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ゴダールを偲ぶ ⑤:『気狂いピエロ』の俳優と監督、それぞれの晩年と死

■『気狂いピエロ』を振り返る

 そもそも私が、『気狂いピエロ』について書こうと思ったのは、ゴダールの死がきっかけでした。ゴダールが亡くなったという報道を見て、若いころ、惹きつけられた『気狂いピエロ』を思い出し、再考してみようと思ったのでした。

 若いころの記憶に沿って、ようやくラストシーンまでたどり着いたのが、前回でした。『気狂いピエロ』を振り返ることいよって、当時、何を考えていたのか、何をしたかったのか、何に気持ちが囚われていたのかが思い起こされ、懐かしい気持ちでいっぱいになりました。

 『気狂いピエロ』はまさに私の青春とセットになった映画だったのです。

 あれから遥かな年月を重ねた今、あの映画から、何を読み取ったかといえば、「晩年」あるいは、「死」でした。

 ゴダールは冒頭のシーンで、ベラスケスの晩年の絵画について、エリー・フォールの見解を引用し、ナレーションで、次のように流していました。

 「ベラスケスは50歳をすぎ、事物を明確に描こうとせず、その周りを黄昏と共にさまよった」

 実際に、エリー・フォールは本の中で、次のように書いていました。

 「ベラスケスは晩年に近づくほど、こうした黄昏時の諧調をいっそう探し求め、おのが心の誇りと慎み深さを表現する神秘に絵画に移行させようとした。彼は昼間を放棄し、室内の半暗がりに心を奪われていた。そこでは、移ろいがいっそう微妙かつ親密なものとなり、ガラスのなかの反映、外から射し込む光線、青い果実のごとき綿毛に覆われた若い娘の顔によって神秘性が増幅され、娘の顔は、散らばった薄明かりをことごとくそのぼんやりとした不透明な光のなかに吸収するように見える」(※ エリー・フォール、谷川渥・水野千依訳『美術史 4 近代美術』、p.147.  2007年)

 ベラスケスは晩年になって、色彩の捉え方、光の扱い方、対象の描き方に変化が生まれたというのです。

 そのことがよほど印象深かったのでしょう。ゴダールは冒頭シーンで、晩年になってからのベラスケスの変貌に言及していました。

 その一方で、ラストシーンでは、主人公が爆死した後、海と空が調和し、溶け合った映像を使い、「見つかった!永遠が」というセリフをかぶせていました。ランボーの詩を引用し、まるで生と死が溶け合っているかのような映像に、「永遠」という言葉をかぶせたのです。

 今回、改めて『気狂いピエロ』を観て、私は、晩年のベラスケスを引用した冒頭シーンと、「見つかった!永遠」という言葉をかぶせたラストシーンに、若い頃には気づかなかった新たな意味を見出したような気がしました。

 冒頭シーンでは、晩年になって事物の境界を曖昧にしはじめたベラスケスに着目し、ラストシーンでは、海と空が溶け合った光景に永遠を見ています。両者に共通する認識は、事物には境界がなく、すべてが連続しているということでした。

 当時、ゴダールは、「映画というのは、事物そのものではなく、事物と事物の間にあるもの」だと考えていました。境界のない世界こそが、自然界の本来の姿であり、宇宙の真の姿なのだと認識しており、それこそが映画が表現すべきものと考えていたのです。

 わずか35歳ごろの見解です。

 ベラスケスが晩年になってようやくたどり着くことのできた境地に、ゴダールは35歳で達していたのです。絵画を愛で、哲学、文学を好み、常に、新しい表現方法を模索してきたゴダールだからこそ、得ることができた老成し、熟成した境地だといえるかもしれません。

 長い時を経て、再び観たこの映画の冒頭シーンとラストシーンから、私は、生は死によって突然、断ち切られるのではなく、生と死は連続しているというゴダールの見解を受け取りました。

 若い頃は意識しなかったのに、同じシーンから、新たに深淵な意味を意味だし、とても惹きつけられました。

 それだけに、ゴダール自身の晩年は果たして、どのようなものだったのか、気になります。

■ゴダールの晩年

 手掛かりとして、老いてからのゴダールの写真を探してみました。撮影日がわかるものが少なく、かろうじて見つけたのが、下の写真です。

(※ https://www.shutterstock.com/g/makarenkodenis/sets/76481より)

 これは、写真家のDenis Makarenko氏が、2001年のカンヌ映画祭で撮影した写真です。当時、彼は多くの参加者を撮り、2011年11月12日にアップした48枚のうちの1枚です。老いてはいますが、むしろ落ち着きを円熟味を感じさせられます。

 ゴダールは1930年生まれですから、撮影時点では71歳、まだ晩年とはいえません。

 さらに、探して見ました。

 すると、2013年11月にスイス・ローザンヌで撮影された写真が見つかりました。83歳の頃の写真です。

(※ 2013年11月、EPA通信)

 まだ晩年とはいえませんが、それでも、71歳の時より明らかに老けて見えます。頬はこけ、髪の毛は少なくなり、ほぼ真っ白になっていました。依然として目に光があり、強い知性は感じられますが、やはり、83歳なりの老いがそこかしこに見受けられます。

 さらに最近の写真はないかと探してみました。すると、撮影日は記されていませんが、明らかに老いて見える写真が見つかりました。

 葉巻を吹かしながら、ぼんやりしているゴダールの姿が捉えられています。若い頃から何度も、タバコを嗜む姿が撮影されてきましたが、その後も、禁煙することなく過ごしてきたのでしょう、いかにもゴダールらしい生活ぶりの一端がわかる写真です。

 残念ながら、こちらはいつ撮影されたものかはわかりません。ただ、明らかに髪の毛が少なくなっていますし、目がやや虚ろです。気力を失っているようにすら見えます。おそらく、晩年に近い頃の写真なのでしょう。

(※ https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/21558より)

 実は、この写真は、菊地成孔氏が、ゴダールの最新作、『イメージの本』について書いた文章に添えられていたものでした。ひょっとしたら、『イメージの本』が製作された頃の写真なのかもしれません。

 そこで、『イメージの本』の公式サイトを見てみると、なんとこの写真が掲載されていました。

 そこには、次のような説明がありました。

 「88歳を迎えてなお、世界の最先端でエネルギッシュに創作活動に取り組む監督の最新作『イメージの本』は、新たに撮影した映像に、様々な<絵画>、<映画>、<文章>、<音楽>を巧みにコラージュし、現代の暴力、戦争、不和などに満ちた世界に対する“怒り”をのせて、この世界が向かおうとする未来を指し示す 5 章からなる物語。本作で、ゴダール本人がナレーションも担当している。」(※ http://jlg.jp/より)

 先ほどの写真は、ゴダール88歳の時のものだったのです。しかも、この年、新しい映画『イメージの本』を製作、公開していました。まだ現役の監督として、映画を製作していた頃の写真だったのです。

 晩年の作品がどのようなものなのか、ちょっと覗いてみることにしましょう。

■映画『イメージの本』、シノプシスと予告編

 まず、映画の公式サイトから、シノプシスを見てみることにしましょう。

 「かつて私たちがどうやって思考を鍛えていたか、覚えている?」

 「たいてい、夢から出発していたものだ」

 「真っ暗闇の中で、これほど鮮やかな色彩が心に浮かぶなんてことが、どうして起こりうるのか、私たちは不思議に思っていた」

 「穏やかな、か細い声で、重大な事柄が語られる」

 「大切で、驚きを誘う、深く、正しい事柄が、嵐の夜に書き込まれた悪夢みたいだ」

 「西欧人の眼に」

 「失われた楽園たち」

 「戦争はここにある」 (※ http://jlg.jp/

 まるで詩のように綴られた数行の字句が、この作品のシノプシスでした。

 とてもシンプルですが、老いても衰えないゴダールの思索への思い、そして、老いてなお盛んになる人間への関心、社会への関心などが浮き彫りにされています。

 公式サイトには、2分16秒の予告映像が載せられていました。それでは、予告編を見てみることにしましょう。

こちら → https://youtu.be/vqYbehIzLw0

(※ コマーシャルはスキップするか、×で消してください)

 夢を抱き、思索を楽しみ、世界を新鮮な目で見つめることに、ゴダールは喜びを覚えてきました。いってみれば、知を求める人間ならではの楽園です。ところが、そうした楽園を人々はいつのまにか、失いつつあります。

 挙句の果ては、さまざまな形態の戦争を受け入れざるを得ない状況に追い詰められていくのではないかとゴダールは恐れたのでしょう。夢から出発したはずの心的衝動が、やがては、世界のダークサイトに到達せざるをえなくなることへの強い危機感が、この作品から感じられるのです。

 ゴダールがこの映画を製作した背後にあるのは、おそらく、創作活動を支える知の基盤が崩壊しつつあることへの不安なのでしょう。あるいは、人間味を失いつつある現代社会に対する危機感ともいえるでしょう。

 そういえば、『カイエ・デュ・シネマ』が、ゴダールの死を悼み、「ジャン=リュック・ゴダールが死んだ」という一文から始まる長い追悼文を公開していました。

 『カイエ・デュ・シネマ』は、ゴダールが若いころ、フランソワ・トリュフォーやエリック・ロメールらと共に、映画批評を書いていた、ヌーヴェルヴァーグを代表する映画批評誌です。

 その『カイエ・デュ・シネマ』が、ゴダールの作品は「古典になるだろう」と予想していました。さらに、ピカソやマティス、ジョイスら近代の偉人たちと同様に、ゴダールの芸術は「古いものへの膨大な知識に根差したものだった」と分析しています。(※ https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2209/14/news163.html

 ゴダールが、ピカソやマティス、ジョイスらのように、これまでの文学、哲学、美術、音楽、映画などを踏まえたうえで、画期的な世界を切り開いたことを称賛しているのです。

 実際、『イメージの本』は、さまざまなアーカイブ映像で構成され、84分の映画に仕上げられていました。小説、詩、映画、音楽、美術など芸術作品や、記録映像を断片的に引用し、ゴダールの内面世界が表現されていたのです。

 原爆映像があるかと思えば、デモや乱闘、銃撃シーンがあり、戦争や暴力への怒りが表現されていました。そうかと思えば、絵画、音楽、映画などの引用から、人を愛することの素晴らしさが伝えられていました。

 引用された作品の一例を挙げてみましょう。

■『大砂塵』(Johnny Guitar, 1954年, Nicholas Ray監督)

 映画から引用されたものに、『大砂塵』の一シーンがあります。

(※ 『イメージの本』予告映像より)

 男性の肩越しに撮影されたこのシーンでは、女性が目を見開き、男性を見つめる表情が印象的です。女性の顔だけがライトアップされ、その心情が強く観客の心に残るよう演出されています。

 映画『大砂塵』では、まだ鉄道も通っていない鉱山の町を舞台に、ストーリーが展開されます。上記のシーンに登場しつぁ女性は、男たちが集まる酒場の主人ヴィエンナです。堅固な意思をもつヴィエンナを演じたのが、ジョーン・クロフォード(Joan Crawford, 1904-1977)でした。

 ゴダールはよほど、この映画が気に入っていたのでしょう。『気狂いピエロ』でも、冒頭のシーンで触れていました。フェルディナンが妻に、『大砂塵』は見た方がいいと勧めていたことを思い出します。

 私も、『大砂塵』を観てみました。典型的な西部劇のストーリー展開だと思いましたが、その中に、女性同士の決闘という要素が取り入れられており、新鮮味がありました。それまでの西部劇とは一線を画した興趣があって、惹きつけられました。

 西部劇というフォーマットに、女性同士の決闘という新奇性を組み込みながら、愛に潜む暴力性がしっかりと浮き彫りにされていたのです。その組立てが興味深く、時を経てもなお風化することのない、素晴らしい映画だと思いました。

 言葉だけでは伝わりにくいでしょうから、この映画のサワリの部分をご紹介することにしましょう。

こちら → https://youtu.be/ZRsi9KpvDaU

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 女性同士の決闘シーンでは、思わず、ヴィエンナのもとに駆け寄ろうとしたキッドを、エマが撃ち殺し、それを見たヴィエンナが、エマを撃ち殺します。その結果、生き残ったのが、ヴィエンナとジョニー・ギター、愛し合う二人といった次第です。

 いかにも西部劇の世界でした。愛や志が銃によって支えられ、銃撃戦で生き残った者の意思が成就されるのです。一見、単純な西部劇のように見えて、実は、その単純さの中に、愛の背後にある暴力性が表現されていました。

 ペギー・リー(Peggy Lee, 1920-2002)が歌う哀愁のある主題歌が、この映画に興趣を添えていたことを付け加えておく必要があるでしょう。

 この映画がフランスで公開されると、カイエ・デュ・シネマの同人たちがこの映画を熱狂的に支持したそうです。後に映画監督としてデビューしたエリック・ロメールやジャン=リュック・ゴダールは、映画の中でたびたび『大砂塵』のシーンを引用したり、タイトルを口にしたりしています。(※ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A0%82%E5%A1%B5

 たしかに、『気狂いピエロ』でも、『イメージの本』でも、ゴダールは『大砂塵』を引用していました。彼にとっての映画製作を支える何かが、この作品にはあるのでしょう。

 『気狂いピエロ』では、フィルム・ノアール系の展開が印象に残りました。そして、『イメージの本』では、ランダムに引用されたさまざまな暴力シーンが印象に残ります。総合すると、ゴダールは、愛を暴力とセットで表現されるべきと認識していた可能性があります。

■遺作としての映画『イメージの本』?

 さて、映画『イメージの本』は、88歳のゴダールが、4年の歳月をかけて製作した渾身の作品でした。ゴダールはタイトルを、『イメージの本』(Le Livre d’image)とつけました。字義からいえば、映像に関する本、あるいは、映像のカタログと捉えることができるでしょう。

 それにしてもなぜ、映画のタイトルに、「本」という語を入れたのでしょうか。しかも、本のページをめくるカットが随所に挿入されています。

 ゴダールは、映像もまた、文字情報のように、ページを振って格納できるようなイメージで捉えていたからでしょうか。そうだとすると、ページをめくるカットが挿入されていた理由もわかります。

 ページを繰って本の世界に入っていくように、映像もまた文字情報と同様、保管された貯蔵庫に何時でも容易にアクセスできるという感覚でいたのでしょう。

 実際、ゴダールは『イメージの本』を、さまざまなアーカイブ映像でつなぎ、84分の映画に仕上げていました。そこに、映像も文字と同様に、断片化し、知識として整理して格納できるというゴダールの認識を見ることができます。

 1960年代に、さまざまな映像をコラージュして創り出したのが、ゴダール独特の世界でした。文章の構成のように、線的にストーリーを組立て、映像を構成するのではなく、大したシナリオもなく、半ば即興的に撮影した映像をランダムに構成するのです。

 ゴダールは、ヌーヴェルヴァーグを生んだ監督として一世を風靡しましたが、映画『イメージの本』を見ると、老いてもなお、その認識世界は変わらないことがわかります。

 さて、『イメージの本』は、監督、脚本、編集はもちろん、ナレーションもまた、ゴダールが務めました。80歳後半を過ぎてからの旺盛な創作欲に驚かざるをえません。

 この作品は、2018年に開催された第71回カンヌ映画祭のコンペティション部門に出品されました。審査員たちは、映画祭史上初の「スペシャル・パルムドール」をゴダールに授与しました。パルム・ドールを超越する賞として、新たに設定された賞でした。

 最初に上映されたのは、2018年11月、スイスのテアトルヴィディローザンヌでした。ゴダールゆかりの地の映画館です。亡くなったのが、2022年9月13日ですから、この作品が製作され、公開されてから、3年数か月を経て、ゴダールはこの世を去ったことになります。この作品はゴダールの遺作になりました。

 興味深いことに、アンナ・カリーナは、2018年に開催された第71回カンヌ映画祭に出席していました。ゴダールの新作を観るためだったのかもしれません。

 ゴダールが自ら死を選んだ2022年9月には、『気狂いピエロ』に登場した俳優たちは皆、亡くなっていました。

 破天荒な役を演じて、観客を惹きつけたジャン・ポール・ベルモンドとアンナ・カリーナは、果たして、どのような晩年を過ごし、どのようにして亡くなったのでしょうか。

 まず、ジャン・ポール・ベルモンドからみていきましょう。

■ジャン・ポール・ベルモンド

 調べてみると、ジャン・ポール・ベルモンドは、2021年9月6日に、88歳で逝去していました。ベルモンドの死因は公表されていませんが、晩年は脳梗塞を発症し、身体が不自由だったそうです。

 そこで、晩年の写真を探して見ました。

 2019年10月18日、ブリュッセルで開催されたゴールデン グローブ・ ボクシング授賞式にゲスト出演した際、撮影された写真を見つけることができました。

(※ https://hollywoodlife.com/feature/who-is-jean-paul-belmondo-french-actor-dead-4509823/

 ベルモンドは1933年生まれですから、86歳の時の写真です。亡くなる2年前の写真ですから、ほぼ晩年のものといっていいでしょう。顔も頭髪も身体も、明らかに老いています。

 ところが、左手の指にはすべて、大きなリングをはめており、いかにも往年のスターであることを感じさせられます。ただ、腹部を見ると、上着のボタンが嵌らないほど、太っており、健康状態には問題があったのではないかと思わせられます。

 さらに、写真を探してみると、その3年前、2016年9月7日に撮影された写真が見つかりました。こちらは83歳の時の写真です。

(※ Andreas Rentz/Getty Images Europe)

 2016年9月8日にベルモンドは、第 73 回ベネチア映画祭で、栄誉金獅子賞を受賞しましたが、その時の写真です。ベルモンドの隣にいる女性はソフィー・マルソーです。フランス人の女優、監督、脚本家ですが、この時、足の悪いベルモンドを気遣い、支えていました。

 杖をつき、ソフィー・マルソーに支えられて歩くベルモンドを見ると、すでに、この頃から体調がすぐれなかったことがわかります。

 晩年に近い2枚の写真からは、ベルモンドが、83歳でベネチア映画祭で金獅子賞を受賞し、86歳でゴールデン グローブ・ ボクシング授賞式にゲストとして迎えられていることがわかりました。

 最晩年の2年間はどうだったのかわかりませんが、少なくとも、老いてなお俳優として評価され、好きだったボクシングで晴れの舞台を踏ませてもらっていました。

 上記二つの写真に見られるように、人々に囲まれて笑みを浮かべた表情はまるで好々爺のように見えます。健康こそ優れなかったかもしれませんが、ベルモンドはそれなりに充実した人生を送ったのではないかと思います。

 それでは、アンナ・カリーナはどうだったのでしょうか。

■アンナ・カリーナ

 調べてみると、アンナ・カリーナは、2019年12月14日に79歳で亡くなっています。死因は癌でした。

 やはり、晩年の写真を探してみると、2018年5月6日、第71回カンヌ映画祭の際、撮影された写真が見つかりました。

(※ https://natalie.mu/eiga/news/359604

 カリーナは1940年生まれですから、この時、78歳、晩年に近い頃の写真です。

 まず、目の周りの濃い化粧が印象的です。そして、目元や口元、首筋に隠そうとしても隠し切れない老いが見られます。とはいえ、決して、崩れているとはいえません。老いてもなお、それなりに姿形が保たれているといっていいでしょう。日頃、規則正しい生活をしていたように思えます。

 第71回のカンヌ映画祭に参加していたということは、おそらく、ゴダールの新作映画『イメージの本』が、「スペシャル・パルムドール」を受賞したことを祝うためだったのでしょう。

 カリーナにとって、ゴダールは忘れがたい人物だったはずです。78歳になってカンヌに駆け付けるほど、エールを送りたい気持ちが強かったのだと思います。

 1960年代、カリーナは、ゴダールに愛され、愛し、至福の時を過ごしました。ゴダールの初期作品のほとんどに出演していたカリーナは、ゴダールの名声が高まるにつれ、一躍、ヌーヴェルヴァーグのスターになっていきました。監督として主演女優として、二人はこの頃、映画史に残る業績を残したのです。

 その頃の写真が見つかりました。

(※ Agnès Varda撮影)

 ベルギー出身のフランスの映画監督アニエス・ヴァルダ(Agnès Varda)氏が撮影した写真です。彼女もまた、ヌーヴェルヴァーグの映画監督でした。

 さらに、こんな写真もありました。

(※ https://www.theguardian.com/film/2011/jul/12/jean-luc-godard-film-socialisme

 2011年7月12日付、ガーディアン紙に掲載された記事の写真です。

 60年代に撮影されたこれら二枚の写真を見ると、当時、ゴダールとカリーナがどれほど深く、愛し合っていたかがわかります。まさに愛を育みながら、同時に、映画製作に新たな息吹を吹き込んでいたのです。

 ゴダールが手掛けた初期作品のほとんどに、アンナ・カリーナが主役として起用されていました。1960年代の半ごろまで、二人は愛し合いながら、新しい感覚の映画を製作し続けていました。

 その頃のアンナ・カリーナを知るには恰好の映像が見つかりました。ゴダールの初期作品5編を簡単に紹介した動画です。

こちら → https://youtu.be/OnL8uGjk-_U

 この動画は、タイトルが、「追悼特集ジャン=リュック・ゴダール 5選」となっており、ゴダールの死を悼み、初期作品の概略が紹介されています。

 紹介されているのは、『女と男のいる舗道』(1962年)、『軽蔑』(1963年)、『はなればなれに』(1964年)、『アルファヴィル』(1965年)、『中国女』(1967年)です。

 『軽蔑』はセックス・シンボルとして有名だったブリジット・バルドーが起用されていますが、それすらも、内容は、当時のゴダールとカリーナの関係を反映されたものだったといわれています。

 また、『中国女』は、後にゴダールの妻になるアンヌ・ビアゼムスキー(Anne Wiazemsky)が主演を務めており、カリーナは出演していません。ゴダールとは1965年に離婚していました。

 上記の映像では取り上げられた5作品のうち3作品に、アンナ・カリーナが起用されています。ゴダールが創り出そうとしていた世界を、カリーナなら表現することができたからでした。

 コケティッシュな魅力があって、謎めいているかと思えば、少女のようでいて、既成の枠にとらわれない奔放さがありました。若い頃のカリーナには、大きく変貌する社会に沿って、しなやかに表現できる可塑性が感じられました。

 この動画で紹介されたゴダール初期作品のうち3作品は、いずれも、カリーナの一種独特の魅力を知るには恰好のものだといえるでしょう。

■ベルモンドとカリーナの死

 思い返せば、ジャン・ポール・ベルモンドにしても、アンナ・カリーナにしても、『気狂いピエロ』の中では、壮絶な死を遂げていました。まさに劇的な死です。とくに、ベルモンドが演じたフェルディナンの爆死シーンは壮絶でした。

 生と死の間に境目がなく、連続していることを表現するには、そのような劇的な死を設定が必要だったのでしょう。物理的に身体が破壊されたことを示さなければ、身体と精神の分離ができません。劇的な爆死シーンのおかげで、ラストシーンの風景にかぶるナレーションが強く、心に沁みました。

「見つかった!何が?」「永遠」

 身体は明らかに死に絶えたとしても、心にはまだ「永遠」を見つける余裕があるのです。生と死の連続性は、精神においてこそ可能だということが示されていました。

 このように、『気狂いピエロ』の中では、難解で深淵な哲学ともいえるものを表現してきた二人ですが、現実には、高齢になると誰もが罹りやすい病苦に悩まされ、亡くなっていたのです。

 老いを重ねて病に冒されても、自ら死を選ぶこともなく、ありのままの死を迎え入れていたのです。両者とも、晩年の写真を見ると、その顔にはスターであった頃の面影はほとんど感じられず、刻み込まれた老いの中に、一般的な高齢者の姿しか見受けられませんでした。

 一方、ゴダールは彼らとは違って、自ら死を選び、この世を去っていきました。

■自殺幇助について語るゴダール

 ゴダールがいつ頃から、具体的に安楽死を考えるようになったのかはわかりませんが、以前から、興味関心を抱いていたようです。

 たとえば、2014年5月、スイスの公共放送ラジオ・テレビジョン・スイス(RTS)とのインタビューで、ゴダールは自殺ほう助について、次のように語っていました。

 インタビュアーが、「あなたが死ぬとき」と前置きをし、自殺ほう助について聞くと、ゴダールは、「よく主治医や弁護士にこう尋ねる。ペントバルビタール・ナトリウムやモルヒネを頼んだら、くれるのかって。でもまだ好意的な返事はないね」と答えたといいます。(※ https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2209/14/news163.html

 ペントバルビタール・ナトリウムとは、鎮静催眠薬で、過剰摂取すれば、致死性が高い薬とされています。日本では睡眠薬としては用いられておらず、注文に際しては、「向精神薬試験研究施設設置者登録証」という資格が必要なのだそうです。

 いずれにせよ、このインタビューからは、ゴダールが安楽死について常日頃から考え、自殺ほう助も視野に入れて、自身の死に方について思いを巡らせていたことが示されています。

 ゴダールはスイスで、エグジット(Exit:スイスの自殺ほう助団体)から「自殺ほう助」サービスを受けました。

 エグジットは、スイスで国内最古で最多の登録者数の自殺ほう助団体です。スイス国内の永住者、国内外に住むスイス国籍者にサービスを提供しており、サービスを受けるには、会員になる必要がありますが、その登録者数は過去最高を記録したといいます。

(※ 宇田薫、「スイスの自殺ほう助団体の会員数が過去最高に増えている理由」、swissinfo.ch. 2023年3月23日)

 私は知らなかったのですが、安楽死には二種類あるそうです。

 医師が処方した致死量の薬物を患者自身が体内に取り込んで死亡するのが、自殺ほう助です。こちらは、医師はその場におらず、自分で致死薬を飲み、死に至ることとなっています。

 一方、医師など第三者が直接、患者に致死薬を投与するのが、積極的安楽死です。例えば四肢の麻痺などで、自ら点滴のバルブを開けることができない人でも、この方法なら、命を絶つことができます(※ 宇田薫「安楽死が認められている国はどこ?」swissinfo.ch. 2023年1月31日)。

 ゴダールは「自殺幇助」とされる安楽死の方法を選択しました。

 現時点では、スイス、ドイツ、オーストリア、イタリア、アメリカの一部の州で容認されている方法です。

 この方法では、医師が薬品を注入するといったことは認められておらず、処方された致死量の薬を付添人が運び、自分で服用するという方法で死を迎えなければなりません。国内だけでなく国外からの希望者を受け入れる団体もあり、一定の条件下で認められていますが、“利己的な動機で”自殺ほう助した者には5年以下の懲役または罰金が科せられるという制限も課せられています。(※ https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2209/14/news163.html

 利用者には、この制度が悪用されないための制約が課せられているのです。

■ゴダール自身が決めた人生のラストシーン

 ゴダールは2022年9月13日、スイス西部のボー州ロールにある自宅で、安楽死を決行しました。パートナーや友人や看護婦らの前で、自分で致死薬を飲み、「みんな、ありがとう」という言葉を残して、この世を去りました(※ 宮下洋一、「ゴダール『安楽死』の瞬間」、『文芸春秋』2022年12月号、p.354.)。

 ゴダール自身が計画した、人生のラストシーンでした。最期を見届けたうちの一人は、次のように述べています。

 「ゴダールさんは、亡くなる数か月前から、重い疲労を訴えるようになりました。食べたり飲んだりすることがうまくできなかった。特に、一年くらい前から歩くことが困難になったのです。起きることも難しくなり、杖なしでは歩けませんでした」(※ 宮下洋一、前掲。p.359.)

 実は、ゴダールは数年前に、エグジットに会員登録していたことがあります。ところが、一旦、解約し、再び、会員登録をしたのが、2022年9月の初めだったといいます(※ 宮下洋一、前掲。p.361.)

 安楽死を決意していたとしても、いざとなれば、心に迷いが生じたのでしょう。ゴダールはすんなりと「自殺ほう助」に至ったわけではなく、一度は会員登録を解除していたのです。

 いよいよ身体の自由が効かなくなってきたのが、死の数か月前です。その頃には、疲労を訴え、食べたり飲んだりすることがうまくできなくなっていたといいます。

 耐え難い激痛に悩まされていたわけではなく、苦しかったわけでもなく、歩きにくくなり、食べにくく、飲みにくくなっていたので、死を決行したようです。このままでは、やがて尊厳を保った生活は難しくなると思ったのかもしれません。

 再び、ゴダールの最期に立ち会った人の言葉を聞いて見ましょう。彼は、次のように言葉を継ぎます。

 「ゴダールは、昔から独立心が強く、自分の思いを突き通して生きてきました。だから、高齢になって、思い通り身体を動かせず、制限された生活になってしまったことを恨んでいました。孤独だったから逝きたかったのかというと、違うと思います。もともと孤独な生き方でしたから。頭ははっきりしていても、身体が動きませんでした」(※ 宮下洋一、前掲。p.360.)

 ゴダールは、ベルモンドのように脳梗塞の後遺症に悩んでいたわけではなく、カリーナのように癌だったわけでもありませんでした。どうやら、病状が悪化して死期が迫っているという状態でもなかったようです。

 病気とはいえませんでしたが、ゴダールは 身体の自由は利かなくなりつつありました。杖がなければ歩くことができず、自分で立ち上がることもできなくなっていたようです。身体機能が日々、衰えていくのを実感しながら、死ぬのは今しかないと思ったのでしょう。身体を自由に扱えなくなると、自殺ほう助すら認めてもらえなくなるのです。

 さまざまなケースを見てきた宮下氏は、安楽死を選ぶ人には国籍問わずに共通点があるといいます。その特徴として、「白人、裕福、心配性、高学歴」と、「自我が強い」を挙げています。

 そのような人々は、これまで自分で人生をコントロールしてきました。だから、周りに助けられることを好まない。不幸にも病気によって、多くのことを自分でできなくなっていくと、人生を自分でコントロールできなくなってしまう。だから、安楽死を選ぶというのです。(※ https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56712

 おそらく、ゴダールはそのような人々に分類されるのでしょう。数として決して多くはないでしょうが、今後、高齢人口の増加とともに老化が原因で安楽死を望む人は確実に増えてくるはずです。

■未来を先取りしたゴダール

 ゴダールがサービスを受けたのは、フランス語圏にある自殺ほう助団体エグジット(Exit A.D.M.D.)スイス・ロマンドでした。

 ここでは、昨年、3401人が新たに会員登録しています。その結果、2022年末時点の会員数は3万3411人となりました。同団体の自殺ほう助で死亡した人は502人だったそうです。

 2023年4月に発行されたエグジットの『会報第 78 号 』から、グラフを二つ、ご紹介しましょう。

(※ https://www.exit-romandie.ch/files/1682340681-exit-bulletin-78-web-4250.pdf

 上のグラフは2000年から2022年までの自殺ほう助の推移が示されています。これを見ると、年々、自殺ほう助で亡くなる人が増えていることがわかります。ゴダールは2022年度に亡くなった人々のうちの一人です。

 下のグラフは2018年から2022年までの新規登録者数の推移が示されています。これを見ると、2019年が突出して高いですが、2022年度も増えており、累計会員数は3万3411人にも及んでいます。

 年を追うごとに、安楽死願望者が増えていることがわかります。

 たとえば、RTE(Regional Examination Commissions Euthanasis:地域審査委員会)のデータを見ても、安楽死を希望する人は年々、増えています。安楽死をした人の病態で最も多いのは癌で、過半数を占めます。次いで、神経系疾患、心臓・血管系疾患、肺疾患、老化、認知症、精神疾患となっています。(※ https://job.minnanokaigo.com/news/kaigogaku/no1192/

 現在のところ、老化が原因で安楽死を望む人は、まだそれほど多くないようですが、今後、世界的に高齢人口が増加していくに伴い、老化が原因で安楽死を望む人も増えていくはずです。

 いくつかご紹介したように、すでに、各種データではそのような傾向が出ています。

 しかも、高齢人口の多い日本で、独居世帯が増えているのです。家族で助け合うこともできず、自力で生きていけない人が増えれば、当然のことながら、安楽死願望者も増えていくでしょう。

 実際、安楽死や自殺ほう助を認める国が増えています。

 鋭敏な時代感覚を持っていたゴダールは、未来を先取りして「自殺ほう助」サービスを受けていた可能性も考えられます。いつの世も、時代精神を一足早く結晶化し、作品化してきたのが、ゴダールです。

 まだ人々がパソコンすら手にしていなかった1965年に、ゴダールは、 『アルファヴィル』という人工知能が管理する未来都市を描いた映画を製作していました。人口動態と技術動向とを考え合わせれば、今後の社会がどうなるか、そのエッセンスを読み取るのはそう難しいことではないでしょう。

 こうして見てくると、安楽死こそが、超高齢社会にとっての重要課題になることを、ゴダールは予見していたような気がしてなりません。

 自身の創作活動の集大成として、ゴダールは、映画『イメージの本』を製作しました。その後、3年余の逡巡の期間を経た2022年9月13日、正装をし、メガネを外してベッドの上に座り、ペントバルビタール・ナトリウムを飲み干しました。

 彼を見守る身近な人々に、「ありがとう」という時間はありました。ゴダールは晩節を汚すことなく、自分で自分の人生をコントロールし、91年の生涯を終えたのです。

(2023/4/30 香取淳子)

ゴダールを偲ぶ ④:『気狂いピエロ』、芸術、そして、死

 前回は、フェルディナンが原始的な生活をし、内省的に過ごすことができた時期をご紹介しました。彼にとっては、自分を見つめることができ、何をすべきかがわかった貴重な時期でした。

 その平和な時期が終わり、今度は一転して、フェルディナンとマリアンヌは劇画的な世界に突入していきます。そこで、今回は、ノワール系アクション・ストーリーに沿った展開をご紹介していくことにしましょう。

■ノワール系アクション・ストーリーの展開

 フェルディナンとマリアンヌの原始的な生活は、いつまでも続きませんでした。マリアンヌが、耐え切れなくなってしまったのです。彼女を深く愛しているフェルディナンは、その意向に従わざるをえず、島を出ることを決意します。二人の乗った船が、まもなく着岸しようとしていた時、マリアンヌは岸辺に見知った人物を見つけ、動揺します。

 こうして島から出た途端に、マリアンヌ主導でストーリーは動いていきます。フェルディナンはその巻き添えを食う恰好で、ノワール系アクション・ストーリー風に展開していきます。

●不可解なマリアンヌ

 岸辺にいたアジア系の小人は、やはり、マリアンヌの知り合いでした。赤いオープンカーのボンネットの上に乗って、トランシーバーで誰かと連絡を取り合っています。マリアンヌが近づくと、待っていたかのように、「やっぱり、会えた」といって迎え入れます。

(※『気狂いピエロ』、2017年、KADOKAWAより)

 この男はどうやら、マリアンヌとはなんらかの利害関係がありそうです。

 マリアンヌは、フェルディナンを振り返って、「すぐ戻るわ、適当な話をして追い払うから」と声をかけ、「兄の居所も男が知ってるわ」といい添えてから、小人と共にどこかに出かけてしまいます。

 フェルディナンはさっそく、日記を広げます。

 「エロチシズム、別れ、裏切り、殺人・・・」と、なんの脈絡もなく、言葉を並べていきます。おそらく、この時の彼の心情を綴ったものでしょうが、これらの言葉はまさにノワール系ストーリーのキーワードであり、その後の展開を見通すような内容でした。

 さて、「侯爵夫人の店」で待機していたフェルディナンは、電話連絡を受け、急いで指定のビルに向かいます。その姿を、ビルの上階から無表情に見下ろしているのが、マリアンヌです。彼女が人の気配を感じて振り向くと、真後ろに小人が銃を構えて立っていました。

(※ 前掲)

 先ほど、マリアンヌと一緒に出かけた小人です。

 次に、マリアンヌの手がクローズアップされ、ハサミを観客に向けて、暗号のように動かすシーンになります。前回、ご紹介したシーンです。背後の壁にはピカソの絵が掛けられています。まさに、脱文脈化された背景の下、脱コンティニュイティ化されたつなぎになっています。

 やがて、部屋に入って来たフェルディナンが、ハサミを首に突き刺された小人が、血を流して倒れているのを発見します。

 ここで観客は、フェルディナンが初めてマリアンヌのアパートに泊まった時、隣の部屋で死んでいた男もこのように、首にハサミを突きさされ、血を流して死んでいたことを思い出します。

 マリアンヌが、ハサミでこの小人を殺したのは、明らかでした。

 小人がすでに死んでいることを確認し、フェルディナンは、部屋中をくまなく探し回りますが、マリアンヌはどこにもおらず、タイプライターの上に、赤い服が脱ぎ捨てられているだけでした。

 フェルディナンは、マリアンヌに裏切られたのです。

 疑惑から確信に至ったと思うと、まもなく、フェルディナンは二人組の男に捕まってしまいます。

●巻き込まれるフェルディナン

 ドアから、ベランダの窓から、二人の男が部屋に入って来て、逃げ場を塞ぎ、マリアンヌを探しているフェルディナンを捕まえます。

 バスタブに浸けて、殺さないように痛めつけながら、彼らは執拗に、マリアンヌの居場所と金の在り処を聞き出そうとします。

 「首は絞めるな、顔に女の服をかぶせて、水をかけろ」

 フェルディナンは赤い服を顔にすっぽりかぶせられ、その上から水をかけられて、とても苦しそうです。

 「女が仲間を殺した時、一緒にいて、俺の5万ドルを奪って逃げた」、「どうせ、マリアンヌに載せられたんだろう」、「お前に恨みはない」、「女と金の在り処をいえばいい」

 そういいながら、男たちは銃をつきつけ、服の上から水をかけ続けます。

 苦しさに耐えきれず、「侯爵夫人の店だ」と、フェルディナンは答えてしまいます。

 それを聞くなり、男たちが出かけてしまったので、残されたフェルディナンは、日記を広げ、書き出します。

 「マリアンヌの裏切り・・・」「夕方の5時は恐ろしい」「血は見たくない」そして、再び、「夕方の5時は恐ろしい」

 二人組の男たちの脅し文句から、マリアンヌの正体が少しずつわかってきました。盗み、殺人、そして、裏切り・・・、フェルディナンとは別世界の女性でした。

 いつの間にか、線路沿いを歩いているシーンになります。フェルディナンはレールの上に腰を下ろし、「血は見たくない」と繰り返します。マリアンヌが手を下した直後の死体を、二度も見てしまったのです。気持ちが錯乱し、自分を失っていたのでしょう。

 マリアンヌに裏切られたフェルディナンは、発作的に死の誘惑に駆られていたようです。

 列車の音が聞こえてくると、フェルディナンは、恐怖を避けようとするかのように、膝の間に顔を埋めます。ところが、さらに列車が近づいてくるのがわかると、さっと立ち上がり、レールから離れ、スタスタと歩き出します。

 一旦は鉄道自殺を試みますが、実際に、列車が近づいてくると、フェルディナンは怖くなって逃げだしてしまったのです。フェルディナンの人物像が図らずも、浮き彫りにされたシーンです。

 そんなフェルディナンですが、日記だけは書き続けています。

 「街や港をさまよう・・・」、「彼は探す、マリアンヌ」、「見つからずに、日々が過ぎる」、「言葉は暗闇の中でも照らす、言葉が名付ける事物を」、「言葉は純粋性を保つ」

 そして、「マリアンヌ、海」、「魂、苦味、武器」と書き続けます。

 裏切られ、盗みや殺人の実行犯だとわかっても、フェルディナンのマリアンヌを愛する気持ちが萎えることはなかったのです。

●虚構と事実

 映画館の中でフェルディナンは、上着のポケットに入れたエリー・フォールの『美術史』を取り出し、読み出します。愛読書を取り出して平静を保ち、なんとかして自分を取り戻そうとしているかのようでした。

 このシーンにも既視感があります。

 『気狂いピエロ』の冒頭で、フェルディナンがバスタブに浸かって、この本を読んでいるシーンがありました。ベラスケスについて書かれた箇所を、理解できないでいる幼い娘に、読み聞かせていたのです。

 さて、館内では、ニュースのナレーションが響いています。

 「戦線の拡大と和平交渉の失敗にもかかわらず」、「ウィルソン首相は交渉継続を表明しました」

 そして、ベトナム戦争の映像が映し出されます。

 画面に被って、女性カメラマンの、「私たちが求めるのは、真実があるとして、真実探求のためー」、「いつ虚構の人物を見捨てたかということ」という音声が流れます。

 その画面を、フェルディナンが『美術史』を手にしたまま、深刻な表情を浮かべて眺めています。

(※ 前掲)

 「いつ虚構の人物を見捨てたか」…、このフレーズが気になったのでしょう。おそらく、当時のゴダールにとっても重要なものだったに違いありません。

 このシーンは、ニュース映像が女性カメラマンのナレーションで語られ、それを『美術史』を手にしたフェルディナンが見ているという複雑な構図でした。

 ただ、この複雑な構成の中に、ゴダールが当時、求めていたと思われる創作のエッセンスがさり気なく、端的に表現されていたように思います。

 ドキュメンタリー・ベースで展開されるゴダールの実験的な映画づくりには、当時、世界から関心が寄せられていました。彼はヌーヴェルヴァーグの旗手として、注目の的になっていたのです。

 若いころの私は、ゴダールのことを、硬軟取り混ぜた知の結晶のような存在だと思っていました。

 ゴダールは、意識の流れを試行するジョイスに刺激され、ヌーヴォー・ロマンに関心を抱いていました。さらには、ベラスケスに傾倒し、印象派やキュビズムの画家たちにも興味を抱いていました。

 実際、『気狂いピエロ』の画面には数多く、印象派やキュビズムの画家たちの作品が小道具として使われています。

 映画であれ、文学であれ、絵画であれ、芸術はそもそも、虚構と事実とをないまぜにして創り上げられるものなのでしょうが、とくにゴダールは、対象を捉える視点にこだわっていたような気がします。

 再び、画面に戻りましょう。

 相変わらず、マリアンヌを探し続けているのでしょうか。フェルディナンは港を歩き、船の傍にいます。すると、ふいに、「ピエロ!」と叫ぶ声がします。

 マリアンヌが笑いながら、近づいてきます。

 「昨日、浜辺の家に行って、ノートを取って来た、最後のページを見て」、「あなたのことを詩にしたの」

 「優しくて残酷」、「現実的で、現実的でなく」、「恐ろしくて滑稽」、「夜のようで、昼のよう」、「月並みで、突飛」、「素晴らしい」・・・。

 気を引くように語りかけるマリアンヌに、フェルディナンは、「二人とも殺人の容疑者だ」と冷たく言い放ちます。マリアンヌが「怖いの?」と聞くと、「この瞬間・・・、といった途端、過去になるが、つまり、この空の青さとか、僕らの関係が重要なのだ」といいます。

 相変わらず、二人の会話はかみ合っていません。リアリストのマリアンヌに対し、ロマンティストのフェルディナンの対比がはっきりしています。

 マリアンヌは、フェルディナンのつぶやきには応えず、「兄が待っているわ」は急がせます。フェルディナンは、「死体を見慣れているんだな」とつぶやきながも、マリアンヌの要求通り、歩き始めます。

(※ 前掲)

 再び、マリアンヌ主導で事態が動いていきます。そして、二人の会話はすれ違ったまま、続きます。

 フェルディナンが、「君の話は複雑だ、事件だらけ」というと、マリアンヌは、当然のことながら、「違うわ」と否定します。すると、フェルディナンはすかさず、「チャンドラー風に僕を殴った二人組」と水責めにされたと、恨みを口にします。

 マリアンヌへの拭い難い疑念が再び、フェルディナンの胸をよぎったのでしょう。「チャンドラー風」と形容されていますが、痛い目に遭わされた経験が、彼女への不信感を募らせていることがわかります。

 チャンドラー(Raymond Thornton Chandler, 1888-1959)は、犯罪小説、ハードボイルド系探偵小説で有名なアメリカの小説家であり、脚本家です。彼が書いた小説のほとんどが映画化されていますから、ゴダールは、拷問のシーンなどを参考にしていたのかもしれません。

●失意から爆死へ

 マリアンヌは、「兄が金を奪う」、「仲間にも秘密」、「追ってきたら、殺す」、「後は?言われたとおりに」と、次々とフェルディナンに告げます。兄と会った後の段取りを伝えているのですが、まるで命令しているかのようです。フェルディナンはもはや完全に隷属状態になっています。

 そして、マリアンヌが銃を構えるシーンになります。

(※ 前掲)

 「自由と自分を守るためなら、何人でも殺せる」、「キューバ、ベトナム、イスラエルを見て」というセリフを投げかけたかと思うと、マリアンヌは二人組を殺します。時局になぞらえ、目を逸らすことによって、殺人を正当化しているのです。

 明確な目的を持つリアリストのマリアンヌに対し、愛を語り、生の実在を考えるロマンティストのフェルディナンは、ただ従うしかありませんでした。

 マリアンヌからお金の入ったカバンを受け取ったフェルディナンは、車で逃走し、その後、ボーリング場でマリアンヌに会います。そのまま行動を共にしたかったのですが、フェルディナンは拒否され、30分後、港で落ち合う約束で、カバンを渡します。

 ところが、港に着いてみると、ボートはちょうど出たばかりでした。船上でマリアンヌが兄と抱き合っているのが見えます。

 またしても、裏切られたのです。

 フェルディナンは目についた漁船に飛び乗り、後を追い、島に着きます。

 「マリアンヌ!」と叫ぶと、どこからか、いきなり銃声が聞こえてきます。そして、兄とマリアンヌがカバンを抱え、上へ上へと岩山を駆け上っていくのが見えます。とっさにフェルディナンが撃つと、兄が転げ落ち、その後、マリアンヌもまた、頭から血を流して倒れ込みます。

 フェルディナンは、マリアンヌを殺す気は毛頭、ありませんでした。

 彼女を抱きかかえて小屋に運びながら、フェルディナンは、「仕方なかった」と声を詰まらせ、ベッドに寝かせます。すると、「お水を」と力なく、マリアンヌがいいます。まだ生きているのです。

 生きていることがわかると、「君のせいだ」とフェルディナンは責めます。すると、「ごめんね、ピエロ」とマリアンヌはふりしぼるように、かすかな声を出します。いつものように、「フェルディナンだ」と反応しながらも、「もう遅い」とつぶやきます。

 マリアンヌは左右にゆっくりと首を振ったかと思うと、ガクッと脱力し、こと切れました。

(※ 前掲)

 フェルディナンは、愛する女性を自分の手で撃ち殺してしまったのです。

 場面はすぐに切り替わり、日記を書くシーンになります。

 「ダイナマイト、機関銃、武器を供給、金曜日」という言葉が並びます。

 それから、フェルディナンは交換台に電話をかけ、パリにつながるのを待ちます。その間に、倉庫でダイナマイトを探します。ついでに、近くにあった青いペンキを見つけると、受話器を持ったまま、顔に塗り始めます。

 額に塗り、鼻に塗り、頬から顎にかけて塗っていくうちに、電話が鳴って、パリの自宅とつながりました。

 「奥様はいる?」、「子どもたちは元気?」と矢継ぎ早に、質問をしていきます。電話に出た家政婦は不審に思ったのでしょう、「どなたですか?」と尋ねたようです。すると、フェルディナンは慌てて、「いや、誰でもない」といって、電話を切ります。

 再び、日記に戻り、「芸術、死」と記します。

●芸術、死

 顔をペンキで青く塗ったフェルディナンが、赤と黄色のダイナマイトを両手に持ち、叫びながら、海をめがけて岩山を下っていきます。

 異様です。まさに”気狂いピエロ”でした。

 途中で腰を下ろしたフェルディナンは、まず、黄色いダイナマイトを巻き付けます。今度は、その上から赤いダイナマイトを巻き付け、紐でしばります。

(※ 前掲)

 ペンキで青く塗った顔の上に黄色のダイナマイト、その上から赤いダイナマイトを巻きつけているので、顔がすっぽりとカラフルなダイナマイトに包まれてしまいました。フェルディナンは、色の三原色で頭部全体を覆い、芸術的な死を準備しようとしていたのかもしれません。

 色の三原色は混ぜ合わせると、黒になります。

 巻き終わると、フェルディナンはマッチを擦って、引き縄に火をつけます。たちまち、縄に火がまわっていきますが、フェルディナンは、「僕はバカだ」といいながら、慌てて、火を消そうとします。

 レールに座っていたフェルディナンが、列車が近づく音がすると、その場を立ち去ったのと同様、直前になって、死を回避しようとしたのです。

 ところが、間に合わず、爆発してしまいました。最後の最後になって、取り乱した様子をみると、覚悟の死というわけでもなかったのかもしれません。

 次の画面は、遠景で捉えた爆発後の映像になります。

(※ 前掲)

 爆発の後、岩山の上から黒煙がもくもくと、空高く立ち上っていくのがわかります。顔に塗ったペンキの青、ダイナマイトの黄色と赤、それら「色の三原色」が交じり合って、黒煙となって、天に昇っているのです。

 まさに、フェルディナンが日記に書き記した「芸術、死」が実行されたのです。

 しばらく間をおいて、海の光景になりました。空と海との境目が淡く、まるで溶け合っているように見えます。

(※ 前掲)

「また、見つかった! 何が?」

「太陽と共に去った海が」

 このような字幕が画面に表示され、映画『気狂いピエロ』は終わります。

 初めてこの映画を観た時、とても心動かされたのが、このシーンでした。愛する人を、ちょっとした行き違いから殺してしまったフェルディナンが、やがて、ダイナマイトで自爆するのがクライマックスだとすれば、その後、訪れた静かなエンディングシーンです。

 この時のセリフがとても心地よく、脳裡に沁み込んでいったことを覚えています。

 ところが、今回、DVDを見て、字幕に表示されている言葉に違和感が残りました。記憶しているセリフとは異なっているような気がしたのです。

 改めて、ランボー詩集を見てみました。すると、次のような訳になっていました。

 「また、見つかった!」

 「何が? 永遠」

 「太陽に混じった」

 「海だ」

(※ アルチュール・ランボー、鈴木創士訳、『ランボー全詩集』、河出文庫、2010年、p.57.)

 この箇所は、ランボーの詩集『地獄の季節』の「錯乱 II – 言葉の錬金術 (Délires II – Alchimie du verbe)」の中の詩、「永遠」の一節です。

 ちなみに、この部分の原文は次のようになっています。

Elle est retrouvée.

Quoi ? – L’Eternité.

C’est la mer allée

Avec le soleil.

(※ https://www.poetica.fr/poeme-651/arthur-rimbaud-eternite/

 原文と照らし合わせてみると、映画の字幕は直訳過ぎるような気もします。とはいえ、「allée」と書かれており、「aller」が使われているので、映画の字幕のような訳でもいいのかもしれません。

 念のため、該当部分の詩の朗読を聞くと、やはり、「allée」になっていました。

こちら → https://youtu.be/AfQFcN_Nz18

(※ CMはスキップするか、×で削除してください)

 ただ、「太陽と共に去った海」という訳語では、具体的な情景をイメージすることができず、しっくりきません。

 そこで、辞書を引いて見ると、「aller avec qn/qc」で、「…と調和する」という意味になることがわかりました。だとすれば、「太陽と調和した海」ということになりますので、具体的にこの場の情景をイメージすることができます。

 改めて、見事なエンディングだと思います。

 ゴダールは、『気狂いピエロ』の中で、ランボーに限らず、詩人や画家、作家の作品、あるいは、映画から多数、引用していました。まさにコラージュによって、作品を複層化し、厚みを加え、妙味を添えていたのです。

■ゴダールが共感したベラスケスの晩年

 『カイエ』に映画評論を書いていた頃、ゴダールは、「映画はその古典性によってこそ、真に現代性をとらえることができる芸術になる」と主張していました(※ Colin MacCabe、堀潤之訳、『ゴダール伝』、p.88. みすず書房、2007年)。

 実際、『気狂いピエロ』は、エリー・フォールのベラスケス論の引用から始まっています。画面にコラージュされる本や絵画や音楽の多くは、誰もがよく知っている作品の一節でした。ゴダールは、過去から現在につながるさまざまな芸術作品の中から、その一端を取り込み、現代を表現しようとしていたのかもしれません。

 この本を書いたマッケイブは、『ゴダールの映画史』に匹敵するものを映画やテレビにおいて見出すことはできないが、『フィネガンズ。ウェイク』と比べることはできるとし、ジョイスはこの書の中で、「歴史と言語の全体を主題としており、その基本的な創作上の原則としてモンタージュを用いているーただし、一つ一つの単語の内部で作動するモンタージュである」と記しています(※ 前掲。p.314-315.)

 ジョイスについては、前回、ご紹介しましたが、ようやく自身の居場所を見つけた時、フェルディナンはどういうわけか、「ジョイス」の名を口にしていたのです。なぜ、そうだったのか、マッケイブの解説を読んでみると、わかるような気がします。

 ジョイスもゴダールも、モンタージュ、あるいは、コラージュという手法を使って、作品の中で、当代を表現しようとしていたのです。

 ランボーに引きずられ、創作の到達地点を見出したフェルディナンは、ジョイスに導かれ、その表現方法を見出していたといえるでしょう。

 一方、ゴダールは、リアリズムとモダニズムの間で模索していました。

 ゴダールは次のように述べています。

 「物語というのは、ひとが自分自身の外へぬけ出るのを助けるものなのだろうか、それとも、自分自身のなかにもどるのを助けるものなのだろうか?」

(※ Jean-Luc Godard、奥村昭夫訳『ゴダール映画史(全)』、p.316、筑摩書房、2012年)

  作者と作品との関係について、アイデンティティの観点から、ゴダールが思い悩んでいたことがわかります。

 『気狂いピエロ』を製作した頃、ゴダールは、「自分が気に入ったものや自分の心にふれたもの、自分の手に入ったものなどを映画にすれば、かならずよいものになると思って」いたといいます。

(※ Jean-Luc Godard、奥村昭夫訳『ゴダール映画史(全)』、筑摩書房、2012年、p.299)

 ちょうどその頃、ゴダールが読んでいたのが、エリー・フォールの『美術史』(※ “Histoire de l’Art”, Elie Faure, 谷川渥ら訳、『美術史 4 近代美術』、2007年)でした。

 その中で、ゴダールが心惹かれたのが、ベラスケス(Diego Rodríguez de Silva y Velázquez, 1599 – 1660)についての記述でした。その記述のどこに惹かれたのかについて、ゴダールは、次のように書いています。

 「ベラスケスはその生涯の終わりごろには、事物と事物の間にあるものだけを描いていたと記されていました。私は少しずつ、映画というのは、事物そのものではなく、事物と事物の間にあるもの、だれかとだれかの間にあるもの、観客と私の間にあるものだということに気づくようになりました」(※ 前掲、『ゴダール映画史(全)』、p.299.)

 そのエリー・フォールは、ベラスケスについて、次のように記しています。ちょっと長いですが、引用してみましょう。

 「ベラスケスは晩年に近づくほど、こうした黄昏時の諧調をいっそう探し求め、おのが心の誇りと慎み深さを表現する神秘に絵画に移行させようとした。彼は昼間を放棄し、室内の半暗がりに心を奪われていた。そこでは、移ろいがいっそう微妙かつ親密なものとなり、ガラスのなかの反映、外から射し込む光線、青い果実のごとき綿毛に覆われた若い娘の顔によって神秘性が増幅され、娘の顔は、散らばった薄明かりをことごとくそのぼんやりとした不透明な光のなかに吸収するように見える」(※ 前掲。『美術史 4 近代美術』、p.147.)

 こうしてみると、『気狂いピエロ』のラストシーンで、海と空が調和し、溶け合った映像が使われていた理由がわかるような気がします。

 当時、ゴダールは「映画というのは、事物そのものではなく、事物と事物の間にあるもの」だと考えていました。境界のない世界こそが、自然界の本来の姿であり、宇宙の真の姿なのだと認識していたのでしょう。

 今回、DVDで『気狂いピエロ』を見て、ラストシーンの素晴らしさを再認識しました。さらに、ゴダールが当時、映画製作もまた、分節化せず、分断化せず、事物と事物の間にあるものを重視していたことの得難さに気づきました。

 自爆シーンの後、この映画は、空との境目のない静かな海の風景で終わりました。まるで生と死にも境界はなく、すべてが滔々と続く、自然界の営みのようだと言っているように思えました。(2023/3/04 香取淳子)

ゴダールを偲ぶ ③:『気狂いピエロ』、ランボー、ジョイス、創作の到達地点

 前回からのシーンに引き続き、見ていくことにしましょう。

■マリアンヌとの逃避行

 パーティから抜け出したフェルディナンは、マリアンヌを送り届け、そのまま、アパートに泊まってしまいます。一夜を共にした翌朝、フェルディナンは隣室で、首にハサミを突き刺されて血を流した男が、ベッドに倒れているのを発見します。

 死体を見て驚く間もなく、フランクがアパートにやって来たので、仕方なく、彼を殴って倒し、二人は盗んだ車で逃亡します。

 フェルディナンはただ、現実から逃避したかっただけでした。ところが、わけもわからないまま、犯罪に巻き込まれてしまったのです。逃げるしか道はなく、そして、犯罪を重ねるしか、逃げ切ることはできませんでした。

 お金のない二人は、給油しても支払わずに逃げ、カフェに入ってはでっち上げの物語を語って小銭を稼ぎ、南へ南へと逃亡を続けます。

 警察の目を欺き、首尾よく逃げおおすには、自分たちの痕跡を消す必要がありました。

 郊外を走っている途中、二人はたまたま、大木にぶつかって自損事故で壊れた車を見つけました。近づいてみると、男女二人が死んでいました。かなり悲惨な事故です。

 二人にとっては、ちょうどおあつらえ向きの事故でした。

 フェルディナンとマリアンヌは事故状況を確認すると、その場に車を停め、ナンバープレートを外して燃やしてしまいます。事故で死んだように装い、自分たちの痕跡を消すためでした。

 黒煙が立ち昇る中、二人は歩いて逃亡を続けます。平原を歩き、川を渡り、やがて、森の中に入っていきます。マリアンヌはぬいぐるみを持ち、フェルディナンはピエ・ニクレのコミック本を持ち歩いています。

 二人とも言葉もなく疲れ切っている様子です。いつまでも歩き続けることはできないでしょう。そう思っていたら、次に、二人がガソリンスタンドで腰を下ろしているシーンになりました。

 疲れた二人はここで、目ぼしい獲物がやって来るのを待ち構えているのです。逃亡を続けるには車が必要でした。

 マリアンヌは道路に目を向け、獲物をチェックしているのに、フェルディナンはひたすら、コミック本を読み続けています。

(※『気狂いピエロ』、2017年、KADOKAWAより)

■ピエ・ニクレ(Les Pieds nickelés )

 フェルディナンが読んでいるコミック本のタイトルは、ピエ・ニクレ(Les Pieds nickelés )で、このフランス語を直訳すると、ニッケルメッキの足ということになります。調べてみると、この「ピエ・ニクレ」は、フランス19世紀末の俗語では、「勤労意欲が長続きしない連中」という意味になるそうです。

 「ピエ・ニクレ」は、ルイ・フルトン(Louis Forton、1879- 1934)が創作したコミックで、雑誌L’Épatantに連載されていました。鼻の尖ったクロキニョル、片目に眼帯を掛けたフィロシャール、あごひげのリブルダングの三人組を軸に展開されるピカレスクです。とても人気にあるコミックで、1934年にフルトンが亡くなると、別の漫画家が引き継ぎ、描き続けたそうです(※ https://note.com/lemmui/n/n4a5836edb54c)。

 ユーモアたっぷりのピカレスクは、時代を越え、世代を越えて、人々の気持ちのはけ口として求められ、楽しまれてきたのでしょう。

 掲載誌も同様でした。雑誌L’Épatantは1939年に廃刊になりましたが、その後も別の出版社に引き継がれ、このコミックは1908年から2015年まで続いたそうです。(※ https://fr.wikipedia.org/wiki/Les_Pieds_nickel%C3%A9s

 さて、ちょっと横道に逸れてしまいました。さっそく、先ほどのシーンに戻りましょう。

 歩き疲れた二人は、車を盗むため、ガソリンスタンドでチャンスを狙っていました。ところが、チャンスが訪れても、フェルディナンはこのコミックから目を外しません。マリアンヌは「ピエロ、フォードよ」といい、「早くして、一人でやるわよ」と犯行を促しますが、「読んでから」と受け流し、動こうとしないのです。

 そういえば、逃避行が始まって以来、フェルディナンはこのコミック本を持ち歩いていました。平穏な日常生活から突如、追われる立場になった彼には欠かせなかったのかもしれません。

 このピカレスク・コミックは、ちょっとした悪事を働くための指南書のようでした。ブルジョワの生活から一転して犯罪者になってしまったフェルディナンにとっては不可欠でした。それまでの自分とは別の自分に気持ちを切り替えるために手放せなかったのでしょう。

 再び、チャンスが訪れました。今度は、デラックスなオープンカーがガソリンスタントに乗り付けたのです。

 恰好の獲物を見つけた彼らは、そっと給油スタンドに近づきます。運転していた男が給油をスタッフに依頼し、助手席にいた女性を伴ってカフェに向かうと、その隙に、マリアンヌは車に乗り込みます。

 一方、フェルディナンは給油が終わるのを待って、車に乗り込みます。マリアンヌが持ち主の上着から抜き取ったお金でスタッフに支払い、そのまま乗り逃げします。

 画面には、「何世紀もが嵐のごとく、消え去った」と字幕が表示されます。

 嵐のような激動の日々が過ぎ、フェルディナンは次第に追い詰められていきます。絶望的な気持ちを表すかのようなセリフでした。

■死の匂い

 助手席でマリアンヌが新聞を読み、二人の犯罪が報道されているのを知ります。フェルディナンに、奥さんが警官に「狂ったとしか思えません」と答えていたことを告げると、「女は捨てられると、すぐ悪く言う」とフェルディナンはつぶやきます。

 そして、「なぜか、死の匂いを感じ始めてる」と言葉を継ぎます。

 「後悔してるんでしょ」とマリアンヌ。

 それには答えず、フェルディナンは「風景や木に死を感じる」といい、「女どもの顔や車にも」とつぶやき続けます。

(※ 前掲)

 現実から逃避しようとして、マリアンヌに関わったフェルディナンは、新聞報道で突如、現実に引き戻されます。妻の言葉を聞いて、自分が置かれた状況を知り、絶望的な気分に襲われたのかもしれません。目にした風景や木、女性や子ども、車などの外界に、自身の気持ちを投影し、救いようのない思いに囚われていました。

 ところが、マリアンヌは至って現実的に、自分たちの置かれた状況を認識しています。「一文無しで、どうするのよ」とフェルディナンを責め、「イタリアまでは無理」と不安感を顕わにします。マリアンヌとしては一刻も早く、フランス国外に出て、安心感を得たいのです。

 それに対し、「行けるところまで、行く」と、フェルディナンは素っ気なく答えます。

 「そこで何をするの?」とマリアンヌは尋ね、すぐに、「兄が見つかれば、お金をもらえるわ」、「そうすれば、ステキなホテルに泊まって、遊びましょ」と、彼女なりの解決策を口にします。

 ところが、運転席のフェルディナンはそれには答えません。マリアンヌの言葉を耳にしながらも、何か別の事を考えているようです。

 突如、後ろを振り返って、マリアンヌを嘲るように、「頭の中は遊びだけ」と言います。

(※ 前掲)

 訝しく思ったマリアンヌが、「誰に言ったの?」と尋ねると、「観客さ」とフェルディナンは思い入れたっぷりに答えます。

 マリアンヌは後ろを振り返って見ますが、もちろん、誰もいません。

 「頭も狂ったのね」とマリアンヌ。気持ちの通じないフェルディナンに愛想が尽き果てたようです。「私は二度と恋なんてしないわ」とつぶやきます。

 このシーンでは、二人の価値観、人生観の隔たりが明らかにされます。

■アンガージュマン(engagement)

 興味深いのは、ゴダールがこのシーンで、観客を映画の展開に巻き込もうとしていたことでした。これまでは、ただ画面を観るだけだった観客を、ここで一気に、物語の展開に巻き込もうとしていたのです。

 初めてこの映画を観た時、私はこのシーンをとても斬新だと思いました。というのも、ここにゴダールらしさを感じさせられたからでした。実存主義哲学の一端を見たような気がしたのです。

 当時、フランス思想界が識者の間で注目を集めていました。サルトル(Jean-Paul Sartre, 1905 – 1980)はその中心人物の一人でした。

 そのサルトルが提唱していたのが、「engagement」という概念です。「参加」と訳されますが、当時はもっぱら、政治的意味合いで使われていました。個人と社会とのかかわりが省察され、人間存在についての意義が論じられていました。

 当時、サルトルを聞きかじっていた私は、社会的状況への参加を「engagement」と捉えていました。ところが、このシーンを見て、映画と観客の間に、「engagement」を組み込もうとするゴダールの意図を感じさせられたのです。

 驚いたことに、ストーリーが進行する画面の中から、主人公が、画面の外側にいる観客に向かって、呼び掛けたのです。これは、一方的に流れる映画の展開に、いっとき、掉さすものであり、観客の意識を喚起するものでもありました。

 それが当時の私の目には、とても斬新に思えたのです。

 このシーンを見た時、私は、サルトルの「engagement」の概念を、この映画に持ち込もうとしているゴダールの試みに刺激されました。

 観客にストーリーへの参加を促すことこそ、まさに、映画における「engagement」といえるものでしょう。このシーンは、ゴダールが作品と観客との間に、積極的な関わり合いを持ち込んだ仕掛けのように私には思えました。

 そして、映画の存在意義を「engagement」の概念を介在させて見出そうとしているところに、当時のフランス思想界の影響を感じたのです。

 ゴダールの知的嗅覚がいかに鋭いか、いかに思想の流行に敏感か、いかに強く、既存の映画セオリーから離れようとしていたかを感じざるをえませんでした。

 さて、このシーンでは、享楽志向でリアリストのマリアンヌと、内省的でロマンティストのフェルディナンが対比されています。

 何もこのシーンに限りません。ストーリーが展開するにつれ、一事が万事、二人の感性や価値観、人生観の大きな隔たりが際立つようになっていきます。

 初めは、マリアンヌの外見や肉体に惹かれたフェルディナンでした。ところが、共に過ごす時間が長くと、徐々に、内面の隔たりの大きさが認識されていくようになったのです。

 お金もなく、破天荒な逃避行を続けていく過程で、二人の感性、価値観、人生観、世界観の違いがことさらに際立っていきました。

 決定的になったのが、海辺での原始的な生活でした。

■辿り着いた海

 郊外を通り過ぎると、二人が乗った車はどんどん人里を離れていきます。

 フェルディナンは、終に何かを悟ったかのように、「10分前は死を嗅いだが、今は逆」とつぶやきます。

 海が見えてきたのです。

 「見てごらん、海だ、波だ、空だ」と、晴れやかな顔つきを見せています。

(※ 前掲)

 マリアンヌは甘えるように、フェルディナンにもたれかかっていますが、その表情はなんともいえず暗く、複雑です。

 一方、フェルディナンは感極まったように、つぶやき続けます。

 「人生は悲しくとも美しい」、

 「突然、自由を感じ、思いのままにできる」

 フェルディナンはどうやら、居場所を見つけたようです。

 ところが、マリアンヌは、フェルディナンの心の底からのつぶやきを聞いても、ただ、「狂ってる」というだけです。

 フェルディナンは、「行きつくとこまで、一直線に走るだけ」というなり、突如、ハンドルを切って、海にジャンプします。

(※ 前掲)

 「地獄の季節」という字幕が画面に被ります。

■地獄の季節

 『地獄の季節』(” Une saison en enfer”)は、フランスの詩人ランボー(Arthur Rimbaud, 1854-1891)の詩集のタイトルです。ランボーがポール・ヴェルレーヌ(Paul Marie Verlaine, 1884-1896)とともにロンドン、ブリュッセルに滞在していた期間(1873年4月から8月)に執筆されました。9編の散文詩から構成されています(※ Wikipedia 地獄の季節)。

 それにしても、なぜ、このシーンに「地獄の季節」という字幕が挿入されたのでしょうか。

 先ほどご紹介した解説によると、『地獄の季節』は、「異端」あるいは「黒人」から構想された詩集でした。つまり、社会に受け入れられず、馴染めず、周縁に置き去りにされた人々の観点から着想された詩集だったのです。

 このことからは、ゴダールは、アウトサイダーとしてのフェルディナンに自身を重ね合わせ、その心情を表現しようとしていた可能性が考えられます。

 アウトサイダーは、周囲からアブノーマルと思われ、「狂っている」の一言で片づけられがちです。非現実的なことを言うと、決まって、そのようにレッテル貼りをされ、非難されるのですが、フェルディナンもまた、逃避行の中で、マリアンヌから何度も「狂っている」と揶揄されていました。

 「狂っている」というのが、どうやら、この映画のキーワードの一つだといえそうです。

 それでは、ランボーの詩集『地獄の季節』と「狂っている」とが果たして、どのように関連しているのでしょうか。

 試みに『ランボー全詩集』(Arthur Rimbaud、鈴木創士訳、河出文庫、2009年)から、「地獄の季節」を拾って読んでみました。

 「地獄の季節」の9編の中には、「狂気」に関連すると思われる詩が2編ありました。「錯乱 I – 狂気の処女、地獄の夫 (Délires I – Vierge folle. L’époux infernal)」と、「錯乱 Ⅱ -言葉の錬金術(Délires II – Alchimie du verbe)」です。

 このうち「錯乱 Ⅱ -言葉の錬金術」にフェルディナンの心情を表していると思われる散文詩がありました。

 「ずっと前から、俺はあり得べきすべての風景を手に入れることができると自信満々で、現代の絵画と詩の名声など取るに足りないものだと思っていた。(中略)まずは習作だった。俺は沈黙や夜々を書き、俺は言い表せないものを書き留めていた。俺は眩暈を定着させたのだった」(※ 『ランボー全詩集』、前掲、p.47-48.)

 念のため、ピックアップした箇所の原文を添えておきましょう。

 「Depuis longtemps je me vantais de posséder tous les paysages possibles, et trouvais dérisoires les célébrités de la peinture et de la poésie moderne.(中略)

 Ce fut d’abord une étude. J’écrivais des silences, des nuits, je notais l’inexprimable. Je fixais des vertiges.」

 ランボーは、可能性のある風景はすべて手に入れることが出来ると思い込んでおり、現代の絵画や詩で有名なものは大したことはないと思っていたようです。そして、なによりも重要なのは、まず習作することだといい、沈黙や夜など、言葉で表現しきれないものを書き留めることによって、その高揚感を固定させたというのです。

 このような解釈が合っているのかどうかわかりません。ただ、ランボーが現代の絵画や詩に見るべきものがないと思い、沈黙や夜など、言葉で表現しきれないものを書き留めていくことによって、眩暈にも似た高揚感を定着させることができたといっているところに、フェルディナンとの類似性を感じさせられました。

 そして、フェルディナンは、海を見つけるのです。

 「ついに、おお、幸福よ、おお、理性よ、俺は黒っぽい紺青を空から引っ剥がした、そして、生のままの光の黄金の火花となって、俺は生きた。喜びのあまり、俺はとんでもなくおどけて気違いじみた表現をとっていた」(※ 前掲、p.56.)

 海を見つけたフェルディナンは、喜び勇んで、車ごと波間に突っ込んでしまいます。まさにランボーの詩のように、「喜びのあまり、とんでもなくおどけて気違いじみた」行動をとってしまったのです。

 まさに、先ほどご紹介した、海に車ごとジャンプするシーンです。

■原始的な生活

 車ごと海にジャンプした後、二人は浜辺で夜を過ごします。

(※ 前掲)

 「月がよく見えるね」とフェルディナンがいうと、マリアンヌは「私には一人の男が見えるわ」と答えます。このシーンでも、ロマンティストのフェルディナンと、リアリストのマリアンヌの違いが浮き彫りにされています。

 二人の間に束の間、訪れた幸せのひと時でした。

 島で原始的な生活が始まると、やがて、マリアンヌは退屈し始めます。「私に何ができるの」、「私は何をすればいいの」と海辺を歩きながら、繰り返します。人のいない生活、自然だけを相手に暮らす生活に耐えられないのです。

 一方、フェルディナンは日記をつけはじめ、原始的な生活の中で得た着想をノートに記していきます。

 「もう何も聞こえない、私は上昇する」、「私は幸福を見た、目の前で」、

 「超自然的な激情で!」、「涙が流れ、しびれるほどに幸福で」、「鼓動は高鳴る」、といった具合に、フェルディナンは、次々と歓喜の心情をつぶやき、ノートに書きつけていきます。

(※ 前掲)

 所在なく浜辺を歩き続けるマリアンは、フェルディナンに近づくと、途端に、大きく声を張り上げます。

 「静かに! 執筆中だ」と、フェルディナンは声を荒げます。

■創作の到達地点

 海辺で原始的な生活をしながら、フェルディナンは本を読み、思いついたことをノートに書き綴っていきます。

 「小説の構想を得たぞ」、「もう、人の生活は書かず」、

 「人生そのものを、ただ、人生だけを書くつもりだ」とつぶやきます。

 それが、フェルディナンが見つけた創作の到達地点でした。

 そして、フェルディナンは観客に向かって、「人々の間には空間と」、「音と色彩がある」といいます。

(※ 前掲)

 いかにも年季の入った高齢者の口ぶりで、フェルディナンは語っています。

 ゴダールによれば、この時のフェルディナンの口ぶりは、俳優であり監督であったミシェル・シモン(Michel Simon, 1897-1975)の声色を真似たものだそうです(※ 前掲、『ゴダール全評論・全発言Ⅰ』、p.607-608.)。

 そういわれてみると、高齢のミシェル・シモンの声色だったからこそ、その人生と見識の重みが、この短いフレーズに込められていたのかもしれません。

 特徴のある声色がこのセリフに、人生そのものがもたらす情感を添えていたのです。

 このシーンでフェルディナンは、「人の人生」ではなく、「人生そのもの」を書くのだといい、さらに、「人々の間には空間と、音と色彩」があるという認識を示しています。

 つまり、人が生きてきた来歴を描くのではなく、人と人との間にあるもの、それも、音や色彩を含めた経験そのものを書くといっているのですが、このセリフを、老いたミシェル・シモンの声色で語らせることによって、ゴダールが抱いている世界観と、究極的で包括的な概念を表現することができていました。

 ゴダールは、言語では言い表せないようなものまでも言語で捉えようとしていました。人と人との間にある空間や音、色彩など、言語化できず曖昧模糊としたものを、言語で包括的に把握しようとしていたのです。そのために、このシーン前後のセリフは敢えて脱文脈化しようとしていたような気がします。

 その一方で、彼はノートに、「自然と向き合う人間」、「言語の描写力」と書きつけていました。創作は言葉によるものでなければならないという思いも強かったのでしょう。

 こうしてみてくると、日々、向き合っている自然、あるいは外界を言葉によって認識し、言葉によって描写し、表現していくというのが、フェルディナンの創作の到達地点であり、また、ゴダールにとっての創作の到達地点でもあったといえます。

 ゴダールは映画製作について、次のように語っています。

 「書くということがすでに、映画をつくるということだった。というのも、書くことと撮ることの間には、量的な違いはあっても、質的な違いがあるわけじゃないからだ。(中略)ぼくにとっては、自分を表現する方法のすべてが互いに密接に結びついているわけだ。すべてがひとかたまりをなしているわけだ。そして問題は、自分に適した側からそのかたまりととりくむすべを知るということなんだ」(※ Jean-Luc Godard、奥村昭夫訳、『ゴダール全評論・全発言Ⅰ』p.490.、筑摩書房、1998年)

 これは、初期の映画4本が製作された後、ゴダールがインタビューされた時に、答えたものです。

 ここでゴダールは、「書くことがすでに映画をつくること」といい、「自分を表現する方法すべて互いに密接に結びついている」といっています。このようなゴダールの考えを知ると、画面の中でフェルディナンが言おうとしていたことの意味がわかるような気がしました。

 それでは、引き続き、フェルディナンのつぶやきを聞いてみることにしましょう。

■キュビズムとの親和性

 創作の到達地点に達したと思ったからか、フェルディナンはさらにつぶやき続け、「そこへ到達するのだ」、「ジョイスが試みたがー」、「我々はもっとよくなるはずなんだ」と語ります。

 「ジョイスが試みたがー」というセリフを聞いて、ゴダールがこのシーンで何を言おうとしていたのかがわかるような気がしました。

 ジョイス(James Augustine Aloysius Joyce、1882-1941)といえば、アイルランド出身の詩人であり、小説家です。『ユリシーズ』(Ulysses, 1922)、『フィネガンズ・ウェイク』(Finnegans Wake, 1939)といった代表作があります。

 バージニア・ウルフなどとともに、ジョイスはモダニズムの作家として知られています。

 そのジョイスが「試みた」ことを、ゴダールは、「我々ならもっとよくなるはず」とフェルディナンに語らせているのです。つまり、言葉の紡ぎ手であるジョイスは文学の領域で実験的方法を試みたが、それは、映画製作者である「我々」なら、もっとうまくできるはずだというのです。

 ジョイスが試みた手法とは一体、どういうものなのでしょうか。

 木ノ内敏久氏は、ジョイスの作品はキュビズムと共通性があるとし、次のような共通点を挙げています。

 すなわち、①時空の概念の変容、②断片・素材の寄せ集めから統一的なイメージをつくるコラージュ、③過去の芸術様式の取入れ、です。

 これらの共通性に基づき、「外の空間は遠近法に基づいた単なる幾何学的媒体ではなくなり、自己認識や経験という内なる精神の働きとつながって、時間と空間の関係が新しく組み直される。現実世界が知的操作により再構成される過程が双方に認められるのである」と総括しています(※ 木ノ内敏久、「ジェイムズ・ジョイスと美学」『ソシオサイエンス』Vol.15. pp.77-92. 2009年3月)。

 つまり、外界は単なる客体ではなく、主体との精神的なつながりの下、知的操作が加えられ、再構成されるという認識でした。これが、モダニズムといわれる潮流の一側面です。

 モダニズムは20世紀前半に終焉を迎えたリアリズムの後に発生した芸術活動ですが、キュビズムの絵画であれ、ジョイスが試みた文学であれ、創作に際しては、認識の多様性あるいは意識の流れが重視されていました。

 『気狂いピエロ』が製作された60年代半ば、ゴダールはそのモダニズムを踏まえ、さらなる表現を模索していました。

■脱文脈の構造

 モダニズムを経たゴダールが、伝統的な語りの方法を採ることはありませんでした。映像と音声で線的な構造の下、物語を紡いでいくという手法は、もはや商業映画でしか見られなくなっていたのです。

 『気狂いピエロ』の後半で、ゴダールは、主人公フェルディナンが日記をつけるという設定にしていました。フェルディナンが内省的な思いを日記に記すとともに、つぶやくという語りの形式です。

 内省的なものであれ、抽象的なものであれ、彼の言葉には人を引き付ける力がありました。そのつぶやきによって、観客は彼の内面を読み、意識の流れを追い、シーンの断片から透けて見えるゴダールの世界観、人生観を把握することができたのです。

 ゴダールはまさに、語りの脱文脈化を図っていたといえるでしょう。

 脈絡のないストーリー展開、意表を突く人物の登場などにも、脱文脈化の意図が見受けられます。もちろん、背景にも、脱文脈化された小道具が使われていました。

 たとえば、後に、マリアンヌが小人をハサミで殺すことを暗示したシーンでは、背後の壁にキュビズムの画家・ピカソの絵が飾られていたのです。

(※ 前掲)

 観客は、小人とマリアンヌがどういう関係なのか、ストーリー展開のなかで小人がどういう役割を占めているのか、皆目、わからないまま、画面を見ています。否応なく画面に参加させられているわけですが、この脈絡のなさが作品に奇妙な厚みをもたらしていました。

 ゴダールはこのように、後半から一気に脱文脈化を進めています。多方向に断片化し、ディテールだけが印象に残る仕掛けの中で、線的構造の下では捉えられない現実を表現したいたのです。

 フェルディナンが発した数々の言葉には、ゴダールの思いが色濃く反映されていました。そこには、当時のフランス思想界、西洋芸術の動向、文学の潮流などが、断片的に散りばめられており、まるでゴダールがフェルディナンに憑依しているかのようでした。

 ゴダールは次のように語っています。

 「プロデューサーたちに言わせれば、ゴダールに映画を撮らせると、ジョイスだとか形而上学だとか絵画だとか、自分の好きなことを語ろうとする、でもその映画にはいつも商業的側面が含まれることになるはず」(※ 前掲、『ゴダール全評論・全発言Ⅰ』、p.508.)

 『気狂いピエロ』はフランスとイタリアの合作映画で、制作費は50万ドルかかっていました。日本円に換算すると、当時は1ドルが360円でしたから、約1億8千万円もかかっていたのです。ところが、制作費を回収しきれず、ゴダールにいわせれば、「経済的には失敗作」でした(※ 『ゴダール映画史』、前掲、p.331.)。

 脱文脈化を追求しすぎた結果といえるのかもしれません。

■ヌーヴェルヴァーグとして評価

 『気狂いピエロ』はフランスとイタリアの合作映画でした。それだけに、もしベルモンドが主演しなければ、製作許可すら取れなかった可能性もありました。ベルモンドはゴダールの前作『勝手にしやがれ』に出演し、一躍、有名スターになっていました。

 『勝手にしやがれ』は、ゴダールが1959年に、ベルモンド(Jean-Paul Belmondo, 1933-2021)とジーン・セバーグ(Jean Seberg, 1938-1979)を起用して製作した作品です。これがヌーヴェルヴァーグの代表作として大ヒットしていました。それに伴い、個性的な俳優ベルモンドがスポットライトを浴びていたのです。

 それまでゴダールが製作した作品の中で、『勝手にしやがれ』ほど、商業的価値が高いものはありませんでした。この映画の商業的成功とベルモンドの起用は、イタリア側プロデューサーを説得するには十分な材料でした。

 ところが、『気狂いピエロ』で、ゴダールはさらに独自色を強めました。シナリオがあっても無いのも同然で、その場で即興的に演出することが多かったのです。すべては撮影の段階で創り出されるというのがゴダールの映画製作のやり方でしたが、それがさらに徹底されたのです。

 俳優が対応しきれないのも無理はありません。

 実際、出演を快諾したベルモンドでさえ、『気狂いピエロ』の撮影中に、「これは映画じゃない」とゴダールにいったことがあったそうです。さらに、この映画のイタリア側のプロデューサーも、「これは映画じゃない」といい、イタリアでは公開しなかったといいます(※『ゴダール映画史』、前掲、pp.330-331.)。

 ちなみに、ベルモンドはその後、ゴダールが出演依頼をしても承諾していません。それほど、『気狂いピエロ』に出演したことを後悔していたのかもしれません。当時、これは映画の概念から外れた映画だったのです。

 もっとも、一部の批評家あるいは識者からはその斬新性が評価されていました。1965年には、先行上映したヴェネツィア映画祭で新進批評家賞、そして、英国映画協会賞を受賞し、ヴェネツィア国際映画祭では金獅子賞にノミネートされました。その翌年の1966年、カイエ・デュ・シネマ最優秀作品賞受賞を受賞しています(※ https://www.imdb.com/name/nm0000419/awards)。

 この作品でゴダールは経済的には失敗したかもしれませんが、ヌーヴェルヴァーグの映画監督として世界に名を馳せたのです。

 ゴダールは次のように語っています。

 「ぼくらには金のかかる映画はつくることができない。テレビにかかわることもできない。だから、ぼくは、自分が今いる場所について、労働について、家族について語りながら、金のかかる映画とかテレビとかに少しも劣らないほどおもしろい映画をつくろうと努めている。ぼくは自分がよく知らない場所については語ろうとしない。あるいは語る場合は、その場所に、ぼくが今いる場所を通過させることにしている」(※ 『ゴダール全評論・全発言Ⅱ』、前掲、p.170.)

 ゴダールのいうように、製作費をかけられないという制約が、ヌーヴェルヴァーグを生み出したのでしょう。即興演出、同時録音、ロケを中心とした撮影といったゴダール独特の手法は、確かに製作費節減になりました。だからといって作品の質が落ちたかといえばそうではなく、作品に瑞々しさや生々しさを添える効果が見られました。

 『気狂いピエロ』は当時、世界の知識層の話題を集め、今に至るまで語り継がれてきました。

 今回、改めてDVDでこの作品を観ましたが、当時、感じた斬新さに少しも陰りがなかったことが驚きでした。半世紀上も前に製作された作品ですが、脱文脈し、画面に観客を参加させようとする仕掛けが興味深く、古臭さを感じさせられることはありませんでした。

 むしろゴダールが採った映画製作の手法は、デジタル化によって線的構造が無効になりつつある現代社会との親和性が高いように思えました(2023/2/18 香取淳子)。

ゴダールを偲ぶ ②:『気狂いピエロ』、アウトサイダー、愛、逃避行

 ■ 原作

 『気狂いピエロ』は、ライオネル・ホワイト(Lionel White,1905-19859)の小説『Obsession』(1962年)を原作に、1965年5月24日から7月17日までの8週間で撮影されました。

 当時、私はこの映画に原作があったとは思いもしませんでしたが、今回、新潮文庫から『気狂いピエロ』というタイトルで訳書が出版されていることを知りました。2022年4月に出版されたばかりの本です。

 山田宏一氏は、次のような解説文を寄せています。

 「ニューヨーク郊外に暮らす38歳のシナリオライター、コンラッド。妻との仲は冷え切り、職も失い、鬱々とした生活を送っていた。ある夜、ベビーシッターの若い娘アリーを自宅へ送ったところ酔った勢いで一夜を共にしてしまい、目覚めると、隣室には見知らぬ男の死体が。どうやら男はアリーの元愛人らしい。かくして、暴力と裏切りと欲望にみちた二人の逃亡劇が幕を開けることに――。運命の女に翻弄され転落していく男の妄執を描いた犯罪ノワールの傑作。ゴダール映画永遠の名作の原作とされる幻の小説がついに本邦初紹介となる」

 私はストーリーを全く覚えていませんでしたが、今回、DVDを観ても、劇画的なストーリー展開にそれほど興味をおぼえませんでした。前回もいいましたように、私がこの映画で覚えているのは、冒頭のシーン、パーティのシーン、そして、ラストシーンだけなのです。

 これらのシーンには、意表を突かれるものがあったからこそ、しっかり覚えていたのでしょうし、感動したからこそ、心に深く刻み込まれていたのでしょう。

 今回、DVDを見返して見て、改めて、『気狂いピエロ』に夢中になっていたのは、ストーリーではなく、ゴダールが創り出したデティールそのものだったことがわかりました。

 前回、冒頭のシーンをご紹介しましたので、今回はパーティのシーン前後をご紹介していきましょう。

 このシーンでは、主人公の置かれた状況、そして、物語が展開するきっかけとなる女性との出会いが描かれています。

 原作では、「妻との仲は冷え切り、職も失い、鬱々とした生活を送っていた。ある夜、ベビーシッターの若い娘アリーを自宅へ送ったところ酔った勢いで一夜を共にしてしまい・・・」となっています。

 映画のストーリー設定は、ほぼ原作に倣っているといえるでしょう。

■ パーティ会場

 それでは、パーティに出かける前のシーンから、見ていきましょう。

●女学生との出会い

 この夜、妻の実家でパーティが開催される予定でした。それに出席しなければならないので、妻は夫を急がせていたのです。

 ところが、男は「僕は行かない」、「子供たちといる」といい出します。

 すると、妻は「フランクが連れて来る姪が、子守りをすることになっているの」といい、男の気を引くように、「女学生ですって」と付け加えます。

 男は「姪だって? どうせコールガールさ」と悪態をつきながらも、子守りを引き受けた姪に関心を示します。妻の思惑通り、男はどうやら、パーティに行く気になったようです。

 妻がその様子を見て、「パパが石油会社の社長を紹介するって」というと、夫は「クビにしたテレビ局を訴えるぞ」と虚勢を張ってみせます。

 妻は、「訴えてもいいけど、負けるだけよ」とさり気なく受け流し、「仕事を紹介されたが、おとなしく受けて」と説きます。

 ここまでのシーンで、男がテレビ局をクビになったこと、妻の実家が裕福で、今夜開催されるパーティでは男の就職先が用意されていること、男は、この妻の夫であり、父である立場にうんざりしていること、などが明らかにされていきます。

 やがて、フランク夫妻がやって来て、姪を紹介されると、妻は子供部屋に案内しながら、「用が出来たら、電話して」と告げています。廊下ですれ違った夫に妻は、「フランクの姪よ」と紹介し、そのまま子供部屋に入っていきます。

(※『気狂いピエロ』、2017年、KADOKAWAより)

 姪と男は見つめ合い、やがて、手を握り合います。

 男の名前はフェルディナン、姪の名前はマリアンヌです。二人は、雇い主の夫と子守りとして出会います。出会った瞬間に惹かれ合ったことがわかる場面です。

 フェルディナンは上着を着ながら、フランクに向かって、「愚かな頭に響く交響曲第5番」と言葉をかけます。まるで運命の出会いだと言っているようなものでした。そして、ベートーベンの交響曲第5番「運命」の有名な一節が流れます。

 当時、この選曲が通俗的だと思いましたが、今回、DVDを見ても同じような印象を抱きました。それまでは画面の一つ、一つに気持ちが引き込まれていたのですが、このシーンで、トーンダウンしたのです。

 さて、ここでは、主要な人物が登場し、主人公を取り巻く状況、社会状況、物語が起こるきっかけ、等々が明らかにされ、今後の展開が暗示されます。

 次に、画面は夜景になって、「妻の両親エスプレッソ邸でのパーティへ」の文字が表示され、いよいよストーリーが動き始めます。

 パーティ会場に進む前に、ちょっと触れておきたい場面があります。

 フェルディナンがまだマリアンヌに出会う前のシーンです。

●消費文化

 夫婦の部屋で、出かける準備をしている妻に向かって、バスローブ姿のフェルディナンがいきなり、「下着をつけないのか」と尋ねるシーンがありました。妻は手に下着のようなものを持っています。

 妻はすぐさま、「新製品のガードル“スキャンダル”よ」といい、広告が掲載された雑誌を見せます。

(※ 前掲)

 ヒップラインを補正する機能のあるガードルが、画面に大きく、映し出されます。

(※ 前掲)

 その画面に、「かつてはギリシャ」、「そして、ルネサンス文明、今やケツ文明の時代だ」という男のナレーションが被ります。

 当時、この場面を見て、私はとても面白いと思いましたが、今回も同じでした。これは、横行する消費文化に対するフェルディナンの反発を示しているだけではなく、ゴダールの思いでもあったのでしょう。

 映画が製作された1960年代半ばあたりから、技術進化に伴い、消費文化が加速度的に浸透していきました。

 このシーンは、浸透する消費文化への批判であり、通俗への嫌悪でした。これが、次のパーティ・シーンへの誘導にもなっているのです。

 それでは、パーティ会場に進みましょう。

●パーティ会場

 夜景に被って、「アルファロメオは、1キロ34秒で走れる」とテロップが表示されます。アルファロメオの宣伝文句ですが、観客はそれを眼にした後、パーティ・シーンに移行します。

 会場の画面全体を覆う赤い色調が斬新でした。

 フェルディナンがパーティ会場に入っていくと、壁を背にして立っている男が、椅子に座っている二人の女性に向かって、うんちくを垂れています。

(※ 前掲)

 「ディスク・ブレーキ、安定感のある走行性」、「比類のない乗り心地」、そして、「確実で速く」、「加速もよく安定している」と続けます。男が延々と話し続けているのは、アルファロメオの宣伝文句でした。

 立っている男が話し終えると、今度は、座っている女性が「若さを保つならー」、「石鹸にオーデコロン、香水もね」、「汗臭さを防ぐなら、“ブランティル”を」、「あれなら一日中、爽快」・・・、と、これまた、身に着ける商品の宣伝文句を語っています。

 男性も女性も、まるでそれしか話題がないかのように、パーティ会場で聞かれるのは、商品の宣伝文句のオンパレードでした。

 冒頭シーンで展開されていた饒舌で、シニカルで、ペダンティックな言葉の群れではなく、常套的で、浅く、表層的で、キャッチ―な言葉の羅列だったのです。それは、活字文化から視聴覚文化への移行を示すものであり、現代文化を象徴するものでもありました。

 そして、この冒頭シーンとパーティ・シーンの言葉の対比の中に、主人公フェルディナンの居場所のなさ、疎外感が巧に表現されていました。

 馴染めないまま、会場をさまよう中、フェルディナンは、なんとか、話し合える人物に出会うことができました。

●サミュエル・フラー監督

 うんざりしていたフェルディナンが目を止めたのが、壁にもたれて、所在なさそうにしているサングラスをかけた男性でした。この場面では、それまで画面を覆っていた赤のカバーははずれ、現実色になります。

(※ 前掲)

 フェルディナンがフランス語で話しかけてみても、通じません。近くの女性が通訳をしてくれて、ようやく、この男性がアメリカ人映画監督のサミュエル・フラーだということがわかりました。撮影のためにパリに来ているというのです。

 サミュエル・フラー(Samuel Fuller、1912 – 1997)は、アメリカの映画監督で、アメリカではB級映画監督と見なされていたようです。ところが、フランスなどでは高く評価され、後に米国本土でも再評価されたといわれています(※ Wikipedia)

 裏社会での取材経験や戦争体験、さらには米国南部での人種差別への取材経験を通し、サミュエル・フラーならではの人間観、世界観が培われたのでしょう。彼の映画は独特のエキセントリックな作風だとされています。

 そのサミュエル・フラー監督が、この場面に登場しているのです。

 彼が『悪の華』を撮っているというと、フェルディナンはすぐさま、「ボードレールはいい」と応じます。

 このやり取りの中に、ゴダールもまた、ボードレールを好んでいることがわかります。

 そういえば、『悪の華』も『気狂いピエロ』も、人間のダークサイドや疎外感、孤独などに焦点を当てて作品化されているところに、共通性があるように思えます。

 それでは、サミュエル・フラー監督はどうでしょうか。

 サミュエル・フラーがこの映画に出演した頃、どのような作品を製作していたかを調べると、該当するのは、『裸のキッス』(The Naked Kiss, 1964年10月29日公開、米国)ぐらいでした。

 この作品は、ネオ・ノワール(フィルム・ノワールの復活版)であり、メロドラマだと分類されています(※ https://en.wikipedia.org/wiki/Neo-noir)。

 暴力、アクション、恋愛のジャンルに位置づけられている作品なのです。

 果たして、どのような作品なのでしょうか。探して見ると、Youtubeにありましたので、ご紹介しましょう。

こちら → https://youtu.be/qGV90a3YHiI

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 確かに、ノワール系の作品です。

 ゴダールは当時、ライオネル・ホワイトの小説『Obsession』を原作に、『気狂いピエロ』を製作していましたから、フラー監督は誰よりも話したい相手だったにちがいありません。

 それを反映するかのように、画面では、フェルディナンが勢い込んで、「いつも映画とは何かを知りたかった」と尋ねています。

 すると、監督は、「映画とは戦場のようなものだ」といい、さらに、「愛」、「暴力」と続け、「つまりは感動だ」と答えています。

 サミュエル・フラー監督ならではの回答です。暴力、非情なアクションがあってこそ、愛が輝き、感動があるというのです。

 『気狂いピエロ』の原作もノワール・フィクションと分類されていました。ゴダールはパーティのシーンでサミュエル・フラー監督を登場させることによって、その後のストーリー展開の伏線を張っていたのかもしれません。

 主人公のフェルディナンは、冒頭のシーン、パーティのシーンでは、インテリの印象でした。ところが、その後の展開では、まるで『俺たちに明日はない』(Bonnie and Clyde, 1967年制作、米国)のような破天荒なロードムービーの主人公に変貌してしまうのです。

 なんらかの伏線を張っておく必要があったでしょう。

 そういえば、『気狂いピエロ』は編集後、しばらく、検閲機関との間でいざこざが続いたようです。というのも、原作の『Obsession』がNoir fictionと位置付けられており、検閲の対象になっていたからでした。

 題名を『気狂いピエロ』に変え、セリフを二か所削除することによって、なんとか上映が認められましたが、当時はまだ18歳未満の入場は禁止されていました(※ Alain Bergala著、奥村昭夫訳『60年代ゴダール』、pp.490-491. 原著2006年、翻訳版2012年、筑摩書房)。

 それでは、再び、パーティのシーンに戻りましょう。

●募る疎外感

 フェルディナンはフラー監督の返答を聞いて、納得したようにその場を去り、再び、会場内をあちこち歩きまわります。

 妻が男とキスしているのを横目で見ながら、そのまま通り過ぎると、画面は再びブルーで覆われ、人々の会話はコマーシャリズムに彩られたものになります。

 ようやくフランクを見つけると、「疲れた」といって、フェルディナンは座り込んでしまいます。

 そして、口を突いて出た言葉が次のようなものでした。

 「見るための目はある」、「聞くための耳も」、「話すための口も」といい、ところが、「全部がバラバラで統一を欠いている気がする」、「一つであるべきなのに」「いくつかに分かれている」といいだします。

 これらのシーンは青で覆われています。

(※ 前掲)

 フェルディナンは周囲に溶け込めず、アウェー感は限度に達しています。このパーティ会場では、統合した自分を維持することができなくなってしまっているのです。どうしていいかわからず、フェルディナンはひたすら、しゃべり続けています。

 聞いていた女性がとうとう、「しゃべりすぎよ、あんたの話は疲れる」といい出すと、フランクもそれに同意して「しゃべりすぎだ」といい、フェルディナンを見ます。

 身近な人からも突き放されてしまいます。

 フェルディナンは「孤独な男はそうなる」と反応し、「家で待っている」と疲れ切ったように、伝えます。

 身の置き所のなくなったフェルディナンにとって、この場から抜け出すしか自分を維持する方法はありませんでした。「孤独」という言葉で逃げ道を作りながら、「家で待っている」とフランクを安心させます。かろうじで社交性を忘れずに、パーティ会場を去ろうとするのです。

 なんの疑いもなく、フランクは素直に車の鍵を渡します。

 この場面は後のシーンの伏線になっています。

■ 現実からの逃避行

●マリアンヌとの再会

 家に帰ると、子供たちを寝かしつけたマリアンヌが、廊下の椅子に座って、うたた寝をしていました。

 ここにも孤独な人がいたのです。

 パーティから抜け出してきたことを訝しがられると、フェルディナンは、「そんな日もある、バカばかり会うと」と答えます。ようやく自分を理解してもらえる人に会った安堵感が、顔からこぼれています。

(※ 前掲)

 夜も遅いので、フェルディナンはマリアンヌを車で送っていくことにします。

 運転席と助手席で交わす二人の姿が映し出され、意外なことが次々と明らかになっていきます。

  「再会なんて、不思議」とマリアンヌがいうと、「ああ、4年ぶりだな」とフェルディナンが応じますが、すぐさま、「違うわ、5年半よ。あれは10月だったから」とすぐに否定されてしまいます。

 このシーンで、フェルディナンは妻と結婚する前に、マリアンヌと付き合っていたことがわかります。

 「結婚したの?」と聞かれ、「金持ちのイタリア女だ。面白い女じゃない」とフェルディナンが答えると、「離婚すれば?」とマリアンヌがけしかけます。

 ごく簡単に妻を説明し、妻との関係も明らかにします。それに乗じて、マリアンヌが思い切った提案をします。

 「そう望んだが、ひどく不精で」といい、「”望む”の中に”人生“がある」とフェルディナンははぐらかすように、自分の生活信条に切り替えて、答えます。

 このシーンで、マリアンヌと知り合った頃、フェルディナンはスペイン語の先生、その後はテレビ局で勤務し、今は無職の状態だということがわかってきます。これは先ほどの妻との会話内容とも呼応しており、フェルディナンが望むようにしか生きていけない人物だということが示されています。

 一方、マリアンヌは自分のことは多く語りません。「フランクとは長いのか?」と聞かれると、「なんとなく・・・、偶然から」と曖昧に答えるだけです。

 フェルディナンが「相変わらず謎めく女」というと、「自分のことを話したくないだけ」といって、気を逸らせるように、ラジオを付けます。

●数値化の進行

 ラジオから「米軍の戦死者は数多いが、ベトコン側にも115名の死者が出た」というニュースが流れてきます。それに対し、マリアンヌは鋭く反応します。

 南北対立が続いていたベトナムで、1964年8月2日、アメリカがトンキン湾事件を起こし、参戦しました。その結果、全面戦争に突入してしまったのです。以後、1975年にアメリカ軍が撤退するまで、北ベトナムと南ベトナムの間で米ソ代理戦争が続きました。

 映画が制作された1965年はその初期段階でしたが、戦況は日々、世界中に報告されていました。戦争被害を聞いても人々は何もすることはできず、ただ、死傷した人々を悼み、悲しむだけでした。

 そのニュースにマリアンヌは鋭く反応したのです。

 マリアンヌは、「無名だなんて、恐ろしい」、「115名のゲリラだけじゃ、何も分からない」、「一人ひとりが人間なのに、誰だかわからない」と怒ります。

 「妻や子供がいたのか」、「芝居より映画が好きなのか」、「何も分からない、戦死者115名というだけ」とつぶやき、無名の人間は数として報道されるだけで、一人の人格を持つ人間として伝えられないことに不満を漏らしています。

 おそらく、ゴダールの思いでもあるのでしょう。

 一人の人間として生きてきた歴史があるのに、ニュースでは死者も、ただ数としてカウントされるだけです。尊厳もなく、ただ無機的に扱われることへの怒りが、マリアンヌの口を通して伝えられます。

 ニュース報道への怒りは、すべてが数値化されてマッピングされる現代社会への反発でもあったといえるでしょう。

●人の尊厳はどこに?

 人はそれぞれ、さまざまな思いを抱き、さまざまに考えを巡らせながら、日々、生きています。そのことを無視し、戦禍の犠牲者すら、単なる数としてカウントされ、報じられることに、マリアンヌは憤っているのです。

 フェルディナンに何を聞かれても曖昧に答え、自分を顕わにしようとしなかったマリアンヌが初めて、素をさらけ出した瞬間でした。

 勢いづいたマリアンヌは、更に続けます。

 そのような報道姿勢は、写真についてもいえることだとし、男が写っている下に添えられたキャプションに言及します。

 「“卑怯者”とか、“粋な男”・・・」、「でも、それが撮られた瞬間」、「彼が何者で、何を考えていたか」、「妻のことか、愛人のことか」、「過去、未来、バスケの試合?」、「誰もわからない」と、日頃、気になっていることを漏らします。

 人を具体的に捉え、伝達できるはずの写真ですら、キャプションとしてステレオタイプなレッテルを貼られ、類別して処理されてしまうことへの不快感が示されています。

 一瞬を切り取って見せる写真も、ニュース報道と同様、対象の内面や来歴に触れることなく、伝えられます。テレビであれラジオであれ、新聞であれ雑誌であれ、マスコミでは全般に、物事が表層的に捉えられ、伝達されます。そのことがやがて、人間性の喪失につながることを懸念しているのでしょう。

 どのような人にも、これまで生きてきた過去があり、いま生きている現在があり、これから生きる未来があります。そのようなことに考えが及んでいないことへの不満は、まさに、数値化され、効率を優先させる現代社会への不満でもあります。

 自分について多くを語らなかったマリアンヌの性格、生活信条などが、このシーンで透けて見えます。

 おそらく、マリアンヌにも、当時のゴダールが投影されているのでしょう。

 「人生も物語のように」、「明晰で論理的で整然としていればいいのに」とマリアンヌはつぶやきます。

(※ 前掲)

 まるでゴダールが乗り移ったかのようです。

■ 映画は、アウトサイダーの居場所か?

 ゴダールは、『ゴダール全評論・全発言Ⅱ』(Jean-Luc Godard、奥村昭夫訳、筑摩書房、1998年)の中で、次のように語っています。

 「映画は人生なんだ。そしてぼくがしたいのは、映画を生きるのとおなじように人生を生きるということなんだ。映画づくりの中でぼくが最も楽しい思いをするのはどういうときかと言えば(中略)、なにかをつくり出していると感じられるときや資金を調達する時だ。映画をつくるという行為が、人生のなかでより臆病ではないやり方でふるまうことを可能にしてくれるときだ」(※ 前掲。p.225.)

 ここでは、ゴダールが映画製作に、自身を確認し、拡張する機能を託していることが示されています。

 「でも、違うのよ」とマリアンヌは言葉を継ぎます。

 実際はそうではなかったということを、ゴダールはいいたかったのでしょうか。

 フェルディナンが、「いや、思う以上にずっと似てる」と返答すると、マリアンヌはどういうわけか、「違うわ、ピエロ」といいます。

(※ 前掲)

 ここで初めて、タイトルの中の「ピエロ」という言葉が出てきます。

 当時、映画のタイトルが、なぜ「気狂いピエロ」なのかわかりませんでした。今回、DVDを見た時も、このシーンでなぜ、マリアンヌが突然、「ピエロ」といったのか、わかりませんでした。

 ところが、しばらく考えてみて、マリアンヌがこの場面で、フェルディナンを「ピエロ」と呼んだことで、「気狂いピエロ」(Pierrot Le Fou)の意味がわかってきたような気がしてきました。

 「気狂いピエロ」とは、おそらく、マリアンヌに無我夢中のお馬鹿なフェルディナンというほどの意味なのでしょう。

 この時、画面の中では、フェルディナンが、「僕は、フェルディナンだ」と言い返しています。ところが、マリアンヌの気持ちの中で、フェルディナンは、自分にぞっこんの「気狂いピエロ」でしかありませんでした。

 というのも、しばらく互いの気持ちを確認しあうような会話が続いた後、やがてフェルディナンはマリアンヌに向かって、「君は美しい、僕のお人形」というようになるからです。愛情の力学の下、二人の関係は、ここで明らかに、支配vs被支配の関係に陥ったのです。

 物語はその後、マリアンヌ主導で展開していくことになります。

 アウトサイダーとしての居場所を見つけるために、二人は現実から逃避し、あてどのない旅に出るのです。

 ゴダールは、『ゴダール映画史(全)』(Jean-Luc Godard、奥村昭夫訳、筑摩書房、2012年)の中で、次のように述べています。

 「私はいつも二つの国(フランスとスイス)の間で生きてきました。(中略)その結果、(中略)辺境というものに関心を持ち、むしろ辺境に自分の位置をとるようになりました。『気狂いピエロ』は私にとって、ひとつの時代の終わりではなく、ひとつの時代の真の始まりだったのです」(前掲。p.299.)

 先ほどご紹介しましたように、ゴダールは「映画は人生だ」といい、最も楽しいのは、「映画をつくるという行為が、人生の中でより臆病ではないやり方でふるまうことを可能にしてくれるときだ」と述べています。

 これらを総合すると、ゴダールは、自分を拡張した人物を登場人物に設定し、彼等の中に自分を投影しながら映画を製作し、自身の人生を試行していたのではないかという気がしてきます。

 そもそも、ゴダールはフランスとスイスを行き来しながら生活し、いつしか、アウトサイダーとしてアイデンティティを確立するようになっていました。そのようなアイデンティティ確立のきっかけになったのが、映画『気狂いピエロ』だったことは注目に値するでしょう。

 今回、ご紹介したいくつかのシーンには、そのようなゴダールの心情が随所で、吐露されていたように思います。(2023/1/30 香取淳子)

映画『イン・ザ・ハイツ』に、カリビアン・ディアスポラの魂を見る。

■ラテンのヒップホップで、暑気払いを

 2021年8月6日、近くのユナイティッドシネマで、『イン・ザ・ハイツ』を見てきました。その日も朝からうだるように暑く、うんざりするような気分でした。コロナ禍で外出もできず、適当な憂さ晴らしもできません。気だるく、何をする気にもならないでいるとき、ふと、夕刊で見た映画評の「熱いリズム」という言葉が脳裡をかすめました。

 ずいぶん前に読んだはずですが、その言葉と写真だけは妙に鮮明に記憶に残っていたのです。タイトルと写真を見ただけで、記事を読んではいませんでした。確認してみると、その記事では、2021年7月30日、封切されたばかりの映画“イン・ザ・ハイツ”が紹介されていました。


(2021年7月30日、日経新聞より)

 暑いさ中でも、人々は楽しそうでした。写真を見ているうちに、ミュージカル映画を見るのも悪くないなという気になってきました。映画館の大画面で、ノリのいい音楽とキレキレのダンスを見れば、きっと、暑気払い、コロナ払いもできるでしょう。

 さっそく、ネットで座席をチェックすると、まだ相当、余裕がありました。朝1番のチケットをオンラインで購入すると、ようやく気持ちが落ち着きました。これで一安心、開始直前に映画館に着いても大丈夫です。

 朝10時5分、映画は始まりました。

 男が子どもたちを前に、「昔あるところに・・・」と話しだす冒頭シーンを見た瞬間、2年ほど前に見たミュージカル映画『アラジン』を思い出しました。この映画も、男が子どもたちに話しかけるシーンで始まっていたのです。それが、ちょっと気になりました。ミュージカルにお定まりのオープニングなのでしょうか?

 そういえば、観客は日常生活を引きずったまま映画館にやって来ます。その観客の意識を手っ取り早く切り替え、現実世界から物語の世界へ誘導するための入り口なのかもしれません。音楽を積み重ね、繋いでいくミュージカルでは境界を設定しにくく、明らかにトーンの異なった導入部が必要なのかもしれません。

 『アラジン』と同様、この映画も、エンディングとオープニングが対応したシーンで編集されていました。子どもたちに語りかけながら、主人公が過去の出来事を振り返り、現在の自分たちを語るという形式になっていたのです。

 さて、子どもに語りかけるシーンから、場面は一転して、この物語が展開されるワシントンハイツに移ります。アップテンポの音楽を背景に、リズミカルなカット割りで構成されているので、観客はすぐにも作品世界に引き込まれていきます。

 テンポの速いラップとキレの画面を見ているうちに、画面に合わせて身体を揺すり、リズムを取っているのに気づきました。私もいつの間にか、ラテンの「熱いリズム」に感染していたのです。コロナ鬱も暑気疲れもたちまち、どこかに吹き飛んでしまいました。

 それでは、『イン・ザ・ハイツ』がどのような映画なのか、見ていくことにしましょう。

 まずは、2分25秒のUS版予告映像(日本語字幕付き)をご紹介しましょう。

こちら → https://youtu.be/CxaMDJTbjKs

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 よく出来た予告映像です。ラップとヒップホップに絡め、映画の概要やエッセンスが的確に表現されています。この予告映像の展開に沿って、映画の概要やコンセプトを見ていくことにしましょう。

■映画の概要

 たとえば、冒頭のシーン。主人公が子どもたちに向かって、「ある所にワシントンハイツという場所があった」と話し始めます。次いで、「ワシントンハイツの一日が始まる」という字幕とともにラップが流れ、主人公のウスナビが暮らす日常のエピソードが映像で綴られます。

 消火栓の安全ピンを抜き、立ち上る水しぶきを浴びて大騒ぎする子どもたち、シャッターに落書きをする若者、追いかける主人公のウスナビ(コンビニ店主)など、住民の朝のルーティーンが短いショットで重ねられます。物語が展開されるワシントンハイツの日常が、断片的な映像を積み重ねて紹介されるのです。やがて文字だけの静止画になります。

「ミュージカルの金字塔「ハミルトン」の製作者がおくる」

『ハミルトン』とは、2016年に空前の大ヒットを飛ばしたミュージカル映画です。トミー賞、グラミー賞、ローレンス・オリヴィエ賞、ピューリッツア賞など、さまざまな賞を受賞しています。

 この大ヒット作『ハミルトン』で、製作・脚本・音楽・作詞などを務めたリン・マニュエル・ミランダ(Lin-Manuel Miranda)が、この映画では原作・製作・音楽を担当していました。(※ https://theriver.jp/hamilton-release/

 だから、「ミュージカルの金字塔「ハミルトン」の製作者がおくる」なのです。最初にアピールすべきポイントだと担当者は考えたのでしょう。この文字だけの静止画の後、かき氷を載せた手押し車を引く男が現れます。

 その映像に、「冷たい、かき氷はいかが」という字幕がかぶります。このかき氷売りに扮した男こそ、原作者のリン・マニュエル・ミランダです。


(ユーチューブ映像より)

 再び、文字だけの静止画になります。

 「傑作ミュージカルの映画化」

 『イン・ザ・ハイツ』は、2005年に初演されたブロードウェイミュージカルで、リン・マニュエル・ミランダの出世作でした。当時、新境地を開拓した作品として、大きな話題を呼びましたが、なかなか映画化することができませんでした。それが今回、ようやく映画化されたのです。まさに、待望の「傑作ミュージカルの映画化」なのです。

 もちろん、物語が展開されるワシントンハイツや登場人物なども、ラップとヒップホップに乗せて、生き生きと紹介されています。

■物語が展開する場所、主要な登場人物

 いきなり、女性の足元をローアングルで捉えたショットが現れ、驚きましたが、美容院の経営者ダニエラ、そこで働くカルラ、クカなど3人の女性たちでした。

 このショットに、「これは消えかけていたワシントンハイツの物語」という字幕がかぶります。

 彼女たちは、ワシントンハイツの一角にあるウスナビの経営するコンビニに行く途中でした。毎朝、店に立ち寄り、ゴシップやちょっとした冗談を交わすのが、彼女たちの朝のルーティーンでした。


(ユーチューブ映像より)

 次いで、コンビニの外側では、バネッサがニーナを見つけ、「天才のお帰りよ」と叫び、再会を喜びあう姿が映し出されます。

 「天才」という言葉を聞いた時、一瞬、違和感を覚えました、映画では後になって説明されますが、ニーナは子どもの頃から成績がよく、この地区から始めて大学に進学した女性でした。地元の人々は誰もが彼女を誇りに思っていました。だから、バネッサも皮肉ではなく真心で、つい、「天才」と呼びかけてしまったのでしょう。

 そのバネッサはケータイで不動産屋と話しながら、コンビニに入ってきます。それを見たベニー(タクシー会社の社員)とソニー(コンビニを手伝う従弟)は、ラップに乗って、軽快にやり取りしながら、ウスナビにバネッサにアタックしろとけしかけます。


(ユーチューブ映像より)

 彼らに押されるように、ウスナビはおずおずと彼女に、「引っ越すの?」と話しかけます。バネッサは「審査が通れば、ダウンタウンへ」と答え、ちょっと誇らしげな表情を浮かべます。


(ユーチューブ映像より)

 バネッサは意気揚々と、店から出て行ってしまいます。ウスナビは悄然とし、ベニーとソニーは手をたたいて笑い転げます。

 このように、ウスナビが朝、店を開けた途端、待ちかねていたかのように、地元の人々がやってきます。買うのはたいてい、ペットボトルかコーヒー、新聞ですが、誰もが決まって買っているのが宝くじでした。

 ウスナビにとっては母親代わりのアブエラも、店が開けば早々にやってきて、コーヒーを頼み、宝クジを買っていきます。彼女の口癖は「忍耐と信仰!」です。「毎日まじめに働いていれば」と、ウスナビや地元の人々を暖かく見守り、母親代わりとしてワシントンハイツになくてはならない存在になっていました。


(ユーチューブ映像より)

 慌てて駆け込んできたのが、ニーナの父親ケヴィン(タクシー会社の社長)です。彼はこの朝、普段よりも多く、20ドル分もの宝クジを買いました。


(ユーチューブ映像より)

 これが彼らの日常なのです。こうして主要な登場人物たちの顔見せが終わったかと思うと、再び、文字だけの静止画になります。

「そこは“夢”が集う場所 N.Y.」

 ニューヨーク市のワシントンハイツ地区には、ラテン諸国からの移民がコミュニティを形成していました。彼らはそれぞれ、大きな夢であれ、小さな夢であれ、さまざまな夢を抱いて暮らしています。遠路はるばるやって来たニューヨークは、彼らにとって、まさに“夢”が集う場所なのです。

■作品コンセプト

 この作品のコンセプトの一つは、「夢」でした。登場人物たちはそれぞれ、何らかの夢を抱いていました。

 たとえば、バネッサは美容院でネイリストとして働きながら、デザイナーになる夢を抱いていました。日々、デッサンをし、作品制作に挑んでいます。

こちら → https://youtu.be/r2AcTFu3rOs

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 お金に余裕のないバネッサは、ゴミ箱に捨てられた布切れを拾い集めては、嬉しそうな表情を見せます。この布切れがあれば、ミシンで縫ってアイデアを形にし、ファッションの勉強に役立てることができます。お金がないなりに、彼女は知恵と工夫で、しっかりと勉強を続けていたのです。

 色とりどりの大きな布が次々と、ビルの屋上から垂れ下がってくるシーンでは、目を輝かせて見上げるバネッサのクローズアップが印象的でした。

 そこに、「誰にも小さな夢がある」という字幕がかぶります。

 ワシントンハイツの住民のほとんどは、ラテン諸国からの移民でした。彼らは故郷では暮らしていくことができず、生きていくためにニューヨークにやってきたのです。営々と働き、ラテン系コミュニティを築き上げ、貧しいながらも助け合って暮らしてきました。そんな彼らが貧困と差別の中で生き伸びていくには、心の支えとして夢が必要だったのです。

 ニーナが帰って来たのを祝って開催されたパーティのさ中、突然、ワシントンハイツが停電してしまいます。暗闇の中で人々はパニックになり、ケータイを片手に、右往左往しながら街頭に出ます。


(ユーチューブ映像より)

 大勢の人々が次々とビルから街頭に出てきます。すると、まるで人々の不安を打ち消すかのように、夜空に高く、花火があがります。

 華麗に夜空を飾ったかと思うと、あっけなく消えてしまいます。そんな花火の儚さは、夢を抱きながらも、叶えられることのないラテン系コミュニティの住民を象徴しているように思えました。

こちら → https://youtu.be/aaFXc7SN8Ak

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 闇夜で花火を見上げる人々を捉えたショットには、「(夢を)叶えるには」という字幕が表示されます。

 そして、美容院での光景、アブエラ(ウスナビの母親代わり)の後ろ姿を捉えたショットが続き、それらの画面に、「お金が必要だ」という字幕がかぶります。アブエラの声でした。

 夢を抱いてニューヨークにやってきても、それを叶えるには、資金が必要でした。アブエラは長年、この街で暮らし、母親代わりとして、住民のさまざまな夢につきあって生きてきました。だからこそ、夢を実現するには、お金が必要だということがわかっていたのです。

 アブエラは口癖のように、「忍耐と信仰」といいながら、毎日、ウスナビの店で宝クジを買っていました。

 そのアブエラが停電の日、パーティのさ中に倒れてしまいました。異変に気づいたウスナビが枕元で「大丈夫?」と心配すると、「今日は一人じゃない、皆がいる」と穏やかに言い、「忍耐と信仰」といつもの言葉を口にしました。そして、そのまま、「暑い、暑い、燃えるよう」と言いながら、亡くなってしまいました。停電でエアコンも止まっていたのです。

 停電はコミュニティにとって、いっときの危機でしたが、もう一つ、住民たちは大きな選択を迫られる危機に直面していました。ワシントンハイツが再開発の対象になっており、低所得層の彼らはやがて住めなくなるという危機に瀕していたのです。

 夢を描き、未来に期待する一方で、彼らは差別と貧困という現実に曝されていました。個人では乗り越えることが難しい障壁でした。

■物語の背景

 ワシントンハイツでは最近、再開発の動きがあり、不法移民の住民が強制退去させられそうになっていました。都市を効率よく活用するため、行政はこの地区に付加価値をつけ、新たに高級住宅地として生まれ変わらせようとしていたのです。

 いわゆるジェントリフィケーション(gentrification:都市の再開発による居住空間の高度化)によって、ワシントンハイツの物価は高騰し、家賃は上がり、低所得層は暮らしにくくなっていました。

 近所の商店は次々と店を閉じ、主人公のウスナビも、故国ドミニカに戻って父の遺した店を再開しようと考えるようになっていました。母親代わりのアブエラと従弟のソニーと共に、その夢を実現できればと、二人にはその思いを告げていました。故国に戻れば、貧しくても威厳を持って生きていくことができるはずです。

 ところが、停電した日、あまりの暑さで高齢のアブエラが亡くなってしまいました。一方、生まれた時にここに移住してきたソニーは、自分の故郷はこのワシントンハイツだと言い張り、ドミニカには行きたくないと拒絶します。

 ウスナビはにっちもさっちもいかなくなっていました。

 コンビニの中から街頭を見るウスナビの目に、熱狂的に踊る住民たちの姿が映ります。窓ガラスに反映されたそのショットが見事でした。窓ガラス越しに街頭を見るウスナビの顔の周囲に、激しく踊る住民たちの姿が反射して映り込んでいるのです。そのショットに、「世界が回っているのに」という字幕がかぶります。


(ユーチューブ映像より)

 ウスナビはすぐさま店から出て、街頭で集う人々の間に飛び入り、「僕たちがこの街で共に過ごせるのは」とラップで歌います。すると、ウスナビを捉えたショットに、「今夜が最後になるだろう」という字幕がかぶります。

 熱情的に踊る人々を捉えたショットに、「僕たちを追い出すつもりだ」というウスナビのセリフ。次いで、ソニーがニーナに「僕たちも立ち上がろう」という場面になり、そして、熱狂的な群衆のダンスシーンが展開されます。

こちら → https://youtu.be/8YCC2kDsQ2w

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 ダンスシーンでは、誰もが生き生きとしています。まるで陶酔しているかのように、それぞれが身体をくねらせ、踊りに熱中しています。そのシーンの背後で、「威厳を持って生きるのよ」というセリフが流れます。アブエラの声でした。さらに、「世界に知ってもらうのよ」、「私たちのことを」というセリフが続きます。

 ここに、この作品のもう一つのコンセプトが凝縮して表現されています。移民2世たちが抱く夢とその実現の間には、大きな乖離があります。それこそが現実で、ほとんどの場合、夢を果たすことができず、挫折してしまいます。それでも、威厳だけは持ち続けなければならないという年長者からの教えでした。

 このシーンでは、ワシントンハイツの住民に迫る危機について説明される一方、ラテン系住民へのメッセージが込められていたのです。

 まるで亡くなったアブエラが甦り、熱狂的に踊る彼らを励まし、諫め、そして、その巨大なエネルギーを方向づけようとしているかのようでした。

 再び、文字だけの静止画になります。

「クレイジー・リッチ」監督ジョン・M・チュウ

■監督

 この映画の監督は、台湾系アメリカ人ジョン・M・チュウでした。

 彼は2018年に『クレイジー・リッチ』を製作し、アジア人をキャストにした映画ではじめて、大ヒットを記録しました(※ https://www.hollywoodreporter.com/movies/movie-news/weekend-box-office-crazy-rich-asians-wins-265m-1135824/

 ジョン・M・チュウは1979年にカリフォルニア州で生まれ、2008年、『ステップ・アップ2:ザ・ストリート』で長編映画の監督デビューを果たしました。以後、順調に製作経験を積み重ね、9本目となるこの作品も手堅くまとめられています。

 興味深いのは、2011年に“Justin Biever : Never Say Never”、そして、2013年に”Justin Biever’s Believe”を製作していることでした。ヒップホップのカナダ人シンガーソングライターを題材に映画を製作していたのです。

 試みに、“Justin Biever : Never Say Never”の予告映像を見てみることにしましょう。

こちら → https://youtu.be/4Bg8EuLT1ew

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 この動画からは、ジョン・M・チュウ監督がヒップホップに造詣が深く、ジャスティン・ビーヴァーの素晴らしさを的確に捉えて表現していることがわかります。その他の作品を見ても、作品が全般にリズミカルで、ハギレのいいカット割りで構成されているのが印象的です。

こちら → https://www.imdb.com/video/vi2816851993?playlistId=tt1702443&ref_=vp_rv_0

 画面を見ると、映像と音楽、音響、パフォーマンスがそれぞれ絶妙にマッチしており、ラップやヒップホップでしか表現できない現代社会の深層を捉えることができていました。その手腕はこの映画でも存分に発揮されているといっていいでしょう。

 さて、わずか2分25秒の予告映像でしたが、これまでご紹介してきたように、『イン・ザ・ハイツ』のエッセンスが凝縮して表現されていました。

 ところが、残念なことに、この予告映像では、脚本家、そして、振付師については触れられていません。そこで、脚本家や振付師の考えがわかるようなインタビュー記事あるいは動画をネットで探してみました。

 ようやく関連情報をいくつか見つけました。これらのインタビュー記事あるいは動画を通して、作品作りに際し、彼らがどのような点に気をつけたのかを把握していきたいと思います。

■脚本家

 原作者のミランダは映画化に際し、脚本家のキアラ・アレグラ・ヒュデス(Quiara Alegría Hudes)のアイデアを取り入れたといいます。

 彼女は、ラテン系コミュニティで常に話題になる「ドリーマー」と呼ばれる不法移民の若者問題を取り上げ、映画版では移民問題全般を強調しました。その一方で、都市再開発による低所得層の暮らしにくさにも踏み込んでいます。全般に、社会問題をベースにした作品構成になっています。

 ヒュデスはインタビューに答え、次のように語っています。

こちら → https://ew.com/movies/in-the-heights-writer-quiara-alegria-hudes/

 ヒュデス自身もミランダと同様、移民2世です。両親はプエルトリコから移民し、ニューヨークにラテン系コミュニティを築き上げた世代でした。意気投合した二人は2004年、共同でラテン系コミュニティをテーマにミュージカル脚本を執筆し始めました。それが、ブロードウェイミュージカル『イン・ザ・ハイツ』でした。

 ヒュデスは登場人物の中ではとくに、ニーナやソニーに感情移入できるといいます。というのも、ヒュデスもニーナと同様、子どもの頃から勉学に励み、ラテン系コミュニティからはじめて大学教育を受けた世代だったからです。

 しかも、ニーナと同様、名門大学を卒業しています。ニーナはスタンフォード大学という設定でしたが、ヒュデスはイエール大学で学士号を取得し、ブラウン大学で芸術学修士号を取得しています。

(※ https://en.wikipedia.org/wiki/Quiara_Alegr%C3%ADa_Hudes

 しっかりとしたストーリー構成にするため、ヒュデスは、映画版ではラテン系アメリカ人エリートであることを強調して、ニーナの役割設定をしたと語っています(※ 前掲インタビューURL)。

 授業料の支払で親に経済的負担をかけることに悩むニーナは、追い打ちをかけられるように、学内でいくつか差別的待遇を受けます。ラテン系コミュニティからただ一人、名門大学に入学できたとはいえ、出自がラテン系コミュニティだということに変わりはありませんでした。入学早々、ニーナは厳しい現実を悟らされ、逡巡したあげく、退学を決意して帰郷していたのです。

 興味深いのは、ニーナがワシントンハイツに戻ってくるなり、ダニエラの美容院に行って、ストレートヘアから生まれつきのカーリーヘアに戻したことでした。

こちら → https://youtu.be/UrFH772ytzM

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 ニーナはスタンフォード大学ではアイロンで伸ばしたストレートヘアにしていました。おそらく、ラテン系であることを隠そうとする心理が働いていたのでしょう。その抑圧された感情を晴らすかのように、ワシントンハイツに戻ってくると、彼女は早々に美容院に行って、元のカーリーヘアに戻します。ありのままの自分に戻したのです。

 カーリーヘアになって自分を取り戻したニーナは、ダニエラたちに退学すると告げます。驚く彼女たちを後目にニーナは、なんとも爽やかな表情を見せて美容院を出ていきました。

 一方、父親はニーナの学費を捻出するため、経営しているタクシー会社を売ろうとしていました。それを知ったとき、私の学費のためにこれまでやってきたことすべてを捨ててしまうの?と、ニーナは父親を厳しく問い詰めます。当然のことでした。

 コミュニティの期待を一身に集めてきたニーナでしたが、念願の名門大学に入学すると、自分の居場所がわからなくなり、威厳さえも失いそうになっていました。そんな時、大きく浮上してきたのがウスナビの従弟ソニーでした。

 ソニーといえば、ウスナビが故国ドミニカに戻って一緒に仕事を始めようと選んだ相手です。

 ヒュデスは、そのソニーが、ウスナビがいつも故郷を懐かしんでいるといってなじるシーンを付け加えました。そして、僕はドミニカなんかに行きたくないよ、ここにいたい。このニューヨークこそ僕の故郷で、僕の居場所なんだからとソニーに言わせたのです。

 さらに、‘96,000’の歌のシーンで、ソニーは、もし宝くじに当たって96,000ドルが手に入ったら、僕は自分のためには使わず、この近隣のインフラを改善し、よりよいWi-Fiを使えるようにしたいと宣言しています。つまり、ソニーはお金を手にしたら、自分たちのコミュニティに投資をし、生活環境の向上を図りたいといっているのです。

 これらのシーンを加えることによって、ヒュデスは、しきりに故郷を懐かしむウスナビとは違って、不法移民とはいえ、ソニーの意識はアメリカ人なのだということを示します。

 これは重要なポイントでした。

 一口にラテン系アメリカ人といっても、プエルトリコ系、ドミニカ系、メキシコ系が混在しています。彼らの母語は英語かスペイン語かに分かれるのです。当然、アメリカへの思いも異なるでしょう。さらに、いつアメリカに移住したのかによっても、アメリカへの思いは異なります。そのような点を踏まえ、ヒュデスは、より現実に沿ったストーリー構成を考えたのだと思います。

 プエルトリコ系移民2世であるヒュデスは、ラテン系の中ではいち早くアメリカに移住し、英語を使って暮らしていました。それだけに、そのプエルトリコ系と、いまだに故郷を懐かしみ、スペイン語を捨てきれないドミニカ系との違いに敏感でした。その差異を描かなければ、この作品のリアリティは欠けると思っていたのです。

 もちろん、白人社会に対する移民の気持ちにも敏感でした。ヒュデスは諸々の微妙な文化の差異にこだわって製作に臨みました。

 たとえば、ラテン系の映画評論家が、『イン・ザ・ハイツ』を取り上げた際、ニーナが帰郷した際はストレートヘアだったのに、すぐ元のカーリーヘアに戻したことに言及していました。それを知って、とても嬉しかったとヒュデスは語っています(※ 前掲インタビューURL)。

 ニーナの髪の毛をどうするか、ヒュデスたちは時間をかけて検討したといいます。観客がどれほど気にするかわからないようなことでしたが、ヘアスタイルの変化は、ニーナの気持ちの変化、気持ちの立て直しをはっきりと示すシンボリックな表現だったのです。

 脚本家がリアリティにこだわり、細部にまで真剣にチェックを入れたのと同様、振付師もリアリティにこだわっていました。

■振付師

 振付師のクリス( Christopher Scott )が『イン・ザ・ハイツ』のダンスについて語っている7分30秒の動画があります。

こちら → https://youtu.be/KZJqV09DgcU

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 興味深いことに、この映画はダンスと一体だとクリスは言っています。

 たとえば、サルサはニューヨーク風のストリートなサルサを、ストリートダンスは、ライト・フィート、フレキシング、ポッピング、ブレイクダンスなど、それぞれの文化を表現しているさまざまな要素を取り入れたというのです。

 さらに、ラテンといえば、サルサだけども、ブレイクダンスはアフリカ系だけではなく、プエルトリコ系やドミニカ系もあるといいます。抑圧された人々が、その気持ちをダンスに込めて表現していることを考えれば、ワシントンハイツの住民がライト・フィートを取り入れたように、映画にも新しいダンスを取り入れる必要があるというのです。

 動画で見ると、ライト・フィートはヒップホップのようなものでした。

こちら → https://youtu.be/H9jC18XYXjQ

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 クリスは、その種の文化の違いを理解しなければ、振付にも違和感が出てしまうといいます。監督もおそらく、同じような思いで製作に臨んだのでしょう。

 彼はまず、監督が「ダンスからシーンを考えていった」と語っています。振付を撮影して監督に送ると、意見が戻ってきて、監督が音楽付きのストリートボードを作るのだそうです。だから、「どんなシーンになるか想像しやすい」とクリスはいいます。

 なぜそうするのかについて、監督自身、「ダンスを通して物語が伝わるから」と理由を述べています。

 クリスはジョン・チュウ監督とは約12年間仕事を共にしてきました。二人はおそらく、阿吽の呼吸で理解しあえる関係なのでしょう。

 クリスは若い頃は振付のことだけを考えていたが、ジョン・チュウ監督がカメラにどう映るかを考えなければならないと教えてくれたといいます。お互いに影響し合い、領域を超えて、そのスキルを磨いてきたのでしょう。

 一方、脚本家のヒュデスは、ダンスの「オーディションを見て、ラテン系の才能が集まっていて、誇らしかった」と述べています。クリスがスキルだけではなく、文化の理解、表現の幅などを考え、人集めをしたからでしょう。クリス自身、「世界のトップダンサーがNYスタイルのサルサを踊った」と言っているほどです。

 実際、ダンスシーンのすべてが最高の出来栄えでした。

 この映画では、才能溢れた振付チームの下、素晴らしい才能とテクニックを持ったダンサーたちが練習を重ね、渾身のパフォーマンスを見せてくれたのです。振付師のクリスがいろんなジャンルの最高のダンサーを集め、振付チームを結成して、指導してきたことの成果でした。

 圧巻は、『Canaval Del Barrio』でした。下記の4分48秒の映像のうち、冒頭から2分23秒までがダンスシーンです。

こちら → https://youtu.be/ZDOVLEjbN4o

(冒頭から2分23秒まで。広告はスキップするか、×で消してください)

 クリスは、このダンスシーンでは、ドミニカ系、メキシコ系、コロンビア系がそれぞれ違うスタイルで踊るよう振付をしたといいます。ですから、『Canaval Del Barrio』はラテン系それぞれの文化を象徴したダンスシーンといえるでしょう。

 このシーンには、ラテン系コミュニティが一体となって立ち上がり、「世界にそのビートを響かせろ!」と訴えるウスナビの思いが凝縮されて表現されていました。

 ラテン音楽やダンスは、スペイン人に征服された奴隷たちが、チャチャチャ、マンボ、ソンなどのリズムを生み出したという経緯があります。ですから、そのような歴史を踏まえたうえで、現在のラップやヒップホップ、ライト・フィートなどを取り入れ、クリスは慎重に、さまざまなダンスシーンを創っていったのです。

 振付師クリスが求めていたのは、ジョン・チュウ監督、そして、脚本家キアラ・アングラ・ヒュデスと同様、リアリティでした。

 それでは、『Canaval Del Barrio』の一端を見てみることにしましょう。

■『Canaval Del Barrio』

 『Canaval Del Barrio』の迫力あるダンスシーンの中で、とくに引きつけられたのは、「旗を掲げろ」と名付けられた箇所です。主要登場人物たちの姿を画面のあちこちで見ることができます。ワシントンハイツの住民とともに立ち上がったのです。

こちら → https://youtu.be/bU3luTqDJeE

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 ウスナビはソニーに向かって、「お前の言う通り、ここは無力な移民ばかり」と語りかけ、「街は消える運命で、今夜が集まれる最後かも」と続けます。画面にはニーナ、カルラの姿が見えます。

 ウスナビはさらに、「でも、このまま引き下がるのか?」と問いかけ、「現実を嘆くより、俺は旗を掲げたい」と意思表示します。

 この時、カメラは佇んでウスナビを見つめるバネッサをバストショットで捉え、次いで、ソニーに語りかけるウスナビ、そして、国旗を差し出す子どもの姿を捉えます。


(ユーチューブ映像より)

 子どもたちが真剣な表情でウスナビを見守っています。ウスナビは、子どもの手から国旗を受け取ると、すぐさま、「旗を掲げろ!」と呼びかけます。音楽は次第に大きく、クレッシェンドで表現されます。この時、パフォーマンス、音楽のテンポとリズムで醸し出された画面の熱気が、観客にも直に伝わってきます。

 建物と建物の間には、洗濯物と共に多くの国旗が吊るされています。故国への思いが人々の生活の中にしっかりと組み込まれていることがわかります。

 「今夜こそ、声をあげるんだ!」とウスナビは続けます。画面にはバネッサの顔、ソニーの顔が見え、ウスナビを取り囲む輪が次第に大きくなっていくのがわかります。ウスナビはさらに高く国旗を振り上げ、「歌え、世界まで響かせろ」と皆をたきつけます。


(ユーチューブ映像より)

 ウスナビの傍らにはいつの間にか、カビエラ、カルラ、クカがいて、激しく踊っています。周囲の皆も両手を振り上げ、ジャンプし、感極まった様子です。「皆の旗に魂を込めて」というセリフの下、人々を捉えた映像が流れます。ウスナビの言葉に陶酔したような表情で、大勢の住民が両手を上げ、身体を震わせ、激しく踊っています。


(ユーチューブ映像より)

 この時、ワシントンハイツの住民は老いも若きも気持ちを通わせ、一体となっていたのでしょう。巨大な心のエネルギーが一気に爆発したような感じです。「あの橋を越え、世界へ、どこまでもビートは響く」というウスナビの言葉が力強く、リアリティを帯びて響き渡っています。

 まさに、クライマックス。皆の気持ちが一つになった瞬間でした。

 次いで、「この前のことは忘れて、最後に踊ってくれ」とウスナビはバネッサの手を取ると、曲は転調し、二人は静かに踊りだします。これが、冒頭で紹介した日経新聞の夕刊で見た写真のショットです。周囲の人々は暖かく二人を見守りながらも、陽気にはやし立てます。

■米国ラテン系コミュニティにみる格差社会の縮図

 わずか1分31秒のこの動画からは、ラテン系コミュニティの住民がこれまで大きく声をあげることなく暮らしていたことがわかります。差別に悩み、貧困にあえぎながらも、彼らは大規模な抗議行動をすることもなく、ダンスや音楽で積もる思いを発散させながら生きてきたのです。

 それが、今、ウスナビの旗振りの下、大勢が集まり、それに大きく呼応したのです。歌って、踊って、故国の旗を掲げ、自分たちの存在を世界に知らせようとしはじめたのです。

 再開発で追い詰められてようやく、ワシントンハイツの住民は声をあげようとし始めました。それもラテン系の人々らしく、音楽とダンスに乗せて、陽気に楽しく、自分たちの存在を世界に知らせようとし始めたのです。

 見ていて、思わず、涙が流れそうになりました。

 この映画で語られていることは、何もラテン系コミュニティに限ったことではありません。あらゆる社会に通じます。いってみれば、現代社会の課題とでもいえるようなものが、ラップやヒップホップ、ライト・フィートに乗せて、明るく陽気に提起されていました。

 かつては地域に根付いた独自文化の下で、人々は身の丈に合った豊かさを享受しながら生きていました。ところが、グローバル化の進行によって、いつの間にか、富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなるという構図が定着してしまいました。

 生産性の低い国や地域の住民は生きていけなくなり、故国を捨て、故郷を捨て、豊かな国や都市に移住せざるをえなくなっているのが現状です。その結果、地域との絆が途絶え、人との関係も途切れ、現代社会の人々は誰もが、一粒の砂のように、孤立し、無力になっています。

 この映画で取り上げられたラテン系コミュニティを取り巻く諸問題は、現代社会が抱える構造的な問題だといっていいでしょう。

 人と人を繋ぎとめるものがなくなりつつある一方、アブエラがいうように、何をするにも、「お金が必要」になってきています。その結果、マネタイズできるものが価値を持ち、そうではないものが価値をもたないという仕組みがあらゆる領域に浸透しています。

 果たしてこれでいいのでしょうか。

 『イン・ザ・ハイツ』では、ダンス、音楽、ストーリー、映像、それぞれが見事に絡まり合い、ラテン系コミュニティが抱える問題が的確に捉えられていました。格差社会の縮図ともいえるワシントンハイツを舞台に、カリビアン・ディアスポラの魂が見事に表現されていたといえるでしょう。それだけに、その背後に流れる重い課題を受け止めざるをえませんでした。

 この作品のキーワードは、夢、都市再開発、移民、宝クジ、エリート、差別と貧困、故郷などです。ところが、今回、それらを十分に組み込んで表現することができませんでした。とくにストーリーとダンスシーンとの関係については不十分なまま、書き終えてしまいました。改めて、書いてみたいと思っています。(2021年8月30日 香取淳子)

『ノマドランド』に何を見たか。

■『ノマドランド』

 2021年3月31日、久しぶりに映画でも見ようかと、近くのユナイティッドシネマに行ってきました。何を見るか決めていなかったので、館内のポスターをざっと見渡しましたが、これなら見てみたいと思える作品がなかなか見つかりません。

 今回はやめようと思い、帰りかけたとき、ふと、ホール内でデモ映像が流されているのに気づきました。32インチTVサイズのスクリーンには、外国人の少女が映し出されています。

 立ち止まって画面をみると、つぶらな瞳の少女のアップ画面の下に、「先生はホームレスなの?」という字幕が表示されています。聞かれた高齢女性は一瞬、間を置き、画面には、“ハウスレス”と字幕が表示されました。これを見た途端、ようやく、見たい映画が決まりました。

 映画のタイトルは、『ノマドランド』(Nomadland)です。

 久しぶりに見応えのある映画に出会いました。見終えてもしばらくは気持ちを整理できず、『ノマドランド』の世界に浸っていたほどです。映画館を出ると、外は別世界に見え、帰宅途上、エンドロールで流れていたウエスタン調の音楽がいつまでも耳でこだましていました。

 深く、清々しく心に響き、何か考えさせられるものがあったのです。

 見始めても、ストーリーにメリハリはなく、主人公や登場人物に魅力があるわけでもありません。もちろん、なにか事件が起こり、観客をハラハラ、ドキドキさせて画面に引き込もうとする仕掛けもありませんでした。

 人によっては、つまらないと思ったかもしれません。

 どちらかといえば、ドキュメンタリーのように、淡々と事実に沿って展開されていきます。ところが、ノマドを取り上げながら、興味本位の姿勢で追っているわけではなく、安直に社会問題化しようともしておらず、観客の興味関心を引こうとする姿勢がどこにも見当たらなかったのです。

 それなのに、私は見終えた時、この映画が創り上げた世界に引きずり込まれていました。いったい、何故なのでしょうか。

 帰宅後、ネットで調べてみると、監督は北京生まれでアメリカ在住のクロエ・ジャオ(Chloe Zhao)氏でした。この映画は、2017年に出版されたノンフィクション『ノマド:漂流する高齢労働者たち』(著者:Jessica Bruder)を原作に、2020年にアメリカで製作された108分の作品でした。

 再び、ネットで調べてみると、映画館のデモ映像で見たあのシーンを含む予告映像が見つかりました。2分15秒ほどの映像ですが、この映画を端的に知ることが出来ます。さっそく、ご紹介しましょう。

こちら → https://searchlightpictures.jp/movie/nomadland/video.html

(開始後38秒目ぐらいで、あのシーンになります)

 日本では3月26日に公開されたばかりでしたが、この映画は2020年にアメリカで製作されており、冒頭の字幕で紹介されているように、すでに欧米で数々の賞を受賞しているようです。

 それでは、この予告映像を見ながら、キーとなる映像を紹介し、私がなぜ、108分もの長い間、この映画の世界に引き込まれてしまったのかを考えてみたいと思います。

■キーとなる映像

 冒頭のシーンです。もうすぐ闇に包み込まれていこうとする夕刻が、荒涼とした風景の中で、「引き」の構図で捉えられています。左にうっすらと白いバンが見えます。ドアが開き、その先の方に人がいるようですが、はっきりしません。圧倒される荒野の夕刻が、どこまでも広がっているだけです。

(予告映像より。)

 やがて、カメラは、女性が一人で佇んでいる姿を、バストショットで捉えます。

(予告映像より。顔がぼやけていますが、ご了承を。)

 背後には白い車があり、風のふぶく音がずっと聞こえてきます。その間、セリフはなく、観客はひたすら、この広大な荒野の映像と風のふぶく音が創り上げる世界に曝されます。言葉ではなく、聴覚と視覚だけが刺激され、観客に感覚的な理解を促しているかのようでした。

■聴覚と視覚への刺激

 このシーンで感じさせられるのは、広大な荒野がもたらす寂寥感と、ヒトの孤独です。暮れなずむ夕刻の寂寥感と一人佇む女性の孤独とが重なり合って、観客の中の原初的な感覚が呼び覚まされていきます。

 まだ言葉にはならない情感がふつふつとかき立てられていきます。その情感を踏まえ、画面からなんらかのメッセージを読み取り、そこに詩情すら感じられるようになると、観客はすでにこの映画に感情移入して見ていることになります。

 セリフに依存せず、映像と音声だけで観客を力強く、画面に引き付けていくのです。セリフがないだけに、意識レベルよりも深いところが刺激されます。やがて、呼び覚まされた原初的感覚が記憶され、蓄積されていきます。

 なにもこのシーンに限りません。

 この種のシーンが随所に挿入されており、その都度、観客はヒトとしての原初的な感覚が呼び覚まされていきます。つまり、一種のキー映像となって、この映画全体の基調を創っているのです。

 もう一つ、ご紹介しておきましょう。

(公式サイトより)

 やはり、夕刻です。まだ明るさが残り、ピンク色の雲がすーっと長く尾を引いて、広がっています。どこまでも広がる大空の下、ファーンがランタンを持って歩いています。ファーンの姿はシルエットになって、ランタンから放たれる光が、スカートの腰下をぼんやりと照らし出しています。

 幾筋も広がるピンク色の雲とランタンの光とが見事に呼応し、画面を引き締めています。この瞬間でしか見られない、美しい光景が捉えられていました。

 映画を見ている最中は気づきませんでしたが、こうして静止してみると、改めてその美しさがわかります。自然の美しさと同時に、ヒトの美しさも捉えられていたのです。

 このようなキー映像が要所、要所に挿入されていました。観客はそれを見るたび、深く、静かに気持ちが揺さぶられます。すでに冒頭のシーンから、観客は意識下で感覚をわしづかみにされていたのです。

 人の心の奥深く、入り込んでしまうこの種の映像が作用し、観客は画面に引き込まれて見ていたのではないかという気がします。

 セリフによって意識に訴えるのではなく、自然の光景と音声とによって意識下に訴えられたからこそ、深いところで観客の気持ちを捉えることができたのでしょう。外在的要素(セリフ)ではなく、内在的要素(感覚)に訴えかける手法が功を奏したといえます。

 もちろん、言葉も大きな役割を果たしていました。この作品のキーとなるセリフを、予告映像の中からいくつか拾ってみましょう。

■キーとなるセリフ

 先ほど、ご紹介した予告映像に、この作品を組み立てているいくつかのキーとなるセリフがありました。予告映像には含まれていないシーンもいくつかありましたので、実際の映画の展開とは多少、異なります。とりあえず、ご紹介していきましょう。

●ノマド

 ファーンは、同世代に見える女性から、「あなたはどこへでも行ける、あなたみたいな人は放浪の民(ノマド)と呼ばれる」といわれます。

(予告映像より)

 眼鏡をかけたこの女性は定住し、安心と安全を手に入れて暮らしているのでしょう。その言葉には、半ば嫉みに近い感情と侮りのようなものが感じられます。ファーンは、「そうね」と答え、その見解を静かに受け入れているようでした。

 ノマドの生き方をもう少し、肯定的に捉えているのが、ファーンの姉でした。彼女は、「ノマドの生き方って、昔の開拓者みたいじゃない? ある意味、アメリカの伝統よ」といいます。

(予告映像より)

 久しぶりに戻って来たファーンを迎えたパーティの席上、彼女はノマドの生き方を肯定するような発言をし、ファーンを擁護します。もはやファーンの生き方を変えることはできないと諦めていたからかもしれません。

 いずれにせよ、定住していないか、そうでないか、家があるのか、ないのか、多くの人々にとって、重要な判断材料になります。多くの場合、それは差別にもつながりかねないのですが、実は、生き方の問題なのです。

●ホームレスではなく、ただのハウスレス

 スーパーで出会ったかつての教え子から、「先生はホームレスになったの」と聞かれ、ファーンは「ホームレスではなく、ハウスレス」と強調します。

(予告映像より)

 さらに、ホームレスとハウスレスとは「別物よ」と念を押し、「わかった?」と確認します。

 家がないことと家庭がないこととは違うのだとかつての教え子に言い含めるのです。このシーンでは、家がなく、定住できない人々を低く見る風潮に対するファーンの反発が感じられます。

 このシーンの後、ファーンの来歴がナレーションと字幕によって、明らかにされます。

 夫はUSジプサム社の社員で、ファーンは代用教員でした。それがリーマンショックで会社が倒産して社宅を追い出され、夫も亡くなってしまいました。住む場を失ったファーンは、それでもその地を離れず、バンに住み、ノマドとして生きることを選んだのです。

 ファーンにしてみれば、ノマドはホームレスではなく、家がなくて定住しない生き方なのだと教え子に言いたかったのでしょう。家はなくても、家庭は心の中にあり、それを大切にするため、定住しないことを選択したのだということを・・・。

●働きたい、仕事をしたい

 ファーンの生活が苦しいのは事実でした。福祉スタッフから、「今は厳しいわ。年金の早期受給の申請をしてみたら・・・?」と薦められるほどです。

(予告映像より)

 そう言われたファーンは即座に断り、「働きたいの、仕事がしたいの」といいます。

 まず、自助を優先するところに、ノマドとしての気概が感じられます。もちろん、働けば、生活費が得られるだけではなく、そこで友達もできます。

 アマゾン発送センターで働いていた時、出会ったのが、リンダでした。その後も季節労働者として共に働き、時にはともにフェイスケアをしたりします。

(予告映像より)

 フェイスシートを顔に載せ、寝椅子でくつろぐファーンとリンダです。過酷な労働の合間のリラックスシーンといえます。彼女たちは生き方としてノマドを選びながらも、定住していた時の身だしなみやエチケットを決して忘れていないことが強く印象づけられます。見ていて、歩っとさせられるシーンでした。

 このシーンが挿入されることによって、この映画が社会派ドキュメンタリーになることが回避されています。

 ある時、リンダはRTR(ノマドたちの非営利組織)の集会に参加しないかと誘います。最初は渋っていたファーンですが、決意して行ってみて、ファーンはさまざまなノマドと出会います。

●思い出は生き続ける

 映画が終わりに近づいたころ、「昔、父が言っていた。思い出は生き続けるって。でも、私の場合、思い出を引きずり過ぎたかも」とファーンは言います。それまで明らかにしなかったノマドとして生きる理由を、ファーンはボブ(RTRのリーダー)に明かすのです。

 ボブもまた自身を語り、「この生き方が好きなのは、最後の“さよなら”がないんだ」と言います。このセリフに、ファーンが亡くなった夫の写真を手に持つシーンが被ります。

(予告映像より)

 二人のやり取りの中から、ファーンがいつまでも夫の思い出を引きずり、寒冷地でノマドとして生きる道を選んだことが明らかになります。

●また路上で会おう

 ボブもまた自身を語り、「何百人ものノマドと出会ったが、一度も“さよなら”とはいわなかった」といいます。このセリフに、亡くなったスワンキーとファーンが、ゆっくりと歩くシーンが挿入されます。やはり、暗闇になる直前の夕刻でした。

(予告映像より)

 それにしても、なんと象徴的な映像なのでしょう。シルエットになったファーンの背後の空はオレンジ系の色で、スワンキーの背後の空は濃いブルーでした。自然界の移ろいを巧みに捉え、生きている者、亡くなった者をシンボリックに表現しているのです。

 ボブが出会ってきた何百人もの中に、ファーンやスワンキーがいます。そのうちスワンキーはすでにこの世の人ではありません。でも、別れ際に「さよなら」とはいっていないので、また、いつかどこかで会えるでしょうというのが、ボブの生き方です。

 ボブはどのノマドに対しても、「私はただ、また路上で会おう」と言ってきたといいます。そして、ボブの顔がアップになり、「実際、そうなる。また会える」と確信に満ちた表情で言うシーンに変わります。

(予告映像より)

 別れても、路上でまた会えるということを確信できるからこそ、ボブは人を信じて生きてこられたといいます。確かに、たとえ、亡くなったとしても、思い出の中ではまた会えるのです。

 ボブは、「だから、私は信じていられる」と言葉を続けます。

 そして、画面は、ファーンが生まれたばかりの赤ちゃんを抱くシーンになります。ノマド仲間のデイブの孫です。

(予告映像より)

 デイブは息子の家族と同居することを決めた時、ファーンに一緒に来ないかと誘います。このまま一人でノマドとして生きていこうとしているファーンを心配していたのです。だから、別れ際に、是非、遊びに来てと伝えていたのです。

 訪れてきたファーンに、デイブはわざと赤ん坊を押し付け、部屋を出ていきます。ファーンに抱かれて無心に眠る赤ん坊の姿を映し出した映像に、ボブの「だから、私は信じていられる」というセリフが表示されるのです。

 見ず知らずのファーンに抱かれているのに、安心しきって眠る赤ん坊の姿は、生きることは他人への信頼から始まることということを示唆しています。そのシーンにボブのセリフが被り、「信頼」という言葉が、時間空間の広がりの中で捉えられているのです。さり気ない日常のシーンでありながら、哲学的なインプリケーションがあります。

 観客としては、このとき、ファーンは自分の生き方について考えてみたのではないかと思わずにはいられませんでした。

 それでは、映画の骨格を形成しているストーリー構造をみていくことにしましょう。

■ストーリー構成

 この映画は三幕構成で組み立てられていました。順に見ていくことにしましょう。

●第1幕

 冒頭からRTRの集会までが、第1幕に相当します。

 冒頭、荒涼とした風景の中で、一人佇む高齢の女性が登場します。片隅に小さなバンが見えます。その車が雪の残る荒野を縫う道路を進んでいきます。運転する女性が大写しになり、「あなたはどこへでも移動できる」という字幕が表示されます。この映画を象徴するシーンの一つです。ノマドとして生きることを選択した60代の女性ファーンがこの映画の主人公です。

 荒野を駆けるバンを後ろから撮影したシーンはいくつか出てきます。いずれも荒涼とした風景を背景に、一台だけ走る姿が、背後から捉えられているのが印象的でした。たとえば、次のようなシーンがあります。

(公式サイトより)

 緑のない砂山のような丘陵が眼前に迫っています。周囲は草木のない荒野が広がり、ヒトが生きていく場としての過酷さが感じられます。さらに、横長の大画面がこの風景に寂寥感を添えています。

 冒頭の数シーンで表現されているように、ノマドにはどこへでも移動できて、何者にも束縛されない自由があります。その反面、安全を保障されているわけではなく、不便で、過酷な生活を強いられます。そして、定住している人々からは「放浪の民(ノマド)」といわれ、ともすれば、差別的に見られがちです。

 つぶらな瞳の少女が登場し、そのアップ画面の下に、「先生はホームレスになったの?」という字幕が表示されます。

(予告映像より)

 ファーンはスーパーでかつての教え子に出会いました。

 一瞬、間をおいて、「No, I’m just houseless」とファーンは答え、画面には、“ハウスレス”と字幕が表示されます。ファーンは言葉を継いで、少女に、「Are they the same thing, right?」と尋ね、少女が「No」と答えると、満足したような表情でうなずきます。

 この映画の主人公ファーンは、USジプサム社の社員だった夫がリーマンショックで会社が倒産後に死亡して家を失い、バンで暮らしながら生活している60代の女性です。

 かつては代用教員をしていたのに、いまでは、アマゾンの発送センターの作業、ビルの清掃、ファミレスでの皿洗いなどの賃仕事クをして、日銭を稼ぎ、出費を切り詰めて生活しています。

 ノマドとして生きることがいかに大変か。たとえば、アマゾンの仕事がなくなれば、生活費が途絶えるだけではなく、駐車場も使えなくなります。仕事探しはもちろんのこと、まずはバンを駐車できる場所から探さなければなりません。

 あまりに厳しい生活ぶりを知った福祉スタッフはファーンに、年金の早期受給申請を勧めます。ところが、彼女はそれを断り、「私は働きたい、仕事をしたいの」と訴えます。このシーンでは、できる限り、自立して生きていきたいというファーンの心根が示されています。

 他人に頼ることを拒み、あくまでも自立して生きていこうとするファーンに、アマゾンでの仕事仲間のリンダは、ノマドの集会に参加してみないかと誘いかけます。

 ここまでが第1幕です。主人公の置かれた環境、来歴、そして、ノマドとして生きることがいかに大変なことか、さまざまなエピソードを通して、的確に示されています。

 ところが、なぜ、ファーンがノマドとして生きているのか、その内面については、この段階ではまだ触れられていません。

●第2幕

 RTRの集会からスワンキーの死までが第2幕です。

 リンダから誘われても、渋っていたファーンは、思い切って、世界最大のノマドたちの集会“RTR(Rubber Tramp Rendezvous)”に参加してみることにしました。すると、そこには様々な理由で、ノマドとしての生活を選んだ人々がいました。

 そのときのシーンがコンパクトに編集され、RTR編として解禁されていました。さっそく、ご紹介しましょう。

こちら → https://youtu.be/u0E7hmyUbUs

 どんよりと曇った大空の下、ファーンは不安そうな表情でRTRの集会に出かけます。リンダを探し当てると、ほっとした表情で彼女の肩を叩きます。振り返ったリンダは「よく、きたわね」と声をかけ、「あれがボブよ」とRTRのリーダー、ボブを指さします。

 そんな二人の様子を見ていた後ろの男性がファーンに椅子を差し出します。さり気ないやり取りの中に、ノマドたちの他人を思いやる心持が見えてきます。そんなちょっとした気持ちのやり取りは、やがて、RTRのリーダー、ボブの演説内容とリンクしていきます。

 画面はRTRのリーダー、ボブ・ウェルズのショルダー・ショットに切り替わり、演説する顔面の表情が映し出されると、その内容が次々と字幕に表示されていきます。

 「我々はドルや市場という独裁者を崇めてきた」

 「貨幣というくびきを自らに巻き付け、それを頼みにして、生きてきた。馬車馬と同じだ」

 「身を粉にして働き、老いたら、野に放たれる。それが今の我々だ」

 「もし、社会が我々を野に放り出すなら、放り出された者たちで助け合うしかない」

 この字幕が表示されたとき、画面は、真剣に聞き入っているファーンのショルダー・ショットに切り替わります。

 その画面のまま、ボブの言葉は続きます。

 そして、「“経済”というタイタニックが沈みかけている」というフレーズが字幕表示された後、カメラはボブの顔を映し出し、「私の目的は、救命ボートを出して、多くの人を救うことだ」と締めくくります。

 演説するボブの言葉を紹介してきましたが、おそらく、それがアメリカ社会の現実なのでしょう。グローバル資本主義経済下では、富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなって、格差が広がっています。労働者は、低賃金で働けるだけ働かされて、高齢になると、切って捨てられるというのが実状なのです。

 RTRのリーダー、ボブが言うように、高齢になれば、社会保障も十分ではないまま、職を失い、家を失ってしまいます。そうなれば、バンに住んで、ギグワークを探し、生きていくしか方法はないのです。

 ボブの語る一つ、一つのフレーズが、心に刺さるものでした。自己責任という名の下に搾取され続け、高齢になれば、放り出されるといった現実の中で、ノマドたちは、生きていくために、助け合うしかないのです。

 ボブの演説が終わると、炊き出しのシーンになります。ファーンはリンダと一緒に配給の列に並びますが、そこで出会ったのが、スワンキーでした。

 彼女は腕を怪我しており、食べ物を取り分けることができません。ファーンがそのお手伝いをしています。こうして出会ったその時から、彼女たちの中に、お手伝いをする、されるという関係が生まれていきます。

 パブリカをもっと入れてとか、コリアンダーはダメといったような会話には、家庭の雰囲気を感じさせられます。列を作って順番を待つノマドたちの表情も明るく、なんともいえず穏やかなに見えました。一人ではなく、集っているからこそ、気持ちが安定し、穏やかな表情になるのでしょう。

 路上生活をしていると、一人では解決できない不便なことがいろいろあります。

 たとえば、ファーンに気持ちを許したスワンキーはさっそく、車体の塗装を頼みます。ファーンは快く引き受け、なんとか塗り終えると、スワンキーは「残ったペイントはあげるわ」といい、感謝の気持ちを伝えます。

 こうして、貨幣を介在させない互酬関係が成立するのです。

 個人的な助け合いばかりではありません。RTRの集会に参加すると、ノマドたち共通の課題として、救助の呼び方、タイヤの交換、さらには、車にはGPSを搭載した方がいいといったような生活の知恵を教えてもらえます。

 第2幕では、RTR集会に参加することによって、孤立していたノマドたちも一人ではなく助け合って、共に生きていけるということが示されています。社会から切り離され、絆を断ち切られたとしても、ここに来れば、メンバーの一人だということを確認できるのです。

 さらに、この集会を経て、スワンキーやデイブを絡めたノマドと知り合い、それぞれのサブストーリーが誕生し、第3幕へと誘導されます。

●第3幕

 親しい人が亡くなり、バンが故障するというクライマックスを経て、それでもファーンがノマドとして生きることを選択するまでが描かれます。

 ファーンはRTRの集会で、さまざまなノマドと出会います。たとえば、スワンキーの場合、車体の塗装を頼まれ、やがて、二人の間に友情が生まれていきます。

 ある日、スワンキーは不用品の提供をfacebookで告知し、身の周りを整理しはじめました。このシーンで私はなによりも、高齢のスワンキーがSNSで社会とつながっていることに驚きました。

 定住していなくても、スマホの契約ができるのか、さらには、カード決済ができるのか、日本に住んでいると、そんなことがちょっと気になりましたが、現代のノマドには車とスマホ、パソコンは不可欠なのだと、このシーンを見て納得しました。

 さて、75歳のスワンキーがなぜ身の周りの整理を始めたかといえば、医者から余命7,8カ月だと診断されたからでした。ノマドとして生きてきた彼女ですが、いよいよ、死をどう迎えるかという段階に入っていたのです。

 このまま病院で死を待つのはお断りだと彼女はファンシーにいい、安楽死の方法をいろいろ考えているともいいます。そして、ノマドらしく、さよならといわず、明るくバンに乗って、去っていきました。

 その後、ファーンはスワンキーが亡くなったことを知ります。ノマドの仲間たちは集い、焚火をし、彼女が好きだった石を一人ずつ、投げ込んでいきます。石が好きだったスワンキーが望んだ弔いの儀式でした。

(公式サイトより)

 真ん中にいるのがRTRのリーダーであるボブ・ウェルズ、そして、その隣がデイブです。二人とも両手を組み、沈んだ顔をしています。スワンキーの死によって、誰もが、いつかは迎えなければならない死を考えさせられたのです。

 車とスマホがあり、健康であれば、ノマドとして生活していくことはできます。ところが、その一つでも欠けると、もはやノマドであり続けることはできなくなります。自立して生きることはできず、家族か公的扶助に頼らざるを得なくなります。

 ファーンにもそのような時が訪れました。車が故障したのです。

 ファーンは整備工場に車を持ち込みます。その時のシーンが本編整備工場編として公開されていました。ご紹介しましょう。

こちら → https://youtu.be/LVR9A7YLsqQ

 車を点検する整備士の様子をファーンは不安そうに見つめています。まるでわが子の回復を願うまなざしでした。

 点検を終えた整備員は、修理代の見積もりとして、2300ドル+税だといいます。そして、この車は走行距離が長くて、市場価格も安い。修理するより、車を買ったらどうかと提案します。

 言われたファーンは「それはできない」と即答します。そして、慌てたように、「時間もお金もかけて改装したから、他人かれ見ればボロ車でも、私には…」と言いかけて、「車に住んでいるのよ、私の家(home)なの」と言い直します。

 ファーンにとってこの車は、壊れたからと言って取り換えることのできない家庭なのです。

 当然のことながら、修理を選択しますが、そのお金がありません。仕方なく、姉に電話し、修理代金を貸してもらうことにしました。姉は久しぶりに会う妹を快く受け入れ、歓迎のパーティを開いてくれます。

 パーティの席上、姉は、「ノマドの生活って、昔の開拓者みたいじゃない。ある意味、アメリカの伝統よ」といい、ファーンの生き方を擁護します。姉の言葉を、ファーンはどれほど複雑な思いで聞いていたのでしょう。

 さて、姉に修理代金を借りることができ、ファーンは再び、ノマドとして路上生活に戻ります。

 ある日、ファーンは息子家族の家で暮らすデイブを訪れました。デイブの家族は総出で歓待してくれました。そして、息子の妻から、デイブが一緒に暮らしたがっていることも聞きます。ひょっとしたら、少しは気持ちが動いたのかもしれません。

 ところが、ファーンはやはりノマドとして生きることを選択します。

 第1幕、第2幕、第3幕とみてくると、この映画のストーリーがきわめて構造的に組み立てられていることがわかります。

 いかにもドキュメンタリー映画のように見えながら、実は、緻密なストーリーによってドラマティックに創り上げられていたのです。だかこそ、一見、つまらないように見えながら、一度も退屈することなく、画面に引き込まれて見ていたのだということがわかります。

 果たして、どのようなスタッフが製作していたのでしょうか。

■製作スタッフ

 最初にいいましたが、この映画の監督はクロエ・ジャオ(Chloe Zhao)氏です。『ザ・ライダー』(2017年、アメリカ製作)で高く評価されています。1982年の北京生まれでアメリカ在住の気鋭の監督です。

こちら → https://eiga.com/person/315968/

『ノマドランド』では、監督・製作はもちろん、脚本・編集も担当しています。

 この映画では、深淵で情感豊かな映像が強く印象に残りましたが、撮影を担当したのは、ジョシュア・ジェームズ・リチャード(Joshua James Richard) 氏 でした。

(公式サイトより)

 主人公のファーンを撮影するジョシュア・リチャーズ氏とクロエ・ジャオ監督です。『Vogue』2021年2月18日号によると、クロエ・ジャオ監督は彼とは私生活でもパートナーで、息の合った仕事ができているそうです。

 さらに、クロエ・ジャオ監督はインタビューに答え、「必ず私がファーストカットを手がけて、それを観て彼は私の編集の方向性を理解してくれるんです。彼は私がどこをカットするかを把握しているので、いちいち彼に伝えなくていいんです」と語っています。

 おそらく、この写真はファーストシーンを撮影していたときのものなのでしょう。

 何をどういう観点で撮るか、どのような光量、ライティングの下で撮るか、映像に美意識が重要なことは言うまでもありませんが、さらに、作品のコンセプトが関わってきます。

 上記のインタビュー内容を考え合わせると、『ノマドランド』で素晴らしい映像を度々、目にすることができたのは、監督と撮影者とが作品コンセプトや視点、美意識を共にしていたからこそ、可能だったといえるでしょう。

 もちろん、俳優にとっても、監督との一体感は必要です。

 『Vanity Fair』(2020年11月11日)の記事によると、ファーンを演じたフランシス・マクドーマンド氏は、2017年に製作された『ライダー』を見て、クロエ・ジャオ監督が完璧だと思ったそうです。

 クロエ・ジャオ監督に惹かれた彼女は、2017年に出版された“Nomadland: Surviving America in the 21st Century” (邦題:『ノマド:漂流する高齢労働者』)の映画化権を購入し、クロエ・ジャオ監督に製作依頼をしたのです。

  主演のフランシス・マクドーマンド氏主導で、この映画が誕生したともいえますが、果たして、フランシス・マクドーマンド(Frances McDormand)氏とはどういう人物なのでしょうか。

 調べてみると、『ファーゴ』、『スリー・ビルボード』などでアカデミー主演女優賞に輝いた、実力派の俳優でした。

こちら → https://eiga.com/person/63036/

 そして、ファーンに心を寄せ、一緒に住まないかと誘いかけたデイブを演じたのが、デヴィッド・ストラザーン(David Strathairn)氏でした。

こちら → https://eiga.com/person/50572/

 驚いたことに、『ノマドランド』の出演者は、ファーンとデイブ以外はすべて俳優ではなく、ノマドをはじめとする協力者たちでした。

 確かに、Wikipediaで、『ノマド:漂流する高齢労働者たち』をチェックしてみると、映画に出演していた俳優以外の人々は、この本で取り上げられた人々でした。リンダ・メイ、シャーリン・スワンスキー、ボブ・ウェルズなど、まるで本物のノマドのように、俳優が迫真の演技をしているのかと思っていましたが、実は、当人たちが画面に登場していたのです。

 彼らは主演のファーンに打ち解けて、すっかり気を許し、素のままでカメラの前に立ち、その生活ぶりを再現していたのです。登場人物が本物なのですから、画面に迫力がでないわけがありません。

■なぜ、『ノマドランド』に引き付けられたのか。

 なんの予備知識もなく、見た映画でした。最初は風景画のような、深淵で詩的な映像に引き付けられただけでした。登場人物に華がなく、ストーリーにもメリハリがなく、漂流して生きざるをえない高齢労働者の日常が描かれているだけのように見えました。

 ファーンという架空の人物が設定されていなければ、ただのドキュメンタリー映画で終わったでしょう。

 どこから、この映画に引き付けられていったかといえば、スーパーでかつての教え子に出会い「先生はホームレスになったの?」と問われたシーンからです。「ホームレスではなく、ハウスレス」ときっぱり言い切るファーンの表情に引き込まれたのです。そして、考えさせられました。

 ホームレスとハウスレスとはどう違うのか?と頭の中で問いかけていたのです。この時、私の脳裡にしっかりと 楔が打ち込まれたといえるでしょう。このシーン以降、セリフに注意して見るようになり、次第に、この映画の奥深さに引き込まれていったのです。

 当初、キーになったのは、このような映像であり、そして、セリフでした。

 やがて、ストーリーが展開していくにつれ、ただの高齢労働者にしか見えなかった登場人物たちが、それぞれの価値観を持ってノマドという生き方を選択し、自立して生きている人々だということに気づいていきます。

 スワンキーの死を知り、バンの故障というクライマックスに至ったとき、さすがのファーンも今度こそは、ノマドとしての生き方を放棄するのかと思いました。ですから、同居の提案があったデイブの元に行くシーンになったとき、それを受け入れるのかと思いました。

 生まれたばかりの赤ん坊を抱いたとき、ファーンには感慨深いものがあったはずです。信頼されていること、未来が感じられること、いずれも生きていく上で欠かせないものです。

 実際、ファーンはデイブの息子家族からも歓待されており、同居しても居心地よく暮らせることは予想できていました。老いて、身寄りのない女性にとって、同居はもっとも望ましい選択でしたから、その可能性は十分、ありました。

 ところが、ファーンはノマドとして一人、路上で生きる道を選択したのです。夫との思い出から抜け出ることができなかったからでした。

■『ノマドランド』に何を見たか。

 最後のシーンが秀逸でした。


(公式サイトより)

 

 岩に砕け散る大波を背景に、ファーンが一人、佇んでいます。その姿に悲壮感はなく、気負いもなく、ただ、貧しくても自由に生きてきたことからくる自負心と落ち着き、そして、悟りのようなものが感じられました。

 このときのファーンの顔には、気高さすら感じられます。自己責任を条件に選択を迫られたのではなく、自らの意思でノマドという生き方を選択した者の潔さがあったのです。

 さて、この映画は、ノマドのエピソードを積み重ねて観客を誘導し、クライマックスに達したかと思うと、さまざまな可能性を示して期待させ、逡巡させ、最終的に、主人公はノマドの生き方を選択するという展開でした。

 ハラハラ・ドキドキの要素はありませんでしたが、事実を踏まえ、構造化されたストーリーに支えられていました。そのおかげで、ノマドの生き方を通して、折々のシーンで、「生きる」ということを考えさせられました。

 アマゾン発送センターやファイスブックなど、現代的要素を巧みに取り入れながら、建物としての家、家族の交流の場としての家庭、そういうものを失った者が辿り着いたノマドという生き方が深刻ぶらずに描かれていたのです。

 グローバル資本主義経済下で生きるということの意味を深く問いかけ、哲学的内容を含んだ見応えのある作品でした。

 とくに、最後のシーンでは、孤高の人、ファーンが最後まで矜持を保って生きてきた姿勢に圧倒されました。このシーンを何回も反芻しながら、これまで自分はどう生きてきて、今度、どう生きようとしているのか、いまなお、問い続けています。観客に内省を迫る映画だといえるでしょう。(2021/04/11 香取淳子)

Disney実写版『アラジン』:欲望の連鎖が紡ぐ21世紀のストーリー

■Disney実写版『アラジン』

 7月12日、たまたま時間が空いたので、近くのユナイテッドシネマでDisneyの実写版『アラジン』(字幕版)を見てきました。

こちら → https://www.disney.co.jp/movie/aladdin.html

 意外なことに、客席は半分も埋まっていませんでした。ちょっと驚きましたが、6月7日に公開されすでに5週目の終わりだったこと、平日だったことなどを思えば、その程度の観客数でも別段、不思議はないのかもしれません。

 ところが、帰宅してネットで検索してみると、公開された6月7日以降の週間ランキングは連続1位でした。

こちら →http://www.kogyotsushin.com/archives/weekly/201906/

 7月のデータを見ても、第1週はやはり1位、勢いは衰えていません。全国的な統計を見れば、実は、5週連続1位を記録していたのです。確かに、エンターテイメントとしては、とてもよく出来た映画でした。

 試みに、映画の雰囲気を知ってもらうために、公式ホームページで紹介されていた60秒の映像をご覧いただきましょう。

こちら →https://youtu.be/mxL6e5vQ0RE

 この映像を見てようやく、私が見た劇場で観客数が少なかった理由がわかったような気がしました。

 『アラジン』は、2D(字幕版)、2D(吹替版)、IMAX(字幕版)、4DX3D(吹替版)の4種類が上映されていましたが、私が見たのは2D字幕版でした。これは1日3回上映されており、私は午後に用事があったので、午前に上映開始されるのを選びました。しかも、平日でしたから、週末の午後、吹替版なら観客数はもっと多かったのかもしれません。

 さて、オリジナルの『アラジン』は1992年に制作されたアニメ作品です。それを実写にリメイクし、2019年6月7日に公開されたのがこの作品です。それでは、2019年実写版『アラジン』がどのようなものだったのか、2分20秒の予告映像(字幕版)をご覧いただきましょう。

こちら → https://youtu.be/EbsZrpwmsq0

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 ほんの一部分にすぎませんが、これを見ただけでも、この映画の音楽がどれほどテンポ良く、メリハリの効いたリズムであったか、ノリのいいものであったか、そして、映像のキレがどれほど良く、臨場感に満ちたものであったかがわかろうというものです。

■2019年実写版『アラジン』

 もっとよくコンテンツを知っていただくために、アメリカ版予告映像&制作スタッフのトーク映像をご紹介しましょう。先ほどご覧いただいた予告映像よりも長め(12分41秒)です。重複するシーンもありますが、ご了承ください。

こちら → https://www.youtube.com/watch?v=foyufD52aog

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 冒頭のシーンは、スピード感溢れるテンポで構成されています。ところが、その後、逃げ延びたアラジンが街中で侍女に扮したジャスミンに出会うシーンになると、動きがなくなり、二人が視線を交わすだけになります。アクションを見せるシーンの後は、心理的な駆け引きを見せるシーンを用意し、メリハリをつけていることがわかります。

 ハラハラドキドキするシーンがあるかと思えば、陽気にノリノリ気分になってしまうシーンもあります。アップテンポでリズミカルな音楽とメリハリの効いた映像がぴったりと絡み、観客を飽きさせることなく、気持ちを明るく弾ませてくれる作品になっていました。

 ちなみに監督はイギリス人のガイ・リッチー(Guy Ritchie)、その経歴を見ると、若いころはコマーシャルやミュージックビデオを多く制作していたようです。

 直近の作品の傾向を見てみると、2015年に監督したスパイアクション映画『コードネーム U.N.C.L.E.(アンクル)』は、1960年代のテレビドラマ『0011ナポレオン・ソロ』のリメイク映画ですし、2017年に監督した『キング・アーサー』は、アーサー王伝説を題材としたアクション映画です。

 このような制作作品の傾向からは、ガイ・リッチーこそ、この作品に最もふさわしい監督だったといえるでしょう。

 実際に、劇場の大画面でこの作品を見ると、アクションシーンや魔法のシーンなどが素晴らしく、とても印象的でした。実際にはありえないシーンも、特撮技術によって実写映像に溶け込むように編集されており、視覚的訴求力の高い画面に仕上がっていました。とくに、サルやトラ、オームといった準レギュラーの動物たちの造形や動きが見事に表現されていました。

 キャラクターの造形といい、アクションシーン、魔法のシーン、アップテンポのダンスシーンなど、エンターテイメントとして必要な要素はすべてカバーされていたのです。5週連続でランキング1位というのも納得できます。

 それでは、1992年に制作されたアニメ版と比較するとどうなのでしょうか。

■実写版『アラジン』vs アニメ版『アラジン』

 まず、興行収入を比較することから始めましょう。

 1992年に制作されたアニメ版『アラジン』は制作費2800万ドルに対し、世界から得た興行収入は5億405万ドルでした。

こちら → https://www.boxofficemojo.com/movies/?id=aladdin.htm

 なんと制作費の約18倍にも達しています。

 一方、2019年に制作された実写版『アラジン』は制作費1億8300万ドルに対し、チェックした時点で(2019年7月14日)、世界から得た興行収入は9億6153万9269ドルです。

こちら → https://www.boxofficemojo.com/movies/?id=disneyfairytale22019.htm

 米国での公開が5月24日、日本での公開は6月7日ですから、今後、さらに数字は伸びると思いますが、現時点での興行収入は制作費の約5.25倍です。

 同じ条件で比較するため、オープニング1週間の興行収入で両者を比較すると、1992年のアニメ版は1928万9073ドル(1131劇場)で、2019年の実写版は9150万929ドル(4476劇場)でした。上映劇場が約4倍なので、それに応じた興行収入になっています。

 上映劇場数がオリジナルの4倍になっているのは、実写版にリメイクすることによって、観客のターゲット層を、子ども向け家族だけでなく、青年層にまで広げることができたからだと推察できます。

 次に、二つの作品のポスターを比較してみることにしましょう。

ポスター比較 (映画comより)


 左が実写版(2019年)、右がアニメ版(1992年)です。

 いずれも、三日月を背景に、魔法のジュータンに乗ったアラジンと王女ジャスミンの姿が中心に置かれています。モチーフ、背景、構図、いずれをとっても似かよっています。2019年版はおそらく、1992年版を意識して制作されたのでしょう。

 もっとも、よく見ると、両者には微妙な違いが見られます。

 実写版はアラジンとジャスミンが互いに顔を見つめ合っているのに対し、アニメ版は身を寄せ合って、愛を語らうシーンが捉えられています。意思を確認し合うシーンに力点が置かれているのが2019年版だとするなら、身体的な触れ合いに力点が置かれているのが1992年版といえるでしょう。

 一方、実写版には「その願いは、心をつなぐ。そしてー世界は輝きはじめる」というコピーが添えられ、アニメ版には「愛は冒険を生む。冒険が愛を育てる」というコピーが添えられています。

 これらのコピーからは、実写版ではアラジンとジャスミンの生き方や世界とのつながり方にウエイトが置かれているのに対し、アニメ版では二人の愛と冒険に力点が置かれていることが示されています。

 こうしてみてくると、アニメと実写といった形式の違い以外に、1992年と2019年という制作年の違い、すなわち、時代精神の違いといったようなものがみられるのです。

 さらに、実写版には魔法のランプの精ジーニーの姿が左下に大きく描かれているのに対し、アニメ版にジーニーの姿はありません。つまり、実写版ではジーニーを含めた主要登場人物を三人とみなし、その生き方、世界観が描かれているのに、アニメ版ではアラジンとジャスミン二人の愛の物語で完結しているのです。

 アニメ映画であれ、実写映画であれ、それぞれの作品には時代の風潮や価値観、世界観が反映されざるをえないことを感じさせられます。

 さて、ストーリーの展開の観点からみると、2019年の実写版は1992年に制作されたアニメ映画をリメイクしたものだとはいえ、いささか異なる面があるようです。

こちら → 

https://www.cinemablend.com/news/2472222/disneys-aladdin-10-differences-between-the-remake-and-the-original

 この記事の筆者は、登場人物の生き方や世界観に21世紀の現在にマッチするよう修正されていたると考えています。そのような側面での改変によって、21世紀の観客を大きく魅了するエンターテイメントになりえたのかもしれません。

 それでは、アメリカ版ポスターを通して、作品の構造を見てみることにしましょう。

■アメリカ版ポスターが示す作品の構造

 まず、アメリカ版ポスターに表現されている主要な登場人物と、ターニング・ポイントとなる主要なシーンをご紹介しておきましょう。

アメリカ版・ポスター


 このポスターは、とても興味深い画面構成になっています。

 中央に、魔法のランプを見つめる主人公のアラジンが大きく描かれています。これを全体の中心線だとすると、左半分にやや引いて、ジャスミン王女、そして、右半分にはランプの精であるジーニーの顔が大きく、まるで観客をのぞき込むような恰好で描かれています。

 左右にレイアウトされたこの二人は物語の主要なキャラクターです。

 色調の観点からいえば、ポスターの左半分は黄金をイメージさせる黄土色、右半分はその補色である濃いブルーをベースカラーに設定されており、アラジンを挟んで二つの領域に分けられています。

 左側が宮殿を舞台に、権力闘争が展開されるリアルな世界が描かれているとするなら、右側は魔法のランプが隠されていた洞窟を舞台に、夢を実現するファンタジックな世界が描かれているといえるでしょう。

 まず、左側から見てみましょう。

 王女の衣装を着たジャスミンが毅然とした姿を見せており、その背後には、黄金で輝く宮殿の内部が描かれています。細部に装飾が施され、何もかもが黄金色で輝いており、それが奥深くどこまでも続いているのです。宮殿がいかに広大で、豪華なものかが示されています。

 王女のボディガードの虎(ラジャー)は黄金色に輝いていますし、その隣に描かれた王女の父、アグラバー国王もまた輝く光の中で、威厳のある立ち姿で描かれています。その下には彼らが支配するアグラバーの城下が描かれています。ですから、左側は富と権力が示されているといえるでしょう。

 それでは、右側はどうでしょうか。

 アラジンの右肩の背後からランプの精ジーニーが大きな顔を覗かせています。このポスターの中で最も大きく描かれているばかりか、ジーニーだけが観客と視線を交差できるような描かれ方をしています。眉を軽く上げ、おどけた表情を見せながらも、視線はダイレクトに観客に向けているのです。

 ご説明したのは、先ほどのポスターの上半分です。切り取ると、このようになります。

アメリカ版ポスター上半分

 改めて、この三人の視線の向きをチェックしてみると、主人公のアラジンは視線を伏せ、ジャスミンは視線を遠方に投げています。つまり、この二人は観客と目を合わせないように描かれているのです。つまり、二人はあくまでも物語の登場人物であって、語り手ではないということが示されています。

 一方、ジーニーは笑みを浮かべ、視線をダイレクトに観客に向けています。ですから、このジーニーこそ、物語の全容を把握し、観客に向かって面白おかしく語りかける語り部のように見えます。そういえば、『アラジン』はアラビアンナイトの一話でした。この映画のオープニングは、行商人が子どもたちを前にお話をして聞かせるシーンだったことを思い出します。

 それでは、何がこの物語のキーポイントになるのでしょうか。それは、魔法のランプの精が叶えてくれる「願い事」すなわち、欲望です。

 主要な登場人物の欲望がどんなものだったのか、見ていくことにしましょう。

■ランプの精が叶えてくれる願い事

 物語は、侍女に扮して城外に出た王女ジャスミンがアラジンと出会うことからはじまします。宮殿に閉じ込められるようにして暮らしている王女ジャスミンにとって、城外に出ることは、まだ見ぬ世界を知ることであり、夢でした。

アグラバーの城外 (ユーチューブ映像より)

 ところが、一歩、城外に足を踏み入れると、そこは秩序もなく、雑多なものが混在している空間でした。物売りの声が聞こえるかと思えば、盗人が追われる騒動もありました。喧騒に満ちた街中は興味が尽きず、キョロキョロと見回っている間に、ジャスミンは露店の立ち並ぶ一角にやってきていました。

 そこに突如、現れたのがアラジンでした。

 アラジンは盗みを咎められ、追われていました。階段を駆け上り、屋上伝いに追手をかわしながら、華々しいアクションシークエンスを繰り広げた後、ようやく人混みに紛れ込み、ほっとしたときに出会ったのが、ジャスミンでした。

アラジンとジャスミン アメリカ版クリップ

 挨拶代わりに、アラジンはジャスミンから母の形見の腕輪を盗みます。驚くジャスミンを見て満足し、すぐさま腕輪を返却します。ところが、相棒の小ザル(アブー)がいつの間にか、また盗んでしまいました。これでは信用を失ってしまうとばかりに、アラジンは返却のために宮殿に忍び込みます。このとき、アラジンはジャスミンを侍女だと思い込んでいました。

 首尾よくジャスミンに会うことができ、腕輪を返すことはできたのはいいのですが、アラジンは衛兵に捉えられてしまいます。その処遇を担当したのが国務大臣のジャファーでした。彼は、ジャスミンが実は王女だということをアラジンに教え、洞窟に入って魔法のランプを取ってくれば、チャンスを与えるといい、大金持ちになれるぞと唆します。


アラジンとジャファー (ユーチューブ映像より)

 権力志向の強いジャファーは、国務大臣であることに不満を持ち、ひたすら王になることを願っていたのです。通常手段では不可能なこの願いも、魔法のランプを使えば叶えることができるのではないかと思い、アラジンに命じたのでした。

 アラジンはサルのアブーを伴って、洞窟の中に入っていきます。

 洞窟の中に入ったアラジンは崖の上に置かれているランプを見つけ、なんとか手に取り、下に降りた途端に、ランプの精であるジーニーが突如、現れます。アラジンは何も知らずに、ランプをこすってしまったのです。


アラジンとジーニー  アメリカ版クリップ

 ジャファーの命令に従ってようやく手にした魔法のランプから、思いもしないランプの精霊が現れ、三つの願いをかなえてあげるというのです。

 これがこの物語の第一のターニング・ポイントになります。

■アラジン、アリ王子として宮殿へ

 ジーニーはさっそく、ランプの使い方や願い事のルールなどをアラジンに教えます。

こちら → https://youtu.be/DuPUlLXiTQQ

 どんな願いも聞き入れてくれるというので、アラジンはジャスミンに会いたいといいます。王座を求めるジャファーと違って、アラジンの願い事はなんとささやかなものなのでしょう。ただ、ジャスミンに会いたいというだけのものでした。

 ところが、相手は王女です。会うには、宮殿に入るという大きなハードルを乗り越えなければなりません。正々堂々と、誰にも邪魔されることなく宮殿に入り、しかも、歓待されるという状況を創り出さなければなりません。

 それには、どこかの国の王子になり、表敬訪問をするという体裁を取らなければならないのです。

 ジーニーはいろいろなアイデアを出しながら、最終的にアラジンを架空の国「アバブワ」のアリ王子に仕立て上げます。もちろん、ジーニーが魔法を使って変身させられるのは外見だけですが、いろいろな衣装を試着させてみて、最終的に、白いターバンにいかにも王族らしい衣装に決定します。

ジーニーに変身させられたアラジン ユーチューブ映像より。

 砂漠を背景に、次々とアラジンを変貌させていくシークエンスは、ジーニー主導のコメディタッチで表現されています。魔法使いならではの面白さが、特撮技術とジーニー役の俳優ウィル・スミスのコミカルな演技で組み立てられており、笑いを誘う部分です。

 こうしてアラジンは、ランプの精ジーニーの魔法によってアリ王子に変身し、ジャスミンのいる宮殿に向かいます。

こちら →https://youtu.be/2URgeV4ilcU

 ジーニーが踊りながら先導する行進がなんとも陽気で、華やかです。華麗な衣装のダンシングチームが踊りながら行進した後は、ダチョウが突進していきます。そして、アブーが変身させられた象に乗って、アリ王子に変身したアラジンが現れます。大勢の人々が見ている沿道から、歓声が沸いています。

 宮殿のバルコニーからは王やジャスミンが、何事が起こったのかとアラジンの一行を見守っています。

宮殿から見下ろす王とジャスミン ユーチューブ映像より。

 そうそう、うっかりして、大切な登場人物を紹介し忘れていました。アラジンの相棒、小ザルのアブーです。

アラジンとアブー アメリカ版ポスター

 アラジンの肩に乗って、威嚇するように大きく口を開け、こちらを睨みつけています。時にいたずらもしますが、アラジンにはとても頼りになる相棒です。宮殿に向かう際はジーニーによって巨大な象に変身させられ、アラジンを乗せて行進しています。

 派手で豪華な行進で入城するというジーニーの作戦は成功しました。

 得体の知れないアリ王子ですが、ジーニーが先導する行進があまりにも豪華で派手だったので、財力の豊かな国から表敬にきた王子だと勘違いされたのでしょう、つゆほども警戒されることなく、アラジンの一行は宮殿に迎え入れられたのです。

■王座を狙うジャファー

 アリ王子の顔を見るなり、国務大臣のジャファーはアラジンだと気づきます。そして、その華麗な変身ぶりを見て、アラジンが魔法のランプを手に入れたと察知します。

 そもそも、この物語の発端の一つはアラジンとジャスミンの出会いであり、もう一つの発端はジャファーの王座狙いでした。国の重鎮である国務大臣を務めていたとはいえ、いつまでも二番手でいることに安住できないジャファーの欲望が、この物語のもう一つの発端だったのです。

 ジャファーは、宮殿に忍び込んだアラジンを捉え、ジャスミンが王女であるkとを教え、さらに、洞窟にある魔法のランプを取り出して来いと命令しました。魔法の力で王座を得たいというのが彼の狙いだったからです。

  それなのに、アラジンは今、魔法のランプを使ってアリ王子となり、宮殿に現れています。ジャファーが怒るのも当然でした。アラジンは魔法のランプを横取りしたばかりか、大胆にも宮殿に赴き、王や王女ジャスミンに表敬訪問をしているのです。

 アラジンはそれほど見事にアリ王子に変身していました。これを見たジャファーは、改めて、魔法のランプの力の凄さを認識したことでしょう。なんとしてでも、ランプを取り戻そうと画策します。

 さて、アリ王子(アラジン)は表敬の挨拶の際、ジャスミンに贈り物を申し出ます。最初の申し出(ジャムなどの贈り物)には関心を示さなかったジャスミンですが、二度目に申し出た、行きたいと思ったところにはどこへでも、魔法のジュータンに載せて連れて行ってあげるという提案には喜びました。

 この時、ジャスミンもまた、アリ王子が実はアグラバーの街で出会ったアラジンだということに気づきます。ただ、ジャファーとは違って、アリ王子が扮装して街に出ていた仮の姿がアラジンだったと解釈したのです。

 見かけは王子でも中身はアラジンなので、宮殿のお偉方とのやり取りにはボロが出ます。その隙を狙ったジャファーは、ランプがどこにあるか言わなければ、お前の正体をばらすぞとアラジンを脅し、縛り上げて海に投げ込んでしまいます。

海に投げられるアラジン ユーチューブ映像より。

 

 危機一髪のところ、機転を利かせたジーニーが変則的に第2の願いを使って、アラジンを助けます。ところが、その間に、ジャファーにランプを奪われてしまいます。

ランプを手にしたジャファー  アメリカ版クリップ

 サルタンの衣装を着たジャファーの姿です。向かって左手の人差し指を突き出し、左手にはランプを持っています。まるで勝利宣言をしているかのようです。魔法の力で仮に、国王になりたかったジャファーの夢が叶った瞬間でした。

 これが第二ターニング・ポイントのシーンです。

 その後、魔法の力を失ったアラジンは追い詰められていきます。ジャファーはジーニーに命じ、アラジンとアブーを氷に閉ざされた荒地に追いやってしまいます。これもまた、危機一髪のところで、魔法のジュータンに乗って宮殿に戻ってくることができました。

 アラジンがいない間に、ジャファーはジャスミンに、結婚を承諾しなければ、父である王と侍女ダリアを殺すと脅します。ジャスミンは仕方なく応じ、結婚式を迎えたその日、魔法のジュータンによって救い出されたアラジンとアブーが駆けつけます。

■最後のお願い

 ジャファーはイアーゴを獰猛な肉食鳥に変身させ、彼らを追いかけさせます。魔法のランプを手にしても、こすらなければ効力はありませんから、ジャファーはそれを阻止しようとしたのです。壮絶なチェイスが繰り広げられます。

 これが第三のターニング・ポイント、そして、クライマックスシーンです。

 アラジンはジャファーを挑発するように、お前はまだジーニーに及ばない、宇宙で一番パワフルな存在になるには最後のお願いをするしかないよ、とけしかけます。挑発に乗ったジャファーは、宇宙で一番パワフルな存在にしてくれとジーニーに願います。

 ジャファーの願いを聞いたジーニーはその意味がよくわからず、魔法の力が強大なランプの精になりたいのかと思い、ジャファーを精霊に変えて、ランプに閉じ込めてしまいます。おまけに、ランプにつながれたジャファーは、道連れにイアーゴを引きずり込みました。これで敵は全て、ランプの中に閉じ込められてしまったことになります。

一切を見届けたジーニーは、ジャファーとイアーゴが入ったランプを魔法の洞窟に投げ戻します。ようやく恐怖から解き放たれたアラジンは約束を守って、最後のお願いでジーニーをランプの精から解き放って人間に変え、自由にします。

 そして、ジャスミンに対しては、魔法のジュータンに乗って、行きたいところにはどこへでも連れていくという約束を果たしました。

魔法のジュータンに乗るジャスミンとアラジン アメリカ版クリップ

 一方、王はジャスミンを次期王にすることを宣言します。

 ジャスミンをどこかの国の王子と結婚させて国を譲りたいと思っていた王でしたが、ジャスミンの自分でこの国を治めたいという希望を聞きいれたのです。宮殿内の不祥事にもうろたえることなく、問題解決できる能力を認めたからでしょう。

 人間になったジーニーはジャスミンの侍女ダリアを結婚し、ジャスミンもまたアラジンと結婚します。こうして登場人物たちはハッピーエンドを迎えるのです。

 最後を締めくくるように、最初に登場した行商人の家族が再び、登場します。子どもたちにお話を聞かせるという体で始まった物語がこうして幕を閉じたのです。語り部はジーニー、そして、聞いているのは、ジーニーとダリア夫婦の子どもたちでした。

■欲望の連鎖が紡ぐストーリー

 この作品はアニメ版の実写化です。アニメ版は『アラジンと魔法のランプ』を原作にしたファンタジックな異国のラブロマンスですが、実写版の場合、それだけでは訴求力が足りません。子ども向けのアニメ作品を実写化するには、大人が見ても楽しめる要素が必要だったでしょう。

 21世紀の大人が見ても楽しめる要素として、特撮技術による躍動的なアクションシーン、意表をつく魔法シーン、さらには、ダンスシーン、コミカルなシーンなどが次々と、弾力的に叩き込むように加えられました。観客は誰しも、スピード感あふれる画面展開にくぎ付けになってしまったことでしょう。よく出来たエンターテイメントでした。

 興味深いのは、実写化に際し、「願い事」(欲望)の連鎖に力点を置いて、ストーリーが展開されていたことでした。21世紀の観客は1992年の観客とは違って、単なるラブロマンスには引き込まれません。時代精神と絡ませた世界観、あるいは人生観を組み込まなければ、観客を夢中にさせることはできないでしょう。

 脚本を担当したのはジョン・オーガスト(John August)ですが、監督のガイ・リッチー(Guy Ritchie)も加わっています。

 ストーリー構成を見ると、登場人物たちの欲望が連鎖し、プロットを展開していくような仕組みになっていることがわかります。登場人物たちの欲望が問題を発生させ、解決したかと思えば、さらにその別の問題が発生するといった格好で、ストーリーが展開されるという構造になっているのです。

 この作品の主要な登場人物は五人います。


左から、ジャファー、ジーニー、アラジン、ジャスミン、ダリア  アメリカ版クリップ

 いずれもが、それぞれの人生観、世界観に基づく欲望を抱いています。

 たとえば、王女ジャスミンは城外の世界を見て見識を深めたいという欲望、アラジンはたまたま街で出会ったジャスミンにもう一度会いたいという欲望、ジャファーは王座に就きたいという欲望、ジーニーは人間になりたいという欲望、ジャスミンの侍女ダリアは結婚して家庭を持ちたいという欲望、といった具合です。

■欲望の中空構造を象徴するアラジン

 この五人の中でただ一人、欲望が変化している人物がいます。それは、アラジンです。「ジャスミンに再び会いたい」という素朴な欲望から、やがて、(ジャスミンに会うため)、「王子になりたい」になり、(ジャスミンの希望を叶えたいため)、「ジャスミンが望むところはどこへでも魔法のジュータンに乗って行きたい」になっていきます。

 なぜ、このように変化するのかといえば、アラジンの究極の欲望が、他人の欲望の実現でしかないからでしょう。いってみれば、アラジンには自身の欲望というものがないのです。

 たとえば、ジャファーとジャスミンの欲望は国の支配に関わっています。自身の権力志向を満足させるために王座を狙うのがジャファーだとすれば、ジャスミンは女性もまた支配者になりうるという立場から王権を手にすることを願っています。

 「スピーチレス~心の声」という新曲の中で、ジャスミンの思いは存分に表現されています。

こちら →https://youtu.be/b8z9l9kqGCs

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 このようなジャスミンの思いは現代女性を代表するものであり、ここに21世紀ならではの時代精神が表現されています。

 そして、ジーニーとダリアの欲望は、「人間として」あるいは、「家庭人として」生きていきたいというものです。ヒトを繋ぎとめてきたさまざまな絆から解き放たれた現代人の一部は再び、ヒトとは何かを問い、家庭に拠り所を求めようとしています。そのような現代潮流の一端がかれらの欲望に反映されています。

 このように、アラジン以外の登場人物はそれぞれ、自己実現のための欲望を持っており、それを実現させるために行動しています。

 ところが、アラジンは違います。物欲はなく、権力欲もなく、自己実現のための欲望もなく、ただひたすら他人の欲望を実現させるために、「願い事」をします。まるでランプの中のように、アラジンには欲望が空洞になっているのです。

 考えて見れば、だからこそ、個性的な登場人物たちが、アラジンを中心に、調和を保ちながら、存在できているように見えるのでしょう。自身の欲望を持たないアラジンが、一種の中空構造の役割を果たすことによって、欲望の衝突がもたらす悲劇を回避することができているように思えるのです。

 このような観点から実写版『アラジン』を読み解くと、この映画から現代社会に有益な示唆を得たような気がします。

 自己実現、自己利益のための欲望が巨大なエンジンとして、社会を動かしているのが現代社会です。だとするなら、どこかに空っぽの空間を作らなければ、社会そのものがやがて、欲望の衝突によって自己崩壊を招きかねないでしょう。現代社会の歪を考えると、中空構造の機能を捉えなおしてもいいのではないかという気がしました。(2019/7/16 香取淳子)

「運び屋」:実話の映画化に必要なものは何か。

■クリント・イーストウッドが主演・監督する「運び屋」

 3月14日、たまたま時間が空いたので、「運び屋」(2018年制作、米映画)を見てきました。現在88歳のクリント・イーストウッドが87歳の時に監督・主演を演じた作品です。イーストウッドといえば著名な俳優なので、これまでに写真は何度か雑誌等で見たことがありますが、映画はまだ見たことがありませんでした。

 ポスターに掲載された顔写真には、90歳近い高齢者ならではの味わい深さがありました。

 目深にかぶった帽子の下から見える横顔・・・、深く刻み込まれた皺、何か言いかけようとしているような口元・・・、どれ一つとって見ても老齢と深い孤独とが滲み出ていることがわかります。ふと見ると、鼻先の脂肪が光って見えます。老いたとはいえ、まだ気力が残っていることが示されています。

 画面右下には、残照の下、ピックアップトラックが一台、広大な荒野の中の道を走っているのが見えます。黄昏の光景に絡め、運び屋としてひたすら運転し続けた孤高の人生が浮き彫りにされているのです。この映画のエッセンスが見事に表現されたポスターでした。

 この映画の原題は「The Mule」、2018年12月14日に公開された米映画で、制作費は5000万ドル、興行収入は3月14日時点のデータで103,804,407ドルです。すでに米国内だけで制作費の2倍以上の興行収入を得ていることになります。

こちら →https://www.boxofficemojo.com/movies/?page=main&id=themule.htm

 今後、高齢化が進む先進諸国での上映が増えていけば、観客も大幅に増加していくでしょう。興行収入は、さらに増える可能性があります。

 「運び屋」というタイトルを見ると、誰しも条件反的に、犯罪映画を思い浮かべてしまうでしょう。私もてっきり、派手なアクションシーン満載の犯罪映画だろうと思っていました。ところが、実際は、そうではなく、味わい深い人生ドラマになっていました。運び屋が高齢者なので、華々しいアクションシーンを設定することができなかったのでしょう。

 その代わりに、高齢者ならではのエピソードが随所に組み込まれており、犯罪映画であるにもかかわらず、ほのぼのとした情感溢れる作品に仕上がっていました。人生を考え、家族を思い、ヒトとしての生き方を考えさせられる映画になっていたのです。この映画はきっと、国境を越え、幅広い観客から共感を得られるようになるでしょう。

■実話を原案に映画化

 この作品は、ニューヨークタイムズに掲載された記事(2014年7月11日付)に着想を得て制作されました。

 ハリウッド・レポーターのボリス・キット氏によると、2014年11月4日、制作会社インペラティブ・エンターテイメントはこの記事の権利を獲得し、ルーベン・フライシャーを監督として映画化に着手したといいます。ニューヨークタイムズに記事が掲載されてから三か月後のことでした。

こちら →https://www.hollywoodreporter.com/news/zombieland-director-tackling-tale-87-746038

 記事の内容は、デイ・リリー(day lily)の栽培で受賞経験もある園芸家が、メキシコを拠点とする麻薬組織の運び屋をしており、2011年、87歳の時に逮捕されたというものでした。麻薬の運び屋というだけなら、よくある犯罪記事にすぎませんが、制作陣はおそらく、運び屋が87歳だったという点に興味を抱いたのでしょう。

 制作陣が記事の段階で権利を押さえていたことからは、映画化の原案としての可能性の高さが示唆されています。確かに、麻薬の運び屋が超高齢者だったという意外性は、さまざまな側面から深く掘り下げることができます。取り上げ方によっては、年齢を問わず、訴求力の強い作品に仕上げることができます。

 晩節をどう生きるかに焦点を合わせれば、大きな社会的関心を喚起する可能性がありました。なんといっても、先進諸国では高齢化が進行しています。そのような現状を考えあわせれば、90歳近いクリント・イーストウッドが監督・主演を担うこの映画が話題作になるのは明らかでした。

 もっとも、この記事が掲載された時点では、まだ主演が誰になるか決まっていませんでした。

 この記事を書いたサム・ドルニックも、2018年12月5日付けのニューヨークタイムズ誌上で、クリント・イーストウッドがこの映画を監督し主演もするとは考えもしなかったと書いています。

こちら →https://www.nytimes.com/2018/12/05/reader-center/clint-eastwood-movie-drug-mule-sinaloa-cartel.html

 さらに彼は、上記の記事の中で、「ツイッターが暇つぶしだなんて誰が言ったんだ?」と皮肉っています。実はこの記事のネタは、サム・ドルニックがたまたまネットでツイッターをスクロールしていたとき、警察の記録簿から見つけたものでした。ですから、彼は、ツイッターは決して暇つぶしの手段などではなく、貴重な情報源なのだといいたかったのでしょう。

 先ほどいいましたように、サム・ドルニックがツイッターで見つけたのは、イリノイ州に住む89歳の園芸家が1400ポンド以上のコカインを、メキシコ系麻薬組織の運び屋として移動させていた廉で、デトロイトで刑を申告されたという情報でした。逮捕時87歳だった運び屋が2年余を経て実刑を宣告されたのです。

 その情報を見てサム・ドルニックは、これはニューズバリューがあるだけではなく、物語に仕立て上げられる内容だと判断しました。そして、老いた運び屋の人生をニューヨークタイムズの記事にしようと思いついたのです。

 この情報には、彼のジャーナリスト魂が刺激されるだけの訴求力がありました。ヒトの心を強く動かすものがあったのです。それはおそらく、90歳に近い高齢者が麻薬組織の運び屋として働いていたということでしょう。

 それまで犯罪歴もない高齢が、なぜ、晩節を汚すようなことをしたのか、私も興味津々です。そこには高齢者ならではの心理、あるいは、生活環境がなにがしか影響を及ぼしていたのかもしれません。いずれにせよ、予想もできない事件でした。だからこそ、主演・監督ともクリント・イーストウッドに変更されたのでしょう。

 当初、ルーベン・フライシャーを監督に起用し、制作体制を組んでいたはずが、どういう経過があったのかわかりませんが、いつの間にか、クリント・イーストウッドがこの映画の監督になっていました。90歳近い高齢者が運び屋であるこの物語にリアリティを持たせるには、主演・監督とも同世代である必要があったのでしょう。

 それでは、メイキング映像をみていただくことにしましょう。

こちら→ https://youtu.be/HA5z-fQKxpc

 出演者たち、そして、クリント・イーストウッドの言い分を聞いていると、彼が主演・監督を務めたからこそ、この映画が成立したことがよくわかります。

■ストーリー構成

 冒頭のシーンでは、デイ・リリー(daylily)の花がクローズアップされます。主人公アールが大切に栽培している花です。ユリ科の植物で、その名(day lily)の通り、花が咲くのは一日限りですが、アールは手間暇かけ、愛しむように栽培しています。

 映画ではこの冒頭のシーンに続き、アールが品評会で金賞を受賞するシーンになります。晴れやかなアールの笑顔がとても印象的です。ところが、周囲から次々と浴びせられる称賛に応じているうちに、うっかり一人娘の結婚式に出るのを忘れてしまいます。栽培家としては高い評価を得ても、家族を顧みることがなかったことの象徴として、このエピソードが組み込まれています。仕事を優先し、他人にかまけて家族をないがしろにしてきたせいで、アールはその後、一人娘や妻から見放されていきます。

 12年後、老いたアールは家族から見放され、家は差し押さえられて、お金も底をついてしまっていました。インターネット時代にアールの仕事が追い付かなくなっていたのです。孫娘だけは心配してくれていましたが、お金がなく、祖父としての役目を果たすこともできません。そんな折、お金になるといわれ、何を運ぶか知らされないまま、目的地まで届ける仕事を引き受けます。

 いわれるままに運転するだけで、予想もしなかった大金を手にして、アールは驚きます。

予告CMより。

 いまにも壊れそうなピックアップトラックに乗っていたアールは、大金を手にしたので新車を購入し、再び、運び屋の仕事を引き受けます。

 途中、ふと気になってトランクを開けると、バッグがたくさん積み込まれています。中を開けると、白い袋がたくさん入っていました。明らかに麻薬です。唖然としていると、背後から近づいてきた警官に、「どうしたんですか?」と声をかけられます。

予告CMより。

 警官とやり取りをしているうちに、警察犬が激しく吠え出しました。それを聞いて警官は車に戻りますが、アールは危険を察知し、自分の方から犬に近づき、痛み止めの薬を嗅がせます。麻薬犬の嗅覚を混乱させることによって、麻薬が車から発見されることを回避します。とっさに知恵を巡らせ、危機をやり過ごしたのです。

 機転の利くアールは、その後、厳重な警察の取り締まりの目をかいくぐって何度も、大量の麻薬を運びます。麻薬組織のボスは喜び、アールの仕事はさらに増えていきます。

予告CMより。

 豪腕の運び屋がいると判断した警察は、敏腕警官を担当に抜擢し、取り締まりを強化します。担当警官はまさか90歳近い高齢者が運び屋だとは思いもしません。ですから、取り締まりの最中にアールと直接会話する機会があったのに、彼こそが当人だと気づくこともありませんでした。むしろ共通の話題に話を弾ませ、いっとき、心を通わせていたほどでした。

予告CMより。

 食堂で隣り合わせた担当警官が、忙しさにかまけ、家族の記念日を忘れていたことを知ると、アールは、さっそく自身の経験を話し始めます。記念日を忘れることがいかに大きなダメージを家族に与えるか、自身の辛い過去を話しました。一人娘からはその後12年半も口をきいてもらえない、悲しい体験を吐露したのです。

 それを聞いて、警官の気持ちは一気にアールに引き寄せられていきます。同じ悩みをかかえた人生の先輩として、アールに親しみを感じてしまいます。追う者と追われる者がいっとき、家族の話題で心を通い合わせるシーンでした。この時の警官が後にアールを逮捕することになります。

 さて、回を重ねるたびに運ぶコカインの量が増え、手にするお金も増えていきます。それに伴い、組織からの監視は厳しくなっていきます。車に監視カメラが取り付けられ、見張り役によってアールの行動は逐一、監視されるようになります。

 それでも、アールは好きなところで車を停め、好きな食堂に立ち寄り、好きなものを食べ、自由自在に動き回っています。そんなある日、孫娘から電話があり、祖母(アールの妻)が危篤だという知らせを受けます。

 いったんは仕事だからと断りますが、思い直し、病床に伏せる妻のところに駆けつけます。思いもかけないアールの帰宅に家族は戸惑い、娘は拒否反応を示します。

予告CMより。

 それでもアールは強引に、病床の妻メアリーに寄り添います。死に瀕したメアリーは、ひどい夫でひどい父親だったけど、最愛のヒトだったといい、アールを許してくれます。そんなアールと母メアリーを見て、娘もついにアールを許すようになります。

 メアリーの死を契機に、アールは娘と和解しました。メアリーのおかげでアールは家族に受け入れられたといっていいでしょう。人生の終わりになってようやく、アールに安堵の時が訪れたのです。

 ところが、安堵の時を得たのも、つかの間、黒のピックアップカーを追跡していた警察にアールは捕まってしまいます。

 それにしても、法廷でのアールの態度がなんといさぎよく、見事だったことでしょう。麻薬組織の運び屋として晩節を汚したアールが、まるで汚名を返上するかのように、弁護士を制し、いさぎよく罪を認めたのです。

 弁護人が、軍人として国のために果敢に戦ってきたこと、人の良さや高齢であることを麻薬組織から利用されただけだということ、等々を主張してアールを弁護したのに、アールは「全てにおいて有罪」だと主張し、自ら刑を受けることを望んだのです。

 エンディングでは、刑務所の中で花栽培に従事するアールの姿が映し出されます。そして、下記のようなフレーズの歌が流れます。

 「老いを迎え入れるな、

  もう少し、生きたいから、

  老いに身をゆだねるな、

  ドアをノックされたら、

  いつか、終わりが来るとわかっていたから、

  立ち上がって、外に出よう」

 歌詞といい、声のトーンといい、しみじみとした味わいがあり、胸に沁み込みます。トビー・キースが歌う「Don’t Let the Old Man In」をご紹介しておきましょう。

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=RLp9pkWicdo

 これを聞いていると、次第に、90歳近い年齢で主演・監督を務めたクリント・イーストウッドからのメッセージのように聞こえてきます。

■実話の映画化に不可欠な要素は何か。

 この映画のメインプロットは、ニューヨークタイムズに掲載された記事を踏まえて、作成されています。それを支えるサブプロットとして、家族との関係、老いていく者の矜持、などが組み込まれ、ストーリーが立体的に構成されていました。だからこそ、犯罪映画でありながら、味わい深い作品に仕上がっていたのでしょう。

 つまり、実話にフィクションを加えることによって、大勢のヒトの気持ちを打つ、情感豊かな映画に仕上がったのだと思います。それでは、フィクションに不可欠な要素は何だったのか、考えてみることにしましょう。

 2014年にニューヨークタイムズに記事を書いたサム・ドルニックは、先ほどご紹介した2018年12月5日付けの記事の中で、興味深いことを書いています。この記事を書くに際し、彼は記事の骨組みになるようないくつかの疑問を、数か月にわたって調べたというのです。

 たとえば、なぜ、そのようなことをしたのか? 騙されやすい人だったのか? 詐欺師だったのか? 天才的な犯罪者だったのか? ・・・、といったような疑問です。いろいろ調べた結果、サム・ドルニックはそれらの疑問についてはそれぞれ見解を得ることができたといいます。それでも、ジャーナリストとしての彼にできるのはせいぜいそこまでだというのです。

 サム・ドルニックは、ジャーナリストとしては、調べて知りえたことしか書くことはできないといいます。事実を書くことこそがジャーナリストの仕事の鉄則だというのです。ところが、記事に書く実在の人物は、複雑で、矛盾し、謎めいていて、しかも驚くべき経歴を持つ人々なのです。

 ですから、たとえば、最初にコカインをトラックに運び入れたとき、どう思ったのか、と尋ねても、実際には決して答えてもらえなかっただろうとサム・ドルニックは書いています。そして、仮に調査しつくしたとしても、なぜ運び屋をやったのかわからないし、おそらく当人ですら、わからなかったに違いないといいます。つまり、事実をいくら積み上げても、きめ細かな心理などを浮き彫りにすることはできなかっただろうというのです。

 サム・ドルニックの記事を読み、映画制作者は閃きを感じました。だからこそ、この記事を脚本家のニック・シェンクに送付したのです。そして、シェンクは脚本家としての発案で、高齢の麻薬運び屋に手の込んだバックストーリーを創りました。すなわち、父親に憤慨している娘、家族への罪の意識、ピーカンパイへの好みといったような要素を加え、バックストーリーを創ったのです。

 まさにこの点に、実話からの映画化に際し、フィクションを創り出す専門陣営・ハリウッドが介入する余地があったといえるでしょう。ジャーナリストが紡ぎだした記事では埋めることのできない溝をフィクションで補い、ストーリーを完璧なものにしたのです。

 警察情報から実話として記事を作成したのはジャーナリストのサム・ドルニックでした。ところが、それだけでは映画化することはできず、脚本家ニック・シェンクは新たにフィクショナルな要素をいくつか付け加えました。複雑で矛盾した現実社会を生きてきた実在の人物をリアリティ豊かに再現するための装置ともいえるものです。

 確かに、父親を拒否し続ける娘を登場人物に設定しなければ、アールの深い孤独を浮き彫りにすることはできず、家族に対する罪の意識も観客に深く伝わってこなかったでしょう。そして、出来心で一回だけ運び屋をやったというのではなく、その後何度も麻薬組織の片棒を担いでいたことの理由もわからなかったでしょう。

 老いさらばえて、家族から見放されていたアールは、どこかでヒトから認められたかったのだと思います。大金を手にしたアールが、まるで家族に対する罪の意識を振り払うかのように人助けをしていたのも、その種の承認欲求の現れでしょう。退役軍人クラブの再建に尽力したときに見せたアールの表情のなんと晴れやかなことか・・・。ヒトは何歳になっても、家族や他人から認められたいのだということがわかります。

 さらに、アールはピーカンパイが大好きだという設定でした。ピーカンパイというのは、ナッツを上に載せたパイのような焼き菓子です。子どもが大好きなお菓子ですから、ピーカンパイが好きだというだけで、老いたアールに子どもらしさ、可愛らしさのイメージを加えることができます。映画の中ではトランクを開けていたとき、近づいてきた警官に、アールはとっさの知恵を働かせて、ピーカンパイを話題にし、煙に巻いていました。

 このように脚本家ニック・シェックが新たに付け加えた要素は、ストーリーを強化し、キャラクター像を立体的なものにする効果がありました。なにより大きな効果は、父親を拒否し続ける娘を設定することによって、単なる運び屋のストーリーを情感豊かな人生ドラマに変貌させたことでしょう。

 その結果、観客の心を打つ素晴らしい映画に仕上がりました。実話にフィクショナルな要素を加えてはじめて、ストーリーが強化され、登場人物それぞれにリアリティが感じられ、感情移入も可能な作品世界が生み出されたのです。

 この映画の作品化過程をストーリー構成の観点から読み解いてみて、さまざまなことがわかってきました。

 同じストーリーを扱うとはいっても、ジャーナリストの領分と脚本家の領分とは異なるということ、映画にはフィクショナルな要素が、事実の隙間を埋めるために必要だということ、などを思い知ったのです。

 もちろん、映画の構成要素はストーリーだけではありません。映像や音楽・音響もまた重要な役割を担っています。ただ、今回は、実話からの映画化という点で、「運び屋」に興味を抱いたので、ストーリー構成の観点からこの映画について考えてみました。総合芸術としての映画はこのように複雑多岐で多様、多義的で融通無碍、だからこそ、面白いのだと思いました。(2019/3/17 香取淳子)

「ボヘミアン・ラプソディ」:フレディ・マーキュリーのカリスマ性を考える。

観るたびに泣いた「ボヘミアン・ラプソディ」

 2018年12月下旬、はじめて「ボヘミアン・ラプソディ」を観ました。評判になっていたので、取り敢えず観ておこうという軽い気持ちでした。公開から1か月半以上経っていましたが、それでも、ひょっとしたら混んでいるかもしれないと思い、開場30分前に着くように出かけました。ところが、平日だったにも関わらず、すでに最前列の席しか空いていませんでした。そして、私のすぐ後で満席になってしまったのです。こんな経験ははじめてでした。

 この映画は2018年11月9日に公開され、その後、右肩上がりで観客動員数が増えています。日本の観客人口は限られていますから、リピーターがいなければ、このような現象はあり得ません。

こちら →https://blog.foxjapan.com/movies/bohemianrhapsody/news/

 実際、リピーターらしい観客を何人か見かけました。

 ドキュメンタリータッチの映画で、感動的な作品でした。ストーリー構成がよくできていたせいか、チャリティコンサート「ライブエイド」に至る直前辺りから、私は泣きっぱなしでした。どんな思いでフレディ・マーキュリーがこのライブに臨んだのかがわかりますし、なにより、ライブで提供された楽曲がどれもすばらしく、取り上げられた曲の歌詞の一つ一つが心に響きます。いつの間にか、画面のフレディの動きに合わせ、足を踏み、リズムを取っていました。ライブシーンに完全にはまり込んでいたのです。

 いかにクィーンのステージが素晴らしいものであったか。映画では、それまで芳しくなかった募金がクィーンの登場を機にみるみる増えていくシーンが挿入されていました。当時、この中継を見ていた人々はクィーンのステージを見て感動し、争うように寄付をしていったのでしょう。募金額は飛躍的に伸びていきました。

 映画を見終えてもこのときの感興は冷めず、私はその後しばらくユーチューブでクィーンの音楽を聴きまくりました。映画館で味わった感動を得たかったのです。

 1月下旬、再び、映画館に足を運びました。今度は日曜日でしたから、席が取れないかもしれないと思い、朝、映画館が開くのを待って出向き、座席を確保しておきました。この日は公開からすでに2か月以上経っていましたが、やはり大勢の観客が詰めかけていました。今回は明らかにリピーターらしい観客が多く、中にはワインを持ち込んでいる二人連れの観客も見かけました。迫力のあるライブシーンが多いので、きっとライブに行くような感覚で映画を見に来たのでしょう。

 今回もまた、私は「ライブエイド」に至る直前から涙が止まらなくなりました。こんなことはこれまで経験したことがありません。そもそも、これまで同じ映画を2回も見ることはありませんでした。ところが、この映画は2回見ても新しい発見があり、よく知っているはずのシーンなのに、独特のサウンドに包まれ、心に響く歌詞を見ていると、自然に涙腺が緩んでしまったのです。そして、再び、言葉では表現しがたい感動に包まれてしまいました。

 この映画はいったい何故、大勢の観客の気持ちをこんなにも揺さぶってしまうのか、その理由を考えてみたいと思います。

1985年7月13日、「ライブエイド」

 イギリスのウェンブリーで1985年7月13日に開催されたチャリティコンサート「ライブエイド」の会場で、クィーンがどれほど異彩を放ち、他の出場者たちを圧倒していたか。それを報告する「クィーンはいかにライブエイドのステージの主役の座を奪ったか」というタイトルの記事をネットで見つけました。2015年7月13日に公開されたものです。日付からは「ライブエイド」の30周年記念に寄せられたものだということがわかります。ご紹介しておきましょう。

こちら →http://ultimateclassicrock.com/queen-live-aid/

 ウェンブリーの会場には有名アーティストやクィーンよりもより人気があり、当時を代表する若いグループも参加していました。ところが、クィーンはその時、80年代初に勢いを失ってしまったグループだとみなされていて、あまり期待もされていなかったようです。

 ところが、この時、ステージで何かが起こったと、その記事は書いています。期待されていなかったクィーンに大観衆が猛烈な喝采を送ったのです。

 クィーンはこれまでの新旧の楽曲の中から6曲をピックアップして繋ぎ、20分間のショーに仕立てました。通常のライブでは最後に披露していた「ボヘミアン・ラプソディ」をトップに、「We are the Champion」を最後に編成したのです。

 「ボヘミアン・ラプソディ」は冒頭の混成パートは省かれ、いきなり、「Mama,I just killed a man」のフレーズが印象的なピアノの弾き語りから始まります。そして、ピアノの弾き語りの「We are the Champion」で会場全体を盛り上げ、大観衆を一体感の中に包み込んでから閉じます。20分間のショーはメリハリを利かせて構成されており、大観衆を引き込みながら、流れを作り、展開していく構造になっていました。フレディ・マーキュリーの計算が功を奏したことは確かです。

 意外性(「ボヘミアン・ラプソディ」)から始まるショーを,「観客との一体感」(「We are the Champion」)で締めくくった構成とメリハリをつけた編成の妙に感嘆してしまいます。ショーマンとしてのフレディ・マーキュリーの企画の才能は実演者としても発揮されました。

 クィーンが登場し、フレディ・マーキュリーがピアノの前に腰かけると、会場を埋め尽くした大観衆が沸きました。間奏の間も絶えず速いテンポでステージ上を動き回るフレディ・マーキュリーに合わせ、大観衆は一斉に高く手をあげ、足を踏み、歓声をあげました。ステージのフレディ・マーキュリーと大観衆とが一体化したのです。

 会場には7万5千人も集まったといわれます。

こちら →

(文春オンライン 2018/1/24より)

 この画像を見ると、このライブの規模の大きさがわかろうというものです。これだけ多数の人々がフレディの一言で手を高く挙げ、声を発したのです。ミュージシャンとしてのフレディ・マーキュリーはショーマンとしての企画力ばかりか、パフォーマーとして抜群の能力を持ち合わせていることを示してくれました。

切れ味のいいパフォーマンス

 映画の「ライブエイド」のシーンでは私もフレディ役のパフォーマンスに引き込まれ、知らず知らずのうちに、リズムに合わせて身体を揺らし、足を踏んでいました。フレディ・マーキュリーを正確に真似た演技に魅了されてしまったのです。

 それにしてもフレディ役のラミ・マレックの演技には驚きます。大観衆を前にしたステージで、まるでフレディが生き返ったのかと思うほどそっくりに、切れ味のいいパフォーマンスを見せてくれたのです。2019年1月28日、第50回全米映画俳優組合賞でラミ・マレックはこの演技が評価され、主演男優賞を受賞しました。実際の顔立ちは全く異なるのに、動作はもちろんのこと、表情までもフレディそっくりに演じきったところに俳優としての力量の高さを窺い知ることができます。

 この時のフレディ・マーキュリーと俳優ラミ・マレックを比較し、並べた画像がありましたので、ご紹介しましょう。

こちら →

https://front-row.jp/_ct/17168728より)

 向かって左がフレディ・マーキュリーで右が俳優のラミ・マレックです。とてもよく似ています。クィーンの他のメンバーも同様、実物そっくりの俳優が起用されていました。この映画はフレディ・マーキュリーを軸にクィーンの半生(「ライブエイド」まで)を忠実に追った映画です。ですから、実物とよく似た俳優の起用もまた大ヒットの要因の一つだったといえるのかもしれません。

 それでは、実際の「ライブエイド」はどのようなものだったのか、当時の映像で見てみることにしましょう。

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=A22oy8dFjqc

 これを見ると、ステージ上のフレディの動きにはどんな場合も、切れがあることがわかります。たとえば、冒頭でピアノを弾くフレディはフレーズ毎に手を高く上げ、エッジを効かせた動きをします。そして、2分45秒ごろから始まるパフォーマンスでは膝をまっすぐに伸ばし、要所、要所で動作を止め、誇張した仕草を見せています。動作が次の動作に移る切り替えの時、動きを止めることによって、躍動感を生み出していることがわかります。

 このように連続した動きの中に静止した動きを取り込むことによって、どんなに遠くから見ていてもフレディの動きが切れ味よく、躍動感にあふれて見えます。フレディはおそらく、ストップモーションの効果を視野に入れてパフォーマンスを組み立てたのでしょう。音楽のテーマ、コンセプトに沿ったパフォーマンスだというだけではなく、どんなに遠くからでも認識できる動きを考案していたと考えられます。

ボヘミアン・ラプソディ

 1回目、最前列の席しか選べなかった私は、見上げるようにしてスクリーンを見つめていましたが、ウェールズの農園で「ボヘミアン・ラプソディ」をレコーディングする辺りから次第に引き込まれていきました。制作過程を扱ったシークエンスが興味深かったからでした。

 2008年にアップされた当時のクィーンのデモ映像を見てみることにしましょう

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=fJ9rUzIMcZQ

(クィーン公式ビデオより)

 1985年の「ライブエイド」では省かれていた混成パートがこのデモ映像には収められています。ハーモニーが美しく清らかで引き込まれます。若いころのクィーンが知性と熱情と冒険心を結晶化させて創り出したのが、この「ボヘミアン」でした。当然、デモ映像もそのコンセプトに沿うものでなければならず、フレディ・マーキュリーが考案したといいます。

 さて、映画ではこの混成パートを収録する時のフレディの姿がとても印象的でした。高音パートを担当するロジャー・テイラーにさらに高音を出すよう、フレディ・マーキュリーは何度もダメ押しをするのです。ロジャーが怒ってしまっても、妥協を許さず、完璧を求めるフレディ・マーキュリーにクリエーターとしての真摯な姿を見たような気がしました。

 そればかりではありません。フレディはテープが擦り切れそうになるほど音を重ね、終に新しいサウンドを創り出しました。こうして、オペラからバラード、ロックなどさまざまな音楽の要素を取り入れ、機材を使ってアレンジし、高い知性が感じられる楽曲を創作したのです。メンバーにさまざまなジャンルの音楽についての素養がなければできることではありません。

 基調となるフレーズを作ったのはフレディ・マーキュリーでした。

 歌詞が何とも魅力的です。映画の中で、「Mama, just killed a man」で始まるフレーズに出会ったとき、私は軽い違和感を覚えました。「今日、ママンが死んだ」で始まるカミュの小説を連想し、不条理な世界を描いているのかと思ったからでしたが、実際はまったく違っていました。

 続いて、「Mama, oh-,don’t mean to you cry. If I’m not back again this time tomorrow. Carry on, carry on, as if nothing really matters.」というフレーズを聞いたとき、不条理とは逆に、母親に詫びて真摯に自分の人生を歩んでいこうとするフレディの思いを強く感じました。

 実は、映画の中では伏線として、最初の部分でフレディが名前を変えたことを示すシーンが設定されていました。フレディ・マーキュリーは当時、イギリス領だったタンザニアのザンジバル島で生まれ、名付けられた名前はファルーク・バルサラでした。故郷で革命が起こった1964年にフレディの一家はイギリスに移住します。

 イギリスで活動するには名前を変えなければならないと考えていたのでしょう。バンドを結成するとすぐ、彼はフレディ・マーキュリーに名前を変えます。唖然とする家族やバンド仲間を前に、決然とした態度でこれからはフレディ・マーキュリーとして生きていくと宣言したのです。

 こうしてみてくると、「Mama, just killed a man」というフレーズは、彼が勝手にフレディ・マーキュリーというイギリス風の名前に変更することによって、ファルーク・バルサラを消してしまったことを指すのでしょう。ですから、その後に、「Mama, oh-,don’t mean to make you cry. 」という歌詞をつないで、生んでくれた母親に詫びたのだと私は思いました。

不安定なアイデンティティの基盤

 18歳で母国を離れ、イギリスに移住せざるをえなかったフレディ・マーキュリーのアイデンティティの基盤がいかに不安定なものであったか、想像を絶するものがあります。

 映画の最初の方で、空港でアルバイトをしていたフレディが、「パキ野郎」とののしられるシーンがありました。パキスタンからの移民と思われたからでしょうが、フレディが実際にどれほど多くの差別的な待遇を受けてきたか、このシーンを見ただけで容易に想像できます。

 移民としてイギリスに移住したフレディはイギリス人風に名前を変え、やがて有名になってお金を稼ぎ、次々とコンプレックスの原因となるようなものを除去していきます。ただ、どうしても取り除けなかったものが、性的指向性でした。7年間も同棲していたメアリーに、自分が同性愛者だとフレディは告白します。当時はまだ同性愛者に対する社会の目が厳しかっただけに、このシーンで私はフレディの誠実さを感じさせられました。ところが、当然のことながら、メアリーは指輪を外し、離れていきます。

 メアリーと別れてから、フレディは同性愛者と行動を共にするようになり、自堕落な生活に陥ってしまいます。日夜パーティを開き、放蕩三昧の生活を送るようになるのです。

こちら →

https://torukuma.com/freddie-gay/より)

 おそらくこのような時期に、エイズに感染したのでしょう。フレディは次第に身体に不調を覚えるようになっていきます。そんな折、連絡の取れなくなっていたフレディを探しに来たメアリーから、「ライブエイド」のオファーがあったことを聞きますが、フレディは知りません。重要なオファーを知らされないまま、享楽的な生活に誘導されていたフレディは、同性愛者のマネージャーに怒り、疎遠になっていたクィーンの仲間に和解を求めます。

 これを契機に、さまざまな個性の4人が相互に尊敬し合い、啓発し合える関係であったことを確認し合います。そして、クィーンとして「ライブエイド」に参加することを決定しますが、しばらく活動をしていなかったせいで、思うように声が出ず、満足のいく演奏もできません。フレディはエイズ感染による体調不良が次第に顕著になってきました。

 クィーンに復帰することで、フレディはようやくアイデンティティの基盤を見つけたように思います。それはミュージシャンとして、パフォーマーとして、そして、クリエーターとしてのアイデンティティです。

 一方でフレディは以前から目をかけていた同性愛者を探し出し、生活を共にするようになります。家族にも引き合わせて承認を取り、創作に専念できる環境を整えていくのですが、身体の方は深刻な状況になっていきます。ライブエイドに向けた練習の際も、以前なら容易に出た声がでず、戸惑う場面も出てきます。クィーンのメンバーは焦らず静かにフレディの体調に合わせ、練習を積み上げていきます。

 そして、クィーンは「ライブエイド」を見事なステージに仕上げました。とくにフレディ・マーキュリーのパフォーマンスは素晴らしく、大観衆をたちまちのうちに虜にしてしまいました。類まれなカリスマ性のおかげでしょう。こうしてクィーンは「ライブエイド」のステージで一挙に自信を回復し、高い評価を得ました。

クリエーター、ミュージシャン、パフォーマーならではのカリスマ性

 それにしても私は何故、この映画に感動し、何度も泣いてしまったのでしょうか。それも悲しくて涙したわけではありません。感動のあまり、泣いてしまったのです。では、何故、感動したのでしょうか。それはおそらく、フレディ・マーキュリーのクリエーターとしての真摯な態度、そして、ヒトを強烈に引き込むカリスマ性ではなかったかと思います。

 いってみれば、私もまた1985年に「ライブエイド」に参加した大観衆のように、フレディのパフォーマンスに惹きつけられ、一種の催眠術をかけられたような状態になっていたのではないかという気がしています。

 たとえば、実際の「ライブエイド」の映像を見て、興味深かったのが、「Radio Ga Ga」とその後で即興的に付け加えられた観客との掛け合いのシーンです。

こちら →https://www.youtube.com/watch?time_continue=89&v=0omja1ivpx0

 これを見ると、7万5千人といわれた会場の大観衆が一斉にフレディの指示にしたがって動いています。フレディが「エーオー」といえば、会場も「エーオー」と呼応し、「リラリラリラ…」と言えば、会場も同じように発声します。まるで催眠術にかかったかのように、意のままに動く大観衆を前にし、フレディはいかにも満足気に見えます。

 このときのフレディ・マーキュリーはまさにカリスマでした。

 たった一人の男がステージの上からパフォーマンスと声だけで7万5千人の観衆を操っているのです。「エーオー」という意味をなさない音を媒介に、フレディと大観衆が掛け合い、コミュニケーションを交わし、互いの存在を認め合っているのです。きわめて原初的なヒトとヒトとの関係、ヒトと集団との関係を見たような気がしました。フレディは非言語的なものを媒介にコミュニケーションを交わせることのできる異能のヒトだったといわざるをえません。

 そういえば、フレディが描いたというデッサンやデザイン画をネットで見たことがありますが、素晴らしい出来栄えでした。優れた美意識を持つ才能豊かな人物だったということがわかります。音楽ばかりでなく美術、身体表現など非言語的能力の卓越したヒトだったのかもしれません。

 こうして見て来ると、移民の子であり、同性愛者であったことが、フレディを超人にしたのではなかったかと思えてきます。ネガティブな立場に身を置くしかなかった状況下で、社会をさまざまな側面から見つめる目が養われたのでしょうし、異文化体験の中から、非言語的メッセージの読み取り能力や発信能力も培われてきたのではなかったのかと思うのです。

 この映画を2回も見て、感動し、涙した結果、総合芸術としての映画の持つ力の凄さを思い知らされました。改めて、映画は言語的要素と非言語的要素との相乗効果でヒトを感動させることができる媒体だという気がしています。(2019/1/31 香取淳子)

グローバル化時代、道化師ショコラが今、私たちに語りかけるもの。

■武蔵大學セミナー

 2018年12月19日、武蔵大学で「19世紀末フランスのサーカス世界と越境芸術家たち」というタイトルのセミナーが行われました。「19世紀末フランスのサーカス世界」という文言に引かれ、参加することにしました。講師は人文学部専任講師の舘葉月氏です。

 19世紀末フランスといえば、つい、パリを舞台に華々しく展開された絵画、舞台芸術、文学、音楽、ファッション等に焦点が当てられがちですが、このセミナーでは「フランスのサーカス世界」が取り上げられます。意外な組み合わせが面白く、関心をかき立てられました。果たしてどのようなお話が聞けるのか、興味津々、出かけてみました。

■記憶に残るサーカス

 サーカスは子どもの頃、一度見に行ったことがあるだけです。楽しかったというより、怖かったという印象の方が強かったせいでしょうか。あるいは、底知れない空間に引き込まれてしまいそうな危うさを感じたからでしょうか。不思議な魅力を覚えながらも、私は再び、親にサーカスに行きたいとは言いませんでした。

 記憶に残っているのは、ショーが始まると、次々と登場してくる異様な風体の出演者たちであり、いつ落ちるかとハラハラドキドキしながら見ていた空中ブランコや綱渡りです。どれも子どもの日常生活にはないものばかりでした。高所でブランコをしたり、綱渡りをしたりするなど、子どもの私にしてみれば、想像もできないことでした。

 そして、大人たちが拍手喝采するアクロバットも、子どもの私にしてみればとうていヒトができることとは思えず、むしろ不気味な印象を抱いていました。というのも、当時、子どもたちの間では、サーカスのヒトたちは毎日、お酢をたくさん飲んで体を柔らかくし、厳しい稽古をさせられているから、あんなことができるのだという噂が広まっていたからでした。

 そればかりではありません。当時、私は一人で外に出かけるとき、母親から、「寄り道をしないで帰ってこないと、人攫いに連れていかれて、サーカスに売られてしまうわよ」などと脅されていました。家庭と学校しか知らない私にとって、サーカスは明らかに危険に満ちた異様な世界だったのです。慣れ親しんだ平穏な日常生活とは対極にある異質の空間でした。

■F・フェリーニ監督の「道化師」

 大人になってからF・フェリーニ監督の「道化師」(1970年)をDVDで観ました。映画公開時には観ることができず、後にDVDで観たのですが、ドキュメンタリータッチの映画ですが、フェリーニならではの独特の祝祭空間はしっかりと描出されていました。

 冒頭に続く以下のシーンを見たとき、突如、子どもの頃、サーカスに抱いていた感情を思い出しました。

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=-pBSBBbWkSU

 イタリアでも母親は同じようなセリフで子どもを脅しているのだと思い、おかしくなってしまったものです。この映像では冒頭のシーンはカットされていますが、私がとても切ない気持ちになってしまうのは、ロングショットで捉えられた冒頭のシーンです。

 冒頭、子どもの頃のフェリーニが夜、物音で目を覚まし、窓から外を眺めます。暗闇に浮かぶ小さな後ろ姿がいかにも頼りなげです。不安感を抱きながらも好奇心に駆られているのでしょう、窓に顔をつけてじっと外を眺めています。暗闇から聞こえてくるのは、サーカス一座がテントを張っている物音だけでした。

 この冒頭のシーンは、フェリーニにとってはおそらく、原風景とでもいえる光景だったのでしょう。サーカスの記憶はさまざまな道化師たちの記憶と結びついています。道化師たちは非合理な存在だからこそ、理性では理解できないものを炙り出して見せてくれるのでしょう。彼らが披露するパフォーマンスを含め、サーカスの空間はフェリーニがヒトを本質的に理解するためには不可欠な装置だったのかもしれません。

 当時、サーカスではさまざまな異形の者たちが、道化師として観客に笑いを提供していました。小人であれ、巨漢であれ、黒人であれ、彼らは身体的特徴がもたらす悲劇を直視し、道化師として独特の化粧をし、喜劇に転化していたのです。ですから、道化師が生み出す笑いは、観客が意識的であれ、無意識的であれ、心に潜ませている差別的な感情に応えるものでした。

 フェリーニはそのような道化師たちを限りなく慈しみ、愛おしんできました。当時、異形の者たちは道化師として可視化され、れっきとした社会の一員として存在していたのです。ところが、近代化の進行に伴い、いつの間にか、彼らは人前から姿を消してしまいました。病院か施設に隔離されてしまったのでしょうか、社会に居場所がなくなってしまったのです。そのような社会状況について後年、フェリーニが悲しみの混じった複雑な気持ちを吐露していたことを思い出します。

■19世紀末、観客が求める笑いの変質

 舘氏はパワーポイントを使って、当時のポスターや絵画を紹介しながら、19世紀末フランスで活躍した黒人道化師ショコラの栄枯盛衰をフランス社会の変化に関連付けて語ってくれました。とりわけ興味深く思ったのは、19世紀末、フランスでは笑いが変質していったということでした。

 18世紀から19世紀にかけてパリでは常設サーカスの建物が次々と建築されたといいます。そのうち、現在も残っているのが、シルク・リベール(Cirque d’hiver)です。

 当時、幅広い階層の人々にとって、娯楽の中心はサーカスでした。ポスターや絵画にサーカスをモチーフにした作品が多々見られることからもそのことがわかります。サーカスの道化師として才能を発揮したのが、ショコラでした。もちろん、本名ではありません。チョコレートのように濃い褐色の皮膚にちなんでつけられた名前でした。実際はキューバからの移民でしたが、アフリカからの移民として黒人を売り物にした芸を披露していました。

 やがて、白人の芸人とコンビを組み、物珍しさと高い身体能力に支えられたパフォーマンスが観客から喝采を浴び、一躍娯楽界の寵児となりました。セミナー会場では、道化師ショコラをモデルにしたと思われるポスターも紹介されました。

 上図 (http://www.allposters.co.jp/より引用 ) は、ロートレックがカフェでダンスを披露するショコラの姿を描いたものです。脹脛といい、臀部といい、筋肉の張り具合がしっかりと捉えられており、卓越した運動能力の持ち主であることが示されていました。この姿態を見ただけで、身体能力の優れたショコラが魅力的なパフォーマンスを披露し、娯楽界の寵児であったことがわかります。

 ところが、19世紀末になると、観客の意識に変化が生じ、求める笑いの質にも変化が見られるようになったと舘氏はいいます。つまり、観客の差別的な感情に訴求する笑いが求められなくなっていったのです。これについて舘氏は、異形の者を笑いの対象にしてきたことに対する観客の贖罪の気持ちであり、そのような念を抱かせる対象そのものを忘れてしまいたいという気持ちではなかったかと指摘するのです。

 折しも、パリでは映画の撮影・上映技術を開発していたリュミエール兄弟が1895年12月28日、「工場の出口」という作品を有料公開しました。動く映像を初めて目にした人々は驚きました。日頃見なれた光景にすぎなくても、動画として映し出されることに新鮮味を覚え、興奮したのです。

 映画という新しい娯楽が普及するのに伴い、次第にサーカスの人気が衰えていきます。

 道化師が生み出す笑いは基本的に、観客の差別的な感情に訴求するものでした。ところが、近代化を経て、観客の意識が変化していくと、その種の笑いはやがて顧みられなくなっていきました。当時、ロンドンに次いで、いち早く産業化、都市化を経たパリの街は、近代化にふさわしく大改造されました。そのようなパリの街に住む観客には、これまでサーカスの道化師が生み出してきた笑いは次第に受け入れられなくなっていったのです。

 興味深いことに、リュミエール兄弟はショコラとフティットのコンビを撮影していました。黒人と白人のコンビは映画の題材として価値が高いと判断したのでしょう。当時の貴重な映像がありましたので、ご紹介しておきましょう。

こちら →https://youtu.be/XjHZ_z23BZY

 最初に映画が上映されて2,3年後、リュミエール兄弟は客をつなぎとめる必要に迫られるようになっていました。移り気な観客たちは、ただ動くだけの映像に関心を失い始めていたのです。映画を続けるため、リュミエール兄弟は、人々の興味を引くようなものであれば何でも題材にし、一種のドキュメンタリー映画を制作するようになっていました。著名であった黒人と白人のコンビ(ショコラ&フティットのコンビ)は稼げる題材だったのです。

 19世紀末に映画が登場して以来、パリでは娯楽の様相が一変しました。観客は機械を媒介とした娯楽に新しい感覚を刺激され、楽しみを覚えるようになり始めていました。一方、産業化、都市化が進行していたフランスでは、観客のヒトに対する意識が変わり、求める笑いの質にも大幅な変化が起きていたのです。

 サーカスは衰退し、道化師の笑いを求める人々も減少していきました。ショコラはヌーヴォー・シルクを解雇され、コンビも解消せざるをえなくなりました。その後、病気の子どものためにセラピー道化師の活動をはじめたりもしましたが、1917年、巡業中のボルドーで亡くなり、やがて、すっかり忘れ去られてしまいました。

■映画「ショコラ」

 フランスでは近年、道化師ショコラの再発見、再評価の動きがあり、2016年にはショコラをモデルにした映画「ショコラ」が公開されました。舘氏は、この映画はフランスで200万人も動員し、大ヒットしたといいます。いったい、どんな映画だったのか、ネットで見てみました。

 2016年に公開されたフランス映画「ショコラ~君がいて、僕がいる~」は、先ほどご紹介した黒人ショコラとコンビを組んだ白人フティットをモデルにした映画です。ショコラを演じるのが「最強のふたり」で好評を博したオマール・シー、フティットを演じるのがチャップリンの孫ジェームス・ティエレ、そして、監督は俳優出身のロシュディ・ゼムです。

映画チラシ

 映画は、子どもたちが丘を駆け下りてサーカスのテントが張られるのを見に行こうとしているシーンから始まります。このシーンを収めた映像をネットで探してみたのですが、フルバージョンの映像はスペイン語吹き替え版しか見つかりませんでした。とりあえず、冒頭だけをみていただくことにしましょう。

こちら→https://www.youtube.com/watch?v=xDq-pEP5efg

 この冒頭シーンは、フェリーニの「道化師」の冒頭シーンとイメージが重なります。子どもたちの好奇心を刺激するものがサーカスにはあることが示されています。未知の世界であり、日常とは異なる異質な空間が子どもたちの好奇心を誘うのでしょうか。オープニングに子どもを登場させることによって、映画の中で語られる世界に時間と空間の広がりを与えています。

 それでは、この映画は何を物語っているのでしょうか。監督と主演二人に対するインタビュー、そして、概略を紹介した予告映像がありましたので、ご紹介しましょう。

こちら →https://eiga.com/movie/84870/video

 この映像の最初から1分47秒までが、メーキングを含めた監督と主演者へのインタビュー映像です。

 まず、ロシュディ・ゼム監督は「100年も前に有色人種の芸人が歩んだ人生を知って、感動したと同時に悲しくなった」と映画製作の動機を語ります。そして、ショコラ役のオマール・シーは「この映画によって無名だった彼が知られるようになる。彼はアーティストだったと伝えたい」といいます。フティット役のジェームス・ティエレは「白人と黒人のコントラストにすべてがある。二つの極に電流が走る」といい、対極にある二人がコンビを組むことによって得られた芸の上の成果を語ります。

 2分4秒以降は、この作品を要領よくまとめた予告映像になります。

 二人が出会い、コンビを組むようになるプロセスを描いたシークエンスでは、個性豊かな二人の性格がそのやり取りの中で自然に表現されています。白人&黒人コンビの道化師として彼らは評判を呼ぶようになり、やがて、パリに招聘され、成功を収めます。「ふたりなら無敵」と思い込むほど順調だったのに、ある日、ショコラは逮捕され、虐待され、黒人移民であるがゆえの悲哀を味わい、次第に身を持ち崩していきます。そんなショコラをフティットは我慢強く支えていく・・・、といった展開で、メリハリの効いたストーリーです。

 この作品は友情をメインテーマに、黒人に対する社会の差別意識、コンビ仲間の心中に潜在する差別意識と嫉妬心などがエピソードに絡めて巧みに描かれています。友情の背後にある複雑な心理状況が二人を取り巻く環境と関連づけて浮き彫りにされているので、とても説得力のある映画になっていました。

■道化師ショコラのアイデンティティ

 武蔵大学で開催されたセミナーに参加し、そこで紹介された映画「ショコラ」をネットで観ました。予想以上に面白く、身につまされるものがありました。120年も前の出来事なのに、グローバル化時代に生きる私たちに語りかけるものがあったのです。

 スペイン領キューバで生まれたショコラは生年もはっきりしません。植民地で生まれたことの悲哀です。本国スペインに奴隷として売られ、家内使用人や農場で働いていました。やがて、過酷な労働に耐えかねて逃亡し、フランスのサーカス一座にアシスタントとして雇われます。ここでは、国の力が弱い場合、その国で生まれても他国で生きていかざるをえず、出生国に紐づけられたアイデンティティを獲得することが難しいことが示されています。

 それでは、ショコラはアイデンティティの基盤をどこに見つけたのでしょうか。

 フランスのサーカス一座に雇われたショコラは、アフリカから来た黒人道化師として働くようになります。客寄せのために出自を偽り、アフリカの人食い人種としての仮面を付けざるをえなかったのです。

 そんなある日、白人芸人のフティットから誘われ、黒人&白人道化師としてコンビを組むようになります。コンビの新規性とショコラの芸が評価され、人気が高まっていきます。パリの大サーカスに招聘され、活動の舞台をパリに移します。ショコラはようやくアイデンティティの基盤を見つけることができました。

 芸を磨いたショコラは上流階級の人々からも招かれるようになり、著名になっていきます。著名になれば、もちろん、大金も入ってきます。実際は、黒人ショコラが白人フティットに蹴飛ばされ、平手打ちされることで笑いを取っていたのですが、ギャラの3分の2は白人のフティットが受け取るという非合理を受け入れざるを得ませんでした。

 芸を磨くことによって評価され、芸人としてアイデンティティを獲得できたとはいえ、身体に刻印された人種的特徴から逃れることはできず、社会的扱いもそれに応じたものでした。ショコラが自暴自棄になったのも当然のことだといえるでしょう。

 ショコラは努力を重ね、芸をきわめた結果、人気を得、大金を得たのですが、社会的な評価を覆すことはできませんでした。ショコラの社会的な劣位は芸人として大成功を収めても解決するものではなかったのです。

■ショコラが今、私たちに語りかけるもの。

 道化師ショコラが生きた時代、人種的特徴あるいは身体的特徴が人々の社会的地位を決定づけてきました。ショコラは芸人として評価されながら、ポジティブなアイデンティティを獲得することもできないまま、人生を終えました。出生国を離れ、国境を越えて生きざるをえなかったからでしょう。出生国へのロイヤリティを失い、居住国でアイデンティティを獲得できることもできなかったことの悲哀を感じてしまいました。

 グローバル化時代の今、国境を超えることがきわめて容易になっています。迫害を受けたわけでもないのに、より高い賃金を求めて国を捨てる人々も増えています。移動先の国では人権に基づき、一定の労働条件、生活条件が保証されていますから、出生国へのロイヤリティは希薄になっているのが現状だといえるでしょう。

 19世紀末の社会とは違って、現在、さまざまな偏見は是正されてきています。実際にコミュニケーションを持つことによって、偏見は容易に崩れることは事実です。実際、私はメルボルンからの帰途、機上で隣り合わせた黒人女性の才気あふれゴージャスな雰囲気に圧倒された経験があります。ニューヨークに住み、仕事の関係でメルボルンから成田経由でマドリッドに行くということでした。シンガポールで出会ったベトナム人女性画家も洗練されていて思慮深く、驚いたことがあります。有色人種に対する偏見は、直接的なコミュニケーションが増えるにつれ、解消に向かうかもしれません。

 ただ、移民となると、また状況は大きく異なります。ショコラの人生を思うとき、ローカル・アイデンティティを築くことなく、出生国を離れ、文化の異なる居住地で、果たしてポジティブなアイデンティティを築き上げることができるのか、といった疑念が消えないのです。

 芸を磨き、観客の期待に応えてきたおかげで、いっとき、ショコラは富と名声を得ました。ところが、フランスでは依然として、社会的地位は低いままでした。自暴自棄になってしまったのは、アイデンティティクライシスに陥っていたからではなかったかと思うのです。

 ショコラは出生国、居住国でも文化に根差したローカル・アイデンティティを築くことができませんでした。ですから、差別的環境から抜け出せないことがわかったとき、動揺してしまったのでしょう。拠って立つべき文化を持たないまま生きざるをえなかったものの苦悩がしのばれます。 

 2018年12月21日、日経新聞で「入管法改正、人手不足解消に期待」というタイトルの記事を読みました。

こちら →https://www.nikkei.com/article/DGKKZO39204570Q8A221C1L41000/

 「ショコラ」を観た後で、このニュースを知ったので、ちょっと気になりました。ショコラが生きた時代と現代とは違うということは承知の上で、人手が足りないからといって外国人労働者を受け入れてしまって、果たして、大丈夫なのか?という思いに駆られてしまったのです。

 ショコラの人生を映画で見ているうちに、ヒトは固有の文化を基盤にローカル・アイデンティティを獲得し、それでようやく、グローバルな状況に耐えられるようになるのではないかと思うようになったからでした。(2018/12/30 香取淳子)