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絵画のゆくえ2016:近藤オリガ氏の作品

絵画のゆくえ2016:近藤オリガ氏の作品

■FACE受賞作家展
 「絵画のゆくえ2016:FACE受賞作家展」(2016年1月9日から2月3日まで)が新宿の損保ジャパン日本興亜美術館で開催されています。FACE展2013からFACE展2015までの3年間に、「グランプリ」および「優秀賞」を受賞した作家たち12名の受賞後の作品約80点が展示されています。

こちら →http://www.sjnk-museum.org/program/current/3405.html

『FACE』は新進作家の登竜門として2012年度に創設された公募コンクールです。応募要件に年齢・所属が問われませんから、毎回、幅広い層から多数の応募があります。今年もFACE展2016が2月20日から3月27日まで開催されますが、その前に開催されるこの展覧会はこれまでの『FACE』総決算といえるでしょう。

 今回の展覧会では、受賞後、作家たちがどのような創作活動を展開しているかに焦点が当てられています。新進作家のフォローアップであり、絵画の直近の動向を把握し、未来を予測する手掛かりにもなるでしょう。とても興味深い展覧会です。私はFACE2015しか見ていませんので、ちょうどいい機会だと思い、開催初日の1月9日、出かけてみました。

 会場は作家ごとに展示コーナーが用意され、12名の作家が受賞後に制作された作品約80点が展示されていました。ざっと見渡したところ、私はFACE2013で受賞された作家の方々の作品に強く引き付けられました。展示されていたのは4人の作家の作品でしたが、いずれも画材に工夫の跡がみられ、画力も優れていました。それぞれ個性が際立っており、それこそ新進作家ならではの斬新さが感じられました。

 とくに印象深かったのが、近藤オリガ氏と永原トミヒロ氏の作品です。

 ちょうどこの日、14時から、FACE2013のグランプリを受賞した堤康将氏、そして、優秀賞を受賞した永原トミヒロ氏、近藤オリガ氏、田中千智氏のアーティストトークが行われました。それぞれの作品の前で30分間、作家によるお話しがあり、その後、観客からの質問に応じるという形式のトークです。

 今回はこのときのトークを踏まえ、近藤オリガ氏の作品を見ていきたいと思います。

 FACE2013で近藤オリガ氏が受賞したのは、『思いに耽る少年』(130×194㎝、油彩画、2012年)でした。

こちら →思いに耽る少年

 今回の展示作品の中には含まれていませんでしたが、ここで描かれた少年は近藤オリガ氏の孫で、重要なモチーフの一つです。色調といい、構図といい、西洋絵画の伝統を踏まえた描き方が印象に残ります。

■ベラルーシ出身の画家、近藤オリガ氏
 近藤オリガ氏は1958年ベラルーシ共和国マギレフ市生まれの画家です。ベラルーシ国立美術大学を卒業後、1980年代はベラルーシ国内および東欧で個展、グループ展などで作品を多数発表し、数多く受賞しています。1988年にはベラルーシ美術家連盟の会員にもなっています。1990年代は西欧にも活動の幅を広げ、とくにドイツでは1995年以降、各地で個展を開催してきたといいます。

 2007年に来日してさっそく創作活動を開始し、2008年以降、毎年、公募コンクールで受賞しています。近藤オリガ氏が洋の東西を問わず、高い評価を受けている画家だということがわかります。

 それでは、近藤オリガ氏の展示作品を見ていくことにしましょう。

■ザクロの樹と父の肖像
 まず、『ザクロの樹と父の肖像』(162×162㎝、油彩画、2014年)から見ていくことにしましょう。

こちら →IMG_1740

 この絵を最初に見たとき、不思議な感覚に捉われました。子どもの姿がとてもリアルに描かれているのに、その存在を支える具体的な背景が台座以外に何も描かれていないのです。しかも、幼児の方は正面を向いているのに、その下で幼児を見上げている少女は後ろ姿しか描かれていません。視線が交差していないのです。そして、この二人を包み込んでいるのが、広大な海を彷彿させる空間です。だからでしょうか、私はこの絵を見たとき、時間も場所も消えているような気がしたのです。

 アーティストトークでは、近藤オリガ氏(以下、オリガ氏)はロシア語で話され、ご主人の近藤靖夫氏(以下、近藤氏)が日本語に通訳されました。

 オリガ氏の説明によると、この絵の幼児は父親だそうです。その下で左手を突いて座っている少女がオリガ氏で、画家であった父から子どものときから絵の手ほどきをうけたといいます。この絵の前で彼女は父親に教えられたことをとても感謝しているといいました。

こちら →IMG_1735

 そのような説明を聞いて、改めてこの絵を見ると、今度は幼児がザクロを手にし、少女が手をついている先にもザクロが描かれているのが気になってきます。そういえば、この絵のタイトルも「ザクロの樹と父の肖像」です。ザクロに何か意味が託されていたのでしょうか。残念なことに、私はオリガ氏にこのことを聞きそびれてしまいました。

 調べてみると、ザクロはギリシャ神話の「ペルセポネの略奪」にちなみ、死と復活を象徴する果物なのだそうです。私は知らなかったのですが、中世ではザクロは「再生」の象徴として聖母像によく描かれていたそうです。

 そのような知識を得て、再びこの絵を見ると、オリガ氏の気持ちが痛いようにわかってきます。時間と空間を敢えて排除したようなこの絵の構図からは、もはや時間と空間を共有できない父親への哀惜の思いが感じられます。そして、幼児が手にし、少女の手の先にも置かれているザクロはおそらく再生を意味しているのでしょう。ザクロを配置することによって、画家であった父がオリガ氏を通して再生し、復活しているというメッセージがこの絵からひしひしと伝わってくるのです。

■みかん?それともザクロ?
 会場で一目見て、私が引き付けられてしまったのが、『みかん?それともザクロ?』(116×116㎝、油彩、2015年)でした。ただザクロの実が描かれているだけなのですが、心が揺さぶられるように美しく、そして、吸い込まれるように深いのです。しばらく佇んで見入っていました。

こちら →IMG_2411
慌てて撮影したので、少しずれてしまいました。

 ザクロは熟したら、割れるといいます。このザクロは割れていて、左側の実に無数の赤いタネが見えています。全体に暗い色調の中で、タネはまるでルビーのような深紅の輝きを見せ、モチーフに華やぎを添えています。

 興味深いことに、外皮はミカンなのです。外皮をミカンの皮にしたことによって、このザクロが割れたのではなく、剝いたように見えるところが興味深く思えました。

 ミカンの皮は剝いたとき、このような形状になりますが、ややしなるように描かれた外皮の形状が割れたザクロに安定感を与えています。外皮にはところどころ黄金の輝きが見られ、したたかな生命力が感じられます。そして、白い内皮がモチーフの構造を際立たせ、奥行きを生み出しています。

 トークの制限時間が30分間だったせいか、この絵についてオリガ氏は説明されませんでした。おそらく説明の必要がなかったのかもしれません。モチーフの形状といい、色彩のバランスといい、構図といい、ヒトの気持ちに訴えかける絵の力が強烈なのです。

■モチーフとしてのザクロ
 4人の画家のアーティストトークが終わり、ショップに立ち寄ると、この作品のエスキースが販売されていました。よほど購入しようかと思ったのですが、会場で見た作品とはどこか違います。深い興趣が感じられないのです。画材が違うのかもしれないと思い、美術館の方に尋ねると、油彩画とのことでした。画材は展示作品と同じです。

 画材が同じだとすると、エスキースだからでしょうか、あるいは、サイズのせいでしょうか。展示作品に込められていた心に深く訴えかけるような美しさに欠けるのです。とはいえ、このエスキースも当然、一点物です。一瞬、購入しようかと思ったのですが、思い直し、本物の方がいいというと、美術館の方は私がコレクターだと勘違いされたようで、オリガ氏のところに案内してくださいました。

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後日、近藤氏からご連絡をいただき、このエスキースがキャンバスではなく、油紙に描かれたものだったこ とがわかりました。これで、私が一目で見て、展示作品とは質感が異なると思った理由が判明しました。画材やサイズが異なれば、同じように描かれたものでも、そこから観客が受ける印象は大幅に異なってくるのですね。写真とは異なる絵画の一側面を認識させられました。
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 『みかん?それともザクロ?』が一番、素晴らしいと思ったというと、ご主人の近藤氏は、この絵はアートオリンピアで入賞した作品だといわれました。

 後で調べてみると、たしかに、この作品はアートオリンピアで入選しています。このときのタイトルは『日本に捧げる』でした。

こちら →https://artolympia.jp/img-template.php?no=11690&type=A

 ザクロをモチーフに、オリガ氏はこれ以外にもいくつか制作されているようです。第75回新制作展で新作家賞を受賞した『ザクロ』(162×162㎝、油彩、2011年)は、すでに海外の方が購入されたようです。

こちら →ザクロ

 赤いタネが少なく、やせ細ったザクロが描かれているせいか、この絵からはまず荒涼感、寂寥感が漂ってきます。その一方で、天空から降りてくる光が地上を照らし、ザクロにも鈍い輝きを与えているのに気づきます。よく見ると、確かな希望が表現されているのです。つまり、この絵にはザクロのシンボルである死と復活が描かれているように思えてきます。ヒトが生きていく上で避けて通れない死と、それを乗り越えた暁に得られる復活が抑制の効いたタッチで描かれているのです。

こうしてみてくると、オリガ氏にとってザクロというモチーフは特別のもののように思えてきます。

■200年、300年通用する絵画を目指して
 展示されていたオリガ氏の作品は7点でしたが、いずれもしっかりとした描写力によってモチーフが捉えられており、観客を力強く引き込み、考えさせる力がありました。伝統的な西洋絵画の技法を踏まえ、オリガ氏ならではの感性で組み立てられた構図やモチーフの造形などが、絵を見た観客に自然に内省を促すからでしょう。

 オリガ氏のトークでもっとも印象に残っているのが、「時代の流れに迎合することなく、200年、300年通用する絵を描いていく」といわれたことでした。それを聞いて私は、なんとなくオリガ氏の画風に納得がいくような気がしました。オリガ氏の作品を見ていくうちにいつしか、時代に迎合せず、凛とした姿勢で伝統的技法を踏襲していくことこそ、作品の生命を永らえさせることに繋がるのではないかと思うようになっていたからでした。

 西洋絵画の伝統的な技法を習得されたオリガ氏は作品を通して、東欧から西欧、そして、近年は日本でも高い評価を受けるようになりました。そのことを思えば、「200年、300年」という言葉がとてもリアルに響いてきます。文化の異なる空間を易々と超えられたからには、時間も容易に越えられるはずです。

 たとえば、私たちがよく知っているベラスケス(1599-1660)やルーベンス(1577-1640)は400年以上前の画家ですし、カレンダーやポスターで日常的にその作品を目にするゴッホ(1853-1890)やルノワール(1841-1919)なども100年以上前の画家です。それを考えると、時代に迎合するのではなく、むしろ時代と対峙し、その本質を表現していくことこそ、作品の命を永らえさせることになるのではないかという気がしてきます。

 オリガ氏に、『ひまわり―福島への祈りー』(130×162㎝、油彩、2012年)という作品があります。これも私が強く心惹かれた作品の一つです。

こちら →ひまわり

 2011年の福島原発事故は、ベラルーシ出身のオリガ氏にとって相当、ショックな出来事だったようです。というのも1986年のチェルノブイリ原発事故でもっとも被害を受けたのがベラルーシだったからです。福島原発事故が起こったとき、オリガ氏はたまたまベラルーシに戻っていたそうですが、当時の記憶がすぐ甦り、日本が心配でたまらずドイツ経由ですぐに戻ってきたそうです。当時、成田空港は日本から脱出する外国人で溢れていたというのに、彼女はわざわざ日本に戻ってきたのです。

 この作品についてオリガ氏は、「ベラルーシの草原に咲いていたひまわりを持ち帰り、福島の復興を祈って、描いた」と述べられました。ひまわりはタネが多く、タネが落ちれば、そこから多くの芽が出て、新しい命が育まれます。福島の再生を祈って、この絵が描かれたのです。

 オリガ氏はトークの最後で、「私にとって芸術とは世界を認識する一つの方法だ」と述べられました。絵画を通して世界を認識するという観点があれば、おそらく、モチーフや構図、色調の中に、時代に迎合することなく、時代の本質を取り込めるはずです。そして、時代の本質を描くことができれば、200年、300年は通用する作品になるでしょう。『ひまわり』はそのような作品の一つになると思います。

 凛とした姿勢で創作活動を展開されているオリガ氏だけに、今後、日本をテーマにどのような作品を制作なさるのか、とても楽しみにしています。(2016/1/14 香取淳子)

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