国の全国美術展の一部を日本で鑑賞できる絶好の機会です。開催を楽しみにしていた私は定刻より早く会場に出向きましたが、すでに大勢の方々が談笑しながらフロアで開会を待っておられました。

日中の主催者および来賓の方々が挨拶された後、テープカットが行われました。

こちら →IMG_2565

 「百花繚乱 中国リアリズムの煌めき」展は、日本側主催者が第12回「全国美術展」で展示されていた576作品の中から厳選した76作品が展示されています。中国画、油彩画、水彩画・パステル画、版画、漆画、アニメーションなど、幅広いジャンルの美術作品が展示されています。どの作品もすばらしく、現代中国美術の表現力の高さ、多様さの一端をうかがい知ることができます。直近5年間の中国の現代美術の動向を知るまたとないチャンスといえるでしょう。

こちら →http://www.jcfc.or.jp/blog/archives/7421

 中国では5年に一度、政府主催による「全国美術展」が開催されます。2014年12月15日に開催された第12回全国技術展では、中国全土から2万点余りの作品が応募されました。その中から4391点の入選作品が選ばれ、さらに、その中から受賞作品、優秀作品、受賞ノミネート作品576点が、北京の中国美術館で展示されました。そして、その576作品の中から金賞7点、銀賞18点、銅賞49点、優秀賞86点が選ばれました。「全国美術展」はまさに現代中国を代表する美術作品の展覧会なのです。

こちら →http://12qgmz.artron.net/index.html?hcs=1&clg=2

 中国各地での巡回展の終了後、世界各地でこの展覧会の巡回がおこなわれています。日本では日本人主催者側が選んだ76作品で構成された展覧会がすでに2015年、奈良県立美術館、身延町なかとみ現代工芸美術館、長崎県美術館などで開催されています。日中友好会館美術館での開催は日本では4回目に当たり、本展終了後は福岡アジア美術館で開催されます。

 会場では、日本での展覧会のための作品選定に関わった3人の方々が作品を紹介されました。説明順に、中国画、油彩画、アニメーションの諸作品を見ていくことにしましょう。

■中国画に見るリアリズム
 森園敦氏(長崎県美術館)は中国画の代表作として、「団らんー家族愛」を取り上げられました。この作品は本展の最初に展示され、カタログの表紙にも使われていましたが、中国美術館でもトップに飾られていたそうです。陳治氏と武欣氏のご夫婦が制作された作品で、中国画部門で金賞を受賞しました。

こちら →団らん
(172×200㎝、シルクに顔料、墨、2014年)

 たしかにこの絵には強烈な存在感があります。決して派手ではないのですが、大きな画面から発散される温もりのようなものが観客の気持ちを吸い寄せていくのです。私は中国画を見るのは今回が初めてなのですが、この絵の繊細で優しい色遣いに気持ちがしっくり馴染みます。どこか日本画に通じるものがあるような気がしました。

 森園氏は、中国画には長い歴史があり、宮廷画家が手がけた花鳥風月をモチーフとした作品の系統と、文人による自然をモチーフにした作品の系統があったといいます。とくに、文人は絵の中に“意”を盛り込むことを重視し、制作していたそうです。

 文人は絵を見るヒトになんらかのメッセージを伝えることに意義を見出していたのでしょうか。それとも、写実的に再現するだけでは済まない表現衝動が文人にはあったのでしょうか。いずれにせよ、中国の文人画家たちが具象からなんらかの意味を抽出しようとしていたことに私は興味をおぼえました。具象から抽象に進み、やがて記号化されていった漢字の成り立ちを連想させられたからです。

 この絵は帰省した息子家族と老夫婦の再会を喜び合う光景をモチーフにしています。誰もが経験する日常生活の一コマですが、そのなんでもない日常の中に現代中国の世相が繊細に捉えられており、心を打ちます。リアリズムの手法によって、現代社会の深層が的確に表現されていることに感心しました。この絵については次回、再度取り上げ、掘り下げてみたいと思います。

 中国画部門で他に印象に残ったのは、「光陰の物語」です。

こちら →光陰の物語
(220×185㎝、顔料、紙、2014年)

 これは黄洪涛氏の作品で、中国画部門で銀賞を受賞しました。赤煉瓦の建物を背景に雪の積もった路面電車が詩情豊かに描かれています。淡い色調で表現された都会の風景と雪景色が調和し、美しい光景が描出されています。

 今回初めて、中国画を見たのですが、日本画とも重なる繊細で豊かな表現に感嘆しました。紙あるいはシルクという支持体に顔料あるいは墨で表現された世界には間接表現の奥ゆかしさがあり、惹かれます。

■油彩画に見るリアリズム
 南城守氏(奈良県立美術館)は油彩画部門の代表作として、「広東っ子の日常」を取り上げられました。李智華氏が制作された作品で、油彩画部門で銀賞を受賞しました。

こちら →広東っ子の日常
(176×200㎝、キャンバスに油彩、2014年)

 南城氏は、展示作品選定のため中国美術館を訪れた際、この作品が第一室で際立った存在感を放っていたといいます。日常の一コマを描いた作品ですが、その中に詩が感じられるというのです。

 この絵で描かれているのは、香港でも北京でも上海でも中国のどこでも、日常的に見かけるような光景です。休憩してたばこを吸っていたおじさんのこちらを見据える鋭い目が印象的です。

 そのおじさんの鋭い目につられ、その後ろを見ると、ショーケースがあり、所狭しと、焼き上げられた食肉がぶら下げられています。赤い椅子に座ったおじさんは、照明の下で鮮やかに輝く食肉へと観客の視線を誘導するための導入モチーフにすぎないようです。

 一方、右側の絵の中年女性は客足の途絶えたひととき、一息ついてリラックスしているようです。照明の後ろで顔は暗く、手前に並べられた食肉に目がいきます。こちらもヒトは背景として扱われています。

 ヒトが主人公かと思ってこの絵を見ていくと、光の当て方、色の使い方、画面全体に占めるボリュームなどから、実は食肉が主人公だということがわかります。たとえば、左側の絵は手前を暗く、右側の絵は手前を明るく、画面が構成されています。しかも、光が強く照射され、鮮やかに色彩が塗りこまれているのはいずれもヒトではなく、食肉なのです。

 南城氏はこの絵を見ていると、食欲が出てくるといいます。たしかに、この絵からは食肉のおいしそうな匂いすら感じられます。

 ところが、この絵をよく見ると、それほど細密にディテールが描かれているわけではありません。それでも圧倒的なリアリティが感じられますし、店番をするおじさんや中年女性の心象風景まで感じられます。それこそ緻密に考え抜かれた構図と明暗の付け方、タッチの鋭さのせいでしょう。油絵具の特性を活かした李智華氏の技法が秀逸です。リアリズムの極致といえるでしょう。

■独自性のあるアニメーション
 最後に、五十嵐理奈氏(福岡アジア美術館)はアニメーション部門で紹介したい作品として、「窓からの景色」を挙げられました。于上氏が制作した受賞ノミネート作品です。紙を切って造形し、一コマずつ動かして動画として仕上げた作品です。

こちら →IMG_1889
(5分12秒、アニメーション、2014年)

 上の写真は会場で放映されていた映像をカメラに収めたものです。次のようなカットもあります。

こちら →IMG_1890

中国のサイトではもう少したくさんの画像を見ることができます。

こちら →http://12qgmz.artron.net/index/exhibit_detail.html?id=52689&Cityid=585

 五十嵐氏が中国美術館で作品選定にあたった際、日本アニメと似たような作品、中国細密画に基づいた作品、墨絵風の作品が数多く展示されていたそうです。それだけに、紙を切り張りして制作したこの作品には独自性があって、惹かれたといいます。

 私はこの作品を見て、クレイアニメに似たような手法で制作されていることに興味を覚えました。クレイアニメと同様、着色しない白黒の紙という素材がすでに作品世界を作り上げているのです。テーマを視聴者に伝えるための表現の工夫が随所に見受けられます。

 このような作品が制作されるようになっていることを知り、驚きました。

 私は2011年から12年にかけて北京と河北省で大学生に対する意識調査を実施したことがあります。中国アニメは面白くないというのが学生たちのほぼ一致した見解でした。

 そこで、2013年、北京でアニメ制作者やアニメ会社の担当者に取材しました。彼らが一様に口にしていたのは、独自性のあるアニメーションを制作するのは難しいということでした。ある程度の視聴者数、観客数を見込める作品の制作を目指そうとすれば、オリジナリティはなかなか出せないというのです。

 今回の作品は短編でもあり、白黒の紙制作でもありますから、独自性はあっても商業化には向かないでしょう。ただ、アニメ制作に関し、このようなさまざまな試みが展開されているのはとても重要なことだと思います。制作者の裾野が広がることによって、切磋琢磨しあう機会が増えれば、より魅力的な作品が制作されるようになるでしょうから・・・。

■中国リアリズムの煌き
 学芸員の方々が紹介した作品を中心に、「百花繚乱 中国リアリズムの煌めき」展を概観してきました。会場にはさまざまな作品が展示されています。次々と見ていくうちに、私たち観客が絵に求めるものは、何なのかと思い始めました。

 絵の前に佇んでしばらく見入ってしまう作品があります。別に上手なわけでもなく、モチーフが斬新なわけでもない・・・、なぜだかわからないのに、妙に立ち去りがたい思いにさせられる作品です。

 ちょっと考えてみました。

 その絵の前を立ち去りがたくしているものは、おそらく、作品に込められたメッセージの力なのでしょう。観客との対話を引き出す力といっていいのかもしれません。見る者の目ではなく、気持ちに訴えかけてくる力です。

 私たち観客は、支持体の表層で表現されたリアリティではなく、作家の創作過程からにじみ出る内面のリアリティを見たいのです。どれほど深く現実を省察しているか、どれほど繊細に現実を観察しているか、そして、どれほど深層に近づきえているのかといったことが気になります。だからこそ、少しでもそうした要素を感じ取ることができれば、その絵と対話を始めたくなるのだと思います。

 今回の展示作品はそのような気持ちにさせられる作品が数多くありました。まさにこの展覧会のタイトルのように「百花繚乱」です。その状況が生み出されていることに、中国美術の可能性が感じられました。

今回、紹介できなかった作品で素晴らしいものがいくつもあります。次回、取り上げていきたいと思います。(2016/3/3 香取淳子)