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広告デジタルアーカイブ:知の循環システムに向けた試み

広告デジタルアーカイブ:知の循環システムに向けた試み

■特集「広告デジタルアーカイブの未来像」
 吉田秀雄記念事業財団から、最新号の『アド・スタディーズ』(Vol.60 Summer 2017)が送られてきました。

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 表紙を見ると、今号は、「広告デジタルアーカイブ」の特集になっています。巻頭ページを読んで、その理由がわかりました。2013年以来、吉田秀雄記念事業財団が進めてきた「新デジタルアーカイブ構築プロジェクト」がようやく一つの区切りを迎えたからでした。すでにそのプロトタイプは完成しており、新アーカイブは、「デジタルハブ(略称デジハブ)」と名付けられているようです。

 アドミュージアム東京は、所蔵する広告資料のアーカイブシステムを刷新するという目的で、このプロジェクトをスタートさせたといいます。それがいま、実用段階に入ったということなのでしょう。そういえば、先日、資料閲覧のため、アド・ミュージアム東京を訪れましたが、工事中で閉館になっていました。新システムの導入のため、諸設備が刷新されている最中なのでしょう。たしかに巻頭ページには、アドミュージアム東京では今、2017年12月のリニューアルオープンに向けて、専用端末を設置して来館者が利用できるよう、準備が進められていると書かれています。

 さて、このプロジェクトでは新アーカイブの構築だけではなく、その活用方法についても、その可能性が種々、模索されてきました。新アーカイブを利用した教育実験がさまざまな分野の研究者によって行われました。実験で得られた知見に基づき、さらに多様な展開を検討していくことが企図されているのです。

 デジタルアーカイブの単なるバージョンアップに留まらない壮大なプロジェクトです。果たしてどのような構想の下、このプロジェクトが推進されてきたのでしょうか、概観してみることにしましょう。

■技術、著作権、文化の側面から検討
 まずはこのプロジェクトの中心メンバーである東京大学教授の吉見俊哉氏と国立情報学研究所教授の高野明彦氏の対談からみていくことにしましょう。

こちら →http://www.yhmf.jp/pdf/activity/adstudies/vol_60_01_01.pdf

 このプロジェクトは、技術的な課題や著作権上の問題を洗い出すことからスタートしたと吉見氏は述べています。いずれもコンテンツをデジタルアーカイブに取り込んでいく際、避けられない大きな課題です。それらにどう向き合い、解決していくかという難問から吉見氏らは着手したのです。

 新アーカイブの構想には、技術面でのトップランナーである高野氏、文化関連の著作権スペシャリストであり、弁護士の福井健策氏、そして、文化理論のトップランナーである吉見氏、この3人による共同作業が不可欠でした。吉見氏に依頼された、広告資料のデジタルアーカイブのバージョンアップ事業は、それぞれ最適任者を得て、技術、著作権、文化の3つの方向から細密に検討され、実現に至ったのです。

 このプロジェクトでは、その利活用の側面でも周到な準備がされています。新アーカイブを使ってどのような研究や教育が可能なのか、さまざまな実験的な研究が行われてきました。今号の特集では、「デジハブ」教育利用実験レポートとして6種の論考が掲載されています。これらを読むと改めて、単なるアーカイブの構築を超え、その利活用まで視野に入れた構想の下、用意周到に推進されてきたプロジェクトだということがわかります。

 この対談で高野氏は、東日本大震災後に吉見氏とともにデジタルアーカイブの活動を始めたことが契機となったと述べておられます。中心メンバーのお二人には、大震災によって突如、社会の記憶を喪失するという経験、同じようなことが今後も起こりかねないという危機感から、デジタルアーカイブの活動に着手するという共通体験があったのです。

 このようなエピソードを読むと、新アーカイブが、その公共性、社会的利活用といった側面にまで配慮されて、構築されていることの背景がよくわかります。

■21世紀型広告ミュージアムの要件
 もちろん、東日本大震災後のデジタルアーカイブの立ち上げ経験を、そのままこのプロジェクトに反映させることはできません。今回は、コマーシャルという映像コンテンツを扱う難しさがありました。アドミュージアム東京には多くのCMが収蔵されていますが、映像ですから、文字データのように規範となる整理方法が定まっておりません。ですから、プロジェクトとしてはまず、映像データの整理方法から考えなければなりませんでした。デジタルアーカイブの構築経験はありましたが、今回はまた別の技術的な難問に対処していく必要に迫られたのです。

 高野氏は、21世紀型広告ミュージアムに求められる機能として最も重要なものは、①メディアの違いを超えて登録管理可能なデジタルアーカイブ技術を活用し、②コレクション全体の価値を高めるためのキュレーションが十分に行われ、③それが、新しい展示や研究、教育の現場で活用できるプラットフォームとして提供されることだと述べています。

こちら →http://www.yhmf.jp/pdf/activity/adstudies/vol_60_01_02.pdf

 さらに、ミュージアムの外で教育利用する場合の著作権等については、権利に関する情報も併せてアーカイブシステムで管理すれば、利用者が安心してコンテンツを利用できるようになると高野氏は指摘します。

 高野氏はさらに、デジタル一次情報は一元的に管理し、複数のバックアップを取って、デジタル情報の保全を図るといいます。そして、権利情報やメタ情報については利活用データベースに置き、権利情報登録のプラットフォームと利活用支援のためのプラットフォームを構築するという構想を紹介してくれています。こうして利用者からのフィードバックを活用してキュレーションを進めていくオープンなシステムが構築されれば、メタ情報の精度が高まる効果も期待されます。

 高野氏はまた、新デジタルアーカイブでは、コレクション管理機能とキュレーション機能をバランスよく提供するために、基本情報のデータベースとは別に、柔軟なキュレーションを可能にするBOXを配備しているといいます。そして、このBOXの集積こそが、新デジタルアーカイブのキュレーション機能、利活用支援プラットフォームの中核になるのだそうです。これらは相互に深く関わりあいながら、進化していく性質もあるといいますから、まさに21世紀型ミュージアムが備えるべき新デジタルアーカイブといえます。

■利活用に際しての著作権等
 文化コンテンツの著作権等に関する中心メンバーが弁護士の福井健策氏です。デジタルアーカイブの構築過程で、現物資料の収集および保存についてはとくに問題はありませんが、資料のデジタル化とネットワークを通じた利活用については、著作権等についての細心の注意が必要になります。

 福井氏は、著作物のデジタル化に至るまでの考え方をチャート化しています。まず、著作権法上保護される「著作物」か?、そして、保護期間は満了しているか、さらには、複製や公開について権利制限規定の適用はあるか?、等々のチェックをしたうえで、著作権者の許諾が必要か否かが決まるといいます。それらチェックを経て、最終的に、デジタル化した著作物をインターネットを経由した公開する段階で、再度、著作権者の許諾を得る必要があるといいます。これだけで、著作権処理がいかに大変な作業であるかがわかります。

 著作権や著作隣接権以外にも、留意すべき権利として、肖像権、パブリシティ権、プライバシー権などがあります。このように見ていくだけで、著作物をネット上で公開し、利用することの障壁がまだかなり高いことがわかります。

こちら →http://www.yhmf.jp/pdf/activity/adstudies/vol_60_01_04.pdf

 デジタルアーカイブが構築されれば、コンテンツ利用の進化によって、さらなる研究、教育、文化の振興が期待されています。それだけに、もっと簡便に著作権等についての処理ができるようにしていく必要があるでしょう。福井氏によると、アーカイブ振興のための法改正が検討されているといいます。そうなれば、このハードルがもっと下がる可能性があるといいますから、今後はもっと容易に、デジタルアーカイブの構築ができるようになっていくかもしれません。

 デジタル技術の進化が社会のさまざまな領域で大きな変革をもたらそうとしているいま、著作権者を守るだけではなく、利用者の利便性を図るための法整備が迫られているといえるでしょう。

■循環型社会とアーカイブ
 デジタル技術の進化はメディアにも大きな変化をもたらしています。吉見氏は現代のメディア状況について、「今、生じているのは、マス・メディアからソーシャル・メディアへの移行以上に、メディアそのものの危機なのです」といいます。そして、その背後には、社会構造そのものの変化があると指摘しています。メディアの変化だけではなく、「消費型」社会から、「循環型」社会への転換にも留意しなければならないというのです。

 ソーシャルメディアの普及に伴い、情報の流れが双方向で、しかも広範囲に拡散するようになっています。誰もが自由に情報発信できるようになったメディア状況下では、感情を刺激する情報が流通しやすくなり、事実検証もされないまま、加工され、歪曲され、補足されて流れていくことも多々あります。マスメディアが信頼を失う一方で、虚偽情報、感情刺激型の情報の流通に歯止めをかけることができません。情報の劣化が深刻な状態になっているのが現状です。

 吉見氏はこのような状況をアーカイブと関連づけ、「循環型のメディアの仕組みとしてあるのが、まさにアーカイブです」といいます。既存情報をいつでも取り出せるようにアーカイブ化しておけば、それがモデルとなって、クォリティの低い情報の流通が防げるのではないかというのです。

 それを受けて、高野氏は、「自然科学の世界では、過去のデータを調べて未来を予測するためにアーカイブがつくられます」といい、「アーカイブは、いわば集合的な記憶のバンクです。これまで個別の記憶として分かれていた小さなアーカイブを紡ぎ合わせて、より大きなコンテクストの中によみがえらせる装置」と、今後、デジタルアーカイブが果たすであろう役割を指摘しています。

 ソーシャルメディアが普及する一方で、さまざまな領域にAIが入り込んでいます。現在、進化したデジタル技術による大きな社会変革が進行中だといっていいでしょう。そうした中、過去と現在を結び、未来へとつながていく情報連鎖の収蔵庫として今後、デジタルアーカイブの役割は重要になっていくでしょう。吉田秀雄記念事業財団が立ち上げようとしている新デジタルアーカイブはその先鞭をつけることになっていくでしょう。12月のリニューアルオープンがとても楽しみです。(2017/6/30 香取淳子)

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