ヒト、メディア、社会を考える

中国宮廷の女性たち:北京藝術博物館所蔵名品展

中国宮廷の女性たち:北京藝術博物館所蔵名品展

■麗しき日々?
 渋谷区松濤美術館でいま、北京藝術博物館所蔵名品展(2015年6月9日~7月26日)が開催されています。チラシを見ると、8万点にも及ぶ北京藝術博物館の収蔵品は、「特に清朝宮廷で用いられた服飾品、繍画や壁掛けなど観賞用の染織作品に優品があり、さらに清朝宮廷の女性たちが用いた種々の腕輪や首飾りなどの女性用宝飾品は質量ともに充実している」と書かれています。今回の展覧会はその北京藝術博物館の協力を得て、開催されたというのですから、見に行かないわけにはいきません。

こちら →IMG_2110

 チラシに使われていたのが、清代の公主の図です。公主と書いて「gōngzhǔ」と読むのですが、皇帝の娘のことを指します。この図はチケットにも美術館の垂れ幕にも使われていました。宮廷女性を語るには欠かせない存在なのでしょう。

こちら →公主
カタログより

 イヤリングにネックレス、まるで冠のような豪華な帽子、そして、手の込んだ刺繍が施された華麗な衣装をこの公主は身につけています。皇帝の娘という身分に相応しい衣装であり、装飾品なのでしょう、それぞれが鑑賞価値のある美術品です。銀や琥珀、玉などを精密に加工して優雅な装飾品に仕立て上げる技術は目を見張るほど高いものでした。

 たとえば、銀の点翆の髪飾りはこのように細工されています。

こちら →銀髪飾り
カタログより

 銀に孔雀の羽のようにみえる模様が細工されています。しかも、その羽先の部分には真珠が組み込まれ、ほどよいバランスで水色で彩色されています。これなら着用する女性の顔廻りをぐんと引き立ててくれることでしょう、とても繊細で上品な髪飾りです。髪飾りだけでこれだけ手が込んでいるのですから、他は推して知るべしでしょう。清朝の宮廷女性たちがどれほど貴重な美術品に包まれて生活していたかがわかります。彼女たちは富と権力の集中する宮廷で日夜、身を飾りたて、皇帝の寵愛を待っていたのです。

 富と権力が一体化した生活空間の中で、彼女たちはいったいどのように暮らしていたのでしょうか。

 展覧会は、「第1章 女性の手仕事―刺繍」、「第2章 鳳凰の儀容―服装」、「第3章―簪と朝の化粧―装飾品」、「第4章―薫り高き心―書画」「第5章―奇巧を尽くす」「第6章―文雅の室―文玩書籍」等、6章で構成され、さまざまな名品が展示されていました。順に見ていくと、宮廷女性たちの生活行動、生活文化、生活信条、生活価値観などがわかってくる仕掛けです。

■刺繍
 第1章で展示されていたのは、刺繍で絵や書を表現した垂れ幕や鑑賞用の織物でした。第2章では福を呼び込む縁起模様の豪華な刺繍の施された服装や肩飾りなど布装飾品が展示されていました。刺繍が書画を表現する手段として、あるいは、日常生活を彩る手段として、重要な役割を担っていたことがわかります。

 中国の刺繍は今でも有名ですが、当時、女性の手仕事として日常生活に組み込まれていたようです。民間女性が製作した刺繍製品は、実用品としても贈答品としても使われていました。日々の生活に彩りを添え、社交を円滑にするための手段として刺繍は必要不可欠だったのです。

 一方、宮廷の刺繍製品には高価な材料が使われ、優れた技術力が反映されています。刺繍は宮廷女性たちにとっては趣味や娯楽であり、時にはストレス解消の手段でもあったようです。

 清代貴族の女性について、カタログでは以下のように書かれていました。

 「古代の中国社会が女性に求めたものは「女子無才便是徳」ということで、読書は男性の特権でした。清代貴族の家庭では、女性は子供時代は差別されることなく、家庭の中で良妻教育を受け、詩を習い画を描きました。(中略)女性は結婚後は伝統的な礼教に縛られ、彼女たちの才能は夫を助け子供を教育することに向けられ、作品や事跡が伝えられることは多くはありませんでした」(『麗しき日々への想い』p.103)

 カタログによると、清代になってようやく女性も文字を扱うことができるようになったようです。とはいえ、それは男性でもなく女性でもない子どものうちだけでした。どれほど利発で才能に満ち溢れていたとしても、彼女たちは成人して結婚すれば、「夫を助け子供を教育することに」専念しなければならなかったのです。時を経てもなお、宮廷女性たちは皇帝の寵愛を競い合い、運よく皇太子が誕生すれば今度は皇位を狙う・・・、といった状況に置かれていることに変わりはありませんでした。寵愛を巡り、皇位を巡って陰謀が渦巻く魑魅魍魎とした世界から抜け出すことはできなかったようです。

 そもそも私が中国の宮廷女性に関心をもつようになったのは、昨年秋に「宮廷女官若曦」という宮廷ドラマを見てからでした。華やかに着飾った宮廷女性たちが皇帝の寵愛を求めて競い、子どもを授かれば今度は皇位を求めて画策するといった具合に、ストーリはパターン化しているとはいえ毎回、メリハリの効いた展開が面白く、夢中になって見ていたのです。いまなお中国宮廷ドラマの魅力から逃れることはできず、いつしか、実際の宮廷女性たちの生活はどうだったのか、実状を知ることができればもっと理解が深まるだろうと関心を抱くようになっていったのです。

 カタログに以下のような興味深い文章を見つけました。

「閨房独影の繍女、千針愁いを遂い、万线怨みを疏し、昏燭の壁に神情の傷を映ず」(前掲。p.73)

 第5章の扉に書かれた文章です。この文章からは、部屋で独り刺繍に打ち込み、運針作業を通して憎悪や悲嘆、怨嗟を洗い流そうとしている宮廷女性の姿が目に浮かぶようです。宮廷女性であっても、庶民の女性であっても当時は思うままに生きられず、刺繍という手作業を通して日々、ストレスを解消しようとしていたのでしょう。豪華で華やかな刺繍の背後に宮廷女性たちの深い悲しみと絶望感が見えてきます。

 展示品を見ていくと、興味深いことに、靴にも素晴らしい刺繍が施されていました。

■漢族の靴と満州族の靴
 「第2章 鳳凰の儀容―服装」のコーナーで興味を覚えたのが、靴でした。満州族の靴を見たとき、これならいまでも洒落た室内履きとして使えそうだと思いました。ところが、漢族の靴を見たとき、すぐにはこれが靴とは思えませんでした。一体これはなんだろうと思い、横に回ってしげしげと眺めてもわかりません。ふと名札に目をやると、「湖绿绢绣花卉纹高低弓鞋(漢族の女性用靴)」と書かれています。これでようやく靴だとわかりました。

こちら →漢族の靴
カタログより

 ご覧のように、非常に小さいです。しかもヒールがあります。どれほど歩きにくいことか。想像するだけで足に痛みが走りそうです。

 比較のために、並べて展示されていた満州族の靴を紹介しましょう。

こちら →満州族の靴 (1)
カタログより

 こちらは普通です。一目で靴だと認識できるサイズです。カタログを見ると、長さが24センチ、幅は10センチとされています。だとすると、漢族の靴として展示されていたのは、いわゆる纏足用の靴なのでしょう。カタログを見ると、長さが16センチ、幅はわずか4センチです。

 纏足という言葉は聞いたことがあり、おおよそのことは把握しているつもりですが、詳しくは知りません。そこで、取りあえずWikipediaで調べてみると、以下のように説明されていました。

 「幼児期より足に布を巻かせ、足が大きくならないようにするという、かつて中国で女性に対して行われていた風習をいう。 より具体的には、足の親指以外の指を足の裏側へ折り曲げ、布で強く縛ることで足の整形(変形)を行うことを指す。 纏足の習慣は唐の末期に始まった。 清国の時代には不健康かつ不衛生でもあることから皇帝が度々禁止令を発したが、既に浸透した文化であったために効果は無かった。辛亥革命以後、急速に行われなくなった」(Wikipedia)

 Wikipediaで説明のために掲載されている写真は会場で展示されていたのと同じ形状のものでした。それにしても中国ではなぜ長い間、纏足が行われてきたのでしょうか。それについて、Wikipediaでは以下のように説明しています。

「足の小さいのが女性の魅力、女性美、との考えがあったことは間違いない。足が小さければ走ることは困難となり、そこに女性の弱々しさが求められたこと、それにより貴族階級では女性を外に出られない状況を作り貞節を維持しやすくしたこと」(Wikipedia)
 
 足はヒトの身体を支え、歩行を司る重要な人体部位です。その足を自然の成長に任せるのではなく、意図的に小さく変形させるための靴が開発されていたのです。小さな足にこそ性的魅力があるとし、女性を身体的に弱く改造し、男性に従属せざるをえないようにしていたようです。女性に対する暴行の習慣化といわざるをえませんが、不思議なことに、この纏足という風習は1000年ごろには普及し、特段、女性たちから拒否されることもなく、清代末まで続いていたそうです。

 もちろん、纏足していては働くことができません。ですから、農家など労働に携わる女性に対しては行われなかったようです。労働をする必要のなかった富裕層の女性に対し、このような残酷な身体改造が習慣化していました。もっとも、「辛亥革命後、急速に行われなくなった」そうですから、女性を劣位に固定化する纏足という風習もまた近代化を目指す社会改革によって消滅していったといえそうです。

■華やかな生活に潜む心理的拘束
 チケットに使われている清代公主の顔部分をもう一度、見てみることにしましょう。おそらくこの顔が宮廷女性の代表といえるのでしょう。色白できめ細かな肌、とても端正な顔立ちです。嫋やかで上品、しかも洗練されていて、いかにも高貴な女性という印象です。

こちら →公主顔
カタログより。顔廻り部分。

 ただ、その表情からなんらかの意志が感じ取れることはありません。人形のようにただ美しく、そして、どこか悲しげです。公主ですから、自分でその地位を勝ち取ったわけではなく、生まれついての高位です。富と権力の中枢近くにいながら、実は非力なのです。時と場合によっては追放されたり、殺されたりすることもあるでしょうし、何らかの意図をもって行動すれば即、廃位されてしまいます。

 こうして見てくると、華やかな宮廷生活を送っているはずの女性たちが、実は、自発的な意思というものを放棄せざるをえず、あたかも心の纏足を強いられているかのように見えてきます。華やかな宮廷生活の中に心的拘束が仕組まれているとすれば、彼女たちが繰り広げる陰謀術数は生きるための叫びだったのかもしれません。どうやら中国宮廷ドラマを見る見かたが変わってきそうです。とても興味深い展覧会でした。中国の宮廷女性への関心がさらに喚起されたような気がします。(2015/6/15 香取淳子)

« »