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Henry Lauは現代版モーツァルトか? ④ヒット曲 “Despacito” のカバーを聞き比べてみる。

Henry Lauは現代版モーツァルトか? ④ヒット曲 “Despacito” のカバーを聞き比べてみる。

■TEDでスピーチするHenry Lau

 YouTubeを見ていた時、たまたまHenry Lauの動画に出会いました。久しぶりだと思って開いてみると、なんと彼がTEDでスピーチしているのです。TED×The Bundというコーナーでの動画でした。こんなところで見かけるとは思いもしなかったので、驚いてしまいました。

こちら →
(YouTube映像より)

 TEDといえば、英語のプレゼンテーションが通常なのに、Henry Lauの場合、中国語のスピーチで、しかも、字幕も付いていません。それでも聞き続けていると、要点だけはテロップが付けられていたせいか、なんとなくわかったような気がしました。

こちら → https://www.youtube.com/watch?v=D4Hwpl4az4E

 2022年2月24日にアップされた動画です。TEDでの収録がいつだったのかわかりませんが、私が見た時点ですでに3955回視聴されていました。演奏やパフォーマンスだけではなく、スピーチでもHenryは人々を強く惹きつける魅力を持っていることがわかります。

■The best is yet to come, just keep asking yourself WHY NOT.

 “The best is yet to come, just keep asking yourself WHY NOT.”というのが、このスピーチのタイトルです。これまでの人生を振り返り、「最高のものはまだ来ていない、なぜなのか自問し続けよ」という教訓を会場の人々に向けてプレゼンテーションしていたのです。

 彼はそれまでの人生でぶつかったターニングポイントを3つ挙げ、それぞれが自分にとっての飛躍のチャンスだったといいます。

 一つ目は、ヴァイオリンとpoppingの発表を同じ時間帯で披露しなければならなくなった時、彼はユニークな芸当を編み出しました。

 クラシック音楽を奏でるヴァイオリンを弾きながら、ロボットのような動き方をするpoppingを組み合わせるという前代未聞のパフォーマンスを創り出したのです。以来、この芸当はHenryの得意技になりました。

 二つ目のターニングポイントは、両親が望む進路と自分が求める進路とが異なっていたことでした。幼い頃からクラシック音楽の教育を受け、ヴァイオリンでもピアノでも受賞し、才能が認められていた彼に対し、両親は音楽大学に進むことを望んでいました。

 ところが、Henryは韓国のエンターテイメント企業のグローバルオーディションに合格し、両親の望まない方向を選択してしまいます。単身、韓国に乗り込み、スターダムに駆け上がろうとしていましたが、ファンから「Henry Out!」コールを受け続け、ボイコットされていきます。

 苦しみぬいた末、Henryは一歩身を引いて、バークリー音楽大学で学ぶことにします。そのまま韓国にいれば危機に陥っていたでしょう。再起不能になっていたかもしれません。不意に襲われた危機をHenryは転機に変えたのです。バークリー音楽大学では、それまで欠けていた歌唱を習い、作曲を勉強しています。こうして次の段階に向けて、技量を高めていったのです。

 そして、第3のターニングポイントとして、Henryは、「さまざまな苦境は、自分を向上させる機会に変えていく」結論づけます。苦難と向き合い、考え抜いて対処することで、自身の枠を広げ、技能を高めていく機会に変えることができるというのです。

■なぜ、危機を転機に変えることができたか

 Henryはカナダで生まれ育ったので、英語ネイティブですが、韓国語を独学で学び、KPOPスターとなった後、中国語を学び、TEDでは中国語でプレゼンテーションしています。しかも、クラシックからポップスまでカバーできる音楽のジャンルも幅広く、パフォーマンスも超一流です。

 このような豊かな才能の持ち主だからこそ、危機を転機に変えることが出来たのではないかという気がします。とはいえ、彼のこれまでの生き方を見ていると、何事にも真摯に取り組み、努力を惜しまなかったからこそ、危機を転機に変えることができたのだとも思えます。

 つまり、危機を転機に変えることができるのは才能なのか、それとも、努力なのかということが気になっているのです。

 危機を転機に変えるというのは、おそらく、「言うは易く行うは難し」の類の箴言なのでしょうが、実際に経験してきたHenryが言うと、気持ちが鼓舞されます。不思議なことに、今後、何かあったとしても前向きに取り組んでいこうかなという気持ちになってしまうのです。

 それにしても、Henryはなぜ、さまざまな危機に遭遇しながらも、それらを転機に変えることができたのでしょうか。

 ひょっとしたら、音楽という大きなジャンルからはみ出ることなく、生きてきたからではないでしょうか。もし、そうであれば、一見、危機に思える事柄も経験値を高める事案にすぎず、転機に向けたプッシュ要因になるばかりか、その後の展開にプラス要因として作用する可能性も高いはずです。

 いずれにしても、Henryは見事なまでに、遭遇した苦難を自身の音楽の豊かさにつなげていきました。それには、自身の演奏能力はもちろんのこと、他人が創作した楽曲の真髄を把握し、それに自身の解釈を加え、表現する能力に長けているからでしょう。

 Henryがどれほど音楽の解釈に優れた能力を持ち、そして表現力に長けているか、試みに、他人の楽曲をどれほど独自のフィルターをかけて演奏しているかを見ていくことにしたいと思います。

 Henryはヒット曲を何曲かヴァイオリンでカバーしています。それぞれがオリジナル曲とは別の味わいがあって、惹きつけられます。

 ここでは、“ Despacito”を取り上げ、聞き比べてみることにしましょう。ルイス・フォンシ(Luis Fonsi)が2017年1月にリリースした曲で大ヒットしました。

■“ Despacito”のカバー曲、聞き比べ

●Despacito by Henry Lau
 2018年12月22日に公開された2分22秒の動画を見てみることにしましょう。DespacitoをHenryがヴァイオリンで演奏しています。この動画では前半部分です。

こちら → https://youtu.be/Tau4Zd4cS40
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 曲の真髄を捉え、見事なまでにヴァイオリン曲として弾きこなしています。テンポと抑揚に、K-POPアーティストならではのハギレの良さとリズム感があり、現代性が感じられます。

 元の曲がどのようなものであったか、聞いてみることにしましょう。

●Despacito by Luis Fonsi

こちら → https://youtu.be/kJQP7kiw5Fk
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 Luis Fonsi が2017年1月13日にリリースした4分41秒の動画です。ストーリー仕立てで映像構成されており、この曲の雰囲気をよく表したものになっています。

●Despacito by Hauser

 2021年7月5日に公開された2分3秒の動画で、Hauserが演奏するチェロでカバーされています。

こちら → https://youtu.be/yj2Y5O88lIw
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 この曲の雰囲気がしっかりと再現されています。南国のリゾート地ではおそらく、このようにけだるい雰囲気の中でエロティシズムが満喫されているのでしょう。

 チェロの音色が意外にこの曲に合っていることがわかりました。

 2台のチェロで演奏されている動画もありました。2017年7月9日に公開された3分9秒の映像です。

こちら → https://youtu.be/D9LrEXF3USs
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 チェロという楽器のせいか、深いところで感情が刺激され、酔わせられます。

●Despacito by Peter Bence

 Peter Benceがピアノでカバーしている3分34秒の動画もありました。2017年7月27日に公開されています。

こちら → https://youtu.be/GmtTDvNcXcU
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 ピアノでカバーしているといいながら、ハープシコードのような音色です。ちょっと古風な音の響きがこの曲の持つ哀愁とうまくかみ合っていると思いました。ただ、ピアノのという楽器の音色そのものが断続的な響きなので、この曲が持つ、ヒトの情感にしっとりとまとわりついてくるような要素は表現しきれてないように思えました。

●Performs Despacito by Luis Fonsi
 
 Luis Fonsi(ルイス・フォンシ)がスタジオでダンサーを従え、歌を披露しているライブ映像がありました。2017年8月16日に公開された3分42秒の動画です。

こちら → https://youtu.be/djMWv_o3iHk
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 明るく、陽気なラテン系のエロティシズムがスタジオ中に満ち溢れています。

●Despacito by Facundo Pisoli
 
 Facundo Pisoliがレストランで、サックスでこの曲を演奏しています。2017年4月21日に公開された3分58秒の動画です。

こちら → https://youtu.be/8wIZs2JwYMU
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 まず、サックスもこの曲に合うと思いました。華やかでありながら、哀愁を感じさせる音色にけだるいエロティシズムを感じさせられます。ただ、演者に余裕がないせいか、曲の情感を充分に引き出せていないように思えました。

■“ Despacito”の情感に影響する楽器、パフォーマンス

 “ Despacito”のカバー曲を聞き比べてみた結果、この曲が持つ哀愁や情感を表現するには、楽器が持つ音色が大きく影響していることがわかりました。Henryが弾くヴァイオリンでは繊細な音色で深い哀愁が良く表現されていました。

 ただ、ヴァイオリンはチェロに比べ、楽器が小さいせいか音が細く高く、エロティシズムや深い情念を表現するのは難しいと思いました。その足りない分をHenryはパフォーマンスで補っていましたが・・・。

 オリジナル曲を歌ったLuis Fonsiは映像クリップではストーリー仕立て、スタジオ収録映像ではダンサーのパフォーマンスがこの曲に情念とエロティシズムを加えていました。

 Hauserがチェロでカバーしたものは、この曲の真髄をよく表現できていたと思います。チェロの深い音色とダンスパフォーマンスがマッチし、南国の気だるい雰囲気の中で充満する情念やエロティシズムがうまく表現されていました。

 こうして見てくると、楽器の音色、音楽に合わせたパフォーマンスが曲の総合的な印象に大きく影響していることがわかります。もちろん、どのような音色を出すかは、演者による曲の解釈、経験値、そういうものが作用するでしょう。

 “ Despacito”のカバー曲を聞き比べていくと、HenryがTEDでプレゼンテーションしていたような、「危機を転機に変える」という発想だけでは曲の深みを出せないかもしれないという気がしてきました。

 「危機を転機に変える」のは、人生訓として優れたものではあっても、さまざまな喜怒哀楽を呑み込んだうえで、人間というものを深く理解するには不十分ではないかという気がしてきたのです。「危機を転機に変える」こともできないような立場に立ち、さまざまな理不尽な経験をしてはじめて、人や人生について深い理解ができ、表現ができるのではないかという気持ちになりました。(2022/2/28 香取淳子)

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