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ラップ、ヒップホップで格差社会を生き抜くカリビアン・ディアスポラたち

ラップ、ヒップホップで格差社会を生き抜くカリビアン・ディアスポラたち

■映画『イン・ザ・ハイツ』
 2021年7月30日、日本で『イン・ザ・ハイツ』が公開されました。ユーチューブにアップされた8分30秒の予告映像を見ると、物語の舞台となったワシントンハイツの地域特性がよくわかります。

こちら → https://www.youtube.com/watch?v=buSZqumGhNE&t=407s
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 まず、冒頭のシーンから見てみることにしましょう。

 消火栓の安全ピンを抜き、立ち上がる水しぶきを浴びて大騒ぎする子どもがいれば、ビルの窓には身を乗り出し、うちわのようなもので風を送りながら語り合う女性たちの姿が見えます。そうかと思えば、路上では男性がホースで水を撒いています。子どもも大人も思い思いのやり方で暑さをしのいでいるのです。

 いずれも短いショットで捉えられ、次々とテンポよく、流れるようにつなげられています。そして、ようやく、主人公ウスナビの登場です。

 家を出て急いで階段を下り、路上を歩きはじめたウスナビはたちまち、マンホールのフタに足を取られます。靴底にガムがくっついているのを見て、困った表情を浮かべるウスナビ。子どもたちはそれを見て笑い転げます。

 そこに、「ワシントンハイツの一日は始まる」という文字が被ります。こうしてワシントンハイツの朝のルーティーンが紹介されていきます。

 コンビニのシャッターに若者がペンキで落書きをしています。それを見て、慌てて追いかけてきたのが、この店の店主ウスナビです。

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(ユーチューブ映像より。図をクリックすると、拡大します)

「何してる!今朝も」とどなっていますから、若者は日常的にここで落書きをしているのでしょう。ワシントンハイツでは、犯罪に至らないまでも、ちょっとした悪さは日常茶飯事なのです。

 シャッターのカギを開けて、店に入ろうとしたウスナビが突然、振り返ってカメラを見、「おはよう」と観客に笑いかけます。

 落書きをしていた若者を追いかけてきたせいか、朝から疲れたような顔をしています。コンビニを経営しているウスナビが、この物語の主人公なのです。

 通りを隔て、遠景でウスナビのコンビニが捉えられています。「CITY MART TROPICAL PRODUCTS」と看板は英語で書かれていますが、外観や全体の色調はいかにもラテン系のお店です。

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(ユーチューブ映像より。図をクリックすると、拡大します))

■ウスナビとアブエラ
 コンビニのカギを開け、店内に入ったウスナビは、「俺はウスナビ 初耳だと思うけど」、「この街ではよく知られている」とラップで歌いながら、カウンターを飛び越え、コーヒーメーカーなど機器のボタンを押していきます。

 「訛りが複雑なのは」、「カリブの偉大な国」「ドミニカ出身だから」と続けます。背後の壁には「Caribbean Sea」と書かれた浜辺の絵がかかっています。「愛する祖国」「母親の死後帰っていない」「なんとか帰らなきゃ」と歌いながら、冷蔵庫を開けると、「牛乳が腐っている」「待てよ?」「なぜ牛乳が暖かい?」「暑すぎて、壊れたか?」「苦いコーヒーじゃ売れないよ」とシンクに捨てるウスナビを、カメラは排水口の下から捉えます。

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(ユーチューブ映像より。図をクリックすると、拡大します))

 牛乳が腐っているのを知って、ウスナビが慌てているとき、高齢の女性が店内に入ってきます。

 「ミルク抜きだよ」とウスナビがいうと、女性は「私のお母さんはコンデンスミルクだったわ」と、とっさに助け船を出します。

 「名案だ」、「いつもの宝クジ」と言いながら、ウスナビがカウンター越しに渡すと、女性は有難そうに宝クジにキスをし、「忍耐と信仰を!」と言って、出ていきます。

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(ユーチューブ映像より。図をクリックすると、拡大します))

 途端にウスナビはカメラ目線になって、観客に向かい、「彼女はアブエラ」「育ての親さ」「この街の皆のママ」と説明していきます。この街の母親代わりとして、皆に気を配り、共に夢を追いながら、アブエラは生きてきたのです。

 ウスナビは頃合いを見計らうように、「危ない街で育ったと?」と観客に問いかけてから、店から出ていきます。これは、ラテン系コミュニティには、犯罪やドラッグがつきものだという固定観念を踏まえてのセリフでした。

 確かに、ここにはちょっとした悪さをする子どもや若者がいます。とはいえ、決して、「危ない街」ではありません。なんといっても、皆の母親代わりのアブエラが、この街をしっかり見守ってくれているのですから・・・。ウスナビはおそらく、そう言いたかったのでしょう。

 2005年に、『イン・ザ・ハイツ』がブロードウェイで初演されたこ時、の作品は人々から素直に受け止められませんでした。というのも、この作品には犯罪やドラッグが取り入れられていなかったからです。当時、ラテン社会にはネガティブな固定観念を抱く人の方が多く、その種の要素のなかったこの作品はただの絵空事でしかなく、リアリティがあるとは思われなかったのです。

 そのブロードウェイのミュージカルを映画化したのが、映画『イン・ザ・ハイツ』でした。

■ブロードウェイミュージカルの映画化
 『イン・ザ・ハイツ』は、リン・マニュエル・ミランダ(Lin-Manuel Miranda)とキアラ・アレグリア・ヒュデス(Quiara Alegría Hudes)が共同で脚本を書き、2005年に初演されたブロードウェイミュージカルです。

 2008年には映画化に着手しましたが、それでも、当時はまだ、この作品は観客には新しすぎたとミランダはいいます。ラテン社会、ラテン文化への人々の認識はそれほど変わっていなかったのです。案の定、2008年11月7日、ユニバース・ピクチャーズが2011年の全米公開を目指して映画化を進めていると報じられましたが、この企画は頓挫してしまいました。

 その後、紆余曲折を経て、2018年5月17日、ワーナーブラザーズはミランダに5000万ドル支払い、映画化権を獲得しました(※ https://slate.com/culture/2018/05/in-the-heights-movie-rights-warner-bros-buys-lin-manuel-mirandas-musical-after-weinstein-bankruptcy.html)。

 ようやく映画化の目途がついたのですが、それでも、主要な撮影が始まったのはその後1年も経た2019年6月3日でした。ミランダは映画化までの経緯をどのように捉えていたのでしょうか。

■ラテン文化や社会へのネガティブな固定観念
 ネットを検索すると、ミランダがこの作品について語っている動画が見つかりました。12分4秒のこの動画にはこの作品が誕生する過程が克明に語られています。

こちら → https://youtu.be/WyyTo_sZ_sE
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 ミランダは、「やっと今、時代と観客がこの作品に追いついてくれたと感じている」と語り、「ラテン系アメリカ人が愛や喜びを表現する作品を受け止められる時代になった」と述べています。

 ミランダはこの動画の中で、「2009年に映画化権の契約が決まり、すぐにも製作できると思っていたが、その道のりは長かった」と嘆きます。というのも、「ラテン系俳優を主役にすることへのハリウッドの差別を経験した」からでした。

 ラテン社会や文化への偏見だけではなく、ラテン作品にラテン系の俳優を主役に起用することすら、当時は受け入れられなかったのです。

 ネットで検索すると、興味深い動画を見つけました。ちょうどミランダがブロードウェイではヒットしながらも、映画化がうまく進まず、悩んでいたころの動画です。ちょっとご紹介しましょう。

 2010年6月29日、ミランダがロサンゼルスに来ることを知ったファンが300名ほど集まり、フラッシュモブとしてダンスと歌を披露したのです。

こちら → https://youtu.be/Klf8IBrXFWY
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 街のどこからともなく、褐色、黄色人種の人々が集まり、ブロードウェイミュージカル『イン・ザ・ハイツ』のナンバーを歌って、踊っています。激しく、陶酔したような表情で、迫力のあるパフォーマンスを原作者に向かって、披露していたのです。これを見ただけで、このミュージカルがどれほど有色人種を勇気づけ、励ます内容のものであったかがわかります。

 緑色の服を着ているのがミランダですが、感極まった表情を浮かべているのが印象的です。どれほど嬉しかったことでしょう。この作品は当時すでに、一部には熱狂的な支持を受けていたのです。

 このミュージカルを映画化すれば、一定層に受け入れられることは確かでした。

 それでも、ミランダは先ほどの動画の中で、「僕らが思い浮かべる作品を完成させるには、時間がかかった」と感慨深げに言います。

 ふと、この映画のキーワードは何かしらと考えてみました。

 移民、再開発、差別、貧困、宝クジ、夢、故郷、故国の旗、ラテン系コミュニティといったような言葉が思い浮かびます。

 それぞれは相互に深く関係しています。移民、差別、貧困、ラテン系コミュニティ、故郷、故国の旗、これらは一つにまとめられそうです。それらは、歴史的、政治的、社会的、文化的、心理的に語ることができそうです。作品の背後に流れる大きな潮流といえるものです。

 一方、再開発は最近の出来事で、これは移民に対する圧力として作用しますから、葛藤要因、あるいは、問題提起という位置づけになります。再開発は、差別、貧困とも関連づけられそうです。これらは主に社会的に語ることができます。

 一連のキーワードがネガティブな印象を与える一方、ポジティブな影響を与えるのが、夢、宝クジです。この作品では、ラテン系コミュニティの住民に生きる希望を与えていたのが夢、そして、一抹の希望を与えていたのが、ウスナビの店で販売している宝クジでした。

 コミュニティの住民の誰もが毎日買っている宝クジが、この映画のストーリーで重要な役割を果たします。

■宝くじの当選券がウスナビのコンビニから出た
 ワシントンハイツの住民は毎日、ウスナビのコンビニで宝クジを買っていきます。ある日、当選券が出たという知らせが入りました。その時の動画をご紹介しましょう。

こちら → https://youtu.be/J1THRAluOGI
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 ウスナビの経営しているコンビニに電話が入り、この店で販売した宝クジの中から当選券が出たという知らせがきました。電話を受けたソニーが急いで、プールに向かうウスナビたちに追いつき、報告すると、彼らは狂喜し、さっそくラップでその気持ちを表現しました。当選すればなんと96000ドルもの大金が手に入るのです。

 ベニーがさっそく、ラップに乗ってリズムを取りながら、「俺はリッチなビジネスマン」「タイガー・ウッズが俺のキャディ」「ザクザク入る金で買う」「キンキラの指輪フロド」と歌いあげます。

 興奮してそれぞれの思いを歌っていくうちに、ソニーが走り出して、プールに向かいます。出会う人々に、次々と、「9万6000ドル」と叫び、プールに飛び込みます。その後、ベニーがプールサイドを歌いながら、歩いていくと、プールの中では人々が踊り、やがて、カビエラ、バネッサらも踊り、夢を語ります。

 興味深いのは、ソニーです。

 いきなりプールに飛び込むと、しばらくして水の中から顔を出すと、いつにない真剣な表情で、彼の夢を語りはじめます。

 夢というよりは、宣言とでもいっていいようなものでした。周りの人は驚き、取り囲むようにして、ソニーの言葉に聞き入っています。
(先ほどの動画では2分58秒目から、ソニーの「大演説」が始まります)

 「9万6000ドルで住宅を供給」と歌い、「家賃高騰」、「高級化」とワシントンハイツの変化を訴え、「抗議もせず 搾取ばかり」と現状に不満を漏らします。

 ワシントンハイツの再開発で、家賃は高騰し、すべてのものが高級化しており、低所得層の移民は暮らしていけなくなっていました。そのことを短いフレーズでラップに乗せて、訴えているのです。

 まるで追い払おうとしているかのような政策なのに、住民たちは抗議もしません。それをいいことに、行政は搾取するばかりだとソニーは不満を漏らしているのです。皆、感心したように、聞いていました。

 さて、住民たちが集まったプールで、ウスナビたちは宝クジの当選番号を発表します。ところが、その場に当選者はいませんでした。

 後になってわかるのですが、当選券を買っていたのはアブエラでした。彼女はそのことを知らないまま、逝ってしまいましたが、「ウスナビへ」と書かれた小箱に当選券が入っていました。ウスナビに夢を託したのです。

 アブエラはワシントンハイツが停電した夜、ウスナビらに見守られ、「暑い、暑い、燃えるよう」といいながら、旅立っていきました。

 亡くなる直前のアブエラの心象風景を描いたシーンには、心打たれました。

■死を前にしたアブエラ 
 死を前にしたアブエラの心象風景を描いたシーンがありました。2分39秒の映像をご紹介しましょう。

こちら → https://youtu.be/9pbWTsJ6DSk
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 1943年12月、凍てつくような寒い日に、アブエラは母親とともにニューヨークにやってきました。

 アブエラは昔を思い出しながら、地下鉄を降り、地下道を歩き続けます。

 「ここを掃除して」「時間に遅れるな」「体重を減らせ」「英語を覚えろ」「働け」と言われ続け、どうにかこうにか生きてきた。いつの間にか時は過ぎ、最近は手が震え始める。「胸が張り裂けそう」、「ママ、あなたの夢を受け継いで生きてきたけど」「夢の先に何があるの?」

 まるでこの世からあの世に向かって歩いていくように、地下道を歩き続けながら、これまでの人生を振り返り、ママに向かって、「夢の先に何があるの?」と問いかけるのです。

こちら →
(上記映像より。図をクリックすると、拡大します))

 やがて、「ママ、わかった」といい、「祈る以外、何ができるの?」と続け、迷う気持ちが吹っ切れたように、いつのもセリフ、「忍耐と信仰」とつぶやきます。そして、「暑い、暑い、燃えるよう」と言いながら、逝ってしまいました。

 見守っていたウスナビたちは、「彼女はここで生きた」、「褒め称えよ」と祈ります。それに合わせるように、大勢の人々が「アブエラ・クラウディアを褒め称えよ」と声を合わせていきます。手にしたローソクを高く掲げ、「褒め称えよ」と住民たちは気持ちを一体化させていくのです。

 この時、皆のために生きたアブエラの死が、コミュニティの住民の気持ちを一体化させ、新たな郷土意識が生まれつつあるように思えました。そして、その気持ちの一体化を具体的に表現するものがダンスと音楽でした。ラップ、ヒップホップ、ライト・フィートなど、思うままに身体を激しく動かし、エネルギーを発散させます。

■歌とダンスで苦難を乗りきるカリビアン・ディアスポラ
 ダンスの振付を担当したのがクリス( Christopher Scott )です。彼がインタビューに答えている動画がありますので、ご紹介しましょう。

こちら → https://youtu.be/KZJqV09DgcU
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 「この作品は技術的にとても難しかった。全ての振付を10週間で考案し、監督と議論を重ね、ダンススタジオで10週間準備した」といいます。そして演じる俳優については「ダンスする俳優ではなく、ダンサーとして扱った」といいます。

 そのせいか、バネッサがクラブで踊るシーンなどプロ級の出来栄えでした。

こちら → こちら → https://youtu.be/VDTX0LodLuQ
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 バネッサは「このままじゃ台無しになると怖かった。大変だったけど、10週間、彼らと過ごし、応援してもらってこなすことができた」と当時を振り返っています。

 また、ニーナとベニーはまるで曲芸のようなダンスシーンで観客を驚かせました。

こちら → https://www.youtube.com/watch?v=dT_3cNh7aaE
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 ニーナは、「トレーニングでこんなに過酷なのは初めて。汗をかいて、イライラして。本当に難しい曲だった。「君ならできる」と励まされて、頑張った。おかげで、絶対できなかったことができるようになった」と語っています。

 一方のベニーは、「一番不器用な俺がこれをやるらしい。しかも、ハーネスなしで」と語り、ビルの壁面でのダンスの大変さを述べています。

 苦難を乗り越えた俳優たちは一様に、「私たちのダンスの豊かさを感じた」「これはみんなにとって大切な映画」「この映画では本物でありたい」「ちゃんと伝えたい」というようなことを口々に語っています。

 この映画を通して改めて、俳優たちはラテンの音楽、リズム、ダンスの奥深さを再確認したようでした。

 振付師のクリスは、「ダンスを通して、物語が伝わる」といっています。ダンスはまさに言語そのもの、大いなる伝達手段なのです。

 ドイツの哲学者アドルノ(Theodor Ludwig Adorno-Wiesengrund)は、「故郷を持たない人間には、書くことが生きる場所となる」と書いたといわれています。移民した先の大衆文化に溶け込めず、もちろん、もはや故国の文化の中で住まうことはできません。何が心の安定をもたらすのかといえば、ラテン系コミュニティの住民にとってはダンスであり、音楽なのでしょう。

 ダンスシーン、現代的感性にマッチする音楽、キレのいい映像編集、含蓄のあるセリフ、どれも素晴らしい出来栄えでした。とても見応えのある映画でした。映画にも新たなステージが切り開かれつつあるような気がしました。(2021/8/31 香取淳子)

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