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映画『安魂』を観て、遺された者が奏でるレクイエムを聴く

■映画『安魂』の試写を鑑賞

 映画『安魂』の試写を観ました。この映画は、周大新の『安魂』(谷川毅訳、河出書房新社)を原作に、日向寺太郎監督、富川元文脚本の下で製作された日中合作映画です。2022年1月15日から岩波ホールで2週間、先行公開された後、全国で順次、公開されます。

 予告編がアップされていますので、ご紹介しましょう。

こちら → https://ankon.pal-ep.com/

 2分5秒ほどの動画ですが、この映画のエッセンスがよくわかるように作られていました。

 突如、息子に先立たれた父親が深い喪失感に苛まれ、藻掻き、苦しみながら、なんとか立ち直っていくプロセスが描かれています。とくに、息子が亡くなってからの展開が素晴らしく、夢中になって観てしまいました。

 画面に引き込まれ、見終えてしばらくは、その余韻から抜け出せなくなっていたほどです。久々に感動した映画でした。

 最愛の息子を失った父親の喪失感がどれほどのものか、どのようなプロセスを経て、喪失感から回復することができたのか。さまざまなエピソードを積み重ね、きめ細かく丁寧に描かれていました。おかげで、父親の心理の紆余曲折が情感豊かに伝わってきます。

 主人公は父親ですが、同じぐらい重要な役割を果たしていたのが、息子と息子に似た詐欺師です。後半になると、父親と息子に似た詐欺師の対話シーンが多くなりました。概念的、哲学的な内容で、どちらかといえば、深刻で馴染みにくいものでした。

ところが、そのような内容にもかかわらず、ごく自然に感情移入することができ、夢中になって画面を見ることができたのです。ひとえに演技者の卓越した表現力のおかげでしょう。父親を演じたのが、巍子(ウェイ・ツー)、息子と息子に似た詐欺師の二役を演じたのが、强宇(チアン・ユー)でした。

 父親役の巍子(ウェイ・ツー)がぼそっと喋る低い声には、限りなく深い悲しみが込められていましたし、息子と息子に似た詐欺師の二役を演じた强宇(チアン・ユー)の儚く、クールな表情には、内面の葛藤を抑制できる知性が感じられました。二人とも役柄にぴったりの資質を備えていたのです。

 それでは、映画の内容をメインストーリーに沿ってご紹介し、なぜ、私が感動したのかを振り返ってみたいと思います。

 ここでは、わかりやすくするため、登場人物を名前ではなく、属性に従って、父親、母親、息子、若者(息子に似た詐欺師)、スーツ男(詐欺師の叔父、詐欺の主犯格)、恋人、日本留学生、友達(息子の職場友達)女性(詐欺師の仲間)と呼ぶことにします。

 なお、以下の文章では、感動のあまり、映画の結末に触れてしまっていますので、ご注意いただければと思います。
 

■第1幕の構成

●澤風大過の卦
 
 冒頭のシーン、限りなく広がる畑の中を男の子が歩いています。時折、葉をむしり取りながら、動き回っていて、ふと気づいたのが、大きな木の下にいる高齢者でした。空を見て、何やら考えている様子です。

 不思議に思った男の子が近づいてきて、「何してるの?」と問うと、「未来を見てる」と答え、「父は作家か?」と尋ねます。男の子はうなづき、「父さんはここで育ったんだ」と答えます。

 画面は変わり、二人の男が話しながら歩いてくる様子が映し出されます。

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(試写映像より。図をクリックすると拡大します)

 大きな横断幕には、「楊橋村の栄誉、鳳凰文学賞受賞者唐大男講演会」と書かれています。冒頭の男の子の話と照らし合わせて、これを見ると、父親は作家の「唐大道」だということがわかります。文学賞の受賞記念に開催された講演会に出席するため、父親は息子を連れて故郷に帰ってきていたのです。

 木の下に息子がいるのを見つけ、父親は「行くぞ!」と叫びますが、息子は高齢者と話していて、動きません。父親が、あれは誰だと尋ねると、村人は、占いや易を仕事にしており、暇なときはいつも、あそこに座って空を見ていると答えます。

 その占い師に息子は手のひらを見せ、生まれた年、月日、時刻などを聞かれるままに答えています。占ってみた結果が、「澤風大過の卦」でした。

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 「どういう意味?」と聞く息子に向かって、占い師は、「過分なものを求めると、悲しき未来が待っておるぞ」と予言します。

 これが、その後の展開の導入になります。

 その後、舞台は20年後の開封市になります。

●頑張りすぎる息子

 20年後の開封市では、成長した息子が会社で忙しく働いています。一方、父親は大勢の人々を前に、新刊記念サイン会に臨んでいます。さらに、名声が高まっているのです。

 そんなある日、息子は交際している女性を呼び寄せ、両親に引き合わせます。母親は彼女をもてなそうとしますが、父親は「お前にふさわしくない」と拒否します。息子とは教育レベルが違うというのです。

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 息子が「彼女と一緒になりたい」と言い張り、母親が取り成しても、父親は「愛など時とともに変化する。理性的になれ」と息子を叱り、結婚を認めようとしません。

 客間に戻ってみると、彼女はおらず、慌てた息子はバスターミナルに向かいます。バスに乗り込もうとしていた彼女を見つけ、「君と一緒に村に行く」と息子は言いますが、「私のために両親ともめないで。私は大丈夫」と説得され、バスは発車します。

 バスターミナルでそのまま茫然と座っていた息子は、目の前で日本人留学生のバッグが置き引きされるのを目撃します。慌てて追いかけ、なんとかバッグを取り戻しますが、息子はその場で倒れてしまいます。救急車で運ばれ、検査の結果、脳腫瘍だということがわかりました。

 医者からレントゲン写真を見せられて、「ただちに手術が必要」と言われ、父はそれに同意します。一方、息子は明日にも退院できると思っています。その息子の病室に、帰郷の途中で引き返してきた恋人が、心配そうな顔で入ってきます。

 「なぜ、急に倒れたの?」と問われ、息子は「仕事が忙しかったから・・・」と弱々しく答えます。恋人は思わず、泣き顔になって、「頑張り過ぎないでね」と訴えます。

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「頑張りすぎる息子」というのが、ここまでの展開のキーフレーズです。

 周りから頑張りすぎると思われるほど、息子は仕事に打ち込んでいます。それが、占い師が告げた「過分なものを求めると」という予言を思い起こさせます。

 息子が頑張るのは、分野が違っても、父親のように成功するには、努力しかないと思っているからですが、そこに、作家として成功した父親と、その父親を目指す息子との微妙な関係が示唆されています。

●父さんが好きなのは、自分の心の中の僕なんだ

 手術が終わって病室に戻った息子の傍に、父親がそっと寄り添っています。

 息子は薄目を開き、「あっちの世界を見たよ。僕はきっと、入口まで行った」、「僕は軽くなって、この身体から漂い出た」と言い、「浮き上がって、火災報知器の場所まで浮いた」とつぶやきます。

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 「下を見ると、自分が横たわっていた。入っていこうとしたら、目が覚めた」と息子は言います。父親は、「夢を見ていたんだ。ばかな考えはよせ」と言い、「私より先にお前が逝くはずがない」と強い口調になります。

 息子は「そうだね」と素直に受け、「この世で、まだ何も成し遂げていない」とつぶやきます。辛くなった父親が、「もうしゃべるな。先生を呼んでくる」といって立ち上がると、息子は、「父さん、僕が嫌い?」と尋ねます。驚いた父親が、「何をいいだすんだ。ただ一人の息子を嫌うものか」と語調を強めます。

 息子は続けて、「父さんが好きなのは、自分の心の中の僕なんだ」、「今の僕じゃなく、心の中の僕なんだ」と絞り出すような声で言います。

●努力しないと、父さんのようになれない

 自室に戻った父親は、子供の頃の息子とのやり取りを回想します。

 「友達が出来たのに引っ越し?」と問う息子に、父親は、「この環境はお前によくない」と断定します。「サッカー褒められたんだ」と誇らしげに言う息子に対し、「いいか、サッカーなど役に立たん」と父親は、一言の下に否定してしまいます。

 そして、「お前の目標は勉強して、いい大学に入ることだ」と言い渡すのです。

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 息子は「わかった」と答えていますが、どう見ても、納得しているとはいえない表情を浮かべています。

 病院に来て、待機していた父親は、うたた寝をしている間も、息子を自転車に乗せて凧揚げを見に行った時のことを思い出していました。

 ふと目覚めて、父親が病室に行くと、息子はベッドに身を起こし、パソコンを操作しています。「何をしてる?」と父親が尋ねると、「仕事が終わらない」と言い、しきりにため息をつきます。

 「パソコンをやめろ」と父親が言うと、「努力しないと、父さんのようになれない」と息子は喘ぐように言います。

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 「分野は違うけど、父さんのように成功したい」息子が言うと、父親は顔を寄せ、息子の目をじっと見つめ、「もっと上を目指せ、私を超えるんだ」と力を込めて言います。息子は弱弱しくうなづきます。

●予言の的中

 看護婦が来て、息子を検査室へ連れて行きます。心配そうに見守る父親。しばらくすると、廊下を慌ただしく看護婦が行き来し、そのうちの一人が待機している父親のところにやって来て、息子の容体に異変が起こったと知らせます。

 病室では医師が懸命に心臓をマッサージしていましたが、その甲斐なく、午後9時30分、息子は亡くなってしまいます。

 10歳の頃、占い師から告げられた予言通り、息子は「父さんのように成功したい」と頑張りすぎて、早すぎる死を迎えてしまいました。「過分なもの」を求め、「悲しい結末」を引き当ててしまったのです。

 ここまでが第一幕です。

 確かに、息子は命を縮めるほど、頑張りすぎました。ところが、いくつかの回想シーンから、父親が息子に過剰な期待を寄せていたことが明らかにされています。父親はそれを息子に対する愛だと思っていたかもしれませんが、過剰な期待が息子を追い詰め、過剰な努力を強いていた可能性が考えられます。

 それが証拠に、今にも旅立とうとする時、息子は喘ぎながら、「父さんが好きなのは、自分の心の中の僕なんだ」と言い残しました。

 息子にしてみれば、必死の思いで努力しているのに、父親から認めてもらえず、愛されているという実感を持てなかったのでしょう。最後に、力を振り絞って言葉にしたのが、このフレーズでした。

 過剰な期待を寄せ、高い目標設定をし、「過分なこと」を息子に強いてきた父親こそが、「悲しい結末」を引き寄せたかもしれないのです。

 遺された者には重くのしかかります。

■第2幕の構成

●息子の居場所を知りたい

 葬儀が終わると、父親は骨壺にそっと上着をかけ、母親と共に雨の中をとぼとぼと歩いて帰宅します。息子の部屋に入った父親は、泣き崩れ、「なぜ、どうして?」と振り絞るように声を出し、母親もまた涙にくれています。

 部屋を暗くしたまま、一人座り込む父親。壁には息子の写真が飾ってあります。母親がお茶を持ってくると、まるで避けるかのように、父親は「ちょっと散歩してくる」といって出かけ、川辺でしばらく座り込んで、物思いにふけっています。

 また、ある時は、母親が部屋を開けると、父親は本に埋もれるようにして、調べものをしています。息子の霊魂の居場所を知ろうとして、さまざまな宗教書を読み漁っていたのです。

 仏教の教義では、死者の魂は7日間遺体の傍に留まるといい、イスラム教では魂は死後7日、“楽園”と呼ばれる場所にいると、父親は読み上げます。そして、エジプトの神話では、キリスト教では、故郷の言い伝えでは・・・、といった具合です。

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 父親は手当たり次第に宗教書を読み、息子の魂の行く末を把握しようと藻掻いていました。見かねた母親は、父親の頭をそっと撫で、「私たちが受け入れないと・・・」とつぶやきます。

 ところが、父親は壁にかけた写真に向かって、「お前に会いたい」と泣き崩れてしまいます。母親は背後から肩に手をかけ、父親の背中に顔を寄せます。息子を失った父親の悲しみは深く、母親も戸惑ってしまうほどでした。

 この深い喪失感が、次の展開を導きます。

●心霊治療所

 息子の面影を追い、父親は駅前ロータリーでぼんやりと座っていました。すると、父親の目の前を、ローラースケートに乗って、さっと通り過ぎた若者がいます。その面影が驚くほど息子によく似ていました。

 思わず後を追って、小道に入っていた父親は、若者が入っていった建物につい、足を踏み入れます。すると、スーツを着た男がやってきて、「ここは心霊治療所です」といいます。

 父親が「ここに入っていった青年は・・・?」と尋ねると、「父さん」と先ほどの若者が姿を現します。父親は若者を見つめますが、驚いて、言葉も出ません。まるで息子本人が現れたかと思えるほど、そっくりだったのです。

 スーツ男は、そんな父親の凝視を遮るように、「予約が必要です」といいます。父親はそのまま何も言わず、帰っていきました。

 再び、父親は心霊治療所に向かいました。途中で、息子がバッグを取り戻してあげた日本人留学生に出会います。彼女はこの辺りに下宿していたのです。

 父親が心霊治療所に入っていくと、今回も、スーツ男が出てきて、息子に似ている若者を呼びます。

 父親は眼鏡をかけ直し、確認するようにしげしげと彼を見つめています。一方、日本人留学生は彼を見た瞬間、驚いて立ちすくみます。それほど息子に似ていたのです。

 その日、父親は暗い部屋に通され、心霊治療中の様子を見学します。真剣に見ている父親の様子をうかがっていたスーツ男は、「必要でしたら、治療させていただきますが・・・」と切り出します。

 担当者として現れたのは、息子にそっくりの若者でした。

●息子に酷似した心霊治療担当者

 帰宅した父親はパソコンを開き、「心霊治療所」を調べます。すると、所長は劉万山という人物で、画面には、「霊魂の存在を科学で証明」というセールスポイントが大きく掲げられています。父親はそれを見て、軽く会釈をした若者を息子の姿に重ね合わせ、考えています。

 父親はまた、心霊治療所を訪れます。

 「ご子息が使っておられた品はお持ちになりましたか」と聞かれ、父親は、息子が使っていた家の鍵を差し出します。その鍵を交霊の手がかりに治療が始まりました。

 若者は父親の手を取り、自分の手に重ねます。スーツ男が「(霊は)降りてきたか?」と尋ねると、若者は「父さん」と呼びかけます。「どこにいたんだ?」と父親が聞くと、「病室の天井から見下ろしていたよ」と答えます。

 父親は驚きました。死ぬ間際に息子が言った言葉と同じだったのです。

 その後も、若者の口から、父親が病室で息子から聞いたのと同じ内容の言葉が次々と出てきます。途中で、若者が「僕は・・・」と言いかけテーブルに手をつくと、スーツ男は「今日はここまで」と言って立ち上がり、カーテンを開けます。さっと明るくなり、霊魂との交信が途絶えました。

 若者が語った息子との会話の内容、病室の様子、まったくその通りでした。父親は不思議でなりません。

 「覚えているか?」と聞くと、「病室の様子も覚えています」と若者は答えます。横から、スーツ男が「描いてごらん」と紙と鉛筆を差し出すと、「火災報知器の位置は確か、ここで・・・」と言いながら、「息子さんはここから見ていました」と図示したのです。

 父親はすっかりこの若者を信用してしまいました。

●母親の反応

 父親は、母親に一度、その若者に会ってみないかと誘います。

 母親は、「あなた信じるの?」と詰問します。そして、「病室の様子なんて、どこも同じよ」、「幽体離脱の話は有名よ」と即座に否定します。さらに、「大作家のあなたがそれを信じるなんて」「作品に影響するんじゃない」と心配します。

 そして、「彼に会って、どうなるの?」と泣き、「会ったって、意味はないわ。よけいにつらくなるだけよ」、「私はあなたに早く立ち直ってほしい」と悲痛な声をあげます。

 母親は、父親を心霊治療している若者が、ただ息子に似ているというだけの詐欺師だと判断しているのです。彼女の指摘はどれも理に適っており、現実的な判断でした。

 母親の言う通り、魂が身体から抜け出て浮遊し、火災報知器の辺りまで行ったという説明は、幽体離脱現象を語ったにすぎません。その知識さえあれば、息子の魂との交信を装うことは可能でした。

 母親の反応を見て、父親は、ちょっと複雑な表情を見せました。ひょっとしたら、若者が本当に息子の霊と交信していたのかどうか、確認したくなったのかもしれません。

●さらにのめり込む父親、慎重に調査する母親

 父親は心霊治療所の前で、若者が出てくるのを待ち構え、息子の写真を見せてから、二人きりで会いたいと頼み、追加料金を出してもいいと付け加えます。

 若者と父親はベンチに座っています。父親が「息子はいま、どこにいる?」と尋ねますが、若者はそれには答えず、魂についての知識や概念の方に話題を向けます。肝心の息子の魂とは交信できていないのですが、作家である父親は目を輝かせ、どうやら満足している様子でした。

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 その点、母親はリアリストでした。息子の友達に頼んで、この心霊治療所について調査させていたのです。

 彼らがあの建物を借りたのは2か月前、しかも、喧嘩する声が頻繁に聞こえてくるといった近隣からの情報を入手しています。これで、彼らが詐欺師である可能性が高くなりました。そこで、母親は、父親に「いくら払ったの?」と尋ねます。

 父親は「払ってない」と答え、「いままで忘れてた」と言い、急に気づいたような顔つきになります。母親が「お金を渡して、こんなこと、終わりにして」と頼むと、その機に乗じて、父親は「彼らを家に呼んではいけないか」と尋ねます。当然のことながら、母親は断固、拒否します。
 
 それでも、父親は諦めきれません。結局は母親が折れる恰好で、自宅で息子の霊魂と交信することになりました。

■第3幕の構成

●自宅での交霊

 自宅で行う交霊への参加者は、父親、母親、息子の友達、息子の恋人、日本人留学生、そして、治療者側から、若者、スーツ男です。

 交霊が一通り終わった後、母親が若者に、「私への最初のプレゼント、まだ覚えてる?」と尋ねます。イカサマだとばれることを心配したスーツ男が「あまり古いことは・・・」と遮ろうとした時、若者は「僕が描いた母さんの似顔絵」と答えました。母親の顔がやや緩み、こみ上げる感情を抑えるように、立ち上がって部屋を出ていきます。

 スーツ男はすかさず、「休憩しましょう」と言います。

 父親は母親の後を追い、「当たってたか?」と尋ねます。「確かに、絵をくれたわ」と母親が答えると、父親は、「息子を感じないか?」と畳みかけます。母親はそんな父親を強く揺さぶり、「息子を騙るなんて許せない」と泣き出します。

 一方、ベランダでは、スーツ男が若者に、「あてずっぽうは止せ」と叱り、「次はいよいよ本題に入るぞ」と言い聞かせています。

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 交霊が再開されました。テーブルにローソクが2本、置かれています。スーツ男が「ご両親に話したいことは?」と尋ねると、若者は「大切にして」といいます。父親が「誰を?」と尋ねると、若者は、息子の恋人の名を挙げました。

 驚いて若者を見つめる息子の恋人、そして、彼女を見つめる日本人留学生。驚いた表情の父親、母親、友達が順に映し出されていきます。

 若者は続けて、「幸せになって」「愛してる」といいます。すると、息子の恋人は「もう、やめて」、「聞きたくない」、「あなたは、違うわ」と言って、泣きながら部屋を出て行ってしまいます。後を追って、日本人留学生、続いて、友達も出ていきます。

 残されたのが、父親、母親、スーツ男、若者です。

 白けた座の中で、スーツ男は、「よく考えて。言い忘れたことはないかね」と若者を促します。すると、若者は、「3年前、あるプロジェクトで借金をした」と切り出します。スーツ男が「誰に、いくら借りたのか」と聞くと、若者は、金融業者から50万元借りたと答えます。

 そこまで聞いていた母親は、「もう、たくさん。息子はそんなことしないわ」と叫び、「こんなことだろうと思っていた」、「もう帰って」と言い放ちます。「帰らないと、警察を呼ぶわよ」と続けます。

 驚いて立ち上がるスーツ男、続いて、若者が部屋から出ていきます。

 母親は「これは詐欺よ、分からない?」と父親に言い、「しっかりして」と迫ります。すると父親は「通報したら、会えなくなる」、「彼に会いたい」と口走り、母親に通報しないよう懇願します。それを聞くと、母親は微かに首を振って、「もう耐えられない」とつぶやきます。

●詐欺師と発覚

 画面は変わって、心霊治療所では、スーツ男が荷物の整理をしています。入って来た女性に「撤収だ、逃げるぞ」と告げ、慌ただしく動き回っています。若者はソファーに腰掛け、イヤホンで何かを聞きながら、その様子をうつろな目で見ています。

 一方、作家の自宅では、母親が荷物をまとめ、スーツケースを持って、慌ただしく玄関を出て、タクシーに乗り込みます。一人残された父親は、書斎でぼんやりと息子の写真を見ています。

 その後、雨の中、川辺に佇んでいる父親が映し出されます。傘が吹き飛ばされ、びしょぬれになっても、なお、立ち尽くしています。

翌日、心霊治療所では、スーツ男が、父親からの電話を受けました。50万元を持っていくから治療を続けてほしいという内容でした。女性が、「警察の罠じゃない」と疑う一方、スーツ男はお金欲しさに、「様子を見よう」と受け入れます。一連のやり取りを聞いていた若者は、ちょっと驚いた表情を見せますが、すぐ無表情になります。

 父親は約束通り、50万元の入ったカバンを持参してきます。中身を確認すると、100元紙幣がぎっしりと入っていました。

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 若者、スーツ男、金融業者はそれぞれ、大金を前に、軽く興奮しています。父親に求められ、いよいよ交霊に入ろうとした時、外に出ていた女性からスーツ男に電話があり、治療所周辺に大勢の警察が張り込んでいるという情報がもたらされました。

 スーツ男は慌てて、「急用で、今日は中止です。また、日を改めて」と言い、何も持たず、早々に外に出ていきます。金融業者が金の詰まったカバンを持って立ち去ろうとしたとき、若者が呼び止め、つかみ合いになります。結局、カバンは金融業者に持ち去られてしまうのですが、そのカバンは玄関で待ち構えていたスーツ男に取られてしまいます。

●詐欺師だと告白

 取り残された父親と若者は、暗い部屋で交霊を始めました。手を触れあったまま、若者は、「もうすぐ天国の一番美しいエリアに入る」、「この旅路で、たくさんの人に出会い、多くの事を学んだ」、「モーツァルトにも出会った。一番感動したのは、遺作「レクイエム」をつらぬむものが、悲しみではなく喜びであることだ」と静かに告げます。

 交霊が終了すると、若者は父親に鍵を返しました。鍵は、交霊のための必需品です。父親は慌てて、「教えてくれ、私の魂の重さは?」、「死後に行く場所は魂の重さで決まる。私が死ねば息子に会えると思っていたが、魂の重さが足りなければ、死んでも息子には会えん」と矢継ぎ早やに言葉を浴びせかけます。

 若者はそれを聞いて、悲しそうな表情を浮かべ、「全部、ウソですよ」、「先生の本を読み、資料を漁り、息子さんの情報も検索しました」、「死後の世界についての本も勉強して、会話の仕方も研究した。僕は詐欺師です」

 自分を信じ切っている父親に対し、若者はついに、詐欺師であることを告白したのです。

●君を抱きしめたい

 父親は「わかっていたよ。そんなことはどうでもいい」と動じず、「君に会い、君と話すだけで私は満足だった」と真剣な表情を見せます。

 若者はそれを聞いて、「先生はおかしな人だ」と泣きながら言い、僕に「そんな価値が?」と問いかけます。

 幼い頃に父母を亡くした若者は、これまで親身になって気遣ってくれる人もなく、生きてきました。生きていくのに精一杯で、叔父に言われるまま、詐欺行為を働いてきたのでしょう。

 日本人留学生との会話から明らかになったように、この若者は元々、「金持ちは嫌い」でした。だから、金持ちを騙して大金を得ても、別段、罪悪感はなかったのかもしれません。

 ところが、その若者の気持ちに大きな変化が起きていました。これから自首するというのです。

 自首すると聞いた父親は、「どこにいても会いに行くよ」と鍵を取り出し、「持っていてくれ」、「息子の鍵だから、預けておく」と差し出します。

 ところが、若者は、鍵はもう持っていると言います。「今朝、奥さんが訪ねてきて、いつでも会いに来なさい」と言って、鍵をくれたと説明するのです。そして、「奥さんは先生を気遣ってますよ」と付け加えました。

 立ち去ろうとして、若者は、ふと、思いついたようにポケットに手を入れ、心ばかりの贈り物だといって、父親に小さな壺を渡します。骨董店でみつけた壺で、吉祥雲の模様がついています。若者は、小さい時からこの模様が好きだったと説明します。

 父親が「大切にするよ」と言って、受け取ると、若者は、「僕もこの鍵を大切にします」と言いながら、母親からもらった鍵を返し、息子が使っていた鍵をポケットにしまいました。

 父親は名残惜しそうに、最後の頼みだといって、若者を抱きしめます。

 嗚咽にむせぶ父親と若者。見ていて感極まり、思わず涙してしまうシーンでした。息子を思う父親の純粋な気持ちが、詐欺行為を働いてきた若者の中に眠っていた純粋な気持ちを覚醒させたのです。

●遺された者のレクイエム

 父親は書斎でモーツァルトを聞きながら、パイプをくゆらせ、若者からもらった骨董品の壺を見ています。繰り返し眺め、そして、はっと気づきます。子どもの頃、息子が来ていたTシャツの模様が吉祥雲だったことを・・・。

 父親は、手にした小さな壺と、子供の頃の息子が着ていたTシャツとを見比べながら、嬉しそうな表情を浮かべます。この吉祥雲の模様に、息子と若者との縁を感じたのでしょう。

 思わず、外に出て、治療所に向かとうとした時、目の前に若者が立っているのに気づきました。息子の名を呼ぶと、振り向きますが、その瞬間、消えてしまいます。

 一年後。

 かつて、若者と会い、語り合っていたサッカー場で、父親は、母親や息子の恋人や赤ん坊らと共に観戦しています。家族だんらんを彷彿させるシーンです。息子の魂の安息を願い、遺された者が奏でてきたレクイエムが、一年後、このような形で結晶していたのです。

 父親の表情には、息子の死がもたらした喪失感を乗り越え、新たな死生観を獲得した者の強さが感じられます。

 そして、川辺では、父親がパイプを手にし、佇んでいます。その背後には、大きな川が滔々と流れていきます。

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(試写映像より。図をクリックすると拡大します)

 時にさざ波が立ち、時に濁流となって、あらゆる喜怒哀楽を呑み込みながら、川は絶え間なく流れていきます。

■私はなぜ、感動したか

 私がなぜ、この映画に感動したのかといえば、まず、父親の苦悩の軌跡が、段階を踏んで、丁寧に描かれていたからでした。とくに息子が亡くなった後からの展開が素晴らしく、画面ごとに、強く引き込まれていきました。

 父親の喪失感は、リアリストの母親との対比によって深く、多面的に表現されていました。悲愴感漂う父親の表情には、感情移入する一方、憐憫の情さえ覚えるようになったほどでした。とても難しい役どころだったと思います。

 繊細で微妙な感情表現を要求される父親役を、巍子(ウェイ・ツー)が、低い声と豊かな表現力によって、見事に演じきっていました。

 一方、息子には大人しい中にも秘めたエネルギーを感じさせる必要があり、また、息子に似た詐欺師にはクールで、感情を抑制できる知性が必要でした。二役を演じた强宇(チアン・ユー)には、声や顔面表情にその資質があり、適役でした。

 メインストーリーの構成を見ていくと、改めて、息子を失った父親の心の軌跡が、構造的に描かれていることがわかります。大きな喪失感に始まり、霊魂の模索、そして、交霊といった具合に、父親の気持ちの変化が行動の変化を伴いながら、物語を進展させていくプロセスがしっかりと組み立てられていたのです。

 ここでは、メインストーリーだけをご紹介しましたが、実際は、メインストーリーを支えるためのサブストーリーがいくつか設定されています。

 サブストーリーの一つに、日本人留学生を軸に展開されていたものがあります。好奇心旺盛な日本人留学生を登場させ、ターニングポイントで関わらせることによって、物語を豊かに肉付けする効果を生んでいました。

 メインストーリーの展開に影響を与える一方、登場人物の性格、来歴、価値観、嗜好性などを浮き彫りにしていたのです。

 たとえば、若者が日本人留学生に、「金持ちとバカが嫌いなんだ」と漏らしたことがありました。それを聞いた彼女は、「金持ちをだますのも生活の知恵?」と切り返しますが、このシーンでは、若者が良心の呵責を感じずに、父親と接触していることがわかります。

 当事者ではない日本人留学生は、一般常識に照らし合わせて、この若者が詐欺師だと判断していました。これはほんの一例ですが、彼女のおかげで、息子の恋人や詐欺師の若者を同世代の視点から肉付けすることができていたのです。

 若者は当初、父親を騙すことに何の躊躇いも持っていませんでした。そのことが明らかにされたこのシーンを設定することによって、父親との関わりの中で生じた若者の気持ちの変化がことさらに強く印象づけられます。

 若者を信じ、交霊を願い続ける父親の純粋な気持ちが、次第に若者の気持ちを浄化し、やがては、自身を詐欺師だと告白するようになったことにも、私は感動したのです。

 私がこの映画に感動したもう一つの要素がここにあります。

 父親はとっくにこの若者が詐欺師だと気づいていました。終には、本人から詐欺師だと告白されています。ところが、「それでもいい」と受け入れるのです。最初から詐欺師だと見抜いていた母親もまた、最後にはこの若者を許します。

 私の感動がさらに深まった理由が、ここにありました。

 詐欺師だとわかっても、父親は大金を渡し、詐欺師だと本人から告白されても、父親は若者を受け入れ、抱きしめたいと願い出ます。このような展開からは、大切なのは、金銭ではなく損得でもなく、効用でもなく実利でもなく、魂の通い合いであり、信頼だということが示されているように思えます。

 父親自身の気持ちにも大きな変化が起きていたのでしょう。若者と抱き合った時の父親の表情には、無上の喜びが感じられました。父親はようやく安息を得たのです。

 そして、一年後、父親、母親、息子の恋人と赤ん坊がサッカー場でなごやかに観戦する様子はまさに一家団らんの光景でした。息子の死後、遺された者はレクイエムを奏で、深い苦悩を経て、手にしたのが、永遠の安息への手がかりだったのです。

 映画『安魂』は、詐欺師を登場させることによって、重いテーマに軽妙さを添え、人が生きること、死ぬことの根源について深く考えさせてくれました。大変な力作です。(2022/01/08 香取淳子)

チベット・タンカに見る内面世界

■中国チベット・タンカ芸術展の開催
 「中国チベット・タンカ芸術展」が2019年1月29日から2月24日まで中国文化センターで開催されています。タンカという様式の絵画をこれまで見たこともありませんでしたので、1月29日、訪れてみました。会場には15世紀や19世紀の作者不詳の作品以外に40点ほどの現代作家の作品が展示されていました。

こちら →
https://www.ccctok.com/wp-content/uploads/2018/11/24769bb4d1a60b96e7642ef26d0ed4ad.pdf

 一覧して、色遣いの鮮やかさに圧倒されてしまいます。画布に鉱物顔料を使って描いているので、時間が経っても色褪せないのだそうです。今回の展覧会は中国文化センターと吉祥タンカ芸術センター(北京吉祥大地传播有限公司)の主催です。吉祥タンカ芸術センターはタンカの蒐集、研究、制作、宣伝を総合的に取り扱う会社で、2003年に設立されました。北京の798芸術区に本部を置き、チベット、青海省、北京市など中国各地でタンカ芸術画院を創設し、チベットの民族文化を世界に発信しているといいます。

 タンカとはチベット仏教の仏画の掛け軸の総称です。会場で初めてタンカの諸作品を見たとき、鮮やかな色彩の持つ力に魅了されてしまいました。それでは、作品を見ていくことにしましょう。残念ながら、今回、撮影した写真をアップすることができませんでしたので、チラシに掲載された作品を中心にご紹介していくことにします。

■八馬財神
 先ほどご紹介したチラシの表面に使われていたのが、「八馬財神」(100×70㎝、2017年)で、根秋江村氏の作品です。チラシには作品のごく一部が使われているだけですが、さまざまなモチーフがいかに精密に生き生きと描かれているかがわかります。

 メインモチーフは獅子に乗って正面を向いて大きく描かれています。祖師と称される人物なのでしょうか。その周辺には馬に乗った武将がさまざまな角度から描かれており、メインモチーフの頭上には炎を背景にした守護尊も描かれています。台座の下には色とりどりの花や葉が表情豊かに描き出されています。

 興味深いことに、両脇に滝の流れる風景や山並み、青々とした葉をつけた木々が描かれています。まるで山水画のような図柄でメインモチーフを挟み込むように描かれていますし、右上を見ると、雲の上に宮殿のような建物が描かれています。チラシの表面で使われているのは、絵全体の一部分でしかありませんが、それでもヒトを取り巻く社会、自然、生活が描かれていることがわかります。

大きな図で見てみることにしましょう。

こちら →
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(中国文化センターHPより)

 仏画ですから、それぞれのモチーフにさまざまな意味が込められているのでしょう。仏画に馴染みのない私にはそれが何なのか、よくわかりませんが、絵画作品として観ただけでも惹きつけられるものがあります。画面を見入り、強く気持ちを揺り動かされる何かがあるのです。

 私の目にはモチーフの具体的な姿しか見えませんが、おそらくそれぞれのモチーフに何らかの意味が込められているのでしょう。会場には現代作家の作品とは一風変わった作品も展示されていました。古代タンカと類別された、「金剛亥母曼荼羅」という作品です。

■金剛亥母曼荼羅
 会場で展示されていたのは、「古代タンカ」と類別された「金剛亥母曼荼羅」(94×58㎝)という作品でした。作者不詳で15世紀ごろの作品とされています。最初にご紹介したチラシの裏面右側で取り上げられている作品です。

 とても抽象的な図案に見えます。ここでご紹介しようと思い、この作品をネットで探してみましたが、似たような作品がいくつもあるのですが、同じ作品はありませんでした。部外者から見れば、同じように見える図柄でも実はそれぞれに込められた意味が違うのだということを思い知らされました。図というよりは情報を伝達する要素の方が大きいのでしょう。

大きな図で鑑賞することにしましょう。

こちら →
https://www.ccctok.com/wp-content/uploads/2018/10/WeChat-Image_20181010112354-mini.jpg
(中国文化センターHPより)

 中央に四角で囲われた中に円があり、その円の中に星型の図案があり、その中に中心の楕円を囲むようにして四方に楕円が配されています。それぞれに菩薩や如来、祖師、守護尊、女性尊などが描かれています。真ん中の四角の外側には、僧侶や人々、などさまざまなモチーフが描かれており、まるで一つの世界が構築されているように見えます。

 興味深いのは、真ん中の四角の外側のモチーフはそれぞれ同じ大きさで、ラインに沿って配置されています。人物の属性、向きなどに意味が込められているのでしょう。そのように考えてみると、モチーフのそれぞれに情報が付与されたヒエログリフのようにも見えてきます。この作品は書物のように絵の助けを借りながら、人々に情報や思想を伝える役目を担っていたのだと思いました。

 この作品とは逆に、仏画でありながら絵画としての要素を強く感じた作品があります。

■仁青才让氏の作品
 会場に入った途端、色彩のハーモニーが素晴らしく、洗練された作品に魅了されてしまいました。訴求力が強く、しばらく作品の前で佇んでしまったほどでしたが、伝統的な仏画でありながら、現代の観客を持惹きつけてしまう諸作品を手掛けたのはタンカ作家の仁青才让氏でした。

こちら→http://www.kfarts.com/xi_cang/1623.html

 8歳から出家し、タンカを学んだそうです。現在39歳ですが、画家、書家としてのキャリアは長く、タンカ作家の第一人者として高く評価されています。今回の展覧会では現代作家の作品41点が展示されていましたが、そのうち20作品が仁青才让氏の作品でした。どの作品も観客を引き付けて離さない強い力を感じさせられました。

 最初にご紹介したチラシの裏面、左下で使われている藍色の作品もその一つです。この作品は2017年に制作され、45×33㎝とやや小ぶりですが、会場で見ていると、次第に心が安らぎ、清らかになっていくのを感じます。

 藍色の濃淡で画面を覆い、真ん中の菩薩を明るく、その背後には黄色系、オーカー系、グリーンペール系の色が交互に配されており、柔らかな光を感じさせられます。そして、その背後には無数の花弁のようなものが描かれ、その先がやはりペール系で色取られています。同系色の濃淡、そして補色の組み合わせが巧みで、思わず、見入ってしまいます。

 光の優しさ、柔らかさが際立って見えたのは全体を覆う藍色のせいでしょうか。この作品は鉱物のアズライトを研磨して作る石青を下地に使ったそうです。会場で見た藍色の濃淡と金色の組み合わせが絶妙で、菩薩の輝きが感じられる一方、藍色と黒、そして金の組み合わせで作られる背景に精神世界の深淵さが表現されており、感動してしまいました。

 仁青才让氏の作品はこのように、構図といい、色の組み合わせといい、画力といい、どれも、誰が見ても一目でその素晴らしさがわかる秀逸さがありました。もっと大きな図でご紹介したいと思い、ネットで探していましたら、「金绿度母」という作品を見つけました。

こちら →https://img4.artfoxlive.com/uploadFile/productImg/201705/l/1495008279263_627695_origin.jpg

 この作品は会場では展示されていませんでしたが、際立つのは、モチーフの大きさによる遠近感と構図の面白さです。菩薩や如来、守護尊などが対角線を活かして配置されており、それぞれの関係性と躍動感が表現されています。

 ここではご紹介できませんが、仁青才让氏は、黒金タンカの作品、緑金タンカの作品、紅晶タンカの作品なども手掛けており、それぞれ、色彩に合ったモチーフと構図を選択し、印象的な作品に仕上げていました。会場に入ってすぐに魅了されてしまったと書きましたが、実は、いずれも仁青才让氏の作品でした。

■タンカ作品に見るヒトの内面世界
 モチーフを表現するための絵具も、仁青才让氏の手になれば、モチーフに生命を宿らせるための道具なのでしょう。今回の展覧会で7人の現代作家の作品が展示されていました。それぞれに味わいがあり、素晴らしい作品でしたが、私が絵の前でしばらく立ちとどまって鑑賞したのはいずれも仁青才让氏だったのです。

 どこが他の作品と異なっていたのか。今思えば、絵の中で表現されている世界に深さが読み取れたからだといえます。立ち止まって見てしまうというのは絵の細部を観たいという欲求に駆られていたからにほかなりません。なぜそのような思いに駆られたのかといえば、絵に強い訴求力があり、しかも容易には読み取れない深淵なものがあったからだという気がします。

 ヒトが生きること、やがては死んでいくこと、そして、さまざまな恐れやおびえ、悲しさや辛さを乗り越え、手にすることができる世界、そういうものを絵が提供できるとき、その作品に強い力がみなぎっているはずです。仁青才让氏の作品には、色彩が奏でる美しさの背後にそのような強さがあったのです。

 今回、私ははじめてタンカの作品を40数点、鑑賞しました。とくに仁青才让氏の作品には仏画としてのタンカの精神を引き継ぎ、現代美術としての魅力が発散されていました。卓越した技量によるものでしょうし、鉱物顔料を使った深さのせいかもしれません。絵画の持つ力の大きさと多様性を認識させられました。(2019/1/30 香取淳子)