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映画『安魂』を観て、遺された者が奏でるレクイエムを聴く

■映画『安魂』の試写を鑑賞

 映画『安魂』の試写を観ました。この映画は、周大新の『安魂』(谷川毅訳、河出書房新社)を原作に、日向寺太郎監督、富川元文脚本の下で製作された日中合作映画です。2022年1月15日から岩波ホールで2週間、先行公開された後、全国で順次、公開されます。

 予告編がアップされていますので、ご紹介しましょう。

こちら → https://ankon.pal-ep.com/

 2分5秒ほどの動画ですが、この映画のエッセンスがよくわかるように作られていました。

 突如、息子に先立たれた父親が深い喪失感に苛まれ、藻掻き、苦しみながら、なんとか立ち直っていくプロセスが描かれています。とくに、息子が亡くなってからの展開が素晴らしく、夢中になって観てしまいました。

 画面に引き込まれ、見終えてしばらくは、その余韻から抜け出せなくなっていたほどです。久々に感動した映画でした。

 最愛の息子を失った父親の喪失感がどれほどのものか、どのようなプロセスを経て、喪失感から回復することができたのか。さまざまなエピソードを積み重ね、きめ細かく丁寧に描かれていました。おかげで、父親の心理の紆余曲折が情感豊かに伝わってきます。

 主人公は父親ですが、同じぐらい重要な役割を果たしていたのが、息子と息子に似た詐欺師です。後半になると、父親と息子に似た詐欺師の対話シーンが多くなりました。概念的、哲学的な内容で、どちらかといえば、深刻で馴染みにくいものでした。

ところが、そのような内容にもかかわらず、ごく自然に感情移入することができ、夢中になって画面を見ることができたのです。ひとえに演技者の卓越した表現力のおかげでしょう。父親を演じたのが、巍子(ウェイ・ツー)、息子と息子に似た詐欺師の二役を演じたのが、强宇(チアン・ユー)でした。

 父親役の巍子(ウェイ・ツー)がぼそっと喋る低い声には、限りなく深い悲しみが込められていましたし、息子と息子に似た詐欺師の二役を演じた强宇(チアン・ユー)の儚く、クールな表情には、内面の葛藤を抑制できる知性が感じられました。二人とも役柄にぴったりの資質を備えていたのです。

 それでは、映画の内容をメインストーリーに沿ってご紹介し、なぜ、私が感動したのかを振り返ってみたいと思います。

 ここでは、わかりやすくするため、登場人物を名前ではなく、属性に従って、父親、母親、息子、若者(息子に似た詐欺師)、スーツ男(詐欺師の叔父、詐欺の主犯格)、恋人、日本留学生、友達(息子の職場友達)女性(詐欺師の仲間)と呼ぶことにします。

 なお、以下の文章では、感動のあまり、映画の結末に触れてしまっていますので、ご注意いただければと思います。
 

■第1幕の構成

●澤風大過の卦
 
 冒頭のシーン、限りなく広がる畑の中を男の子が歩いています。時折、葉をむしり取りながら、動き回っていて、ふと気づいたのが、大きな木の下にいる高齢者でした。空を見て、何やら考えている様子です。

 不思議に思った男の子が近づいてきて、「何してるの?」と問うと、「未来を見てる」と答え、「父は作家か?」と尋ねます。男の子はうなづき、「父さんはここで育ったんだ」と答えます。

 画面は変わり、二人の男が話しながら歩いてくる様子が映し出されます。

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(試写映像より。図をクリックすると拡大します)

 大きな横断幕には、「楊橋村の栄誉、鳳凰文学賞受賞者唐大男講演会」と書かれています。冒頭の男の子の話と照らし合わせて、これを見ると、父親は作家の「唐大道」だということがわかります。文学賞の受賞記念に開催された講演会に出席するため、父親は息子を連れて故郷に帰ってきていたのです。

 木の下に息子がいるのを見つけ、父親は「行くぞ!」と叫びますが、息子は高齢者と話していて、動きません。父親が、あれは誰だと尋ねると、村人は、占いや易を仕事にしており、暇なときはいつも、あそこに座って空を見ていると答えます。

 その占い師に息子は手のひらを見せ、生まれた年、月日、時刻などを聞かれるままに答えています。占ってみた結果が、「澤風大過の卦」でした。

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 「どういう意味?」と聞く息子に向かって、占い師は、「過分なものを求めると、悲しき未来が待っておるぞ」と予言します。

 これが、その後の展開の導入になります。

 その後、舞台は20年後の開封市になります。

●頑張りすぎる息子

 20年後の開封市では、成長した息子が会社で忙しく働いています。一方、父親は大勢の人々を前に、新刊記念サイン会に臨んでいます。さらに、名声が高まっているのです。

 そんなある日、息子は交際している女性を呼び寄せ、両親に引き合わせます。母親は彼女をもてなそうとしますが、父親は「お前にふさわしくない」と拒否します。息子とは教育レベルが違うというのです。

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 息子が「彼女と一緒になりたい」と言い張り、母親が取り成しても、父親は「愛など時とともに変化する。理性的になれ」と息子を叱り、結婚を認めようとしません。

 客間に戻ってみると、彼女はおらず、慌てた息子はバスターミナルに向かいます。バスに乗り込もうとしていた彼女を見つけ、「君と一緒に村に行く」と息子は言いますが、「私のために両親ともめないで。私は大丈夫」と説得され、バスは発車します。

 バスターミナルでそのまま茫然と座っていた息子は、目の前で日本人留学生のバッグが置き引きされるのを目撃します。慌てて追いかけ、なんとかバッグを取り戻しますが、息子はその場で倒れてしまいます。救急車で運ばれ、検査の結果、脳腫瘍だということがわかりました。

 医者からレントゲン写真を見せられて、「ただちに手術が必要」と言われ、父はそれに同意します。一方、息子は明日にも退院できると思っています。その息子の病室に、帰郷の途中で引き返してきた恋人が、心配そうな顔で入ってきます。

 「なぜ、急に倒れたの?」と問われ、息子は「仕事が忙しかったから・・・」と弱々しく答えます。恋人は思わず、泣き顔になって、「頑張り過ぎないでね」と訴えます。

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「頑張りすぎる息子」というのが、ここまでの展開のキーフレーズです。

 周りから頑張りすぎると思われるほど、息子は仕事に打ち込んでいます。それが、占い師が告げた「過分なものを求めると」という予言を思い起こさせます。

 息子が頑張るのは、分野が違っても、父親のように成功するには、努力しかないと思っているからですが、そこに、作家として成功した父親と、その父親を目指す息子との微妙な関係が示唆されています。

●父さんが好きなのは、自分の心の中の僕なんだ

 手術が終わって病室に戻った息子の傍に、父親がそっと寄り添っています。

 息子は薄目を開き、「あっちの世界を見たよ。僕はきっと、入口まで行った」、「僕は軽くなって、この身体から漂い出た」と言い、「浮き上がって、火災報知器の場所まで浮いた」とつぶやきます。

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 「下を見ると、自分が横たわっていた。入っていこうとしたら、目が覚めた」と息子は言います。父親は、「夢を見ていたんだ。ばかな考えはよせ」と言い、「私より先にお前が逝くはずがない」と強い口調になります。

 息子は「そうだね」と素直に受け、「この世で、まだ何も成し遂げていない」とつぶやきます。辛くなった父親が、「もうしゃべるな。先生を呼んでくる」といって立ち上がると、息子は、「父さん、僕が嫌い?」と尋ねます。驚いた父親が、「何をいいだすんだ。ただ一人の息子を嫌うものか」と語調を強めます。

 息子は続けて、「父さんが好きなのは、自分の心の中の僕なんだ」、「今の僕じゃなく、心の中の僕なんだ」と絞り出すような声で言います。

●努力しないと、父さんのようになれない

 自室に戻った父親は、子供の頃の息子とのやり取りを回想します。

 「友達が出来たのに引っ越し?」と問う息子に、父親は、「この環境はお前によくない」と断定します。「サッカー褒められたんだ」と誇らしげに言う息子に対し、「いいか、サッカーなど役に立たん」と父親は、一言の下に否定してしまいます。

 そして、「お前の目標は勉強して、いい大学に入ることだ」と言い渡すのです。

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 息子は「わかった」と答えていますが、どう見ても、納得しているとはいえない表情を浮かべています。

 病院に来て、待機していた父親は、うたた寝をしている間も、息子を自転車に乗せて凧揚げを見に行った時のことを思い出していました。

 ふと目覚めて、父親が病室に行くと、息子はベッドに身を起こし、パソコンを操作しています。「何をしてる?」と父親が尋ねると、「仕事が終わらない」と言い、しきりにため息をつきます。

 「パソコンをやめろ」と父親が言うと、「努力しないと、父さんのようになれない」と息子は喘ぐように言います。

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 「分野は違うけど、父さんのように成功したい」息子が言うと、父親は顔を寄せ、息子の目をじっと見つめ、「もっと上を目指せ、私を超えるんだ」と力を込めて言います。息子は弱弱しくうなづきます。

●予言の的中

 看護婦が来て、息子を検査室へ連れて行きます。心配そうに見守る父親。しばらくすると、廊下を慌ただしく看護婦が行き来し、そのうちの一人が待機している父親のところにやって来て、息子の容体に異変が起こったと知らせます。

 病室では医師が懸命に心臓をマッサージしていましたが、その甲斐なく、午後9時30分、息子は亡くなってしまいます。

 10歳の頃、占い師から告げられた予言通り、息子は「父さんのように成功したい」と頑張りすぎて、早すぎる死を迎えてしまいました。「過分なもの」を求め、「悲しい結末」を引き当ててしまったのです。

 ここまでが第一幕です。

 確かに、息子は命を縮めるほど、頑張りすぎました。ところが、いくつかの回想シーンから、父親が息子に過剰な期待を寄せていたことが明らかにされています。父親はそれを息子に対する愛だと思っていたかもしれませんが、過剰な期待が息子を追い詰め、過剰な努力を強いていた可能性が考えられます。

 それが証拠に、今にも旅立とうとする時、息子は喘ぎながら、「父さんが好きなのは、自分の心の中の僕なんだ」と言い残しました。

 息子にしてみれば、必死の思いで努力しているのに、父親から認めてもらえず、愛されているという実感を持てなかったのでしょう。最後に、力を振り絞って言葉にしたのが、このフレーズでした。

 過剰な期待を寄せ、高い目標設定をし、「過分なこと」を息子に強いてきた父親こそが、「悲しい結末」を引き寄せたかもしれないのです。

 遺された者には重くのしかかります。

■第2幕の構成

●息子の居場所を知りたい

 葬儀が終わると、父親は骨壺にそっと上着をかけ、母親と共に雨の中をとぼとぼと歩いて帰宅します。息子の部屋に入った父親は、泣き崩れ、「なぜ、どうして?」と振り絞るように声を出し、母親もまた涙にくれています。

 部屋を暗くしたまま、一人座り込む父親。壁には息子の写真が飾ってあります。母親がお茶を持ってくると、まるで避けるかのように、父親は「ちょっと散歩してくる」といって出かけ、川辺でしばらく座り込んで、物思いにふけっています。

 また、ある時は、母親が部屋を開けると、父親は本に埋もれるようにして、調べものをしています。息子の霊魂の居場所を知ろうとして、さまざまな宗教書を読み漁っていたのです。

 仏教の教義では、死者の魂は7日間遺体の傍に留まるといい、イスラム教では魂は死後7日、“楽園”と呼ばれる場所にいると、父親は読み上げます。そして、エジプトの神話では、キリスト教では、故郷の言い伝えでは・・・、といった具合です。

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 父親は手当たり次第に宗教書を読み、息子の魂の行く末を把握しようと藻掻いていました。見かねた母親は、父親の頭をそっと撫で、「私たちが受け入れないと・・・」とつぶやきます。

 ところが、父親は壁にかけた写真に向かって、「お前に会いたい」と泣き崩れてしまいます。母親は背後から肩に手をかけ、父親の背中に顔を寄せます。息子を失った父親の悲しみは深く、母親も戸惑ってしまうほどでした。

 この深い喪失感が、次の展開を導きます。

●心霊治療所

 息子の面影を追い、父親は駅前ロータリーでぼんやりと座っていました。すると、父親の目の前を、ローラースケートに乗って、さっと通り過ぎた若者がいます。その面影が驚くほど息子によく似ていました。

 思わず後を追って、小道に入っていた父親は、若者が入っていった建物につい、足を踏み入れます。すると、スーツを着た男がやってきて、「ここは心霊治療所です」といいます。

 父親が「ここに入っていった青年は・・・?」と尋ねると、「父さん」と先ほどの若者が姿を現します。父親は若者を見つめますが、驚いて、言葉も出ません。まるで息子本人が現れたかと思えるほど、そっくりだったのです。

 スーツ男は、そんな父親の凝視を遮るように、「予約が必要です」といいます。父親はそのまま何も言わず、帰っていきました。

 再び、父親は心霊治療所に向かいました。途中で、息子がバッグを取り戻してあげた日本人留学生に出会います。彼女はこの辺りに下宿していたのです。

 父親が心霊治療所に入っていくと、今回も、スーツ男が出てきて、息子に似ている若者を呼びます。

 父親は眼鏡をかけ直し、確認するようにしげしげと彼を見つめています。一方、日本人留学生は彼を見た瞬間、驚いて立ちすくみます。それほど息子に似ていたのです。

 その日、父親は暗い部屋に通され、心霊治療中の様子を見学します。真剣に見ている父親の様子をうかがっていたスーツ男は、「必要でしたら、治療させていただきますが・・・」と切り出します。

 担当者として現れたのは、息子にそっくりの若者でした。

●息子に酷似した心霊治療担当者

 帰宅した父親はパソコンを開き、「心霊治療所」を調べます。すると、所長は劉万山という人物で、画面には、「霊魂の存在を科学で証明」というセールスポイントが大きく掲げられています。父親はそれを見て、軽く会釈をした若者を息子の姿に重ね合わせ、考えています。

 父親はまた、心霊治療所を訪れます。

 「ご子息が使っておられた品はお持ちになりましたか」と聞かれ、父親は、息子が使っていた家の鍵を差し出します。その鍵を交霊の手がかりに治療が始まりました。

 若者は父親の手を取り、自分の手に重ねます。スーツ男が「(霊は)降りてきたか?」と尋ねると、若者は「父さん」と呼びかけます。「どこにいたんだ?」と父親が聞くと、「病室の天井から見下ろしていたよ」と答えます。

 父親は驚きました。死ぬ間際に息子が言った言葉と同じだったのです。

 その後も、若者の口から、父親が病室で息子から聞いたのと同じ内容の言葉が次々と出てきます。途中で、若者が「僕は・・・」と言いかけテーブルに手をつくと、スーツ男は「今日はここまで」と言って立ち上がり、カーテンを開けます。さっと明るくなり、霊魂との交信が途絶えました。

 若者が語った息子との会話の内容、病室の様子、まったくその通りでした。父親は不思議でなりません。

 「覚えているか?」と聞くと、「病室の様子も覚えています」と若者は答えます。横から、スーツ男が「描いてごらん」と紙と鉛筆を差し出すと、「火災報知器の位置は確か、ここで・・・」と言いながら、「息子さんはここから見ていました」と図示したのです。

 父親はすっかりこの若者を信用してしまいました。

●母親の反応

 父親は、母親に一度、その若者に会ってみないかと誘います。

 母親は、「あなた信じるの?」と詰問します。そして、「病室の様子なんて、どこも同じよ」、「幽体離脱の話は有名よ」と即座に否定します。さらに、「大作家のあなたがそれを信じるなんて」「作品に影響するんじゃない」と心配します。

 そして、「彼に会って、どうなるの?」と泣き、「会ったって、意味はないわ。よけいにつらくなるだけよ」、「私はあなたに早く立ち直ってほしい」と悲痛な声をあげます。

 母親は、父親を心霊治療している若者が、ただ息子に似ているというだけの詐欺師だと判断しているのです。彼女の指摘はどれも理に適っており、現実的な判断でした。

 母親の言う通り、魂が身体から抜け出て浮遊し、火災報知器の辺りまで行ったという説明は、幽体離脱現象を語ったにすぎません。その知識さえあれば、息子の魂との交信を装うことは可能でした。

 母親の反応を見て、父親は、ちょっと複雑な表情を見せました。ひょっとしたら、若者が本当に息子の霊と交信していたのかどうか、確認したくなったのかもしれません。

●さらにのめり込む父親、慎重に調査する母親

 父親は心霊治療所の前で、若者が出てくるのを待ち構え、息子の写真を見せてから、二人きりで会いたいと頼み、追加料金を出してもいいと付け加えます。

 若者と父親はベンチに座っています。父親が「息子はいま、どこにいる?」と尋ねますが、若者はそれには答えず、魂についての知識や概念の方に話題を向けます。肝心の息子の魂とは交信できていないのですが、作家である父親は目を輝かせ、どうやら満足している様子でした。

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 その点、母親はリアリストでした。息子の友達に頼んで、この心霊治療所について調査させていたのです。

 彼らがあの建物を借りたのは2か月前、しかも、喧嘩する声が頻繁に聞こえてくるといった近隣からの情報を入手しています。これで、彼らが詐欺師である可能性が高くなりました。そこで、母親は、父親に「いくら払ったの?」と尋ねます。

 父親は「払ってない」と答え、「いままで忘れてた」と言い、急に気づいたような顔つきになります。母親が「お金を渡して、こんなこと、終わりにして」と頼むと、その機に乗じて、父親は「彼らを家に呼んではいけないか」と尋ねます。当然のことながら、母親は断固、拒否します。
 
 それでも、父親は諦めきれません。結局は母親が折れる恰好で、自宅で息子の霊魂と交信することになりました。

■第3幕の構成

●自宅での交霊

 自宅で行う交霊への参加者は、父親、母親、息子の友達、息子の恋人、日本人留学生、そして、治療者側から、若者、スーツ男です。

 交霊が一通り終わった後、母親が若者に、「私への最初のプレゼント、まだ覚えてる?」と尋ねます。イカサマだとばれることを心配したスーツ男が「あまり古いことは・・・」と遮ろうとした時、若者は「僕が描いた母さんの似顔絵」と答えました。母親の顔がやや緩み、こみ上げる感情を抑えるように、立ち上がって部屋を出ていきます。

 スーツ男はすかさず、「休憩しましょう」と言います。

 父親は母親の後を追い、「当たってたか?」と尋ねます。「確かに、絵をくれたわ」と母親が答えると、父親は、「息子を感じないか?」と畳みかけます。母親はそんな父親を強く揺さぶり、「息子を騙るなんて許せない」と泣き出します。

 一方、ベランダでは、スーツ男が若者に、「あてずっぽうは止せ」と叱り、「次はいよいよ本題に入るぞ」と言い聞かせています。

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 交霊が再開されました。テーブルにローソクが2本、置かれています。スーツ男が「ご両親に話したいことは?」と尋ねると、若者は「大切にして」といいます。父親が「誰を?」と尋ねると、若者は、息子の恋人の名を挙げました。

 驚いて若者を見つめる息子の恋人、そして、彼女を見つめる日本人留学生。驚いた表情の父親、母親、友達が順に映し出されていきます。

 若者は続けて、「幸せになって」「愛してる」といいます。すると、息子の恋人は「もう、やめて」、「聞きたくない」、「あなたは、違うわ」と言って、泣きながら部屋を出て行ってしまいます。後を追って、日本人留学生、続いて、友達も出ていきます。

 残されたのが、父親、母親、スーツ男、若者です。

 白けた座の中で、スーツ男は、「よく考えて。言い忘れたことはないかね」と若者を促します。すると、若者は、「3年前、あるプロジェクトで借金をした」と切り出します。スーツ男が「誰に、いくら借りたのか」と聞くと、若者は、金融業者から50万元借りたと答えます。

 そこまで聞いていた母親は、「もう、たくさん。息子はそんなことしないわ」と叫び、「こんなことだろうと思っていた」、「もう帰って」と言い放ちます。「帰らないと、警察を呼ぶわよ」と続けます。

 驚いて立ち上がるスーツ男、続いて、若者が部屋から出ていきます。

 母親は「これは詐欺よ、分からない?」と父親に言い、「しっかりして」と迫ります。すると父親は「通報したら、会えなくなる」、「彼に会いたい」と口走り、母親に通報しないよう懇願します。それを聞くと、母親は微かに首を振って、「もう耐えられない」とつぶやきます。

●詐欺師と発覚

 画面は変わって、心霊治療所では、スーツ男が荷物の整理をしています。入って来た女性に「撤収だ、逃げるぞ」と告げ、慌ただしく動き回っています。若者はソファーに腰掛け、イヤホンで何かを聞きながら、その様子をうつろな目で見ています。

 一方、作家の自宅では、母親が荷物をまとめ、スーツケースを持って、慌ただしく玄関を出て、タクシーに乗り込みます。一人残された父親は、書斎でぼんやりと息子の写真を見ています。

 その後、雨の中、川辺に佇んでいる父親が映し出されます。傘が吹き飛ばされ、びしょぬれになっても、なお、立ち尽くしています。

翌日、心霊治療所では、スーツ男が、父親からの電話を受けました。50万元を持っていくから治療を続けてほしいという内容でした。女性が、「警察の罠じゃない」と疑う一方、スーツ男はお金欲しさに、「様子を見よう」と受け入れます。一連のやり取りを聞いていた若者は、ちょっと驚いた表情を見せますが、すぐ無表情になります。

 父親は約束通り、50万元の入ったカバンを持参してきます。中身を確認すると、100元紙幣がぎっしりと入っていました。

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 若者、スーツ男、金融業者はそれぞれ、大金を前に、軽く興奮しています。父親に求められ、いよいよ交霊に入ろうとした時、外に出ていた女性からスーツ男に電話があり、治療所周辺に大勢の警察が張り込んでいるという情報がもたらされました。

 スーツ男は慌てて、「急用で、今日は中止です。また、日を改めて」と言い、何も持たず、早々に外に出ていきます。金融業者が金の詰まったカバンを持って立ち去ろうとしたとき、若者が呼び止め、つかみ合いになります。結局、カバンは金融業者に持ち去られてしまうのですが、そのカバンは玄関で待ち構えていたスーツ男に取られてしまいます。

●詐欺師だと告白

 取り残された父親と若者は、暗い部屋で交霊を始めました。手を触れあったまま、若者は、「もうすぐ天国の一番美しいエリアに入る」、「この旅路で、たくさんの人に出会い、多くの事を学んだ」、「モーツァルトにも出会った。一番感動したのは、遺作「レクイエム」をつらぬむものが、悲しみではなく喜びであることだ」と静かに告げます。

 交霊が終了すると、若者は父親に鍵を返しました。鍵は、交霊のための必需品です。父親は慌てて、「教えてくれ、私の魂の重さは?」、「死後に行く場所は魂の重さで決まる。私が死ねば息子に会えると思っていたが、魂の重さが足りなければ、死んでも息子には会えん」と矢継ぎ早やに言葉を浴びせかけます。

 若者はそれを聞いて、悲しそうな表情を浮かべ、「全部、ウソですよ」、「先生の本を読み、資料を漁り、息子さんの情報も検索しました」、「死後の世界についての本も勉強して、会話の仕方も研究した。僕は詐欺師です」

 自分を信じ切っている父親に対し、若者はついに、詐欺師であることを告白したのです。

●君を抱きしめたい

 父親は「わかっていたよ。そんなことはどうでもいい」と動じず、「君に会い、君と話すだけで私は満足だった」と真剣な表情を見せます。

 若者はそれを聞いて、「先生はおかしな人だ」と泣きながら言い、僕に「そんな価値が?」と問いかけます。

 幼い頃に父母を亡くした若者は、これまで親身になって気遣ってくれる人もなく、生きてきました。生きていくのに精一杯で、叔父に言われるまま、詐欺行為を働いてきたのでしょう。

 日本人留学生との会話から明らかになったように、この若者は元々、「金持ちは嫌い」でした。だから、金持ちを騙して大金を得ても、別段、罪悪感はなかったのかもしれません。

 ところが、その若者の気持ちに大きな変化が起きていました。これから自首するというのです。

 自首すると聞いた父親は、「どこにいても会いに行くよ」と鍵を取り出し、「持っていてくれ」、「息子の鍵だから、預けておく」と差し出します。

 ところが、若者は、鍵はもう持っていると言います。「今朝、奥さんが訪ねてきて、いつでも会いに来なさい」と言って、鍵をくれたと説明するのです。そして、「奥さんは先生を気遣ってますよ」と付け加えました。

 立ち去ろうとして、若者は、ふと、思いついたようにポケットに手を入れ、心ばかりの贈り物だといって、父親に小さな壺を渡します。骨董店でみつけた壺で、吉祥雲の模様がついています。若者は、小さい時からこの模様が好きだったと説明します。

 父親が「大切にするよ」と言って、受け取ると、若者は、「僕もこの鍵を大切にします」と言いながら、母親からもらった鍵を返し、息子が使っていた鍵をポケットにしまいました。

 父親は名残惜しそうに、最後の頼みだといって、若者を抱きしめます。

 嗚咽にむせぶ父親と若者。見ていて感極まり、思わず涙してしまうシーンでした。息子を思う父親の純粋な気持ちが、詐欺行為を働いてきた若者の中に眠っていた純粋な気持ちを覚醒させたのです。

●遺された者のレクイエム

 父親は書斎でモーツァルトを聞きながら、パイプをくゆらせ、若者からもらった骨董品の壺を見ています。繰り返し眺め、そして、はっと気づきます。子どもの頃、息子が来ていたTシャツの模様が吉祥雲だったことを・・・。

 父親は、手にした小さな壺と、子供の頃の息子が着ていたTシャツとを見比べながら、嬉しそうな表情を浮かべます。この吉祥雲の模様に、息子と若者との縁を感じたのでしょう。

 思わず、外に出て、治療所に向かとうとした時、目の前に若者が立っているのに気づきました。息子の名を呼ぶと、振り向きますが、その瞬間、消えてしまいます。

 一年後。

 かつて、若者と会い、語り合っていたサッカー場で、父親は、母親や息子の恋人や赤ん坊らと共に観戦しています。家族だんらんを彷彿させるシーンです。息子の魂の安息を願い、遺された者が奏でてきたレクイエムが、一年後、このような形で結晶していたのです。

 父親の表情には、息子の死がもたらした喪失感を乗り越え、新たな死生観を獲得した者の強さが感じられます。

 そして、川辺では、父親がパイプを手にし、佇んでいます。その背後には、大きな川が滔々と流れていきます。

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(試写映像より。図をクリックすると拡大します)

 時にさざ波が立ち、時に濁流となって、あらゆる喜怒哀楽を呑み込みながら、川は絶え間なく流れていきます。

■私はなぜ、感動したか

 私がなぜ、この映画に感動したのかといえば、まず、父親の苦悩の軌跡が、段階を踏んで、丁寧に描かれていたからでした。とくに息子が亡くなった後からの展開が素晴らしく、画面ごとに、強く引き込まれていきました。

 父親の喪失感は、リアリストの母親との対比によって深く、多面的に表現されていました。悲愴感漂う父親の表情には、感情移入する一方、憐憫の情さえ覚えるようになったほどでした。とても難しい役どころだったと思います。

 繊細で微妙な感情表現を要求される父親役を、巍子(ウェイ・ツー)が、低い声と豊かな表現力によって、見事に演じきっていました。

 一方、息子には大人しい中にも秘めたエネルギーを感じさせる必要があり、また、息子に似た詐欺師にはクールで、感情を抑制できる知性が必要でした。二役を演じた强宇(チアン・ユー)には、声や顔面表情にその資質があり、適役でした。

 メインストーリーの構成を見ていくと、改めて、息子を失った父親の心の軌跡が、構造的に描かれていることがわかります。大きな喪失感に始まり、霊魂の模索、そして、交霊といった具合に、父親の気持ちの変化が行動の変化を伴いながら、物語を進展させていくプロセスがしっかりと組み立てられていたのです。

 ここでは、メインストーリーだけをご紹介しましたが、実際は、メインストーリーを支えるためのサブストーリーがいくつか設定されています。

 サブストーリーの一つに、日本人留学生を軸に展開されていたものがあります。好奇心旺盛な日本人留学生を登場させ、ターニングポイントで関わらせることによって、物語を豊かに肉付けする効果を生んでいました。

 メインストーリーの展開に影響を与える一方、登場人物の性格、来歴、価値観、嗜好性などを浮き彫りにしていたのです。

 たとえば、若者が日本人留学生に、「金持ちとバカが嫌いなんだ」と漏らしたことがありました。それを聞いた彼女は、「金持ちをだますのも生活の知恵?」と切り返しますが、このシーンでは、若者が良心の呵責を感じずに、父親と接触していることがわかります。

 当事者ではない日本人留学生は、一般常識に照らし合わせて、この若者が詐欺師だと判断していました。これはほんの一例ですが、彼女のおかげで、息子の恋人や詐欺師の若者を同世代の視点から肉付けすることができていたのです。

 若者は当初、父親を騙すことに何の躊躇いも持っていませんでした。そのことが明らかにされたこのシーンを設定することによって、父親との関わりの中で生じた若者の気持ちの変化がことさらに強く印象づけられます。

 若者を信じ、交霊を願い続ける父親の純粋な気持ちが、次第に若者の気持ちを浄化し、やがては、自身を詐欺師だと告白するようになったことにも、私は感動したのです。

 私がこの映画に感動したもう一つの要素がここにあります。

 父親はとっくにこの若者が詐欺師だと気づいていました。終には、本人から詐欺師だと告白されています。ところが、「それでもいい」と受け入れるのです。最初から詐欺師だと見抜いていた母親もまた、最後にはこの若者を許します。

 私の感動がさらに深まった理由が、ここにありました。

 詐欺師だとわかっても、父親は大金を渡し、詐欺師だと本人から告白されても、父親は若者を受け入れ、抱きしめたいと願い出ます。このような展開からは、大切なのは、金銭ではなく損得でもなく、効用でもなく実利でもなく、魂の通い合いであり、信頼だということが示されているように思えます。

 父親自身の気持ちにも大きな変化が起きていたのでしょう。若者と抱き合った時の父親の表情には、無上の喜びが感じられました。父親はようやく安息を得たのです。

 そして、一年後、父親、母親、息子の恋人と赤ん坊がサッカー場でなごやかに観戦する様子はまさに一家団らんの光景でした。息子の死後、遺された者はレクイエムを奏で、深い苦悩を経て、手にしたのが、永遠の安息への手がかりだったのです。

 映画『安魂』は、詐欺師を登場させることによって、重いテーマに軽妙さを添え、人が生きること、死ぬことの根源について深く考えさせてくれました。大変な力作です。(2022/01/08 香取淳子)

ラップ、ヒップホップで格差社会を生き抜くカリビアン・ディアスポラたち

■映画『イン・ザ・ハイツ』
 2021年7月30日、日本で『イン・ザ・ハイツ』が公開されました。ユーチューブにアップされた8分30秒の予告映像を見ると、物語の舞台となったワシントンハイツの地域特性がよくわかります。

こちら → https://www.youtube.com/watch?v=buSZqumGhNE&t=407s
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 まず、冒頭のシーンから見てみることにしましょう。

 消火栓の安全ピンを抜き、立ち上がる水しぶきを浴びて大騒ぎする子どもがいれば、ビルの窓には身を乗り出し、うちわのようなもので風を送りながら語り合う女性たちの姿が見えます。そうかと思えば、路上では男性がホースで水を撒いています。子どもも大人も思い思いのやり方で暑さをしのいでいるのです。

 いずれも短いショットで捉えられ、次々とテンポよく、流れるようにつなげられています。そして、ようやく、主人公ウスナビの登場です。

 家を出て急いで階段を下り、路上を歩きはじめたウスナビはたちまち、マンホールのフタに足を取られます。靴底にガムがくっついているのを見て、困った表情を浮かべるウスナビ。子どもたちはそれを見て笑い転げます。

 そこに、「ワシントンハイツの一日は始まる」という文字が被ります。こうしてワシントンハイツの朝のルーティーンが紹介されていきます。

 コンビニのシャッターに若者がペンキで落書きをしています。それを見て、慌てて追いかけてきたのが、この店の店主ウスナビです。

こちら →
(ユーチューブ映像より。図をクリックすると、拡大します)

「何してる!今朝も」とどなっていますから、若者は日常的にここで落書きをしているのでしょう。ワシントンハイツでは、犯罪に至らないまでも、ちょっとした悪さは日常茶飯事なのです。

 シャッターのカギを開けて、店に入ろうとしたウスナビが突然、振り返ってカメラを見、「おはよう」と観客に笑いかけます。

 落書きをしていた若者を追いかけてきたせいか、朝から疲れたような顔をしています。コンビニを経営しているウスナビが、この物語の主人公なのです。

 通りを隔て、遠景でウスナビのコンビニが捉えられています。「CITY MART TROPICAL PRODUCTS」と看板は英語で書かれていますが、外観や全体の色調はいかにもラテン系のお店です。

こちら →
(ユーチューブ映像より。図をクリックすると、拡大します))

■ウスナビとアブエラ
 コンビニのカギを開け、店内に入ったウスナビは、「俺はウスナビ 初耳だと思うけど」、「この街ではよく知られている」とラップで歌いながら、カウンターを飛び越え、コーヒーメーカーなど機器のボタンを押していきます。

 「訛りが複雑なのは」、「カリブの偉大な国」「ドミニカ出身だから」と続けます。背後の壁には「Caribbean Sea」と書かれた浜辺の絵がかかっています。「愛する祖国」「母親の死後帰っていない」「なんとか帰らなきゃ」と歌いながら、冷蔵庫を開けると、「牛乳が腐っている」「待てよ?」「なぜ牛乳が暖かい?」「暑すぎて、壊れたか?」「苦いコーヒーじゃ売れないよ」とシンクに捨てるウスナビを、カメラは排水口の下から捉えます。

こちら →
(ユーチューブ映像より。図をクリックすると、拡大します))

 牛乳が腐っているのを知って、ウスナビが慌てているとき、高齢の女性が店内に入ってきます。

 「ミルク抜きだよ」とウスナビがいうと、女性は「私のお母さんはコンデンスミルクだったわ」と、とっさに助け船を出します。

 「名案だ」、「いつもの宝クジ」と言いながら、ウスナビがカウンター越しに渡すと、女性は有難そうに宝クジにキスをし、「忍耐と信仰を!」と言って、出ていきます。

こちら →
(ユーチューブ映像より。図をクリックすると、拡大します))

 途端にウスナビはカメラ目線になって、観客に向かい、「彼女はアブエラ」「育ての親さ」「この街の皆のママ」と説明していきます。この街の母親代わりとして、皆に気を配り、共に夢を追いながら、アブエラは生きてきたのです。

 ウスナビは頃合いを見計らうように、「危ない街で育ったと?」と観客に問いかけてから、店から出ていきます。これは、ラテン系コミュニティには、犯罪やドラッグがつきものだという固定観念を踏まえてのセリフでした。

 確かに、ここにはちょっとした悪さをする子どもや若者がいます。とはいえ、決して、「危ない街」ではありません。なんといっても、皆の母親代わりのアブエラが、この街をしっかり見守ってくれているのですから・・・。ウスナビはおそらく、そう言いたかったのでしょう。

 2005年に、『イン・ザ・ハイツ』がブロードウェイで初演されたこ時、の作品は人々から素直に受け止められませんでした。というのも、この作品には犯罪やドラッグが取り入れられていなかったからです。当時、ラテン社会にはネガティブな固定観念を抱く人の方が多く、その種の要素のなかったこの作品はただの絵空事でしかなく、リアリティがあるとは思われなかったのです。

 そのブロードウェイのミュージカルを映画化したのが、映画『イン・ザ・ハイツ』でした。

■ブロードウェイミュージカルの映画化
 『イン・ザ・ハイツ』は、リン・マニュエル・ミランダ(Lin-Manuel Miranda)とキアラ・アレグリア・ヒュデス(Quiara Alegría Hudes)が共同で脚本を書き、2005年に初演されたブロードウェイミュージカルです。

 2008年には映画化に着手しましたが、それでも、当時はまだ、この作品は観客には新しすぎたとミランダはいいます。ラテン社会、ラテン文化への人々の認識はそれほど変わっていなかったのです。案の定、2008年11月7日、ユニバース・ピクチャーズが2011年の全米公開を目指して映画化を進めていると報じられましたが、この企画は頓挫してしまいました。

 その後、紆余曲折を経て、2018年5月17日、ワーナーブラザーズはミランダに5000万ドル支払い、映画化権を獲得しました(※ https://slate.com/culture/2018/05/in-the-heights-movie-rights-warner-bros-buys-lin-manuel-mirandas-musical-after-weinstein-bankruptcy.html)。

 ようやく映画化の目途がついたのですが、それでも、主要な撮影が始まったのはその後1年も経た2019年6月3日でした。ミランダは映画化までの経緯をどのように捉えていたのでしょうか。

■ラテン文化や社会へのネガティブな固定観念
 ネットを検索すると、ミランダがこの作品について語っている動画が見つかりました。12分4秒のこの動画にはこの作品が誕生する過程が克明に語られています。

こちら → https://youtu.be/WyyTo_sZ_sE
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 ミランダは、「やっと今、時代と観客がこの作品に追いついてくれたと感じている」と語り、「ラテン系アメリカ人が愛や喜びを表現する作品を受け止められる時代になった」と述べています。

 ミランダはこの動画の中で、「2009年に映画化権の契約が決まり、すぐにも製作できると思っていたが、その道のりは長かった」と嘆きます。というのも、「ラテン系俳優を主役にすることへのハリウッドの差別を経験した」からでした。

 ラテン社会や文化への偏見だけではなく、ラテン作品にラテン系の俳優を主役に起用することすら、当時は受け入れられなかったのです。

 ネットで検索すると、興味深い動画を見つけました。ちょうどミランダがブロードウェイではヒットしながらも、映画化がうまく進まず、悩んでいたころの動画です。ちょっとご紹介しましょう。

 2010年6月29日、ミランダがロサンゼルスに来ることを知ったファンが300名ほど集まり、フラッシュモブとしてダンスと歌を披露したのです。

こちら → https://youtu.be/Klf8IBrXFWY
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 街のどこからともなく、褐色、黄色人種の人々が集まり、ブロードウェイミュージカル『イン・ザ・ハイツ』のナンバーを歌って、踊っています。激しく、陶酔したような表情で、迫力のあるパフォーマンスを原作者に向かって、披露していたのです。これを見ただけで、このミュージカルがどれほど有色人種を勇気づけ、励ます内容のものであったかがわかります。

 緑色の服を着ているのがミランダですが、感極まった表情を浮かべているのが印象的です。どれほど嬉しかったことでしょう。この作品は当時すでに、一部には熱狂的な支持を受けていたのです。

 このミュージカルを映画化すれば、一定層に受け入れられることは確かでした。

 それでも、ミランダは先ほどの動画の中で、「僕らが思い浮かべる作品を完成させるには、時間がかかった」と感慨深げに言います。

 ふと、この映画のキーワードは何かしらと考えてみました。

 移民、再開発、差別、貧困、宝クジ、夢、故郷、故国の旗、ラテン系コミュニティといったような言葉が思い浮かびます。

 それぞれは相互に深く関係しています。移民、差別、貧困、ラテン系コミュニティ、故郷、故国の旗、これらは一つにまとめられそうです。それらは、歴史的、政治的、社会的、文化的、心理的に語ることができそうです。作品の背後に流れる大きな潮流といえるものです。

 一方、再開発は最近の出来事で、これは移民に対する圧力として作用しますから、葛藤要因、あるいは、問題提起という位置づけになります。再開発は、差別、貧困とも関連づけられそうです。これらは主に社会的に語ることができます。

 一連のキーワードがネガティブな印象を与える一方、ポジティブな影響を与えるのが、夢、宝クジです。この作品では、ラテン系コミュニティの住民に生きる希望を与えていたのが夢、そして、一抹の希望を与えていたのが、ウスナビの店で販売している宝クジでした。

 コミュニティの住民の誰もが毎日買っている宝クジが、この映画のストーリーで重要な役割を果たします。

■宝くじの当選券がウスナビのコンビニから出た
 ワシントンハイツの住民は毎日、ウスナビのコンビニで宝クジを買っていきます。ある日、当選券が出たという知らせが入りました。その時の動画をご紹介しましょう。

こちら → https://youtu.be/J1THRAluOGI
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 ウスナビの経営しているコンビニに電話が入り、この店で販売した宝クジの中から当選券が出たという知らせがきました。電話を受けたソニーが急いで、プールに向かうウスナビたちに追いつき、報告すると、彼らは狂喜し、さっそくラップでその気持ちを表現しました。当選すればなんと96000ドルもの大金が手に入るのです。

 ベニーがさっそく、ラップに乗ってリズムを取りながら、「俺はリッチなビジネスマン」「タイガー・ウッズが俺のキャディ」「ザクザク入る金で買う」「キンキラの指輪フロド」と歌いあげます。

 興奮してそれぞれの思いを歌っていくうちに、ソニーが走り出して、プールに向かいます。出会う人々に、次々と、「9万6000ドル」と叫び、プールに飛び込みます。その後、ベニーがプールサイドを歌いながら、歩いていくと、プールの中では人々が踊り、やがて、カビエラ、バネッサらも踊り、夢を語ります。

 興味深いのは、ソニーです。

 いきなりプールに飛び込むと、しばらくして水の中から顔を出すと、いつにない真剣な表情で、彼の夢を語りはじめます。

 夢というよりは、宣言とでもいっていいようなものでした。周りの人は驚き、取り囲むようにして、ソニーの言葉に聞き入っています。
(先ほどの動画では2分58秒目から、ソニーの「大演説」が始まります)

 「9万6000ドルで住宅を供給」と歌い、「家賃高騰」、「高級化」とワシントンハイツの変化を訴え、「抗議もせず 搾取ばかり」と現状に不満を漏らします。

 ワシントンハイツの再開発で、家賃は高騰し、すべてのものが高級化しており、低所得層の移民は暮らしていけなくなっていました。そのことを短いフレーズでラップに乗せて、訴えているのです。

 まるで追い払おうとしているかのような政策なのに、住民たちは抗議もしません。それをいいことに、行政は搾取するばかりだとソニーは不満を漏らしているのです。皆、感心したように、聞いていました。

 さて、住民たちが集まったプールで、ウスナビたちは宝クジの当選番号を発表します。ところが、その場に当選者はいませんでした。

 後になってわかるのですが、当選券を買っていたのはアブエラでした。彼女はそのことを知らないまま、逝ってしまいましたが、「ウスナビへ」と書かれた小箱に当選券が入っていました。ウスナビに夢を託したのです。

 アブエラはワシントンハイツが停電した夜、ウスナビらに見守られ、「暑い、暑い、燃えるよう」といいながら、旅立っていきました。

 亡くなる直前のアブエラの心象風景を描いたシーンには、心打たれました。

■死を前にしたアブエラ 
 死を前にしたアブエラの心象風景を描いたシーンがありました。2分39秒の映像をご紹介しましょう。

こちら → https://youtu.be/9pbWTsJ6DSk
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 1943年12月、凍てつくような寒い日に、アブエラは母親とともにニューヨークにやってきました。

 アブエラは昔を思い出しながら、地下鉄を降り、地下道を歩き続けます。

 「ここを掃除して」「時間に遅れるな」「体重を減らせ」「英語を覚えろ」「働け」と言われ続け、どうにかこうにか生きてきた。いつの間にか時は過ぎ、最近は手が震え始める。「胸が張り裂けそう」、「ママ、あなたの夢を受け継いで生きてきたけど」「夢の先に何があるの?」

 まるでこの世からあの世に向かって歩いていくように、地下道を歩き続けながら、これまでの人生を振り返り、ママに向かって、「夢の先に何があるの?」と問いかけるのです。

こちら →
(上記映像より。図をクリックすると、拡大します))

 やがて、「ママ、わかった」といい、「祈る以外、何ができるの?」と続け、迷う気持ちが吹っ切れたように、いつのもセリフ、「忍耐と信仰」とつぶやきます。そして、「暑い、暑い、燃えるよう」と言いながら、逝ってしまいました。

 見守っていたウスナビたちは、「彼女はここで生きた」、「褒め称えよ」と祈ります。それに合わせるように、大勢の人々が「アブエラ・クラウディアを褒め称えよ」と声を合わせていきます。手にしたローソクを高く掲げ、「褒め称えよ」と住民たちは気持ちを一体化させていくのです。

 この時、皆のために生きたアブエラの死が、コミュニティの住民の気持ちを一体化させ、新たな郷土意識が生まれつつあるように思えました。そして、その気持ちの一体化を具体的に表現するものがダンスと音楽でした。ラップ、ヒップホップ、ライト・フィートなど、思うままに身体を激しく動かし、エネルギーを発散させます。

■歌とダンスで苦難を乗りきるカリビアン・ディアスポラ
 ダンスの振付を担当したのがクリス( Christopher Scott )です。彼がインタビューに答えている動画がありますので、ご紹介しましょう。

こちら → https://youtu.be/KZJqV09DgcU
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 「この作品は技術的にとても難しかった。全ての振付を10週間で考案し、監督と議論を重ね、ダンススタジオで10週間準備した」といいます。そして演じる俳優については「ダンスする俳優ではなく、ダンサーとして扱った」といいます。

 そのせいか、バネッサがクラブで踊るシーンなどプロ級の出来栄えでした。

こちら → こちら → https://youtu.be/VDTX0LodLuQ
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 バネッサは「このままじゃ台無しになると怖かった。大変だったけど、10週間、彼らと過ごし、応援してもらってこなすことができた」と当時を振り返っています。

 また、ニーナとベニーはまるで曲芸のようなダンスシーンで観客を驚かせました。

こちら → https://www.youtube.com/watch?v=dT_3cNh7aaE
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 ニーナは、「トレーニングでこんなに過酷なのは初めて。汗をかいて、イライラして。本当に難しい曲だった。「君ならできる」と励まされて、頑張った。おかげで、絶対できなかったことができるようになった」と語っています。

 一方のベニーは、「一番不器用な俺がこれをやるらしい。しかも、ハーネスなしで」と語り、ビルの壁面でのダンスの大変さを述べています。

 苦難を乗り越えた俳優たちは一様に、「私たちのダンスの豊かさを感じた」「これはみんなにとって大切な映画」「この映画では本物でありたい」「ちゃんと伝えたい」というようなことを口々に語っています。

 この映画を通して改めて、俳優たちはラテンの音楽、リズム、ダンスの奥深さを再確認したようでした。

 振付師のクリスは、「ダンスを通して、物語が伝わる」といっています。ダンスはまさに言語そのもの、大いなる伝達手段なのです。

 ドイツの哲学者アドルノ(Theodor Ludwig Adorno-Wiesengrund)は、「故郷を持たない人間には、書くことが生きる場所となる」と書いたといわれています。移民した先の大衆文化に溶け込めず、もちろん、もはや故国の文化の中で住まうことはできません。何が心の安定をもたらすのかといえば、ラテン系コミュニティの住民にとってはダンスであり、音楽なのでしょう。

 ダンスシーン、現代的感性にマッチする音楽、キレのいい映像編集、含蓄のあるセリフ、どれも素晴らしい出来栄えでした。とても見応えのある映画でした。映画にも新たなステージが切り開かれつつあるような気がしました。(2021/8/31 香取淳子)

「人生フルーツ」から学ぶ:生きていくこと、老いること。

■「人生フルーツ」の上映
 2018年12月12日、人権週間にちなみ、練馬区が企画した上映会で「人生フルーツ」を観ました。高齢のご夫婦のドキュメンタリーで女優の樹木希林がナレーションを務めたということだけしか知らないまま、上映会に参加しましたのですが、素晴らしい映画でした。ご夫婦の日常生活が淡々と描かれるだけなのですが、どういうわけか感動してしまったのです。チラシを見ると、この映画は2016年に公開された映画で第91回キネマ旬報文化映画第1位、第32回高崎映画祭ホリゾント賞、平成29年度文化庁映画賞文化記録映画優秀賞を受賞した作品でした。

 
こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 なんとほのぼのとしたご夫婦の姿なのでしょう。思わず引き込まれ、見入ってしまいました。背景の雑木林、柔らかな陽射しに包またご夫婦の笑顔、よく見ると、お揃いの帽子を被っておられます。雑木林の樹皮から作られたお手製の帽子なのでしょうか。じっと見ているうちに、年輪を重ねた者だけがもつ豊かさとはこういうものかと思ってしまいました。

 映画はこの写真に象徴されるようなものでした。ただ、この写真だけでは表現できないものもありました。日常生活を追った動画だからこそ浮き彫りにすることができた側面もありました。失ってしまった何か大切なものが全編に込められているような気がするのですが、それが何なのかはっきりと説明することができません。

 どうすれば、この感動を伝えることができるかと思いながら、ネットを探していると、この映画の予告編を見つけることができました。この作品の内容をコンパクトに紹介できていると思いますので、ご紹介することにしましょう。

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=Fx6V8lerA5A

 映画を思い返しながら、なぜ私が感動してしまったのか考えてみたいと思います。

 この作品は建築家の津端修一さん(90歳)、英子さん(87歳)ご夫婦の日常生活を中心に描いたドキュメンタリーです。何気ない生活風景を淡々とカメラに収めながら、そこから豊かな人生が伝わってくるのはなぜなのか。予告映像を手掛かりに映画を思い起こしながら、みていくことにしましょう。

■高蔵寺ニュータウンの設計への参加
 予告映像ではカメラはまず、高蔵寺ニュータウンの典型的なコンクリート住宅を俯瞰してから、その一角に佇む赤い屋根の小さな家を映し出します。津端修一氏が設計に関わった住宅団地が特徴のない、無味乾燥な集合住宅群であるのに対し、雑木林に包まれた平屋建てのご自宅にはヒトに寄り添う自然の温もりが感じられました。修一氏が恩師アニトニン・レーモンドの自宅に倣って建てた平屋です。玄関はなく、30畳の居間がメインの生活空間で、これ以外に書庫、手仕事ルーム、倉庫、離れなどがあります。

 これまでに見たこともないような個性的な家ですが、そこには修一氏の建築哲学、あるいは生活信条とでもいえるようなものが反映されていました。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。
https://s.webry.info/sp/99596184tettsu.at.webry.info/201706/article_1.htmlより)

 敷地の境界線に沿って、桜、柿、プラム、カエデ、クヌギ、モミなどが植えられ、その中が居宅と畑になっています。なんと70種の野菜と50種の果物を収穫できるそうです。見事なまでに自然との共生が果たされています。

 実は修一氏は高蔵寺ニュータウンの設計を任されたとき、自然との共生を目指したプランを計画していました。ところが、1960年代の社会情勢ではそのような案は受け入れられず、理想とはほど遠い、機能だけを求めた団地になってしまいました。それを契機にそれまでの仕事に距離を置き、ニュータウンの一角に土地を買い、家を建て、雑木林を育て始めたといいます。

 修一氏の建築家としての人生が大きく変わる契機となったのが、この高蔵寺ニュータウンの仕事だったのです。映画ではそこのことに深くこだわらず、自然と共生して暮らすご夫婦の日常生活に力点が置かれていましたが、私は気になりました。そこでネットで調べてみると、その間の事情が多少はわかってきました。

■なぜ建築家の仕事に距離を置いたのか。
 Toshi-shi氏が(遊)OZEKI組というHPに寄稿された文章です。このHPは閉鎖されるということなので、多少長くなりますが、該当部分を引用しておくことにしましょう。

******
 津端氏は東大卒業後、レーモンド事務所を経て、1955年に住宅公団に入社し、阿佐ヶ谷住宅や赤羽台団地などの団地計画などに従事した後、1961年に名古屋へ転勤した。(中略)1961年に名古屋支社へ赴任した津端氏は、東大ヨット部の後輩であるK氏を部下に、T氏、K氏を担当者として、ガイドプランの作成を始めた。ちなみにO氏はW氏と同時に、候補地選定等を担当していたが、1961年度末で異動。計画決定後に再び高蔵寺ニュータウンの整備を担当するようになる。また、1961年11月には東大T研究室に基本計画策定を委託するが、これも津端氏からK氏を通じて委託をしたもので、実際には津端氏の指示のもとに作業が進められた。
 もちろん喧々諤々な議論はあったが、津端氏のリーダーシップの下、円満なムードの中で作業は進められ、第2次マスタープラン、さらに1963年の事業計画原案、本所との調整を経て、64年には認可申請がされている。ここまで全て、津端氏がリーダーとして調整し、まとめたものだった。(中略)計画策定後の事業推進にあたっても、このように津端氏が中心となって調整・整備が進められたが、T先生が津端氏の言葉の中で特に記憶に残っているものとして「住宅を設計するように、団地を設計する」という言葉を挙げられた。千里ニュータウンは土地利用や施設配置が中心の平面計画だったが、高蔵寺ニュータウンは先述したスケッチにあるように三次元のアーバンデザイン、立体計画だった。そこには、施設ごとの低層・高層のみならず、デザインまでが構想されていたが、それらは公団の住建部隊が乗り込んで作業を進める中で、建設密度、住戸規模、住棟配置など、当時の標準設計に合わせて建設が進められ、津端氏の構想からは大きくかけ離れたものとなっていった。そこが一番心残りだったのではないかとT先生はおっしゃっていた。
津端氏は公団を退社後、広島大学に赴任している。当時公団で進められていた賀茂学園都市との関わりについて尋ねたが、T先生自身が賀茂学園都市を担当していたものの、特に関わりはなかったとのこと。広島大移転にも特に関わることなく、しかしこの時期に市民菜園を始めている。それが「人生フルーツ」に描かれる自然とともに生きる暮らしにつながったとすれば、津端先生にとって広島大赴任は大きな転機となる出来事だったのかもしれない。
**** Toshi-shi@(遊)OZEKI組より。

 これを読むと、修一氏が都市計画から離れざるを得なかった理由がなんとなくわかるような気がします。機能性とコストパフォーマンスを求める時代風潮と自身の建築哲学、生活信条がそぐわなくなっていったのでしょう。それでも妥協せず、別の道を選択されたことに修一氏の揺るぎない建築哲学と信念を持った生き方が感じられます。

 Toshi-shi氏によると、津端ご夫婦は広島大赴任後、市民菜園をはじめられたようです。

■自然と共生する生活
 冒頭でご紹介したご夫婦の写真はご自宅の庭で撮影されたものでした。背景には早緑の葉が木々の奥深く、幾重にも重なり、陽ざしに柔らかさを添えています。その前の敷石に腰を下ろすお二人の笑顔のなんと素晴らしいことでしょう。

 年輪を重ねた者だけが浮かべることのできる含蓄のある笑みだといえます。顔に深く刻み込まれた皺には多様な経験と知恵が、そして、帽子からはみ出た白髪には余分なものをそぎ落としたいさぎよさと清潔感が感じられます。

 皺といい、白髪といい、老いていくことに伴う自然現象ですが、老いることを恐れる人々は皺や白髪を隠そうとし、コラーゲンを注入したり、染髪したりします。「老い」のもたらす価値と美に気づかず、いつまでも「若さ」がもたらす価値と美にしがみついているのでしょう。それだけに、ご夫婦のこの写真は貴重です。

 この部分だけを取り出して、再度、ご紹介しましょう。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します。撮影:田渕睦深氏、主婦と生活者より)

 チラシではこの写真の上にキャッチコピーが載せられていましたが、それもまた的を射たものでした。

 「人生は、だんだん美しくなる」

 お二人の素晴らしい笑顔を見ていると、このキャッチコピーのように、本当に、「人生は、だんだん美しくなる」と思えてきます。老いることが衰えていくことではなく、静かで安定感のある美しさを創り出していくことでもあると思えるようになっていくのです。年を重ねることの豊かさ、重み、味わい深さ・・・等々、それらは自然に寄り添って生きていく過程で育まれていくのでしょうか。

 ご自宅にはさまざまな果樹が植えられており、それが毎年、豊かな果実を実らせます。たとえば、スダチの木の枝には「ドレッシング用です」と書かれた小さな黄色の札が付けられています。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 樹木が単なる木として存在しているのではなく、このような札が付けられることによって、ヒトにその存在を認識され、承認してもらえることになります。この庭を訪れたヒトはこの札を見ることによって、名前を知り、その機能(ドレッシング用に使われる)を知ります。知った途端にこの木に親近感を抱き、愛着を覚えるようになるでしょう。名づけられ、その属性が知らされたからです。

 実は、庭のそこかしこにこの黄色の札が付けられています。それを見て私は、この庭では木々や野菜がそれぞれの存在を主張しているように見えました。一歩、この庭に足を踏み入れれば,誰しも、どんなものにも個性があり、それぞれの役割があることを思い知らされるでしょう。自然と共生するだけではなく、庭で生きる植物たちをこのような形で可愛らしくアピールさせているのです。

 黄色の木の札を作っているのは、修一氏でした。

 木の下には水盤が置かれ、小鳥がやってくれば一休みし、水が飲めるようになっています。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 ここにも黄色の札が置かれています。もし、この札がなかったら、水盤はただの水盤でしかありません。札が置かれることによって、小鳥がやってきたときに飲む水なのだということが示され、特別の存在になります。鳥もまた自分の居場所を確保できているからでしょう、ヒトを恐れることなく、平然と2羽の小鳥が水盤の縁に留まっています。

 庭の隅々にこのような配慮が見られ、津端ご夫婦が樹木や草花、小鳥など、庭で生きるもの一切合切を共に生きるものとして扱っているのが微笑ましく、見ているだけで心が豊かになっていくのを感じます。

■オシャレな生活
 先ほどご紹介したお二人の写真をもう一度、振り返ってみましょう。淡い色調のせいでしょうか、カメラで捉えられた被写体すべてに上品で爽やかな印象があります。柔らかな陽射しに包まれた雑木林を背景にしたお二人の姿がとりわけ印象的です。背景の自然に溶け込んでいるようでいて、実は、お二人の存在感がしっかりと捉えられているのです。

 お二人とも同じように白髪の上に樹皮で手作りしたような帽子を被っておられます。これがなんともいえず牧歌的で微笑ましく、ファンタジーを感じさせられます。そして、お二人とも眼鏡を着用されていますが、英子さんは縁が目立たないもの、修一氏は黒縁のもので、それぞれお顔の特徴を引き立てる効果があります。つまり、英子さんは目元の優しさが強調され、修一氏はくっきりとした個性的な面持ちになっています。

 黒縁眼鏡の強さに合わせるように、修一氏は紺色のハイネックを着用し、英子氏は逆に5分袖の淡い水灰色のハイネックを着用しています。これは修一氏のパンツと似たような色で、お二人が並んだ時、色彩のバランスが取れるよう配慮されているように見えました。主張せず、お互いの個性を際立たせながらも、調和がとれています。

 農作業するときの装いも決して野良着ではなく、淡い色調のシャープなデザインのものでした。そして、果実を入れるバケツの色が黄色なら、修一氏が乗っている自転車のフレームは赤と言った具合に、シンプルでカラフルな色が生活空間のそこかしこに使われており、センスの良さが際立っています。

 モノだけではありません。生活自体がオシャレなのです。例えば、英子さんは庭でとれた野菜や果実を使って、さまざまな料理やお菓子を手作りします。イチゴが収穫できる時期になると、イチゴケーキを楽しみます。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 多少、見た目は悪くても、採れたてのイチゴがスポンジケーキの上にたっぷり乗っているのです。どんなに甘く、香しいことでしょう。有名店も及ばないイチゴケーキが出来上がりました。このように津端家の料理やお菓子はすべて英子さんの手作りなのです。

 ある日の食後、修一氏が食べ終わると思わず、美味しかった」と言いました。すると、英子さんはすかさず「美味しいと言ってもらえて、本望です」と返しました。このやり取りがとても味わい深く、感謝の気持ちが生活を豊かなものにしていると思いました。

 またある日の食事時、修一氏が「木のスプーン」と言いました。英子さんがスープ皿の傍に金属製のスプーンを置いていたのです。実は修一氏は木のスプーンしか使いません。こだわりがあるのです。すると、英子さんはそれを厭う気配も見せず、修一氏に木のスプーンをさっと渡しました。このように、ご夫婦の間にはあうんの呼吸で組み立てられた生活スタイルがありました。それがとてもオシャレだと思いました。

 実は、英子さんは朝食を二種類用意します。毎朝、修一氏用に和食、自分用にパン食をテーブルにセットするのです。傍から見ると、面倒だと思いますが、それぞれの好みを尊重して暮らす習慣ができているのでしょう。英子さんはごく自然に手際よく二種類の朝食を準備していました。

■改めて考えさせられる、今をどう生きるか。
 このようなライフスタイルを築き上げるまで、お二人にはいったい、どのぐらいの年月が必要だったのでしょうか。

 そういえば、映画の中でまるで主題歌のように、以下のナレーションが繰り返されていました。

*****
風が吹けば、枯れ葉が落ちる。
枯れ葉が落ちれば、土が肥える。
土が肥えれば、果実が実る。
こつこつ、ゆっくり。
人生、フルーツ。
*****

 自然の営み、循環システムの豊かさを言い表したものですが、最後のフレーズ、「こつこつ、ゆっくり」という言葉が心に響きます。ナレーションは女優の樹木希林が担当しました。重みのある言葉です。津端夫婦の日常生活を通して、自然の営みと年月の働きがもたらす豊かさが見事に表現されていました。

 画面に引き込まれて見続けて、改めて、考えさせられました。今をどう生きるか…。

 かつてどう生きてきたかが、「今」を決定します。ですから、「今」をどう生きるかは、「未来」を決定するのです。津端ご夫婦は未来を見据え、こつこつ、ゆっくりと木々を育て、枯れ葉を堆肥に土を豊かにし、果実を実らせてきました。あるべき姿を思い描いて日々、工夫を重ねて生活してこられたからでしょう。収穫したきゅうりを手にしたときの英子さんの笑顔は天下一品でした。

こちら →
(図をクリックすると、拡大します)

 さまざまな経験と知恵と思いやりに溢れています。それこそ、「こつこつ、ゆっくり」理想の実現に向けて夫婦で歩んできたからこそ得られた果実といえるでしょう。そういえば、修一氏は夫婦で台湾に出かけたとき、付き添人に「英子さんは僕にとって、最高のガールフレンド」と言っていました。数十年共に生きてきてなお、このような言葉を口にできるとは・・・、素晴らしいと思いました。

 カメラクルーが気にならなくなったころでしょうか、英子さんは修一氏のことを「修たん」と呼んでいたのに気づきました。一方、修一氏は佐賀の病院関係者が訪ねてきたとき、英子さんのことを「お母さん」と呼んでいました。この二つのシーンを思い起こし、私はお二人の関係が見えるような気がしました。英子さんの方が大きく修一氏を包み込むようにして、これまで生きてこられたのではないかと思ったのです。

 90歳と87歳にもかかわらず、お二人の身ごなしの軽いこと、歩くのが速いこと、そして、笑顔の素晴らしいこと、ついつい見惚れてしまいました。健康で充実した生活をなさっているからでしょう。素晴らしい映画でした。見終えて清々しい気持ちになるのは久しぶりです。(2018/12/15 香取淳子)