■JICA、アフリカ・ホームタウン事業を撤回
2025年9月25日、朝5時の速報版で朝日新聞は、JICAがアフリカ・ホームタウン事業を白紙撤回する方向で調整に入ったと報道しました。さらに、外務省幹部が「ネット上で勝利と受け止められたら困る」と懸念し、この事業は撤回しても、交流促進策を支援していく方針だと述べていたことも伝えていました。
こちら →
(※ 朝日新聞、前掲。クリックすると、拡大します)
その後、JICAの田中明彦氏が正式に会見を行い、ニコニコ動画で生配信されましたが、新聞で報じられていた内容と変わるところはありませんでした。
こちら → https://www.youtube.com/watch?v=IrMpafpCPa8
(※ MはCスキップするか、削除して視聴してください)
田中明彦理事長は、「誤解に基づく反応が広がり、自治体に過大な負担が生じる結果となってしまった」ので、「アフリカ・ホームタウン」事業を撤回すると述べました。そして、「JICAとしては、これまでも移民を促進するための取り組みを行ってきていないし、今後も行う考えはない」と強調したうえで、「アフリカ諸国には今後も国際交流を促進する取り組みを支援していく」と述べています。
JICAと岩谷外務大臣が「アフリカ・ホームタウン」事業の改称を検討していると報道されてから、まだ10日ほどしか経っていません。それなのに、理事長は早々に、事業そのものの撤回宣言をしてしまいました。火の粉が他の事業に降りかからないうちに、この騒ぎの幕引きをしたかったのでしょうか、あまりにも早い決断です。
そういえば、「JICAアフリカ・ホームタウン事業」の少し前に、『マダガスカル農業人材パイロット事業』が立ち上げられていました。JICAが出資し、派遣会社が人材の受け入れ、現地への派遣を行い、事業を運営するという仕組みの事業です。
■『マダガスカル農業人材パイロット事業』
2024年7月、JICA主導で、『マダガスカル農業人材パイロット事業』がスタートしました。
こちら → https://ninaite.ne.jp/1641/
この事業では「NINAITE」という派遣会社が、特定技能者を受け入れ、現場に派遣し、事業を運営します。
こちら → https://ninaite.ne.jp/
第9回アフリカ開発会議で開催されたシンポジウム(「人の移動がつなぐ、アフリカ人財と日本企業がともに拓く未来」)には、「NINAITE」の代表も登壇し、スピーチしています。
登壇した宮城勇也氏は、「働く、外国人一人ひとりの人生に伴走すること」「企業の人手不足の課題を解決すること」この両輪を実現するために、企業・地域・人が未来を共創できる多文化共生の基盤づくりに取り組んでいると語っています。
(※ https://japan.iom.int/sites/g/files/tmzbdl2136/files/2025-06/ticad9_iom_jica_symposium_profiles.pdf)
このNINAITEが担っているJICAの事業が、「マダガスカル農業人材パイロット事業」です。2024年7月、来日した若者たちと出迎えたスタッフが仲良く写っている写真があります。
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(※ NINAITE のHPより。図をクリックすると、拡大します)
来日したばかりの3人の若者たちが、やや緊張しながらもピースサインを出して、微笑んでいるのが印象的です。
マダガスカルは、人口の8割超が農業に従事する農業大国で、米が主食です。平均年齢22.4歳と労働人口が非常に若く、大学卒・大学院卒の高学歴人材が多いのが特徴です。それにも関わらず、国内に雇用の場が少なく、多くの若者が将来に不安を抱えています。
そんなマダガスカルから、若者を日本に呼び込もうというのが、JICAの「マダガスカル農業人材パイロット事業」でした。
■マダガスカルからの特定技能者
アフリカ南東部の島国マダガスカルは、世界最貧国の一つで、労働人口は増え続けています。ところが、産業が発達しておらず、人口約2800万人のうち8割が農業に従事しています。高学歴でも失業率は高いのが現状です。
29歳のフレディさんは、2024年9月、「特定技能」の在留資格で来日しました。鹿児島県内の農場で、仲間たちと働く姿が写真に収められています。
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(※ 毎日新聞、2025年8月19日、図をクリックすると、拡大します)
特定技能制度は、人手不足が深刻な産業分野で、外国人を受け入れるため、2019年4月にスタートした制度です。即戦力の人材と位置付けられており、特定技能には、1号と2号があります。フレディさんは1号なので在留期間は5年ですが、さらに技能が熟練して2号になれば、家族を帯同して無期限就労が可能になります。
特定技能外国人は現在、東南アジア出身者が大半を占めており、農業分野のアフリカ出身者はフレディさんが初めてです。大学で農業を学び、卒業後は農薬会社で販売の仕事をしていました。ところが、新型コロナウイルス禍で売り上げが激減したので、やむなく故郷に戻り、農業に携っていました。
そんな折、フレディさんは、JICAが実施するパイロット事業の存在を知りました。日本で就労して経験を積み、帰国してからマダガスカルの農業人材を育成するためというのが、事業内容でした。もちろん、フレディさんは応募しました。高度な農業技能を習得するという夢を抱いて、日本にやってきたのです。
マダガスカル政府は、日本で経験を積んだ人材が、帰国後に農業の近代化を担うことを期待しているといいます。フレディさんも、「日本で働くのが夢だった。ここで農業技術を学んで、母国で役立てたい」と語っています。
(※ 毎日新聞、2025年8月19日)
マダガスカルには、東南アジアをルーツとする住民が多く、「最もアジアに近いアフリカ」と言われています。主食はコメで、1人当たりの年間消費量は日本の倍以上ですが、農業機械や灌漑設備が不足しており、安定した収穫量を確保、コメの品質向上などが大きな課題となっています。
こうしてみてくると、「マダガスカル農業人材パイロット事業」は、フレディさんにとっても、マダガスカル政府にとっても、ニーズに合致するものだったのです。つまり、この事業は、現地のニーズに応じて、技術援助、有償あるいは無償の援助をしてきた初期JICAの支援スタイルを継承するものだといえるでしょう。
もちろん、日本の農家にとっても貴重な労働力として、彼らは受け入れられました。
■JICAの役割とアフリカの農業
JICAは、多くのアフリカ諸国が独立を果たした1960年以降、60年以上にわたって、アフリカの自立的な発展に協力してきました。当初は貧困対策や衛生対策などを中心に行っていましたが、現在は、従来型の事業だけではなく、躍動するアフリカのニーズに合わせた支援をしています。
たとえば、経済や社会分野では、農業開発、産業人材育成、エネルギー開発、起業家支援、保健・医療システム強化、栄養、教育、質の高い雇用など、多岐にわたる事業に取り組み、農業分野では、特に、米の生産量を増やす取り組みに力を入れています。
(※ https://www.jica.go.jp/information/topics/2025/p20250730_01.html)
日本の技術協力によって普及が進んだとされるのが、ネリカ米です。
ネリカは、1994年にアフリカ稲センターの研究者であったモンティ・ジョーンズ博士が、収穫量の高いアジア稲と病気に強いアフリカ稲を交配することによって開発された稲です。
アフリカ各地の自然条件に適合するよう、日本も参加して様々な新品種が開発されました。「ネリカ(NERICA:New Rice for Africa)」は、これら品種の総称となっています。特徴としては、従来の稲よりも、①収量が高い、②生育期間が短い、③乾燥(干ばつ)に強い、④病害虫に対する抵抗力がある、などが挙げられます。
(※ https://www.jica.go.jp/activities/issues/agricul/approach/nerica.html)
上記の説明を図示すると、次のようになります。
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(※ 前掲URLより。図をクリックすると、拡大します)
米は保存性が高く、また、トウモロコシやいも類、雑穀などに比べて調理が簡単なので、アフリカの多くの国々で需要が急速に伸びています。ところが、従来種では収穫量が低く、しかも、栽培に適した土地が限られているので、これ以上、収穫量を増やすのは困難でした。とくに北アフリカを除くアフリカ諸国(SSA、以下SSA)では、コメの生産が需要に追いつかず、輸入が増加していました。
こちら →
(※『クラスター事業戦略「アフリカ稲作振興(CARD)」』、2023年8月、p.16、図をクリックすると、拡大します)
このグラフを見ると、日本の年間コメ消費量が減少の一途をたどっているのに対し、SSAは増加しています。収穫量の多いネリカの普及に向けた対策が不可欠なのは明らかでした。
■ネリカの普及に向けて
ネリカは収穫量が高く、乾燥にも強いので、普及すれば、米の生産量が増大し、アフリカの貧困農民の所得が向上すると期待されています。外務省は、日本は引き続き、ネリカの普及に向けて、日本の知見を活かした協力を積極的に行っていくと述べています。種子の増産、収穫後の処理技術の向上、農業技術指導者の能力強化など、日本が提供できる支援はいくつもあります。
一方、ネリカの長所は、支援者や研究者の間では広く認識されていますが、農民の多くはほとんどわかっていません。新しい品種であるネリカについて知る機会がないからです。仮に知っていたとしても、品種を変えれば、即、収入に響きます。ネリカの長所を自分で確かめなければ、使ってみようとは思わないでしょう。農民が新しい品種の導入に慎重になるのは当然でした。
ネリカを普及させようとすれば、まず、農民にネリカの長所を十分に理解してもらう必要があります。そのうえで、地域の自然条件に適した品種・栽培法を特定していくという段階が不可欠でした。つまり、農民が参加して、栽培試験を行い、農民の理解を促しながら、品種や栽培法を決めていくといった方法です。
さらに、ネリカ種子の供給が足りず、生産者の需要に十分応えられないという課題もありました。その場合、単に種子の増産を進めるだけでなく、ネリカを商品として販売するための脱穀や精米など、収穫後の処理技術を向上させる必要があります。そのためには、各国で普及活動を担う農業技術指導者の能力を強化していかなければなりませんでした。
このように、アフリカでの稲作には大きな課題がいくつも残されていました。それでも、日本は支援を惜しみませんでした。その結果、技術支援、人的支援、設備支援などを通して、さまざまな取り組みを行い、アフリカでのコメづくり事業は成功したのです。
(※ https://npoifpat.com/docs/ifpat006.pdf)
2008年に始まったこの事業は目標を十分に達成しました(※ 『JICA年次報告書2018』)。その後、「アフリカ稲作振興のための共同体(Coalition for African Rice Development:CARD)フェーズ2」(2019年~2030年)に引き継がれ、現在に至っています。
■日本とアフリカの互恵関係
ネリカの普及に成功したいま、JICAはアフリカでの稲作振興に、栄養の視点を取り入れた活動を始めました。各国政府もそれに協力しています。たとえば、ザンビア政府は、栄養改善に力を入れており、ガイドラインを作成する一方、住民たちを指導する栄養コーディネーターを地域ごとに配置しています。
その一方で、現地の栄養の専門家と協力しながら、農家の人たちの栄養改善を進めるプロジェクトも進んでいます。JICAの担当者は、栄養に関する知識、収入の管理、コメの保存性を生かした計画的な換金、栄養を強化する作物の栽培など、さまざまな観点から生活改善を進めていきたいと語っています。
(※ https://jicamagazine.jica.go.jp/article/?id=202112_3f)
アフリカでの稲作に関し、JICAの支援活動を辿ってみると、日本の技術支援、財政支援が明らかに、アフリカの命を救い、生活を改善していることがわかります。JICAが行ってきた稲作支援は、現地のニーズに日本が的確に応えていくことによって、日本とアフリカにWIN-WINの関係をもたらしていました。この事業は、アフリカの食料安全保障を支える手段の一つとしても注目すべき事例だと思います。
かつてのJICAの事業はこのように、日本人が現地に出かけて技術指導、生活指導を行い、改善を図って、現地の人々の生活向上に寄与するというものでした。
JICAの支援を通して、日本とアフリカが互恵関係でしっかりとつながっていたのです。
今回、大きな騒動となった「アフリカ・ホームタウン事業」は現地のニーズに応えるものだとはいえませんでした。「マダガスカル農業人材パイロット事業」と比較しながら、見ていくことにしましょう。
■アフリカ・ホームタウン事業 VS マダガスカル農業人材パイロット事業
マダガスカル農業人材パイロット事業の場合、これまでご紹介してきたように、目的と事業内容とが合致しています。来日した技能生は実際に大学で農業を研究し、卒業後は農薬会社で働いた経験があり、応募当時は実家で農業を行っていました。農業技術のさらなる向上を求めて来日しており、目的が明確です。
日本で農業技術を学んでから、母国でその技術を役立てたいと彼は抱負を語っていました。また、彼を送り出したマダガスカル政府も、日本で経験を積んだ人材には、帰国後、農業の近代化を担ってもらいたいと述べています。
この場合、事業の目的と事業内容が明確で、実習生やマダガスカル政府のニーズとも合致しています。このような事業こそ、本来JICAが進めるべきものでしょう。このような人材なら帰国しても、日本とアフリカをつなぐ中核になって活躍してくれる可能性が期待できます。
ところが、アフリカ・ホームタウン事業の場合、核となる日本の技術が介在しないのです。ナイジェリアのホームタウンに認定された木更津市の事業案を見てみましたが、そもそも目的と事業内容とが合致せず、概念を軸に事業案が構成されているだけでした。現地のニーズに対応せず、日本側の押し付けのようにしか思えなかったのです。(※ https://katori-atsuko.com/?p=4483)
特定の指定団体に毎年のように、JICAから助成金が渡っていただけではなく、事業内容が現地のニーズに対応しているとも思えませんでした。この事業に必然性は感じられず、なぜ、木更津市が参画していたのかが見えてこなかったのです。
ただナイジェリア人を呼び込むための企画でしかなかったように思えます。事業概要自体が曖昧で、詳細にチェックされれば、ボロが出るのは見えていました。私たちの多くがイメージするJICA本来の事業ではありませんでした。
ふと、JICAのHPで、たまたま見かけた座談会の中で、スタッフが言っていたことを思い出しました。彼女は、「日本とアフリカの若者同士がつながり合って、互いに刺激を与え合う存在になると想像するだけでワクワクしませんか」と語りかけていたのです。
木更津市の事業は野球をベースに企画されていました。確かに、野球を知らない現地の若者に、「ワクワク」するような刺激を与えるかもしれません。それを継続的な事業としてみた場合、現地の社会的課題にどれほど寄与できるのでしょうか。疑問に思ったことでした。
■日本もアフリカも元気に
さて、田中明彦氏が最初にJICAの理事長に任命されたのが、2012年4月1日でした。その2か月後の6月12に日本記者クラブで行ったスピーチがあります。
こちら → https://www.youtube.com/watch?v=Y2WGpBbbDew
(※ CMはスキップするか、削除して視聴してください)
この動画を見る限り、田中氏は理事長就任当初から、アフリカを支援したいといい、元気がでるような援助をしたいといっていました。支援事業を通して、日本もアフリカもともに元気になるような事業を展開したいというのが、田中明彦氏の願望でした。
その思いをこれまで長く持ち続けておられていたようで、それが、第9回アジア開発会議の一環として、「JICAアフリカ・ホームタウンサミット ~アフリカの発展と地方創生を共につなごう~」が開催する契機にもなっていたようです。
(※ https://ticad9event.jica.go.jp/jp/event/detail_028.html)
JICAスタッフが語り合っている座談会の中で、そのことに触れている箇所がありましたので、ご紹介しましょう。
この座談会は、「意外に身近な日本とアフリカ」というタイトルで、2025年7月30日に行われました。カメルーン生まれ日本育ちの漫画家・星野ルネさん、櫛田眞美さん(JICAアフリカ部計画・TICAD推進課)、仁木保澄さん(JICAアフリカ部アフリカ第四課)の三人が、第9回アフリカ開発会議を前に、アフリカと日本について語り合ったものでした。
櫛田さんが、口火を切ります。
今回のTICAD9では「若者」に着目しています。日本の若者は外国に行かない人が増え、内向きになっていると言われています。一方、アフリカには若者が多く活力があります。アフリカの平均年齢は19.2歳(2024年推計)と若く、大きなポテンシャルがあります。若者同士がつながり合うことで、お互いにいい学びが生まれると期待しています。(櫛田眞美)
そして、ホームタウン構想に触れます。
他にも元気にする取り組みの一つに、「ホームタウン構想」があります。日本には過疎化や人口減少が進んでいる村や町があります。若者も減っていますよね。アフリカと関係の深い地方自治体に「JICAアフリカ・ホームタウン」になってもらい、お互いに元気になるような取り組みを一緒にやろうというものです。(櫛田眞美)
仁木さんもまた、ホームタウン構想の意義を伝えようとしています。
都市部と比べると、地方では海外の人との交流が少なくなりがちです。でも、地方に住んでいてもアフリカの人に触れる機会があるのはいいことですね。(仁木保澄)
最後に、櫛田さんが、日本の若者向けに、メッセージを送っています。
日本とアフリカの若者同士がつながり合って、互いに刺激を与え合う存在になると想像するだけでワクワクしませんか。TICAD9を通じて、日本の若者にもアフリカがどんなところで、どんな魅力があるのかを知ってもらいたいし、アフリカをもっと身近に感じてもらいたいと思っています。(櫛田)
(※ https://www.jica.go.jp/information/topics/2025/p20250730_01.html)
こうしてみてくると、アフリカ・ホームタウン事業は、明らかにこれまでとは違った観点から構築された事業ではなかったかという気がします。田中氏がJICA理事長に就任した当初から、現在に至るまで抱き続けてきた支援に対する願望が反映されているのですが、あくまでも日本社会の中から発想された事業だったように思うのです。
しかも、この事業で看過されていた大きな課題があります。それはナイジェリアの治安の悪さ、犯罪率の高さ、感染症の危険です。諸々、考え合わせると、アフリカ・ホームタウン事業は、ナイジェリアの若者を労働力として日本に招き入れ、日本の若者を現地の危険にさらすという企画でしかなかったように思えます。
アフリカ・ホームタウン事業は、これまでJICAが積み重ねてきた現地のニーズに対応した支援ではなく、平和な日本の中で発想され、構築された支援事業でした。だからこそ、現実味がなく、いったん抗議されれば、早々に撤回せざるをえなかったのではないかという気がします。(2025/9/26 香取淳子)