ヒト、メディア、社会を考える

シンガポール美術館で見た栗林隆氏の作品

シンガポール美術館で見た栗林隆氏の作品

■Singapore Art Museum at 8Q
 美術館や博物館を訪問する予定だったので、今回はMRTブラスバサー駅近くのホテルに宿泊することにしました。この地域には美術館や博物館が多く、なにかと便利だろうと思ったからです。駅を出るとすぐ目の前がシンガポール美術館です。

こちら →シンガポール美術館 (640x480)

 そこから、2分も歩かないうちに分館であるSingapore Art Museum at 8Qに着きます。ホテルに向かってクィーンズ通りを歩いていると突然、「Cool!(カッコイイ!)」という声が聞こえたので、声の方向に近づいてみると、ショーウィンドウ越しになにやらオブジェのようなものが見えます。

こちら →ショーケース木

 さらに近づくと、木の断片が入った透明のケースを組み合わせた不思議な造形物が展示されているのが見えました。おそらく木を模したものなのでしょう。道路に面したショーウィンドウが実はSingapore Art Museum at 8Qの展示スペースになっているのです。このショーウィンドウは「コ」の字型の建物の道路側部分に相当します。

こちら →
http://www.yoursingapore.com/see-do-singapore/arts/museums-galleries/8q-sam.html

 作品の脇のパネルには、「TAKASHI KURIBAYASHI, Trees, 2015, Mixed media installation」と書かれています。どうやら制作者は日本人のようです。「Trees」という作品タイトルの下には、「What is our relationship with nature?」と題された文章が続きます。ですから、これが2015年に制作されたTakashi Kuribayashi氏の作品で、問題提起型のインスタレーションだということがわかりました。

 紹介文ではさらに、「Takashi Kuribayashi is an established Japanese artist whose work focuses on the boundaries that separate human civilization from the nature world」と記されていました。「Kuribayashi氏は定評のある日本人アーティストで、人類文明と自然界を区別する境界領域に焦点を当てて制作をしている」というのです。

■栗林隆氏の「Trees」
 ホテルに着くとさっそくwifiに接続し、ネットでチェックしました。すると、Takashi Kuribayashi氏が現代美術アーティストの栗林隆氏だということがわかりました。これまでにも何度かシンガポールで作品の展示をされているようです。さらに、シンガポール特派員ブロガーの仲山今日子さんが栗林氏の展示に関する記事を書いていたのを見つけました。

 彼女は次のような説明文を寄せています。

「シンガポールの都市開発で切り倒されてしまう木を輪切りにして、ガラスのボックスに封じ込めたもの。栗林さんのテーマは、「ボーダー(境界線)」。自然とは何か?と考えると、公園の木は、「自然界に存在する」という意味では「自然」、だけれども、「人の手が加わっている」という意味では、「不自然」。

自然なのか、不自然なのか?人間の解釈によって変わる、そのあいまいな境界線を表現したそう。木にからまるシダ類も、日向と日陰に間、つまり境界線に存在している、あいまいな存在を表現しているのだとか。

初日にも関わらず、木から出た樹液が既にたまっているボックスもあり、切り離されたひとつひとつの生命体のような気が、閉じられたガラスのボックスの中に、まったく新しい小さな宇宙を創りだしているかのようです」
(http://tokuhain.arukikata.co.jp/singapore/2015/03/post_315.html より)

 おそらく展示初日に取材されたのでしょう、樹液がボックスにたまっていたといいます。それだけでこのインスタレーションの衝撃力が生々しく伝わってきます。取材を終えた時に撮られた写真なのでしょうか、作品の背後に栗林氏が写っています。

こちら →栗林 木th_IMG_6294
仲山今日子氏の撮影。図をクリックすると拡大されます。

 ショーウィンドウの外から見ていただけではよくわからなかったのですが、この写真を見ると、その素晴らしさがよくわかります。覗き込んでいたヒトが「Cool!(カッコイイ!)」と大声を出していた理由も納得できます。

 この作品に出会ったヒトは誰でもまず、視線を透明のボックスの中にあるものに投げかけるでしょう。いったい何が入っているのだろうという素朴な疑問に駆られ、思わず視線を凝らしてしまうはずです。そして、何が見えてきたかといえば、切り取られた木の断片です。たとえば、こんなふうなものです。

こちら →木の根
仲山今日子氏の撮影。図をクリックすると拡大されます。

 ボックスに入っているのは木の根です。その根に黄緑色の小さな葉が付いています。切り取られても生命力を失ったわけではなく、土に戻せばそこから再び、芽がすくすくと伸びてきそうです。さらに、切り取られた木の根が透明のボックスに入れられることによって、このモチーフがいくつもの意味をもってきます。

 つまり、木を切り取るという人為的な行為、切り取られても黄色い葉を付け、いつでも生き返ることを示唆する木の生命力、そして、切り取られた木の根が収納されているのが、自然界には存在しないヒトが作った人工のボックス・・・、といった具合に、ヒトと自然界がかかわる3つの位相が巧みに表現されているのです。それがこのインスタレーションの基本的構成要素になっています。

 木の断片が入った透明ボックスを構成単位に、まるで積み木のように組み合わされて再構成された「木」には、自然界にはない強度と洗練された美しさが感じられます。まさに現代社会が象徴されているといえるでしょう。

 文明の名の下にヒトが行ってきたことといえば、木を伐り、その断片を一つずつガラスケースに入れて強度を高め、木に見えるようにつなぎあわせているにすぎないのかもしれません。自然を処理し、加工し、ヒトに都合よく保存し、再構成してみても、それは決して元の自然ではありません。

 栗林氏は鋭い文明批判をこのように含蓄のあるインスタレーションで表現しているのです。しかも、この作品はとても美しく、ヒトを引き付ける魅力があります。白黒で撮ると、さらに洗練されたイメージになります。

こちら →
http://www.oninstagram.com/photo/trees-by-takashi-kuribayashi-945574558285475865_13379139
(http://www.oninstagram.com/takashikuribayashi より)

■境界線に想いをこめて
 シンガポールでこんなに素晴らしい日本人アーティストの作品に出会えるとは思いもしませんでした。この作品を制作した栗林隆氏に興味を覚えました。調べてみると、たしかに「境界線」は彼にとって永遠のテーマのようです。

こちら →http://www.maujin.com/2012/archive/kuribayashi_takashi/

 どうやらドイツ留学が現在の栗林氏の核を作り上げているようです。境界線を意識して生活せざるをえなかったドイツに留学し、アートとは何か、生きるとは何か、表現するとは何か・・・、さまざまに考えを巡らせたのでしょう。

 境界線について彼は以下のような考えを示しています。

「境界線は人間同士や自然の中など、さまざまなところにあり、最もエネルギーに満ちた場所だと思っています。例えば、国境もそう。ヨーロッパはEUとしてボーダレスな世界を目指していますが、境界を取り除くほどに矛盾点が際立っているように見えるのが興味深いです」(前掲HPより)

 栗林氏が「境界線は(中略)最もエネルギーに満ちた場所だと思っています」と述べているところに私はとても興味を覚えました。

 たしかに、紛争は国境周辺で発生しやすく、異なる人種が交じり合えば緊張がみなぎりやすいのが通例です。モノやヒトの交流が日常的に行われていたとしても、いざとなれば、境界線を境に双方が挑みあうからです。かつてのベルリンのように壁を作ったとしても電波は洩れてきますし、ヒトは生命の危険に晒されても、より豊かな側に移動しようとします。

 境界線がある限り、その両側に差異が生み出され、その差異が原因となって両側が緊張し、エネルギーが醸成され、蓄積されていきます。ですから、栗林氏のいうように「もっともエネルギーに満ちた場所」になるのでしょう。境界線はまた異文化との出会いの場でもあります。

 栗林氏は「節目となった展示会」として、「トーキョーワンダーサイト2003」と「シンガポールビエンナーレ2006」をあげています。展示作品は「Emperors World 2003」と「Aquarium」で、いずれも境界線に関連するモチーフです。

こちら →ootb_002
「Emperors World 2003」
(http://www.tokyo-ws.org/archive/images/ootb_002.jpg より)

こちら →aquarium
「Aquarium」(2006)
(http://www.takashikuribayashi.com/#!/zoom/c40q/imageucu より)
 
 境界線というテーマを作品化する際、彼はペンギンや水槽をモチーフにしています。境界線を象徴する生き物として、あるいは場所としてそれらを想定しているからでしょう。

「ペンギンという生き物は、アザラシと同様に水中と陸上といった境界線を行き来する生き物です。そして、ペンギンは空を飛べないのに水中では飛んでいるように勢いよく泳ぐ。そういう中途半端な生き物なのに、体の模様は白と黒でハッキリしている。だから、僕にとっては非常に不思議な存在であり、境界線を象徴する生き物のように見えるんです」
(前掲HPより)

■アートの力
 シンガポール美術館の本館では「After Utopia」(1May-18Oct 2015)などいくつかの展覧会が開催されています。

こちら →http://www.singaporeartmuseum.sg/exhibitions/current.html

 そちらも見たのですが、栗林氏の作品を見た後ではどの展示作品にも物足りなさを覚えてしまいました。作品の形態はさまざまでしたが、何を伝えたいのか、作品として引き付けるものがあるか、見て美しいか、等々の観点から見ると、どれも栗林氏の作品にははるかに及ばないのです。

 さて、栗林氏は2006年のシンガポールビエンナーレの後、シンガポールについての感想を聞かれ、こんなふうに述べています。

「規制の厳しい国だって言われてるよね。政治や歴史、民俗を背景にしたいろんなタブーが多い国に、35か国から大勢のヨソモノがやって来て、街なかでアートをやった。どんな社会にもタブーはあって、内側の人はそれを暗黙のうちに、見ないように触らないようにして暮らしている。そうして保たれている街や社会という存在そのものに対して、ズバリと提示されると、人は目を開き、考えずにはいられなくなる。それがアートの力だと思ってるんです。ある意味でメディアや権力や政治以上に危険なものかもしれないね」
http://rootculture.jp/2006/11/_interview.html より)

 国が行う規制もなんのその、アートの力に対する揺るぎない信念がこの文言の背後に垣間見えます。ドイツをはじめさまざまな国で表現活動を展開し、ヒトの反応を読み込んできたからこそ到達しえた見解なのでしょう。今回のシンガポール訪問で、日本の現代美術アーティストが国境という境界線をアートの力でやすやすと乗り越え、地元のヒトを虜にしていく力量に触れることができました。喝采を送りたい気分です。栗林氏は現在、インドネシアを拠点に活動しておられるとのこと、「境界線」というモチーフの宝庫を踏み台に、さらに素晴らしい作品を!と期待しています。(2015/6/29 香取淳子)

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