ヒト、メディア、社会を考える

2020年、明けまして、おめでとうございます。

2020年、明けまして、おめでとうございます。

■富士山は日本一の山
 昨年12月初旬、羽田空港から伊丹空港に向かう途中、右手に富士山が見えました。慌ててスマホを取り出し、撮影したのが下の写真です。


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 冠雪した富士山は、みごとなまでに華麗でした。しかも、山頂から裾野に向けて広がる稜線には、雄々しさが感じられます。限りなく美しく、威厳がありました。改めて、富士山は日本一の山だと思いました。

 富士山は日本の象徴といわれてきましたが、それは、美しく、威厳のある姿に日本社会を彷彿させるものがあったからでしょう。撮影した富士山を手にしているうちに、ふと、日本の持つ美しさについて、思いを巡らせてみたいという気になりました。

 そうこうしているうちに、もう大晦日です。

 年越しそばを食べ、夜もすっかり更けてくると、そのうちに近くのお寺から除夜の鐘が響いてきます。静けさの中で、心に染み入るように深く、ゆっくりと響く鐘の音です。聞いていると、これもまた日本の美しさの一つといえるのかもしれないと思えてきます。

■除夜の鐘、お焚き上げ
 除夜の鐘を聞くと、どういうわけか、いつも、気持ちが洗われるような気になってしまいます。一年を振り返り、不愉快に思ったこと、失敗したこと、後悔するようなこと、心の隅に溜まった澱のようなもの一切合切を、この鐘の音がゆっくりと洗い流してくれるような気持ちになっていくのです。

 すでに12時を過ぎ、新年を迎えています。

 寒い中、鐘の音の誘われるように家を出て、お寺とは反対方向の神社に向かいました。

 大勢の人々が、参拝のために並んでいます。


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 参拝者には、甘酒がふるまわれていました。
私も一杯いただきましたが、口にした途端、たちまち身体中が温まっていくのを感じました。甘酸っぱい味わいが、大晦日のこの行事と結びついて記憶に残ります。

 甘酒を飲んで身体の内部が温まりましたが、今度はお焚き上げの焚火で、身体の外部も温められました。神社の境内で、パチパチと軽い音を立てながら、火の粉を散らしながら、勢いよく火が燃えあがっていました。


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 ここで、去年のお札やお守り、正月飾りなどが焼却されているのです。
お焚き上げには、浄火によってそういったものを天に還すという意味があるそうです。そういえば、燃え盛る炎は、天に向かってめらめらと高く昇っていました。

 炎にはどうやら、ヒトの心を強く揺さぶる力があるようです。じっと見ていても、決して飽きることがありません。それどころか、見つめているうちに、次第に内省的になっていくのを感じます。ゆらめく炎の奥に、来し方行く末を思わせる何かが潜んでいるようでした。

 ヒトは老い、やがて死んでいきます。残された人生をどう生きていくか、日々、心にとどめて暮らしていこうという気になりました。

■元旦のとげぬき地蔵
 今年の元旦はとげぬき地蔵に行ってみることにしました。巣鴨地蔵通り商店街は、かつて「おばあちゃんの原宿」といわれたところです。


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 久しぶりに商店街を歩いてみると、意外にヒトが少なく、驚きました。以前、来たときは混み合っていて、歩くのも大変でしたが、今回はかなり余裕があります。


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 しかも、一目で高齢者とわかる人々の数が大幅に減って、若者、家族連れ、中高年夫婦などが目立ちました。もはや「おばあちゃんの原宿」とはいえなくなっているのです。考えてみれば、「原宿」という言葉もいま、どれだけブランド価値があるのか疑問です。時代の移り変わりの速さには驚くばかりです。

 さて、とげぬき地蔵のある「高岩寺」に着きました。


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 高岩寺は巣鴨にある曹洞宗のお寺で、本尊は地蔵菩薩です。この地蔵菩薩は秘仏なので、その代わりに、その姿を掘った御影が境内に置かれています。参拝に来た人々はこの御影に祈願すると、ケガや病気などの平癒に効験があるとされています。

 私は境内で販売されていた石の小さなお地蔵さんを買いました。


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 赤い帽子に赤い涎掛けを付けています。その涎掛けには「御願い地蔵さん」と書かれており、背面には「御願いかなう 御願い地蔵さん」と書かれたシールが貼られていました。

■車内で見かけた高齢者
 帰る途中、地下鉄の車内で、隣に座った女性が、新聞の切り抜きに鉛筆でなにやら書いているのに気づきました。不思議に思って、ちらっと見てみると、なんと数独パズルをしていたのです。80歳は過ぎているでしょう、真剣な面持ちで鉛筆を握っています。再び、覗いてみると、「中級」と書かれています。


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 すでにいくつか数字が書き込まれていますが、とても難しそうです。

 帰宅してからネットで調べてみると、数独の解き方の映像があることがわかりました。中級の解き方のテクニックについての動画をご紹介しておきましょう。

こちら →https://youtu.be/xPvR6UsuW1w

 ちょっと見ただけでも、かなり難しそうです。地下鉄の電車内で見かけた女性は、脳トレのつもりで数独パズルを解いていたのでしょうか。

 電車を乗り換えて座った席の隣も、高齢女性が座っていました。こちらは真剣な表情でスマホに文字を打っています。ちらっと画面を見ると、「あけおめ」と書かれていました。どうやら年賀状のようです。びっくりしてしまいました。どうみても、70歳以上の女性です。それなのに、若者用語を使って、年賀用のメールを送信しているのです。孫宛に送っていたのかもしれませんが・・・。

 何か、大きな変化が起きつつあるのでしょうか。

■エイジレス社会に向けた動向か?
 高齢者の人口が増えるにつれ、日本社会はいつのまにか、高齢者の動向に左右されるようになっています。時代の動向は、技術、人口のマジョリティ層、社会体制などによって影響されますが、日本の場合、人口のマジョリティ層は高齢者で、今後さらに増加していきます。

 高齢者が少数ではなく、マジョリティになってしまった今、もはや特別扱いされることは少なくなってきました。老いても、自助努力が求められるようになっているのです。

 実際、元旦なのに、巣鴨とげぬき地蔵商店街では、明らかに高齢者とわかる人々の数が減っていました。また、帰りの電車内で見かけた高齢者はいずれも、まるで若い世代のような行動を取っていました。高齢者はもはや、いわゆる「高齢者」のままのんびりとは生きていけなくなっているのでしょうか。

 一方、大晦日には、数多くの若者たちが近くの神社に参拝に訪れ、お焚き上げを見守っていました。ここでは高齢者の姿は少なく、意外な気がしました。深夜で冷え込んでいたからでしょうか、やって来る高齢者がいたとしても甘酒を手にしたら、早々に引き上げていたのです。

 大晦日と元旦、たまたま、神社と電車内で見かけた光景はどちらも、私には意外なものでした。人々はもはや、高齢者だから、若者だからといった年齢意識に拘らず、自分にとって必要と思われる行動をとり始めているように思えました。技術革新によって、さまざまな障壁が壊されてきていますが、いよいよエイジレス社会に進みつつあるような気もします。今年はいったい、どのような年になるのでしょうか。

 今年も、どうぞよろしくお願いいたします。(2020/1/1 香取淳子)

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