■さまざまなパビリオン
「大阪・関西万博2025」には、さまざまなパビリオンが建ち並び、来場者の目を楽しませてくれています。海外パビリオンは、斬新で個性的な建物が51、建造されています。外観には、それぞれの国の文化や伝統、特産や主張などが反映されており、興味津々です。
こちら →https://www.expo2025.or.jp/official-participant/
一方、国内パビリオンとしては、国や地方自治体、組織団体のパビリオンが4,民間パビリオンが13、設置されています。
こちら →https://www.expo2025.or.jp/domestic-pv/
それ以外に今回は、個人がプロデュースした、シグネチャーパビリオンが8、設置されています。各界で活躍する8人のプロデューサーが企画したテーマ性の強いパビリオンです。
こちら →https://www.expo2025.or.jp/project/
プロデューサーに選ばれたのは、福岡 伸一(生物学者、青山学院大学教授)、河森 正治(アニメーション監督、メカニックデザイナー)、河瀨 直美(映画作家)、小山 薫堂(放送作家)、石黒 浩(大阪大学教授)、中島 さち子(音楽家、数学研究者、STEAM教育家)、落合 陽一(メディアアーティスト)、宮田 裕章(慶応義塾大学教授)です。
これら8人のプロデューサーたちが、どういう基準で選ばれたのかはわかりませんが、少なくとも、「いのち輝く未来社会のデザイン」という万博のテーマに沿って、選出されたのは確かです。
生物学、アニメ、映画、放送のクリエーター、ロボット工学、教育学、メディア・テクノロジー、データサイエンスなどを専門とする方々です。
まずは、万博のテーマと最も関係の深そうな医学部教授である宮田裕章パビリオンを取り上げ、その内容を見ていくことにしたいと思います。宮田氏の専門はデータサイエンスです。
■宮田裕章パビリオン
独創性を競い合うように目立つパビリオンが建ち並ぶ中で、ひときわユニークな建物が宮田裕章パビリオンでした。
建物といっていいのかどうかわかりません。何本かの銀色の柱に囲まれ、雲の形をした庇のようなものがあります。ここに「Better Co-Being」と書かれているので、かろうじてこれが宮田パビリオンだということがわかる程度で、建物らしいものは何もありません。ただ、木立に囲まれて、建造物が建っているだけです。

(※ Better Co-Being 公式サイト)
見てのとおり、屋根もなければ、天井もなく、壁もありません。内と外とを分ける隔てになるようなものが一切ないのです。これでは雨風をしのぐことができず、太陽の陽射しをもろに浴びてしまいます。建物という概念から大きく逸脱したパビリオンでした。
もっとも、これだけ見てもパビリオンの外観がよくわかりません。パビリオンの全体像がもっとわかるように、少し引いて見ました。

(※ Better Co-Being 公式サイト)
素晴らしい晴天の下、影ができているのは、パビリオンの名が書かれた庇のようなものの下だけでした。引いて見ると、覆うものが何もない建造物だということがよくわかります。木々で囲まれた空間の中に、銀色の柱が何本か立ち、その周辺一帯を細かなグリッドが無数に覆っています。その線が細すぎて、空に溶け込んでしまっているように見えます。まさに建物というよりは戸外に設置された遊具でした。
上から見ると、森を思わせるたくさんの木々で覆われた空間の中に、無数のグリッドで構築されたパビリオンがひっそりと佇んでいるのがわかります。グリッドの天井に相当する部分は一面、雲のようなもので覆われており、周囲の木々と一体化しています。上から見ると、なおのこと、森の一部でしかなく、これがパビリオンだとはとうてい思えません。
自然と一体化している様子を可視化したのが宮田パビリオンでした。設計はSANAA、施工は大林組です。
SANAAとは、建築家・妹島和世氏と建築家・西沢立衛氏によるユニットで、1995年に設立されました。これまで数多くの賞を受賞しており、主な受賞作品に、金沢21世紀美術館、ニューミュージアム(アメリカ)、ルーヴル・ランス(フランス)などがあります。
公式サイトに掲載された、宮田氏、妹島和世氏、西沢立衛氏との対談を見ると、宮田氏はこれらの作品を見て、SANAAに設計を依頼しようと思ったようです。プロデューサー宮田裕章氏の思いを具現化したのが、この奇妙な建造物だったのです。
それでは、意表を突くこのパビリオンがどのようにして生み出されたのか、三者対談を踏まえ、探ってみることにしたいと思います。
■万博史上初の境界のないパビリオン
万博会場の中心に、「静けさの森」が設置されています。「いのち輝く未来社会のデザイン」 の象徴として、会場の真ん中に造られました。万博記念公園をはじめ、大阪府内の公園などから、将来間伐予定の樹木なども移植し、新たな生態系を構築しています。植えられた樹種は、アラカシ、 イロハモミジ 、 エゴノキ、クヌギ 、 コナラ、 ヤブツバキ等々です。

(※ https://forest-expo2025.jp/)
広さは約 2.3ha、樹木本数は約 1,500 本、水景施設は池1ヶ所 / 水盤3ヶ所です。ここでは、「平和と人権」 「未来への文化共創」 「未来のコミュニティとモビリティ」「食と暮らしの未来」 「健康とウェルビーイング」 「学びと遊び」「地球の未来と生物多様性」 など7つのテーマで、アート体験やイベントが実施されます。
「静けさの森」は、テーマ事業プロデューサー宮田裕章、会場デザインプロデューサーは大屋根リングをデザインした藤本壮介、ランドスケープデザインディレクターは忽那裕樹、アートディレクターの長谷川祐子らが手掛けました。喧騒から離れた新しい命が芽吹く静かな森の中で、”いのち”をテーマにした様々な体験を通し、来場者が地球や自分自身の”いのち”に思いを馳せることができる空間になっています。
実は、宮田氏は、「静けさの森」プロジェクトにプロデューサーとして関わっていました。その関係もあったのでしょう、自身のパビリオンをこの森とつながるようなものにしたいと思ったそうです。というのも、森は再生可能な資源であり、多様な生態系を育む群体なので、「共に歩む」、「お互いがつながる」という万博コンセプトを的確にアピールできると思ったからでした。
マップで確認すると、確かに、宮田パビリオンは、「静けさの森」のすぐ近くに設営されていました。

(※ 公益社団法人2025年日本国際博覧会協会)
静けさの森とつながるようなイメージのパビリオンの建造を望み、宮田氏が設計を依頼したのが、妹島氏と西沢氏が運営するSANAAでした。
宮田氏の思いを聞いた西沢氏は、「箱的なパビリオンが建っているのではなく、境界を超えるような建築、中と外がつながる空間」をイメージしました。一方、妹島氏は、「人が出たり入ったり、雨や風も入ったり、森みたいな建築、中と外がつながるような空間」をイメージしました。その結果、出来上がったのが、天井も壁もないパビリオンでした。
妹島氏は、このパビリオンは人間が、「完全にはコントロールできない空間なので、天候の変化を感じながらインタラクティブに楽しめる場所になると面白い」といいます。そして、西沢氏は、「快適性は気候風土、地域性と一体のものなのです。私たちが古来心地良いと感じてきた快適性というのは、このような明るく風通しのよい、透明な空間だとストレートに表現することは重要」だといいます。
両者は、宮田パビリオンの本質を的確に捉え、実現しました。
天井もなく、壁もなく、人間が完全にコントロールできない空間だからこそ、天候が変化するたび、対応せざるをえません。このパビリオンでは、来場者は自然につながりあうようになっていくのです。そうなれば、人は本来、持っていたはずの感性を取り戻していくことにもなるでしょう。
古来、私たちが自然とのかかわりの中で培ってきた,風土に根ざして培われてきた快適性についての感覚も、取り戻すことができるようになるにちがいありません。
西沢氏は、「建築物は、空間を占拠するところがある」とし、「共有を空間的に表すことができれば、面白い」と語っています。
そもそも建築物というものは、壁であれ、天井であれ、なにかしら囲いを作ることによって、成立します。つまり、囲われた空間を占拠することによって、建物になりえているのです。
ところが、このパビリオンは、グリッドと柱だけで構成された建造物です。囲わず、隔てず、空間を占拠せず、建物とはいえないほど開放な造りになっています。建物の概念を否定するような建造物なので、必然的に内と外とがつながらざるをえません。
■縁側を連想させる空間
確かに、宮田パビリオンは境界のない建築物でした。

(※ Better Co-Being 公式サイト)
雲の広がる青空から陽光がグリッドを潜り抜けて射し込み、風がグリッドの中を吹き抜けていきます。明るい空に溶け込むパビリオンは、まるで巨大なジャングルジムのようにも見えます。
この写真を見ていて、ふいに思い浮かんだのが、日本家屋に設えられた縁側です。日本家屋の特徴ともいえる縁側は、建物の床が板で造られるようになってから生み出されました。母屋の周囲に庇の間が造られるようになったのが、縁側の起源だといわれています。
敷地に余裕がなければ設えることができないので、縁側が一般家屋に取り入れられるようになったのは、それほど古くはありません。大正時代になってようやく、庶民の家でも、庭に面した部屋に縁側が造られるようになりました。
縁側は、庭に面して造られているので、移り変わる季節の情緒を感じるには最適の場所でした。四季折々の微妙な変化を捉え、繊細な日本文化を育むのに恰好の空間になっていたのです。
西洋家屋にも「ウッドデッキ」、「ベランダ」、「テラス」、「ポーチ」、「バルコニー」など、縁側に似たようなものがあります。いずれも家屋に付随していますが、縁側のように家の内と外とが一体化したものではありません。あくまでも戸外の空間なのです。
一方、縁側の場合、夜は雨戸で閉じられていますが、朝になって雨戸が明けると、陽光が射し込み、風が入り込み、家の内と外とが交流します。家の中と外とが一体化し、戸外の自然と直接、触れ合える空間になっています。
縁側は家の中に造られているので、外と縁側の間に一つ、縁側と室内の間に一つ、戸や壁があります。だから、縁側部分に空気の層ができます。つまり、縁側は家の内と外との空気の緩衝地帯になっているのです。だからこそ、縁側が断熱材として機能し、夏は太陽の熱を和らげ、冬は寒さを遮断してくれるのです。
もちろん、縁側で日向ぼっこをすることもできれば、縁側に腰かけ、近所の人とお茶を飲み、雑談をすることもできます。縁側は、人と自然、人と人とがつなげる空間になっているからこそ、憩いの場ともなり、社交の場にもなってきたのでしょう。
縁側を思い起こしてから、このパビリオンを見返すと、人と自然が直接、かかわりあう戸外の空間だという点で、西洋家屋のウッドデッキやテラスに近いものといえます。
それでは、このパビリオンのコンセプトはどのように設定されていたのでしょうか。
■パビリオンのコンセプトは?
施工を担当したのは、大林組でした。次のような観点から、このパビリオンの施工に臨んだといいます。
「屋根も壁もないパビリオン。その姿で、時代の転換点における、建築の役割を再定義したいと思いました。森との境界線を引くのではなく、森と溶け合い、響き合うパビリオン。パビリオンの中に立つ来場者一人ひとりが、まだ見ぬ響き合いの時代を思い描くことでしょう」(※ https://www.obayashi.co.jp/expo2025/detail/pavilion_04.html)
設計図を見たとき、大林組の担当者はどれほど驚いたことでしょう。とはいえ、このパビリオンの形態がどんなに意表を突くものだったとしても、受け入れようとはしていたようです。この形態を時代の転換点を示唆するものだと認識することによって、これを踏まえて、未来社会における建築の役割を再定義したいと述べています。
大林組の担当者はおそらく、境界線を引かないことによって生み出される、周囲と溶け合い、響き合える空間に着目したのでしょう。このような空間は、未来の建築に求められる一つの要素だと直感したからかもしれません。
たしかに、来場者がこのパビリオンに入ると、内と外とが一体化しているので、直接、自然に触れることになります。刻々と変化する自然環境に反応していくうちに、次第に、原始的な感覚を取り戻していくことでしょう。ちょっとした陽射しの変化、風の流れ、空気の湿り気の具合に合わせ、身体が自然に反応するようになります。
このパビリオンの中では、人と自然が相互作用を繰り返し、つながりあっていきます。その時、同じ空間にいる人と人も同様です。相互作用を通して、人と自然、人と人がつながりあえる空間こそ、実は、未来社会で求められる建築の一つの要素かもしれないのです。
プロデューサーの宮田氏は、「共につながり、共に生きる」ことが未来の可能性を広げる重要なキーワードになると考え、パビリオンを、「Better Co-Being」と名付けたといいます。
Better Co-Beingは、「様々な地域で大切にされてきた考えや表現との間に共通点を見出し、異なるコミュニティ同士を共鳴させる側面も有する」という考え方だといいます。
「静けさの森という空間的なつながりだけでなく、レオナルド・ダ・ヴィンチの芸術活動を振り返りながら、過去から紡がれる様々な理念や表現との共鳴も試みている」とし、コンセプトを踏まえたパビリオンでの体験が企画されています(※ Better Co-Being 公式サイト)。
■パビリオンでの体験
パビリオン内では、来場者同士がつながり、響き合う中で共に未来を描くという体験が企画されています。来場者は、その日その時間にたまたま出会った一期一会のつながりに基づき、グループを組んで、3つのシークエンスからなる共鳴体験を巡りながら、共に未来に向かうという構成になっています。
たとえば、シークエンス1では、ベルリン在住の現代美術家、塩田千春氏が、「言葉の丘」と名付けたインスタレーションを展示しています。パビリオン内の小高い丘が広がる空間に、張り巡られた赤い糸と、線で形作られた机と椅子が浮かび上がるといった仕掛けになっています。
宙を舞う文字は、多様な言語でいくつかのテーマを表し、糸の揺れとともに広大なネットワークを形成します。赤い糸と文字が織りなす詩的な空間が、交流の可能性を可視化し、未来に向けた共生の問いを突きつけるという展開になっています。
このインスタレーションを手がけた塩田千春は、糸や日常的なオブジェクトを使い、「記憶」、「存在と不在」、「つながり」などの概念を探究し続けてきたアーティストです。
次に、シークエンス2では、「人と世界の共鳴」をテーマに、各地域で培われてきた自然や文化、そこに根ざす人々の暮らしと響き合う作品が提示されます。音声を軸にして展開されているのが、宮島達男氏のサウンド・インスタレーション作品、「Counter Voice Network – Expo 2025」です。
こちら → https://youtu.be/ZNaYWY7OS8Y
(※ CMはスキップするか、削除して視聴してください)
ちょっとわかりにくいですが、ここでは、さまざまな言語を使って、異なるリズムで「9、8、7……、1」というカウントダウンが聞こえてきます。数字の中で、「0」を発せず、カウントダウンの合間に、時折、静寂が訪れます。そのたびに、来場者には“死”や“無”を想起させるという仕掛けになっています。
音の発生源に近づくと、カウントダウンを続ける人々の名前と言語が表示され、また、関連するモチーフやストーリーがWEBアプリ上に立ち上がります。
来場者の共鳴体験をサポートするのが、WEBアプリです。これは、インスタレーションの解説をする一方、来場者の体験や選択を万博のテーマに沿って分析、表現し、来場者に多様な価値観への気づきを促すものです。
さて、シークエンス2のインスタレーションを手掛けたのが、現代美術家の宮島達男氏でした。この作品は音声に焦点が当てられています。多様な音声が重なるサウンドスケープを聴きながら、来場者がパビリオン内で眺める景色は、森と空の境目がなく、すべてが融合し、溶け合った風景だという構成です。
来場者はカオスな状態に陥ることになります。このようなパビリオン内での体験を経ると、来場者は必然的に、思索的、内省的にならざるをえません。結果として、「人と自然」、「人と人のつながり」を捉え直すようになるという展開になっています。
そして、シークエンス3は、「人と未来の共鳴」がテーマで、来場者同士がつながり、共に世界に向き合うことで、より良い未来が訪れることが提示されます。集った人々が世界とのつながりを感じながら、ともに虹を創るという体験が、このシークエンスの骨格となります。
宮田裕章氏とクリエイティブチームEiM が制作したのが、インスタレーション作品で、タイトルは、「最大多様の最大幸福」です。
「最大多数の最大幸福」という概念は、限られた資源の下、合理的な指針として、産業社会で長く機能してきました。ところが、デジタル技術が発達した現代では、一人ひとりの違いを尊重しながら豊かさを生み出す仕組みが可能になっています。そこで、最大多様の最大幸福が可能になっていることを示唆するために、この作品が提示されています。
実は、このパビリオンには大きな仕掛けがあります。頭上のキャノピーに仕込んだノズルから散水し、人工の雨を降らせることができます。人工的に雨を降らせれば、晴れた日には虹ができるのです。

(※ Better Co-Being 公式サイト)
そのため、高さ7mのキャノピーに沿って約400本の繊細なワイヤーが張られ、それぞれにサンキャッチャーが取り付けられています。これらは不均質の集合として、多様性の祝福を象徴しています。晴れた日には自然光を浴びて虹色の輝きが広がり、曇天や雨の日には霧と人工光のコントラストが幻想的な光景をつくり出します。
さらに、来場者の動きによって、降り注ぐ雨も変化し、日中と夜とで異なる表情を見せます。来場者はこの空間で、異質のものが交わり合うことで、新たな可能性が生まれる様相を体感することができます。
そして、エピローグです。ここでは先ほどご紹介したWEBアプリが活躍します。来場者の体験と、大林組が提供した現地の環境データを重ね合わせ、未来のイメージを五感で感じられる映像が体験として創出されます。一人ひとりの記憶や意思が響き合い、世界との繋がりが映し出されるのです。
球体LEDの装置が中心に据えられ、15名の来場者がそれぞれの体験やインスピレーションを持ち寄ることで、未来のイメージが可視化されます。
これらのイメージは、リアルタイムで収集される気象データや空間そのものの特性と結びつき、未来への対話を生み出します。つまり、共鳴の場が映像として提示されるのです。それがやがて、来場者それぞれが、自分と他者、そして世界とのつながりを再考する場となります。未来は他者や世界との結びつきの中にあり、その結びつきが織り成す多様な響きこそが、新たな時代を形づくる鍵となることを理解できるようになるというわけです。
それでは、宮田氏はこのパビリオンを通して、何を訴えたかったのでしょうか。
■宮田氏が訴えたいことは何か
宮田氏は公式サイトで、このパビリオンのコンセプトとして、次のように述べています。
まず、「デジタル技術は人間の可能性を広げる一方で、深刻な分断と人権制限の手段にもなり得る存在」だと指摘し、「そのような課題を直視した先にこそ、デジタル技術による真の価値創造の可能性がある」との認識を示します。
そして、「データの共有や多様なつながりの可視化は、人と人、社会と自然、現在と未来をつなぐ新たな回路を築きうる」とし、「デジタル技術を「共鳴」の力へと転じ、未来へと続く価値創造の基盤として再定義したい」と語ったうえで、「共鳴とは、単なる可視化や情報交換の域を超え、互いの行動や意志が折り重なることで新たな社会像を形作っていくプロセスを指す」と説明し、「監視や統制の道具としてではなく、人間を主体的に多様な可能性に接続し、未来を共創する力へと昇華する」とその目的を述べています。
つまり、宮田氏が訴えたいのは、デジタル技術の負の側面を排除して、有効活用し、人々が主体的で多様な可能性を手に入れられる社会にしていきたいということなのでしょう。宮田氏は最後に、パビリオンで提示するのは、「具象的な未来の姿」ではなく、「本パビリオンでの体験を通して、問いを立てるものである」と結論づけています。
こうしてみてくると、宮田氏が訴えたかったことは、シークエンス3で提示された「最大多様の最大幸福」に尽きるのではないかという気がします。
実際、気候変動など地球規模の危機によって、人々の意識や行動、社会システムも大きく変容せざるをえなくなっています。その一方で、デジタル技術によってさまざまな可能性が見えてきました。ですから、宮田氏がデジタル技術を利活用し、これまでは不可能だった「最大多様の最大幸福」の実現を目指そうとするのは理解できます。
ただ、パビリオンで来場者に提示された体験の内容が、「最大多様」とどう結びつくのか、理念と実際との乖離が大きいというように感じました。多様性をどのように捉えるのか、多様性の受容と幸福感とがどう結びつくのかという点も明瞭ではありませんでした。
とはいえ、最新デジタル技術を未来社会のために、利活用していこうとするチャレンジ精神は素晴らしいと思いましたし、万博の開催意義の一つもおそらく、そこにあるのでしょう。
(2025/5/30 香取淳子)