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「第7回日本画大賞展」:違和感はどこからきたのか。

「第7回日本画大賞展」:違和感はどこからきたのか。

■第7回日本画大賞展の開催
 2018年5月18日から28日まで、上野の森美術館で、「第7回 東山魁夷記念 日経日本画大賞展」が開催されました。別段、馴染みはなかったのですが、日本画大賞展と聞いて、ふっと行ってみる気になりました。

 というのも最近、公募展などでは日本画領域の作品に素晴らしいと思えるものが多く、日本画の真髄とはいったい何なのか、気になっていたからでした。しかも、この展覧会には「東山魁夷記念」という冠が付けられています。東山魁夷といえば日本画の巨匠です。ひょっとしたら、この展覧会で日頃の疑問が解けるかもしれません。そんな期待を抱いて、開催期間も終わりに近づいた5月25日、上野に出かけてみました。

 午前中に出かけたせいか、会場には拍子抜けするほど観客が少なく、驚いてしまいました。見渡すと、観客同士が挨拶し合っています。どうやら出品者の関係者のようです。なんとなく、内輪の展覧会のような印象を受けました。

 展示されていたのは、大賞受賞作品と入選作品合わせ、わずか24点でした。この展覧会の観客の多くが出品者に関係する人々だとすれば、観客数が予想外に少なかったのも不思議ではありません。

 さて、観客が少なく、展示作品も少なかったので、それぞれの作品をゆっくりと鑑賞することができました。とはいえ、展示作品のほとんどが、大型の作品でしたから、鑑賞するのも大変です。中には鑑賞するための距離を十分に取れないほど巨大な作品も目につきました。これほど大きなサイズである必要があるのかと思ってしまうほど、全般に作品サイズが大きかったのが、この展覧会の第一印象でした。

 しかも、展示作品の中には、私がイメージしている日本画とはいいがたい作品も多々、見受けられました。1階から2階へと展示作品を順に見ていくうちに、日本画の真髄とはいったい何なのか、果たしてこの展覧会で理解しうるのか、疑問に思えてきました。

 当初、抱いていた期待はどこへやら、まるで巨大さを競い合っているかのように見える展示作品を前にして、疲れさえ覚え始めました。1階の作品を見終えた辺りで、早くも、ここで日本画の真髄を把握しようとするのは無理ではないかと思うようになっていました。

■大賞を受賞した「桜木影向図」
 会場で展示されていたのは、全国の美術館学芸員、大学教授、研究者、評論家が推薦した55作家、55作品の中から、6名の選考委員による第一次選考を経て、入選した24作品でした。公募制ではなく、絵画に関する有識者による推薦作品が第一選考の母集団だったのです。

 鑑識力のある人々が推薦した作品がベースになっていますから、第一次選考段階では相当、力量の高い作品が選ばれたことになります。その後、最終選考会を経て、大賞に選ばれたのが、浅見貴子氏の「桜木影向図」でした。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。http://www.tamabi.ac.jp/dept/jp/faculty/06/index.htmより)

 パネル三枚組のこの作品は、サイズが265.0×570.0㎝、材質が白麻紙、墨、顔料、樹脂膠で、2015年に制作されました。これだけ見ると巨大ですが、これ以上に大きな作品が同じコーナーに展示されていましたから、この作品はむしろ適度な大きさに見えます。観客を疲れさせることなく、画風も水墨画風で、ほっとした気分にさせられます。

 同じコーナーに展示されていたのが、「ウブスナ」(192.0×650.0㎝)、「高麗」(230.0×480.0㎝)、「わらう獣、山羊と花」(273.0×1104.0㎝)などの巨大な作品でした。モチーフにしろ、色彩にしろ、材質にしろ、これらの作品はいずれも強烈な存在感がありました。

 そのような作品を見てから、浅見氏の作品(「桜木影向図」)を見ると、繊細で洗練された美しさが際立っていることがわかります。静かな中に研ぎ澄まされた優雅さが匂い立ってくるようで、心惹かれます。

 適度に設けられた余白、省略と間、そして、適度な距離感と節度、品の良さがあり、見ていると、知らず知らずのうちに気持ちが和んでいくのを感じます。脈々と受け継がれてきた日本画の本質の一端を見たような思いがしました。

 浅見氏は今回で4回目の入選だそうです。会場に入ってすぐ、観客の様子から内輪の展覧会のようだと思ったのですが、その通りでした。他の出品者も、おそらく審査員も、常連だったのでしょう。

■展示作品に感じた違和感
 展示作品は巨大サイズのものが多く、しかも、色調に違和感があり、日本画らしくない大雑把なものを感じさせられる作品が多々、見受けられました。それにしても、なぜ、こんなに大きなサイズにする必要があるのでしょうか。まるで壁のように見える作品を見ていると、もはや絵画という範疇を超えているのではないかという気がしてくるぐらいです。

 最初にいいましたように、私は日本画の真髄とは何か、日本的なものとは何かを知りたくて、この展覧会を訪れました。ところが、展示されていたのは、巨大すぎて焦点がぼやけてしまっているような作品、あるいは、他の公募展でも見られるようなモチーフや画法の作品が目につきました。正直なところ、期待外れでした。

 日本画大賞展で、しかも、わざわざ「東山魁夷記念」と銘打たれている展覧会なのに、日本画のすばらしさ、東山魁夷の片鱗を感じさせる作品がほとんど見られませんでした。ここで展示されていることの意味がよくわからない作品が多かったのが気になりました。

 展示作品の多くが、いたずらに巨大で自己主張が強く、慎ましやかさ、奥ゆかしさ、滲み出る内面の豊かさといったものを読み取ることが難しかったのです。私が勝手にイメージしているだけなのかもしれませんが、いわゆる日本的なるものを感じさせられることが少なかったのです。

 この展覧会に抱いていたイメージと、展示作品とのギャップが大きかっただけに、一体、どのような選考基準で入選作品が選ばれたのか、気になってきました。

 そもそも、選考委員はどのように選ばれたのでしょうか。選考委員の日本画あるいは東山魁夷への造詣はどの程度のものなのでしょうか。さらには、有識者から推薦された55作品の中から、どのような基準、選考方式で第一次選考が行われたのでしょうか。疑問が次々と浮かびます。とはいえ、それを解き明かすカギは何一つありません。

■選考基準
 55作品の中からいったい、どのような選考基準で入選作が選ばれたのか、手がかりを求めて、図録を購入しました。

 図録の最初に記載されている概要の中から、選考基準を見ると、「日本画作品を描く画家とする」「受賞時に満55歳以下とする」「積極的に日本画作品を発表し、次代の美術界をリードすることが期待される画家とする」「過去に日経日本画大賞を受賞した作家は、推薦対象から除外する」等々の4点でした。

 不思議なことに、東山魁夷記念と銘打たれた展覧会でしたが、選考基準に「東山魁夷」に関する要件が見当たりませんでした。日本画についての定義も「日本画作品を描く画家とする」「積極的に日本画作品を発表し」という曖昧なものでした。

 そこで、「設立趣旨」を見ると、以下のように書かれています。

 「本賞は21世紀の美術界を担う新進気鋭の日本画家を表彰する制度として設立する。1999年に亡くなられた日本画壇の巨匠・東山魁夷画伯が遺した功績を称えるとともに、これまで受け継がれてきた日本画の世界を後世に伝えることと、日々研鑽を積んでいる日本画家の仕事を客観的に評価し、次代をリードする画家の発掘を目的とする」

 「設立趣旨」はとても納得できる内容です。そこで、改めて「選考基準」と突き合わせてみると、「設立趣旨」で明記されていた「東山魁夷が遺した功績を称える」、「これまで受け継がれてきた日本画の世界を後世に伝える」という要件が、「選考基準」では無くなっています。

 「設立趣旨」では明確に示されていた要件が、「選考基準」では、「日本画作品を描く画家とする」「積極的に日本画作品を発表し」という程度の、とても要件ともいえない曖昧なものに変わってしまっていました。

 私は今回はじめてこの展覧会に参加したので、これまでの経緯は全く知りません。ただ、「日本画大賞」「東山魁夷記念」といったこの展覧会の名称と、展示作品との乖離に違和感を覚え、素朴な疑問から、選考基準等をチェックすると、「設立趣旨」と「選考基準」に齟齬がみられることがわかったのです。

 両者を照合してみると、「設立趣旨」で示されているいくつかの要件を、「選考基準」では、「次代をリードする画家の発掘」に絞り込んでいるふしが見受けられます。おそらく、そのせいで、伝統的な日本画らしくない作品が多く入選し、展示されることになったのかもしれません。

 出品リストから展示作品の技法や材質をみると、ほとんどが日本画を描く画家が使う材質を使っていましたが、中には、通常の日本画材質に加え、タイル、セメント、鉄、アルミニウム、といった日本画には似つかわしくない材質が使われている作品もありました。それでも、「日本画を描く画家」であれば、この選考基準に反するとはいえないのです。

 そして、私が気になっていた作品の大きさですが、選考基準では、「推薦作品の大きさは特に制限しない。ただし展覧会場での展示が困難な場合は、代替作品の出品も検討する」という程度の規定でした。選考基準に制限がないので、どの作品も野放図に大きくなってしまったのでしょう。

 それでは、これらの作品を、審査員はどう評価していたのでしょうか。

■選考委員の見解
 図録では、「審査を終えて」というタイトルの下、6名の審査員が所見を綴っています。わかりやすくするため、講評の中で取り上げられた作品を審査員ごとに集計し、表にしてみました。すると、審査員によって評価が大きく異なることがわかりました。

 審査員の専門領域と関連づけてみると、さらに明確な傾向を見て取ることができるのでしょうが、ここではそうすることはしません。ただ、これだけ評価に幅があるということは、審査員の間で、日本画についての基準が確認されないまま、選考に臨んだ可能性が考えられます。

 さて、会場では写真撮影が禁じられていたので、展示作品をご紹介することはできませんが、帰宅してネットをチェックしてみると、上記の作品のうちいくつかが掲載された記事を見つけましたので、さっそく、ご紹介することにしましょう。

こちら →http://www.art-annual.jp/news-exhibition/news/71413/

 ここでは、大賞の「桜木影向図」以外に、「斉唱―神7の唄」、「高麗」、「わらう獣」、「ウブスナ」、「箱庭療法」、「声」、「樹象二」、「熊本ものがたりの屏風」、「ある都市の肖像」、「水焔図」、「境界Ⅺ、境界Ⅻ」等の11点、合計12点が取り上げられています。展示作品のちょうど半数です。

■「第7回日本画大賞展」のコンセプトは?
 先ほどご紹介したのは、「第7回 東山魁夷記念 日経日本画大賞展」を紹介するための記事に取り上げられた作品です。展示作品の半数が取り上げられていることから、Art Annual onlineの記者ができるだけ多様な作品を紹介しようとしたことがわかります。ところが、いかにも「日本画」らしい作品はすべてカットされていました。記者が勝手に取り上げる作品を取捨選択したとも思えません。

 不思議に思いながら、記事を読んでいくと、選考委員長の高階秀爾氏が大賞を受賞した「桜木影向図」の前で挨拶をする写真に、以下のようなキャプションが添えられているのに気づきました。

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選考委員を務めた高階秀爾氏は「今回も従来の日本画のイメージを覆すような新鮮な作品が集まり、日本画というものの広がりを示す展覧会となった。若い入選作家も増えており、今後の展開にとても期待している」と語った。
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 このキャプションを読んで、ようやく気づきました。「第7回 東山魁夷記念 日経日本画大賞展」は、「日本画のイメージを覆すような新鮮な」作品を求めるためのものだったのでした。全国から寄せられた55の作品もおそらく、このような基準で篩に掛けられたのでしょう。

 「今回も」と高階氏が述べていることから、いつごろからか、少なくともここ最近は、「設立趣旨」とは異なり、「日本画のイメージを覆すような新鮮な」をコンセプトに選考されてきたことがわかります。

 これでようやく、日本画の真髄を求めてこの展覧会を訪れた私が、会場に入ってすぐ、違和感を覚えた理由がわかりました。設立趣旨に掲げられている「これまで受け継がれてきた日本画の世界を後世に伝える」作品ではなく、「日本画のイメージを覆すような新鮮な」作品が選ばれていたからでした。

■強く印象に残った作品
 展示作品の中で、私がぱっと見て日本画らしさを感じたのは、浅見貴子氏の「桜木影向図」以外に、加藤良造氏の「三境図」、佐藤真美氏の「光の脈」、伴戸玲伊子氏の「流水譚」、土方朋子氏の「かへりゆく」、古賀あさみ氏の「黙」でした。

 それからもう一点、いわゆる日本画らしさを感じたわけではないのですが、日本的な感性を感じさせられたのが、椎名絢氏の「宿・中庭」でした。モチーフの捉え方や表現の仕方に融通無碍な制作姿勢を垣間見ることができる、不思議な味わいのある作品でした。

 これらの作品は、私が知りたかった日本画の真髄とは何か、といったようなことに、少しでも近づくことができる内容でした。ところが、先ほどの記事の中ではどれ一つ紹介されていませんでしたので、ここで、とくに印象に残った3作品について、ご紹介することにしましょう。

 残念ながら、会場では撮影が禁止されていましたので、ネットで見つけることができれば、ご紹介していくことにしましょう。

■日本画らしさを感じさせられた作品
 日本画らしさを感じさせられたのが、加藤良造氏の「三境図」という作品です。帰宅してからネットで検索してみましたが、この作品を見つけることはできませんでした。ただ、似たようなタッチの作品を見つけることができました。多少なりとも作品の雰囲気がわかると思いますので、ご紹介することにしましょう。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。http://www.tamabi.ac.jp/dept/jp/faculty/06/index.htmより)

 今回の会場に展示されていた「三境図」は、パネル7枚組で、97.0×1134.0㎝の巨大な作品です。上記の作品とタッチが似ていますが、山と川、空気、木々のそよぎが感じられ、圧巻でした。自然の営みの微妙な要素が巧みに描かれており、興趣溢れた作品でしたが、なぜか、審査員から評価されていません。

 敢えて、その理由を探せば、隙間なく空間が描き込まれ、余白といったものがなかったからでしょうか。確かな画力でとても繊細にモチーフを捉え、濃密に細部まで表現されているのですが、何かを省略する、あるいは、余白で想像力を刺激する、といった要素が見られず、観客を巻き込む力が弱かったからかもしれません。

■日本社会の過去・現在・未来を感じさせられた作品
 とても印象深かったのが、伴戸玲伊子氏の「流水譚」という作品です。これもネットで検索しても見つけることができませんでした。探しているうちに、伴戸氏の他の作品を見つけました。少なくとも作品の雰囲気ぐらいはわかっていただけるかもしれません。ご紹介しましょう。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。https://ameblo.jp/yoryry/entry-11733820965.htmlより)

 展示作品はこれよりもさらに風景の捉え方に深みがあり、画法に繊細なしなやかさがありました。

 伴戸玲伊子氏の「流水譚」には見た瞬間、引き込まれました。日本画らしさを備えながらも、現代的な切れ味の良さ、シャープで洗練された味わいがあったのです。一見、墨絵のような静けさがあるかと思えば、タッチに洋画を思わせる濃厚さがあります。さらに、ところどころ、淡く着色されているところがあり、着色されていないところとの異化作用が作品全体に弾力性をもたらせていました。

 とくに惹かれたのが、風景が多層的に捉えられ、多彩な様相を醸し出すことに成功していたところでした。そこには、フラットでありながら掴みどころのない現代社会そのものを彷彿させるものがありました。日本社会の過去・現在・未来を、この作品から感じさせられます。新しい才能だといわざるをえません。

 実はこの展覧会でもっとも惹きつけられたのが、この作品でした。

■日本的感性を感じさせられた作品
 作品を見て、なんとも不思議な感覚に囚われてしまったのが、椎名絢氏の「宿・中庭」でした。古い旅館の二階から中庭を見下ろした光景が描かれています。

 直線であるはずの廊下が曲線で描かれていたり、庭木が水の中で揺らいでいるように描かれていたり、石灯籠が不定形をしていたり、なんとも得体のしれない世界が描出されていて、この作品の前で思わず、立ち止まってしまいました。

こちらはネットで見つけることができましたので、ご紹介しましょう。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。
http://www.makiimasaru.com/mmfa/archive/2015/1002/index.htmlより)

 日本画の材質を使って日本的モチーフを描きながら、捉え方に作家独特のフィルターがかけられており、時空を超えた世界が表現されていました。日本人なら誰もが一度は見たことがある、何気ない光景ですが、独自の捉え方で表現することによって、実はどこにもない光景に転化させています。その結果、時空を超えた世界を生み出すことができたのでしょう。これもまた、日本画の領域を切り開くものといえるでしょう。とても興味深い作品でした。

■絵画コンクールと審査員
 日本画の真髄とは何かを求めて、この展覧会に参加しました。展示作品の多くは私が抱いていた日本画イメージとはほど遠いものでしたが、中にはいくつか、日本画の真髄に迫ろうとするものではないかと思わせられるものがありました。一つは「流水譚」であり、もう一つは「宿・中庭」でした。

 先ほどご紹介しましたように、これらの作品は、奇をてらうことなく、重すぎることなく、さり気なく、日本画の新たな領域を切り拓いていました。残念ながら、審査員からは評価されていなかったようです。それだけに、絵画コンクールと審査員の関係について考えさせられました。

 今回、展示作品に違和感を覚えたので、選考基準、当該コンクールの趣旨などを調べてみました。その結果、両者に齟齬があることがわかりました。それが展示作品の傾向に反映されていたのです。

 全国どこにいても、才能のある人材が発掘されるためには、デビューの場として、絵画コンクールが果たす役割は重要です。有為の人材を適切に発掘するには、なによりもまず、その評価体系が整備されていなければないことがわかります。それには当該コンクールのコンセプトと審査員の専門領域、選考基準のマッチングが重要だということを、改めて感じさせられました。(2018/5/31 香取淳子)

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