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景徳鎮現代陶磁作品展:「薪火の相伝」に見る伝統と革新

景徳鎮現代陶磁作品展:「薪火の相伝」に見る伝統と革新

■景徳鎮現代陶磁作品展
 2017年6月15日から7月5日まで、日中友好会館美術館で景徳鎮現代陶磁作品展が開催されています。景徳鎮は古くから陶磁器の産地として知られ、私も一度は訪れ、卓越した諸作品を見てみたいと思っていました。

 今回の作品展では、その景徳鎮陶磁器の第一人者である秦錫麟氏とその弟子、邱含氏と陳敏氏の作品が展示されています。

こちら →http://www.jcfc.or.jp/blog/archives/10111

 受け取った案内状には、6月15日に開催されるオープニングイベントで、除幕式の後、作家の邱含氏と陳敏氏による制作実演が行われると書かれていました。願ってもない機会だと思いながらも、残念ながら、当日は所用があり出席できませんでした。

 後日、訪れてみると、会場には、邱含氏と陳敏氏、両氏の師匠である秦錫麟氏の作品、約100点が展示されていました。瓶、水差し、急須、皿、筆入れ、陶板、といった陶磁器作品です。白地を活かして藍色が配色されていたせいか、いずれも清廉な印象の残る作品でした。

 それでは、作品を見ていくことにしましょう。今回は、会場で写真撮影をしませんでしたので、チラシに掲載された作品を中心にご紹介していくことにしましょう。

■秦錫麟氏の作品
 秦錫麟氏の作品でチラシに掲載されていたのが、2012年に制作された青花釉裏紅瓶の「山花烂漫」です。

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 透き通るような白地に流麗な曲線を見せる青色、そして、大胆な赤い花弁の上に散らばった曇った緑色が映えています。このような図案は急須にも茶碗に用いられています。これが、秦錫麟氏が開拓した「現代民間青花」といわれるものなのでしょうか、いわゆる「青花」とは一味違う、現代的な感性を感じさせられます。

 「青花」とは、「青い文様」の意味で白地に青い文様を施した磁器を指します。素地に直接絵付けをし、その上から透明釉をかけて高温で焼くと、顔料が青色に発色します。元代に始まった技法だといわれています。

 この作品は「釉裏紅」で制作されていますが、図録を読むと、この釉裏紅というのが、14世紀の元朝の時代に景徳鎮で発展し、定着した銅系統の彩料を使った下絵付けの技法の一つなのだそうです。上絵付けの赤絵とは違って、顔料配分および焼成温度によって、さまざまな窯変が現れます。赤に緑や紫などの斑が混じったりすることがあれば、血のような真っ赤な色が出たりすることもあり、また、緑に赤い線に囲まれたりすることもあるようです。

 銅元素は高温によって還元する際、微妙な温度差や加熱時間、あるいは焼成環境によって、出来上がりの赤が非常に不安定になるといわれています。思い通りに発色させようとすれば、卓越した技術が必要になりますが、その技術を会得すれば、そのような特色を活かした微妙な色表現が可能になります。

 図録によると、秦錫麟氏は1980年代初期に「現代民間青花」の概念を提唱するとともに、その概念に沿った作品を制作し、理論を革新していったそうです。材料からデザインに至る多方面での研究を行い、現代デザインの理論を踏まえた上で、美意識や陶磁工芸の技術を結合して作品を制作しました。これまでの伝統的な民間青花に現代芸術の感性を加味し、新しい現代民間青花に発展させていいたのです。

 その成果の一つが上記の作品ですが、下記のような作品もあります。

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 これも先ほどの作品と同様、青花釉裏紅で制作された片口大皿で、「夢幻」というタイトルの作品です。繊細な青い縁取りの中、赤い花がところどころに散り、見ているうちに、淡い青のグラデーションで描かれた世界に沈み込んでいくような思いにさせられる幻想的な作品です。白の余白部分がゆとりの効果と奥行きを感じさせます。

 これらの作品以外にも秦錫麟氏の展示コーナーでは、多くの青花釉裏紅で制作された作品が展示されていました。いずれもシャープな切れ味と奥深さが感じられます。なるほど「現代民間青花」といわれるだけのことはあると思いました。

 ちなみに秦錫麟氏は中国工芸美術大師で、数々の栄誉に輝き、現代景徳鎮陶磁器の第一人者です。

 たまたま上海景徳鎮芸術瓦器有限公司のサイトを見てみると、なんと秦錫麟氏の作品が展示されており、当店一番の高額商品はこれと書かれていました。

■邱含氏の作品
 次に、邱含氏の作品をご紹介しましょう。チラシに掲載されていたのは、青花瓶の「山泉幽静」というタイトルの作品です。

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 どういうわけか、この作品は図録には掲載されていません。瓶の口部分が欠損した状態に形作られていますが、口の淵はしっかりと藍色で着色されており、形としても完成形になっています。ですから、いわゆる瓶の口とはいいがたいですが、これも斬新なデザインと考えていいでしょう。印象に残る作品です。

 口部分の特徴のある瓶といえば、図録には「臥石観景閑情逸致」というタイトルの作品が掲載されていました。この作品は口部分が折り曲げられており独特の厚みがあって、重厚感があります。図柄は「山泉幽静」と同様、風景に人物が添えられている点に、邱含氏の作品の特徴が表れています。

 会場で写真撮影をしなかったので、ネットで探してみると同じものはありませんでしたが、この作品と似たような形状と図案の作品がありました。

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 この作品の口部分は折れ曲がっているわけではありませんが厚く、その厚みを活かした装飾になんともいえない味わいがあります。その下に広がる藍色の濃淡で描かれた風景が絶妙です。邱含氏ならではの独自の世界が表現されています。

 会場で一連の作品を見ていると、邱含氏は風景や広い世界からヒトを捉える構図に特色がみられるように思いました。図録で確認してみましたが、改めて、邱含氏の豊かな感性と多彩な能力に驚かされます。

 会場で強く印象に残った粉彩陶板の作品があります。タイトルは「素装大地春」です。これもネットで探してみましたが、同じものは見つけられず、似たような作品がありました。「静聞図」というタイトルですが、こちらは多彩な色遣いで風景が丁寧に描かれています。

こちら →http://gallery.artron.net/works/3091_w188825.html

 微細な濃淡までしっかりと描かれ、木々や岩肌の微妙な表情が捉えられているので驚いてしまいます。ちなみに、邱含氏もまた中国工芸美術大師ですが、最も若いそうです。

 会場で展示されている多彩な作品を見ているだけで、邱含氏が山水をテーマにした青花釉裏紅、現代民間青花装飾、粉彩山水画、高温釉薬装飾、等々の技法に通じていることがわかります。作品を見ていると、とても奥深く、深遠な思想すら感じさせられます。

 会場では山水画が多く展示されていましたが、秦錫麟氏の弟子だとわかる作品も何点か展示されていました。その中で私が惹きつけられたのが、「酔春」というタイトルの青花裏紅の瓶です。白地に赤の図案が散り、その上に曇った緑が浮いたところなど、まさに秦錫麟氏の作品を彷彿させます。

 ところが、これもネットで探してみても、見つかりませんでした。そこで、似たような作品を探してもなかなか見つかりません。なんとか秦錫麟氏の弟子だということがわかる作品をと思い、ネットで見つけた作品をご紹介しておきましょう。

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 「春意盎然」というタイトルの作品です。赤地に曇った緑が浮いたところに、秦錫麟氏の弟子だということがわかります。

■陳敏氏の作品
 最後に陳敏氏の作品をご紹介しましょう。チラシに掲載されていたのは「春風得意」というタイトルの作品で、青花釉裏紅で制作された瓶です。

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 花が咲き乱れ、鳥が飛び、まさに春の情景です。花は赤で表現され、葉が青、そして、小鳥が二羽、下方から上向きで飛んでいます。小鳥を入れた図案が軽やかな動きを感じさせます。白地に大きな部分を占めている花の赤、それよりは小さな面積を占める葉の青、そして、小さな黄色い鳥、形態のバランス、色彩のバランスともに安定しており、居心地の良さがあります。

 安定しているとはいえ、大胆な赤の使い方、青のあしらい方に陳敏氏が秦錫麟氏の弟子だということがわかります。色遣いの大胆さに現代的な感性が感じられるのです。このような赤を活かした図案の中に、黄色の小さな鳥を添えたところにおそらく、陳敏氏の独自性があるのでしょう。この二羽の小鳥を加えることによって、この絵に優しさが生まれました。

 会場で陳敏氏の作品を見ていると、全般的に作品からほのぼのとした優しさが立ち上ってくるのが感じられます。

 たとえば、「紅葉と遊び」という作品があります。

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 これも青花釉裏紅の瓶ですが、瓶の上部を覆うように紅葉が描かれ、その下で遊ぶ二人の子どもの情景が描かれています。遊んでいる子どものそばにも紅葉の葉が散り、全体を優しく包んでいます。この瓶の形状といい、紅葉のバランスと子どもの仕草、表情など、ほのぼのとした温かさ、ヒトの温もりが感じられます。ここに陳敏氏の作品の特徴が表れているように思います。

 もちろん、この作品の赤の使い方、赤の上に浮き出た曇った緑などに、秦錫麟氏の明らかな影響が見て取れます。私はもともと、唐子の絵柄が好きなので、会場に入るとすぐに、陳敏氏の作品に引き付けられました。作品から放たれるなんともいえない優しさに、どういうわけか懐かしさを感じてしまったのです。ちなみに陳敏氏は中国陶磁芸術大師です。伝統の唐子の絵柄に赤や青のエッジの効いた図柄を加えたところが斬新です。

■「薪火の相伝」に見る伝統と革新
 今回の展覧会のタイトルには「相伝」という言葉が使われていました。馴染みのない言葉です。調べてみると、「技を伝える方法で、先生から生徒へ直接教えること。意図的に秘する場合や単純に言葉で伝え難い技法に使われる」という意味だそうです。なるほどと思いました。この展覧会の企画者の意図がタイトルから伝わってきそうです。

 この展覧会で、景徳鎮陶磁器の第一人者である秦錫麟氏とその弟子、邱含氏と陳敏氏の作品を見てきました。初めて見る作品ばかりでしたが、どの作品にも見受けられた伝統と革新の要素が刺激的でした。色彩そのものであれ、配色であれ、形状であれ、配置であれ、それぞれ自身の個性を活かしながら、伝統を踏まえ、革新を添えている、その塩梅が絶妙でした。

 「相伝」の中には伝統を伝える、あるいは、受け継ぐ要素がありますが、必ずしも完璧にそうすることはできないということが今回の展覧会でわかってきました。師匠の技法を弟子が受け継ぎ、制作しますが、コピーのように同じものを再生産するわけではありません。制作過程で最終的に支配するのは、制作者の自我のようなもの、あるいは独自の感性のようなもの、そういうものだという気がします。伝統を踏まえ、革新を紡ぐということはヒトの創作過程では必然のことではないかと、一連の作品を見ながら思いました。とても興味深い展覧会でした。(2017/6/30 香取淳子)

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