この頃、カイユボットはプロレタリアートの働く姿を捉える一方で、実は、ブルジョワジーの姿も描いていました。今回はそれらの作品を見ていくことにしましょう。
■パリの邸宅を舞台に描く
カイユボットは、1876年(4月11日から5月9日)に開催された第2回印象派展に、作品を8点、出品しました。そのうち、プロレタリアートを対象にしたものが2点、4点がブルジョワジーを対象にしたものでした。
今回、ご紹介するのは、ブルジョワジーの生活を描いた4点のうち、《窓辺の男》(1875年)と《ピアノを弾く若い男》(1876年)の2点です。いずれもパリの邸宅を舞台に描かれています。
それでは、1875年に制作された《窓辺の若い男》から見ていくことにしましょう。
■《窓辺の若い男》(Jeune homme à sa fenêtre、1875年)
若い男性が、窓際に立って外を眺めている様子が描かれています。後ろ姿なので顔はわかりませんが、弟のルネ(René Caillebotte, 1851-1876)だといわれています。カイユボット(1848年8月19日生まれ)には弟が二人いますが、ルネはすぐ下の弟で、2歳半、年下になります。

(油彩、カンヴァス、117×82㎝、1875年、J. Paul Getty Museum, Los Angeles蔵)
ジャケットのポケットに手を入れ、両脚を踏ん張るようにして立っているせいか、マッチョな印象があります。ややなで肩ですが、しっかりとした体躯に見えます。ところが、実際は体が弱く、自宅で療養をしていたようです。この作品が描かれた1年後の1876年11月1日には、26歳の若さで亡くなっているのです。
窓を大きくあけ放って外を眺めている姿は、まるで外気をふんだんに取り込もうとしているように見えます。あるいは、新鮮な外気を吸い、大改造されたばかり街の風景をしっかりと目に焼き付けようとしていたのでしょうか。
ルネは、一年後にはこの世を去っています。そう思うと、逆光で黒く見える後ろ姿全体が寂しく、悲しそうに見えます。表情をうかがうことのできないのに、切ない思いに駆られてしまいます。
興味深いことに、ルネは大きくあけ放った窓の右端に立っています。そのせいで、内側に引いたガラス窓にその影が淡く映し出されています。たった一人しか描かれていないのに、画面に人の気配が感じられます。
しかも、まるで街の風景を自分以外の誰かに見せようとしているかのように、ルネは、左側を大きく開けて立っているのです。おかげで観客の視線はごく自然に、背景の街並みに向かいます。
バルコニー越しに見えるパリの街並みは、淡い色彩でまとめられており、洗練されたパリの様相が強く印象づけられます。ルネの右側の大きな窓ガラスもまた、淡いグレーで彩色されています。窓の外に広がるパリの街と似たような色調なのです。
この色調のおかげで室内と室外とに連続性が生まれ、統一感が生み出されています。内と外とがみごとに一体化しているのです。絶妙な構図あり、色構成です。
室内と室外との境界線になっているのが、ロココ調のオシャレな窓柵です。拡大してみることにしましょう。

(※ 前掲、部分)
宮廷文化を踏襲したようなこの窓柵は、優美な曲線で造形されています。転倒防止の機能だけではなく、デザインや造形の美にこだわったナポレオン三世治世下の美意識が感じられます。
窓のすぐ下を見ると、馬車が待機しており、その先には女性が一人、ドレスの裾を引きずるようにして歩いているのが見えます。ルネが眺めているのは、どうやら、その先の遠方の建物のようです。そこで馬車が一台、待機しているのが見えます。
辺り一帯は瀟洒な建物が整然と立ち並び、大改造したばかりの美しいパリの風景が淡い色調で写実的に描かれています。
カイユボットの父親が建てたこの邸宅は、ミロメニル77番地とリスボン通り13番地の角地に建っていました。ルネが立って外を眺めているのは、ミロメニル通りに面した窓だといわれています(※ http://caillebotte.net/work/index.php?no=032)。高級住宅地として開発された地域です。
カイユボットはもう一人の弟、マルシャルマルシャル(Martial Caillebotte, 1853-1910)の姿も描いていました。
■《ピアノを弾く若い男》(Jeune Homme au Piano, 1876年)
レースのカーテン越しに、柔らかな陽射しが室内に入り込んでいます。穏やかな陽光が、ピアノを弾く若い男性の背中と肩、そして、鍵盤に置かれた両手を明るく照らし出しています。見るからに幸せそうなひと時が描かれています。

(油彩、カンヴァス、81.3×116.8㎝、1876年、アーティゾン美術館蔵)
演奏会が近づいているのでしょうか、男性は譜面に視線を注ぎ、演奏に余念がありません。譜面台の傍らには分厚い楽譜集のようなものが三冊ほど、置かれています。鏡面仕上げのグランドピアノがブルジョワジーの生活の一端を垣間見せてくれます。
モデルとなっているのは、音楽家で写真家の弟、マルシャル・カイユボット(Martial Caillebotte)です。ギュスターヴ・カイユボット(Gustave Caillebotte)とは4つ違いですが、大変仲が良く、マルシャルが結婚するまで一緒のアパートに暮らしていました。この作品はマルシャルをモデルにした作品の中では最初のものだと言われています。(* http://caillebotte.net/blog/info/328)
1886年に撮影された二人の写真があります。向かって左がマルシャル、右がギュスターヴ・カイユボットです。

(※ Wikipedia)
この写真からは、カイユボットが弟よりもかなり背が低く、小柄だということがわかります。《床の鉋かけ》(1875年)を見た時から、華奢な体躯だろうと想像していたのですが、この写真でそのことを確認することができました。
さて、描かれた室内はいかにもブルジョワジーのものらしく豪華で、優美な仕様になっていました。カーテンや壁紙は繊細で優美な文様が織り込まれ、しかも、重厚感があります。カーテンのタッセルもまた多くのボンボンが付いた装飾性の高いものでした。

(※ 前掲、部分)
カーテンといい、壁紙、絨毯といい、椅子といい、すべてが豪華な仕様で仕上げられた室内で、ひときわ存在感を放っているのが、光沢のある黒のグランドピアノです。部屋が狭く感じられるのは、マルシャルが弾いているのがグランドピアノだったからでしょう。
■ブルジョワジーを象徴するピアノ
ピアノはもともと、王族や貴族社会の中で発達してきました。ところが、フランス革命後、王族や貴族が没落していくと、ピアノは新興ブルジョワジーの趣味として定着していきます。ナポレオン三世の下で羽振りを利かせていたカイユボット家がまさにその一例です。
ピアノ演奏の場もそれに合わせるように、ブルジョワジーや亡命貴族たちの社交の場としてのサロン、あるいは、コンサートホールへと移っていきました。
19世紀前半のフランスでは、エラール(Erard)とプレイエル(Pleyel)がピアノ・メーカーとして競い合っていました。1834年頃の年間生産台数は1000台に達し、1870年代からは生産台数2500台を維持していたそうです。(https://xstage.kuragemoyou.com/archives/14146)。
マーシャルが弾いているのがどちらのメーカーのピアノなのか、よくわかりませんが、拡大してみると、マルシャルの手の上にエンブレムがみえます。装飾文字なので、よくわかりませんが、どうやらエラールのもののようです。
1843年製の両社のピアノを比較したビデオがありましたので、ご紹介しましょう。
こちら → https://www.youtube.com/watch?v=d8GqpKhaMo4
(※ CMはスキップしてください)
エラールのピアノは、19世紀に主にヨーロッパで活躍していたピアニストたちに愛用されたといわれています。それは、作曲家のインスピレーションを喚起するような楽器だったからですが、彼らに愛用されたことによってエラールは発展していきました(※ 『鍵盤楽器辞典』No.12 エラール)。
さて、1876年の印象派展でこの作品が発表された時、何人かの批評家は、困惑したようです。というのも、やや俯瞰した視点で捉えたピアノの造形がアンバランスに見えるたからでした(* http://caillebotte.net/blog/info/328)。
そういわれてみれば、確かに、ピアノの形が少し歪んで見えます。幅と奥行きのバランスが実物とは異なっているように思えます。大きなグランドピアノを無理やり画面に入れ込もうとしたせいでしょうか。ピアノの形状に違和感はありますが、この絵の雰囲気を壊してしまうほどアンバランスだというわけでもありません。
この作品は、ピアノをモチーフの一つにすることによって、当時のブルジョワジーの生活を象徴的に表現することができています。
さきほどご紹介した《窓辺の若い男》(1875年)の場合、ロココ調の窓柵にブルジョワジーの片鱗を感じさせられました。《ピアノを弾く若い男》の画面にも、レースのカーテンの背後にロココ調の窓柵が見えます。あらためて、この窓柵が、ブルジョワジーならではのアイテムの一つなのだと思い知らされます。
■カイユボットは二人の弟をどう描いたか
まず、カイユボットは、《窓辺の若い男》で2歳年下の弟ルネをモチーフに描きました。逆光の下、背後からルネを暗色で捉え、背景に大改造されたばかりのパリを淡い色調で収めた作品です。室内と室外を明暗の対比の中で捉え、パリの街の風景とブルジョワジーの生活を、色調によって一体化して捉えた構図が秀逸です。
その翌年、4歳年下の弟マルシャルを、豪華な室内でグランドピアノを弾く姿を描きました。王侯、貴族が親しんでいたピアノという楽器が、当時、新興勢力であったブルジョワジーの趣味になりつつありました。当時のリアルな状況がマルシャルの日常生活を通して捉えられていたのです。
両作品ともタイトルに「若い男」という語が入っています。実際、ルネは25歳、マルシャルは23歳でした。実際、若い男であったことは確かですが、敢えてタイトルに入れたところに、新しいことに挑戦する若いエネルギーを表現したかったのではないかという気がします。
たとえば、《窓辺の若い男》では、後ろ姿のルネよりも、その背後で広がるパリの街の風景の方が強く印象づけられます。ルネをモチーフにしながら、詳細に描かれているのは、ロココ調の窓柵であり、パリの街の風景であり、建物でした。いずれも大改造して生まれ変わったパリの街の美しさが淡い色調で写実的に捉えられていたのです。
その画面構成に、パリの街を徹底的に改造したエネルギーへの賛美が感じられます。既存のものを壊し、便利で快適で美しい街づくりを完成させた挑戦心への賛美ともいえるでしょう。
一方、《ピアノを弾く若い男》では、黒光りのするグランドピアノを弾くマルシャルに、当時のブルジョワジーの姿が象徴されているように思えます。王侯貴族の嗜みであったピアノ演奏が、新興階級であるブルジョワジーのものになりつつあった時代でした。
譜面台の横に分厚い楽譜のようなものが三冊ほども置かれていますから、マルシャルはおそらく、相当な練習量を経て、素晴らしい演奏者になっていたのでしょう。何度も練習し、弾きこなせるようになるには、それなりの努力をしなければなりません。
刻苦精励した暁に、成果を手にすることができるという仕組みが、新興ブルジョワジーの成り立ちと共通しているともいえます。王侯貴族ではなく、権力者や大土地所有者でもなく、市民階級がアイデアを実行に移し、努力すれば、それなりの成果が得られたのです。
■ブルジョワジーとしての認識
カイユボット兄弟の父、マルシャル・カイユボット(Martial Caillebotte, 1799-1874)は、ノルマンディに生まれましたが、1830年にパリに引っ越し、フランス軍にベッドや毛布を供給する事業を始めました。軍需で富を得ると、高級住宅街に家を構えたばかりか、別荘や農場、不動産を次々と所有し、パリの再開発にも出資していました。精力的な実業家でしたが、その一方で、セーヌ県の商業裁判所の裁判官でもありました。
初期産業化時代に時流を読み、激変の時代に適応しながら、事業を成功させ、社会的地位を得た人物だったのです。
残念ながら、子どもたちにそのような事業の才能は受け継がれませんでしたが、カイユボットは弟たちを描く中でさり気なく、ブルジョワジーとして破格の成功を遂げた父親を画面に入れ込んでいました。
身体が弱く、26歳で亡くなってしまったルネをモチーフにした作品では、その背後に大改造されたパリの街の風景を描き、父親の事業の一端を表現していました。
仲の良かった弟のマルシャルは実業ではなく、芸術に進路を定めました。彼を描いた作品では、グランドピアノをモチーフの一つに選び、当時のブルジョワ階級の文化的傾向の一端を表現しています。
これらの作品のいずれも、確かなデッサン力、肉付け、微妙な色調の差異に基づいて描かれていることがわかります。おそらく、二人の弟をそれぞれ描き分けようとしていたのでしょう、作品のテイストは異なりますが、いずれもレオン・ボナの下で学んだ写実的な手法で臨んでいます。
カイユボットは、アカデミーが奨励した技術を完全に体得し、当時の時代状況、社会状況を巧みに組み込みながら、弟たちの姿を作品化しました。ブルジョワジーとしての認識があったからではないでしょうか。(2025/3/31 香取淳子)