前回に引き続き、第49回全日本水墨画秀作展で印象に残った作品のうち、「人物・動物」、そして、「抽象」領域の作品をご紹介していくことにしましょう。
■人物・動物
人物や動物は水墨画の題材として決して意表を突くものではないのですが、その描き方や力点の置き方などがこれまでの水墨画のイメージを大きく覆す作品がいくつかありました。ご紹介しましょう。
・樋口鳳香氏の「みなそこのつき」
この作品を見たとき、構図といい、モチーフといい、洋画や日本画で見かける作品だと思いました。ただ、水墨画だからこそ表現できたのではないかと思ったのが、モチーフとしての髪の毛です。そして、この髪の毛こそ、この絵を際立たせる重要な役割を果たしていると思いました。
一見すると、モチーフの刺激的なポーズの女性に目が向いてしまうのですが、よく見ていると、髪の毛に強く印象付けられていきます。肩といい、足といい、女性の身体をさり気なく覆うように、長い髪の毛が巻き付いています。その巻き付き方が柔らかくしなやかで、しかも、しっとりしているのです。
まるで生きているかのように、髪の毛の細部に至る微妙なニュアンスを捉えて描かれています。だからこそ、この絵に洋画でも日本画でも見られない独特の風情を与えているのでしょう。水墨画ならではの特質が活かされています。そして、このような髪の毛の描き方が、この絵に妖艶さを添えることになっています。この作品は芸術文化賞を受賞しています。
・八木良訓氏の「JAZZギター」
一見、油彩画かと思うほど強いトーンで、ギターを弾く男性が描かれています。うつむき加減に、そして、ひたむきに、ひたすらギターを弾き続ける決して若くはない男。その姿からは孤独感が醸し出されています。
求道的に何かを追い求めようとすれば、他を寄せ付けない強い意志が必要です。当然のことながら、孤独にならざるをえず、その孤独と引き換えに、極みに達しようとしている求道的な精神性をこの絵から感じてしまうのです。それはおそらく、この絵が水墨画で描かれているからでしょうし、その構図のせいでもあるのでしょう。
この絵をよく見てみると、ギターやそれを奏でる手は大きく描かれているのに、それに比べ顔は比較的小さく、目を閉じた表情からは感情をうかがい知ることはできません。ですから、見る者の視線はいったん、顔に向けられるのですが、やがて、大きな手やギターに向かっていきます。
このような構図は、見る者の視線をそのように誘導するためのものではないかという気がするのです。この絵は一見、荒々しく描かれているように見えるのですが、実は緻密に計算して構成された作品だと思いました。この絵は全日本水墨画秀作展準大賞を受賞しています。
・奥山雄渓氏の「羅漢像」
水墨画にふさわしい題材だとおもいました。この作品のタイトルは、「羅漢像(語り合い)」です。羅漢とは、仏教でいわれている、尊敬や施しを受けるのにふさわしい聖者なのだそうです。そのような羅漢が二体、正面を向いて向き合っている構図で、描かれています。
タイトルによれば、この二体は何かを語らっているのでしょう。その表情は穏やかですが暗くも見えます。背後の空は黒い雲で覆われていますから、ひょっとしたら、暗い世相を語らい、そして、平穏を祈っているのかもしれません。
暗雲垂れこめた空の下、二体の羅漢が向き合っている、そこからは不思議な静謐感が漂ってきます。この作品は長寿功労賞を受賞しています。
・有田美和氏の「エナジー」
洋画でも日本画でもふさわしい題材です。それを水墨画ならではの特性を活かし、エネルギッシュに飛び跳ねる馬の様子が端的に捉えられています。この絵を一目見た途端、惹きつけられてしまいました。タイトル通り、強力な「エナジー」が発散されていたのです。
振り向いた馬の荒々しい顔、大きくなびくたてがみ、隆々と盛り上がった臀部の筋肉、跳ね上がる尻尾、そして、蹴り上げた足元から立ち上る土煙・・・。いずれも、馬の荒々しい動きを表現するのに不可欠の要素です。必要な要素だけに絞り込んでモチーフを描いているからこそ、この強さが表現できているのかもしれません。
さらに、馬の身体の右部分は画面からはみ出してしまっていますし、足すらその先は描かれていません。このような省略と、足元や尻尾の先に飛び散る土、あるいは土煙、そして、馬が振り向いた先の左部分に余白を設定したあたり、秀逸だと思いました。
この絵は、省略と余白で見る者に想像を促す水墨画ならではの特質がうまく活かされていると思いました。この作品は、上野の森美術館賞を受賞しています。
■抽象
抽象的な作品をいくつか目にしました。それぞれを見ていくうちに、水墨画と抽象画は意外に類似点があるのかもしれないと思いはじめました。色彩を制限し、墨の濃淡と明暗だけでモチーフを描き、作品世界を構築すること自体、抽象化過程を踏まなければならないからです。
印象深い作品を紹介していきましょう。
・筒井照子氏の「楽ー17」
抽象画はどのように理解すればいいのか、よくわかりません。ただ、会場でこの作品を見たとき、とても印象付けられました。
「大」の字のように見える黒い大きなものの下に、押さえつけられるようにして、白いチーズケーキのようにも見えるものが存在しています。「大」の字のように見えるものの上には、小さくて白い玉のようなものが散り、白とグレーの得たいの知れない形状のものも散らばっています。そして、「大」の字に見えるものとケーキに見えるものの間には、グレーの帯状のものが挟まっています。
さまざまな形状のものが白黒濃淡で描き分けられ、配置されています。それぞれに立体感があり、それらの配置の仕方には奥行きが感じられます。全体として一つの世界が築き上げられているように見えるのですが、そこには不思議な調和があります。
「大」の字に見えるものが画面を覆っており、白黒の濃淡をつけて、描かれていますが、先端部分はそれぞれ、形状が異なっています。よく見ると、この絵の中の、角ばったもの、細長いもの、先端は曲げたり、柔らかいトーンで描かれていることがわかります。そのせいか、全体に快い安定感があるのです。それが見る者に居心地の良さを感じさせるのかもしれません。この作品は、京橋エイジェンシー賞を受賞しています。
・古谷睦美氏の「縁Ⅰ」
水墨画らしい作品です。文字のように見えるものを、年輪のように見えるもので、左上方と右下方から挟み、その周辺には適度な余白が設けられています。とても安定した構図です。
字のように見える黒い図形はすべて曲線で描かれ、黒の濃淡で勢いと流れが表現されています。先が細くなった、ひげのように見える曲線が、跳ねるような動きを見せていますので、自由奔放な活力が感じられます。
字のように見える図形は強い黒の強弱で描かれているのに対し、左右上下の両端に配置された年輪のように見えるものはグレーで描かれ、しかも、ところどころ、切れたり、薄くなったりしています。その強弱の加減がバランスよく、絵に快い安定感を与えています。上品で美しく、見ていて快くなる作品です。この作品は、西日本新聞社賞を受賞しています。
・中井浩子氏の「遊16」
この作品を近くで見たとき、最初はそれほどいいとは思いませんでした。ところが、離れと、気になります。そこで引き返し、近づいて見、また離れて見る、ということを繰り返しました。この作品にはそこから離れがたい、不思議な世界が描出されているのです。
白黒のうねるような曲線が複雑に絡み、まるで見る者を深い奥底に引きずり込もうとしているかのようです。曲線の周辺には小さな白い玉のようなものが散り、曲線で構成された絵に微妙な揺らぎを与えています。
この作品で表現された深い奥行きと微妙な揺らぎには、別世界への誘いが感じられます。魅力的な作品です。この作品は特選に選ばれています。
・村川ひろ子氏の「宙」
水墨画らしい作品です。安定した構図で、作品全体から柔らかさと優しさが感じられます。
大きな渦巻状の図形の上に、流れるような数本の線が描かれ、その延長線上にはみ出したような黒い点が上方に伸びる曲線の上に置かれています。そして、この渦巻状の図形とは独立して、黒い中心を持つ円が左下方に描かれています。考え抜かれた構図で美しく、調和がとれています。この作品は、ギャラリー秀作賞を受賞しています。
■水墨画が切り拓く多彩な世界
今回、はじめてこの展覧会に参加しました。水墨画だけの展覧会はこれがはじめてです。水墨画についてはこれまで風景を墨で描く芸術だという認識しかありませんでした。ところが、今回、この展覧会に参加して、水墨画が切り拓く世界が多様で多彩、しかも、融通無碍、きわめて奥深い表現芸術だということに気づかされました。
水墨画ではモチーフを表現するための色彩が制限され、空間も制限されています。今回の出品作品はF20号とF30号に限られていました。制限された中で表現活動を行うには、無駄を取り除き、エッセンスに目を向けなければなりません。そこには自ずと抽象化作用が生まれ、作品の精度を高めます。
人物や動物、抽象の領域の作品は洋画や日本画とも競合します。とはいえ、今回、この水墨画秀作展に参加して、水墨画が切り拓く領域に大きな可能性があると感じました。(2017/3/12 香取淳子)