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メディアは真相に迫れるのか?②:笹井氏会見中継を見て

メディアは真相に迫れるのか?②:笹井氏会見中継を見て

メディアは真相に迫れるのか?②:笹井氏会見中継を見て

2014年4月16日、笹井芳樹・理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(CDB)副センター長の会見中継を見ました。途中で席を立ったりしたので、すべてを見たわけではないのですが、小保方氏の会見よりははるかに専門家らしい会見になっていたと思います。記者の質問も事前によく調べられていたように思えました。

■質問力

今回はとくに女性ジャーナリストが専門領域をよく調べ、的を得た質問をしているような印象を受けました。何人かの女性ジャーナリストが要点を絞り、段階的に核心に迫れるように組み立てて質問をしていたから、そのような印象を受けたのかもしれません。いずれにしても、渦中にある専門家に対して的確な質問をするには、それなりの知識と理解力がなければならないことを今回も感じさせられました。

小保方氏の会見の時から私も、「STAP現象」という言葉が気になりはじめていました。これまで「世紀の発見 STAP細胞」といわれてきたものが、「STAP現象」「STAP細胞」「STAP幹細胞」と三つの専門用語を使い分けられるようになったような気がしていたのです。女性ジャーナリストの質問はそのあたりの違和感を突くものでした。ところが、笹井氏の回答は巧みにそれを回避するものでした。表情を変えず、あくまでも論理に訴えかけようとする笹井氏の姿勢は一貫していました。付け入る隙はありませんでした。

事前によく勉強して練り上げた質問であっても、回答者が答えたくなければ、回避できるということにこの時、気づきました。私が見ている限りにおいて、笹井氏の回答は一事が万事、理路整然としていましたが、言い逃れと自己弁明に終始していたような印象が残り、真相に迫ることはできなかったという不全感が残りました。

■実験ノート見ず、生データを見ずに論文指導

笹井氏は小保方氏の実験ノートを見ることも、生データを見ることもなく論文を指導し、論文の組み立て、執筆を行ったと回答しました。そのような杜撰なやり方でNatureに投稿したというのです。Natureは実績のある研究者が著者として名前を連ねているため、掲載に踏み切ったのでしょう。それ以前に小保方氏がNatureに投稿した時は掲載不可になったそうですから、今回の掲載に果たした笹井氏の貢献は多大なものがあったと思います。それが、自分が担当したのは最後の段階でしかなかったと弁明したのです。

■「未熟な研究者」が研究ユニットリーダー?

理研調査委員会から不正があったとされた小保方氏は理事長の野依氏から「未熟な研究者」といわれ、自分でもそのように弁明していました。論文の流用、剽窃、捏造、これまでに執筆した論文のほとんどにそのような指摘がされています。

詳細はこちら。http://stapcells.blogspot.jp/

本人が「自己流」でやったとその事実を認めています。ところが、その小保方氏の身分はいまだに理研の研究者です。検証研究に小保方氏が参加することについて、笹井氏は「小保方さんはやりたいと言っている。それは一定の理解ができる」と回答しています。文系の人間からすれば、小保方氏の研究者生命は終わっているのですが、理研ではそうは認識していないのでしょうか。

■「未熟な研究者」の「ミスの多い」論文

「未熟な研究者」の「ミスの多い」論文がこのまま放置されるのであれば、日本の真面目な研究者は浮かばれないでしょう。日本の研究者の国際的評価は貶められ、信用されなくなるでしょう。理研調査委員会は小保方氏を「未熟な研究者」だとし、「ミスの多い」論文で「撤回すべき」だとしているのに、小保方氏は「撤回しない」と宣言しました。

論文を実質的に執筆した笹井氏は「論文の撤回は同意する」としていますが、「STAP細胞は有望で合理的な仮説と考える」と言明し、存在の可能性を強調しています。ところが、小保方氏同様、その根拠は挙げられていません。小保方氏よりも論理的な話し方だったので気づきにくいですが、笹井氏もまた、論拠も示さず、STAP細胞の存在可能性だけ主張だけされたのです。

■笹井氏への不信

小保方氏は「未熟な研究者」で済みます。ところが、笹井氏は理研CDB副センター長で、「未熟」どころかベテラン研究者だといわれています。その彼が、生データを見ることもせず、「ミスの多い」論文を執筆し、Natureに掲載されると、ノーベル賞級の成果だとして大々的に発表したのです。

執筆者二人の会見によって、いくつかわかってきたことがあります。それは共著者といいながら、彼らは相互に論議を交わすことなく、データの確認をすることもなく、分業作業で論文を仕上げたということです。実験の得意な研究者が実験をし、論文が何度もNatureに掲載された実績のある研究者が論文を執筆し、最終的には「未熟な研究者」を筆頭研究者に担ぎ上げました。

きわめて不自然な一連の流れの背後にいったい何があったのでしょうか。

笹井氏は論文作成にかかわっただけだとしています。しかも、それはCDBセンター長に頼まれてやったことなのだと弁明しています。自発的にかかわったわけではないと強調していますが、共同研究に必要なデータの確認、研究者間の論議、といった基本的な作業がなされていません。自発的にかかわっていないのなら、普通の手順を踏むはずなのに、今回は複数の研究者のチェックを入れることなく、実質的に論文執筆作業、必要なデータの選定等は笹井氏と小保方氏の二人でなされたようです。

笹井氏の一見、理路整然とした回答からは真相につながるものは何も出てきませんでした。

■理研ははたして研究組織といえるのか

副センター長・笹井氏の会見を見て、理研という組織が研究組織として健全に機能していたのかどうか、疑わざるをえません。「未熟な研究者」をユニットリーダーとして担ぎ上げたことはまだしも、「ミス」「捏造」が発覚しても、笹井氏や丹羽氏が口を揃えるように、「指導しきれなかった、斬鬼の念に堪えない」といっています。ユニットリーダーになるような研究者が「未熟さ」ゆえに「捏造」や「不正」が許されるということが理解できないのです。このような研究者がリーダーを務めている理研ははたして研究組織として健全なのか、といわざるをえません。

■メディアの限界

今回もまたメディアの限界があり、真相究明にはほど遠いことが判明しました。ですが、疑惑をもたれた関係者の会見があれば、少しずつ事実が明らかになっていくことは確かです。無表情に理路整然と話せば話すほど、その背後に何があるのか、ちょっとした質問に揺らぐ表情、そのようなものが真実に一片を伝えます。ですから、メディアは一回だけで真相に迫ることはできませんが、何度も角度を変えて迫れば、少しずつ、真相に近づくことができるのではないかと思います。(2014/4/17 香取淳子)

 

 

 

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