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「女・おんな・オンナ」展:浮世絵は日本人の心に何を育んだのか。

「女・おんな・オンナ」展:浮世絵は日本人の心に何を育んだのか。

■「女・おんな・オンナ」展の開催

 「女・おんな・オンナ」展(2019年4月6日~5月26日)が、渋谷区の松涛美術館で開催されていました。新聞広告でこの展覧会のことを知り、タイトルに興味をそそられたので、17日に行ってきました。サブタイトルは「浮世絵にみる女のくらし」です。

こちら →https://shoto-museum.jp/exhibitions/182ukiyoe/

 会期中に何点か展示替えがあったようですが、17日時点の出展数は136点で、浮世絵を中心にさまざまな装身具などが展示されていました。

こちら →https://shoto-museum.jp/wp-content/user-data/exhibitions/182ukiyoe/list.pdf

 会場は、「たしなむ」「愛でる」「あそぶ」「まなぶ」など、女性の生活行動にまつわる10章で構成されており、江戸時代の女性たちがどのように暮らしていたのか、実感をもって鑑賞できるような工夫がされていました。浮世絵以外に展示されていた着物や香道具、鏡台や化粧道具などはそれ自体が興味深く、まさに、「女・おんな・オンナ」というタイトルがぴったりの展覧会でした。

 同館の学芸員によると、この展覧会はそもそも春画の企画展として構想されたそうです。ところが、検討を重ねるうちに、女性の生活に焦点を当てたものにしようということになって、このような構成になったといいます。展覧会の監修は石上阿希氏(国際日本文化研究センター、特任助教)で、随所に女性ならではの視点と深い学識に支えられた研究者の視点が感じられました。

■『教訓親の目鑑 理口者』

 展覧会チラシの表に掲載されていたのが、喜多川歌麿が描いた『教訓親の目鑑 理口者』という作品です。


江戸博物館所蔵

 なによりもまず、典型的な浮世絵美人が寝転んで書を読んでいる絵柄に驚いてしまいました。しかも、読んでいる書のタイトルが『絵本 太閤記』です。女性の口元は黒く、いわゆる「お歯黒女性」なので、既婚者です。それが、育児もせず、家事もせず、昼間から寝転んで戦記物を読んでいるのですから、驚いてしまったのです。

 ところが、見ているうちにとても痛快な気分になっていきました。

 男性中心の社会状況の中で、取り繕うことなく主体性を失うこともなく、気ままにおおらかに生きている女性が実際にいたとすれば、なんと小気味いいことでしょう。思わず笑みがこぼれ、拍手喝采したい気持ちが込み上げてきました。

 実は、この展覧会はその種の驚きと小気味よさに満ち溢れていました。浮世絵を取り上げた展覧会だったからでしょうか、画面の端々から、女性たちがさまざまな場で生を謳歌している様子をうかがい知ることができたのです。

 そういえば、浮世絵は「浮き世」を絵にしたものです。ですから、画面には、どうせはかないこの世なら、浮かれて暮らそうというような楽観的な思いが込められています。その時代の風俗が描かれることが多く、とりわけ、一般の人々が好む美人画、役者絵、芝居絵、名所絵、春画などが題材として取り上げられてきました。

 もっぱら大衆の興味関心を引く題材が取り上げられ、大衆の嗜好性が反映されていたからこそ、浮世絵は人々の生活実態を巧みに描き出すことができていたのかもしれません。

 そもそも浮世絵は肉筆画から始まり、木版画によって多くの人々が楽しめるようになったといわれています。当初は、墨一色で摺られた墨摺絵あるいは紅摺絵などが主流で、錦絵のような華やかな色合いを楽しむことはできませんでした。

 ところが、その後、多色摺りの錦絵の手法が開発されると、華やかな色合いはもちろんのこと、多様な色味を表現できるようになりました。しかも、木版なので同じ絵柄を量産することができます。人々が安価に入手できるようになった結果、浮世絵はたちまち江戸時代の大衆娯楽として確固たる地位を占めるようになったのです。

 こうして出版業が活性化していくと、半ば必然的に、浮世絵に消費者が好む題材や視点が取り込まれるようになります・・・と書いてきて、ふと、先ほどご紹介した『教訓親の目鑑 理口者』が脳裏に浮かびました。

 あの絵柄は、ひょっとしたら実際の姿ではなく、当時の女性たちの潜在する願望を取り入れて描かれたものではなかったか・・・、そんな気がしてきたのです。それほど、『理口者』という作品には江戸時代の女性に対する私の固定概念を崩す力がありました。

 さて、浮世絵には肉筆画と木版画がありますが、会場で掛軸として展示されているのが肉筆画で、額装されて展示されているのが木版画でした。そして、本企画の原点となった春画は、第十章「色恋―たのしむ」のコーナーで20数点展示されていました。ここでも浮世絵ならではの洒脱な画材、構図が印象的でした。老若男女を問わず、大らかに性を楽しんでいた様子が浮き彫りにされていました。

 それでは、春画以外で印象に残った浮世絵をいくつかご紹介していくことにしましょう。

■『風俗士農工商』

 興味深いタイトルに引かれ、立ち止まって見入ってしまったのが、三枚で一組になった大判の錦絵でした。渓斎英泉が描いたものです。


千葉市美術館所蔵

 左側に二人、中央に三人、右側に二人と計七人の女性が描かれています。どの顔も同じような容貌で描かれていたせいか、絵柄はそれほど印象に残りませんでした。ところが、その上方の余白に書かれた文字を見て驚きました。「風俗士農工商」と書かれているのです。この文字を見てから、改めて画面を見ると、女性たちは皆、同じような面立ちですが、髪の結い方、衣装、履物、持ち物などは大きく異なっていることに気づきます。

 左側の二人は明らかに働く女性です。腰を下ろしている女性は藁で作った包みにシジミのようなものを入れて売っています。一方、立っている女性は左手に薬缶を持ち、右手で大きな桶を抱え、そこには湯呑茶碗と弁当のようなものが入っています。この女性はおそらく、農作業をしている人々に食事を運んでいる農婦なのでしょう。川で獲ったシジミを売る女性、農作業の合間に食事を運ぶ女性、この二人がセットで「農」としての身分が表現されています。

 画面中央に描かれた三人のうち真ん中の女性は扇を持ち、足袋を履き、着物の柄も他の二人に比べて一段と豪華です。当時、武士の女性は外出する際、扇を手にするのがたしなみだとされていましたから、明らかに武家の女性です。口元を見るとお歯黒ですから、きっと武士の奥方なのでしょう。左右にお付きの女中を従えています。こちらの三人は女性の姿を借りて、身分としての「士」が表現されています。

 そして、右側の二人も左側と同様、明らかに働く女性です。二人とも素足に高下駄を履き、右の女性は黒い法被のようなものを着て、肩には金槌や鉋のようなものを担いでいます。明らかに大工の装いですが、江戸時代、女性も大工として働いていたのでしょうか。ちょっと調べた限りではそのような記述は見当たりませんでした。ですから、これもまた、浮世絵美人の姿を借りて、「工」という身分を表したものなのかもしれません。

 大工の隣の女性はいかにも花魁らしく、結った髪に豪華な簪を挿し、上等の着物に前結びの帯をしています。身なりから判断すると遊女ですが、身分としては何に相当するのでしょうか。すでに「農」と「士」は描かれていますから、消去法でいえば、右側の二人には「工」と「商」が割り当てられているはずです。大工姿の女性は明らかに「工」を表しているので、遊女は「商」と分類されているのでしょう。どうやら風俗業は当時、商業と捉えられていたようです。

 この作品では、江戸時代に制度化されたといわれる「士農工商」という身分が、女性の姿を借りて見事に表現されていました。まさに一目瞭然という言葉通りでした。生業によって身分が固定化され、それに応じて、女性たちの身なり、ヘアスタイル、持ち物などが厳格に規定されていたことがわかります。

 外面を構成する諸要素がこのように身分によって厳格に規制された結果、まるで記号化されているかのように、誰が見てもその身分がすぐにわかる仕掛けになっていたのです。ところが、どういうわけか、女性たちの顔は一様に浮世絵の美人顔なのです。身分制度を表現した錦絵にもかかわらず、女性の容貌にはひとかけらの差異も見出せません。それが私には不思議でした。

■なぜ女性の姿で身分制度を描いたのか

 興味深く思い、この展覧会の図録を広げてみました。すると、本展の監修者である石上阿希氏が冒頭、「浮世絵は何をうつしたのか」という文章の中で、「なぜ渓斎英泉は敢えてこれほど均一的な人物群像図を描いたのか」と問いかけ、その理由をこの作品が「見立絵」だからだと記している箇所を見つけました。私は見立絵というものを知りませんでしたが、石上氏はこれについて以下のように説明しています。

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「見立絵は古典や史実などを題材として当世風俗で描くことで重層的なイメージをつくりだし楽しむものであるが、英泉はこの手法で、本来様々な年齢層の男女であるべきところの「士農工商」を美人に置き換えて描いた。(中略)これらの絵は、「浮世絵は何をうつしたか」を考える上で一つの重要な示唆を与えてくれる。何故制作者は、「男」の姿のままで実態を写しとるのではなく「女」、正確には「若くて美しい」女の姿で描くことを選んだのだろうか。その理由の第一は、これが多くの人々を対象にした商品だという点である。(中略)つまり、そのままを描いて出版することに問題がある場合、それを回避するために「女」という外見が選ばれることもあったのである。(中略)若くて美しい女のみが描かれるというこの不自然な点はこれらの図に限ったことではなく、多くの浮世絵版画に共通する特徴である。その理由はそれぞれあるにせよ、そこに描かれているのは、当時の社会に存在する多様な人々の中から選ばれたごく一部の人物の、ごく一部の側面であった」

(図録『女・おんな・オンナ』展、2019年4月、pp6-7.より)

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 石上氏のこの文章を読むと、浮世絵だからこそ、美人の姿を借りて描いたということになります。リアルに描くより、その方がはるかに大きな訴求力を持つからでした。さらに、事実をありのままに描いたのでは差しさわりのあるような場合、批判を回避するため、浮世絵美人に差し替えたというようなこともあったのでしょう。

 こうしてみてくると、石上氏の指摘通り、浮世絵を鑑賞するには、描かれたものをそのまま受け取るのではなく、その背景を省察し、描かれなかったものに思いを巡らす必要があることがよくわかります。制約の厳しい社会状況下で描かれたことを考えれば、むしろ、描かれなかったものを省察する方が実態に迫ることができるのかもしれません。

 もっとも、身分制度に縛られながらも、女性は気立てや器量、意思や機転などによって、その人生を変えることができたようです。さまざまな女性の暮らしを雙六の形式で表現した浮世絵がありました。『新板娘庭訓出世雙六』というタイトルの作品です。

■『新板娘庭訓出世雙六』

 渓斎英泉は、一枚の錦絵に女性の人生のさまざま段階を雙六形式で表現しています。


江戸東京博物館所蔵

 振り出しとして、生娘、女房、おてんば娘、めかけ、花嫁等が設定されており、サイコロを振って出た目数に従って進むというゲームです。上がりは「万福長者極楽隠居」でした。子守りや茶屋女、針医者など様々な女性の職業を経て、人生の終盤に至るのです。女性の人生は容貌や心がけ次第で出世したり、没落したりすることが、雙六を通して表現されていました。たとえば、おてんば娘の場合、育ち(出生身分)が悪ければ飯盛り女にしかなれず、蓮っ葉もの(性分)だと茶屋女、器量(容貌)が良ければ妾に慣れるといった具合です。

 この雙六には、どんな立場にいても心身を磨き、努力していれば、それなりの境遇が得られるという教えが含まれていますから、タイトル通り、女性に対する教訓集だったと見ることができます。面白いと思ったのは、上がりが豊かな楽隠居に設定されていたことでした。当時、家族に支えられ、経済的、時間的に余裕のある暮らしが理想とされていたようです。今も昔もその点では同じだと思い、彼女たちが急に身近に思えてきました。

 それにしても江戸の人々はなんとユニークな発想をしていたのでしょうか。出生時の身分がどうであれ、容貌や気立てなどによってその後の人生が好転することもあれば、暗転することもあるという人生訓が雙六というゲームの中で示されているのです。とても示唆深く、見ていて飽きることのない作品でした。

●「紫絽地鷹狩模様染縫小袖」

 会場に入ってすぐのコーナーで、江戸時代の着物が展示されていました。「紫絽地鷹狩模様染縫小袖」というもので、武家の女性が着用した小袖だと説明されていました。絽の生地に雪景色が描かれており、生地には風通しの良さ、絵柄には涼を感じさせる工夫が見られます。

 そういえば、浮世絵はどれも、着物がとても精緻に描かれています。絵柄はもちろんのこと、生地の質感も容易に想像できるほど丁寧に描かれているのが印象的でした。当時の女性たちが装うことに関心を抱いていたからでしょう。細部まで丁寧に描かれているところを見ると、ひょっとしたら、浮世絵は着物のカタログの役割を果たしていたのかもしれません。

 国産の生糸生産量は江戸時代に大幅に増加したといわれています。社会が豊かになるにつれ、女性たちの関心が装うことに向かい、浮世絵がそれに拍車をかけたからだと思います。浮世絵によって女性が可視化され、絵柄までも精緻に描かれた着物や帯が女性たちの消費意欲を喚起したのでしょう。

 生地の製法、染色等の技術、デザインなどが高度化し多彩な反物を生産できるようになるにつれ、呉服屋も繁盛していきました。そんな様子が描かれている浮世絵が何点か展示されていました。ご紹介しておきましょう。

■『かいこやしない草』

 着物に関する浮世絵で会場に展示されていたのは、『かいこやしない草』の第五と第十二の2点です。まず、第五から見ていくことにしましょう。これは北尾重政の作品です。


神奈川県立歴史博物館所蔵

 女性が桑の葉をちぎりもせず、そのまま蚕に与えている様子が描かれています。説明書きを見ると、「蚕は大眠(第4眠)を脱皮した後、桑の葉をたくさん食べるようになるので、刻んでいては間に合わないから」と書かれています。生糸の生産を急いでいる様子がうかがえます。

 子連れで働きに来ているのでしょうか、右側の女性の後方には子どもが張り付き、なにやらむずがっている様子です。左側の女性はそちらを気にしながら、せわしく手を動かし桑の葉を巻いています。働いている二人はいずれも裸足です。

 その二人をまるで監視しているかのように、下駄をはいた女性が見ています。ここでは三者三様、着物や帯の柄や生地の質感が丁寧に描かれており、身分の差がはっきりと表現されています。

 彼女たちが育てた蚕から繭が生み出され、生糸になります。その生糸を織ると反物となり、染色等の工程を経て、多種多様な女性の装いとなっていきます。

 第十二は、呉服屋が武士のお屋敷を訪問し、反物の説明をしているシーンが描かれています。作者は勝川春章で、中版の錦絵です。


太田記念美術館所蔵

 反物を持参した呉服商が、女性に説明しているシーンが描かれています。呉服商は膝に反物(「ちりめん」と書かれた紙)を置き、にこやかに説明しています。縮緬の反物を使えばこのような素晴らしい着物に仕上がりますよ、とでも説明しているのでしょう。

 女性は思案しているのか、長い煙管を口から外し懐中に手を入れたまま、着物の仕上がりパターンをじっと眺めています。後方の女性は反物を手に取ってしげしげと柄を眺め、生地の手触りを確認するかのように広げています。ここでも三者三様、着物の文様、色合い、素材感などが見事に表現されています。

 背後には風景を描いた屏風が置かれ、 女性は手の込んだ文様の着物を着ていますから、きっと裕福な家なのでしょう。だからこそ、呉服商はたくさんの反物を携えて訪問しているのです。現在に置き換えれば、デパートの外商に相当するのでしょう。呉服商の背後には三井のマークの入った大きな長持ちが置かれています。

 1683年に創業された越後屋三井呉服店は、店頭販売と定価販売で庶民の気持ちを捉え、繁盛したといわれています。店頭販売に力点を置くことによって、庶民が着物を購入しやすくなったことは確かでした。量産された浮世絵によって可視化された女性像が、女性の潜在的な欲求をあぶりだし、着物の販促効果を高めていったと思われます。

 そういえば、いずれの絵にも上方に説明書きがそえられていました。浮世絵と文字との馴染みがよく、当時の絵師や出版業者のセンスの良さがよくわかります。文字による説明を画面に配置することによって、内容がより正確に伝わる効果があります。こうしてみてくると、浮世絵は一種のジャーナルとして機能していたのではないかと思います。

 さて、『かいこやしない草』については東京農工大学附属図書館が電子書籍を出していますので、ご紹介しておきましょう。

こちら →http://web.tuat.ac.jp/~biblio/electron/files/ukiyoebook.pdf

 浮世絵によって女性が可視化された結果、美しくなりたいという女性の潜在欲求が喚起されました。それに伴い、生糸をはじめ、着物関連の生産者、仲介業者、消費者が相互に関連し合いながら、経済の活性化が進んでいきました。まず生糸産業が活性化し、社会が経済的に豊かになっていく過程で浮世絵が大きな役割を果たしていのです。

 浮世絵によって女性が可視化されたことで変化したものがもう一つあります。それは見られる存在としての市井の女性の登場です。

■『柳屋お藤』

 それまで美人として人々からもてはやされていたのは遊女か役者でした。ところが、経済的に豊かになってくると、町娘たちも装いを凝らし、輝き始めます。浮世絵師たちは好んで市井の美女を描くようになりました。明和の時代、名を馳せたのが、笠森お仙と柳屋お藤でした。お仙は水茶屋、お藤は楊枝屋の看板娘でした。

絵師の鈴木春信はこの二人をセットで何枚か描いています。

 左がお藤で、右のお茶を出している女性がお仙です。どちらも同じような浮世絵の美人顔でした。絵を見ているだけでは、美人と評判のこの二人のどこがどのように美しいのかわかりません。そこで、調べて見ると、『売飴土平伝』の中に二人の容貌を比較した文章があり、その内容が紹介されていましたので、ご紹介しておきましょう。

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 若き日の大田南畝は、『売飴土平伝(あめうりどへいでん)』(鈴木春信画)のなかの「阿仙阿藤優劣弁(おせんおふじゆうれつのべん)」という文章を書いて、二人の美女の容貌を比較し、論評している。 それによれば、お仙は「琢(みが)かずして潔(きれ)いに、容(かたち)つくらずして美なり」と化粧や髪飾りに頼ることなく、「天の生(な)せる麗質、地物の上品」をそなえているとする。一方のお藤は、眉を淡く掃き口紅は濡れたように化粧上手、象牙の櫛や銀の簪で髪を美しく飾って、隙(すき)がない。俗にいう「玉のような生娘(きむすめ)とはそれ此れ之を謂うか」と嘆賞する。両者の美の雌雄は決しがたく、人気も二分されて軍配の上げようがなく困ったところに王子稲荷大明神が現れて裁定を下し、決着する。お藤の方は浅草という繁華の地に在るのに対して、お仙の方は谷中の端の日暮里(ひぐらしのさと)という郊外で、しかもいち早く評判を取ったことから、お仙が勝ちとされるのである。「一たび顧みれば、人の足を駐(と)め、再び顧みれば、人の腰を抜かす」

https://julius-caesar1958.amebaownd.com/posts/4202761より)。

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 上記の文章を読むと、二人の美しさの違いがよくわかります。笠森お仙の方は化粧もせず、若さが匂い立つような美しさで、柳屋お藤の方は化粧上手で、都会の女性らしい磨き込んだ美しさがあったようです。

 さて、会場で展示されていたのは、北尾重政が描いた『柳屋お藤』で、細判紅摺絵です。


国立歴史民俗博物館所蔵

 楊枝屋の看板娘だったので、商品を展示した店先に立っている姿が描かれています。髪の結い方、ちょっとした仕草などに都会的で洗練された美しさがあるような気がします。実際、お藤は、先ほどご紹介したように化粧上手で、美しく見せるのが巧みな女性だったようです。

 浮世絵で描かれることによって、アイドル的な存在になっていったのが、笠森お仙であり、柳屋お藤でした。実際に美しかった小売店の看板娘が、浮世絵で描かれることによって著名になり、さらに多くの人々を惹きつけました。

 彼女たちが店先に立てば、評判を聞きつけてやってきた客たちが競い合ってお茶を所望し(笠森お仙)、楊枝(柳屋お藤)を買い求めます。美人による販促効果は抜群でした。浮世絵は当時、広報メディアとしても大きな役割を果たしていたことがわかります。

■浮世絵は何を育んだのか

 この展覧会のサブタイトルは「浮世絵にみる女のくらし」です。その名の通り、さまざまな浮世絵を通して女性の生活状況がわかるように構成されており、とても見応えがありました。

 それにしても、男性中心の身分制社会の下で女性たちはなんと逞しく、そして、しなやかに生きていたのでしょう。展示された浮世絵には、一生懸命に生き、生を謳歌していた女性の姿が随所に浮き彫りにされており、とても勇気づけられました。

 一方、一連の浮世絵からは、身分の違いを問わず、「よそおう」ことが女性たちにとってきわめて重要だったことが見えてきました。庶民の女性たちはいくつになっても働き者で慈愛深く、身綺麗にしておくことが求められ、身分の高い女性は対面を保つため、格式のある装いと態度振る舞いを求められていたのです。

 そして、浮世絵は美人画という形式で女性を可視化し、美しくなりたいという女性の潜在欲求を喚起しました。しかも、着物や帯が多色摺りで精緻に描かれますから、女性にとっては商品カタログの役割も果たしていました。その結果、浮世絵が庶民の娯楽として定着していくと、着物の需要が高まり、生糸が増産され、染色技術、デザイン力、縫製技術などが高度化していきました。浮世絵が経済活性化の糸口を開いたといっていいでしょう。

 庶民の女性たちが装いを凝らして輝き始めると、絵師たちが美しい市井の娘たちを描くようになります。彼女たちは浮世絵に描かれることによってアイドル化し、著名になっていきました。もちろん、その販促効果は抜群で、商品流通の活性化にも寄与しました。

 浮世絵は肉筆画から多色摺りの木版画(錦絵)の過程を経て、庶民の娯楽となっていきました。女性はもちろん男性もまた浮世絵の消費者になっていったのです。それに伴い、政治権力からの圧力を回避し、厳格な規制を低減化する知恵が生み出されたような気がします。浮世絵の画面から透けて見える楽観性、諧謔性はまさに庶民の知恵といえるものでしょう。

 浮世絵によって育まれた庶民の精神的パワーこそが、ひょっとしたら、幕末の混乱から維新後の改革をしなやかに受け入れた日本人の精神の土壌となっていたのかもしれません。(2019/5/29 香取淳子)

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