■第81回新制作展受賞作家展
2018年2月1日、久しぶりに銀座に出かけたついでに、ミキモトG2に隣接するビル9Fの「INOAC 銀座並木通りギャラリー」に立ち寄ってみました。何気なく入ってみたのですが、「第81回新制作展受賞作家展」が開催されていました。開催期間は2018年1月25日から2月2日まで、ちょうど、最終日の前日でした。
画廊に一歩、足を踏み入れた途端、目を奪われた作品があります。一つは第81回新制作展で受賞された奥田善章氏の作品、もう一つは、新制作協会に今回、新たに会員になられた近藤オリガ氏の作品です。いずれも表現スタイルが独特で、惹きつけられました。
まず、今回の受賞作家、奥田善章氏の作品からみていくことにしましょう。
■受賞作家、奥田善章氏の作品
意表を突かれたのが、この作品です。
滅多に見かけないほど豊満な女性が、大きなキャンバスからはみ出さんばかりに描かれています。垂れ下がった胸の下には巨大な三段腹、その下には膨らんだ腿とドッジボールのような膝が二つ、どれもスカートを突き破りそうなほどの肉塊です。
膝が二つとも外向きに描かれているのもご愛敬です。そうでもしなければ、腿肉に邪魔されて脚をまっすぐ向けることができないでしょう。滑稽感を誘う表現です。
もちろん、これほど太った身体では脚を組むことなどできません。そのままではだらしなく開いてしまう両膝を、この女性は踵をひっかけるようにしてかろうじて組み、それ以上の広がりを抑えています。その踵といい、足の甲といい、やはり肉が大きく盛り上がっています。
上半身から下半身にかけて、ぶざまなまでの巨大な肉塊です。それらを次々と見てきたせいか、肉付きのいい踵、足首、足の甲、足指などを見ても、もはや驚きようがありません。これほどの巨体を支える両足がむしろ健気で、とても可愛く思えてしまいます。不思議なモチーフでした。
■中年女性、それとも・・・?
どんなものであれ、極端なものはヒトに滑稽感を抱かせがちです。この作品も、度を超した肥満がまずは滑稽感を誘います。ところが、しげしげと見ているうちに、私は、なんともいえない親しみと温もりを感じさせられていきました。ともすれば醜悪に見えかねない肥満、あるいは、滑稽にしか見えない肥満が、しばらく見ているうちに、心温まるふくよかさへと、肥満したモチーフに対する見方が変わっていったのです。
なぜなのでしょうか。
一つには、モチーフの表情が大きく影響していた可能性があります。このモチーフは、光源に向けて顔を傾け、目を閉じ、口を半開きにしています。肉付きのいい顔や身体の左側が白っぽく描かれており、左上方から明るい光が射し込んできているのがわかります。明度からいえば、かなり強い陽射しです。
当然のことながら、眩しく感じるはずなのに、この女性は能天気にも、すやすやと眠っています。あまりにも無防備で無邪気な姿勢に驚かされてしまいます。
その無頓着さ、あっけらかんとしたおおらかさを見ていると、次第に気持ちが緩んでいくのを感じます。現代社会を生きるヒトなら誰しも持っている他者への警戒心を、この女性はいとも簡単に解除させてしまうのです。警戒心が解かれるとともに、当初は滑稽に思えた肥満が、心温まるふくよかさへと認識に変化が起きていきました。
一方、女性の手の表情は意外なほど、繊細で優雅です。ウエスト辺りから手を下に垂らしているのですが、不思議なことに、脱力しているようには見えません。だらしなく太った身体には不釣り合いなほど、手の甲の形状や指の置き方に気配りが見られ、優雅に描かれているのです。むしろ気取って、シナを作っているようにすら見えます。
そのナイーブな繊細さに私はふと、乙女心を感じさせられました。姿態からは、羞恥心をなくした中年女性のように見えるのですが、手の表現からは、初心で夢見がちな少女を感じさせられたのです。
そして、人差し指に絡めた蔦の葉のようなものが、薬指、小指を経て、腕に巻き付いたまま、後ろの茂みにつながっています。この蔦の茎の先で、誰かとつながっているのではないかと、ロマンティックな想像すらかき立てられます。
■光と陰影がもたらす、心温まる優しさ
蔦の葉に誘導されて、モチーフの背後に目を向けると、周囲には精緻に描かれたさまざまな植物が配されています。女性は、レンガでできたベンチのようなものに腰かけていますから、きっと庭の一隅なのでしょう。よく見ると、このモチーフの足元には猫が潜んでいて、警戒の目をこちらに向けています。まるで、無防備な女主人を守っているかのようです。離れてみると、ここに猫を配することによって、メインモチーフに対立する観念(警戒)を添えることができ、この作品に深みを与えていることがわかります。
それにしても、面白い画面構成です。メインモチーフの選択や形状、配置に大胆さがみられる一方、その周辺、あるいは背景の事物は精緻で繊細なタッチで描かれています。画面の中で大胆さと精緻さが拮抗しているのです。
さらに、ボールペンの特性を活かし、光の微妙な射し加減が丁寧に精緻に描かれています。そのせいか、着色もされていないのに、色彩を感じさせられますし、厚みや温もりを感じさせられます。髪の毛や葉陰、身体各部の陰影もまた仔細に描かれていますから、湿度や気温さえも感じられます。まるで画面に描かれたすべてのものが生き生きと呼吸し、身の丈にあった生き方をしているかのように見えます。
残念ながら、この作品のタイトルはわかりません。せっかく撮影を許可されたというのに、タイトル部分を撮り損ねてしまいました。サイズは大きく、100号以上だったような気がします。
この作者の別の作品も展示されていました。
こちらもタイトル部分を撮り損ねてしまいました。叢の中に鳥が潜んでいます。丸みを帯びた頬と嘴、目の形状が特徴的です。この鳥もまた、さきほどの太った女性のように、その形状がどことなくユーモラスで愛嬌があります。
さらに、こんな作品もありました。
こちらはタイトルが写っていました。「森で夢を見る」です。タヌキが叢から顔をだしています。はたして、どんな夢を見ているのでしょうか。このタヌキの顔の各部に丸みがあり、その表情もどこか滑稽で、温かさがあります。
■奥田作品から透けて見えるヒューマニティ
会場に展示されていた奥田作品は、3作品でしたが、いくつか共通性がありました。まず、太った女性はもちろんのこと、鳥にしても、タヌキにしても、メインモチーフの形状はいずれも丸みを帯びていていることです。この丸みが画面全体にユーモラスな情緒と、何事も包み込むような優しさを醸し出していました。
次に、メインモチーフの周囲には精緻な筆致でさまざまな植物が描かれており、リアリティを添えていたことがあげられます。肥満女性を描いた作品では、画面いっぱいに描かれたメインモチーフの選択とその描き方に大胆さが見られる一方、それを支える背景がきわめて繊細で緻密に処理されていました。そこにコントラストの妙がありました。
なぜ、この作品が気になったのか、そして、惹きつけられていったのかを考えていて、ふと思い出したのがAIDMA理論です。AIDMA(Attention, Interest, Desire, Memory, Action)理論は、古典的な広告理論です。
会場には作品がいくつも展示されていたのですが、まず、目についたのがこの作品でした。なぜかといえば、画面いっぱいに描かれた巨体が圧巻でしたし、ボールペンで精緻に描かれた光と陰影の関係が絶妙だったのです。良しあしではなく、美醜でもなく、まず、作品の特異性に注意を引き付けられたのです。
興味を抱き、もっと知りたいと思ってこの作品をじっくり見はじめました。そのうちに、この作品の意表を突かれる特異性が、いつのまにか、好ましさに変化していったのです。光の射し込み具合、モチーフへの柔らかな当たり具合が丁寧に、緻密に表現されています。そこに、作者のモチーフに対する温かい思いが感じられるようになったのです。
一見、現代社会からは置き去りにされそうなモチーフをメインに置きながら、射し込む光とその陰影を精緻に描くことによってリアリティが添えられ、そして、得難いヒューマニティを感じさせられるのです。この絵の前に立つと、温かな幸福感が満ち溢れてくるような気がしてきます。とても味わい深い作品でした。
■新会員、近藤オリガ氏の作品
もう一つ、会場で印象に残った作品があります。近藤オリガ氏の作品です。
会場でいただいたパンフレットを見ると、ベラルーシ生まれの近藤オリガ氏は、2007年に来日し、2008年に新制作展に初入選して以来、さまざまな賞を受賞しています。2013年第1回損保ジャパン美術展FACE2013年優秀賞、2017年第2回アートオリンピア入賞、などです。新制作展では第75回と第78回に新作家賞を受賞しています。このような来歴を踏まえ、今回、新会員に推挙されたようです。
さて、会場で気になったのは、少年を描いた作品でした。
残念ながら、こちらもタイトル部分を撮り損ねてしまいました。
タブレットのようなものを手にした少年が描かれています。まだ10代にもならない少年なのに、全体に哀感が漂っています。あるいは、哀愁とでもいえばいいのでしょうか、ここに存在するのに、心はここにはない・・・、とでもいえるような雰囲気です。とても気になりました。
■光とその陰影が生み出す哀切感
印象づけられたのは、光と陰影で独特の哀切感が表現されていることでした。
背後と側面から射し込む光で少年が捉えられています。うつむいた少年の耳と顔の左側面に強い光が当たり、この少年の存在を際立たせています。いったい、何を思っているのでしょうか、この少年の顔の表情はよくわかりませんが、深く考え込んでいる様子です。
動き回り、はしゃぎ回っているのが、大方の少年だとすれば、この少年はその一般的なイメージから大きく外れています。まるで老成した大人のように沈思黙考し、ひっそりと一人佇んでいます。その風情が気になるのです。少年というモチーフの一般的なイメージと相反するような思慮深さ、そして、描かれた少年を取り巻く情景の深淵さに深く引き込まれていきます。
色彩が極度に抑制され、射し込む光とそれが織りなす陰影によって、現実社会にはない深遠な世界が描き出されているといえるでしょう。
こんな作品もあります。
こちらはタイトルが写っています。「レモンのある風景」です。
レモンの皮を前景に、皮を剥きかけたレモンを中景に置き、背景に海と空を描いた作品です。たしかに、タイトル通り「レモンのある風景」ですが、この作品にもそこはかとない哀愁が漂っています。色彩のせいでしょうか、それとも、モチーフのせいでしょうか。ヒトの世の無常を感じさせる哀切感が漂っているのです。
紅葉した木の葉を描いた作品もあります。
この作品のタイトルは、「秋」です。たった一枚の葉ですが、ここにも深い哀切感が漂っています。春には早緑色だった葉も夏には濃い緑色になり、秋になれば、紅葉し、落葉していく、ヒトの人生も同様、衰退に向かって生きているということが感じさせられます。
秋は収穫の季節であり、成熟の時期でもありますが、一方で、衰退に向かい始める時期でもあるのです。この作品を見ていると、普段は思いもしない、哀切の感情がかき立てられます。誕生して成長し、成熟を迎えた後は衰退していかざるをえない悲しみを思い出させられるのです。
さらに、こんな作品もありました。
タイトルは「貝と海」です。大きな貝殻が海と空を背景に描かれています。夕方なのでしょうか、空も海も暗いのに、画面の半ばあたりで、白い雲がたなびき、砂浜も白く光っています。現実にはありえない光景なのでしょうが、素晴らしい画力によってリアリティを感じさせられます。貝殻の内側の微妙な色彩表現が巧みで美しく、惹きつけられます。
■光と陰影が紡ぎだす作品世界
たまたま訪れた画廊で、印象に残る作家に出会いました。一人は第81回新制作展で受賞された奥田善章氏、そして、もう一人はこのたび新会員に推挙された近藤オリガ氏です。画廊に入ってすぐ印象づけられたのが、このお二人の作品でした。画風は大幅に異なるのですが、このお二人は光とその陰影にとてもセンシティブだという点で共通していました。
奥田氏は、ボールペンによる線の組み合わせで、ユーモラスな印象をどこかに残しながら、しっかりとヒューマニティ溢れる作品を手掛けておられました。
一方、オリガ氏は、油絵ならではの強さと深淵さを込めた画面構成が際立っていました。少年にしても、レモン、木の葉、貝殻にしても、モチーフはなんであれ、ヒトの心に深く訴えかけてくる画風が印象的でした。
お二人の作品を見ていて、改めて、光とその陰影が織りなす光景の素晴らしさを発見させられた思いがします。今後のご活躍に期待したいと思います。(2018/2/28 香取淳子)