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彼岸花を堪能する。

彼岸花を堪能する。

■秋の入間川の川べり

 秋になると、毎年、入間川の川べりに彼岸花が咲きます。今年は暑かったので、少し遅れましたが、それでも9月25日には、真っ赤な花弁が川べりを華やかに染め上げ始めました。

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(9月25日撮影、図をクリックすると、拡大します)

 緑一面の川べりを、彼岸花が赤い色を添え始めました。まだ蕾のものもあれば、すでに花弁を開いているものもあって、初々しさが感じられます。

 それが、9月26日になると、場所によっては、いっせいに花を咲かせているところがありました。太い桜の幹の下、華やかさが際立っています。

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(9月26日撮影、図をクリックすると、拡大します)

 9月29日になると、遊歩道から川べりまでのスロープを赤い花、白い花が覆うようになりました。

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(9月29日撮影、図をクリックすると、拡大します)

 赤い花に交じって、白い花が負けじとばかりに、大きな花弁を開いています。白い彼岸花はあまり見かけたことがありません。彼岸花は赤い花だと思っていただけに、圧倒的に多い赤い花の中で、繊細な花弁をそよがせている白い花が、なんとも健気に見えます。

 スロープの下を流れる入間川では、魚釣りをしている人がいます。

 ゆっくりと流れる入間川の川べりを、人と彼岸花が思い思いの時を過ごしているのを見て、思わず頬がゆるみました。このようにして、人と自然が長い間、生を共にしてきたのだという思いが込み上げてきたのです。

 10月2日には、遊歩道の傍らでも赤い花に交じって白い花が咲き誇っていました。

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(10月2日撮影、図をクリックすると、拡大します)

 ここでも圧倒的に多いのは赤い花です。それだけに、白の花弁の清らかさが際立って見えます。柔らかな陽射しを浴びて、どの花もきらきらと輝いています。

 遊歩道に上がってみると、両側が彼岸花で覆われていました。まさに花道です。

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(10月2日撮影、図をクリックすると、拡大します)

 桜の木の太い幹と枝が遊歩道を囲み、その下に咲く彼岸花の赤と白を引き立てています。自然が創り出した一服の絵を堪能しているような気分になります。

 ふと思い立って、そのまま、巾着田に行ってみることにしました。ここから車で15分ぐらいのところに、彼岸花で有名な巾着田があります。埼玉県日高市にある「巾着田曼殊沙華公園」はいまや観光地化しています。最寄り駅は西武線高麗駅で、そこから徒歩15分のところにあります。

■巾着田

 「巾着田曼殊沙華公園」に着いてみると、すでに大勢の人々が訪れており、なかなか前に進めません。外国人の姿も多々、見られました。アジア人はもちろん、欧米系の外国人もグループで来ており、あちこちで写真を撮っていました。

 巾着田というのは、高麗川が蛇行して創り出した景勝地で、巾着の形をしていることから名づけられました。

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(10月2日撮影、図をクリックすると、拡大します)

 案内板をみると、確かに、巾着の形をしていることがよくわかります。昭和40年代後半に、当時の日高町がこの用地を取得し、藪や竹林に覆われた土地を整地したところ、9月になると一斉に彼岸花が咲くようになったそうです。

 高麗川の増水等によって流れてきた漂流物の中に、彼岸花の球根がまじっており、それが根付いたのではないかと考えられています。この「巾着田曼殊沙華公園」では、秋の彼岸になると、500万本の花が咲き、滅多に見ることのできない景勝地になっています。

 人々の間をかいくぐって撮影してみました。

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(10月2日撮影、図をクリックすると、拡大します)

 見渡す限り、真っ赤な彼岸花が咲き乱れています。思わず異世界に入り込んだような気になってしまったのも無理はありません。観光客が大勢いるのですが、それ以上に多い彼岸花に圧倒されてしまうのです。つかの間、この世ではない世界に入り込んでしまったような気分になります。

 実は、管理事務所のある辺りはまだ彼岸花はなく、清流の流れる元光景が見れらます。

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(10月2日撮影、図をクリックすると、拡大します)

 彼岸花で覆いつくされる以前は、おそらく、このような光景が広がっていたのでしょう。それが、増水によって流れ着いた彼岸花の球根が根付き、現在のような圧倒的な景観を生み出したのです。自然の妙を感じざるをえません。

 ふと、彼岸花はどこからやってきたのか気になってきました。帰宅して、調べてみると、どうやら中国が原産地のようです。さらに、調べてみると、彼岸花にまつわる伝説があることがわかりました。

■中国の伝説

 ネットで、彼岸花にまつわる次のような伝説を見つけました。ご紹介しましょう出典は、「彼岸花:传说来自地狱的花,它的背后有一段不为人知的浪漫故事」(※ https://baijiahao.baidu.com/s?id=1688559112388711229&wfr=spider&for=pc)です。

 赤い彼岸花は曼殊沙華とも呼ばれ、とてもロマンチックな伝説があります。伝説によると、昔、二人の妖精がこの花を守る約束をし、一人は曼殊、もう一人は沙華という名前で、それぞれが彼岸花の葉と花を守っていました。長年にわたり、彼らはお互いに強く惹かれあってきましたが、彼岸花には、花は咲いても葉が見られない、葉は見られるのに花が咲かないという特性があります。

 やがて二人は神の意志に反して密かに会うようになり、恋に落ちました。その年、彼岸花は燃えるような赤い花を咲かせました。その花は緑の葉に映えてとても魅力的で、この光景を見た誰もが彼岸花の美しさにため息をつくほどでした。

 ところが、二人の関係が神々にバレてしまい、二人は地獄に落とされ、一生会えないようにさせられてしまいました。地獄に落とされた二人は、三途の川の向こう側に咲く彼岸花を見るたびに、前世の記憶を思い出しました。お互いに対する恋心は時間が経っても消えず、むしろ情熱は高まり、ますますお互いを恋しく思うようになりました。

 ある時、仏僧が向こう側を通りかかり、二人が恋に落ちた物語を知りました。そこで、仏僧は可哀そうに思い、彼岸花を天国に連れて行こうとしました。ところが、仏僧が三途の川を通りかかったとき、水で仏僧の衣服が濡れてしまい、着物の中に入れていた彼岸花も濡れてしまいました。

 濡れて曼荼羅となった白い花は天に運ばれ、天国の花となり、赤い彼岸花は地獄に落ちてしまいました。それ以来、赤と白の彼岸花の一方は地獄に、もう一方は天国に咲くようになりました。

 これが中国の伝説の概略です。

■中国の伝説を解読する
 
 この中国の伝説には、仏典由来と植物学由来の要素が含まれていて、とても興味深く思いました。

●花と葉の分離

 たとえば、この伝説では、「彼岸花」、すなわち、「曼殊沙華」の花の部分を守る妖精が「曼殊」、葉の部分を守る妖精が「沙華」とされています。本来、一つのものが、二つに分かれてキャラクター設定されているところに、植物としての「彼岸花」の特性の一つが示されています。

 つまり、彼岸花には、花と葉が別々の時期に咲くという特性があります。9月末から10月にかけて咲くのが花で、この時期に葉はありません。先ほど見たように、花が咲いている時は、葉はなく、すっくと立った茎の上に大きな花弁が開いています。

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(9月26日撮影、図をクリックすると、拡大します)

 葉がないのが奇妙に思えます。花が枯れた後は茎だけになり、やがて葉が育ってきて、翌年4月までは葉だけになります。花と葉が同時に開くことはないのです。

 『花壇地錦抄』にも、「曼殊沙華、花色朱のごとく、花の時分葉はなし、この花何なるゆえにや、世俗うるさき名をつけて、花壇などには大方植えず」(伊藤伊兵衛著、1695年)と書かれているように、古来、彼岸花が花は、葉とは時期を異にして咲くことが知られていました。

 ちなみに葉は次のような形状をしています。

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(※ https://biome.co.jp/biome_blog_087/、図をクリックすると、拡大します)

 葉はニラに似た形です。華麗な花の姿からは想像もできない、雑草のような形状です。やはり、彼岸花は葉がなく、まっすぐ伸びた茎の上で花開いているのがふさわしいと思えてきます。

 『花壇地錦抄』でも、「花壇などには植えず」と書かれているように、彼岸花はたいてい、田の畔や、川辺に咲きます。

 日本列島で繁殖している彼岸花は、染色体が基本数の3倍ある三倍体で、種子で子孫を残せないといわれています。その代り、土の中で球根を盛んに分球して繁殖してきており、遺伝的には統一遺伝子を持っています。同じ地域の個体が、開花期や花の大きさ、色、茎丈がほぼ同じように揃っているのは、同一遺伝子だからです(※ Wikipedia)。

●梵語由来の「曼殊沙華」

 彼岸花には多くの別名がありますが、もっとも多く使われているのは、「曼殊沙華」です。これは梵語由来の語で、天の花を意味し、見る者の悪業を払うとされています。

 中国の伝説では、この「曼殊沙華」を二つに分け、主人公二人の名前にしていました。「曼殊」と「沙華」です。この二人が恋に落ち、素晴らしい花を咲かせるのですが、これが神様に知られ、罰を受けることになります。二人は地獄に落とされ、二度と会えないようにされてしまうのです。

 本来、会えるはずのない「花」と「葉」が、出会って恋に落ち、花を咲かせるという神の摂理、自然の摂理に反する行為を行ってしまったからでした。

●輪廻転生

 地獄に落ちた二人は、三途の川の対岸で真っ赤な花を咲かせる彼岸花を見るたび、前世を思い出し、恋しい気持ちを募らせます。ここに輪廻転生の概念が組み込まれています。

 俗に、人は亡くなると、三途の川をわたって、あの世に行くといわれますが、三途の川は、此岸(現世)と彼岸(あの世)を分ける境目にある川なのです。

 仏教では、輪廻転生は、悟りを開けずに六道の中で過ごすことを意味します。六道とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六つの世界のことで、生前の行為の善悪によって死後に行き先が決まります。

 二人は、前世で恋に落ち、一緒になったことを咎められて、神様から地獄に落とされたのにもかかわらず、三途の川の対岸に咲く彼岸花を眺め、幸せの絶頂だった頃を起こしていたのです。

●天国の花

 ある時、通りかかった仏僧がこの物語を聞いて可哀そうに思い、彼岸花を天国に連れて行こうとしました。

 ところが、三途の川を渡ろうとした時、仏僧の衣服が水に濡れてしまいました。その時、抱え持っていた彼岸花の一部もまた水に濡れてしまいました。

 水に濡れなかった赤い花は、そのまま地獄に落とされ、水に濡れて白くなった花は天に運ばれ、曼荼羅となって天国の花になりました…、というのが、中国の伝説でした。

 興味深いのは、赤い彼岸花が三途の川の水に濡れて白くなり、曼荼羅となって、天国の花となったというくだりです。なぜ、そのような展開になったのでしょうか。

 彼岸花はそもそも天国の花でした。曼殊沙華や曼陀羅華について、次のような説明があります。

 『法華経』の巻第一序品に、釈尊が多くの菩薩のために大乗の経を説かれた時、天は、「蔓陀羅華・摩訶曼陀羅華・蔓殊沙華・摩訶蔓殊沙華」の四華を雨(ふ)らせて供養した、とされています。
(※ https://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000rnh.html)

 曼殊沙華も曼陀羅華も、お釈迦様が供養のために天国から降らせた花であり、天界の花だったのです。赤いのが曼殊沙華、白いのが曼陀羅華という違いです。

 それでは、なぜ、水に濡れて白くなった彼岸花は、曼荼羅となって天国に行くことができたのでしょうか。

 伝説の最後のところで出てきた展開が気になって調べてみました。

●毒性のある花

 なぜ、水に濡れた彼岸花が曼荼羅になって、天国の花になったのでしょうか。調べてみると、それは、彼岸花の毒性と関連していました。

 実は、彼岸花にはアルカロイド系のかなり強い毒性があります。ところが、この毒は水に晒すことによって容易に除去することができるといわれています。毒を除去した後の球根からは極めて良質の澱粉がとれるので、飢饉の際の救荒作物いわれています。

 そのような植物学的特性を踏まえ、中国の伝説では、水に濡れて毒性が除去された彼岸花が、天国の花になったという展開にされたのでしょう。つまり、彼岸花には毒性がありますが、繁殖力が旺盛で、しかも、球根からは良質の澱粉をとることができます。水に晒し、毒性さえ除去すれば、安全に利用することができるということが、最後に示されていたのです。

 彼岸花は身近なところに咲く花です。毒性のあることを知らなければ、人々が生命の危険にさらされないとも限りません。中国では、必要な生活情報を物語化してわかりやすくし、人々に伝える工夫をしていたのです。

 「曼殊」と「沙華」のロマンティックな関係もごく短い期間の出来事でしかなかったように、彼岸花が鮮やかな赤の花弁を誇示していたのもせいぜい二週間ぐらいでした。

■盛りを過ぎた彼岸花

 10月10日になると、彼岸花は枯れ、花弁の形状を残したまま、まぶしいほど鮮やかな赤は失せ、薄茶色に変色していました。

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(10月10日撮影、図をクリックすると、拡大します)

 10月12日になると、それまではまっすぐに立って、大きな花弁を支えていたはずの茎が、倒れそうになっていました。茎が急速に老いさらばえたように、色も変色していました。

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(10月12日撮影、図をクリックすると、拡大します)

 黄緑色だった茎が薄茶色になり、明らかに生命力が希薄になっているように見えます。

 見渡すと、いつの間にか、彼岸花は跡形もなく、秋の気配が辺り一面に広がっていました。

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(10月12日撮影、図をクリックすると、拡大します)

 入間川の遊歩道から華やかさがすっかり消えていました。桜木は葉を落とし、紅葉した葉が遊歩道に落ちています。どうやら、次の季節の準備にはいったようです。

 思えば、9月末から10月初旬ぐらいまで、彼岸花は鮮やかな姿を川辺で見せてくれていました。日々、変化する彼岸花の美しさを堪能させてもらいましたが、10月半ばになると、まるで力尽きたように花は消え、茎さえもしおれて、そそくさと店じまいをしてしまいました。

 川べりの木々は、葉を落とし始め、晩秋から冬へと向かっています。人間以外はほぼみな、自然の摂理に従って、生きているように思えます。(2024/10/29 香取淳子)

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