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張暁文氏の「満洲魂」

第15回アジア創造美術展:張暁文氏「満洲魂」に見る創作衝動の源泉

■「第15回アジア創造美術展」の開催
 2018年1月24日から2月5日まで、国立新美術館で「第15回アジア創造美術展2018」が開催されました。今回は日中友好を記念して開催されたせいか、日本、中国、韓国、スイス、ポーランドなどから300点余の作品、さらに、ウズベキスタン、キルギス、カザフスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、バングラデシュから子どもたちの作品も展示されていました。まさに「アジア創造美術展」の名の通り、多様性に満ちた創造空間が、他の会場にはない雰囲気を醸し出していました。

 私が訪れたのは最終日でしたが、会場に足を踏み入れると、正面に自由闊達な創造空間が広がっており、異彩を放っていました。

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 まず、目の前に広げられている掛布団のようなものに驚かされます。何かと思って近づいてみると、巨大な白い紙の上に墨汁の濃淡で表現された作品世界が広がっていました。書といえばいいのでしょうか、あるいは墨絵といえばいいのでしょうか。入口のところでまず意表を突かれたのは、濱崎道子氏の作品でした。造形の新領域への挑戦が際立っていました。「胎動」というタイトルがつけられています。

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 根元が太く濃く、力強く上に伸びていく墨の勢いが勇壮で、印象的です。その合間を縫うように、かすれた線、小さな面がバランスを崩すように配置されています。そのせいか、作品全体に微妙な動きが生み出されています。しかも、その下には奇妙な膨らみがあり、そこから何かが新たに立ち上がっていくような気配が感じられます。まさに「胎動」です。

 二次元の世界に三次元の要素が組み入れられた濱崎氏の作品を見ていると、束の間、子ども心を取り戻したような気になります。歳月を経て、硬直化しパターン化してしまった思考の回路に、失われていた柔軟性が蘇ってくるような思いがしました。

■遊び心満載の会場
 さきほどの写真でいえば、会場正面の右上に、歩くヒトの影絵が掲示されています。これが、回り込んでみると、「アジア創造美術展」の幕の左側になります。

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 気になって、会場スタッフに尋ねると、これは亜細亜太平洋水墨画会会長の溝口墨道氏の作品でした。通常の作品が展示されているラインよりもやや高いところに、さり気なく掲げられており、入口だけではなく随所に展示されていましたから、この影絵がまるで観客を誘導していくガイドのように見えました。

 この影絵もまた、観客の奥深く沈潜していた子ども心を蘇らせてくれます。しかも、これが会場のあちこちに配置されていますから、この影絵を通して、個々の展示作品が有機的に繋がっていくような効果がみられます。とても斬新な仕掛けだと思いました。

 観客は会場の展示作品を見ているうちに、忘れていた童心を思い起こし、日常から解放されていきます。やがて、絵画を素直に鑑賞できる柔軟な心を取り戻していくのです。そればかりではありません。この影絵の存在によって、作品と観客とが童心で結ばれ、それらが会場全体に有機的に繋がり合って、一体化していくように思えました。すばらしいアイデアです。

 書の展示も一風、変わっていました。まるで積木を積み上げたような趣があります。遊び心満載の展示を見て、気持ちが緩みます。

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 このような仕掛けを見ていると、パターン化された日常生活の中で、ともすれば自分を見失いがちになっていることに気づかされます。その一方で、会場にいるだけで、自由奔放な気持ちを取り戻せそうな気持にもなっていきます。

 形を超え、色を超え、表現の次元を超えて飛翔する創造者の集団だからこそ提供できる、居心地の良さを感じました。諸作品を見ていくうちに、私は次第に気持ちが解放され、豊かに広がっていく思いがしました。

 そんな中、気になった作品があります。会場に入ってすぐのコーナーに展示されていた作品です。タイトルは「満洲魂」、張暁文氏の作品でした。後でわかったことですが、張暁文氏はさきほど紹介した亜細亜太平洋水墨画会会長の溝口墨道氏の奥様で、同会の副会長でした。

 作品サイズが大きいわけではなく、モチーフが目立つわけでもなく、遠目に映える作品でもありませんが、目にした途端、妙に気になったのです。この作品には、気持ちの奥深く、訴えかけてくる何かがありました。

 それでは、詳しく見ていくことにしましょう。

■張暁文氏の「満洲魂」
 この作品は、藍色を基調にした作品を中央に置き、その周囲に、紅色を基調にした作品4つが取り囲む格好で構成されています。離れてみると、5枚のキャンバスの配置が十字架のようにも見えます。このような展示構成のせいでしょうか、それとも色彩のせいでしょうか、見ているうちに、不思議に感情がかき立てられていきます。

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 近づいて見ると、左右、下に配置された紅色基調の作品には何やら文字が書かれています。漢字でもなければアルファベットでもなく、見たこともない文字です。タイトルに「満洲魂」とありますから、ひょっとしたら満洲文字なのかもしれません。

 しげしげと見入っていると、作者の張暁文氏が近づいて来られたので、尋ねてみました。やはり、満洲文字でした。紅色基調の4枚のキャンバスのうち、上の絵は門を示しているのだそうです。そう言われてみれば、丸い図形のようなものはドアのノッカーに見えます。どういうわけか、これには文字は書かれていません。

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 張氏は、この絵に「家」あるいは「故郷」という意味を託したといいます。

 一方、形状の違うぼんぼりのような灯りが描かれた左、右、下の絵、そして、真ん中に置かれた藍色の絵には、それぞれ満洲文字が添えられています。いったい、どのような意味が込められているのでしょうか。ふたたび、張氏に尋ねてみました。

■絵に添えられた満洲文字
 まず、左側の絵からみていくことにしましょう。

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 右側に蓮のつぼみのような形状の紅色のぼんぼりがレイアウトされ、その左側に満洲文字が書かれています。張氏によれば、これは、「高揚民族精神」、「振興満洲族文化」という意味なのだそうです。

 これと似たような形状のぼんぼりが描かれているのが、右側に置かれた絵です。

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 こちらは、左側にぼんぼりが置かれ、右側に満洲文字が書かれています。張氏によれば、これは、「満洲文字の歴史を鑑とする」「平和を祈る」という意味だそうです。

 2枚の絵はメインの絵を挟んで配置されています。両方ともぼんぼりが描かれているせいか、まるで左大臣と右大臣のように、紅色の絵が両側から、藍色の絵をしっかりと守る役割を担っているように見えます。

 さて、下の絵にも満洲文字が書かれています。

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 張氏によれば、これらは、「尊重」、「重視」、「起源」という意味だそうです。左右の絵に比べて文字数が少ないことを考え合わせれば、文字が添えられていない上の絵に対応して構成されているのかもしれません。そういえば、描かれているぼんぼりも、左右の絵とは形状や色が異なります。この絵のぼんぼりが白色だということは、上の絵のノッカーの白色に対応させたものともいえます。

 そして、真ん中には藍色基調のキャンバスがレイアウトされています。

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 ここにも文字が書かれています。張氏によると、「千年に一度、出会う奇跡」、「良書良友」、「永遠の平和」という意味だそうです。

■満洲語から読み解く「満洲魂」
 それでは、満洲語で書かれた文字からこの作品のメッセージを私なりに推測し、読み解いてみることにしましょう。

 まず、メインの藍色の絵の満洲文字からは、素晴らしい書や友に支えられていれば(「良書良友」)、「千年に一度、起こるような奇跡」に出会い、「永遠の平和」が訪れる、ということが示唆されています。これは作者の究極の願望であり、創作の目的でもあるのでしょう。

 ところで、このメインメッセージは4枚の紅色の絵で取り囲まれています。そのうち3枚には満洲文字が書かれていますから、それらを読み解いていけば、おそらく、私の拙い解釈を補ってくれるはずです。上から順にみていくことにしましょう。

 上の絵に文字はなく、ドアのノッカーが二つ描かれているだけです。張氏はこの絵について、「家」、「故郷」を示したといいます。ヒトが依って立つ基盤である「家」、そして、家を包み込む「故郷」です。この作品の発想の原点がここにあるような気がします。自分のアイデンティティを生み出し、支えてくれるのが、「家」(家庭)であり、故郷だという思いが込められています。

 さきほどもいいましたように、この絵と視覚構造的に対になっているのが、下の絵です。そこに書かれている満洲文字は、「尊重」、「重視」、「起源」でした。これを上の絵と関連づけて解釈するとすれば、ヒトの「起源」は家あるいは故郷にあるからこそ、家や故郷を尊重し、重視していかなければならない、と言っているように思えます。つまり、ここではヒトとして生きていくための心構えが説かれているのです。

 そして、左の絵に書かれているのが、「高揚民族精神」、「振興満洲文化」でした。ヒトが依って立つ基盤である家や故郷を存続させるためには、共通の価値基盤である文化を維持し振興していく必要があるということなのでしょう。すなわち、民族の精神を高揚することであり、張氏にとっては満洲文化を振興していくことになります。

 この絵と対になっているのが、右の絵です。ここに書かれているのが、「満洲文字、歴史を鑑とする」、「平和を祈願する」でした。これを左の絵と関連づけて解釈するとすれば、民族精神を高揚させ、満洲文化を振興するには、満洲文字や歴史を鑑とし、平和を祈願して生活し、生きていかなければならないと説いているといえます。

 こうしてみてくると、作品に文字が添えられていることに、二つの効用があるように思えます。私には判読できませんが、流れるような満洲文字が添えられていることによって、視覚的な興趣があります。そして、満洲文字の意味を理解すれば、さらに作品の深みが増すという効用です。

 一般に、日本では絵に文字を添えることをあまりしません。それだけに、私はこの絵に文字が添えられていることに興味をそそられました。調べてみると、中国では絵に文字を書き込むことはよくあるようです。

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中国では「書画同源」ということがしばしばいわれます。中国の文人にとって、書(文字)と絵画とは、絹(または紙)、墨、筆という同じ道具を使って制作する「線の芸術」であり、文人画家は書の筆法で墨竹、墨梅などの絵画を制作したそうです。近代以前の中国では「美術」に相当する語は「書画」でした。(Weblioより)
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「書画同源」という言葉があるぐらいですから、絵に文字を添えるという発想はごく自然なことなのでしょう。「満洲魂」を見ていると、満洲語が添えられていることによって、作品のメッセージ性がより鮮明に打ち出されていると思いました。

■紅色と藍色で表現された世界
 張氏の「満洲魂」は、紅色で制作された4枚の絵と、藍色で制作されたメインの絵で構成されていました。離れてみると、まるで十字架のようにもみえるユニークな画面構成が印象的です。

 赤といっても、元気、陽気、快活を象徴する色合いではなく、暖かさ、温もり、穏やかさを感じさせる落ち着いた紅色です。また、青といっても、澄み渡った晴天を連想させる蒼ではなく、底知れぬ海の深さを連想させる藍色です。一般的な中国人がお祝いの席で使う赤とも少し違うような気がしますし、内モンゴルなど北方の中国人が好む晴天の青とも異なります。

 紅色にしても藍色にしても、この作品で使われている色にはくすみがあります。そのせいか、5枚のキャンバスのすべてから、程度の差はあれ、そこはかとない哀愁を感じさせられます。それが、この作品の魅力の一つになっています。

 それにしても、なぜ、色彩を紅色と藍色に絞り込んでモチーフを表現しているのでしょうか。張氏に尋ねてみました。

 張氏は若いころ、宮廷画を勉強してきたそうです。宮廷画は、彩色が豊かで緻密な画風が特徴です。ところが、それでは自分らしさを表現できないと思い、今の画風になっていったといいます。さまざまな色を使えば、多くのことを表現できますが、逆に、いいたいことを明確に伝えることは難しいと張氏はいうのです。

 宮廷画の経験から、張氏は、シンプルにした方がメッセージを強く伝えられるという考えにたどり着いたようです。その結果、現在では、青と赤と基調に、差し色として何か一色、つまり、二色か三色でモチーフを表現するというスタイルに落ち着きました。

 そういえば、中国語に丹青という語があります。これは赤と青を指し、転じて絵具、彩色、絵画を指す言葉のようです。日本語でも、「丹青の妙を尽くす」とか、「丹青の技に長じる」という使われ方をしています。赤と青という色(丹青)は中国人にとって色彩の基本ですし、「丹青」という言葉は日本でも使われていたようです。

■「満洲魂」に込められたメッセージ
 さて、「満洲魂」のメインの絵は藍色基調で構成されていました。そのせいか、しっとりとした落ち着きがあり、どことなく悲しさも感じられました。その一方で、藍色の濃淡で表現されたモチーフには荒々しさも感じられます。不思議なことに、静の感情と動の感情が同時にかき立てられるのです。私は、この多様な感情を喚起する藍色の力に興味を覚えました。

 もちろん、色彩はモチーフと密接に関連しています。

 空さえも覆ってしまうほどの怒涛の海の波間に、よく見ると、右下に嫋やかな女性が顔をのぞかせています。荒々しい海の片隅でひっそりと姿を見せる女性、ここに、動と静、そして、強と弱が表現されています。このコントラストを私は面白いと思いました。

 絵柄から、私は勝手に海と思ってしまったのですが、作者はひっとしたら、時代の潮流を表現したかったのかもしれません。だとすれば、打ち寄せては砕ける波の狭間で、もがくわけでもなく、騒ぐわけでもなく、しっかりと前方を見つめている女性は、嫋やかさの中にしなやかさと芯の強さを併せ持つ存在として表現されているといえるでしょう。

 張氏はこの女性について、満州族の女性を表現したといいます。そう言われて、よく見ると、女性の頭上には大きな髪飾りが描かれています。このような髪飾りを、私は清朝の宮廷ドラマで、女性が着用しているのを見たことがあります。清朝の女性、すなわち、満州族の女性です。

 ネットで調べてみると、満州族の上流家庭の女性はこのような髪飾りをつけ、そこに宝石などの装飾品を縫い付けていたようです。

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(http://www.geocities.jp/ramopcommand/_geo_contents_/101223/fuuzoku09.htmlより)

 こうしてみてくると、満洲文字といい、モチーフに添えられた髪飾りといい、明らかに満洲文化とわかるものが絵の中に取り入れられていることがわかります。タイトル通り、「満洲魂」が表現されているのです。

 そして、これまで説明してきたように、メインの絵を取り囲む紅色基調の4枚の絵には、満洲民族にとっての満洲文化の意義が謳われています。

■創作衝動を支えるもの
 張氏は繰り返し、満洲文化を絵の中に取り入れていきたいといいます。それは、自分が依って立つ基盤である民族の精神がなくなると、自分を見失ってしまうからだというのです。

 今回のアジア創造美術展は、日中友好を記念して開催されました。ですから、中国メディアからも取材を受けたようです。ネットで見ると、いくつか取材記事が載っていました。とくに私が興味を覚えたのは、满族文化网の記事でした。

こちら →http://www.sohu.com/a/220126409_115482

 これを読むと、張暁文氏が満洲族の女性であること、両親が「正黄旗」の出身であることなどがわかります。「正黄旗」とは、「鑲黄旗」、「正白旗」と並ぶ上位の貴族です。

 張氏は子どものころは祖母の家で過ごすことが多く、そこで、満洲族の礼儀や伝統文化を身につけたといいます。さまざまな満洲族の生活用品や書画を目にする中で、当然のことながら、宮廷画にも馴染んでいたのでしょう。

 幼いころから絵が好きだったこともあって、張氏は画家を目指し、中国美術学院で学んでいます。当初は宮廷画を学んでいたそうですが、自分のスタイルを創り上げるため、いまの画風に変化させていったようです。

 こうした来歴をみても、張氏の創作衝動の源泉が満洲文化そのものにあることがわかります。「満洲魂」の中で如実に表現されていたように、自分が依って立つ満洲文化を伝え、維持していくために、絵を描いているともいえるでしょう。

 絵は端的にメッセージを伝えることができますし、見る者にさまざまな感情を喚起することもできます。「満洲魂」にひっそりと描かれた女性のように、張氏には、これからも強くしたたかに、満洲文化を振興していっていただきたいと思いました。

 第15回アジア創造美術展で諸作品を鑑賞し、自由な表現の中にこそ、ヒトを感動させる力が潜んでいることを思い知りました。改めて、表現方法をさまざまに模索していくことの大切さを感じました。張氏の作品をはじめ、見ごたえのある作品が多いと思ったのは、この展覧会には自由な創造の軌跡そのものが展示されていたからかもしれません。(2018/2/21 香取淳子)