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河原のススキに見る、宮沢賢治とゴッホ

河原のススキに見る、宮沢賢治とゴッホ

■秋の深まる入間川

 2021年10月28日、久しぶりに入間川遊歩道を訪れてみました。案の定、桜の巨木はいっせいに葉を落とし、焦げ茶色の幹と枝を惜しげもなく身を晒していました。もうすっかり秋の気配が漂っています。

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 入間川に沿ってどこまでも伸びる小道は、まるで一点透視図法で描かれた風景画のようです。葉を落とした桜並木の合間には、葉が丸く刈り込まれた濃緑色の灌木ツツジが、整列したように並んでいます。

 桜並木とツツジはいずれも暗色で、この光景に広がりと奥行きを感じさせます。幹はどこまでも高く、枝は多方面に伸びており、薄曇りの空を背景に、巨大なオブジェが展示されているようでした。

 遊歩道には枯れ葉も落ちておらず、掃き清められているようです。この小道がどこか別次元の世界に誘おうとしているかのようにも見えます。

 周囲に人影もなく、辺り一帯が静寂に包み込まれています。秋は物思いに耽るシーズンとはよく言ったものだと思いながら、桜木の幹に目をやると、所々、裂けている箇所があれば、苔むしている箇所もあります。

 幹の太さはそのまま、この木が風雪に耐えて生き永らえてきたことの証といえるのでしょう。時の経過をしっかりと刻み込んだ巨木が並び、剥き出しになった枝の合間から、冷気を含んだ風が吹いてきます。

 再び、寒い冬を迎えようとしています。空気、風、草木・・・、そこかしこに秋を感じさせられます。

 ふと、思いついて道路に降りてみると、草むらの中でススキが風に揺れていました。

●風になびくススキ

所々、褐色に変色した草むらもまた、秋の様相を呈していました。そんな中、目についたのがススキです。ひときわ背の高いススキが、申し訳なさそうに、ひっそりと風に揺れていたのです。

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 画面の手前に見えるススキが、気弱そうに佇んでいる姿がとても印象的でした。背が高いので、すぐ目に着いたのですが、改めて見ると、葉、茎、穂、すべてが地味です。もっとも目立つ部分である穂でさえ、形状に華やかさがなく、色彩も周囲に溶け込んでしまいかねないほど淡いアースカラーです。

 むしろ、背後の桜の巨木の方が目立っていました。葉を落とし、太い幹や枝、小枝が剥き出しになっているのですが、生気のない濃い焦げ茶色が逆に力強く、目を射るのです。

 アピール力の強さという点でいえば、幹や枝の形状も関係しているかもしれません。

 それにしても、葉を落とした桜木の幹のなんと太く、エネルギッシュなことでしょう。一抱えできないほどの太さです。その太い幹から太い枝があちらこちらに伸び、空中にくっきりと文様を描きだしていました。さらにその先から無数の小枝が伸び、雲で覆われた空を背景に、縦横無尽に線描きしていました。

 どっしりと構えた桜の巨木に対し、手前のススキはなんともひ弱に見えます。

 大木の幹や太い枝はよほどの嵐でも来ない限り、その存在を脅かされることもなく、自信に満ちた姿を誇示し続けることができるのでしょう。ところが、手前のススキはちょっとした風にも大きく身を反らし、時に倒れそうになっているほどでした。

 遊歩道に戻ってみると、川べりにススキが群生しているのが見えました。

●群生するススキ

 先ほど見た巨木の枝が、大きくしなって川辺に向かって垂れています。その先の方にススキが寄り添うように、淡いベージュの穂先を揺らしているのが見えました。

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 群生しているせいか、こちらは先ほど見たススキよりも存在感があります。目立たない淡いアースカラーも群れると、それなりの訴求力があることがわかります。淡い褐色に変色しはじめた茎に支えられ、秋ならではの光景に変貌しつつありました。

 ススキが川辺に群れる姿はいかにも秋の光景です。

 派手さがなく、気をてらうところがなく、それでいて、人の気持ちを静かに揺さぶる力がススキにはあります。見ていると、心の奥深くで何かかき立てられるような気がするのです。

 川面には、空に浮かぶ雲が映し出され、その雲が川の流れよりも速く、大きく流れていきます。その様子を見ていると、今年もあっという間に10月の終わりになってしまったという、悔恨の情とも、慚愧の念ともつかない、奇妙な気持ちに襲われます。今年もまた無為に時を過ごしてしまったという後悔の気持ちとでもいえばいいのでしょうか。

 さらに上流の方に向かって歩いていくと、川鳥が泳いでいるのが見えました。

●川べりに集う鳥

 獲物を見つけたのでしょうか、鳥が三羽、川面に嘴を突っ込んでいます。

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 鳥が水面をつつくと、そこから、波紋が広がっていきます。それでも川はなにごともなかったかのように静かに流れ続けています。水面で展開されている鳥と魚の争いには目もくれず、悠然と流れているのです。そんな様子はまるで、ただ場所を貸しているだけだといわんばかりに見えました。

 空中から水中の獲物を狙う鳥を見ていると、水面は鳥にとっては捕獲の場、魚にとっては捕獲される場だということを改めて思い知らされます。生死の境界であり、生物全体にとっては生を育み、生を営む場でもあります。さまざまな生の営みの場でもあり、川もまた生きているのです。

 さらに進んでいくと、ススキが密集している箇所がありました。

●密集する川辺のススキ

 川辺一面にススキが密集しています。

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 こちらのススキは、茎も葉も褐色に変色しています。そういえば、穂先も先ほどのものより白く、ふさふさしているように見えます。

 急に晴れてきたようです。

 空を覆っていた雲が遠のき、晴れ間が見えてきました。川面には青空が映り、向かい側には人が数人、集っているのが見えます。晩秋のひとときを川べりで憩い、楽しんでいるようです。コロナ下で外出自粛制限が出されて以来、このような光景を見ることが増えました。ここなら、マスクを外し、自由に会話し、水と戯れることもできます。

 改めて、川辺は人にとって、憩いの場でもあることを思い出させてくれます。

 手前を見ると、陽光を受けた桜木の枝が、くっきりとその影を土手の草むらに落としています。そして、巨大な幹は、その影を深く、地面の上に落としています。姿は見えないのに、桜はその影で、草むらや地面に暗色の模様を刻み込み、しっかりと存在を誇示しているのです。

 密集するススキと河原の間を、入間川が滔々と流れています。さざ波を立てながら、絶えず動き、留まることを知らない様子は、まるで巨大な生き物のように見えます。この流れに乗れば、どこかに連れて行ってくれそうです。川は地上に敷かれたレールのようでした。

 眺めているうちに、ふと、『銀河鉄道の夜』を思い出してしまいました。

銀河鉄道の夜

 ひょっとしたら、川から連想したのかもしれません。カンパネルラが川に落ち、そのまま行方不明になってしまったことを思い出したのです。ずいぶん昔に読んだきりで、ストーリーのほとんどはすっかり忘れています。ところが、そのシーンだけ、はっきりと脳裡に甦ってきたのです。

 それは、おそらく、いじめっ子のザネリが川に落ち、彼を救ったカンパネルラがそのまま川に流され、死んでしまったというストーリー展開に、子どもながら納得できないものを感じていたからでしょう。何十年もの間、心の隅にわだかまりが残っていたのです。

 帰宅してから、さっそく、『銀河鉄道の夜』を読み返してみました。

 星まつりの夜、ジョバンニは親友のカンパネルラと銀河鉄道に乗って、天の川を渡ります。ちょうどその日、ジョバンニたちは授業で天の川のことを習ったばかりでした。

 ジョバンニとカンパネルラは銀河鉄道でさまざまな人と出会い、次々と不思議な体験をします。乗客は全て途中で下車し、最後はまた二人きりになってしまいました。その時の二人の会話が深淵で、考え込まされました。

 子どもの頃、読んだ時は気づかなかった箇所です。

 ジョバンニが「ほんたうに、みんなの幸いのためならば、僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまはない」というと、カンパネルラは「僕だって、さうだ」といいます。

 そして、ジョバンニが「けれども、ほんたうの幸いは一体何だらう」と問うと、カンパネルラは「僕わからない」といい、ジョバンニが「僕たち、しっかりやらうねえ」といって気持ちを鼓舞するのです。
(以上、『宮沢賢治全集7』p.292、筑摩書房、2001年、より。適宜省略して引用)

 このような二人の会話の後、カンパネルラは、ザネリを救った後、川に流され、死んでしまいます。ジョバンニと共に、銀河鉄道でさまざまな人と出会い、人のために尽くそうという思いに駆り立てられたばかりだというのに、その思いを実行したとたん、カンパネルラは命を落としてしまったのです。

 宮沢賢治はこのエピソードで人間界の不条理を伝えようとしたのでしょうか。

 読み返してみて、もう一つ、気になった箇所がありました。

 「青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすすきが、もうまるでいちめん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでした」(前掲。p.251)

 「その小さなきれいな汽車は、そらのすすきの風にひるがへる中を、天の川の水や、三角点の青じろい微光の中を、どこまでもどこまでもと、走っていくのでした」(前掲。p.252)

 ジョバンニたちが銀河鉄道に乗り込む辺りで、ススキが何度も文中に出てくるのです。リンドウも出てきますから、一つには、秋の情景を表現するためでしょう。ところが、なぜか、ススキだけは繰り返し、出てくるのです。

 「銀いろの空のすすき」とか、「青白い微光」という表現を見ると、ススキの穂先が時に銀色に光って見えることがあるから、文中に取り入れたのかもしれません。

 ただ、上記の写真を見てわかるように、ススキの白い穂先は、藍色の川にとてもマッチしています。夜空を走る銀河鉄道の脇で、ススキが穂をたなびかせている光景は、想像しただけで、とても美しく幻想的です。穂先が白ではなく銀色だったら、さらに幽玄の美が加味されるでしょう。

 そう思って、道路側に降りてみると、密集しているススキの中に、そのような色合いに見えるものがありました。

●銀色に輝くススキの群れ

 実際は、淡いベージュ色ですが、陽の当たり具合で、ススキの穂が銀色に輝いて見える時があったのです。

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 確かに、このようにつややかな穂先であれば、夜空で見ると、銀色に輝いて見えるかもしれません。
 
 ジョバンニたちが銀河鉄道に乗って、車窓から見るススキが次第に遠ざかっていく光景で、ススキは重要な役割を果たします。穂先が銀色なら、ススキはこの情景にとてもマッチし、哀感を帯びた幻想的な美しさを醸し出すことができるでしょう。

 そんなことを思いながら、歩いていくと、穂先がふさふさになりかかっているススキを見つけました。

●穂先がふさふさになりかかったススキ

 艶やかな穂の先が裂け、ふさふさになりかかっているススキがありました。

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 このススキは、穂先が裂けてふさふさとし、白くなっています。調べてみると、これは花が咲き終わり、実がなった状態なのだそうです。ススキはどれが花なのか、実なのか、色彩でも形でも見分けがつきません。それぞれが地味で、自己主張しないので、わからないのです。

 そんなススキでも寄り集まると、見事な景観になります。

 そういえば、見事なススキを写真で見たことがありました。仙石原のススキです。

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(https://www.ten-yu.com/cms/s_navi/sengoku_autumn_2016より)

 草原一体にススキが埋め尽くし、その上をイワシ雲が覆っています。ススキは、イワシ雲の隙間から漏れる陽光を受けて、輝いています。草原で波打つススキと、ウロコのように空に張り付いた雲が向かい合って、絶妙なコントラストを作り上げています。色彩といい、形状といい、この写真では、ススキとイワシ雲の調和が見事に捉えられています。

 見ていて、ふと、ゴッホの《糸杉と星の見える道》を思い出しました。

■糸杉と星の見える道
 ゴッホ(Vincent Willem van Gogh, 1853-1890)著名な作品の一つに、《糸杉と星の見える道》があります。1890年5月に描かれた作品です。

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(油彩、カンヴァス、91×72㎝、1890年、クレラー・ミュラー美術館所蔵)

 この作品を一目見て、印象づけられるのは、その筆触です。メインモチーフの糸杉といい、道路、月や太陽、そして、背景といい、画面すべてが短い単位で区切られた筆触で描かれています。そのせいか、すべてのものが揺らぎ、浮遊し、不安を感じさせます。

 私が仙石原のススキ草原の写真を見て、この作品を連想したのは、この筆触のせいでした。波打つススキの穂と空を覆うウロコのような雲に、ゴッホの筆触を感じさせられたのです。

 ゴッホは1890年7月29日に亡くなっていますから、この作品は死の2か月前に描かれたことになります。

 糸杉をメインモチーフに描かれた作品は多く、ゴッホが弟に当てた手紙の中で、「糸杉に心惹かれている」と書き、「その美しいラインはエジプトのオベリスクのように調和がとれている」と述べていたそうです。

 オベリスクとは、古代エジプトで神殿などに建てられた石造りの記念碑です。四角形で、上に向かって細くなり、先端はピラミッドの形をしているそうです。ゴッホは糸杉をこの形状にたとえ、「美しいラインは調和がとれている」といっています。ですから、ゴッホ自身はオベリスクに構造美を感じていたのでしょう。

 翻って、この作品の糸杉を見ると、画面の中ほど下から上部にかけてまっすぐに屹立している姿が描かれています。先端は画面に収まり切れず、さらに上方に伸びています。枝ぶりは左右にバランスがとれており、微妙に色彩を変化させて筆触を際立たせています。

 糸杉の左側に見えるのが星、右上に見えるのが月です。夜空のはずなのに、辺りは煌々と明るく、照らし出された道を人が歩いているのが見えます。シカゴ大学のキャサリン・パワーズ・エリクソン(Kathleen Powers Erickson)は、この糸杉を「死のオベリスク」と形容しているそうです。

 この作品を見る限り、メインモチーフの糸杉には不安感が感じられる一方、構造美が感じられます。明るい色調を随所に配置しながら、糸杉を描いたという点で、逆に生への希求が感じられます。

 もっとも、制作されたのが、死の2か月前ということに着目すれば、死を予想させる何かが画面に含まれていても不思議はありません。

■賢治とゴッホに見る死の影
 
 今回、入間川遊歩道の近辺で、さまざまな形状のススキを見ました。その過程で、連想したのが、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』とゴッホの《糸杉と星の見える道》でした。ススキの形状、風景との間で醸し出される雰囲気、情感といったものから連想してしまったのですが、いずれも、その作品の中に、死に結び付くものがありました。

 晩秋は晩節でもあり、末期にちかづく季節です。その時期に存在感を高めるススキには死を連想させる何かがあったとしても不思議はないのかもしれません。

 宮沢賢治が『銀河鉄道の夜』の初稿を書いたのは1924年、その後、1931年頃まで推敲を繰り返したそうです。思い入れの強い作品だったのでしょう。賢治が亡くなったのは1933年ですから、それこそ晩年までこだわり続けた作品といえるでしょう。

 一方、ゴッホは先ほどもいいましたように、最晩年に《糸杉と星の見える道》を描いていますから、死を見つめた思いが込められた作品といえます。

 この作品には『天路歴程』の影響がみられると先ほどご紹介したK. P. エリクソンが指摘しているといいます。『天路歴程』とは、Wikipediaによれば、プロテスタントの間でよく読まれた宗教書ともいわれる寓意物語です。人は人生において苦難を経、葛藤を繰り返しながら、キリストに近づいていくという世界観が盛られています。

 賢治の場合も、『銀河鉄道の夜』の中に次のような文章を書いています。

 「みんなはつつましく列を組んで、あの十字架の前の天の川のなぎさにひざまづいていました。そして、その見えない天の川の水をわたって、ひとりの神々しい白いきものの人が手をのばして、こっちへ来るのを二人は見ました」(前掲。p.291.)

 明らかにキリストの存在が表現されています。ジョバンニとカンパネルラが「ほんたうの幸いのために」行動しようと思うのは、このシーンの後でした。

 こうしてみると、賢治もゴッホも死を前にして、キリストなるものの存在に関心を示し、自身も何か行動しようとしていたことが示唆されています。

 ゴッホは《糸杉と星の見える道》の中に、人生行路と聖なる存在を込めました。賢治もまた、『銀河鉄道の夜』の中で、ジョバンニとカンパネルラが銀河鉄道の中で出会う人々の中に人生行路を表現しています。そして、カンパネルラの行動の中にキリストなるものを表現したのです。

 入間川沿いの巨木からは、時に寒く、時に温かく、折々に発生するさまざまな試練を経て生き延びてきた歴史が感じられました。そして、ススキからはしなやかに風に揺れながら、晩節をやり過ごし、寒い冬を迎えようとしているのが感じられました。

 周囲に人がいなかったせいか、ことさらに晩秋の静寂が感じられました。(2021/10/31 香取淳子)

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