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香取淳子のメディア日誌
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ホームタウン事業撤回は見せかけか? アフリカに対するJICAの根強い支援意欲

■ホームタウン事業撤回は見せかけか?

 東京都の小池百合子知事は、9月26日の記者会見で、JICAが「ホームタウン」事業を撤回したことについて問われ、「ひとえにJICAの判断」と述べました。(※ 2025年9月27日、産経新聞)

 実は、東京都の小池百合子知事は19日の記者会見で、都が8月にエジプトの経済団体「エジプト・日本経済委員会」と結んだ合意について、「見直しは考えていない」と述べていました(※ 2025年9月19日、日経新聞)。

(※ 9月19日、日経新聞より)

 この合意では、エジプト人労働者が日本国内で仕事を確保するための情報提供や研修プログラムの開発支援などが盛り込まれていました。移民受け入れにつながると批判する声が広がり、都庁前では合意撤回を求めるデモが行われていたのです。

 26日の小池知事の態度を見ていて、ふと、JICAのアフリカ・ホームタウン事業の撤回は本当なのかという疑問が湧いてきました。同じように激しく抗議されていながら、JICAは事業を撤回し、東京都は覚書を見直さないと表明しているのです。

 しかも、JICAの田中明彦理事長は、9月25日の記者会見で、「ホームタウン事業を撤回する」と表明する一方、「今後も国際交流を促進する取り組みを支援していく」と述べていました。

 これでは、JICAは本当にアフリカ・ホームタウン事業を撤回するのだろうかと疑いたくもなります。そもそも、外務省が所管するJICAの理事長が他国と交わした協定をそう簡単に撤回できるものなのでしょうか。

 ホームタウン事業の撤回は見せかけではないかと疑問に思っていたところ、JICA理事長の興味深い発言を見つけました。

■日本にとっての先行投資

 田中氏は、2025年8月14日、日経新聞社のインタビューに答え、「アフリカ向けの政府開発援助(ODA)は「日本にとっての先行投資」だと訴え、「アフリカ各国から信頼を得ることが(重要鉱物などの)資源や市場の獲得につながる」と強調しました。

 そして、「日本経済にとっては国際社会とのつながりが極めて重要だ。対等なパートナーシップでアフリカの自立と発展を支え、世界経済をポジティブな循環に変える好機だ」と述べ、20日から開催される第9回アフリカ開発会議が「重要な節目になる」と指摘していました。

 TICAD9のテーマである共創について、「国際協力の発展形になる。必ずしも正解がない今の時代には、既存の枠組みにとらわれず、どうすればいいのかをアフリカと共に考え、見いだすことが重要だ。それこそがイノベーションを生む」と語っています。(※ 日経新聞、2025年8月14日)

 田中氏の見解を総合すると、これまでの枠組みに拘らず、世界経済のポジティブな循環という観点を組み入れ、アフリカへの支援内容を考え直す必要があるということになります。

 米欧のODAの場合、途上国への資金贈与が基本ですが、日本のODAは相手国に返済の義務がある有償資金協力や技術協力が大半を占めています。だからこそ、日本の技術や知見を活用して、アフリカの社会的課題を解決する事業を創設することができます。

 アフリカの社会的課題を、日本の技術力とビジネス展開力とで解決できる事業を立ち上げることができれば、課題解決の持続性やポジティブな経済循環を期待できるでしょう。それこそ、アフリカにとっても日本にとっても有益だというわけです。

 実際、ウガンダでは、使った水の量に応じて料金を電子マネーで徴収するビジネスを立ち上げ、給水にまつわる様々な課題に対処することができました。

■電子マネー決済を活用した給水事業

 ウガンダには、水道に接続していない家庭が水を得る手段の一つとして公共水栓があります。公共水栓にバケツを持参し、管理人にお金を支払うことで水を購入する仕組みです。

(※ 国際開発ジャーナルオンライン、2025年9月22日更新)

 ところが、公共水栓の管理人が不在時は購入できず、使うたびに現金を持参しなければなりませんでした。さらに、管理人が水の料金を不当に値上げすることもあれば、売上金を盗難するという問題も発生していました。

 これらの問題を解決したのが、電子マネー決済システムを公共水栓に搭載することによる合理化でした。事前にお金をカードにチャージし、タッチするだけで水が買えるようになったばかりか、料金の不当な値上げや売上金の盗難も防ぐことができました。

 これには、日本の交通系ICカードの仕組みが活用されています。

 2023年11月に研修の一環で日本に訪れたウガンダ人研修生が、電子マネー決済システムに興味を持ったのがきっかけでした。

 ウガンダ人の要望を受けて、経済産業省のJ-Partnership制度を利用して2024年7月に現地調査を開始し、11月にカウンターパートである水環境省と基本合意書(MOU)を締結しました。そして、商店が並ぶマーケットエリアを中心に給水施設を5基建設し、12月に事業を開始したのです。事業計画から調査、現地との調整、建設作業、事業実施まで6カ月という短期間で実現できました。

 このプロジェクトを担当したのが、鉱研工業(株)の森山和義氏です。下の写真は、森山和義氏(左)と現地パートナーのMr. Nabende Innocent(右)です。

(※ 『国際開発ジャーナル』、2025年2月号)

 森山氏は、新卒で鉱研工業に入社し、政府開発援助(ODA)ではマリやブルキナファソ、ナイジェリア、ザンビア、マラウイなどアフリカを中心に井戸掘削および上水道建設事業に携わっています。

 JICA理事長の田中氏はこの事例を重視し、今後のアフリカ支援の在り方の新機軸にしようとしていたのでしょう。そう思うと、TICAD9が「共創」をテーマに組み立てられていたのもわかるような気がします。

■JICAの新たなスキーム「民間資金動員業務」

 8月21日、アフリカ開発銀行(AfDB)と財務省が、TICAD9ハイレベル政策対話として、「民間主導の成長に向けた国際開発金融機関(MDBs)と日本の連携」を主催しました。

こちら → https://afdb-org.jp/news/6578

 TICAD9では、EPSA6として次期TICADまでの今後3年間(2026~2028)に、最大55億ドルの資金協力することが発表されました。EPSA6の55億ドルという目標額は、20年前のEPSA1の初期目標額の5倍以上にあたります。

こちら → https://www.mof.go.jp/policy/international_policy/mdbs/afdb/250821.2.pptx.pdf

 前回のTICAD8(EPSA5)では、3年間(2023~2025)で最大50億ドルの資金協力でしたが、今回は5億ドルもの増額になっています。日本政府がアフリカとの関係を重視し、支援活動を強化しようとしていることが示されています。

 JICA田中理事長は、AfDBとEPSA6における協力に関する覚書に署名し、AfDBとの強固な連携の下、アフリカ支援に取り組んでいく方針を確認しました。

(※ 財務省より。左からカリウキAfDB副総裁、加藤財務大臣、田中JICA理事長)

 これを受けて、加藤勝信財務大臣は、JICAの新たなスキーム「民間資金動員業務」を創設すると発表しました。これは、民間資金の呼び水として、ファンドへの触媒的出資を行うというものです。

 この仕組みを図示すると、次のようになります。

(※ 日経新聞、2025年8月13日)

 このスキームはアフリカ向けを第1号案件とし、国による出資や信用保証でリスクを軽減し、民間投資を促すものです。社会課題の解決を目指すスタートアップに投資し、経済的リターンをも追求するアフリカに特化したファンドとなります。

■改正JICA法

 2025年4月に施行された改正JICA法によって、JICAの役割が広がりました。途上国企業の債券の一部取得や、支援先の地場金融機関の融資に対する信用保証が可能になったのです。運用基準なども見直し、ファンド組成の初期段階での投融資ができるようになりました。国が初期から信用力を与えることで、民間の投資家がファンドに資金を投じやすくするのが目的です。(※ 日経新聞、2025年8月13日)

 JICA改正法のポイントは、①民間資金導入の促進、②国内外の課題解決を有する主体との連携強化、③柔軟で効率的なJICA財務の実現、等々です。

こちら → https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/100796361.pdf

 一方、EPSA(アフリカの民間セクター開発のための共同イニシアチブ)の「ノンソブリン業務(Non-Sovereign Loans, NSL)」コンポーネントは、JICAがアフリカ開発銀行に対して低利のクレジットラインを供与し、同行の民間セクター事業を資金面で支える仕組みです。

 これまでEPSAによって、ウガンダのブジャガリ水力発電所、アフリカ初の汎大陸通信衛星「RASCOM」、東アフリカ海底通信ケーブルシステム、ナイジェリアのレッキ有料高速道路、ルワンダのキガリ大規模給水事業など、さまざまな重要インフラが構築されてきました。(※ https://afdb-org.jp/news/6553

 民間資金を活用しながら、現地と協力して課題解決のための事業がいくつも立ち上げられ、実際に運用されていることがわかります。民間資金を活用し、社会的課題の解決を事業化すれば、インセンティブを高めることができので、事業としても成功する可能性があるのでしょう。

 そうなれば、企業が出資したくなるような環境整備を図る必要があります。今回のJICA改正法はそのための方策の一つなのでしょう。支援を事業化することによって継続することができ、安定した関係構築にも寄与できるようになるのかもしれません。

■アフリカへの投資

 欧米では、政府機関が出資や信用保証、ファーストロス(一定額までの最初の損失)補償を通じて民間のリスクを減らす取り組みが広がっています。

 日本政府も、3年ごとに開催されるTICADのたびに、「援助から民間投資」へのシフトを奨励してきました。ところが、リスクを嫌う日本企業はアフリカ投資をためらい、欧米や中国などの主要国に比べて日本の投資額は大きく見劣りしているのが現状です。

 たとえば、中国の場合、新型コロナウィルス流行後に、アフリカへの投資はいったん減少しましたが、再び、「一帯一路」関連の投資を拡大しています。特に鉱物資源が豊富なアフリカへの投資が際立っており、途上国支援に後ろ向きなトランプ米政権の間隙を突いて、アフリカへの影響力拡大を図ろうとしているのがわかります。

 2025年1月から6月にかけての地域別投資額を見ると、アフリカ向けが増えているのが歴然としています。24年通年より37%も多い400億ドル(約6兆円)に達し、全体の3割超を占めています。

(※ 2025年9月13日、日経新聞)

 アフリカ向けが地域別で最大となるのは21年以来です。オーストラリアのグリフィス大学と中国の復旦大学にある研究機関の調査によると、中国化学大手の中国化学工程集団が、ナイジェリアで結んだ200億ドル規模のガス施設に関する建設契約が、アフリカ向け投資をけん引していたといいます。

 そもそもナイジェリアは、アフリカで最大、世界で第10位の天然ガス埋蔵量(約5兆9,000立方メートル)を誇るガス資源国です。輸出額でも、約9割を原油と天然ガスが占め、ナイジェリアの貴重な外貨獲得の柱となっています。(※ https://www.jetro.go.jp/biz/areareports/2024/bbbf799b03d4f461.html

 そのナイジェリアで中国が巨額を投じて、ガス施設を建設するというのです。明らかに、ナイジェリアでの資源権益を確保し、発言力を高めることを目指したものといえるでしょう。中国は経済危機にあるといわれながら、アフリカに莫大な投資を再開したのです。

 アフリカが最後のフロンティアとして注目を集めているからでしょう。

 資源が豊富で未開発な部分が多く残されている一方、急速に都市化し、デジタル技術の普及も進み、アフリカは無限の可能性を秘めているように思われています。世界中の企業や国家が、アフリカでの投資やビジネス展開を加速させているのが現状なのです。

 日本でも若手官僚たちが、アフリカでの産業政策と資源確保を連携させた取り組みを進めていました。

■ビジネスと資源確保を両輪で

 2024年6月24日、「アフリカに大注目!ビジネスと資源確保を両輪で」というタイトルの下、若手官僚たちの取り組みが紹介されていました。

(※ METI Journal ONLINE,2024年6月25日より。橋本雅拓氏(左)、岸紗理奈氏(中央)、延時大夢氏(右))

 橋本雅拓氏(通商政策局 中東アフリカ課 アフリカ室)は、アフリカは若い人口も多く、これから市場規模がどんどん大きくなることが見込まれていると指摘します。それだけに、社会課題の解決に関するビジネスチャンスが多く、デジタル技術を活用した課題解決ビジネスは、日本や先進国よりアフリカの方が実現しやすいという状況に着目します。

 このような状況を踏まえ、アフリカ室では、スタートアップ企業の動きを後押しするため、アフリカ各国での様々な社会課題の解決につながるビジネスモデルの検証・発信(AfDX事業)を行っているというのです。

 さらに、アフリカはさまざまな鉱物資源の産出国でもあります。先端産業に不可欠な鉱物資源の宝庫でもあるのです。

(※ METI Journal ONLINE,2024年6月25日)

 上図の下に示されたのが、先端産業に不可欠な資源です。どういう用途で使われているのか、最終的にどのような製品になるのかが図示されています。

 たとえば、パソコンやスマートフォンの液晶、中に入っている基盤なども、原料は鉱物資源です。自動車のモーターにはレアアース、蓄電池にはリチウム、ニッケル、コバルトといった具合に、現代生活に不可欠な鉱物資源が豊富なのがアフリカなのです。

 延時大夢氏(資源エネルギー庁 資源・燃料部 鉱物資源課)は、日本はベースメタル、レアメタルのいずれについても、ほぼ全量を海外からの輸入に頼っているのが現状だとし、2050年カーボンニュートラルの実現に向けては、鉱物資源を安定的に確保するための取り組みが不可欠だという見解です。

 さらに、鉱物資源の安定供給を確保するには、日本が強靱なサプライチェーンを構築しなければならず、鉱物資源のサプライチェーンを特定の国に依存することは避けなければならないという認識を示します。

 サプライチェーンの強靱化・多様化に向けた取り組みとして、資源外交を展開しており、南米のチリやペルー、豪州、カナダなどの国に加え、新たなフロンティアとしてアフリカに着目しているというのです。

 岸紗理奈氏(資源エネルギー庁 資源・燃料部 鉱物資源課)は、企業から出向している経験から、海外からの鉱物資源の確保は、企業単独では動きづらいことがあり、官民で連携していくことが大事だといいます。

 このように、資源確保であれ、ビジネスチャンスであれ、若手官僚は三者三様、アフリカへの期待を語っていました。人口は増加し続け、先端産業に必要な資源が豊富で、しかも未開発の部分が多く、ビジネスチャンスが無限だからです。

 ビジネスの観点からいえば、アフリカはまさに最後のフロンティアなのです。

 その認識が世界の為政者たち、企業家たちに共有されはじめていました。だからこそ、中国は経済危機といわれながら、アフリカに6兆円もの投資を決めたのです。そして、JICAもまた、TICAD9で多岐にわたるアフリカ支援事業を発表しました。

 アフリカ・ホームタウン事業は、TICAD9のために用意された数ある支援事業のうちの一つでした。実際、移民政策の一環でもあったのでしょう。ところが、収束することのない抗議行動に耐えかねて、JICAはホームタウン事業を撤回してしまいました。

 石破茂首相は、TICAD9が閉幕した8月22日、「アフリカの未来への投資拡大や産業協力強化、人材育成に取り組む」と述べ、「日本とアフリカが双方の需要を知り、関係強化の道筋が見いだせた」と語りました。(※ 日経新聞、2025年8月22日)

 この事業が、アフリカでの資源確保、ビジネスチャンスに関わっている限り、いずれ、名を変え、形を変えて、JICAは似たような支援事業を立ち上げるに違いありません。撤回はみせかけであり、日本の資源確保、ビジネスチャンスを企図したアフリカ支援はさらに強化されていくことでしょう。(2025/10/4 香取淳子)

アフリカ・ホームタウン事業;危険をスルーするJICAの罪

 2025年9月14日、JICAと外務省が「JICAアフリカ・ホームタウン」事業の改称を検討していると報じられました(※ 時事通信オンライン、2025年9月14日7時5分)。

 あの報道は誤報だったと懸命に訂正したにもかかわらず、抗議の声が収束する気配をみせなかったからでした。なんとも姑息な対応です。JICAと外務省にしてみれば、事業名さえ変更すれば、国民の怒りが収まるとでも思っていたのでしょう。

 この対応だけで、JICAと外務省が、各地で勃発した国民の怒りの本質を理解せず、表面的に取り繕おうとしていただけだということがわかります。まず、「JICAアフリカ・ホームタウン」事業に対する抗議行動を見ておくことにしましょう。

■JICA前でのデモ

 2025年8月28日の夕刻、東京都千代田区のJICA(国際協力機構、以下、JICA)本部前で、デモ活動が行われました。千葉県木更津市など国内の4市をアフリカ諸国の「ホームタウン」に認定したことに対する抗議行動です。

(※ https://www.threads.com/@medinews_channel/post/DOA0Qi9jrFI/mediaより)

 JICAの前に集まった人々は声を荒げ、「撤回しろ」、「白紙に戻せ」と繰り返し、「売国奴」、「解体」と怒声を浴びせました。拡声器を手にし、移民を受け入れれば、社会不安が高まる、治安が悪化する、などと口々に訴えたのです。終盤になると、参加者は150人以上にも及び、JICA本部をぐるりと取り囲むほどでした。

 事の発端は、JICAが8月21日、第9回アフリカ開発会議(TICAD9)に合わせ、山形県長井市をタンザニア、新潟県三条市をガーナ、千葉県木更津市をナイジェリア、愛媛県今治市をモザンビークの「ホームタウン」に認定したことが明らかになったからでした。

 ホームタウンに認定された4つの日本の地方都市と対応するアフリカの4カ国が、地図上で示されています。

(※ JICAのHPより)

 このニュースはまず、海外で波紋を呼びました。

 JICAアフリカ・ホームタウン事業を知った男性が、「ナイジェリア人よ、木更津へ行こう」と呼びかけた動画をTikTokで公開したのです。これが、28日までに2.4万回再生されました。一気に拡散されました。

 『日刊スポーツ』(2025年8月28日付)によると、次のような内容の動画でした。

 男性は冒頭で「信じられない!」と声をあげると「Negro Town in Japan! Finally bro let’s go(黒人の町が日本に! 仲間よ、行こう)」と切り出しました。

 そして、木更津が立地的に東京から近いことや、60代、70代の人口が多い工業地域で、若い人口が少ないことを説明しています。男性は、「ずっと言ってきた、日本を黒くしろ(Make Japan Black)と」と語り、JICAのアフリカ・ホームタウン事業について「これは大きな一歩」と評価していました。

 一方、ナイジェリア人については、「我々は子どもを作るし、一生懸命働く」と述べた上で、男性は、「(日本側は)スキルのあるナイジェリア人を呼ぼうとしているが、実際は黒人たちが来て、人口が増えることを望んでいる」と述べました。そして、男性は再び、「世界のナイジェリア人よ、木更津へ行こう」と呼びかけていたのです。(※ https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202508280000402.html#goog_rewarded

 このような動画が拡散されたのですから、世界中が驚いたのも無理はありません。

 しかも、世界にJICAアフリカ・ホームタウン事業を伝えたのは、何もこのTikTokだけではありませんでした。ナイジェリア政府、BBC、タンザニア・タイムズなども一斉に、JICAの新事業について報道していたのです。

 一方、ほとんどの日本人は、JICAアフリカ・ホームタウン事業のことを知りませんでした。日本のメディアがこの件について一切、報道しなかったからです。BBCやタンザニア・タイムズ、ナイジェリア政府が報道すると、それがSNSで拡散され、多くの日本人が知るようになりました。

 多くの日本人はBBCやSNSを通してこのニュースを知り、憤慨しました。自分たちが知らない間に、日本の地方都市がアフリカのホームタウンに認定されていたのですから、無理もありません。

 まずはBBCの報道を見てみましょう。

■BBCの報道

 2025年8月23日、BBCは「JICA、木更津市をナイジェリア人の故郷に指定」というタイトルの記事をネットにアップしています。

こちら → https://www.bbc.com/pidgin/articles/cgm2p4d8m9mo

 この記事は、「国際協力機構(JICA)は、木更津市をナイジェリア人の故郷に指定しました」という文章から始まります。キャッチーな部分を冒頭に置いて、読者の関心を引いているのです。

 次いで、「ナイジェリア情報・国家指導省は、8月22日(金)に発表した声明で、文化外交の深化、経済成長の促進、そして労働力の生産性向上に向けた取り組みについて説明しました」とし、同省によると、「第9回アフリカ開発会議(TICAD9)の一環として、日本政府がこの取り組みを発表した」と記し、ニュースの出所を明らかにしています。

 そして、「日本政府は、木更津市に居住・就労を希望する、高度なスキル、革新性、そして才能を持つナイジェリアの若者向けに、特別なビザを創設する予定です」と具体的な内容に踏み込んでいます。この記事の核心部分です。

 日本政府は有能なナイジェリアの若者を求めており、木更津市に居住したり、就労を希望する場合は、「特別なビザを創設する」予定だと明記されているのです。

 この記事を読めば、誰もが、「世界のナイジェリア人よ、木更津へ行こう」と呼びかけたくもなるでしょう。なにしろ日本政府のお墨付きで、ナイジェリアの若者が木更津に住み、仕事をすることができるのです。

 実際、この記事の最後には「木更津市とは?」の見出しの下、木更津市の人口が13万6000人で、首都東京からわずか70キロしか離れていないこと、漁業や農業が盛んで、学校では英語教育が行われていること、などが書かれています。ナイジェリアの若者が木更津市に住み、仕事をする場合の基礎的情報が添えられていました。

 木更津市が東京に近いという情報は、ナイジェリアの若者には魅力的だったでしょう。木更津市に行きさえすれば、どんなチャンスに恵まれるかもしれないのです。しかも、学校で英語教育も行われているとなれば、木更津市でのコミュニケーションも可能です。不安定な社会状況のナイジェリアで生きる若者にとって、これは夢の広がるニュースでした。

 ところが、その後、この記事は修正されました。

  「数日後、日本政府は、移民の受け入れを促進する措置や、アフリカ諸国の住民向けの特別ビザの発行について、今後一切の措置を講じる予定はないと述べました」という一文が、この記事に追加されたのです。日本政府が抗議したからでしょう。

 JICAが26日(月曜日)にHPで訂正の声明文を出したことも書かれていました。この見出しの末尾には、ナイジェリア政府もその後、発表内容を訂正したと書かれています。訂正が遅かったからだと思われますが、ナイジェリア政府はおそらく、日本政府からの申し入れを渋々、受け入れたのでしょう。

■果たして、誤報だったのか?

 この記事のトップに、木更津市長とナイジェリア大使館臨時大使が認定状を手にし、その隣にJICA副理事長が収まった写真が添えられていました。

(※ BBCより鮮明なので、木更津市の写真を引用)

 三者三様、穏やかで、満足気な表情でカメラに収まっているのが印象的です。撮影されたのが8月22日ですから、まだ記事が訂正される前の写真です。この時、三人はそれぞれ、WIN-WINの思いでいたことでしょう。

 そして、記事の最後に、「ナイジェリア情報大臣によると、この協定を通じて、日本はアフリカ4カ国との既存の関係を公式に結び付けることで、アフリカ4カ国との交流を強化したい考えです」と書かれていました。JICAアフリカ・ホームタウン事業が日本政府からの提案であったことが明記されているのです。

 そういえば、JICAは、第9回アフリカ開発会議にあわせ、「日本アフリカ拠点大学ネットワーク構想」を立ち上げていました。これは、アフリカ域内の大学を拠点に日本とアフリカの教育連携と人材交流を促すもので、日本とアフリカの大学間連携を通して、2028年までに15万人を育てる計画を立てていました(※ 日経新聞、2025年8月19日)。

 とくに、アフリカ域内で理工・農学系の高度人材の育成を支援し、気候変動や食料・エネルギー分野で秀でた人材を育成することによって、知日あるいは親日の若手リーダーの輩出につなげようというのが、JICAの目論見でした。

 第9回アフリカ開発会議の開催を機に、JICAはさまざまな構想を立ち上げていました。いずれもアフリカの若者を支援し、人材交流を促進するというものでした。JICAアフリカ・ホームタウン構想はその一つでしたが、実は、日本アフリカ拠点大学ネットワーク構想も立ち上げられていたのです。

 こうしてみてくると、JICAアフリカ・ホームタウン構想は果たして、誤報だったのかという疑問が湧いてきます。

■アフリカの基礎教育の向上から高度人材育成まで

 JICAは第9回アフリカ開発会議を機に、二つの事業を立ち上げました。一つは、知的レベルの高い若者を対象にした「日本アフリカ拠点大学ネットワーク事業」であり、もう一つは、労働力レベルの若者を対象にした「JICAアフリカ・ホームタウン事業」です。JICAがアフリカの基礎教育の向上から、高度人材育成にまで関与し、支援しようとしていたことがわかります。

 こうしてみてくると、JICAや外務省が否定し、火消しに走った海外の報道やSNSの動画は決して誤報やデマではなく、事実だった可能性が出てきました。

 調べてみると、「基礎教育の向上から高度人材育成まで」というタイトルの記事がみつかりました。そこでは、「第8回アフリカ開発会議では高等教育分野での日本の取り組みの一つ」として、「日本・アフリカ間の大学ネットワークを通じた人材育成、留学生の受け入れによる5000人の高度人材育成を実施する」ことが挙げられていました。(※ 『国際開発ジャーナル』、2023年11月、pp.68-71))

 さらに調べてみると、日本・アフリカ大学連携ネットワーク(JAAN)の第1回年次総会が、2016年6月20日に筑波大学東京キャンパスで開催されており、16大学と1オブザーバー機関、そして8団体・機関から39名が出席していました。高度人材育成に関する組織は9年も前に立ちあげられていたのです。以後、毎年開催されており、日本とアフリカの大学間ネットワークは機能していることがわかります。

 第8回アフリカ開発会議(2022年8月27日と28日)の時点では、JICAアフリカ・ホームタウン事業はまだ構想されていませんでしたが、「みんなの学校」という事業は動いていました。

(※ https://www.jica.go.jp/TICAD/approach/special_report/20221031_01.html

 「みんなの学校」プロジェクトは、家族や地域住民が学校運営に参画し、授業の在り方や学校運営を考えていこうとするもので、JICAは個別に対応し、助言や技術支援を提供しています(※ 前掲URL)。

 基礎教育の向上を目的とした事業ですが、地域の活性化を図るとともに、コミュニティを強靭化する機能もあると考えられています。2021年に始まったプロジェクトで、満足に教育を受けられないアフリカの子どもたちのための支援事業でした。(※ https://www.jica.go.jp/information/topics/2021/20210428_01.html)。

 これが地域活性化を目指した基礎的教育事業だとすると、このプロジェクトがアフリカ・ホームタウン事業の先駆けなのかもしれません。となれば、アフリカ・ホームタウン事業は第8回アフリカ開発会議の時点で、構想されていたことになります。

 まずは、木更津市の事業内容を見てみることにしましょう。

■木更津市の事業内容および目的

 木更津市がJICAによって採択された事業の名称は、「青少年非認知能力向上プロジェクト~「規律」「尊重」「正義」の涵養による社会変革モデル~」で、対象期間は2026年1月からの3年間です。

 タイトルに含まれる「非認知的能力」とは、「知能検査や学力検査では測定できない能力」を指し、具体的には、「やる気、忍耐力、協調性、自制心など、人の心や社会性に関係する能力」を意味します。ここでは、「規律」「尊重」「正義」を意味し、それらを涵養することによって、社会を変革していくというものです。

 具体的な事業内容としては、ナイジェリアの大都市ラゴスとアブジャの学校で、「Baseballership TM教育メソッド」の普及モデルを構築すること、そして、木更津市では、市内の小・中学生を対象に多文化共生を学ぶ授業を行い、国際理解教育の要素も取り入れた「Baseballership TM教育メソッド」のイベントを開催するというものです。

 事業内容をみると、非認知能力の向上を、「Baseballership TM教育メソッド」に求めているところに大きな特徴があります。

 次に、事業の目的を見ると、「ナイジェリア連邦共和国では、急速な経済成長が続く一方、格差拡大や 汚職、犯罪、交通マナーなど社会課題も多い」という課題を解決するため、「同国の学校現場で不足している情操教育の機会をつくり、社会情動スキルの高い人材を育成する」と書かれています。(※ https://www.city.kisarazu.lg.jp/soshiki/kikaku/organiccity/1/12113.html

 このような事業目的を読んだとき、大きな違和感を覚えざるをえませんでした。

●なぜ木更津市が、ナイジェリアの社会問題の解決を図る必要があるのか?

 なぜ、日本の小さな地方都市が、遠く離れたナイジェリアの社会的課題解決のために、事業を起こさなければならないのでしょうか。

 たとえば、木更津市の人口は、2025年8月1日時点で、13万6,884人です。一方、ナイジェリアの人口は、2024年の世銀調査によると、2億3,268万人です。年々、人口が増加していますから、現時点ではさらに多くなっていることでしょう。

 さらに、ナイジェリアは、これまで国連安保理非常任理事国を5回にわたって務めており、国連PKOにも貢献し、アフリカのリーダー国の1つです、G7諸国だけでなく、新興諸国とも強い関係を築いている大国です(※ 外務省の基本データ)。

 ところが、政情不安なため、ナイジェリアではテロ、誘拐、武装強盗など犯罪の発生率の高く、外務省は多くの地域を危険レベル4あるいは3を出しています。これは、「「退避してください」、「渡航は止めてください」といったレベルです。特にイスラム過激派組織によるテロや誘拐が頻発しており、外国人を標的とした犯罪も多く、外務省が、慎重な対策を講じるよう警告しているほどです。

 たとえば、中東専門のジャーナリスト石田和靖氏は、「ナイジェリアは一人では行けないほど危険」と語っています。

こちら → https://youtu.be/w7YPgQldHfw

(※ 0:36~5:02まで。CMはスキップするか削除して、視聴してください)

 まず、ムルタラ・モハンマド国際空港に着いてからラゴスの市街に入るまでが大変だといいます。タクシーに乗れば、どこかに連れていかれて金品を盗まれるし、バスに乗れば、強盗に刺され金目のものを盗まれるので、知り合いのナイジェリア人に送迎をお願いするしかないというのです。

 危険レベルが高いせいか、2024年10月時点でナイジェリアに滞在する日本人は158人です。一方、日本に滞在するナイジェリア人は2024年12月時点で4318人です。相互にほとんど交流がないといってもいいでしょう。

 それほど交流がなく、しかも犯罪率の高いナイジェリアの社会的課題をなぜ、日本の小さな地方都市が解決のために動かなければならないのでしょうか。この事業の目標を何度見返してみても、木更津市がこの事業によって、何をしたいのかがよく見えてきません。

 しかも、この事業内容をみると、「Baseballership TM教育メソッド」という概念を主軸に組み立てられています。

●「Baseballership TM教育メソッド」とは何か、なぜこの事業に組み込まれているのか?

 この事業はナイジェリアと木更津市で展開されます。その際、キーになるのが、「Baseballership TM教育メソッド」です。一般にはまだ認知されていない概念を使って、この事業を展開しようとしているのです。

 再び、「申請概要」を見てみると、「本事業では、指定団体であるJ-ABS(一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構)を通じて、ナイジェリア(アブジャ、ラゴス)の学校で「Baseballership TM教育メソッド」の普及モデルをつくる…」と書かれています。

 ナイジェリアの大都会の学校で、「Baseballership TM教育メソッド」の効果検証を行って一般化し、普及モデルをつくるというのですが、具体的な対象地域や方法が書かれていないし、どのぐらいのサンプル数で検証するのかも、よくわかりません。このメソッドの「普及モデルをつくる」というにはあまりにも事業内容が曖昧なのです。

 一方、木更津市にとって、この事業がどういう意味をもつのか、事業内容を読んでもよくわかりません。

 そもそも木更津市はなぜ、JICAの「草の根技術協力事業(地域活性型)」応募したのでしょうか。

■「草の根技術協力事業(地域活性型)」

 「草の根技術協力事業(地域活性型)」は、「NGOや自治体、大学等がこれまでに培ってきた経験や技術を活かして企画した途上国への協力活動をJICAが支援し、共同で実施する事業」であり、しかも、「地域住民に役立つ事業」が対象となります(※ JICAのHP)。

 紹介動画がありますので、ご紹介しましょう。

こちら → https://youtu.be/cBIMcD8QewQ

(※ JICAより)

 木更津市は、草の根技術協力事業のうち、「地域活性型」に応募しました。この事業は、地方公共団体が、JICAが指定する団体と提携した企画を提案することが条件になっています。木更津市はJ-ABSを指定して、ナイジェリアでの事業提案を行いました。(※ https://www.jica.go.jp/domestic/tokyo/activities/kusanone/index.html

 木更津市がなぜ、J-ABSを指定したのかといえば、J-ABS はJICAに登録された指定団体だったからです。また、木更津市は2020年に開催された東京オリンピック・パラリンピックで、ナイジェリアのホストタウンを務めたことがあったので、ナイジェリアを対象国に事業企画を考え、基礎教育に関する提案を行いました。

 その結果、木更津市の提案は採択されました。2024年度の応募件数は24件、そのうち採択されたのは8件、採択率は33%でした。(※ https://www.jica.go.jp/activities/schemes/partner/kusanone/chiiki/index.html

 この事業の応募要件はJICAが指定した団体と提携して事業を行わなければならず、企画もそれに合わせたものにしなければなりませんでした。この事業は一見、木更津市が自発的に提案したようにみえますが、実は、JICAが指定したJ-ABSの意向を色濃く反映したものだったのです。

 これでようやく、木更津市の事業概要に対する疑問が少し解けました。

 つまり、応募という形をとりながら、木更津市が自由に発想し、自発的に考案した提案ではなかったのです。事業内容は、JICAの指定団体J-ABSに紐づけられており、「Baseballership TM教育メソッド」を組み込むことは不可欠だったのです。

 調べていくうちに、この事業に関係する、JICA、J-ABS、「Baseballership TM教育メソッド」が相互に深く関わっていることがわかってきました。三者をつなぐ人物がいたのです。それは、J-ABSの代表理事である友成晋也氏でした。

■JICA、J-ABS、慶應義塾大学

 友成晋也氏は、慶応義塾大学の野球部出身で、卒業後はリクルートコスモス社を経て、JICAに入り、1996年に西アフリカのJICAガーナ事務所へ赴任しました。以来、JICAの職員としてガーナで働き、その傍ら野球を通して、アフリカの青少年の人材育成のための「ベースボーラーシップ教育メソッド」を考案し、実践しはじめました。

「Baseballership TM教育メソッド」を考案したのは、この友成晋也氏です。

 JICA在職時の2019年にJ-ABSを立ち上げ、2020年には退職し、2021年から代表理事を務めています。翌2022年には、JICAの支援を得てアフリカ事業を始めているのです。このメソッドを教育に取り込めば、アフリカの青少年に、「規律」「尊重」「正義」などを涵養することができると述べています(※ https://www.j-absf.org/greeting)。

 友成氏が代表理事に就任した翌年の2022年以来、J-ABSは継続的にJICAから財政支援を受けています。2023年7月25日には2024年度のガーナ支援事業に採択され、母校である慶應義塾大学野球部からは人的支援を得、慶應義塾大学SFC研究所のベースボール・ラボからは研究支援を得て、成果をあげています。

 2024年8月31日と9月1日に開催された、第1回ガーナ甲子園大会は、この時の助成によるものです。

こちら → https://youtu.be/5i7AMLSrfn4

(※ CMはスキップして視聴してください)

 現在、J-ABSは、アフリカ55甲子園プロジェクトを主軸に事業展開をしています。アフリカの54か国と1つの地域を対象に、野球を通じた人づくりと競技の普及を目的に、25年かけて、アフリカ各国で野球の全国大会の開催させる計画だといいます。

 こうしてみてくると、友成氏が勤務していたJICA、同氏が代表理事を務めるJ-ABS、同氏が開発した「Baseballership TM教育メソッド」は三位一体で、アフリカで野球を根付かせようとしているように思えます。

 アフリカの青少年の基礎学力向上のための事業としては、未知数ですが、慶應義塾大学野球部から人的支援、慶應義塾大学SFC研究所ベースラボからは研究支援を受け、着実に成果を収めつつあるのが現状です。

 一方、木更津市は、この事業のために場所を提供しているにすぎないようにみえます。はたして、木更津市にとって、どんなメリットがあるのでしょうか。

■木更津市にとって、メリットはあるのか?

 この事業は、実施期間が3年間で、助成金の上限が6000万円です。仮に上限が支給されたとして6000万円です。その中からどのぐらい活動資金としてJ-ABSに渡されるのかわかりませんが、アフリカでの活動経費、渡航費、人件費、滞在費、など諸経費を差し引くと、それほど残らないでしょう。

 一方、木更津市は、ナイジェリアからの来訪者に対する住宅の提供、生活面での対応、さらには小中学校での教育機会の提供などが求められます。文化や生活習慣の違うナイジェリア人を相手にするのですから、金銭以外の負担も計り知れないものになるにちがいありません。

 そこへもってきて、今回の大騒動です。

 8月23日以来、木更津市はクレーム対応に追われました。JICAや外務省が誤報だ、デマだと否定しても、抗議の声が収まる気配は見えず、木更津市は新たに、令和7年9月の日付で、文書を発表しました。

 内容はこれまでと同様、市民からの批判に応えるものでしたが、興味深いのは、文書の末尾に赤字で書かれた次の文章です。その部分をご紹介しましょう。

 「木更津市は、ナイジェリアからの移住・移民の受け入れを促進するといった事実は無く、今後もそのような取組を進めていく予定もありません。また、市としてナイジェリアからのインターンシップの受入れ計画もありません」(※ https://www.city.kisarazu.lg.jp/material/files/group/10/Stance_Japanese_.pdf

 確かに、それらの文言は事業概要にありませんでした。ところが、2026年から3年間、ナイジェリア人が継続して木更津にやって来て居住し、活動するのは事実です。授業を行い、イベントを開催することも、事業内容に盛り込まれています。木更津市はそのためにナイジェリア人に住居を用意し、生活面での支援をしなければならないのです。

 その結果、どういうことが起こるでしょうか。

 たとえば、専門職ビザで来日した場合、高度人材ポイントが70点以上であれば、3年間在留すれば、永住許可申請をすることができます。また、80点以上であれば1年以上在留しただけで、永住許可申請をすることができるのです。(※ https://dragonshinjuku-visa.com/archives/884/

 この事業の実施期間が3年間だということは、専門職ビザで来日したナイジェリア人は、事業が終了する段階で、日本に永住許可申請を出せることになります。移民政策ではないとJICAや政府は言い張りますが、実際はその可能性もあるのです。市民や多くの人々が懸念するのはその点でした。

■危険をスルーするJICAの罪

 今回、SNSで数多くの警告を発信していたのは、日本を愛する外国人たちでした。移民がどれほど社会を不安定にするか、彼らはよく把握していたからです。

 たとえば、ナイジェリア人と日本人のハーフである細川バレンタイン氏は、ショート動画をいくつもアップし、アフリカ・ホームタウン事業の危険性を警告しています。いずれも具体的で説得力がある内容なので、いくつかご紹介しましょう。

  • 外国人労働者を安易に入国させてしまうことの危険

こちら → https://www.youtube.com/shorts/_hGJC6klqWs?feature=share

  • 労働力不足だからといって移住させた結果、不法滞在者の急増

こちら → https://www.youtube.com/shorts/Szo7amopmZs?feature=share

  • 生活習慣、社会状況が違うナイジェリアと共存できるか?

こちら → https://www.youtube.com/shorts/yuH5n6LdCco?feature=share

  •  アフリカ・ホームタウン事業はなんとしても食い止めるべき

こちら → https://www.youtube.com/shorts/lQS6Y-VTj8k?feature=share

 これらのショート動画を見て、改めて、この事業の危険性を思い知らされました。

 表向きはナイジェリアの社会的課題を解決するためといいながら、実は、人口が激増しているナイジェリアから、木更津市へ労働力の流入を目的としています。JICAや外務省は否定していますが、これが移民政策の一環だからこそ、「アフリカ・ホームタウン」事業なのです。

 日本は現在、帰国させるための厳格なルールもなく、海外からの労働者を受け入れるので、不法滞在者が増えるばかりです。その結果、医療費の未払い、犯罪の増加、社会の不安定化など、不法滞在者が引き起こす諸問題を、日本人が税金を使って後始末をしなければならなくなっています。

 多くの人々が海外からの労働者の受け入れに反対し、SNSでの抗議も高まる一方ですが、それでも、JICAや日本政府はこの計画を止めないでしょう。仮に表向きは取りやめたように繕ったとしても、結局はなし崩し的に移民を受け入れていくに違いありません。というのも、経済界と同様、行政もまた労働力不足をなによりも恐れているからです。

 木更津市もおそらく、人口減への対応策として、この事業に参画したのでしょう。労働力補填のメリットに目を奪われて、ナイジェリア人の移住が抱える潜在的なリスク、あるいは、社会的損失についてはそれほど深く認識していなかった可能性があります。

 一方、JICAはこの事業に潜在するリスクを知りながら、木更津市の提案を採択し、ナイジェリアとの事業を立ち上げました。危険を承知で、地方都市を引きずり込み、長期的にはデメリットでしかない事業に関わらせました。そのことの罪は重いといわざるをえないでしょう。(2025/9/22 香取淳子)

「大阪、関西万博2025」⑤:「大屋根リング盆踊り」と「河内家菊水丸」が世界をつなぐ

■万博会場で開催された盆踊り大会

 もはや過去のものだと思っていた盆踊りが、「EXPO2025 真夏の陣」の一環として、開催されました。7月25日から28日までの間、万博会場では三種の盆踊り大会が企画されていたのです。

 その一方で、27と28日は、大阪府内各所で、地域に根付いた盆踊り大会が行われていました。参加者の属性や開催地の特性を踏まえ、きめ細かく盆踊り大会がスケジュールされていました。

こちら → https://www.expo-osaka2025.com/osakaweek/summer/

 メニューを見ると、なんとも粋な計らいだということがわかります。万博でのライブ・パフォーマンスだということを意識していたからか、ローカルとグローバルを組み合わせた絶妙なメニューになっているのです。

 果たして、どのような企画内容だったのか、7月25日から28までの間に開催された盆踊りについて、開催日順に、その概略をみておくことにしたいと思います。

●7月25日に開催されたのが、オープニング・イベントの「マツケンサンバ@EXPO2025」でした。申し込みおよび開催概要は次の通りです。

こちら → https://www.expo-osaka2025.com/osakaweek/news/news_0016.html

 この盆踊り大会は、EXPOアリーナ「Matsuri」で行われ、約6000人が参加したといわれています。タイトル通り、松平健氏を迎え、マツケンサンバが披露されました。

●翌7月26日は、「盆踊りギネス世界記録挑戦」という企画の下、盆踊りが開催されました。参加申し込みおよび開催概要は次の通りです。

こちら → https://www.expo-osaka2025.com/osakaweek/summer/guinness.html

 こちらもEXPOアリーナ「Matsuri」で行われました。挑戦曲は、万博のテーマソング、『この地球(ほし)の続きを』です。万博テーマに合わせた唄で、盆踊り大会のギネス記録に挑戦するという企画でした。

 ギネス記録を達成するには、参加者数、国籍数を競うだけでなく、参加者の90%以上が、挑戦曲に合わせ、振付通りに5分以上踊らなければならないという条件がありました。審査員によって踊り方がチェックされるという課題があったのです。

 もちろん、振付通りにはなかなか踊れないという人もいました。そういう人のためには、振り付けの練習動画が用意されていました。

 HP上に、「日本語レクチャー編」、「日本語フルバーション編」、「英語レクチャー編」、「英語フルバーション編」が掲載されています。日本人であれ、外国人であれ、誰もが気軽に盆踊りに参加できるよう、配慮されていました。

 さらにHP画面を下にスクロールしていくと、事前練習会まで準備されていることがわかりました。5月9日から7月18日までの11日間、対面の練習会が開催される一方、オンライン練習会も、初級、中級、上級とレベルに合わせて開催されていたのです。

 服装等については、「浴衣に草履などの伝統的な衣装、民族衣装でのご参加を推奨しますが、衣装は自由です。安全上、かかとの高い靴は避けていただき、動きやすい履物でお越しください」という注意書きが記されていました。

 参加者が浴衣を着ていたり、民族衣装を着用したりしていれば、会場が華やかになります。そして、一目で参加者の多様性を把握することもできます。ギネス記録を達成するためだけでなく、見た目の訴求力にも配慮した方策が取られていたことがわかります。

●7月28日は、「大屋根リング盆踊り」が開催されました。開催場所を、それまでのEXPOアリーナから大屋根リングのスカイウォークに移し、「大阪から世界をつなぐ」という大会コンセプトの下で行われました。

 参加申し込みおよび開催概要は次の通りです。

こちら → https://www.expo-osaka2025.com/osakaweek/summer/ring.html

  こちらも練習用動画が用意されていました。

こちら → https://youtu.be/PYfjs4utlQ4

(※ CMはスキップして視聴してください)

 河内家菊水丸氏の音頭取りによって、振付を練習できるようになっています。振付を担当するのは、河内家菊舞丸氏です。振付については、菊水丸氏が逐次、説明をしていましたから、この練習用ビデオは、伝統芸能である河内音頭を見せる場の一つにもなっているといえます。

●7月27日と28日は、万博会場ではなく、大阪府内各地で、「交流盆踊り大会」が開催されました。

こちら → https://www.expo-osaka2025.com/osakaweek/assets/files/summer/schedule.pdf

 27日はゲストの菊水丸氏のステージの後、15:00から府内14か所で、盆踊りが開催されています。そして、28日は、やはり菊水丸氏をゲストに14:55から、府内13か所で開催されました。

 この二日間はもっぱら大阪府内の各地で、盆踊り大会が行われていたことになります。府内各所で行われた盆踊りは、まさに地域の伝統行事であり、地域の絆を深め、地域アイデンティを確認するためのものでもあったのでしょう。

 以上、見てきたように、「EXPO2025 真夏の陣」として企画されていたのが、万博会場での盆踊り大会三種と、大阪府内27か所で開催された盆踊り大会でした。まさに大阪を起点に、盆踊りを介して大阪府の内外に盆踊りの情熱を伝えるという企画でした。

 それでは、一連の盆踊り大会が実際にどのようなものであったのか、そこから何が伝わってきたのか、万博会場で行われた三種の盆踊りを撮影した動画を取り上げ、考えてみることにしましょう。

■動画が捉えた万博会場での盆踊り

●7月25日、マツケンサンバ

 25日はオープニング・イベントとして、マツケンサンバが行われました。EXPOアリーナでの開催です。その時の様子を収めた動画がありますので、ご紹介しましょう。

こちら → https://youtu.be/E–TvECP-DQ

(※ CMはスキップして視聴してください)

 松平健氏が、マツケンサンバ音頭を歌い演じて10分10秒を過ぎたころに、吉村知事、横山市長、河内家菊水丸氏が登場します。トークがはずみ賑やかになったところで、松平氏は金色の衣装に着替え、マツケンサンバⅡが始まります。


(※ ユーチューブ映像より)

 やぐらのトップに立って歌い演じる松平健氏が映し出され、その下の段で踊る知事や市長の姿が捉えられます。そして、やぐらを取り囲み、踊る人々・・・、みな、開放感にあふれ、楽しそうです。

 この盆踊りには、6000人の人々が参加したそうです。

 カメラが捉えた人々のしぐさや表情を見ていると、踊りが上手だとか、下手だとかは関係なく、参加することにこそ意義があるのだと思わせてくれます。

●7月26日、万博会場の屋外アリーナで開催された、ギネス盆踊り

 26日に企画されていたのが、ギネスへの挑戦です。こちらは、同時に盆踊りを踊った「人数」と「国籍数」を競います。参加者の人数と国籍数で、ギネス世界記録に挑戦するイベントでした。


(※ ユーチューブ映像より)

 共同通信がまとめた1分45秒ほどの動画がありますので、ご紹介しましょう。

こちら → https://youtu.be/e1trPR_nTRI

(※ CMはスキップして視聴してください)

 参加者は、万博テーマソング「この地球(ほし)の続きを」に合わせ、踊りを披露しました。もちろん、どんな踊りでもいいというわけではありません。先ほどもいいましたが、ギネス記録を達成するには、参加者の9割以上が、決められた振り付け通りに、5分以上、正確に踊ることが条件になっています。

 参加者はオンラインや対面で練習を重ね、ギネス盆踊り大会に参加しました。その結果、ギネス公式認定員の発表によると、参加者数は3946人、国籍数は62カ国で、無事、記録達成となりました。約4000人が参加したのです。

 さらに参加人数が増えたのが、大屋根リングでの盆踊りです。

●7月28日、大屋根リングのスカイウォークで開催された盆踊り

 こちらは「大屋根リング盆踊り」と称され、「大阪から世界をつなぐ」とサブタイトルが付けられています。河内音頭の家元である河内家菊水丸氏が、音頭取りをした盆踊りです。これについては、5分33秒にまとめた動画がありますので、ご紹介しましょう。

こちら → https://youtu.be/myuL7qSJ6wc

(※ CMはスキップして視聴してください)

 河内音頭の継承者、河内家菊水丸氏が音頭取りを務め、万博のテーマ「いのち輝く未来社会のデザイン」に添った、「いのち輝く未来社会音頭」で、盆踊りが展開されました。大屋根リングの上には、国内外から約8000人が参加しており、圧巻でした。

 この動画のコメント欄には、次のような意見が寄せられていました。

 「大屋根リングで、家族みんなで踊ってきました! 最高でした!」

「素敵な思い出沢山できました!」

「やっぱり市長も知事も若手だと、街は活性化されるし、みんなが活き活きするア大屋根リング いいね 、大活用や 」

「大勢の人が1つになれる大屋根リング  グッドジョブです」

 参加者は口々に、感動を伝えています。大屋根リングという大舞台で、皆と一緒に盆踊りをしたことが、何にも代えがたい喜びとなり、感動したことが綴られているのです。

 大勢の人々が一つの場所に集い、音頭に合わせて踊ることこそが、一体感を生み、感動させるのだと実感させられました。盆踊りが、参加型のライブ・パフォーマンスであることが、参加者の距離感を失わせ、一体感を生んだのではないかという気がします。

■吉村知事、横山市長

 興味深いのは、オープニングの「マツケンサンバ盆踊り」、そして、「ギネス盆踊り」、フィナーレの「大屋根リング盆踊り」、万博会場で開催された大会にはすべて吉村知事と横山市長が登場していたことでした。

 しかも、「ギネス盆踊り」以外、知事と市長は浴衣姿で登場しています。彼らは櫓の上に立って、スターゲストの松平健氏や河内家菊水丸氏とトークしながら、会場を盛り上げていたのです。


(※ ユーチューブ映像より)

 吉村知事が、軽いジョークを交え、観衆を沸かせながら会場を盛り上げていく様子を見ていると、ちょっとした芸人に見えてきます。横山市長も同様です。会場に違和感なく溶け込んでいるのです。まさに大阪府知事であり、大阪市長だと妙に納得させられました。

 そもそも政治は大勢の人々が参加する祭りであり、人々の同意を得ながら推進させるべきものなのでしょう。

 浴衣を着た吉村知事と横山市長が、櫓の上で菊水丸氏と談笑し、その櫓の周りを多数の参加者が取り囲んでいます。菊水丸氏の音頭取りで盆踊りが始まると、日本人であれ、外国人であれ、手をかざし、脚を出し、踊りながら、歩み出します。

 国籍を超え、人種を超えて、参加者が一つになっていった瞬間でした。

 約8000人もの参加者たちが、河内音頭に合わせて踊り、大屋根リングのスカイウォークの上を動いていきます。それが大きな輪となって、大屋根リングを覆っています。まさに、「大阪から世界をつなぐ」というコンセプトそのものの光景でした。

■盆踊り大会を通して、何が見えてきたのか?

 盆踊りはかつて、日本の夏を彩る風物詩の一つでした。お盆の時期になれば、各地で櫓が組まれ、笛や太鼓、音頭取りの歌唱に合わせ、地元の人々が輪になって踊っていたものでした。

 
 そもそも盆踊りは、ご先祖様の霊を供養するための行事でした。ところが、宗教的意味合いはいつしか薄れ、地域社会の娯楽になっていました。娯楽の少ない時代に、盆踊りは人々に娯楽を提供し、村落共同体の結束を強める機能を果たしてきたのです。

 地域共同体が廃れていくにつれ、次第に、盆踊り大会はみられなくなっていきました。担い手がいなくなってしまったのです。現在でも行われているものは、おそらく、商店街主催、あるいは、自治体主催の盆踊り大会ぐらいでしょう。

 ところが、万博会場では「EXPO2025 真夏の陣」と称し、三種の盆踊り大会が開催されたのです。動画でご紹介したように、万博会場で行われた盆踊り大会はそれぞれ、多数の参加者を熱気と感動の渦に巻き込んでいました。

 一連の盆踊り大会を通して見えてきたのは、まず、盆踊りが熱気と感動、そして、一体感を生み出すということでした。

●会場に充満する熱気と感動、一体感

 ギネス盆踊り大会には、日本人と多数の外国人が参加していました。次の写真は、その光景を捉えた一コマです。


(※ ユーチューブ映像より)

 浴衣を着用した人々が、テーマソングを口ずさみながら、一斉に手を突き出しています。参加者が、振付に忠実に踊っている様子が映し出されていました。

 こんな光景もありました。


(※ ユーチューブ映像より)

 これも、ギネス盆踊り大会の一コマです。右下に「東エリア8」と書かれた赤い色の表示が見え、その左側に民族衣装を着た人々が手を高く挙げている姿が見えます。参加者たちは、国籍毎に分けられ、開会を待っているのです。

 大勢の参加者たちが夕日を浴び、開会を待っている様子が映し出されています。ひしめきあうように集っている人々の中に、所々、黄色の識別表示が見えます。


(※ ユーチューブ映像より)

 猛暑の中、これだけ大勢の人々が、このギネス盆踊りのために参集しているのです。それは、ギネス企画の魅力でしょうか、それとも、盆踊りの魅力でしょうか。

 結局、この日の盆踊りには62ヵ国、3946人が参加しました。事前に練習に励んでいたせいか、参加者たちは、5分間以上、振付通りに踊るという基準を易々と達成しました。世界に向けた企画が目標を達成したのです。ギネス記録への登録が果たされ、「大阪、関西万博2025」の認知度はさらに高まることになるでしょう。

 そして、「EXPO2025 真夏の陣」は、28日開催の「大屋根リング盆踊り」で、大団円を迎えました。

 これら三種の盆踊り大会を通して、見えてきたのは、参加者たちの熱気と感動、そして、一体感でした。赤く染まった夕焼け空の下、参加者たちはごく自然の一つの輪になっていたのです。

●河内音頭で、大阪から世界をつなぐ

 さて、「大屋根リング盆踊り」では、菊水丸の河内音頭が使われました。河内音頭は、大阪八尾市を中心とした河内地方に普及している盆踊り唄です。大阪のご当地音頭で、日本人であると、外国人であるとを問わず、参加者たちは盆踊りに参加していたのです。


(※ ユーチューブ映像より)

 大屋根リングの上で踊っていたのは、なんと約8000人にも及んでいました。見渡すかぎり、人、人、人の渦です。動画を見ていると、下の方から河内音頭が聞こえてきます。浪曲のようであり、民謡のようであり、また、ラップのようにも聞こえる唄でした。

 伝統芸能でありながら、現代的な民衆性を備えた音楽のようにも思えます。

 一連の万博盆踊りに登場していたのが、河内家菊水丸氏です。独自に開発した「新聞詠み」で有名になったといわれています。折々のニュースを題材として、節をつけ、音頭に詠み込んでいくという手法で制作されていました。

 たとえば、グリコ森永事件、豊田商事事件、リクルート事件など世間を騒がせた事件を、題材として取り上げ、音頭に詠み込むのです。観衆の誰もが知っている事件を取り上げ、唄に詠み込んで披露すれば、共感を得られやすいからでした。

 大衆の興味関心に沿って、誇張して制作するという点では、ワイドショーの制作手法に似ているともいえます。

 その後は、事件ばかりではなく、社会的課題なども題材として取り上げるようになりました。そのような題材でも、菊水丸氏の唄には、言葉遊びの要素があり、時に過激な表現やウケ狙いの表現もあって、大衆受けするものでした。

こちら → https://www.nikkansports.com/premium/entertainment/news/202507080000895.html

 おかげで、河内地方だけで踊られていた河内音頭が、いまでは全国的に認知され、広まっています。とくに盛んなのは、東京錦糸町の盆踊りで、1985年以来、毎年、「錦糸町河内音頭」が開催されています。

こちら → https://www.kinshicho-kawachiondo.jp/

 今年も開催されており、2日間で3万人もが参加する大盛況ぶりでした。参加型の娯楽だからでしょうか、その動員力には目を見張るものがあります。人々を熱狂させ、一体感を醸成しやすいことがわかります。それだけに、江戸時代には、幕府が開催場所や時間を規制するほど、危険視されていたといわれています。

 盆踊りには、誰でも参加できる気軽さと親近感があります。しかも、ライブ・パフォーマンスとしての開放感があり、日ごろのストレスを発散させる機能もあります。それだけに、参加者を高揚させ、熱狂させ、周囲と一体化させる力も強いのでしょう。

 振り返ってみて、あらためて、「EXPO2025 真夏の陣」の企画は素晴らしいと思いました。盆踊りというローカル文化が、万博会場というを舞台から、参加者を巻き込みながら、グローバルに発信されていたのです。

 オープニングからフィナーレの「大屋根リング盆踊り」まで、三幕構成でつなげたところに参加者を引き込み、盛り上げながら展開していく流れがありました。

 まずは、日本国内で認知度の高いマツケンサンバを1幕目に設定して、参加者の目を引き、2幕目は、海外に向けて、意表を突く恰好で、ギネス記録への挑戦、そして、3幕目は、地元大阪の河内音頭で、約8000人が大屋根リングの上で踊るという趣向でした。

 メリハリのある構成で三種の盆踊りが組み立てられていたからこそ、「大阪から世界をつなぐ」というメッセージがしっかりと発信されていたように思います。

(2025/8/9 香取淳子)

「大阪、関西万博2025」④:マルタ館で見る、幕末日本

■マルタ館の建設費未払い

 次々と起こる建設代金未払い問題が、マルタ館でも発生していました。下請け会社のI社は、約1億2千万円の未払いを抱え、現在、東京地裁に提訴しています。

(※ https://katori-atsuko.com/?news=%e3%81%be%e3%81%9f%e3%81%97%e3%81%a6%e3%82%82%e6%9c%aa%e6%89%95%e3%81%84%e8%a8%b4%e8%a8%9f%e3%80%81%e4%b8%87%e5%8d%9a%e5%8d%94%e4%bc%9a%e3%81%af%e3%81%a9%e3%81%86%e8%b2%ac%e4%bb%bb%e3%82%92%e5%8f%96

 2024年12月、マルタ館の工事は、外資系元請けのG社、一次下請けのS建設、I社が協議して、開始されました。G社は仮設物建築のスペシャリストで、世界中で万博やスポーツ大会の仮設物を作ってきた実績があります。内装工事を請け負ったI社の社長は当初、「こんな大きな会社と仕事ができるなんてすごい」と喜んでいたといいます。

 ところが、G社は協議の場でも平面図2枚しか渡さず、内装についてもほとんど指示を出しませんでした。G社のやり方に不安を感じたのか、1月末に、S建設と3次下請け業者は撤退してしまいました。以後、すべての責任がI社にのしかかってきたのです。

 マルタ館は、パビリオンの中ではもっとも遅く着工したので、工期が短く、しかも、図面は現場で何度も変更され、困難を極める仕事内容でした。それでもI社は不眠不休で働き、開幕までにマルタ館の工事を完了させました。ところが、元請けのG社は1億2千万円にも上る建設代金を支払っていないというのです。(※ http://www.labornetjp.org/news/2025/0617expo

 それでは、I社が苦労して完成させたマルタ館をご紹介しましょう。

(※ https://www.expo2025.or.jp/official-participant/malta/

 まず、やや湾曲した石造り風の壁面が、目につきます。自然石の素材感と洗練されたデザイン性が、なんとも印象的です。壁面の前には水が湛えられ、背後から光を受けると、石の壁や大きな木が水面に照らし出されるよう設計されています。光と水面を巧みに利用し、幻想的な雰囲気が醸し出されているのです。

 この素晴らしいパビリオンを、I社は、たった2枚の平面図を渡されただけで、完成させたのです。現場では、何度も設計変更を要求されたといいます。外国人とのやり取りの中で、コミュニケーションがスムーズにいかないことも多々、あったでしょう。それでもI社は開幕までに工事を完了させました。その責任感は、さすが日本の建設会社だといわざるをえません。ところが、その対価が支払われていないのです。

 マルタ館については、11分48秒の動画がありますので、ご紹介しましょう。

こちら → https://youtu.be/xybFRSzM3X0

(※ CMはスキップするか、削除してください)

 この動画を見ていて、わかったことがあります。それは、正面の湾曲した壁面が、昼間はスクリーンとして活用されていたことです。

(※ 前掲の公式動画から)

 大きなスクリーンに広大な海が映し出されています。入り口で並んでいる来場者たちは、まるで海の中に佇んでいるような気持ちになっていたにちがいありません。これは、マルタが地中海に浮かぶ小島であることを、来場者に直感的に理解させる仕掛けだといえます。

 はたして、マルタはどのような国なのでしょうか。

■マルタ共和国とは?

 古来、さまざまな勢力や国から支配されてきたマルタは、1974年12月13日、イギリスから独立し、マルタ共和国となりました。イタリアのシチリア島の南に位置し、マルタ島、ゴゾ島、コミノ島など3つの島々から構成されています。面積は316平方キロメートルで、東京23区の面積の約半分の大きさです。

 マルタの全体像が分かるような地図を探してみました。

(※ https://ritoful.com/archives/20113

 左が地中海での各国の位置関係を示す地図、右が3つの島から成るマルタ共和国の地図です。

 左の地図を見ると、マルタがイタリアのシチリア半島のごく近くに位置し、北アフリカのチュニジアにも近いことがわかります。イタリア、チュニジア、ギリシャ、トルコ、エジプトに挟まれ、地中海に浮かんでいる小さな島国が、マルタ共和国でした。

 マルタはまさに地中海の要衝の地なのです。

 右の地図を見ると、マルタ共和国は、マルタ島、ゴゾ島、コミノ島などから構成されており、一番大きいマルタ島に、首都ヴァレッタが置かれているのがわかります。

 ヴァレッタの写真がありますので、見てみることにしましょう。

(※ https://diamond.jp/articles/-/345221

 コバルト色をした地中海のまっただ中に、石造りの建物が海の際まで建てられているのが見えます。まさに要塞都市ですが、これが、マルタ共和国の首都、ヴァレッタです。ここに、マルタの地政学上の特徴をみることができます。

 地中海の真ん中に浮かぶマルタは、古来、さまざま勢力から侵略され、支配されてきました。1530年になると、聖ヨハネ騎士団がマルタを拠点に活動しはじめました。彼らはやがて、マルタ騎士団と呼ばれるようになります。

 これに危機感をおぼえたオスマン帝国は1565年、4万もの大軍を率いて、マルタを攻撃してきました。マルタ騎士団はわずか8千程度の兵力で、4ヶ月間、これに抵抗していました。そのうち、カトリック教国側の援軍がマルタに到着すると、オスマン軍はたちまち撤退していったという事件がありました。

 この襲撃に懲りたマルタは、翌1566年、防衛のために新たな要塞都市の建設に着手しました。出来上がった都市は、当時のマルタ騎士団の団長ラ・ヴァレットの名前に因み、ヴァレッタと名付けられました。マルタは、防衛を最優先させなければならないほど、地政学上のリスクが高い地域だったのです。

 実際、古代からさまざまな民族がマルタを通り、上陸し、支配しては、去っていきました。その結果、この小さな島には、数多くの遺跡が残され、多様な民俗文化が根付いています。

■マルタに残された、世界遺産の数々

 マルタには、新石器時代から人間が生活していたといわれ、マルタ島やゴゾ島には約30の、神殿と思われる巨石建造物が残されています。そのうち、ゴゾ島のジュガンティーヤ神殿は、1980年に世界遺産に認定されました。

 その後、マルタ島でも5つの巨石神殿が発見されました。これらが追加登録されて、ジュガンティーヤ神殿 を含む神殿群は、1992年にマルタの巨石神殿群と名称変更されました。

こちら → https://www.mtajapan.com/heritage

 ここでは、ジュガンティーヤ神殿の他に、ハジャーイム神殿、イムナイドラ神殿、タルシーン神殿などが紹介されています。風化が進み、現在は巨大なテントで覆われていますが、神殿内部の見学は可能で、一般公開されているそうです。

 これらの巨石遺跡に関する動画を見つけましたので、ご紹介しましょう。

こちら → https://youtu.be/0OD7W2qMRhA

(※ CMはスキップするか、削除してください)

 興味深いことに、島内の各所に平行に穿たれた2本の溝の跡が残されています。

(※ https://en.wikipedia.org/wiki/Misra%C4%A7_G%C4%A7ar_il-Kbir

 この溝は「カート・ラッツ(車輪の轍)」と呼ばれ、水路だという説と、神殿などに石を運ぶためのレールだという説があります。

 カート・ラッツと呼ばれる2本の平行線が、島の至る所に見られます。その一方、まるでジャンクションのように穿たれた石の溝も残されています。

(※ 前掲URL)

 こちらは、まるで鉄道のポイントのように見えます。このような分岐点が所々に存在していることから、マルタには、古代の運送の痕跡がそのまま残されているといえます。

 先ほどいいましたように、ヴァレッタは港を見下ろす格好で、シベラスの丘の上に建造されています。まさに石造りの城塞都市です。そして、このヴァレッタの街そのものも世界遺産に登録されているのです。

(※ Wikipedia)

 11世紀の以降のさまざまな様式の建造物が、ヴァレッタには残されています。バロック建築、マニエリスム建築、近代建築、新古典主義建築などです。これらの多様な建築様式の建造物もまた、1980年にユネスコの世界遺産に登録されました。

 こうしてみてくると、マルタが地中海の要衝の地だからこそ、さまざまな文化が堆積してきたことがわかります。もちろん、東洋と西洋をつなぐ交通の結節点にもなっていたでしょう。

 実は、幕末の日本人が、このマルタを訪れていた痕跡が残されていたのです。

■マルタ館で展示された日本の甲冑

 地中海のマルタと縁があったとは、とうてい思えないのに、マルタのパビリオンに、日本の甲冑が展示されていました。向かって左が西洋の鎧、右が日本の甲冑です。東西の武具が並べて展示されていたのです。

(※ マルタパビリオンの動画より)

 この甲冑は、2015年にマルタの武器庫で発見されたといいます。幕府がヨーロッパに派遣した使節団が、マルタに贈呈したものでした。1862年に欧州を訪れる途中、使節団はマルタに立ち寄っていました。その際、マルタから大歓迎された使節団が、その返礼として、甲冑を贈っていたのです。

 発見された時点で、すでに150年以上も経ていた甲冑です。当然のことながら、経年劣化が進み、欠損した箇所も目立つようになっていました。劣化部分や欠損部分については、京都美術品修復所が、1年半かけて修復を完了させました。2025年3月22日、読売新聞は、修復が終わった甲冑が、将軍家ゆかりの光雲寺で披露されたことを伝えていました。

(※ 読売新聞、2025年3月23日)

 使節団がマルタに贈ったのは、甲冑3点でした。それらが修理され、そのうち1点が、今回、マルタのパビリオンで展示されているのです。家老級の武士が身につける鉄製の高級甲冑だといいます。

(※ マルタパビリオンの動画より)

 たしかに、磨きこまれ、黒光りしている甲冑には、重々しい威厳と凛とした美しさがあります。なるほど、家老級の武士が身につける甲冑なのだと納得させられました。

 アンドレ・スピテリ駐日大使は「万博で甲冑を見て、マルタと日本の歴史的なつながりを感じてほしい」と話しています(※ 読売新聞、2025年3月23日)。

■遣欧使節団はなぜ、マルタに立ち寄ったのか?

 江戸幕府は、文久元年(1862年)にヨーロッパに使節団を派遣しました。1858年に交わされたオランダ、フランス、イギリス、プロイセン、ポルトガルとの修好通商条約のうち、新潟・兵庫の開港および江戸・大坂の開市の延期交渉、そして、樺太の国境画定交渉を進めるためでした。

 文久元年12月22日、(1862年1月21日)、幕府の使節団は、イギリス海軍の蒸気フリゲート艦、オーディン号(HMS Odin)に乗船し、欧州に向かいました。

 一行の渡欧経路を見ると、品川港を出発し、長崎、英領香港、英領シンガポール、英領セイロン、アデン保護領を経てエジプト・スエズに上陸し、鉄道でカイロからアレクサンドリアに出た後、再び船に乗って地中海を渡り、英領マルタを経て、4月3日にマルセイユに入っていました。

 フランスのマルセイユに入る前の3月28日、使節団は、たしかにマルタ島のヴァレッタに立ち寄っていたのです。

 一行が、なぜ、エジプトのアレクキサンドリアから直接、マルセイユに行かず、マルタに立ち寄ったのかといえば、カイロ滞在時に、フランス行きの船を手配することができなかったからでした(※ 前掲、pp.47-48)。

 当初の予定では、フランスを訪問するのが先でした。ところが、使節団一行をフランスに運ぶ船の手配ができず、ひとまず、イギリスの船でマルタまで行こうということになったのです。一行を運んだのは、イギリスの兵員輸送船ヒマラヤ号でした。

 当時、マルタは英領でした。イギリスは、1814年にマルタを支配下に置き、全盛期のイギリスを支えるための貿易、軍事上の重要な拠点にしていました。

 使節団が見たヴァレッタの印象は次のようなものでした。

 「マルタ島の印象は、全島がすべて岩で覆われた不毛の地のそれであった。とくに港の三方はみな城塞のようである」(※ 宮永孝、『文久二年のヨーロッパ報告』、pp.49. 1989年、新潮社)

 港に面したところはみな城塞のようだと書かれています。実際、ヴァレッタはマルタ騎士団によって、1566年に要塞都市に造りかえられていました。日本の武士の目に、石造りの街ヴァレッタが、堅固な要塞に見えたのは、当然のことだったのかもしれません。

■マルタに贈呈した甲冑

 さて、ヒマラヤ号がヴァレッタに入港すると、一行は大歓迎されました。

 「哨戒艇が六隻ばかり本船の周りにやって来て、護衛についた。それより三使は、日章旗を掲げた艀に乗り換え、セント・アングロ要塞から十五発の祝砲を受けながら上陸し、「ダンスフォード・ホテル」に入った」(※ 前掲、pp.49-50)。

 ヒマラヤ号からは、まず、三使が、日章旗を掲げた艀に乗り換え、祝砲を受けながら、ヴァレッタ上陸しました。三使とは、「全権公使」のことで、竹内安徳(正使、56歳)、松平康直(副使、33歳)、京極高朗(目付、39歳)の三名を指します。使節一行の主要メンバーです。

 一行は、これら三使の他に、事務方のトップである柴田剛中(組頭、46歳)をはじめ、福地源一郎、福沢諭吉、松木弘安(後の寺島宗則)、箕作秋坪ら、総勢36名で構成されていました。

 三使と柴田剛中の4人が、パリで撮影された写真が残されています。ご紹介しましょう。

(※ Wikipedia)

 左から、松平康直(副使)、竹内保徳(正使)、京極高朗(目付)、柴田剛中(組頭)です。

 正使の竹内保徳は、箱館奉行に任じられた際は海防や開発に尽力し、外交や蝦夷地の事情にも通じていました。しかも、「君子風の良吏なりければ正使の価値を備へたる人物」といわれ、温厚篤実で、ものに動じることもなく、樺太境界の交渉には適任でした(※ 前掲、p.17)。

 三使の中で、日本の伝統文化を貫き通したのは、副使の松平康直でした。洋行経験者から持参の必要はないといわれながらも、甲冑や槍などを持参することを主張し、その結果、三使だけは甲冑等の持参を許されたそうです(※ 前掲、p.19)。

 もちろん、彼は渡航中も、日本の礼儀作法を固持していました。

 幕府は、使節一行の渡航に際し、締盟六か国の国王や首相、政府高官に送る土産として、大量の漆器や甲冑を用意していましたが、ただ立ち寄っただけのマルタに、家老クラスの武士が着用する甲冑を3つも贈呈したのは、ひょっとしたら、副使の松平康直の意向が強く働いていたのかもしれません。

 さて、ヴァレッタで三泊すると、一行は再び、ヒマラヤ号に乗って、フランスに入りました。しばらく滞在すると、今度はフランスの軍艦「コルス」に乗って、午前十時ごろイギリスに向かいます。ドーバーに着いたのが、1862年4月30日(文久2年4月2日)の午後1時ごろでした。

■使節団が見た、第2回ロンドン万博

 翌1862年5月1日、ロンドンでは第2回万国博覧会が、サウスケンジントンにある王立園芸協会庭園の隣接地で開幕しました。この開会式には使節団の三使も招かれています。もちろん、使節団の面々も、ロンドン滞在中になんども万博会場に足を運びました。

 万博会場を訪れた一行の姿を描いた図が残されています。

(※ https://www.ndl.go.jp/exposition/data/R/086r.html

 羽織袴に刀を差し、物珍しそうにあちこち見てまわる使節一行の様子が描かれています。実際、見るもの、聞くものが目新しく、驚きに耐えなかったのでしょう。会場には、世界各国の物産が一堂に集められ、展示されていました。

 出品された品目は、金銀銅鉄製品、農工業製品、織物、蒸気機関、船舶、浮きドッグの模型、美術工芸品、銃砲など百種類を超えていました。使節団にとっては見たこともないものばかりでした。その会場の一角に、駐日公使オールコックが持ち込んだ日本の物産が展示されていました。

 使節団の一人、高島祐啓は次のように記しています。

 「日本ノ品ハ外国未曽有ノ奇物多トイヘトモ、惜ムラクハ彼ノ地ニ渡ル所皆下等ノ品多クシテ、各国ノ下ニ出シタルハ残念ナリト云フヘシ」(※ 前掲。p.78)

 日本から出品されたものには、ガラクタが多く、見るに耐えなかったというのです。高島がガラクタと認識していたのは、提灯、傘、木枕、油衣、蓑笠、草履などの日用品でした。英国人であるオールコックは、そのような日用品にも、展示価値があると判断したのでしょう。

■使節団は、第2回ロンドン万博で何を見たか?

 イギリスはこの頃、カナダ、オーストラリア、ジャマイカ、エジプト、南アフリカ、インドやその周辺にまで勢力圏を拡大し、広大な資源を有する植民地帝国を形成していました。目論んでいたのは、技術格差に基づく交易による世界制覇でした。

 当時、イギリス産の工業製品を、インドの綿花・アヘン、中国の茶、絹織物などと取引し、暴利をむさぼるという形で各地に進出していました。自由貿易を掲げて、取引を行い、イギリスの権益を最大化していくという方法です。

 たとえば、中国に対しては、1840年にアヘン戦争を起こして清朝を屈服させ、香港を獲得しました。さらに、太平天国の乱に乗じて、アロー戦争をしかけ、1860年に北京条約によって開港を増やし、権益を拡大しました。

 このような帝国主義的手法によって、イギリスは世界各地に進出し、勢力圏を拡大させていたのです。いち早く産業革命を終えたイギリスならではの優位性によるものでした。イギリスの手法を学んだ欧米列強が引き続き、アジアに進出してきていました。

 七つの海を支配し、大英帝国を築き上げたイギリスは、日本との交易を求め、鎖国下の日本を何度か訪れていました。使節一行がマルタに立ち寄ることになったのも、実は、幕末の混乱に乗じて列強と結ばされた条約の修正をめぐる交渉のためでした。

 そして、使節団の欧州渡航の手配をしたのが、初代イギリス駐日公使のオールコック(Sir John Rutherford Alcock KCB、1809 – 1897)でした。幕府の窮地を見て取った彼は、ヨーロッパ締盟国に、開港開市延期についての親書を送り、合わせて使節団を派遣する旨を伝達すればどうかと幕府に提案しました。

 この提案が受け入れられると、彼は、フランスをはじめ、交渉国とのスケジュール調整をし、渡航費用、滞在費などの分担交渉なども行いました。もちろん、ヨーロッパまでの航路も、香港、シンガポール、インド、エジプト、マルタといった具合に、すべて当時のイギリス領を経由したものでした。

 使節団は、欧州渡航の行程で、イギリスの政治的力を見せつけられたでしょうし、ロンドン万博会場では、経済力の基礎となった技術力を見せつけられていたことでしょう。会場には蒸気機関、銃砲、浮きドッグの模型などが展示されていました。帝国主義時代を支え、産業化社会を進展させた技術の一端が披露されていたのです。

 翻って、「大阪、関西万博2025」をみれば、「いのち輝く未来社会のデザイン」という総合テーマの下、披露されているのは、ロボット技術であり、生命技術、リサイクルシステムであり、自然エネルギー、等々です。

 これらの技術がはたして、「いのち輝く未来社会」を約束してくれるものなのかどうか・・・。実際、ユスリカの大量発生では、万博会場設営のために夢洲の生態系が破壊されたことが明らかになりました。

 新規技術の導入に際しては、技術単体の機能や効能を見るだけではなく、技術相互の影響や累積効果、間接的な影響等を見ていく必要があるでしょう。AIが一般化する時代の到来を迎え、これまではともすれば、なおざりにされてきた、総合的、全体的な観点から、技術を検証していく必要が高まってきていると思います。

(2025/7/1 香取淳子)

「大阪、関西万博2025」③:生態系を壊されたユスリカ、逆襲か?

■万博会場で発生した大量のユスリカ

 万博会場で大量の虫が発生していることが、開幕一か月後あたりから、SNSでさかんに取り上げられるようになりました。万博協会によると、5月14日頃から大量に確認され始めたといいます。

 SNSでの騒動に呼応して、新聞やテレビでも取り上げられるようになりました。たとえば、大阪のテレビ局MBSは5月22日、ユスリカの飛来について、次のように伝えています。

こちら → https://youtu.be/Oqytv2HySGE

(※ 5月22日MBSニュースより。CMはスキップするか、削除して視聴してください)

 番組では、大屋根リングにびっしりと張り付いている大量の虫が映し出されます。これらはユスリカという虫で、蚊のようにヒトの血を吸ったり病気を媒介したりすることはないと説明されていました。害がないとはいえ、決して気持ちのいいものではありません。


(※ MBSニュース映像より)

 この虫が、会場のいたるところで確認されているというのです。次いで、ユスリカの死骸がたくさん落ちている場所が映し出され、大群が飛来し、空を覆っている写真も示されました。


(※ MBSニュース映像より)

 これは暗くなり始めたころの写真ですが、まだ明るい時間帯でも、ユスリカは飛来してきているようでした。

 三人の女性がウチワや扇子で虫を追い払いながら、大屋根リングを歩いている様子が映し出されます。

 レポーターが女性にインタビューすると、いかにも関西人らしく、「虫も、万博見に来たんかなって、言ってるんですけど」と笑顔で答えていましたが、不快感がなかったとはいえないでしょう。

 深刻なのは、会場内の飲食店です。店長の話では、大量のユスリカが店内に入り込んで床に落ち、それを来客が踏むので床が汚れて、掃除が大変だというのです。客の印象も悪くなるでしょうし、場合によっては虫が食べ物に落ちることもあるでしょう。店舗にとっては衛生管理上のコストも嵩みます。

 ユスリカの大量飛来が発覚したのがゴールデン明けから5月半ばぐらいでした。以後、発見されるたびに、万博協会には報告されているはずですが、万博協会ははたして、どのような対応をしてきたのでしょうか。

■万博協会の対応

 万博協会は26日、発生を抑えるための対策本部(本部長・石毛博行事務総長)を設置したと発表しました。同日、開催された1回目の会合で、高科淳・副事務総長は、これまで薬剤を中心とした対策を行ってきたが、ユスリカの会場への大量飛来を抑えることができていないと説明しています。

 万博協会は、当初、薬剤を撒けば、何とかなるだろうと思っていたのでしょう。ところが、いっこうに効かず、かえって増えているような状態だったのです。高科氏は今後、「環境への影響を考慮しながら、大阪府や大阪市と協力し、全力かつ迅速に対応を続けていく」と述べています。

 その後も、ユスリカの飛来は止む気配を見せませんでした。

 おそらく、来場者や会場内の施設や店舗関係者、スタッフなどから、万博協会への問い合わせが殺到したのでしょう。

 万博協会は2025年6月2日、「大阪・関西万博会場におけるユスリカの大量飛来についての現状と対策状況」というタイトルのお知らせを万博HP上に掲載しています。(※ https://www.expo2025.or.jp/news/news-20250527-02/

 万博HP上に掲載されたとはいえ、新しい情報はなく、これまで報道されてきたことを、整理しただけのような内容でした。

 万博協会は、複数の事業者の協力を得て、調査を実施した結果、次のように報告しています。

①会場内に大量飛来しているのは、ユスリカ科の一種であるシオユスリカであること、

②シオユスリカは淡水と海水が混じる汽水域で発生しており、発生源は、ウォータープラザ及びつながりの海であること、

③夕方から夜にかけての時間帯で大量発生し、主な飛来場所は、会場南側の大屋根リングの上(スカイウォーク)や、東西の水辺エリアであるが、会場の広い範囲でも確認されている、等々。

 まず、大量発生している虫を特定し、その発生源を明らかにしたうえで、主な飛来場所と飛来時間帯を報告しています。次いで、ユスリカ対策として、雨水桝等には、ユスリカの成長抑制剤を散布したこと、協会施設には、忌避剤による侵入防止策、清掃、消毒を実施し、営業店舗等には、忌避剤を使用した侵入対策、清掃、消毒を支援してきたこと、等を説明しています。

 興味深いのは、発生源と思われるウォータープラザやつながりの海には、当初から成長抑制剤を投入しておらず、これまでは成長抑制剤を撒いてきた雨水桝等には、今後もそうするのかどうかの言及がなかったことです。

 このことからは、万博協会は当初、手っ取り早く駆除できる薬剤に飛びついたものの、その後、薬剤を使用することに慎重な姿勢を見せ始めたことがわかります。おそらく、薬剤をしばらく使ってみても、効果がなかったことが影響しているのでしょう。あるいは、薬剤散布による人体や環境への影響を懸念したからかもしれません。

 万博協会の対応の微妙な変化については思い当たる節があります。

■薬剤に害はないのか?

 万博公式サイトに、「ユスリカ対策のために使用している成長抑制剤とは何ですか。人体・環境に影響はないですか」という質問が掲載されていました(※ 大阪、関西万博公式サイト)。

 ユスリカの大量発生以来、このような内容の質問が数多く、万博協会に寄せられていたからでしょう。これに対する万博協会の回答は、次のようなものでした。

①これまで雨水桝に、ユスリカの幼虫が羽化して飛翔することを防ぐ目的で、成長抑制剤を投入してきたが、人体が触れる場所には投入していない、

②成長抑制剤は、安全性が確認された市販品を使っており、人体・環境に悪影響がないように、用法・用量を守って投入している、等々。

 気になるのは、回答文に、「人体が触れる場所には投入していない」とか、「人体・環境に悪影響がないように、用法・用量を守って投入」などの表現がみられることです。いずれも薬剤使用による人体への影響を否定しようとするものであり、万博協会の防御の姿勢を垣間見ることができます。

 どのような薬剤を使用するにせよ、生物を駆除する薬剤には、人体や環境になんらかの影響があると考えるのが自然です。大量に飛来してくるユスリカを駆除するには、相当の量が必要になるでしょう。空中に散布するとなれば、当然のことながら、人体や自然への悪影響も考えられます。

 そのせいか、万博協会はHP上ではどの薬剤を使っているかを明らかにせず、ただ、市販の製品を使用法、使用量を守って撒いていると説明しているだけでした。そして、どういうわけか、この時点で万博協会は、なぜユスリカが大量に発生したのかについては言及していません。

■夢洲は生物多様性ホットスポット

 夢洲でのユスリカ発生は、実は、専門家から4年前に指摘されていました。

 夢洲は、1977年に埋め立て免許が取得された、埋め立て処分場です。埋め立てている間に、湿地や砂礫地ができ、いつの間にか、コアジサシやシギ・チドリ類など、貴重な鳥の生息場所となっていました。さまざまな生物が暮らすようになっており、多様な生態系が生まれてきていました。その結果、夢洲は2014年に、大阪の生物多様性ホットスポットのAランクに指定されていたのです。


(※ https://www.pref.osaka.lg.jp/documents/20316/guide20book20compact.pdf

 生物多様性ホットスポットとは、地球規模での生物多様性が高いにもかかわらず、人類による破壊の危機に瀕している地域のことを指します(※ Wikipedia)。

 大阪湾沿岸の自然は、開発によって近世から現代にいたるまで、ずっと失われ続けてきました。その自然が、わずかながら夢洲で再生し、命あふれる生物多様性のホットスポットになっていたのです。埋立地の夢洲で、数多くの生命を支えていたのが、塩性湿地とヨシ原でした。

 ところが、2018年11月23日、パリで開催された博覧会国際事務局(BIE)の総会で、2025年万博の開催地として大阪が選ばれてしまいました。

 以来、野鳥王国、夢洲の運命が激変したのです。

■なぜ、夢洲が万博会場に選ばれたのか

 当初の会場案に、夢洲は含まれていませんでした。たとえば、2016年度に大阪府が民間コンサルに委託した「国際博覧会大作誘致に係る基本コンセプト(案)策定業務」の発注段階では、夢洲は検討対象ではなかったのです。

 ところが、コンサル業者が2016年8月末に府に納めた「国際博覧会大作誘致に係る基本コンセプト(案)」では、万博会場の予定地に「夢洲」が追加されていました。(※ http://hunter-investigate.jp/news/2017/04/-20252627-28-28.html

 なぜ、夢洲が追加されるに至ったのか、その経緯を簡単に振り返ってみましょう。

 夢洲は、2014年の調査では否定され、2015年の調査では、対象地にも入っていませんでした。突如、候補地に追加されたことが明らかになったのは、2016年7月です。

 7月22日に開かれた検討会議の第1回整備等部会の議事録に、興味深いやり取りが記録されています。委員から、なぜ、夢洲が候補地に追加されたのかと質問された事務局が、当時の松井一郎大阪府知事が独断で夢洲を万博予定地に追加したと回答していたのです(※ 前掲。URL)。

 その2か月ほど前の5月21日、松井知事(当時)は、菅義偉官房長官(当時)と東京で非公式に会談し、夢洲を会場に万博を開催し、終了後は統合型リゾート(IR)として利活用したいという方針を示し、誘致への協力を要請していました(※ 2016年5月23日付産経新聞)。

 大阪府知事の松井氏は5月21日に非公式に官房長官の菅氏と会談し、夢洲を会場とするプランを示し、万博誘致の要請をしていたのです。つまり、5月21日までに、夢洲を会場にするというプランは出来上がっていたことになります。

 2016年12月、経産省は、経済界代表や各界の有識者、地方自治体の代表者等で構成される「2025年国際博覧会検討会」を設置しました。そこで、『「2025日本万国博覧会」基本構想(府案)』(大阪府、2016年11月)に基づいて検討を重ね、パブリックコメントを踏まえて報告書をまとめました。そこには、開催場所として、「大阪府大阪市夢洲地区」と明記されていました。

(※ https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11646345/www.meti.go.jp/press/2017/04/20170407004/20170407004.html

 夢洲は2016年12月にはすでに、開催場所として政財界から承認され、確定していたのです。夢洲が、大阪の生物多様性ホットスポットのAランクに選定されてからわずか2年しか経っていませんでした。

 基本構想を策定した大阪府や大阪市は、そのことを知っていたはずですが、それには触れず、夢洲を会場に選んでいたことになります。

 ちなみに、夢洲が生物多様性ホットスポットAランクに指定されていることは、この時の検討会では知らされていなかったといいます。(※ https://www.ben54.jp/news/2334

 一連の経緯をみると、大阪府の万博用地選定の過程はきわめて不透明なものだったといわざるをえません。見えてくるのは、万博後の土地をIRとして利活用という大阪府の思惑です。

 万博は一過性の祭典ですが、地元にとって重要なのは、跡地を利用した地域開発、地域振興であり、新規事業の立ち上げなどです。継続的に経済効果が見込まれる事業企画こそが必要でした。

 大阪府と市は、万博開催を起爆剤に、大阪をはじめ関西圏の経済力、技術力、都市としての魅力を飛躍的に向上させることを目指しました。万博後の展開を重視すれば、開催場所は夢洲でなければならなかったのです。

 2018年11月23日、パリで開催された第164回博覧会国際事務局(BIE)総会で、2025年国際博覧会が大阪で開催されることが決定しました。この決定を受けて、経済界が動き始めました。

■スーパーシティ構想の一環としての夢洲

 2020年12月、内閣府がスーパーシティ型国家戦略特別区域の指定に関する公募を行ったところ、大阪府と市はこれに応募しました。

 大阪府と市は、2つのグリーンフィールド(夢洲、うめきた2期)で、3つのプロジェクト(夢洲コンストラクション、大阪・関西万博、うめきた2期)を立ち上げ、先端的サービスや規制改革を行うことを提案したのです。

 この提案は、国家戦略特区諮問会議での審議を経て、2022年4月、政令閣議決定により、大阪市域が区域指定されました。

(※ https://www.city.osaka.lg.jp/ictsenryakushitsu/page/0000592767.html

 これら3つのプロジェクトには、経済界が深く関わっています。

 たとえば、関西経済連合会は、2022年8月26日、「夢洲コンストラクション」から始まる関経連の夢洲まちづくりへの取り組み」を発表しました。これによると、夢洲はスーパーシティ構想の一貫として構想されていました。


(※ 『「夢洲コンストラクション」から始まる関経連の夢洲まちづくりへの取り組み』、p.12、関西経済連合会、2022年8月26日)

 このプロジェクトでは、夢洲は未来社会の実験場として、空飛ぶクルマの社会実装、自動運転での万博アクセス、未来医療の体験などが構想されていました。確かに、これらを実現させるには、広大な空き地が不可欠でした。

 万博会場に選定された夢洲は、まず、万博会場として活用し、万博が終われば、IR、上質なリゾート地といった具合に開発され、スーパーシティとしての未来が構想されていたのです。

(※ 前掲、p.14)

 未来社会を支える技術は、「空飛ぶクルマ」、「自動運転での万博アクセス」、「未来医療の体験」などを通して、万博会場で経験できるようにされていました。閉幕後はそのまま、実社会で利用できるように計画されていたのです。

 万博会場は、未来技術の体験の場であり、シミュレーションの場であり、社会実装に向けた場でもあったのです。

 当時、すでに夢洲とコスモスクエアを結ぶ「夢咲トンネル」に、鉄道部分が造られていました。比較的短期間で、鉄道を通すことも可能だったのです。電車が延伸すれば、夢洲から大阪都心までの所要時間は約20分になります。

 都心に近く、しかも、広大な空き地がある夢洲は、万博会場として最適なばかりか、閉幕後のIRにも恰好の地でした。

 経済界と行政は一丸となって、夢洲を未来社会のデザインで造り替えようとしていました。自然が時間をかけて育み、多様な生物が棲息する環境を、未来技術で覆い尽くそうとしていたとしていたのです。

 もちろん、それを懸念する声はありました。

 実は、2018年11月19日、大阪環境保全協会は、大阪府と大阪市等に対し、要望書を提出していました。万博が大阪で開催されることが決定される直前のことです。

■大阪府と市に対する保全協会からの要望

 大阪自然環境保全協会会長の夏原由博氏は、2018年11月19日、大阪府知事(松井一郎)、大阪市長(吉村洋文)、大阪府議会議長(岩木均)、大阪市会議長 (角谷庄一)宛てに、「夢洲の自然環境保全に関する要望及び質問書」を提出しました。

こちら → https://www.nature.or.jp/action/teigen/yumeshima.html

 この要望書に対し、大阪府からは2018年12月26日にメールで回答があり、大阪市からは2018年12月20日に添付ファイルで回答が寄せられました。いずれも、夢洲が生物多様性ホットスポットとして選定されていること、そして、その重要性については認識していると回答しています。

 さらに、両者は、万博開催事業が環境アセスメントの対象であることを踏まえ、生きもの保全対策に関する手続きをするのは万博協会だという点でも、共通の認識を示していました。

 もちろん、府は、万博協会が適切に手続きをするよう連携すると表明し、市も、手続き中に必要な調査を行い、影響があれば抑制すると回答していました。とはいえ、両者とも、万博協会が手続きの主体だと主張しており、半ば責任逃れのようにも思える回答でした。

 これでは、夢洲の自然環境が破壊されかねないと危機感を募らせたのでしょう。

 大阪自然環境保全協会は、2019年初から夢洲の生物調査を開始しました。調査を実施した保全協会の会員たちは、四季折々の生物たちの姿を詳細に捉え、データとして蓄積していきました。

 調査をした結果、さまざまなことがわかってきました。

■多様な生命を育んできた夢洲の葦原や水辺

 保全協会の会員の一人は、「今の夢洲は虫の王国です。多くのバッタ、多くのトンボ、多くのチョウ、そして“恐ろしいほどの数のユスリカ”がいます。それらが多くの生きものの命を繋いでいっています」と報告しています。

 実は、万博の開幕前から、夢洲にはすでに大量のユスリカがいたのです。

 ユスリカがいるからこそ、それを餌にするバッタなどの昆虫が生息し、昆虫を餌にするさまざまな鳥が生命を育むことができていました。湿地にいたユスリカが、生態系の底辺を支え、夢洲を多様な生物が生息する楽園にしていたことがわかりました。

 保全協会の会員は、調査をしていた時の経験を次のように記しています。

「私たちが夢洲をみてきた期間はわずか2,3年ですが、どれだけ大阪湾の自然の復活力が力強いものか、そしてそこに生きようとする命のなんとたくましいことか、人間の想定を超えるそのエネルギーに感動すら覚えました」

(※ https://www.nature.or.jp/action/yumeshimamirai/photobook/landscape.html

 多様な生物がこの夢洲の地で生息し、つながり合いながら、生命を育んでいました。調査していた会員たちは、そのことに感動し、四季折々の動植物の姿を多数、撮影し、記録に残していました。

 当時の写真を見ると、確かに、空き地だった場所が、季節が変わるとあっという間に草原に変わっていくことがわかります。草原にヒバリが巣材を運んでいるかと思えば、セッカがそれを警戒しています。

 湿地にはヨシが進出して生い茂り、夏になると、そこを爽やかな風が吹き渡ります。時には、カエルの大合唱をバックに、トンボや若ツバメが草原を飛び交っていました。昆虫や小動物、鳥たちなどが共に、草原で生命を輝かせていたのです。

 2019年7月初旬には、次のような光景が見られました。

(※ https://www.nature.or.jp/action/yumeshimamirai/photobook/landscape.html)

 この写真について、撮影者は次のように記しています。

 「7月初旬、2区の湿地に3000羽を超えるコアジサシが休んでいました。そして時折、群れになって飛び上がり、湿地の上を旋回します。おそらく渡りの前の大集合なのでしょう。夢洲で今年生まれた幼鳥もこの中に混ざって、その後すぐ旅立ちました」(※ 前掲URL)

 夢洲で撮影された写真を見ると、さまざまな生き物がのびのびと生命を育んでいる様子が伝わってきます。鳥たちは葦原で休み、餌をついばみ、繁殖していきます。夢洲には生き物たちの豊かな世界が広がっていました。

■工事の進行に伴い、草原の消滅

 まず、2019年7月26日に撮影された夢洲の草原の姿をご紹介しましょう。

(※ https://www.nature.or.jp/action/yumeshimamirai/photobook/prolog.html

 青々とした草原の中で、多数の白い鳥が行き交っています。夢洲はまさに鳥たちの楽園でした。草原には、鳥たちの餌となる昆虫や小動物が数多く生息していたからです。ところが、その草原が、万博の会場用地として造成され、土がむき出しになってくると、もはや昆虫や小動物が生きられる環境ではなくなってしまいました。もちろん、鳥たちもまた、棲むことができなくなってしまいました。

 次に、同じ場所で、2021年8月22日に撮影された写真をご紹介しましょう。

(※ 前掲URL)

 土砂の山の上に、鳥の姿が見えます。撮影者によると、ここにいたのは、チョウゲンボウの家族なのだそうです。ポツンと佇んでいる様子を見ると、草原が失われ、もはや棲めなくなったことを嘆き悲しんでいるようにも思えます。

 工事が始まってから、多様な生き物の楽園だった夢洲が、一転して、生き物の棲めない場所になっていったのです。

■万博協会による「環境影響評価準備書」に対する意見書

 2021年10月1日、大阪市は、万博協会が作成した「2025年日本国際博覧会環境影響評価準備書」(2021年9月)を公開し、縦覧を開始しました。

こちら → https://www.city.osaka.lg.jp/kankyo/page/0000544704.html

 大阪自然環境保全協会にとって、この準備書はとうてい納得できるものではありませんでした。事前に要望書を出していたにもかかわらず、万博協会の準備書は、環境への配慮が欠けたものになっていたのです。

(※ https://www.nature.or.jp/assets/files/ACTION/yumeshima/20211105expo2025_iken.pdf

 たとえば、準備書99ページで示された「表3.1(5)事業計画に反映した環境配慮の内容」について、「配慮のための前提が満たされていない」とし、「重要種への影響はほとんど回避・低減できていない」と、保全協会は指摘しています。

 さらに、「生物多様性ホットスポットとしての夢洲は、干潟・代替裸地として選定されているが、準備書ではそうした環境の保全・再生についての具体的な言及はない」と批判しています。

 保全協会は、大阪市が2021年12月11日に開催した「環境影響評価準備書に関する公聴会」に出席し、夢洲には多様な生き物が生息していることを説明し、環境保全を求めました。夢洲での調査結果を踏まえての要望でした。

 もちろん、環境保全協会は意見書を提出しました。さらには、「生き物たちの自然環境を守るために、ご一緒に環境影響評価準備書を読み解き、大阪市へ意見を送りましょう」と市民にも広く呼びかけました。

 再び、「準備書」の99ページを見ると、「配慮の内容」として、具体的に、「会場内にはグリーンワールドやウォーターワールドを整備し、自然環境の整備に配慮する」と書かれ、「グリーンワールド等の整備における植栽樹種については、在来種を中心に選定することにより生態系ネットワークの維持・形成に配慮し、外来種の混入防止に努める」と記されています。

 確かに、植物の生態系については具体的に書かれています。ところが、動物については具体的な内容は何も書かれていないのです。つまり、ウォーターワールドについてはなんら言及されていなかったといえます。

 興味深いのは、この「準備書」に対する大阪市長の意見です。

 2024年1月29日、「2025年日本国際博覧会環境影響評価準備書に関する市長意見」が公開されました。

 大阪市長は、「夢洲では多様な鳥類が確認されていることから、専門家等の意見を聴取しながら、工事着手までにこれら鳥類の生息・生育環境に配慮した整備内容やスケジュール等のロードマップを作成し、湿地や草地、砂れき地等の多様な環境を保全・創出すること」と表明していたのです。(※ https://www.city.osaka.lg.jp/kankyo/cmsfiles/contents/0000556/556173/iken.pdf

 大阪市長の意見には、具体性があります。とくに、「専門家等の意見を聴取しながら」、「工事着手までに・・・、整備内容やスケジュール等のトードマップを作成し」、「湿地や草地、砂礫地等の多様な環境を保全・創出すること」といった具合に、環境保全のためのポイントをついた見解が述べられています。

 動物の生態系を支える基礎部分について、ポイントを押さえて書かれています。「準備書」に欠けている点を補完する内容でした。

 大阪市長は、大阪市環境影響評価条例の規定に基づき、2022年2月9日付けで、「2025年日本国際博覧会環境影響評価準備書」について、事業者である万博協会に対する意見を述べていることがわかります。当時の大阪市長は松井一郎氏でした。

 一方、万博協会は、「準備書」で動物の生態系について言及しなかったばかりか、実際には、当時の大阪市長の補完的な意見すら無視していました。一過性の祭典を華麗に遂行し、無事に終わらせることを優先させたのです。

 その結果、万博協会は、「つながりの海」を造成するために、浅瀬を無くし、湿地もなくしてしまいました。

 万博協会にとって、「ウォータープラザ」や「つながりの海」は、大屋根リングとともに、万博会場をショーアップするための装置でした。その目的を達成するために、造成工事の過程で、水辺の環境保全を犠牲にしてしまいました。万博会場のデザインやショーアップ効果を優先させたからにほかなりません。

■「ウォータープラザ」と「つながりの海」に求められたショーアップ効果

 6月2日に記者会見した高科淳副事務総長は、ユスリカの発生源は海水が入る「ウォータープラザ」と「つながりの海」だと説明しました。

(※ 産経新聞、2025年6月4日)

 「ウォータープラザ」では水上ショーが行われ、「つながりの海」ではドローンショーが行われています。毎晩、夜空を舞台に、華麗な光のショーが、水辺で楽しめるように企画されていたのです。

 ドローンショーを見てみましょう。

こちら → https://youtu.be/br3YZUnuM2c

(※ CMはスキップするか、削除してください)

 色とりどりの光は、夜空を輝かせるだけではなく、水面をも煌めかせて、観客を幻想的な世界に引き込みます。地上からは、夜空に輝くショーを見ることができ、大屋根リングの上からは、間近でショーを見ることができるばかりか、見下ろせば、水面に反射した光の乱舞を見ることができます。

 夜空にライトアップされたショーは、水面に映し出されることによって、煌めきを倍加させていました。このようなショーアップ効果を狙って作られたのが、ウォータープラザであり、つながりの海でした。

■ユスリカが問う、「いのち輝く未来社会のデザイン」とは?

 会場に大量に飛来してきているのは、シオユスリカだと万博協会が発表しました。調べてみると、シオユスリカは、海水と淡水が混ざる汽水域や潮だまりなど浅い海水に発生し、昼間は植栽の中や、風があまり当たらない場所などに潜んでいるそうです。夕方になると、「群飛」と呼ばれる行動をとり、オスの成虫が集団で「蚊柱」を形成します。そこに突っ込んでくるメスとの出会いを待って、交尾に成功して卵を産めば、すぐに死んでしまうというのです(※ https://note.com/kincho_jp/n/n9c53051ca48e)。

 なぜ、ユスリカが大量に発生したかというと、万博会場を造成するため、多様な生き物が棲んでいた湿地や草地を壊してしまったからでした。

 もともとごみ処分場だった夢洲周辺の海水は、有機物を多く含み、滋味豊かです。ユスリカは、水中や湿った土の中から卵から幼虫になりますから、造成工事にもめげずに繁殖していったのでしょう。

 ところが、ユスリカを餌にしていた昆虫や鳥などは、造成工事によって棲み処を奪われ、駆逐されてしまいました。天敵がいなくなったユスリカが大量に発生し、会場のあちこちに蚊柱が立つのは当然の成り行きだったのです。

 「大阪、関西万博2025」は、「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに掲げ、開催されています。ところが、実際には、「いのち輝く」自然の生態系を破壊し、その代わりに、ヒトの生命維持のための最新技術を展示したにすぎませんでした。ユスリカの大量発生は、まさに、「いのち輝く未来社会のデザイン」への逆襲だといえるでしょう。

(2025/6/22 香取淳子)