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シャガール展:初期作品にみるキュビスムの痕跡とファンタジー

シャガール展:初期作品にみるキュビスムの痕跡とファンタジー

■没後30年シャガール展
 改修された姫路城を見に行くつもりが、姫路駅を降りた途端に気が変わりました。姫路市立美術館に行く方が先だと思ったのです。ちょうどそのとき、シャガール展が開催されていました。姫路城はいつでも見ることができますが、シャガール展(4月4日~5月31日)は開催期間が限定されています。駅を出て、青空に映える姫路城の天守閣を見たとき、迷うことなく美術館に向かう気持ちになっていました。

 姫路市立美術館は姫路城の東隣にあります。明治時代の赤レンガ造りの建物で、元は陸軍第10師団の兵器庫・被服庫でした。道路から美術館を眺めると、その背後に姫路城が見え、江戸時代から明治時代を経て現在に至る長い歴史を感じさせられます。周辺は深い緑で覆われており、赤レンガの西洋建築と白く輝いて見える白鷺城(姫路城)が見事な調和を見せていました。

こちら →zenkei

 この展覧会はシャガール(Marc Chagall, 1887-1985年)の没後30年を記念して開催されたもので、展示作品は油彩13点と版画集4編です。いずれも宇都宮美術館など日本の美術館や文化財団から出品された作品なのだそうです。

 シャガール展のチケットには油彩の「青い恋人たち」(1948 -53年)、そして、カタログには版画の「クロエ」(版画本『ダフニスとクロエ』1957-61年)が使われていました。どちらもシャガールの絵としてなじみ深く、この展覧会のサブタイトル「愛と色彩のファンタジー」にもふさわしい作品です。

 「I and the Village」、「七本指の自画像」など、著名な作品で展示されていないものがいくつもありましたが、それはおそらくこの展覧会が日本の諸機関が所蔵している作品を中心に企画されたからでしょう。とはいえ、国内だけでこれだけの作品を展示できたのですから、日本にもシャガールファンが多いことがわかります。観客の不充足感を補うかのように、シャガールの影響を受けた日本人画家の作品も展示されていました。

 会場を一瞥し、この展覧会は初期作品の展示に面白みがあると思いました。シャガールと聞いてすぐにイメージする画風とは異なった作品が目についたのですが、それがいずれも初期の作品だったからです。とくにパリに行く前の作品は画集等でも見たことがなく、貴重だと思います。

 初期作品を辿ってみれば、シャガールの試行錯誤のプロセスを見ることができるかもしれませんし、シャガールの心に潜む原風景を見ることができるかもしれません。ここには展示されていない作品も取り上げながら、シャガールの創作の源泉を探ってみることにしましょう。

■「村の祭り」(1908年制作)
 会場で初期作品として展示されていたのが、「村の祭り」(1908年)、「村のパン屋」(1910年)、「パイプを持つ男」(1910年)、「ランプのある静物」(1910-11年)、「花束」(1911年)、「静物」(1911-12年)でした。いずれも油彩です。暗い色調だったせいか、これらの作品にはシャガール特有のファンタジックな軽やかさがなく、どちらかといえば、泥臭く稚拙な印象を受けました。

 たとえば、「村の祭り」という作品があります。1908年に制作された油彩です。

こちら →村の祭り
カタログより

 ご覧のように、「村の祭り」で描かれたモチーフは奇妙なものばかりです。絵を見てまず目を向けてしまうのが、白いスカートを穿いた中央の人物です。暗い色調の中で一人だけ明るい服を着ているので必然的に観客の目が引き付けられます。この人物はなぜか身を屈めています。よく見ると、その後ろの人物はさらに深く身体を曲げています。そして、それぞれの人物の後には子どもが従っています。これは一体、何なのだろうと思って、その前方を見やると、白い棺のようなものを担いだ人物が二人描かれています。どうやら葬列のようです。

 絵の手前にはピエロのような服を着た人物がランプを持ったまま倒れています。死者を模しているのでしょうか、不思議な姿勢です。前景に描かれたこのモチーフが中景で描かれた葬列と関係があるとすれば、ひょっとしたら、これもまた死者を弔う一種の儀式なのかもしれません。そして、このピエロというモチーフは後景のサーカス小屋とリンクします。

 後景の中央にはサーカス小屋のようなものが描かれています。なぜ、こんなところにあるのか違和感を覚えてしまうのですが、その右側に傘をさしたヒトが描かれています。サーカス小屋に向かう観客なのでしょうか。左側には鉄棒の上で逆さまになっているヒトが描かれています。サーカスの演目を練習している座員なのでしょうか。後景で描かれているのはサーカスという祝祭の空間です。

 「村の祭り」について、中景を中心に前景、後景と順に読み解いていくと、死、道化、祝祭というキーワードを思い浮かべることができます。これでようやく絵のタイトルを理解することができました。「村の祭り」というタイトルにもかかわらず、祭りの喧噪さはどこにも描かれておらず、不思議に思っていたのです。

 ところが、この絵が中景(死)を中心に前景(道化)、後景(祝祭)で構成された作品だと考えれば、とてもよく理解できます。シャガールは一枚の絵の中に死にまつわる異次元の空間を持ち込んでいたのです。その企みは成功し、観客を深い想念の世界に引き込んで離しません。ひとたび目にすると、永遠に解くことのできない死の深淵について考えさせられてしまうのです。泥臭く、稚拙に見える絵の背後にヒトの情念の集積を感じざるをえないからでしょう。

 カタログではこの作品について、以下のように記されていました。

 「身の周りの世界で起きた出来事を暮らし色調で描き出すのは初期のシャガール作品に見られる特徴である。1908年に描かれた≪村の祭り≫はサンクトペテルブルグ時代(1907-1910)を代表する作品の一つである。シャガールは故郷で死や葬儀を目の当たりにしている。祭りの頃、ユダヤ教の教会に向かい死者のために輝いているローソクとともに祈りを捧げる。このようなシャガールの思い出が物語性の強い場面となって描き出されている」(『没後30年シャガール展』、p132)

 たしかに物語性の強い絵です。描かれたモチーフを踏み越えて観客は死をめぐる弔いの慣習を推し量ってしまうのです。そういえば、シャガールは1887年にロシア・ヴィテブスクで生まれたユダヤ人でした。とすれば、この絵の舞台は故郷ヴィテブスクで、モチーフはそこで目にした一般的な情景なのでしょうか。それとも、シャガールがその鋭敏な神経で捉えた独自の風景なのでしょうか。いずれにしても、不思議な世界です。

 「村のパン屋」(1910年)、「ランプのある静物」(1910-11年)も同様、モチーフは日常的なものなのですが、これまで見たこともないような形状や色彩で描かれており、因習と伝統の中に組み込まれたヒトの生活が偲ばれます。そして、それこそが画家シャガールのアイデンティティの基盤であり、創作の源泉なのかもしれません。

■静物(1911-12年制作)
 初期の作品の中で印象深かったのが、「静物」(1911-12年)でした。モチーフの捉え方に独特の味わいがあり、心に残ったのです。しかも、この作品は「ヴィテブスク独特の雰囲気」をいささかも感じさせることはありません。ですから、ヴィテブスクを知らない部外者の私でもシャガールの心象風景を理解できるような気がしたのです。

こちら →716px-Marc_Chagall,_1912,静物,_oil_on_canvas,_private_collection
カタログより

 よく見ていくと、この絵はどこかで見たことがあるような気がしてきました。どういうわけか、既視感があるのです。だからこそ、一目で引き付けられ、その場をすぐには立ち去り難い思いにさせられたのでしょうが、これといって思い当たる作品があるわけではありません。

 モチーフはバラバラに置かれ、ランプや水差し、テーブルクロスは線や三角で分割されて描かれています。果物やビン、コップなども線や楕円、円で輪郭がはっきりと描かれそれぞれの存在を個別に主張しているように描かれています。赤や緑、青などの原色とハイライトの白がきわだっているからでしょうか、描かれているモチーフは静物なのですが、不思議な情感が漂っているのです。

 カタログでは以下のように解説されています。

 「テーブルクロス、ランプ、瓶、果物、コップやお椀は、丸、三角、四角などの幾何学的形状で構成されており、フランスで出会ったキュビスムを取り込もうとしていることが確認できる」(前掲、p132)

 この作品にはキュビスムの影響があるというのです。そこで、取りあえず、Wikipediaを見てみると、シャガールは1910年にパリに行き、5年間、滞在していたようです。ですから、ちょうどこの作品を描いていたころ、彼はパリにいたことになります。そして、この時期、パリでは印象派、キュビスム、フォービズムなど、新しい芸術運動がさかんでした。

 再び、この作品を見てみると、たしかに、この作品にはキュビスムの影響が見受けられるように思えます。ですが、ビンにしても、ランプにしても、カップにしても具象性が強く、いわゆるキュビスム技法は感じられません。辛うじてその片鱗といえるのは敷かれているテーブルクロスぐらいでしょうか。

 この絵を見て即座にキュビスムだと判断しかねるのはもう一つ、その色彩です。キュビスムではモチーフを分割して表現する一方、色彩はモノトーンのグラデーションに落とし込んで表現されます。ところが、この作品では赤、青、緑などの原色に白のハイライトが配されており、それらがモチーフの形態を鮮明にしています。ここにキュビスムに収まりきれないシャガールの世界が感じられます。

 比較のために、キュビスムの創始者といわれるピカソの作品を見てみることにしましょう。シャガールの「静物」とほぼ同時期に制作されたピカソの作品に「マンドリンを持つ少女」(ピカソ、1910年制作)があります。

こちら →
http://www.moma.org/collection_images/resized/533/w500h420/CRI_151533.jpg

 モチーフは断片化され、辛うじて顔や髪、手やマンドリンに具象性が残っています。色彩はモノトーンのグラデーションです。

 ところが、1911年に制作された「ギターを持つ男」(ピカソ)ではモチーフはさらに断片化され、わずかに手やギター、食べ物を入れたグラスのようなものに具象性が残されているぐらいです。モノトーンのグラデーションで着彩されており、いかにもキュビスムの作品です。

こちら →http://f.tqn.com/y/arthistory/1/S/l/z/picparispma_2010_10.jpg

 やはりキュビスムの創始者といわれるブラックの同時期の作品に、ピカソの作品と同名の「ギターを持つ男」(ブラック、1911年制作)があります。

こちら →
http://www.moma.org/wp/moma_learning/wp-content/uploads/2012/07/Georges-Braque.-Man-with-a-Guitar-274×395.jpg

 この作品ではモチーフは極度に断片化され、具象性の痕跡を見つけるのがむずかしいほどです。色彩はやはりモノトーンのグラデーションですが、円や楕円、三角や矩形を組み合わせて表現されたモチーフには立体感があります。

 このように、シャガールの「静物」と同時期に制作されたピカソやブラックの作品を見てみると、シャガールはキュビスムの影響を受けたといわれながらも、具象性を捨てきれなかったことがわかります。とはいえ、明らかにキュビスムの影響を受けていることがわかる作品もあります。

■キュビスムの影響?
 これまで見てきたように、「静物」(1911-12年)にキュビスムの影響が感じられなくはないのですが、それほど強いものではありませんでした。ところが、「アダムとイブ」(1912年制作、セントルイス美術館所蔵)にはその影響がきわめて強く感じられます。

こちら →http://www.wikiart.org/en/marc-chagall/adam-and-eve-1912

 これを見ると、顔らしきもの、足らしきものの痕跡はあるのですが、主要モチーフは完全に断片化されています。三角形、矩形に分割して描かれており、抽象化されています。まさにキュビスムの技法で描かれています。

 ところが、上部に描かれている木やリンゴの形状を見ると、具象的で断片化されておらず、キュビスムとはいえません。しかも、全体を見ると、使われている色彩が黄色、白、緑に所々に赤を配した強い色調なのです。アールデコといってもいいほど洒落た色合いです。

 モチーフを複数の視点で捉え、それに対応して断片化して描くという点で、シャガールはキュビスムの影響を受けているといえますが、色彩面ではこだわりを捨てきれないようです。

 キュビスムの影響をもっとも受けているといわれるのが、「詩人、3時半」(1911年制作、フィラデルフィア美術館所蔵)です。

こちら →
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/6/64/Marc_Chagall,_1911,_Trois_heures_et_demie_(Le_po%C3%A8te),_Half-Past_Three_(The_Poet),_oil_on_canvas,_195.9_x_144.8_cm,_Philadelphia_Museum_of_Art.jpg

 たしかにモチーフを断片化した形状にはその痕跡が認められます。ところが、色彩はやはり青や赤の原色に白が使われており、シャガール特有の華やかさがあります。

 同時期の作品に、「ゴルゴダのキリスト」(1912年、ニューヨーク近代美術館)があります。

こちら →Marc_Chagall,_1912,_Calvary_(Golgotha)_Christus_gewidmet,_oil_on_canvas,_174.6_x_192.4_cm,_Museum_of_Modern_Art,_New_York
ニューヨーク近代美術館所蔵

 この作品もモチーフは複数の視点で捉えられ、断片化されて描かれていますが、モチーフは比較的、具象性を残し、赤や緑の原色で描かれています。モノトーンのグラデーションにこだわったピカソやブラックとは画風が大きく異なります。

 こうしてみてくると、たしかにパリ滞在時にシャガールはキュビスムの影響を受けていた痕跡がみられます。ところが、どの作品もモノトーンではなく原色に白のハイライトを効かせた着彩を施しています。これはロシアで描いた初期作品には見られない華やかな色彩です。ですから、当時、パリで盛んだったフォーヴィスムの影響を受けていた可能性も考えられます。しかも、キュビスムの影響を受けたといわれる作品もどこかに具象性を残しながら、モチーフを画いています。シャガールはどうやらキュビスムを全面的に受け入れることはできなかったようです。

■キュビスムの痕跡とファンタジー
 ここには展示されていませんでしたが、初期作品の中で忘れがたいのが、「I and the Village」(1911年制作)です。「静物」や「詩人、3時半」などと同時期に制作された作品で、私が好きな作品です。

こちら →Chagall_IandTheVillage
ニューヨーク近代美術館所蔵

 この絵はヤギと男の顔で画面が大きく二つに分割されています。画面の左上半分にヤギの横顔が描かれ、頬のあたりにヤギの乳を搾る女性の姿が小さく描かれています。ヤギの顔の3分の1から下はその下に見える円で白く分割されています。そして、右側には緑色の男の横顔が配置され、男の顔の鼻から下はその下の円で緑色に分割されています。まるでヤギと男がこの円でつながっているように見えますが、少し引いて見てみると、むしろ両者が互いに見詰め合う構図が強調されています。ヒトと動物が共生している生活空間を描こうとしていたのでしょうか。

 顔を寄せて見つめあうヤギと男がメインモチーフなのでしょう。その下に実をつけた木を持つ男の手が描かれ、ヤギ側には大きな実が一つ描かれています。ヒトと動物が果物を分け合って暮らしていることを示しているのでしょうか。生命あるものが苦難を共にして暮らしている様子が描かれています。

 後景にはカマを肩に担いで歩く村人、逆さまになった女性ヴァイオリニストなどが描かれています。その背後には村の建物が並んでいるのが見えます。この部分を拡大すると、以下のようになります。

こちら →上部
前掲。一部を拡大。

 この絵も中景で描かれた見つめあうヤギと男の顔を中心に、前景の果物と木、そして、後景のヴィテブスクでの生活シーンで構成されており、物語性の強い作品になっています。キュビスムの影響がみられるとすれば、様々な視点で捉えたモチーフを同一画面上に描いたというところぐらいでしょうか。

 中景から前景にかけて描かれた円もひょっとしたらキュビスムの影響といえるかもしれませんが、それはキュビスムのように要素に還元して単純化するための円ではなく、むしろモチーフを有機的に繋げるための円といえるでしょう。そして、この円が前景から中景にかけて配置されたことで幻想的な雰囲気が醸し出されています。

 面白いことに、ヤギの顔の中にヤギの乳を搾る女性が描かれています。これもおそらくヴィテブスクでの生活シーンなのでしょう、ヤギの顔の中にうまく収まっています。これに対し奇異な印象を持つヒトもいるかもしれませんが、青と白を巧みに組み合わせて描かれているので、むしろ牧歌的であり幻想的に見えます。

 初期作品をいくつか見ていくと、パリ滞在以後、シャガールは色彩の使い方が大きく変化したように思えます。「村の祭り」で見られたような暗い色調ではなく、赤、緑、青、黄色といった原色に白のハイライトを置いた華やかな色調を好むようになっているのです。その結果、何をモチーフにしようと、洗練されたファンタジックな画風になっているように見えます。

 とくに私は「I and the Village」に強く惹かれるものを感じます。それはおそらくシャガールがいかにこの村に愛着を覚え、アイデンティティの基盤にしてきたのか、この絵を見ていると、彼の創作の源泉が見えたような気がするからでしょう。(2015/6/13 香取淳子)

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