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「19世紀パリ時間旅行」展が開催されています。

「19世紀パリ時間旅行」展が開催されています。

■「19世紀パリ時間旅行」展の開催
 練馬区立美術館で今、「19世紀パリ時間旅行」展が開催されています。期間は2017年4月16日から6月4日までです。学芸員によるギャラリートークがあるというので、私は5月25日に行ってきました。

 展覧会のチラシがなんともオシャレでした。パリの街角を描いたモノトーンのエッチングをメインに、黄色の地にタイトルを載せています。抑制を効かせた色彩の構成に洗練されたパリの趣が感じられます。

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 上の図を見てわかるように、この展覧会のサブタイトルは、「失われた街を求めて」です。これを見た瞬間、思わず、プルーストの小説『失われた時を求めて』を連想してしまいました。小さな文字なのにレイアウトのせいか、意外に目立ちます。リーフレットを裏返して、説明文を読んでみると、この展覧会は鹿島茂氏(明治大学教授)の「失われたパリの復元」(『芸術新潮』に連載)に基づいて構成されたものだということがわかりました。私がプルーストを連想してしまったのも無理はありません。鹿島氏といえば、著名なフランス文学者です。たしか、プルーストの書評も書かれたいたはずです。

 鹿島氏はフランス文学について造詣が深いだけではなく、書誌学者であり、コレクターでもあります。ANA国内線を利用するとき、私は必ず、機内誌『翼の王国』に連載されている「稀書探訪」を読みます。ですから、鹿島氏が一流の目利きだということはわかっていました。

 鹿島氏のこの連載記事から、パリで発見された稀書の唯一無二の面白さ、挿絵の美しさ、装丁のすばらしさ、等々を私は知りました。書物という媒体そのものを味わうことの楽しみを鹿島氏の文章によって教えられたことを思い出します。その鹿島氏がこの展覧会に関与しておられるのです。

 はたして、この展覧会ではどんなコレクションを見せていただけるのでしょうか。
 
 展覧会のチラシを見ると、「絵画や衣装など多様な美術作品を通して、パリの歴史を辿り、大改造以前・以後のパリを紹介します」と書かれています。鹿島氏のコレクションを中心に、関連するビジュアル作品を通して、近代都市パリの成立過程を浮き彫りにしていこうというのです。

 プルーストの小説、『失われた時を求めて』では、主人公がマドレーヌの味覚から幼いことの記憶が呼び覚まされていきますが、この展覧会では、地図、本の挿絵、絵画、ポスター、衣服など、当時のビジュアルを手がかりに、観客の脳裏に失われたパリの街を甦らせようという試みのようです。

■会場構成とそのコンセプト
 会場は1章から6章に分け、諸作品が類別されて展示されていました。1章の「パリ、変貌の歴史」、2章の「タブロー・ド・パリ」、3章の「オスマン男爵のパリ大改造」、4章の「1870年、新しいパリ」、5章の「世紀末のパリ~ベルエポック」、6章の「20世紀、描かれ続けるパリ」といった具合です。

 1章、2章は鹿島氏のコレクションを中心に、パリの大改造以前の地図や絵画などの関連作品が多数、展示されていました。ここでは、シテ島を中心とした狭いエリアのパリから大改造を契機に大きく躍動していくパリを把握するためのさまざまなビジュアル情報が提供されます。

 3章は、やなり鹿島氏のコレクションを中心に、当時の貴族階級の衣装やナポレオン3世とウジェニー皇后の肖像画などが展示されていました。パリ大改造に着手した時代のパリの暮らしが把握できるような構成でした。

 4章、5章、6章も同様に、ビジュアル作品を通して時代状況や文化状況、そしてパリの街とヒトの様子がわかるような仕組みになっていました。ジャンルを問わず、多層的、多角的に関連作品が集められ、章ごとのコンセプトに従って展示されていたので、なるほど、パリはこんなふうに変貌を遂げていったのかということを実感できます。

 コンセプトの中心に据えられていたのが、第二帝政期のナポレオン3世の治世下で、着手されたパリの大改造です。1853年、ナポレオン3世からパリ改造の命を受け、セーヌ県知事のオスマン男爵はパリ改革のために大ナタを振るいました。その後、パリの街はどう変貌したか、木版場、挿絵、油彩画、木版画、ポスターなどを援用し、変貌したパリの諸相が把握できる工夫が凝らされていました。ストーリーのしっかりとした構成になっていたと思います。

 さまざまな展示作品の中で私はとくに、絵画に興味をおぼえました。そこで、絵画作品を中心に19世紀のパリにタイムスリップすることにしましょう。

■パリの街角
 まず、展覧会のチラシに使われていた作品から見ていくことにしましょう。これは、アドルフ・マルシアル・ポテモンのエッチングで、「ロラン・ブラン・ガージュの袋小路」というタイトルの作品です。鹿島氏のコレクション、『いにしえのパリ』に収められた作品で、はっきりとした制作年はわかりませんが、パリ大改造前のパリの姿が捉えられています。

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 狭い小路からパリの街角を臨む構図で、大都会ならではの複雑さと洗練された機能性が感じられます。画面中央にくっきりと描かれた街燈のデザインが印象的です。背後に見える建物にはピグマリオンと書かれています。デパートなのでしょうか。小路から覗き見る恰好で、ヒトと建物が捉えられており、いかにもパリの街角らしい洒脱さが表現されています。

 学芸員の話によると、これを描いたアドルフ・マルシアル・ポテモンは、いまでは見ることのできない失われたパリの風景を数多く描いた版画家だそうです。彼は、誰もが知っているモニュメンタルな場所を描くのではなく、人々が生活した場所、その情景を好んで描いたといいます。そのような制作姿勢だからこそ、彼の作品には資料的価値が高いといえます。

 彼の作品からは、当時の人々の生活の匂いを感じることができますし、いまでは見ることのできない中世の面影を残したパリを知ることができます。そのせいか、鹿島氏も彼の作品を好んで収集することになったようです。その結果、鹿島氏の所蔵する彼の作品は300点にもなったといいます。

■エッフェル塔
 エッフェル塔は1889年にパリで開催されるバンコク博覧会用に建てられました。当時はまだパリを象徴するようなシンボリックな建物がなかったので、万博の目玉になるような建築案を公募したところ、エッフェルらの案が満場一致で採択されたといいます。

 Wikipediaによれば、その理由は、「1889年の万国博覧会用に建てられる塔は決定的な特徴を持ち、金属産業の独創的傑作として出現しなければならない。この目的に充分適うのはエッフェル塔のみと思われる」と書かれています。フランスが国威をかけて建築したのがエッフェル塔だったのです。

 当時、よほど印象深かったのでしょう、会場では数多くのエッフェル塔を描いた作品が展示されていました。高く聳え立つエッフェル塔は当時、とても現代的なモチーフだったのでしょう。周辺風景の中のエッフェル塔、建築中のエッフェル塔、塔の脚部など、さまざまな角度からエッフェル塔は描かれていました。当時の画家たちにとって、エッフェル塔はモチーフとして斬新で刺激的だったことが推察されます。

 そんな中、もっとも印象に残ったのが、アンリー・ルソーの「エッフェル塔とトロカデロ宮殿の眺望」という作品でした。

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 1896年から98年にかけて制作された油彩画です。エッフェル塔が完成してから8,9年後に制作された作品です。

 遠くから見て、すぐルソーの作品だということはわかるのですが、タイトルがなければ、エッフェル塔とはとても思えません。塔の脚部の広がりがないので、火の見櫓のようにしか見えないのです。どういうわけか、塔の頂上にフランス国旗が描かれています。フランスを象徴する塔だということを示したかったのでしょうか。

 どうひいき目に見ても、稚拙な絵だといわざるをえません。改めて、ルソーが独学で絵を習得した日曜画家であったことを思い出しました。ところが、見ているうちにいつしか、この絵に惹かれてしまっていることに気づきます。不思議なことに、数多くある精緻で巧みな表現の作品よりもはるかにこの絵には魅力があったのです。エッフェル塔を含む周辺の光景がとても暖かく、心に馴染むように描かれているからでしょうか。

 ■ブローニュの森
 さて、1870年、第二帝政は崩壊し、ナポレオン3世は失脚してしまいます。それに伴い、パリの大改造も終了するのですが、それと引き換えに、印象派の画家たちが保守的な美術界の批判にさらされながら、新しい技法を伴って台頭してきます。

 その1870年に、「森の散歩道」というタイトルで油彩画を描いたのが、あの有名なルノワールです。会場で展示されている作品は、小さくて華やかさがなく、うっかりすると見過ごしてしまいそうでした。

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 女性と二人の子どもが描かれているのですが、遠景で顔がはっきりと見えないうえに、洋服の色彩が地味で風景に埋没してしまいそうです。華やかな色彩が取り入れられておらず、とてもルノワールとは思えないのですが、森の様子はとてもよくわかります。

 葉を描く筆致は単調ですが、枝ぶりはしっかりと描かれており、森の構造、木々の間を吹き抜ける柔らかな風や清涼な空気すら感じられそうです。この森がブローニュの森です。ここもパリ大改造計画の一環として、大幅に整備されたそうです。

■ポン・ヌフ
 セーヌ川の右岸からシテ島を経由して左岸を結ぶ橋がポン・ヌフです。王政時代の建築を代表するパリで最も古い橋だといわれています。このポン・ヌフを、新印象派を代表する画家ポール・シニャックが描いています。1912年と1927年に制作された作品が展示されていました。いずれも水彩画です。

 1912年に描かれた作品はまるで水墨画のように、モノトーンで黒の境界線が目立つ描き方でした。やや粗雑な印象を受けました。シニャックはこの橋に相当、思い入れがあったのでしょうか、15年後の1927年、再び、同じような構図でこの橋を描いています。

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 この1927年に制作された作品は淡い色で着色されています。前作に比べると、境界線や輪郭線も繊細で、都会的な印象が増しています。橋だけではなく、その周囲の木々や建物、川浪が丁寧に描かれています。ポン・ヌフが美しく見える構図なのでしょう。こちらは20世紀に入ってからの典型的なパリの光景で、有名な観光スポットともいえます。

■パリの街角
 それでは、パリの街角を描くことで有名なユトリロの作品も見ておきましょう。展示されていたユトリロの作品の中で最も新しいのが、「モンマルトルのキュスティーヌ通り」でした。1938年に制作された油彩画です。

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 左手の大きな建物からは垂れ幕が下がり、右手の建物の窓には看板のようなものがかかっています。明らかに産業化が進行しつつある近代都市の光景です。歩道には電話ボックスのようなものがあり、路上には数人の人々が歩いていますが、不思議なことに、車も馬車も走っていません。都会でありながら喧噪さはなく、落ち着いた雰囲気です。そのせいか、そこはかとなく、ユトリロならではの、都会の詩情が感じられます。

 展覧会の最後に展示されていたのが、やはりパリの街角を描いた作品を多く残した佐伯祐三の「ガス灯と広告」でした。

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 こちらは1927年に制作された油彩画です。先ほど紹介したユトリロの作品よりも11年も過去の作品なのですが、こちらの方が近代的に見えます。モチーフの捉え方、描き方の違いからくるものでしょう。

 佐伯祐三の作品で描かれているのは、広告用のポスターが隙間なく張られた壁とその前の歩道です。よく見ると、その前の道路を女性と子どもが歩いているのですが、それを敢えてぼかして目立たなくし、広告の方を強調しています。

 1927年に描かれているのですが、コマーシャリズムに押しつぶされそうになっている現代社会を先取りするかのような作品です。ここには都会の喧騒があり、ヒトがそれに吞み込まれそうのなっている気配が漂っています。産業化の進行とともに社会がいよいよ複雑になり、あわただしく、殺伐としてくることを予感しているような作品です。

■パリの変貌に見る、資本主義の台頭
 この展覧会は鹿島氏のコレクションを中心に、パリの大改造の以前と以後を比較する構成を取りながら、都市の発展過程における政治と社会、そしてメディアと芸術文化が浮き彫りにされていました。多様なビジュアル作品のおかげで、パリの変貌過程でリアリティ豊かに把握することができ、当時のヒトと社会を実感することができました。素晴らしい展覧会だったと思います。

 興味深かったのは、鹿島氏のコレクションです。多色刷石版画、手彩色のドライポイント、手彩色の木版画、手彩色の銅版画、等々によって描かれた数多くの挿絵が、この展覧会を生き生きとしたものにしてくれていました。それらが、当時の人々の生活に肉薄した情報を提供してくれたからです。

 技術的にも内容的にも多種多様な挿絵を見ていると、当時、出版というメディア事業がパリで活性化していたことがわかります。貴族の文化がトリクルダウン式に庶民に降りてきて生活文化を作り上げるのではなく、出版というメディア事業が新たな流行の発信源になりつつあったのです。

 この展覧会を通して、資本主義の隆盛の芽生えを、19世紀のパリという都市を通してみることができました。やがて、メディアを媒介に、ヒトと都市が活性化されて産業資本が蓄積され、社会や文化を大幅に変容させていく時代が到来します。それを示唆しているのが最後に展示されていた佐伯祐三の作品でした。とても興味深い展覧会で、楽しめました。(2017/5/27 香取淳子)

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