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コロナ下で見たヒガンバナ

コロナ下で見たヒガンバナ

■花芽、蕾のヒガンバナ
 2021年9月12日、コロナ下の三蜜を避け、気分転換を図るため、久しぶりに入間川の遊歩道に行ってきました。

 夏の間、あれほど生い茂っていた桜木が、いつの間にか葉を落とし、そこかしこに散らばった枯れ葉が、辺り一面を秋色に染めていました。もう、すっかり秋の気配です。

 ふと、道路脇に目を落とすと、落ち葉の合間から淡い黄緑色の茎が何本か伸びています。葉がなく、茎がむき出しになっています。茎だけの姿がなんともおぼつかなく、いかにも頼りなさそうに見えました。

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 よく見ると、茎の先に小さな花芽が付いています。淡い色に包まれていて、まだ何色の花が咲くのかわかりませんが、新たな命が開花を待っているのです。周囲の雑草がきれいに刈り取られているせいか、地面からすっくと伸びた姿がとても印象的でした。

 周囲を見渡すと、濃い赤が透けて見えている花芽もありました。

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 はっきりとした赤い色が見えるので、これは花芽というより、もう少しで蕾になろうとしている移行期のもののようです。この花芽とも蕾ともつかないものを見て、ようやく、この茎だけの植物の正体がわかりました。

 ヒガンバナです。

 そういえば、間もなくお彼岸を迎える季節になっていました。ヒガンバナは時期を違えることなく、新芽を出してきているのです。改めて、自然のタイムスケジュール管理のすごさに驚かされました。

■葉のないヒガンバナ
あらゆる生命体は適正なタイムスケジュールの下、生を受け、一定のライフサイクルを経て、死を迎えるのでしょう。ヒガンバナを見たとき、自然のメカニズムの一端を見たような思いがしました。

 先の方に、赤い蕾が群生しているのが見えます。

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 蕾の重みのせいでしょうか。茎が倒れ掛かっているのがいくつかあります。おそらく、葉がないのでバランスが取れず、蕾を支えきれないのでしょう。改めて、葉のないことの不思議に思い至りました。

 それにしても、ヒガンバナにはなぜ、葉がないのでしょうか。

 そういえば、ヒガンバナは、花が咲こうとしている時に葉がなく、花が咲き終わると、葉が伸びてくるといわれていることを思い出しました。「葉見ず、花見ず」の花だといわれているのですが、葉のない期間、ヒガンバナはどのようにして光合成をおこなっているのでしょうか。

 ネットで検索してみました。すると、私と同じような疑問を持った人がyahooの知恵袋に疑問を提出していました。それに対する回答がとてもわかりやすかったので、ご紹介しておきましょう。
(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1219402062)

秋:お彼岸の頃に開花→他の草木も葉が未だ茂っていて、ヒガンバナが光合成を行うのに邪魔! 他の草木の葉が枯れだす頃に葉を展開(ヒガンバナの葉は草丈が低いので、他の草木が枯れ始めると葉を伸ばし始める)。

冬:他の草木が枯れてしまった冬場、草丈の低いヒガンバナの葉は、精一杯光合成を行って養分を球根に蓄える。(ヒガンバナは、人の手が入った開けた明るい環境が好きで、常緑林の下部のように、冬でも薄暗いような環境では育たない)。

春:他の草木の葉が茂り始めると、ヒガンバナは休眠の準備。

夏:草丈の高い草木が葉を茂らす夏場、ヒガンバナの地上部は枯れ、地下の球根の状態で秋の開花時期を待つ。

この説明を見ると、ヒガンバナはどうやら、普通の植物のライフサイクルとは逆になっているようです。

■赤いヒガンバナ
 遊歩道を歩いていくと、落ち葉の中から這い出てきたかのようなヒガンバナの群生が見えます。すっきりと長い茎の先に、赤い蕾がいまにも花弁を開こうとしているかのようです。

 先ほどのものよりさらに茎が長くなっているように見えます。茎が長い割には姿勢を崩すこともなく、どれも毅然とした恰好で立っています。これから花開こうとするものならではの力強さが感じられます。

 一方、垂れ下がっている巨大な桜木の枝から葉はほとんど落ち、残っている葉も黄色く色づいています。

 ついこの間まで、遊歩道を両側から包み込むように、桜木が葉を繁らせていました。いつの間にか、その桜木から葉が落ち、ところどころ残った葉もすっかり色褪せています。落ちた枯れ葉がアスファルト道路に張り付いているのを見ると、思わず、哀愁を感じさせられてしまいます。

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 遊歩道を囲む木々は生の輝きを失って葉を落とし、晩節に入ろうとしているのです。ところが、川べりには赤いヒガンバナがちらほら見えます。こちらは今が盛りとばかり、艶やかな姿を見せています。

 余分な負担を減らし、休眠しようとする木々があれば、これから生を謳歌しようとするものもあります。老若が共生して、川べりを彩っていました。

 この場面だけで、季節の移り変わりがはっきりと見て取れます。

 まるで桜木の枝が誘導するかのように、枝先に広がる川べりには、赤い一塊の花が咲いていました。雑草の中で赤いヒガンバナがすっくと立ち、寄り添うように咲いているのが可愛らしく、見ていると、ふっと気持ちが緩んでくるのを感じます。

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■テントを張って川辺で遊ぶ若者たち
 季節に合わせて様相を変えていく自然の営みに驚嘆しながら、ヒガンバナを見ていると、突如、嬌声が聞こえてきました。

 入間川を見ると、向こう岸で青とオレンジ色のテントが見えます。川を隔てた向かい側の浅瀬で、若者たちがテントを張っていたのです。

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 川面に若者たちの賑やかな声が響き渡ります。静けさに満ちたこの辺り一帯が、ヒガンバナと若者たちで生気を取り戻したようでした。

 緊急事態宣言が9月30日まで延長され、三蜜を回避し、外出自粛が要請されています。どこにも行き場がなくなった若者たちが週末、テントを張って興じる楽しみを見つけたのでしょう。

 ここなら、三蜜を避けることができ、仲間と共に開放感を味わうことができます。嬉々とした若者たちの声が躍動する生を感じさせてくれます。コロナ下で封印されていた賑わいを味わうことができ、ちょっとした幸せを感じました。

 とはいえ、このところ、若者の感染者数が拡大しているといわれます。

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https://www.sankei.com/article/20210828-7BAHM54QKRNG7C3GBQRYF5LIFE/

 しかも、これまで重症化しにくいといわれていた30代、20代、10代の中から重症者が出始めているそうです。その結果、専門家は若年層にもワクチン接種を進める体制づくりが必要だと指摘しているといいます。

 一方、若者ほどワクチンの副反応が強いとも報道されています。

 そのせいか、若者たちが川辺で楽しんでいる賑わいにも、心なしか、哀感がこもっているように思えてなりませんでした。コロナで職を失い、行動を制限され、挙句の果ては、ワクチン接種で強い副反応を経験しなければならないのですから・・・。

■赤い色は生きるエネルギーの象徴?
 なおも遊歩道を歩いていくと、巨大な桜木の近くで、赤いヒガンバナが群れて咲いているのが見えました。

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 まだ蕾のものもあれば、開花したものもあります。ここでも、ヒガンバナは密集して咲いていました。まるで身を寄せ合って、自らを守ろうとしているかのように見えます。

 遊歩道から道路側に降りてみると、斜面に、真っ赤なヒガンバナが一塊になって、咲いていました。

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 開花して間もないのでしょうか、この花は形が乱れることもなく、完璧に美しい姿を維持していました。赤いリボンで造られたかのような花の中心から、雄蕊が限りなく細く長く、繊細な弧を描いています。折れもせず、傷つきもせず、まるで花弁を保護するかのように、放射線状に外側に伸びているのです。周囲の濃い緑の葉にヒガンバナの赤が映え、ひときわ輝きを増しています。

 近くで見たせいか、この赤いヒガンバナからは情熱を感じさせられました。葉がなくても決してひ弱ではなく、むしろ生きるエネルギーのようなものすら感じさせられました。

 遊歩道の先の方を見ると、白い花が一つ、濃い緑の葉陰で咲いているのが見えました。

■白いヒガンバナ
 近づいて見ると、白いヒガンバナでした。白い花というだけでも珍しいのに、こちらは群れることなく、一つだけ孤高を楽しむように咲いていました。

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 先ほど見た赤いヒガンバナと形状は同じなのですが、こちらの花にはそこはかとない優雅さや気品が感じられます。他とは距離を置いて、一つだけ凛とした姿勢で立っていたからでしょうか。

 遊歩道に戻ってみると、桜の巨木の幹の下の方に、白いヒガンバナがひっそりと咲いていました。小さくて、うっかりすると見落としてしまいそうでした。

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 巨木の幹を背後にしているせいか、優雅な形状がくっきりと浮き彫りにされていました。こちらも、群れをなさず、孤立して咲いていましたが、葉がないせいか、巨木に張り付いているように見えます。

 ちょっと違和感を覚えました。

 白いヒガンバナというだけでも珍しいのに、群生せず、一つだけ咲いているのを二度も続けて見たのです。違和感を払拭しきれないまま歩いていると、今度は、白いヒガンバナが群生していました。

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 興味深いことに、この一塊のヒガンバナは、花を咲かせているものがあれば、今にも開花しそうな蕾、成り立ての蕾、花芽の者、といった具合に成長の度合いの異なるものが寄り添うように群生していました。同じ根から生まれたとはいえ、その成長度合いがこれほど異なるのも珍しいのかもしれません。

■彼岸に咲くヒガンバナ
 遊歩道の向かい側には葉を落とした桜木が佇み、その先には入間川が見えます。この白いヒガンバナを見ているうちに、不意に、「彼岸」という言葉が脳裏でこだまし始めました。そして、どういうわけか、これらの白い花々が、川を越えて旅立っていった人々の化身のように思えてきました。

 毎年、彼岸の頃になると、決まって、花を咲かせるのがヒガンバナです。

 川のこちら側で咲く白いヒガンバナは、まるで彼岸から戻ってくる祖霊を待ち構えて佇んでいるかのように見えます。

■天界の白い花?
 群生している白いヒガンバナの中に、華麗な姿を見せているものがありました。クローズアップしてみましょう。

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 先ほどの赤いヒガンバナと形状は同じですが、白いせいか、清らかで聖なるものという印象を受けます。

 この白く繊細な形状の花を見ていると、ふいに、「曼殊沙華」という言葉が脳裏を過ぎりました。「曼殊沙華」はヒガンバナの別名ですが、宗教的な響きが感じられます。清らかで優雅な姿形から、この世のものではない、幽玄の美が滲み出ていたからでしょうか。

 goo辞書を見ると、曼殊沙華について、「《(梵)mañjūṣakaの音写。如意花などと訳す》仏語。白色柔軟で、これを見る者はおのずから悪業を離れるという天界の花」と説明されています。

 古代インドのサンスクリット語で、この花に命名されたのが曼殊沙華なのだそうです。つまり、曼殊沙華とはそもそも仏教語であり、その意味は、白くて柔軟なこの花を見ると、自然に良い行いをするようになる天界の花だというのです。

 実際、私はこの白いヒガンバナを見ているうちに、なにか奥深い世界に引き込まれるような気がしました。おそらく、古代インドの人々もそうだったのではないかと思います。確かに、この白いヒガンバナには、時空を超えて人に霊的なものを感じさせる何かがありました。

 ヒガンバナは葉がなく、長い茎の上に、優雅で繊細な姿の花を戴いています。その姿は決して尋常の花とはいえません。

 通常の花のライフサイクルとは逆のライフサイクルを辿っているのです。だからこそ、ヒガンバナを目にしたとき、ことさらに、この世の花とは思えないほど優雅で幽玄の美を湛えていると思えるのでしょう。

 古代インドの人々がヒガンバナを「天界の花」と認識し、曼殊沙華と命名したのは、「通常ではありえない」「白い」「優雅」といった要素があったからだという気がします。

■コロナ下で見たヒガンバナ
 さらに、道路側を歩いていくと、赤と白の彼岸花が隣り合わせに咲いているのに出会いました。赤はまだ開花しきっていませんが、白はどの花も満開です。

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 あまり見かけない白いヒガンバナがここでは満開でした。

 お彼岸を前に、滅多に見ない白いヒガンバナをいくつも見かけました。そのせいか、つい、彼岸を連想してしまいました。

 実際、コロナ下の今、これまで以上に死が身近になりました。「彼岸、此岸」という言葉が実感を伴って感じられるようになったのです。

 いまだに、Covit-19の由来を特定できず、変異株が次々と現れては、留まることがありません。毎日、感染者数、死者数が報道され、誰もがコロナを意識せずに暮らすことができなくなってしまいました。

 ワクチンを打ってもその効果は限定的で、感染を防ぐことはできず、しかも、変異株に有効かどうかも定かではありません。その一方で、ワクチンの副反応で命を落とす人もでてきています。詳細は明らかにされないまま、不安だけが募っているというのが現状です。

 そんな折、元ジョンズ・ホプキンズ大学のロバート・ヤング博士が4種類のワクチンの成分分析をした結果を公表されました。

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(図をクリックすると、拡大します。日本語訳:中桐香代子氏)

 この表を見てわかるように、どのワクチンにも酸化グラフェンや金属が含まれています。

 実は、ファイザーの元研究者がワクチンに酸化グラフェンが含まれていると指摘したことがありました。2021年7月29日のことです。

こちら →
https://vaccineliberationarmy.com/2021/07/29/former-pfizer-employee-exposes-deadly-graphene-oxide-in-the-covid-vaccine/

 ファイザー社とモデルナ社のmRNAワクチンに酸化グラフェン含まれているといいます。
(※ http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/52066994.html)

 不思議なことに、関係者から重要な情報が提供されたにもかかわらず、政府はそれについて検証することもなく、いままでワクチンが投与されてきました。挙句の果てはワクチンパスポート発行によって、各世代に接種を強行しようとすらしています。

 ロバート・ヤング博士の分析結果を紹介した中桐香代子氏は、厚生労働省に次のような質問を提起しています。

こちら → https://ameblo.jp/kayokonakagiri8/image-12695698547-14995864802.html

 果たしてどのような回答が返ってきたのでしょうか。

 この度、ファイザー社やジョンズ・ホプキンズ大学の元研究者から相次いで、ワクチンに関する情報提供がありました。おそらく身の危険を顧みず、彼女と彼は、良心に従った行動をとったのでしょう。コロナ下の「白い天界の花」だといわざるをえません。(2021/9/15 香取淳子)

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