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「人生フルーツ」から学ぶ:生きていくこと、老いること。

「人生フルーツ」から学ぶ:生きていくこと、老いること。

■「人生フルーツ」の上映
 2018年12月12日、人権週間にちなみ、練馬区が企画した上映会で「人生フルーツ」を観ました。高齢のご夫婦のドキュメンタリーで女優の樹木希林がナレーションを務めたということだけしか知らないまま、上映会に参加しましたのですが、素晴らしい映画でした。ご夫婦の日常生活が淡々と描かれるだけなのですが、どういうわけか感動してしまったのです。チラシを見ると、この映画は2016年に公開された映画で第91回キネマ旬報文化映画第1位、第32回高崎映画祭ホリゾント賞、平成29年度文化庁映画賞文化記録映画優秀賞を受賞した作品でした。

 
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 なんとほのぼのとしたご夫婦の姿なのでしょう。思わず引き込まれ、見入ってしまいました。背景の雑木林、柔らかな陽射しに包またご夫婦の笑顔、よく見ると、お揃いの帽子を被っておられます。雑木林の樹皮から作られたお手製の帽子なのでしょうか。じっと見ているうちに、年輪を重ねた者だけがもつ豊かさとはこういうものかと思ってしまいました。

 映画はこの写真に象徴されるようなものでした。ただ、この写真だけでは表現できないものもありました。日常生活を追った動画だからこそ浮き彫りにすることができた側面もありました。失ってしまった何か大切なものが全編に込められているような気がするのですが、それが何なのかはっきりと説明することができません。

 どうすれば、この感動を伝えることができるかと思いながら、ネットを探していると、この映画の予告編を見つけることができました。この作品の内容をコンパクトに紹介できていると思いますので、ご紹介することにしましょう。

こちら →https://www.youtube.com/watch?v=Fx6V8lerA5A

 映画を思い返しながら、なぜ私が感動してしまったのか考えてみたいと思います。

 この作品は建築家の津端修一さん(90歳)、英子さん(87歳)ご夫婦の日常生活を中心に描いたドキュメンタリーです。何気ない生活風景を淡々とカメラに収めながら、そこから豊かな人生が伝わってくるのはなぜなのか。予告映像を手掛かりに映画を思い起こしながら、みていくことにしましょう。

■高蔵寺ニュータウンの設計への参加
 予告映像ではカメラはまず、高蔵寺ニュータウンの典型的なコンクリート住宅を俯瞰してから、その一角に佇む赤い屋根の小さな家を映し出します。津端修一氏が設計に関わった住宅団地が特徴のない、無味乾燥な集合住宅群であるのに対し、雑木林に包まれた平屋建てのご自宅にはヒトに寄り添う自然の温もりが感じられました。修一氏が恩師アニトニン・レーモンドの自宅に倣って建てた平屋です。玄関はなく、30畳の居間がメインの生活空間で、これ以外に書庫、手仕事ルーム、倉庫、離れなどがあります。

 これまでに見たこともないような個性的な家ですが、そこには修一氏の建築哲学、あるいは生活信条とでもいえるようなものが反映されていました。

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https://s.webry.info/sp/99596184tettsu.at.webry.info/201706/article_1.htmlより)

 敷地の境界線に沿って、桜、柿、プラム、カエデ、クヌギ、モミなどが植えられ、その中が居宅と畑になっています。なんと70種の野菜と50種の果物を収穫できるそうです。見事なまでに自然との共生が果たされています。

 実は修一氏は高蔵寺ニュータウンの設計を任されたとき、自然との共生を目指したプランを計画していました。ところが、1960年代の社会情勢ではそのような案は受け入れられず、理想とはほど遠い、機能だけを求めた団地になってしまいました。それを契機にそれまでの仕事に距離を置き、ニュータウンの一角に土地を買い、家を建て、雑木林を育て始めたといいます。

 修一氏の建築家としての人生が大きく変わる契機となったのが、この高蔵寺ニュータウンの仕事だったのです。映画ではそこのことに深くこだわらず、自然と共生して暮らすご夫婦の日常生活に力点が置かれていましたが、私は気になりました。そこでネットで調べてみると、その間の事情が多少はわかってきました。

■なぜ建築家の仕事に距離を置いたのか。
 Toshi-shi氏が(遊)OZEKI組というHPに寄稿された文章です。このHPは閉鎖されるということなので、多少長くなりますが、該当部分を引用しておくことにしましょう。

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 津端氏は東大卒業後、レーモンド事務所を経て、1955年に住宅公団に入社し、阿佐ヶ谷住宅や赤羽台団地などの団地計画などに従事した後、1961年に名古屋へ転勤した。(中略)1961年に名古屋支社へ赴任した津端氏は、東大ヨット部の後輩であるK氏を部下に、T氏、K氏を担当者として、ガイドプランの作成を始めた。ちなみにO氏はW氏と同時に、候補地選定等を担当していたが、1961年度末で異動。計画決定後に再び高蔵寺ニュータウンの整備を担当するようになる。また、1961年11月には東大T研究室に基本計画策定を委託するが、これも津端氏からK氏を通じて委託をしたもので、実際には津端氏の指示のもとに作業が進められた。
 もちろん喧々諤々な議論はあったが、津端氏のリーダーシップの下、円満なムードの中で作業は進められ、第2次マスタープラン、さらに1963年の事業計画原案、本所との調整を経て、64年には認可申請がされている。ここまで全て、津端氏がリーダーとして調整し、まとめたものだった。(中略)計画策定後の事業推進にあたっても、このように津端氏が中心となって調整・整備が進められたが、T先生が津端氏の言葉の中で特に記憶に残っているものとして「住宅を設計するように、団地を設計する」という言葉を挙げられた。千里ニュータウンは土地利用や施設配置が中心の平面計画だったが、高蔵寺ニュータウンは先述したスケッチにあるように三次元のアーバンデザイン、立体計画だった。そこには、施設ごとの低層・高層のみならず、デザインまでが構想されていたが、それらは公団の住建部隊が乗り込んで作業を進める中で、建設密度、住戸規模、住棟配置など、当時の標準設計に合わせて建設が進められ、津端氏の構想からは大きくかけ離れたものとなっていった。そこが一番心残りだったのではないかとT先生はおっしゃっていた。
津端氏は公団を退社後、広島大学に赴任している。当時公団で進められていた賀茂学園都市との関わりについて尋ねたが、T先生自身が賀茂学園都市を担当していたものの、特に関わりはなかったとのこと。広島大移転にも特に関わることなく、しかしこの時期に市民菜園を始めている。それが「人生フルーツ」に描かれる自然とともに生きる暮らしにつながったとすれば、津端先生にとって広島大赴任は大きな転機となる出来事だったのかもしれない。
**** Toshi-shi@(遊)OZEKI組より。

 これを読むと、修一氏が都市計画から離れざるを得なかった理由がなんとなくわかるような気がします。機能性とコストパフォーマンスを求める時代風潮と自身の建築哲学、生活信条がそぐわなくなっていったのでしょう。それでも妥協せず、別の道を選択されたことに修一氏の揺るぎない建築哲学と信念を持った生き方が感じられます。

 Toshi-shi氏によると、津端ご夫婦は広島大赴任後、市民菜園をはじめられたようです。

■自然と共生する生活
 冒頭でご紹介したご夫婦の写真はご自宅の庭で撮影されたものでした。背景には早緑の葉が木々の奥深く、幾重にも重なり、陽ざしに柔らかさを添えています。その前の敷石に腰を下ろすお二人の笑顔のなんと素晴らしいことでしょう。

 年輪を重ねた者だけが浮かべることのできる含蓄のある笑みだといえます。顔に深く刻み込まれた皺には多様な経験と知恵が、そして、帽子からはみ出た白髪には余分なものをそぎ落としたいさぎよさと清潔感が感じられます。

 皺といい、白髪といい、老いていくことに伴う自然現象ですが、老いることを恐れる人々は皺や白髪を隠そうとし、コラーゲンを注入したり、染髪したりします。「老い」のもたらす価値と美に気づかず、いつまでも「若さ」がもたらす価値と美にしがみついているのでしょう。それだけに、ご夫婦のこの写真は貴重です。

 この部分だけを取り出して、再度、ご紹介しましょう。

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(図をクリックすると、拡大します。撮影:田渕睦深氏、主婦と生活者より)

 チラシではこの写真の上にキャッチコピーが載せられていましたが、それもまた的を射たものでした。

 「人生は、だんだん美しくなる」

 お二人の素晴らしい笑顔を見ていると、このキャッチコピーのように、本当に、「人生は、だんだん美しくなる」と思えてきます。老いることが衰えていくことではなく、静かで安定感のある美しさを創り出していくことでもあると思えるようになっていくのです。年を重ねることの豊かさ、重み、味わい深さ・・・等々、それらは自然に寄り添って生きていく過程で育まれていくのでしょうか。

 ご自宅にはさまざまな果樹が植えられており、それが毎年、豊かな果実を実らせます。たとえば、スダチの木の枝には「ドレッシング用です」と書かれた小さな黄色の札が付けられています。

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 樹木が単なる木として存在しているのではなく、このような札が付けられることによって、ヒトにその存在を認識され、承認してもらえることになります。この庭を訪れたヒトはこの札を見ることによって、名前を知り、その機能(ドレッシング用に使われる)を知ります。知った途端にこの木に親近感を抱き、愛着を覚えるようになるでしょう。名づけられ、その属性が知らされたからです。

 実は、庭のそこかしこにこの黄色の札が付けられています。それを見て私は、この庭では木々や野菜がそれぞれの存在を主張しているように見えました。一歩、この庭に足を踏み入れれば,誰しも、どんなものにも個性があり、それぞれの役割があることを思い知らされるでしょう。自然と共生するだけではなく、庭で生きる植物たちをこのような形で可愛らしくアピールさせているのです。

 黄色の木の札を作っているのは、修一氏でした。

 木の下には水盤が置かれ、小鳥がやってくれば一休みし、水が飲めるようになっています。

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 ここにも黄色の札が置かれています。もし、この札がなかったら、水盤はただの水盤でしかありません。札が置かれることによって、小鳥がやってきたときに飲む水なのだということが示され、特別の存在になります。鳥もまた自分の居場所を確保できているからでしょう、ヒトを恐れることなく、平然と2羽の小鳥が水盤の縁に留まっています。

 庭の隅々にこのような配慮が見られ、津端ご夫婦が樹木や草花、小鳥など、庭で生きるもの一切合切を共に生きるものとして扱っているのが微笑ましく、見ているだけで心が豊かになっていくのを感じます。

■オシャレな生活
 先ほどご紹介したお二人の写真をもう一度、振り返ってみましょう。淡い色調のせいでしょうか、カメラで捉えられた被写体すべてに上品で爽やかな印象があります。柔らかな陽射しに包まれた雑木林を背景にしたお二人の姿がとりわけ印象的です。背景の自然に溶け込んでいるようでいて、実は、お二人の存在感がしっかりと捉えられているのです。

 お二人とも同じように白髪の上に樹皮で手作りしたような帽子を被っておられます。これがなんともいえず牧歌的で微笑ましく、ファンタジーを感じさせられます。そして、お二人とも眼鏡を着用されていますが、英子さんは縁が目立たないもの、修一氏は黒縁のもので、それぞれお顔の特徴を引き立てる効果があります。つまり、英子さんは目元の優しさが強調され、修一氏はくっきりとした個性的な面持ちになっています。

 黒縁眼鏡の強さに合わせるように、修一氏は紺色のハイネックを着用し、英子氏は逆に5分袖の淡い水灰色のハイネックを着用しています。これは修一氏のパンツと似たような色で、お二人が並んだ時、色彩のバランスが取れるよう配慮されているように見えました。主張せず、お互いの個性を際立たせながらも、調和がとれています。

 農作業するときの装いも決して野良着ではなく、淡い色調のシャープなデザインのものでした。そして、果実を入れるバケツの色が黄色なら、修一氏が乗っている自転車のフレームは赤と言った具合に、シンプルでカラフルな色が生活空間のそこかしこに使われており、センスの良さが際立っています。

 モノだけではありません。生活自体がオシャレなのです。例えば、英子さんは庭でとれた野菜や果実を使って、さまざまな料理やお菓子を手作りします。イチゴが収穫できる時期になると、イチゴケーキを楽しみます。

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 多少、見た目は悪くても、採れたてのイチゴがスポンジケーキの上にたっぷり乗っているのです。どんなに甘く、香しいことでしょう。有名店も及ばないイチゴケーキが出来上がりました。このように津端家の料理やお菓子はすべて英子さんの手作りなのです。

 ある日の食後、修一氏が食べ終わると思わず、美味しかった」と言いました。すると、英子さんはすかさず「美味しいと言ってもらえて、本望です」と返しました。このやり取りがとても味わい深く、感謝の気持ちが生活を豊かなものにしていると思いました。

 またある日の食事時、修一氏が「木のスプーン」と言いました。英子さんがスープ皿の傍に金属製のスプーンを置いていたのです。実は修一氏は木のスプーンしか使いません。こだわりがあるのです。すると、英子さんはそれを厭う気配も見せず、修一氏に木のスプーンをさっと渡しました。このように、ご夫婦の間にはあうんの呼吸で組み立てられた生活スタイルがありました。それがとてもオシャレだと思いました。

 実は、英子さんは朝食を二種類用意します。毎朝、修一氏用に和食、自分用にパン食をテーブルにセットするのです。傍から見ると、面倒だと思いますが、それぞれの好みを尊重して暮らす習慣ができているのでしょう。英子さんはごく自然に手際よく二種類の朝食を準備していました。

■改めて考えさせられる、今をどう生きるか。
 このようなライフスタイルを築き上げるまで、お二人にはいったい、どのぐらいの年月が必要だったのでしょうか。

 そういえば、映画の中でまるで主題歌のように、以下のナレーションが繰り返されていました。

*****
風が吹けば、枯れ葉が落ちる。
枯れ葉が落ちれば、土が肥える。
土が肥えれば、果実が実る。
こつこつ、ゆっくり。
人生、フルーツ。
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 自然の営み、循環システムの豊かさを言い表したものですが、最後のフレーズ、「こつこつ、ゆっくり」という言葉が心に響きます。ナレーションは女優の樹木希林が担当しました。重みのある言葉です。津端夫婦の日常生活を通して、自然の営みと年月の働きがもたらす豊かさが見事に表現されていました。

 画面に引き込まれて見続けて、改めて、考えさせられました。今をどう生きるか…。

 かつてどう生きてきたかが、「今」を決定します。ですから、「今」をどう生きるかは、「未来」を決定するのです。津端ご夫婦は未来を見据え、こつこつ、ゆっくりと木々を育て、枯れ葉を堆肥に土を豊かにし、果実を実らせてきました。あるべき姿を思い描いて日々、工夫を重ねて生活してこられたからでしょう。収穫したきゅうりを手にしたときの英子さんの笑顔は天下一品でした。

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 さまざまな経験と知恵と思いやりに溢れています。それこそ、「こつこつ、ゆっくり」理想の実現に向けて夫婦で歩んできたからこそ得られた果実といえるでしょう。そういえば、修一氏は夫婦で台湾に出かけたとき、付き添人に「英子さんは僕にとって、最高のガールフレンド」と言っていました。数十年共に生きてきてなお、このような言葉を口にできるとは・・・、素晴らしいと思いました。

 カメラクルーが気にならなくなったころでしょうか、英子さんは修一氏のことを「修たん」と呼んでいたのに気づきました。一方、修一氏は佐賀の病院関係者が訪ねてきたとき、英子さんのことを「お母さん」と呼んでいました。この二つのシーンを思い起こし、私はお二人の関係が見えるような気がしました。英子さんの方が大きく修一氏を包み込むようにして、これまで生きてこられたのではないかと思ったのです。

 90歳と87歳にもかかわらず、お二人の身ごなしの軽いこと、歩くのが速いこと、そして、笑顔の素晴らしいこと、ついつい見惚れてしまいました。健康で充実した生活をなさっているからでしょう。素晴らしい映画でした。見終えて清々しい気持ちになるのは久しぶりです。(2018/12/15 香取淳子)

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