■五美大展の開催
新国立美術館でいま、「平成29年度第41回東京五美術大学連合卒業・修了制作展」が開催されています。期間は2018年2月22日から3月4日までです。六本木に行く用事があったので、3月1日、行ってきました。
1階の武蔵野美術大学、女子美術大学から、2階の多摩美術大学、日本大学芸術学部、東京造形大学まで、絵画部門を中心に展覧会場をすべて見てまわりました。総じて、活気がない、小粒、迫力がない、類型的・・・、といったネガティブな印象を抱いてしまいました。
実は、この展覧会には昨年も来ているのですが、活気があり、若者らしく大胆で、しかも、画力に秀でており、凝視させるような作品がもっとあったような気がします。
写真撮影が許可されていましたので、昨年と同様、今回も印象に残った作品を撮影しましたが、昨年は全体で24枚に上りましたが、今年はわずか13枚でした。それも昨年度の作品に比べれば、かなり見劣りがします。モチーフは面白くても画力が伴っていない、あるいは、画面を通して、工夫の跡や逡巡の軌跡といったものが見えてこない、といったような不満が残るのです。
今回、私が撮影した絵画作品をジャンルで分けると、日本画が9点、油彩が1点、ミクストメディアが1点、アクリルが1点、ペンが1点でした。圧倒的に日本画が多いことがわかります。昨年度に撮影した作品を振り返ってみても同様でした。
さまざまな公募展を思い返してみてもそうでした。どういうわけか、日本画に属する作品の方に、多様なモチーフの選択、画法の工夫、実験的な構図への挑戦といった、創造に関わる領域への貪欲さが見受けられました。その結果として、現代社会を的確に抉り出したような作品や意欲的な作品が油彩画よりもはるかに多く、日本画領域で見られました。もちろん、私の数少ない経験でしかありませんが・・・。
なぜ、油彩画に存在感がみられず、現代を的確に表現することができなくなっているのでしょうか。
私が展覧会に行くようになったのは、ここ2、3年のことですが、最近、感じさせられることの多い疑問の一つです。
いつになく、くどくどと不満を述べてしまいましたが、実は、今回、素晴らしい作品に出会いました。13点の中でも特に印象に残った3点をご紹介していくことにしましょう。
■膳棚久稔氏の「暗やみの色」
女子美術大学の領域に入って、目についたのが、この作品でした。作者は、大学院・美術研究科・博士前期課程・美術専攻日本画研究領域に所属する、膳棚久稔氏、タイトルは「暗やみの色」です。
材質は「楮紙、墨、胡粉」で、サイズは「168.5×183㎝」の作品が2点並べて展示されていました。楮紙というのをここで私ははじめて知りました。調べてみると、原料に楮を用いており、強靭で、しかも、軽くてしなやかという特徴をもつ手漉き和紙だそうです。その楮紙を支持体に、墨と胡粉で描いたのがこの作品です。
右の作品は、3人の女性たちが何やら語らい、感情が複雑に絡まり合っていることがうかがえる光景です。カウンター席にいる二人の女性がやや高い位置に座り、そのうちの一人が見下ろす格好で、テーブル席に腰を下ろしている女性に何やら語り掛けています。
テーブル席の女性は膝頭に手を添え、身構える体勢で応対しています。この二人のやり取りを、真ん中の女性はじっと聞いていながら、敢えて視線を伏せ、まるで厄介な関わりを避けようとしているかのようです。
一方、左の作品は、テーブルをはさんで二人の男性が所在なげに時間を潰している様子が描かれています。二人とも手を頬にあてがっているのが印象的です。一瞥すると、所在無さげに見える二人の男性ですが、姿勢に注目すると、途方に暮れているようにも見えてきます。
心なしか表情が疲れて見えます。語ることもなく、何かを待っている様子です。そのうちに、この二人はなんらかの問題を抱えているのではないかと思えてきます。ひょっとしたら、それは、右の作品で描かれた3人の女性たちの光景と関係しているのではないか・・・、こうして、右の作品と左の作品がストーリーでつながってくるという仕掛けです。
膳棚氏のこの二つの作品からは、3人の女性の関係、そして、彼女たちに関係していると思われる2人の男性の心理状態が見事に伝わってきます。ヒトの位置関係、顔の向きや身体の傾き加減、ポーズなど、いわゆる身体所作を詳細に、そして、要領よく描くことによって得られた成果といえるでしょう。
それも墨の濃淡と白だけで描き切っているのです。その背後に見え隠れする膳棚氏の鋭い観察力と的確な表現力に驚かざるをえません。
■眞瀬翼氏の「帰路」
多摩美術大学の領域に入って、強く印象づけられたのが、眞瀬翼氏の「帰路」でした。眞瀬氏は、美術学部・絵画学科日本画専攻に所属していますから、これは卒業制作になるのでしょう。
材質は、「高知麻紙、岩絵具、水干絵具、顔料」、サイズは「180×180㎝」です。この作品を見た途端に、惹き込まれてしまいました。色彩のバランスといい、色調といい、形状といい、モチーフの扱いといい、画面全体から何か、ワクワクするようなものを感じさせられたのです。
大地、地面、あるいは道路とでもいえばいいのでしょうか、着地面は、水色で表現されており、その上に無数の足がさまざまな方向に向けて描かれています。まさに、仕事を終え、帰宅する群衆の姿が浮き彫りにされているのです。平凡な日常生活の一シーンですが、極めて美しく、象徴的に捉えられています。
地面に着地するといっても、同じ平面ではなく、位置を微妙にずらし、いくつもの靴、脚部が重なり合うように数多く描かれています。もちろん、よく見ると、ズボンのようなもの、スカートのようなものも幽かに浮き上がるように表現されています。
そして、上部の身体は濃い闇に消失しています。まるで、昼間働き続けたヒトは闇に沈み込むことによってようやく、自分を取り戻すことを象徴しているかのようです。帰宅を急ぐ人々の足に注目し、シンボリックに表現することによって、大きな広がりを持った作品になったと思います。現代社会を見事に掬い取った作品だといえるでしょう。
■中田俊哉氏の「男女」
日本大学芸術学部の領域に入って、目に留まったのが、中田俊哉氏の「男女」でした。中田氏は、日本大学芸術学部・美術学科絵画コース専攻に所属していますから、これは卒業制作になります。
この作品の材質はペンで、イラストボードに描かれています。サイズは「145.6 ×103㎝」です。
左側が女性、右側が男性です。人体を葉や枝、幹、花、根を組み合わせて表現したところ、アルチンボルドを連想しないわけにはいきませんが、あちらは顔部分に焦点を当てて描いているのに対し、中田氏の作品は無彩色で、人体の動きそのものを表現しています。
人体ならではの微妙でしなやかな動き、さらには、何らかの劇的シーンまでも想像させる所作を描ききっているところ、秀逸だと思いました。
女性は括れた腰をねじり、左手を軽く頭に置いてシナを作り、まるで男性を誘っているかのようです。一方、男性の身体を見ると、胸板と膝が厚く、腰と二の腕の筋肉が盛り上がっています。逞しさが端的に表現されているのです。まるでフィギュアのように、セクシュアル・ポイントとなる身体部位が強調されて、描かれているのが特徴といえます。
それにしても、なぜ、これほどまでに二人の間のスペースが空いているのでしょうか。これでは、二人の間に何らかの関係が生じようがありません。コミュニケーションが取れる距離ではないのです。
彼らはまるでモデルのように、個別にポーズを取り、自らの身体をひたすら誇示しているように見えます。近づきすぎず遠すぎず、距離を一定に保ちながら、ポーズを取ること自体に注力しているように見えるのです。
この男女の姿態と二人の間の距離を見ていると、この作品は、現代社会の若者に警鐘を鳴らしているようにも思えてきました。完璧な身体を求めすぎれば、自らに埋没せざるをえず、やがては他者と協調できなくなってしまうことを示唆しているように思えたのです。深読みかもしれませんが、そうだとすれば、この作品には現代らしさが端的に表現されているといえます。
この作品のアイデア、構想、デッサン力は群を抜いていて、とても素晴らしいと思いました。
■フラットな現代文化を乗り越えるには
第41回の美大の卒展、修了展を見終えて、全般的にパワーダウンしているような印象を受けました。アニメに触発されたような作品、どこかで見たような作品、ありきたりの構図・・・、等々。会場に展示されている諸作品を見ているうちに、これは、日常生活の文化的貧困の結果ではないかと思うようになりました。
現代文化がフラットになってしまったからでしょうか。発想やアイデアに多様性がなくなり、構想力が貧弱になっているように思えたのです。とくに気になるのは、若者らしい冒険心、チャレンジ精神、さらには、実験精神すら見かけることが少なくなっていることでした。
とはいえ、ご紹介したように、見ていてワクワクするような作品もありました。それでは、これらの作品から、どんな示唆が得られるでしょうか。ちょっと考えてみました。
まず、これらの作品に共通していたのが、表現の可能性への挑戦です。色彩を制限し、形態を制限する・・・、そのような表現に必要な諸要素に制限をかけることによって、逆に、表現の幅を広げる結果になっていました。見る者の想像力を刺激し、豊かな作品世界に導いていくという手法です。
現代社会では、色彩にしても形態にしても、過剰です。だからこそ、今回、ご紹介した作品のように、制限することによって、現代社会の本質を見事に抽出し、描き出すことができたといえるのかもしれません。
今回、素晴らしいと思った作品を見ていて、改めて、絵画表現には、卓越した観察力、素晴らしいアイデア、デッサン力が必要なのだと思い知らされました。若いヒトには、これまで以上に積極果敢に、さまざまな表現の開拓に挑戦していただきたいと思います。(2018/3/1 香取淳子)



