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コップの中の子牛

文化庁メディア芸術祭:新人賞の「コップの中の子牛」

■新人賞を受賞した朱 彦潼(シュ ゲンドウ)氏
第18回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門の新人賞は中国と日本、韓国が受賞しました。そのうち中国と韓国は短編アニメーション領域で評価されていますが、中国出身者の受賞は今回がはじめてです。

1988年に中国南京で生まれた朱彦潼氏は。南京財経大学広告専攻科を卒業して2010年に来日し、2011年から東京芸術大学大学院映像研究科でアニメーションを学び始めました。2014年に同科アニメーション専攻を修了していますが、「コップの中の子牛」はその大学院修了作品として制作されたものだそうです。

「コップの中の子牛」は2014年3月、東京芸術大学大学院映像研究科アニメーション専攻第5期生修了制作展で上映されました。これは横浜と東京で開催されています。その後、5月に開催された第26回東京学生映画祭アニメーション部門でグランプリを受賞しています。そして、9月末から10月初めにかけてロシアで開催された第21回国際アニメフェスティバル「クロック」でもグランプリを受賞しました。これには30か国以上の参加があったそうです。さらに、10月末に開催された第16回韓国国際学生アニメーション映画祭でグランプリを受賞しました。驚くほどの勢いで受賞しています。私が知り得たのはこれだけですが、もっと他にもあるかもしれません。

今回、文化庁メディア芸術祭のアニメーション部門新人賞を受賞するまでにこの作品はさまざまな賞を受賞しているのです。制作してわずか1年のうちに朱彦潼氏の力量は国内外で高く評価されたのです。一体、どのような作品だったのでしょうか。

■「コップの中の子牛」
私は国立新美術館の受賞展でこの作品を見たのですが、まず、その映像に惹き付けられてしまいました。鉛筆デッサンのような絵に淡い色を添えただけなのですが、とても優しく、情感豊かに対象が描き出されているのです。

こちら →2303

この作品については、1分47秒の紹介ビデオがあります。

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=S1ykdXsR854

4歳の女の子ヌヌは父親にコップの底に子牛がいるといわれ、それを信じて牛乳を飲み干しますが、子牛はいませんでした。これが冒頭のシーンです。父はおそらく、子に牛乳を飲ませたかったのでしょう、ですから、つい、子の興味をそそるような嘘をつきます。子は父のいうことを信じ、牛がどんなふうにしているのかさまざまに思い浮かべながら、牛乳を飲み干してしまいます。コップの底に子牛がいるのだと思い込んでいたからです。飲み干せば、子牛を見ることができる・・・、でも、コップの底に子牛はいませんでした。

日常的に見かける父と子のやり取りのシーンから、この作品は始まります。父にしてみれば、子に牛乳を飲ませるための他愛もない嘘ですが、子にしてみれば、父に対する信頼を揺るがしかねない大きな嘘です。これだけで子には父に裏切られたという思いが強く残るでしょう。

このようなエピソードを冒頭に設定することで作者は、すでに幼い頃から父と子のギャップが始まっているといいたかったのかもしれません。その後、さまざまな父の嘘を経験することで子はやがて父を信頼しなくなってしまいますが、興味深いことに、父について語るナレーションの言葉や口調が愛情に満ち溢れているのです。そこがこの作品の魅力になっているという気がします。

子のためについた嘘、生きていくためについた嘘・・・、さまざまな嘘をついてきた父を子は信頼できないと思うようになりますが、だからといって父を否定するわけではありません。嘘の背後にある子への思いを、作者は子としてきちんと読み取っているからでしょう。この作品からは大きく包み込むような親子の愛を感じます。

作者の朱彦潼氏はインタビュービデオで、この作品では80年代の中国の江南地方の建物や風景を再現したかったと述べています。おそらく、この物語を成立させるためにはそれが必要だったのでしょう。記憶に残る風景だけでは不十分で、そのためのロケーションもしたようです。そして、彼女は風情ある風景を描き出しました。

たとえば、こんな風景がありました。

雨が降る中、自転車に乗ったヒトが帰宅を急いでいます。上空には黒い雲が重く垂れ込め、その下の電線は揺れており、どうやら風が強そうです。手前の建物でも新春を祝う横断幕や提灯が大きく揺れています。そして、建物の窓からは灯りが洩れてきていますから、すでに夜なのでしょう。あっという間に過ぎてしまったシーンですが、どういうわけか、印象に残っています。

この風景の中にはヒトが生きていくこと、生活していくこと自体に困難が伴うことが示されています。でも、だからこそ、ヒトはつながり合おうとし、大切なものを守り抜こうとするのでしょう。そのような状況の中にこそヒトの温もりはあると作者はいいたいのかもしれません。作者の世界観であり、人間観です。作者のそのようなヒトを見る目、社会を見る目、世界を認識する視点に私は惹かれます。そして、作品の随所に見え隠れするこのような要素こそが、国境を越えて多くのヒトの共感を誘ったのではないかと思ってしまうのです。

このように見てくると、作者が敢えて80年代の風景を探し求めた理由もわかります。たしかに、便利で清潔で美しい都会的な風景の中ではヒトとしての温もりを表現しにくいのかもしれません。風景とそのような心情とがマッチしないのです。実際、ここ30年ほどの間に私たちは急速に、便利さや清潔さと引き換えにヒトとしての温もりを失ってしまいました。作者は幼い頃の経験を丁寧に掘り起してストーリーを組み立てましたが、作品として完結させるには80年代の故郷の街並みを再現する風景が不可欠だったのだと思います。

記憶を頼りに過去を手繰り寄せて完成されたこの作品には一種の心地よさが感じられます。それは、登場人物や背景を描いた画風、背後に流れる音楽や音響、ナレーションの口調、そういうものが相互にうまくマッチしていたからだと思います。作品全体から漂う心地よい調和は、作者の記憶に残る、貧しくても調和のとれた生活空間そのものから来ているという気がしました。(2015/2/21 香取淳子)