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波多三河守親公と唐津焼の起源

■岸岳古唐津

 前回、有田焼についてご紹介してきましたが、肥前地方でもっとも古い焼物は唐津焼です。その起源については諸説あって、定説はありません。ただ、戦国時代に松浦党(肥前松浦地方で組織された武士団の連合)の波多氏が、居城の岸岳城周辺で陶器生産を行わせていたことは明らかになっています。

 実際、岸岳城周辺から窯跡や焼物が出土しており、出土した焼物は岸岳古唐津と呼ばれています。「古唐津」と呼ばれているということは、これが唐津焼の源流なのでしょう。

 平成三十(2018)年、岸岳城周辺を発掘調査した報告書が刊行されました。

■岸岳古窯跡の発掘調査

 唐津市教育委員会は、平成九年度から平成十七年度(「1997-2005)にかけて、発掘調査を行いました。その結果をまとめ、「唐津市文化財調查報告書 第178集」として刊行したのが、『岸岳古窯跡群IV-統括報告書―』(2018年3月)です。

 この報告書の「第1章 はじめに」では、唐津焼の起源について、次のように記されています。

 「岸岳古窯跡の起源については諸説があるが、文禄・慶長の役に先立ち、上松浦党の盟主である波多氏が、朝鮮半島から陶工を呼んで1580~90年代に開窯したと考えられている。この説によると岸岳古窯跡は、唐津焼の源流であるだけではなく、日本最古の登り窯群ということとなる。」(※ 『岸岳古窯跡群IV-統括報告書―』、p.1)

 この記述によって、岸岳古窯跡が、①秀吉による朝鮮出兵以前に、波多氏が朝鮮から陶工を呼んで開窯したものであると考えられていること、②唐津焼の源流であるだけではなく、日本最古の登り窯群であるといえること、等々を確認することができました。

 さらに、次のようなこともわかりました。

 「肥前陶器は、慶長年間(1596~1615) 頃には急速に商圏を広げ、伝統的な窯業地である瀬戸・美濃製品と、国内市場をほぼ2分するまでに成長する。「瀬戸・美濃焼」が従来の国産技術により製作されたのに対し、「唐津焼」はその当初から、朝鮮半島の先進的な技術体系を、丸ごと移植した形で生産を開始しており、特に「登窯」と呼ばれる大型の窯は、一度に大量の製品を低コストで焼くことが可能で、国産高級陶器と同等品を、より低価格で供給できるようになった。なおこの技術体系は、肥前では陶器のみならず磁器生産においても根幹的技術として共有され、さらに「登窯」の構造は、肥前国内だけではなく瀬戸・美濃など全国の窯業地に伝わっていく。」(※ 前掲、p.19)

 興味深いのは、瀬戸焼、美濃焼が国産技術によって製造されていたのに対し、唐津焼が、「その当初から朝鮮半島の先進的な技術体系を、丸ごと移植した形で生産を開始」した焼物であり、「登窯」を使って製造されていたことでした。

 そして、朝鮮の技術を使って製造された唐津焼が、慶長年間のわずか二十年足らずの間に、急速に商圏を拡大し、伝統的な産地である瀬戸や美濃の焼物と陶器市場を二分するまでに成長したというのです。当時、朝鮮の焼物技術やデザインの方が、国産のものよりはるかに秀逸であったからに他なりません。

 その一つが製造方式でした。

●登り窯の導入

 松浦郡の波多三河守の岸嶽(岳)城山に築造された飯洞瓶窯が、唐津焼の始まりだといわれています。この窯は「竹割式の登窯」で「現在も深林中に多少残って居る」と書かれています。おそらく、これらの窯が発掘調査の対象となったのでしょう。

 割竹形連房式登窯とは、側壁が直線的で一基の窯の内部が複数の焼成室に分割されているもので、焼成室間の段差が少なく、通焔孔は粘土を巻いたり、石を四角柱状に加工したものを柱にしていました。

こちら →
(※ Wikipedia、図をクリックすると、拡大します)

 16世紀末、波多氏が、朝鮮半島の陶工たちに築造させたのが、割竹形連房式登窯でした。そして、この窯で焼かれた最古の焼物が、岸岳古唐津です。

 肥前では磁器を生産する際も、「登窯」を使いました。炉内を仕切り、斜面等の地形を利用して燃焼ガスの対流を発生させる仕組みの「登窯」は、焼物を焼成する際、高温を一定に保てるからでした。陶器を焼く温度は1000度から1300度ですが、磁器は1300度から1400度の高温を一定に保つ必要があるのです。
(※ https://saga-museum.jp/ceramic/yakimono/qa/05.html)

 報告書には、発掘調査された「登窯」の全景写真が添えられていました。

こちら →
(※ 前掲、報告書、口絵写真、図をクリックすると、拡大します).

 確かに、炉の中が一定の大きさで区切られているのがわかります。斜面を利用して高低差をつけて、熱の対流を発生させ、一定温度に保つ仕組みになっているのです。

 「登窯」は、一定レベルの品質を保持したまま、大量に焼物を生産するのに有効でした。これまで日本の陶工たちが使っていた窯では不可能なほど生産性の高いものだったのです。朝鮮から導入されたこの様式の窯はやがて各地の窯業地に導入されていきました。

 出土した焼物には藁灰釉が施された焼物がありました。

●藁灰釉の茶碗

 岸岳城下の窯で製造された焼物には、藁灰釉の碗や皿がありました。藁灰釉とは、稲の藁を焼いた灰を主成分とする釉薬で、酸化焼成で白く乳濁した色合いになるのが特徴です。これもまた、それまでの日本にはなく、朝鮮から伝わった技法でした。

 藁灰釉を使った茶碗の画像がありましたので、ご紹介しましょう。

こちら →
(※ https://touroji.com/choice/cyousengaratsu.htmlより。図をクリックすると、拡大します)

 この茶碗は、唐津焼の一種である朝鮮唐津だと説明されています(※ 上記URL)。下が鉄釉(黒)、上が藁灰釉(白)の組み合わせで作られており、素朴な味わいの中に、そこはかとない奥行きが感じられます。釉薬が混ざり合った部分がにじみ、藁灰釉の中に鉄釉がゆらめく様子が美しく表現されているのが印象的です。

 藁灰釉ならでは白く乳濁した上部を、黒の鉄釉部分が下から支える構図で、炎のように文様化されています。鉄釉と藁灰釉の対比、相互に混ざり合った部分のにじみ具合が秀逸です。このような表現を可能にしたのが藁灰釉でした。

 このように材料から技法、製造装置に至るまで、丸ごと朝鮮から移植して製造された唐津焼が、当時の日本の陶器市場を席捲していたのです。

 発掘調査された岸岳古唐津の報告書には、さまざまな焼物の写真が掲載されていました。

こちら →
(※ 前掲、報告書、口絵写真、図をクリックすると、拡大します)

 この写真を見ると、大きな壺や茶碗、茶器、小皿など、さまざまな焼物が作られていたことがわかります。いずれも素朴な味わいのある陶器です。

 とくに茶器と思える焼物には、大橋康二氏が指摘するように、「千利休(1522-1594)の侘び寂の影響を受けた形跡」が見受けられます(※ 大橋康二、「江戸初期における肥前磁器の開発過程について」、『佐賀県立九州陶磁文化館 研究紀要』第6号、2021年、p.3)。

 釉薬を施された唐津焼の茶器の普及が、茶の湯の普及と密接な関係にあったことは疑いようがありません。

 そして、唐津焼は、慶長年間に、国産の瀬戸焼や美濃焼と市場を二分するほどの勢いで発展しました。それは、朝鮮人陶工によって伝えられた技法と「登窯」という製造装置によって、より質の高い焼物を、より安価で大量に生産できるようになったからでした。

 岸岳古窯跡調査の結果から、釉薬が施された唐津焼は、秀吉の朝鮮出兵以前に焼かれていたことがわかりました。果たして、これが唐津焼の起源なのでしょうか?

■唐津焼の始まりはいつか?

 唐津焼の始まりについては、次のような記述があります。少々、長いですが、引用しましょう。

 「唐津焼の起源は勿論傳説であるが、今より千六百六十餘年前、神功皇后三韓御征伐の御時人質として三韓の王子を連れられ松浦郡草野郷に御凱陣の上同郡左志郷内に置き、高麗小次郎冠者、新羅太郎冠者、百済藤平冠者と呼び給ふた。今以て此地を小次郎冠者居住の地を小十冠者村、太郎冠者の所を大良村、藤平冠者の所を藤の平村と世々三王子の名を稱へて居る。小次郎冠者は居所の地で陶器を製造し神功皇后へ献納した。其当時は陶器の一種瓦の極めて堅硬の物で、まだ釉薬を施してはない。」(※ 金原京一、「肥前古窯に就て」、『大日本窯業協會雑誌』40巻、480号、1932年、p.790)

 この文章からは、①陶器の製造が朝鮮渡来の技術であること、②三韓征伐の際、人質として連れてこられた高麗の小次郎冠者が、製造して神功皇后に献納したこと、③この陶器には、まだ釉薬が施されていないこと、等々がわかります。

 ちなみに、三韓征伐とは、神功皇后が朝鮮半島の新羅、百済、高句麗を制圧し、服属化したという伝承を指し、『日本書紀』の神功皇后紀に記されています。三世紀ごろのお話です。また、文中、何か所か「冠者」という単語がでてきますが、成人男子という意味です。

 さて、それから約四百年後の斉明天皇の頃、唐津の山麓で、高麗製陶の技法で、大形の茶碗が作られましたが、それにも釉薬は施されていませんでした。

 釉薬のある陶器が製造されるのは、それからさらに六百餘年後のことでした。

 「釉薬のある釉薬のある唐津焼は、今より六百餘年前元享年間に東松浦郡波多三河守の岸嶽城山飯洞瓶窯に始まって居る。系統は朝鮮北方系にして窯は竹割式の登窯で現在も深林中に多少残って居るのである。之より帆桂窯、飯洞瓶上窯、小次郎冠者窯、岸岳皿屋敷窯、道納屋谷窯、平松窯、大谷窯と分窯が出来」と記されています。(※ 金原京一、前掲、p.790)

 釉薬が施された陶器を唐津焼とするなら、元享年間(1321-1324)、すなわち、鎌倉時代が始まりだということになります。「波多三河守の岸嶽城山飯洞瓶窯に始まって居る」と記されており、波多三河守が岸岳の城山飯洞瓶窯で焼かれたものが最初だということが示されています。

 ところが、先ほどご紹介した発掘調査報告書では、「1580-90年代」が、唐津焼の起源だと書かれており、金原氏の見解とは齟齬があります。その後、書かれたいくつかの論文を読むと、年代は明記されてはいないものの、秀吉の朝鮮出兵以前が期限だという点で見解が一致していました。

 調べてみると、唐津焼の起源については、先ほどご紹介した金原京一氏の鎌倉時代説、水町和三郎氏の室町時代説、佐藤進三氏の桃山末期説などがあることがわかりました。
(※ https://kusaomi-yomoyama.seesaa.net/article/201009article_1.html)

 識者によって三者三様、唐津焼の起源の時代認定は異なっていました。とはいえ、織田信長以前の遺跡から出土した例がなく、天正十九年(1591)年、天正二十(1592)年のものは現存しているので、唐津焼の始まりは天正年間だと考えられています(※ 大橋康二、『日本のやきもの 唐津』、淡交社、2003年、pp.82-83)。

 松浦郡の波多三河守が、岸岳城山飯洞瓶窯で、朝鮮陶工に造らせたものが、唐津焼の起源なのです。朝鮮式の窯で、朝鮮陶工によって、朝鮮技法に則って焼成されたものが唐津焼でした。窯から材料、製造技法に至るまで、まるごと朝鮮から移植した焼物だったのです。

 最後の領主が波多三河守親公でした。

■波多三河守親公

 波多三河守親公の来歴を調べていると、次のような文書があるのに気づきました。

 「岸岳城主波多三河守は、嵯峨天皇の皇子源融公を始祖とし、七代の後孫源新太郎久公を党祖とする。平安後期久公九州に下向し、その第二子源二郎持公は、波多郷に封を受けて此の地に来り、岸岳山麓に舘を構え、郷名により波多氏を名乗る。のち岸岳城に拠り、子孫相承けて封土を守り、経倫に努め、波多三河守親公に至る。その間、時により盛衰をみるも上松浦諸氏の中に在りて、一等他を抜きんじ智勇兼備と庶民悦服の仁政を以て、上松浦党の首領となり、その雄名は鎮西青史に輝く」 
(※ https://web.people-i.ne.jp/~houanji/hatamikawanokami.html、読みやすくするため、句読点は筆者が追加)

 郷土史家の山﨑猛夫氏が、「波多三河守」について、平成五(1993)年四月十二日付で書いた文章です。

 これを読むと、波多三河守は、嵯峨天皇(786-842)の皇子を始祖とする家系で、七代目源新太郎久公を党祖(松浦党)とし、平安後期に九州に来たようです。第二子の源二郎持公が、波多郷を授けられて岸岳山麓に居を構え、波多氏を名乗るようになりました。

 以後、波多氏は、岸岳城を築城し、代々、領地を守って仁政を敷き、第17代党首波多三河守親公まで続いたことがわかります。平安時代から戦国時代までの間、紆余曲折あったでしょうが、波多氏は、総じて、松浦の領地を穏やかに治めてきた由緒ある武士の家系だったのでしょう。

■武将に好まれた朝鮮伝来の茶器

 発掘調査からは、岸岳城下で朝鮮陶工によって窯がいくつも築造され、さまざまな焼物が生産されていたことがわかりました。松浦党の波多三河守は、朝鮮半島に近い地の利を生かし、容易に朝鮮陶工を連れてくることができたのです。

 唐津焼を代表するものとして絵唐津があります。絵唐津茶碗の白眉といわれる「鉄絵菖蒲文茶碗」をご紹介しましょう。

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(※ 口径12.0㎝、高さ9.7×9.3㎝、1580-1610年代、田中丸コレクション蔵、図をクリックすると、拡大します)

 上の写真は、絵唐津の茶碗です。淡い灰釉に鉄顔料で描かれた菖蒲の姿に何ともいえない興趣があって、印象的です。絵唐津は、鉄顔料で絵付けし、長石釉を掛けて焼き上げる技法で造られており、唐津焼の代表的な焼物です。草花や抽象的な文様を奔放に描いた絵柄が特徴で、侘びさびが感じられます。慶長年間以降、盛んに生産されるようになりました。

 当時、茶の湯が武将や豪商の間で流行っており、素朴な味わいのある茶器への関心が高まっていました。特に好まれていたのが、高麗茶碗など朝鮮伝来の茶器でした。

 それでは、高麗茶碗が一体、どのようなものなのか、ご紹介しておきましょう。

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(※ 井戸茶碗、銘/喜左衛門(国宝)、16世紀、大徳寺孤篷庵蔵)

 上の写真は、朝鮮伝来の高麗茶碗の中でも、格別の佇まいを見せているものです。喜左衛門の銘が入った井戸茶碗で、粉青砂磁の井戸茶碗ならではの風格が印象深く、唯一、国宝に指定されています(※ https://yoi-art.seesaa.net/article/201312article_1.html)。

 枇杷色の釉薬を施されたこの茶碗には、素朴な風情が感じられる一方、力強さもあります。まさに戦国武将の精神や茶人の美意識に合致した焼物だといえます。「井戸茶碗」として珍重され、侘び茶の象徴になったといいます。

 最後に、唐津焼の水差しをご紹介しておきましょう。

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(※ https://touji-gvm.com/showroom/000117madarakaratsu/、図をクリックすると、拡大します)

 上の写真は古唐津斑釉水指で、唐津焼の一種の焼物です。古唐津斑釉が施されており、青や黒色の斑の模様が器面に出ているのがわかります。長石と藁灰を混ぜた釉薬を上から掛け、焼成することで、胎土に含まれる鉄分が滲み出てきて、白濁した唐津の釉薬と混ざり、斑模様になっているのです。この斑模様に特徴があるので、斑唐津とも呼ばれています。

■侘びさびの精神と美学

 絵唐津の茶碗と高麗茶碗、そして、古唐津焼の水差しをご紹介してきました。いずれも淡く素朴な味わいの中に幽遠な趣が感じられます。いつまで見ていても、見飽きることのない深さがあるのです。

 茶碗の形状には歪みがあり、絵柄は粗く、決して精緻なものではありません。水差しの表面も不規則な斑模様になっています。いずれも、どこかしら歪みがあり、不揃いで、不完全な形状をしているのが印象的です。

 その不完全性の中に、想像力を働かせる余地があり、思考を促す手がかりがあるのでしょう。器の色彩にも、不均衡、不均質であるがゆえの複雑さと奥行きが感じられます。利休が大成した精神や美学が、これらの焼物に内包され、息づいていることがわかります。

 波多三河守が、窯業を領地の基幹産業として、発展させようとしたのも当然でした。

 唐津焼の中には、侘びさびの精神と美学がしっかりと組み込まれていたのです。今後、茶の湯が武将の嗜みとして、生活文化の中に根付いていくとすれば、唐津焼に対する需要は高まるはずでした。質の高い唐津焼を量産すれば、領内の財政基盤を高めることができると考えたのかもしれません。

 波多三河守親公は窯業に力を入れ、量産体制に入りました。

 この時期に波多三河守親公が生産していた唐津焼は、さまざまな地域に陶器や茶碗、皿などが関西、山形、秋田などで出土しています。
(※ 大橋康二、「世界に輸出された肥前陶器」、『佐賀県立九州陶磁文化財 研究紀要』第10号、2025年、p.5)

 秀吉が朝鮮出兵を企てる以前に、波多三河守親公は唐津焼を生産開始していたのです。

(2026/02/14 香取淳子)

朝鮮人陶工・李参平が開発した有田焼

■李参平

 文禄・慶長の役で朝鮮に遠征した西国大名たちは、慶長三(1598)年、豊臣秀吉が亡くなったために撤退する際、朝鮮人陶工を日本に連れ帰りました。彼らは九州地方を中心に釉がかかった施釉陶器(成形・素焼きした陶器の表面に、ガラス質の釉薬を掛けて本焼きした焼き物)の生産を始めました。

 この文禄・慶長の役には、当時、藩主であった龍蔵寺氏に代わって鍋島直茂(1538-1618)が出陣し、多久 安順(1566-1641)も随行していました。

 西国大名のうち、佐賀藩が最も多くの朝鮮人を連れ帰ったといわれています。その中には、医薬に通じた者、能書家、製塩家、農民、漆工、飴工などが含まれており、陶工の数はそれほど多くなかったようです(※ 丸山雍成、「有田焼の生成・発展と流通構造(一):その若干の素描」、『九州文化史研究所紀要』、30号、1985年、p.56)。

 この時、連れてこられた陶工の中の一人が李参平でした。鍋島直茂は。多久安順に命じて佐賀城下まで連れてこさせ、出身地にちなんで日本名を金ケ江三兵衛とし、多久に預けています。よほど李参平を見込んでいたのでしょう。

 実は、朝鮮遠征時に彼は、鍋島直茂や多久安順に忠誠を尽くし、信頼を得ていました。しかも、朝鮮で焼き物の経験があり、陶土についても知識がありました。鍋島らにとって、きわめて有用な人材だったのです。

 多久安順は、李参平に「焼物試」の免許を与え、自由に能力を発揮できるようにしました。まずは良質の陶石探しに着手しました。質のいい焼物を造るには良質の陶石が必要でした。

 陶磁器に適した良質の土を見つけるため、李参平は佐賀藩領内の各地を巡回しました。いくつも掘削しては土質を調べていくうちに、とうとう有田で最高の場所を見つけました。それが有田郷上白川でした。

 上白川に居住して焼物を造ったところ、確かに質のいい焼物が仕上がりました。当時、人里離れた辺鄙なところでしたが、評判を聞きつけた陶工たちが集まるようになり、次第に繁盛していきました。やがてその辺一帯が皿山となり、近隣随一の陶磁器製作の場となりました(※ 丸山、前掲、p.59-60)。

 日本で最初の磁器が誕生し、安定して磁器を製造できるようになりました。

 李参平のホームページには次のように記されています。

 「金ヶ江家文書によると、鍋島藩初代藩主鍋島直茂公によって佐賀の地に連れてこられた李参平は初め鍋島藩の老中、多久家に預けられます。その領内で今までの技術を活かし築窯しましたが、思い通りの焼物が出来ませんでした。やがて、白磁に適した陶土を探すため鍋島藩内を歩きまわります。そして、1616年に李参平が有田の泉山にて良質の磁器鉱を発見したと書かれています」
(※ https://toso-lesanpei.com/history)

 木本真澄氏は李参平の功績を讃え、次のように記しています。

 「言葉も通じない異国の地で未開の土地を耕しながら磁器の原料の陶石を見つけ、生産にこぎつけた偉業に感服するばかりです。李参平はリーダーシップも備えた人物だったようで、『皿山代官旧記覚書』によると、窯焼き120人を統率する有田皿山のリーダーになっています」
(※ 大木真澄、『有田焼400年の歴史』、http://arita-episode2.jp/ja/history/history_3.html)

 初代李参平の像があります。

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(※ https://toso-lesanpei.com/history、図をクリックすると、拡大します)

 彼の業績を象徴するように、白磁で造られた座像です。

 正面を見つめる眼差しに、哲学者の趣が見られます。言葉も通じない異国の地で、磁器製造に適した土地を見つけて陶石を切り出し、精錬して磁器を製造していった者ならではの気迫も感じられます。開拓者精神があり、失敗に負けない信念があり、完成作品に仕上げていく粘り強さが滲み出ているように思えます。

 それでは、李参平が発見した泉山磁石場はいったい、どのような場所なのか、見てみることにしましょう。
 
■泉山磁石場

 泉山磁石場は、元和二(1616)年、朝鮮人陶工・李参平(金ケ江三兵衛、生年不明-1655年没)によって発見されました。

こちら →
(※ https://www.driveconsultant.jp/detail/spot/1880.html、図をクリックすると、拡大します)

 泉山の陶石には磁器に欠かせない石英やセリサイトが含まれています。その他に、カオリナイト、長石、少量の酸化鉄などが含まれています。わずかとはいえ酸化鉄が含まれているので、上の写真を見てわかるように、剥き出しになった岩肌が黄色くなっています。

 陶石が発見されてからは、200年以上にわたって、徐々に切り出され、今では写真で見るような形状になってしまっています。十九世紀後半ごろから、有田地域の窯元は、熊本県天草から高品質の陶石を購入し始め、現在、有田焼のほとんどは天草の陶石で作られています。泉山磁石場は1980年に、国指定史跡に指定されました。

■大名たちはなぜ、朝鮮人陶工を連れ帰ったのか?

 出征した西国大名たちは、慶長三年に朝鮮から撤退する際、現地の陶工たちを数多く、連れ帰りました。なぜかといえば、当時、武士階級の間で茶文化が流行しており、茶器に対する関心が高まっていたからでした。

 茶人・千利休(1522-1591)は、織田信長(1534-1582)に仕え、その後、豊臣秀吉(1537-1598)にも仕えました。武士階級のトップ2と相対しながら、次第に茶道を確立していきました。それまでの中国ものを高級とする見方から、李朝の民窯の焼物を良しとする見方になり、侘び、寂の美を確立させていったのです。
(※ 山田友治、「李朝白磁の特質」、『東京工芸大学芸術学部紀要』巻13、2007年、p.63)

 利休の茶人としての評価が高まる一方、上層の武士階級の間では、茶器の名品を権力者に贈答すること、大名同士で茶器を贈答し合うこと、茶の作法を習得し、茶会を開催すること、等々が、浸透していきました。政治関係の円滑化に大きな役割を果たしていたのです。

 このような当時の状況を知れば、朝鮮の陶磁器に強い憧れを抱いていた西国大名たちが、朝鮮から撤退する際、多くの陶工を連れ帰った理由がわかろうというものです。

 大名たちはそれぞれ、領地内に朝鮮人陶工を使って、領主主導の陶器窯を築かせました。卓越した技術を持つ陶工たちを厚遇したこともあって、各窯から優れた製品が次々と生産されるようになりました。

 たとえば、薩摩藩は、朝鮮陶工に築かせた宇都窯や御里窯を、後に、鹿児島城下に移して堅野窯を御庭焼(大名や公家が自らの城内や別邸に窯を築き、趣味や観賞用として作らせた陶磁器)としました。そして、佐賀藩などの技術を導入して、色薩摩を作り出すことに成功しています。

 宇都窯では、黒色系の彩釉(陶磁器の表面にガラス質の釉薬を施し、色鮮やかな色彩や美しいグラデーションを表現する技法)が行われ、これは古帖左(こぢょうさ)焼と呼ばれています。また、釉陶(釉薬)も作られるようになりましたが、その土と釉薬は朝鮮産を使っています。

 福岡藩、熊本藩も同様です。朝鮮人陶工を連れ帰った西国大名はそれぞれ、朝鮮の技術を取り入れ、独自の作品を作るようになりました。

 そのような中で、際立って成果を上げていたのが佐賀藩でした。

 次回、詳しくみていくことにしましょう。
(2026/1/31 香取淳子)

佐賀「唐人町」にみる専門職外国人の受け入れ方

■唐人町

 JR佐賀駅を出て、佐賀県立図書館に向かって歩いていた時、歩道脇に石像が設置されているのに気づきました。道路側ではなく、建物側の壁面に置かれていたのです。花が添えられ、水の入ったコップが二個、置かれています。一瞬、お地蔵さんかと思ってしまったのですが、傍らに「忍者恵比須」と書かれた板が掲げられています。その上にはQRコードまで表示されていました。読み取って開いてみると、日本語、中国語、英語、韓国語で音声ガイドが用意されていました。「恵比須DEまちづくりネットワーク」がガイドしてくれるようです。

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(図をクリックすると、拡大します)

 板には、次のような内容の説明が記されていました。

 「知的で涼しげな笑み。一五九九年、鍋島直茂公は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に通訳を務めた高麗人の居住地として唐人町を作りました。当時、その鍋島藩の様子を探るため、隣の黒田藩がスパイとしてこの恵比須さんを送り込んだという伝説が残っています。平らで肩まで垂れた福耳は、遠く小さな声を拾うためなのかもしれません。(社)佐賀観光協会」

 この説明書きを読んで、ここが韓国から渡来した人々が居住する町だということがわかりました。たしかに、街灯の柱にも、「唐人町」と書かれた小旗が取り付けられています。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 他にも何かがあるはずだと思い、辺りを見回してみると、近くに「唐人町の由来」と書かれた石碑がありました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 唐人町について、最初の段落で、次のように説明されていました。

 「天正十九(1591)年、佐賀藩に召抱えられた高麗人李宋歓(りそうかん)は、秀吉の朝鮮出兵の際、通詞役として、また陶工たちの招聘(しょうへい)にも重要な役割を果たした。宋歓は利敵行為をしたため故国に帰ることができず、佐賀に留まることになった。藩主鍋島直茂はこのことを不憫におもい、佐賀城下の十間堀川以北の愛敬島村に、慶長四(1599)年宋歓が連れ帰ってきた高麗人の一団を住まわせた。その中にのちの鍋島更紗を創始した九(く)山道(ざんどう)清(せい)もいた。唐人(異国人)の住む町として、唐人町と名づけた」(※「唐人町由来」より)

 どのような経緯があって佐賀藩に召抱えられるようになったかわかりませんが、高麗人の李宋歓は、秀吉の朝鮮出兵の際、鍋島直茂に随行して、地理案内および通訳として重要な働きをしているのです。

■鍋島直茂の朝鮮出兵

 朝鮮出兵に際して、直茂は龍造寺(戦国時代から江戸時代初期にかけての肥前国の戦国大名)家臣団を率い、加藤清正を主将とする日本軍二番隊の武将として参加しました。この朝鮮出兵を経て、龍造寺家臣団の直茂への傾倒が一層促進される効果があったとされています。この戦争中、直茂は一度も帰国することなく、慶長二(1597)年になってからようやく子息の勝茂と交代で日本に帰国しています。

 朝鮮戦役で戦功をあげ、その後の関ヶ原の戦いでもうまく立ち回った鍋島直茂、勝茂父子に対し、幕府は竜造寺氏からの禅譲を認める姿勢をとりました。周辺もそれを承認した結果、鍋島勝茂は幕府公認の下で、龍造寺家の遺領を引き継ぎ、佐賀藩主となり、父直茂の後見下で藩政を行うことになりました。(※ Wikipedia)。

 実際は慶長十三(1608)年に、鍋島家による領国支配が確立していましたが、幕府から鍋島勝茂に領地安堵の沙汰が出たのは慶長十八(1613)年でした。幕府の承認という側面からみれば、勝茂が祖となるはずですが、鍋島家略系図では藩祖を鍋島直茂とされています。
(※ https://www.nabeshima.or.jp/main/23.html)

 ここで、「肥前佐賀の領主としての鍋島家の基礎を築く」と書かれているように、鍋島直茂は多大な努力をして、肥前の領主としての地位を獲得しました。様々な局面をうまく繋ぎ、有利な状況を作り上げていったからでしょう。その一つが、朝鮮出兵でした。これを機に、佐賀での政治的地盤を優勢に導いています。直茂の洞察力と卓越した知略の賜物だといわざるをえません。

こちら →
(※ 文化遺産オンライン、図をクリックすると、拡大します)

 絵画とはいえ、眼光鋭く、しっかりとした面立ちからは知謀にたけた政治家であることがわかります。

 さて、朝鮮戦役の影響は、明にも朝鮮にもその後、衰退の原因となる深刻な財政難を残しました。攻勢をしかけた豊臣家にも家臣団の内紛をもたらしました。それぞれ悪影響を被りましたが、秀吉に指示され参加した西国大名の中には、多数の奴婢を連れ帰ることでこの戦役の代償を得た大名もあったといわれています(※ Wikipedia)。

 ところが、鍋島直茂は奴婢を連れ帰ったりはしませんでした。日本に帰還する際、他の西国大名たちとは違って、有能な陶工や繊維職人たちを連れ帰っているのです。直茂が現地の事情に明るい李宋歓を随行していたからにほかなりません。

■李宋歓に対する処遇

 李宋歓は、直茂が帰還する際、陶工たちを連れ帰る上でも大きな役割を果たしました。当時の日本では得難い技能をもつ陶工や更紗職人などを選別し、説得し、佐賀に連れ帰ったのです。それが、佐賀にとって、日本にとっていかに大きな功績であったか、後の展開を見れば一目瞭然です。

 もちろん、韓国にとっては大きな損失でした。李宋歓がとった行為は利敵行為とみなされ、帰国できなくなってしまいました。そこで、藩主鍋島直茂は、李宋歓が連れ帰った高麗人たちが住む場所を提供し、唐人町と名づけました。これがこの町の由来ですが、李宋歓にはさらに特権が当たられました。

 李宋歓の功績に対して、鍋島直茂は苗字帯刀を許し、十人扶持と海外貿易の永代御用達商の免状を与えました。その結果、李宋歓は、唐物の繊維品、陶磁器、金物類、荒物など日本にないめずらしい物を輸入しました。海外商品を扱う商人が唐人町に集まってきて、今日の唐人町の基礎ができたというわけです(※「唐人町由来」より)。

 ちなみに、「十人扶持」とは、十人分の家臣や奉公人の生活費に相当する扶持米が支給される俸禄のことです。また、「海外貿易の永代御用達商の免状」とは、海外貿易に関してはその家が存続する限り、あるいは幕府の需要がある限り、安定して取引を行う権利が与えられたのです。

 興味深いのは、李宋歓が連れ帰った人々の中には、陶工もいたし、後に鍋島更紗を創始した九山道清もいたということです。彼らによって、後の鍋島藩の主要な産業基盤が構築されたといっても過言ではありません。

■唐人神社

 「唐人町由来」の石碑の近くには、小さな神社が設置されていました。

こちら →
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 小ぶりながらも、お賽銭箱があり、鈴を鳴らす鈴緒があって、神社としての機能を備えていました。その下に、「唐人神社の由来」と書かれた石碑があり、そこには、次のように説明されていました。

 「高麗人宋歓は佐賀領主鍋島直茂の招聘を受け、慶長四(1599)年この地に一族と居住し、唐人町と称した。宋歓は文禄・慶長の役の功績によって海外貿易の永代御用達商の免許を得て商業に励み、今日の唐人町の基礎ができた。宋歓は居宅の一角に石碑を建て、故郷を偲び、のち唐人塚と呼ばれた。この碑は昭和三十年七月、道路拡張のため、町西裏にある唐人町会館の構内に移された。同四十年七月、石碑を祭神として、「唐人神社の社殿」を新築。町の守護神として崇め、毎年夏の例祭を施行している」

 藩主直茂から、居住地や身分、俸禄を与えられても、李宋歓は故郷を離れたことからくる、心の虚しさを埋めることはできなかったのでしょう。居宅の一角に石碑を建て、故郷を偲んだといいます。それが、後に、「唐人神社」となり、故郷を離れた韓国人たちの心の砦になったのです。

 それにしても、高麗人の李宋歓がなぜ、秀吉が朝鮮に出征する際、日本にいたのでしょうか?しかも、直茂に随行して、日本側の通訳として現地で活躍しているのです。なぜ、そのようなことが可能だったのでしょうか?

■李宋歓を引き取った鍋島直茂
 
 なぜ、李宋歓が鍋島家に仕えるようになったのか、その経緯を知りたかったのですが、なかなか見つかりませんでした。寺内信一氏の説明によってようやく、理解することができました。

 寺内氏は李宋歓について、次のように解説しています。

 「朝鮮人。姓は達、名は越。朝鮮咸鏡北道吉州の刺史達賢の子。1587年(天正一五)海難に遭って筑前国黒崎(福岡県粕屋郡志賀町勝馬)に漂着した。1591年(天正一九)肥前鍋島家に引き取られ、文禄の役の際にはその地理案内および通訳の任に当てられた。出征中彼の地の陶工を斡旋仲介して藩主直茂に従い帰化させた。その委細は宗歓の子孫で佐賀唐人町の荒物商川崎四郎が1840年(天保一一)六月に提出した由緒書に明らかであります」
(※ https://turuta.jp/story/archives/43632)

この説明の中で、興味深いのは、「1587年に海難に遭遇して黒崎に漂着し、その四年後に鍋島家に引き取られたという文言です。李宋歓は海難に遭い、黒崎に漂着したのが、当時、日本にいた理由だというのです。

 黒崎といえば、黒田藩の所領でした。藩主黒田長政に先見の明があれば、漂着した李宋歓をすぐにも召抱えていたでしょう。日本を平定した秀吉が勢いにのって、やがて朝鮮に進出するのは目に見えていたはずです。実際、秀吉はその四年後には朝鮮出兵を決めています。家臣だった黒田藩は五千人の軍役を課せられました。

 李宋歓が海難に遭遇し、黒崎に漂着したのが1587年、鍋島家に引き取られるまでの四年間、どこで何をしていたのでしょうか。なぜ、黒田藩は藩内に漂着した李宋歓を引き取らなかったのでしょうか。秀吉が朝鮮に出兵するとなれば、通訳が必要なのは明らかでした。それなのに、黒田藩は李宋歓を引き取りませんでした。

 藩主の度量の違いでしょうか。鍋島藩主・直茂は黒田藩内に漂着した李宋歓を召し抱え、秀吉が朝鮮出兵の際には地理案内および通訳として起用しました。それだけではありませんでした。李宋歓は現地で陶工を選抜し、直茂に帰属させて日本に連れ帰りました。

 ここでつながってくるのが、冒頭にご紹介した「忍者 恵比須」の石像です。説明書きには、「当時、その鍋島藩の様子を探るため、隣の黒田藩がスパイとしてこの恵比須さんを送り込んだという伝説が残っています」と書かれていました。この説明文を読んだときには、どういうことかよくわからなかったのですが、寺内氏の説明を読んでから、なんとなくわかるような気がします。

 なぜ、黒田藩は鍋島藩の動向を探る必要があったのか、それはおそらく、鍋島直茂の動きをよく理解できなかったからではないでしょうか。

 鍋島直茂は、黒田藩内に漂着した李宋歓を召抱えました。渡来人とはいえ、彼の能力や人柄を見抜いたからでしょう。直茂には、度量、料簡、胆力がありました。高麗人を取り立てることによる誤解を招くかもしれませんが、むしろ、召抱えることによる大きなチャンスに賭けました。

 鍋島直茂は単に、朝鮮出兵に参加し、政治的基盤を固めただけではありません。李宋歓を伴っていたので、現地を視察することができ、有能な人材を日本に連れ帰ってくることができたのです。漂着民とはいえ、直茂が彼の能力と人柄を見抜き、信頼していたからにほかなりません。

 鍋島直茂が連れ帰った高麗人の中には、九山道清がいました。鍋島更紗と呼ばれる更紗を伝えています。道清は、後に九山左衛門と改名し、藩の庇護を受け、諸大名や幕府への献上品をつくっていました。技法は木版ずりと型紙ずりを併用した独特なもので、色染めも精巧を極めていたといいます。(※ 石碑「鍋島更紗の由来」より)

 直茂が連れ帰った高麗人の中に陶工もいました。『葉隠聞書382』によると、「鍋島直茂・朝鮮陣凱旋の時陶工を伴なひ帰りて有田焼を創む」との表題の下、次のように説明されています。

 「日本の寶になさるべくと候て、焼物上手頭6,7人召連れられ候、金立山に召置かれ、焼物仕り候、其の後伊萬里の内、藤河内山に罷り移り、焼物仕り候。それより日本人見習ひ、伊萬里有田方々に罷り成り候由」
(※ 『佐賀県立博物館報』No.38)

 陶工たちを連れ帰ったのは、彼らがやがて日本の宝になると直茂が判断したからでした。実際、彼らは大きな功績を上げました。最初は金立山、そして、伊万里、藤河内山へと場所を変えて製造していましたが、陶工団はやがて伊万里や有田で焼物を始めるようになります。

■佐賀「唐人町」が示すもの

 鍋島更紗にしても、鍋島焼にしても、直茂が帰還の際。工人たちを日本に連れて帰ろうと判断しなければ、ありえませんでした。当時、日本にはなかった織物、陶磁器の製造技術を彼らはもたらしてくれました。それらはやがて、佐賀藩の経済基盤を支える産業に成長し、維新後は輸出産業の一端を担うようになったのです。

 鍋島直茂に先見の明があったからだけではありません。高度や技術をもたらしてくれた渡来人に対し、誠実に接してきたからではなかったかと思います。有能な人材を家族ごと受け入れただけではなく、渡来人に対し、城下に居住地を確保し、身分、俸禄も与えました。さらに、故郷を離れて覚える心細さを解消するかのように、唐人神社まで作っていました。能力に応じ、手厚く処遇をしていたばかりか、安心して働ける環境を整備していたのです。

 実際、高度な技術を持つ渡来人たちは、後々まで佐賀藩のため、日本のために役立ってくれました。藩主が正当に彼らを受け入れ、処遇していたからにほかなりません。

 翻って今、単純労働力として外国人を求める産業界の風潮に、危惧を覚えざるをえません。代替の利く労働なら、機械あるいはロボットで補完できるのではないかと思うのです。

 今回、佐賀の「唐人町」で見たのは、日本にはない高度な技術力をもつ渡来人の受け入れ方でした。鍋島藩は、彼らを手厚く処遇し、居住や収入面での環境整備を図ったばかりか、彼らの気持ちに沿って、唐人神社まで作っていました。渡来人が異国でも心安らかに働けるよう配慮されていたのです。(2025/12/31 香取淳子)
 

果敢に改革を進める高市内閣、卑劣な妨害工作を仕掛ける反対勢力

■果敢に改革を進める高市内閣

●日本成長戦略本部の設置

 11月4日、高市政権は成長戦略の方向性や具体策を示す日本成長戦略本部を始動させました。人工知能(AI)やエネルギー安全保障など17項目を戦略分野と位置づけ、官民投資によって、日本の成長の原動力にするといいます。高市政権が戦略分野として掲げたのはAIや半導体、エネルギー安全保障、防衛産業などです。

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(※ 日経新聞、2025年11月4日、図をクリックすると、拡大します)

 これら17項目に優先順位を付けていませんでしたが、各項目には担当大臣を指名し、各府省庁を挙げて取り組む姿勢を示しています。その一方で、省庁横断の重点項目として労働市場改革や賃上げ環境の整備を挙げており、高市首相は、「リスクや社会課題に対して、先手を打って供給力を抜本的に強化する」と述べ、政府が投資を主導する姿勢を明確にしました。

 本部の設置にあたっては、「官民連携の戦略的投資を促進する」との方針を確認しています。来年夏にも新たな成長戦略をまとめる方針で、一部の施策は策定を急ぐ総合経済対策に盛り込むともいいます。また、高市首相は同本部で、「日本経済の供給構造を強化」するよう指示する一方、民間の有識者12人を交えた日本成長戦略会議を設置することを決めました。

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(※ 日経新聞、2025年11月4日、図をクリックすると、拡大します)

 これら有識者には積極財政派も登用されており、「分配」を重視した石破茂前政権からの大きな方向転換となります。成長戦略にはリスクもあるといわれますが、高市早苗氏が首相になった途端、改革のための政策が次々と打ち出され、社会のムードが俄然、明るくなったような気がします。

 このところ増税ばかりで疲弊しきっていた人々が、高市首相の登場でようやく希望を見出せる心境になったのでしょう。高市首相はさまざまな社会課題に果敢に立ち向かい、解決していこうとする姿勢を見せてくれます。それが頼もしく、人々は将来に展望が開けたような気分になっているのかもしれません。

 高市首相は成長戦略本部の設置に伴い、自民党内にも成長戦略の組織を立ち上げました。驚くべきことに、その本部長に就いたのが岸田文雄元首相でした。岸田氏が立ち上げた「新しい資本主義」を高市首相が「日本成長戦略」に置き換え、本部長に据えることによって、岸田氏の動きに制限をかけたことになります。

 これについて岸田氏は、「政権ごとに政策、看板政策の名称などを変えるのは当然のことだ」と述べ、「新しい官民連携を進めていかなければならない」という見方を示したといいます(※ 日経新聞、2025年11月4日)。岸田氏を本部長に起用することによって、自民党側のバックアップ体制も整備されたことになります。

 さて、成長戦略担当相として中心になるのは城内実経済財政相です。城内氏は、「新しい資本主義実現会議で議論されたことを踏まえ、日本成長戦略会議を立ち上げる」と説明しています(※ 日経新聞、2025年10月31日)。ここでも用意周到な人事が目を引きます。

 一部メンバーを留任させて前政権との継続を図りながら、高市首相が重視する新たな成長戦略を展開できるような布陣を敷いていたのです。さすが高市首相といわざるをえません。看板に手を添えた高市首相と城内成長戦略相の表情がなんと晴れやかなことでしょう。

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(※ 日経新聞、2025年11月4日、図をクリックすると、拡大します)

 この看板には、成長戦略によって経済力を高め、そして、防衛力、外交力を高め、さらに経済力を高めるといった連環が込められているのです。二人の表情には掲げたビジョンを信じ、それに邁進しようとする意気込みが漲っています。

 日本のために「働いて、働いて、働きぬく」と決意表明した高市氏の熱量に閣僚たちは圧倒されたのでしょう。何も城内氏に限りません。高市内閣の顔ぶれを見ると、その表情が意気込みと決意、エネルギッシュな行動力が迸っているように感じられます。これまでの内閣にはないことでした。

 高市首相は、さまざまな課題への対策を明確に示し、実行に向けた人材配置を徹底させたばかりか、担当者にはそれぞれ指示書を送っていたのです。これほど有能で、胆力のある首相はこれまでにいたでしょうか。しかも課題に対する取り組みの一つ一つが的確で、スピーディで、緻密なのです。

 多くの人々が懸念している移民対策についても同様でした。11月4日、移民対策会議も開催されていました。

●外国人政策

 高市首相は4日、首相官邸で外国人政策に関する関係閣僚会議を開き、外国人による不法行為等について検討するよう指示を出しました。

 近年、日本各地で外国人の不法滞在に伴う犯罪、外国人による迷惑行為、社会保険料の未払い、医療費の未払い、運転免許証の切り替えや土地取得に伴う不祥事などが目立つようになってきました。それによって、日本人の日々の生活や日本の防衛そのものが脅かされかねない状況になってきているのです。

 「日本人ファースト」を掲げた参政党が大きく票を伸ばしているのも、外国人による犯罪や不祥事等が増えていることに起因しています。内閣としては外国人による諸問題への防止対策、取引規制や手続きの厳格化等に着手し、適切に対処しなければ国民に見放されかねません。

 関係閣僚会議で取り上げられた主な協議事項は以下の通りです。

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(※ 日経新聞、2025年11月4日、図をクリックすると、拡大します)

 この会議で高市首相は、「ルールを守って暮らす外国人の方々が住みづらくなるような状況をつくってはならない」と関係閣僚に伝えたそうです。一部の外国人による不法行為のせいで、日本人が外国人全般を排斥することのないよう、ルールを厳格化し、違反者への処罰を厳格化するというのです。出入国在留管理庁の幹部も、「適切な規制が、結果的に排外主義の高まりを抑えることにもつながる」と話しています(※ 前掲)。

 実際、共同通信が7月に実施した世論調査では、出入国管理や不動産取得など外国人への規制を「強めるべきだ」との回答が65.6%にのぼり、「現行通りでいい」(26.7%)、「緩めるべきだ」(4.4%)を上回りました(※ 日経新聞、2025年11月4日)。

 喫緊の課題は、不法滞在者の送還であり、不動産取引のルールの厳格化です。

 少子高齢化が進む日本では外国人への労働依存が高まっているのは事実です。地域によっては外国人が経済活動の重要な担い手となっていることも少なくありません。外国人労働者が不可欠になっている産業も多く、政策的な位置づけの明確化や課題に対して具体な対応策を打ち出すことが迫られています。

 土葬問題、モスク建築問題など、これまで考えられもしなかった宗教に関係する問題も多々、発生するようになっています。もはや地方自治体では解決できないレベルの問題が多発しているのが現状です。

 さて、「外国人の受け入れ・秩序ある共生社会実現に関する関係閣僚会議」のトップには、木原稔官房長官が就き、外国人政策の担当を兼務する小野田紀美経済安全保障相らが加わることになります。これは石破茂前政権の「外国人材の受け入れ・共生に関する関係閣僚会議」を改組したもので、「秩序ある」という文言を加えたところにこの組織の性格を見ることができます。

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(※ 日経新聞、2025年11月4日、図をクリックすると、拡大します)

 真ん中に高市首相、向かって右が木原官房長官、向かって左が小野田経済安全保障担当大臣です。三人三様、緊張した面持ちが印象的です。これまでの内閣では対処できなかった難題に取り組もうというのですから、無理もありません。その表情からは難局に対処できる能力と柔軟性、そして、自信がもたらす風格が感じられます。見ていると、ようやく安心して任せられる内閣が誕生したという気持ちになります。

 高市首相は2025年10月24日、力強く所信表明を行いました。

■所信表明

 2025年9月7日の石破前首相の退陣表明に伴い、10月4日に自民党総裁選挙が行われました。その結果、高市早苗氏が当選し、女性初の自民党総裁が誕生しました。その後、高市氏が首相に選ばれるまで、政局が混乱しましたが、17日後の10月21日には第2次石破内閣は総辞職し、第104代内閣総理大臣に高市早苗氏が指名されました。こうして日本で初めて女性の内閣総理大臣が誕生したのです。

 自民党総裁に選出されてから内閣総理大臣に選ばれるまで、通常では考えられない紆余曲折があったことに触れておく必要があるでしょう。高市氏の自民党総裁就任後に公明党が連立政権からの離脱を表明したのです。誰もが予想しなかったことですが、これで、高石市が首相になれるかどうかわからなくなってしまいました。

 自民党単独では過半数を得られない高市氏は、日本維新の会を連立与党に迎え、ようやく少数政権与党として内閣を発足させることができました。しかも、日本維新の会が閣僚ポストを要求しなかったため、第2次橋本改造内閣以来、実に約27年ぶりに閣僚全員が自民党議員で占められることになったのです。

 高市内閣が発足したのが2025年10月22日、そして、高市首相が所信表明をしたのが10月24日でした。

こちら → https://youtu.be/vEqNcJQRwD0
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 力強く、語る姿が印象的です。

 第219回臨時国会で、高市内閣総理大臣の所信表明演説が行われました。所信表明は文書でも発表されています。

こちら → https://www.jimin.jp/news/policy/211670.html

 高市氏はまず、「日本と日本人の底力を信じ、日本の未来を切り拓く責任を担い、この場に立って」いると切り出します。次いで、「今の暮らしや未来への不安を希望に変え、強い経済を作り、日本列島を強く豊かにしていく。世界が直面する課題に向き合い、世界の真ん中で咲き誇る日本外交を取り戻す」と目標を高く掲げます。そして、「絶対にあきらめない決意をもって、国家国民のため、果敢に働いていく」と実現に向けて、固い決意を示します。

 取り組む課題として挙げられた分野はいずれも安全保障の観点から捉えられており、国土を強靭化する一方、国民及び国民の生活を守ろうとする姿勢が強く反映されています。

■維新との連立政権合意書

 もちろん、維新との連立政権ですから、所信表明通りに高市政権が運営されていくわけではありません。政策に落とし込む段階で維新との合意書を踏まえ、協議を重ねていくことになります。とはいえ、両党は大筋で合意していますから、高市首相が所信表明で見せた方向性に変わりはないでしょう。

 ちなみに両党首がサインした連立政権の合意書は次のようなものでした。

こちら → https://partsa.nikkei.com/parts/ds/pdf/20251020/20251020.pdf

 冒頭の部分をご紹介しましょう。

 まず、前段で、両党は、「国家観を共有し、立場を乗り越えて安定した政権を作り上げて、国難を突破し、”日本再起”を図る」ことを目的に「日本の底力」を信じ、全面的に協力し合うことを決断したと宣言しています。

 次いで、「厳しく複雑な国際安全保障環境を乗り越えるには、日本列島を強く豊かにし、誇りある”自立する国家”としての歩みを進める内政および外政政策を推進せねばならない」とし、「日米同盟を基軸に、極東の戦略的安定を支え、世界の安全保障に貢献する」という覚悟を述べています。

 さらに、リアリズムに基づき、「安全保障環境の変化に即応し、国民を守り、わが国の平和と独立を守る」とし、両党は国際政治観および安全保障観を共有すると表明しています。

 そして、「国民の生活は経済成長によって向上する」という共通認識の下、両党は「責任ある積極財政」によって、「効果的な官民の投資拡大を進める一方、肥大化する非効率な政府の在り方を見直し、歳出改革を徹底」するとしています。積極財政によって経済成長を成し遂げる一方、歳出を見直すことで、社会課題の解決に資金を振り向けるというのです。

 合意書の冒頭部分をご紹介しただけですが、本気で日本を守り、日本人の生活を守っていこうとする高市首相の心意気が感じられます。高市氏がきわめて合理的な判断のできる政治家であり、強い信念をもって課題解決に挑もうとしていることがわかります。

 そもそも維新の共同代表の藤田文武氏は、高市氏の真摯な態度に感動し、尊敬できる政治家だと述べていました。そして、代表の吉村洋文氏は、高市氏の国を思う熱量に驚いたと言っていました。二人とも高市氏を信頼できる政治家だと確信したからこそ、支援しようと思い、連立に応じたのでした。日本と日本人の生活を守ることを目的に、内政外交を行っていくという点で、両党の党首の想いは同じなのです。

 さて、維新は連立の条件として12項目の受け入れを要求しています。容易に受け入れられると思われるものもありますが、もちろん、難しいものもあります。

こちら → https://www.nri.com/jp/media/column/kiuchi/20251017.html

 受け入れ難いとされているものの一つが、「国会議員定数の1割削減」です。

■国会議員定数の1割削減

 維新の吉村代表は10月17日、「議員定数の削減を自民党との連立の絶対条件にする」と述べ、比例代表の定数減を念頭に、「次期衆院選で定数465のおよそ1割にあたる50議席を減らすよう」提案していました(※ 日経新聞、2025年10月18日)。

 興味深いことに、この案は有権者から賛同の声が多く寄せられています。というのも、有権者の多くが、小選挙区で落選した候補者が比例で復活できる仕組みに不満を持っていたからです。そもそも有権者が否定したから落選した候補者が、比例で当選できる仕組みは民意を否定するものでしかありません。選挙制度の本質を歪めるものであり、なくせばいいと思っていた有権者は少なくなかったのです。

 一方、野党や少数政党は「国会議員定数の1割削減」に断固、反対しています。それは理念からではなく、単に、自分たちの存続にかかわるからでした。かつて民主党(現:立民、国民)の野田前首相は、議員定数の削減を条件に解散したことがありました(※ 産経新聞、2016年2月19日)。そのことを忘れてしまったかもように、いま、立憲民主党や国民民主党は削減案に反対しています。

 11月4日の衆議院本会議で、日本維新の会共同代表の藤田文武氏は、議員定数削減に関して、次のような質問をしました。

こちら → https://youtu.be/1Q-mBmRPaBo
(※ CMはスキップするか、削除して視聴してください)

 この日の代表質問の中で、藤田氏が最も会場を湧かせたといいます。コメント欄を見ても、藤田氏の発言を評価するものが多く、たとえば、「足を引っ張ったり、ヤジ飛ばすんじゃなくて、日本の国民の事を本気で考えてくれる」というコメントに見られるように、国会中継を見ている多くの視聴者に好印象を与えていたようでした。

 比例選出議員が多い政党は全般に、定数削減に反発していますが、かつて民主党(立民、国民)は定数削減を要求していたことがあったのです。しかも、日本はいま、人口減少が進んでいます。それに応じて国会議員の削減も必要でしょう。なんといっても巨額の費用がかかっていますから、国会議員も量よりも質への転換を図るべきでしょう。

 高市自民党総裁が誕生してから、連立政権からの公明党の離脱、維新との連立によって高市政権の誕生といった一連の政治過程を国民は見てきました。その結果、これまでいかに多くの政治家たちがビジョンもなく真摯さに欠け、実行力がなく言葉遊びに終始した議論しかできなかったかに気づくことになりました。

 この激動の時代に、多くの政治家が国民を置き去りにしたまま、利権に走り、ぬくぬくと過ごしていたことがわかったのです。彼らは国民のためではなく、自分たちに都合のいい利権の枠組みを作り、その中で居座っていただけでした。そのような政治家は自民党だけではなく、野党の中にもいました。

 今後、そのような既存勢力が高市氏の足を引っ張り、高市内閣が進めようとする改革政策を妨害してくるのは必至です。

 外国勢力に脅かされそうになっている日本、停滞し続ける日本経済、それらに真摯に対峙しようとするのが高市首相であり、高市内閣です。その内閣に対し、自民党や野党、メディアを含めた既存勢力が、どんな卑劣な手段を使ってでも抵抗し、妨害し続けるのは目に見えています。

■立憲民主党による卑劣で執拗な嫌がらせ

 衆院予算委員会は7日午前、高市早苗首相と全閣僚が出席する基本的質疑を実施しました。最初の質問者で自民党の斎藤健元経済産業相は、首相への期待を語った一方、「あまりにハードワークだ」と心配を表明しました。首相は7日午前3時過ぎに公邸入りし、予算委に備えていたというのです(※ 産経新聞、2025年11月7日)。

 高市首相が、なぜそんなに早い時間に公邸入りしたかというと、通常は2日前の正午までに提出しなければならない質問書を、立民などはわざとぎりぎりまで提出しないからだということがわかりました。

こちら → https://www.youtube.com/watch?v=uHTJiY8qC3c
(※ CMはスキップして視聴してください)

 質問通告の期限を守らない政党は立民と共産党だということがデータでもはっきりと示されています。

こちら →
(※ https://work-life-b.co.jp/20210422_11719.html より。図をクリックすると、拡大します)

 ルール違反を犯しているのが最も多いのが、立憲民主党でした。関係各庁からは、次のような不満が寄せられています。

 「通告を一度した後、何度も差し替え、時には前日22時や、休日など、非常識な時間に行うことも多い」(内閣官房)、「定時以降になっても通告すらわからないまま、最後に出された要旨は、「要旨対応問い合わせ不可、要求大臣は全大臣。質問項目は〈内外の諸情勢について〉のみ」(経済産業省)、「前日昼ごろから定時後まで何度も何度も差し替え用紙を送付してくるので、対応に苦慮する」(内閣官房)といった具合です。

 立憲民主党や共産党がいかに言論の府を痛めつけ、台無しにしているかがよくわかります。国会で言論を戦わせるのではなく、首相を疲弊させ、消耗させる場として使っているのです。(※ https://work-life-b.co.jp/20210422_11719.html)

 似たようなことは以前にもありました。かつて、民主党(現在;立民&国民)の代議士、中川正春元文部科学相が、「安倍晋三首相の睡眠障害を勝ち取りましょう」と発言したことがありました。
(※ https://www.sanspo.com/article/20160217-GPJIAK22UVKGLBP35NQKGRHH4Q/)。

 これは2016年2月17日の出来事ですが、このとき、代議士会では中川氏をいさめる発言は他の議員から出なかったといいます。なんと民主党は、質問書の提出を遅らせ、首相に質問を集中させて揚げ足を取り、疲弊させては睡眠障害に追い込もうという悪辣な手段を取っていたのです。

 現在、立民が高市首相に取っているのが、まさにこの戦略でした。

 門田氏も指摘するように、かつて民主党、いま、立民の国会議員たちは今回、高市首相を疲弊させようといわんばかりに、質問書を遅らせて提出し、準備不足から失言を引き出そうとしたり、他の大臣が答えるべき質問をわざと高市首相に答えさせようとしたり、悪辣な細工をしていました。立民の黒岩氏、枝野氏、岡田氏、今回の質問はいずれも建設的な質問ではなく、揚げ足取りであり、高市首相を疲弊させるための質問でしかなかったのです。

 思い返せば、高市首相の所信表明演説でヤジを飛ばしたのも立民の三人の議員たちでした。立法府である国会を汚す行為しかしてこなかったのが、かつての民主党(現:立民、国民)でしたが、今回もまた、卑劣で悪辣な手段に終始しているのが立民でした。

 どうやら立民の議員たちは一丸となって、日本を貶め、日本の国力を削ごうとしているようです。

■立憲民主党の中国共産党中央統一戦線工作部への挨拶まわり

 実際、立民の岡田克也氏は、立民の議員たちを引き連れて北京に赴き、2024年8月29日に石泰峰氏(中国共産党中央統一戦線工作部のトップ)と会って、固く握手しているのです。

こちら →
(※ https://jp.news.cn/20240830/bfa4f93aa3914e3189bba3fa1e02aab8/c.html より。図をクリックすると、拡大します)

 中国共産党中央統一戦線工作部とは、中国共産党の外部にいる人々や団体に焦点を当てて工作活動を行う組織です。具体的にいえば、海外にいる華人、政治的、商業的、宗教的、学術的な影響力を持つ人々や、利益団体を代表する人々などを対象に工作活動を行います。彼らが中国共産党の利益に賛同する、あるいは役立つように仕向けるのです。一方、共産党に対する潜在的な批判者に対しては、分断されたままの状態を維持しようと努めます(※ Wikipedia)。

 そもそも中国による対外諜報活動は、中華人民共和国国家安全部(MSS)、中華人民共和国公安部(MPS)、中国共産党中央統一戦線工作部(UFWD)、中国人民解放軍(PLA)統合参謀部情報局などの共産党・政府機関を通じて指導され、遂行されていますが、それ以外にも、多数のフロント組織および中央企業がこれに関与しています。近年は特に、中国共産党中央委員会の統一戦線工作部が、プロパガンダを中心とした非伝統的な情報活動を行うことで注目されています(※ Wikipedia)。

 岡田氏が率いる立憲民主党の議員たちが北京を訪問して面会したのは、中央統一戦線工作部のトップと幹部たちでした。なんと日本の国会議員団が中国共産党のスパイ組織のトップや幹部たちに会っていたのです。そこでどのような話し合いが行われたのか、約束が交わされたのかはわかりませんが、両トップが握手している姿が撮影されており、会合の様子が中国メディアで報道されています。

 岡田克也氏が率いる立民党の議員たちが中国共産党の統一戦線工作部のトップや幹部たちと公式に面会していた事実は看過できないでしょう。

 中国共産党統一戦線工作部は、すでに西側諸国では警戒の対象になっています。

 BBCはアメリカやオーストラリアなどの捜査当局が、いくつかのスパイ事件でこの組織に言及しており、中国政府が外国への介入に利用していると非難してきたことを報じています。(※ https://www.bbc.com/japanese/articles/cz0rxr1jzp4o)

 防衛研究所もまた、中国の浸透工作の影響についての論考を発表しています。冒頭の部分をご紹介しておきましょう。

 「近年、影響工作と呼ばれる心理・認知の領域における国家の活動が、相手国の安全保障にあたえる影響に関心が集まっている。影響工作とは、情報を制御し、相手国の認識や判断を操作したり混乱させることで、自分たちに有利な状況を作り出す行動を指す。とりわけ注目されるのが、中国の影響工作である」
(※ 山口信治、「中国の影響工作概観」、『NIDSコメンタリー』第288号、2023年12月8日、pp1-7.)

 山口氏は結論として、次のように記しています。

 「中国の影響工作はどのような問題を民主主義国にもたらすだろうか。それには、社会の分断と混乱がもたらされること、政策イシューについて中国に有利な方向に世論が誘導されること、人権や民主といった普遍的価値が相対化されること、選挙への介入を通じて政治体制に影響すること、現在の国際秩序が価値・イデオロギー面から揺さぶられ不安定化することなどが挙げられる」(※ 前掲)

 一連の動きがわかってくると、立憲民主党の存在が日本にとって害悪でしかなかったことがわかります。

 立民の議員たちは果たして日本の国益を守れる議員たちなのでしょうか。日本の国益に反する行為を率先して行い、中国に忠義立てする立民の議員たちは、そもそも日本人なのでしょうか。

■浸透工作によって崩壊寸前の日本に登場してきた高市内閣

 外国勢力が日本の政治家、政府、マスコミの中に深く浸透していたことが、一連の政治過程でわかってきました。

 仮に高市政権が誕生していなかったらと思うと、ぞっとします。いつの間にか日本は外国勢力に乗っ取られそうになっていたのです。浸透工作によって崩壊寸前の危機に瀕していたのです。平和ボケした日本人は淘汰される運命にあったかもしれませんし、日本という土地に住むことはできても、縮こまって社会の片隅で生きていかなければならなくなっていたかもしれません。

 日本や日本人の生活が脅かされないために、国民はいまこそ、政治に関心を持ち、高市内閣が進める改革を見守っていく必要があるでしょう。

 高市首相は内閣発足と同時に、次々と改革政策を打ち出しています。いずれもしっかりと考え抜き、練り上げられた政策です。激動する世界情勢を踏まえ、大国に挟まれた地政学的難題、少子高齢化など、日本に特有の大きな課題に真摯に向き合う姿勢を見せているのです。

 積極果敢に政策を推し進める一方、高市首相は、「国家国民のため、政治を安定させる。政権の基本方針と矛盾しない限り、各党からの政策提案をお受けし、柔軟に真摯に議論し」、「国民の皆様の政治への信頼を回復するための改革にも全力で取り組んでまいります」と述べています。

 是々非々で他党とも連携し、日本や日本国民のために尽力していくと宣言しているのです。これまでのどの党首にも見られない謙虚な態度には驚きました。

 これでは人気がでないはずはありません。

■高市政権への高い支持とマスコミによる印象操作

 高市内閣の人気は世論調査にはっきりと表れていました。

 高市内閣発足時の支持率は68%(10月25、26日に朝日新聞社が実施)でした。

 石破政権終盤の支持率は30%台後半で、24年10月に退陣した岸田政権の終盤の支持率は20%台でしたから、高市内閣の支持率は2倍以上にも及びます。高市政権に対する国民の期待がどれほど大きいものかがわかろうというものです。

 高市内閣の高い支持率に不安を覚えたマスコミが早速、工作を仕掛けました。

 2025年10月24日、日本テレビは、高市早苗内閣の支持率を示す折れ線グラフで、「支持しない」と答えた人は18%だったにもかかわらず、折れ線グラフの位置が36%付近を指すよう図を変えていました。日本テレビはミスだと認め、謝罪しました。正しくは、高市内閣を「支持する」と答えた人は71%、「支持しない」と答えた人は18%でしたから、グラフもそのように示さなければなりませんでした。

 ところが、グラウで18%を36%に置き換え、表現していたのです。気づいた視聴者がXで拡散し、大勢の人々が気付くことになりました。日テレとしては印象操作のつもりだったのでしょうが、国民の眼はごまかせません。Xで批判の声が寄せられ、慌てて訂正したという次第です。

 それで思い出すのが、時事通信のカメラマンの発言です。

 10月7日、自民党本部で高市早苗新総裁を取材するため、マスコミ各社の人員が待機していました。その様子をライブ配信するYouTube映像に、「支持率下げてやる」、「支持率下げるような写真しか出さねえぞ」といった音声が載ってしまったのです。この部分が視聴者によって切り取られ、SNSを中心に拡散されました。

 マスコミの報道現場から偏向報道の意向が伝わってしまったのです。批判の声が高まったのも当然でした。後に、この時、発言したのが時事通信のカメラマンだったことがわかりました。時事通信社は9日、同社所属カメラマンの発言であることを認め、当人を厳重注意処分にしたと発表しましたが、それだけで収束させています。

 この一件からは、一部のマスコミは日常的に報道内容に細工を加え、印象操作をしていたことがわかります。

 問題視されたのは、日テレの折れ線グラフの置き換えであり、時事通信のカメラマンの発言でした。いずれも言葉ではなく、図や写真、映像といった視覚的要素によるものでした。言葉や文字よりも画像や映像の方が端的に人々の脳裏に刻み込まれるので、印象操作するには効果的だったのでしょう。

 両マスコミの小細工はまさに、中国共産党統一戦線工作部が進めている心理・認知の領域への影響工作といえるものでした。

 その後、高市政権への支持率はさらに上がっていきました。直近の調査では、高市内閣を「支持できる」という人は、先月の石破内閣の支持率と比較して38.3ポイント上昇し、82.0%にも達しました。一方、「支持できない」という人はわずか14.3%でした。

こちら →
(※ JNN世論調査、図をクリックすると、拡大します)

 政権発足直後の支持率としては2001年以降の政権で、小泉内閣に次ぐ2番目に高い数字です。ところが、自民党の支持率は28.9%にすぎません。高市内閣への評価は高くても自民党への評価は低いという結果がでたのです。高市内閣への支持率の高さは、高市首相への評価にほかならないことが明らかになりました。

 若者の支持が高いのも特徴の一つです。

 Studyplusトレンド研究所が、2025年10月末から11月初旬にかけて、学習管理アプリ「Studyplus」ユーザーの高校生・大学生8806人を対象に「高市新総理に関するアンケート」を実施しました。その結果、高市新総理を「応援したい」と回答した人は、なんと93.5%に達しました。「応援したい」と答えた人(8230人)にその理由を聞いたところ、「政治家として信頼できそう」が最も多く、次いで「女性として活躍しているのがかっこいい」という意見が目立ちました。
(※ https://news.yahoo.co.jp/articles/c4e23e3d26949278e0cb12aecdd4e2a64183326d)

 若者の支持率が高いという調査結果からは、高市内閣が長期政権になる可能性が高いことが示唆されています。それだけに今後、外国勢力の影響を受けた政治家やマスコミ、既得権益層からの妨害がより一層、激烈なものになっていくことでしょう。

 高市内閣が目指す改革がスムーズに進むよう、国民はメディアリテラシーを高め、印象操作に気をつけながら、温かく見守っていく必要があるでしょう。
(2025/11/09 香取淳子)

JICAホームタウン事業は、IOM由来の構想か?

■日本企業の関心を高めたTICAD9

 2025年8月20日から22日まで、第9回アフリカ開発会議(TICAD9)が横浜市で開催されました。TICADとは、日本が主催するアフリカの開発をテーマとする国際会議です。今回は、セミナー開催やブース展示への企業からの応募が多く、早々に募集を締め切ったといわれています。

 日本企業のアフリカに対する関心は、飛躍的に高まってきているのです。

 第1回アフリカ開発会議(TICAD1)が開催された1993年、当時のアフリカの人口は7億人でしたが、2025年には倍増し、名目GDPも4.5倍になりました。今後も、人口増加、経済成長が続く見込みです。

 当初は開発や援助を目的に始まったTICADでしたが、徐々にビジネスにも注目されるようになり、いまや数多くの日本企業が関連イベントに参画するようになっています。ジェトロはTICAD9期間中に、テーマ別イベントとして「TICAD Business Expo & Conference」を開催しました。「Africa Lounge」では、アフリカ各国が自国の投資環境やビジネス機会を紹介し、「Japan Fair」には過去最多となる約200社・団体(うち中小企業107社)の日本企業が参加しました。新たな試みとして、ポップカルチャーのテーマ展示も行っています。(※ https://www.jetro.go.jp/biz/areareports/special/2025/0601/367cee2c7426309d.html

 2024年のTICAD閣僚会合および第9回アフリカ開発会議(TICAD 9)のパートナー事業は以下の通りです。

こちら → https://www.mofa.go.jp/mofaj/af/af1/pagew_000001_00685.html

 2024年6月18日から2025年12月7日までの事業内容を見ると、多種多様なビジネスに関わる企画で、セミナーやイベントが開催されていることがわかります。

 TICAD9期間中には、アフリカから49カ国の代表、国際機関の代表などが、これに参加しました。本会合では、アフリカ連合(AU)議長国アンゴラのジョアン・ロウレンソ大統領と石破茂首相が共同議長を務め、「革新的な課題解決の共創、アフリカと共に」というテーマの下、官民連携や若者・女性のエンパワーメント、地域統合・連結性などについて議論しました。
(※ https://www.jetro.go.jp/biznews/2025/08/d5aea3529df13834.html
 
 TICAD9期間中に石破総理大臣は、アフリカ各国首脳や地域機関・国際機関の代表等と計34件の会談を実施し、岩屋毅外務大臣は、アフリカ各国の閣僚や地域機関・国際機関の代表等と計30件の会談を実施しました。

 TICAD9が政財官をはじめ、大学、企業、各種団体を巻き込む大きなイベントだったことがわかります。日本のアフリカへの期待がそれほど大きいものだったともいえます。

 ちなみに、2025年は、日本主催のTICADばかりか、大阪・関西万博が開催される貴重な年です。アフリカの政財界から要人が来日し、併せて開催されたビジネスフォーラムや投資セミナーには、アフリカのビジネスパーソンが多数参加しました。アフリカビジネスに関心を持つ日本企業にとって絶好の機会になっています。

 大阪には、ナショナルデーに合わせて、各国の要人が来日しました。その機会を捉え、万博会場でもビジネスフォーラムやセミナーが開催されました。日本とアフリカの経済交流が促進され、この1年は日本企業のアフリカビジネス拡大に向けた取り組みが充実することでしょう。
(※ https://www.jetro.go.jp/biz/areareports/2025/3cce223b9cc3eb1f.html

 それでは、アフリカでのビジネスの現状はどうなのでしょうか。

■アフリカに進出した日本企業の現状

 ジェトロが2024年12月に発表した「2024年度進出日系企業実態調査(アフリカ編)」によると、アフリカに拠点を構える日系企業のうち、黒字を見込む企業はアフリカ全体で前年比1.4ポイント増の59.8%で、比較可能な2013年以降の最高を更新したことが報告されています。

 この調査結果は、「営業黒字の比率が過去最高」、「投資環境に課題も」、「事業拡大意欲は高い」といったキャッチーな見出しの下、以下のように要約されています。

こちら →
(※ 『2024年度海外進出日系企業実態調査|アフリカ編』、2024年12月12日、p.2、図をクリックすると、拡大します)

 TICAD9で注目を集めた「投資」については、投資環境の魅力として、「所在国の市場規模と成長性」があげられ、課題として「規制・法令の整備、運用」がそれぞれ増加し、最多になっています。

 市場規模やその成長性などが魅力だとしながらも、まだ、制度整備が整っておらず、課題もあるという認識です。

 具体的には次のようにまとめられています。

こちら →
(※ 前掲。p.31、図をクリックすると、拡大します)

 投資環境面での課題として、「規制・法令の整備、運用」の面では、「行政手続きの煩雑さ」が前年と同様、最大の73.7%でした。まだ制度整備が改善されていないということになります。

 「財政・金融・為替面」の面では、前年と同様、「不安定な為替」が約7割でトップでした。さらに、「不安定な政治・社会情勢」でも、前年と同様、「政治リスク」と「治安」が多いと認識されていました。イスラエル・ハマスの衝突やフーシ派の攻撃の影響などが不安材料として数多く挙げられていました。

 企業活動に関する環境については、具体的に次のようにまとめられていました。

こちら →
(※ 前掲。p.32、図をクリックすると、拡大します)

 たとえば、「インフラの未整備」では、前年と同様「電力」が最大で81.7%、「雇用・労働の問題」でも、前年と同様「人材の確保」が69.3%で最大でした。現地で企業活動を展開するには、基本となる電力の安定供給や人材の確保に大きな問題があるようです。

 そればかりではありません。通関に関する制度整備がまだ整っていないようです。「貿易制度面」については、「通関等諸手続きが煩雑」が61.1%、次いで「通関に時間を要する」が59.7%でした。

こうしてみてくると、アフリカは最後のフロンティアといわれながら、実際に現地で企業活動を展開するには、まだ整備されていない部分があることを認識しておかなければならないことがわかります。

 日本企業が危惧しているのは、治安リスクです。

こちら →
(※ 前掲。p.37、図をクリックすると、拡大します)

 多くの日本企業が、アフリカに地政学上の課題を感じていることがわかります。企業活動に、「大いに影響がある」と「やや影響がある」の合計は86.4%にも達していました。

 政治的対立や紛争にも危惧を覚えていました。とくに、イスラエルとハマスの衝突や紅海でのフーシ派の攻撃を心配した企業が多くみられました。その一方で、2022年に始まったロシアによるウクライナ侵攻の影響があると回答した企業も多く、改めて、アフリカには地政学的課題が多いことが思い知らされます。

 たしかに私もこれまで、アフリカには、貧困や紛争、未開といったイメージが強く、よほどの冒険家でもない限り、あまり関心を抱くことはないだろうと思っていました。ところが、ジェトロの報告を読んでいくと、多くの日本企業がアフリカに商機を見出していることがわかりました。

日本企業が今後も生き延びていくために、地理的にも心理的にも遠いアフリカに、進出せざるをえなくなっているのです。

■市場としてのアフリカ

 アフリカで最も人口の多いのがナイジェリアで、すでに2億2000万人を超えています。25年後には現在の1.6倍に増えてアメリカを抜き、インド、中国に次ぐ世界第三の人口大国になると予測されています。

こちら →
(※ 2024年8月26日、日経新聞より。図をクリックすると、拡大します)

 人口規模からいえば、世界の4分の1を占める巨大な市場になるのです。しかも、若年人口の層がきわめて厚く、2025年の年齢中央値が19.3歳です。若くて体力のある年齢層が、労働力の中心になっていくのです。となれば、社会が活性化し、若者によって消費が促進されるのは必然でしょう。

 労働力不足や消費の低迷にあえぐ日本企業が、このナイジェリアをはじめとするアフリカ市場に活路を見出そうとするのは当然のことでした。

 たとえば、日本企業約200社と団体が、TICAD Business Expo & Conference (TBEC)に出展しました。これらの企業はTICAD9を契機に、日本の技術やサービスこそアフリカの発展に貢献できるとアピールし、ビジネスチャンスにつなげようとしていました。

 その結果、日本企業とアフリカとの間で、過去最大の324件の署名文書が交わされました。前回のTICAD8時の92件を大きく上回るものでした。
(※ https://www.meti.go.jp/press/2025/08/20250822001/20250822001-2.pdf

 改めて、日本企業が大きく動きはじめていることがわかります。膨大な若い労働力と豊富な鉱物資源に支えられた、アフリカ市場の潜在力に反応しつつあるのです。アフリカの経済成長力と鉱物資源は、日本の経済安全保障上も揺るがせにできないものでした。

 とはいえ、手放しでアフリカ市場に期待していいものなのでしょうか。

 ふと思い出したのが、さきほどご紹介したように、アフリカに進出した企業の約7割が、今後の課題として「人材確保」を挙げていたことでした(※ 前掲。p.32)。現地で雇用しようと思っても、必要な人材を確保できないのです。

 若い人口が多いとはいえ、果たして日本企業が求める要件を満たしているのかどうかは疑問なのです。

■アフリカの人口事情

 “The Economist”によると、大陸外に暮らすアフリカ出身の移民は少なくとも2000万人に達し、1990年の3倍に増加したそうです。この数は、インド人や中国人の移民の人数を上回っているといいます。(※ 日経新聞、2025年5月6日)

こちら →
(※ 前掲。図をクリックすると、拡大します)

 アフリカ系移民のおよそ半数は欧州に住んでいますが、90年以降、移民に対する反発を受けて低下し、米国、中国、サウジアラビア、トルコなどでアフリカ系移民の数が急増しています。

 一般に、先進国では労働年齢人口(15歳から64歳)が減少し、労働力不足が深刻化すると予測されています。その一方で、これまで「労働力輸出国」と見なされてきたメキシコやフィリピンでも、人口が高齢化し、所得水準が上がるにつれ、国外移住する人の割合が小さくなっています。

 いまやアフリカだけが、2050年までに労働年齢人口が約7億人も増加すると予測されているのです。

 多くのアフリカ諸国では、人々はいまだに貧しく、海外への移住を望んでいます。アフリカ諸国では、労働人口は増えていますが、彼らを受け入れるだけの雇用の場がなく、必要な数のわずか約5分の1しか就労できないからです。

 つまり、アフリカでは、労働年齢人口が激増しているにもかかわらず、国内に雇用の場がなく、生きていくには海外に出ていかざるを得ないというのが現状なのです。若くて才覚があり、渡航費を負担できる人々はすでに外国に移住していました。

 残されたのは、若くても才覚がなく資力もないような人々でした。ジェトロの調査によると、アフリカに進出した日本企業が課題として挙げていたのが、「人材の確保」でした。アフリカには確かに若い労働力が多いのですが、彼らのほとんどは日本企業が求める要件を満たすような人材ではなかったのです。

 気になるのは、国際移住機関(IOM)のエイミー・ポープ事務局長の発言です。

■IOMエイミー・ポープ事務局長、アフリカからの移民を推奨

 TICAD9に出席するため来日したIOM(the International Organization for Migration、国際移住機関)のエイミー・ポープ(Ms. Amy E. Pope)事務局長は、8月20日、横浜市内で毎日新聞の取材に応じ、次のような発言をしています。

 「少子高齢化と深刻な労働力不足に直面する日本のニーズと、若年層の雇用創出が課題のアフリカ諸国のニーズとは合致している」と述べ、「働き手の公正な待遇と報酬を確保し、コミュニティーの一員として参加できる環境を整えることが不可欠だ」と訴えていました(※ 毎日新聞、2025年8月21日)。

 驚いたことに、IOMの事務局長が、日本の労働力不足対策として、アフリカからの移民を押し付けてきているのです。それも、単にアフリカは人口が増加し、日本は逆に人口が減少しているといった現象だけを踏まえ、ただ数字合わせをしたにすぎないような対策です。

 しかも、「働き手の公正な待遇と報酬を確保し、コミュニティーの一員として参加できる環境を整えることが不可欠だ」と受け入れ条件にまで言及しています。まるでJICAのアフリカ・ホームタウン事業を彷彿させるような内容の提言をしているのです。

 日本が労働力不足に陥っていることは確かですが、その不足分をアフリカからの移民で補えるとは考えられません。実際、アフリカに進出した日本企業の多くが、アフリカでの「人材獲得」には課題があると指摘していました。単なる数合わせで労働力不足は解決できないことは歴然としているのです。

 ところが、国連機関の一部であるIOMの事務局長エイミー・ポープ氏は、日本の労働力不足はアフリカからの移民によって補うべきだといい、乱暴にも日本の社会政策に介入してきているのです。

 毎日新聞のインタビューに答えた翌8月21日、ポープ氏はIOM主催でJICA共催のイベント、「人の移動がつなぐ、アフリカ人財と日本企業がともに拓く未来」に参加し、基調講演を行いました。

こちら →
(※ IOMよりXへの投稿。図をクリックすると、拡大します)

■「人の移動がつなぐ、アフリカ人財と日本企業がともに拓く未来」

 このシンポジウムの前提として、次のような見解が示されています。

 まず、「日本における外国人労働者は230万人で過去最高を記録しているが、2040年には、現在日本で暮らす外国人住民数のほぼ倍の688万人の外国人労働者が必要になる(JICA緒方貞子平和開発研究所の推計)。国籍別の移住労働者の数は、アジア諸国が上位を占め、日本におけるアフリカからの人材活用は、非常に限られている」と述べています。彼女の日本についての現状認識です。

 次いで、「アフリカ大陸は今後人口増加が見込まれる唯一の地域であり、若い才能にあふれている。近年では、アフリカ人によるスタートアップ企業の創設も増加しており、アフリカの成長への注目が世界的に増している」と述べ、アフリカの今後に対する展望が示されています。

 そして、「日本が長年にわたり続けてきた、アフリカ地域への産業人材育成の経験を活かし、アフリカにとっても日本にとってもウィン・ウィンとなるような人の移動や人材への投資の可能性は大きい」と日本からの投資を奨励しています。

 シンポジウムの登壇者は、カーフア・トーファス(駐日ウガンダ共和国大使)、メリエム ボウホウト(横河電機株式会社アフリカビジネス推進センター事業開発マネージャー)、宍戸健一(JICA理事長特別補佐)、宮城勇也(株式会社NINAITE取締役事業本部長)、椿 進(Asia Africa Investment and Consulting(AAIC)ファウンダー/代表パートナー)など、アフリカの政府、日本の企業、JICA、JICA傘下のNGO団体、シンガポールの金融コンサルタントです。

 シンポジウムは、日本企業がアフリカ人を雇用することによって、日本にとっては経済が活性化するメリットがあり、アフリカには、①日本で雇用されたアフリカ人が稼いだお金を母国へ送金することによる経済効果、②日本で培った経験やスキルをアフリカで利活用し、社会経済の発展につなげる、③アフリカと日本を「環流」する人々を通して、アフリカの持続的な開発に貢献できる、④日本での雇用経験が、人材育成に寄与し、アフリカの将来を担う人材の向上を図る、などのメリットがあるという観点で構成されていました。

 アフリカ人労働者の権利保護や、共生社会への実現にむけた日本社会の変容、円滑な統合を進める上での課題についても考えていく必要があるとしています。
(※ https://japan.iom.int/event/TICAD9_sympodium

 シンポジウムの内容は、このように日本企業の労働力不足の現状を踏まえ、日本企業がアフリカ人を雇用することによる双方のメリットをアピールするものでした。パネリストの人選もその内容に見合っています。

 基調講演を行った後、ポープ事務局長は、岩屋毅外務大臣と会談しています。岩屋大臣が、世界の人道状況の改善に、IOMと共に取り組んでいきたいと述べると、これまでの日本の協力を感謝しており、人道危機への対応において今後も引き続き協力を求めていると応答しています。その後、行われたのが、アフリカの各地と日本の民間セクターとの連携についての意見交換でした。
(※ https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/pressit_000001_02615.html

 このような経緯をみると、岩谷大臣とポープ事務局長との対談は予め、セッティングされていたように思えます。TICAD9開催の前に、日本政府とIOMのポープ氏はおそらく、日本企業によるアフリカ移民の受け入れについて話し合い、何らかの約束をしていたのでしょう。

 果たして、エイミー・ポープ氏とはどういう人物なのでしょうか。

■米民主党政権下で要職を務め、女性初のIOM事務局長へ

 調べてみると、ポープ氏は2023年10月、女性として初めてIOMの事務局長に就任した人物でした。IOMに着任する前は、バイデン米国大統領の下で移民問題担当上級顧問、オバマ大統領の下では国土安全保障担当副大統領補佐官を務めていました。民主党政権下で要職に就いていたのです。

 ホワイトハウスでの在任中、ポープ氏は移民問題に対処するための包括的な戦略を策定し、実施してきました。移民問題の専門家として学術論文を執筆したり、チャタムハウス(Chatham House、イギリスのシンクタンク)で活動したり、世界の移民問題に関する課題に取り組んできました。また、米国司法省や米国上院で役職を務め、ロンドンに拠点を置く法律事務所シリングスのパートナーを務めたこともあります。

 このような経歴をみると、彼女は確かに移民問題の専門家であり、その知見を活かして米国の行政にかかわるようになったことがわかります。そのようなキャリアを経て、いまや国際移住機関の事務局長として、他国に介入して移民政策を奨励するまでになっているのです。

 ところが、日本ではいま、移民に対する抗議行動が高まり、JICAはアフリカ・ホームタウン事業を撤回せざるを得なくなってしまいました。ポープ氏のプランが座礁しかかっているのです。

 ポープ氏は、再び、日本企業にアフリカ移民の受け入れを迫っています。

■競争政策の一環として、移民の受け入れを

 国連機関のひとつであるIOMは、これまで一貫して、合法的な移民を推進してきました。TICAD9に参加したポープ氏は、シンポジウムで基調講演を行い、岩屋外務大臣とも面談してきました。首尾よく日本企業や政府を取り込み、日本のアフリカ移民の受け入れは万全だと思ったことでしょう。

 ところが、アフリカ・ホームタウン事業への抗議行動が高まり、収拾がつかなくなりました。JICAは結局、9月25日にはこの企画の撤回を発表しました。ポープ氏にとっては予想もしない出来事だったにちがいありません。

 2025年10月2日、日経新聞は次のようなポープ氏の見解を紹介しています。

 「日本はまさに人口動態上の課題に直面している。急速に高齢化している。同時に、日本がこれまで競争力を培ってきたあらゆる分野において需要を満たす労働力がなければ、日本は競争力を失う。外国人材の受け入れへの国民の支持を失うリスクとは、今後数年間における日本の経済的優位性を損なう可能性があるということだ」

 アフリカ移民を受け入れなければ、日本は早晩、経済的優位性を失うと警告しているのです。

 そして、「TICAD9では高技能者、低技能者、その中間の技能者など、あらゆるレベルのアフリカ人労働者を採用する必要があるという日本企業の声を何度も耳にした」と述べる一方、「アフリカでは雇用機会が不足しており、現地には非常に高い教育を受けた若者層が存在する。こうした若者が日本で働ける方法を見つけることは賢明な投資だ」と日本企業の支援を要請しています。

 アフリカには高学歴の若者が多数いることを強調し、日本企業の懸念を払しょくしようとしているのです。

■JICAホームタウン事業は、IOM由来の構想か?

 ポープ氏は、これまで移民の受け入れに関してはもっぱらメリットを強調していましたが、この記事では、移民の受け入れに伴うデメリットにも触れています。

 「カナダやオーストラリアなど移民大国で大きな問題となったのは住宅だ」といい、「日本の成長に必要な外国人材の受け入れを拡大するには、言語や文化の相互理解ばかりでなく、住宅への対応が必要」と述べているのです。

カナダはこれまで、経済成長と人手不足対策として移民に依存してきました。まさに、IOM事務局長のポープ氏にとっては理想的な国でした。

 1970年代初頭以来、カナダは移民を擁護し、「多文化主義」を推進してきました。ところが、移民が急増すると、家賃が高騰し、医療などのサービスが逼迫してきて、デメリットが目立つようになりました。その結果、「国民感情は悪化し、次の選挙で勝機が脅かされかねない状況」となり、移民受け入れにブレーキをかけざるをえなくなりました。(※ Steven Scheer、トムソン・ロイター、2024年2月23日)

 世論調査の支持は大幅に下がり、2025年1月6日、カナダのトルドー首相は、自由党の党首と首相の職を辞任すると表明しました。9年間にわたって国を率いてきましたが、退陣を求める声が与党内で大きくなり、辞任せざるをえなくなったのです。(※ https://www.bbc.com/japanese/articles/c89x4pq2glqo)

 ポープ氏は、このようなカナダのケースを踏まえ、移民を受け入れるには住宅対策が必要だと述べているのですが、ロイターやBBCの報道を見ると、事態は深刻でした。

 カナダは移民を大量に受け入れてきた結果、家賃や住宅価格の高騰を招いたばかりか、医療など基本的なサービスが悪化し、政権が崩壊してしまったのです。トルドー前首相はこれまでの移民政策は失敗だったと認めています。

 移民政策そのものに問題があったのではないかと思われますが、ポープ氏は、移民の受け入れに必要な住宅対策を怠ったからだと認識しています。

 彼女は、国連加盟国、民間セクター、市民社会組織、すべての関係者との連携が、移民の力を活用する鍵であると強く信じています。その一方で、社会体制は現実の社会に適応する必要があると認識し、移民のニーズを優先する包括的な解決策を支援してきました。(※ https://jp.weforum.org/stories/authors/amy-pope/

 だからこそ、日本に対しても、「言語や文化の相互理解といったソフト面だけでなく、住宅などハード面の対応も必要」だと提言するのです。

 JICAがアフリカのホームタウンに認定したのは、地方の4つの市でした。人口が減り、高齢者の比重が高くなっている地域です。これらの地域では、今後さらに人口が減って、住宅価格が低下するのも目に見えていました。

 小さな地方の自治体の不安につけ込むように、アフリカ・ホームタウン事業が立ち上げられました。

 JICAは、「ホームタウン」というネーミングでアフリカの若者立ちの関心を呼ぶ一方、受け入れ側には人口減の穴埋め、労働力不足の解消といったメリットをアピールしていたのでしょう。

 「ホームタウン」という言葉の持つ実質的価値、機能的価値、そして、シンボリックな価値が渾然一体となって、双方の人々の気持ちに刺さりました。訴求力が強すぎた結果、アフリカ・ホームタウン事業は撤回せざるをえませんでしたが、そもそものアイデアはIOMのポープ氏の考え方に基づいたものではなかったかという気がしています。
(2025/10/4 香取淳子)

アフリカ・ホームタウン事業:ひょっとしたら、JICA理事長肝いりのアイデアだったのか?

■JICA、アフリカ・ホームタウン事業を撤回

 2025年9月25日、朝5時の速報版で朝日新聞は、JICAがアフリカ・ホームタウン事業を白紙撤回する方向で調整に入ったと報道しました。さらに、外務省幹部が「ネット上で勝利と受け止められたら困る」と懸念し、この事業は撤回しても、交流促進策を支援していく方針だと述べていたことも伝えていました。

こちら →
(※ 朝日新聞、前掲。クリックすると、拡大します)

 その後、JICAの田中明彦氏が正式に会見を行い、ニコニコ動画で生配信されましたが、新聞で報じられていた内容と変わるところはありませんでした。

こちら → https://www.youtube.com/watch?v=IrMpafpCPa8
(※ MはCスキップするか、削除して視聴してください)

 田中明彦理事長は、「誤解に基づく反応が広がり、自治体に過大な負担が生じる結果となってしまった」ので、「アフリカ・ホームタウン」事業を撤回すると述べました。そして、「JICAとしては、これまでも移民を促進するための取り組みを行ってきていないし、今後も行う考えはない」と強調したうえで、「アフリカ諸国には今後も国際交流を促進する取り組みを支援していく」と述べています。

 JICAと岩谷外務大臣が「アフリカ・ホームタウン」事業の改称を検討していると報道されてから、まだ10日ほどしか経っていません。それなのに、理事長は早々に、事業そのものの撤回宣言をしてしまいました。火の粉が他の事業に降りかからないうちに、この騒ぎの幕引きをしたかったのでしょうか、あまりにも早い決断です。

 そういえば、「JICAアフリカ・ホームタウン事業」の少し前に、『マダガスカル農業人材パイロット事業』が立ち上げられていました。JICAが出資し、派遣会社が人材の受け入れ、現地への派遣を行い、事業を運営するという仕組みの事業です。

■『マダガスカル農業人材パイロット事業』

 2024年7月、JICA主導で、『マダガスカル農業人材パイロット事業』がスタートしました。

こちら → https://ninaite.ne.jp/1641/

 この事業では「NINAITE」という派遣会社が、特定技能者を受け入れ、現場に派遣し、事業を運営します。

こちら → https://ninaite.ne.jp/

 第9回アフリカ開発会議で開催されたシンポジウム(「人の移動がつなぐ、アフリカ人財と日本企業がともに拓く未来」)には、「NINAITE」の代表も登壇し、スピーチしています。

 登壇した宮城勇也氏は、「働く、外国人一人ひとりの人生に伴走すること」「企業の人手不足の課題を解決すること」この両輪を実現するために、企業・地域・人が未来を共創できる多文化共生の基盤づくりに取り組んでいると語っています。
(※ https://japan.iom.int/sites/g/files/tmzbdl2136/files/2025-06/ticad9_iom_jica_symposium_profiles.pdf)

 このNINAITEが担っているJICAの事業が、「マダガスカル農業人材パイロット事業」です。2024年7月、来日した若者たちと出迎えたスタッフが仲良く写っている写真があります。

こちら →
(※ NINAITE のHPより。図をクリックすると、拡大します)

 来日したばかりの3人の若者たちが、やや緊張しながらもピースサインを出して、微笑んでいるのが印象的です。

 マダガスカルは、人口の8割超が農業に従事する農業大国で、米が主食です。平均年齢22.4歳と労働人口が非常に若く、大学卒・大学院卒の高学歴人材が多いのが特徴です。それにも関わらず、国内に雇用の場が少なく、多くの若者が将来に不安を抱えています。

 そんなマダガスカルから、若者を日本に呼び込もうというのが、JICAの「マダガスカル農業人材パイロット事業」でした。

■マダガスカルからの特定技能者

 アフリカ南東部の島国マダガスカルは、世界最貧国の一つで、労働人口は増え続けています。ところが、産業が発達しておらず、人口約2800万人のうち8割が農業に従事しています。高学歴でも失業率は高いのが現状です。

 29歳のフレディさんは、2024年9月、「特定技能」の在留資格で来日しました。鹿児島県内の農場で、仲間たちと働く姿が写真に収められています。

こちら →
(※ 毎日新聞、2025年8月19日、図をクリックすると、拡大します)

 特定技能制度は、人手不足が深刻な産業分野で、外国人を受け入れるため、2019年4月にスタートした制度です。即戦力の人材と位置付けられており、特定技能には、1号と2号があります。フレディさんは1号なので在留期間は5年ですが、さらに技能が熟練して2号になれば、家族を帯同して無期限就労が可能になります。

 特定技能外国人は現在、東南アジア出身者が大半を占めており、農業分野のアフリカ出身者はフレディさんが初めてです。大学で農業を学び、卒業後は農薬会社で販売の仕事をしていました。ところが、新型コロナウイルス禍で売り上げが激減したので、やむなく故郷に戻り、農業に携っていました。

 そんな折、フレディさんは、JICAが実施するパイロット事業の存在を知りました。日本で就労して経験を積み、帰国してからマダガスカルの農業人材を育成するためというのが、事業内容でした。もちろん、フレディさんは応募しました。高度な農業技能を習得するという夢を抱いて、日本にやってきたのです。

 マダガスカル政府は、日本で経験を積んだ人材が、帰国後に農業の近代化を担うことを期待しているといいます。フレディさんも、「日本で働くのが夢だった。ここで農業技術を学んで、母国で役立てたい」と語っています。
(※ 毎日新聞、2025年8月19日)

 マダガスカルには、東南アジアをルーツとする住民が多く、「最もアジアに近いアフリカ」と言われています。主食はコメで、1人当たりの年間消費量は日本の倍以上ですが、農業機械や灌漑設備が不足しており、安定した収穫量を確保、コメの品質向上などが大きな課題となっています。

 こうしてみてくると、「マダガスカル農業人材パイロット事業」は、フレディさんにとっても、マダガスカル政府にとっても、ニーズに合致するものだったのです。つまり、この事業は、現地のニーズに応じて、技術援助、有償あるいは無償の援助をしてきた初期JICAの支援スタイルを継承するものだといえるでしょう。

 もちろん、日本の農家にとっても貴重な労働力として、彼らは受け入れられました。

■JICAの役割とアフリカの農業

 JICAは、多くのアフリカ諸国が独立を果たした1960年以降、60年以上にわたって、アフリカの自立的な発展に協力してきました。当初は貧困対策や衛生対策などを中心に行っていましたが、現在は、従来型の事業だけではなく、躍動するアフリカのニーズに合わせた支援をしています。

 たとえば、経済や社会分野では、農業開発、産業人材育成、エネルギー開発、起業家支援、保健・医療システム強化、栄養、教育、質の高い雇用など、多岐にわたる事業に取り組み、農業分野では、特に、米の生産量を増やす取り組みに力を入れています。
(※ https://www.jica.go.jp/information/topics/2025/p20250730_01.html

 日本の技術協力によって普及が進んだとされるのが、ネリカ米です。

 ネリカは、1994年にアフリカ稲センターの研究者であったモンティ・ジョーンズ博士が、収穫量の高いアジア稲と病気に強いアフリカ稲を交配することによって開発された稲です。

 アフリカ各地の自然条件に適合するよう、日本も参加して様々な新品種が開発されました。「ネリカ(NERICA:New Rice for Africa)」は、これら品種の総称となっています。特徴としては、従来の稲よりも、①収量が高い、②生育期間が短い、③乾燥(干ばつ)に強い、④病害虫に対する抵抗力がある、などが挙げられます。
(※ https://www.jica.go.jp/activities/issues/agricul/approach/nerica.html

 上記の説明を図示すると、次のようになります。

こちら →
(※ 前掲URLより。図をクリックすると、拡大します)

 米は保存性が高く、また、トウモロコシやいも類、雑穀などに比べて調理が簡単なので、アフリカの多くの国々で需要が急速に伸びています。ところが、従来種では収穫量が低く、しかも、栽培に適した土地が限られているので、これ以上、収穫量を増やすのは困難でした。とくに北アフリカを除くアフリカ諸国(SSA、以下SSA)では、コメの生産が需要に追いつかず、輸入が増加していました。

こちら →
(※『クラスター事業戦略「アフリカ稲作振興(CARD)」』、2023年8月、p.16、図をクリックすると、拡大します)

 このグラフを見ると、日本の年間コメ消費量が減少の一途をたどっているのに対し、SSAは増加しています。収穫量の多いネリカの普及に向けた対策が不可欠なのは明らかでした。

■ネリカの普及に向けて

 ネリカは収穫量が高く、乾燥にも強いので、普及すれば、米の生産量が増大し、アフリカの貧困農民の所得が向上すると期待されています。外務省は、日本は引き続き、ネリカの普及に向けて、日本の知見を活かした協力を積極的に行っていくと述べています。種子の増産、収穫後の処理技術の向上、農業技術指導者の能力強化など、日本が提供できる支援はいくつもあります。

 一方、ネリカの長所は、支援者や研究者の間では広く認識されていますが、農民の多くはほとんどわかっていません。新しい品種であるネリカについて知る機会がないからです。仮に知っていたとしても、品種を変えれば、即、収入に響きます。ネリカの長所を自分で確かめなければ、使ってみようとは思わないでしょう。農民が新しい品種の導入に慎重になるのは当然でした。

 ネリカを普及させようとすれば、まず、農民にネリカの長所を十分に理解してもらう必要があります。そのうえで、地域の自然条件に適した品種・栽培法を特定していくという段階が不可欠でした。つまり、農民が参加して、栽培試験を行い、農民の理解を促しながら、品種や栽培法を決めていくといった方法です。

 さらに、ネリカ種子の供給が足りず、生産者の需要に十分応えられないという課題もありました。その場合、単に種子の増産を進めるだけでなく、ネリカを商品として販売するための脱穀や精米など、収穫後の処理技術を向上させる必要があります。そのためには、各国で普及活動を担う農業技術指導者の能力を強化していかなければなりませんでした。

 このように、アフリカでの稲作には大きな課題がいくつも残されていました。それでも、日本は支援を惜しみませんでした。その結果、技術支援、人的支援、設備支援などを通して、さまざまな取り組みを行い、アフリカでのコメづくり事業は成功したのです。
(※ https://npoifpat.com/docs/ifpat006.pdf

 2008年に始まったこの事業は目標を十分に達成しました(※ 『JICA年次報告書2018』)。その後、「アフリカ稲作振興のための共同体(Coalition for African Rice Development:CARD)フェーズ2」(2019年~2030年)に引き継がれ、現在に至っています。

■日本とアフリカの互恵関係

 ネリカの普及に成功したいま、JICAはアフリカでの稲作振興に、栄養の視点を取り入れた活動を始めました。各国政府もそれに協力しています。たとえば、ザンビア政府は、栄養改善に力を入れており、ガイドラインを作成する一方、住民たちを指導する栄養コーディネーターを地域ごとに配置しています。

 その一方で、現地の栄養の専門家と協力しながら、農家の人たちの栄養改善を進めるプロジェクトも進んでいます。JICAの担当者は、栄養に関する知識、収入の管理、コメの保存性を生かした計画的な換金、栄養を強化する作物の栽培など、さまざまな観点から生活改善を進めていきたいと語っています。
(※ https://jicamagazine.jica.go.jp/article/?id=202112_3f

 アフリカでの稲作に関し、JICAの支援活動を辿ってみると、日本の技術支援、財政支援が明らかに、アフリカの命を救い、生活を改善していることがわかります。JICAが行ってきた稲作支援は、現地のニーズに日本が的確に応えていくことによって、日本とアフリカにWIN-WINの関係をもたらしていました。この事業は、アフリカの食料安全保障を支える手段の一つとしても注目すべき事例だと思います。

 かつてのJICAの事業はこのように、日本人が現地に出かけて技術指導、生活指導を行い、改善を図って、現地の人々の生活向上に寄与するというものでした。

 JICAの支援を通して、日本とアフリカが互恵関係でしっかりとつながっていたのです。

 今回、大きな騒動となった「アフリカ・ホームタウン事業」は現地のニーズに応えるものだとはいえませんでした。「マダガスカル農業人材パイロット事業」と比較しながら、見ていくことにしましょう。

■アフリカ・ホームタウン事業 VS マダガスカル農業人材パイロット事業

 マダガスカル農業人材パイロット事業の場合、これまでご紹介してきたように、目的と事業内容とが合致しています。来日した技能生は実際に大学で農業を研究し、卒業後は農薬会社で働いた経験があり、応募当時は実家で農業を行っていました。農業技術のさらなる向上を求めて来日しており、目的が明確です。

 日本で農業技術を学んでから、母国でその技術を役立てたいと彼は抱負を語っていました。また、彼を送り出したマダガスカル政府も、日本で経験を積んだ人材には、帰国後、農業の近代化を担ってもらいたいと述べています。

 この場合、事業の目的と事業内容が明確で、実習生やマダガスカル政府のニーズとも合致しています。このような事業こそ、本来JICAが進めるべきものでしょう。このような人材なら帰国しても、日本とアフリカをつなぐ中核になって活躍してくれる可能性が期待できます。

 ところが、アフリカ・ホームタウン事業の場合、核となる日本の技術が介在しないのです。ナイジェリアのホームタウンに認定された木更津市の事業案を見てみましたが、そもそも目的と事業内容とが合致せず、概念を軸に事業案が構成されているだけでした。現地のニーズに対応せず、日本側の押し付けのようにしか思えなかったのです。(※ https://katori-atsuko.com/?p=4483

 特定の指定団体に毎年のように、JICAから助成金が渡っていただけではなく、事業内容が現地のニーズに対応しているとも思えませんでした。この事業に必然性は感じられず、なぜ、木更津市が参画していたのかが見えてこなかったのです。

 ただナイジェリア人を呼び込むための企画でしかなかったように思えます。事業概要自体が曖昧で、詳細にチェックされれば、ボロが出るのは見えていました。私たちの多くがイメージするJICA本来の事業ではありませんでした。

 ふと、JICAのHPで、たまたま見かけた座談会の中で、スタッフが言っていたことを思い出しました。彼女は、「日本とアフリカの若者同士がつながり合って、互いに刺激を与え合う存在になると想像するだけでワクワクしませんか」と語りかけていたのです。

 木更津市の事業は野球をベースに企画されていました。確かに、野球を知らない現地の若者に、「ワクワク」するような刺激を与えるかもしれません。それを継続的な事業としてみた場合、現地の社会的課題にどれほど寄与できるのでしょうか。疑問に思ったことでした。

■日本もアフリカも元気に

 さて、田中明彦氏が最初にJICAの理事長に任命されたのが、2012年4月1日でした。その2か月後の6月12に日本記者クラブで行ったスピーチがあります。

こちら → https://www.youtube.com/watch?v=Y2WGpBbbDew
(※ CMはスキップするか、削除して視聴してください)
 
 この動画を見る限り、田中氏は理事長就任当初から、アフリカを支援したいといい、元気がでるような援助をしたいといっていました。支援事業を通して、日本もアフリカもともに元気になるような事業を展開したいというのが、田中明彦氏の願望でした。

 その思いをこれまで長く持ち続けておられていたようで、それが、第9回アジア開発会議の一環として、「JICAアフリカ・ホームタウンサミット ~アフリカの発展と地方創生を共につなごう~」が開催する契機にもなっていたようです。
(※ https://ticad9event.jica.go.jp/jp/event/detail_028.html

 JICAスタッフが語り合っている座談会の中で、そのことに触れている箇所がありましたので、ご紹介しましょう。

 この座談会は、「意外に身近な日本とアフリカ」というタイトルで、2025年7月30日に行われました。カメルーン生まれ日本育ちの漫画家・星野ルネさん、櫛田眞美さん(JICAアフリカ部計画・TICAD推進課)、仁木保澄さん(JICAアフリカ部アフリカ第四課)の三人が、第9回アフリカ開発会議を前に、アフリカと日本について語り合ったものでした。

 櫛田さんが、口火を切ります。

 今回のTICAD9では「若者」に着目しています。日本の若者は外国に行かない人が増え、内向きになっていると言われています。一方、アフリカには若者が多く活力があります。アフリカの平均年齢は19.2歳(2024年推計)と若く、大きなポテンシャルがあります。若者同士がつながり合うことで、お互いにいい学びが生まれると期待しています。(櫛田眞美)

 そして、ホームタウン構想に触れます。

 他にも元気にする取り組みの一つに、「ホームタウン構想」があります。日本には過疎化や人口減少が進んでいる村や町があります。若者も減っていますよね。アフリカと関係の深い地方自治体に「JICAアフリカ・ホームタウン」になってもらい、お互いに元気になるような取り組みを一緒にやろうというものです。(櫛田眞美)

 仁木さんもまた、ホームタウン構想の意義を伝えようとしています。

 都市部と比べると、地方では海外の人との交流が少なくなりがちです。でも、地方に住んでいてもアフリカの人に触れる機会があるのはいいことですね。(仁木保澄)

 最後に、櫛田さんが、日本の若者向けに、メッセージを送っています。

 日本とアフリカの若者同士がつながり合って、互いに刺激を与え合う存在になると想像するだけでワクワクしませんか。TICAD9を通じて、日本の若者にもアフリカがどんなところで、どんな魅力があるのかを知ってもらいたいし、アフリカをもっと身近に感じてもらいたいと思っています。(櫛田)
(※ https://www.jica.go.jp/information/topics/2025/p20250730_01.html

 こうしてみてくると、アフリカ・ホームタウン事業は、明らかにこれまでとは違った観点から構築された事業ではなかったかという気がします。田中氏がJICA理事長に就任した当初から、現在に至るまで抱き続けてきた支援に対する願望が反映されているのですが、あくまでも日本社会の中から発想された事業だったように思うのです。

 しかも、この事業で看過されていた大きな課題があります。それはナイジェリアの治安の悪さ、犯罪率の高さ、感染症の危険です。諸々、考え合わせると、アフリカ・ホームタウン事業は、ナイジェリアの若者を労働力として日本に招き入れ、日本の若者を現地の危険にさらすという企画でしかなかったように思えます。

 アフリカ・ホームタウン事業は、これまでJICAが積み重ねてきた現地のニーズに対応した支援ではなく、平和な日本の中で発想され、構築された支援事業でした。だからこそ、現実味がなく、いったん抗議されれば、早々に撤回せざるをえなかったのではないかという気がします。(2025/9/26 香取淳子)

万博協会に未払い被害業者を救済する気はあるのか?

■NHKが報じた万博未払い問題

 2025年7月25日、NHKが万博未払い問題を取り上げ、放送しました。NHKの取材によると、「未払い」を訴える下請け業者はアメリカやアンゴラ、ルーマニアなど7か国のパビリオンの工事で少なくとも19社に上ることが分かりました。

こちら →
(※ https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250725/k10014874011000.html、図をクリックすると、拡大します)

 このうち、セルビアが9社、ルーマニアが5社、ドイツと中国が3社、アンゴラとマルタがいずれも2社、アメリカが1社となっていて、中には複数の国の工事で未払いを訴えている業者もいます。

 前回、ご紹介したように、多くの下請け業者に代金を支払っていなかったのが、外資系元請けのGLイベンツ・ジャパン社でした。当然のことながら、NHKもこの会社に取材していましたが、返ってきたのは、次のような返答でした。

 「相手当事者の発信により万博協会や関係者等にご心配をおかけし申し訳ございません。事実に反し、誤解を与える発言が相手当事者からあったことは容認できないと考えております。当社の立場を明らかにするため、相手当事者に対してしかるべき対応を進めております」

 まず、万博協会や関係者に詫びをいれ、そして、訴えた業者に対しては、「誤解を与える発言を容認できない」とし、「しかるべき対応を進める」と脅していることに驚かされます。

 申し開きをするわけでもなければ、謝罪をするわけでもなく、GLイベンツ・ジャパン社は、逆に、被害事業者を攻撃しているのです。このような態度から透けて見えるのは、ただ、大きな相手に対しては低姿勢で詫びを入れ、小さな相手には威嚇し、支払わないという露骨な姿勢だけでした。

 前回、前々回でご紹介した被害事業者に対しても、GLイベンツ・ジャパン社は同様の態度をみせていました。おそらく、このまま強硬姿勢で押し切るつもりなのでしょうが、これでは、業者もたまったものではありません。

 被害に遭った業者のほとんどは、これまで海外の事業者と仕事をした経験もなければ、そのノウハウもありませんでした。それが、GLイベンツ・ジャパン社の仕事を請け負ったせいで、居丈高な態度で威嚇され、未払いが有耶無耶にされそうになっているのです。
 
 被害事業者たちは現場で、何度も設計変更させられていました。工期が迫るなか、発注書もないままに、変更工事を引き受けざるをえなかったと、彼らは口々にいいます。工事を急がされ、ようやく仕上げても、GLイベンツ・ジャパン社は、仕上がりにクレームをつけて代金を支払おうとしません。

 それでも支払いを要求すると、発注書がないこと、工事内容や仕上がり具合、あるいは、下請け業者側の落ち度を見つけ、逆に、金銭を請求してくる始末です。このような対応がわかってくると、最初から、できるだけ代金を支払わないで済ませようとしているようにしかみえません。

 しっかりとした支援体制がなければ、被害業者たちでは、対応しきれないのは明らかです。

 NHKは、被害の現状を伝えた後、なぜ、このようなことが次々と起こったのか、専門家による分析とその対策を報じていました。

■専門家の分析

 筑波大学の楠茂樹教授は、次のように分析していました。

 「資材価格や人手不足による人件費の高騰の影響で工期が短くなり、契約内容を詰められないまま工事を進めたことがトラブルにつながっているのではないか。また、発注者や元請け業者が外国の政府や企業の場合、日本の取り引きの慣行や法制度に精通しておらず、契約の考え方が下請け業者と違っていた可能性がある。コミュニケーションのギャップがあったのではないか」(※ 前掲URL)

 楠氏は、まず、資材費や人件費の高騰、工期の短縮などによる契約内容の変更を確認しないまま、工事を進めたことが原因ではないかと指摘しています。次いで、海外事業者と日本の建設業者との間に、取引慣行や法制度についての認識が異なっており、それを補うためのコミュニケーションが不足していたからではないかと述べています。

 当時、円安によって建築資材が高騰しており、働き方改革や人材不足に伴い、人件費が高騰していました。ですから、確かに、それらが未払いの一因になっていたといえるでしょう。

 楠氏はさらに、海外事業者と日本の建設業者との取引慣行や法制度の違いもまた、未払いの原因だと分析していました。この点について、日本の建設業界は当初から、強く懸念し、政府が海外事業者との間の入って欲しいと要望を出していました。

 ですから、未払い問題の原因は、楠氏の分析通りなのでしょう。

 とはいえ、楠氏が指摘した原因は、二つとも、被害業者の側に責任はありません。一つは、当時の社会状況に起因するもので、被害を受けた業者になんの責任もありません。もう一つは、海外パビリオンの建設について元々、危惧されていたことで、万博協会が間に入って、対処すべき事柄でした。

 当初からトラブルを懸念されていたのが、海外パビリオンの建設でした。

■建設業者に敬遠されていたタイプAパビリオン

 そもそも発注元の海外事業者と、パビリオン建設を請け負う国内事業者との間に、トラブルが発生することは予測されていました。

 2020年の春、日本建設業連合会(日建連)関西支社幹部が、万博協会に、海外パビリオンのタイプAの発注について建設業界の懸念を伝え、積極的な関与をお願いしたいと申し入れていたほどです(※ 梅咲恵司、『東洋経済オンライン』、2023年9月5日)。

 日建連はその後、何度もタイプAの扱いについて万博協会に申し入れをしてきました。ところが、万博協会の積極的な関与はみられないまま、日が過ぎていき、やがて工期の確保が危ぶまれるようになってきました。

 それでも万博協会は依然として対応せず、工事のスケジュール管理さえ、うまくできていませんでした。工事の遅延は必然でした。

 開催すら危ぶまれるようになって、ついに、経産省が動きました。2023年6月22日、国交省に、「建設業界に対し、海外パビリオン(タイプA)建設に協力要請をしてほしい」と依頼したのです。

 この公文書では、「施工事業者の懸念に対応すべく、2025年日本万国博覧会及び監督省庁である当省が前面にたって取り組む所存である。具体的には、受注に向けた環境整備として、関係省庁の協力を得つつ、別紙のとおり対応する」と明記されており、「施工事業者による懸念事項への対応策について」というタイトルの別紙が添付されています。
(※ https://www.jafmec.or.jp/wp_jafmec/wp-content/uploads/2023/07/%E5%9B%BD%E5%9C%9F%E4%BA%A4%E9%80%9A%E7%9C%81%E3%80%90%E4%BA%8B%E5%8B%99%E9%80%A3%E7%B5%A1%E3%80%91%E6%B5%B7%E5%A4%96%E3%83%91%E3%83%93%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%B3%EF%BC%88%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%97A%EF%BC%89%E5%BB%BA%E8%A8%AD%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E7%8F%BE%E7%8A%B6%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6.pdf

 未払い被害に遭った事業者たちは、国交省の協力依頼を受け、リスクの高いタイプAパビリオンの建設を引き受けていたことがわかります。この公文書を読み、改めて、万博の開催が国家事業であり、関係省庁が連携して取り組む類の事業であることを確認できました。

 さまざまなトラブルが懸念されていたタイプAパビリオンの建設を請け負った事業者たちは、国家事業だから、代金が支払われないなどということは考えもしなかったのでしょう。

 なにしろ、「政府としてかかる環境整備に取り組むので」、「海外パビリオン建設に協力してほしい」(※ 経済産業省、20230622商局第2号、令和5年6月22日)と懇願されて、引き受けていたのですから・・・。

■どのような対策が考えられるのか?

 筑波大学の楠茂樹教授は、一連の未払い問題について、主催者の博覧会協会の対応が求められるとし、次のように述べています。

 「主催者として博覧会協会は海外パビリオンの契約や工事の状況について把握しておくべき責任がある。未払いの問題が続けば今後の解体工事や次の国際的なイベントの工事に対しても疑念が持たれてしまう。“未払いの連鎖”がどこから始まり、どうすれば断ち切れるのかを検証し、国民に伝えるべきだ」(※ 前掲URL)

 確かに、万博協会は海外パビリオンの契約や工事の状況について把握しておくべきでした。被害業者たちは告訴していますから、被害の実態及びその経緯はいずれ、裁判の過程で明らかになっていくでしょう。

 特筆すべきは、海外パビリオン未払い問題のほとんどが、海外事業者を元請けに、日本の中小事業者が請け負った案件です。前回、ご紹介したGLイベンツ・ジャパン社は、被害業者が多く、未払いの経緯を知ると、組織的な事件のようにも思えます。

 ですから、万博協会をはじめ政府は、まず、GLイベンツ・ジャパン社が引き起こしている未払い問題を精査し、被害業者に寄り添って、対応していく必要があるでしょう。被害業者を救済するには、何を優先すべきかという観点が、まず、求められます。

 すでに6月23日、被害者の会は、いくつかの要望を大阪府に提出しました。それに対し、吉村知事は国内業者については早々に対処していますが、肝心の外資系元請け事業者に対しては、民間同士のトラブルだから、「民民」で解決すべきだとし、逃げの姿勢を見せています。

 しかも、業者たちにとって最も深刻な資金の立て替え要望についてはなんら回答していませんでした。海外パビリオンの建設を請け負ったせいで、倒産の危機に瀕しているというのに、万博協会は被害の実情に合わせた救済策をなんら講じていないのです。

 未払い問題の責任の所在は、一体、どこにあるのでしょうか。

■責任の所在は?

 万博協会の組織図を見ると、事務総長の石毛博行氏を筆頭に、6人の副事務総長と1人の儀典長で構成されています。

こちら → https://www.expo2025.or.jp/association/chart/
(※ 上記URLの日本語をクリックしてください)

 彼らが16の部局を所管しており、事務分掌は次のようになっています。

こちら → https://www.expo2025.or.jp/association/chart/
(※ 上記URLの日本語をクリックし、下方にスクロールし、各局・部における事務分掌一覧をごらんください)

 未払い問題に対処するのは、おそらく、総務局になるのでしょうが、部局に担当者名が書かれていないので、誰が責任者なのかわかりません。

 そこで、万博HPに記載された6人の副事務総長について調べてみると、小野平八郎氏が総務局を担当していることがわかりました。

こちら → https://www.expo2025.or.jp/wp/wp-content/themes/expo2025orjp_2022/assets/pdf/association/kitei05.pdf

 上記の担当者別に所掌事務内容が記載された表の下に、「総務局の事務については、小野平八郎副事務総長を主担当とし、髙科淳副事務総長を副担当とする」と書かれています。「総務局長」という役名ではありませんが、総務局を管轄するのが、小野平八郎氏だということになります。

■小野平八郎氏とは?

 万博協会は、2024年3月13日、万博関連費を適切に管理するため、協会内に最高財務責任者(CFO)を新設し、万博協会の理事で、副事務総長でもある小野平八郎氏を充てると発表しました(※ 読売新聞オンライン)。

 当時、万博関連費が高騰し、問題視されていました。

 たとえば、2月の理事会で、当初、809億円と想定していた運営費を、約1.4倍の1160億円に増額せざるをえなくなっていました。そこで、万博協会は、さらなる増額を防ぐため、協会内にチェック機関である「運営費執行管理会議」の新設を決め、新たにCFOを置く方針を示したのです。

 CFOは、万博に関するさまざまなプロジェクトの調整と財務管理を所管し、その立場から、収支バランスと予算の最適配分を確認する役目を担います。さらに、理事会で予算管理や財務に関する内容を説明するほか、協会内で予算管理の会議を定期的に開いたり、局長らに収支に関する報告を求め、助言したりします。

 このような役割を担うには、財務の知識や経験が必要です。小野氏の経歴から、万博運営費の執行監視には適任だと判断され、CFOに選ばれたのでしょう。

 小野氏は、平成元年に旧大蔵省(現財務省)に入省し、予算編成を担当する主計局主計官や税制改正を担う主税局審議官、大臣官房総括審議官などを歴任し、予算管理や財務に精通している人物でした。

 万博協会の体制強化のため、副事務総長が4人から1人増員された際、5人目の副事務総長として、小野氏は2023年9月に就任していました。事務能力の高さも考慮されたのでしょう。総合戦略室や経営企画室、監査室と総務局の事務も受け持っています。

 小野氏が5番目の理事として就任した時点ですでに、建設費は暴騰していました。当初予算から相当、高騰していることを報じる記事がありました。

こちら →
(※ 2023年11月29日、読売新聞オンライン、図をクリックすると、拡大します)

 2023年10月20日、万博協会の石毛博行事務総長は、会場建設費が1850億円から最大2350億円に増える見通しを公表しました。石毛氏は今年8月まで「1850億円の枠内に収める」と言い続けていました。一転して増額を打ち出したのは約2か月後で、急激な円安を念頭に「想定外でやむを得なかった」と弁解しています。

 これに対し、大阪市とともに会場建設費の3分の1を負担する大阪府の吉村洋文知事は、「管理が甘かった」と謝罪しました。会場整備の進展を把握できていなかったことの反省から、吉村氏は新たな対策も打ち出し、万博協会に対し、理事会の開催ごとに建設工事の執行状況の公開を求め、実行を確約させるようにしました(※ 前掲URL)。

 大変な責務を担わされる恰好で、小野氏は万博協会の副事務総長を引き受けたことになります。

■小野氏は「大阪、関西万博2025」をどうみていたのか

 万博の準備に当たるよう、財務省からいきなり派遣命令を受けた小野氏は、当初、戸惑いを見せていました。

 「なぜ今日本で万博を開催するのか。多額の公費を投入してまで今更万博を主催する意味がどれほどあるのか、万博自体が「終わったコンテンツ(オワコン)」ではないのか。(中略)ともかくも2025年4月からの遺漏なき開催に向けて力を尽くしてきた」(※ 『日経研月報』、2025年2‐3月号)

 小野氏は、大阪万博の副事務総長として、開催業務を担うことになったとき、まず、万博開催の意義について思い悩みました。当時、会場建設費の高騰に対し、世間から厳しい批判が寄せられていました。しかも、小野氏は万博に対して、何の予備知識もなければ、思い入れもありませんでした。

 なぜ、この時期に日本で万博を開催する必要があるのか。小野氏は、開催意義を求めて、逡巡していたようです。さまざまに考えあぐねた結果、万博のテーマが、「いのち輝く未来社会のデザイン」であることに、小野氏は万博開催の意義を見出すようになります。

 小野氏は、『日経研月報』に次ぎのように記しています。

 「「いのち」をキーワードとして、環境の問題、高齢者や障がい者を含む多様な方々が共生できる社会、平和、そしてそうした社会を実現するツールとしての未来社会におけるさまざまな技術を紹介し、考えることが目的とされている」(※ 前掲)

 「いのち」をキーワードにした「大阪、関西万博2025」こそ、未来への希望を世界に示す機会を提供できるのではないかと小野氏は考えるようになりました。世界の人々が集い、多様な価値観が交流しあい、いのちの在り方を見直す場を提供できるからでした。

 しかも、万博は、低迷している日本経済に活を入れてくれる可能性もありました。

 万博会場では、日本の企業や海外の参加国が、最先端技術を展示し、紹介します。海外の事業者との多様なビジネスチャンスも訪れるでしょう。日本企業が海外の企業と連携しながら、日本の強みを発揮できる分野を活用していけるかもしれません。そうなれば、新たな成長エンジンとなる産業を開拓する契機にもなります。

 当初は万博事業に関わることに戸惑いを見せていた小野氏でした。

 ところが、「大阪、関西2025」の理念を知り、開催すれば、将来の日本経済の成長にも貢献できるにちがいないと確信するようになって、ようやく、本腰を入れて、万博開催に向けて尽力する気になったようです。

 いざ、開幕してみれば、下請け業者から次々と未払いの訴えが起こります。懸念されていたトラブルが発生し、万博協会が矢面に立たざるをえない事態になりました。

 2025年5月16日、第7回予算執行監視委員会が開催されました。

■第7回万博予算執行監視委員会

 2025年5月16日、経産省本会及びオンラインで、第7回予算執行監視委員会が開催されました。出席者は有識者委員5名、経産省4名、万博協会2名、内閣官房1名、大阪府・大阪市万博推進局1名の計、13名でした。万博協会からは、副事務総長の小野平八郎氏と総務局長代行兼財務担当部長の早川貴之氏が出席し、オンライン参加でした。

 議事要旨を見ると、海外パビリオンの未払い問題については次のように記されています。

 「海外パビリオンについて、ネパール以外にも、類似の未払い事案が発生しており、博覧会協会は「基本的に民民契約である」旨のコメントをしていると報じられている。しかしながら、博覧会協会は、「持続可能性に配慮した調達コード」を公表しており、項目の一つとして「公正な取引」も挙げられているところ、博覧会協会が直接的な契約主体ではないとしても、同協会には、海外パビリオンの「パビリオン運営者」に対して調達コードに沿った対応を確保する責任があると考える」
(※ https://www.meti.go.jp/shingikai/mono_info_service/expo_budget_monitoring/pdf/007_gijiyoshi.pdf

 とりあえず、「(万博協会の)調達コードに沿った対応を確保する責任があると考える」と結論づけられている点は評価できるでしょう。

 ちなみに、「調達コード」の内、未払い問題に関連するのは、「4.1 国際的労働基準の遵守・尊重」、「4.6 賃金」、「4.7 長時間労働の禁止」、「4.8 職場の安全・衛生」、さらに、「(10) 運営主体等に対する追加措置」という項目が該当するのではないかと思われます。

 (10) 運営主体等に対する追加措置」は、「以下の内容を仕様書等に記載して指示しなければならない」とされており、次の4項目が設定されています。
① パビリオン直接契約事業者が調達コードを遵守すること
② パビリオン直接契約事業者が博覧会協会による調達コードの遵守状況の確認・モニタリングに協力すること
③ パビリオン直接契約事業者が博覧会協会の指定する第三者による監査を受け入れること
④ パビリオン直接契約事業者において調達コードの重大な不遵守があるにもかかわらず適切に改善に取り組んでいないと認められる場合、パビリオン運営主体等が契約を解除できること。
(※ https://www.expo2025.or.jp/wp/wp-content/themes/expo2025orjp_2022/assets/pdf/sustainability/202307_sus_code.pdf

 調達コードは、「持続可能性に配慮した調達コード(第 3 版)」というタイトルの冊子にまとめられています。ところが、これらのコードは、未払い問題の発生を阻止するものでもなければ、その解決につながるものではありませんでした。

 万博協会からは、副事務総長の小野平八郎氏と総務局長代行兼財務担当部長の早川貴之氏がオンラインでこの委員会に出席していました。議事録要旨には、万博協会の見解として、次のように記されています。

 「未払い事案については、持続可能性の調達コードにしたがって調査委員会を設置し、必要に応じて関係部局や建設許可を出している都道府県、国土交通省の協力を得ながら対応を進める体制としている。決して民間まかせにしているわけではないので、報道は誤解。ただ最終的には民間同士の契約の話であり、協会としても、関連する契約が法律に基づき適正に締結・履行されているかについて確認を行っている。」
(※ 第7回2025年大阪・関西万博予算執行監視委員会議事要旨)
 
 議事要旨の末尾に、未払い問題に対する万博協会の見解が示されていますが、「民間同士の契約の話であり、協会としても、関連する契約が法律に基づき適正に締結・履行されているかについて確認を行っている」という文言で締めくくられています。

 これでは、とても未払い問題を解決しようとする姿勢とはいえません。

■万博協会、未払い被害業者を救済する気はあるのか?

 5月16日に開催された「第7回予算執行監視委員会」では、未払い問題に対して、「民民」のことは「民民」で解決してほしいという立場をとっています。万博協会の報告および見解を踏まえたものといえます。

 吉村知事も、6月26日の記者会見で同様のことを言っていますから、「第7回予算執行監視委員会」での見解が、万博協会及び政府の未払い問題に対する根拠になっているといえます。つまり、基本的には「民民」で解決してほしいということなのです。

 とりあえず、万博の理念に沿って設定された調達コードを踏まえて対応すると述べてはいます。ところが、この文面を読む限り、確認作業を行おうとしているだけで、被害業者に寄り添った対策を行おうとしているようにはみえません。

 前回、取り上げた被害者の会は、6月23日、大阪府に要望書を提出しました。その第1番目に記されていたのが、「被害企業への早急な立て替え金の導入」です。巨額の未払いを抱えた業者の中には、資金が枯渇し、破産寸前のところもあるからでした。彼らはなによりもまず、立て替え金を要望していたのです。

 ところが、6月26日の回答では、吉村知事はそのことには触れず、「民民」での解決をというだけでした。

 2025年7月31日、ANNニュースチャンネルは、万博のアンゴラ館の工事を請け負った業者らが、元請け業者の当時の経理担当者を相手に訴えを起こしました。
 
こちら → https://youtu.be/O3fMUJKfInQ
(※ CMはスキップして視聴してください)

 原告となったのは、大阪市と神戸市の建築会社2社で、この男性に合わせておよそ5800万円の賠償を求めています。

 一方、元請け業者の大阪市鶴見区の一六八建設は、この男性を業務上横領の容疑で刑事告訴しています。ちなみに、この一六八建設は、アンゴラ館の工事を受注し、複数の下請け業者に発注していながら、合わせて1億800万円を支払っていませんでした(※ ANNニュースチャンネル)。

 この場合、告訴の相手は国内事業者なので、比較的対応しやすかったのではないかと思います。国内業者に対しては、吉村知事も6月26日の会見で、機敏な対応を見せていました。とはいえ、万博協会が有効な対策あるいは救済策を打ち出さないので、被害事業者たちは裁判に持ち込むしかなくなっています。

 問題は、多くの被害事業者を出している、外資系元請け事業者のGLイベンツ・ジャパン社です。国内事業者に対するのとは違って、告訴も大変ではないかと思います。それこそ万博協会が政府の協力を得て、対応すべき問題だと思うのですが、GLイベンツ・ジャパン社に対しては、万博協会は依然として、何ら行動をおこしていません。果たして、万博協会に未払い被害業者を救済する気はあるのでしょうか?
(2025/8/1 香取淳子)

未払いのGLイベンツ・ジャパン社、今後どうなるのか?

■未払い問題被害者の会の要望書

 海外パビリオンの未払い問題は、いまだに解決の兆しが見えないばかりか、次々と新たな被害が明るみに出てきている状態です。アンゴラ館、マルタ館、ルーマニア館、セルビア館などの工事に携わった業者に代金が支払われていなかったことが判明しました。

 これらの被害業者6名は、6月23日、万博工事未払い問題被害者の会として、新たに大阪府に対して要望書を提出しました。

 被害者の会が提出した要望は ①被害企業への早急な立て替え金の導入 ②建設業許可なく万博工事に参加した企業の実名公表と行政処分 ③下請け業者が安全に働けるための行政による監視 ④府の相談窓口の実用性向上 ⑤府から未払い企業への支払いの働きかけ、等々です。(※ http://www.labornetjp.org/news/2025/0624expo)

 これらの要望に対し、被害者の会は6月27日までの回答を求めました。

 被害者の会代表のアンゴラ館の建設業者は、「業者やその家族約1000人が路頭に迷っています。早急に対応してほしいと思います」と、切実に困窮状態を訴えました。代金が支払われず、生活に支障をきたしはじめていたのです。早急に対応する必要がありました。

 ところが、その日、吉村洋文大阪府知事は不在でした。

 未払い問題は以前から指摘されていました。万博協会副会長でもある吉村知事は、この問題に対峙すべき責任者の一人です。ところが、たまたまなのか、それとも、意図したことだったのかはわかりませんが、この日、彼は不在だったのです。

 被害者の会のメンバーは、直接、吉村知事に手渡ししたかったのですが、仕方なく、広報広聴課に要望書を手渡したという次第です。

■吉村府知事の回答

 6月26日、吉村知事は記者会見を開き、無許可疑いの業者を含む2社に対し、府は下請け企業への未払いに対応するよう勧告したと説明しました。未払いの訴えはアンゴラを含む複数の海外館で出ており、万博協会と府、関係省庁が一体的な相談の場を設けて対応すると説明しました。

こちら →
(※ 北國新聞、2025年6月26日、図をクリックすると、拡大します)

 吉村知事の会見は、一見、要望書に対して回答したように見えます。ところが、被害事業者がもっとも望んでいる「立て替え資金の投入」については何も答えていません。未払いについては、依然として、「万博協会と府、関係省庁が一体的な相談の場を設けて対応する」といった生ぬるい対応しか示しませんでした。

 彼が、なんとか回答を示したといえるのは、国内事業者に対してだけでした。

 国内事業者に対して、吉村知事は、「わが国の建設業に対する信用を低下させる。建設業の健全な発展にも影響を与える」と懸念を示し、「無許可営業の疑いのある2社には、下請け企業へ早急に支払うよう勧告した」と説明しています(※ 北國新聞、2025年6月26日)。

 興味深いことに、彼は、未払い問題は「国の信用を低下させる」といい、国内事業者に対しては早急に対処しているのです。これでは、まるで代金を支払わなかったのは日本の業者だけだという印象を与えかねませんが、被害者の会の業者たちが強く訴えているのは、海外の事業者でした。日本の中小建設業者を破産しかねないほど追い詰めているのは、わずか二社ほどの外資系元請け会社だったのです。

 開幕後、次々と未払い問題が発覚しましたが、国内業者よりも海外業者によって、建設業者たちが甚大な未払い被害を受けていることがわかってきたのです。代表的な会社が、フランスのGLイベンツ・ジャパン(https://www.gl-events.com/en/gl-events-japan-kk)とスペインのノエ・ジャパン(https://noejapan.jp/ja/)です。

 実際、代金を支払われなかった業者たちは、資金が枯渇しており、破産しかねない状況に陥っていました。万博協会が手配し、すぐにも立て替え費用を投入しなければ、生活できないほど追い詰められていたのです。

 被害者の会は、なによりもまず、早急な立て替え資金の投入を望んでいました。

 ところが、万博協会の副会長でもある吉村知事は、立て替え金についてはなんら回答していません。業者がもっとも強く求めていた要望をスルーしていたのです。これでは、未払い問題から逃げていると思われてもしかたがありません。

 実は、この会見で、吉村知事が巧妙に回答を避けていたのが、外資系元請け業者による未払い被害についてでした。

 吉村知事が6月26日、敢えて回答しなかった外資系元請け業者による被害が、実際にどのようなものだったのか、具体的にみていくことにしましょう。

■外資系元請け会社による被害の実態

 先ほどいいましたように、被害者の会は、6月23日14時から記者会見を開きました。新たに会に参加した4社が、その場で被害の実情を語りました。4社をA、B、C、Dとし、先ほどご紹介したレーバーネットの記事(※ レイバーネット前掲URL)をそのまま引用し、被害の実態を個別に見ていくことにしましょう。

● Aさんはルーマニア館の元請けとして、GLイベンツ・ジャパン社から昨年10月に1億4千万円の全館工事を請け負った。今年4月10日にすべての工事を完了し、4月13日に請求書を送ったが、支払いの回答はない。メールや電話で催促するが「待ってほしい」と言われる。先々週には「契約違反があるので契約解消する」と一方的に文書を送ってきたという。セルビア館では元請けが最初から入れず、肩代わりした。その際の費用660万円も未払いとなっている。

●Bさんはドイツ館の一次下請け業者だ。GLイベンツ・ジャパン社からドイツ館の工事作業員が足りないので助けてほしいと言われ、作業員を送ったが、人件費の約1000万円が支払われない。同社の財務担当者と話したが、振り込みはいまだに行われていない。

 また、セルビア館では2次下請けとして館内工事に入った。GLイベンツ・ジャパン社から工事費約3150万円が未払いとなっている。

 GLイベンツ・ジャパン社との話し合いを望んだが、「責任者がフランスにいるため分からない」などと話し合いに応じない姿勢だという。「人件費の未払いはあってはならないことです」と強い口調で同社を非難した。

●Cさんはルーマニア館、セルビア館の二次下請け業者だ。一次下請けが未払いになっているために、連鎖的に未払いが起こっている。セルビア館の追加工事分の約2400万円とルーマニア館の約2300万円がいまだ払われていない。一次下請けのB社とともに、GLイベンツ・ジャパン社と交渉しているが、「わかりません」と言われるばかりで、どうしていいのか分からないという。

●Dさんはルーマニア館、セルビア館の二次下請けだ。セルビア館では約260万円、ルーマニア館では約3069万円が未払いになっている。運転資金をすべて使って、関係する企業に支払いを行なったが、それでも払えないところがあり、待ってもらっている状態だそうだ。銀行の借り入れも断られ、事業継続が難しくなっている。「GLイベンツ・ジャパン社は前日に作業員を◯人欲しいと言ってきて、無茶な要望だと思いながらも、なんとか人を集めてきたのに、本当に酷いと思います」とDさんは語る。

 以上、個別に被害の実態を列記してみると、A、B、C、D4社はいずれもGLイベンツ・ジャパン社から仕事を依頼されていたことがわかります。

 彼らはいずれも、工期に余裕のないなか、GLイベンツ・ジャパン社からの無理難題を聞き入れて長時間働き、開幕に間に合わせて、工事を完成させていました。それにもかかわらず、工事が完了しても代金が支払われず、要求しても応答がありませんでした。特にひどいのは、未払いのまま勝手にGLイベンツ・ジャパン社が契約を解除してきたことでした。

 GLイベンツ・ジャパン社が代金を支払わないので、仕事を請け負った業者たちは、関係業者への支払いができなくなり、運転資金も枯渇してしまいました。事業継続が難しくなっている業者もいれば、生活困難に陥っている業者もいます。

 被害業者A、B、C、Dの説明から、GLイベンツ・ジャパン社からパビリオンの仕事を請け負ったせいで、国内事業者が何社も倒産の危機に瀕していることが明らかになりました。

 被害業者は上記の4社だけではありませんでした。

■未払い問題の元凶

 7月11日、今度は、大阪西区の建設会社レゴ社の社長が、実名を出して産経新聞の取材に応じました。レゴ社は、2024昨年8月以降、セルビア館とドイツ館の建設をGLイベンツ・ジャパン社から請負い、工事は開幕直前に完成させました。

 ところが、約3億4千万円の建設代金がいまもなお、支払われていません。先ほどご紹介したA、B、C、D社と同様、多大な未払い被害を被っており、解決の目途もたっていないのです。

 未払いだけではなく、仕事の発注そのものも杜撰だったとレゴ社の社長はいいます。「GLイベンツ・ジャパン社から届いた部材は、図面通りに穴が開いておらず寸法も合わない。ミスが相次いで発覚し、是正のために工事がどんどん後ろ倒しになった」と明かしています。

 しかも、開幕直前の混乱のさ中に、度々、追加工事を発注しながら、GLイベンツ・ジャパン社はその内容を書面に残さず、発注歴が残らないようにしていたというのです。

 当時、重機のレンタル料や人件費などが高騰していたうえに、どの現場も人手不足にあえいでいました。それでも、工事を完成するために、レゴ社の社長は、「職人に6万円もの日当を支払ったことがあった」と述べています。

 さらに、開幕前の切迫した状況下で、建物の仕様変更が相次いだうえに、GLイベンツ・ジャパン社の発注ミスも発覚しました。その結果、毎日のように、GLイベンツ・ジャパン社側から口頭で追加工事や設備の導入を求められ、工事を急がされたというのです。

 口頭で発注され、契約書がないまま次々と作業が進められていきましたが、納品の際、契約書がないことを理由に、GLイベンツ・ジャパン社が伝票へのサインを拒否したこともあったといいます(※ 産経新聞、2025年7月11日)。

 これはほんの一例です。

 GLイベンツ・ジャパン社が、いかに悪質極まりないやり方で、工事代金を踏み倒していたか、その手口は先ほど見てきたとおりです。前回、取り上げたマルタ館を建設した事業者もまた、GLイベンツ・ジャパン社の未払い被害者でした。

 マルタ館を建設した業者は、GLイベンツ・ジャパン社から、「何度も工事の変更をさせられたり、工事をストップさせられたり」しました。ところが、工事が完了した後も、いろいろ難癖をつけられ、代金を支払ってもらえませんでした。GLイベンツ・ジャパン社はこの業者に対し、1億2千万円もの代金をいまなお支払っていないのです(※ https://labornetjp.org/news/2025/0617expo)。

 今回、レゴ社が実名を出して説明したことによって、GLイベンツ・ジャパン社が、マルタ館建設業者に対するのと同様の手口で支払いに応じていなかったことが判明しました。さきほどご紹介した4社も同様です。

 6社の被害状況をみてくると、GLイベンツ・ジャパン社は、はじめから代金を支払う気はなく、発注記録を残さないようにしていたのではないかと思わざるをえません。とくに、工期が短い中、何度も工事の変更を求め、口頭で発注したまま、発注歴を記録に残さなかったのは、支払い額を曖昧にする意図があったといえます。

■悪質な手口

 さて、GLイベンツ・ジャパン社は、マルタ館を建設した業者に代金を支払わない理由として、「工事のクォリティが不十分で、修正工事した費用や工期の遅れなどによるペナルティを差し引くと、支払える金額は残らない。正式な金額は精査中だ」と主張していました。

 その後、GLイベンツ・ジャパン社は、「代わりに行った工事費用などを精査した結果、未払い額よりも我々の立て替え費用の方が大きくなったので、差額の数千万円を支払ってほしい」と要求してきたというのです(※ 前掲URL)。

 工事の仕上がりに難癖をつけては、何度も修正を求めました。その結果、工期が遅れ、追加費用が発生すると、今度は逆に、建設会社に対しペナルティを要求するというのが、GLイベンツ・ジャパン社の常套手段でした。

 工事が完了して請求書を送っても、送金されず、支払いを催促しても返答はありません。話し合いに応じようとしないばかりか、挙句の果ては、「契約違反があるので、契約解除する」とか言い出す始末です。

 さらに支払いを求めると、GLイベント・ジャパン社は、逆に、数千万円の追加費用をマルタ館建設業者に要求してきました。脅しをかければ、日本の業者は支払いを請求してこなくなるとでも思っていたのでしょうか。

 被害業者たちが個別、具体的に状況を説明することによって、いろんなことがわかってきました。GLイベンツ・ジャパン社は、マルタ館を請け負った業者をはじめ、セルビア館やドイツ館を請け負った業者に対しても、同様の手口で支払いを拒否していたことが明らかになったのです。

 これまでみてきたように、悪質きわまりない手口で、GLイベンツ・ジャパン社は建設代金を支払ってきませんでした。その結果、請け負った建設業者たちは破産しかねないほど、苦境に立たされています。それなのに、なぜ、万博協会副会長でもある吉村知事は、同社に対し、なんの抗議もせず、支払いを求める処置もしないのでしょうか。

 GLイベンツ・ジャパン社は一体、どういう会社なのでしょうか。

■GLイベンツ・ジャパン社とは?

 7月11日、「レゴ」社の被害記事を産経新聞で読み、すぐさまネットでGLイベンツ・ジャパン社を調べてみました。記事を読み終えてすぐに、Wikipediaを見たのですが、この項目は当日、削除されていました。「申し訳ありません。このページは最近(24時間以内に)削除されました。参考のため、このページの削除、保護、移動の記録を以下に表示します」と書かれており、2025年7月11日02:01に「GL events Japan」は削除されたことがわかります。

 産経新聞で報道されたその日の未明に、GL events Japanの項目は削除されていたのです。記事が出て、未払いを多数抱えていることが暴露されれば、非難が集中することを恐れ、Wikipediaの項目を自ら削除したのでしょう。

 仕方なく、親会社である「GL events」を調べてみました。こちらは、1978年にフランスのリヨンで設立されたイベント会社で、2003年に社名をGL eventsに変更し、2016年に日本支社を設立していることがわかりました(※ Wikipedia)。

 GL events社は、GL events Live、GL events Exhibitions、GL events Venuesを軸に事業展開をしており、今回の万博事業は、GL events Exhibitions部門の業務でした。創業者のオリヴィエ・ジノン(Olivier Ginon)がいまも会長兼CEOを務めています(※ https://www.gl-events.com/fr)。

 彼は新年の挨拶として、「2025年には、新たな大きな展望を目指して歩みを進めます。グループ全社員とともに、情熱と信念を持って限界を超え続けます」と抱負を語っています(※ https://jp.linkedin.com/posts/gl-events-japan_glevents-eventindustry-sustainability-activity-7283372689015091200-jA0y)。

 2025年の抱負を表現したビデオが公開されています。

こちら → https://youtu.be/4HN6lw8D9x0
(※ CMはスキップして視聴してください)

 これを見ると、GLイベンツ社は2025年も、世界中で、さまざまなグローバルイベントに参加していることがわかります。「OSAKA」の文字が見え、「大阪、関西万博2025」でもパビリオン建設に関わっていることが示されています。

 興味深いのは、CEOの彼が、「グループ全社員とともに、情熱と信念を持って限界を超え続けます」というメッセージを送っていたことです。日本の建設業者が多数、未払い被害を受けていることを知ると、このメッセージの「限界を超え続けます」という部分が、どんな手段を講じても業績を上げると、GLイベンツ社のCEOが宣言しているようにも思えます。

 そして、このプロモーション・ビデオからは、GLイベンツ社が2025年度も、積極的に世界市場に挑もうとしていることがわかります。

■GLイベンツ社が開発したユニット工法

 いろいろ調べているうちに、興味深い動画を見つけました。2023年8月2日に MBSで放送されたニュースです。

こちら → https://youtu.be/Cen1yd4Kr9E
(※ CMはスキップして視聴してください)

 内容は、万博協会は海外パビリオンの工期の遅れを懸念し、①各国に対してデザインの簡素化、②カナダが採用している『別の場所で加工したパーツを会場に運んで組み立てる工法』を他の国に提案、③工期が遅れそうな国については協会側が代わりに施設を建てて費用を参加国に求める方法も提案しているというニュースでした。

 万博協会事務総長の石毛博行氏が説明しているシーンが映し出されています。実は、カナダで採用している工法が、GLイベンツ社が開発したユニット工法だったのです。主要部材をカナダや英国などで製作し、日本に運んで組み立てる方式を採用しています。

 GLイベンツ社は、2016年9月26に横浜アリーナで開幕された「スタジアム&アリーナ2016(Stadia&Arena Asia Pacific2016)」に、「GL events Stadium Solution」と呼ばれるこのシステムを出品していました。

こちら →
(※ https://www.agc-chemicals.com/jp/ja/fluorine/news/160912.html、図をクリックすると、拡大します)

 アリーナやエキシビションでは、ユニット工法の需要が高くなると予測したのでしょう。

■アリーナ&エキシビション市場

 2016年といえば、GLイベンツ社が日本支社を設立した年です。それまではイギリスをはじめヨーロッパで行われていた、本格的なスポーツ施設イベントが、この年に初めて、日本で開催されたのです。

こちら → https://www.kotobuki-seating.co.jp/news/detail.html?itemid=546&dispmid=770

 GLイベンツ社は、2016年に開催された、日本初の本格的スポーツ施設イベントに参加し、自社が開発したユニット工法を披露していました。

 この工法を採用すれば、スタジアムの新設、増設に係るコストや工期を大幅に圧縮、短縮できるといわれています。コンクリートだと最低でも、2年程度の工期が必要とされるところを、「半永久、半常設」をコンセプトに、安全性が保障された鉄骨製のユニット工法を採用すれば、約3か月程度の工期短縮ができると謳われています(※ https://ja.wikipedia.org/wiki/GL_events_Stadium_Solution)。

 さらに、必要に応じて改修や撤去に係る工期・工費も短縮・抑制できるなどのメリットもあるとされています。大会や運営するチームや施設などの規模などに合わせて、期間を決めてレンタル利用することができ、半永久的に常設化することもできます。レンタル終了後、このユニットを別の会場や施設で再利用できることも大きなメリットだとされています。
(※ https://xtech.nikkei.com/dm/atcl/feature/15/092100040/092600003/)

 GLイベンツ社は、2016年に日本支社を設立しましたが、当時、スポーツイベントの日本での開催が相継いて予定されていたからでしょう。たとえば、2019年のラグビーW杯や2020年の東京オリンピック・パラリンピック、2021年のワールドマスターズゲームズなど、世界的なスポーツイベントが次々と、日本で開催される予定になっていたのです(※ https://xtech.nikkei.com/dm/atcl/feature/15/092100040/092600003/)。

 そもそも「スタジアム&アリーナ」は、1999年に英国で誕生しました。スポーツ施設のオーナーや管理者、競技団体、サプライヤーなど、スポーツ施設に関わるプロフェッショナルたちが一堂に介するイベントで、これまでは欧州を中心に開催されてきました。

 GLイベンツ社が敢えて、日本に進出しようとしたのは、2016年以降、日本で国際スポーツ大会が続々と開催される予定になっていたからでした。日本が魅力ある市場に見えたのでしょう。

■第20回アジア競技大会での業務委託

 GLイベンツ社は、2026年9月に開催される第20回アジア競技大会・愛知、名古屋大会でも、2025年1月29日、パートナーシップ契約に関する覚書を締結し、4月に競技会場設営と運営業務の委託契約を、組織委員会側と630億円で結んでいます。

こちら → https://www.aichi-nagoya2026.org/news/detail/653/
(※ 2005年1月29日、パートナーシップ契約に関する覚書)

 パートナーシップ契約に関する覚書を締結した時点では、万博での未払い問題はまだ発覚しておらず、業務委託契約を結んだ時点でもまだ、公にはなっていませんでした。ところが、いま、未払い問題は大きな話題になっています。

 GLイベンツ社に業務委託すれば、2006年のアジア競技大会でも、未払い問題が起こる可能性があるとは誰も容易に推察できます。

 そこで、産経新聞の記者が、アジア大会の組織委員会にこの件について取材したところ、「現時点では万博の件を理由に(GL側との)契約の見直しは考えていない」と説明しています。記者はGL側にも見解を求めたが、取材に応じなかったといいます(※ 産経新聞、2025年7月11日)。

 2025年7月15日、東海テレビは《ニュースONE》で、大村知事の見解を報道しました。

こちら → https://youtu.be/ERsZXzmFw_k
(※ CMはスキップして視聴してください)

 ニュースでは、まず、「万博 のパビリオンの建設費未払いを指摘されている元請けの会社が、アジア大会の会場設営も担当する外資系企業であることがわかりました」と問題点を指摘しています。

 次いで、「大阪・関西万博では、マルタ館やドイツ館など外資系イベント会社「GL events」が元請け企業となったパビリオンで、建設費が未払いとなるトラブルが相次いでいます」と問題の所在を明らかにし、大村知事の見解を尋ねています。

 大村愛知県知事は、「今回のようなことが起きてはならないということで、まずは事実関係を把握したうえで、適切な対応をやっていきたい」と述べ、大会組織委員会として、未払い問題の事実関係の報告を求めていることを明らかにしました。

 実際問題としては、契約の撤回は難しいかもしれません。大村知事とGLイベンツ会長らはすでに記者発表をし、写真まで撮影されているのです。

こちら →
(※ https://www.aichi-nagoya2026.org/news/detail/653/、図をクリックすると、拡大します)

 写真は、左から、大村知事、ビノッド・クマール・ティワリ副事務総長、そして、右がGLイベンツ社のオリヴィエ・ジノン会長です。この契約締結はすでに周知され、第20回アジア競技大会のHPにも掲載されています。ですから、これを撤回すれば、国際問題にも発展しかねません。

 一方、GLイベンツ社にとっては、万博での未払い問題を解決しなければ、第20回アジア競技大会での委託業務契約にも悪影響があるでしょう。

■未払いのGLイベンツ・ジャパン社の今後は?

 そもそも、GLイベンツ社CEOのオリヴィエ・ジノンは、日本支社が万博の建設代金を踏み倒し、日本の中小建設業者たちを破産の危機に追いやっていることを知っているのでしょうか。

 仮に本社のCEOが知らなかったとしても、日本支社の責任者は万博での未払い問題をすべて把握しているはずです。調べてみると、代表はギョーム・マサール(Guillaume Massard)氏でした。それ以外に名前の出ている主要メンバーの中に日本人は一人もいませんでした(※ https://jp.linkedin.com/company/gl-events-japan)。幹部はフランス人と思われる人々でした。

 パビリオン建設の指示に直接、関わった日本人がいるはずだと思い、さらに調べてみました。すると、Wikipediaでは削除されてしまった情報がいくつか出てきました。GL eventsの日本支社は、東京都知事許可第150251号を持つ建築業者で、その経営管理責任者は石毛克美氏でした(※ https://ameblo.jp/et-eo/entry-12914424114.html)。

 どこかで見たことがあるような名前だと思い、万博協会の役員名簿を見ると、事務総長の名前が石毛博行氏でした。たまたま同姓だということだけなのか、それとも親戚関係にあるのかどうか、気になります。

 もし、GLイベンツ・ジャパン社の日本の経営管理責任者が、万博協会の事務総長と何らかの関係にあるとすれば、吉村知事がGLイベンツ・ジャパン社による未払い問題について何の処置もしなかった理由もわからないではありません。万博協会がGL社に忖度している可能性が考えられます。

 GLイベンツ・ジャパン社による未払い金が甚大なものになっているにもかかわらず、その名前が公にされるのが遅く、しかも、万博協会には、GLイベンツ・ジャパン社に抗議する様子が見えませんでした。何らかの忖度が働いているとしかいいようがありません。

 未払い問題を取材している幸田泉記者は、東京のオフィスに電話し、未払い問題について取材しようとしたところ、「ここでは情報がない。大阪オフィスに聞いてください」といわれ、大阪オフィスに電話しました。

 大阪オフィスに電話すると、「ただ今、電話に出られません」というアナウンスが流れるだけでした。未払いの被害者から、取締役の電話番号とメールアドレスを聞き、電話してみても、すぐに留守番電話になり、メールにも返答はないということでした。
(※ https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/c43523ac9cccfb2019f90a60cc61a20335d5a7d3)

 なんとも不誠実な態度に驚きます。GLイベンツ・ジャパン社を外から撮影した写真があります。

こちら →
(※ 前掲、URL、図をクリックすると、拡大します)

 上の写真を見ると、スタッフがいて、仕事をしているように見えます。電話に出られないような状況でもなさそうなので、居留守を使ったとしかいいようがありません。幸田記者は、責任者に連絡を取っても、電話に応じなければ、メールの返信もなかったといいます。

 果たして、GLイベンツ・ジャパン社は未払いのまま、逃げ切れるとでも思っているのでしょうか。
(2025/07/21 香取淳子)

またしても未払い訴訟、万博協会はどう責任を取るのか?

■マルタ館でも未払い問題が…

 前回、アンゴラ館の工事費未払い問題を取り上げましたが、まだ解決していません。それどころか、未払い業者は、経理担当が1億円横領してしまったので、支払えないと主張し、逃げ切ろうとしている様子です。

 万博協会が有効な対策を講じてこなかったせいで、下請けの施工業者が泣き寝入りさせられそうになっているのです。

 憤懣やるかたない思いでいたところ、2025年6月13日、マルタ館でも、下請け業者に代金が支払われていないということを知りました。マルタ館は、参加国が独自に建設する「タイプA」のパビリオンです。

 建設を請け負った建設会社の代表が大阪市内で記者会見し、東京都の元請けの外資系イベント会社に対し、約1億2000万円の支払いを求めて6月5日付で、東京地裁に提訴したことを明らかにしたのです。

 訴状によると、この建設会社は2月3日、元請けと約2億5300万円で、建設工事の請負契約を結び、既に約1億4900万円は支払われましたが、パビリオンの解体費用を除いた約7733万円と、追加工事費約4083万円が未払いとなっていると訴えています。
(※ 毎日新聞2025年6月13日)

 6月12日、関西のテレビ局MBSが、ニュースでこの件を報じていました。ご紹介しましょう。

こちら → https://youtu.be/SAi9YFOOT38
(※ 該当部分は1分34秒から。CMはスキップするか、削除して視聴してください)

■テレビが報じた被害の実態

 下請け業者は、「まさか、ここまでこじれるとは思っていなかった」と嘆き、せめて、「自分たちがやった工事の対価だけは正当な形で支払ってほしい」と訴えています。

 この工事では、何度も変更をさせられたり、元請けからの要望で工事をストップさせられたりしたといいます、それでも必死に頑張って、4月13日の開幕には間に合わせていました。それなのに、いまなお工事費が支払われていないのです。

 MBSが外資系元請けに取材すると、「応じられない」と取材を拒否されました。そこで、マルタ政府に取材すると、「元請け業者への支払いは完了していて、マルタは紛争当事者ではない。民間企業の紛争によりマルタの評判が損なわれることはまことに遺憾です」と取り付く島もありません。

 マルタ館の場合、下図のような流れで工事が発注されていました。

こちら →
(※ MBSニュース動画より。図をクリックすると、拡大します)

 まず、マルタ共和国が、外資系業者に発注し、その外資系業者が、関西の建設業者に発注したという流れです。代金の流れもこれに沿って行われます。マルタ政府が外資系業者に支払い、その金額から、日本の下請け業者に支払われるという仕組みです。

 ところが、実際は、外資系業者から下請け業者に、約1億2000万円もが支払われていませんでした。

 MBSの取材に対し、マルタ政府は、すでに支払っているので、このトラブルには関係ないという立場を崩しません。この件についてマルタ政府に責任はなく、当事者同士で解決してくれという態度です。

 確かに、マルタ政府が支払ったお金は、外資系業者のところに留まり、下請け業者には一部しか渡っていません。ですから、トラブルの原因は、外資系業者にあります。

 ところが。この外資系業者は、代金を支払わなかった理由として、「工事のクォリティが不十分で、修正工事した費用や工期の遅れなどによるペナルティを差し引くと、支払える金額は残らない。正式な金額は精査中だ」と主張してきました。

 その後、この外資系事業者は、「代わりに行った工事費用などを精査した結果、未払い額よりも我々の立て替え費用の方が大きくなったので、差額の数千万円を支払ってほしい」と下請け業者に請求してきたというのです。

 下請け業者では、とても太刀打ちできる相手ではありません。仕方なく、東京地検に提訴したというのが実情でした。

■日建連(日本建設業連合会)の懸念が現実のものに

 前回もいいましたが、2020年春、日建連の関西支社の幹部は、万博協会に対し、タイプAの海外パビリオンの発注の仕方について、建設業界の意向を伝えていました。というのも、発注側の外国政府と国内のゼネコン各社が直接交渉することに、多くの建設業者が不安を抱いていたからです(※ 梅咲恵司、東洋経済オンライン、2023年9月5日)。

 海外パビリオンの建設を請け負う場合、ゼネコン側には、「どこの国の言葉でやりとりするのか。工事に日本の約款が適用されるのか。スーパーゼネコンならば交渉能力があるが、それ以外のゼネコン(準大手や中堅ゼネコン)は政府が間に入ってくれないと、交渉をうまくまとめられない」といったような懸念がありました。

 そこで、日建連は、海外パビリオンの建設を、大手以外のゼネコンが請け負う場合、政府が間に入って欲しいという要望を万博協会に伝えていたのです。ところが、万博協会は大きな動きをみせないまま、日々が過ぎていきました。

 2022年8月、日建連は会員の不安の声をとりまとめ、再び、万博協会に、「外国政府のパビリオンは工期が厳しくなると危惧されるので、協会の積極的な関与と工期の確保をお願いしたい」と要望しました。

 当時、海外パビリオンの受注は遅々として進んでおらず、万博開催すら危ぶまれる事態になっていたのです。

 日建連が提出した要望に応えるように、国交省不動産・建設経済局長は、2023年6月23日、日建連をはじめ建設業界4団体の会長宛てに、「海外パビリオン(タイプA)建設に関する建設業界への協力要請について」という文書を発令しています。

■施工事業者の懸念事項への対応策

 国交省が発令した文書は、タイプAパビリオンと国内施工事業者との契約が進まず、万博が開催できなくなることを懸念して作成されました。その内容は、経産省大臣官房商務・サービス審議官から6月22日に提案されたもので、受注に向けた環境整備のための対応が示されていました(※ 20230622商局第2号)。
 
 文書には「施工事業者による懸念事項への対応策」が別紙として添付されており、そこには、「金銭的な懸念」、「工事に関わる懸念」、「情報・体制に関わる懸念」等、3項目が設定され、合計8つの対応が示されていました。上記2項目については、3つの事項があげられ、それぞれ、「協会の対応」と「政府の対応」が分けて、示されていました。

 最後の項目「情報・体制に関わる懸念」は、特に中堅・中小ゼネコンを対象にしたもので、「参加国の入札等に関する情報の不足」、「外国語対応の難しさ」等、2つの事項があげられ、いずれも、「協会の対応」のみでした。
(※ https://www.jafmec.or.jp/wp_jafmec/wp-content/uploads/2023/07/%E5%9B%BD%E5%9C%9F%E4%BA%A4%E9%80%9A%E7%9C%81%E3%80%90%E4%BA%8B%E5%8B%99%E9%80%A3%E7%B5%A1%E3%80%91%E6%B5%B7%E5%A4%96%E3%83%91%E3%83%93%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%B3%EF%BC%88%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%97A%EF%BC%89%E5%BB%BA%E8%A8%AD%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E7%8F%BE%E7%8A%B6%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6.pdf

 これを見ると、日建連が要望した内容をほぼ踏まえたものになっているように思えます。

 建設業者が海外からの受注を躊躇していたのは、金銭的な懸念、工事に関わる懸念があったからでした。別紙をみると、いずれにも政府が関わることが明らかにされています。

 例えば、着実に入金されるか否かについては、「NEXI貿易保険の活用促進」、「必要に応じて、参加国に対し、外交ルートで協議」等、政府が関与することによって、不安が解消されるよう、対策が講じられています。

 国交省がこのような文書を発令した後、万博協会は2023年8月7日、建設への協力を呼び掛けるための説明会を行いました。この説明会には、100社を超える建設会社が集まったといいます。

 ゼネコン側にしてみれば、とりあえず参加したものの、「儲からないであろう仕事に、社員や職人をつっこむわけにはいかない」、さらには、「万博の工事には手を出さない方がいい。やけど程度では済まない」といった状況でした(※ 東洋経済オンライン、2023年9月5日)。

 ゼネコン各社がなぜ、海外パビリオンの工事を請け負いたがらなかったのかといえば、当時すでに、資材高と労務費の高騰、人手不足が深刻な状況になっていたからです。しかも、2024年4月からは罰則付きの時間外労働の上限規制が適用され、建設のための人員確保はさらに困難になっていました。

 特に懸念されていたのが、タイプAのパビリオンでした。

■タイプAパビリオン

 タイプ Aパビリオンは、参加国が、万博協会から提供された敷地内で、自由な形状やデザイン、資材で建設することができるパビリオンです。これらのパビリオンは、大屋根リングの内側で、静けさの森を囲むように配置されています。

こちら →
(※ 『パビリオン タイプ A(敷地渡し方式)の設計に係るガイドライン(公式参加者用)』、2021年7月、p13。図をクリックすると、拡大します)

 一方、タイプAパビリオンには、いくつか条件が課せられていました。たとえば、万博終了後、参加国はパビリオンの解体・撤去を行い、引き渡し時と同様の状態に戻す責任があります。また、汚水、雨水排水、上水、電気、通信等のユーティリティは、万博協会が敷地境界までは設置しますが、ユーティリティへの接続と敷地内の整備は、参加国の責任となる、といったようなものです。

 当初、タイプAパビリオンには、約60カ国が建設すると名乗りをあげていました。ところが、参加国側の情勢変化や日本での建設費の値上がり等の理由によって、簡易型や間借り型へ変更する国が相継ぎました。

 その結果、2024年6月末までに参加を表明した、全161の国・地域のうち、「タイプA」が47、協会が建てた施設内に独立した展示部屋を設ける「タイプB」が17、数多くの国が一緒に入って展示スペースを構える「タイプC」が92、プレハブ工法で建てて引き渡す簡易型の「タイプX」が5となりました(※ 朝日新聞、2024年7月12日)。

 タイプAのパビリオンはデザインの自由度が高く、最先端の素材や技術を使って、訴求力の強いパビリオンを建設することができます。ユニークなデザイン、華やかなデザインのものが多く、万博の華と呼ばれたりもします。実際、万博会場で人目を引いているのはいずれもタイプAのパビリオンです。
 
 アートとして、パビリオンの外観を鑑賞することもできます。趣向を凝らした建物が建ち並ぶ様子は圧巻です。

こちら → https://www.expo2025.or.jp/official-participant/
(※ 万博公式サイト)

 建設費用、建設時間とも嵩みますが、そのぶん、万博会場を訪れた人々に強く訴求することができ、当該国を印象づけることができます。限定された期間ではあっても、ソフトパワーを発揮することができるのです。

■タイプAパビリオン、承認から着工まで

 タイプAには、2021年に作成されたガイドラインがありました。

こちら → https://www.expo2025.or.jp/wp/wp-content/uploads/JP_Design-Guidelines-for-Type-A-Self-Built-Pavilions_GL4-1-1.pdf

 フローチャートを見ると、書類を提出して、承認され、実際に着工できるまでに相当時間がかかることがわかります。

こちら →
(※ 『パビリオン タイプ A(敷地渡し方式)の設計に係るガイドライン(公式参加者用)』、2021年7月、p.45。図をクリックすると、拡大します)

 参加国は、パビリオンの建設が承認されるまでに、次のような2段階のチェックを経なければならないのです。

① 第1回目の提出書類が開催者に承認されると、次の書類提出段階に進むことができるが、承認のために、開催者は技術的指導及び推奨する修正事項を参加者に提示することがある。
② 第2回目の提出書類が開催者に承認されると、工事開始許可(仮称)を受け取り、工事を開始することができるが、承認のために、開催者は技術的指導及び推奨する修正事項を参加者に提示することがある。
③ 第2回提出書類の承認後、引き続き参加者はパビリオンやイベントの運営計画を開催者とともに策定する。

 第1回目の基本設計書から第2回目の実施設計書に至るまで、要する日数は以下の通りです。

こちら →
(※ 前掲、p.44。図をクリックすると、拡大します)

 このように、タイプAは承認されるまでに相当、時間がかかります。そのため日建連は万博協会に、「図面をもらってから着工まで資材の準備などに時間がかかるので、精度の高い設計図面を一日も早く出していただきたい」と伝えていました。

 ところが、その要望が伝わっていたのかどうか疑問に思うほど、万博協会はスケジュール管理がうまくできていませんでした。タイプAについて特に、管理そのものがうまくいっていなかったようです。

 しかも、インフラの整備も進んでいませんでした。建設するにも、建設各社が発電設備を持ち込み、仮設の電力設備で対応しているような状態でした。これでは、建設工事が順調に進捗しないのも当然でした。

 このような状況下で行われていたのが、タイプAのパビリオンの建設です。
 
■改めて、マルタ館の未払い問題とは?

 今回、未払い問題が発生したマルタ共和国のパビリオンを見てみることにしましょう。

 建物の前面に水を湛え、もの静かな佇まいが印象的です。マルタ館の外観は、まるで一幅の絵のように見えます。

こちら →
(※ https://www.expo2025.or.jp/official-participant/malta/ 図をクリックすると、拡大します)

 この写真を見てわかるように、パビリオンの入り口が、石灰岩の壁面をくりぬいた格好で造られています。少し湾曲した入り口に、背面から光が射し込むと、前面に湛えられた水面にこの壁面と傍らの大きな木が映り込みます。光と水を活かし、幻想的な空間が創り出されています。
 
 タイプAパビリオンはこのように、デザインや建築方法、資材の自由度は高いのですが、守らなければならない条件が多く、複雑でコストが嵩むものでした。それだけに、申し込んではみたものの、実際には辞退し、他の方式に変更した参加国もいくつかありました。

 マルタは人口55.27万人、316平方キロメートルの小国ですが、それでも頑張って、タイプAのパビリオンに挑みました。有名な観光地であり、リゾート地でもあります。世界の国々が集う万博会場に、マルタが独自パビリオンを建設する意義は大きかったでしょう。

 先ほどの写真を見てもわかるように、パビリオンの建物には相当のこだわりがありました。

 例えば、マルタ館を建設した業者は、「何度も工事の変更をさせられたり、元請けからの要望で工事をストップさせられたり」したといっていました。細かな仕様にこだわったのでしょう。

 一方、仲介した外資系業者は、代金を支払わなかった理由として、「工事のクォリティが不十分で、修正工事した費用や工期の遅れなどによるペナルティを差し引くと、支払える金額は残らない。正式な金額は精査中だ」と主張していました。

 さらにその後、「代わりに行った工事費用などを精査した結果、未払い額よりも我々の立て替え費用の方が大きくなったので、差額の数千万円を支払ってほしい」と要求してきました。この外資系事業者は代金を支払わなかったばかりか、逆に、下請け業者に追加費用を支払えと多額の代金を要求してきたのです。

 請求書や変更箇所の見積もり書等を具体的に照合しなければ、なんともいいようがありませんが、デザイン性を重視したタイプAの場合、起こりうるトラブルでした。

■万博協会の対応

 2025年6月2日、万博協会の高科淳副事務総長は、未払い問題に関して記者会見を行い、「不払いについて通報があれば、対話の場をつくっていく」と回答しています。具体的な対策としては、「通報があった場合、仲介して解決を促している」というものでした。

 この期に及んで、万博協会の対応は、無為無策のままでした。

 「通報があれば」、「対話の場をつくる」、「仲介して解決を促す」といった具合に、まるで万博協会は当事者ではないと言わんばかりの態度です。これが、未払いのせいで、倒産しかねない下請け業者に対する対応なのかと、驚いてしまいます。

 それでも、マルタ館建設の下請け業者は、万博協会の指示通り、先月、協会に通報しました。ところが、協会からは、「また連絡します」というメールが一通きただけで、その後、何の連絡もありませんでした。誠意がまったくみられないのです。この業者は仕方なく、訴訟に踏み切ったといいます。

 MBSがこの件について取材すると、万博協会は、「個別の案件には答えられない」とし、「一般論として、書類の確認や精査に時間がかかることがあります」と回答するだけでした(※ 前掲URL)。

 それにしても、高科氏のあまりにも無責任な態度には驚いてしまいます。一事が万事、その場しのぎに終始しているのです。万博の諸事を統括する協会の責任者がこのような態度では、建設費未払い問題に埒があくはずもありません。高科氏の態度は、万博協会は、この問題を解決する気がないと言っているようなものでした。

■万博協会はどう責任を取るのか?

 マルタ館はタイプAのパビリオンです。万博に参加したマルタ共和国が、外資系業者の仲介で、日本の建設業者にパビリオンの建設を発注したという流れになります。タイプAは当初から。発注から施工に至るまで、さまざまな工程でトラブルが生じる可能性が懸念されていました。

 着工後の未払い問題までは想定していなかったのかもしれませんが、実際、未払い問題はいくつも起きています。前回ご紹介したアンゴラ館をはじめ、いくつかの国々でパビリオンの建設代金が支払われないという問題が発生しています。

 ということは、つまり、マルタ館の未払い問題は、なにも個別の事象ではなく、海外パビリオンの建設に伴う構造的な問題だったということになります。

 そうしてみると、改めて、未払い問題に対する万博協会の対応が、これでよかったのかという疑問が湧いてきます。

 ところが、この件に対する万博協会の対応をみていると、マスコミからの取材は無難にかわし、業者にはその場しのぎの対応に終始しているように思えます。実際にパビリオンを建設した下請け会社に大きな被害がでているというのに、真摯に対峙しようとせず、責任を回避しようとする姿勢ばかりが目立つのです。

 これでは、下請け業者に泣き寝入りしろと言っているようなものでした。

 そもそも、建設業者の誰も引き受けたがらなかったのが、海外パビリオンタイプAの建設でした。国交省が建設業界に協力依頼の文書まで発令して、ようやく下請け業者が受注し、なんとか開幕に間に合わせました。

 頑張って工事を完成させたのに、建設代金は支払われないという理不尽なことが海外パビリオンの建設現場では多々、起こっています。

 一連の経緯をみると、万博協会がこれらの問題に真摯に対応しようとしていないことが見えてきます。トラブルが予想されていた厄介な工事を、中小零細業者に引き受けさせ、トラブルが発生すると、万博協会は、当事者同士で解決しろと突き放しているのが実情です。

 万博協会は果たして、この問題にどう責任を取るつもりなのでしょうか。

(2025/6/19 香取淳子)

改めて問う、万博協会は何をしていたのか?

■「被害者の会」の設立

 2025年5月30日、大阪・関西万博のアンゴラパビリオンの建設に関わった下請け業者が、「被害者の会」を立ち上げたと発表しました。被害者の会は、万博のパビリオン建設に関わった下請け業者で構成されており、未払いの工事費を回収する目的で設立されました。

 賃金未払い、工事代金の未払い問題は、開幕前から問題になっていたことは知っていました。最近、これに関するニュースを見ていなかったので、てっきり解決されたのだと思っていました。ところが、そうではなかったのです。建設費の未払いはいまなお続いているといいます。

 被害者の会によると、アンゴラパビリオンに関しては、3次下請けの業者が、さらにその下の下請け業者に費用を支払っていないということでした。

 業者は、「このままでは開幕に間に合わないということで、急遽応援依頼を受けて、2月中旬から開幕日までほぼ連日、夜勤を含めて働いてきた。しかし全く工事代金が支払われず、5次下請け以下の賃金はゼロのまま」と訴えています(※ 2025年5月30日17:00配信、ABCテレビ)。

 報道によると、3次下請けまでは支払われていますが、3次下請けが4次下請けに支払っておらず、当然のことながら、5次下請けにも支払われていないというのです。

 アンゴラ館の工事代金未払い問題に関する動画を見つけましたので、ご紹介しましょう。

こちら → https://youtu.be/rcwIbaSTahU
(※ CMはスキップするか、削除して視聴してください)

 上の動画は、大阪のテレビ局MBSで、2025年5月23日に放送されたニュースです。

 アンゴラパビリオンは、建物は協会が行い、外装や展示を参加国が行うという形式の簡易パビリオンです。それが、開幕初日にオープンしただけで、その後、ずっと閉館したままになっているのです。なぜかといえば、工事費が未払いなので、工事が中断されていたからでした。

 このニュースが放送されてから一週間後、「被害者の会」が設立されたことになります。放送されても、事態が改善されなかったからでしょう。

 実は、工事代金の未払い問題はアンゴラだけではありませんでした。

■工事代金の未払い

 工事代金の未払いはなにもアンゴラパビリオンだけではなく、他にも複数の下請け会社の工事代金が支払われていませんでした。

 たとえば、MBSは5月13日、他の下請け業者を取材して放送し、未払い問題の深刻さを伝えていました。

 5月13日の時点で、複数の下請け業者が、工事費用の一部が未払いになっていると訴えていたことがわかりました。

 このニュースに登場していたのは、参加国が独自で建てるタイプAパビリオンの建設を請け負った業者です。この業者は、海外の元請け業者から契約金の約40%分と追加工事費、計約8000万円が支払われていないと訴えています。契約通りに支払われないので、現在、会社がいつ潰れるかわからない状況に陥っているのです。

 さらに、同じ元請け業者から、他のパビリオン工事を受注した、別の下請け業者もいました。こちらは、追加の工事費代金、約3億円が支払われていないと訴えています。

 取材に対し、元請け業者は、工事が不十分だったので、肩代わりして行った工事費を契約金から差し引いたといい、追加工事費については現在精査中だとしていっています。

 これらの契約関係を図式化すると、次のようになります。

こちら →
(※ MBSニュース映像より。図をクリックすると、拡大します)

 下請け業者が、滞った支払いを求めて、何度も連絡をしていた最中、元請け業者Xから新たな契約書がメールで送られ、署名を求められました。その内容は、「下請け業者は遅延1日につき、価格の2%のペナルティを支払う」、「工事に欠陥があった場合、元請け業者はその修繕費用を下請け業者に支払う額から相殺できる」というものでした。

 つまり、工事の “クオリティ” が不十分と判断された場合、その修正工事の費用を契約金から差し引くといった内容が、契約に新たに加わっていたのです。契約書にサインをしなければ、次の支払いが実行されないので、下請け業者はサインせざるをえなかったといいます。

 下請け業者Aにとっては初めての海外クライアントとの仕事でした。文化の違いに戸惑うこともありましたが、たび重なる仕様変更にも対応し、なんとか工事を開幕には間に合わせました。

 「開幕日が決まっている万博だからこそ、なんとか終わらせようと現場で踏ん張ったのです」という言葉に、実際に建設に携わる業者ならではの責任感が感じられます。支払いが滞っているにもかかわらず、元請けの指示通り、工事を完成させていたのです。あっ晴れだといわざるをえません。
 
 ところが、万博を担当する伊東良孝大臣は、万博工事代金の未払い問題について、次のように述べています。

 「工事代金の精算がついていないところもいくつかあるというふうに聞いているところであります。基本的にはパビリオンを発注した国と建設を請け負った元請け業者の民・民(民間同士)による話し合いが基本ではないかと思っておりまして、それを促しているところでございます」

 責任を放棄した言いぐさは、見苦しいとしかいいようがありません。万博を統括するトップがこれほど無責任な態度をとるとは思いもしませんでした。この大臣の言動からは、現代日本の統治機構の無能ぶり、官僚機構の腐敗ぶりが透けて見えます。

 万博協会に訴えても埒が明かないとみた下請け業者たちは、建設費の未払いについて民事訴訟を起こす準備を進めています。

■万博協会はいったい、何をしていたのか?

 実は、海外パビリオンの工事については、当初から不安視されていました。すでに2020年春には、日建連の関西支社の幹部が万博協会に、海外パビリオンの発注の仕方について建設業界の意向を伝えていました。というのも、発注側の外国政府と国内のゼネコン各社が直接交渉することに、多くが不安に思っていたからです。

 ゼネコン側には、「どこの国の言葉でやりとりするのか。工事に日本の約款が適用されるのか。スーパーゼネコンならば交渉能力があるが、それ以外のゼネコン(準大手や中堅ゼネコン)は政府が間に入ってくれないと、交渉をうまくまとめられない」といったような心配が尽きませんでした。

 2022年8月、日建連は会員の不安の声をとりまとめ、万博協会に、協会の積極的な関与と、工期の確保も要望していました。ところが、協会は動かず、工事は進捗しませんでした。万博協会は、海外パビリオンのスケジュール管理をすることができず、インフラ整備も進んでいませんでした。

 2023年8月7日に、万博協会は建設業者に向けて説明会を実施しました。会場には100社を超える業者が詰めかけたといいます。

 ところが、海外パビリオンの建設についての認識は、「儲からないであろう仕事に、社員や職人をつっこむわけにはいかない」、「万博の海外パビリオン工事については、ゼネコンはどこもやりたがっていない」、挙句の果ては、「万博の工事には手を出さない方がいい。やけど程度では済まない」といった具合でした(※ 梅咲恵司、東洋経済オンライン、2023/09/05)。

 ゼネコン業界にとって、海外パビリオンの工事は災難でしかなかったのです。そして、現在、海外パビリオンの建設に携わった下請け業者の数々が、工事代金の未払いという苦境に立たされています。中には生活破綻に追い込まれた業者もいます。予想されていた災難が末端業者にふりかかっているのです。

 なぜ、このようなことになったかといえば、万博協会が、3年も前に提出した日建連大阪支社の要望を聞き入れず、予想された危機を回避することをしなかったからでした。

 万博は国家事業でもあり、うまくいけば宣伝にもなるにもかかわらず、ゼネコン各社は海外パビリオンの工事を請け負いたがりませんでした。というのも、2023年7月には、鋼材や生コンクリートなど建設資材の価格は、2021年1月と比較し、26%も上昇していました。そして現場で働く労働者の賃金も2020年度に比べ、9%以上引き上げられていました。資材高と労務費の高騰を考えれば、割に合う仕事ではなかったのです。

 そのような状況下で、ババを引いたのが、末端の下請け業者でした。
 
(2025/5/31 香取淳子)